【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html ●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.htmlmixi日記2011年09月30日から
【2011年10月】
11-10-1
1日
「打たれてみれば当然でも、ちょっと気がつかないな」と検討陣は賞賛の山だった。
(朝刊25面)
春秋子記者。囲碁の観戦記。「賞賛の山」は初めて見た。フツーは「賞賛の嵐」くらいだろう。「賞賛しきり」くらいもアリ。
11-10-2
5日
なのに政権をとって2年、3代目の内閣になっても、「今後、検討していく」というばかり。(朝刊2面)
坪井ゆずる記者。「窓 論説委員室から」にあった。あるかたに教えてもらった。「なのに」は「なので」と違って接続詞なので、使い方としては間違っていない。文章の品位、なんて話はしないでおく。
11-10-3&4
6日
朝刊1面にあった記事が気になる。検索すると、ネット上にあった。記者不明。
http://www.asahi.com/national/update/1005/TKY201110050467.html
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旧日本兵以外の遺骨、厚労省確認 フィリピンで収集不備
フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した旧日本兵などの遺骨収集で対象外の骨が混入した可能性が指摘された問題で、事業を所管する厚生労働省は5日、現地で収集された鑑定前の遺骨に、フィリピン人や女性・子どもとみられるものが多数含まれていた、との検証結果を発表した。同省は収集作業を現地の関係者に任せ、チェックしなかった。今後は収集や鑑定方法を厳格にする方針だ。
すでに日本に持ち帰られた遺骨については、フィリピン政府側の証明書があることを理由に「すべて日本兵のものと考えている」との見方を示す一方、違う骨の混入の可能性は「完全に否定できない。遺族に疑念を持たれている」とも説明。いったん東京・千鳥ケ淵の戦没者墓苑に納骨した約4500柱を同省の霊安室に移す異例の措置をとったことを明らかにした。
厚労省はフィリピンでの遺骨事業を2009年から東京のNPO法人「空援隊」に委託。10年度は4700万円を支払った。NPOは現地スタッフを通じて住民らに協力を呼びかけ、日当を払って遺骨を集めた。その結果、08年度は1230柱だった収集数が、09年度と10年度は計約1万4千柱に急増した。
(以下略)
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まず気になったのは、冒頭の一文。いくら新聞のリードでも長すぎだろう。128文字もある。いくらなんでも……。【修正案】はメンドーなのでパス。
もっと気になったのは「完全に否定できない。」って部分。そこまで弱気? たぶん「完全には否定できない」「否定(は)できない」って意味なんだろうな。
11-10-5
世界体操関連の記事で、「難易度」の使用例がザクザク出てきた。体操の場合は「難度」しかありえないと思う。たしか「ウルトラC」って「C難度超」って意味だよな。あれ? 下記は「難易度C以上」になってる。「難易度」にも「以上」にも異和感がある。
http://zokugo-dict.com/03u/ultra-c.htm
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ウルトラC
ウルトラCとは、「奇策」「大逆転技」「ものすごい」の意。
【年代】 1964年 【種類】 -
『ウルトラC』の解説
ウルトラCとは1964年に開催された東京オリンピックで生まれた言葉で、本来は体操の日本男子チームが生み出した難易度C以上の技のことをいう(2009年現在、A~Gまでの難度が設定されており、体操でウルトラCという表現は使わない)。これが流行語となり、大逆転技、奇策、さらに物凄いといった意味で用いられる。
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Wikipediaの説明もイマイチわからない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E6%93%8D%E7%AB%B6%E6%8A%80
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日常会話で使用され、「とっておきの大逆転技」という意味で用いられるウルトラCであるが、1964年の東京オリンピックで体操競技の強化委員を務めた上迫忠夫が、五輪前年の強化合宿で取材に答えて発し、これをデイリースポーツが報じたのが初出とされる[4]。上記のように当時の難度はA,B,Cしかなく、当時の最高難度であったC難度よりもさらに難しい技という意味で使用されたとされるが、上迫の意図はむしろ「本来C以上のものもCに含まれていた」ため、そのようなものを区別するためにこの言葉で表現したという。
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技の難易度を表すDスコア(13日/朝刊26面/記者不明)
技の難度点(Dスコア)は(14日/朝刊22面/遠藤幸一)
跳馬で難易度(Dスコア)を落とし、出来栄え(Eスコア)を重視した(15日/朝刊33面/藤島真人)
丹念に読めばほかにもあったんだろうな。
11-10-5
http://www.asahi.com/paper/column.html
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2011年10月23日(日)付「天声人語」
