「全然」に関するバックアップ
下記の2記事は読みごたえがある。なくなると悲しいので、全文を転載しておく。
【なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信 】
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO37057770W1A201C1000000/
================================引用開始
なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信
2011/12/13 7:00
「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのか。こうした疑問の解明に挑む最新日本語研究を紹介します。
明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、日本語の誤用を扱った書籍などでは「全然+肯定」を定番の間違いとして取り上げています。国語辞典で「後に打ち消しや否定的表現を伴って」などと説明されていることが影響しているのか、必ず否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。
■「否定を伴う」 広まったのは昭和20年代後半
10月22~23日に高知大学で開催された日本語学会(鈴木泰会長)の秋季大会。国立国語研究所の新野直哉・准教授をリーダーとする研究班(橋本行洋・花園大教授、梅林博人・相模女子大教授、島田泰子・二松学舎大教授)が、「言語の規範意識と使用実態―副詞“全然”の『迷信』をめぐって」をテーマに発表を行いました。
日本語学会で研究発表する新野直哉氏(高知大学)
研究班では、「最近“全然”が正しく使われていない」といった趣旨の記事が昭和28~29年(1953~54年)にかけて学術誌「言語生活」(筑摩書房)に集中的に見られることから、「本来否定を伴う」という規範意識が昭和20年代後半に急速に広がったのではないかと考えています。しかし、発生・浸透の経緯については先行文献では解明されていないため、先行研究が注目しなかった戦後を目前に控えた昭和10年代(35~44年)の資料に当たり「全然」の使用実態を調べることで、規範意識が当時からあったのか考察することにしました。
■昭和10年代、6割が肯定表現
昭和10年代の専門3誌における「全然」の使用例
コトバ 工程・綴方学校 日本語
否定を伴う例 形容詞「ない」 31 10 23
助動詞「ない」「ず(ん)」 86 26 49
動詞「なくなる」「なくす」 4 0 3
計 232
肯定を伴う例 否定の意の接頭語として使われる漢字を含む語 36 3 12
2つ以上の事物の差異を表す語 76 22 36
否定的な意味の語 36 10 13
マイナスの価値評価を表す語 12 9 4
否定的意味・マイナス評価でない語 55 13 17
計 354
判断が難しい例 4
まず、日本語に関する学術的な文章が多く掲載されている国語学・国語教育・日本語教育の専門誌である「コトバ」(不老閣書房など)、「工程」(後に「綴方学校」と改名、椎の木社=復刻版)、「日本語」(日本語教育振興会=復刻版)の3誌を資料として選び、日本語に関して知識の深い当時の研究者らが書いた論文・記事中で、「全然」がどのように使用されているか実態を調査しました。
採集した「全然」の用例を分類したところ、全590例のうち6割の354例が肯定表現を伴い、そのうち約4分の1に当たる85例が否定的意味やマイナス評価を含まない使い方となっていました。その中には「前者は無限の個別性から成り、後者は全然普遍性から成る」(日本語、金田一京助)といった著名な国語学・言語学者のものも含まれています。「本来否定を伴う」という言語規範が当時あったとすれば、これらは当然「ことばの乱れ」や「誤用」とされるべきものですが、多くの研究者が学術誌で規範に反するような表現を使うとはまず考えられません。
また、昭和10年代も後半になると、植民地への日本語普及という当時の国家的重要課題を念頭に置いた「標準語」「正しい日本語」をめぐる議論が盛んに行われるようになりましたが、3誌には「全然」の規範意識に関して言及したものはなかったばかりか、「全然+肯定」の使用が散見されました。
ほかに「古川ロッパ昭和日記(戦前篇・戦中篇)」(晶文社)の昭和10年代の分を対象に個人における「全然」の使用実態を調査した結果をあわせて、研究班は「本来否定を伴う」という規範意識は昭和10年代の段階ではまだ発生しておらず、使用実態も昭和20年代後半以降に広がる「迷信」を生み出すようなものではなかったと結論づけました。今後の課題は迷信が戦後のいつ、どのように発生し、浸透していったのかを解明することだとしています。
■辞書の記述に変化も
研究発表を聴いて、ある新聞に載った読者欄の投稿を思い出しました。子供向けテレビ番組で使っていた「全然大丈夫」というフレーズが、誤用であり日本語の乱れだと断言した内容でした。専門家の研究が着実に進みつつあるものの、こうした投稿が新聞に大きく掲載される現実は“迷信”がまだまだ一般に根強く浸透していることをうかがわせます。
一方、辞書の世界では新しい変化も出てきています。三省堂の大辞林第3版(2006年)では、諸研究を反映したのか旧版にはなかった「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に下に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」という記述が追加されています。
今後、研究班の調査・研究が進み、迷信が解明されることになれば、辞書の記述も近い将来さらに書き換えられ、一般に認知されることになるかもしれません。その成果に期待しつつ、これからもこの研究に注目していきたいと思っています。
(佐々木智巳)
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【「『全然いい』は誤用」という迷信 辞書が広めた? 】
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO42854280R20C12A6000000/
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「『全然いい』は誤用」という迷信 辞書が広めた?
