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【引用のご作法──資料7】おる おられる おられた おられます〈3〉

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語②〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

 やはり煮え切らない観がある。明言はしていないが、著者自身は使わないだろうな。
 当方も、自分では使わない。使う理由がないから。「おる」が謙譲語なんだから、「おられる」には強い異和感がある。辞書があれほどはっきりと認めている以上、「誤用」などと言う気はないが。


 下記を見ると、文化庁編集の『言葉に関する問答集 総集編』という書籍にも詳しい解説があるらしい。ただ、いままでに何度か紹介したように、引用者の書き方にはいろいろ問題があるのでウノミにはできない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1495064119
================引用開始
結論を先に言えば、「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどないと考えられます。ただ、「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方ということができましょう。
************************************
...動詞の下に付いて、その動作・作用・状態が継続中であることを表す「…(て)いる」という表現を尊敬語の言い方にする場合には、次のような言い回しが可能です。
★(A)先生は手紙を書いて“おられる”。
...(B)先生は手紙を書いて“いられる”。
★(C)先生は手紙を書いて“いらっしゃる”。
...(D)先生は手紙を書いて“おいでになる”。

★(A)の「おられる」は、動詞「おる」に尊敬を表す助動詞「れる」が付いたものです。元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたものと考えられます。<謙譲語に尊敬の「れる」を付けるのは理論上おかしいことになるが、「おる」を丁寧語と考えれば、尊敬表現として無理はなくなります。>
(B)の「いられる」は、動詞「いる(居)」に尊敬の助動詞「れる」のついたものです。「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどないと思われますが、実際の文章の中では、「おられる」の方が尊敬表現としてより多く用いられています。こらは、「いられる」が
・妻に先立たれると、一日も生きては“いられない”だろう。
のように、可能表現に多く使われるようになったことと無関係ではないと思われます。
★(C)の「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます。「おられる」「いられる」は、単に「いる」の尊敬表現ですが、「いらっしゃる」は、「いる」のほかに「行く」「来る」の尊敬表現としても広く使われています。
(D)の「おいでになる」は、今日ではやや古風な言い方とされますが、それだけに(A)(B)(C)よりも敬意が高いように思われます。《以下、略》
【参考文献】文化庁編集『言葉に関する問答集 総集編』より
************************************
================引用終了

 注意深く読むとわかるが、『言葉に関する問答集 総集編』(以下「原本」と書く)の記述と、引用者が書いている「結論」は微妙に違う。
 引用者のあげている結論は下記の2点だろう。
1)「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどない
2)「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方
 1)に関する原本の記述は見当たらない。〈「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどない〉が近いかもしれない。
 2)に関する原本の記述も見当たらない。〈「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます〉が近いかもしれない。
 では原本の結論は何か。当方はコメントを控えます。記述に不備を感じるが、原本の責任か引用者の責任か、この書き方ではまったくわからないから。
 たとえば〈元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたもの〉という書き方がおかしいことにはすでにふれた。「おる」は丁寧語なんだろか。そのあとの〈「おる」を丁寧語と考えれば〉という記述もある。やはり「おる」は丁寧語なのだろうか。
 ところで、引用者は〈 〉をどういう意味で使っているのだろう。
 そもそも、これが「引用」なのか、「要約」なのか、原本を「参考文献」にした自説なのか、ホニャララなのかさっぱりわからない。いつものことだけど。
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【引用のご作法──資料5】「だから」と「なので」の違い〈4〉

〈1〉~〈3〉は下記。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1680.html
 
 ネット上で読める論文に関しては下記参照。
 これをホニャララして切り貼りすると、下記のBAのようなヘニャララのハニャララになる。素人さんがやることだから著作権なんて関係ない……と開き直られたら返す言葉がないけどさ。全文は末尾。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476608574

1)【接続助詞「から」と「ので」の違い】
http://hdl.handle.net/10091/1843
2)【日本語講師のひとりごと】
http://blog.goo.ne.jp/kaoriam/e/c846817c27b0d3526dc92242b13727ff
3)【「から」と「ので」の使い分け】
http://www2.dokkyo.ac.jp/~esemi008/kenkyu/miki.html

 ↑の1)の論文の冒頭にある「要旨」から抜粋する。
================引用開始
原因・理由の接続助詞「から」と「ので」の意味と用法の違いは、これまで永野(1952)以来「から」は原因・理由を主観的に説明するものであり、「ので」は因果関係を客観的に描写 するものであると分類されてきたが、未だ統一的な見解に至っていない。
================引用終了
 大元と言えそうなのは〈永野 賢 1952 「『から』と『ので』はどう違うか」,『國語と國文学』29:230-41〉なのだろう。ここから、「だから」は主観と「なので」は客観、という説が独り歩きしている観がある。正確なことは関連論文を読んでみないとなんとも言えないけど。いまだに「統一的な見解」に至らないのは無理があるからでは。

 ↑の2)のサイトから。
================引用開始
「ので」は客観的な判断によるもので、「から」は主観的な判断によるもの。
「ので」は冷静で合理的な判断理由、「から」は感情的で主観的な判断理由という感じ。
「から」というのは、推量・命令・勧誘などの話し手の主観に属する文末の後に用いられやすい。
たとえば、「危ないからやめなさい」という場合には、危ないという判断は話し手の主観である。「危ない」と判断する基準は、人によってまちまちなものだから。
一方、「ので」は話し手の主観的判断によらなくても、明らかに因果関係がそこにみられる場合に用いられることが多い。
 たとえば、「暴風雨警報が発令されたので、運動会は中止になった」というように。
ただ、あくまでもそうであることが多いだけで、「ので」と「から」が置き換えられる場合も多い。
「ので」のほうが「から」よりも控えめで、当たりが柔らかいような感じがするため、最近の女性で「ので」の方を使う人が増えた、とも言われている。「ので」のほうが「から」よりも控えめで、当たりが柔らかいような感じがするため、最近の女性で「ので」の方を使う人が増えた、とも言われている。
================引用終了
 これがよく見る主張。
 主張がズレていることは例文を見れば明らかだろう。「危ないからやめなさい」は「危ないのでやめなさい」にできる(ほんの少しおかしい?)。
「暴風雨警報が発令されたので、運動会は中止になった」も「暴風雨警報が発令されたから、運動会は中止になった」にできる。
〈置き換えられる場合も多い〉と言うより、ほとんどの場合は置きかえられる。置きかえられない例を探して考えないとどうにもならない。
 最後の段落はそのとおりだと思う。感覚的な話で根拠に乏しいとも言えるが、〈「~から」は主観的、「~ので」は客観的〉と決めつけるよりはよほど共感できる。あれ? これって3)に出てくる『日本文法大辞典』のマンマ? これ程度は大目に見るべきか。

