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【「ほど」 「ぐらい」 「くらい」】☆日本語教師☆

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2010年06月23日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520771761&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
【黒いコレクション──日本語教師関連28】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1442972256&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【「ほど」と「ぐらい」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54129700&comm_id=19124

 ●●質問でも、ときどきおもしろいテーマが出てくるのが困りもの(黒笑)
 トピ主の「0」を要約する。
================================
海南島の広さはちょうど日本の九州(   )だ
aほど  bぐらい
================================

 正解はaかbか。これもトンデモ問題集の類いだろう。どっちもアリだよ。
 ネットで検索するとものすごい数がヒットする。↑の例題のようにどちらも使える例でニュアンスがどう違うのかいろいろ説明している。「そんなムチャな」という意見も多い。
 で、「1」がわざわざ一方しか使えない例題まで作って解説までしている。
「4」のトピ主のコメント。

>そうか、3の文は軽視する気持ちを込めているらしいので、「ぐらい」のほうが適切ですね。
 こういうコメントがどこから出てくるのか理解できない。この人は日本語がどの程度習得してるんだろう。初心者としか思えない部分もあるのに、急にこういう高度な解釈を出してくる。
 こういうのを読むと、当方のように性格の悪いヤツは、「ふざけて初心者のフリをしているだけなのか」と勘ぐってしまう。
 ただ、「軽視する気持ち」とは限らない。この場合は重視とも軽視ともとれる気がする。「それくらいできる」のように軽視する用例が多いのは事実だろう。「そんな話で喜ぶのは子供くらいだ」も軽視。では、「この理論を理解できるのは日本では◯◯博士くらいだ」って軽視ですか?
 
 まず大前提。「ぐらい」と「くらい」の話は下記参照。噛み付き電波だの●●だのがいっぱいで気持ちが悪いトピだな。後半はとくにググチャグチャで、あげくのはてにホニャララまで登場してるorz。要は「ぐらい」と「くらい」には違いがほとんどないってこと。「くらい」が本線らしいんで、以下は「くらい」と表記する。
【「くらい」と「ぐらい」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28491946

 例によって辞書をひく。ちょっと事情があって辞書をひき直す(20140116)。
http://kotobank.jp/word/%E7%A8%8B?dic=daijisen&oid=17047100
■Web辞書(『大辞泉』から)
================引用開始
ほど 【程】
[副助](名詞、名詞的な語、活用語の連体形などに付く)
1 多く、数量を表す語や、「いか(如何)」「どれ」などの語に付いて、おおよその分量・程度を表す。…くらい。「一週間―旅行する」「どれ―眠ったろうか」「五丁―も往(い)たら」〈滑・浮世床・初〉
2 ある事柄をあげることによって、動作や状態の程度を表す。…くらい。「二人は驚く―似ている」「ワガ母―ノ慳貪(けんどん)第一ナ者ワ世ニアルマジイ」〈天草本伊曽保・母と子〉
3 打消しの意を表す語と呼応して、程度を比較する基準を表す。…くらい。「きのう―暑くはない」「彼―正直な人はいない」「東国の武士―恐ろしかりけるものはなし」〈平家・九〉
4 (多く「…ば…ほど」の形で)一方の程度が高まるのに比例して、他方の事柄・状態が一層高まる意を表す。…につれて一層。「読めば読む―面白くなる」
5 限度を表す。…だけ。「ほしい―飲みて」〈四河入海・二五〉
◆名詞「ほど(程)」から転じたもので、中世以降になって助詞として用いられるようになった。2は多く、動作や状態の程度がはなはだしいことを表す。→ほどに[連語]
================引用終了

http://kotobank.jp/word/%E4%BD%8D?dic=daijirin&oid=DJR_kurai_-010
■Web辞書(『大辞泉』から)
================================
くらい 〔くらゐ〕 【位】

[副助]《名詞「くらい(位)」から。中世以降の語。「ぐらい」とも》名詞、および活用語の連体形に付く。
1 おおよその分量・程度を表す。ほど。ばかり。「一〇歳―の男の子」「その―で十分だ」
2 おおよその基準となる事柄を表す。「声も出ない―びっくりした」「犬―人間に忠実な動物はいない」「目に見えない―小さい」
3 (多く「くらいなら」の形で)事実・状態を示して、程度を軽いもの、または重いものとして強く主張する意を表す。「簡単に否決される―なら、提案しなければよかった」
================================

 この『大辞泉』の「くらい」の記述はよくわからない。「3」の「程度を軽いもの、または重いものとして」ってどういう意味? 『大辞林』のほうはなくなっているが、古いデータで話を進める。
================================
くらい[くらゐ]
(副助)
〔補説〕 名詞「くらい(位)」からの転。中世以後生じたもの。「ぐらい」の形でも用いる
体言および活用する語の連体形に付く。
[1]おおよその分量・程度を表す。ほど。ばかり。
・一キロ―行くと駅につく
・茶さじ一杯―の塩をいれる
・プロ選手―の実力はある
[2]ある事柄を示し、その程度が軽いもの、弱いものとして表す。
・酒―飲んだっていいよ
・ご飯―たけるよ
[3]ある事柄を示し、動作・状態の程度を表す。
・あんなことを言う―だから、何をするかわからない
・辺り一面真っ暗になる―のどしゃぶり
[4]比較の基準を表す。「…くらい…はない」の形をとることが多い。
・こども―かわいいものはない
・君―勉強ができるといいのだが
[5]ある事柄を示し、それがひどく悪いもの、嫌うべきものとして表す。「くらいなら」の形をとることが多い。
・降参する―なら死んだ方がましだ
================================

 困った。
「この理論を理解できるのは日本では◯◯博士くらいだ」は誤用になってしまう(泣)。これは意味としては「だけ」に近い。
 似たような用例に「誰もが真っ先にあげるくらいだ」ってのもある。これは「ほど」にもできる。意味としては「程度」なのかな?

 ここで「1」の例題に戻る。
1)彼(  )の人物がなぜそんなことをしでかしたのだろう。→ほど
2)彼女に振られた(   )で、そんなに落ち込むなよ。→くらい
3)そんなことができるのは君(  )だ。→くらい
4)話したいことは山(   )あるけど、時間がない。→ほど

1)は「ほど」の「1」だろう。これは「くらい」にできない。
2)は「くらい」の[2]だろう。これは「ほど」にできない。
3)は「くらい」の??だろう。これは「ほど」にできない。
「この理論を理解できるのは日本では◯◯博士くらいだ」もこれと同じ用法だろう。Web辞書にはない用例になる。
4)は「ほど」の「1」だろうか? これがなぜ「くらい」にできないのかは謎。

 こうやって「ほど」「くらい」の辞書の意味をひとつずつ検証して入れ替えができるかできないかを考えていけば、もう少しハッキリするかもしれない。
 もはや学者の仕事?

【補足】
 手元の『広辞林』には「くらい」の意味が4つ出ている。
 1)2)はWeb辞書と大差がないが、3)4)は少し違う。
================================
3)ある事がらを例示して、それがきわめて極端な場合であることを表わす。「あんなことまで言う―だから、何をするかわからないぞ」「これ―で、へこたれてはだめだ」
4)「…くらい…はない」の形で、示されたものごとが、最高の程度であることを表わす。「あいつ―きざなやつは世の中にいない」「お金―人間をだめにするものはない」
================================

 3)は「きわめて極端な場合」なので「この理論を理解できるのは日本では◯◯博士くらいだ」をかろうじてカバーしているかもしれない。善い意味になる場合も、悪い意味になる場合もあるってこと。
 用例の「これ―で、へこたれてはだめだ」は、例題2)の「彼女に振られた(   )で、そんなに落ち込むなよ」とほぼ同じだから、『大辞林』の[2]に近いとも言える。
「きわめて極端な場合」が悪いほうに傾くと『大辞林』の[2]ってことか。じゃあ、善いほうに傾いた場合はどうなるんですか。『大辞林』さん。

 4)もWeb辞書にはなかった。これは「…ほど…はない」にできる。


【「ほど」 「ぐらい」 「くらい」】2

日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2010年06月24日から

 下記の続き。
【「ほど」 「ぐらい」 「くらい」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1374.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520771761&owner_id=5019671

「ほど」と「くらい」に考えていて、迷路に入ってしまった。
【1】の例題を再掲する。
================================
1)彼(  )の人物がなぜそんなことをしでかしたのだろう。→ほど
2)彼女に振られた(   )で、そんなに落ち込むなよ。→くらい
3)そんなことができるのは君(  )だ。→くらい
4)話したいことは山(   )あるけど、時間がない。→ほど
================================

 どうやら4)は慣用句で、「くらい」でも間違いとは言い切れないらしい。
 疑問点が2つ生じた。
A もし4)が「くらい」でも「間違いとは言い切れない」なら、1)も「間違いとは言い切れない」のでは?
B 日本語学習者に「ほど」と「くらい」の違いを論理的に説明にするのは無理なのだろうか。
 たとえば、原則的には「○○」で、例外は「××」や「△△」など……のように。

 思いっきり強引とは知りながら、仮説を立ててみた。
1 数量(面積、人数……etc.)を表わす「ほど」と「くらい」はどちらでもほぼ同様。
2 程度を表わす「ほど」と「くらい」に関しては、「ほど」のほうが用途が広い。
  ※「くらい」に限られるのは↑の2)3)くらい(「きわめて極端な場合」を表わす)
   2)は「そんな程度のこと」、3)は「だけ」に置きかえられる
3 「ほど」しか使えない慣用句は相当数あり、「くらい」しか使えないのは「中くらい」くらい。

 限界を感じて完全に頓挫(泣)。

【「ほど」を使った慣用句(「くらい」には置き換えられない)】の例
あれほど→この類いは「くらい」にできる。以下は原則的に「くらい」にできないものに限る。
 ※「あれほど」と「あれくらい」はニュアンスが相当異なる気がするが、下記を見る限り置きかえ可能。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%BB%E3%81%A9&dtype=0&stype=2&dname=0na&pagenum=1&index=00776700600100
いかほど
売るほど(ある)
口ほど
このほど
実力のほど→実力の程度にできなくはない
なにほど→副助詞
なるほど
のちほど
ほど近い
ほどよい
身のほど
見れば見るほど→副助詞
見るほど→副助詞か?
山ほど→副助詞か?
よほど
 
一の位→名詞
位負け→名詞
中くらい


【「ほど」 「ぐらい」 「くらい」】3

日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2011年02月03日から

 下記の続き。

 下記の仲間でもある。
 性格の悪そうな書き方になっているのは、管理人の責任です。クレームは管理人にお願いします。
【黒いコレクション──日本語教師関連28】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1442972256&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【程度「ぐらい」「ほど」の違いについて。】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59734753&comm_id=19124

 質問文を一部加工して転載する。
================================
 過去にも「ぐらい」と「ほど」についてのトピックがあったのですが、内容が少し違ったのでトピ挙げさせてもらいました。
 新米なので、ぜひ教えていただきたいです

「弟は、兄(   )背が高くない。」

 という問題で、選択肢「ぐらい・まで・ほど・とか」から選ぶというものなのですが、解答は「ほど」です。
 この解答に違和感はないのですが、「ぐらい」でも言えないこともない気がするのです。。。

  弟は兄ほど背が高くない⇒兄は背が高いが、弟は高くない。
  弟は兄ぐらい背が高くない⇒両方とも背が高くない。

 しかし、「ぐらい」の場合、「弟は兄ぐらい背が高い」だとしっくり来る気がします。
「ほど」は否定文に使われることが多いので、この問題は「ほど」がしっくりくるのでしょうか。。。
例)これほど嬉しいことはない。
 参考書を見ても、「ぐらい・ほど」については前に数字が来る用法しか載っていなくて困っています
================================

 質問のしかたがあまりにもダメすぎて脱力する。
 別にフザケているわけではなさそうだが、あまりにも……。
 他者に日本語を教える立場の人だよね。もう少し考えて質問しないと、まともな答えはもらえないよ。
 タイトルの「程度」ってなんなのよ。そりゃ「ぐらい」「ほど」とあれば「程度を表わす」という意味だとわかるけど。
「トピックがあった」のなら、なんでリンクを張らない。
「内容が少し違った」って誰が判断したの? それは質問者が判断することではない。たいていの場合、少し違うトピはけっこう参考になる。場合によってはジックリ違いを検討するだけで疑問が解決する。
 おそらく下記だろう。
【「ほど」と「ぐらい」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54129700&comm_id=19124
 回答しようとする人全員に、この検索の手間を強いるのか?(そんな律儀な人はめったにいないかもしれないけど)
 
>新米なので、ぜひ教えていただきたいです
 新米でないなら教えなくてもいいのかな。むしろ、新米こそ自分で調べようよ。それが勉強だよ。
「いただきたいです」って日本語に違和感はないのかな。そりゃ日本語教師用の教科書では許容されているようだけど。そのことを知ってるからあえて使ったんならそれでいいけど。単に無神経なんてことはないよね。文末の絵文字は……さすがに許容されてないだろう。ついでに言えば「。。。」って何?

>この解答に違和感はないのですが、「ぐらい」でも言えないこともない気がするのです。。。
 違和感がないならそれでいいじゃん。はい終了。〈「ぐらい」でも言えないこともない気がする〉と思うのは、「違和感」じゃないの?
〈「ほど」は否定文に使われることが多いので〉って、それは何かに出ていたの? 質問者の主観で断言してるの? 多い少ないとシックリ来る来ないは別問題じゃないかな。「こういう●●な質問を山ほど見てきた」だとシックリ来ないのかな。これは否定文ではないよね。まあ、否定的な内容だけど。

>参考書を見ても、「ぐらい・ほど」については前に数字が来る用法しか載っていなくて困っています
 なんという参考書にどう書いてあったの。そのくらい教えてもらえませんか。回答しようとする人全員にホニャラララ。
 国語辞典はもってないのかな。
「数量を示す場合と程度を示す場合が……」なんて話から始めるべきなのか、そこは理解しているのか。ホントに↑の類似トピを読んでるのかな?

 それに輪をかけて、回答コメントが……。ここまで行くと芸術的かも。もはやコミュとして機能していると言えないのでは。求人情報とかに限ればいいのに。

 ……細かいことに毒を吐いていると際限がない。制限字数を超えるかもしれない。
 放っておけばいい、って考え方もあるけど、問題としてはそうはできない“ほど”興味深いもんで。困ったことに、そういう興味深い問題“ほど”厄介なことが多い。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ。どうやらいい意味でも悪い意味でも使える。
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表記の話17──「怖い」と「恐い」 資料編

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

mixi日記2014年10月26日から

 下記の仲間。
【「表記の話」のバックナンバー】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html

 表記の話にはできるだけ踏み込みたくないが、あまりにもホニャララなので……。
 最近、質問サイトで「怖い」と「恐い」の違いがしばしば話題になる。
 なぜこんな質問が出てくるのか疑問を感じる。
【怖い 恐い】のキーワードでネット検索してみた。Googleが下記。
https://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=10_6_8&q=%E6%80%96%E3%81%84%E3%80%80%E6%81%90%E3%81%84&ie=UTF-8&oe=UTF-8&gfe_rd=cr&ei=sXNMVM7AGIXH8geLjICACg&gws_rd=ssl

 少し前にネット検索が改善され、類似の質問などはひとつにまとめられるようになった。おそらく「Yahoo!知恵袋」といったカテゴリーの中で一番検索数が多いものが表示されるのだろう。以前は、質問サイトのやり取りばかりが並んで非常にウットーしかった。
【質問のご作法〈5〉──回答のご作法〈1〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2059.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1748852541&owner_id=5019671
 一番検索数が多いことと適確か否かは別問題なのが難なのだが。ヒット数が多いのは必然的に古いもので、「いまさら」というものも多い。
 Yahoo!で検索をかけてもほぼ同様。キーワードによっては、Yahoo!知恵袋の類似回答をまとめてくれる。【「怖い」 「恐い」】をキーワードにすると、出てくる。このあたりの法則性は不明。
【怖い 恐い】のキーワードで上位に来るサイトをチェックしてみた。

1)【「怖い」と「恐い」の違いと使い方を教えて下さい!】(2007/1/17)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310528873
 これがYahoo!知恵袋の代表だけど、このベストアンサーの内容は……。
「怖い」は主観的、「恐い」は客観的ってことだろうか。典拠は不明。ってことはこのコメント自体が単なる主観(意見)でしかない。

2)【「怖い」と「恐い」の違い。】(2008/08/26)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4279195.html
 これが教えて! gooの代表。5つのコメントがあり、違いを明確にしているものはない。
 こちらのベストアンサーの書き方は、情報が多すぎて、わかるようなわからないような印象になっている。
 辞書には「草原で恐ろしい毒蛇にあい、怖かった」という例文があるとか。辞書名を書いてないからなんの信憑性もない。これは『大辞泉』のことだろう(当時は違ったかもしれない)。
1210)突然ですが問題です【日本語編198】── 怖い 恐ろしい【解答?編】辞書
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3044.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930722625&owner_id=5019671

 個人的には〈「怖い」が主観的で「恐ろしい」が客観的〉という説にも疑問を感じる。
 1210)でひいた『大辞泉』の「恐ろしい」の項には〈「恐ろしい」は、「日曜の行楽地は恐ろしいばかりの人出だ」「習慣とは恐ろしいものだ」のように、程度がはなはだしいとか、驚くほどだ、ということを示す場合もある。この場合、「怖い」とはふつう言わない〉とある。後述の『大辞泉』の「怖い」の項には〈3 不思議な能力がありそうで、不気味である。「習慣とは―・いものだ」〉とある。
 つまり「習慣」とは「恐ろしい」ものでもあり、「怖い」ものでもあるらしい。どちらを使うかによって、主観的/客観的どころではなく、文章の意味が大きくかわるらしい(笑)。これは単に「恐ろしい」の項がヘンなだけって気もする。
 話がメンドーになるので、〈「怖い」が主観的で「恐ろしい」が客観的〉って説は許容しておこう。
 問題は「怖い」と「恐い」の違いだ。

3)goo辞書(『大辞泉』)
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/83114/m0u/
==============引用開始
こわ・い〔こはい〕【怖い/▽恐い】
[形][文]こは・し[ク]《「強(こわ)い」と同語源》
1 それに近づくと危害を加えられそうで不安である。自分にとってよくないことが起こりそうで、近づきたくない。「夜道が―・い」「地震が―・い」「―・いおやじ」
2 悪い結果がでるのではないかと不安で避けたい気持ちである。「かけ事は―・いからしない」「あとが―・い」
3 不思議な能力がありそうで、不気味である。「習慣とは―・いものだ」
→恐ろしい[用法]
[派生]こわがる[動ラ五]こわげ[形動]こわさ[名]
恐ろしい(おそろしい)  ⇒類語辞書で詳しい使い方を調べる

怖いもの知らず
自信に満ちて、何ものをも恐れないこと。また、無鉄砲なこと。「―の若者」
怖いものなし
恐ろしいと思うものがなく、かって気ままに振る舞える。「天下に―の権力者」
怖いもの見たさ
怖いものは、好奇心に駆られてかえって見たくなること。「―に谷底をのぞき込む」
==============引用終了

【怖い/▽恐い】は「恐い」が常用漢字音訓表外であることを示している。
 それ以外に「怖い」と「恐い」の違いに関する記述はない。つまり、「怖い」と書こうが「恐い」と書こうが、意味はかわらない。単に表記の問題だからね。
 ただし、慣用句に関しては、常用漢字音訓表に従って「怖い」を採用している。当たり前だろう。

4)怖いと恐いの違い[違い辞典]
http://chigai.xxxxxxxx.jp/kowai.html
 いろいろなサイトを紹介している。で、結論は?

 当方が読む限り、「怖い」と「恐い」の違いに関してちゃんとした典拠を示しているコメントは見当たらない。ほとんどが単なる主観(意見)。
 個人的なこだわりがあって、「怖い」と「恐ろしい」をキッチリ使い分けるのは自由。読み手がどこまで理解できるのかはわからない。語感の鋭い人や『大辞泉』の「恐ろしい」の項が身についている人なら共感してくれるかもしれない。当方は共感しないけど……。
 個人的なこだわりがあって、「怖い」と「恐い」をキッチリ使い分けるのも自由。でもほとんどの人は理解できないと思う。そういうのは書き手の自己満足でしかない。編集部に提出する原稿なら、問答無用で「怖い」にされる可能性もある。「恐い」は常用漢字音訓表外だから。一般には意味の違いはないと考えられているしね。
〈「怖い」が主観的で「恐ろしい」が客観的〉だとすると、そこから類推して〈「怖い」が主観的で「恐い」が客観的〉と言えるかもしれない。でも言えないかもしれない。そんなことは言葉の神様でないとわからない。当方は関知したくない。
 ハッキリとはしない前提から類推して正しい答えが出るとは思えないけどね。
 ところが、最近の質問サイトの「怖い」と「恐い」に対する回答の多くは、「類推」ですらなく、断定調で書いている。いったい何を根拠にしているのか教えてほしい。

 ちなみに、類推するのは自由だけど、元になる辞書の記述を好き勝手に切り貼りして引用するのは著作権侵害になると思う。
1238)【引用のご作法26 「怖い」と「恐ろしい」 「怖い」と「恐い」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1932241573&owner_id=5019671

「個人的」な話……なのかもしれない

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1129089107&owner_id=5019671

mixi日記2009年12月09日から

 先週、バックアップ用にアップしているブログに妙なコメントがついた。
 とりあえず、やり取りを並べてみる。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

【ながたきたさんのコメント】==================
個人的には」

こんにちは。はじめまして。
文中に「個人的には云々」という記述がありますが、これは誤用ではないでしょうか?
日本語誤用に関して、個人としてではなく組織としての見解を述べる立場にあるということであれば別ですが、一般の人があえて「個人的」と断るのには違和感を感じます。
2009/12/02 21:50

【tobiクンのコメント】=====================
Re: 「個人的には」──はじめまして

 はじめまして。

> 文中に「個人的には云々」という記述がありますが、これは誤用ではないでしょうか?

 文章を書くときの自分なりのルールがいくつかあります。「一人称はできるだけ使わない」というのもルールのひとつです。
 一人称で「私は」と書くべきかわりに使っているのが「当方は」や「個人的には」です。
 あまり目立つと不自然でしょうが、「誤用」という説は初めて聞きました。
 老婆心ながら。「違和感を感じます」は一般に重言とされています。
 “個人的には”「違和感を覚える」も重言風だと思います。
2009/12/02 22:41

【ながたきたさんのコメント】==================
「個人的には」2

ご返事ありがとうございます。
「私は」と「当方は」は似たような意味かもしれませんが、「個人的には」は全く意味が異なると思います。
組織や団体を代表して発言する立場に無い人が、「個人的には」と、わざわざ断りをいれる意図が理解できません。
組織人としての見解と個人としての見解が異なる場合に限って使われるべき表現だと思います。
2009/12/02 23:30

【tobiクンのコメント】=====================
Re: 「個人的には」2──ながたきた さん

 言葉の捉え方には個人差があるんですね。
 個人的には違和感はありませんし、一般的にもそういうふうに考える人は少ないと思います。
 もしどうしても疑問なら、アンケートでもとられてはいかがですか?
2009/12/03 10:09

【ながたきたさんのコメント】==================
アンケートをとるつもりはありませんが、「役不足」を誤用しているひとと同じくらいの人が、意味のないところで「個人的には」を使っているというのが私の印象です。
多い少ないの論議ではないということです。
たわごとにおつきあいくださって、どうもありがとうございました。
2009/12/04 05:17

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

>、「役不足」を誤用しているひとと同じくらいの人が、意味のないところで「個人的には」を使っているというのが私の印象です。

 当方には、そういう印象はまったくありません。

> 多い少ないの論議ではないということです。

 意味がわかりません。「同じくらい」というのは「多い少ない」のことではないのですか?

