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2013年6月の朝日新聞から2

【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html

●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html


【2013年06月】

13-06-04
4日
「天声人語」
「なるほど」の使い方はスルー。
 この記事に関して「魔法使いにさせて下さいといって魔法使いになる」はヘンって指摘があったらしい。
http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=10_6_8&q=%E9%AD%94%E6%B3%95%E4%BD%BF%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%A6%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=LDbQUc3EAsL5kAXoyYCQBA
 そりゃ「して下さい」あたりが妥当だし、「ください」のほうが一般的だろう。でもこれは「声」欄からの引用だからしょうがない。責められるべきは、この形で掲載した「声」の担当者だろう。文章に関してはよくわからない部分があるけど、スルーします。


13-06-05
4日
 ↑の「天声人語」の続き。
やはり戦争を知るOB、野中広務・元幹事長も「要件から変えるのは姑息(こそく)なやり方だ」と批判している。(朝刊1面)
「姑息」の使われ方も錯綜気味。「一時しのぎ」(正用)か「卑怯」(誤用)か微妙なケースもあるが、これはさすがに誤用だろう。


13-06-06
15日
現役晩年は酷使による肩痛に悩まされ、29歳で引退した。(朝刊23面)
 安藤嘉浩記者。〝怪童〟尾崎行雄の訃報。「誤用」ではないけどさ。29歳で引退して、68歳で死去だよね。いくら「現役」と断わっても、「晩年」はないでしょうに。「現役晩年は」を削除すれば済むと思う。


13-06-07
16日
それまでは各球団ごとに契約しており、メーカー4社のボールが使われていた。(朝刊39面)
 吉村良二記者。「各球団ごと」はかなり無神経な部類の重言。通常なら「各球団で」か「球団ごと」にすればいい。それより問題なのはこの記事全体がものすごくわかりにくいこと。原因のひとつは、数値の違いがピンとこないことだろう。小数点第2位以下の話を並べられたって、実感がわかない。たとえば、数値が0.01違うと、実験上は飛距離が○メートル伸びる……とか書かれていればまだマシなんだけど。図も相当わかりにくい。


13-06-08
26日
一方、目立った選手はおらず、監督から「下手くそ」と言われ続けた桜美林。(朝刊28面)
 水山和敬記者。中止形の「おらず、」の資料として。


13-06-09
24日
さわりだけだが、人気の神髄に触れた気がした。(朝刊23面)
 佐藤美鈴記者。「SASUKE」の挑戦した記者の体験記。2種目で脱落したんだから、この「さわり」は典型的な誤用。しかも、たった2種目で「人気の神髄に触れた気」になるのはあまりにも厚かましくないか。


13-06-10
29日
どうにも気になる口癖(朝刊b2面)
 柏木友紀記者。ランキングだけメモしておく。木村拓哉の影響が深刻?
1)っていうかー
2)ぶっちゃけ
3)~みたいな
4)超(チョー)
5)マジで?
6)~っすね
7)めっちゃ
8)~じゃん
9)えっと(えーっと)
10)要するに(要は)
11)逆に言うと
12)普通に~
13)だって
14)はあ(はあはあ)
15)ある意味
16)~でさぁ
17)ヘンな話
18)いやっ(文頭で使う)
19)ここだけの話
20)でも(でもでも)
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2013年05月の朝日新聞から

【索引】
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●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
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●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
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【2013年05月】


13-05-01
7日
 上田は最強の相手の一人だったはずだ。(夕刊6面)
 佐藤啓司記者。史上初の女流五冠になった里見香奈を紹介する記事。冒頭の文がこれ。もう誤用とは言えないのかな。でもね。「難敵の一人」ではダメなのかな。


13-05-02
17日
 「負けは負け」。日馬富士が、ぶぜんとした表情で振り返った。(朝刊21面)
 有田憲一記者。朝青龍の枕詞として有名だった「ぶぜん」は、今度は日馬富士の定番になるのだろうか。


13-05-03
21日
宴の中盤、沈んだ心に追い打ちをかける一皿が出てきた。「初めて見た」と振り返るほどの大きな生け作り。優勝に向けて部屋が用意してくれたマダイだった。(朝刊21面)
 抜井規泰記者。「生き作り」という表記にも異和感があった。これは、記者の責任ではない「手引き」を見ると、「活き」は使わないうえに「造り」もやや特殊な表記。「生け作り」が本線で「生き作り」とも書く、となっている。個人的な語感では「いきづくり」。表記は「活き造り」かな。だって「今日の刺身」は「今日のお造り」でしょうに。「今日のお作り」は違う気がする。問題はそこではない。「振り返る」って何? 「初めて見るほどの大きな生け作り」でいいんじゃないかな。稀勢の里が前年夏場所に最終盤で崩れて優勝を逃したことを「振り返」っているのだが、全文にわたって妙に情緒的で気持ちが悪い。ついでに書くと、「部屋が用意してくれた」んならキャンセルしなよ。安くないんだから。おそらく後援会が用意していたんだろうな。そりゃ断われないよな。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201305200480.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201305200480


