下記の仲間。
【テレビ関係なんでもかんでも お品書き】
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下記の仲間でもある。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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mixi日記2010年06月30日から
もうサッカーの話はいいや、と思いながらこういうニュースがあるとつい反応してしまう。
「こぼれたミルクは戻らない」なんてことわざがあるんだろうか。まあ「覆水盆に返らず」
http://http://gogen-allguide.com/hu/fukusui.htmlなら、そう変形できなくはない。
あと、こういうことわざなら聞いたことがある。
It is no use crying over spilt milk.
直訳すると「こぼれたミルクのことを嘆いてもムダ」くらいだろう。「こぼれたミルクは戻らない」とのニュアンスの差は小さくない。ついでに書くと、「器に」とかつけないと意味わかんないよ。「覆水返らず」じゃなんのことかわからないよね。まあ、このあたりは通訳&記者の責任だと思う。
オシムさんのコメントもさぁ……。
日本代表に対して改めて謝罪とお礼の言葉をかけるくらいの気配りができないのかね。そういう態度は……。
「ワンマンプレーには苦言」で、「消極プレーに注文」ですか。こういうのって具体例を出さないと伝わらない。「ワンマンプレー」と「積極プレー」って紙一重で単なる結果論とも言える。それが個人攻撃になるから避けた、なんて言い訳するなら、最初から何も言わないほうがいい。
当方が見る限り、デンマーク戦、パラグアイ戦とも大久保選手の無理なシュートが目立った。ただ、「シュートで終われ」とかいつも言ってるのは解説者だよね。これも結果論で、どんなに無理に見えるシュートでも、決まっていれば好プレーなんだよな。
PK決着に関するFIFA批判も的外れで、代案を出さない批判は無能な野党みたいだからやめたほうがいい。
「ゴールをあげた選手だけが注目される」ってメディア批判はごもっともだと思う。じゃあたとえば誰のどんなプレーを評価するべきなの?
「代表ばかりでなくJリーグの試合も見るべき」ってファンへの注文もごもっともだけど、無理だと思う。熱心なファンを別にすれば、Jリーグの試合は見ないよ。もっと言うとさ。やっぱ世界のトップレベルに試合を見ちゃうとさぁ……。
【追記】
英語と日本語で共通することわざは、ほかにもいくつかある。
「転石苔むさず」とか「光陰矢の如し」とか。
うわ! 山ほどある。
http://www.benricho.org/kotowaza_english/
【続きは】↓
【覆水盆に塞翁が馬 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1419.html【ネタ元】夕刊フジ
http://sports.yahoo.co.jp/news/20100630-00000009-ykf-spo.html
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オシム節さく裂、成長太鼓判も「侍のように勇ましく戦うべき」
夕刊フジ - 2010/6/30 16:56
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「スカパー!」の解説を務めた前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(69)が、8強を逃した日本代表について、「W杯で日本は自信を手にした」と評価。一方で、「もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と苦言を呈し、メディアやファンにも成長を求めた。
オシム氏は、日本がPK戦の末に敗れたパラグアイ戦後に解説として登場。120分間の死闘を演じた日本代表について、「サッカーファンではない人の目を開かせる戦いだった。選手たちはこの戦いで自信を手にしたはずだ」と賞賛した。
格上のカメルーンやデンマークを下し、強豪オランダと互角の戦いを演じた日本の戦いぶりを「どんな強豪ともかなり対等な試合をすることができるということが証明された」と評価した。
一方、「自分の力だけでゴールを上げることができるという誤解に基づくプレーがあった」とワンマンプレーには苦言。「日本人は歴史を通じて勇敢さを保ってきた民族。侍の時代にしろ、戦争中の神風攻撃にしろ、勇気がなければできない。サッカーでは自分の命をピッチの上で失う危険はない。もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と代表の消極プレーに注文も出した。
また、PK決着に批判的なオシム氏は、「W杯の試合でこういう形で決着するのがふさわしいのかどうか」とFIFAにもチクリ。「『こぼれたミルクは戻らない』ということわざがある。今日の日本はミルクをこぼしてしまった」と、悔やんだ。
「今後はW杯でどこまで勝ち進むかということを意識したトレーニングができる。そういう日本代表になることができる」と代表の成長に太鼓判を押したオシム氏。
最後は「ゴールをあげた選手だけが注目される」とメディアを批判。「代表ばかりでなくJリーグの試合も見るべき」とファンへの注文も忘れなかった。
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オシム節さく裂、成長太鼓判も「侍のように勇ましく戦うべき」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1260589&media_id=43
【覆水盆に塞翁が馬 】mixi日記2010年07月20日から
放っておいたテーマについて書く。なけなしの言語能力を総動員させてしょもないことを書くので、温かい目で見守るように。
少し前に、サッカー絡みで2つのことわざの話が出てきた。
251)【「こぼれたミルクは戻らない」なんてことわざあるの?】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1364.html
252) 【今度は「塞翁が馬」かorz──だからサッカーの話はもういいって(泣)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1366.html●「こぼれたミルクは戻らない」
検索するといろいろヒットする。
なかには、歌詞に盛り込んでいる例も。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND28723/index.html でもなぁ……。
「覆水盆に返らず」は間違いなく昔からある。元々は中国だろう。
「It is no use crying over spilt milk.」(直訳すると「こぼれたミルクのことを嘆いてもムダ」くらい)
も間違いなく昔からある。
そう考えると、「こぼれたミルクは戻らない」は両者の混用と考えるのが妥当じゃないだろうか。意味的にはわかるけど。いつ頃から言われるようになったのだろう。
この関係でもうひとつ疑問に思うこと。一般に「覆水盆に返らず」と「It is no use crying over spilt milk.」は同様の意味とされる。ただし、微妙ではあってもニュアンスの違いがあると思う。
「覆水盆に返らず」は、そもそも下記のような故事にちなむ。
http://gogen-allguide.com/hu/fukusui.html 似たような言葉に「落花枝に返らず」「破鏡再び照らさず」なんてのもある。もっと身近なのだと、「後悔先に立たず」でもいいいだろう。「一度やってしまったことは取り返しがつかない」くらいの意味。
一方、「It is no use crying over spilt milk.」も「一度やってしまったことは取り返しがつかない」なんだけど、こっちのほうがポジティブじゃないかな。
「覆水~」は、「だからオマエとはやり直せない」ってニュアンスが強い気がする(だって元はそういう状況でしょ)。
「It is no use ~」は、「だからもう忘れよう」ってニュアンスが強い気がする(だって「嘆いてもムダ」だよ)。
苦しいかな?
●「塞翁が馬」
これをひらがなだけの言葉で表わせ。
……「なるようになる」だろうな。
これは2通りに解釈できる(どっちにしても日本的発想ではない気がするけど、それはおく)。
1)半ばヤケ
2)能天気
2)の意味だと、「どうにかなるさ」なんて言葉も浮かび、すぐに頭の中で「ケセラセラ」に変換される。「ケセラセラ」をWikipediaを調べて愕然とした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%82%BB%E3%83%A9
「スペイン語に由来するフレーズ。正しいスペイン語ではない」ってどういうことよ。
これを英語にすると、「Whatever Will Be, Will Be」になるらしい。
こんな言葉聞いたことないよ。「Let It Be」のほうがよっぽどそれっぽい。
もちろん「Let It Be」を直訳すると「あるがままに」で、もう少し丁寧に訳すと「あるがままをあるがままに受け入れよ」くらいらしい。
これと「なるようになる」とじゃ全然違うのかな?