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発売開始 新発売 新発見 就航中

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2010年05月15日から。

 下記の続き?
「故障中」は誤用なのだろうか
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-44.html

 テーマサイトは下記。
【「発売開始」は正しいですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1040804765

 質問の内容はタイトルのとおり。

 まず結論を書いてしまう。
 論理的に考えれば「発売開始」はたしかにおかしい。「発売」か「販売開始」にするべきだろう。
 これを「重言」と考えるか否かは微妙。たしかに「重言」と言えば「重言」なのだが、個人的には別の問題だと思う。重言に関しては下記参照。
【重言の話4(第1稿) 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.html
 個人的には、「瞬間」と「継続」の問題と考えている。この概念を正確に表わすのはむずかしい。簡単に言うと、動詞(この場合は正確には「名詞」)のなかには「瞬間」の意味合いが強いものがあり、一般の動詞とはちょっと違う性質がある、ってことになる。
 本来は「瞬間」を表わす「発売」は「開始」とは結びつかない。「発射開始」「出発開始」とかも相当異様。
 じゃあ「発売開始」は誤用かと言うと、「こっちはフツーに使うでしょうね」としか言いようがない。
 ここから先は問題を3つに分けてみる。

1)「瞬間」に関係する言葉&「継続」に関係する言葉
「瞬間」を表わす言葉をいくつかあげる。
「開戦」「終戦」「開幕」「閉幕」
「開○」という言葉の多くはこれだろう。こういう言葉に「開戦開始」とか使うと相当異様。すでに「瞬間」の意味があるのに、さらに瞬間の意味がある「開始」をつけるからだろう。
「開始」と逆の意味合いをもつのが「中」だろう。こちらは「継続」に関係する。
「中」の場合は「継続」を表わすたいていの言葉につけることができるが「瞬間」を表わす言葉とは相性が悪い。瞬間の意味合いをもつ「開戦」と組み合わせて「開戦中」などとすると、これはこれで異様。

2)「瞬間」でもあり「継続」でもある言葉
 これは前に(【「故障中」は誤用なのだろうか】)でいくつかあげた。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-44.html
================================
 「瞬間」だけど「継続」でもあるって言葉はいくらでもある。
 対になっている言葉なのに「入院」は「瞬間」&「継続」だけど、「退院」は「瞬間」だけ。だから「入院中」はアリだけど「退院中」はナシ。
 それがなぜか「入学」と「退学」(フツーは「卒業」か)はどちらも「瞬間」。
================================
 このほかに「故障」「出願」「申請」なども微妙。

 先日、本来は「瞬間」のはずの「就航」にも「継続」の意味が認められていることを発見して驚いた。思わず【「故障中」は誤用なのだろうか】に追記してしまった。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%B0%B1%E8%88%AA&stype=1&dtype=0
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しゅう‐こう〔シウカウ〕【就航】
[名](スル)
1 船舶や航空機が初めて航路につくこと。「世界最大のタンカーは明日―する」
2 船舶や航空機がその航路で運行されていること。「現在―している船」
================================

3)「発売」の特殊性
「発売」「発見」「発病」「発狂」などは本来は「瞬間」だろう。一方「発言」「発表」は「瞬間」より「継続」のニュアンスが強そう。
「瞬間」なんだから「発売開始」「発見開始」「発病開始」はヘン。
「瞬間」なんだから「発売中」「発見中」「発病中」もヘンなはず。
 こう並べると、「発売開始」「発売中」は異和感が弱いことがわかる。
 もうひとつ、論理的に考えると「新発売」もヘンになる。「新」の場合は「新発見」もさほどおかしくない。
 このあたりは論理的にどうのこうのできる問題ではないと思う。矛盾語のひとつとして許容するしかない。
【論理的には説明できない「矛盾語」たち──日本語はむずかしい】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-904.html

 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 相当あやしげなことを書いてるなぁ。この話だと先行研究もありそうだ。大丈夫なんだろうか。

「発売開始」が重言だとしよう。ここでさらに「~から発売開始」だと「三重言」なのかという話を始めると、事態は収拾不能になる(笑)。
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教訓 ことわざなんてムヤミに使うもんじゃない