 ↑の3)のサイトから。
================引用開始
3.「から」と「ので」の意味的差異
●「から」の表す意味
まず、「から」の操作子機能は<事態xを事態yの発生する出所として捉えよ>と定義した。それと同時に「から」は必ず<移行>を予期させる助詞であった。これは、後に述べる「ので」と比較すると、事態x<原因・理由>と事態y<結果>とのつながりが直接的である。このため、「から」を用いた表現も因果関係が直接的で明白となり、それゆえ、話者が因果関係を強調したいときに用いる。

「から」を用いる主な例
(15)おいしいからもうひとつ食べたい。 (話者の意志) 『日本文法大辞典』明治書院
(16)天気が良かったから楽しかったでしょうね。 (話者の推量) 『日本文法大辞典』明治書院
(17)よい子だからおとなしくしなさい (命令) 『広辞苑』岩波書店
(18)危ないからそっちへ行ってはいけないよ。 (禁止) 『日本文法大辞典』明治書院
(19)暑いから窓を開けてくれよ。 (依頼) 『日本文法大辞典』明治書院
(20)遅くなるから帰ります。 (正当性の主張) (尾方:1993)

●「ので」の表す意味
「ので」の操作子機能は<事態xを体言化し、事態yが起こる原因・理由として限定せよ>であった。そして、「ので」は事態yが起こる<依拠場所>を表すと上で述べた。「ので」は<依拠場所>を表すため、「から」における<原因>から<結果>への移行と比較すると、その因果関係ははるかに弱いものとなる。従って、「ので」は因果関係を前面に押し出したくないとき、因果関係を客観的に述べたいときに用いられる。

「ので」を用いる主な例
・表現を丁寧にするとき
(21)試合終了後は大変混雑いたしますので、お帰りの切符は今のうちにお求めになっておいてください。
『日本文法大辞典』明治書院
・事態の客観的な叙述
(22)強い風が吹いたので、あちこちの看板が倒れたりとばされたりしてしまった。
『日本文法大辞典』明治書院
・自己の正当性を強く主張したくないとき
(23)遅くなるので帰ります。 (尾方:1993)

その他では、『男性に比して、女性に好んで「ので」を多用する傾向がみられる』と『日本文法大辞典』は指摘している。これも、女性の方が自己の正当性を主張するような表現よりも、因果関係を前面に押し出さない控えめな表現を好むためであろう。
================引用終了

 やはりほとんどの「から」と「ので」は互換性があるような気がする。
 かえられないのは(17)よい子だからおとなしくしなさい (命令)くらいだろう。
 同じ命令でも「危ない{から/ので}おとなしくしなさい 」なら互換性がある。それ以前に例文がおかしくないか? 「お願いだからおとなしくして」くらいではないか? これは特殊な用法って気がする。
 (20)と(23)ってこんなふうに対比して何が言いたいのだろう。
 どちらかしか使えないのは、きわめてまれなケースでは。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476608574
 ↑の記述をツギハギにして並べている。それでも一応齟齬なく読める。見事な職人芸と言うべきだろうか(黒笑)。
================引用開始
kaijin21_1さん

原因・理由の接続助詞「から」と「ので」の意味と用法の違いは、「から」は原因・理由を主観的に説明するものであり、「ので」は因果関係を客観的に描写するものであると分類されてきたが、まだ統一的な見解に至っていないようです。

「から」は、主観的な判断によるもの。感情的で主観的な判断理由という感じ。また、二つの事柄に主観的に因果関係を持たせる。
「ので」は、客観的な判断によるもの。冷静で合理的な判断理由という感じ。また、客観的な必然の因果関係、自然の流れのようなものを追うのに用いられる。

○「から」は、
推量・命令・勧誘などの話し手の主観に属する文末の後に用いられやすい。
たとえば、「危ないからやめなさい」という場合には、危ないという判断は話し手の主観である。「危ない」と判断する基準は、人によってまちまちなものだから。
○「ので」は、
話し手の主観的判断によらなくても、明らかに因果関係がそこにみられる場合に用いられることが多い。たとえば、「暴風雨警報が発令されたので、運動会は中止になった」というように。

ただ、あくまでもそうであることが多いだけで、「ので」と「から」が置き換えられる場合も多い。
「ので」のほうが「から」よりも控えめで、当たりが柔らかいような感じがするため、最近の女性で「ので」の方を使う人が増えた、とも言われている。


「から」を用いる主な例
おいしいからもうひとつ食べたい。 (話者の意志)
天気が良かったから楽しかったでしょうね。 (話者の推量)
よい子だからおとなしくしなさい (命令)
危ないからそっちへ行ってはいけないよ。 (禁止)
暑いから窓を開けてくれよ。 (依頼)
遅くなるから帰ります。 (正当性の主張)

「ので」を用いる主な例
・表現を丁寧にするとき
試合終了後は大変混雑いたしますので、お帰りの切符は今のうちにお求めになっておいてください。
・事態の客観的な叙述
強い風が吹いたので、あちこちの看板が倒れたりとばされたりしてしまった。
・自己の正当性を強く主張したくないとき
遅くなるので帰ります。
================引用終了

【追記】
【「で」と「から」の区別を教えてください】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1198615231

【引用のご作法──資料4-2 】「な」と「の」&イヤミ

【引用のご作法──資料4】の続き。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1878903389&owner_id=5019671

 気持ちは重いが、忘れてしまいそうなので。
 ↑のサイトは結局削除された。質問者が削除したのかもしれないし、事務局が削除したのかもしれない。なんかちょっと問題があるとすぐに削除されるみたいだから。

「資料4」のあと、やり取りは下記のようになった。

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「な」と「の」
wazzupman112233さん

「な」と「の」
これらどう使い分けすればいいんですか?

アホな人
アホの人

問題な日本語
問題の日本語

たまに辞書で「な形容詞」の単語なのに、「の」を使う場合がある
それと、ただの「名詞」なのに、「な」を使う場合もある
なんでですか?

正しいでしょうかこれ?
補足
こう考えてもいいんですかな?

アホな話(話がアホ...、馬鹿げている)
アホの話(アホの言うた話)

問題な日本語(日本語が問題...)
問題の日本語(問題のある日本語)

いろいろな人(個性とかが違う人々)
いろいろな症状(症状がいろいろ)
いろいろの人(これは。。?)
いろいろの症状(多種類の症状、これは「な」を使う場合と同じ感じがするんですが......)