> たわごとにおつきあいくださって、どうもありがとうございました。

「たわごと」か否か当方には判断できません。ただ、ご本人が認めてらっしゃるのですから「たわごと」なのでしょう。

 いずれにしても、一般に使われている表現を「誤用」と言うのなら、それなりの論拠なり根拠なりを添えていただかないと、説得力はありません。
2009/12/04 12:23

【ながたきたさんのコメント】==================
一般に多くの人が使っているからと言って正しいとは限らない、数の多寡と正誤は無関係であるということです。

「個人的には」というのは「個人としての立場では」ということですから、組織としての立場を有しない人が、「個人的には」とことわりを入れるのはとても滑稽です。

例えば、「個人的には消費税は廃止すべきだと思う」と語れるのは、国会議員か財務省の役人くらいのものです。
2009/12/04 21:17

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

> 一般に多くの人が使っているからと言って正しいとは限らない、数の多寡と正誤は無関係であるということです。

 たしかに多くの人が使っていても誤用ということはありますね。でも「数の多寡と正誤は無関係」ではないと思いますよ。

 少数派のほうが正しいと主張するには、それなりの論拠なり根拠なりを添えていただかないと、説得力はありません。
2009/12/04 21:58

【ながたきたさんのコメント】==================
論拠や根拠は、消費税の例で十分と思っています。
これでピンとこないような人を、これ以上説得する気はありません。

何の立場にも無いひとが、「個人的には」なんて言葉を使うのは、えらそうな感じが漂ってて滑稽なんです。
2009/12/04 22:23

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

> 論拠や根拠は、消費税の例で十分と思っています。

 当方はそうは思いません。こういう問題を主観で語ってもムダでしょう。文献とかありませんかね。単なる主観でほかにちゃんとした論拠も根拠もないんですよね。

> これでピンとこないような人を、これ以上説得する気はありません。

「説得」ってどういう意味でしょうか。おそらく使い方が不適当です。
 
> 何の立場にも無いひとが、「個人的には」なんて言葉を使うのは、えらそうな感じが漂ってて滑稽なんです。

 そうですか。単なる主観でちゃんとした論拠も根拠もないんですよね。個人的にはそうは思いません。
2009/12/04 22:55

【ながたきたさんのコメント】==================
文献なんか無いでしょう。
当たり前すぎて、研究対象になりませんから。
人の研究なんかあてにしないで、自分の頭で考えましょうよ。

文献はありませんが、「個人的には」の使われ方がおかしいと言うことをブログに書かれている方は何人かいらっしゃいますよ。
2009/12/04 23:04

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

> 当たり前すぎて、研究対象になりませんから。

 当方はそうは思いません。なぜ「当たり前すぎ」なのでしょうか。

> 人の研究なんかあてにしないで、自分の頭で考えましょうよ。

 考える必要があることなら考えます。

> 文献はありませんが、「個人的には」の使われ方がおかしいと言うことをブログに書かれている方は何人かいらっしゃいますよ。

 それはどういった方なんですかね。
 その方々が個人的に「おかしい」と考えるのをトヤカク言う気はありません。

 ただ、「個人的には」という言い方が「誤用」だとはとても思えません。
 したがって、現段階では、使うのをやめる気はありません。「誤用」だというちゃんとした論拠なり根拠なりを示していただけるなら考えるかもしれませんが。
2009/12/04 23:46

【ながたきたさんのコメント】==================
文章を書くことや話をすることを生業にしているご友人に聞いてみてはいかがでしょう。
親切に誤りを指摘してくれるかもしれませんよ。

最近の若い方が使う、いわゆるバイト敬語みたいなものです。
周りがみんな使っていると、おかしいと感じなくなるんですよ。
2009/12/05 07:17

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

> 文章を書くことや話をすることを生業にしているご友人に聞いてみてはいかがでしょう。
 そうしたいとは思うのですが、なんの根拠もなくこんなことを主張しても相手にしてもらえません。
 言葉の問題を主観だけで語るとたいてい不毛な議論になります。文献もないような新説なら、せめて〈「個人的には」の使われ方がおかしい〉と書いているブログを教えてください。できればマトモな書き方をしているものを。
「個人的 誤用」で検索してもロクなものがありません。

> 親切に誤りを指摘してくれるかもしれませんよ。
 一般に使われている表現を「誤り」と主張するには、それなりの論拠なり根拠なりが必要なんです。フツーの人は、そんなことを「当たり前すぎ」とか言われても納得しません。

>「個人的には消費税は廃止すべきだと思う」と語れるのは、国会議員か財務省の役人くらいのものです
 などと言っても、「そういう考え方もあるかも」とか笑われそうです。

> 最近の若い方が使う、いわゆるバイト敬語みたいなものです。
 それも主観ですよね。どこが「みたいなもの」なのかまったくわかりません。

> 周りがみんな使っていると、おかしいと感じなくなるんですよ。
 そんなムチャな論理が通用するなら、どんな表現だって「誤用」と主張できますよね。でも、誰も相手にしてくれないと思います。
2009/12/05 10:58
================================

■後日、またコメントがあった。
【ながたきたさんのコメント】==================
12月17日付け日経夕刊一面のコラムに、「個人的には」の誤った使い方について少し触れられています。
ご参考まで。
2009-12-18(05:34)

【tobiクンのコメント】=====================
ながたきた さん

 それはそれは、わざわざどうも。
 ネット上にでもテキストがありませんかね。こんなアイマイな書き方ではなんとも言えません。
 何かのついでのときに見てみます。覚えていたら。
 個人的にはあまり興味のない話なんで、そのために図書館などに行く気にはなれません。
 それよりも、〈「個人的には」の使われ方がおかしい〉と書いているブログを教えてください。ちゃんとした意見なら読みますよ。
2009-12-18(20:37)
================================

 世の中にはいろいろな考え方があるらしい。
 ちなみに、「個人的 誤用」で検索してみておもしろいものを見つけた。〈「個人的には」の使われ方がおかしい〉と書いているブログは見つからなかった。そのかわり、「個人的に」という言葉を使っているブログに「それは誤用では」とコメントしている人が見つかった。

http://blog.goo.ne.jp/santouka0833/e/2fa3eb404bcffa28d0aab39cf8e85c87#comment-list
※このやり取りでコミュニケーションがとれているのだろうか。まるで理解できないのは、当方がバカだからだろうか。

http://propakamba.any2.net/item/355.html/comment-page-1
※このコメントを見ると、「個人的には」は誤用だけど「個人的に」ならOKとしている。当方へのコメントでは〈「個人的」と断るのには違和感を感じます〉(重言だって!)とあって「個人的」でさえダメになっている。そりゃそうだろう。「個人的には」が誤用なら、「個人的に」だって「個人的」だって誤用になるよ。簡単な話で、「個人的に言わせてもらうと」や「個人的見解」が「個人的には」とどう違うのか、当方には説明できない。

 大前提として、「誤用」とは何か、という問題がある(大上段やな)。
 世間の7割が誤用していたらそれはもはや正用?……それでも誤用は誤用なの。
11)【世に誤用の種は尽きまじ──2】(2008年08月10日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897188119&owner_id=5019671&org_id=896040364

 ただね。少数派側の意見を主張するなら、やはりそれなりの論拠なり根拠が必要なの。
 辞書では確認できない。文献さえない。イマドキ、どんな珍説でもブログくらいあるでしょうに。
 そういうものがいっさいないのに個人の主観だけで新説を出すなら、それなりの書き方をしないと正当性を主張するのはむずかしいと思う。
 たしかに「個人的」が頻出する文章は相当ウットーしいと思う。それを言ったら「私」だろうが「当方」だろうが、頻出するとウットーしいよ。
「赤い本」を書いたとき、いくつか実験的な試み(重言?)をした。そのうちのひとつが、「一人称を使わない」。けっこうしんどかった。一般的な仕事の原稿の場合、基本的に「私」なんて使ったことがない。使うなら、アタイかオラだろうか。
 ただ、ほぼ自分の考えだけで(しかも世間を敵に回す内容で)一冊の本を書いて、一人称を使わないのはムチャだと思う。どうしても……というときには「個人的」を使った。組織云々は関係なく、「世間一般はアータラだけど自分はコータラだと思う」ってときに、「個人的には」と書いて悪い理由はないだろう。
「私」と「当方」と「個人的」の違いは……うんと乱暴に言えば、意味はほぼ同じ。ニュアンスはけっこう違うけどさ。
 たしかに、あえて「個人的」と使う理由はない、という考え方には一理なくはないのかもしれないと考えられなくはない。
 じゃあ、「私見」ならOKなの? 「私的」ならOKなの?
 誰かが「自分はおかしいと思うから使わない」と個人的に考えるなら「どうぞご自由に」としか言いようがない。わざわざ口を挟むほどヒマじゃないよ。そういう考え方をするのは個人の自由だと思う。でも「誤用」とか言いはじめたら単なる●●だよ。
 ちなみに、「個人的な見解」の模範的な使い方として下記をあげておこう。
 この場合、会社の方針は別とした「個人的な見解」ってこと。この話の詳細はいつ書くんだろう……と言うか覚えているのだろうか(笑)。
2)-2【爆弾追加。】2008年03月15日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=744835761&owner_id=5019671


【20151028追記】
http://www.yomiuri.co.jp/column/national/20090612-OYT8T00293.htm
※リンク切れ
 ↓
サーベイサイトで見つけた。
http://web.archive.org/web/20090703201446/http://www.yomiuri.co.jp/column/national/20090612-OYT8T00293.htm
==============引用開始
理系頭のたわごと
社会部デスク 清水純一
 高校から30年の付き合いになるが、サカモトという男は変わらない。5月25日、東京・五反田の居酒屋。ラッキョウの皿をふいに持ち上げ、ぼそっと切り出した。「これを個人的に好き、という言い方はおかしいと思わないか」

 ラッキョウが好きとか嫌いとか、そういうことではない。「個人的に」という日本語がよく分からないのだという。個人の対局にあるのは組織。「ラッキョウを組織的に好き」という状況は現実にはない。したがって「個人的」とわざわざ付ける必要はない、という理屈だ。あくまで彼は必然性にこだわるのである。

 「また、へんてこりんを言い出して」。当人以外の全員が一瞬ぽかんとして、吹き出す。共感はない。サカモトがぼそっと言う。「うーん、やっぱ、おれは頭が悪いのか」

 だが、この男、大手自動車会社で技術者をしている工学博士である。最高学府の大学院も出ている。車が好きでその道に進んだのだが、学生時代にはこんな奇妙なことがあった。

 何人かで一緒にいて急に雨が降り出し、タクシーに乗ろうということに。その時「おれが拾う」としゃしゃり出てきたのが、この男。ところが、歩道から身を乗り出すようにしながら、ブーンブーンと通り過ぎていくタクシーをただ見送るばかり。待たされる身には何が何だかわからない。

 訳を聞くと、前輪駆動(FF)車を選ぶのだという。「後輪駆動だと、後ろの真ん中に乗った者が狭い思いをするから」。座席中央の足元にある、あのこんもりした車軸のふくらみを邪魔と考えているらしい。それでもなかなか、FF車は見つからない。「これも違う、あれも……あっ、今のがそうだった」。雨音の中、車だけでなく、時がどんどん過ぎていった。

 当時、FFのタクシーは極めてまれだったらしい。これはずいぶん後になって聞かされた話だ。

 科学者は頭がいいと同時に、頭が悪くなくてはならない。そう説いたのは、物理学者・寺田寅彦である。「科学者とあたま」と題するエッセーに書いている。<ものわかりの悪い、のみこみの悪い田舎者であり、ぼくねんじんでなければならない>と。頭のいい人は見通しがきくだけに、何事もさっさと片づけ過ぎるきらいがあり、大切な事柄を見落とす恐れがある、という指摘だ。

 そこで「個人的」の一件。日常生活で確かによく耳にする言葉だが、よく考えると、サカモトは正しいかもしれない。何かを好きという時に「個人的」とことわる必然があるとすれば、組織的に何かを好きと言い表すケースがある場合ーー彼はそう考えた。カレーライス、卵焼き、焼き肉、マンゴー……そうしたものに「組織的」をいちいち付けて自問自答した末に、「お前に聞きたいことがある」と切り出したのだろう。

 まあ、変わった男だが、「個人的」にずいぶん世話になっている。腹の病気で入院した時は、何を食べていいか悪いかも聞かず、あんパンと缶コーヒーを持って見舞いに来てくれた。面会時間外の夜だったので、屋外の道ばたのベンチでパジャマ姿のままごちそうになった。夏で天気のいい日だったから良かったのだが。

 今、自動車業界は有史以来の苦境にある。王者ゼネラル・モーターズ(GM)が破たんしたり、若者の車離れが進んだり。タクシーのFFにこだわるのはどうかと思うが、携帯電話でピコピコしているより、遠くへ遠くへと自分を運んでくれる車に夢を求める方がずっと健全であろう。何とかならないものか。理系頭のたわごとも、元気がないと面白くないから。


 締め切り前にこの原稿をサカモトに見せたところ、大方いいとの感想であった。名前を出すのも嫌ではないという。ただ質問が一つ。「必然性があるのか」

(2009年6月12日 読売新聞)
==============引用終了


【20151210追記】
 ちょっと事情があって、追記する。
 で、一人称をいっさい使わないで書いた本の話(笑)。
 このテの内容のもので一人称を使わないのは無理がある(泣)。痛感しました。書けなくはないけど、相当ヘンな文章になる。
 下記の見本を読めばわかるって。
【赤い本(ここがヘンだよ『日本語練習帳』)からの抜粋一覧】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2336.html

 こんなことをしでかした最大の理由は、一人称を何にしたらいいのかわからなかったこと。もちろん、とくに必要のないのに一人称を使っている文章に対する嫌悪感もあった。「そんなもの使わんでも文章は書ける」と考えたのが甘かった(泣)。
 ネットでは「当方」で通している。
 できるだけ使わないようにしているけどさ。

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

突然ですが問題です【日本語編222】──鳥肌が立つ

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935528999&owner_id=5019671

mixi日記2015年04月16日から

【問題】
「鳥肌が立つ」という慣用句を使うのにふさわしい状況を下記から選びなさい。(複数回答可)
1)寒さや恐怖を感じたとき
2)感動したとき
3)興奮したとき
4)その他



【解答?例】
 1)~3)はいずれもOK。
 4)はケースバイケース。

【よくわからない解説】
 結論だけ書くなら、「近年のように感動したときに使うのは誤用」とするのは無理を感じる。
 可能性は2つある。
1)元々の辞書の定義がヘンだった
2)人体の構造がかわった

 詳しくは下記をご参照ください。
【鳥肌が立つ 鳥肌モノ 辞書】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12040979979.html



稼げるSNSとして話題の
tsūへの登録を希望のかたは下記へ。

http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11961303726.html

378)「~してもらっていいですか」〈3〉

 直接的には下記の続きかな。
【よく目にする誤用の御三家 1)さわり 2)役不足 3)斜に構える】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

 相変わらず訳のわからないコメントをもらうことが多い。例のコミュでは頭の痛いコメントが続いている。
 先日、「つぶやき」にコメントをもらった。まだこんなかたがいるのね。なんだかなぁ。
http://mixi.jp/view_voice.pl?pt=1445863212&post_time=20151023085552&content_id=3676681&route_trace=010002700000&destination=voice%2F5019671-20151023085552&sig=060bc6fa4dc48ffe3bbcd676e37cb31fa18a4183&from=news&owner_id=5019671
 
 で、本題は下記のブログにもらったコメント。
 どうやら、同様のコメントをアチコチに入れているらしい。
 書いていることは一理あると思う。でもなぁ。
378)「~してもらっていいですか」【1】 &【2】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12030250248.html

 根本的なアプローチが違っている気がする。
 いくら押し付けられても同意はできない。
==============引用開始
kuroraccoさんもそのドツボに嵌まっているな、と思い、ドツボから這い上がる手助けのつもりで何度もコメントを送ってきたのですが、自分は旧語法存在とは関係なく、「~してもらっていいですか」を不自然な敬語だと考え、これからもこの路線で我が道を進んで行こうとしているのに、いらんことを押し付けて私の邪魔をするな、ということだったのですね。
==============引用終了
 もう少し論理的な話ならちゃんと読むよ。根本的な考え方がうかがえるから、まともに読む気になれないんだと思う。
「~してもらっていいですか」を取り上げた文章はけっこうある。自分と同じ考えのものが1件しかないという段階で、少し考えましょうよ。約2名以外は、みーんな間違っているんですかね。いえその……そものすごく画期的な考えなのかもしれませんが。

==============引用開始
 しかし、「~してもらっていいですか?」だけが不自然という考えも、極めてめずらしい、kuroraccoさん独自のドツボだと思いますよ。
==============引用終了
 あのー。
 なぜ「独自」なのでしょう。
 なぜ「ドツボ」なのでしょう。

よくある誤用9──それも誤用とは言えない 一所懸命/一生懸命 独壇場/独擅場 喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々

 本来は○○だけど、△△も許容される……という例は多いようです。どちらが正しい形か、というのはもっともな疑問ですが、あまりこだわっても仕方がない気がします。
 Yahoo!知恵袋に限っても、そういった質問が繰り返し登場していて食傷気味です。

一所懸命/一生懸命
 これがイチバン知られているのでは。
 本来は「一所懸命」。元々は土地を命懸けで……そのとおりです。
http://gogen-allguide.com/i/issyoukenmei.html
 でも「一生懸命」が「間違い」ではありません。現代の出版物などは、ほとんどが「一生懸命」を使っています。

独壇場(どくだんじょう)/独擅場(どくせんじょう)
 本来は「独擅場」でした。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412335714
 でも「独壇場」が「間違い」ではありません。むしろ「独擅場」などと書いたら、そちらのほうが間違いと思われかねません。

喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々
 本来は「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」です。意味は辞書をひいてください。
 いつからか、両者も混交した「喧々諤々(けんけんがくがく)」が使われるようになりました。「それは誤用」と主張する人も多いようです。
 でもちょっと待ってください。
『広辞苑』は、1991年の段階で「喧々諤々」を採用しています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-date-20120323.html

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2346.html
================================引用開始
『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男
10-3-6  p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。
================================引用終了
Web辞書『大辞泉』も「喧々諤々」を認めています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=けんけんがくがく&stype=0&dtype=0
 ↓
https://kotobank.jp/word/%E5%96%A7%E5%96%A7%E8%AB%A4%E8%AB%A4-491774#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
================================引用開始
けんけん‐がくがく【×喧×喧×諤×諤】
[ト・タル][文][形動タリ]《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「―たる株主総会の会場」
================================引用終了
 個人的には、さすがに「喧々諤々」は使いません。でも、「誤用」と主張する気もありません。こんなに古くから許容されているのですから、しかたがありませんって。

突然ですが問題です【日本語編10】──「~させていただく」【解答編】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2010年05月29日から。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1500159854&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
【突然ですが問題です お品書き】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1429470515&owner_id=5019671

 まず問題を再掲する。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1497663174&owner_id=5019671
================================
 問題と言うよりアンケートに近いかもしれない。

【問1】下記の「~させていただく」のなかで、文法的に間違っているのではどれでしょうか。
【問2】下記の「~させていただく」のなかで、感覚的に許容できるのはどれですか。

1)相手が所有している本をコピーするため,許可を求めるときの表現
  コピーを取らせていただけますか。
2)研究発表会などにおける冒頭の表現
  それでは,発表させていただきます。
3)店の休業を張り紙などで告知するときの表現
  本日,休業させていただきます。
4)結婚式における祝辞の表現
  私は,新郎と3年間同じクラスで勉強させていただいた者です。
5)自己紹介の表現
  私は,○○高校を卒業させていただきました。
6)ビストロSMAPでの中居クンの口上
  なんでも作らさせていただきます。
================================

【問1】
 6)がいわゆる「サ入れ言葉」になっている。
■Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C
================================
使役の助動詞は、下記のように使う者が多いことから、五段活用動詞とサ行変格活用動詞の後では「せる」が使われ、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用の動詞の後では「させる」が使われるという規則が見出されてきた。

  やる(五段) → やら+せる
  叩く(五段) → 叩か+せる
  降りる(上一段) → 降り+させる
  受ける(下一段) → 受け+させる

しかし、一部では、下記のように五段活用動詞とサ行変格活用の動詞の後でも「させる」を使うことがある。これがいわゆる「さ入れ言葉」である。

  やる(五段) → やら+させる
  叩く(五段) → 叩か+させる

敬語(特に謙譲語)に不慣れな人が、過剰に敬意表現を並べてしまうために使われるのではないか、ということから若い世代に多いと言われる[要出典]。

「ら抜き」は以前から乱れの代表格として指摘されているものの、こちらは2000年代に入ってから取り沙汰されるようになった。特にバラエティ番組「SMAP×SMAP」のコーナー「ビストロSMAP」で中居正広が「(ゲストが注文した料理を)作らさせていただきます」と言っているのはおかしいのではないかと新聞に投書が掲載されたことがある。
================================

【問2】
「~させていただく」に関して詳しくは下記を見てほしい。ポイントだけ抜き書きする。
【関連トピ紹介】10──敬語の話2 「~させていただく」は是か否か
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45983063

↑の1)~5)は文化庁のサイトからそのままいただいた。「,。」になっているのはそのせい。で、1)~5)に関して文化庁では以下のように解説している。
 基本的には「ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われる」とのこと。
================================
 上記の例1)の場合は,ア),イ)の条件を満たしていると考えられるため,基本的な用法に合致していると判断できる。2)の例も同様だが,ア)の条件がない場合には,やや冗長な言い方になるため,「発表いたします。」の方が簡潔に感じられるようである。3)の例は,条件を満たしていると判断すれば適切だが,2)と同様に,ア)の条件がない場合には「休業いたします。」の方が良いと言えるだろう。4)の例は,ア)とイ)の両方の条件を満たしていないと感じる場合には,不適切だと判断される。5)の例も,同様である。ただし,4)については,結婚式が新郎や新婦を最大限に立てるべき場面であることを考え合わせれば許容されるという考え方もあり得る。5)については,「私は,卒業するのが困難だったところ,先生方の格別な御配慮によって何とか卒業させていただきました。ありがとうございました。」などという文脈であれば,必ずしも不適切だとは言えなくなる。
 なお,ア),イ)の条件を実際には満たしていなくても,満たしているかのように見立てて使う用法があり,それが「…(さ)せていただく」の使用域を広げている。上記の2)~5)についても,このような用法の具体例としてとらえることもできる。その見立てをどの程度自然なものとして受け入れるかということが,その個人にとっての「…(さ)せていただく」に対する「許容度」を決めているのだと考えられる。
================================

 し、しまった。
 これをコピペすれば説明になるとばかり思っていた。これって結局何も言ってないじゃん。ヒデえ文章だな。

 そうなると例によって主観で書くしかないのか。
 ポイントのなるのは2点らしい。
  ア)許可
  イ)受益

 どうもこの受益というのが耳慣れない。カブトムシ採りしか思いつかない。
 文化庁に逆らう気はないけど、↑の【関連トピ紹介】に出てきた、「ウ)名誉」も加えたい(こっちのほうが考えやすいことが多い気がする)。
 1)~6)に関して考える(6)は「サ」を抜いた前提で考える)。

  ア)許可  イ)受益  ウ)名誉
1)   ○     ○     X
2)   ○     X     ○
3)   ○     X     X
4)   X     ?     ? 
5)   △     ○     ? 
6)   ○     X     ○

 こう見比べてみると、○が2つつく1)2)6)あたりが許容範囲かな?
 出題文のコメント欄http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1497663174&owner_id=5019671もご参照ください。

【20111214追記】
 当然のことながら、それなりの文脈を用意すれば不自然でなくなることもある。
 たとえば、5)。相当の問題児がお目こぼしで卒業させてもらい(とっとと追い出した、とも言う)、10年ぶりに会った学校関係者に言うなら「卒業させていただきました」で何もおかしくない。4)も、新郎が大会社の御曹司(もっと適切な例がありそうだけど自粛)なんてときには何もおかしくない。3)も、店主が刑事事件を起こしたときならアリ。
 このあたりはケースバイケースだろう。


「~させていただく」〈2〉

mixi日記2011年03月19日から

「~させていただく」〈2〉

 妙なことに気づいてしまった。画期的な発見か否かは不明。常識的なことにいまさら気づいて小躍りしているだけ……って危険は感じる。
 これだけ批判されながら「~させていただく」が衰退しない理由。
 それは日本語に欠陥があるから。←大きく出たもんだ。
 なんでもいいけど、「出たもんだ」にちなんで?「出る」と「出場する」で比較する。以下、下表を参照してほしい。

させていただきます

「出場する」なら、「出場させていただきます」までへりくだらなくても「出場いたします」で十分ってことがある。ところが「出る」には「もっと丁寧な形」がないから、いきなり「出させていただきます」になりがちなのでは。
「出ます」では敬度が低いと感じるときに使える「もっと丁寧な形」がないからこんなことになる。
 文化庁の例文で見てみよう。
 要するに、「熟語動詞」(仮称)http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1854.htmlなら「もっと丁寧な形」がある。たいていの場合、これを使えば「~させていただく」なんて使わなくて済む。
 よく指摘される歌手の口上「それでは歌わせていただきます」も、「歌います」じゃちょっと敬度不足と思うからこうなってしまうのだろう。仮に原形が「歌唱する」だったら、「歌唱いたします」でOKって気がする。
 さて、「出ます」「歌います」の類いの「もっと丁寧な形」ってあるんだろうか。

 似た例で、「お/ご~いたします」が使えるならそっちに逃げるテがある。下記あたりは「回答いたします」で十分って気はする。
  答えさせていただきます
  →お答えいたします
  →ご回答いたします

 このあたりの表現をうまく使えば、書き言葉ではかなりの部分「~させていただきます」を回避できる気がする。話し言葉だと……イチイチ考えるのメンドーだから「~させていただきます」って言っちゃいそうだな。(←オイ!)

