センチメンタルジャーニー 1

センチメンタルジャーニー
―A BOY MEETS "THE" GIRL STORY


【1】

 その朝、ボクはどうしようもなくウットーしい気分で駅の待合室にいた。

 長い長い一夜を想い起こしながら、ポケットのタバコを探る。最後の1本を取り出して銜え、空箱を握り潰した。これできのうの夕方から丸ふた箱吸ったことになる。

 いつもは一日でひと箱ぐらいのペースだから、かなり吸いすぎている。百円ライターで火を点けると、紙臭いイヤな味がした。舌先が痺れているように感じるのは、ゆうべのアルコールが抜けきっていないせいもあるのだろう。

 オフクロが乗っているはずの夜行列車が着くまでには、まだ30分近くもある。8月の終わりの北海道で朝を迎えるには、半袖のポロシャツでは肌寒い。売店のシャッターもまだ下りたままの待合室は、だだっ広さがヤケに身に染みる。不愉快な想いが豪華キャスト総出演状態だった。

 いったいオレが何をしたって言うんだよ。どいつもこいつもふざけやがって、テメエらみーんなグルなんじゃないだろうな。

 列車の改札を告げるアナウンスが待合室に流れる。出迎えにはまだ早いことは判っていたけど席を立った。なんでもいいから、とにかく体を動かしたかった。

 自動販売機でタバコを買って改札口へ向かう。踏み出す膝に力が入らず、体中の節々に痛みがあった。一応目は覚めているはずなのだが、脳細胞の何分の一かは確実に眠っていた。

 徹夜明けの朝というのは、自分の体がボロ雑巾のイメージと重なり、情けない気持ちになる。力いっぱい絞り上げたら、アルコールとニコチンを含んだ汚水が大量に流れ出るのは間違いなかった。何をやっているのか、自分のことながら嘆かわしかった。

 改札口には、かなりの数の人が並んでいた。夜が明けて間もない時刻の列車に乗る物好きが、なんでこんなにいるのだろう。とても正気の沙汰とは思えない。

 親子らしい4人連れ……ガキどもはちょっと珍しいぐらいブサイクだった。派手なナリをしたアベック……女のほうはえらく塗りたくっている。とてつもなく大きなリュックを持った旅行者たち……お世辞にもコギレイとはいえない格好をしている。

 そんなほとんど治外法権的な列の後ろのほうに、“彼女”がいた。「掃き溜めにツル」というのは、たぶんこういうときのためにある言葉だ。

 白っぽいグレイのスーツを着た横顔を見つめていると、どこか現実離れしたものを見ている気がした。肩に下げているベージュのバッグは旅行用にしては小さいようだったが、傍らに手提げ型の大きな紙袋が置かれているところを見ると、やはりどこかに出掛けるつもりなのだろう。

「こんにちは、っていうより、お早うさんかな?」

 ボクが声を掛けると、振り返った彼女は驚きとも戸惑いともつかない微妙な表情を見せた。

〈えらくイイ女になったね〉

 久しぶりに彼女を見て思った。高校の卒業式以来だから、ほぼ1年半経(た)っている。昔から大人びた雰囲気があったから“見違えた”というのはちょっと違うのだろうが、少し痩せたように見える彼女は、あの頃には感じられなかった“大人の魅力”とやらを漂わせていた。

「どうしたの?」

 平静さを取り戻した様子で彼女が言う。

「どうしたのじゃないだろ。すごい美人がいるなーって、見とれてたんだよ」
「よく言うわ」

 素っ気ない口調だったが、目は笑っていた。

「アンタこそ、こんな時間にどちらまで?」
「ちょっとね」
「センチメンタルジャーニーってヤツかな?」
「まあそんなとこ」

 首をやや右に傾げて微笑むのは、昔からの彼女の癖だった。化粧のせいか大人びて見えていたのが嘘のように、幼い笑顔になった。ほんの一瞬だけ、あの頃の彼女に戻ったみたいだった。

 女には、時折大人の顔をする“少女”から、ふと少女の顔を覗かせる“女”になってしまう時期がある気がする。何かをきっかけに、短いあいだで顔つきが変わってしまう時期が。