違反報告
質問日時:2012/10/30 23:32:17
残り時間:4日間
補足日時:2012/11/1 00:33:51
回答数:4
お礼:知恵コイン50枚
閲覧数:83

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回答
(4件中1~4件)
並べ替え:回答日時の 新しい順 | 古い順

kaijin21_1さん

wazzupman112233さんにはご迷惑をおかけします。

tobirisu5019671さん へ
アドバイスをいただきましたので、一旦回答を削除しました。
著作権について現在詳細を調査・研究しています。
「引用」の範囲にも限度がありますし、「引用」にすればすべてOKかというと、そうではないようです。
剽窃と言われ心外なので、「要約による引用」の方法を確認しています。
いずれまた

≪補足≫私の投稿は侵害に抵触するようですので、今後注意しますが、貴殿tobirisu5019671さんの投稿やブロブについても、一般的に3つの要件を満たす必要があるとされている以下の用件に抵触するのではないでしょうか?

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/net/inforisk/050524_quotation-summary/index1.html
3)文章の内容と量の点で、引用先が「主」、引用部分が「従」という主従の関係にあること。引用した人の側に表現したい内容がしっかりとあって、その中に、補強材料として原典を引用しており、文章の量としても引用部分の方が地の文より少ないという関係が必要である。

違反報告
編集日時:2012/11/3 13:48:46回答日時:2012/11/2 12:12:12

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ydnap382_0さん

tobirisu5019671さん

あなたの回答は、長いけれどもわかりにくい。というよりも引用ばかりで長すぎて読む気がしないのです。
よく調査されているので、感服はしておりますが。引用ではなく、あなたのご高説を“簡潔・明瞭”にお聞かせいただければ幸いです。
それと、この長々とした丸写しの“引用”は、果たして引用といえるのでしょうか。著作権に抵触はしないのでしょうかね。老婆心ながら・・・
人の振り見て我が振り直せ

違反報告
編集日時:2012/11/1 21:02:47回答日時:2012/11/1 20:58:22

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tobirisu5019671さん

「な」と「の」

アホな人/アホの人
問題な日本語/問題の日本語

ydnap382_0さんにアドバイスをいただいたので、まず結論を書きます。

個別に考えるしかないのでしょう(ほとんど主観の問題になるような気もしますが……)。
個人的な語感では、「アホな人」と「アホの人」なら、「アホな人」です。「アホの人」は△。
先行コメントにあるように、「アホな話」と「アホの話」だと違いがよくわかります。
「アホの話」は「アホ(な人)が言った話」もしくは「アホ(な人)についての話」でしょう。
「問題な日本語」と「問題の日本語」なら、「問題の日本語」です。「問題な日本語」には強い異和感があります。だからこそ書名としてインパクトがあるのですが。


【補足】に対して。
「いろいろの症状/人」は微妙ですね。個人的には使いません。
後ろに続く言葉でもかわってくるような。

やはり個々に考えるしかないでしょう。
個人的な語感では……。
「最適な環境」「最適の環境」は両方○で、意味はほぼ同じ。
「適度な運動」「適度の運動」は両方○で、意味はほぼ同じ。
「自然な風」「自然の風」は両方○で、意味は違うでしょう。
「適切な判断」は○で、「適切の判断」は△。
「快適な環境」は○で、「快適の環境」は△。

最近のYahoo!知恵袋にあった下記は少し参考になるかも。
【「天才だ」は形容動詞ですか?それとも、名詞+だ、ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1396128973


さて当方の書き方に問題があって、引用部が長くなってますね。重要な部分は要約して、全文はリンク先に【参考資料】としておきます。

『続弾! 問題な日本語』がP.152~158で〈「な」と「の」〉の話を書いています。
冒頭に次のようにあります。
=======引用開始
「問題な日本語」という書名を決めるときには、いろいろ考えました。そして、最後に出てきたのが「問題の日本語」でした。「問題」は名詞で、これが名詞を修飾するときには「問題の」というように「の」を付けるのが普通だからです。(P.152)
=======引用終了
そのことを承知の上で、インパクトをもたせるために、あえて『問題な日本語』という書名にしたようです。詳しくは同書をご覧ください。

ご質問の「な」と「の」の使い分けを論理的に説明するのはむずかしいと思います『続弾! 問題な日本語』にはいろいろ書いてありますが、当方は納得できない部分が残ります。結論部にあたる「ポイント」(P.158)の全文は、下記のリンク先の【参考資料1】をご参照ください。

下記の解説ではでいかがでしょうか。リンク先は話題が多岐にわたって長いので、関連性が強いところだけリンク先に【参考資料2】として抜粋しておきます。
http://kotobakai.seesaa.net/article/8174276.html
要点を箇条書きします。

・『岩波国語辞典』はそれぞれの語ごとに「ダナ」「ダナノ」「名ノナ」「副ノナ」などと表示している
※それだけ微妙で論理的な説明がむずかしいということでしょう。

・飯豊毅一氏は『品詞別日本文法講座 形容詞・形容動詞』(明治書院)で任意の50語を取り上げ、「の」が付くか、「な」が付くか……というテストをしている。
※結局、法則性は見つかっていないそうです。

・「最適」には「だ・な・に・の」が付く
・「快適」には「だ・な・に」しか付かない
・「ふわふわ」に「だ・な・に・の・と」が付く
・「じめじめ」には「と」以外は付きにくい

結論としては下記になりそうです。
=======引用開始
どちらが正しくどちらが間違っているということではないでしょう。大まかにいえば、何も付かないか「と・に」が付く語は副詞的性格が強く、「な」が付く語は形容動詞的性格が強く、「の」が付く語は名詞的性格が強いと考えてよいと思います。
=======引用終了

【「な」と「の」の話の【参考資料】】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2538.html



kaijin21_1さん へ

当方の書き方がきつかったですかね。その点はお詫びします。
すでに書いたように、引用のしかたに一部問題を感じます。
一般には、出典を明らかにして、自分の考えを補強するのなら問題はないはずです。自説が「主」で、引用が「従」ということです。厳密には判断がむずかしいようですが。
ただ、正確な要約は大変ではありませんか。
いっそ「参考文献」にするのではなく、出典を明らかにしてそのまま引用するほうがよいのでは……と書いたのはそのためです。引用は引用として書き、自説は自説として区別すればよいのでは。
一般には〈自説が「主」で、引用が「従」〉でなければいけないようですが、Yahoo!知恵袋の回答は引用が「主」でもよい気がします。厳密なことを言っていたら、辞書を引用するのもむずかしくなりそうです。
引用先がリンク先ならURLだけを書けばよいのですが、リンク先を見ない人がいるようですから。

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編集日時:2012/11/3 13:34:15回答日時:2012/10/31 22:48:00