2012/6/26 6:30
2011年12月13日付で、「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識が国語史上の“迷信”であるという日本語研究を紹介しました。こうした実態に反する意識は戦前には見られず、昭和20年代後半に急速に広まったことが分かりましたが、その発生原因はまだ解明されていません。今回は辞書の記述からこの問題を探ってみました。
初めて強い規範を示した「辞海」(三省堂)
例えば、「広辞苑」第6版(2008年)には「全然」について、「俗な用法で、肯定的にも使う」とあるなど、現在市販されている国語辞典の多くは、「全然」は否定を伴うもので「全然+肯定表現」を誤用・俗用としています。こうした考え方は広く一般に浸透し、「全然いい」のような言い方に抵抗のある人は少なくないわけですが、実は辞書の記述としてはそう歴史は古くありません。
■戦後、初めて辞書に
国立国語研究所で国語辞典編集準備室主幹などを務めた飛田良文・日本近代語研究会会長が、「全然」について明治から発行される代表的な国語辞典を調べたところ、昭和10年代までに出版されたものには「全然~ない」といった打ち消しとの呼応について触れているものはありませんでした。
打ち消しとの呼応は戦後発刊された辞書から見られるようになります。1952年(昭和27年)5月刊行の「辞海」(金田一京助編)が「全く。まるで。残らず。すべて。(下に必ず打消を伴なう)『―知らない』」として、初めて“必ず”という決まり事を示しました。
「辞海」では「必ず打消を伴なう」としている
また、注目されるのが「辞海」の1カ月前に刊行された「ローマ字で引く国語新辞典」です。それまでの辞書で全然は、肯定にも否定にも使えるような語義が1つだけでしたが、同辞典では「1.全く、まるで(普通、下に打消を伴う)、[(not)at all](例)全然見当がつかない 2.すっかり、全く(前者のくずれた用法で、下に打消を伴わない)[wholly](例)全然間違っている」とし、語義が2つになりました。「辞海」ほど強い決まりは示していませんが、“普通”としながらも初めて打ち消しとの呼応について触れています。「英文学者である編者の福原麟太郎が英語の知識を利用して『not at all』と『wholly』の意味に合わせて語義を2つに分類した」(飛田氏)と考えられています。
2つの辞書が刊行された1952年といえば、「全然」は否定を伴うという意識が急速に広まったとされる昭和20年代後半とちょうど時期が重なります。以後、「辞海」と同じく“必ず”と記述した「角川国語辞典」をはじめ、「正しくは、下に打消しの語を伴う」とした「旺文社版学生国語辞典」など、否定や打ち消しを伴わない「全然+肯定」を俗用やくずれた用法などと注記したものが増えていきます。また、昭和40年代に入ると、文化庁の「外国人のための基本語用例辞典」(1971年)で「あとに打ち消しのことば『ない』などや、否定的な意味のことばがつく」と書かれるなど、辞書の世界で“迷信”が定着した様子がうかがえます。
■中国にも“迷信”があった
中国生まれの漢語である「全然」は、「荘子」にも見られる古くからある言葉で、必ずしも否定と呼応するわけではありませんでした。時代が下り「水滸伝」「三国志演義」などの白話小説類で否定との呼応が多くなったのが影響したのか、「中国にも『全然』は否定と共起しなくてはならないという“迷信”が一部にあるようです」(橋本行洋・花園大教授)。「応用漢語詞典」(商務印書館、2000年)の「全然」の項には「只能用于否定…不能用肯定」と肯定での用法を誤りとする注意書きがあり、中国にも日本に似た現象が起きていることが分かります。
日本では戦後になって突如「本来否定を伴うべき副詞である」という意識が生まれた「全然」。“迷信”の直接の発生原因はまだはっきりしませんが、その定着には辞書や国語・英語教育などが少なからず影響しているようです。一方で「国語学における副詞研究の遅れも影響しているのではないか」(飛田氏)との見方もあります。
