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「愛」とは「過去を振り返ること」……そ・れ・は・「未練」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【11】
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mixi日記2014年01月06日から

「語源」関係の話に比べれば、漢字の字源?ははるかに信頼できる(らしい)。それでも「なんかヘン」と感じたら、鵜呑みにしないほうが無難。
「愛」は「心」が真ん中にあるから「真心」。「恋」は「心」が下にあるから「下心」……そういうのは「通俗語源」などと呼ばれ、ネット検索するといろいろ出てくる。要は後世の人が作ったデタラメです。一部の国字を別にすると、漢字は中国で作られているのよ。「心」は下にあるから「下心」のわけないだろうに。
「愛」とはすべてのことを「受けとめる心」……やかましいわ!
 ちなみに「人」という字は「人と人とが支え合っている」とかいうのも完全なデマ。短いほうの払いは男性の股間から伸びていて一種の願望を……。(←よしなさい)
 このテの話にはあまり強くない当方が読む限り、直感的に「愛」に関する記述はヘンだと思う。
「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」……それは「未練」とか言わないか? これが泣く泣く愛児と分かれた母親の姿……とか言うならまだ納得できるけど。
 手元の漢和辞典ではピンと来ないのでネット検索した。いくつか目を通したなかで、信頼できそうなのは下記。
【「愛」と「恋」(2)】
http://blog.goo.ne.jp/kanjikazoku/e/516996fe51da9421d939ba067ff4ae7d

 このサイトはなんなのだろう。『言葉の系譜』(藤堂明保)からの引用なら信頼できそう。著作権的にどうか、ということは正月なので考えない。

== 引用はじめ ==

 愛は「喜び」よりも「悲しみ」を与えるものだそうだ。およそ愛とは、異常な心の高まりだから、愛の心は必ず「切なさ」を伴うものだ。そして「切なさ」は、むしろ悲しみに近い。
 愛という字は、昔は「旡+心+久」と書いた。今日の愛という字の下半部は原型のままだが、その上部は旡(カイ・アイ)のひどく変形したものである。この旡という部分は、アイという発音を示す大切な個所でもある。そこで、旡-既-慨-漑-概など、およそ旡を含むコトバを並べて考えてみる必要があろう。

 旡とは、人間が腹をいっぱいにつまらせて、ウーンと後ろにのけぞった姿である。既の字は、お盆に盛ったごちそうを前にして、たら腹食べ終わった人間が、ウーンとのけぞっているさまを表す会意文字である。既の字の左側は付図のように、盆上に盛った丸いオマンジュウである。今日でも「いっぱい」になった状態を既(キ)という。たとえば日食や月食のとき、黒い蝕(ショク)の部分が、太陽や月の表面をいっぱいに食い尽くしたのを「皆既食」という。「し尽くした」のは「すでに終えて余白がない」ことだから、既には「すでに」という副詞の意味も生じてくる。
 水をドクドク注いで田の面もいっぱいに満たすのを灌漑という。この漑(ガイ)とは、水を「いっぱい」にすることである。また、四角いマスでお米をすくい上げると、どうしても凹凸が生じてマスの隅々には米が行き渡らない。その時「マス掻き棒」を使ってサッと表面をならすと、お米はマスの隅々まで届いて、マスはいっぱいになる。「いっぱいに」ならす棒のことを概(ガイ)という。ならすという意味に傾くと、「大概」(ならす→おおよそ)とか「概略」(ならしたあらまし)という意味となるが、概の字の本義はマスを「いっぱいにする」棒のことである。最後に、心がいっぱいにつまるのを慨(ガイ)という。怒って胸がいっぱいになるのは憤慨、感動して胸いっぱいにつまるのは感慨という。そして、胸いっぱいの切なさ-それを愛というのである。それは心の姿だから、心の字をそえ、また切なさに足を引きずり、歩みも滞(とどこお)りがちとなるので、足ずりの形夂をそえた。それは憂(ユウ)の字の場合に、「心+夂」をそえたのと同じ意味である。