 彼女の場合は何がきっかけだったのかは知らないが、その時期を過ぎてしまっているのは確かなようだった。「慣らし運転済み」というスタンプを捺してやりたくなった。



 ありきたりの話をしているうちに、改札が始まった。

「じゃあね」

 と言って微笑んだ彼女を、手を振って見送る。しばらくぶりに動きはじめたふたりの時計は、ほんの数分でまた止まってしまった。

 どこに行くんでしょうね、と考えながらボクは柱に凭れてタバコに火を点けた。

〈どっちみち関係ないか〉

 そう思って半ばまで吸ったタバコを捨てようとしたとき、かろうじて活動している脳細胞の中で閃いたものがあった。

〈まさか……〉

 という想いが先に立った。いくらなんでもバカげている。ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て……と3回ぐらい自制したが、彼女のことを考えれば考えるほど、確信めいたもののほうが大きくなっていった。何かにせっつかれるような慌ただしい気持ちで、ボクは財布の中身を確かめるとキップの販売機へ走った。



 駆けつけたホームには、列車が入線しかけていた。

 喉元まで飛び出してきていた心臓を、なんとか定位置まで押し戻す。徹夜明けの二日酔いでの短距離走が陸上競技の正式種目になったら、確実に死人が出る。たいした距離ではなかったのに、ヒザの関節が3回ぐらい外れそうになった。

 ホームでウロウロしていると、降りてくるオフクロと搗(か)ち合う可能性がある。二日(ふつか)ぶりというあまり感動的でない親子の再会の末、強制送還なんて事態は避けたかった。

「中で説明するから」

 呆れ顔の彼女に言い残し、荷物をひったくって列車に乗り込んだ。

 車両の中ほどのボックスに座り、彼女を手招きする。座席の数には余裕があり、ふたりで4人掛けのボックスを占領できそうだった。

「いったいどういうつもり」

 彼女の問いに答えずに窓の外を窺う。オフクロが通るのを体を屈めてやり過ごし、多少呼吸が整うのを待って彼女のほうに向き直った。

「センチメンタル、ジャーニーに、臨時参加を、希望いたします」
「何言ってんのよ」

 彼女は腕を組み、険しい表情で言った。シートに座っているボクを見下ろす姿勢になるから、けっこう迫力があった。

「そんな、怖い顔を、するんじゃないよ。せっかくの美貌が、台なしだよ」

〈怒った顔がまたなかなかいいんだよな〉

 自分の立場も弁えずに不謹慎なことを思ってしまう。

「どこに行くか判ってて、そんなこと言ってんの?」
「……だろ」

 列車の終点に当たる港町の名を、できるだけさり気なく口にする。けっこうシブくキマったんじゃないだろうか。彼女は苦笑しながら唇を噛んで俯いた。

「かすかに記憶があってね」

 眉間にシワを寄せながら言って、自分のことながらぎごちなさを感じた。やはりハードボイルドは柄じゃない。ボクはいつものカルーい調子に戻った。

「記念すべき日を迎えるには、なんてったって海の見える街がふさわしい、と思ったりなんかするわけなんだ」

 道化けた口調で言いながら、彼女の反応を探る。

「突っ立ってないで座りなよ」
「もし勘違いだったらどうするのよ」

 と言って、彼女はボクの前のシートに腰を下ろした。

「まんざら勘違いでもないんじゃないか?」
「アタシがじゃま者扱いしたら?」
「次の駅で待ち人が乗ってきたりしてね。そんときは泣きながら帰りますよ、どうせキップはひと駅しか買ってないし。まあ、それほどジャケンに扱うような人とは……思えないこともないな。どっちかっていうと腕力より脚力のほうが自信あるけど、いざってときにはボディーガードにぐらいなるから。時間稼ぎの“タテ”ぐらいにしかならないかもね。“守り狼”になんか……なる可能性も否定できない」

 ボクの言葉に、彼女は初めて本当におかしそうに笑った。そうでなくちゃいけない。どうやらやっと少しこっちのペースになってきたようだ。

「アナタの記憶力に敬意を表して、ナイトに任じましょうか」
「ははあ。光栄の行ったり来たり戻ったり、慎んで務めさせていただきます」
「相変わらずね」
「何が相変わらずなんだよ。どうせオレは軽薄な人間だよ」
「そういうとこが」

 上目づかいでボクを見た彼女の視線が、一瞬鋭くなったような気がした。

〈これはちょっとマズい〉

 小刻みにゲインを積み重ね、悪戦苦闘の末になんとかファーストダウンを獲得したのに、次のシリーズで立て続けにサックされて呆然とするクオーターバックの心境……と言っても、アメフトを知らないヤツにはなんのことだか判らんだろうな。

