表記の話15──「違和感」「異和感」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

mixi日記2013年07月18日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1907450065&owner_id=5019671

●表記に関する話 お品書き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503&comm_id=1736067

「違和感」か「異和感」か。
 これは単純な表記の話と考えるべきではないかも。
 一般的な表記は「違和感」。用字用語集の類いも、辞書の大半もこちらにしている。だからと言って「異和感」は間違い、などと断言すると単なる無知になる。

 まず、「違和」と「違和感」をWeb辞書でひく。今回は事情があって、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
 こういうホニャララな話は食傷気味なので、あまりかかわりたくない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104949720

 ひとつ注意してほしいのは、元々「違和」は「体の不調」を表わす言葉だったらしいってこと。そこから派生して「雰囲気」の食い違いなどに使われるようになったらしい。これが「違和感」になると、なぜか「体の不調」とは関係なくなる……このあたりは多分に推測です。
 ネットで検索すると下記がヒットした。
【『異和感』 と 『違和感』 どちらを使ってますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089923065
================引用開始
レセプトの正式な病名で異和というのがあります。一般的には違和かもしれませんが(変換しても違和になりますし)、医療用語としては異和でしょう。
================引用終了

 医療の現場では「異和」「異和感」が一般的らしい。「違和/異和」が元々「体の不調」と関係したことと関係があるのかないのか、当方には判断できない。

『大辞林』と『大辞泉』は採用していないが、下記は「異和感」の表記を認めている。 
wablio
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%95%B0%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
違和感
読み方:いわかん
異和感 とも書く
================引用終了

 当方の個人的な話をすると、個人的な文章で「異和感」と書くようになってもうウン十年もたつ。元々何で見たかは覚えていない。当時、辞書を何冊かひいて、「異和感」の表記は一般的ではないが間違いではないことは確認している。
 ちょっと屁理屈をこねると、「違う」わけではないけど、なんとなく「異様」で、「異常」「異状」を感じるから「異和感」のほうがシックリくる。もちろん、一般の用字用語集に類いは「違和感」になっているから、フツーの仕事では「違和感」を使う。
 ネット検索すると、まじめに調べている人がいる。
 一番信用できそうなのは下記だろう。
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819

「異和感」を使う識者は多いらしい。そのこと自体にはあまり意味はない。よほどの人物が明らかに意識して使っているのでなければ、なんの根拠にもならない。
 ネットの書き込みを見ると、村上春樹は「異和感」と書くらしい。だから「異和感」もアリ、なんてことは言えない。それは芸術文の話だから。
 いろいろな言葉遣いなどに関して、森鴎外や夏目漱石が使っていたからアリなんて論調も目にするが、個人的にはそういう考え方には賛成できない。それも芸術文の話だから。まあ、あの時代なら文豪を根拠にするのもアリなのかなぁ、って気もするけど……。
 現代なら、辞書や新聞を調べるほうがよほど確かだろう。
〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉らしい。いったい何百の辞典を確認したら、「すべての辞典」なんて書けるんだろう。この本は2005年の発行のはず。
 ウーン。当方の記憶では昔の辞書で見たんだけどなぁ。
〈『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されている〉とのこと。文化庁、しっかりしろー。
〈『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ〉ているって。Wikipediaによると、初版は1972年12月 - 1976年3月発行で、第二版は2000年12月 - 2002年12月。文化庁ダメダメじゃん。
 注目したいのは《注1》。
================引用開始
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
================引用終了
 この人の主観だとすると、あまり意味がない。「医学界では異和感が一般的」と書いてくれれば、ある程度の意味があるのにー。

 いろいろ調べた結果↑のサイトにたどりついたと記す下記のブログはおもしろい。こういうのを「大恥」とは言わない。書き手の態度の潔さには清々しいものを感じる。
【大恥をかいた話ー他の人のブログに驚きました】
http://ameblo.jp/muridai80/entry-11405238509.html
 貴重な記述がある。『日本国語大辞典』初版には「異和感」は立項されていないらしい。ということは、「異和感」は比較的新しく認められた表記らしい。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 当方がウン十年前に見た辞書はなんだったのだろう?



【「表記の話」のバックナンバー】

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html

【20140522追記】
 文中の〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉の根拠が抜けている。
 mixi日記にコメントをもらった下記なのかもしれない。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2013_3_18_501.html

 下記が詳しいだろう。
【ことばのメモ帳】
http://uratashima.seesaa.net/article/23416219.html
 そうか。『言葉に関する問答集 総集編』は1995年なのね。そうなると、『日本国語大辞典』の話はズレるのかもしれない。
================引用開始
2006年09月07日
「異和感」の人々―百姓読み、誤字(2)
何故かしばしば、「違和感」「違和」ではなく「異和感」「異和」という表現を使う(使いたがる)識者があって、それがやや気になるときがある。以下にその二例を挙げる。

ところで、なぜ日本人は、「日本人とは」「日本文化とは」と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であることと、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている。日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということである。(石川九楊『二重言語国家・日本』NHKブックス1999,p.5)


ぼくはマルクス主義的な発想や党派の唱える革命論には最初から異和感があったので…(p.27)
自分が何に動かされ、何を願望し、何に異和を感じ、…(p.30)
すなわち社会にたいする異和感や正義感(中略)のありようも、…(p.33)
(以上、小阪修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006より)

あるいは「異和感」「異和」というのは、そのようなタームが実在し、さらにそれを広めた人があるために、特定の世代が好んで使うようになった表記ではないかと私は考えているのだが(もちろん誤解に基くものもなかにはあるだろう)、一般的な表記はもちろん「違和感」「違和」である。しかし、この「違和感」が日本語として使用されるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。