今後は、昭和20年以後の用例や文法研究を調査したり、戦前や戦後の英和・和英辞典や小学生向け学習国語辞典などの語義を広く調べたりすれば、なぜこのような意識が生まれたのかがわかる記述が新たに見つかるかもしれません。“迷信”解明へ向けた研究は続きます。
(佐々木智巳)
◇ ◇
■副詞研究の進め方に問題も 飛田良文・日本近代語研究会会長に聞く
飛田良文・日本近代語研究会会長
「ローマ字で引く国語新辞典」が、「全然」は「普通、下に打消を伴う」とした決まりの契機となっているのは英語です。福原麟太郎が「全然」を英語「not at all」と「wholly」とに対訳したわけですが、実はそこに問題があります。
私が国立国語研究所に入って間もない昭和40年代、副詞研究の遅れが懸念されていました。当時、副詞研究は呼応に重きがおかれ、副詞論はもっぱら否定や打ち消しとの呼応の有無が中心となり、辞書が否定や打ち消しとの呼応を記述するようになったと考えています。そのとき、用例の実態調査が進んでいなかったために、肯定との呼応をないものとするか、誤用・俗用とするなど、理屈上の分類が必要となったと思われます。それで「全然いい」などの肯定表現は誤用だという意識が生まれたわけです。
「全然」に動詞が続くと「全然できる/できない」、形容詞が続くと「全然おもしろい/おもしろくない」、形容動詞が続くと「全然別だ/別でない」、名詞が続くと「全然右/全然左」などのように対応します。用例の徹底的な調査以外に、正確な語義記述はできません。
学校教育、特に辞典が日本語に対する規範意識に影響を与えるのは当然です。例えば、小学生用の国語辞典に「下に必ず打ち消しを伴う」とあれば自然にそのような意識が根付くでしょう。今後、小学生用の国語辞典の記述を戦前から戦後までくまなく調べたり、英和辞典や和英辞典を調べたりするなどの研究を進めれば、決定的な事実、意外な事実が見えてくるかもしれません。(談)
全然に関する主な辞書(初版本)の語義記述
刊年 書名(発行元) 語義の
分類数 打消との呼応 「全然いい」
への判断
1907 明治40 辞林(三省堂書店) 1 無
1908 明治41 ことばの泉補遺(大倉書店) 1 無
1911 明治44 辞林44年版(三省堂書店) 1 無
1912 明治45 大辞典(嵩山堂) 1 無
1912 大正1.9 新式辞典(大倉書店) 1 無
1915 大正4 ローマ字で引く国語辞典(冨山房) 1 無
1916 大正5.3 発音横引国語辞典(京華堂) 1 無
1916 大正5.6 袖珍国語辞典(有朋堂) 1 無
1917 大正6.5 ABCびき日本辞典(三省堂) 1 無
1917 大正6.12 大日本国語辞典(金港堂/冨山房) 1 無
1934 昭和9 大言海(冨山房) 1 無
1935 昭和10 大辞典(平凡社) 1 無
1935 昭和10 辞苑(博文館) 1 無
1938 昭和13 言苑(博文館) 1 無
1943 昭和18 明解国語辞典(三省堂) 1 無
1952 昭和27.4 ローマ字で引く国語新辞典
(研究社辞書部) 2 有
1952 昭和27.5 辞海(三省堂) 1 有(必ず)
1955 昭和30 広辞苑(岩波書店) 1 無
1956 昭和31.2 例解国語辞典(中教出版) 2 有 俗語
1956 昭和31.4 角川国語辞典(角川書店) 1 有(必ず)
1958 昭和33 旺文社版学生国語辞典(旺文社) 1 有(正しくは)
1959 昭和34 新選国語辞典(小学館) 1 有
1960 昭和35 三省堂国語辞典(三省堂) 2 無 [俗]
1963 昭和38 岩波国語辞典(岩波書店) 1 有 くずれた用法
1965 昭和40 新潮国語辞典(新潮社) 1 有
1966 昭和41 講談社国語辞典(講談社) 1 有
1972 昭和47 新明解国語辞典(三省堂) 1 有 俗に