●遠慮がちな結論
「~させていただく」は文法的には間違っていない。連発するのは問題だが、程度問題だろう。
 ただ、コミュニケーションの基本を考えてほしい。これだけ「~させていただく」が問題視されてしまうと、たとえ正当化する論理があっても使うべきではない。よけいなトラブルの元だもん。「それはおかしい」と指摘する人を論破して何かいいことあるの?
 どこかで読んだ気がある人は記憶力を誇っていい。下記で書いた結論をベースにしている。
693)【バイト敬語の話──「よろしかったでしょうか?」考 3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2303.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1819433261&owner_id=5019671



【20120624追記】
『敬語再入門』に重要な記述があった。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html
================引用開始
【引用部】
 ところが、謙譲語IIの代表選手「──いたす」は、「──する」型(サ変)の動詞でなければ使えない、また、文末以外では使いにくい、という制約があります。つまり、先程の例なら「開発いたしました」と言えますが、「新製品を作りました」は、「──する」型動詞でないので「作りいたしました」と言えないし、「新製品を開発した業者です」も、文末ではないので「開発いたしました業者です」は不自然です。この「いたす」の守備範囲の不足を補うように「作らせていただきました」「開発させていただいた業者です」と言う、という面がありそうです。「守備範囲の広い謙譲語IIの形」を求める心理が潜在的にあって、そこに「させていただく」が入り込もうとしているのです。(P.196)
 つまりそのなんだ。こういうのを読んでしまうと、「プチ発見」のはずが単なる勉強不足になるってことだ(泣)。
================引用終了

【20130124追記】
『敬語再入門』の元本とも言える『敬語』ではP.220〜227でこの問題について詳細に解説している。たとえば、よく目にする「本日休業させていただきます」についてだと、下記のように書いている。

================引用開始
  ヤ 本日休業させていただきます。
という掲示を出すのも、あたかも相手の許可を得て休むかのように捉えての表現である。実際には許可など関係なく、店が勝手に休むのだから、「休業いたします」でもよいところだが、ヤのほうが、許しを請うているようで、敬度が高い印象を与えるという感覚なのだろう。(P.222〜P.223)
(中略)
「……(さ)せていただく」のこうした過剰使用への批判は、最近新聞の投書欄などでも目にすることがあるが、しかし、中には逆に過剰な批判もあるように思われる。たとえばヤの「本日休業させていただきます」程度のものまで「卑屈だ」と槍玉にあげている新聞記事を見たが、右に解説したように、ヤのように述べる感覚も十分うなずけるものがある。「……(さ)せていただく」がすべて過剰敬語であるかのように思っている向きもあるかのようだが、そうではない。用法によってはおかしい、ということなのである。(P.224)
================引用終了


【20151022追記】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3272.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 ちょっと補足する。『敬語再入門』のP.191〜に〈「させていただく」の「乱れ」とその正体〉という項がある。これがわかりやすいだろう。
「させていただく」の本来の用法は、〈相手から許可・恩恵を受ける意味であること〉〈その「恩恵の与え手」を高めること〉という〈二重の意味で敬度の高い表現〉としている。
 だが違う側面もあるらしい。
==============引用開始
 ところで、日本語には、「実際はそうでなくても、あたかも相手から恩恵や許可を得たかのように見立てて述べるのが、相手を立てることになる」という発想があります(→§4)。実際には「案内してやる」のでも、「ご案内させていただきます」と言うようなのが一例で(謙譲語I「ご案内する」に「させていただく」が続いたもの)、これは、相手を貴人に見立て、許しを得て案内させてもらう光栄に浴するという発想です。パーティーの案内を受けて「出席させていただきます」と答えたり、「本日休業させていただきます」と掲示したりするのも、パーティーの案内を“出席許可の恩恵”ととらえ、実際には自分で勝手にする休業を“お客様のお許しを得て”と捉える発想です。
==============引用終了
「ご指摘させていただく」も単なる「見立て」だろう。実際には「指摘してやる」。さらに過激に言えば「指摘して恥をかかす」だから。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



●バイト敬語/若者言葉のコレクション
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1818.html

テーマ : 日本語教育
ジャンル : 学校・教育

「~いただけますようお願いいたします」「~いただきますようお願いいたします」「~くださいますようお願いいたします」〈2〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935528999&owner_id=5019671

 直接的には下記の続きだろうな。
【「~いただけますようお願いいたします」「~いただきますようお願いいたします」「~くださいますようお願いいたします」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3215.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1938361658&owner_id=5019671

 Commentがほとんどつかないんで、入れてみた。
 予想をはるかに上回るグズグズの展開に。
 徐々に妙な話になり、昨日のCommentに絶句する。
【~いただけますようお願いいたします ?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8908189.html

>そういう枝葉末節にこだわってはいけません。
>「明らかに誤用」「誤用に近い」、どっちでもいいんじゃないですか?
>そんなことより重要なのは、「使ったほうが良い」のか「使うべきではない」のか、のはずでしょう。

 そ、それは「極論」というもので……。
 そ、そんなことを言うといろいろいろいろ問題が出る。
 当方は「使わないほうが無難」と考えている言葉が多数ある。それが全部「明らかに誤用」と大差がなくなってしまう。
「間違いではないけれどちょっとクドい表現」も「明らかに誤用」と大差がなくなってしまう。
 それは困る。
 今回にテーマに限っても……。
 そもそも当方の〈「明らかに誤用」とまでは言えない気がします〉なんて言葉は矛盾していることになる。どうやら当方の考えは「明らかに誤用」と大差がないんだから。
「まるよし講読」が「~いただきますよう」を〈誤用扱いまでする必要はないが、積極的に勧めはしない〉も矛盾していることになる。だって「積極的に勧めはしない」は「明らかに誤用」と大差がないんだから。
 質問者自身がNo.2で書いた〈必然性がない、というより、明らかに誤用ですよね〉はどういう意味になるのだろう。

 ほかにも矛盾する考え方になるものが多数出てくるだろう。ちょっと微妙な表現はほとんどが「明らかに誤用」と大差がなくなってしまいそう。
 とっても困る。

 さっき見直したら、上部に「補足コメント」が3つも入っている。攻撃性がエスカレートしてる(泣)。
 これはさすがに撤退するほうが賢明だろうな。スゴスゴ


 しっかし、苦し紛れにとんでもないホニャホニャホララ。 
 下記のNo.13の〈「ニュアンス」というのは、辞書によれば「言外に表された話し手の意図」です。「言外に表された話し手の意図」というものが違えば、その人の発した文の意味は大いに違ってくる、とわたしは考えます〉に匹敵する名言かもしれない。
 一般には、「意味はほとんど同じだけど、ニュアンスがちょっと違う」のように使うと思いますが。ご自身もほかのところではそう書いてるはずですけど……。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html

12)【句読点の打ち方/句読点の付け方 その12──「  」と「  」の間に読点は必要か】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【16】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945401266&owner_id=5019671

【句読点の打ち方/句読点の付け方】のお品書き
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3138.html

 テーマサイトは下記。
【句読点の使い方を教えてください。 「」、「」】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14151549044

 Yahoo!知恵袋で句読点に関する質問をもらった。
 これについては付記の必要性を感じていた。

 単語(など)を並べる場合は、間に読点を打つのが一般的(当方は「列記の読点」と呼んでいる)。
 例外になるのは、列記する単語(など)に「  」〈  〉などの約物がついたときで、打たないほうがスッキリする。実際には単語ではないことが多い(単語なら約物をとる方向で考えたい)。
 実際にありそうな例で考える。
 アンケートの分析をするレポートを考えてほしい。

1)「イエス」「どちらかというとイエス」を合わせると60%を超えている。
 この場合、「  」と「  」の間には読点を打つ必要はない。打っても間違いではないが、ちょっとクドいし、見た目が美しくなくなることも多い。ただし下記の場合は、打ったほうがいいだろう。
2)「イエス」(20%)、「どちらかというとイエス」(45%)を合わせると60%を超えている。
 この場合は読点がないと相当紛らわしい。
 同一のレポートのなかに1)と2)の両方が出てきたらどうするべきか。
 1)は打たないで2)は打つ、で統一してもよいだろう。
 1)も2)も打つ、で統一してもよいだろう。
 このあたりは趣味の問題になる。個人的には、混在するのはイヤなので1)も2)打つ気がする。

教えて! gooで庭三郎氏発見 改──チャレンジ日記 「ハ」と「ガ」〈6〉

 下記を書き直しました。
【教えて! gooで庭三郎氏発見】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12068140547.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1945601510&owner_id=5019671

 ちょっと驚いたんだけど、教えて! gooに、庭三郎氏が参加しているらしい。
 これはmixiに金谷武洋氏が参加していることを知って以来の衝撃かも。
【第20回 「は」と「が」はどう違う?】
http://blog.goo.ne.jp/shugohairanai/e/89f68f5696c3dcad4cbdf059d39da6a3

 庭三郎氏に関して当方も詳しいことは知らないが、下記あたりを参照してほしい。日本語教師の世界ではかなり知られた人らしい。Macintoshだとフツーにアクセスすると文字化けするのがタマにキズ。
【庭 三郎 の 現代日本語文法概説】
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/

 下記で初めて知った。「なりすまし」の可能性もあるが、ほかのコメントを読むとどうも本物らしい。今後は勉強させてもらう。
【「しつつある」という表現について】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9050839.html

 教えて! gooでのHNはnwsaburoo。
 ほかに下記あたりでコメントしている。専門家がこういう平易な文章で解説してくれると助かる。せっかくのコメントが、グダグダのコメントに埋もれてしまっているのが残念。
【「私は花が好きだ」の「花が」】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9048593.html
==============引用開始
こんにちは。

以前、「学校文法」について書いたものをコピーします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7878213.html

(前半省略)
学校文法のことを少し書いておきます。
ここでの問題は、「学校文法」というものの内実です。これもくわしく書くと長くなるので、はしょって書きますが、学校文法というのは非常に不完全な、説明能力の限定された文法です。

ここでまた、たとえを出して説明します。今、中学で教えている学校文法というのは、算数にたとえれば、自然数の範囲で四則演算(+-×÷)をやっているようなものです。足し算は自由にできますが、引き算の練習では負の数が出ないように、(5-3)のような練習問題しかできません。(3-5)はできないのです。同様に、かけ算は自由にできますが、割り算は必ず割り切れるものだけにします。分数はまだ知らないのです。余りが出るのは美しくないでしょう。

このたとえと同じで、中学で習う文法の練習問題は、必ず答えがすっきり出るような例文ばかりです。日常的な、実際の日本語の中の、学校文法の枠組みでは答えが出にくいものは、慎重に排除されています。
上の「ハ・ガ文」はまさにそのようなものです。

学校文法は、子どもに日本語の中の規則性をごくかんたんに教えるには、それなりに教育的価値のあるものですが、不合理なところがいろいろあり、現在の文法研究者で学校文法を良いものだと思っている人はほとんどいないでしょう。
なんと言っても、戦前の、日本語の文法研究がまだ始まったばかりと言ってもいい時代に作られた枠組みを、そのまま教えているのです。古典文法の理解のためには、それなりに役立つのでしょうが、それにもいろいろ批判があります。早くやめたほうがいいのですが、一つの体制が確立してしまうと、その改革には非常に大きな労力が必要で、一部の文法研究者が取り組んでいるようですが、難しい問題です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「主題」も「対象語」も「補語」も「目的語」も、学校文法の用語にはありません。それらが分析のための用語として使われるようになったのは、戦後のことです。(「目的語」は英文法の用語です)
現実の日本語を、納得がいくように分析することは、学校文法では無理なのです。残念ながら。

saburoo
==============引用終了

 ほかに、同じnwsaburoo名義でAmazonのレビューも書いている。これを読むだけでタダモノではないことがわかる。残念なことに当方にはやや難解。
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A3V4N23K6JCVYA?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview

 ブログもあるのね。これは要チェックかも。
http://blogs.yahoo.co.jp/niwasaburoo


 ちなみに、以前〈「ハ」と「ガ」の違い〉に関し、自分の手に余るので庭三郎氏のサイトから引用した(コメントNo.3)。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9003546.html
 No.4で大胆な感想を書いた人がいる。

==============引用開始
#3さんが専門家?の説明を紹介していますので、若干、感想を。
第一印象は、わたしのような頭の悪い人間にとっては、あまりに煩雑すぎる・・・ですね。
挙げている参考文献が膨大なのですが、なるべくたくさん取り込もうとして、そうなってしまったような気もします。
まあ、それは好き好きですからとやかく言うつもりはありませんが、解説文自体も、結構、回りくどい印象を受けます。
たとえば、ほんの一例ですが、
------------------------------------------------------
「は」の用法の基本:
1 何かを頭の中に思い浮かべて、それについて情報を述べたり、質問したりするとき。 
    えーと、財布、財布、、、あ、ここにある。 → 財布はここにある。
   (人を探して)陳さーん、陳さーん。陳さんはどこへ行ったんだ?

2 話の場にあるもの、話に出てきたものなどについて情報を述べたり、質問したりするとき。
   あ、おいしそうなお菓子! (食べてみて) このお菓子はおいしいね。
   もしもし!(あなたは)どちらへいらっしゃいますか?
   「これはどこにおく?」「それはあっちに持って行って。」
   「中学の時の先生が亡くなったって聞いて悲しくなっちゃった。」「その先生は何歳だったの?」

3 一般的な事実(真理)などを述べるとき。(「が」の用法1との違い)
    学生は学校に毎日通う。
    電車は線路を走る。
    植物は肥料をやるとよく育つ。
    雨は冬より夏にたくさん降る。(東京では) cf. 雨が降っている。(今、目の前で)
(1・2・3は結局、「話し手(と聞き手)がその場で頭に思い浮かべられるもの」とまとめることができる。) 
   
4 何かの部分や「~は~が」文の「~が」について、特に対比の意味を持たせて言いたいとき。
私は中国語は少しわかる。(韓国語はぜんぜんわからない。)
    象は、鼻は長いが、足は短い。 
    私は日本酒は好きだけれど、ウイスキーは好きじゃない。
------------------------------------------------------
のような記述があります。4つも例を挙げる必要がありますかね。まあ、親切心からだと思うので、文句は言いたくないのですが、絞り込んだほうが本質が理解しやすくなることは結構多いでしょう。
単純に、
【○○は】⇒○○を主題提示して、「○○」に関して「は」以降で話を展開する用法。
と言えば済むと思うのですけどね・・・。
文中の表現を使っても、『1 何かを頭の中に思い浮かべて、それについて情報を述べたり、質問したりするとき。』だけで全て網羅できているでしょう。
誤解なさらないでいただきたいのですが、必要性があるなら、いくら回りくどくても長くても良いと思います。
しかし、無闇に長けりゃ良いということにはならないはず。
==============引用終了

 大前提として、この引用は庭三郎氏のサイトのどこにあるのだろう。
 ずいぶん探してしまった。なぜか検索してもヒットしにくい。
 下記からたどれる。
【5.「は」について 】
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/09wa.html 
【補説§5】
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/09wahosetu.html
§5.2 「は」と「が」の基本
 
 どちらの説が説得力があるのか当方にはわからない。
 ホントにひとつに集約できるのなら、それに越したことはない。
 いろいろあげているのは、ひとつだけでは網羅できないからじゃないかな。ほかの専門家の説を見ても、いくつもあげている。
 たとえばかの『日本語練習帳』の記述(「たとえ」の後に読点を打ってはいけない)。
 この名著?には、「は」の働きが4つあると書いてある。
 入門者向けにかなり絞り込んでいるけど、それでも4つある。よく読むと内容にはいろいろ問題を感じるんだけどさ……。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
==============引用開始
1)問題(topic)の下に答えを持ってくるよう予約する
2)対比
3)限度
4)再問題化

 済みません。当方には、これが辞書以上のことが書いてあるとはとうてい思えないんだけど。
 1)がどういう意味なのかわかる人、教えてください。『大辞林』の[1]([2]もかな?)をものすごくむずかしく書いているだけなんて書いたら怒られる?
 2)は『大辞林』の[3]のこと。2つ並べるとは限らず、「猫は嫌い」と書くだけで言外に「○○は嫌いではない」とにおわすことがあるってのは、辞書にはないといえばないけど。そんなことフツーわかるだろう。
 3)は『大辞林』の[4]だろう。「限度」と「強調」のどちらが適切なのかはわからない。
 4)はグチャグチャ書いているけどサッパリわからない。当方には2)か3)に入るものって気がする。

 今度は「が」について見てみよう。
「が」の働きは2つあるとのこと。

1)名詞と名詞をくっつける
2)現象文をつくる

 1)は『大辞林』の[1][2]を無理矢理まとめてわかりづらくしている気がする。
 2)も『大辞林』の[1]だろ。
 
 このあと、『日本語練習帳』は「ハとガを同じと思わないこと」と解説している。そりゃ違うに決まっているけど、この記述を読んだ限りではどう違うのかどうにも理解できないのは、当方の理解力に問題があるのだろうか。
==============引用終了

 冒頭の金谷武洋氏だって、ひとつにはしていない。考えれば考えるほど例外が出てくるのに、あくまでも「ひとつで済む」と考えるんですかね。それで済むならラクでいいなぁ。
 しかも、そのあと〈感心な点〉をあげている。
 ここまで〝上から目線〟で高飛車な書き方ができるのは、よほどハイレベルの専門家なのだろう。

「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」──地面 稲妻 世界中〈1〉〜〈4〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【15】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941799128&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
(略)

 mixiのトピの削除権があるのは管理人(副管理人)とトピ主。したがって、削除癖のある人が立てたトピは、いつどんな理由で削除されるかわかったものではない。トピ主に削除権があるかないかは、自分でトピを立ててみればわかるはず(またいつの間にかルールが変更されていたりして)。
 そんなトピで、「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」の話が出ている。
 管理人さんがなんとかしてくれないのかなぁ。
 トピにはコメントしにくいので、こういう性格の悪い書き方をすることになる。こうしてtobi君は汚れていく……(泣)。

 コメント[5]。コメントできません(泣)。
 ひとつ気になるのは、「聞き伝い」ってどういう意味なんだろう、ってこと。

 コメント[6]。
 大正生まれのかたなら、むしろ「おぢいさん」と書くほうが自然なのでは。当時はそれがフツーだったはず。
 
 コメント[7]。
「じしん」の話は、下記でよいだろうか。質問サイトにものすごい数がとびかっている。
【突然ですが問題です【日本語編9】──いろいろな読み方2? 「地面」は「じめん」か「ぢめん」か】 
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2567.html
 問題は下記の部分。
==============引用開始
 ちなみに、〈「チ」と「ジ」の読みがある〉なんてのはあとから適当にくっつけた理由だと思う。歴史的仮名遣いをやめたときに生じた矛盾をごまかすための屁理屈としか思えない。
==============引用終了

 ここを正確に書こうとすると厄介なので、できればふれたくなかった。
 ただ、コメント[8]のように「世界中」「稲妻」の話が出てくると、下記をひくしかなくなる。
【現代仮名遣い:文部科学省】
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html
==============引用開始
なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

例 せかいじゅう(世界中)

いなずま(稲妻) かたず(固唾*) きずな(絆*) さかずき(杯) ときわず ほおずき みみずく

うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく ひざまずく

あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく

うでずく くろずくめ ひとりずつ

ゆうずう(融通)

〔注意〕 次のような語の中の「じ」「ず」は,漢字の音読みでもともと濁っているものであって,上記(1),(2)のいずれにもあたらず,「じ」「ず」を用いて書く。

例 じめん(地面) ぬのじ(布地)

ずが(図画) りゃくず(略図)
==============引用終了

 当方は現代仮名遣いしか知らないので、異和感を抱きながらもこのルールに従っている。だが年配の物書きなかには強い抵抗を感じる人もいるらしい。当然だろう。どう考えても帳尻合わせで、整合性がない例が多数ある。
 このあたりは新聞社系の用字用語集に用例が詳しく出ているので、さほど困らない。
「さほど困らない」が、いまだに迷う例がある。
「初物尽くし」は「づくし」らしい。
「黒尽くめ」は「ずくめ」らしい。
 そんなアホな。漢字に逃げるのが無難なんだけど、「尽くめ」なんて表記は使わないから、毎回のように確認することになる。あとよく目にするのは「こじんまり」という書き方。半々くらいの確率でライターさんがやらかしてくれる。これも「間違い」ではない気がするが、修正するしかないだろう。

 ↑には〈「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする〉とある。しかし、用字用語集は認めていない。
 まあ、こういうのは漢字で書くのが無難だろう。
 さらにはこういう話もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3%E3%81%84
==============引用開始
「中」の例[編集]
ひとつ字音の問題を例に挙げる。「中」は字音を漢音呉音ともに「チュウ」と読む。ところが「世界中」となると「セカイジュウ」と読む。字音に存在しない音が現れたが、これが「複合語」が濁る場合の一つの例である。
この「世界中」の「中」を「じゅう」と書くか「ぢゅう」と書くかについて、「現代かなづかい」は明記していない。その点について、「現代かなづかい」を補う形で出された「正書法について」(昭和31年国語審議会報告)では、「現代語としては、語構成の分析的意識のないものと考えられる」との理由で、「じゅう」と書くものとし、「『ぢゅう』と書く場合はない」としている。
==============引用終了
 
 話が二転三転しているということだろうか。
 アホくさ。



「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」──地面 稲妻 世界中〈2〉

 下記の部分が気になったので追記しておく。
【現代仮名遣い:文部科学省】
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19860701001/k19860701001.html
==============引用開始
なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。

例 せかいじゅう(世界中)

いなずま(稲妻) かたず(固唾*) きずな(絆*) さかずき(杯) ときわず ほおずき みみずく

うなずく おとずれる(訪) かしずく つまずく ぬかずく ひざまずく

あせみずく くんずほぐれつ さしずめ でずっぱり なかんずく

うでずく くろずくめ ひとりずつ

ゆうずう(融通)

〔注意〕 次のような語の中の「じ」「ず」は,漢字の音読みでもともと濁っているものであって,上記(1),(2)のいずれにもあたらず,「じ」「ず」を用いて書く。

例 じめん(地面) ぬのじ(布地)

ずが(図画) りゃくず(略図)
==============引用終了

「じ」と「ぢ」「ず」と「づ」の使い分けは、ほとんどの場合、連濁で(一応)説明できる。「おりづる」は「つる」が連濁で「づ」になっている。「気づく」は「気がつく」の「つく」が連濁で「づく」になっている。このあたりは迷う余地がない。
 ↑であげられているのは、連濁では説明できない例外的なもの。
 別にあげる必要性を感じないもの(ときわず、みみずくetc.……)もあれば、なぜそうなるのかわからないものもある。
「差し詰め」「融通」あたりは、「ず」にする理由が不明。「詰」も「通」も「ず(う)」の音はもっていない。
「黒尽くめ」に関しては〈1〉に書いたとおり。
〔注意〕の記述もよくわからない。
「地」(たぶん「治」も同様)に関しては〈1〉に書いたとおりで一応説明できる。「地」は「ち」のほかに「じ」の読みがある。
 だから「生地」の場合も連濁で「ぢ」になるのではなく、「きじ」。語頭に来た場合も、「じしん」「じめん」。おそらく、「地」で始まる言葉が多いからこういう措置になったのでは。「治」はオコボレで同様になった?
 これと「図」を並べているのは意味不明。
 もし「地」と同様なら、「図」が「つ」のほかに「ず」の読みがあることになる。
 だから「略図」は「つ」の連濁ではなく「ず」。語頭に来ても「ず」になる、ってこと。
 ところが実際には「図」には「つ」の音はなく「ず」(ほかに「と」と「はか」)しかない。「ずが」も「りゃくず」も「づ」になる理由がない。
 何を言いたいのかわからない。
 やっぱりアホクサ。

 ちなみに、将来は「じ・ぢ」「ず・づ」は「じ」「ず」に統一されるかも、という説が飛びかっている。
 当方は国語学者ではないので、そんなむずかしいことは見当もつかない。検討する気もない。諸賢の健闘を祈る。
 たださぁ。
 遠ーい将来には統一される可能性があるかも……それは誰にも否定できない。
 でも当分の間はそんなことはないのでは。矛盾だらけなのに、どうにかこうにか定着しているんだから。
 助詞の「は」や「を」も発音どおり「わ」や「お」になるかも……可能性は否定しない。でも当方が生きている間にはそんなことにはならないと思う。
 仮に文化庁が発狂してそういう提案しても、相当巨大な反対運動が起きて、定着するのには何十年もかかると思う。


 現代仮名遣いに関しては下記のようなさらに詳しい資料もある。
【現代仮名遣い 本文 第1(原則に基づくきまり)】
http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/naikaku/gendaikana/honbun_dai1.html
【本文 第2(表記の慣習による特例)】
http://kokugo.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/naikaku/gendaikana/honbun_dai2.html



「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」──地面 稲妻 世界中〈3〉

 妙なとこで妙なものとリンクしてしまった。
 いろいろな意味で、なぜこんなわかりにくいことをしているのか理由は不明。
 まず、「新常用漢字表」の変更点をひく。
【表記の話15──「十」の読み方の話──「ジュウ」「ジッ」「とお」「と」……「ジュッ」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1906878854

 元になっているはずの文化庁の【改定常用漢字表】のリンクが切れている。文化庁のリンクはしばしば切れるので、そのたびに引っ越し先のリンクを張り直している。【改定常用漢字表】は、引っ越し先が見つからない(泣)。
 答申案http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_10/51/pdf/shiryo_1.pdfはあるけど、このpdfはムダな記述が多いうえに、検索ができないので、役に立たない……とまでは書かないが、ものすんごく使いにくい。
 結局Wikipediaやhttp://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/joyo2010/joyo2010.pdfをひくことになる。何をやってんだか。
 で、問題は何かというと……。
「中」に「チュウ」のほか「ジュウ」の読みが加わったらしい。そんなの知らねえよ。
 帳尻合わせの気配が濃厚。「世界中」とかの矛盾を解消したいのね。「地」を「ジ」と読ませるのと同じ手口と見た。
 これで、「せかいじゅう」はおかしいとは言えなくなった(笑)。



「じ」と「ぢ」 「ず」と「づ」──地面 稲妻 世界中〈4〉
「こんにちは」か「こんにちわ」──〈「こんにちわ」ではおかしいわ〉

 遠い将来には「じ」と「ぢ」/「ず」と「づ」は、「じ」と「ず」に統一されるかもしれない。されないかもしれない。
 さらには、助詞の「は」「を」「へ」も、発音どおりに「わ」「お」「え」になるかもしれない。ならないかもしれない。
 とくに根拠はないけど、「じ」と「ず」への統一の可能性はあるかもしれない。
 でも助詞の表記の統一はないと思う。そんなことをすると、すんごいブーイングと言うか混乱が起きるよ。
 どっちにしても当方が生きている間には、そういった話は実現しない気がする。

