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表記の話15──「違和感」「異和感」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

mixi日記2013年07月18日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1907450065&owner_id=5019671

●表記に関する話 お品書き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503&comm_id=1736067

「違和感」か「異和感」か。
 これは単純な表記の話と考えるべきではないかも。
 一般的な表記は「違和感」。用字用語集の類いも、辞書の大半もこちらにしている。だからと言って「異和感」は間違い、などと断言すると単なる無知になる。

 まず、「違和」と「違和感」をWeb辞書でひく。今回は事情があって、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
 こういうホニャララな話は食傷気味なので、あまりかかわりたくない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104949720

 ひとつ注意してほしいのは、元々「違和」は「体の不調」を表わす言葉だったらしいってこと。そこから派生して「雰囲気」の食い違いなどに使われるようになったらしい。これが「違和感」になると、なぜか「体の不調」とは関係なくなる……このあたりは多分に推測です。
 ネットで検索すると下記がヒットした。
【『異和感』 と 『違和感』 どちらを使ってますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089923065
================引用開始
レセプトの正式な病名で異和というのがあります。一般的には違和かもしれませんが(変換しても違和になりますし)、医療用語としては異和でしょう。
================引用終了

 医療の現場では「異和」「異和感」が一般的らしい。「違和/異和」が元々「体の不調」と関係したことと関係があるのかないのか、当方には判断できない。

『大辞林』と『大辞泉』は採用していないが、下記は「異和感」の表記を認めている。 
wablio
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%95%B0%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
違和感
読み方:いわかん
異和感 とも書く
================引用終了

 当方の個人的な話をすると、個人的な文章で「異和感」と書くようになってもうウン十年もたつ。元々何で見たかは覚えていない。当時、辞書を何冊かひいて、「異和感」の表記は一般的ではないが間違いではないことは確認している。
 ちょっと屁理屈をこねると、「違う」わけではないけど、なんとなく「異様」で、「異常」「異状」を感じるから「異和感」のほうがシックリくる。もちろん、一般の用字用語集に類いは「違和感」になっているから、フツーの仕事では「違和感」を使う。
 ネット検索すると、まじめに調べている人がいる。
 一番信用できそうなのは下記だろう。 全文は末尾に。
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819

「異和感」を使う識者は多いらしい。そのこと自体にはあまり意味はない。よほどの人物が明らかに意識して使っているのでなければ、なんの根拠にもならない。
 ネットの書き込みを見ると、村上春樹は「異和感」と書くらしい。だから「異和感」もアリ、なんてことは言えない。それは芸術文の話だから。
 いろいろな言葉遣いなどに関して、森鴎外や夏目漱石が使っていたからアリなんて論調も目にするが、個人的にはそういう考え方には賛成できない。それも芸術文の話だから。まあ、あの時代なら文豪を根拠にするのもアリなのかなぁ、って気もするけど……。
 現代なら、辞書や新聞を調べるほうがよほど確かだろう。
〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉らしい。いったい何百の辞典を確認したら、「すべての辞典」なんて書けるんだろう。この本は2005年の発行のはず。
 ウーン。当方の記憶では昔の辞書で見たんだけどなぁ。
〈『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されている〉とのこと。文化庁、しっかりしろー。
〈『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ〉ているって。Wikipediaによると、初版は1972年12月 - 1976年3月発行で、第二版は2000年12月 - 2002年12月。文化庁ダメダメじゃん。
 注目したいのは《注1》。
================引用開始
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
================引用終了
 この人の主観だとすると、あまり意味がない。「医学界では異和感が一般的」と書いてくれれば、ある程度の意味があるのにー。

 いろいろ調べた結果↑のサイトにたどりついたと記す下記のブログはおもしろい。こういうのを「大恥」とは言わない。書き手の態度の潔さには清々しいものを感じる。
【大恥をかいた話ー他の人のブログに驚きました】
http://ameblo.jp/muridai80/entry-11405238509.html
 貴重な記述がある。『日本国語大辞典』初版には「異和感」は立項されていないらしい。ということは、「異和感」は比較的新しく認められた表記らしい。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 当方がウン十年前に見た辞書はなんだったのだろう?



