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電脳の譜 4

電脳の譜【1】
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電脳の譜【2】
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電脳の譜【3】
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電脳の譜【4】
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電脳の譜【5】
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電脳の譜【6】
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【4】3回戦 サークラ対新崎修八段(1組5位)

 サークラの3回戦の相手は、「埴生世代」の新崎修八段だった。第一線で活躍を続ける「埴生世代」のなかではやや精彩を欠く印象があり、かつてはA級に在籍していた順位戦も、現在はB級2組に甘んじている。
 長年名人位を争っている埴生名人と木内九段が、小学生名人を争って以来のライバルという話は広く知られている。しかし、実はそれより先に埴生名人のライバルだったのは新崎八段で、「小学生名人戦低学年の部」の決勝で対局している。優勝したのは、この段階では棋力が上だった新崎少年だった。埴生少年が小学生の将棋大会で活躍するようになったのは、新崎少年がひと足早く奨励会に入って大会に出場しなくなってからのことだ。
 埴生少年が後から奨励会入りし、異例のスピードでプロになったことに、新崎少年はショックを受けたという。「自分より下」と考えていた相手に、あっという間に抜き去られたのだから無理もない。
 奨励会時代の新崎少年は、お世辞にも勤勉とはいえなかった。そこそこ将棋の研究もしながら、中学生の頃から雀荘や飲み屋に入り浸り、中学校すらまともに卒業しなかった。
 それでも才能がズバ抜けていたのだろう。そこそこの研究でもプロ棋士になり、20歳のときにはテレビ棋戦で優勝して脚光を浴びている。「埴生世代」のなかで全棋士参加棋戦で優勝したのは、埴生、木内に次いで3番目の早さだった。
 当時、ひそかに新崎に注目していた森山は、このあたりのことをよく覚えていた。
〈もし新崎八段が将棋しか取り柄のない人間だったら……〉
 そんなふうに思うこともあった。新崎は若手の頃からあまりにも多才だった。軽妙洒脱な話術はテレビの将棋番組でコーナーをもつほどだったし、多数の将棋の本以外にエッセイ集なども出版していた。ギャンブル好きも広く知られ、「将棋よりも好き」と公言する麻雀では、プロアマオープンの大会で優勝したこともあった。そのマルチタレントぶりは、師匠の米中永世棋聖にヒケをとらないといわれ、一部では、凌駕しているという声さえあった。
──兄たちは頭が悪いから東大に行った。自分は頭がいいから将棋指しになった。
 数多い米中語録のなかでも、最も知られているのはこの言葉だろう。少し考えれば、誇張などではないことがわかる。全国からプロ棋士を目指して奨励会に入ってくるのは、地元では神童扱いされる天才少年ばかりなのだ。早い者は小学生のときから将棋漬けの日々を送って過酷な競争を続ける。究極の英才教育で鎬を削り、プロ棋士になれるのは1年にたった2人だけ。東大に入るのとどちらが難関なのかは明らかだった。
 新崎少年は、そんな天才少年のなかでもひときわ有望な原石だった。しかし、いつしか輝きを失っていく。どこでボタンを掛け違えたのか、どこで歯車が狂いはじめたのか……おそらくそれを一番知りたいのは本人だろう。
 順位戦で3期連続昇級を果たし、30歳を前に念願のA級入りして八段に昇段したが、2期でB級1組に降級する。このあたりから、新崎八段は目立った活躍がなくなる。まだ衰える年齢ではないのに、年度別の成績で見ても5割前後の勝率しか残せなくなった。昨年1組にカムバックした棋神戦で5位に入賞し、本戦に進んだのは久しぶりのことだった。
 白髪まじりですっかり中年の風貌になった新崎八段は、どこか昔の棋士の香りを残していた。「最後の無頼派」などと呼ばれるのも、そういう雰囲気のせいなのだろう。