 ただ、このテの話でひとつだけ「近い将来には……」と感じているものがある。
「こんにちは」(必然的に「こんばんは」も)の表記だ。「こんばんわ」に統一、とまではならないと思うけど、「こんばんわ」でも「間違い」ではない……ということなら可能性が高い。もしかすると、現在でも「間違い」ではないのかも。
 現状のルールでは、「こんにちは」が一般的。これっていつからなんだろう。やはり仮名遣いのルールがかわったときかね。
 当方の一番古い記憶では、昔小学校関連の本をつくったとき、〈「こんにちわ」ではおかしいわ〉というタイトルを使った。内容は、「わ」と「は」の使い分け。新卒のときだから、いまから10年以上前(一片のウソもない)のことだ。


●「わ」を使っている例
1)『今晩わメイコです』
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8A%E6%99%A9%E3%82%8F%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%81%A7%E3%81%99-1716822#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89.E3.83.97.E3.83.A9.E3.82.B9
==============引用開始
デジタル大辞泉プラスの解説
今晩わメイコです

日本のテレビ番組。NHK制作のコメディ。1954年10月~1957年3月放映。出演:中村メイコ。天才子役と言われた中村がメインの20分番組。
==============引用終了

2)『こんばんわ』
 中島みゆきの3曲目のシングル(1976年3月25日リリース)。

3)「握りまして先番」(高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)P.26
 NHKの囲碁番組で、司会の小川誠子(懐かしいなぁ)が、「囲碁ファンの皆さま、こんにちわ」と挨拶することについて書いている。もちろん、小川誠子の話し言葉どんな表記なのかはわからない。「わ」としているのは高島先生。

 さあ、1)~3)は全部単なる誤用と断言できる人はしてもらおうか。
 古い話に関してはほとんど知識がないので、あまりつっつくのはやめておく。
 勉強のために下記を読もうとして挫折した(泣)。
【歴史的仮名遣い教室】
http://www5a.biglobe.ne.jp/accent/kana/index.htm
【平成疑問かなづかひ】
http://homepage3.nifty.com/gimon/


●「こんばんは」の変形
「こんにちは/こんにちわ」にはくだけた形があり、それぞれかなり普及している。
1)こんちは/こんちわ 
2)ちはー/ちわー
3)ちはっ/ちわっ

 たぶん、下に進むほどくだけ方が激しくなり、「ちはっ/ちわっ」あたりだと、原形を意識せずに使っている人もいるのでは。もし原形を意識するなら、「は」を使うべきだろう。
 なんの根拠もないが、1)くらいなら「は」でもよい気がするが、2)3)は「わ」のほうが自然な気がする。
 ちなみに、1)は「こんちは」の形で辞書にのっている(笑)。
https://kotobank.jp/word/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AF-506350#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
こんち‐は【今▽日は】

[感]《「こんにち(今日)は」の音変化》昼間のあいさつの語。「こんにちは」よりくだけた言い方。
==============引用終了


●「こんにちわ」になるのは時間の問題?
 いろいろなことを考えると、「こんにちわ」もOKってことになっても不思議はないような。たとえそうなっても、当方は「こんにちは」を使いつづけると思うけど。
 いっそ「こんにちゎ」……やかましいわ。


 こういうサイトもある。この書き手に逆らうのはけっこう度胸が必要なはず。
【日本語、どうでしょう? 第113回 「こんちわ」「ちわー」「ちわっ」】
http://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=113
==============引用開始
神永暁(小学館国語辞典編集部)
2012年06月18日

 最近メールやマンガなどで、「こんちわ」「ちわー」「ちわっ」などという表現を見かけるようになったが、皆さんはこのような書き方に抵抗はないであろうか。さらには「こんにちわ」という表記すら見られる。もちろんこれらはすべて誤用からきているのである。
 言うまでもないことだが、正しくは「こんにちは」と書く。「わ」ではなく「は」と書くのは、元来は「今日はよいお天気で・・・」などの後ろの部分が略されたものだからである。「こんにちは」の「は」は助詞(副助詞)の「は」で、「こんばんは」の「は」も同様である。
 現代語の仮名遣いの拠り所となっている「現代仮名遣い」(昭和61年内閣告示)によれば、助詞の「は」は、「表記の慣習を尊重して」、「は」と書くとしている。そしてその中に「今日は日曜日です」「あるいは」「いずれは」「恐らくは」などとともに、「こんにちは」「こんばんは」もその例として挙げられている。助詞の「は」は「は」と書くというのはちょっとわかりにくいが、要するに助詞の「は」はワと発音されるが、表記する場合は「は」とするということである。
 確かに、「こんにちは」はそう書かなければ間違いである。だが、「こんちわ」「ちわー」「ちわっ」などになるともはや語源意識が薄れて、「は」という助詞であることも忘れられているので、新しい一語の俗語と考えてもいいのかもしれない。実際に仮名遣いは正しくすべきだと言って「は」を使って書いてみると、「こんちは」はまだわかるが、「ちはー」「ちはっ」は読みにくいし、何のことだかわからない。
 このような俗語の誕生を苦々しく感じる向きもあるかもしれないが、「こんちわ」「ちわー」「ちわっ」を否定することが難しくなっていることは確かである。
==============引用終了

17 新しいコトワザ1──「掃き溜めに鶴」の反対語

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2008年11月09日から

 思うところがあって「掃き溜めに鶴」の逆の意味になるコトワザを探した。

「掃き溜めに鶴」の意味は下記あたりでいいかな。
http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2002/07/post_739.html
================================
掃き溜めに鶴(はきだめにつる)
意 味: つまらない所に、似つかわしくないすぐれたものや美しいものがいることのたとえ。
読 み: はきだめにつる
解 説: 「掃き溜め」は、ごみ捨て場。
出 典: 
英 語: A jewel in a dunghill.
類義語: 鶏群の一鶴/芥溜めに鶴/天水桶に竜
対義語: 
================================

http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%8E%83%E3%81%8D%E6%BA%9C%E3%82%81%E3%81%AB%E9%B6%B4&ei=UTF-8
================================
掃(は)き溜(だ)めに鶴(つる)
つまらない所に、そこに似合わぬすぐれたものや美しいものがあることのたとえ。
================================

『成語林』では、「掃き溜めに鶴」の対義語を「団栗の背競べ」にしている。それは違うだろう。
「プラスに抜きん出る」の反対は「五十歩百歩」や「目●鼻●」ではない。「マイナスに抜きん出る」ことを表わしてくれなくては困る。
 俗に「紅一点」の対義語として「黒一点」と言う。あれはギャグだろうが、よくできている。
 いろいろ考えたが、適切なのがない。「玉に瑕(きず)」はちょっと違う。それは勝海舟のこと。(←オイ!)

 一般には平均点(あるいは「偏差値」)を下げるとか、「足を引っ張る」 とか言い方もある。
 しかしそれではコトワザっぽくない。もっとカッコいいのはないんだろうか。
 かつての半分以下とウワサされる脳細胞をフル活動させて考えた。なけなしの知識も総動員して考えた。
 ない!
 しかたがないから作ることにした。三日三晩かけてそれらしいものを思いついた。

 お花畑に野●

「拝見する」をめぐって〈1〉 「拝見いたします」は二重敬語か 修正版

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【7】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1789673749&owner_id=5019671

mixi日記2012年01月09日から

 直接的には下記の続き。
突然ですが問題です【日本語編91】──拝見いたす 拝見いたします 拝見させていただく 拝見させていただきます
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1811049423&owner_id=5019671

 下記のトピがテーマかも。
27)【「お承りできません」&二重敬語をめぐって】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43858453

 敬語が苦手な自覚があるもんで、素朴な疑問を感じるとすぐに調べてしまうtobiクンです。
 先に書いた下記にいろいろ問題があるので、修正版です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1811980929&owner_id=5019671

 ツッコミはやさしくお願いします。例によってリンクだらけですが、リンク先を無視しても大丈夫なように心がけます。

「拝見する」をめぐる敬語の問題〈1〉──「拝見いたします」は二重敬語か否か。
 まず、「拝見いたします」を分解する。

  拝見する→「見る」の謙譲語I
  いたす→「する」の謙譲語II
  ます→丁寧語

 ここまでは問題がない(はずだよな)。ここで「二重敬語」とは何かを確認する。「二重敬語」に関しては過去に何度も書いているが、クドめに書く。
 ↑の27)【「お承りできません」&二重敬語をめぐって】 のコメント[11]にWikipediaの記述を転載した(2010年07月05日。いまは削除されている)。回収しておく。
================================
二重敬語

尊敬語や謙譲語を重ねる表現。万葉集の時代から第二次世界大戦に至るまで天皇などに対しては積極的に使われ、また口語では天皇など以外に対しても用いられた。「いらっしゃる」(<いらせらる<いる+尊敬の助動詞「す」+尊敬の助動詞「らる」)や「思し召す」(思うの尊敬語「思す」+尊敬語「召す」)のように、二重敬語が慣用化して一語になったものも古くからある。
戦後になって、敬語の簡略化を目指した政府により、これからの平等社会には相応しくないとされるようになった。特に皇室関連では、それまで通例であった二重敬語が意識的に排除された。
一般に日本語の規範と考えられているNHKアナウンサーも、中立性を求められるNHKが皇族を過剰に敬ってはならないので皇族に対しては二重敬語を使わないようにしているものの、それ以外ではしばしば使っている。ただし、敬語の使い方を特に取り上げた番組では、誤りではないが好ましくない敬語として扱う。
例:
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。(『源氏物語』)
「許す」に尊敬の助動詞「す」を接続させたところへ更に尊敬の補助動詞「給ふ」を接続させている。古典文学において二重敬語は、地の文では天皇などに対する最高敬語として用いられる。会話文では天皇以外に対しても幅広く用いられる。
家のだんなさまが、お前さんに会いたいから、つれて来いと、おっしゃられた。(昭和23年、菊池寛『アラビヤンナイト』)
かつては普通に用いられた表現だが、現代社会においては、尊敬語「おっしゃる」と尊敬を表す助動詞「れる」を二重に用いるのは過剰で、「おっしゃった」または「言われた」がふさわしい。
お葉書、拝見いたしましたが、ぼくの原稿、どうしても、――だめですか?(昭和12年、太宰治『二十世紀旗手』)
かつては普通に用いられた表現だが、現代社会においては、「見る」の謙譲語「拝見する」に対してさらに「いたす」をつける必要はなく、「拝見しましたが」で十分である。
================================


 これを見るに、「二重敬語は現代では過剰」と読める。〈「見る」の謙譲語「拝見する」に対してさらに「いたす」をつける必要はなく〉と明言している。
 Wikipediaなんて……とか言われると困るので、問題だらけの「敬語の指針」(詳細は下記の〈629〉参照)にご登場いただく。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf

 まず「謙譲語I」と「謙譲語II」に関しては次のように定義している(書籍などでちょっと違う呼称を使っているものもあるらしい)。

「敬語の指針」p.15から=====================
謙譲語I(「伺う・申し上げる」型)
 自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう先の人物を立てて述べるもの。
<該当語例>
伺う,申し上げる,お目に掛かる,差し上げる
お届けする,御案内する
(立てるべき人物への)お手紙,御説明
================================
※「いただく」も謙譲語I(p.16/p.17)

「敬語の指針」p.18から=====================
謙譲語II(丁重語)(「参る・申す」型)
 自分側の行為・ものごとなどを,話や文章の相手に対して丁重に述べるもの。
<該当語例>
参る,申す,いたす,おる
拙著,小社
================================


 なんかよくわからないけど、こういうことらしい。
 相手を上げるんなら尊敬語だろうとか言わないように。自分を下げることによって相対的に相手を上げるって論理と思われる。
 詳しくは「敬語の指針」の「6 尊敬語・謙譲語Iの働きに関する留意点」(p.22~)をお読みください。
〈 (立てるべき人物への)お手紙,御説明〉が謙譲語という記述を読んで冷や汗が出る。
 接頭語の「ご(お)」は3種類あることになるらしい。ずっと2種類だと思っていた(詳細は下記の〈274〉参照)。いや、まあたしかにほかのところで「尊敬語」にも「謙譲語」にもなる……的なことも書いた気はするけど(詳細は下記の〈272〉参照)。
 そりゃわかりやすいわ。名詞につく場合は全部「丁寧語」(美化語)にしてくれないかな。
  先生からの〈お手紙〉は尊敬語。
  先生への〈お手紙〉は謙譲語。
  一般的な〈お手紙〉は丁寧語(美化語)。
  (最近の若い方はメールばかりで〈お手紙〉などは書かないようですね)

 次に「二重敬語」については次のように書いてある。
「敬語の指針」p.30から====================
(2)「二重敬語」とその適否
 一つの語について,同じ種類の敬語を二重に使ったものを「二重敬語」という。例えば,「お読みになられる」は,「読む」を「お読みになる」と尊敬語にした上で,更に尊敬語の「......れる」を加えたもので,二重敬語である。
 「二重敬語」は,一般に適切ではないとされている。ただし,語によっては,習慣として定着しているものもある。 

【習慣として定着している二重敬語の例】
・(尊敬語)お召し上がりになる,お見えになる
・(謙譲語I)お伺いする,お伺いいたす,お伺い申し上げる
================================


「習慣として定着している」ってどういう意味? まあ、「許容」されているくらいの意味だろう。
 最大のポイントは「同じ種類の敬語を二重に使ったもの」ってとこ。これがないと「拝見します」だって〈「拝見する」(謙譲語)+「~ます」(丁寧語)〉で二重敬語になってしまう。
「同じ種類の敬語を二重に使ったもの」は二重敬語。下記のサイトを読んで、新たな疑問が湧く。「謙譲語I」と「謙譲語II」は「同じ種類」なのか「違う種類」なのか。
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-50.html

 いままで目にした文章の多くは、どちらも「謙譲語」だから「同じ種類」と考えていた。ところが、このサイトでは「違う種類」と考えているらしい。
「同じ種類」と考えるなら、「拝見いたす」は二重敬語。
「違う種類」と考えるなら、「拝見いたす」は二重敬語ではなくなる。
 一般には二重敬語とされているんじゃないかな。
 これが「許容」か否かを考えようとすると、また妙な話になる。
 この「拝見いたす」だけの問題なら、二重敬語だけど「不規則敬語」(詳細は下記の〈634〉参照)がらみだから許容、と考えるのがわかりやすいかもしれない。
 だが、こういうふうに考えるととっても困ることがある。
「ご案内いたします」の類いも、「ご~する」+「いたす」なので二重敬語になってしまう(そんなバカな)。これは不規則敬語がらみではないから、「許容」される理由がない。でも「ご/お~いたす」はフツー使われている気がするんですけど。こんなものまで二重敬語にされたらたまりません。
 まあ、補助動詞の「いたす」は「丁寧語」って解釈もできるとは思うけど、「ご案内いたします」が二重敬語でなくて、「拝見いたします」は二重敬語ってのはおかしくないか?
 ちなみに「拝見いたす」が二重敬語だとすると、「お伺いいたす」は「伺う」+「ご/お~いたす」だから三重敬語になる。

 ……と書いてあまりにも納得がいかないので、「敬語の指針」を読み直してみると、下記の記述があった。
「敬語の指針」p.30~から====================
【補足イ:謙譲語Iと謙譲語IIの両方の性質を併せ持つ敬語】
謙譲語Iと謙譲語IIとは,上述のように異なる種類の敬語であるが,その一方で, 両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)......いたす」がある。
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ 内容であるが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われている。これは,「お待 ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語I) と「いたす」(謙譲語II)の両方が使われていることになる。この場合,「お待ちする」 の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」 の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合も ある。)に対して丁重に述べることにもなる。
つまり,「お(ご)......いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為につ いて,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」 という働きを持つ,「謙譲語I」兼「謙譲語II」である。
================================


 脱落寸前と言うか、脱落決定。
「ご/お~いたす」は「謙譲語I」兼「謙譲語II」らしい。
 この記述を見るに、謙譲語Iと謙譲語IIは、「違う種類」としか思えない。
 ということは、文化庁の見解では「拝見いたします」は二重敬語ではない、ってことになる。
 素朴な疑問がいくつか。
【疑問1】3分類のときには、「拝見いたします」は二重敬語だったのだろうか
 手元の古い書籍(当然3分類)は、「~いたします」(補助動詞って意味?)は丁寧語だから二重敬語ではない、と説明している。
【疑問2】「二重敬語」の項で、このあたりをなんでキッチリ説明しない
【疑問3】世間の「拝見いたします」二重敬語説はどこから生まれた?
 おそらく、3分類から5分類になった段階で混乱が生じている。


 ちょっと気になって調べてみたら、敬語に対する苦手意識があるのにずいぶん書いている。なんて研究熱心ないい子なんだろう。
■「敬語の指針」へのインネン
629)【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798665663&owner_id=5019671

■「ご/お」の種類に関して
272)【「ご○○する」「お○○する」【仮】日本語】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1549552703&owner_id=5019671

274)【お茶/おビール/お刺身……etc.】日本語
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551125802&owner_id=5019671

■「不規則敬語」(仮称)の話
634)【「そのようにおっしゃられても困ります」〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800136243&owner_id=5019671

■二重敬語の話
443)【「召し上がってください」「お召し上がりください」は二重敬語か】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691635798&owner_id=5019671

447)突然ですが問題です【日本語編39】二重敬語(無謀?)──【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692776733&owner_id=5019671

455)【「召し上がってください」「お召し上がりください」は二重敬語か〈2〉──「ご高覧ください」は二重敬語か】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1695492273&owner_id=5019671

461)突然ですが問題です【日本語編40】二重敬語(無謀?)2──【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1698321497&owner_id=5019671

466)【突然ですが問題です【日本語編42】二重敬語(無謀?)3──拝見させていただきます】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1702514582&owner_id=5019671

472)「召し上がってください」「お召し上がりください」は二重敬語か〈4〉【「拝見させていただく」は二重敬語か】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1706612482&owner_id=5019671


「拝見する」をめぐって〈2〉 
「拝見させていただきます」は二重敬語か 修正版


「拝見する」をめぐる敬語の問題〈2〉──「拝見させていただきます」は二重敬語か否か。
 まず、「拝見させていただきます」を分解する。
「させていただく」の解釈は、2つの考え方があるらしい(この段階で脱落気味)。

1)「させていただく」はひとかたまり
  拝見する→「見る」の謙譲語I
  させていただく→正体不明の「成句」

 Web辞書『大辞泉』に記述があり「成句」としているが、なんの参考にもならない(記述は末尾に)。
 再び三たび問題だらけの「敬語の指針」にご登場いただく。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf
 
 いろいろ取りざたされている「させていただきます」についてp.40~で長々々と書いてあるが、この記述はけっこうわかりにくい(詳細は下記の〈221〉参照)。
「させていただく」に関しては下記のサイトを参照していただくほうがいいだろう。
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-50.html
================================
「敬語の指針」によると、「(お・ご)……(さ)せていただく」というのは、「敬語の形式」のひとつであるとは書かれていますが、「謙譲語Iの一般形」であるとは書かれていません。
これが「謙譲語Iの一般形」なのであれば、「ご拝見します」と同様、二重敬語となるわけですが、「謙譲語Iではない」ということであれば、異種の敬語なので、二重敬語ではないことになります。
(異種の敬語でも許されないのであれば、「拝見します」も二重敬語ということになってしまいます)
この点がグレーなので、「『拝見させていただく』は二重敬語である」と言い切ることはできないように思います。

もっとも、「拝見させていただきます」が二重敬語であるかどうかの問題以前に、そもそも、この「……させていただく」という敬語形式そのものに嫌悪感を覚える人も少なくないようです。
(以下略)
================================


 謙譲語Iの「いただく」を含むのだから、「させていただく」もIだろうって気はするが、このあたりは微妙。
 こういう考え方をするなら、二重敬語の可能性が高い。


2)「させていただく」をさらに分解する
  拝見する→「見る」の謙譲語I
  させて→使役などの意味の助動詞「させる」の連用形+助詞「て」
※厳密にはちょっと違うな。「拝見させる」は「拝見さ」(「拝見する」の未然形)に「せる」がついている。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3320.html
  いただく→「もらう」の謙譲語I

 敬語表現を外して原形で考える。
「拝見させていただく」の原形は「見(さ)せてもらう」。正確には「見させてもらう」だと思うが、「見せてもらう」でも大差がないし、日本語としてはこちらのほうが自然な気がするので、以降は「見せてもらう」で考える(詳細は下記の〈毒吐き23〉のコメント欄参照)。
「見せて」の謙譲語(正確には「謙譲語っぽい形」かも)が「拝見させて」。
「もらう」の謙譲語が「いただく」。
 だとすると、謙譲語I(たぶん)+謙譲語Iなので二重敬語かと言うと、これは「敬語連結」になるらしい。
「敬語の指針」p.30から====================
(3)「敬語連結」とその適否
 二つ(以上)の語をそれぞれ敬語にして,接続助詞「て」でつなげたものは,上で言う「二重敬語」ではない。このようなものを,ここでは「敬語連結」と呼ぶことにする。例えば,「お読みになっていらっしゃる」は,「読んでいる」の「読む」を「お読みになる」に,「いる」を「いらっしゃる」にしてつなげたものである。つまり,「読む」「いる」という二つの語をそれぞれ別々に敬語(この場合は尊敬語)にしてつなげたものなので,「二重敬語」には当たらず,「敬語連結」に当たる。
 「敬語連結」は,多少の冗長感が生じる場合もあるが,個々の敬語の使い方が適切であり,かつ敬語同士の結び付きに意味的な不合理がない限りは,基本的に許容されるものである。

【許容される敬語連結の例】
・お読みになっていらっしゃる
(上述。「読んでいる」の「読む」「いる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)
・お読みになってくださる
(「読んでくれる」の「読む」「くれる」をそれぞれ別々に尊敬語にしたもの。)
・お読みになっていただく
(「読んでもらう」の「読む」を尊敬語に,「もらう」を謙譲語Iにしたもの。尊敬語と謙譲語Iの連結であるが,立てる対象が一致しているので,意味的に不合理はなく,許容される。)
・御案内してさしあげる(「案内してあげる」の「案内する」「あげる」をそれぞれ別々に謙譲語Iにしたもの。)
================================


 この考え方に従うと、「拝見させていただく」は敬語連結であって、二重敬語ではない。こっちのほうがスッキリする気がする。
〈1〉と〈2〉で見てきたことをまとめる。
●「拝見いたします」は、二重敬語ではない(たぶん)
 一般には「二重敬語」とする説も根強い(おそらく3分類と5分類の混乱のため)。仮に「二重敬語」だとしても「許容」の可能性が高い。
●「拝見させていただきます」は二重敬語ではない(たぶん)
 ただし、何かと評判が悪い「~させていただきます」は、「拝見」と結びつくとかなりクドい。「間違い」でも「二重敬語」でもなくても、強い異和感がある。これを「不自然」とまで言えるか否かは微妙。でも、これが「自然」な文脈は限られるんじゃないかな。
 フツーは「拝見します」を使い、それで敬度不足と思ったら「拝見いたします」で十分だと思う。それを二重敬語と非難したい人はすればいい。(←オイ!)