【「表記の話」のバックナンバー】

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html

【20140522追記】
 文中の〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉の根拠が抜けている。
 mixi日記にコメントをもらった下記なのかもしれない。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2013_3_18_501.html

 下記が詳しいだろう。
【ことばのメモ帳】
http://uratashima.seesaa.net/article/23416219.html
 そうか。『言葉に関する問答集 総集編』は1995年なのね。そうなると、『日本国語大辞典』の話はズレるのかもしれない。
================引用開始
2006年09月07日
「異和感」の人々―百姓読み、誤字(2)
何故かしばしば、「違和感」「違和」ではなく「異和感」「異和」という表現を使う(使いたがる)識者があって、それがやや気になるときがある。以下にその二例を挙げる。

ところで、なぜ日本人は、「日本人とは」「日本文化とは」と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であることと、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている。日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということである。(石川九楊『二重言語国家・日本』NHKブックス1999,p.5)


ぼくはマルクス主義的な発想や党派の唱える革命論には最初から異和感があったので…(p.27)
自分が何に動かされ、何を願望し、何に異和を感じ、…(p.30)
すなわち社会にたいする異和感や正義感(中略)のありようも、…(p.33)
(以上、小阪修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006より)

あるいは「異和感」「異和」というのは、そのようなタームが実在し、さらにそれを広めた人があるために、特定の世代が好んで使うようになった表記ではないかと私は考えているのだが(もちろん誤解に基くものもなかにはあるだろう)、一般的な表記はもちろん「違和感」「違和」である。しかし、この「違和感」が日本語として使用されるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。

「いわ感」という語が国語辞典に見出し語として採録されるようになったのは、昭和五十年辺りからであり、それまでは、「いわ」という語しか見出し語としては採録されていなかった。この「いわ」も、『和英語林集成』の各版にも、『言海・日本大辞書・日本大辞林・帝国大辞典・日本新辞林・ことばの泉(本冊)』など、明治二十年代・三十年代に刊行された辞典には採録されていない。ようやく、明治四十一年刊の『ことばの泉 補遺』に至って採録されている。(中略)これまで見てきたところからも分かるように、「いわ感」と言う場合の「いわ」という語は、すべての辞典で、漢字表記を「違和」としており、「異和」としたものは一つもない。また、歴史的仮名遣いでは「ゐわ」である。(「異和」であれば、歴史的仮名遣いでも「いわ」であるはずである。)
しかし、この「いわ」から派生した「いわ感」が、新しい意味(「その場の雰囲気に浸り難いこと」「他との調和がとれないこと」「何となくしっくりしないこと」「場違いであること」等の意―引用者)を伴って日常語化し、多く用いられるようになるにつれて、誤って「異和感」と書き表す場合が目につくようになった。
(文化庁編『ことばに関する問答集【総集編】』大蔵省印刷局1995,p.168)

---
(以下コメントによるご教示)
森岡健二・柏谷嘉弘・宮地裕・糸井通浩・小林千草といった国語学者が使っていますね。 柄谷行人・百目鬼恭三郎・桂米朝・鶴見俊輔 なども。 なお、『最新日本語読本』の最終頁。
================引用終了



【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈2〉辞書


mixi日記2014年06月17日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928156325&owner_id=5019671

 Web辞書の珍妙な記述に関してはいろいろ書いてきた。もしかするとイチバン驚いた話かもしれない。イチバンではないかもしれないが、ビックリ度は高い。
1087)【やっぱりWeb辞書は嫌い〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919435396&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2919.html

 まず、〈1〉でひいた記述を再掲する。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
================引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 さっき別件で『大辞林』をひいて唖然とする。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C?dic=daijirin&oid=DJR_iwa_-030
================引用開始
いわ【違和】