 もっとも「切ない」のは恋しい場合だけとは限らない。「ああ、もったいない」という場合にも胸がいっぱいにつまる。だから愛情の愛は「おしむ」と訓じるのである。
 斉国は偏小なりといえども、吾なんぞ一牛を愛(お)しまんや!<孟子>
 ケチンボじじいが「ああ惜しい」と十円玉を哀惜する心と「あの子恋しや」と切ながる気持ちとを同一視されては、叱られるかもしれない。しかしどちらの愛も「胸いっぱいの切なさ」という点では同じなのである。

== 引用おわり ==



【ネタ元】WEB本の雑誌
http://www.webdoku.jp/tsushin/2014/01/06/080000.html
================引用開始
「愛」とは「過去を振り返ること」 意外と知らない漢字の成り立ち


『漢字の形にはワケがある たとえば「色」という字に隠されたエッチな起源とは? (KAWADE夢文庫)』
日本語倶楽部
河出書房新社
円(税込)

>> Amazon.co.jp
小学校1年生で、初めて学習するのが「漢字」。国語の教科書で紹介する漢字の隣には、その成り立ちを教える小さな絵。自然の姿や形を写し取ってつくられた漢字の奥深さに、感動を覚えた方も少なくはないでしょう。

今年10月に、Amazon Kindle版が発売された書籍『漢字の形にはワケがある』は、漢字の成り立ちや秘められた意味を紹介しています。

■「父」 古代の父親は怖かった?
「父」は右手に斧、またはムチを持って、叩いている姿を表した形。当時の中国では、家長である父が、斧やムチを掲げて家族を統率していました。ちなみに、「斧」の原字は漢字の「父」です。家庭内の立場が弱くなってしまった日本のお父さんには、考えにくいことなのかもしれません。

■「母」 母性の象徴
「女」の中に、母性を象徴する「乳房」を意味するふたつの点を加えた形が由来です。

■「友」 手に手を添えて助けあう
右手を上に突き出した「又」が、2つ並んだかたちが由来となった「友」。つまり、「友」は「日本の手」を示した漢字で、手に手を添えて助けるという意味を持っています。そこから、現在の「友だち」という意味が派生しました。

■「順」 頭を下げて従うこと
「順番」や「従順」などに使われる「順」。「川」と「頁」に分けることができます。「川」が表すのは、水が高いところから低いところへ流れるように相手の言葉や意向に「逆らわずに従う」という意味。「頁」が表すのは、「人が頭を垂れて、ひざまずいている」形。つまり「順」は、「川の流れのように頭を下げて従うこと」を意味します。

■「愛」 過去を振り返ること
「旡」「心」「夂」の組み合わせによる「愛」。「旡」は人間が後ろを向く姿、「心」は人間の心、「夂」は人の足を表します。つまり、「愛」とは「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」を表した漢字なのです。

■「恋」 揺れる心
「恋」の旧字体は「戀」。「絲」は糸がもつれる様子、「言」はけじめを意味します。この下に「心」をつけると、「もつれた心の糸を解くことのできない状態」を示す「戀」になります。

漢字は「知識と知恵の宝庫」。漢字を生んだ人間の創造力に、思わず感嘆してしまいそうです。
================引用終了

「愛」とは「過去を振り返ること」 意外と知らない漢字の成り立ち
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=90&from=diary&id=2712133
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謹賀新年2014

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【11】
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mixi日記2014年01月06日から

【本文ネーム再掲】
 近頃巷で流行るもの。草を食むのが草食ならば、鯨飲馬食は何を食む。「泣いて馬謖を斬る」のは医者に止められて大好物のサクラ肉を断つ……そりゃ10年も前のネタだ。馬色と言えば、なぜか黒くても青。馬なのに鹿毛、この組み合わせは頭のデキに一松二竹三茄子……一応めでたいオチがついた。
 というわけで、本年もよろしくお願い申し上げます。