 大盤解説会場のモニターに対局室の新崎八段の様子が映し出されると、会場は一瞬異様な静けさに包まれたあと、ざわめきが広がった。新崎八段は頭を剃っていた。棋士の正装ともいえる和服姿なので、スキンヘッドというよりも「剃髪」という古風ないい方が似合いそうだった。2回戦の船井五段のやつれ果てた姿も見る者に衝撃を与えたが、新崎八段の異様な出で立ちのインパクトは、はるかに上を行った。
 対局が始まる。先手のサークラが7六歩とすると、新崎八段は少考して6二玉と上がった。落ち着きを取り戻しかけていた会場に、再びざわめきが広がる。前年の第1回電王戦で、米中永世棋聖がとった作戦だった。
「これは、意外な手が出ました……」
 と言って和田棋神が言葉に詰まった。「昨年、米中永世棋聖が将棋ソフト戦用の秘策として指した一着で、新米中玉などと呼ばれる形です。この手は……ひとことでいうと、定跡を外した一手なんですが、いい作戦かどうかはなんともいえなくて……解説不能です」
 和田棋神らしくない歯切れの悪い口調だった。いつもは、少し考えたあとにむしろ早口気味に言葉が出てくる。
「ちょっとよろしいでしょうか」
 森山が珍しく自分から手をあげた。「昨年の電王戦は観戦していなくて、結果をあとから聞きました。米中永世棋聖が初手に6二玉と指したと知ったとき、たいへん失礼とは思いながら、なんてバカなことを、と思いました。駒落ち将棋の上手の指し方にしか見えなかったもので。端的にいうと、将棋ソフトを見下してかかって、余裕を見せたのじゃないか、と疑いました。そんな態度に出て負けたのではシャレになりません。実際には、米中永世棋聖は将棋ソフトの実力を知った上で、考え抜いた作戦としてああ指したと知って安心しました。ただ、はたしてあれが作戦としてよかったのか、もちろん私には不明です」
 事前に将棋ソフトとの練習将棋を重ねたうえで、最も勝てる可能性が高い手として米中永世棋聖は6二玉を選んでいた。将棋ソフトのデータベースにない手を指すことによって、泥仕合に引きずり込む作戦だった。しかし、それは「正攻法では勝てない」と認めたことになりかねなかった。計算ずくの作戦だったが、異様に見える指し方を「奇策」「愚策」と批判したメディアもあった。将棋をよく知らない記者のなかには、「晩節を汚した」と書いた者までいた。
「そうですね……普通に考えると6二玉は平手戦ではめったに見ない手で、将棋ソフトとの戦いに限って可能性がある手……と言っておきましょうか」
「話が前後して申し訳ありませんが、2回戦のサークラ対船井竜平五段戦に関してお訊きしたいのですが……」
「もしかすると、類似局があったことでしょうか」
「お察しのとおりです。一部のメディアで、あの終盤にはよく似た前例があったと話題になっていたようですが……」
「こういう類似局の発見はコンピューターが得意なんですが、これは控室で観戦中の伊藤康光九段が気づいたそうです。問題の類似局は、1988年の順位戦で後手の埴生名人が勝った対局です。その対局は角換わりではなく矢倉の将棋でしたが、終盤の形はほぼ同じでした。当時五段だった埴生名人が大逆転したことで、〝埴生マジック〟の初期の名局として伊藤九段は覚えていたそうです。それにしても25年前の対局ですよ。自分で指した将棋なら別ですけど……いったいどんな記憶力をしてるんでしょうね」
「プロ棋士の先生方の記憶力のことを疑問に思うのは、ずいぶん昔にやめました」
 と森山がおかしそうに言う。「一般人から見ると、どんな記憶力をしているのか不思議な人ばかりですから」
「先日の一局にしても昔の埴生五段の対局にしても、もしかすると大逆転ではないのかもしれません。いったいどのくらい前から、2八飛車以降の一連の手順が見えていたのか。もしずっと前から読めていたのなら、〝大逆転〟ではなく、単なる〝読み筋〟になります。埴生五段の指した手順が、サークラのデータベースに入っていたんですかね。このあたりは、開発者に訊けばわかるのでしょうか」
 話しながら、和田棋神は大盤の駒を手早く動かして後手が2八飛車を打つ直前の局面をつくった。
「そうですね……仮に〝次の一手〟の問題として出されたら、無理矢理ひねり出すかもしれません。逆転の一手が必ずある、という前提で考えますから」
 と言いながら、2八に何度か飛車を打ち付けた。「でも実戦ではこんな手は思いつきません。もう投了してもおかしくない局面です。少なくとも……ボクにはこの局面で2八飛車は打てません。角に成られるとほぼ受けなしですから、一番ダメな手に見えます。かといってほかにどんな手があるかというと……」
 角が成った局面を前にして、和田棋神は腕組みをしてしばらくの間考え込んだ。
「やはり普通は思いつきません。こんな手が指せたら気持ちがいいでしょうね。ギリギリまで引きつけて、鮮やかなカウンターが決まるみたいで。普通はここまで追いつめられる前になんとかしようとします。ここまで行ってしまったら……諦めます」
 和田棋神は盤面を崩し、解説の局面に戻した。
 ゆっくりとした序盤は、見慣れない形になっていた。振り飛車に構えた先手は普通の駒組みだったが、後手の金銀がスクラムを組むような形で盛り上がっている。
「やはり駒落ち将棋にしか見えませんね」
 と言って和田棋神は苦笑した。「誤解しているかたが多いようなので解説しておきますが、こういう将棋……全面的なおさえ込みを図る将棋は、メチャクチャにたいへんなんです。攻略するほうは一点だけ隙を見つけて突破すればいいのですが、おさえ込むほうはすべてをケアしなければなりません。苦労の多い将棋、といえるかもしれません。おさえ込みに成功すると、圧勝します。逆におさえ込みに失敗すると、たいてい一方的に負けます。結果は大きく違いますが、実際には紙一重なんです。昨年の対局も米中永世棋聖が大差で負けたと思っている人が多いようです。実際には、中盤までは米中永世棋聖のほうが優勢でした。ただ、たった一手のミスでほころびが生じて、負けてしまったということです。その一手のミスを見逃さなかった将棋ソフトはさすがでした」
 このとき、会場に棋譜が届けられた。和田棋神は口元を抑えてスタッフと小声で打ち合わせをした。
「たったいま、昨年の電王戦の棋譜が届きました。これから棋譜の解説をしようと思いましたが、同じ〝おさえ込み〟がテーマなら、先日の武浦八段とサークラの将棋のほうの解説を聞きたい人が多いのではないかと思うのですが。こちらも棋譜が用意されています。先ほど、せっかく取り寄せた棋譜をムダにしてもいいと運営側の許可はいただきましたので……多数決で決めますか、藤野さん」
「そうしましょうか」
 藤野女流初段が笑顔でこたえた。
 拍手による多数決をとると、武浦八段とサークラの一戦の解説を希望する人が圧倒的に多かった。戦形が一般的な相矢倉であり、何よりも記憶に新しい一局のほうが人気が高いのは当然のことだった。
「といっても、この将棋もさんざんメディアで取り上げられているので、皆さんのほうが詳しいかもしれません。あまり時間もないんでホントにポイントだけ」
 和田棋神は例によって大急ぎでしかけの局面を再現した。
「ここまでは定跡どおりで、この7五歩のしかけから8四銀というのは、ありそうでなかった手順です。持ち時間の短い実戦でこんな手を指されたら相当焦ります。これで有力な対抗策がないなら、新定跡になるんでしょうかね。少し無理気味って気がしますが。対して武浦八段がおさえ込みの方針に出ます。この方針は間違っていないと思いますが、なにしろサークラが巧みでした。ボクが一番驚いたのは、66手目のこの7四歩から6四歩のあたりですね。こんな細い攻めでうまく行くのだろうか、と思っていたらうまく行ってしまいました」
「細い攻めをつなぐ……というのは、和田先生の代名詞だと思ってましたが……」
 藤野女流初段が遠慮がちにツッコミを入れる。
「そんなふうにいう人もいるようです。ボクだってそういう貧乏くさい攻めが好きなわけではなく、豪快に大駒をたたき切って、って攻めをすることもあるんですけど。まあ、どちらかというと細い攻めをネチネチと貧乏くさくつなぐことが多いですね」
 と言って和田棋神が苦笑いを浮かべた。
「その和田先生が驚くんですから、相当すごい技術なんですね」
 と言って藤野女流初段も笑う。話をしながら、局面は進んでいく。
「厳密にいうと、武浦八段にも小さなミスがあったと思います。おそらく、ここで7五金と上がるよりは、8六の銀が7五に上がるほうがよかったでしょう。ただ、これが決定的なミスとは思えません。小さなミスがいくつかあったにせよ、とにかくサークラの対応が正確で、ほぼノーミスだったと思います。経験のない戦形で、こういう対応をされると、かなり厳しいものがあります」
 解説を挟みながら投了までの手順を並べて、和田棋神は小さく首を振った。
「最後は非常に残念な形で終わりました。ただ、先ほどもお話ししたように、こういう将棋は勝つにしても負けるにしても大差になるものなんです。この一局について〝王手さえかけられない惨敗〟みたいなことを書いていた週刊誌がありましたが、そういうことではないんです。あれは将棋をあまりよく知らない人が書いたんでしょうね。同じプロ棋士として、ああいう書き方はちょっと許せないものがあります」
 観客席から大きな拍手が起き、和田棋神は照れたような笑いを浮かべた。
「済みません。ちょっと熱くなってしまいました。電王戦に関しては、将棋の専門誌以外のメディアがいろいろ取り上げてくれて……そのこと自体はありがたいのですが、将棋に対する理解不足の記事が目についたもので。まあ、いずれにしても、苦労が多い方針なので、将棋ソフトを相手におさえ込みに行くのは危険って気がします」
「じゃあ、先生ならサークラ相手にどう指しますか?」
「いきなり直球ど真ん中の質問ですね……」
 和田棋神の苦笑まじりの言葉に笑いが起きた。「詳しいことは企業機密なので話せませんが……以前、ボクが将棋ソフトと対局したときは、相手が飛車を振ってくれたので、きわめて普通の定跡どおりの駒組みになりました。もし、相手が居飛車で来たら……現段階の予定では、矢倉は避けるのではないかと思います」
 と言いながら、和田棋神は盤面を初形に戻しはじめた。「と……さりげなく話を逸らすモードに出たりして」
「ここはあえてツッコみます。サークラの矢倉は手ごわいとお考えなのでしょうか」
「いやその……もっと研究してみないとなんともいえませんが、矢倉戦に関してはまだ隠し球をいくつかもっている気がします。だとすると、ウカツには踏み込めないような……。先手番の矢倉なら避ける理由はないと考えていたのですが、武浦八段との対局を見て弱気になっています。その点、角換わりだと飛車先の歩を無条件で切らせてくれるんですから、こちらを選ぶべきでしょう」
「そういえば、今年の名人戦で指された矢倉戦の新手も、最初に指したのは将棋ソフトだったと聞きましたが……」
「いやまあ、そのあたりは研究されている途中なので、話しはじめると長くなります……ということで、解説に戻りましょう」