「その袋、やたら重いけど、何が入ってるんだ?」
「手紙だとか、日記だとか、そういうもの」

〈ますますマズい……〉

 さりげなく足元の水溜まりを避けようとして、電柱に頭をぶつけたようなものだ。そう思いながら、ボクは開き直った。こうなれば徹底的にやるしかない。一か八かの正面突破で意表を衝いて、あとは野となれ山となれだ。

「アンタ本気なの?」

 彼女は、無言で膝の上に置いていたバッグから小さなガラスビンを出した。まるでボクの言葉を待っていたかのようだった。ラベルが剥がされているガラスビンには、中身の錠剤が半分ほど入っていた。

 もしかすると、睡眠薬なのかもしれない。おそらく、睡眠薬なのだろう。たぶん、睡眠薬なんでしょうね。無意識のうちに動揺表現の3段活用をしながら、どういう反応をすればいいのか困惑する。

 そういう切り札を隠しているとは思わなかった。勘弁してくれよな、ちょっと冗談がきついんじゃない? これはほとんど凶器攻撃です、レフリーは何してるんだ。

「ビタミン剤じゃないみたいだな」
「鎮痛剤でもないみたいよ」
「とんでもない人だな」

 ボクが呆れて溜め息を吐(つ)くと、彼女は薬のビンを戻したバッグをポンと叩いていたずらっぽく笑った。

「吸っても構いませんか?」

 何げなく銜えかけたタバコを彼女に見せて顔色を窺う。彼女がタバコの煙を大の苦手にしていて、あの頃、彼女の前では絶対に吸わせてもらえなかったことを想い出したからだ。

「ええ、どうぞ」

 彼女はおかしそうに言った。

 何がおかしいのか判らないまま火を点けて視線を上げると、彼女はバッグからタバコとライターを取り出したところだった。

「アンタねえ……」
「えっ?」

 彼女はとぼけた声を出して笑って見せた。

 もう何も言いたくなかった。彼女のバッグが、ドラえもんの異次元ポケット並みの機能を持っているとは知らなかった。ボクが何か言うたびに、戦意を喪失させるアイテムが際限なく出てきそうだった。

 古い手紙や日記を持ってるって言ってたな。彼女にヤバい手紙なんかは出してない……よな。いや、かつての“口から出まかせ”が“甘い囁き”として日記に克明に綴られてたりしたら……これはたまりませんよ。その場のノリで、とんでもないことを言っちまうことがあるからな。

「変わったタバコ吸ってんだな」
「前はショッポ吸ってたんだけど、あれ短くって、煙が目に滲みるのよ」

 と言って彼女はタバコに火を点けた。

「涙ぐみながらタバコを吸ってたりするのもなかなかいいもんだと思うんだけど、誤解されそうだから、やめた」

 彼女が火を点けた細身のメンソール系のタバコはふつうならキザに見えかねないヤツなのだが、手慣れた感じでマニュキアの指に挟んだ仕草は、腹立たしいことにけっこうサマになっていた。



 列車が動きだしてしばらくすると、猛烈な眠気が襲ってきた。
「ちょっと眠ってもいいかな」

「どうぞ、ご自由に」

 つっけんどんな口ぶりに神経を逆撫でされたが、おとなしく眠る体勢を取る。いっそ眠ってしまって、作戦を練り直したほうがよさそうだった。

「アンタも変な人だな」

 目を瞑ったまま言う。

「なんで?」
「どうしてこんな朝っぱらからオレが駅にいたのか、訊こうともしないからだよ」
「訊くまでもないでしょ。誰かを迎えにきてたみたいじゃない。それがいつもの気まぐれでこういうことになった。でしょ?」
「図星だよ」

 お見通しでございますか、と白旗を掲げたい気持ちだった。もっとも、“迎えにきた”というのはそのとおりだとも言えるが、違っているとも言える。

 ゆうべボクは高校のときの友人と2時過ぎまで飲んでいて、家から締め出された。外から電話でも掛ければなんとかなったのだろうが、ただでさえ強めの風当たりがいっそう強くなりそうで気が引けた。このところ、1年ぶりの帰省ってことを理由に毎晩のように飲み歩いているのだから、自業自得としか言いようがない。