「いわ感」という語が国語辞典に見出し語として採録されるようになったのは、昭和五十年辺りからであり、それまでは、「いわ」という語しか見出し語としては採録されていなかった。この「いわ」も、『和英語林集成』の各版にも、『言海・日本大辞書・日本大辞林・帝国大辞典・日本新辞林・ことばの泉(本冊)』など、明治二十年代・三十年代に刊行された辞典には採録されていない。ようやく、明治四十一年刊の『ことばの泉 補遺』に至って採録されている。(中略)これまで見てきたところからも分かるように、「いわ感」と言う場合の「いわ」という語は、すべての辞典で、漢字表記を「違和」としており、「異和」としたものは一つもない。また、歴史的仮名遣いでは「ゐわ」である。(「異和」であれば、歴史的仮名遣いでも「いわ」であるはずである。)
しかし、この「いわ」から派生した「いわ感」が、新しい意味(「その場の雰囲気に浸り難いこと」「他との調和がとれないこと」「何となくしっくりしないこと」「場違いであること」等の意―引用者)を伴って日常語化し、多く用いられるようになるにつれて、誤って「異和感」と書き表す場合が目につくようになった。
(文化庁編『ことばに関する問答集【総集編】』大蔵省印刷局1995,p.168)

---
(以下コメントによるご教示)
森岡健二・柏谷嘉弘・宮地裕・糸井通浩・小林千草といった国語学者が使っていますね。 柄谷行人・百目鬼恭三郎・桂米朝・鶴見俊輔 なども。 なお、『最新日本語読本』の最終頁。
================引用終了



【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈2〉辞書


mixi日記2014年06月17日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928156325&owner_id=5019671

 Web辞書の珍妙な記述に関してはいろいろ書いてきた。もしかするとイチバン驚いた話かもしれない。イチバンではないかもしれないが、ビックリ度は高い。
1087)【やっぱりWeb辞書は嫌い〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919435396&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2919.html

 まず、〈1〉でひいた記述を再掲する。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】

[1] 身心の調和が破れること。
  ―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
  ―を感じる
================引用終了

『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
================引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 さっき別件で『大辞林』をひいて唖然とする。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C?dic=daijirin&oid=DJR_iwa_-030
================引用開始
いわ【違和】

①身心の調和が破れること。 「 -を覚える」
②雰囲気にそぐわないこと。 〔「異和」と書くのは誤り〕 → 違和感
================引用終了

http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F?dic=daijirin&oid=DJR_iwakann_-010
================引用開始
いわかん【違和感】

周りのものとの関係がちぐはぐで,しっくりしないこと。 「 -を覚える」 〔「異和感」と書くのは誤り〕
================引用終了

「違和感」の用例を「―を感じる」から「 -を覚える」にかえたのは正解だろう。そんなホニャララな例を出す理由はない。
 それにしても〔「異和」と書くのは誤り〕〔「異和感」と書くのは誤り〕ですか。
 ぜひ根拠をあげてもらいたいもんだ。
 何通りかの表記がある言葉に関して〔~と書くのは誤り〕と書くのは相当度胸が必要よ。
 たとえば「雰囲気」を「ふいんき」と読むのは誤り、とは書ける。「ふいんき」と読む理由はないし、そんな読みを認めている辞書はない(あったりして)。
 しかし、〈1〉で見たように「異和感」という表記はソコソコ広まっているし、採用している辞書いくつかある。それを「誤り」と決めつけるのは辞書の仕事なんだろうか。
 トンデモ異説は猿でも書けるが、辞書がこういうことを書くとは思わなかった。


「違和感を感じる」をどう言いかえればいか……という話を詳しく書くと、それでそれでややこしいことになる。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748.html

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おる おられる おられた おられます【まとめ】総集編

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

 下記のまとめ。
【おる おられる おられた おられます〈1〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1904748638&owner_id=5019671
【おる おられる おられた おられます〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906069022&owner_id=5019671
【おる おられる おられた おられます〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906116280&owner_id=5019671


おる おられる おられた おられます〈1〉



「申される」と並んで敬語界の鬼っ子とも言える「おられる」について考えてみたい。
 非常に厄介な話なんで、まず先日紹介してもらったサイトの記述から〝何様モード〟で見てみたい。書き手の誤解に関しても詳しく見ていく。
 下記のコメント[26][30]参照。番号は当方がつけた。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1109728&comment_count=32&comm_id=90576
================引用開始
否定派
1)http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?sn=175
2)http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/keig/b01.html
3)http://news.mynavi.jp/r_career/level1/yoko/2011/10/post_1260.html
4)http://www.hitachi-solutions.co.jp/column/tashinami/keigo2/(第5位)


肯定派:
5)http://blog.livedoor.jp/s_izuha/archives/6565041.html
6)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410312494

(否定派のURLの方を多く示したのは特に意味はなく、そちらの意見が多数であることを意味しません。検索結果として表示された記事の中で、信頼性に乏しいと思われるものはいずれの意見からも外したつもりです。 )
================引用終了

 単なる個人のブログよりは信憑性が高いように見えるけど、さてどうなんでしょう。
 順番に見ていく。


1)「~さんは、おられますか?」という敬語は正しい?
 これ信用できるのだろうか。「丁寧語」の意味を理解していない気がする。「おります」は丁寧語か否か。「おります」は「おる」の丁寧語だろう。問題にすべきは「おる」が謙譲語か否かじゃないかな。
================引用開始
「~さんは、おられますか?」という敬語は正しい?

 まず、「おられます」から尊敬の助動詞「れる」をとった形「おります」について考えてみましょう。

 「おります」は「いる」+丁寧の助動詞「ます」の「いる」が「おる」になったものです。では、「おります」はどのような場面で用いられるのでしょう。「おります」が用いられる典型的な場面は、次の例のように敬意をはらうべき相手に対して、自分の存在を知らせる場合でしょう。

 「鈴木さんはいらっしゃいますか?」「ここにおります」

 ところで、ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです。「おります」が丁寧語であれば、「安田さんはいますか?」と言う場面で、同じように「安田さんはおりますか?」と言えるはずですが、これは許容できないように思われます。したがって、「おります」は謙譲語であるとの判断が妥当でしょう。

 このように考えますと、「おられますか」という表現は、謙譲語である「おります」に尊敬の助動詞「れる」をつけた形式であり、矛盾をはらむおかしな言い方であると言えましょう。

 ただし、この問題には方言差も関与しているように思われます。実際私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられるため、「おられます」は尊敬語としてなんら矛盾のない自然な表現として用いられています。
================引用終了