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2010年05月12日から。

サトエリ、NHKドラマ主演は「豚に真珠」と自虐
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1205731&media_id=54

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【2】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

 たしか佐藤江梨子って、グラビア系にはありえないほど読書好きで知的なタレントだったと思う。でもこの「豚に真珠」はいただけない。
 とはいえ、異和感の正体がうまく説明できない。

 似たような言葉をあげてみる。
 猫に小判/馬の耳に念仏/提灯に釣り鐘/月と鼈

「豚に真珠」にイチバン近いのは「猫に小判」。おそらくサトエリが意図していたのは、「月と鼈」に近い。
「自分にNHKの主役なんて似合わない」(私はそんなに価値のある存在ではない≒自分なんかにはもったいない大役だ)くらいの意味だろう。
 要約すると「サトエリに主役」。だが、この状況を「豚に真珠」で表わすのはちょっと違う気がする。
 だって価値がわからないんだから、真珠(主役)がムダってことになる。誤用ではないけど、微妙にピントがボケている。
 さらに恐ろしいのは、これが誤解される可能性があるってこと。
 この状況は「豚に真珠」だよな……と第三者が表現すると、「NHKにサトエリ」って解釈するのが自然だろう。それはあまりにも傲慢すぎる(笑)。
 このあたりは、「役不足」の誤用に近い印象がある。

 教訓
 ことわざなんてムヤミに使うもんじゃない。

【ネタ元】ORICON STYLE
http://netallica.yahoo.co.jp/news/122278
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サトエリ、NHKドラマ主演は「豚に真珠」と自虐
2010/5/12 15:44

 俳優の阿部サダヲと佐藤江梨子が12日、都内でNHK主演ドラマ『離婚同居』の会見に出席した。阿部の役者魂に触れ「アドリブも凄いし面白くて。こんな役者さんになりたい」」と感化されたことを明かした佐藤は「私がNHKさんで主演なんて“豚に真珠”。もったいないと思っていたけど、試写を見ていいなって思いました」と自虐発言を交えながら、その出来栄えに自信をうかがわせた。

 漫画家・柏屋コッコ氏の同名原作をドラマ化した同作は、突然妻(佐藤)から離婚を通告された男・鈴木竜次(阿部)が、日に日に輝きを増す元妻となぜか同居するハメに見舞われるというサスペンスコメディー。

 連続ドラマ初主演となる阿部は「離婚したことでまた絆が深まるとこや、会話、家族が大事というところも見られると思う」と見所を紹介。自身は既婚者で二児の父であることもあり「女性同士で夫の文句を言うシーンとかはね、旦那さんにも言ってくれればって思う。そこに男女の(考え方の)違いがあるのかな」と世の奥様たちに投げかけた。

 身近な知り合いで離婚別居をしている人がいるという佐藤は「昨今、離婚ブーム? よく目にしますよね」としんみり。阿部が「家庭内別居よりはいいかな?」と首を傾げつつ提案すると佐藤は「オススメはしないですけどね」と苦笑いだった。

 また、既婚者で子供を持つという役柄に、佐藤は「今回の経験が(今後)大きく使える」と嬉しそうな表情。絶妙なタイミングで阿部が「撮影中、おっぱい大きかったもんね」と茶々を入れると「そうそう! 撮影中、母性があっておっぱいが大きかった…おい、コラ!」と夫婦漫才のようなやりとりで笑いを誘っていた。

 ドラマ『離婚同居』(NHK総合)は5月18日(火)より毎週火曜午後10時より放送(全5回)。
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読書感想文『仕事文の書き方』

 ちょっと事情があって、古い読書感想文をアップしておく。

『仕事文の書き方』(高橋昭男/岩波新書/1997年8月20日第1刷発行/1999年7月15日第7刷発行)