 戦いは中盤にさしかかっていた。
 見たこともないような将棋で、どこに注目すべきか森山にはさっぱりわからなかった。後手の駒が前進を続け、全局を圧倒しているようにも見える。しかし、低く構えた先手陣は、多少息苦しさを感じながらも隙がなかった。意味のないパスのような手順をまじえながら、互いに戦機をうかがっていた。
 森山はモニター越しに新崎八段を注視していた。普段は笑みを絶やさず人のよさそうな顔をしているが、将棋盤に向かうと人がかわる。今日は一段と表情が険しく見えるのは、スキンヘッドのせいだけではないだろう。
 和服の正装にしても青々と剃り上げた頭にしても、師匠の弔い合戦に臨む決意を示しているような気がした。昔、名人初挑戦に際して頭を剃った棋士がいた。主として威嚇が目的といわれたが、コンピューターが相手だとそんな効果はない。純粋に新崎八段の決意を表わしているように思えた。しかも、あえて師匠と同じ異筋の6二玉を指して将棋ソフトという怪物に立ち向かう。
 米中永世棋聖が放任主義だったのをいいことに、新崎八段は好き勝手な棋士生活を送ってきたようにいわれている。だが、師匠と弟子は、第三者にはうかがいしれない絆で結ばれているのではないか。
〈将棋の神様の思し召しなのでは……〉
 サークラの棋神戦参戦が決まったとき、森山はそんなふうに思った。
 米中永世棋聖が最後の晴れ舞台として選んだ将棋ソフトとの戦い。それは「汚れ役を買って出た」とも「最悪のパフォーマンス」ともいわれた。翌年の電王戦を経て、サークラが棋神戦に参加する。久々の本戦出場を果たした新崎八段にとって、師匠の無念を晴らすのにこれ以上の舞台はなかった。
 それまでにほかの棋士が勝ってくれることを願いながら、森山はサークラと新崎八段との一戦が見たかった。輝きを取り戻した新崎八段の姿が見たかった。サークラは若手棋士を薙ぎ倒し、新崎八段の前に姿を現わした。あとは将棋の神様に祈るしかなかった。
 だが、新崎八段の想いも、森山の祈りも、一瞬で打ち砕かれた。
 長い中盤戦が続く中、慎重な駒組みを続けていた新崎八段が、小さな隙を見せた。それは、隙というほどでもないほんのわずかなほころびだったのかもしれないが、サークラは見逃さなかった。巧みにそこをつき、五手一組の有無をいわさぬ鮮やかな手筋で突破口を開いてしまった。
 あとは和田棋神が解説していたとおりだった。おさえ込みに失敗した将棋は、勝負どころもないままサークラが一方的に押し切った。





竜王戦 三浦弘之 佐藤慎一 塚田泰明 米長邦雄 阿部光瑠 船江恒平 羽生善治 渡辺明 佐藤康光 森内俊之 先崎学 郷田真隆 丸山忠之 藤井猛 谷川浩司 藤田綾 渡邉恒雄 ナベツネ 藤井システム 大山康晴 升田幸三 
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電脳の譜 3

【3】2回戦 サークラ対船井竜平五段(4組優勝)

 2回戦でサークラを迎え撃つのは、電王戦で中堅を務めた船井竜平五段だった。1回戦に続いて電王戦に参戦した若手棋士が登場するのは、偶然というより必然だった。電王戦にも起用された精鋭が、棋神戦でも勝ち上がってきていた。
 一部の将棋のファン間では、電王戦でポイントゲッターとして一番期待できるのは船井五段といわれていた。現役A級棋士の武浦八段は別格として、ほかの棋士のなかではもっとも勝利に近いのでは……と。
 25歳の船井五段は奨励会時代が長かったために、プロ入りしたのが23歳と遅かった。しかし、五段ではあってもそれ以上の棋力をもつといわれ、とくに詰将棋の正確さはトップクラスと定評があった。段位以上に棋士の強さを正確に表わすとされるレーティングの数字で見ると、船井五段の順位は30位前後を推移し、「若手」というよりトップクラスまでもう一歩という位置だった。
 船井五段の対戦相手の将棋ソフトの知名度が低かったことも影響した。サークラの強さは将棋ファンの間でも知られていたが、それ以外のソフトはさほどでもない、という印象があった。船井五段が惜敗したことで、「もしかすると武浦八段も危ないのでは……」というイヤな雰囲気が出来上がり、それが現実になってしまった。
 今回の対局は、船井五段にとっては絶好のリベンジマッチだった。