 結論は最後の2段落なのだろうが、論旨不明。「矛盾をはらむおかしな言い方」で終わっているなら「否定派」。
 だがその直後に、〈私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられる〉と書いている。なら「おられる」も問題がないってこと? 「私の方言」って何? おそらく書き手の生地か現在地で使われる方言、ってことなのだろう。
 それがどこなのか書かなきゃ意味がないし、検証のしようもない。
 アルクってもう少しマシな会社だと思っていたんだけど……


2)西川さんはおられますか?
 個人ブログだけど、信用できそうなのでOKにしておく。(←オイオイ)
 小見出しがそのまま結論。「慣用として認めてよい表現だと思います」。これをどんな歪んだ先入観で読んだら「否定派」にできるのか教えてほしい。
 ただ、全面肯定でもない。
================引用開始
  1.「おる」の部分が謙譲語なので相手の動作に使えない
  2.「おら・れる」は、謙譲語と尊敬語を重ねて使っている

という2点で誤用だとする専門書が多く存在しています。ところが、関西地方では昔から「西川さんがいる」を「西川さんがおる」と丁寧な表現として使っているので、目上の人に「おられる」という表現を使っても違和感がなく、公的に使える尊敬表現として広く使われてきました。謙譲語ではない「おる」に「られる」という尊敬語をつけると考えるのならば、文法上の問題はなくなります。
================引用終了
「関西地方では昔から」使われてきたからOKなの? そういうのは一般には「方言」って言うんじゃないかな。


3)■謙譲語の誤用
================引用開始
「社長は事務所におられますか?」、「何時にまいられますか?」

「謙譲語とは自分の動作をへりくだるときに使う言葉です。『おる』は『居る』の謙譲語、『まいる』は『行く』の謙譲語ですから、相手の動作に対して使うのは間違いです。

『おられる』というのは、謙譲語に敬語表現の「れる」がついているので、敬語のような印象があり、最近はかなり普及している表現です。正しいと思って使っている人が多いようですが、自分から進んで使わないように心がけたい言葉ですね」(大嶋さん)

どちらも正しくは、「いらっしゃいますか?」です。
================引用終了

 明確に否定している。コメントをしているのは、ビジネスコミュニケーション講師の大嶋利佳氏。
 偏見を承知で書くと、こういうデザインのネット記事はいい加減なものが多いので鵜呑みにするのは危険だと思う。最近ウサンクササが感じ取れるようになってきた。コメントした人の責任とも言い切れなくて、こういう微妙な問題を簡潔に片づけると不十分な説明になりがち。
 この場合も、相当あやしい。「おる」と「参る」を同列に扱うのもどうかと思う。


4)今さら聞けない敬語のマナー
 3)と同様。この書き方では不十分。しかもこれは3)と同じ人の主張なので2説にはできない。

 ということは、1)~4)は否定派2、肯定派1になる。
 次は肯定派。


5)「おられる」は尊敬語か-2
 この個人ブログはどこまで信用できるのだろう。この体裁と文体を見ただけで×にしたい。
 頑張って読んでみた。
================引用開始
「おる」 の尊敬語が 「おられる」 というのは間違っておりません。
 ただ 「おる/をり」 は「いる/あり/ゐる」 の謙譲語、または、卑語であることも確かです。
================引用終了

 消極的な肯定派ってことだろうか。ただなぁ。もう少しちゃんと書いてくれないかなぁ。
 文中の大江健三郎の話は必要なの?


6)~しておられる」という言い方は正しいのでしょうか?
 Yahoo!知恵袋はさぁー、と思ったがベストアンサーはきわめてまとも。
 回答者の名前に記憶がないけど、このかたは信用できそう。 
 何よりちゃんと辞書をひいている。↑のリンク先では辞書の記述はお目にかからなかった(笑)。辞書をひけば一目瞭然なのに。
 おそらく、1)~6)のなかで一番信用できるのはこれだろうな。
================引用開始
正しいですよ。
まず、大辞林を引用しておきます。

お・る ヲル【居る】[1](動ラ五[四])
[一]人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。「きょうは一日じゅう家に―・ります」「先生は昔、仙台に―・られたことがある」

つまり、「おる」単独は謙譲語としての意味合いを持ち、「おります」の形では謙譲の意味のない丁寧体であり、「おられます」の形では尊敬語になるのです。
これが標準語で、広く用いられている形です(だから辞書にも載っている)。

ただし、西日本諸方言(関西、中国、九州、四国)では、「おる」単独に謙譲の意味合いはなくなっていて東日本諸方言の「いる」と同じレベルで用います。また、関東諸方言では、「おります」「おられます」にも謙譲語の意味合いが残存しています。
最近「おられます」は謙譲+尊敬だから正しくないという人や、「おる」はもともと謙譲語ではないという人がいますが、それはそれぞれ関東方言、西日本方言の感覚で判断されているからです。

標準語では、引用した大辞林の説明のように、「おります」「おられます」はそれぞれ丁寧語、尊敬語としての意味合いをもち、謙譲語ではないので、「~しておられる」はもちろん正しい形です。

動詞「おる」の敬語レベルがこのように用法によって異なる例は、ほかにも、例えば、

連用形で文を中止するとき、「~し、」はいえますが、「~をしてい、」はわかりにくいので、代わりに「~しており、」ということが多いです。この「しており」にも謙譲の意味はありません。

「もってられる」は「もってる」の尊敬語形です。「もってる」は「もっている」の「い」を省略した「イ抜き言葉」です。だから、「もっている」の規則的な尊敬語形は「もっていられる」となるはずですが、これだと可能形の意味になるので、区別するために「もっておられる」を用いるのです。このときの「おられる」は上述のとおり、尊敬語として正しい形です。

回答日時:2006/12/22 13:39:18 編集日時:2006/12/22 13:41:31
================引用終了




おる おられる おられた おられます〈2〉


 下記が少~しだけ参考になるかも。
639)突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1801597937&owner_id=5019671
================================