1973 昭和48.12 角川国語中辞典(角川書店) 2 有 [俗に]
1972~76 昭和49 日本国語大辞典12巻(小学館) 3 有 (口頭語で)
1978 昭和53 学研国語大辞典(学習研究社) 3 有 [俗]
1981 昭和56.1 角川新国語辞典(角川書店) 2 有 [俗]
1984 昭和59 例解新国語辞典(三省堂) 1 有 新しい使い方
1985 昭和60 新潮現代国語辞典(新潮社) 2 有
1985 昭和60 現代国語例解辞典(小学館) 1 有 俗に
1986 昭和61 言泉(小学館) 1 有 俗語的
1988 昭和63.11 大辞林(三省堂) 3 有 俗な言い方
1988 昭和63.11 三省堂現代国語辞典(三省堂) 3 有 [俗]
1989 平成1.9 福武国語辞典(福武書店) 2 有
1993 平成5 集英社国語辞典(集英社) 1 有 俗に
1995 平成7 角川必携国語辞典(角川書店) 1 有 俗な言い方
1995 平成7.12 大辞泉(小学館) 3 有 俗な言い方
2002 平成14 明鏡国語辞典(大修館書店) 3 有 [俗]
2005 平成17 小学館日本語新辞典(小学館) 2 有 俗に
(注)飛田氏の調査を基に作成
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【なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信 】
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO37057770W1A201C1000000/
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なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信
2011/12/13 7:00
「全然いい」といった言い方を誤りだとする人は少なくないでしょう。一般に「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識がありますが、研究者の間ではこれが国語史上の“迷信”であることは広く知られている事実です。迷信がいつごろから広まり、なぜいまだに信じられているのか。こうした疑問の解明に挑む最新日本語研究を紹介します。
明治から昭和戦前にかけて、「全然」は否定にも肯定にも用いられてきたはずですが、日本語の誤用を扱った書籍などでは「全然+肯定」を定番の間違いとして取り上げています。国語辞典で「後に打ち消しや否定的表現を伴って」などと説明されていることが影響しているのか、必ず否定を伴うべき語であるようなイメージが根強くあるようです。
■「否定を伴う」 広まったのは昭和20年代後半
10月22~23日に高知大学で開催された日本語学会(鈴木泰会長)の秋季大会。国立国語研究所の新野直哉・准教授をリーダーとする研究班(橋本行洋・花園大教授、梅林博人・相模女子大教授、島田泰子・二松学舎大教授)が、「言語の規範意識と使用実態―副詞“全然”の『迷信』をめぐって」をテーマに発表を行いました。
日本語学会で研究発表する新野直哉氏(高知大学)
研究班では、「最近“全然”が正しく使われていない」といった趣旨の記事が昭和28~29年(1953~54年)にかけて学術誌「言語生活」(筑摩書房)に集中的に見られることから、「本来否定を伴う」という規範意識が昭和20年代後半に急速に広がったのではないかと考えています。しかし、発生・浸透の経緯については先行文献では解明されていないため、先行研究が注目しなかった戦後を目前に控えた昭和10年代(35~44年)の資料に当たり「全然」の使用実態を調べることで、規範意識が当時からあったのか考察することにしました。
■昭和10年代、6割が肯定表現
昭和10年代の専門3誌における「全然」の使用例