 大盤解説会場のモニターに対局室の船井五段の様子が映し出させると、会場がざわつき、「ワラワラ動画」の実況中継のコメント欄にも驚きのコメントがあふれた。
 精悍な印象があった船井五段の風貌が、別人のようだった。目は落ちくぼみ、頬はげっそりと削げて重病人のようで、テニス好きのスポーツマンの面影はなかった。
 電王戦の敗戦から約3か月、船井五段は対局と睡眠以外の時間はほぼ将棋ソフトの研究に没頭した。将棋ソフトとの再戦を誰よりも熱望していたのは、船井五段だった。約1か月前にサークラを貸与されてからはさらに睡眠時間を削り、自由になる時間のほとんどを研究に費やした。これほど将棋漬けの日々を送ったのは、四段になる直前以来だった。
 対局が始まると船井五段は異常なまでの早指しを見せ、ほとんど考慮時間を使わなかった。少考を繰り返すようにプログラムされているサークラとは考慮時間に差が出て、序盤で1時間ほど開いた。棋神戦の持ち時間は各5時間で電王戦よりも1時間長いが、電王戦で終盤に時間がなくなった苦い経験を活かした作戦だった。十分な研究を積んできた証しでもある。
 局面は電王戦と同じ角換わりになった。先手の船井五段だけが飛車先の歩を交換し、やや有利な形勢に見えた。
「なぜ将棋ソフトが無条件で飛車先の歩の交換を許すのか、ボクには理解できません。ぜひ将棋ソフトに訊いてみたいところですが、答えてくれないでしょうね」
 と、和田棋神が首を傾げる。「もし角換わりは飛車先の歩を交換したら不利、なんてことになったら、数百年続いた将棋の常識がひっくり返ります。昔から、飛車先の歩交換に3つの利あり、なんていいます。藤野さんは、3つともわかりますか」
 いきなり話を振られ、藤野女流初段が戸惑いを見せる。
「えーと。ひとつは一歩を手持ちにできること。ひとつは、飛車が敵陣に直射すること。もうひとつは……なんでしたっけ」
「実はもうひとつはボクもわかりません」
 と言って和田棋神が会場の笑いを誘う。「攻め駒の自由度が高まるとか、相手の金が角頭の守りに釘づけになるとか、いろいろ言われますが、なんなんでしょう。一番大きいのは、自分だけ得したようで気分がいいことではないかと……」
 会場に爆笑が起こった。
「そろそろ森山先生の質問タイムに移りたいと思いますが、何かございますか」
 和田棋神が、最前列の森山に問いかける。
「最大の疑問は……無条件で飛車先の歩の交換を許す点を含めて、将棋ソフト独特の序盤感覚がどこから来ているのか、ってことです。1回戦にしても、プロ棋士の判断では、序盤は矢部四段戦のほうが形勢がよかったはずです。ところが、将棋ソフトはそうは考えないようです。そのせいなのか、違う将棋ソフトなのに、指し手が似ている気がしました」
「そうですね……たしかに似ていました。プロ棋士側は、これで悪いわけがないと思っているので、手をかえる理由はない。そうなると、必然的に同じような局面になります。矢部四段戦ではサークラが電王戦のしかけを見送って王を固めました」
 と言って、和田棋戦はやや上方に目をやった。「あれがうまい作戦でしたね。じっくり王を固めて、最高のタイミングでしかけました。局後のインタビューで、矢部四段が嘆いていたのがわかります」
「もうひとつの質問は、その矢部四段のコメントに関してなんです。和田棋神は、サークラの進化を感じましたか?」
 局後、矢部四段はショックを隠しきれない様子で途切れがちに語った。矢部四段が研究に使ったサークラは、電王戦と似た手順で攻めてきた。その対応策は十分に練ってきたのに、本番でサークラはまったく違う順を選んだ。そのほかにも、研究に使ったサークラよりも、はるかに読みが深いと感じた。
──サークラは、たった1か月の間に、とてつもなく、進化していました。
 矢部四段が絞り出すように語ったこの言葉に、森山は衝撃を受けた。本当にそんな短期間で進化を遂げるのなら、どこまで強くなるのか見当がつかなかった。研究で使った将棋ソフトは単体のコンピューターで動かしている。本番のサークラは、数百台のコンピューターを接続している。その分、計算速度が段違いに速くなるが、そのことと棋力向上は少し別の話のはずだった。
「そうですね……サークラの貸与を受けたのは1か月前でも、実際にはもう少し前のバージョンのはずです。仮に2か月のタイムラグがあったとして、どの程度の進化が可能なのかは、開発者に訊かないとわかりません。たぶん訊いたとしても、どの程度なのかを具体的に示すことはできないでしょう。その2か月の間に、新しい棋譜をどの程度インプットしたのかが問題です。おそらく、電王戦の棋譜はインプットしたはずです。対局日までに、プロの公式戦で角換わりの将棋が何局あって、そのうち何局をインプットしたのか、それによってどの程度進化するのか……なんだか雲をつかむような話です」
 和田棋神は、しばらく考えたあと、口を開いた。「元々電王戦で矢部四段の対戦したソフトよりも、サークラが格上とされています。しかし、矢部四段はずいぶん研究していたようです。あれほど驚いたのですから、進化を感じさせる何かがあったのでしょう。いまはその程度のことしかいえません。船井五段の指し手が早いので、局面が進んでいるようです。解説に戻ってよろしいでしょうか」
「ありがとうございます。解説をお願いします」
 指し手は40手を過ぎ、中盤に入っていた。電王戦のときはすでに将棋ソフトがしかけていたが、今日はじっくりした駒組みが続いていた。
「といってたら、さすがに船井五段のペースが落ちてきましたね。この間に、大急ぎで電王戦の船井五段の棋譜を振り返ってみましょうか」
 会場に大きな拍手が起きた。
 時間がないことを意識してか、初形に戻した和田棋神はものすごいスピードで駒を動かしていった。棋譜を確認している藤野女流初段が訂正を入れたのは1か所だけで、あとは正確に実際の指し手をなぞった。
 強引なしかけから数手目で、和田棋神の手が止まる。
「この6六角が、この将棋のひとつ目のポイントでした。これはさすがにムチャで、うまく対応して先手が有利になりました。このあと、船井五段が着実に指しているのですが、コンピューターの粘りがみごとでした」
 和田棋神は、要所要所にコメントを入れながら、指し手を進めていく。
「この2二金は、人間にはなかなか指せません。こういう受け一方の手は、負けても指すな、と師匠に叱られる類いの手です。コンピューターは師匠に叱られる心配がないせいか、平気でこういう手を指します」
「この5五香は、浮かびにくい好手です。おそらく、この局一番の好手でしょう」
「そしてこの6六銀のタダ捨て。これがこの局の二番目のポイントだったと思います。強引なしかけからの6六角とタダ捨ての6六銀。2つの6六が、印象に残っています。6六銀自体は悪手かもしれません。このあと先手がはっきりよくなりましたから。勝勢になったといってもいいと思います。ではほかにどう指せばよかったのかがわかりません。ということは、結果的には最善の粘りだった可能性があります。この手の意味自体は説明できるんです……」
 和田棋神の解説はむずかしくなかったが、森山の耳には入ってこなかった。森山は息苦しいものを感じながら、別のことを考えていた。解説は将棋の専門誌などで読んでいたので、指し手の意味はわかった。そんなことよりも、ネットの実況中継で見た船井五段の表情が強烈に記憶に焼きついていた。
 それまで、森山は電王戦にさほど興味をもっていなかった。次鋒戦でプロ棋士が負けたと知ったときも「そういうことがあっても不思議ではないだろう」くらいに思った。仕事が一段落した時期に行なわれた中堅戦の実況中継をネットで観戦し、異様な感覚に囚われて目が離せなくなった。
 将棋ソフトの指し手は明らかに異筋で、初心者の指し手のようにも見えた。
 一時は勝勢になった船井五段が、将棋ソフトの意外な粘りを持て余し、しだいに苦しげな表情を浮かべはじめる。対局中にまったく表情をかえない棋士もいたが、最近の若手には珍しく、船井五段の表情には形勢が如実に現れた。「代指し」の奨励会員は、当然のことながらまったく表情がかわらない。別室に控えるサークラの開発者からの指示をイヤホンで受け、淡々と指していた。
 戦いが長期戦になって秒読みが始まると、船井五段の表情には疲労と焦燥がいっそう濃くなる。一手指すごとに、ため息とも深呼吸とも思えるような荒い息を吐いた。「代指し」の奨励会員の無表情とのコントラストが、船井五段の苦戦をいっそう強く印象づけた。
 最終盤のむずかしい寄せ合いになると、船井五段の苦悶はさらに深くなる。本来ならもっとも得意な場面だったが、相手の将棋ソフトはそれ以上に終盤を得意にしていた。ギリギリの攻めを、将棋ソフトが適確に受けきる。
 船井五段が投了すると、大盤解説会場は重苦しい雰囲気に包まれた。その沈痛な空気は、ネット中継を見ていた多くの視聴者にもリアルに伝わった。