 ↑の639)の辞書のひき方がちょっとピント外れな気がしないでもないので、再度ひき直す。
 本動詞の「おる/おられる」のほかに補助動詞の「~ておる/~ておられる」もあるがほぼ同じだろう。
 辞書の引用は末尾に。
『大辞泉』と『大辞林』の記述はほぼ同じだが、どちらの記述にも不満が残る。
『大辞林』には〈(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。〉と明記されている。この点に関しては『大辞泉』も同様。これに従えば、「そういうかたもおられます」「……という先生がおられます」などの表現は「間違い」ではない。ただし、この書き方では「尊敬の言い方」と「尊敬語」がどう違うのかは不明。
 これが一応の結論。

 以降はマニアックな部類に入る話。
 辞書に逆らうのは気が進まないが、気になることが3点ある。かなりメンドーな話なので、例によってクドい書き方をする。


【1】「おる」はそもそも謙譲語ではないのか? 
 この点について『大辞林』には下記のようにある。
================引用開始
自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
================引用終了
〈自分の動作を卑下したり〉は謙譲語のニュアンスが強いと思うが、謙譲語とは明記していない。『大辞泉』にいたっては、そのテの記述がいっさいない。
 もしかすると、辞書は「(~して)おる」に対して相当神経質になっているのでは。そりゃ、「(~して)おる」を謙譲語としたら、「(~して)おられる」は謙譲語+尊敬語で意味合いは尊敬語という訳のわからんことになるからね(詳細は後述)。
 最初この辞書の記述を見たとき、最近この形にしたのでは……と思った。一般には、「(~して)おる」は「(~して)いる」の謙譲語なんだから。
 ところが、〈1〉で見た6)によると、2006年12月には、ほぼ現状の記述になっている。問題の根が深いorz。


【2】「おります」で丁寧な言い方?
『大辞林』の書き方は〈「おります」で丁寧な言い方〉。
『大辞泉』の書き方は〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉。
 この2つの書き方の微妙な違いが理解できるだろうか。
〈1〉の1)で見た〈ここで問題となるのは、この場合の「おります」が丁寧語であるか、謙譲語であるかということです〉のような誤解と関係あるのかないのか。
 まず、「丁寧語」と「丁寧な言い方」はちと違う。「丁寧語」はだいたい「丁寧な言い方」だけどね。
 たとえば、「よろしくお願い申し上げたい」は「丁寧な言い方」で謙譲語ではあるけど、丁寧語ではない(はず)。
「遠いところをわざわざどうもありがとう」は「丁寧な言い方」だけど、丁寧語ではない(はず)。
「確認願います」は「丁寧語」ではあるけれど、あまり「丁寧な言い方」とは言えない。「ご確認(のほど)お願いいたします」なら「丁寧語」で「謙譲語」(I&II)で、「丁寧な言い方」。
 ちなみに、丁寧語は、「5分類」法だと「丁寧語」と「美化語」に分かれる。ここでは「美化語」のことは除外し、「5分類」法の「丁寧語」のことを書いている。
 乱暴な書き方をすると、「丁寧語」か否かはデス・マス体か否かとほぼ同義。
 極端なことを書くと「そんなことを抜かしているとぶっ殺しますよ」も「丁寧語」と言えなくはない(さすがに無理?)。
 敬語の「5分類」法と「3分類」法の話を始めると長くなるので、下記の「日本語における敬語表現」の表を見てほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 ちなみに、Wikipediaの後半の「不規則動詞一覧」に「丁寧語」の項目があるが、無視したほうがいい。↑の「5分類」法と併せてウノミにすると相当混乱する。

 で、辞書の記述に戻る。それぞれの辞書の記述に細かいインネンをつける。
■〈「おります」で丁寧な言い方〉(『大辞林』)。
 はっきり書こう。これ記述は無意味。「おります」は「おる」を丁寧語の形にしたもの。「丁寧な言い方」に決まってる。たとえば、「書く」の説明で「書きます」で丁寧な言い方とか書いてあったらバカでしょ。後半の〈「おられる(おられます)」で尊敬の言い方〉を書くついでに、つい余計なことを書いたとしか思えない。

■〈(「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方〉(『大辞泉』)。
「おります」と「いる」を並べている段階で疑問が湧く。一般には「いる」の丁寧な言い方は、丁寧語の形にした「います」。
 好意的に考えても、この記述は2通りの解釈ができる。
1)「おります」は「います」の丁寧な言い方
 微妙。一般には「おる」は「いる」の謙譲語なんで、「おる」のほうが丁寧な言い方だろう。 ただ、『大辞泉』は「おる」を謙譲語にしていないから、この解釈は苦しいかも。
2)「おる」はニュートラルな言葉だけど、「おります」だと「謙譲語」のニュアンスになる
 そんな超法規的なことがあるうるのか当方には不明。


【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。


■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=02640800&pagenum=1
 ↓
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=daijisen&oid=02640800
================引用開始
お・る〔をる〕【▽居る】
[動ラ五][文]を・り[ラ変]


ア人が存在する。そこにいる。「海外に何年―・られましたか」
イ「いる」の古風な、または尊大な言い方。また、「いる」に比べて方言的な響きを帯びる。「君はそこに―・ったのか」「都会にはセミも―・らんようになった」

2 (「おります」の形で、自分や自分の側の者についていう)「いる」の丁寧な言い方。「五時までは会社に―・ります」

5 (補助動詞)動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて用いる。
「…ている」の古風な、または尊大な言い方。「そこに控えて―・れ」
(「…ております」の形で)「…ている」の丁寧な言い方。「ただ今、外出して―・ります」

◆(1) 助動詞「れる」の付いた「おられる」「…ておられる」の形で尊敬表現に用いられる。(2) もとはラ変活用。室町時代以後、四段活用に変化。
================引用終了