①身心の調和が破れること。 「 -を覚える」
②雰囲気にそぐわないこと。 〔「異和」と書くのは誤り〕 → 違和感
================引用終了

http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F?dic=daijirin&oid=DJR_iwakann_-010
================引用開始
いわかん【違和感】

周りのものとの関係がちぐはぐで,しっくりしないこと。 「 -を覚える」 〔「異和感」と書くのは誤り〕
================引用終了

「違和感」の用例を「―を感じる」から「 -を覚える」にかえたのは正解だろう。そんなホニャララな例を出す理由はない。
 それにしても〔「異和」と書くのは誤り〕〔「異和感」と書くのは誤り〕ですか。
 ぜひ根拠をあげてもらいたいもんだ。
 何通りかの表記がある言葉に関して〔~と書くのは誤り〕と書くのは相当度胸が必要よ。
 たとえば「雰囲気」を「ふいんき」と読むのは誤り、とは書ける。「ふいんき」と読む理由はないし、そんな読みを認めている辞書はない(あったりして)。
 しかし、〈1〉で見たように「異和感」という表記はソコソコ広まっているし、採用している辞書いくつかある。それを「誤り」と決めつけるのは辞書の仕事なんだろうか。
 トンデモ異説は猿でも書けるが、辞書がこういうことを書くとは思わなかった。


「違和感を感じる」をどう言いかえればいか……という話を詳しく書くと、それでそれでややこしいことになる。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748.html


【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819

2009-08-19
「異和感」に「違和感」を覚える
(第137号、通巻157号)
    
    5年前に出た文藝春秋の特別版『美しい日本語』(9月臨時増刊号)を読み返していたら、西義之・元東大教授のエッセイに次のような一節があるのに気付き意外に感じた。
    
    「私はとくに天邪鬼(あまのじゃく)ではないつもりだが、『美しい日本語』という言葉を前にすると、なんとなく異和感のようなもの、坐りの悪い思いにとりつかれる」。高名なドイツ文学者の西先生には失礼だが、「異和感」という語を目にして坐りの悪い思いにとりつかれた。「異和感」と表記するのは、典型的な間違いであって、正しくは「違和感」と書く、と長い間信じてきたからだ。
    
    『漢字を正しく使い分ける辞典』(中村明著、集英社)には、「いわかん 違和感」の見出しのもとに「しっくり調和しない感じ、の意。その意味内容が、ふつうと異なることに通じるため、『異和感』と書き誤りやすいので注意」とある。愛用の『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、語義解釈の後の「表記」の欄で「『異和感』とは書かない」とわざわざ注意を喚起している。その語を「異和感」としたままの増刊号を文藝春秋が刊行したのは単なる誤植の見落としなのかもしれない、とも考えたが、どうも違うようだ。
    
    それというのも、上述の文藝春秋『美しい日本語』には、外山滋比古氏の「母国語の発見」という題の一文があり、そこにも「異和感」が使われていたからだ。「(サッカーの)サポーターというファンの熱狂ぶりはただごとではないが、それほど異和感はない。お互いいくらか共鳴するところがあるからだろう」という文脈だ。これは、誤植ではなく、筆者本人がそう書いたものだろう。
    
    外山氏といえば、専門の英文学はもとより言語学、意味論など幅広い分野で数多くの評論、エッセイを書く「知の人」である。奇をてらわない、平明な現代的な文の名手で、その著述が大学受験の国語の試験問題にもよく出されることでも知られる。たまたま今月16日の毎日新聞の書評欄「今週の本棚」の豆ニュースに「東大、京大で一番読まれた本」として同氏が20年以上も前に書いた『思考の整理学』(ちくま文庫)が紹介されていた。それほどの人物が不用意に「異和感」を使うことは考えられない。
    