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deku_osakaさん

<名詞>と<ナ形容詞>の区別はあいまいです。
辞書によっては、両方の品詞を挙げている単語もあります。

>アホな人
>アホの人

説明がわかりやすいように、「人」を「話」に替えてみます。

a.アホな話
b.アホの話

aは、くだらない話、ありえない話という意味で、「アホ」は、「話」の性質・特徴を説明しています。
bは、「アホ(な人)が言った話」という意味で、「アホ」は、人を指しています。
「アホ」の意味が微妙に違います。

c.平和な世界
d.平和の誓い

cの「平和」は「世界」の状態・特徴で、d.の「平和」は「誓い」の内容です。

原則として、その意味が名詞的か、形容詞的かで使い分けます。

e>問題な日本語
f>問題の日本語

fは、すでに具体的な問題(≒疑問)がわかっていて、その日本語を指します。
eは、何か変だけれど、まだ具体的に指摘できない感じです。それで、形容詞化して使ったのでしょう。

違反報告
回答日時:2012/10/31 10:39:15
この質問に回答する

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>≪補足≫私の投稿は侵害に抵触するようですので、今後注意しますが、貴殿tobirisu5019671さんの投稿やブロブについても、一般的に3つの要件を満たす必要があるとされている以下の用件に抵触するのではないでしょうか?

 こういう態度はなんて言うべき?
 ○○猛々しい
 自分のことを棚に上げて
 釈迦に説法(←それはない!)

 しかも別のところでは下記のように書いている。ほかにもこういうことを書いていた気がするけど、メモし忘れた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496542869
================引用開始
≪蛇足≫***************
長々と引用してもしょうがないので、趣旨を要約してご紹介しようと思っていましたが、ここに投稿しているブロガーから、それは著作権の侵害で剽窃だと言われ(私はまったくそうは思いませんが)、うるさいのでそのまま転載しています。ご了承ください。
================引用終了

 ちゃんと要約するなら別にいいんですよ。
 で・も・ね
 勝手に書きかえるのは「要約」じゃないから。
 元の長さとほとんどかわらないのも「要約」じゃないから。
 誤読して的外れな書き方するのも「要約」じゃないから。


 ちなみにこのホニャララは、プロフィールに下記のように書いている。
================引用開始
思いつき、感じ、いい加減な思い込み・・・などの主観的な回答ではなく、できるだけ客観的に資料で確認して回答するよう心掛けています。薀蓄ハカセの間違い、ピント外れ、などの回答が多い中、引用・参照した場合は、資料・文献・URL名などは、オープンにしていきたいと思います。
BA狙いではないので、端にも棒にもかからないような質問はパスします。よろしく。
================引用終了

引用のご作法──資料4 「な」と「の」

【「な」と「の」】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1396478723
「引用のご作法──資料1~3」は、「4」のためのものだったという恐ろしい話。

 すでに削除させているが、まず「ある方」が下記のコメントを書いた。

「ある方」のコメント■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
あなたが質問に使っている“問題な日本語”に書かれているものをご紹介します。

「の」が付くか「な」が付くかは、まず付く語によって違いがあります。(実際にはかなりゆれがあり、微妙なところがあります。)
〈A〉「の」だけが付く
......都会の人 ニュースの時間 デパートの売り場
〈B〉「な」だけが付く
......曖昧な態度 単純な作業 派手な洋服 静かな午後 綺麗な海
〈C〉「の」も「な」も付く
......ありがちの(な)話 底抜けの(な)明るさ 格別の(な)事情 小柄の(な)人
......いろいろの(な)問題 さまざまの(な)場合

〈A〉の「都会」「ニュース」「デパート」などは名詞であり、実体を表しています。
〈B〉の「曖昧」「単純」「派手」「静か」「綺麗」などは形容動詞の語幹で、「態度」「作業」「洋服」などの、実体が備えている属性(性質や情態)を表します。
このように、実体を表すものには「の」が付き、性質や情態を表すものには「な」がつくという使い分けがあります。

〈C〉の「ありがち」「底抜け」「格別」「小柄」「いろいろ」「さまざま」などは、実体というよりは性質や情態の意味を持つものですから、〈B〉と同じく、「な」が付くのが自然です。その「話」が「ありがちな」属性を持っている、その「明るさ」が「底抜けな」属性を持っている、ということを表しているものです。
それでは、「の」の付くのはどうしてでしょうか。「の」には「である」と言い換えられる用法があります。〈C〉の場合もそれで、「ありがちである話」「底抜けである明るさ」という意味で、「の」が使われているのです。

「の」と「な」で、意味が全く違ってくるものがあります。
例1:「浮気の相手」「浮気な相手」
「浮気の相手」・・・自分の浮気の相手
「浮気な相手」・・・浮気っぽい相手。相手が浮気である
例2:「やくざの商売」「やくざな商売」
「やくざの商売」・・・やくざのやっている商売
「やくざな商売」・・・いい加減で役に立たない商売
いずれの場合も、「の」は実体を表すものに付き、「な」は属性を表すものに付いているという違いです。
【参考文献】『続弾!問題な日本語』(北原保雄・編著、(株)大修館書店・発行)P152-158「問題な日本語」

回答日時:2012/10/31 18:33:20
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 これに対して当方が下記のコメントを書いた(後日現状のように書き直した)。

【tobiクンのコメント】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
アホな人/アホの人
問題な日本語/問題の日本語

『続弾! 問題な日本語』の正確な記述を引用します。結論部の「ポイント」(P.158)は下記のとおりです。
================引用開始
「問題な日本語」の「問題」は属性的な意味を表しています。属性的な意味に「の」が付くことは問題なく、したがって、「問題の日本語」という表現で間に合います。
「問題の日本語」には、〈問題として出されている日本語〉〈問題になっている日本語〉などの意味と、〈問題のある、変な日本語〉という意味がありますが、「問題な日本語」には、前者の意はなく、〈問題のある日本語〉の意に限定され、誤解なく伝わるという利点もあります。
================引用終了

相当わかりにくいと思います。本文はもう少しマトモです。本文の冒頭には次のようにあります。
================引用開始
「問題な日本語」という書名を決めるときには、いろいろ考えました。そして、最後に出てきたのが「問題の日本語」でした。「問題」は名詞で、これが名詞を修飾するときには「問題の」というように「の」を付けるのが普通だからです。(P.152)
================引用終了

そのことを承知の上で、インパクトをもたせるために、あえて『問題な日本語』という書名にしたようです。詳しくは同書をご覧ください。

ご質問の「な」と「の」の使い分けを論理的に説明するのはむずかしいと思います。少なくとも当方は『続弾! 問題な日本語』の解説では納得できない部分が残ります。

下記の解説ではでいかがでしょうか。
ことば会議室
http://kotobakai.seesaa.net/article/8174276.html
================引用開始
これはきわめて高度な問題ではないでしょうか。修飾語となりうる語に「だ」「な」「に」「の」のいずれが付くか付かないかは微妙なので、たとえば『岩波国語辞典』ではそれぞれの語ごとに「ダナ」「ダナノ」「名ノナ」「副ノナ」などと表示しています。飯豊毅一氏は『品詞別日本文法講座 形容詞・形容動詞』(明治書院)で、任意の50語を取り上げて、それらに「の」が付くか、「な」が付くか……というテストをしてみて、結局、名詞・形容動詞・副詞が画然とは分かれていないさまを示しています。いわれてみれば、さまざまな個性(意味・用法)をもったそれぞれの語を「品詞」という決まったワクに押し込めようとすること自体に無理があります。