■Web辞書『大辞林』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%82%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0&pagenum=1&index=102829400000
 ↓
http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=daijisen&oid=02640800
================引用開始
お・る[をる] 1 【▽居る】
(動ラ五)
[文]ラ変 を・り
〔1〕
[1] 人・動物が存在する。そこにある。また、そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。
  明日はまだ東京に―・る
  いろいろ文句を言う者が―・るので困る
  屋根の上に猫が―・る
  昔はこの辺にも狸(たぬき)が―・ったもんだ
(イ)「おります」で丁寧な言い方、「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。
  きょうは一日じゅう家に―・ります
  先生は昔、仙台に―・られたことがある

〔2〕 (補助動詞)
[1] 動詞の連用形、またそれに助詞「て(で)」の付いたものに付いて、動作・状態が続いていることを表す。やや尊大な言い方として用いられることがあり、また、「ております」「おられる」の形で丁寧な言い方や尊敬の言い方としても用いられる。
  テレビは今ではたいていの家で持って―・ります
  ここ数年だれも住んで―・らず、荒れ放題に荒れている
  私はここで待って―・ります
  地下は駐車場になって―・ります
  先生はすでに知って―・られるようだ
  そんなことは聞かなくともわかって―・る
================引用終了


おる おられる おられた おられます〈3〉

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語②〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

 やはり煮え切らない観がある。明言はしていないが、著者自身は使わないだろうな。
 当方も、自分では使わない。使う理由がないから。「おる」が謙譲語なんだから、「おられる」には強い異和感がある。辞書があれほどはっきりと認めている以上、「誤用」などと言う気はないが。


 下記を見ると、文化庁編集の『言葉に関する問答集 総集編』という書籍にも詳しい解説があるらしい。ただ、いままでに何度か紹介したように、引用者の書き方にはいろいろ問題があるのでウノミにはできない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1495064119
================引用開始
結論を先に言えば、「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどないと考えられます。ただ、「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方ということができましょう。
************************************
...動詞の下に付いて、その動作・作用・状態が継続中であることを表す「…(て)いる」という表現を尊敬語の言い方にする場合には、次のような言い回しが可能です。
★(A)先生は手紙を書いて“おられる”。
...(B)先生は手紙を書いて“いられる”。
★(C)先生は手紙を書いて“いらっしゃる”。
...(D)先生は手紙を書いて“おいでになる”。

★(A)の「おられる」は、動詞「おる」に尊敬を表す助動詞「れる」が付いたものです。元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたものと考えられます。<謙譲語に尊敬の「れる」を付けるのは理論上おかしいことになるが、「おる」を丁寧語と考えれば、尊敬表現として無理はなくなります。>
(B)の「いられる」は、動詞「いる(居)」に尊敬の助動詞「れる」のついたものです。「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどないと思われますが、実際の文章の中では、「おられる」の方が尊敬表現としてより多く用いられています。こらは、「いられる」が
・妻に先立たれると、一日も生きては“いられない”だろう。
のように、可能表現に多く使われるようになったことと無関係ではないと思われます。
★(C)の「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます。「おられる」「いられる」は、単に「いる」の尊敬表現ですが、「いらっしゃる」は、「いる」のほかに「行く」「来る」の尊敬表現としても広く使われています。
(D)の「おいでになる」は、今日ではやや古風な言い方とされますが、それだけに(A)(B)(C)よりも敬意が高いように思われます。《以下、略》
【参考文献】文化庁編集『言葉に関する問答集 総集編』より
************************************
================引用終了

 注意深く読むとわかるが、『言葉に関する問答集 総集編』(以下「原本」と書く)の記述と、引用者が書いている「結論」は微妙に違う。
 引用者のあげている結論は下記の2点だろう。
1)「書いておられる」と「書いていらっしゃる」との間には、敬意の差はほとんどない
2)「おられる」の方がやや文章語的で改まった言い方であるのに対し、「いらっしゃる」は、口語的で日常的な言い方
 1)に関する原本の記述は見当たらない。〈「いられる」と「おられる」とでは、待遇上の差はほとんどない〉が近いかもしれない。
 2)に関する原本の記述も見当たらない。〈「いらっしゃる」は、東京語の話し言葉としては、「おられる」「いられる」よりも多く用いられます〉が近いかもしれない。
 では原本の結論は何か。当方はコメントを控えます。記述に不備を感じるが、原本の責任か引用者の責任か、この書き方ではまったくわからないから。
 たとえば〈元来「おる」という動詞は、謙譲語として用いられましたが、後に丁寧語に転じたもの〉という書き方がおかしいことにはすでにふれた。「おる」は丁寧語なんだろか。そのあとの〈「おる」を丁寧語と考えれば〉という記述もある。やはり「おる」は丁寧語なのだろうか。
 ところで、引用者は〈 〉をどういう意味で使っているのだろう。
 そもそも、これが「引用」なのか、「要約」なのか、原本を「参考文献」にした自説なのか、ホニャララなのかさっぱりわからない。いつものことだけど。


おる おられる おられた おられます〈4〉

mixi日記2014年06月28日から

 NHKの見解。
【「おられます」】
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/012.html
================引用開始
Q 「おられます」という言い方は間違った敬語ですか。

A 「○○さん、おられますか」という言い方をよく耳にしますが、これは、「おる」に敬語の「れる」が付いたもので、現在では必ずしも不適切ではない、と言われています。
【解説】
 というのは、本来謙譲語であった「おる」の用法が現在では変化して、単にことばづかいを改まったものにすることばとして使われるようになったからです。ちなみに、「おられる」は「いる」の荘重な言い方、という注釈を付けている国語辞書もあります。戦後の大きな敬語変化の一つは、従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、「おられる」はその代表例です。もちろん、尊敬語を付けない「○○さん、おりますか」は現在でも失礼な言い方です。
================引用終了

 下記の質問板のやり取りで教えてもらった。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8625598.html
〈「おられる」については、やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語としてNHKでも認定されています〉と書いてあったので、オイオイと思いながらリンク先を見た。
 どこに〈やや堅苦しいものの、最上級の尊敬語〉と書いてあるのかわからない。
 確認すると〈やや堅苦しい〉は引用者の私的な見解らしい。それを〈認定〉と言われても……。
〈相手の行為を【荘重】に表現するというのは、最上級の尊敬語と言ってよいのではないか、と考えた〉のか。しかも、原文は〈という注釈を付けている国語辞書もあります〉ですよね。それを〈認定〉と言われても……。
 (略)