    実は、「異和感」と表記する識者は少なくない《注1》。書家の石川九楊氏もその一人で、『二重言語国家・日本』(NHKブックス)の中では「なぜ日本人は、『日本人とは』『日本文化とは』と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であること、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている」と繰り返し書いている。
    
    その場の雰囲気や周囲としっくりしない、価値観とそぐわない、ちぐはぐな感じがする、といった意味の言葉はふつう「違和感」と表記する。文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している。ただ、『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されているが《注2》、辞書界ではまだまだ少数派。とても一般的な表記として定着したとは言えない。私個人も「異和感」には「違和感」を覚える。


《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。

《注2》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ、異和感を使った文例として文芸評論家・平野謙氏の『文学読本・理論篇』(1951年)から「前者が外界と自我との異和感に根ざしているとすれば、後者はそれの調和感に辿りつこうとしている」を紹介している。

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おる おられる おられた おられます【まとめ】総集編

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

 下記のまとめ。
【おる おられる おられた おられます〈1〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1904748638&owner_id=5019671
【おる おられる おられた おられます〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906069022&owner_id=5019671
【おる おられる おられた おられます〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906116280&owner_id=5019671


おる おられる おられた おられます〈1〉



「申される」と並んで敬語界の鬼っ子とも言える「おられる」について考えてみたい。
 非常に厄介な話なんで、まず先日紹介してもらったサイトの記述から〝何様モード〟で見てみたい。書き手の誤解に関しても詳しく見ていく。
 下記のコメント[26][30]参照。番号は当方がつけた。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1109728&comment_count=32&comm_id=90576
================引用開始
否定派
1)http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?sn=175
2)http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/b01.html
3)http://news.mynavi.jp/r_career/level1/yoko/2011/10/post_1260.html
4)http://www.hitachi-solutions.co.jp/column/tashinami/keigo2/(第5位)


肯定派:
5)http://blog.livedoor.jp/s_izuha/archives/6565041.html
6)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410312494

(否定派のURLの方を多く示したのは特に意味はなく、そちらの意見が多数であることを意味しません。検索結果として表示された記事の中で、信頼性に乏しいと思われるものはいずれの意見からも外したつもりです。 )
================引用終了

 単なる個人のブログよりは信憑性が高いように見えるけど、さてどうなんでしょう。
 順番に見ていく。


1)「~さんは、おられますか?」という敬語は正しい?
 これ信用できるのだろうか。「丁寧語」の意味を理解していない気がする。「おります」は丁寧語か否か。「おります」は「おる」の丁寧語だろう。問題にすべきは「おる」が謙譲語か否かじゃないかな。
================引用開始
「~さんは、おられますか?」という敬語は正しい?

 まず、「おられます」から尊敬の助動詞「れる」をとった形「おります」について考えてみましょう。

 「おります」は「いる」+丁寧の助動詞「ます」の「いる」が「おる」になったものです。では、「おります」はどのような場面で用いられるのでしょう。「おります」が用いられる典型的な場面は、次の例のように敬意をはらうべき相手に対して、自分の存在を知らせる場合でしょう。

 「鈴木さんはいらっしゃいますか?」「ここにおります」

 ところで、ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです。「おります」が丁寧語であれば、「安田さんはいますか?」と言う場面で、同じように「安田さんはおりますか?」と言えるはずですが、これは許容できないように思われます。したがって、「おります」は謙譲語であるとの判断が妥当でしょう。

 このように考えますと、「おられますか」という表現は、謙譲語である「おります」に尊敬の助動詞「れる」をつけた形式であり、矛盾をはらむおかしな言い方であると言えましょう。

 ただし、この問題には方言差も関与しているように思われます。実際私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられるため、「おられます」は尊敬語としてなんら矛盾のない自然な表現として用いられています。
================引用終了