 棋神戦2回戦のほうは中盤に入り、船井五段が優勢になる。優勢になってからも着実に指し手を進め、勝勢に近い局面になった。
 先手の攻め駒がきれいにさばけ、3一で孤立する後手玉を守っているのは、8二の飛車の横利きだけだった。2四に飛び出した角と4三のと金で後手玉を制した形は、必勝形に見えた。ここでサークラが考え込んだ。後手は豊富な持ち駒をもっているが受けるのはむずかしい。攻め合うにしても、先手の矢倉は右の金が5六にうわずっていることを除くと手つかずだった。
 長考の末にサークラが選んだのは、2八飛車と角取りに打つ手だった。3三に角が成って後手玉は一段と受けにくくなり、ほとんど必至だった。
「コンピューターにも形づくりという概念はあるんですかね」
 和田棋神が唐突に藤野女流初段に訊く。
「たぶん……ないと思います」
「そうですよね。そうなると、一応王手をかけるだけかけて、詰まないことがはっきりしたところで投げるつもりですかね。人間が相手だと、詰めようとしているのか、形づくりに来たのか、なんとなく雰囲気でわかるものなのですが……」
 サークラは、少考を続けながら王手を続ける。どんな場面でも、指し手のペースはほとんどかわらなかった。もちろん表情もうかがえないので、形勢をどう判断しているのかまったく判断材料がなかった。
 同じペースで王手をかけ、7三にいた角が王手で6四に上がる。先手が惜しげもなくタダで取られる7五に金を合駒した。この金を取ればまだ王手は続くが、詰みがないことははっきりしていた。
 この瞬間、大盤解説のコンピューターの「評価関数」が、先手の優勢から後手の必勝に急変した。何が起こったのか事情がわからないまま、会場内には悲鳴のような歓声が起こった。
「ちょっと待ってください……」
 和田棋神の顔色がかわる。「まさか歩打ちで受かってますか?」
 そう言って和田棋神は慌てた様子で3二に歩を置いた。8二の飛車に加えて6四の角が4二の地点に利いたので、先手の攻めは頓挫していた。こうなってみると、2八に打った飛車までが受けに役立っていた。
 和田棋神があれこれ指してみたが、結論はかわらなかった。事態を理解したのか、船井五段の顔がみるみる赤くなり、苦しげに歪む。そして、3二歩が指された。
 秒読みの時間ギリギリまで考えて力ない手つきで6四の角を取った船井五段が、急に小さくなったように見えた。サークラが3三歩と馬を取ると、船井五段は静かに投了の意思表示をした。
※参考棋譜① ▲泉正樹五段対△羽生善治五段
(1988年/順位戦C級1組)


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電王戦 渡辺明 竜王 羽生善治 名人 渡邉恒雄 ナベツネ 米長邦雄 阿部光瑠 船江恒平

電脳の譜 2

【2】1回戦 サークラ対矢部光一四段(5組優勝)