13-05-04
27日
ただ京都・大阪から1時間以上かかり、所蔵品は規格書、学術書、博士論文、アジア言語資料などが主だから、これはこれで敷居が高い。(朝刊31面)
 鈴木繁編集委員。典型的な誤用だよな。たいていの場合、「ハードルが高い」にすれば問題がない。

13-05-05
27日
地域図書館で使われるカバーごと透明な樹脂で覆う方式は、長期保存に向かないから、だそう。
 ↑の次の段落の結び。「誤用」ではないけど、無神経の部類。ブロの書き手が「、だそう。」と書くのを目にするのは珍しい。「だ。」「、だという。」「(、)だとか。」……etc.いくらでも書き方はあるでしょうに。
(朝刊31面)

http://book.asahi.com/booknews/update/2013052900003.html
================引用開始
国立国会図書館 人にこびず本に優しい「知識の泉」
[掲載]2013年05月27日



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はじめての国会図書館


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阿刀田高さん

 ない本はない日本最高の本の黄金郷。それが国立国会図書館だ。と同時にこんなにお高くとまった、つきあいにくい図書館もまたない。でも、それには深い事情が絡んでいる。
 国立国会図書館は1948(昭和23)年6月5日に開館した。
 終戦後、東京・上野には「帝国図書館」が残っていたが、新生ニッポンを推し進めようとした人々は「検閲制度の牙城(がじょう)」を嫌い、旧赤坂離宮(現迎賓館)を国会図書館に、いわば「指名」する。
 国立国会図書館法の前文にもある設立理念は「真理がわれらを自由にする」。政治に知性を欠いていたことが無謀な戦争へと向かわせたという認識の表明である。まずは国会議員の「知識の泉」たるべし。次いで行政・司法。国民へのサービスは最後にくる。
 「知識の泉」となるには、とにかく本を集めること。このため、国会図書館には「納本」という独特の制度がある。本や雑誌はいわずもがな。楽譜や地図、映画フィルム、CDなどの発行者も、定価の半額+送料の代償金と引き換えに納めなければならない。納本点数は昨年度で約100万。急激に、そして果てしなく巨大化する「バベルの図書館」でもある。
    ◇
 いま国立国会図書館は、東京本館、関西館、国際子ども図書館の3館体制。地域の図書館と比べると総じて使い勝手は芳しくない。
 まず、館外貸し出しをしていない。18歳未満だと子ども館以外は入ることさえできない。図書の閲覧は1回3冊までで、しかも出てくるまでに15分はかかる。夜間開館もない。フツーの人が気軽に足を運べる雰囲気じゃないのだ。
 「利用者拡大のPRってしたことがないんです。土曜ともなると検索用端末が足りなくなるので」とは東京本館の広報担当者。
 まだ余裕のある関西館は来館歓迎、深い茶色の木製開架書棚と机が並ぶ閲覧室もシックだ。ただ京都・大阪から1時間以上かかり、所蔵品は規格書、学術書、博士論文、アジア言語資料などが主だから、これはこれで敷居が高い。
 閲覧に供される本も武骨なたたずまいだ。付録や帯はもちろん、装丁家が思いをめぐらし作り上げた「本の顔」、表紙カバーもない。地域図書館で使われるカバーごと透明な樹脂で覆う方式は、長期保存に向かないから、だそう。
    ◇
 保存は永遠に続く。電子化すれば資料の損傷が防げ、閲覧の地域間格差も埋められる。関西館が行きにくい場所なのは、電子化済みの本たちの「貯蔵施設」としても期待されているため。いずれは増築し、東京本館の2倍近い2000万冊まで収蔵能力を拡張する計画だ。
 東京で電子化された資料はすでに225万点にのぼり、著作権の切れた刊行物47万点についてはインターネットで公開している。だれでも、無料で、24時間読める。牧歌的な中身なのに、刺激的なタイトルのせいで閲覧が集中し話題になった酒井潔『エロエロ草紙』(1930年)もその1点だ。
 東京本館では電子化の際の選別はしていない。知識の価値は時間が経過すると変わってしまうからだという。つきあいにくいけれど、懐の深いヤツではあるのだ。(編集委員・鈴木繁)

■見る
 近くにない本は、国会図書館から地域図書館などに取り寄せて閲覧することができる(一部費用は利用者負担)。インターネット経由で資料複写も可能。電話での資料案内も。

■訪ねる
 東京本館の最寄り駅は地下鉄各線の永田町。関西館はJR・祝園駅、近鉄・新祝園駅か近鉄・学研奈良登美ケ丘駅からバスで。国際子ども図書館はJR上野駅・鶯谷駅が近い。日曜・祝日(5月5日は子ども館のみ開館)、毎月第3水曜日、年末年始は閲覧・複写ができない。子ども館は月曜も休館。入館に必要なカードは外国からの旅行者でも交付してもらえる。