コトバ 工程・綴方学校 日本語
否定を伴う例 形容詞「ない」 31 10 23
助動詞「ない」「ず(ん)」 86 26 49
動詞「なくなる」「なくす」 4 0 3
計 232
肯定を伴う例 否定の意の接頭語として使われる漢字を含む語 36 3 12
2つ以上の事物の差異を表す語 76 22 36
否定的な意味の語 36 10 13
マイナスの価値評価を表す語 12 9 4
否定的意味・マイナス評価でない語 55 13 17
計 354
判断が難しい例 4
まず、日本語に関する学術的な文章が多く掲載されている国語学・国語教育・日本語教育の専門誌である「コトバ」(不老閣書房など)、「工程」(後に「綴方学校」と改名、椎の木社=復刻版)、「日本語」(日本語教育振興会=復刻版)の3誌を資料として選び、日本語に関して知識の深い当時の研究者らが書いた論文・記事中で、「全然」がどのように使用されているか実態を調査しました。
採集した「全然」の用例を分類したところ、全590例のうち6割の354例が肯定表現を伴い、そのうち約4分の1に当たる85例が否定的意味やマイナス評価を含まない使い方となっていました。その中には「前者は無限の個別性から成り、後者は全然普遍性から成る」(日本語、金田一京助)といった著名な国語学・言語学者のものも含まれています。「本来否定を伴う」という言語規範が当時あったとすれば、これらは当然「ことばの乱れ」や「誤用」とされるべきものですが、多くの研究者が学術誌で規範に反するような表現を使うとはまず考えられません。
また、昭和10年代も後半になると、植民地への日本語普及という当時の国家的重要課題を念頭に置いた「標準語」「正しい日本語」をめぐる議論が盛んに行われるようになりましたが、3誌には「全然」の規範意識に関して言及したものはなかったばかりか、「全然+肯定」の使用が散見されました。
ほかに「古川ロッパ昭和日記(戦前篇・戦中篇)」(晶文社)の昭和10年代の分を対象に個人における「全然」の使用実態を調査した結果をあわせて、研究班は「本来否定を伴う」という規範意識は昭和10年代の段階ではまだ発生しておらず、使用実態も昭和20年代後半以降に広がる「迷信」を生み出すようなものではなかったと結論づけました。今後の課題は迷信が戦後のいつ、どのように発生し、浸透していったのかを解明することだとしています。
■辞書の記述に変化も
研究発表を聴いて、ある新聞に載った読者欄の投稿を思い出しました。子供向けテレビ番組で使っていた「全然大丈夫」というフレーズが、誤用であり日本語の乱れだと断言した内容でした。専門家の研究が着実に進みつつあるものの、こうした投稿が新聞に大きく掲載される現実は“迷信”がまだまだ一般に根強く浸透していることをうかがわせます。
一方、辞書の世界では新しい変化も出てきています。三省堂の大辞林第3版(2006年)では、諸研究を反映したのか旧版にはなかった「明治・大正期には、もともと『すべて』『すっかり』の意で肯定表現にも用いられていたが、次第に下に打ち消しを伴う用法が強く意識されるようになった」という記述が追加されています。
今後、研究班の調査・研究が進み、迷信が解明されることになれば、辞書の記述も近い将来さらに書き換えられ、一般に認知されることになるかもしれません。その成果に期待しつつ、これからもこの研究に注目していきたいと思っています。
(佐々木智巳)
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【「『全然いい』は誤用」という迷信 辞書が広めた? 】
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO42854280R20C12A6000000/
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「『全然いい』は誤用」という迷信 辞書が広めた?