〈やや堅苦しい〉は同感。だから老人語とか言う人がいるのだろう。
〈現在では必ずしも不適切ではない、と言われています〉は、かなり消極的な許容だろう。個人的にはそのとおりだと思う。これを積極的な肯定と読まれると……。


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「ガ、」の修辞学 総集編〈1〉〜〈3〉

「ガ、」の修辞学〈1〉

 下記の仲間。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2009年12月16日から

【伝言板】の仲間でもある。
【総索引】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890371504&owner_id=5019671

 あんまり使いたくない札だったけど、ちょっと事情があって。
「ガ、」「が、」「~ガ、」「~が、」……どう表現してもいい。本家の清水読本は「が」と表記しているが、これはちょっと違うと思う。

 まずは「赤い本」から引く。
 これは読点の打ち方の一部に当たる。詳細は下記を参照してほしい。
【伝言板 板外編2──読点と使い方の2つの原則と6つの目安】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=978497848&owner_id=5019671

================================
6)一文の中に「ガ、」は2回使わない

 これは目安ではなく、「絶対に使ってはいけない」と書きたいぐらいです。
 たとえば、次の文を見てください。

 〈原文3〉
 接続助詞の「ガ」に関してですガ、これは「逆接」の意味で使われることが多いのですガ、ほかにもいくつかの働きがありますガ、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。

 こんな文を書く人は少ないかもしれませんが、座談会などの発言を忠実に文字にすると、このような感じになっていることは珍しくありません。これは、あまり断言調で話してはいけない、という意識が働くためのようです。文章を書く場合にも、あらたまった感じで書こうとして肩に力が入ると、「ガ、」が目立ってしまうことがあります。
〈原文3〉に出てくる「ガ、」は、「関してですガ、」と「ありますガ、」が「順接のガ、」(表記がわずらわしいので、以後は「留保・抑制」の「ガ、」も含めてこう呼びます)で、「多いのですガ、」が「逆接のガ、」になりそうです。「順接のガ、」は、できるだけ使わないほうが文章がすっきりした感じになります。たとえば、次の〈原文4〉と〈書きかえ文4〉を比べてみてください。

 〈原文4〉
 接続助詞の「ガ」に関してですガ、これは多くの場合「逆接」の意味で使われます。
 〈書きかえ文4〉
 接続助詞の「ガ」は、多くの場合「逆接」の意味で使われます。

〈原文4〉でもさほど問題はないと思いますが、特別な理由がない限り、おすすめはできません。〈原文4〉がまだ許容されるのは、一文が短いからです。これが長い文になって「順接のガ、」がいくつもあり、〈原文3〉のように「逆接のガ、」まで出てくると、読み手が戸惑います。
〈原文3〉は次のように書きかえるべきです。〈書きかえ文3-1〉のように「順接のガ、」を消すだけでもマシになります。ただし、この場合は文が少し長いので、〈書きかえ文3-2〉のように分割するほうがわかりやすいはずです。

 〈書きかえ文3-1〉(「順接のガ、」を消した例)
 接続助詞の「ガ」は、「逆接」の意味で使われることが多いのですガ、ほかにもいくつかの働きがあり、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。
〈書きかえ文3-2〉(文を分割してわかりやすくした例)
 接続助詞の「ガ」は、多くの場合「逆接」の意味で使われます。しかし、ほかにもいくつかの働きがあり、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。

 一文の中に「逆接のガ、」が2回以上出てくる文は、たいていの場合、論旨が混乱している「悪文」の一種です。論旨を整理したうえで、書き直さなければなりません。「順接のガ、」と、「逆接のガ、」が一文の中に混在すると、「ガ、」の役割がわかりにくくなり、やはり論旨が混乱しているような印象になります。
 もうひとつ、気をつけなければならないのは、主語の働きをする言葉につくガです。次の用例を見てください。

 a タメになることガ、たくさん書かれている本です。
(ガの直後の読点はなくても構わないが、ほかに読点がないので、打っても問題はない)
 b タメになることガたくさん書かれているので、読んだ人ガ必ず感銘を受ける本です。
 (「タメになることガ」の直後に読点を打つのはヘン。「読んだ人ガ」の直後は読点を打っても悪くはないが、打たないほうがいい)
 c タメになることガたくさん書かれているので、読んだ人ガ必ず感銘を受ける本ですガ、一般の書店には置かれていません。
(一文が長くなって、「逆接のガ、」が出てくる文の場合は、ほかのガの直後には読点を打たない。この文の場合は2つに分割するほうがよさそうだが、もし分割しないのなら、これ以上の読点を打ってはいけない。むしろ、「書かれているので」の直後の読点も取ってしまうほうがわかりやすくなる)
=================================

 この段階ではきわめて基本的なことしか書いていない。
 深く掘り下げる気がなかったし、書き手もそこまで深みにはまっていなかった。
 その後病状は悪化した。読書感想文集から引く。
 こういう話を真剣に読むと激痛の頭痛が痛くなるので、危険を感じたら無視してほしい。「ガ、」にはいくつかの種類があることと、多用するのは(とくに長い一文では)避けたほうがいいことだけを覚えておいてほしい。
 まず、この「ガ、」の話の原点とも言える清水幾太郎『論文の書き方』(略して「清水読本」)の読書感想文から。

================================
【引用部】
 では、「が」が一般にどういう意味で用いられているか。用途の全体を網羅することは思いも寄らないが、若干の重要な用途を挙げてみると、第一に、「しかし」、「けれども」の意味がある。前の句と多少とも反対の句が後に続く場合である。反対の関係が非常に強い時は、「にも拘らず」の意味に使われる。第二に、前に句から導き出されるような句が後に続く場合に、「それゆえ」や「それから」の意味で用いられる。第三に、反対でもなく、因果関係でもなく、「そして」という程度の、ただ二つの句を繋ぐだけの、無色透明の使い方がある。このほかにも多くの用法があるけれども、差当って、この三者だけを見ても、「が」用途が甚だ広いこと、従って、これが甚だ便利な言葉であることは判る。(p.53)