 神戸四段にかわって棋神戦本戦に臨むサークラの対局は電王戦と同様にネットで実況中継されることになり、大盤解説は全局和田棋神が担当することになった。
 組み合わせは、1回戦から因縁の対局だった。
 先の電王戦でもトップバッターとして登場した18歳の矢部四段は、プロになってまだ2年ちょっとしかたっていない。16歳でのプロ入りはかなり早く、現行の制度になってから3番目のスピードだった。早くプロ棋士になったからといって大成するとは限らないが、並外れて早熟な棋士が才能に恵まれていることはデータが物語っている。
 過去に中学生でプロになった棋士はわずか3人で、いずれも名人になっていた。埴生名人もその3人のうちのひとりで、和田棋神は現行の制度になってから最も早く、中学卒業後2か月でプロになっている。
 矢部四段は、電王戦ではきわめて合理的な方法で将棋ソフトに快勝した。対局相手はコンピューター将棋大会5位入賞のソフトで決して弱くはなかったが、事前に入念に研究し、角換わりの戦形で〝ある局面〟になると悪手を指す癖を見つけていたのだ。
 対局が始まると、矢部四段は巧みに〝ある局面〟に誘導した。将棋ソフトは矢部四段の予想どおり桂馬を跳ね、無理攻めをして自滅した。この段階では、「ソフトはまだプロ棋士のレベルではない」という意見が大勢を占めた。
 矢部四段の作戦が事前の研究を踏まえたものであることが明らかになると、その鮮やかな手際を賞賛する声が相次いだ。だが、なかには「フェアじゃない」という意見もあった。
 サークラは電王戦で対局した将棋ソフトよりも格上とされていたが、矢部四段が今度はどんな研究の成果を見せてくれるのか、というのが見どころのひとつだった。
 先手の矢部四段は、前回と同じように角換わりに誘導し、あえて自ら角を交換した。手損になるので常識では考えられない作戦だったが、今度は誰も驚かなかった。電王戦のときと同じ作戦であり、〝ある局面〟に誘導するためには後手の立場になる必要があったからだ。
 矢部四段もサークラも慎重な指し回しで時間を小刻みに使い、序盤はゆっくりとした進行になった。矢部四段の前に座ってサークラの「代指し」を務めているのは、電王戦と同様に10代の奨励会員だった。サークラの開発者が「代指し」を務める案も出たが、駒の扱いに慣れていないので、奨励会員が起用された。ぎこちない手つきで指されると、プロ棋士のほうが気になってしかたがないだろう、という配慮だった。
 大盤で指し手を追う合間に、和田棋神が観客席の最前列に座っている作家の森山良彦に話しかけた。
「森山先生、ここまでの指し手で、何か気になったことはありませんか?」
 森山は将棋をテーマにした作品で前年に新人賞を受賞し、サークラの棋神戦の観戦記者として招待されていた。新人とは言っても50歳近く、和田の父親とさほどかわらない年齢だった。対局開始直後には壇上で紹介され、いまは最前列でパソコンを操作しながら観戦していた。
「私の棋力ですと、なんとも。とりあえず、まだ形勢は互角なのではないか……という程度のことしかわかりません」
 マイクを手にした森山の遠慮がちな言葉に、会場が笑いに包まれる。
「先ほどは言い忘れましたが、先日、森山先生は将棋連盟の小谷会長に二枚落ちで圧勝し、二段を贈られています」
 会場に大きな歓声と拍手が起きた。
「圧勝なんてやめてください。あれは小谷先生が手加減してくださって……」
 と言って照れ笑いを浮かべた森山は、すぐに真顔に戻った。「現在の対局と直接関係はありませんが、サークラの対局を観戦できるのが今日だけなのか、それともあと何回かあるのかわからないので、この場でお訊きしたいことがあります。電王戦に関して質問が2つありますが、よろしいでしょうか」
「なんでもどうぞ。ただ、答えにくいような質問は勘弁してください」
 和田棋神は笑みを浮かべた。「たとえば、サークラに勝つ自信があるか、なんて質問は禁止します」
「今回の観戦記を担当するにあたって、できるだけ中立の立場で書こうと考えています。本音を言えば人間の棋士に勝ってほしいのですが、そう言ってしまうとおかしな観戦記になりそうです。そのことを踏まえまして……ここはほぼ棋士寄りのかたが多いと思うので、こんなことを言うと無事に帰してもらえない気もしますが……」
 と言って森山は口ごもった。「ネットなどでは、電王戦の矢部四段の勝ち方に関して、賞賛の声があがる一方で批判する声もかなりありました。事前に対局相手を研究するのは当然でしょうが、あの一戦のしかけの桂跳ねは、ソフトの癖と言うよりバグというかエラーに近く、そこを衝くのは〝事前の研究〟とはちょっと違うのではないかという考え方なのでしょう。副将戦のようにソフトが苦手な入玉将棋に持ち込むことに関しても、同じような意見を目にしました。このあたりに関して、和田棋神はどうお考えですか」
 森山のややきわどい発言に、会場がざわつく。
「そうですね……この微妙な空気を承知の上で、危険をかえりみずに勇気あるコメントをありがとうございます。これも観戦記を書くために必要な質問なのでしょうから、無事にお帰りになれることを祈ります」
 緊迫した空気が和田棋神の言葉で笑いに包まれ、会場が静けさを取り戻す。ネットの実況中継に設けられている投稿欄ではかなり過激なコメントも飛び交ったが、こちらもすぐにおさまった。
「以前、ボクが将棋ソフトと対局したときも、棋士仲間と何日もかけて真剣に研究しました。どの程度の実力なのかわからなかったし、とにかく得体が知れない相手というのは怖いんです」
 電王戦の盛り上がりで人間対コンピューターの対局が注目されるようになったが、プロ棋士と将棋ソフトとの初対局は、2007年に実現している。当時最強とうたわれた将棋ソフトと対局したのは、ほかならぬ和田棋神だった。
 中盤までは将棋ソフトがわずかに優勢とされたが、和田棋神は最後まで冷静にチャンスをうかがい、終盤に逆転して勝利をおさめた。この段階で、将棋ソフトの実力は奨励会有段者レベル、つまりもう一歩でプロ棋士、くらいの実力ではないかといわれていた。和田棋神が勝利をおさめたが、決して楽勝の内容ではなかったため「実際にはもっと強いのではないか」という見解も出た。
 その後、同じソフトが2010年に女流棋士を破っているが、なぜかほとんど話題にならなかった。
「あのときは、いろいろ考えた末、結局人間が相手のときと同じようにきわめて普通の指し方をしました。正攻法ともいえますし、バカ正直で芸がないともいえます。コンピューターが魔法を使うわけではないので、普通に指して悪くなる理由はないと考えたのですが、そのせいで冷や汗をかきました。あの当時でも、ちょっと悪手を指すと負ける可能性はあったと思います。いまは将棋ソフトがあのときより数段強くなっている印象ですから、対局するなら相当研究する必要があるでしょう。もし仮にボクが矢部四段の立場で、エラーに近いソフトの癖を見つけたら、躊躇なくそこを衝きます。というか、あんな癖を発見したら、小躍りしてつけ込みます。これ以上確実な安全勝ちはありませんから」
 と言って、和田棋神は聞き手の藤野総子女流初段を見た。「こういう考え方は、フェアじゃないんですかね。藤野さんはどう思いますか?」
「ここでそう来ますか」
 と藤野女流初段は笑いながら言った。「この場で、それをフェアじゃないという勇気はありません。ではなく、そんなことをいうのは初心者の感覚じゃないですか?」
「たしかに……将棋を覚えたばかりの頃は、待ち駒は汚い、とかいったりします。プロがそんなことをいったら笑われます。確実に勝とうとする手を、昔は〝友達をなくす手〟なんていいました」
「いいました、いいました。なんか懐かしいですね。いまは辛(から)い手っていい方のほうが普通でしょうか」
「いまの若手は勝負に辛い、なんていい方もあったと思います。いまはその人たちが年を取って、勝負に辛い人ばかりですからね。ボクらの世代も含めて、みんな友達がいないんじゃないですかね。勝負なんですから、確実に勝つ手があるならそちらを選ぶのは当然でしょう。相手の弱点を見つけたら、そこを衝くのは当然のことで、それを批判するのは筋違いです」
 と言って、和田棋神は少し間をおいてやや上方に目をやった。対局中に読みにふけっているような表情だった。「人間と対局するときに、相手の苦手な戦形を選ぶのとは意味が違う、という考え方もわかります。プログラムを書きかえないかぎり、同じ場面になれば同じミスをすることをわかっていて戦うのですから。でも、そういったことを含めての研究だと思います。同じように、もし将棋ソフトが入玉将棋を苦手にしているなら、そこを衝くのも立派な作戦です。ボクは入玉将棋があまり得意ではないので、そんなおそろしい作戦は使えませんが。少し場面をかえればわかりやすいかもしれません。画期的な新戦法を発見して、対策を知らない相手を一方的に破ったとします。こちらは十分に研究していて、相手は見たこともない戦法だったら、手も足も出ないでしょう。それが優秀な戦法なら、なおさらです。まさか、それをフェアじゃないと言う人はいないはずです」
 小さくため息をついたあと、和田棋神は話を続けた。「もし……矢部四段にミスがあったとすると、事前の研究で気づいたことを正直に言ってしまったことですね。意外なしかけに動揺したけどとっさに対応したことにすれば、的外れな批判を受けることはなかったはずです。これは大きなミスでした。敗着にもなりかねません」
 ユーモアあふれる和田棋神の言葉に会場には何度も爆笑が起こったが、最後の笑いはひときわ大きかった。森山も笑いを浮かべながら、質問を続けた。
「もうひとつの質問です。電王戦を見た限りでは、将棋ソフトが先攻する場面が多かったと思います。しかも、いずれも無理攻め気味でした。そのせいか、解説の先生はプロ棋士側が有利という見方をしていました。私が疑問に思うのは、このときに実況中継の大盤解説に表示されていた将棋ソフトによる形勢判断です」
 電王戦をネットで実況中継した「ワラワラ動画」では、画面の中央上部に、ほかの将棋ソフトによる形勢判断を示す「評価関数」が常時表示されていた。1手ごとに再計算され、数値が変動した。プロ棋士がはっきり優勢になったときを除くとほとんどの局面で将棋ソフトが有利と評価し、解説するプロ棋士の形勢判断と異なることがたびたびあった。
「無理攻め気味であっても、コンピューターを有利に判定していました。アマチュアのレベルだと、攻めているほうを有利と考えがちなのはわかるのですが、そんな単純な考え方をしているとは思えません」
 と言って森山は小さく笑った。「これも将棋ソフトの癖なのでしょうか」
「そうですね……将棋ソフトにもいろいろな個性があって、少しずつ考え方が違うはずです。共通の傾向として、いわゆる攻め将棋のような気はします。形勢判断の基準も、正確なところはわかりませんが、人間の判断とは少し違うようです」
 そう言うと、和田棋神は再びやや上方に目をやった。「無理攻め気味だった、というのは同感です。でも、プロ棋士が、どっちが指しやすいとか、ひと目無理攻めとかいうとき、実は具体的な理由は説明できないことが多いんです。一番の理由は、なんとなく、ってことになる気がします。説明できないからいい加減な判断というわけではなく、だいたい合っています。直感的な判断……というより総合的な判断といったほうがいいでしょう。プロ棋士をやっていられるのは、その判断力があるからともいえます。時間がないときは、読み切れなくても指さなければなりませんから。ファジー理論などというとマシンのことを指すみたいですが、ある意味、人間の考え方のほうがよっぽどファジーなんです」
「コンピューターは、そういう曖昧な考え方はしない、というかできない……と」
「まあ、そういうことです。いずれにしてもはっきりしていることは、どんなに無理攻めでも、相手が適確に咎めることができなければ、手段としては成立しているということです。電王戦で見せた将棋ソフトの攻めはたしかに無理攻め気味ですが、具体的に咎める手段が見つからないのなら、無理攻めとはいえないと思います。こんなところで答えになっていますか?」
「たいへんよくわかりました。ありがとうございます」
「ほかにも何かあったら遠慮なく訊いてください」
 和田棋神の言葉に、会場に拍手が広がった。