「最適」には「だ・な・に・の」が付くのに「快適」には「だ・な・に」しか付かなかったり、また、「ふわふわ」に「だ・な・に・の・と」が付くのに「じめじめ」には「と」以外は付きにくかったりしても、どちらが正しくどちらが間違っているということではないでしょう。大まかにいえば、何も付かないか「と・に」が付く語は副詞的性格が強く、「な」が付く語は形容動詞的性格が強く、「の」が付く語は名詞的性格が強いと考えてよいと思います。
================引用終了

結局、個別に考えるしかないのでしょう。
個人的な語感では、「アホな人」と「アホの人」なら、「アホな人」です。
先行コメントにあるように、「アホな話」と「アホの話」だと違いがよくわかります。
「アホの話」は「アホ(な人)が言った話」もしくは「アホ(な人)についての話」でしょう。
「問題な日本語」と「問題の日本語」なら、「問題の日本語」です。「問題な日本語」には強い異和感があります。だからインパクトがあるのですが。


●●さん へ

下記にも書きましたが、書籍を丸写しして「参考文献」とうたうのは著作侵害ですよ。一部を勝手に書きかえるのは、丸写しですらなく改竄です。著者に失礼です。
しかも今回は肝心な箇所を外しているように見えますが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194937816
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「ある方」のコメントが著作権侵害か否か、丸写しか否か、改竄か否かは原本と見比べないとわからない。
 当方は原本をもっているので判断できる。
 ほぼ丸写しで改竄だろうね。必然的に著作権侵害になる。
 長々と入力するのは大変なので、一部だけ引用する……と思ったが、なぜか予想以上に大した作業ではないので最後までやってしまった。予想以上に原文どおりだったからだろう。
「17行分省略」の後ろは要約と言うよりリライトだろう。原文に比べてずっとわかりやすい。ただ、無断でわかりやすくリライトするってのは、著者に対してある意味イチバンホニャララな行為だと思う。
================引用開始
 「の」が付くか「な」が付くかは、まず付く語によって違いがあります(実際にはかなりゆれがあり、微妙なところがあります)。
  A「の」だけが付く
    都会の人 ニュースの時間 デパートの売り場
  B「な」だけが付く
    曖昧な態度 単純な作業 派手な洋服
    静かな午後 綺麗な海
  C「の」も「な」も付く
    ありがち の/な 話 底抜け の/な 明るさ
    格別 の/な 事情 小柄 の/な 人
    いろいろ の/な 問題 さまざま の/な 場合
 Aの「都会」「ニュース」「デパート」などは名詞であり、実体を表しています。それに対して、Bの「曖昧」「単純」「派手」「静か」「綺麗」などは形容動詞の語幹で、「態度」「作業」「洋服」などの実体が備えている属性(性質や情態)を表します。
 このように、実体を表すものには「の」が付き、性質や情態を表すものには「な」がつくという使い分けがあるのです。
 そしてCですが、「ありがち」「底抜け」「格別」「小柄」「いろいろ」「さまざま」などは、実体というよりは性質や情態の意味を持つものですから、〈B〉と同じく、「な」が付くのが自然です。その「話」が「ありがちな」属性を持っている、その「明るさ」が「底抜けな」属性を持っている、ということを表しているものです。
 それでは、「の」の付くのはどうしてでしょうか。「の」には「である」と言い換えられるような用法があります。Cの場合もそれで、「ありがちである話」「底抜けである明るさ」という意味で、「の」が使われているのです。

(以下17行分省略されている)

「の」と「な」で、意味がまったく違ってくるものがあります。たとえば「浮気の相手」と「浮気な相手」です。前者は〈自分の浮気の相手〉という意味であり、後者は「浮気っぽい相手。相手が浮気である〉という意味です。「やくざの商売」「やくざな商売」という対もあります。前者は〈やくざのやっている商売〉という意味、後者は〈いい加減で役に立たない商売〉という意味です。いずれの場合も、「の」は実体を表すものに付き、「な」は属性を表すものに付いているという違いです。
================引用終了


【20130425追記】
 こういうことがあったのに、なおかつ下記のような回答をするのは正気なのだろうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11106071821

引用のご作法──資料3-2

 下記の続き
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2805.html

 テーマサイトは下記。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1497990689

 それにしても、このリンク先の殺伐とした雰囲気はスゴいものがあるかも。
 さまざまなテーマで著作権侵害をしているから、ちょっと釘を刺した。
 当方のほうが先にコメントする例は少ないかも。なんせ相手の反応は早い。
================引用開始
過去の類似質問を見ると、『言葉に関する問答集 総集編』という本にも詳しく出ているそうです。正確な引用は下記をご参照ください。勝手な書きかえや要約は著作権侵害になりそうなのでリンクを張ります。
【エコなび日記】
http://plaza.rakuten.co.jp/econavi/diary/200811060000/
================引用終了

 フツーはここまで書かれたらこのテーマには近寄らないよな。と言うより、正常な感覚ならもうYahoo!知恵袋に近寄れないと思う。だって、アッチでもこっちでもホニャララ回答がバレてるんだもん。
 ところが感覚が尋常ではないから、さらに別な書き方をしてくる。これもどこかに書いてあったことを切り貼りしてるんだろうか? 
 相変わらず、小文字の「ヵ」と半角カナの「カ」の区別がついてないようだ。
 このあとも同様の質問が何度かあったが、さすがに寄ってこなくなった(黒笑)。
================引用開始
「ヶ月 」と「ヵ月」の違いは、ありません。現行のの国語施策として示されている「常用漢字表」「現代仮名遣い」によれば、「ヶ月 」は、「ケゲツ」と読み、「ヵ月」は「カゲツ」と読むことになり、「ヵ月」の方が標準的な表記ということになります。

...現行の国語施策として示されている「常用漢字表」「送り仮名の付け方」「現代仮名遣い」等は、当然のことながら、国民の言語生活全般を拘束するものではなく、また、それ以外のものが日本語としてすべて間違いであるとしているものではありません。しかし、社会生活を円滑に進めていくためには、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等の公共性の高い分野では、標準的な表記のための目安やよりどころを定めておく必要があるというのが、国語施策の趣旨です。