 第III章のテーマは〈「が」を警戒しよう〉。この記述は広く知られ、多くの文章読本が同様のテーマを扱っている。後世への影響力という点では、「第2章2」で紹介した谷崎読本の接続詞に関する記述と双璧かもしれない。接続詞に関しては、やはり「第2章2」で紹介した清水読本の記述のほうがよほど説得力があると思うが、なぜかあまり注目されていない。
 それはさておき、接続助詞の「が」について見ていきたい。「が」という表記に異和感があるので、以下は「ガ、」と書くことにする(「が」だけだと、主語などを示す格助詞の「が」と区別がつかない)。
 この問題は、個人的にとても興味がある。単なる書きグセなんだろうガ、「ガ、」を使うことが多いからだ。「ガ、」を警戒しなければならないのは正論だガ、実践するのは簡単なことではない。「ガ、」を減らせと書いてある文章読本は多いガ、キッチリと解決策を示しているものはほとんどない……と人工的に「例」を作ってみたガ、「ガ、」を含む文が続くと相当みっともない。
 本書は「ガ、」を3つに分けているガ、〈第二〉と〈第三〉とはどう違うのだろう。いろんな例は出てくるガ、どうもピンと来ない(いくらなんでもしつこいのでもうやめる)。こういうときこそ具体例が欲しい。
 ハッキリしないので、ほかの文章読本を見てみる。

【引用部】
「が」という接続詞の働きには、逆接と順接の2種類がある。逆接とは、「しかし」と同様に「が」の前後で逆の内容を述べるものだ。短い文であれば、逆接の「が」を使っても特に問題はない。一方、順接とは、「それで」や「~ので」と同様に、単純な前後関係を述べるものだ。不用意に「が」を使うと、文脈から順接か逆接かを判断するよう読み手に強いることになる。このため、順接の「が」を使った分は2つに分けた上で、適切な接続語句を補うのがよい。(日経BP社出版局監修『説得できる文章・表現200の鉄則』p.45)

 このあとで、次の【原文】と【修正文】をあげている(体裁と一部の表記はかえている)。
【引用部】
1)「逆接のガ、」を使った長い文を2つに分割
【原 文】現在のシステムでも、輸送サービスの構成要素をひとつひとつシステムに反映させていくことで、やがては問題を解決できるかもしれないガ、膨大な手間とシステム開発費用がかかる。
【修正文】現在のシステムでも、輸送サービスの構成要素をひとつひとつシステムに反映させていくことで、やがては問題を解決できるかもしれない。しかし、膨大な手間とシステム開発費用がかかる。
2)「順接のガ、」を使った文を2つに分割
【原 文】工程表は必要な工程の種類に合わせて作成するガ、以下のような書式を準備しておくと便利である。
【修正文】工程表は必要な工程の種類に合わせて作成する。例えば、以下のような書式を準備しておくと便利である。

 この記述を踏まえて清水読本を読み直すと、〈第二〉も〈第三〉も「順接のガ、」だろう、って気がする。まあ、あまり厳密に考えてもしょうがないか。
「逆接のガ、」が長い文の中に出てきたときには、分割して逆接の接続詞を使ったほうがいい。〈短い文であれば、逆接の「が」を使っても特に問題はない〉ことは、前にも書いたとおりだ。
 一方、「順接のガ、」はできるだけ避けて、文を分割したほうがいい。ここで見た【修正文】では〈例えば〉を使っているガ、どんな接続詞を使うのかはケース・バイ・ケースだ。接続詞を使わずに、単純に分割すればいいことも多い(この【修正文】も、接続詞の〈例えば〉はなくてもいいかもしれない)。分割しないで少し書きかえれば済むこともある。いずれにしても、「順接のガ、」は一文が短い場合でも避けるのが原則。一文が長い場合は避けるのが鉄則、ぐらいのことは書いてもバチは当たらないだろう。
 結論を書くと、一文が長い場合は「逆接のガ、」であっても「順接のガ、」であっても「ガ、」は極力使わないほうがいい、ってことになる。一文の中に「ガ、」が2回以上出てくるのは論外。「ガ、」を使う文が2つ続く、なんてのも避けたほうがいい。
 ここで「ガ、」の話は終わらせてしまえればラクなのだガ、そうはいかない。ここから先は相当メンドーな話になるので、覚悟してほしい(読み飛ばして先に進むって選択肢もある)。
「ガ、」には、基本的に「順接のガ、」と「逆接のガ、」の2種類がある。そのほかに、どちらとも考えにくい「曖昧のガ、」とでも呼ぶべきものがある。厳密にいうと、もうひとつ「仮定のガ、」とでも呼ぶべきものもあり、「雨が降ろうガ、ヤリが降ろうガ、……」のような使い方をする。この「仮定のガ、」はホントに特殊なもので、めったに出てこない。書きかえるのも簡単で、気に入らないなら「雨が降っても、ヤリが降っても、……」とでもすればいい。
 では、「曖昧のガ、」がどんなものなのか、例をあげて見てみよう。

1)意味的には逆接の「曖昧のガ、」
【原文1】
 考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
 この「ガ、」が「順接のガ、」ではないことは明らかだ。じゃあ「逆接のガ、」と考えて分割してみよう。
【書きかえ文1】
 考えがまとまりきっていない。しかし、書いてみよう。
 分割した2つの文が短すぎて不自然に感じられるので、「逆接のガ、」と考えるのも無理がありそうだ。ただし、意味的には「逆接のガ、」とほとんどかわらないことは、少し書きかえるとハッキリする。
【原文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていないガ、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
【書きかえ文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていない。しかし、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 このように「ガ、」の前後が長くなると、フツーの「逆接のガ、」になる。どうやら、「ガ、」の前か後ろかが短いと、「逆接のガ、」のように分割すると不自然になるらしい。文全体はソコソコ長くても、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと、「逆接のガ、」が「曖昧のガ、」になってしまう。次の【原文3】と【原文4】で確認してほしい。
【原文3】(「ガ、」の後ろが短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 この問題に関してはいろいろな例外もあり、単純に見えて意外に複雑なので考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
【原文4】(「ガ、」の前が短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 考えがまとまりきっていないガ、この問題に関していくつかの例を示しながら現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 ただし、この【原文3】と【原文4】は人工的に作った「例」で、実例はあまり見かけない。数少ない実例に出合ったら、文全体があまりにも長くなるときだけ、書きかえればいい。「ガ、」の部分で分割して、短いほうに少し言葉を加えればいいだろう。