2012/6/26 6:30
2011年12月13日付で、「全然は本来否定を伴うべき副詞である」という言語規範意識が国語史上の“迷信”であるという日本語研究を紹介しました。こうした実態に反する意識は戦前には見られず、昭和20年代後半に急速に広まったことが分かりましたが、その発生原因はまだ解明されていません。今回は辞書の記述からこの問題を探ってみました。
初めて強い規範を示した「辞海」(三省堂)
例えば、「広辞苑」第6版(2008年)には「全然」について、「俗な用法で、肯定的にも使う」とあるなど、現在市販されている国語辞典の多くは、「全然」は否定を伴うもので「全然+肯定表現」を誤用・俗用としています。こうした考え方は広く一般に浸透し、「全然いい」のような言い方に抵抗のある人は少なくないわけですが、実は辞書の記述としてはそう歴史は古くありません。
■戦後、初めて辞書に
国立国語研究所で国語辞典編集準備室主幹などを務めた飛田良文・日本近代語研究会会長が、「全然」について明治から発行される代表的な国語辞典を調べたところ、昭和10年代までに出版されたものには「全然~ない」といった打ち消しとの呼応について触れているものはありませんでした。
打ち消しとの呼応は戦後発刊された辞書から見られるようになります。1952年(昭和27年)5月刊行の「辞海」(金田一京助編)が「全く。まるで。残らず。すべて。(下に必ず打消を伴なう)『―知らない』」として、初めて“必ず”という決まり事を示しました。
「辞海」では「必ず打消を伴なう」としている
また、注目されるのが「辞海」の1カ月前に刊行された「ローマ字で引く国語新辞典」です。それまでの辞書で全然は、肯定にも否定にも使えるような語義が1つだけでしたが、同辞典では「1.全く、まるで(普通、下に打消を伴う)、[(not)at all](例)全然見当がつかない 2.すっかり、全く(前者のくずれた用法で、下に打消を伴わない)[wholly](例)全然間違っている」とし、語義が2つになりました。「辞海」ほど強い決まりは示していませんが、“普通”としながらも初めて打ち消しとの呼応について触れています。「英文学者である編者の福原麟太郎が英語の知識を利用して『not at all』と『wholly』の意味に合わせて語義を2つに分類した」(飛田氏)と考えられています。
2つの辞書が刊行された1952年といえば、「全然」は否定を伴うという意識が急速に広まったとされる昭和20年代後半とちょうど時期が重なります。以後、「辞海」と同じく“必ず”と記述した「角川国語辞典」をはじめ、「正しくは、下に打消しの語を伴う」とした「旺文社版学生国語辞典」など、否定や打ち消しを伴わない「全然+肯定」を俗用やくずれた用法などと注記したものが増えていきます。また、昭和40年代に入ると、文化庁の「外国人のための基本語用例辞典」(1971年)で「あとに打ち消しのことば『ない』などや、否定的な意味のことばがつく」と書かれるなど、辞書の世界で“迷信”が定着した様子がうかがえます。
■中国にも“迷信”があった
中国生まれの漢語である「全然」は、「荘子」にも見られる古くからある言葉で、必ずしも否定と呼応するわけではありませんでした。時代が下り「水滸伝」「三国志演義」などの白話小説類で否定との呼応が多くなったのが影響したのか、「中国にも『全然』は否定と共起しなくてはならないという“迷信”が一部にあるようです」(橋本行洋・花園大教授)。「応用漢語詞典」(商務印書館、2000年)の「全然」の項には「只能用于否定…不能用肯定」と肯定での用法を誤りとする注意書きがあり、中国にも日本に似た現象が起きていることが分かります。
日本では戦後になって突如「本来否定を伴うべき副詞である」という意識が生まれた「全然」。“迷信”の直接の発生原因はまだはっきりしませんが、その定着には辞書や国語・英語教育などが少なからず影響しているようです。一方で「国語学における副詞研究の遅れも影響しているのではないか」(飛田氏)との見方もあります。
今後は、昭和20年以後の用例や文法研究を調査したり、戦前や戦後の英和・和英辞典や小学生向け学習国語辞典などの語義を広く調べたりすれば、なぜこのような意識が生まれたのかがわかる記述が新たに見つかるかもしれません。“迷信”解明へ向けた研究は続きます。
(佐々木智巳)
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■副詞研究の進め方に問題も 飛田良文・日本近代語研究会会長に聞く
飛田良文・日本近代語研究会会長