 局面は、途中の手順こそ違ったが、〝ある局面〟に近づきつつあった。避ける手順はいくらでもあったのに、矢部四段はもちろんのこと、サークラも変化しなかった。
「次に後手がこう金を上がり、先手が桂を跳ねると、問題の局面とまったく同形になります」
 大盤で駒を動かしながら、和田棋神が解説する。
「ここでの6五桂跳ねは、なくはないのでしょうが、やや無理筋でしょう……直感ではなく、総合的な判断です」
 と言って、和田棋神はひと呼吸置いた。「たしか……あの対局のときも、コンピューターの形勢判断は6五桂のしかけのあとも将棋ソフトが優勢でした。もしかすると、将棋ソフトの統一見解として、この局面での桂跳ねがアリなのかもしれません。どこかで研究会でも開いているのでしょうかね。ということは、サークラも同じ攻めをする可能性があります。そう指してくれると、矢部四段の快勝譜が再現されるかもしれません」
 会場から拍手が起こる。
 観客の期待どおり指し手が進み、問題の場面でサークラが考えはじめた。将棋ソフトとしては長考の部類になる10分弱の考慮時間で選んだのは、しかけの桂跳ねではなく、守りを固める4二金右だった。会場がどよめいた。
 意表をつかれたのか、矢部四段の指し手が止まる。
 長考の末に、矢部四段は1筋の端歩を突いた。サークラは端歩にあいさつをせずに囲いを穴熊に組みかえ、数手前より格段にかたい形に整えた。その間、先手には有効手がないことを見越した手順だった。
 守りを十分に固めたうえで例によって無理気味のしかけに踏み切り、細い攻めを巧みにつないで押し切ってしまった。


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電脳の譜 1

【1】20XX年 第26期棋神戦本戦トーナメント開幕前夜


トーナメント表

 第26期棋神戦の本戦(挑戦者決定戦)トーナメントは、将棋界はもちろん、一般のマスコミからも大きな注目を浴びていた。本戦トーナメント開幕直前に、史上最強将棋ソフトの呼び声高いサークラの緊急参戦が決まったからだ。
 事の起こりは、春先に開催された第2回電王戦で、プロ棋士が将棋ソフト軍団に惨敗を喫したことだった。なかでも、最終戦でサークラが現役A級棋士の武浦弘之八段を破ったことで将棋界に衝撃が走った。
 前年の第1回電王戦は一発勝負で、当時の日本将棋連盟会長の米中永世棋聖がコンピューターと戦った。現役を退いて10年近くになる永世棋聖の棋力は全盛期にはほど遠く、一敗地にまみれる。団体戦形式で行なわれた第2回電王戦は、昨年末に急逝した米中永世棋聖の弔い合戦という意味合いもあった。対戦したのは、コンピューター将棋大会のベスト5のソフトと5人の現役棋士だった。
 先鋒戦は、若手の矢部光一四段が快勝した。
 次鋒戦は将棋ソフトが押し切った。「現役のプロ棋士が初めてコンピューターに敗れる」というニュースは社会的に話題になり、号外を出した新聞もあったほどだった。近年の将棋ソフトの優秀さを知っている人たちは、半ば当然のことと冷静に受け止めた。
 中堅戦は壮絶なねじり合いになった。形勢が二転三転する混戦の末、通常の指し手の倍近い184手に及ぶ長期戦で、若手の有望株の船井竜平五段が惜敗した。コンピューター相手の秒読み将棋に疲労困憊した様子で、敗戦後のインタビューを受ける船井五段の姿は痛々しかった。
 副将戦に登場したのはタイトル経験もある元A級棋士だった。棋士としての全盛期は過ぎたとされる九段は、将棋ソフトが苦手な入玉将棋を目指した。一時は敗勢とされたまったく勝ち目のない将棋を粘りに粘り、かろうじて引き分け(持将棋)に持ち込んだ。ベテランの起用を疑問視する声もあったなか、人間くささを存分に発揮した執念は、ある種の感動を呼んだ。
 将棋ソフトの2勝1敗1分けで迎えた最終局の組み合わせは、最強の将棋ソフト対現役A級棋士で、大将戦と呼ぶにふさわしかった。武浦八段の先手で始まった一戦は相矢倉の戦いになり、サークラが熱戦を制した。名人に次ぐクラスとされるA級棋士が負けることはない、と信じていた将棋関係者の希望は無惨に打ち砕かれた。
 すべての対局が終わってみると、プロ棋士側の力負けの印象が強かった。プロ棋士の1勝は将棋ソフトのバグに近いミスを衝いたもので、開発者は「修正するのはそうむずかしくない」と語った。負けた3局はプロ棋士側に決定的な落手があったわけではなく、定跡を巧みに外され、読み負けの末、実力で押し切られた観があった。
──人間とコンピューターのどちらが強いのか。
 ボードゲームの世界では、長年のテーマだった。選択肢が限られる連珠やオセロは、早い時期にコンピューターの実力が人間を上回ったとされる。チェスの世界チャンピオンとコンピューターの対戦は、1990年代から何度か企画され、近年ではコンピューターが圧倒している。
 囲碁の世界では、コンピューターの実力はアマチュアの高段者程度といわれ、プロのレベルにはまだ距離がある。もっとも微妙な段階に来ているのが、将棋ソフトと人間の実力差だった。「最終盤の〝詰むや詰まざるや〟の場面は将棋ソフトのほうが上」といわれるようになってもう何年もたち、これはすでに定説になっていた。
 ほかにもいろいろな説がある。
「序盤の定跡は将棋ソフトのほうが詳しい」
「将棋ソフトの序盤は戦形によっては初心者並み」
「数値化しにくい大局観では人間を超えることはできない」
「トップクラスの将棋ソフトは人間の名人クラス」
「プロ棋士の中堅クラスの力がある」
「マシンのスペックしだい」
「レーティングの数値で比べれば将棋ソフトが上なのは明らか」
 いずれの説もそれなりの根拠があり、いい加減な風説と片づけることはむずかしかった。ここまで諸説が飛び交って収拾がつかないと、検証の方法は限られる。
──実際に戦ってみるしかない。
 そんな過激な風潮がしだいに強くなり、日本将棋連盟も無視できなくなった。世論に押されて「パンドラの匣」を開けてしまった……と見る向きもあった。