 エート。まだ松の内。

 あけましておめでとうございます。
 結婚数年後から、夫婦共同作業(当方が文章担当、家人がイラスト&デザイン担当)の年賀状を作っています。気がつくと干支をひと回りしています……。ふた回り目になると、さすがにネタが……。

 エート。ヤボを承知の解説です。ヒネりにヒネってヒネくれまくった原案は、家庭内審査で却下され、これでもかなりわかりやすくなっています。
 鯨飲馬食……「馬」を食むならまだしも「鯨飲馬」を食むだとエラいことに……。
 黒毛の馬はなぜか「青」と呼ばれ、かの塩原多助が別れを告げた愛馬の「青」も、黒い馬だったとか。もしや、「蒼ざめた馬」も黒いのでしょうか。ちなみに『もやしもん』は間もなく最終回です。
「一抹」のあとに続きがちな語は忌み言葉の気配が濃厚なので、一応避けてみました。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 以前はそんなことは考えなかった。これは進歩かも。

 ネタが「切れ」ようが、一抹の「不安」を感じようが、いいじゃねえかよ。


 最近は新年の挨拶にさえ小うるさいことを言う心の狭い人が増えているらしい。
 昨年(「去年」は忌み言葉なんだとか。それ以前に、賀詞なら話し言葉的な「去年」より「昨年」だろう)の末にmixiニュースで「A Happy New Year」は誤用と知った。諸説あって詳しいことは知らない。諸説に関しては末尾。

「新年明けましておめでとうございます」
 重言というのはそのとおりだろう。一般にはあまり見聞しないが、テレビ番組なんかだと使いそうだ。

「謹賀新年」
 一種の略語だから目上には×……そんなこと言われてもなぁ。

「明けましておめでとうございました」
 ここを過去形にするホニャはさすがにいないだろう。だが「昨年は大変お世話になりまして、本当にありがとうございました」もダメだんだろうか。やっぱ「昨年は大変お世話になりました。本当にありがとうございます」と現在形にするほうが無難なんだろうか?









【ネタ元1】ハッピーニューイヤーに「A」はいらない! 間違いがちな年賀状マナー
http://ddnavi.com/news/177060/
================引用開始
ハッピーニューイヤーに「A」はいらない! 間違いがちな年賀状マナー

 この時期、大掃除以上に気が重くなるのが年賀状の準備だろう。最近では年賀状メールも普及してはいるが、新年の挨拶は年賀ハガキで送るべき……という人はまだまだ多い。そこで、これから年賀状を作成する人のために、覚えておきたいマナーを『知らないと恥をかく年賀状マナーブック 上司に「賀正」はNGです!』(アスキー年賀状素材集編集部/KADOKAWA アスキー・メディアワークス)から紹介しよう。

 まずは、文章の賀詞。定番の「あけましておめでとうございます」は、もっともカジュアルな言い回し。フォーマルの場合は、「新春を寿ぎ謹んで御祝詞を申し上げます」や「謹んで新年(初春)のお慶びを申し上げます」といった賀詞を選ぼう。

 ちなみに、「新年あけましておめでとうございます」と書きがちだが、「新年」と「あけまして」の意味が重複しているのでNG。英語で「A Happy New Year」と書く場合も、不定冠詞の「A」は不要。この間違いは、英語圏ではクリスマスの挨拶を兼ねて“Merry Christmas and a Happy New Year”と表現するため、これによって日本では誤解している人が多いためだそう。また、添え書きで気を付けたいのは、縁起が良くない「忌み言葉」。たとえば“「去る」という負のイメージを連想させる”ため、「去年」という言葉を使うのは控えたい。当然のことながら年賀状は縁起物なので、もし書き損じてしまっても修正液を使うのはマナー違反。書き損じた年賀はがきは郵便局で手数料(1枚5円)を払えば新しいはがきや切手に交換してもらえるので、決して無駄にはしないように。

 また、年賀状の返事が間に合わなかった場合は、寒中見舞いのはがきを送ろう。このとき、「ご丁寧な新年の御祝詞をいただきありがとうございました。ご挨拶が遅れ誠に申し訳ありません」とお礼とお詫びの言葉を忘れないこと。喪中の方の場合は、「今年は例年よりも厳しい寒さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか」などのように、通常の時候の挨拶から始めるといいそうだ。