■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%95%E3%81%9B%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8F&stype=0&dtype=0
================================
させていただ・く
相手に許しを請うことによって、ある動作を遠慮しながら行う意を表す。「私が司会を―・きます」
================================

221)突然ですが問題です【日本語編10】──「~させていただく」【解答編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1500159854&owner_id=5019671

【全方位毒吐き23?──甘毒 日本語しつもん箱関連】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1769601321&owner_id=5019671

【補足1】
「敬語連結」という概念を知ったのは比較的最近。
198【「~ますでしょうか」 「~ませんでしょうか」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1483085125&owner_id=5019671
 敬語連結のことを教えてもらったが、Yahoo!知恵袋で「~いただけますでしょうか」「~いただけませんでしょうか」も敬語連結としているのには疑問も残る。
 この「で」は「助詞」ではなく「助動詞」(です)だと思う。
「です」は元々は「に+て+あり」だから、と考えれば「助詞」とも言えるのかな? でもここまでくずれてしまうと……。

【補足2】
「拝見させていただく」が二重敬語ではないことを知ったのも比較的最近。
471)tobirisuのdomisu2──「召し上がってください」「お召し上がりください」は二重敬語か〈3〉【「拝見させていただく」は二重敬語か】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1704164434&owner_id=5019671
 教えてくださったかたの文体は(省略)だが、主張には説得力がある。細かい点の異論はすでに書いたので省略する。

【補足3】
「拝見する」がらみの敬語だけでこんなメンドーなことになっている原因のひとつは、3分類と5分類の混乱だと思う。個人的には3分類で考えたい(理由はご賢察ください)が、二重敬語の話になると、5分類を持ち出さないと無理な気がする。
 ちなみに、文化庁が5分類を打ち出したのは2007年。中学校ではいまでも3分類で教えているらしい。そりゃ混乱もするって。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E
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日本語における敬語表現

一般的には敬語を尊敬語・謙譲語・丁寧語の3つに分類する。日本語学においてはさらに丁重語・美化語を立てた5分類が多く使われている。文化審議会も、2007年に尊敬語・謙譲語I・謙譲語II(丁重語)・丁寧語・美化語の5分類にするという敬語の指針を答申した[5]。
敬語にはその性質上、話題中の人物を高めるもの(素材敬語)と話し手が対面している聞き手を高めるもの(対者敬語)があるが5分類は従来の3分類を元に両者を区別することで定義されたものである。また、本来丁寧語の一部である美化語は「敬語」からは外されることが多い。中学校では3分類で敬語の学習をしているほか、常体・敬体についても学習している。
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【補足4】
「拝見させていただきます」が自然になる文脈を無理矢理考えてみる。
 
 リンク先に書いた車掌の使用例ならさほどおかしくないだろう。
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■世界の車掌から
 小見出しは単なるダジャレなんで、深く考えないように。(←オイ!)
「拝見させていただく」はどんな場面で使うか。
 真っ先に浮かんだのは、長距離列車の検札。車掌が乗客に向かって声をかける。現実には「お願いします」くらいで十分通じるだろうが……。
「切符を拝見させていただきます」
「切符を拝見させていただけますか」だともっと丁寧。
 これは、個人的には許容範囲。このへんが敬語のむずかしいところ。客という立場になると急にインネンをつける人がいるから、クドい表現だろうが二重敬語だろうが、とにかく下手に出ておいたほうが無難って気がしないでもない。
「拝見いたします」でもおかしくはないけど、これは厳密に言うと、お願いの形になっていない。
「拝見させてください」だともっと微妙になる。「~ください」を丁寧語だとしても、謙譲語+丁寧語だから二重敬語ではない。でも、印象としては、二重敬語っぽい。もしかすると「拝見させていただく」以上に二重敬語っぽいかも。さらに、「~ください」は命令口調って話も出てくる。
278)【「ください」は命令口調なのか?】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1459.html
 
 そういうモロモロのことを考えると、「切符を拝見させていただけますか」でいい気がする。
 これが「切符を拝見させていただきます」とどう違うかはまた微妙な問題で、やはり「(形式だけでも)相手の都合を確認するべき」なんだろう。
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 もちろん、業務としてやっているのだから、ここまでへりくだる必要はないと言えばない。でも相手がVIPだとしたら? たとえば新幹線に国会議員が乗っていて、「規則なので念のため……」なら、「切符を拝見させていただきます/切符を拝見させていただけますか」でおかしくないだろう。国会議員なら「無料パス」かな。
 あるいは、特別なはからいで門外不出の国宝級の骨董品を見せてもらうとき。「拝見させていただきます」が自然な気がする。逆に言うなら、そのくらいの場面でないと使う必要はないと思う。


【追記】
 二重敬語についてまとめてみようと思い、ネット検索をして暗〜い気持ちになる。
【チャレンジ日記──二重敬語】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2422.html

「せる」「させる」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【15】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941799128&owner_id=5019671


 直接的には下記の続きだろうな。
【「魅せられる」の活用────「れる」「られる」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946798272&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【「拝見させていただいてます」は誤用? 二重敬語?】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comment_id=1430824390&page=2&id=75053420

http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=29&community_id=125916&bbs_id=75053420
==============引用開始
岩波書店「広辞苑」第五版1074ページ、助動詞「させる」の④に

「させていただく」の形で、相手の指示を頂戴してするという卑下した形で自分の動作を謙遜した意を表す。最初、上下関係を強く意識する社会で使われ、第二次大戦後一般に広がった言い方。

とあるのでこれかと思ったのですが、元々の助動詞「させる」は

上一段・下一段・カ変の動詞の未然形に接続。サ変には未然形「せ」に限り接続。

ということなので、これでは「拝見せさせていただく」でなければならないことになります。従ってこの場合は、

名詞「拝見」+使役の他動詞「させる」の連用形「させ」+接続助詞「て」+謙譲の意を表す他動詞「いただく」

と解釈するのが自然でしょう。つまり、自分が見ることを相手に許可させる、ということを「拝見」と「いただく」というどちらも謙譲の語を接続助詞「て」でつないだ敬語連結です。
==============引用終了

 ここまでの部分がまったく理解できない。

>「拝見せさせていただく」
 ってどこから出てきたのだろう。

>名詞「拝見」+使役の他動詞「させる」の連用形「させ」+接続助詞「て」+謙譲の意を表す他動詞「いただく」
「拝見する」だとヘンだから、名詞の「拝見」という解釈なのだろうか。
「○○する」の動詞形をもたない名詞に「させる」が接続するのだろうか。
 敬語連結というものをどういうふうに考えているのだろう。

 サ変の未然形を勘違いしているのでは。
 前に見た「れる」「られる」と同じ気がする。
【助動詞「れる/られる」の接続について】コメント[2]から抜粋。
http://mixi.jp/view_bbs_comment.pl?comment_number=2&community_id=398881&bbs_id=74742747==============引用開始
・現代語
「れる」:五段動詞の未然形、サ変動詞の未然形「さ」につく。
「られる」:上一段・下一段・カ変の動詞の未然形、サ変の動詞の未然形「せ」につく。
==============引用終了

「せる」「させる」の接続を『大辞泉』で確認する。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%9B%E3%82%8B-549042#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
せる[助動]

[助動][せ|せ|せる|せる|せれ|せろ(せよ・せい)]五段動詞の未然形、サ変動詞の未然形「さ」に付く。
1 相手が自分の思うようにするよう。また、ある事態が起こるようにしむける意を表す。「使いに行かせる」「あすは休ませてやる」
2 (「せていただく」「せてもらう」の形で)相手方の許しを求めて行動する意を表す。「言わせていただく」「やらせてもらう」
3 (「せられる」「せたもう」の形で)尊敬の意を表す。「殿下は極めてご多忙であらせられる」→させる
==============引用終了

https://kotobank.jp/word/%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B-510769#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説

[助動][させ|させ|させる|させる|させれ|させろ(させよ・させい)]《古語の助動詞「さす」の下一段化したもの》動詞の上一段・下一段・カ変活用の未然形に付く。
1 使役の意を表す。「子供にすきなだけ食べさせる」
2 (「させていただく」「させてもらう」の形で)相手方の許しを求めて行動する意をこめ、相手への敬意を表す。「今月限りで辞めさせていただきます」「答えさせてもらう」
3 他の行動に対する、不干渉・放任の意を表す。「どうしても受験したいなら、受けさせるのだな」「好きなだけ食べさせなさい」
4 (多くは「させられる」「させたもう」の形で)尊敬の意を表す。現代では文語調の表現に用いられ、高い敬意を表す。「神よ、人々に恵みを垂れさせたまえ」→しむ →しめる →す →せる
[補説]「させる」は「御覧ぜさせられる」「講ぜさせる」のように、サ変動詞の未然形に付くこともある。
==============引用終了
 
 やはり「れる」「られる」と同じようだ。
『大辞林』の記述もほぼ同様だが[補説]の部分が少し違い、下記のようになっている。もう少しわかりやすく書いてもらえないかね。一文が長すぎ。
==============引用開始
(「させられる」「させ給う」などの形で)動作者に対する尊敬の意を表す。 「親しく被災地を御覧ぜさせられた」 〔サ変動詞「する」に接続するとき,本来は「せさせる」であるが,この形は,敬語の「せさせ給う」「せさせられる」などの場合以外はほとんど用いられず,現代ではただ「させる」(サ変動詞の未然形「さ」に助動詞「せる」を付けたもの)の形を用いるのが普通である。もっとも,「決する」「制する」など,漢字一字の漢語と複合した類のサ変動詞には,「決せさせる」「制せさせる」などとなる〕
==============引用終了

 つまり「拝見させる」はサ変動詞「拝見する」の未然形「拝見さ」に「せる」がついているのでは。
 やはりヘンに分解しないで、「(さ)せていただく」「(さ)せてもらう」の形で考えるほうがわかりやすいのだろう。
「御覧ぜさせられる」「講ぜさせる」「決せさせる」「制せさせる」か……どれも見聞したことがない(泣)。
 サ変動詞はどこまでいってもわかりにくい。

 後半に関しては当方の不注意だな。
 たしかに「拝見させていただいてます」は少し不自然。
 接続がどうの……なんて考えるとむずかしくなる。いわゆる「イ抜き言葉」になっているってこと。
「拝見させていただいて~」という過剰気味の敬語表現に「イ抜き言葉」は似合わない。
 ただ、「イ」が入るとさらにクドい。それなら「~おります」にすべきなんて話も出てきそう。
 ところで、「イ抜き言葉」って「厳密に言えば誤用」なんだろうか?
 ちょっと調べてみたがわからない(泣)。

【引用のご作法──資料6】【表記の話12──「ください」と「下さい」をめぐるホニャララ合戦】

●表記に関する話
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503
================引用開始
 表記(漢字の使い分けなど)の問題は2種類に分けて考える必要があると思います。

1)使い分けないと間違いになる場合
2)使い分けるのは単なる「決め」の問題の場合

 たとえば「謝る」と「誤る」は明らかに意味が違うので1)でしょう。
「誤った」ことを「謝る」とは書けても、逆はありえません。このほかに「過ち」のことを考えだすと、ちょっと話がややこしくなります(笑)。

 一方、「生まれる」と「産まれる」の場合は2)でしょう。
 汎用性が高いのは「生まれる」でしょうから、「産まれる」と書くべきところを「生まれる」と書いても間違いではありません。単なる「決め」の問題です。ただ、逆にムヤミに「産まれる」を使うとヘンな感じになります。
================引用終了

「ください」をどう表記するのが一般的か。
 表記の問題なので、例によって漢字にしても平仮名で書いても間違いではない。
 以前、テレビ番組で「こう使い分けるのが正しい」と紹介していた記憶があるが、多くの場合「一般的な使い分け」はあっても「正しい使い分け」などは存在しない。
 一般的には本動詞?は漢字で書き、補助動詞は平仮名で書くことが多い(例外は多いけど)。少なくとも公用文に関しては補助動詞の「~ください」はひらがな書きにするルールがあるようだ。
『公用文における漢字使用等について』(平成22年11月30日/内閣訓令第1号)の「別表」に次のようにある。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/kokujikunrei_h221130.html
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/pdf/kunreibesshi_h221130.pdf
================引用開始(抜粋)
1 漢字使用について
(略)
(2) 「常用漢字表」の本表に掲げる音訓によって語を書き表すに当たっては,次の事項に留意する。
(略)
キ 次のような語句を,(   )の中に示した例のように用いるときは,原則として,仮名で書く。
(略)
・・・てください(問題点を話してください。)
================引用終了

 下記のサイトを信用するなら、文部省&文部科学省の基準も同様らしい(そりゃそうだろう)。
http://plaza.rakuten.co.jp/econavi/diary/200811270000/comment/write/
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1184403156

 ↑の2つ目のコメントに出てきた例文が気になる。この件に関してネット検索すると、特徴的な例文が2パターン出てくる。キーワードで検索するとウジャラウジャラすごいことになる。引用サイトは一例。

●パターンA
9月11日までに報告してください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10100157540

●パターンB
一つわたしにクダサイな(文部省唱歌)&あけてクダサイ。(北原白秋「お月夜」)
http://blogs.yahoo.co.jp/shouinjuku/50960402.html
※パターンAも使われてる?

 これって単なる偶然? こういうのは少し調べると、【ネタ元】がわかる。これに関してはちょっと苦戦した。苦戦の原因は、無断転載しているホニャララが多すぎることと思われる。
 しかるべき資料から抜粋したのに、出典を明かさないのはどういう了見なんだろう。想像するに、ホニャララサイトをさらに無断でホニャララするから、大元がわからなくなるんだろうな。こういうのはなんて言うのだろう。「またホニャララ」? 「まごホニャララ」?
 素人さんのしでかすことなんだから多少のホニャララも大目に見るべきなんだろうが、これはあまりにもヒドい。もう少し節度をもってくれないかな。


「9月11日までに報告してください」の大元は北海道庁のサイトらしい。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/bsh/words/yougo.htm
 ↓
【 用語を意識してみよう 1 】
http://www.hpsca.hokkaido-c.ed.jp/63kenkyuutaikai/honbu1-2/15.pdf
================引用開始
「下さい」と「ください」の使い分け

   「ください」には、大きく分けて二つの意味があります。一つは、「(物)を与え
  る」という意味の本動詞として尊敬・丁寧を表現する場合で「下さい」と書きます。
   もう一つは、動作を表す名詞や動詞の次に付ける補助動詞で、他の人に動作
  を依頼するときや動作をする人に対する敬意を表現する場合で、「(~して)くだ
  さい」と書きます。
      例   不用になった古新聞を下さい。   資料を下さい。   
          9月11日までに報告してください。   問題点を話してください。
          多数の方が御出席くださいますよう御案内申し上げます。
================引用開始

「桃太郎さん」&北原白秋の大元は『言葉に関する問答集・総集編』らしい。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2010_4.html
================引用開始
2010年4月26日

「ください」と「下さい」
 本市における公用文の表記の中で、最も多い間違いの一つに「~(して)下さい」があります。正しくは、「~(して)ください」と表記します。
 「助詞及び助動詞並びにそれらと類似した語句は、原則として平仮名で表記する」(「分かりやすい公用文の書き方」礒崎陽輔著/ぎょうせい)とされています。「下さい」と表記すると、動詞「くれる・くれ」の尊敬・丁寧表現になります。
 良い例が「言葉に関する問答集・総集編」(文化庁/国立印刷局)に掲載されていますので、引用します。
「⑴ 桃太郎さん桃太郎さん
   お腰につけた黍団子
   一つわたしにクダサイな(文部省唱歌)
 ⑵ トン、トン、トン
   あけてクダサイ。
   わたしです。(北原白秋「お月夜」)」
 ⑴が「下さい」で、⑵が「ください」です。

投稿者 おおさか政策法務研究会管理人 : 20:21 | 文書事務 |
================引用終了

 下記のBAをたどると有力そうなサイトがある(おなじみのホニャララ回答もある)。内容は同じようなものだけど。↑のようなホニャララ例文は出てこない。アタリマエだ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10101057325

【「下さい」と「ください」 どう違う?】(ことばの宝船―NHKアナウンサールーム)
http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/55134.html

【自治体広報広聴活動調査広報研究ノート】
http://www.koho.or.jp/useful/qa/hyouki/hyouki06.html


 ちなみに、↑の『公用文における漢字使用等について』によると、下記あたりもひらがな書きが原則らしい。問題になるのは「~続ける」などの補助動詞や「等」なんだけど、そこには基準がないのね(泣)。
  ある(その点に問題がある。)
  いる(ここに関係者がいる。)
  こと(許可しないことがある。)
  できる(だれでも利用ができる。)
  とおり(次のとおりである。)
  とき(事故のときは連絡する。)
  ところ(現在のところ差し支えない。)
  とも(説明するとともに意見を聞く。)
  ない(欠点がない。)
  なる(合計すると1万円になる。)
  ほか(そのほか...,特別の場合を除くほか...)
  もの(正しいものと認める。)
  ゆえ(一部の反対のゆえにはかどらない。)
  わけ(賛成するわけにはいかない。)
  ・・・かもしれない(間違いかもしれない。)
  ・・・てあげる(図書を貸してあげる。)
  ・・・ていく(負担が増えていく。)
  ・・・ていただく(報告していただく。)
  ・・・ておく(通知しておく。)
  ・・・てください(問題点を話してください。)
  ・・・てくる(寒くなってくる。)
  ・・・てしまう(書いてしまう。)
  ・・・てみる(見てみる。)
  ・・・てよい(連絡してよい。)
  ・・・にすぎない(調査だけにすぎない。)
  ・・・について(これについて考慮する。)

ユキの天(そら)

 囲碁の三大タイトルのうち、一番格が上なのは、本因坊か、棋聖か、名人か……。
 いろいろ考え方はあるのでしょうが、わかりやすさを重視して「名人」にしています。


ユキの天(そら)


●5年前。囲碁名人戦最終局前夜。
 例年以上に囲碁界の注目を集めた名人戦は、下馬評をくつがえして最終局にもつれ込んでいた。
 初防衛を目指すのは林明水名人。1年前に名人位を奪取して以来快進撃を続け、現在四冠を堅持する最強の棋士である。対するは天宮忠行名誉王座。昨年名人位を奪われた天宮にとっては、リターンマッチになる戦いだった。
 戦前には、林名人を推す声が圧倒的に優勢だった。心情的には天宮を応援したい棋士も多かったが、林名人の最近の充実ぶりは目覚ましい。ほとんどのタイトル争いにからみ、囲碁界では例のない全タイトル制覇にもっとも近い棋士といわれていた。一方の天宮は、名人位を奪われて以来、体調がすぐれないこともあっていまひとつ精彩を欠く。しかも厚みを重視する棋風の天宮は、地にカラく弱石のシノギに絶対的な自信をもつ林名人と相性が悪く、対戦成績でも大きく水をあけられていた。
 接戦になった第1局は、終盤に天宮の手痛い失着が出て林名人が制した。第2局、第3局と危なげのない内容で名人が連勝すると、「このまま第4局で終わり」という雰囲気が生まれたのも無理のないことだった。
 カド番に追い込まれた天宮は、先番になった第4局で思い切った策に出る。何年も打っていなかった「初手の天元」を復活させたのだ。
 大模様を張る天宮の独特の碁風は「天宮流」「天空流」などと呼ばれる。その象徴ともいえるのが「初手の天元」だった。雄大な構想で盤上に絵画を描くような碁風はロマンを感じさせ、プロ・アマを問わず人気が高くてマネをするファンも多い。だが、「初手の天元」だけは理論的に「やや損な手」とされ、追随する者はほとんどいなかった。対策が研究されて勝率が下がってからは、天宮自身もほとんど打つことがなかった。それをこの大切な対局で用いたのだから、対戦相手の林名人はもちろんのこと、対局を見守った関係者一同が意表をつかれた。
 天宮の奇策は功を奏した。
 完璧な打ち回しで林名人を圧倒した第4局は、天宮の名局と評判を呼んだ。続く第5局でも天宮は白番にもかかわらず「初手の天元」を連採し、周囲を驚かせる。白番での「初手の天元」はあとの運びがことのほかむずかしく、天宮でさえほとんど用いていなかったからだ。名人の緩手を巧みにとがめた天宮が第5局を快勝すると、七番勝負の流れが明らかに変わった。苦し紛れとさえ思われた「初手の天元」が、無敵の布石に変貌した印象さえあった。再び黒番になった第6局でも天宮は当然のように「初手の天元」を採用して勝利をつかみ、五分の星に持ち直した。
 持ち時間の長い2日制のタイトル戦は、対局者の心身に大きな負担をかける。対局を重ねるごとに天宮の体調が悪くなっているのは、傍目にも明らかだった。天宮の3連勝は思わしくない体調を補ってあまりある執念が生んだ快挙であり、第4局以降の棋譜だけを見ると、全盛期の力強さが戻ってきたかのようだった。
 こうなると、棋士たちの予想もまっぷたつに分かれる。3連敗の後の4連勝は、七番勝負の長い歴史のなかでもめったにあることではない。最後は林名人が勝負強さを発揮する、と考える棋士も多かった。その一方で、改めて先後を決め直す第7局で天宮が先番を握ればむしろ有利、と主張する棋士も譲らない。どんな戦いになるか予断を許さない状況で迎えた最終局ではあったが、誰もがこれまで以上の熱戦になることを期待した。
 対局当日の天宮の異変を知るまでは……。


●現在。囲碁高校名人戦の決勝戦大盤解説会場
「ご無沙汰しております」
 会場を訪れた天宮楓子・ユキの親娘を見つけた桂木亮介天元が声をかけた。
「こちらこそ、いつもいつもご無沙汰ばかりで、本当に申し訳ございません」
 楓子が深々と頭を下げる。
「頭を上げてください。困ります」
 桂木が恐縮する。「ボクはいまでも天宮先生の不肖の弟子なんですから」
 楓子がいたずらっぽい上目づかいで桂木を見る。
「やっぱりちょっと困った?」
「楓子先生、勘弁してくださいよ」
 桂木が苦笑する。
「桂木先生があんまり他人行儀なんで、ちょっとからかってみたくなっただけ」
 楓子が茶目っ気タップリに笑う。
 3年間、天宮忠行の内弟子として天宮家で過ごしたことのある桂木は、今年25歳になる。「若手四天王」の一角を占める実力者だった。
「那智クンは緊張していませんでしたか?」
「おかげさまでいつもどおりでしたよ。決勝まで来ることができただけで上出来ですから。今日のお相手は林名人のお嬢さんなんですよね。恥をかかなければいいのですが」
「そんなことはありません。那智クンの力はボクが保証します。今日もいい勝負になると思いますよ」
 と言って桂木はユキを見た。「ユキちゃんも大きくなったな。たしか今年中学に入ったんだよな」
「入学祝いがまだだよ、桂木センセ。桂木センセも偉くなったな。たしか天元になったんだよな、お祝いは贈ってないけど」
 と言ったユキは、楓子にたしなめられて舌を出す。
「こんな会場に来て、大丈夫なんですか?」
 桂木が楓子に訊く。
「大丈夫だよ。もうなんともないんだから」
 ユキが明るく笑う。
「だったらよいのですが……」
 と桂木が言う。「お2人とも招待席ですよね。お邪魔でなければ隣の席を取っておいてください。あとでうかがいます」
「席はお取りしておきます。よろしくお願いします」
 楓子が頭を下げる。
「じゃあね。待ってるから」
 手を振るユキを、桂木は温かい視線で見つめる。桂木にとって、ユキは年の離れた妹のような存在だった。ユキも、実兄の那智を慕うように彼を慕っていた。ユキの様子を心配しながら、連絡を取りにくい事情があったことを、桂木は心苦しく思っていた。
「大盛況だね」
 声をかけたのは月刊『囲碁』の須藤編集長である。新人編集者の会田と2人連れだった。「いまのは、天宮夫人だよね」
「はい。楓子先生です。すっかりご無沙汰していたのですが、おかわりがないようで安心しました」
 桂木が答えると、会田が口を挟んだ。
「実物を見るのは初めてですけど……痛っ」
 会田の頭を引っぱたいた須藤が怒鳴る。
「口のきき方に気をつけろ!」
「なんかマズいこと言いましたぁ?」
 頭を押さえながら会田が言う。
「実物を見るのは初めて、って見せ物じゃねえんだよ!」
「そうですかぁ?」
 会田は不満そうだった。「お目にかかるのは初めてですけど、本当に美人ですね。女医さんなんですよね?」
「それだけじゃないよ。アーベル賞を受賞している天才数学者でもあるんだから。会田なんかとは頭のデキが違うんだよ」
「なんですか、アーベル賞って」
「自分で調べな」
 須藤に突き放されて、顔をしかめた会田は桂木を見た。
「じゃあ、一緒にいた超可愛い子が那智クンの妹さん? 那智クン以上の才能があったって噂の」
「お嬢さんの才能を過去形にしないでください」
 静かではあったが強い口調で桂木が言う。
「そう言ったって……」
 と言いかけて会田は、桂木の鋭い眼光にあって言葉に詰まる。
「よくこんなに集まったもんだ」
 須藤があわて気味に話を逸らした。「たしかにネットなんかでは大騒ぎになってるらしいけど」
「今回は特別ですから」
 今回の高校名人戦には特別枠で2人の中学生が参加していた。
 ──ひとりは、伝説の大名人の息子、天宮那智。
 ──もうひとりは、現在の最強名人の娘、林明日香。
 プロの名棋士を親にもつ2人の実力は、小学生の頃から「別格」扱いされていた。「なぜすぐにでも院生になってプロを目指さないのか」と訝しがる声もあったが、2人とも中学卒業まではその意思はなく、公式の大会にもほとんど参加していない。
 この2人とともに注目を集めていたのが、高校名人戦3連覇に挑む対馬勇作だった。中学生まで院生だった対馬はプロデビュー目前まで行ったが、開業医の親の跡を継いで医者になる道を選んでいた。
 3人とも、十代のアマチュアながら実力はプロ級といわれている。来春の卒業後には院生になってプロを目指す2人の特別な中学生を、院生経験のある高校名人と対決させてみたい、という思惑から特別枠が設けられたとの噂もあった。
 前評判どおり、3人は順調にトーナメントを勝ち進んだ。
 直接対決が実現したのは、対馬勇作と林明日香が対局した準決勝戦だった。大熱戦の末に明日香が勝ち上がる。もう一方のブロックからは、天宮那智が決勝に進んだ。力の差を見せつけるような、安定した勝ちっぷりだった。
 可能性としては十分に考えられたが、実際に特別枠の中学生2人が決勝を争うことになると、関係者一同が驚きを隠せなかった。高校生を相手にどこまで通用するのか半信半疑の者も多かったからである。プロ棋士はもちろん、アマチュアの囲碁ファンの間でも、2人の対決は大きな注目を集めた。
 誰もが、2人の父親が戦った5年前の名人戦……そして最終局の「吐血の一局」を思い出さずにはいられなかった。