 昨年9月に読んだ『横書き文の書き方・鍛え方』(宝島新書)と同じ著者。『仕事文の書き方』のほうが約3年も先に出版されているので読む順番が逆になってしまった。
 同じ著者が似たような手法で書いているから、当然内容はダブっている。両著の印象の違いをひとことで言うと、『仕事文の書き方』のほうがていねいに書かれている。問題は、ていねいになればなるほど理屈っぽい印象になってしまうこと。論理的にすればするほど、例外を作らないようにすればするほど、どうしても理屈っぽくて小むずかしくなってしまう。かと言って『横書き文の書き方・鍛え方』のようにハショって書くと、読みやすくはあっても不正確な記述になってしまう。どちらが読みごたえがあって役に立つのかは言うまでもない。例によって原文で「,.」を使っている句読点は、勝手に「。、」にしてしまう。

 P.2。実用書であるにも関わらず、いきなり『土佐日記』が出てくる。趣旨はよく判る。「一文には、1つの情報だけを盛りこむ」「対比の文章を書く」という心得を解説するための格好の例ではある。でもねえ……。
『土佐日記』が大学受験の問題文にほとんど採択されないのは、「内容、文章、言葉がともにやさしい」かららしい、という話は興味深い(3つの並列は、通常「ともに」ではなく「いずれも」などを使うべき)。なんだか受験問題の本質をついている気がする。この本には、このテのおもしろい話がいろいろと出てくる。

 P.12には「典型的な官庁の通達文」として「可及的速やかに」を含む例文が出てくる。やはりこのフレーズは使えそう(詳細は後述)。

 P.28のインターネットの歴史の変遷の話もおもしろい。もともとアメリカで学術用に発達したインターネットは、「信頼と善意が根底にあるネットワーク」だった。必然的に透明度の高いシステムで運用されていた。当時もクラッカー(侵入者)は存在したが、情報内容が学術研究用中心で公共性が高かったため、深刻な問題ではなかったらしい(クラッカーってハッカーとは別なのかしら)。

【引用部】
 「序破急」や「まくら、さわり、おち」は、「起承転結」における「承」の内容の一部が「起」に、そして残りの一部が「転と結」に吸収された形であり、原則的には、起承転結と同じ思想である。(P.48)
 これは初めて聞いた。なんでこんなことが断言できるのだろう。4段階から3段階になるときは、「転」がなくなることのほうが多いんじゃないだろうか。この文は日本語としても相当怪しい。すごく判りにくいし、「残りの一部」が吸収されたとして「残りの大半」はどこに行ってしまうのだろう。「残りの一部」は「残り全部」の意味なんだろうな。それなら単に「残り」と書けばいい。

【引用部】
 起承転結と序破急が東洋に生まれ、世界に羽ばたいた理論であるのにたいし、パラグラフ(段落)は中世ヨーロッパで、寺院の僧侶たちの手によって生まれた。
 読み手が、1つのキーワードについて説明が長くなると、緊張度が薄れて、集中力がなくなってしまうことにたいして、適切な字数で、話題を変えていく考えが基本となり、パラグラフが考え出された。
 認知心理学者などの研究によれば、日本語では、300~350字ていどが、緊張持続時間の限度といわれている。したがって、1パラグラフは300字ていどにおさめることが常識とされている。(P.48)
 順番に見ていく。
 第1文。この記述もかなり大胆。この少し前には、「世界の名作といわれる劇作は、すべて、能の思想を規範にしているといわれている」などという恐ろしい記述もある。規範になる「能の思想」が伝播する以前、日本以外の国で生まれた劇作はすべて駄作なんだろうか。「いわれている」と書けばなんでも許されると思ってはいけない。
 第2文。かなりの悪文。「読み手が」の位置がヘンだし、「たいして、」の用法が不自然。緊張“度”は上がったり下がったり(高くなったり低くなったり)するもので、濃くも薄くもならないのでは。ふつうに書いてみよう。

【修正案1】
 1つのキーワードについての説明が長くなると、読み手は緊張感が薄れ、集中力がなくなってしまう。この弊害を防ぐため、適切な字数で話題を変えていく考えが基本になり、パラグラフが考え出された。
「考えが基本」のフレーズを生かさなくてもいいなら、2つ目の文はもっとスッキリさせることもできそう。
【修正案2】
 1つのキーワードについての説明が長くなると、読み手は緊張感が薄れ、集中力がなくなってしまう。この弊害を防ぐために、適切な字数で話題を変えていくパラグラフという手法が考え出された。

