朝日新聞から(2007年8月)
【8月】
8-1
2日
だから、というわけではなかろうが、問題発覚後、先月30日の成田空港に戻ってきた時も、理事長に謝罪した国技館でも本人はぶぜんとした表情。行いを悔いたというより、ふてくされているようにさえ見えた。(朝刊19面)
渦中の朝青龍に関する記事。
「先月30日の」の「の」はないだろう。フツーに考えれば「に」。直後の「成田空港に」との重複が気になる? そんなレベルの高いことを気にするような文章じゃない。どうしてもっていうなら、「先月30日、」とするしかない。でもそんなことをすると読点だらけの一文になってしまう。もともと読点が4つもあるみっともない一文なんだから。もう少し細かいことを書くと、「戻ってきた時も」と「国技館でも」の並列も気持ち悪い。前者が「時」で後者が「場所」だからだろうな。最低限の修正をしてみようか。
だからというわけではなかろうが、問題発覚後、先月30日に戻ってきた時の成田空港でも、理事長に謝罪した国技館でも本人はぶぜんとした表情。
ホントは「先月30日に戻ってきた時の」は「先月30日の帰国時の」のほうがスッキリするけど、朝青龍の場合は「帰国」とはしにくい。新聞などで見る「再来日」もなんかヘンな感じだよな。
と悪態をついて、やっと本題に入る。何がひっかかるって、「ぶぜん」。まず表記が異様。「憮」が使えないからって、これはないでしょう。「ぶ然」ってまぜ書きとどっちがイヤかっていえば、どっちもありえない。
で、「憮然」の意味は、「goo辞書」には以下のようにある。
(ト/タル)[文]形動タリ
(1)思いどおりにならなくて不満なさま。
「―たる面持ち」
(2)落胆するさま。
「昨夜幽明の郷に逝けり…―として大息する/佳人之奇遇(散士)」
(3)事の意外さに驚くさま。
「一たび日本の秋を看るや、忽ちにして―自失すること/日本風景論(重昂)」
この(1)の意味なんだろう。少し前の辞書には(2)の意味しかのっていないけど、実際に目にする用例は圧倒的に(1)。誤用が多すぎて、もう正用扱いになったてことかね。もっとも、「goo辞書」は微妙な位置にある用法も無節操に採用していくからな。
本来は「悄然」に近い意味と考えていたが、こっちの用法はここ数年見た記憶がない。一般的な誤用だと「不満げ」「納得がいかない」「ふてくされた」みたいなニュアンスだろう。そんなふうに思っていたから、「行いを悔いたというより、ふてくされているようにさえ見えた。」って一文が、誤用のうえにクドく感じられた。
8-2
5日
朝刊37面の「ことば談話室」。今回のテーマは、〈文末の「(笑)」〉。
文末の「(笑)」は、本来は座談会などで、笑い声が起きたことを表す記号だったとのこと。そうだったかな。昔から、本人が冗談まじりに笑いながら発言したときの記号だと思っていた。笑い声が起きた場合は、「(一同笑い)」とか書いてあったような。昔のことなんで、記憶が定かではない。
現代の用法は、圧倒的に本人の「苦笑」「照れ笑い」のニュアンス。同様の書き手の心情を表すのに、(泣)(涙)などがあり、バリエーションは無数。orzあたりは大傑作だと思う。
8-3
9日
この試合を含め、最近7試合で被本塁打は7。過去3シーズンの年間被本塁打は12~14本だから、やや打たれすぎだ。(朝刊15面)
被本塁打数の多さが目につくロッテの渡辺投手に関する記事。問題は「やや打たれすぎ」。「やや」+「~すぎ」って形容矛盾の一種じゃないだろうか。同じような例でも、「ちょっと打たれすぎだ」ぐらいならそんなに異和感はない。「ちょっと」が砕けた表現だから、とも思ったが、少しかための「少々打たれすぎだ」でもそんなに気にならない。ってことは、そんなに気にする必要はないか。どの副詞を使っても、「あまりにも打たれすぎだ」ほどではないけど打たれすぎ、ぐらいの意味だろう。で、引用文に戻ると、最近の7試合で約半年分打たれてるんだから、「やや」なんてレベルではなく「いくらなんでも打たれすぎ」でしょう。
8-4
15日
先発の右腕山井にマウンドまで来て一言檄(げき)を飛ばし、左の林と勝負させた落合監督。(朝刊11面)
ずいぶん前から問題視されている「檄飛ば」。スポーツ記事に出てくる妙な日本語の定番中の定番。このところ朝日新聞紙上ではあまり見なかった気がする。これも「誤用だけど定着」の代表格かな。あと、「ゴボウ抜き」なんてのも、もう誰がどう言っても本来の意味には戻んないだろうな。
8-5
1回から2死満塁の好機を作るなどしていたが、要所では橋本の時に100キロを切る緩い変化球に、苦しめられていた。(夕刊3面)
言葉の使い方の問題ではないけど、あまりにも見事な「修飾語の不適切な順番」の例だったもんで。本多勝一に教えてあげたい。一読したときは「(主力打者の)橋本の時に」と読んでしまい、わけがわからなかった。原則どおり、「橋本の」を「緩い」の直前にもってくれば問題がない。
8-1
2日