●5年前。囲碁名人戦最終局当日。
 先に対局室に入った林名人が上座に座っている。若い頃から囲碁界の三美男に数えられる端正な顔立ちで、タイトル戦恒例の和服の着こなしには一分のスキもない。
 定刻ギリギリにあわただしく到着した天宮の様子は尋常ではなかった。対局室まで妻の楓子の肩を借りてきた天宮は、立会人の橋本善太郎九段と激しい口調で押し問答をした。
「天宮クン。奥さんから話は聞いている。もう一度言う。対局は延期にしよう」
 心配そうな表情の橋本に、天宮も譲らない。
「橋本先生。名人戦の歴史に、病気で対局延期なんて前例はない」
「前例がないなら作ればいい。キミの体のほうが心配だ」
「クドい! そんなことが許されてたまるか! 名人戦の歴史に泥を塗る気か!」
 声を荒らげて橋本を振り切ると、天宮は楓子を押しのけるようにして室内に入った。楓子も棋士の戦場である対局室に足を踏み入れるようなマネはしなかった。
 よろける足で盤の前にたどり着くと、天宮はドサリと大きな音を立てて腰を落とした。顔に血の気がなく、いつにもまして頬がこけている。トレードマークのヒゲが憔悴の色をいっそう濃くしていた。深夜に及ぶ対局を終えた直後でも、こんなに疲弊しきった姿を見せたことはなかった。
 天宮の様子が伝わると、控室が騒然となる。局面の検討のために用意された控室には、10人を超える若手棋士がいた。若手といっても、いずれ劣らぬ実力者揃い。名人戦の検討ともなると、並みの棋士が入り込む余地はなかった。
「ゆうべ、血を吐いたらしい」
「隣室に、医者と看護師が待機してるって」
「そんなに悪いのか?」
 誰もが天宮の身を案じる控え室に入ってきたのは、天宮の愛弟子の桂木亮介九段だった。一晩中天宮に付き添っていた桂木も疲労のため顔色が悪い。桂木と親しい仙崎道彦七段が一同を代表するかのように声をかける。
「本当のところ、忠行(チュウコウ)先生の容態はどうなんだ」
「医者は、対局なんて、絶対に無理だと……」
 桂木が言うと、何人かがため息をもらした。
「こうなったら、誰も止められないよな」
 仙崎が呟くように言う。
 昨晩遅くに吐血し、天宮は病院に運ばれていた。本人の意志が固いために対局は認められたが、万が一に備えて医師と看護師が対局室の隣室に待機していた。延期を提案した立会人の橋本九段を一喝した、という話に一同がため息をもらす。「誰も止められない」という諦めの気持ちと、「さすが忠行(チュウコウ)先生」という畏敬の念がないまぜになった複雑なため息だった。「最後の無頼派」と呼ばれる天宮にふさわしい、気骨あふれる啖呵だった。
 天宮の体は、すでに過酷な対局に耐えられるような状態ではなかった。生来はむしろ頑健だったが、それがむしろ災いした。体力にまかせて若い頃から浴びるほど飲んだ酒が、手の施しようのないほどに内臓を蝕んでいた。
 酒にまつわる天宮の逸話は枚挙にいとまがない。二日酔いで対局をするのは毎度のこと。三十代前半までは、徹夜で飲み明かして対局に臨むことも珍しくなかった。「酒が残っているほうが手が見える」と豪語する天宮がしばしば終盤で初心者並みのポカ(見落とし)を犯すのは、「酒が切れるから」とまことしやかに語られていた。「酒さえ飲まなければ不世出の大名人」と言う者もいたが、本人は「酒を飲まなきゃただのヘボ」とうそぶいて意に介さない。
 体調を決定的に損ねたのは、長男が生まれてすぐに妻に先立たれてからだった。極度の不振に陥った天宮は、保持していた3つのタイトルをすべて失う。1年近くにわたってまさに酒浸りの日々を送り、引退説さえ流れた。
 そんな天宮が立ち直ったのは、現在の妻の楓子と付き合い始めてからである。医者でありながら世界的に知られる数学者でもある楓子と、当時廃人に近かったとさえいわれる天宮の取り合わせは「美女と野人」と評され、なぜ2人が結び付いたのかは囲碁界の七不思議のひとつに数えられている。
 大酒飲みのうえに、天宮には世間の常識を逸したところがあった。
 初めて挑戦したタイトルを圧倒的な強さで奪取した際の宴席で、
「いまなら名人が相手でも負ける気がしない」
 と言い放ち、大きな波紋を投げかけた。
 名人位初挑戦の際には剃髪して臨み、関係者を驚かせる。並々ならぬ決意の現われと考えられたが、
「勝ったらまた口をすべらせそうだから、あらかじめ頭を丸めておいた」
 と語ったという噂もあった。
 名人戦3連覇を果たした頃から天宮は先輩棋士に対しても敬語を使うのをやめ、第一人者として囲碁界に君臨した。
 傲慢な暴君、話題作りのためのリップサービス、繊細な神経ゆえの韜晦……さまざまなとらえ方はあるにせよ、常識人が多くなった囲碁界の中で昔ながらの棋士気質を感じさせる豪快無比の生き方は、いつしか「最後の無頼派」と呼ばれるようになる。そこがまたファンを魅了した。
 非常識な言動を快く思わない先輩棋士が多い一方、天宮を慕う若手棋士は多い。昔から親分肌で後輩の面倒見のよさには定評があった天宮は、若手を対象に研究会を開き、近年は内弟子をとって後進の育成に力を注ぐ一面もあった。内弟子のなかからは、有望な若手棋士が何人も育っている。
「忠行(チュウコウ)先生」という敬称が、内弟子の間だけではなく広く浸透していることも、天宮の人望の厚さを物語っている。とくに独特の序盤感覚には信奉者が多く、一部の棋士の間では絶対視されていた。天宮が検討に積極的に参加すると、検討というより独演会に近くなることも珍しくはなかった。
 若手の台頭が著しい囲碁界で、天宮の年齢でトップクラスの地位を保っている棋士は数えるほどになった。さしもの天宮も、体調の不良もあって衰えは隠せず、成績は年々悪くなっていった。
 だが、名人戦だけは例外だった。ほかの棋戦では並みの成績でも、名人戦の天宮はまったくの別人だった。40歳で名人位に返り咲くと、挑戦してくる若手を裂帛の気合いで退け続け、4連覇を果たす。「手合い違い」「十年早い」と、対戦相手を挑発する天宮の言葉も、こと名人戦に限っては説得力があった。
 昨年、林明水九段が挑戦したときも、天宮の敗北を予想する者はほとんどいなかった。
 挑戦者になった林明水九段は、不思議な棋士だった。台湾から来日した十代の頃から豊かな才能を認められていたが、不思議とタイトルに縁がない。常に最善の一手を求める傾向が、大一番では裏目に出ると指摘する声もあった。それが2年前から急に勝ちはじめ、タイトル奪取も時間の問題、と見られるようになった。
「30歳全盛説」さえある現代の囲碁界にあって、30歳を過ぎてから急速に強くなった棋士はほかに例がない。そうはいっても天宮が相手の名人戦となると話が違ってくる。「名人戦の天宮」にどこまで迫れるか……という見方が大勢を占めた。
 結果はあっけないものだった。
 天宮は4連敗を喫し、あれほど執着した名人の座を譲り渡す。ただの4連敗ではなく、内容がヒドかった。得意なはずの序盤で形勢を損ない、4局ともいいところなく土俵を割った。
 例年以上に体調が悪かったことを加味しても、あまりに一方的な内容で、天宮の口癖である「手合い違い」を思わせる惨敗だった。天宮嫌いで知られる囲碁好きの作家が観戦記で「朽ちた老木が倒れるかのように」と表現したことが大きな反響を呼んだ。それは、「あの書き方はあんまりだ」と批判的な気持ちになりながら、誰も否定できないところがあったからだった。
 天宮の名人失冠は、囲碁界のビッグニュースになった。数あるタイトルのなかでも名人位は別格だった。さらに、「名人戦の天宮」の強さも別格と思われていたからである。
「タイトルは奪うより守るほうがむずかしい」とはよく聞かれることだ。もちろん、誰が挑戦してきても寄せ付けない風格を漂わせるタイトル保持者もいる。名人戦を連覇中の天宮も、それに近い存在だった。だがそれは、ごく限られた者が、ごく限られた時期に見せる一瞬のきらめきのようなもので、そうあることではない。
 トップクラスの棋士の実力に大きな違いはなく、紙一重のギリギリのところで鎬を削っている。挑戦する者は、トーナメント戦やリーグ戦の過酷な競り合いを勝ち上がり、絶好調の状態で挑戦手合に臨む。申し分のない実力と時の勢いを味方にした、いわばそのときの最強者である。そう考えると「守るほうがむずかしい」という説は理論的には正しく、毎年のようにタイトルが移動するほうが自然だ。
 だが実際には、タイトル戦で交代劇が起きることはそう頻繁にはない。とくに、名人戦に限れば交代劇は極端に少ない。名人になる棋士は実力や勢いだけではない何か別のものをもっている、と考えられるのはそのためである。
 名人にまで上り詰める棋士は、低段の頃からその雰囲気を身につけていて、周囲もそれを認めている。ただし、若い頃から名人候補と目されながら、「候補」で終わった棋士も多い。限られた名人候補のなかでも、不可思議な力をまとった者だけが名人の座を手にするのである。それを、「神に選ばれし者」という言い方をすることもあった。
 もうひとつ、「名人戦に番狂わせなし」ということもよく聞かれる。名人になる棋士は、なるべくしてなる。どんなに力があっても、ただ強いだけで「名人の器ではない」と思われる挑戦者は、決して名人になることはない。逆に、さまざまな要因が重なって「なって当然」という雰囲気が大勢を占めたときには、あっけなく新名人が誕生する。
 まれに、番狂わせと思われる結果になることも、ないわけではない。しかし名人戦の歴史をひもとくと、どんなに意外と思われる結果に終わった場合も、あとから振り返れば必然の結果であったことがわかる。1年前の交代劇も、まさにその例に漏れなかった。当時は意外に思われたが、いまとなっては必然のものに感じられた。
 勝者と敗者の明暗は、残酷なほど鮮明だった。新たに頂点に立った林名人がすばらしい内容で次々とタイトルを手中にする一方で、天宮は巻き返しに闘志を燃やす次期名人戦リーグでも連敗を喫した。ほかの棋戦でも無様な戦いを続け、「天宮限界説」は公然のものになった。
 ところが、天宮は甦った。不死鳥のような鮮やかな復活劇にはほど遠い内容ではあったが。
 名人戦リーグの3局目で幸運な勝ちを拾うと、天宮は苦戦の連続ではあったが白星を重ねた。ほかの棋戦では相変わらずの体たらくだったが、それは名人戦リーグのために体力・気力を温存している感があった。リーグ戦が終わってみると、2敗を守った天宮はプレーオフに進出し、弟子の桂木亮介九段との師弟対決を制して挑戦者に名乗りをあげたのである。
 華麗さなど微塵も感じられない、泥臭い戦いぶりだった。満身創痍の武将が、わけのわからない混戦に持ち込んだあげくに最後の一刃でかろうじて相手を打ち倒す……そんな連想をしてしまうような戦いの連続だった。なりふり構わぬ必死さが伝わり、見る者の胸を熱くせずにはおかなかった。
 くだんの作家は、今度は「あたかも燃え尽きる蝋燭の最後の輝きのよう」と表現し、大顰蹙を買った。同じようなことを思う者は多かったが、それだけは決して口にしてはいけないと感じていたからだった。

 しきたりどおりに先後が決められて天宮が先番を握ると、それだけで対局場には緊迫した空気が張りつめた。この一番の先後の重要性は図りしれなかった。
 碁笥に手を突っ込んだ姿勢で、天宮が呼吸を整える。背筋をピンと伸ばし、先ほどまで息も絶え絶えだったとは思えない凛とした態度で、石音高く打ち下ろした。
 誰もが期待した天元への一着。
 取材陣がたくカメラのフラッシュが、天宮の蒼白の顔色をいっそう青白く見せる。しかし、眼光は異様なまでの迫力をみなぎらせていた。盤面の中央に置かれた黒石が、フラッシュを受けて輝く。
 取材陣が退席し、対局室は静寂を取り戻した。天元の黒石は、天宮の魂を宿して輝きを放ち続けているかのようだった。その黒石を眺めながら思索にふける林名人。対応を考えているというより、気持ちの高ぶりが静まるのを待っているように見えた。予想どおりの着手だっただけに、すでに応手は考えているはずだった。
 白石を手にした林名人は、天宮とは対照的に気負いの感じられない静かな所作で、天元の石の右横にツケた。これは誰も予想しない一着だった。

 天宮の先番が決まっただけで対局前とは思えない盛り上がりを見せた控室では、林名人の意外な着手に一段と大きな歓声が起きた。
「なんだよ、これは!」
 ひと際大きな声をあげたのは、仙崎道彦七段だった。「いくらなんでもムチャクチャだよ。フツーに考えりゃ悪手だよなー」
「そんなことを言ったらしかられるよ。名人が打てば、悪手も妙手なり、なんだから」
 応じたのは丹野通八段。
「初手の天元は、一度は試してみたいと思う」
 仙崎が言う。「でも、このツケにはおみそれしました。一生かかってもボクには打てません」
 芸達者が多い棋士のなかでも、打てば響くようなテンポの早いやり取りでは、この2人の右に出る者はいない。普段から親交の深い2人はテレビの囲碁番組の解説をコンビで務め、掛け合い漫才めいた息の合った応酬で、お茶の間の囲碁ファンの間でも人気者になった。時にまわりを驚かせるような大胆な発言をしてもとがめられることがないのは、2人の人柄もさることながら、秀でた才能が知れわたっているからだった。
 とくに「口八丁手八丁」を絵に描いたような仙崎のセンスのよさは、棋士の間でも認められていた。文才にも恵まれて著作も多く、何をやっても器用にこなす多芸さを危ぶむ声さえあった。
「仙ちゃんがこんな手を打ったらいかんよ。五目並べか! って破門される」
 丹野の冗談に笑いが起き、緊迫した雰囲気が緩む。
「やはり、両先生は我々とは別の世界にいる」
 呟くように言ったのは桂木九段だった。つい先日のプレーオフで天宮と対戦した20歳の九段は、次期名人の呼び声も高い実力者である。
「ただ、このツケは林名人らしくないのでは……」
「降参です。仙ちゃん、通訳お願い」
 丹野がおどけた口調で仙崎に助けを求める。
「勝ち負けにこだわる我々下賤の者とは違い、両先生はそれ以上の高みを目指してるってことですね。不利を承知で初手の天元を打ち続けるのは、忠行(チュウコウ)先生の美学。悪手の可能性が高いと知りながらツケで応じるのは、林名人の気合いと言ってよいでしょう。単純に目先の勝ち負けだけを考えたら、こんな手は絶対に打てません。ただし、気合いの一手なんてのは、いつなんどきでも本筋・最善手を追究する林名人らしくない、と考えることもできます」
 芝居がかった口調で解説した仙崎が桂木に同意を求める。「こんなところでよろしいでしょうか、桂木先生」
「ありがとうございます」
 桂木は苦笑して頭をかいた。
 5歳年下でも段位が上の桂木を、必要以上に立てる仙崎。まったく嫌みに感じられないのは、仙崎の人徳だった。ひとたび盤に向かって相対すれば、年功も序列も関係なくなるのが棋士の世界だが、盤を離れると上下関係は微妙になる。段位と昇段時期、院生になった時期、年齢などがからみ、ひと筋縄には行かない。
 仙崎と丹野の言葉で場は和んだが、いくばくかの異和感は拭えない。異和感のもとは盤の中央に置かれた白黒一対の石だった。どう見ても異形のこの二子が、大勝負の趨勢を握っていることは間違いなかった。


●現在。囲碁高校名人戦の決勝戦大盤解説会場
 会場の最前列で見守るユキと楓子。楓子を間に挟む形で、桂沢も並んで座っていた。
 前日の準決勝の結果が報道され、那智と明日香の対決を見ようとする関係者とファンで、会場は前例のない混み方になっていた。
 ステージの上には、対局室の様子を伝える大型モニターと解説用の大盤が設けられていた。解説を担当するのは、話術の巧みさには定評のある仙崎道彦九段と丹野通九段。マイクを握った仙崎があいさつをし、2人のゲストの紹介を始める。
 1人目は現役最年長の橋本善太郎九段。2人目は新鋭の前田佑太七段。高校3年生の前田は、早碁のトーナメント戦で優勝し、つい先日「飛び級」で七段に昇段したばかりだった。
「前田七段は、惜しくも準決勝で敗れた対馬クンとは小学生の頃からのライバルだったと聞いています。昨日の対局の棋譜はご覧になりましたか?」
「昨日のうちに見ました」
 前田が緊張した表情で言う。「正直言って、対馬クンが中学生に負けたのが信じられなかったんです。ミスでもしたのかと思って見たんですが、まったく違いました。大熱戦で、レベルの高い対局でした。あれで中学生なんて……ビックリしました」

 月刊『囲碁』の須藤と会田は、前方に用意された招待席の片隅に陣取っていた。
「高校生の大会とは思えないですね」
 賑わう会場を見渡して会田が感心する。
「対局するのは、なぜか中学生だけどな」
 須藤が言う。
「高校生だろうが中学生だろうが、あんなに絵になる2人が対局するなら、ボク的には大OKですよ」
「会田、その言葉遣いはなんとかならないのかよ」
 須藤が苦々しい顔で言う。「さっきも桂木天元を怒らせたばっかりだろ」
「あれはビックリしました。桂木天元はあんなキャラじゃないでしょ。好感度ナンバーワンの貴公子なんだから」
「それだけオマエが礼を欠いたってことだよ。地雷を踏んだ、と言ったほうがわかりやすいか?」
 4年前、父である天宮忠行の死を目の当たりにしたユキは、ショックで囲碁に関する記憶を失っていた。父や知り合いの棋士のことは覚えていたが、囲碁のルールをいっさい忘れ、一時は囲碁に関するものを見るだけで情緒不安定になることもあったという。桂木が天宮家への連絡を控えていたのも、ユキの身を案じたからだった。
「桂木天元にとっちゃ、ユキちゃんは可愛い教え子だったからな」
「忠行(チュウコウ)先生は、ユキちゃんには教えなかったんですか?」
「兄の那智クンには、プロ棋士にするために相当厳しく教えたらしいが、ユキちゃんにはあまり熱心じゃなかったらしい」
「それって、やっぱり女の子だからですか」
「かもしれないな」
「じゃあ、明日香ちゃんを育てた林名人は鬼ってことですかね」
「男の子がいれば話は違っていたかもしれない。あのとんでもない世界で、化け物みたいな男たちと対等にやり合うなんて、オレが親だったら絶対にすすめないよ」
 と言って須藤は禁煙パイプをくわえた。「男女平等って考え方をするなら、こんなに平等な世界もないんだけどな。もっとも、ウチのバカ娘じゃ、逆立ちしたってモノになりっこないけど」
「プロ棋士って化け物ですかね、やっぱり」
 会田が首を傾げる。
「間違いなく化け物だよ。この場合の化け物ってのは、最上級の褒め言葉だけどな」
 須藤が言う。「オマエもK大の囲碁部で主将まで務めたんだから、わかるだろ」
「レベルが違いすぎて、ピンと来ませんよ。ボクの代は歴代最弱でしたし。これでも小学校までは神童って呼ばれてたんですけどね」
「あのな。プロ棋士になる人間は、みーんな神童クラスなんだよ。だが、才能だけでどうにかなるもんじゃない。かといって、努力だけじゃどんなに頑張ったって限界がある……そんな世界だよ」
 と言って須藤はステージに向き直った。「始まったぞ」
 モニターの中では、対局が始まっていた。
 しかし、先番に決まった那智は、目を閉じたままなかなか初手を打ち下ろそうとしない。父子2代にわたる因縁の対決を前にして、那智は厳しかった父の姿を思い出していた。


●7年前。天宮と那智の稽古風景。那智8歳。ユキ6歳
 盤を挟んで対峙する天宮と那智。盤側にチョコンと座り、じっと見ているユキ。
「なんだこの手は!」
 筋の悪い手を打った那智を、天宮が厳しく叱りつける。「誰がこんな卑しい手を教えた!」
 まだ8歳の那智に対して、天宮は容赦なく罵声を浴びせる。
「自分が打ったのがどんな手なのかわかってるのか! たとえ負けても、こんな手だけは絶対に打ってはいかん! わかったか!」
 那智は唇をかんでうなずく。ユキはおびえた表情ながら、決して目を逸らさずに父を見つめていた。普段は優しい父が、なぜこんなにも大声で怒鳴っているのかはわからなかったが。
 那智が無言で石を打ち直す。
「そうだ。打てるじゃないか。ちゃんと考えれば、那智は誰よりもいい手が打てる」
 打って変わって上機嫌になった天宮が那智の頭をなでる。「いい手を打つことだけを考えればいい。勝ち負けよりも、もっと大切なことがあるんだ。わかるか?」
 しゃくり上げながらうなずく那智の頭を、天宮はいつまでもなで続けた。


●現在。囲碁高校名人戦の決勝戦大盤解説会場
 那智が初手を天元に打つ。
 かつて父の忠行が好んで用いた手でもあった。珍しい着手に会場が湧く。しばらく考えた明日香が、天元の石の右横にツケる。やはり少考して右上の星を占めた那智が、明日香の顔をうかがう。左上の三々に石を置く明日香は、かすかに笑ったように見えた。
 那智と明日香は、子供の頃から何度か対局したことがあった。元々の棋力は明日香のほうが数段上だった。しかし、はじめは大差だった実力が、明らかに接近していた。
 那智の成長ぶりを誰より感じているのは明日香だった。同年代では敵なしの明日香にとって、那智は得がたい好敵手だった。
〈でも、ワタシだって成長している〉
 最後に打ったのは1年ほど前だった。そのときよりずっと大人びて見える那智との対局は、なんだか怖い部分もあったが、それ以上に胸が躍るようなことだった。
 いま、2人は着手を通して無言の会話をしていた。
〈今日は、ぜひこの布石で打ちたい〉
 天元に打った一着は、父の棋風を継ごうとする那智の決意表明だった。
〈だったら、いっそこうしない? ちゃんと覚えてるかしら〉
 先に仕掛けたのは明日香なのだろう。
〈わかった。そういうことなら受けて立つよ〉と那智。
〈じゃあ遠慮なく〉と明日香。
 1手打つごとに、2人は相手の気持ちを確認していた。そして、戦う2人の気持ちが重なった。
 淡々と打ち進める両者の着手は異常に早い。
〈こ、これは……〉
 いち早く気づいた仙崎はアシスタントを呼び、過去の棋譜をもってくるように指示を出した。見覚えのある進行に、会場にざわめきが広がる。
 棋譜が取り寄せられたときには、局面は50手以上進んでいた。5年前の名人戦最終局と同じ序盤戦が繰り広げられていた。
「お気づきの方も多いようですが、ここまでの局面は、5年前の名人戦最終局とまったく同じ手順になっています。対局中の2人のお父上が打った、伝説の一局と言われる名局です」
 仙崎がやっと口を開いた。会場が静まり返る。「一般のかたも大勢いらっしゃるようなので、そんなことが可能なのか、丹野九段の意見を聞いてみたいと思います。えーっと、5年も前の対局を、正確に再現することができるのでしょうか」
「自分で最近打ったものなら大丈夫かもしれませんが、5年前のものとなると……」
 丹野は少し考える。「一手の違いもなく、ってのはよほど強く印象に残った対局でないと無理ですね」
「ボクもそう思います。つまり、対局中の2人にとって、それだけ印象的な対局だったということです。可能性は、もうひとつあります」
 仙崎はそう言って間を置いた。「対局中の2人のほうが、ボクたちヘボなプロより実力がずっと上なのかもしれません」
 会場が爆笑に包まれる。
「仙ちゃん、それはないでしょ」
 という丹野のボヤきに、再び笑いが起きた。
「ご存じの方も多いようですが、少し解説しましょう」
 真面目な顔つきに戻った仙崎が言う。「初手の天元は、対局中の天宮那智クンのお父上である天宮忠行名人が得意にしていた布石です。丹野九段、初手の天元を打ったことはありますか?」
「ボクのようなヘボにはとても打ち切れません」
「初手の天元は、模様を張るのには悪くない手だと思いますが、打ちこなすのはむずかしい。なんと言えばいいのかわかりませんが……やや甘い。忠行(チュウコウ)先生も若い頃は好んで打ってましたが、しだいに打たなくなりました」
「それが、5年前の名人戦に突如復活した……」
「いまや伝説になってしまったあの名人戦当時、林名人の強さはハンパではありませんでした。と言うより、その前年に忠行(チュウコウ)先生を破って名人になってからいままでずーっと、ハンパではありません。まわりの迷惑も考えてほしいと思います」
「仙ちゃん、それを言うなら名人戦での忠行(チュウコウ)先生も鬼神のようでした。その鬼神のような忠行(チュウコウ)先生を相手に、絶好調の名人が圧倒的な内容で3連勝したから、終戦ムードが漂ったんですね」
「こんなことを言うとしかられるかもしれませんが、第4局の忠行(チュウコウ)先生の初手を見たときには、苦し紛れじゃないかと思った人もたくさんいました。いないとは言わせません。それがこの天元の一着です」
 仙崎は天元の黒石を指先でたたいた。「しかし天空流の威力は健在だった。第4局から第6局まで、すばらしい内容で忠行(チュウコウ)先生が3連勝し、この第7局を迎えたんですねぇ」
「対する林名人の第7局の応手がすごかった。誰も考えなかったこのツケです」
 丹野が天元の横の白石を指先で激しくたたく。
「こんな手は、林名人以外誰も打てません。どう考えてもいい手ではありませんから……」
 仙崎が苦笑しながら言う。「ちなみに、あのときボクがこの手を打ったら、五目並べか! って破門される、とヒドいことを言ったのは、ほかでもなくこの丹野九段です」
 5年前の名人戦で3連敗を喫して追い込まれた天宮忠行は、第4局で初手の天元を復活させ、逆に3連勝を果たす。とくに先番を握った第4局と第6局の打ち回しは、神懸かりめいた見事さだった。苦し紛れとさえ思われた「初手の天元」が、無敵の布石に変貌した印象さえあった。
 天宮名人が復位するのか。林名人が返り討ちにするのか。
 最終局にもつれ込み、囲碁界の注目を集めた激闘は、予想外の結末を迎える。