...最新の「常用漢字表」の〔音訓〕欄と〔例〕欄は、下記のとおりです。
...「箇」・・・・カ・・・・・・・箇条、箇所
...「個」・・・・コ・・・・・・・個人、個性、一個
...したがって、「常用漢字表」に従って忠実に表記すれば、「○箇月」、または仮名で「○か月」「○カ月」と書くことになります。戦後、公用文や教科書などでは「ヶ」を使わず、「か」を大きく書くことで統一されてきています。また、「文部科学省用字用語例」でも「○か月」と書くようになっています。

***以下は、『言葉に関する問答集』(文化庁編集)を参照***
...旧表記では「五ヶ所」「五ヶ条」のように、小さく「ヶ」と書かれていました。また、固有名詞の場合にも「駒ケ岳」「青ヶ島」のように書かれます。これらは、一般には、片仮名の「ヶ」を書いて、「カ」または「ガ」と読むのだと意識されていますが、本来、この「ヶ」は、片仮名ではなく、漢字の「个」(箇と同字)または「箇」のタケカンムリの一つを採ったものが符号的に用いられたものです。
...新聞では、社によって方針がまちまちで、平仮名の「か」を大きく書くもの、片仮名の「カ」を大きく書くもの、また「カ」を小さく書くもの等に分かれています。
...片仮名を使ったり、あるいは小さい活字を使ったりするのは、旧表記で「ヶ」を小さく書いていたことの影響が残っているのではないかと思われます。

薀蓄"小"魔王でした
================引用終了

 しかも、このあともチクチクと当方へのイヤミを含むコメントを書いている。
 そんなに恥を晒されたいならご希望にそいますが……。

 デアル体をデス・マス体に書きかえて丸々書き写し、「参考文献」とうたう行為が一般的にどう呼ばれるかわかっているのだろうか。
「本の表記のとおりに書け」なんて誰が書いたのだろう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11144992591/a357994556

引用のご作法──資料3


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194937816
「ある方」が[参考文献]としてあげた『言葉に関する問答集 総集編』(文化庁編集)の原文と思われるものがネット上にあった。これは[参考文献]なんだろうか。要約になっているのだろうか。
 なかでもヤバいのは下記の部分。意味不明か正反対の意味に見えるんですけど。
================引用開始
のように、単独で使う場合や複合語として用いられる場合に限られており、数詞に続いて使われるのが普通です。
================引用終了

「ある方」のコメント■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「全て"正解"」ではありませんが、間違いと断定することもできません。

...「常用漢字表」の音訓によれば、「箇」の音は「カ」(箇条、箇所)、「個」の音は「コ」(個人、個性、一個)となっています。
...当用漢字音訓表に「個」の音として掲げられているのは「コ」だけですから、それに従って書くとすれば、「箇条」「箇所」と書くべきです。
...ただし、国語審議会が昭和29年3月に報告した「当用漢字補正資料」によれば、「箇」の字を当用漢字表から削除し、そのかわりに「個」に「カ」という音を付け加えました。つまり、「個」で「箇」の代用をさせようとしたわけでする。この補正案は、単なる案にとどまって、従来の当用漢字の内容や、法令及び教育上の取扱いは、変更されませんでした。ところが、新聞界に限っては、昭和26年からこの補正案を紙面に採用することになり、各紙がいっせいに実施しました。そのため、新聞界では、「箇所」「箇条」と書かずに、「個所」「個条」のような用字法を採っているわけですが、実際の紙面では「個所」と「個条」の二語にしか用いず、「○個月」「○個国」「○個年」などは、すべて「○か月」「○カ国」「○か年」のように仮名表記を使っています。「個所」「個条」の場合でも、例えば、
......疑問の個所...工事個所...破損個所...一々の個条...各個条ごとに...個条書き
のように、単独で使う場合や複合語として用いられる場合に限られており、数詞に続いて使われるのが普通です。
...ところで、数詞に続けてモノを数えるときには、旧表記では「五ヶ所」「五ヶ条」のように小さく「ヶ」と書くことも行われました。また、固有名詞の場合にも「駒ヶ岳」「槍ヶ岳」「青ヶ島」のように書かれます。これらは、一般には、片仮名の「ヶ」を書いて、「カ」または「ガ」と読むのだと意識されているが、本来はそうではありません。この「ヶ」は片仮名ではなく、漢字の「个」(箇と同字)または「箇」のタケカンムリの一つを採ったものが符号的に用いられてきたものです。したがって、戦後の公用文や教科書などでは「ヶ」を使わず、「か」を大きく書くことで統一されてきています。新聞では、社によって方針がまちまちで、平仮名の「か」を大きく書くもの、片仮名の「カ」を大きく書くもの、また「カ」を小さく書くもの等に分かれています。片仮名を使ったり、あるいは小さい活字を使ったりするのは、旧表記で「ヶ」を小さく書いていたころの影響が残っているのでしょう。
...ところで、結論としては、漢字を使う場合は「箇」、仮名書きにする場合は、公用文や教科書のように平仮名の「か」を書くのが、現在のところ最も穏当な書き方と思われます。
...なお、「槍ヶ岳」「青ヶ島」のような固有名詞の場合は、その固有の書き方に従っていいわけです。ただし、「霞が関」「自由が丘」のように、住所表示の実施によって、表記の改められた例もあります。
[参考文献]『言葉に関する問答集 総集編』文化庁編集

回答日時:2012/10/3 11:15:22

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【エコなび日記】
http://plaza.rakuten.co.jp/econavi/diary/200811060000/
【ネタ元】と思われる記述■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「個」を常用漢字表外にカと読んでまで「個条書(き)」などとし、「箇」を不使用とすべきか
カテゴリ:PCソフト
標記は、'54年から新聞協会が決めた流儀です。

よい本が見つかりました。

文化庁編、言葉に関する問答集 総集編 新装版 (国立印刷局、2003、2005(新装版))
ISBN-10:4171960452
3,885円


政府刊行物ですので、ネット書店や一般書店では入手しづらいでしょう。

言葉に関する問答集 第1集('75)から第20集('94)までの全20集から集めたものです。古い文書ですから、出版から今日までの使われ方の変遷を考慮しなければならないことを前提にすれば、なかなか参考になる内容です。