 結論は最後の2段落なのだろうが、論旨不明。「矛盾をはらむおかしな言い方」で終わっているなら「否定派」。
 だがその直後に、〈私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられる〉と書いている。なら「おられる」も問題がないってこと? 「私の方言」って何? おそらく書き手の生地か現在地で使われる方言、ってことなのだろう。
 それがどこなのか書かなきゃ意味がないし、検証のしようもない。
 アルクってもう少しマシな会社だと思っていたんだけど……


2)西川さんはおられますか?
 個人ブログだけど、信用できそうなのでOKにしておく。(←オイオイ)
 小見出しがそのまま結論。「慣用として認めてよい表現だと思います」。これをどんな歪んだ先入観で読んだら「否定派」にできるのか教えてほしい。
 ただ、全面肯定でもない。
================引用開始
  1.「おる」の部分が謙譲語なので相手の動作に使えない
  2.「おら・れる」は、謙譲語と尊敬語を重ねて使っている

という2点で誤用だとする専門書が多く存在しています。ところが、関西地方では昔から「西川さんがいる」を「西川さんがおる」と丁寧な表現として使っているので、目上の人に「おられる」という表現を使っても違和感がなく、公的に使える尊敬表現として広く使われてきました。謙譲語ではない「おる」に「られる」という尊敬語をつけると考えるのならば、文法上の問題はなくなります。
================引用終了
「関西地方では昔から」使われてきたからOKなの? そういうのは一般には「方言」って言うんじゃないかな。


3)■謙譲語の誤用
================引用開始
「社長は事務所におられますか?」、「何時にまいられますか?」

「謙譲語とは自分の動作をへりくだるときに使う言葉です。『おる』は『居る』の謙譲語、『まいる』は『行く』の謙譲語ですから、相手の動作に対して使うのは間違いです。

『おられる』というのは、謙譲語に敬語表現の「れる」がついているので、敬語のような印象があり、最近はかなり普及している表現です。正しいと思って使っている人が多いようですが、自分から進んで使わないように心がけたい言葉ですね」(大嶋さん)

どちらも正しくは、「いらっしゃいますか?」です。
================引用終了

 明確に否定している。コメントをしているのは、ビジネスコミュニケーション講師の大嶋利佳氏。
 偏見を承知で書くと、こういうデザインのネット記事はいい加減なものが多いので鵜呑みにするのは危険だと思う。最近ウサンクササが感じ取れるようになってきた。コメントした人の責任とも言い切れなくて、こういう微妙な問題を簡潔に片づけると不十分な説明になりがち。
 この場合も、相当あやしい。「おる」と「参る」を同列に扱うのもどうかと思う。


4)今さら聞けない敬語のマナー
 3)と同様。この書き方では不十分。しかもこれは3)と同じ人の主張なので2説にはできない。

 ということは、1)~4)は否定派2、肯定派1になる。
 次は肯定派。


5)「おられる」は尊敬語か-2
 この個人ブログはどこまで信用できるのだろう。この体裁と文体を見ただけで×にしたい。
 頑張って読んでみた。
================引用開始
「おる」 の尊敬語が 「おられる」 というのは間違っておりません。
 ただ 「おる/をり」 は「いる/あり/ゐる」 の謙譲語、または、卑語であることも確かです。
================引用終了

 消極的な肯定派ってことだろうか。ただなぁ。もう少しちゃんと書いてくれないかなぁ。
 文中の大江健三郎の話は必要なの?


6)~しておられる」という言い方は正しいのでしょうか?
 Yahoo!知恵袋はさぁー、と思ったがベストアンサーはきわめてまとも。
 回答者の名前に記憶がないけど、このかたは信用できそう。 
 何よりちゃんと辞書をひいている。↑のリンク先では辞書の記述はお目にかからなかった(笑)。辞書をひけば一目瞭然なのに。
 おそらく、1)~6)のなかで一番信用できるのはこれだろうな。
================引用開始
正しいですよ。
まず、大辞林を引用しておきます。