●5年前。囲碁名人戦最終局。2日目
 対局場はいつにも増して重い空気に覆われていた。
 両者が石を打つ音と、ときどき天宮が咳き込む音だけが、妙に響く。林名人と天宮の年齢差は10歳しかなかったが、見た目には大きな違いがあった。35歳の林名人は、二十代にも見えるほど若々しい。一方の天宮は、白髪のほうが多い髪のせいか、年齢よりもずっと老けて見えた。
 昨日来、点滴をする以外には食事を受け付けなくなった天宮は、ゲッソリとこけた顔の中で両眼だけがランランと輝いていた。立会人の橋本九段や付き添いの医師が対局の延期を提案しても、天宮は頑として受け入れなかった。
「そんなみっともないことをするぐらいなら、オレは投げる。オレの負けにしてくれ!」
 本当にそうしかねない天宮の迫力に、橋本九段も引き下がるしかなかった。
 控室の雰囲気も重苦しかった。天宮の体調を気づかってのこともあるが、それ以上に、局面の異様さが一同の口を重くしていた。局面は、中央の二子を放置したまま進んでいた。
「これさえなきゃ、フツーなんだけどなー」
 盤面を睥睨するかのような存在感を発揮している中央の二子を指して、仙崎が嘆くように言う。「この二子があるから、何がなんだかわからない。お互いに爆弾抱えて、起爆スイッチに手をかけながら殴り合ってるみたいなもんだよ。予測不能です。お手上げのグリコマーク」
「仙ちゃん、それ古すぎ」
 丹野がすかさずツッコミを入れる。
 対局者は、互いに中央で動き出すタイミングをうかがいながら手を進めている。小さな折衝も常に中央との兼ね合いを考えながらなので、神経を使う必要があった。
 仙崎の言葉どおり、中央の二子を取り除けば、平凡な配石にも見えた。どこまでも厚く構える天宮に、足早に実利を稼ぐ林名人。形勢は、中央の黒模様のまとまりしだい、としかいえない難解な戦いだった。
 先に中央に手を付けたのは天宮だった。左辺の活きが不確かな白石と、下辺から中央へ伸びる白の弱石をにらみながら、中央にハネを打つ。117手目の決断だった。
 待ち構えていたかのように、林名人が切り違える。控室が急に賑やかになった。いったん戦いが始まってしまえば、微妙な駆け引きが続くより、むしろ変化が読みやすい。
「イチバン激しい順を選びましたね」
 接近戦が得意な仙崎の表情が生き生きしてくる。
「仙ちゃんは、ホントに切った張ったがお好きだから」
 そう言いながら、丹野も気合いを入れ直した。
 さまざまな変化図が作られては崩される。戦いは下辺から左辺へと広がり、難解を極めた。
 局面が進むにつれ、左辺の白石が危ないことが明らかになる。体力的には限界を超えているはずの天宮だったが、着手に乱れは見られない。着実に林名人を追いつめていく。
 左辺の白石に活きがないことがハッキリすると、天宮を慕う棋士から歓声があがる。名人戦史上に残る熱戦も、ついに終わりを迎えたと思われた。
「マダ、ワカリマセン」
 ただひとり異を唱えたのは、王馬英七段だった。林名人の弟子の発言は師匠びいきの判断にもとれた。
「そうは言っても、さすがに……」
 仙崎が返答に窮する。
「キレバ、セメドリニナル。マダ、ワカラナイ」
 王は譲らない。
「そうか。たしかに、そうなるとけっこう細かい。ほんの少し、黒が厚いとは思いますが……」
 桂木が言うと、一同はもう一度盤面に注目する。
 盤上は、王の指摘どおりに進む。攻め取りになれば、単純に取られるのとは違って被害は最小限になる。そうなると、中央の模様を荒らされた黒の損も大きかった。やや黒が優勢のまま、中央での難解な折衝が続く。
「ここから第2ラウンドかよー」
 仙崎が大げさにため息をつく。
「そう言いながら、仙ちゃん、うれしそうじゃない」
 丹野が言う。
「そりゃ、こんな対局を見せられちゃさ」
 ギリギリの戦いが続くのは見ているだけで寿命が縮む思いだったが、これほどの対局を間近で体感できるのは、めったにない貴重な経験だった。

 息の詰まるような戦いの結末は、あまりにもあっけなかった。
 ヨセに入って間もなく、天宮が致命的なミスを犯す。左辺の一線にハネた白に対し、秒読みに追われて無造作にオサエを打った。オサエた石をキられると、掌中に収めたはずの白石が息を吹き返してしまう。初心者でもわかる簡単なポカだった。
 控室では大きなどよめきが起きた。
「やっちまったー!」
 仙崎の声は悲鳴に近かった。「忠行(チュウコウ)先生、そりゃないよー!」
 打った直後に、天宮も自分のポカに気づいた。うなだれた天宮の顔がみるみる朱に染まる。
「くっ……、ばっ……」
 歯をくいしばった口元から、言葉にならない呻きが漏れる。己の愚かさ、不甲斐なさを呪うかのような、痛切な呻きだった。固く握られた拳が、膝の上で小刻みに震える。瞼は固く閉ざされ、天宮は盤面を見ていなかった。オサエた黒石の上を林名人がキる石音を聞いた瞬間、天宮は投了の意思表示をした。
「忠行(チュウコウ)先生、目を閉じたままだったな」
 呟くように言って、丹野がため息をつく。
「林名人だって、こんな勝ち方、うれしくないだろうよ」
 仙崎が放心したような表情で言う。
 取材陣が招き入れられる。カメラのフラッシュがたかれると、天宮が血走った眼で睨みつけた。幽鬼のような形相に思わず後ずさったカメラマンが尻餅をつく。
 突然、天宮が激しく噎せる。口元を覆った右手の指の間から血があふれた。倒れかけた天宮を、素早く身を寄せた林名人が支える。別室の医師を呼ぶ橋本の怒声が響きわたった。
 のちに「吐血の一局」と語り継がれることになるこの一戦を最後に、天宮忠行は事実上引退する。対局はおろか公の場にいっさい姿を見せることなく、1年後に逝去した。
 享年46歳。


●現在。囲碁高校名人戦の決勝戦大盤解説会場
 中盤を迎えて両者とも時折少考をまじえるようになったが、5年前の対局と同一の着手が続く。2人とも意地になっているかのように、手を変えない。異様な空気の中、局面は因縁の一戦の棋譜をたどっていく。
〈これ、見たことがある〉
 大盤の進行を見ながらユキは思った。わけもなく不安な気持ちが込み上げてくる。囲碁のルールはすっかり忘れてしまっていたが、いま目の前にある局面は間違いなく見覚えがあった。
〈どこで見たんだろう?〉
 もどかしさを感じながら懸命に思い出そうとしているうちに、昔の風景が次々と浮かんできた。
 父と幼い那智が碁を打っている。いま一緒にいる桂沢の若き日の姿もあった。
 ……そして、父の最期の姿が浮かんできた。


●4年前。天宮忠行の最期。ユキ9歳
 病床でいつもの棋譜の変化を検討する天宮。布団の横に置かれた盤に胡座で向かう天宮は、パジャマの上にカーディガンを羽織っていた。盤の向かい側に正座しているユキは、小柄なせいか実際の年齢よりもずっと幼く見える。
 中央に二子が取り残された異様な局面。1年前に打たれた「吐血の一局」だった。最初は見ているだけだったユキは、何度も繰り返し眺めるうちに手順をすっかり覚えてしまった。いつしか、ユキが白をもって因縁の一局のなぞるようになっていた。
 黒石を打ちながら天宮が問いかける。
「ユキは碁が好きか?」
「面白いよ」
 楽しそうに白石を置きながらユキが答える。
 2人は会話を交わしながら、交互に石を置いていく。
「お父ちゃんのことは好きか?」
 唐突な言葉にユキは小さく微笑んだ。
「大好き」
「那智兄ちゃんとどっちが好きだ?」
 むずかしい質問にユキの手がしばし止まる。
「同じだけ好き」
 と言って白石を置いたユキが、はにかんだような笑顔を見せる。
「そうか、そうか」
 まさに骨と皮だけに痩せ衰え、50歳前にもかかわらず老け込んで見える天宮が、穏やかな笑顔を見せてうなずく。孫と会話をしながら碁を楽しんでいる老人のように見えた。
 時折、天宮が手を変える。
「こう打つとどうなるんだ?」
 ユキが首を傾げながら無言で石を置く。
「そうか。そんな手もあるのか。それじゃあダメだな」
 感心しながら天宮が局面を戻す。ユキは屈託のない笑顔で天宮の仕草を見ていた。
〈いつの間にこんなに強くなったんだ〉
 天宮は半ば呆れ気味に思った。元々“光るもの”をもっているとは思っていたが、この年でここまで強い子は見たことがなかった。幼い頃から厳しく教えた那智でも、ここまで強くはない。とくに石が競り合ったときに見せるセンスには、本気で驚かされることがあった。
「ユキはいいよな、才能があって。もしかすると、もう那智より強いかもしれないしな」
〈それだけ、オレがダメになったってことなんだろうな〉
 天宮はさっきまで読んでいた囲碁の専門紙に目を移す。盤側に置かれた新聞のトップ記事には、大きな文字が躍っていた。「林名人、堂々の3連覇」。1年前の名人戦で天宮を退けて以来、無類の強さを発揮する林名人が圧勝で名人位を防衛したことを伝えていた。さまざまな出来事が甦ってきて、天宮の胸に無念の思いが込み上げる。
〈いったい、オレは何をやっていたんだ……〉
「オレは、ダメだ」
 自嘲的な口調で、天宮が呟く。
「お父ちゃん、どうしたの?」
 肩を落とした父にユキが言う。
「いい気になってただけで、才能なんか、ありゃしない」
 天宮の右手から畳の上に黒石が落ちる。「こんなみっともない、こんな……ヘボな碁を打っちまって」
 絞り出すような声で言って、肩を震わせる天宮。盤上に一滴、二滴と涙が落ちる。
「お父ちゃん、どこか痛いの?」
 盤を離れたユキが、心配そうに父のパジャマの袖を握って顔を覗き込もうとする。
「名人戦の、名人戦の歴史に、泥を塗ったのは……」
 と言って天宮は咳き込んだ。「……オレだ」
 激しく咳き込み、盤上に突っ伏す天宮。大きな音を立てて石が飛び散る。姿勢を崩した天宮の左手は、専門紙の林名人の写真をわしづかみにする形になった。
「お父ちゃん! お父ちゃん!」
 ユキが泣きながらすがりつく。
 天宮は最後の力を振り絞るかのように体を起こした。右手と口元は血まみれだった。
 乱暴に盤上の石をすべて払い落とすと、天宮は白石を1個拾い上げた。正座になって大きく深呼吸をし、背筋を伸ばす。父の尋常ではない気迫を感じたユキは言葉を失い、身じろぎもしない。
 ほんの一瞬、対局に臨むときの真剣な表情に戻ると、天宮は盤上に激しく石を打ち付けた。
 次の瞬間、無言のまま天宮の首がガクリと深く折れ、うなだれたような姿勢になる。投了する仕草にも似た動きだった。昭和から平成にかけ、通算8期名人を務めた名棋士・天宮忠行の最期だった。
 家族が天宮の異変に気づいたとき、正座の姿勢のままで絶命した父のかたわらで、ユキはただ呆然と盤面を見つめていたという。血痕の残る盤の中央にはただひとつ、天宮の赤い指紋がクッキリとついた白石が置かれていた。


●現在。囲碁高校名人戦の決勝戦大盤解説会場
「今日の仙崎九段は、いつもと違って口数が少ないようですね」
 丹野が言う。「お気持ちはお察しいたします。実は、仙崎九段と私は、この局面には暗い記憶がありまして。5年前の対局のとき、控室で検討していたのですが、とにかくむずかしい。わからないことが多すぎます」
「中央でお見合いをしているこの二子がいけないんです」
 仙崎がため息をつく。「こんなにはた迷惑なツーショットはありません」
「非常に口数の少ない、いてもいなくても関係ないような情けない解説で申し訳ない。ただ私たちの立場もわかっていただきたいんです」
 丹野が済まなそうに言う。「名人戦史上に残る名局に、いちいちコメントできるほどの度胸も力量もありません。変化はいろいろ考えられるんですよ。たとえば、いま一間に飛んだところでこちらにツケる手も考えられます」
「すると、すかさずハネ返され、そんなのはヘボだとしかられます」
 仙崎がツッコミを入れる。
 笑いに包まれた会場の中で、ユキはしだいに息苦しさを感じていた。少し前から、脳裏に無数の変化図が浮かんでいた。同じようでいて微妙に違う盤面が次々と浮かんできて、わけがわからなくなっていた。

 先に中央に手をつけたのは那智だった。黒模様の中で激しいネジり合いが始まる。お互いの着手は、相変わらず因縁の一局をなぞっている。異様な雰囲気に包まれた大盤解説会場の関心は、「いつ、どちらが手を変えるか」の一点になりつつある。
 かつての名勝負をなぞっていることが解説者の口を重くしていたが、対局者の立場はもっと深刻だった。
「丹野九段、なんかこの緊張感に押し潰されそうなんですけど」
 仙崎がネクタイをゆるめながら言う。
「同感です。でも、対局者が感じているプレッシャーはそれ以上でしょうね。これだけの観客の前で、あの名局を並べて、しかもどこかで変化しなければならない」
「それって、ある意味、名人の着手にダメ出しすることになるんですよね」
「そう考えると、ものすごく恐ろしいことです。ボクには絶対にできない。ただ、どこかで必ず変化してくるはずです」
 手を変えることは、お互いの父が築いた名局を否定することにもなりかねない。超えがたい存在を凌駕するだけの自信と覚悟がなければ、うかつに手を変えることはできないはずだった。

 混戦の最中、157手目で那智が手を変える。
 黒石を置くときの那智の顔は活き活きとしていた。無言のままでも、着手が雄弁に語っていた。
〈父さんの残した棋譜はスゴい。でも、ボクはこちらのほうがもっといい手だと思う。ここまでは父さんたちの棋譜だった。でもここからはボクたちの棋譜だ。明日香さん、どうする?〉
「ここで変えてきましたかー」
 丹野が言う。
「なるほどー。これはいい手かもしれません」
 仙崎が感心する。「那智クンは、これを狙っていたんですかね」
 重苦しい雰囲気から解放され、2人は変化を検討し始める。那智の狙い澄ました一着に、明日香が長考に沈む。
〈いい手だわ。那智クンはやっぱり強い。でも負けない。ここからが本番よ。きっとうまい返し方がある……〉

 ユキの脳裏の碁盤が、いっそう激しく動き始める。大盤の解説に呼応するかのようにすさまじい勢いで変化図が浮かぶ。顔面蒼白のユキの状態が、明らかに異様なものになる。脳裏に浮かぶ変化図とは微妙に違う変化図が目の前の大盤で作られることが、ユキの混乱に拍車をかけた。
「どうしたの? ユキ! 大丈夫?」
 楓子が話しかけるが、ユキは一種のトランス状態に入っていて返事をしない。大きく見開かれた瞳の焦点が定まっていなかった。
「ユキちゃん、どうした?」
 自分の席を離れた桂木がユキの前にひざまずき、ユキの手をとる。最前列の騒ぎに注意を奪われかけた仙崎と丹野に、解説を続けるように合図を送る。
「キる、ノビる……」
 独り言を呟きながら、苦悶の表情を浮かべるユキ。

 盤面は一直線の進行になる。難解ながら、黒の有利な戦いになっていた。
 若干不利なことを意識しながら、明日香は勝負を楽しんでいた。いつもは大人が相手だった。昨日の対戦相手も高校生だったし、最後のひとり以外は大したことがなかった。
〈でも那智クンは違う。昔からスゴいとは思っていたけど、こんなに強くなっているとは……。でも絶対に負けない〉
 いま目の前に那智は、同じ中学生なのに本当に強かった。そんな相手と全力で戦えることがうれしくてたまらなかった。

 当然の一手と思われる那智の着手がモニターに映し出されると、ユキが悲鳴をあげる。
「ダメーッ!」
 そう叫んでユキは気を失った。「……グズまれる」
〈……グズまれる〉
 うわ言のようにユキが呟いた言葉が何を意味するのか、楓子にはわからなかった。瞬時にユキの言葉を理解した桂木が、大盤を振り返る。
〈そうか……たしかに〉
 グズミのあとの変化をヨんで、桂木は驚愕の表情を浮かべる。
 少考した明日香が放った一着は、いかにも筋の悪そうなグズミだった。
「これはどうなんでしょうね」
 丹野が首を傾げる。
「よくわからない手ですね」
 仙崎も怪訝な顔をする。「ひと目筋の悪い手だけど、ちょっと待てよ……」
 変化図を作りながら、仙崎の顔色が変わる。
 局面が進むにつれて、明日香の放ったグズミが起死回生の一着だったことが判明する。危なく見えた白石が安泰になり、むしろ黒が被告の立場になった。
 懸命の粘りを見せた那智も挽回のすべを失い、間もなく投了した。


●エンディング。決勝戦会場の医務室
 医務室のベッドで目覚めるユキ。
「気がついた?」
 傍らのいすに座っていた楓子が心配そうに声をかける。楓子の横には、長身の桂木が立っていた。
「対局は? お兄ちゃんはどうなったの?」
「頑張ったんだけどね」
 楓子が残念そうに首を振る。「負けちゃった」
 ユキは無言で顔を伏せた。
「ユキはどうしちゃったのか、話せる?」
「盤面の進行に見覚えがあって、どこで見たのか思い出そうとしたの」
 観戦中に陥った不思議な感覚を思い出しながら、ユキが話し始めた。「一生懸命思い出そうとしたら、昔のいろんなことが頭の中に浮かんできた……」
 兄に稽古を付ける厳しい父の姿があった。優しく教えてくれる桂木の姿も思い出した。囲碁が上達するのが何より楽しかったこと。自分をほめてくれるうれしそうな父の笑顔。父が繰り返し並べていた局面……。
「ユキ、大丈夫?」
 楓子が心配そうに声をかける。
「大丈夫、なんともない」
 差し出されたハンカチを見て、ユキは母を見上げた。知らず知らずのうちに自分が涙を流していたことに初めて気づく。
「なんでだろう。なんともないはずなのに、涙が止まらない。いろんなことをしているお父さんが出てきて、なんだかすっごく懐かしくて……」
「ユキ……」
 話を聞きながら、楓子も涙ぐんでいた。桂木がそっとハンカチを手渡す。
「お父さんが、何度も並べていた棋譜があったの。それが、お父さんの最後の対局だったことが、さっき、初めてわかった」
 途切れがちにユキが言う。「それと同じ局面が続いて……見ているうちに、似てるけど少しずつ違う局面が、次から次へと浮かんできた。たしか、お父さんが並べていたものだと思う。それが、ものすごい速さでいっぺんに浮かんでくるから、気持ちが悪くなっちゃった」
 ユキの脳裏に甦ってきたのは天宮が検討していた変化図だったことは、桂木にも想像がついた。だが、5年も前の変化図を、すべて覚えているとはとても信じられなかった
「お嬢さん」
 やや強張った声で桂木が言う。
「お嬢さんって呼び方はやめてって言ったでしょ」
 と言ってユキが桂木を睨んだ。「もう忘れたの?」
「ごめん、ごめん。うっかりした」
 ユキが嫌がる昔の呼び方を口にしてしまったことを、桂木は謝った。
〈いったい何をうろたえているんだ〉
 自問した桂木は、自分がヒドく動揺していることを自覚した。
「で、ユキちゃん、ひとつ訊いてもいいかな」
「何?」
 ユキが怪訝そうな顔をする。
「気を失う前に、グズまれる、って言ったのは覚えてるかな」
 と桂木が訊くと、ユキは首を傾げた。
「そんなこと言った? それは覚えてない。でも、あそこで白にグズまれると、黒が勝てなくなるのはわかった」
「それも局面が浮かんできたのかな」
「浮かんではきたんだけど、さっきまでのとは、ちょっと違うの。途中で、お父さんたちの対局と手順が違ってきたんでしょ? あのあたりから、それまでとは全然違う感じで局面が浮かぶようになったの。なんて言うのかなぁ……大盤で解説される局面の次の手がわかるようになった。その手を打つと次にどうなるか、ってのが考えなくても自然に浮かんでくるというか……」
〈まさか……〉
 ユキの話を聞いているうちに、桂木は手のひらが汗ばんでくるのを感じた。
「ところで、ユキちゃん。グズミってなんのことかわかってる?」
「あーっ。桂木さん、いまワタシのことバカにしたでしょ。それくらいわかりますよー。グズミはグズミでしょ。口ではうまく説明できないけど、形はよーくわかってます」
 桂木と楓子が顔を見合わせる。
「記憶が戻ったのかしら」
 楓子が小声で言う。
「おそらく……」
 桂木も小声で言う。
〈それだけじゃないのかもしれない〉
 桂木は思った。
「黒があの2手前に打ったキリがよくなかったんだよ」
 ユキが独り言のように言う。「キらずに、単にノビてれば、お兄ちゃんの勝ちだったのに……」
 ユキの言葉を聞いて、桂木は青ざめる。
〈間違いない〉
 ユキが指摘した手の後の変化をいろいろ思い浮かべる。たしかにどう打っても白が苦しそうだった。

 ユキの症状について、桂木は脳の専門家に相談したことがあった。精神的に大きなダメージを負ったために、ユキはそれを忘れようとして、記憶の一部を封印している。
 何かをきっかけに、その封印が解ける可能性は十分にある。そのときに、どんなことが起こるのかは予測できない。普通に思い出すだけかもしれないし、段階的に記憶が戻るのかもしれない。とんでもない事態が起こる可能性も否定はできない……。
 専門家にもわからない微妙な問題のようだった。


●3年前。沢木知彦の研究室
 おびただしい資料があふれる研究室の片隅に設けられた応接スペース。桂木と沢木知彦が、向かい合って座っている。
「ものすごい倍率で圧縮をかけていたデータを、一挙に解凍すると考えるとわかりやすいかもしれません」
 沢木は、脳をコンピュータにたとえて話した。インテリと呼ぶにふさわしい知的な風貌の沢木の口調は、どこか冷たい印象があった。
 沢木は、桂木が「囲碁の未来」をテーマにしたテレビ番組にゲスト出演したときに知り合った研究者だった。国立大学の大学院で大脳生理学を研究している沢木は、囲碁の対戦型ソフトの開発にも携わっていた。
「データの量が処理速度を超えてしまうと、コンピュータは機能しなくなります。フリーズするか、暴走するか……データの量にもよりますが、なんらかのトラブルが発生することが予想されます」
 桂木の反応を確認しながら、沢木はゆっくりと説明する。「ただし、脳の仕組みはもっと複雑なので、トラブルを回避するために安全装置が動作するはずです」
「その安全装置というのは、たとえばどういうことなんですか」
「これは、半分くらいは私の個人的な考えですが……」
 と沢木は前置きした。「コンピュータと脳が大きく違う点はふたつあると思います。ひとつは、脳には忘れるという特性があることです。すべてのデータを記憶していたのでは、収拾がつかなくなる。そこで、脳は重要度の低いデータはどんどん忘れてしまうんです。ときには、自分の都合の悪いデータ、いわゆるイヤな記憶を無意識のうちに忘れるという荒業も使います。ユキさんのケースも、精神的なショックに起因する記憶喪失ですから、この荒業の一種と考えていいでしょう。ただ、あくまで忘れただけで、消去されてはいません。脳の中には、すべてのデータが消去されることなく残っているので、なんらかのキーワードが与えられると、復元することができます。ハードディスクの容量はどんなに大きくなってもしょせん有限ですが、脳の記憶容量は、理論上は無限です。その膨大なデータが一挙に復元されることは考えにくいでしょう」
「つまり、すべてをいっぺんに思い出すことはないと」
「仮に桂木先生が同じ状態になったとして、囲碁に関する知識がいっぺんに復元したら、パニックになると思いませんか?」
 と言って沢木は眼鏡に手をやった。「もちろん、桂木先生とユキさんとではデータ量に大きな違いがあるでしょうが」
 ちょっと想像できなかったが、恐ろしい事態になりそうなことは桂木にも予想できた。
「脳とコンピュータのもうひとつの大きな違いは、判断力です。取捨選択の力と言いかえることもできます。これは前にお話ししましたよね」
 囲碁で次の一手を考えるとき、可能性だけを考えるなら空いている場所はすべて着手できる。序盤なら300以上の選択肢があり、すべてを考えるのはものすごいロスにつながる。ところが、人間が次の一手を考えるときには、選択肢はぐっと限られる。上級者になればなるほど選択肢が限られ、それだけロスが少なくなる。それぞれの手について、相手の着手、それに対する自分の着手……と考えることを想定すると、コンピュータのロスは膨大になり、とても人間の思考のレベルにはたどり着けない。テレビ番組の収録の際に、沢木はそんなふうに語った。
「2つの違いと言いましたが、突き詰めれば、どちらも情報の重要度の判定ということになります。大きなトラブルになりそうなときには、脳は重要度の低い情報をバッサリと切り捨てます。脳の働きの中では、これはごく当たり前の安全装置なんです。詳しいメカニズムはわかっていませんが」
 と言って沢木は微笑んだ。「話を聞いた限りでは、それほど深刻に考えることはないと思います。ただ、日常生活の記憶をなくすのと違い、ユキさんの場合は囲碁の知識という特殊なものをなくしていますから、記憶が戻ったときにどんなことになるのか予想がつかないところがあります。いずれにしても症状に変化が出たときには、ご連絡いただけませんか。何かアドバイスができるかもしれません」