〈いつもなら当てつけがましく眠らずに待っているオフクロが、きょうに限ってどうして……〉

 そう考えたとき、オフクロが札幌に行っていて、夜行列車で帰ってくることを想い出した。これに便乗すれば、堂々と家に帰ることができる。おまけにこっちは被害者の立場になれる。

 将軍家の家紋入りの印籠を手にした気になったボクはオフクロを迎えにいくことに決め、明け方までやっている喫茶店で時間を潰した。列車の時刻を間違えて、駅の待合室で1時間も過ごす羽目になったのは間の抜けた話だったが。

 どうもゆうべからやることなすこと裏目に出ると思っていたら、この女の差し金だったのかね。すると、行き着く果てはどこなんだろう。

 天国、極楽、桃源郷なんぞに連れていっていただけるとは期待してないが、まあ地獄でもないはずだ。どうせなるようにしかなりはしない。

〈なかなか手の込んだ演出だな〉

 ボーッとしてきた頭の片隅で思う。

〈二十歳(はたち)になったら死ぬ〉

 あの頃……高校3年のときだから、もう2年も前になる。彼女はそんなふうに言ったことがあった。

 ――高校卒業したら、メチャクチャやって、もう何もかもケッコーですって顔して死んでやるの。

 そういったトッピなことを口にするときの彼女は妙に魅力的で、バカげているとは思いながらも、いかにも彼女らしい発想がおもしろかった。

 彼女にはかなり変わったところがあった。「感受性の豊かな文学少女」とかいう言い方を何かで目にしたことがあって、はじめのうちは「こういうヤツのことなんだな」と思えておかしかった。

 だが、彼女はそんな言葉で片づけるにはいささか毒が強かった。成績もよかったはずだが、そういう問題とは別の次元で彼女はものすごく頭がよかったし、精神的に大人だった。もう少し正確に言うと、大人だったのではなく、大人っぽい部分と子供っぽい部分がグチャグチャに混ざり合っていた。

 ふだんは理性やら常識やらでやんわりと包み込まれている毒気が、時々妙な形で顔を覗かせた。彼女といると、3時間に1回ぐらいの割合で頭が割れそうになったのを覚えている。

 彼女とは高1のときに1年間だけ同じクラスだったが、別にその頃はとくに意識をしたつもりはなかった。2年目からはクラスも別になってほとんど話をしたこともなかった彼女に声を掛けたのは冗談半分で、真剣にどうにかしようと思っていたわけではない……はずだ。

〈あれは男嫌いだ〉

 そんな評判が立つほどほかのヤツのモーションには冷淡だった彼女が、よりによってそろそろ受験が気になりだす頃になってボクの誘いに乗ったことは、まわりの連中に不思議がられたりもした。ボクがそのことを口にすると、彼女は皮肉っぽい笑いを浮かべた。

 ――バカじゃないの。ホントに男嫌いの女なんている? 女はみんな男好きよ。

 平然と言ったかと思うと、

 ――アタシなんかとくに。

 と茶目っ気たっぷりに言って肩を竦める。どちらが本当の彼女かと言えば、たぶんどちらも本当の姿なのだろう。

 強がり、背伸び、気紛れ、倦怠(アンニュイ)、感傷(センチメンタリティ)……女が見せる多様性というのは要は自己陶酔で、誰もが多少は持っているはずだ。だが、彼女の場合はそれがあまりにも極端だった。

 意識的な演技なのか感情による行動なのか、区別が付かないところもあった。一応脚本は用意しているようなのだが、いつの間にかアドリブに走ってしまい、収拾が付かなくなる感じがあった。

 少なくとも、ボクがそれまでに見たこともないようなコントラストの鮮やかさが、彼女にはあった。いちばん簡単に形容するなら「エタイの知れないオンナ」ということになり、ボクにはそこがけっこうおもしろかった。半年近くものあいだ、いま考えてみても奇跡としか思えないママゴト染みた“清い交際”ができたのは、そのせいだろう。

〈まさかマジじゃないだろうな?〉



 薬を見せられるまでは、ポーズだとばかり思っていた。あしたが彼女の20回目の誕生日なのだ……。


【続きは】↓
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-128.html



スポンサーサイト
プロフィール

tobi

Author:tobi
フリーランスの編集者兼ライターです。

カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード