「~のは」 「~というのは」 「~ってのは」日本語しつもん箱
【日本語アレコレ】
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671
mixi日記2010年06月02日から
テーマトピは下記。
【「~のは」と「~というのは」】日本語しつもん箱
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53466633
まずトピ主の質問を部分的に転載する。
================================
1)すぐ行くのは=「行く」という動詞を名詞化している文章
2)すぐ行く「という」のは=ここで「という」とはどんな意味なのでしょうか。
どちらも意味は同じであると思うのですが、
ここで「という」とはどのような作用をするのでしょうか?
================================
トピ主の疑問は解決したのだろうか。
「1」で〈「というのは」で例文を集めて、片っ端から「のは」に置き換えて行くといつかダメなやつに当たると思います〉という適確なアドバイス&ヒントがあったのに、そこで終わりですか。
そこで考えるのをやめたら、何もわからないでしょうに。
話はこれからだと思いますが……。
昔、この問題を別な面から考えたことがある。
そのときは「~という」全般について考えた。そんなことをすると収拾がつかなくなるので、「~というのは」限定で考えてみる。
まず辞書を見る。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86&stype=1&dtype=0
================================
と‐いう〔‐いふ〕【と言う】
[連語]
1 人が…と呼ぶ。…と呼ばれる。「のっぽさん―あだ名」「大国主命(おおくにぬしのみこと)― 神」
2 「と」の受ける事柄を取り立てて強調する意を表す。「人―のはわからないものだ」
3 数量を表す語に付いて、…に達する、…にも及ぶ、などの意を表す。「八千メートル―高所」「何万人―観光客」
4 時を表す同じ語を前後に置いて、それを強調する意を表す。「今日―今日は逃さない」
5 事物を表す同じ語を前後に置いて、そのものはすべて、の意を表す。「店―店は閉まっている」
================================
何が書いてあるかよくわからんorz。ちなみに『大辞林』のほうはもっとわからん。
まあ、「~というのは」の話なんだから、「2」だろう。意味は「強調」か。個人的な感覚だと「もったいつけ」というのがイチバンすんなり来る。
ここでちょっと脱線問題です。いま書いた「というのが」を「のが」にできない(省略するなら「が」だけになる)のはなぜでしょう。
これは接続の問題だろう。「というのが」でも「というのは」でもほぼ同様。
「~というのは」は「名詞、名詞的な語、副詞、活用語の終止形など」につく。詳細は下記参照。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1492677250&owner_id=5019671
「~のは」の接続は準体助詞の「の」に準ずる。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AE&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1&index=16622114371000
================================
【5】[準体助]
1 (体言に付いて)下の名詞を表現せず、「のもの」「のこと」の意を表す。「この本、君―だろう」「自分―には記名しておく」
2 (活用語に付いて)その語を名詞と同じ資格にすることを表す。「読む―が速い」「彼を行かせる―はまずい」「こんな―が欲しい」→のだ →のだろう →のです
================================
〈個人的な感覚だと「もったいつけ」のがイチバンすんなり来る。〉が非文になる理由。
「もったいつけ」が体言なので、↑の「1」にならなければおかしいが、「のもの」「のこと」のことではないので、文がつながらない。
そこでさらに脱線問題。下記ならどうだろう。
1) 個人的な感覚だと「もったいをつける」というのがイチバンすんなり来る。
2) 個人的な感覚だと「もったいをつける」のがイチバンすんなり来る。
今度は用言についているので↑の「2」になるはず。でも2)はなんか非文っぽい。これが下記なら問題がない。この理由は簡単には説明できない。
3) 個人的な感覚だと「もったいをつける」というのはいいことではない。
4) 個人的な感覚だと「もったいをつける」のはいいことではない。
さて、本題に戻る。
「~のは」と「~というのは」はどう違うか。
接続には↑で見たような違いがある。しかし、今回はそもそも「用言+のは/というのは」限定の話だからほとんど関係ない。意味は、例によってほとんど同じ。
違いがあるとすると、次のような場合だろう。
5)-1 遊ぶのは楽しい。
5)-2 遊ぶというのは楽しい。
6)-1 遊ぶのはほとんど本能的な行為だ。
6)-2 遊ぶというのはほとんど本能的な行為だ。
7)-1 「バカは死ななきゃ治らない」のはホントだ。
7)-2 「バカは死ななきゃ治らない」というのはホントだ。
5)~7)はいずれも非文ではないだろう。ただ、見比べてみると5)-2、6)-1、7)-1は少し不自然な気がする。これは先に書いた「もったいつけ」と関係するのではないか。
5)のような簡単なことをいうときには「もったいつけ」でない「~のは」のほうが自然。
6)7)のようなメンドーそうなことをいうときには、「もったいつけ」の「~というのは」のほうが自然。
ってくらいのことじゃないだろうか。
さらに問題を複雑にするために、冒頭の文を下記のように書きかえてみる。
8)〈例文を集めて、片っ端から「のは」に置き換えて行くといつかダメ
なやつに当たると思います〉というのは適確なアドバイスだ。
この「というのは」を「のは」にしにくいのはなぜ?
相当ウザい文章になったついでに、昔不思議に思ったこと(いまもよくわからん)。
当方が昔考えたのは、どういう場合に「という」を省略できるのかと、「という」を「って」にかえられるか否か……だったような。
↑に出てきた「という」は基本的に「って」にできるが、6)-2と7)-2は「っていう」にするほうが自然な気がする。これは「もったいつけ」と関係があるのかないのか。
6)-3 遊ぶっていうのはほとんど本能的な行為だ。
7)-3 「バカは死ななきゃ治らない」っていうのはホントだ。
下記のように体言に接続する場合はどれが自然?
9)-1 バカというのは死ぬまでバカ
9)-2 バカってのは死ぬまでバカ
9)-3 バカっていうのは死ぬまでバカ
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まずトピ主の質問を部分的に転載する。
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1)すぐ行くのは=「行く」という動詞を名詞化している文章
2)すぐ行く「という」のは=ここで「という」とはどんな意味なのでしょうか。
どちらも意味は同じであると思うのですが、
ここで「という」とはどのような作用をするのでしょうか?
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トピ主の疑問は解決したのだろうか。
「1」で〈「というのは」で例文を集めて、片っ端から「のは」に置き換えて行くといつかダメなやつに当たると思います〉という適確なアドバイス&ヒントがあったのに、そこで終わりですか。
そこで考えるのをやめたら、何もわからないでしょうに。
話はこれからだと思いますが……。
昔、この問題を別な面から考えたことがある。
そのときは「~という」全般について考えた。そんなことをすると収拾がつかなくなるので、「~というのは」限定で考えてみる。
まず辞書を見る。
■Web辞書(『大辞泉』から)
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と‐いう〔‐いふ〕【と言う】
[連語]
1 人が…と呼ぶ。…と呼ばれる。「のっぽさん―あだ名」「大国主命(おおくにぬしのみこと)― 神」
2 「と」の受ける事柄を取り立てて強調する意を表す。「人―のはわからないものだ」
3 数量を表す語に付いて、…に達する、…にも及ぶ、などの意を表す。「八千メートル―高所」「何万人―観光客」
4 時を表す同じ語を前後に置いて、それを強調する意を表す。「今日―今日は逃さない」
5 事物を表す同じ語を前後に置いて、そのものはすべて、の意を表す。「店―店は閉まっている」
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何が書いてあるかよくわからんorz。ちなみに『大辞林』のほうはもっとわからん。
まあ、「~というのは」の話なんだから、「2」だろう。意味は「強調」か。個人的な感覚だと「もったいつけ」というのがイチバンすんなり来る。
ここでちょっと脱線問題です。いま書いた「というのが」を「のが」にできない(省略するなら「が」だけになる)のはなぜでしょう。
これは接続の問題だろう。「というのが」でも「というのは」でもほぼ同様。
「~というのは」は「名詞、名詞的な語、副詞、活用語の終止形など」につく。詳細は下記参照。
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「~のは」の接続は準体助詞の「の」に準ずる。
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【5】[準体助]
1 (体言に付いて)下の名詞を表現せず、「のもの」「のこと」の意を表す。「この本、君―だろう」「自分―には記名しておく」
2 (活用語に付いて)その語を名詞と同じ資格にすることを表す。「読む―が速い」「彼を行かせる―はまずい」「こんな―が欲しい」→のだ →のだろう →のです
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〈個人的な感覚だと「もったいつけ」のがイチバンすんなり来る。〉が非文になる理由。
「もったいつけ」が体言なので、↑の「1」にならなければおかしいが、「のもの」「のこと」のことではないので、文がつながらない。
そこでさらに脱線問題。下記ならどうだろう。
1) 個人的な感覚だと「もったいをつける」というのがイチバンすんなり来る。
2) 個人的な感覚だと「もったいをつける」のがイチバンすんなり来る。
今度は用言についているので↑の「2」になるはず。でも2)はなんか非文っぽい。これが下記なら問題がない。この理由は簡単には説明できない。
3) 個人的な感覚だと「もったいをつける」というのはいいことではない。
4) 個人的な感覚だと「もったいをつける」のはいいことではない。
さて、本題に戻る。
「~のは」と「~というのは」はどう違うか。
接続には↑で見たような違いがある。しかし、今回はそもそも「用言+のは/というのは」限定の話だからほとんど関係ない。意味は、例によってほとんど同じ。
違いがあるとすると、次のような場合だろう。
5)-1 遊ぶのは楽しい。
5)-2 遊ぶというのは楽しい。
6)-1 遊ぶのはほとんど本能的な行為だ。
6)-2 遊ぶというのはほとんど本能的な行為だ。
7)-1 「バカは死ななきゃ治らない」のはホントだ。
7)-2 「バカは死ななきゃ治らない」というのはホントだ。
5)~7)はいずれも非文ではないだろう。ただ、見比べてみると5)-2、6)-1、7)-1は少し不自然な気がする。これは先に書いた「もったいつけ」と関係するのではないか。
5)のような簡単なことをいうときには「もったいつけ」でない「~のは」のほうが自然。
6)7)のようなメンドーそうなことをいうときには、「もったいつけ」の「~というのは」のほうが自然。
ってくらいのことじゃないだろうか。
さらに問題を複雑にするために、冒頭の文を下記のように書きかえてみる。
8)〈例文を集めて、片っ端から「のは」に置き換えて行くといつかダメ
なやつに当たると思います〉というのは適確なアドバイスだ。
この「というのは」を「のは」にしにくいのはなぜ?
相当ウザい文章になったついでに、昔不思議に思ったこと(いまもよくわからん)。
当方が昔考えたのは、どういう場合に「という」を省略できるのかと、「という」を「って」にかえられるか否か……だったような。
↑に出てきた「という」は基本的に「って」にできるが、6)-2と7)-2は「っていう」にするほうが自然な気がする。これは「もったいつけ」と関係があるのかないのか。
6)-3 遊ぶっていうのはほとんど本能的な行為だ。
7)-3 「バカは死ななきゃ治らない」っていうのはホントだ。
下記のように体言に接続する場合はどれが自然?
9)-1 バカというのは死ぬまでバカ
9)-2 バカってのは死ぬまでバカ
9)-3 バカっていうのは死ぬまでバカ
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