●現在。決勝戦会場の医務室
「何ふたりで内緒話してるのよ」
 ユキが言う。「桂木さん、ボンヤリしてどこか遠ーい世界に行っちゃってるじゃない。ダメだよ、お母さん。前途有望な若者をクドいたりしちゃ」
「どこでそんな言葉を覚えたのよ」
 と言って苦笑した楓子は、真顔で桂木を見た。「私は碁のことはわかりませんが、当たり前のことなんですか? 頭の中に碁盤が浮かぶというのは」
「個人差はありますが……」
 桂木はちょっと考えた。「プロ棋士なら、当たり前だと思います。同時に何面も浮かべることができる人もいます。アマでも、有段者クラスならそうむずかしいことではないでしょう」
「へえー」
 楓子が感心する。「さっき、那智と相手のお嬢さんが5年も前の対局を正確に覚えていたのにも驚いたけど、いったいプロ棋士の頭の中っていったいどうなってるのかしら。一度開けて中を調べてみたい」
「楓子先生にだけは言われたくないな。脳の研究者が一番開けて調べてみたいのは、たぶん楓子先生の頭の中ですよ」
 そう言いながら、桂木は別のことを考えていた。頭の中に局面を思い浮かべるくらいは、プロ棋士でなくてもできる。頭の中の盤面で変化を検討するのも当たり前のことだ。だが、ユキが言うように無意識のうちに次の一手が浮かぶとしたら、それはまったく別次元の話になる。
〈沢木さんならなんて言うだろう〉
 クールな印象の横顔を思い浮かべながら桂木は考えた。記憶を取り戻したことによる一時的なものなのだろうか。もし一時的なものでないのなら、とんでもない話だった。
〈このコは、とてつもない才能を身につけたのかもしれない〉
 これも沢木の言っていた「安全装置」の働きなのか、桂木にはまったくわからなかった。
「お母さん」
 ユキが改まった口調で言う。「ワタシ、また碁を始めてもいいですか?」
「それは、プロを目指したいって意味?」
「そんな先のことはわからない。でも、さっきいろいろ思い出したときに、碁を打つのがすごく楽しかったってことだけはわかったの。だから……」
「ユキの好きなようにしなさい。ただ、ひとつだけ約束してほしいの」
 楓子は静かな口調で言った。「これから先、ユキがどんなふうに碁と付き合っていくのかはわからない。もしプロを目指すなら、楽しいことだけではなく、苦しいこともたくさんあると思う。でも、どんなことがあっても、碁を嫌いにだけはならないで。それだけは約束して。お母さんの言いたいことわかる?」
「バッカじゃないの。お母さんは、何もわかってない」
 と言ってユキはうつむいた。「さっき、よーくわかったの。ワタシにとって、碁はお父さんの思い出そのものなの。いろんな思い出が詰まった大切なものなの。嫌いになんて、なるわけないじゃない……」
 涙声になったユキは言葉に詰まった。
「これね、いつかユキに渡せる日が来るかなと思って、ずっともっていたの」
 楓子がバッグからお守り袋を取り出した。「開けてごらんなさい」
 ユキが、袋の口を広げて逆さまにする。手のひらに落ちたのは白い碁石だった。うっすらと赤い縞模様がついていた。それがなんなのか、ユキにはすぐ見当がついた。
「わかる?」
 楓子の言葉に、ユキは無言でうなずいた。ついさっき思い出した風景の中で、異様なまでの輝きを放っていた白石に間違いなかった。
「お父さんが最期に打った石よ」
 楓子が言う。「おじいちゃんやおばあちゃんは気持ちが悪いっていうけど、その石は、お父さんがユキに遺したメッセージだと思うの」
「どうして?」
「話したことなかったかな。お父さんにとって、黒石は那智のことなの。那智って、黒石の材料になる石の有名な産地なんだって。それで、白石はユキのことなのよ。本当は漢字の雪、スノーの雪にしたかったんだけど、それじゃ古くさいから、カタカナにしたの。最期にわざわざ白石を打ったってことは、お父さんも、ユキに碁を打ち続けてほしいと思ってるんじゃないかな」
「お父さん……」
 と呟くユキ。大粒の涙が、手のひらの白石の上に落ちた。
〈そういうことだったのか〉
 と桂木は思った。忠行(チュウコウ)先生が最期に天元に打つのなら、黒石がふさわしい。なぜ、あえて白石を選んだのか疑問だった。最期を看取ったユキへの想いを込めて、白石を選んだのだ。
「桂木先生、ユキの力に、なってもらえないかしら」
「私にできることなら、なんでもします」
 遠慮がちな楓子の言葉に、桂木は即答した。
「そうだよ」
 と言ってユキが顔をあげた。「ワタシに碁を教えてくれたのは、桂木さんなんだよ。全部思い出したんだから。あの頃の桂木さんは、いまよりずっと若くて、ずっとイケメンで、すっごく優しく教えてくれた」
「それは、いまはもうオジサン入ってるってことかな?」
「ノーコメントです」
 ユキが顔をしかめる。「ワタシは一番弟子なんだから、ちゃんと面倒を見てくれなくっちゃ」
「楓子先生、師匠に対してこういう生意気な口をきく弟子は、いかがなものなんでしょうか」
 桂木が苦笑しながら楓子を見る。
「いつでも破門にしてください」
 と言って楓子が笑う。
「ヒドいよー、ふたりとも」
 ユキが泣き笑いを浮かべた。

 桂木亮介、25歳。天宮ユキ、13歳。
 この若い師弟は、のちに自分たちが名人位をめぐって壮絶な戦いを繰り広げることになる運命など、知るよしもなかった。

【「ガ」か「ヲ」か──「本ガ読める」か「本ヲ読める」か】改

 下記の改訂版です。
195)【「ガ」か「ヲ」か──「本ガ読める」か「本ヲ読める」か】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1205.html

 ちょっと乱暴だったし、辞書のリンクがかわったので、少し書きかえる。
「ガ」と「ヲ」に関しては、いままでにも書いているが、ほかの話が長かったりするのでまとめておきたい。
■過去の話
【板外編9】文法はお好きですか?──そんな物好きな人はいません
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1203.html
【板外編9-2】文法はお好きですか?──やっぱりどう転んでも嫌いです
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1204.html

 【練習問題1】
 次の2つの表現がどう違うのか考えてください。
  1)本ガ読める
  2)本ヲ読める

 まず基本的な話から。「赤い本」に書いたのがもう10年近く前(...( = =) トオイメ)なので、最近のWeb辞書の記述を確認してみる。

http://kotobank.jp/word/%E3%81%8C?dic=daijirin&oid=DJR_ga_-090
■Web辞書『大辞泉』から※一部抜粋(重言)。以下同。
================引用開始
が【が】
【1】[格助]名詞または名詞に準じる語に付く。
2 希望・好悪・能力などの対象を示す。「水―飲みたい」「紅茶―好きだ」「中国語―話せる」「さかづき―たべたいと申して参られてござる」〈虎明狂・老武者〉
================引用終了
 Web辞書の『大辞林』もほぼ同様。

 今度は「を」をひく。
http://kotobank.jp/word/%E3%82%92?dic=daijisen&oid=19897900
■Web辞書『大辞泉』から
================引用開始
を【を】
【1】[格助]名詞、名詞に準じる語に付く。
[格助]名詞、名詞に準じる語に付く。
1 動作・作用の目標・対象を表す。「家―建てる」「寒いの―がまんする」「水―飲みたい」「ただ月―見てぞ、西東をば知りける」〈土佐〉

◆1の「水を飲みたい」などは、「を」の代わりに「が」を用いることもある。
================引用終了

■Web辞書(『大辞林』から)
================================

( 格助 )
体言またはそれに準ずる語に付く。
⑥希望・好悪などの心情の向けられる対象を表す。現代語では「が」も用いられる。 「水-飲みたい」 「君-好きな人はずいぶんいるよ」 「身-惜しとも思ひたらず/徒然 9」
================================

「を」に関する記述はどちらもよくわからないことがある。
 まず『大辞泉』。〈「水を飲みたい」など〉の「など」が何を表わすのか不明。
『大辞林』のほうは一応説明してある。これと「が」の記述を合わせるとどういうことになるか。
 1)希望・好悪・能力などの対象は「が」を用いる。
 2)希望・好悪などの対象は「を」を用いるが、現代語では「が」も用いられる。

 1)と2)を合わせると、次のようになる。
 3)希望・好悪は本来は「を」だが、現代語では「が」を用いることもある。
 4)能力は昔も今も「が」を用いる。
 そうなのだろうか。「能力」だけが別扱いなのは偶然か故意か不明。

 手元の『広辞林』(1988年版)の「が」には以下のように書いてある。
================引用開始

2)希望・好ききらい・能力などの対象になる事柄(対象語)を表わす。「本―ほしい」「水―飲みたい」「野球―が好きだ」
(中略)
2)について、「水を飲みたい」のように「を」をとることもある。「を」の場合は「飲む」との関係が強く出され、「が」の場合は「飲みたい」との関係が強く出されるという。「…が…たい」の形が標準的とされるが、「を」をとる言い方もふえつつある。
================引用終了
 後半の注の細かい部分に関してはあまり考えたくない。どちらとの関係が強いなんて言えるのだろうか。まあ一応辞書の記述だから信じておこう(笑)。ただ、この書き方だと、「好ききらい」や「能力」は「を」をとらないとも読める。
「水が飲みたい」は「水」が「飲みたい」。「水を飲みたい」は「水を飲む」ことが「したい」……という説も聞いたことがある。
「水が飲みたい」のほうが切実……という説も聞いたことがある。〈が」の場合は「飲みたい」との関係が強く出される〉からかもしれない。
 このあたりはいろいろな説があるが、どこまで本当なのかは不明。たしかにそのとおりと思う人もいれば、全部単なる主観と考える人もいるだろう。個人的には「大きな違いはない」と思う。
 
 で、今度は「を」を見る。
================引用開始
「水―飲みたい」など、対象語を表わす用法もある。これは普通「が」を用いるものとされているが、近来、「を」も用いられるようになった
================引用終了
『広辞林』の記述から20年以上たっているんだから、多少世の趨勢がかわっても不思議ではない。現代では「を」でも「が」でもいいってことだろう。本来はどちらか、ってことまではかわらないと思うのだが。
「赤い本」を書くときにこのあたりは複数の辞書をひいたから間違いない(と思う)。本来は「が」という説が多かった気がする。 例によって「諸説ある」ということなのかもしれない
 ということで、安心して「赤い本」の記述を引用する。
================引用開始
 本書の★ページ★行目で、「(という応急処置で)わかりにくさが緩和できます」という表現を使いました。この表現は、「……わかりにくさを緩和できます」とすることもできます(「……わかりにくさを緩和することができます」とすることも可能ですが、ここでは除外します。「~ことができる」に関しては★ページ参照)。
 ガでもヲでもよさそうですが、本来はガにするべきです。その理由を考えるために、もう少し簡単な例を【練習問題1】にしました。
 2つの表現を見比べて、ガを使っている1)のほうが自然に感じられるかたは、すぐれた言葉の感覚の持ち主です。こう書いている当人は、ヲでもさほどヘンではない気がしています。「本当はどちらが正しいのか」と考えようとするときに役立つのが、文法の知識です。
 文法書などを見なくても、ふつうの国語辞典の「ガ」の項目に答えが出ています。用法のひとつとして「好悪、希望、可能などの対象を示す」といった記述があるはずです。具体例をあげると次のようになります。

  ・本ガ好きだ(好悪)
  ・本ガ読みたい(希望)
  ・本ガ読める(可能)

 さらに、この用法に関してはガのかわりにヲを使う例もふえている、と記載している辞書もあります。「本来はガを用いるべきで、ヲも許容される」というのが、文法的な考え方になるのでしょう。
 さすがに、「本ヲ好きだ」には抵抗を感じられるかたが多いはずです。「本ヲ読みたい」「本ヲ読める」はどう感じますか。
 このガとヲの問題は、「前後にガが目立つ」などの理由がある場合を除き、できるだけガを使うべきだとは思います。しかし、ヲはあくまで許容なのだからガを使うのが正しい、と強く主張する気にはなれません。
 もう一度はじめの例を見てみましょう。

  ・わかりにくさガ緩和できます
  ・わかりにくさヲ緩和できます

 この2つの表現は、「本ガ読める」と同様に「可能」を表しています。本来はガを用いるべきでしょうが、ヲを使ったほうが語感がよくありませんか。
 これは、ヲも使われるようになった経緯を考えると、当然なのかもしれません。本来はガを使うべきだったのに、ヲを使う例がふえてきたのには、それなりの理由があるはずです。ほかにも理由はあるにしても、語感のよさが大きな理由のひとつだったと思います(ほかの理由を説明すると長くなるので、ここでは「語感」という多少あいまいな言葉だけをあげておきます)。
 一般に、文法的には間違っていても定着する用法は、正しい用法よりも語感がよいことが多いようです。このことは、言葉の問題として取りあげられることが多い「ラ抜き言葉」(★ページ参照)のことを考えると、わかりやすいと思います。
================引用終了

 ただ、この「ガ」か「ヲ」かの問題には、【板外編9-2】で書いたような新たな問題が出てきて、解決できずにいる(泣)。
 下記の文は「ガ」と「ヲ」のどちらが自然でしょうか。ナゾはナゾを呼ぶ……。

  3)山田君は、100m{ヲ/ガ/―}10秒で走る……ヲもしくは―が自然
  4)山田君は、100m{ヲ/ガ/―}1分で泳ぐ……ヲもしくは―が自然
  5)山田君は、1リットルの水{ヲ/ガ/―}10秒で飲む……ヲが自然

  3)の可能形 山田君は、100m{ヲ/ガ/―}10秒で走れる……ヲもしくは―が自然
  4)の可能形 山田君は、100m{ヲ/ガ/―}1分で泳げる……ヲもしくは―が自然
  5)の可能形 山田君は、1リットルの水{ヲ/ガ/―}10秒で飲める ……ヲが自然だが、この場合はガもアリなのでは。

【3】そもそも3)の文は、そのままで可能形なのではないか
  6)山田君は、100mヲ10秒で走る
  7)山田君は、100mヲ10秒で走れる

 6)と7)はほぼ同義ではないか。この文形がどの程度特殊なものなのかは不明。
 4)の文を少し変形する。山田君は遠泳ガ得意だとする(この文は「山田君が遠泳ヲ得意だとする」ともできる)。

  山田君は、20km{ヲ/ガ/―}泳ぐ
   ……ガは不自然。ヲもやや不自然? 自然なのは―かハ?
  山田君は、20km{ヲ/ガ/―}泳げる
   ……ガは不自然。ヲもやや不自然? 自然なのは―かハ?

 ちなみに、「ガ」の話の仲間で下記のような泥沼的な話もある(笑)。
【「ガ、」の修辞学 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-915.html
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編】(2009年04月25日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html


 ネットで読める論文では、下記あたりがわかりやすいかもしれない。
5)「可能表現の対象格標示「ガ」と「ヲ」の交替」
http://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/archive/globe/18/08.pdf

引用35 名字と苗字

【ネタ元】
http://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a1.htm
==============引用開始
Q5.苗字と姓氏の違いについて                                          

A5.苗字は近世に発生した語彙で、古代は氏族集団の氏と階級を表す姓(カバネ)が複合されて使用されていた。
 平安時代末期あたりから、貴族は居住地などの称号、武家は名田の名字などを称して、古代の氏は姓または氏と混称されるようになる。
 近世に入ると源平藤橘などの氏は公式文書のみ使われ、日常は名字が一般的となり苗字と呼ばれるようになる。
 明治以降の国民皆称の時代に入ると、氏は廃されて苗字が日常的な呼称となった。
 しかし、現代でも文部科学省では名字、法務省では氏を正式呼称としている。

足利左馬頭源朝臣直義 ⇒ 足利 左馬頭 源 朝臣 直義

             ↑    ↑   ↑   ↑ ↑
             苗字   官職名  氏   姓   名前
             (名字)   (カバネ)
==============引用終了

ホニャララ回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11143646191
==============引用開始
kaijin21_1さん 2015/3/2721:19:20
苗字≒名字ですが、本来「姓」は全く異なるものです。
明治までは同一人が姓と苗字を両方持っていました。

苗字は近世に発生した語彙で、古代は氏族集団の氏と階級を表す姓(カバネ)が複合されて使用されていました。
平安時代末期あたりから、貴族は居住地などの称号、武家は名田の名字などを称して、古代の氏は姓または氏と混称されるようになります。
近世に入ると源平藤橘などの氏は公式文書のみ使われ、日常は名字が一般的となり苗字と呼ばれるようになります。
明治以降の国民皆称の時代に入ると、氏は廃されて苗字が日常的な呼称となりました。
しかし、現代でも文部科学省では「名字」、法務省では「氏」を正式呼称としています。
==============引用終了

引用34 対義語

【ネタ元】
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E7%BE%A9%E8%AA%9E-556671
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
たいぎ‐ご【対義語】

1 同一言語の中で、意味が正反対の関係にある語。一方を否定すれば必ず他方になる関係の「男⇔女」「生⇔死」などの場合、程度の差を表す「大きい⇔小さい」「遠い⇔近い」「よい⇔悪い」などの場合、一つの事柄を見方や立場をかえて表現する「売る⇔買う」「教える⇔習う」などの場合がある。アントニム。反意語。反義語。反対語。
2 広く1に加えて対照的な関係にある語、例えば「天⇔地」「北極⇔南極」などをも含めていう。
==============引用終了

【Wikipedia】
 ↑の記述を参考にしたことを明記して書いている。脚注の[3]に〈goo辞書「対義語」とある〉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%BE%A9%E8%AA%9E
==============引用開始
対義語対は一般・慣用的に用いられているものを蒐集したものが教本化されたものであり、そのなかには一定の法則性が存在していることが指摘されている。
漢字二文字からなる対義語は、次の4パターンに分かれる。
「短所」と「長所」のように、漢字一文字の意味が反対になっているもの。
「拡大」と「縮小」のように、漢字二文字の意味が反対になっているもの。
「成功」と「失敗」のように、熟語全体として意味が反対になっているもの。
「平凡」と「非凡」のように、打ち消しの漢字(不・無・未・非)を使って一方の意味を消しているもの。
意味での分類は3パターンある[3]。
一方を否定すれば必ず他方になる関係。(男-女、生-死)
程度の差を表すもの。(大-小、遠-近、良い-悪い)
一つの事柄を見方や立場を変えて表現するもの。(売る-買う、教える-学ぶ)
但し、互いに対義語とされる2語が同じ品詞ということは必ずしもない[4]。
==============引用終了


【ホニャララ回答】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12138439297
==============引用開始
ただし、必ずしも、互いに対義語とされる2語が同じ品詞とは限らない。

漢字二文字からなる対義語
①漢字一文字の意味が反対になっているもの……「短所⇔長所」
②漢字二文字の意味が反対になっているもの……「拡大⇔縮小」
③熟語全体として意味が反対になっているもの…「成功⇔失敗」
④打ち消しの漢字(不・無・未・非)を使って一方の意味を消しているもの
....…「平凡⇔非凡」

意味での分類
①一方を否定すれば必ず他方になる関係……「男⇔女」「生⇔死」
②程度の差を表すもの…………………………「大⇔小」「遠⇔近」「良い⇔悪い」
③一つの事柄を見方や立場を変えて表現するもの…「売る⇔買う」「教える⇔学ぶ」
④対照的な関係…………………………………「天⇔地」「北極⇔南極」「親⇔子」
==============引用終了

引用33 「より」 

【ネタ元】
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%A0%E3%82%8B-655188
==============引用開始
1 (因る・由る)それを原因とする。起因する。「濃霧に―・る欠航」「成功は市民の協力に―・る」
==============引用終了

ホニャララ回答
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138151000
==============引用開始
kaijin21_1さん 2014/11/1313:45:07
「より」は比較するときか、方向などを表すときに使います。
「により」は原因、手段を表すときに使います。「…に基づいて、…が原因で、…を使って」という意味で、「交通事故により遅刻した」など。これは「によって」と書いても同じ意味になります。

「よ・る(因る・由る)」には、「それを原因とする。起因する」という意味があり、「~“に”よる」、「~“に”より」(口語では「~“に”よって」)と「に」を付けて連語で、「濃霧による欠航」「成功は市民の協力による」などと用いられます。
「故障“により”」と表現するのがふつうの使い方です。

なお、一般に「故障“中”」という表現も、私には違和感があります。

(以下略)
==============引用終了

引用32 書物と文献

【ネタ元】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/11926/m0u/
==============引用開始
本(ほん)/書物(しょもつ)/書籍(しょせき)/図書(としょ)/書冊(しょさつ)/書(しょ)/巻(かん)

★文章や写真、絵などを印刷し、ページを繰って見ていく形にまとめたもの。
(中略)
「書物」「書籍」は、やや硬い言い方。絵本や雑誌などは含まない。

(中略)
◆(文献) 書かれた、または印刷された本。特に、研究の参考資料となるようなものをいう。「文献をあさる」「参考文献」
==============引用終了

https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E7%8C%AE-623121
==============引用開始
1 昔の制度・文物を知るよりどころとなる記録や言い伝え。文書。
==============引用終了

【ホニャララ回答】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135728466
==============引用開始
「書物」は、
「文章や写真、絵などを印刷し、ページを繰って見ていく形にまとめたもの」のことで、いわゆる「本・書物・図書」などともいいます。「書物・書籍」は、やや硬い言い方で、絵本や雑誌などは含みません。

「文献」は、
「昔の制度・文物を知るよりどころとなる記録や言い伝え。文書」で、特に「研究上の参考資料となる文書・書物」のことをいいます。例:「参考文献」「文献を検索する」
==============引用終了

引用31「~すべき」は、「~すべし」の連体形

【ネタ元】 2001-06-30
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa97653.html
==============引用開始
文語では「する」は連体形で、終止形は「す」ですから、終止形接続の助動詞である「べし」がつくと「すべし」(連体形では「すべき」)になります。
現代語でも「すべき」が用いられるのは、文語においてすでに成句となっていた「すべき」が自然に感じられるからではないでしょうか。
==============引用終了

【ホニャララ回答】2014/9/19
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11135746496/a340117537
==============引用開始
「~すべき」は、「~すべし」の連体形で、「注目すべき○○」「特筆すべき○○」「遵守すべき基準」「対処すべき問題」などと使われます。
文語では「する」は連体形で、終止形は「す」ですから、終止形接続の助動詞である「べし」がつくと「すべし」(連体形では「すべき」)になります。
現代語でも「すべき」が用いられるのは、文語においてすでに成句となっていた「すべき」が自然に感じられるからではないでしょうか。
==============引用終了

2015年09月の朝日新聞から

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935528999&owner_id=5019671

【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html

●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html


【2015年09月】
 古いメモを発掘。

15-06-02
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12034654082.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1942748608


15-07-04
5日
参考図、腰の高い△をとがめて、黒1と足もとをすくいたいという。(朝刊24面)


15-07-05
5日
54と低姿勢ながら逆に白が黒の足もとをすくった形。(朝刊24面)
 春秋子記者。囲碁の観戦記での「足もとをすくう」は前にも見た。これはアリなんだろうな。


15-07-06
8日
 普段から難易度の高い球を打っていれば、試合のときに楽に感じる。(朝刊22面)
 山口史朗記者。もう「難易度」もダメって気がする。「学校の難易度」はアリかもしれない。「技の難易度」も大目に見るべきかもしれない。でも「難易度の高い球」なんて言葉を、わざわざ使う理由があるのだろうか。


15-07-07
8日
 配偶者の呼称をめぐるやり取り。発端は、5月17日の投稿らしい。ウーン。「嫁」の本来の意味は「息子の妻」じゃなかったっけ。そこにふれなくていいのだろうか。一般には「嫁」⇔「婿」で、「家内」⇔「主人」では。なぜ、「嫁」「主人」を並べて考えるのだろう。これじゃネットの蒟蒻問答とかわらない(泣)。誰も指摘しないと、不安になってくる。

http://www.asahi.com/articles/DA3S11846693.html
==============引用開始
(声 どう思いますか)5月17日付掲載の投稿『「嫁」「主人」に代わる言葉ないか』
2015年7月8日05時00分

■「嫁」「主人」に代わる言葉ないか

 無職 浜田謙一(山形県 66)

 タレントを含めて若い人が、妻を「嫁」と言うことに違和感を感じる。40年ほど前に結婚した私たちは「嫁」や「主人」という言葉は使うまいと決めた。戦前の「家制度」を思い起こすからだ。現憲法では結婚は個人と個人のものであり、女性が他家に嫁ぐことではない。

【以下会員限定】
==============引用終了


15-09-01
16日
しかも、野球賭博や八百長問題など不祥事が続き、大相撲存亡の危機の時には一人横綱として責任を背負ってきた。(朝刊23面)
 巌本新太郎記者。白鵬の休場を伝える記事。どうやら大相撲の話に限れば、「存亡の危機」が慣用表現になっているらしい。ホントか?


15-09-02~04
24日
スコットランドは試合開始から油断も隙もなく、まなじりを決して挑んできた。(朝刊17面)
 記者不明。ラクビーワールドカップで、金星をあげた日本の次の相手はスコットランド。短い一文に3か所も引っかかってしまった。
 まず、「まなじりを決する」。「間違い」ではないだろうが、目にしたのはいつ以来だろう。しかも、そこはかとなく悲壮感が漂う。そこまでじゃないだろう。
「挑んできた」も、格下が格上と戦うときの表現では。「挑戦者」の「挑」だもん。
 そんなものは罪が軽い。問題は「油断も隙もない」。こんなふうに使う言葉だった?
https://kotobank.jp/word/%E6%B2%B9%E6%96%AD%E3%82%82%E9%9A%99%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84-651962#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
油断(ゆだん)も隙(すき)もな・い【油断も隙もない】

少しも油断することはできない。油断がならない。「相手は策士だから―・い」
==============引用終了

 ↑の辞書を見る限り「間違い」とは言いにくい。当方の感覚だと「油断も隙もないヤツだから、注意するように」とか「やられたか。ホントに油断も隙もないヤツだ」のように使う。↑の記事のように「油断も隙もなく」の形で「手加減なしに、真剣に」のようなニュアンスで使うのは初めて見た。かなり気持ちが悪い。
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