■保存重視、図書館の日銀 作家・山梨県立図書館館長の阿刀田高さん
 まだ赤坂離宮にあった時代から、国立国会図書館の職員を11年間やっていました。
 あの館は図書館の日本銀行なんですよ。図書館の図書館。国内図書館ネットワークの中心です。本の閲覧と保存は図書館業務の両輪ですが、国会図書館に限っては保存を重視せざるをえない。閲覧の機会が増えるとどうしても本は傷む。源氏物語の宿題に、いい参考書を探すような場所では、そもそもないんです。ただ、今は公共図書館の蔵書が利用の多い特定の本に偏りがち。知識層が不便を我慢して国会図書館に行ってしまう気持ちはよく分かります。
 本の保存を考えれば電子化の流れは避けられない。ネット経由の閲覧規模は拡大していくでしょう。けれど、「速く安く広く」の電子化は活字文化を支えてきた「命を削って著作する」という理念と合わない。日本の出版文化をどう支えるのか。国立国会図書館は、より難しい保存問題にやがて直面する気がします。
================引用終了

おる おられる おられた おられます〈2〉

【日本語アレコレ】
 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

mixi日記2013年07月01日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906069022&owner_id=5019671


 下記の続き。
【おる おられる おられた おられます〈1〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1904748638&owner_id=5019671

 下記が少~しだけ参考になるかも。
639)突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1801597937&owner_id=5019671
================================

 ↑の639)の辞書のひき方がちょっとピント外れな気がしないでもないので、再度ひき直す。
 本動詞の「おる」のほかに補助動詞の「~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。
 辞書の引用は末尾に。
『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、「尊敬語」ではない点に注意。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。


【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
 この点について『大辞林』には下記のようにある。
================引用開始
自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
================引用終了
〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。
 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。
 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。
 ところが、〈1〉で見た6)によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。問題の根が深いorz。


【2】「おります」で丁寧な言い方?
『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。
『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。
 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。
〈1〉の1)で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。
 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。
 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。
「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。
「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。
 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。
 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。
 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。
 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。↑の「5分類」法と併せてウノミにすると相当混乱する。

 で、辞書の記述に戻る。それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。
■〈「おります」で丁寧な言い方〉(『大辞林』)。
 はっきり書こう。これ記述は無意味。「おります」は「おる」を丁寧語の形にしたもの。「丁寧な言い方」に決まってる。たとえば、「書く」の説明で「書きます」で丁寧な言い方とか書いてあったらバカでしょ。後半の〈「おられる(おられます)」で尊敬の言い方〉を書くついでに、つい余計なことを書いたとしか思えない。

■『大辞泉』〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉(『大辞泉』)。
「おります」と「いる」を並べている段階で疑問が湧く。一般には「いる」の丁寧な言い方は、丁寧語の形にした「います」。
 好意的に考えても、この記述は2通りの解釈ができる。
1)「おります」は「います」の丁寧な言い方
 微妙。一般には「おる」は「いる」の謙譲語なんで、「おる」のほうが丁寧な言い方だろう。 ただ、『大辞泉』は「おる」を謙譲語にしていないから、この解釈は苦しいかも。
2)「おる」はニュートラルな言葉だけど、「おります」だと「謙譲語」のニュアンスになる
 そんな超法規的なことがあるうるのか当方には不明。


【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。


■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=02640800&pagenum=1
================引用開始
お・る〔をる〕【▽居る】
[動ラ五][文]を・り[ラ変]


ア人が存在する。そこにいる。「海外に何年―・られましたか」
イ「いる」の古風な、または尊大な言い方。また、「いる」に比べて方言的な響きを帯びる。「君はそこに―・ったのか」「都会にはセミも―・らんようになった」

2 (「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方。「五時までは会社に―・ります」

5 (補助動詞)動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
「…ている」の古風な、または尊大な言い方。「そこに控えて―・れ」
(「…ております」の形で)「…ている」の丁寧な言い方。「ただ今、外出して―・ります」

◆(1) 助動詞「れる」の付いた「おられる」「…ておられる」の形で尊敬表現に用いられる。(2) もとはラ変活用。室町時代以後、四段活用に変化。
================引用終了


■Web辞書『大辞林』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0&pagenum=1&index=102829400000
================引用開始
お・る[をる] 1 【▽居る】
(動ラ五)
[文]ラ変 を・り
〔1〕
[1] 人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
  明日はまだ東京に―・る
  いろいろ文句を言う者が―・るので困る
  屋根の上に猫が―・る
  昔はこの辺にも狸(たぬき)が―・ったもんだ
(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。
  きょうは一日じゅう家に―・ります
  先生は昔、仙台に―・られたことがある

〔2〕 (補助動詞)
[1] 動詞の連用形、またそれに助詞「て(で)」の付いたものに付いて、動作・状態が続いていることを表す。やや尊大な言い方として用いられることがあり、また、「ております」「おられる」の形で丁寧な言い方や尊敬の言い方としても用いられる。
  テレビは今ではたいていの家で持って―・ります
  ここ数年だれも住んで―・らず、荒れ放題に荒れている
  私はここで待って―・ります
  地下は駐車場になって―・ります
  先生はすでに知って―・られるようだ
  そんなことは聞かなくともわかって―・る
================引用終了

 疲れたんで中断。(まだつづく)


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tobi

Author:tobi
フリーランスの編集者兼ライターです。

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