 第3・4文。「300~350字ていど」(厳密に言うと重言かな)が「時間」の限度ってどういう意味だろう。どんな人でも、読むスピードが一定なんだろうか。それはさておき、こういう牽強付会がアリなら、同じことを根拠に「一文の長さは300字程度におさめるべき」とも言える。「常識とされている」は、いくらなんでも決めつけすぎ。

 P.50~で、デス・マス体の特徴と欠点についてふれている。文化庁発行の資料では、特定の対象者に対してはデアル体、不特定多数の人に対してはデス・マス体を使うように指導しているらしい。
 筆者は2つの文体の特徴について、次のようにまとめている。
  デアル体   どちらかというと紋切型
         目上に対しては失礼になることが多い
  デス・マス体 表現がやわらかい
         ていねい調
 デアル体がなんで「どちらかというと紋切型」になるのか理解できないが、おいておく。問題は、デス・マス体の「2つの大きな欠点」として指摘されている内容。
  1)文章の絶対量がふえる
  2)表記がわずらわしい
 まず1)について。同じ情報量を提示する場合、デス・マス体はデアル体に比べて「2、3%長くなってしまう」らしい。根拠は不明。経験則ではもっと長くなる気がする。このあとには、2858ページある『広辞苑』をデス・マス体で書くと「80ページ以上も分厚くなってしまう」とある。これは理科系の書き手とは思えない不用意な書き方。数字はもっと正確に使いましょう。
 第1の問題は、『広辞苑』は版がかわってもページの増減がまったくないのか、ということ。仮に増減はなかったとしても、どこからどこまでを「ページ」として扱うのかは微妙な問題。1ケタまで出すから、こういうバカなツッコミを入れられることになる。細かく書けば正確というものではなく、どちらも概数にしておいたほうが正確になる。80は2858の約2.8%にあたるから間違いではないけど。ちなみに2858の2%は57.2で、3%は85.7。
「3000ページ近い『広辞苑』は、デス・マス体にすると60~90ページ程度も増えることになる」ぐらいにしておくのが正解だろう。ただし、「2~3%」の根拠をはっきりさせないと話にならない。

 次に2)について。
  第二の欠点は、表記のわずらわしさである。
  秋の京都は美しい。
  レーザープリンタで印字された文字は美しい。
のように、われわれは「~は、~である」型の文、英語の型でいえば、S+V+Cの型の文を書くことが多い。このケースで、述部(Cの部分)に形容詞がくると、「ですます体」では表記が困難になる。形容詞の語尾と文の語尾にダブリが生ずるからである。
  秋の京都は美しいです。
  レーザープリンタで印字された文字は美しいです。
とすることに抵抗を感ずる。小学生が書いた文、という感じを読み手が受けてしまう。
  秋の京都はきれいです。
  レーザープリンタで印字された文字はきれいです。
と、言葉を変えなければならない。
 だから、同意語や類語のボキャブラリーが要求されることになる。書き手にとっては大きな負担である。さらに、この例の「美しい」と「きれい」は、類語ではあるが、同意語ではない。
 ……こういうのを「表記のわずらわしさ」って言うのだろうか。「形容詞の語尾と文の語尾にダブリが生ずる」もヘンな気がする。などと重箱の隅をほじくるのはやめよう。
 この記述は、意外なことに新鮮。こういう当たり前のことをキチンと指摘している「文章読本」は少ない。

 P.75~に出てくる機械翻訳の話は傑作。斯界では有名な話なのかな。ある翻訳システムで聖書の一部を英文露訳したあとで、再度露文英訳したところ、次のような結果になった。
  The spirit is willing, but the flesh is weak.
  (精神は強く、肉体は弱し)
  The vodka is good, but the meat is rotten.
  (酒は最高だが、肉は腐っている)

 P.88~に「一文一義の文を書く」の項目がある。著者の文章術の根幹にあるのがこの思想なのではないか。『横書き文の書き方・鍛え方』にも似たような項目があったが、あまりにもあっさりと流していたため、趣旨が判りにくかった。こちらのほうが説明が徹底され、はるかに判りやすい。大前提として、P.44の定義がある。
 文=形の上で完結した、1つの意味を表す言語表現の単位。したがって、「花は咲き、鳥は歌う」という文は、2つの文から成っている。ただし、学校文法では、句点(。)から句点までにわたる、ひとつづきの言語表現単位、と定義している。
 傾聴に値する指摘だと思う。ただ、この書き方で読者が理解できるのだろうか。要は、句点がなくても、主部と述部があれば一文ということ。たしかに、どんなに長い文でも、著者がいう「文」の積み重ねならば、判りにくくはならない。「花は咲き、鳥は歌い、虫は鳴き、風は吹き……」と延々と続いても、判りやすさの面では何も問題がない(文として自然か否かは別問題)。「長くても判りにくくない文はどんな文か」を考えるヒントになる。

 P.94にの「ある週刊誌に載った大手コンピュータ会社からの報告」。ユーザーのクレームを受けたソフトウェアの会社の人間が「ハードウェアの規模が不十分だと判断」し、環境を設定し直すようにアドバイスする。翌日、ユーザーから再び電話が入る。
「機器を2階の窓際に置いたのですが、動きません」

【引用部】
 カタカナ語で表現したほうがよいばあいもある。たとえば、「やせていますね」と言うよりは「スリムですね」のほうが、言われたほうもあまり気にならない。「この問題を解決する」よりは「このハードルをクリアする」のほうが、肩のこらない文章だといえる。(P.109)
「カタカナ語の氾濫」に警鐘を鳴らしたあとの文章なんだから話にならない。この数行で、それまでの文章が台なしになっている。あげられた2例は、なぜ「気にならない」のか、なぜ「肩のこらない」のか、さっぱり判らない。やせていることを気にしている人は、スリムと言われようが、スマートと言われようが気になるはず。エステ会社が「スリム」を使いたがるのは、そのほうがカッコイイから。あとに出てくる筆者の言葉を借りて「新鮮味」がある、と言ってもいい。「このハードルをクリアする」なんて、カタカナ語乱用の悪例として使いたいぐらい。このあとに続く記述のほうが例も適切だし、よほど説得力がある。
【引用部】
 カタカナ語とは、いうまでもなく英語の日本語表記である。たしかに恰好がいい。たとえば、技術革新というよりは、イノベーションのほうが新鮮味を感じる。
 黙っていても、カタカナ語は増えていく。だから、変換できる言葉ぐらいは、漢字で表記したいものである。

 一般論として、日本語よりカタカナのほうが「新鮮味」があるだろう。このニュアンスの違いが、カタカナ語が氾濫している大きな理由。当然例外もある。カタカナで定着している言葉をあえて日本語にすると、新鮮味があったりする。ただ、カタカナのほうが「格好よく」感じられるのは確か。あえて日本語を使うほうがレトロっぽくてカッコイイ場合もあるけど。

【引用部】
 アメリカにおいては、仕事文では短い文を書くことが義務づけられている。企業が発行する各種のマニュアルの表記の「注意」書きに、関係代名詞の使用を禁止した。文が長くなってしまうことを避けるためである。(P.116)
 英語の場合は、この方法がかなりの効力を発揮しそう。日本語の場合は何を禁止すればよいのだろう。とりあえず「順接のガ」を禁止して、あとは……ウーム。

 P.119に、情報処理学会で発表された一文の長さに関するデータが出ている。
・小学3年生の教科書 25文字
・児童雑誌      29文字
・中学3年生の教科書 42文字
・高校3年生の教科書 46文字
 長年「天声人語」を担当していた辰濃和男氏は、『文章の書き方』(岩波新書)の中で、一文30字を目標にしたと書いているそうな。