お・る ヲル【居る】[1](動ラ五[四])
[一]人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。「きょうは一日じゅう家に―・ります」「先生は昔、仙台に―・られたことがある」

つまり、「おる」単独は謙譲語としての意味合いを持ち、「おります」の形では謙譲の意味のない丁寧体であり、「おられます」の形では尊敬語になるのです。
これが標準語で、広く用いられている形です(だから辞書にも載っている)。

ただし、西日本諸方言(関西、中国、九州、四国)では、「おる」単独に謙譲の意味合いはなくなっていて東日本諸方言の「いる」と同じレベルで用います。また、関東諸方言では、「おります」「おられます」にも謙譲語の意味合いが残存しています。
最近「おられます」は謙譲+尊敬だから正しくないという人や、「おる」はもともと謙譲語ではないという人がいますが、それはそれぞれ関東方言、西日本方言の感覚で判断されているからです。

標準語では、引用した大辞林の説明のように、「おります」「おられます」はそれぞれ丁寧語、尊敬語としての意味合いをもち、謙譲語ではないので、「~しておられる」はもちろん正しい形です。

動詞「おる」の敬語レベルがこのように用法によって異なる例は、ほかにも、例えば、

連用形で文を中止するとき、「~し、」はいえますが、「~をしてい、」はわかりにくいので、代わりに「~しており、」ということが多いです。この「しており」にも謙譲の意味はありません。

「もってられる」は「もってる」の尊敬語形です。「もってる」は「もっている」の「い」を省略した「イ抜き言葉」です。だから、「もっている」の規則的な尊敬語形は「もっていられる」となるはずですが、これだと可能形の意味になるので、区別するために「もっておられる」を用いるのです。このときの「おられる」は上述のとおり、尊敬語として正しい形です。

回答日時:2006/12/22 13:39:18 編集日時:2006/12/22 13:41:31
================引用終了




おる おられる おられた おられます〈2〉


 下記が少~しだけ参考になるかも。
639)突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1801597937&owner_id=5019671
================================

 ↑の639)の辞書のひき方がちょっとピント外れな気がしないでもないので、再度ひき直す。
 本動詞の「おる/おられる」のほかに補助動詞の「~ておる/~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。
 辞書の引用は末尾に。
『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。


【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
 この点について『大辞林』には下記のようにある。
================引用開始
自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
================引用終了
〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。
 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。
 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。
 ところが、〈1〉で見た6)によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。問題の根が深いorz。


【2】「おります」で丁寧な言い方?
『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。
『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。
 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。
〈1〉の1)で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。
 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。
 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。
「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。
「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。
 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。
 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。
 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。
 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。↑の「5分類」法と併せてウノミにすると相当混乱する。

 で、辞書の記述に戻る。それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。
■〈「おります」で丁寧な言い方〉(『大辞林』)。
 はっきり書こう。これ記述は無意味。「おります」は「おる」を丁寧語の形にしたもの。「丁寧な言い方」に決まってる。たとえば、「書く」の説明で「書きます」で丁寧な言い方とか書いてあったらバカでしょ。後半の〈「おられる(おられます)」で尊敬の言い方〉を書くついでに、つい余計なことを書いたとしか思えない。

■〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉(『大辞泉』)。
「おります」と「いる」を並べている段階で疑問が湧く。一般には「いる」の丁寧な言い方は、丁寧語の形にした「います」。
 好意的に考えても、この記述は2通りの解釈ができる。
1)「おります」は「います」の丁寧な言い方
 微妙。一般には「おる」は「いる」の謙譲語なんで、「おる」のほうが丁寧な言い方だろう。 ただ、『大辞泉』は「おる」を謙譲語にしていないから、この解釈は苦しいかも。
2)「おる」はニュートラルな言葉だけど、「おります」だと「謙譲語」のニュアンスになる
 そんな超法規的なことがあるうるのか当方には不明。