冷凍庫を整理し、お宝を見つけることがある。旅先で買った干し烏賊(いか)だったり、作りすぎたパスタソースだったり。冷凍物と蔑(さげす)むなかれ。解かせば懐かしい時の恵みである▼東京紙面の投稿欄「ひととき」に、「私の日本語は冷凍品」なる一文があった。夫の転職で1960年に渡米し、ニューヨーク近郊で半世紀を過ごした江崎真佐子さん(81)からだ。「ら抜き」表現の広がりを小欄で知り、驚かれたらしい▼この方の日本語は米国に持ち込んだ時の状態という。「後生大事の母国語が、えたいのつかめぬものへと変身中の今、私の言葉は地球温暖化で徐々に沈む南方の島のごとく、立つ瀬をだんだん失っています」と結ばれていた▼拝読し、欧州暮らしで世話になった女性の物腰を思い出した。やはり若くして日本を離れ、外国人を伴侶にした人である。たとえば銀幕の原節子さんみたいな、美しい日本語の使い手だった▼愚息が小学校を病欠した時、「お具合いかがですの」と聞かれたことがある。快方に向かっている旨伝えると、満面の笑みで「奥様もお喜びで」。ただの風邪なのにと思いながら、ほっこりさせられた。雑踏で着物姿を見かけた時のように▼異境の江崎さんも、そうした言葉たちと年を重ねたのだろう。肩書に大学生とあり、八十路(やそじ)にしてなお前向きの人生が浮かんでくる。立つ瀬がないどころか、お持ちの「冷凍品」こそ貴重この上ない。語り部として、傷む前の大和言葉を「ら抜け」世代にお伝え願いたい。
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なんかイヤな文章だな。ちなみに文中で紹介されているのは、10月5日の朝刊33面に掲載された投稿。偶然チェックしていた。上品な文章をこういう具合に引用するとさぁ。当方の異和感の原因は、下記のブログとよく似ている。
【2011/10/23日(日)付朝日新聞天声人語「ら抜き」の記事に文句を付ける】
http://d.hatena.ne.jp/dlit/20111023/1319385224
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このエントリでは「言語学から見ると「ら抜き」は…」という話は書きません。
「ら抜き」に関しては以下のエントリで簡単な文献集を作っています。全然網羅的なものではありませんが、これだけでもすでに色々な研究があるだろうことは見て取れると思います。演習発表や卒論などで「ら抜き」をやりたい人には少しは参考になるかな。
なんかトリビアルな「ら抜き」関係データベース(メモ) - dlit@linguistics - linguistics ?
「正しい言葉(遣い)」については今までいくつか書いてきましたので、これについても今回は書きません。
言語学的自然主義の誤謬 - 思索の海
「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)ものについてもちょっとだけ - 思索の海
遅くなりましたが「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)もんについてもうちょっとだけ - 思索の海
さて、本論(宣伝)はここまでで、後はただの感想、というか愚痴です。天声人語の前半は次のようになっています。
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冷凍庫を整理し、お宝を見つけることがある。旅先で買った干し烏賊(いか)だったり、作りすぎたパスタソースだったり。冷凍物と蔑(さげす)むなかれ。解かせば懐かしい時の恵みである▼東京紙面の投稿欄「ひととき」に、「私の日本語は冷凍品」なる一文があった。夫の転職で1960年に渡米し、ニューヨーク近郊で半世紀を過ごした江崎真佐子さん(81)からだ。「ら抜き」表現の広がりを小欄で知り、驚かれたらしい▼この方の日本語は米国に持ち込んだ時の状態という。「後生大事の母国語が、えたいのつかめぬものへと変身中の今、私の言葉は地球温暖化で徐々に沈む南方の島のごとく、立つ瀬をだんだん失っています」と結ばれていた
(2011/10/23日(日)付朝日新聞天声人語)
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僕が気になったのは、結びの部分。
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立つ瀬がないどころか、お持ちの「冷凍品」こそ貴重この上ない。語り部として、傷む前の大和言葉を「ら抜け」世代にお伝え願いたい。
(2011/10/23日(日)付朝日新聞天声人語)
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なぜ「傷む」という言葉を使う必要があるのでしょうか。「冷凍品」にうまくかけて話を展開したつもりなのかもしれませんが、「実際にあなたが使って(使えて)いるのだから、その日本語も冷凍品などではなく新鮮なものですよ」ではダメなのでしょうか。
個人がある言語体系・言語表現に対して特別な価値を持たせること、それが少数派になる事態に対して不快感や寂しさを感じること、そしてそれらを表明すること、は自然な行為だと思います。僕もそのうちやりたくなるかもしれません。しかし、それは他の体系や表現を攻撃したり、貶めたりすることとは独立にできるのではないでしょうか。この書き出しから結びまでの間に「銀幕の原節子さんみたいな、美しい日本語」というような表現も出てきますが、たとえば当時の方言などは「傷む前の大和言葉」ではないのでしょうか。
僕は、最後の「お伝え願いたい」という意見には大賛成です。しかしそれは「正しい言葉の使い手が間違った言葉の担い手に教える」ようなものではなく、一口に「日本語」とくくっても色々な体系があるんだなあというような体験に結びつくような場であってほしいと考えます。
こういうところに気をつければ、たとえ外国語と接する機会が無くても他の言語体系(の存在)に思いを馳せる機会を生み出すことができるのに、それを「正しい/間違い」のような次元に落としこむ方向に誘導してしまうような文章が全国紙の論説として載ってしまうことに言語研究者としては寂しさを覚えます。
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