 P.119で示されている箇条書きのルール。
・本文が「ですます体」の文章でも、箇条書きの部分は「である体」の表記にする
・情報の提示順序に気をつける
・文末に句点(。)をつけない
・必要におうじて、No.を入れる……1)2)や(1)(2)など
・センテンスごとに改行する
 2つ目は当然の心得だが、「ルール」ではない。ほかの4つは、いずれも個人的にはそのとおりだと思うが、趣味の問題と言ってしまえば趣味の問題。
 1つ目。そうしない人もいるような気がする。
 3つ目。これは完全に趣味の問題の範疇。たしか新聞は「つける」にしている。
 4つ目。そうすべきだと思う。No.がないと、解説がこんなに不格好になる。必要がない場合でもNo.をつけるのはアリだろう。
 5つ目。これも「箇条書き」の本来の意味を考えればそうするべき。しかし、スペースの関係で追い込んでいる例もある。

 P.120~の「接続詞の効用」。接続詞を肯定する書き方は、「文章読本」のなかでは珍しい。
「私は愛煙家である。私は、棄てない」の2つの文の間にどんな接続詞を入れるかによって内容が変わるという話はおもしろい。
「しかし」を入れると、「愛煙家=マナーを守らない人」になり、「だから」を入れると、「愛煙家=マナーを守る人」になる。
 この本の文体も、かなり接続詞が多い。著者が意識的にやっていることを伺わせる記述がある。
【引用部】
 接続詞はこのように、短いが、味のある言葉である。接続詞を巧みにいかすことによって、書き手の思いを事前に伝えることができる。このような場面で効果を発揮するのが、接続詞などの「つなぎ語」である。
 つなぎ語には、接続詞の他、副詞、副詞句などもある。つなぎ語は、以上の効果に加えて、文章にリズム感をつける役割もあわせもっている。
 本書冒頭で、「文は短く書け」と主張しているが、文を短くすると、文間のリズムが切れてしまう。それをつなぎあわせるのも、つなぎ語の役目である。いい文章を読んでいて気づくことに、接続詞の巧みな用法がある。

 いい文章で「接続詞の巧みな用法」の例を探すのは、けっこうむずかしい。『坊ちゃん』のラストの例を指摘した井上ひさしの着眼点は、凡人にマネのできるものではない。それはさておき、この引用文の指摘は貴重。
 判らないのは、デス・マス体の書きにくさを十分に理解している著者があえてデス・マス体で書いた『横書き文の書き方・鍛え方』で、なんであんなにぶつ切れの文章を書いたのか、ということ。もっと接続詞を使えばいいのに。
 続いて、「文と文のつなぎに使う接続詞」が分類されている。
1)順接(具体例の提示、換言、結果の提示)
 したがって/そこで/だから/ゆえに/すると
2)逆説(逆の意見の提示、限定)
 しかし/だが/ところが/でも/が/けれども
3)並列・追加
 および/そして/また/加えて/ならびに/その上/なお/しかも/それから/それに/さらに
4)選択
 または/あるいは/それとも/もしくは
5)説明・補足
 つまり/なぜなら/ただし/すなわち
6)話題の転換
 さて/では
 このあとに、接続詞と同じような働きをすることがある言葉として、次のものがあげられる。
・順接
 このため/そうだとすれば/このようなわけで
・逆説
 その反面/そうはいっても
・並列
 それと同時に/これとともに
・説明・補足
 要約すると/言い換えれば/その理由については/なぜかというと
 以上の接続詞&「接続詞と同じような働きをすることがある言葉」に関する記述は、かなりモレも多く不完全な印象がある。一例をあげると、次の接続詞が抜けている。
 たとえば(これは「説明・補足」になるのだろうか)/ところで(「話題の転換」)
 接続助詞に分類されそうなものもあるし、接続詞の役割が微妙なものある(「また」は「話題の転換」のほうが一般的では)。
「接続詞と同じような働きをすることがある言葉」は無限にあってキリがないが、もう少し系統立てることはできそう。
 そういった瑕疵は別にして、いろいろと考えさせられることが多い。
・接続詞の定義はむずかしい
・接続詞の役割を分類するのはむずかしい
・「接続詞と同じような働きをすることがある言葉」をうまく使えば、「接続詞」は使わなくても済む(そんな努力に意味があるか否かは微妙)