【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。


■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=02640800&pagenum=1
 ↓
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=daijisen&oid=02640800
================引用開始
お・る〔をる〕【▽居る】
[動ラ五][文]を・り[ラ変]


ア人が存在する。そこにいる。「海外に何年―・られましたか」
イ「いる」の古風な、または尊大な言い方。また、「いる」に比べて方言的な響きを帯びる。「君はそこに―・ったのか」「都会にはセミも―・らんようになった」

2 (「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方。「五時までは会社に―・ります」

5 (補助動詞)動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
「…ている」の古風な、または尊大な言い方。「そこに控えて―・れ」
(「…ております」の形で)「…ている」の丁寧な言い方。「ただ今、外出して―・ります」

◆(1) 助動詞「れる」の付いた「おられる」「…ておられる」の形で尊敬表現に用いられる。(2) もとはラ変活用。室町時代以後、四段活用に変化。
================引用終了


■Web辞書『大辞林』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0&pagenum=1&index=102829400000
 ↓
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=daijisen&oid=02640800
================引用開始
お・る[をる] 1 【▽居る】
(動ラ五)
[文]ラ変 を・り
〔1〕
[1] 人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
  明日はまだ東京に―・る
  いろいろ文句を言う者が―・るので困る
  屋根の上に猫が―・る
  昔はこの辺にも狸(たぬき)が―・ったもんだ
(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。
  きょうは一日じゅう家に―・ります
  先生は昔、仙台に―・られたことがある

〔2〕 (補助動詞)
[1] 動詞の連用形、またそれに助詞「て(で)」の付いたものに付いて、動作・状態が続いていることを表す。やや尊大な言い方として用いられることがあり、また、「ております」「おられる」の形で丁寧な言い方や尊敬の言い方としても用いられる。
  テレビは今ではたいていの家で持って―・ります
  ここ数年だれも住んで―・らず、荒れ放題に荒れている
  私はここで待って―・ります
  地下は駐車場になって―・ります
  先生はすでに知って―・られるようだ
  そんなことは聞かなくともわかって―・る
================引用終了


おる おられる おられた おられます〈3〉

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語②〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

 やはり煮え切らない観がある。明言はしていないが、著者自身は使わないだろうな。
 当方も、自分では使わない。使う理由がないから。「おる」が謙譲語なんだから、「おられる」には強い異和感がある。辞書があれほどはっきりと認めている以上、「誤用」などと言う気はないが。


 下記を見ると、文化庁編集の『言葉に関する問答集 総集編』という書籍にも詳しい解説があるらしい。ただ、いままでに何度か紹介したように、引用者の書き方にはいろいろ問題があるのでウノミにはできない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1495064119
================引用開始
結論を先に言えば、「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどないと考えられます。ただ、「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方ということができましょう。
************************************
...動詞の下に付いて、その動作・作用・状態が継続中であることを表す「…(て)いる」という表現を尊敬語の言い方にする場合には、次のような言い回しが可能です。
★(A)先生は手紙を書いて“おられる”。
...(B)先生は手紙を書いて“いられる”。
★(C)先生は手紙を書いて“いらっしゃる”。
...(D)先生は手紙を書いて“おいでになる”。

★(A)の「おられる」は、動詞「おる」に尊敬を表す助動詞「れる」が付いたものです。元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたものと考えられます。<謙譲語に尊敬の「れる」を付けるのは理論上おかしいことになるが、「おる」を丁寧語と考えれば、尊敬表現として無理はなくなります。>
(B)の「いられる」は、動詞「いる(居)」に尊敬の助動詞「れる」のついたものです。「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどないと思われますが、実際の文章の中では、「おられる」の方が尊敬表現としてより多く用いられています。こらは、「いられる」が
・妻に先立たれると、一日も生きては“いられない”だろう。
のように、可能表現に多く使われるようになったことと無関係ではないと思われます。
★(C)の「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます。「おられる」「いられる」は、単に「いる」の尊敬表現ですが、「いらっしゃる」は、「いる」のほかに「行く」「来る」の尊敬表現としても広く使われています。
(D)の「おいでになる」は、今日ではやや古風な言い方とされますが、それだけに(A)(B)(C)よりも敬意が高いように思われます。《以下、略》
【参考文献】文化庁編集『言葉に関する問答集 総集編』より
************************************
================引用終了