 よく知られてはいるが、年賀状は「元旦に届くのが礼儀」。7日までは年賀状でOKだが、三が日の間に届くようにするのが好印象なもの。「まだ書けてないよ」という人は、急いで準備しよう!
================引用終了

【ネタ元2】「A Happy New Year」は「良いお年を」の意味
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20131229-00000002-allabout
================引用開始
□英語の場合

・Happy New Year : 新年おめでとう

※A Happy New Year:よいお年を(年が明ける前に使うので、年賀状では「A」をつけません)
================引用終了

 はっきり言って【ネタ元1】【ネタ元2】の書き方ではよくわからない。
 最低でも下記の【ネタ元3】くらいには書いてほしい。
【ネタ元3】翻訳コラム25: 「A Happy New Year」は年賀状で使うと間違い(変な英語)
http://www.kunishiro.sakura.ne.jp/column/20/c25.shtml
================引用開始
Translation Room 9246
home > コラム > #21 - 30 > 「A Happy New Year」は年賀状で使うと変な英語
コラム25: 「A Happy New Year」は年賀状で使うと変な英語
ほとんどの人が、「A Happy New Year」と書かれた年賀状を送ったり、受け取ったりしたことがあると思います。私たち日本人は、「あけましておめでとう」に相当する英語は「A happy new year」であると疑わずに使っています。普段冠詞に無頓着なのに、不定冠詞の「a」まで付けて、これを決まり文句として覚えています。

ところが、この「A happy new year」というフレーズ、年賀状で使うと変な英語になってしまいます。不定冠詞の「a」を付けずに「Happy new year」と言うのが正しい表現です。Happy birthday や Good morning に「a」が付かないのと同様、挨拶で使う場合は Happy new year にも不定冠詞の「a」は付けません。

「~ おめでとう」のつもりで、挨拶として「A happy birthday」や「A happy new year」などと言ってしまうと、日本語で言うなら「楽しい誕生日」とか「楽しい新年」などと言っているのと同じで、とっても奇妙な感じがするようです(「~ おめでとう」という意味がなくなってしまいます)。

なぜ、日本人は不定冠詞「a」までひっくるめて、「A Happy New Year」を新年の挨拶であると勘違いしてしまったのでしょうか。きっと、クリスマスでよく使われる定番表現「Merry Christmas and a happy new year」(= 「メリークリスマス。そしてよいお年を」)から、「A happy new year」が単独で新年の挨拶として使えるのだと誤解しのでしょうね。

上述の「a happy new year」は、年が明ける前に使われるフレーズ「I wish you a happy new year(= 「あなたにとってよい年になりますように」)を短くしたものです。短く「A happy new year to you」と言うことも可能です。日本語の「よいお年を」に相当する表現です(ただし、単独で「A happy new year」という言い方はしないようです)。

Happy new year にかぎらず、挨拶ではない場合は happy birthday や good morning にも不定冠詞「a」が付くことがあります。
I wish you a happy birthday. (楽しいお誕生日を)
Have a good morning. (すてきな朝を過ごしてください)
冠詞は日本人にとって難しくてやっかいな項目の 1 つです。「うまく説明できないけど変だ」とか「なんだか気持ち悪い」と理屈抜きで感じられるようになれば本物なのでしょうが、それには多くの英文に接して感覚をつかむしかないでしょうね。

年賀状に書かれた「A happy new year」が英語のネイティブスピーカーにとって、どんな感じがするかについては「"A Happy New Year!" は間違いなんだよ 」がとっても参考になります。

参考サイト
>> HAPPY (NEW YEAR)! vs. MERRY (CHRISTMAS)!@Berliz
================引用終了

 とくに問題なし、という説もある。
【ネタ元4】JST科学技術用語日英対訳辞書
http://ejje.weblio.jp/content/a+happy+new+year
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