 P.125~に、「お役所などの通達文の典型的なパターン」と修正案があげらている。

 当該課題の措置に関しては、関係各位で可及的速やかな対応策を勘案されたい
【修正案】
この問題については、関係者間でご検討の上、10月31日までに、対応策を文書で提出してください。この件の担当者は、総務の高橋です。
 これに続く書きかえ例も参考になるところが多い。

 P.129~の「ひらがなと漢字の表記基準」も参考になる。ちなみに文章内の漢字の含有率は30%前後がいちばん読みやすいそうな。

【引用部】
  自社製品の売り上げ推移は、以下のとおりである。
  売上年度   1994  1995  1996
  売上高     300   350  1500
  市場占有率   0.2   0.2   1.0
 市場占有率は、1996年度で1%であり、微々たる数字である。しかし、1995年度にくらべると、5倍に伸ばしている。
 こんなケースでシェアをしめしても、なんの効果もえられない。このようなばあいに、顧客にアピールできるのが、“前年度売上比率”という数字である。
  「前年度売上比率5倍」
という文は、顧客の目に、はっきり焼きつくはずである。(P.159)
 何が書いてあるのかよく判らない(表中の「売上年度」は「年度」がふつうだろう)。判りにくさの根源は「前年度売上比率5倍」という表現。これは「売上高」が5倍になったということだろうか。「市場占有率」が5倍になったことかとも思ったが、それでは文章がグチャグチャになってしまう。
「前年度売上比率」という言葉を強引に解釈すると、「前年」の「売上比率」。「売上比率」は「売上(高)」の中で占める割合ってことかな。「前年比売上高」もしくは「対前年売上高」と言いたいんじゃないだろうか。このテのことは著者のほうが専門のはずなんだけど。
 よく見るのは「売上高は対前年5倍」とか「売上高は前年比5倍」という表現。これを「倍」とするか「倍増」とするかは好みの問題(ただし、前年比140%=前年比40%増)。「対前年比」というのもよく見るけど、たぶん重言。

尽くまじ 尽きまじ マジ?

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

mixi2010年05月11日アップ。

 直接的には下記の仲間。
21)【朝日新聞から番外編?──tobirisuのdomisu】(2008年11月16日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-292.html

 バックアップ用のブログに下記のコメントをもらった。
【世に誤用の種は尽きまじ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html
================================
「尽きまじ」も誤用では
「まじ」は終止形接続の助動詞ですから、本来は「尽くまじ」が正しいのではないかと考えます。戦前の本を読んでいたら「尽くまじ」と出てきたので気がつきました。ただし、「尽きまじ」がかなり一般化しているようなので、今日的用法としては誤用と言い切れるのかどうか、難しいところかも知れません。
================================

 ブログにもらうこのテのコメントって単なるインネンのことが多い。(←オイ!)
 だってホントにそんなのばっかりなんだもん(泣)。
 ただ、このコメントはきわめて常識的だし、指摘も正しい気がしたので調べてみた。

■Web辞書(『大辞泉』から)※一部を抜粋(重言)。
================================
まじ
[助動][まじから|まじく・まじかり|まじ|まじき・まじかる|まじけれ|○]《上代語「ましじ」の音変化》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用語には連体形に付く。
1 打消しの推量の意を表す。…ないだろう。…ないに違いない。
(以下略)
================================

 どう見ても「終止形接続」。ってことで「尽くまじ」が正解。
 念のため「まい」も確認してみた。『大辞泉』によると〈五段活用動詞・助動詞「ます」の終止形、五段活用以外の動詞・助動詞「せる」「させる」「れる」「られる」「しめる」の未然形に付く。〉とのこと。「尽く」は上二段活用(き・き・く・くる・くれ・きよ)だから「尽きまい」になる。
 ってことは「尽くまじ」で「尽きまい」ってこと? それはわかりやすいわ。
 終止形を「尽く」ではなく「尽きる」と解釈すると、「尽きるまじ」で「尽きまい」になる。