 注意深く読むとわかるが、『言葉に関する問答集 総集編』(以下「原本」と書く)の記述と、引用者が書いている「結論」は微妙に違う。
 引用者のあげている結論は下記の2点だろう。
1)「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどない
2)「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方
 1)に関する原本の記述は見当たらない。〈「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどない〉が近いかもしれない。
 2)に関する原本の記述も見当たらない。〈「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます〉が近いかもしれない。
 では原本の結論は何か。当方はコメントを控えます。記述に不備を感じるが、原本の責任か引用者の責任か、この書き方ではまったくわからないから。
 たとえば〈元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたもの〉という書き方がおかしいことにはすでにふれた。「おる」は丁寧語なんだろか。そのあとの〈「おる」を丁寧語と考えれば〉という記述もある。やはり「おる」は丁寧語なのだろうか。
 ところで、引用者は〈 〉をどういう意味で使っているのだろう。
 そもそも、これが「引用」なのか、「要約」なのか、原本を「参考文献」にした自説なのか、ホニャララなのかさっぱりわからない。いつものことだけど。


おる おられる おられた おられます〈4〉

mixi日記2014年06月28日から

 NHKの見解。
【「おられます」】
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/012.html
================引用開始
Q 「おられます」という言い方は間違った敬語ですか。

A 「○○さん、おられますか」という言い方をよく耳にしますが、これは、「おる」に敬語の「れる」が付いたもので、現在では必ずしも不適切ではない、と言われています。
【解説】
 というのは、本来謙譲語であった「おる」の用法が現在では変化して、単にことばづかいを改まったものにすることばとして使われるようになったからです。ちなみに、「おられる」は「いる」の荘重な言い方、という注釈を付けている国語辞書もあります。戦後の大きな敬語変化の一つは、従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、「おられる」はその代表例です。もちろん、尊敬語を付けない「○○さん、おりますか」は現在でも失礼な言い方です。
================引用終了

 下記の質問板のやり取りで教えてもらった。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html
〈「おられる」については、やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語としてNHKでも認定されています〉と書いてあったので、オイオイと思いながらリンク先を見た。
 どこに〈やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語〉と書いてあるのかわからない。
 確認すると〈やや堅苦しい〉は引用者の私的な見解らしい。それを〈認定〉と言われても……。
〈相手の行為を【荘重】に表現するというのは、最上級の尊敬語と言ってよいのではないか、と考えた〉のか。しかも、原文は〈という注釈を付けている国語辞書もあります〉ですよね。それを〈認定〉と言われても……。
 (略)

〈やや堅苦しい〉は同感。だから老人語とか言う人がいるのだろう。
〈現在では必ずしも不適切ではない、と言われています〉は、かなり消極的な許容だろう。個人的にはそのとおりだと思う。これを積極的な肯定と読まれると……。


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【お品書き】 (総索引)
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【第1章5】「ウマい文章」の正体
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【第2章2】接続詞
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【第2章3】一文の長さ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-80.html
【第2章4】句読点の打ち方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
【第2章5】比喩の使い方
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【第3章】本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫
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【板外編1】「~たり」の使い方
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【板外編3】文語調の表現は避ける
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【板外編4】「ラ抜き言葉」を防ぐ方法
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273)【【板外編14】接続詞の使い方】
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365)伝言板【あとがき】
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【「~だ」と「~である」はどう違うか】(2009年08月02日)
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【「~だ」と「~である」はどう違うか2──やわらかい感じがする文章を書くために】(2009年09月02日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1272091106&owner_id=5019671

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