 順位戦のA級に所属する棋士は10人しかいない。その一角が崩されたとなると、次の砦は限られる。
「双龍」と呼ばれる2人──埴生(はにゅう)善治名人と和田晶(あきら)棋神しかいなかった。現在7つあるタイトルのうち埴生名人が四冠を占め、ほかの三冠を和田棋神が所持している。まさに天下を二分する実力者だった。
 来年の電王戦には「双龍」が登場するのか、あるいはほかのタイトル経験者が起用されるのか。人選に注目が集まるなか、いち早く英断を下したのは、棋神戦を主催者する毎朝新聞のクロテツこと黒木哲男社主だった。
 一介の政治記者から三大紙の社主にまで上り詰めた立志伝中の人物は、野球界や将棋界で大きな権力を握っていた。毎朝新聞の主催棋戦である棋神戦が、七大タイトルの最後発であるにもかかわらず名人と並ぶ格に扱われているのも、クロテツの力に負うところが大きかった。
──そんなに強いのなら、トーナメントに参加資格がある。人間とどちらが強いか公式戦扱いで戦えばいい。
 クロテツの主張はきわめてシンプルだった。
 棋神戦が発足した当初の趣旨もきわめてシンプルだった。裏では相当きわどい駆け引きもあったとされるが……。
──全棋士の中で、時の最強者が、最高峰のタイトルをもつべきだ。
 それまでは、「将棋界の最高峰は名人」というのが常識だった。プロ棋士の序列を決める基準は順位戦であり、名人になるためには5つある順位戦のクラスをひとつずつ昇っていく必要があった。A級のリーグ戦で1位になって、やっと名人への挑戦権が手に入る。
 仮にとんでもない実力をもつ新人が現われたとしても、初年度はC2級に所属する。C2級からA級までの順位戦を毎年全勝してノンストップで昇級しつづけても、名人になるには最短で5年かかることになる。そういう連続昇級は理論的には可能でも、簡単にできることではない。約70年に及ぶ順位戦の歴史のなかで、最短でA級まで昇り詰めた棋士は2人しかいなかった。
 他の棋戦は予選から勝ち上がることが可能なので、デビューしたばかりの最強の新人がタイトルを奪取することも可能だった。最短でも5年かかる点が、名人の座の重みをつくっているともいえた。
 名人と棋神のどちらのタイトルの格が上なのかは考え方にもより、日本将棋連盟の公式の見解としては「棋神のほうが上だがほぼ同格」という曖昧なことになっている。「最高峰のタイトル」が2つある、という奇妙な状況が続いていた。
 棋神戦には順位戦とは別の独自の組分け制度があり、毎年組別のトーナメントを行なっていた。発足当初は順位戦の地位をベースにしたが、毎年順位戦よりも多い数の昇級者と降級者を入れ替え、いまでは順位戦とはかなり違う組分けになっていた。
 下位の組の棋士でも優勝すれば本戦トーナメントに進めるので、挑戦者になることも可能だった。しかし、本戦トーナメントは下位の組からの参加者ほど不利なパラマス方式に近いため、番狂わせが起こることはめったになかった(1ページのトーナメント表参照)。
 その狭き門を突破して下位の組から勝ち上がり、棋神の座まで昇り詰めた棋士が過去に何人かいる。現タイトルホルダーの和田棋神も、〝棋神ドリーム〟を実現させた一人だ。
 初戴冠のとき、順位戦では下から2番目のC級1組で段位はまだ五段だった。棋神戦では4組で優勝して本戦トーナメントに参加し、組別トーナメントから通算10連勝で挑戦者になった。激闘のタイトル戦を4勝3敗のフルセットで制して棋神の地位についたのは、まだ20歳のときだった。「時の最強者が、最高峰のタイトルをもつべき」という棋神戦の思想を具現化した快挙ともいえ、以来、現在まで9連覇を果たしている。こと棋神戦に限れば、和田棋神の強さは圧倒的だった。
 しかし、将棋界全体を見渡すと、和田棋神をはじめとする若手にとって、厚く険しい壁が聳えていた。もう20年以上にわたって将棋界を牽引してきたのは、俗に「埴生世代」と呼ばれる棋士たちだった。
「埴生世代」は、1970年生まれの埴生名人を中心とする1969年~1971年生まれの棋士を指す。プロ入り(四段昇段)は史上3人目の中学生棋士になった埴生が一番早く、これを追って、夭折した村山聖九段、「緻密野蛮流」の別名で知られる名人経験者の伊藤康光九段、十八世名人の資格をもつ木内俊之九段の3人が熾烈な出世争いを演じた。半歩遅れる形で頭角を現わしたのが、元A級棋士の新崎修八段だった。
 さらに、プロ入りの時期がやや遅れた同世代の棋士に、四段でタイトルをとった郷野正隆九段、名人経験者の丸川忠行九段、棋神経験者の藤江剛九段がいる。
 この8人が「埴生世代」と呼ばれ、全員がタイトル経験もしくは全棋士参加棋戦の優勝経験がある。さらに、なぜか「埴生世代」とは呼ばれないが、1972年の早生まれ(埴生名人の1学年下)の棋士でタイトル経験者が2人いるのだから、異常なまでに層が厚い。
 ほとんどのタイトル戦が「埴生世代」同士で争われ、たまにほかの世代の棋士が挑戦しても、たいてい跳ね返された。なんとかタイトルを奪取した若手棋士がいなかったわけではないが、短命で「埴生世代」の軍門に下るのが常だった。
 過去の将棋界を見ても、特定の世代にこれほど実力者が揃った例はない。そういう状況の中、約10歳年下の世代の和田棋神はタイトルを守りつづけていた。9連覇のうち8回は対戦相手が「埴生世代」なのだから、孤軍奮闘の印象が強い。
 毎朝新聞の黒木哲男社主もそんな和田棋神をことのほか可愛がり、名人よりはっきり格上の扱いをするよう、ことあるごとに日本将棋連盟に圧力をかけたりもした。サークラの棋神戦参戦に関しても、クロテツと和田棋神の間で会談の席が設けられたという。実質的には命令だったのか依頼だったのかは不明だった。
 サークラの棋神戦参戦を発表する記者会見の席で、クロテツは自信満々に語った。
──棋神が直接相手をするまでもなく、ほかの棋士が露払いをするだろ。
 この「露払い」という言い方が物議を醸した。
 日本語の使い方がおかしい、とする説もあった。言葉の正否は別としてほかの棋士に失礼、とする説もあった。ネット上では過激な言説が飛び交い、一部のサイトは「炎上」に近い状態になった。
 通常の対局料とは別に、サークラに勝った棋士に500万円の特別ボーナスが出ることも話題になった。ただでさえ敵(かたき)役のサークラが、事実上、懸賞首になってしまったからだ。
──ニンジンぶら下げて馬を走らせるつもりか。
 あるプロ棋士が、ブログで嫌悪感もあらわに吐き捨てて話題になった。
 物議を醸したクロテツの発言は、ほかにもあった。オフレコの席で、「機械ごときに取られるようなことがあったら、そんなくだらんタイトルは廃止してやる」と言ったという噂もあった。
 抜群の発想力と行動力に、将棋ファンはもとより世間全体の反感を買う言動。よくも悪くもクロテツらしいやり方だった。

 本戦トーナメント1回戦の前に予選のような形で急遽組み込まれた「特別戦」で、サークラは6組優勝の神戸康人四段と対局した。振り駒で後手になったサークラは、相矢倉の戦形から先攻して一方的に攻め倒し、「将棋ソフト強し」を改めて印象づけた。


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