 で、もう少し調べてみる。元々のブログタイトルの「世に誤用の種は尽きまじ」は、言うまでもなく、石川五右衛門の辞世の句と言われるもののモジリ。Wikipediaによると辞世の句は次のとおり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」(たとえ砂浜の砂が無くなるようなことがあったとしても、盗人は世の中からは消えないだろう)

 このあといろいろ検索してみたけど、「尽くまじ」にしているものは見当たらない。
 もしかすると、原典自体が「尽きまじ」なのかもしれない。確認できない。
 仮に原典が「尽きまじ」なら、そのモジリなんだから誤用じゃない、と強弁できるかも。
 無理だろうな(泣)。素直に間違いを認めて、ネタをひとつもらいます(笑泣)。
 教訓
 慣れない言葉づかいはするもんじゃない。

【なんとかならんのか】☆日本語教師☆

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2010年05月10日から。

 下記の仲間でもある。
【黒いコレクション──日本語教師関連28】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1442972256&owner_id=5019671

 下記の続き?
【トンデモ参考書2──味見の話】☆日本語教師☆
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1480056472&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【敬語についての質問です】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52878524

 現段階で質問が2つ出ている。どちらも知恵袋にも同じ質問が出ている。同じトピ主が立てた「味見」のトピも、知恵袋に同じ質問がある。これが由緒正しいマルチポストなんだろうな。
 知恵袋では3つの質問者が別人。どういうことだ? 1)の質問者は以前から知恵袋に参加している。

1)【超難問国語選択問題ですが、】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440221669 
suzukikazuyosiqweaさん(参加日:2009/6/12)

2)【旅行なら、東京をお勧めです】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440543254 moriyatanakoさん(参加日:2010/5/2)

【3)敬語に関する質問ですが、】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440607419 kenyiti_tanakaさん(参加日:2010/5/8)

 で、トピの話。
「10」までの話はどうなったのだろう。
 このレベルの日本語学習者に、敬語の種類も教えなきゃダメなのか。日本語教師ってたいへんな職業だな。
〈「お~です」は尊敬語〉って、その段階でつまずいてないか? 「お○○」は尊敬語もしくは丁寧語(美化語)で、「です」は単に丁寧語だよな。
「7」のコメント。
>東京「が」お勧めです(謙譲の意味がある名詞)
 いつの間に「謙譲の意味がある名詞」にorz。

「11」で微妙に方向性がかわった。
「14」のリンク先を見てのけぞる。いくつあるのかわからないマルチポスト。あらゆる質問系のサイトに投稿している「soukan88」って何者?
 こういう質問に忍耐強く答える人がなんでこんなにいるんだろう。

「15」が微妙なことを書く。
>1)が可能な文脈の例を挙げましょう。
>1'') 今度の宴会の料理について、社長が美味しいおさかな料理をご提案です

 すると、今度はこのフレーズを使ってマルチポストの質問がとびかっている。見たことがある名前もチラホラ。
http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=ja-jp&q=%E7%A4%BE%E9%95%B7%E3%81%8C%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%8A%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%AA%E6%96%99%E7%90%86%E3%82%92%E3%81%94%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%81%A7%E3%81%99&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=Eu3nS7fUGcyGkAXGorHNBg

 収拾がつきませんorz。
 トピでは「17」でさらに微妙に質問が方向転換。前の問題が解決したかしないかわからないのに、なぜ前へ進む。
 もう、何がなんだか(笑)。

 ところで、どなたか教えてもらえませんか。
 下記の1)と2)の違いはなんでしょう。

1)美味しいおさかな料理をご提案です
2)美味しいおさかな料理をご提案中です

 さすがに1)がヘンなのはわかる。では2)はヘンなんだろうか。1)がヘンなのは「を」の後ろに「名詞」が来ているから。でも2)の「提案中」だって「名詞」だよね。この場合は「ご」はつけないほうがいいのかな。「提供中」でも「考案中」でも事情は同じ? この「中」って何?
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