「箇条書」、「箇所」についての解説は、第3集('77)の問46からのものです。

[問]「箇条書」とか「五箇所」とかいう場合、新聞によって「個条書」とか、「五個所」「五か所」「五カ所」「五ヵ所」と、さまざまな表記が行われているようだが、これはどういうわけか。
[答] 当用漢字音訓表に「個」の音として掲げられているのは「コ」だけであるから、それに従って書くとすれば、「箇条」「箇所」と書くべきである。ただし、国語審議会が昭和29年3月に報告した「当用漢字補正資料」によれば、「箇」の字を当用漢字表から削除し、そのかわりに「個」に「カ」という音を付け加えた。つまり、「個」で「箇」の代用をさせようとしたわけである。この補正案は、単なる案にとどまって、従来の当用漢字表の内容や、法令及び教育上の取扱いは、変更されなかった。ところが、新聞界に限っては、昭和29年4月からこの補正案を紙面に採用することになり、各紙がいっせいに実施した。そのため、新聞界では、「箇所」「箇条」と書かずに、「個所」「個条」のような用字法を採っているわけである。
 さて、新聞では補正案を採用したのにもかかわらず、実際の紙面では「個所」と「個条」の二語にしか用いず、「○個月」「○個国」「○個年」などは、すべて「○か月」「○ヵ国」「○か年」のように仮名表記を使っている。「個所」「個条」の場合でも、例えば、
  疑問の個所 工事個所 破損個所
  一々の個条 各個条ごと 個条書き
 のように、単独で使う場合や複合語として用いられる場合に限られており、数詞に続いて使われる場合は、仮名表記されるのが普通である。
 ところで、数詞に続けて物を数えるときには、旧表記では「五ヶ所」「五ヶ条」のように小さく「ヶ」と書くことも行われた。また、固有名詞の場合にも「駒ヶ岳」「槍ヶ岳」「青ヶ島」のように書かれる。これらは、一般には、片仮名の「ケ」をかいて、「カ」または「ガ」と読むのだと意識されているが、本来はそうではない。この「ケ」は片仮名ではなく、漢字の「个」(箇と同字)又は「箇」のタケカンムリの一つを採ったものが符号的に用いられてきたものである。したがって、戦後の公用文や教科書などでは「ケ」を使わず、「か」を大きく書くことで統一されてきている。新聞では、社によって方針がまちまちで、平仮名の「か」を大きく書くもの、片仮名の「カ」を大きく書くもの、また「ヵ」を小さく書くもの等に分かれている。片仮名を使ったり、あるいは小さい活字を使ったりするのは、旧表記で「ヶ」を小さく書いていたことの影が残っているのだろう。
 ところで、結論としては、漢字を使う場合は「箇」、仮名書きにする場合は、公用文や教科書のように平仮名の「か」を書くのが、現在のところ最も穏当な書き方と思われる。なお、「槍ヶ岳」「青ヶ島」のような固有名詞の場合は、その固有の書き方に従っていいわけである。ただし、「霞が関」「自由が丘」のように、住居表示の実施によって、表記の改められた例もある。
(3―46)
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【引用のご作法──資料2 】「建築」と「建設」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194854056
 すでに削除されているが、「ある方」が下記のコメントを書いた。これは著作権侵害にならないのだろうか。

「ある方」のコメント■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
どちらも、「建物などを造る」という共通した意味があります。

「建設」は、大きな建物や道路、堤防、橋などを造る場合にいいます。また、「国家を建設する」のように、組織、機構などを新たに作ることの意味もあります。

「建築」は、建物一般についてそれを造ることにいいますが、小屋のように、あまり小さくて簡単すぎるものについては用いられません。また、「木造建築」のように、造られた物についてもいいます。


..........建設する...建築する
ビルを…....○..........○
ダムを…....○..........-
寺院を…....△..........○
道路を…....○..........-

違反報告
回答日時:2012/9/29 16:37:10

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 この形式には見覚えがあった。アンマリなので確認のうえ、当方が下記のコメントを入れた。
【tobiクンのコメント】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
建築と建設の違い。

どちらも「建物などを造る」の意味ですが、細かい部分で違いがあります。

詳しくは下記をご参照ください。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/6217/m0u/%E5%BB%BA%E8%A8%AD/

================================引用開始
建てる(たてる)/建設(けんせつ)/建築(けんちく)/建造(けんぞう)/築造(ちくぞう)
造営(ぞうえい) 建立(こんりゅう) 新築(しんちく) 普請(ふしん)

[共通する意味]
★建物などを造る。
[英]
to construct; to build
[使い方]
〔建てる〕(タ下一)▽家を建てる▽銅像を建てる▽墓を建てる
〔建設〕スル▽住宅を建設する▽建設業▽建設工事
〔建築〕スル▽新館の建築が始まる▽建築家
〔建造〕スル▽鉄橋の建造▽建造物
〔築造〕スル▽堤防を築造する
[使い分け]
【1】「建てる」は、建物のほか、銅像や墓などを地上に起き上がらせた状態に造る意。したがって、「地下室を建てる」とはいうことができない。また、大規模なものから小屋のように小さなものに至るまで、ごく普通に用いることができる。
【2】「建設」は、大きな建物や道路、堤防、橋などを造る場合にいう。また、「国家を建設する」のように、組織、機構などを新たに作ることの意もある。
【3】「建築」は、建物一般についてそれを造ることにいうが、小屋のように、あまり小さくて簡単すぎるものについては用いられない。また、「木造建築」のように、造られた物についてもいう。
【4】「建造」は、船や公共の建物など、特に大きなものを造る場合にいう。
【5】「築造」は、建物や堤防など堅固なものを造る場合に用いられるが、あまり一般的な言い方ではない。
[関連語]
◆(造営)スル 神社、寺院、宮殿などをつくること。「寺院を造営する」「本殿を造営する」
◆(建立)スル 寺院、堂塔などをつくること。「寺院を建立する」
◆(新築)スル 新しく建築すること。また、その建物。「新築の家に住む」「自宅を新築する」「新築祝い」
◆(普請)スル 家屋を建てたり修理したりすること。また、その工事。「家を普請する」「安普請(やすぶしん)」

[対比表]
↓参照
================================引用終了

Yahoo!知恵袋にも同様の質問が多数あります。ご参照ください。
http://chiebukuro.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%BB%BA%E7%AF%89%E3%80%80%E5%BB%BA%E8%A8%AD&flg=3&class=1&UTF-8=ei&fr=common-navi&dnum=2078297843




回答日時:2012/9/29 17:50:50 編集日時:2012/9/29 17:51:50

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 すると、「ある方」はコメントを差しかえた。
 新たに書き起こしたとは考えにくいほどありえないスピードで、まったく違うコメントを書いた(そうか。差しかえだから最初の回答日時も生きるのね)。どこかに【ネタ元】があると感じて調べたらすぐに出てきた。これは著作権侵害にならないのだろうか。要約と言えるのだろうか。

「ある方」の差しかえコメント■■■■■■■■■■■■■■■■■■
どちらも、「建物などを造る」という共通した意味があります。

「建設」(construction)は、大きな建物や道路、堤防、橋などを造る場合にいいます。建築物や、道路や橋といった土木作業による構造物を作ることを指しています。また、「国家を建設する」のように、組織、機構などを新たに作ることの意味もあります。