「ローマ字で引く国語新辞典」が、「全然」は「普通、下に打消を伴う」とした決まりの契機となっているのは英語です。福原麟太郎が「全然」を英語「not at all」と「wholly」とに対訳したわけですが、実はそこに問題があります。
私が国立国語研究所に入って間もない昭和40年代、副詞研究の遅れが懸念されていました。当時、副詞研究は呼応に重きがおかれ、副詞論はもっぱら否定や打ち消しとの呼応の有無が中心となり、辞書が否定や打ち消しとの呼応を記述するようになったと考えています。そのとき、用例の実態調査が進んでいなかったために、肯定との呼応をないものとするか、誤用・俗用とするなど、理屈上の分類が必要となったと思われます。それで「全然いい」などの肯定表現は誤用だという意識が生まれたわけです。
「全然」に動詞が続くと「全然できる/できない」、形容詞が続くと「全然おもしろい/おもしろくない」、形容動詞が続くと「全然別だ/別でない」、名詞が続くと「全然右/全然左」などのように対応します。用例の徹底的な調査以外に、正確な語義記述はできません。
学校教育、特に辞典が日本語に対する規範意識に影響を与えるのは当然です。例えば、小学生用の国語辞典に「下に必ず打ち消しを伴う」とあれば自然にそのような意識が根付くでしょう。今後、小学生用の国語辞典の記述を戦前から戦後までくまなく調べたり、英和辞典や和英辞典を調べたりするなどの研究を進めれば、決定的な事実、意外な事実が見えてくるかもしれません。(談)
全然に関する主な辞書(初版本)の語義記述
刊年 書名(発行元) 語義の
分類数 打消との呼応 「全然いい」
への判断
1907 明治40 辞林(三省堂書店) 1 無
1908 明治41 ことばの泉補遺(大倉書店) 1 無
1911 明治44 辞林44年版(三省堂書店) 1 無
1912 明治45 大辞典(嵩山堂) 1 無
1912 大正1.9 新式辞典(大倉書店) 1 無
1915 大正4 ローマ字で引く国語辞典(冨山房) 1 無
1916 大正5.3 発音横引国語辞典(京華堂) 1 無
1916 大正5.6 袖珍国語辞典(有朋堂) 1 無
1917 大正6.5 ABCびき日本辞典(三省堂) 1 無
1917 大正6.12 大日本国語辞典(金港堂/冨山房) 1 無
1934 昭和9 大言海(冨山房) 1 無
1935 昭和10 大辞典(平凡社) 1 無
1935 昭和10 辞苑(博文館) 1 無
1938 昭和13 言苑(博文館) 1 無
1943 昭和18 明解国語辞典(三省堂) 1 無
1952 昭和27.4 ローマ字で引く国語新辞典
(研究社辞書部) 2 有
1952 昭和27.5 辞海(三省堂) 1 有(必ず)
1955 昭和30 広辞苑(岩波書店) 1 無
1956 昭和31.2 例解国語辞典(中教出版) 2 有 俗語
1956 昭和31.4 角川国語辞典(角川書店) 1 有(必ず)
1958 昭和33 旺文社版学生国語辞典(旺文社) 1 有(正しくは)
1959 昭和34 新選国語辞典(小学館) 1 有
1960 昭和35 三省堂国語辞典(三省堂) 2 無 [俗]
1963 昭和38 岩波国語辞典(岩波書店) 1 有 くずれた用法
1965 昭和40 新潮国語辞典(新潮社) 1 有
1966 昭和41 講談社国語辞典(講談社) 1 有
1972 昭和47 新明解国語辞典(三省堂) 1 有 俗に
1973 昭和48.12 角川国語中辞典(角川書店) 2 有 [俗に]
1972~76 昭和49 日本国語大辞典12巻(小学館) 3 有 (口頭語で)
1978 昭和53 学研国語大辞典(学習研究社) 3 有 [俗]
1981 昭和56.1 角川新国語辞典(角川書店) 2 有 [俗]
1984 昭和59 例解新国語辞典(三省堂) 1 有 新しい使い方
1985 昭和60 新潮現代国語辞典(新潮社) 2 有
1985 昭和60 現代国語例解辞典(小学館) 1 有 俗に
1986 昭和61 言泉(小学館) 1 有 俗語的
1988 昭和63.11 大辞林(三省堂) 3 有 俗な言い方
1988 昭和63.11 三省堂現代国語辞典(三省堂) 3 有 [俗]
1989 平成1.9 福武国語辞典(福武書店) 2 有
1993 平成5 集英社国語辞典(集英社) 1 有 俗に
1995 平成7 角川必携国語辞典(角川書店) 1 有 俗な言い方
1995 平成7.12 大辞泉(小学館) 3 有 俗な言い方
2002 平成14 明鏡国語辞典(大修館書店) 3 有 [俗]
2005 平成17 小学館日本語新辞典(小学館) 2 有 俗に
(注)飛田氏の調査を基に作成
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