だから、というわけではなかろうが、問題発覚後、先月30日の成田空港に戻ってきた時も、理事長に謝罪した国技館でも本人はぶぜんとした表情。行いを悔いたというより、ふてくされているようにさえ見えた。(朝刊19面)
渦中の朝青龍に関する記事。
「先月30日の」の「の」はないだろう。フツーに考えれば「に」。直後の「成田空港に」との重複が気になる? そんなレベルの高いことを気にするような文章じゃない。どうしてもっていうなら、「先月30日、」とするしかない。でもそんなことをすると読点だらけの一文になってしまう。もともと読点が4つもあるみっともない一文なんだから。もう少し細かいことを書くと、「戻ってきた時も」と「国技館でも」の並列も気持ち悪い。前者が「時」で後者が「場所」だからだろうな。最低限の修正をしてみようか。
だからというわけではなかろうが、問題発覚後、先月30日に戻ってきた時の成田空港でも、理事長に謝罪した国技館でも本人はぶぜんとした表情。
ホントは「先月30日に戻ってきた時の」は「先月30日の帰国時の」のほうがスッキリするけど、朝青龍の場合は「帰国」とはしにくい。新聞などで見る「再来日」もなんかヘンな感じだよな。
と悪態をついて、やっと本題に入る。何がひっかかるって、「ぶぜん」。まず表記が異様。「憮」が使えないからって、これはないでしょう。「ぶ然」ってまぜ書きとどっちがイヤかっていえば、どっちもありえない。
で、「憮然」の意味は、「goo辞書」には以下のようにある。
(ト/タル)[文]形動タリ
(1)思いどおりにならなくて不満なさま。
「―たる面持ち」
(2)落胆するさま。
「昨夜幽明の郷に逝けり…―として大息する/佳人之奇遇(散士)」
(3)事の意外さに驚くさま。
「一たび日本の秋を看るや、忽ちにして―自失すること/日本風景論(重昂)」
この(1)の意味なんだろう。少し前の辞書には(2)の意味しかのっていないけど、実際に目にする用例は圧倒的に(1)。誤用が多すぎて、もう正用扱いになったてことかね。もっとも、「goo辞書」は微妙な位置にある用法も無節操に採用していくからな。
本来は「悄然」に近い意味と考えていたが、こっちの用法はここ数年見た記憶がない。一般的な誤用だと「不満げ」「納得がいかない」「ふてくされた」みたいなニュアンスだろう。そんなふうに思っていたから、「行いを悔いたというより、ふてくされているようにさえ見えた。」って一文が、誤用のうえにクドく感じられた。
8-2
5日
朝刊37面の「ことば談話室」。今回のテーマは、〈文末の「(笑)」〉。
文末の「(笑)」は、本来は座談会などで、笑い声が起きたことを表す記号だったとのこと。そうだったかな。昔から、本人が冗談まじりに笑いながら発言したときの記号だと思っていた。笑い声が起きた場合は、「(一同笑い)」とか書いてあったような。昔のことなんで、記憶が定かではない。
現代の用法は、圧倒的に本人の「苦笑」「照れ笑い」のニュアンス。同様の書き手の心情を表すのに、(泣)(涙)などがあり、バリエーションは無数。orzあたりは大傑作だと思う。
8-3
9日
この試合を含め、最近7試合で被本塁打は7。過去3シーズンの年間被本塁打は12~14本だから、やや打たれすぎだ。(朝刊15面)
被本塁打数の多さが目につくロッテの渡辺投手に関する記事。問題は「やや打たれすぎ」。「やや」+「~すぎ」って形容矛盾の一種じゃないだろうか。同じような例でも、「ちょっと打たれすぎだ」ぐらいならそんなに異和感はない。「ちょっと」が砕けた表現だから、とも思ったが、少しかための「少々打たれすぎだ」でもそんなに気にならない。ってことは、そんなに気にする必要はないか。どの副詞を使っても、「あまりにも打たれすぎだ」ほどではないけど打たれすぎ、ぐらいの意味だろう。で、引用文に戻ると、最近の7試合で約半年分打たれてるんだから、「やや」なんてレベルではなく「いくらなんでも打たれすぎ」でしょう。
8-4
15日
先発の右腕山井にマウンドまで来て一言檄(げき)を飛ばし、左の林と勝負させた落合監督。(朝刊11面)
ずいぶん前から問題視されている「檄飛ば」。スポーツ記事に出てくる妙な日本語の定番中の定番。このところ朝日新聞紙上ではあまり見なかった気がする。これも「誤用だけど定着」の代表格かな。あと、「ゴボウ抜き」なんてのも、もう誰がどう言っても本来の意味には戻んないだろうな。
8-5
1回から2死満塁の好機を作るなどしていたが、要所では橋本の時に100キロを切る緩い変化球に、苦しめられていた。(夕刊3面)
言葉の使い方の問題ではないけど、あまりにも見事な「修飾語の不適切な順番」の例だったもんで。本多勝一に教えてあげたい。一読したときは「(主力打者の)橋本の時に」と読んでしまい、わけがわからなかった。原則どおり、「橋本の」を「緩い」の直前にもってくれば問題がない。
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