「建築」(architecture)は、建物一般についてそれを造ることにいいますが、小屋のように、あまり小さくて簡単すぎるものについては用いられません。また、「木造建築」のように、造られた物についてもいいます。 建築基準法によると、「建築物を新築し、増築し、改築し、または移転すること」と定義付けられています。
具体的には、活動空間を持つ構造物を、計画から設計、施行、使用に至るまでの過程を指しており、ときにはそうして作られた構造物そのもののことを指すこともあります。

また、基本的には「建設」は、建築や土木などの分野や、その他林業や造園、海洋分野、その他の分野などを含んでいる言葉です。建設の中の一分野として建築があるという建設の中に建築も含みます。建設の方がはるかに大きなモノをつくるということです。建築は、住居や建物をつくる際にのみ、使用します。
「建設」と「建築」を比較すると、確かに建設の方が広範囲にわたって、「大きな構造物を建てる」という意味合いを含んでいますが、「建築」は、その建てるということに芸術的要素が添加されているというイメージがあります。各建築物に対する芸術的観点からの賞はありますが、建設に関しては表彰される賞はありません。

もともと、「建築」という言葉が日本で使われるようになったのは、明治時代に開国によって入ってきた“architecture”という単語を訳す際に、伊東忠太氏が、工学としてではなく、建設の総合芸術として「建築」という言葉を作成したというところから、既に建築という言葉の持つ芸術的な要素が高いというイメージが含まれていました。
しかし現在、建設と建築の区別がよくわからなくなるのは、建築という言葉が建設と同じように使われていることが大きな要因かと思われます。

回答日時:2012/9/29 16:37:10 編集日時:2012/9/29 20:42:29
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【建設と建築に基礎知識】
http://www.teifiriverstrust.org/
【ネタ元】と思われるサイト■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
建築とは
まず建築とは、英語でいうとarchitectureであり、建築基準法によると、「建築物を新築し、増築し、改築し、または移転すること」と定義付けられています。

具体的には、活動空間を持つ構造物を、計画から設計、施行、使用に至るまでの過程を指しており、時にはそうして作られた構造物そのもののことをさすこともあります。

一方で、建設とは、英語でいうとconstructionであり、これは建築物や、道路や橋といった土木作業による構造物を作ることをさしています。

基本的には建設は、建築や土木などの分野や、その他林業や造園、海洋分野、その他の分野などを含んでいる言葉で、建設の中の一分野として建築があるという認識で、ほぼ間違いがないという感じです。

建設は、「建設的に物事を進める」など、積極的かつ能動的に物事を進めるという意味合いも含んでいます。

建設と建築を比較してみると、確かに建設の方が広範囲にわたって、「大きな構造物を建てる」という意味合いを含んでいますが、建築は、その建てるということに芸術的要素が添加されているというイメージがあります。

各建築物に対する芸術的観点からの賞はありますが、建設に関しては表彰される賞はありません。

もともと、建築という言葉が日本で使われるようになったのは、明治時代に開国によって入ってきたarchitectureという単語を訳す際に、伊東忠太氏が、工学としてではなく、建設の総合芸術として建築という言葉を作成したというところから、既に建築という言葉の持つ芸術的な要素が高いというイメージが含まれていました。

しかし現在、建設と建築の区別がよくわからなくなるのは、建築という言葉が建設と同じように使われていることが大きな要因かと思われます。

実際のところ、高校の建設科や大学の建設学科では、学ぶことの多くは土木についてのものが多く、もともとは土木科だったものが、名称変更をして建設科になったというものがほとんどです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■引用終了

引用のご作法──資料1

 あんまり気は進まないが、忘れてしまいそうなんで、記録を残しておく。
 最初に疑問を感じたのはたしか下記のとき。
【以後」と「以降」の違い Yahoo!知恵袋〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1865101822&owner_id=5019671

 過去のベストアンサーとある方のコメントが酷似していた(後の例と比べると、これはまだ微妙な気もする)。「過去のベストアンサー」はたぶん無断引用。「ある方のコメント」が要約なのかホニャララなのかは原文がわからないので不明。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1282912477
「過去のベストアンサー」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「以後」も「以降」も、基準となる時点を含むことでは同じ用い方になる。

しかし、「後」が「のち」という名詞であるのに対し、「降」の方は「くだる」
という動詞の意味を持っている。
そのため、「以後」はその時点を含んでそのあとに続く部分を名詞的に捉える
のに対し、「以降」はそれを動詞的にとらえるところが異なっている。
「以後」はそれよりあとの時代・時点という立場での区切りとなるのに対し、
「以降」はそれよりあとに特定の事柄が継続して行われる場合に用いられる。

また、「以後」と「以降」は文法的な用法に異動が見られることも注意を要する。
たとえば、「以後」には「今後」の意味で「以後、気をつけなさい」のような
独立した用法がある。そのあとの状態が継続することから考えれば「以降」の
方が適しているように思えるが、「以降、気をつけなさい」のような用法はない。
この点では、この「以後」も単に「今まで」と「これから」を区切るだけの副詞
と考えるべきである。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1492037479
「ある方のコメント」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「以後」と「以降」

...「以」がつくときの意味は、「以上・以下」などのように、基準となるものを含むことになります。「4月以後」も「4月以降」も、「4月」という基準になる時点を含むことでは、同じ使い方になります。しかし、「後」が「のち」という名詞であるのに対し、「降」のほうは「くだる」という動詞の意味を持っています。
...以後・・・「4月以後の大事故」「4月以後の募集」
...以降・・・「4月以降の交通事故」「4月以降の警戒態勢」

...「以後」は、それよりあとの時点・時期・時代という立場での区切りになるのに対し、「以降」の方は、それよりあとに特定の事柄が継続して行われる場合です。「以後」と「以降」の意味にこのような違いがみられるのも、名詞的の「後」と動詞的の「降」の持つ基本的な意味の違いによるといえます。
...したがって、「以後」の場合はその事柄が1回だけであっても差支えありませんが、「以降」の方は、その事柄が継続して行われる場合の使い方になります。

...また、「以後」と「以降」の使い分けについては、文法的な用い方に異なる点が見られます。両者とも名詞に付いて接尾語のように用いられますが、「以後」には、「以後、気をつけなさい」のような独立した使い方があります。この場合は、そのあと同じ状態が継続することから考えれば「以降」の方が適しているように思われますが、「以降」にはそのような用法はありません。
...その点では、この副詞的な「以後」も、「以降」のような継続性を示すわけではなく、単に「今まで」と「これから」とを区切るだけの副詞と考えるべきです。

【参考文献】文化庁編集「言葉に関する問答集 総集編」P316~317より
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