2)意味的には順接の「曖昧のガ、」
「順接のガ、」も、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと分割するのがむずかしくなり、「曖昧のガ、」になってしまう。たいていの場合は、ちょっと書きかえれば「ガ、」を消すことができる。しかし、書きかえ方はケース・バイ・ケースなので、簡単には説明できない。いちばん一般的なのは、「~に対する私の意見だガ、……」「次に~についてだガ、……」みたいな用法。この場合は、「だガ、」を「は、」にすればいい。
 問題は、簡単には書きかえることができないケースだ。たとえば、前に「第2章3」で作った次の文にも、2)の「曖昧のガ、」が使われている。
【原文5】
 やってみればわかるガ、「天声人語」の文章みたいになる。
 前に見たように、接続詞を使わずに単純に分割できなくはないガ、かなり言葉足らずになる。「曖昧のガ、」を避けたいのなら、次のように書きかえることになる。
【書きかえ文5-1】(最小限の書きかえで「ガ、」を消した例)
 やってみればわかるように、「天声人語」の文章みたいになる。
【書きかえ文5-2】(大幅に書きかえて「ガ、」を消した例)
 (実際に)やってみると、「天声人語」の文章みたいになることがわかる。
 できれば書きかえが最小限の【書きかえ文5-1】をすすめたいガ、なんかヘンな気がする。【原文5】のままか、【書きかえ文5-2】のほうが自然だろう。
 2)の「曖昧のガ、」は、いろんな形があり、使わないことを徹底するのはむずかしい。「とてもじゃないガ、説明できない。」なんて文になると、無理に書きかえるとニュアンスが大きくかわってしまう。
 1)も2)も簡単には分割できない。書きかえるのもむずかしそうなら、「曖昧のガ、」を使うほうが自然だろう。ただ、ひとつだけ気をつけたほうがいいことがある。1)と2)の「曖昧のガ、」は、文頭に「前置き」みたいなニュアンスのことを書くときに使うことが圧倒的に多い。使った場合は、後ろがあまり長くならないようにすること。この点にさえ注意していれば、さほど神経質になる必要はない。

3)逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
 まったく別の「曖昧のガ、」の例もある。「逆接のガ、」とも「順接のガ、」とも考えにくいものを全部まとめて「曖昧のガ、」なんて呼んでいるから、こういうことになる。
【原文6】
 小林はクリームパンを食べたガ、中村はカレーパンを食べた。
 この「ガ、」は「逆接のガ、」とも「順接のガ、」とも考えられる。それぞれの形に書きかえてみよう。
【書きかえ文6-1】(「逆接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。しかし、中村はカレーパンを食べた。
【書きかえ文6-2】(「順接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。そして、中村はカレーパンを食べた。
 なんでこんなことになるのかはわからない。さすが「曖昧のガ、」ってことにしておこうか。どちらの意味になるのかは、文脈しだいだ。文脈しだいでどちらにもとれるのはやはりわかりにくい文なので、避けたほうがいい。使うとしたら、文脈で明らかに逆接とわかる場合に限るべきだ。順接の意味なら、「食べたガ、」ではなく「食べ、」ぐらいにしておけばいい。3)の「曖昧のガ、」に関しては、これが最も基本的な対処法だ。もちろん、文を分割する方法もある。
 これ以上ウダウダ書いているとなんの話をしているかわからなくなるので、清水読本の話に戻る(もう手遅れかな)。

 本書では、「ガ、」の曖昧さを示すために次の例をあげ、両方が成り立つとしている。
  1)彼は大いに勉強したガ、落第した。
  2)彼は大いに勉強したガ、合格した。
 この例文をそのまま引用している文章読本を見ることがあるガ、そんなに好例とは思えない。1)が「逆接のガ、」で、2)が「順接のガ、」なんだろう。「ガ、」が逆接にも順接にも使えるのはたしかだガ、2)は日本語としてヘンなのでは。自然な日本語にするには、もう少しヒネる必要がある。
  1)-2 彼はすべてを犠牲にして勉強したガ、その努力はムダになった。
  2)-2 彼はすべてを犠牲にして勉強したガ、その努力はムダではなかった。
 ここまで変形してしまうと、2)-2は「順接のガ、」ではなくなってしまう気がする。先に見た例と同様で、2通りの書きかえができる。
【書きかえ文2)-2-1】(「逆接のガ、」と考えた場合)
 彼はすべてを犠牲にして勉強した。しかし、その努力はムダではなかった。
【書きかえ文2)-2-2】(「順接のガ、」と考えた場合)
 彼はすべてを犠牲にして勉強した。そして、その努力はムダではなかった。
 やはり2)-2は、逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」と考えるべきだろう。ただし、この場合は順接にするために「基本的な対処法」を使うのはむずかしい。「勉強したガ、」を「勉強し、」にすると、ちょっとヘンだ。次のように書きかえることになる。
【書きかえ文2)-2-3】(「順接のガ、」と考えた場合)
 すべてを犠牲にして勉強した彼の努力は、ムダではなかった。
 とにもかくにも、一文が長いときには「ガ、」を使わないほうがいい、ってことは間違いない。一文がさほど長くなくても、意味が曖昧になるときには「ガ、」は極力使わないほうがいいのだろう。書いているほうも頭が痛くなってきたので、とりあえず「ガ、」の話からは離れる(あとでもう少しだけ書くが)。
================================

 さらに病状は悪化する。
 次は、野口悠紀雄『「超」文章法』の読書感想文から。

================================
【引用部】(一部の表記をかえている)
「曖昧接続の『……が』を使うな」という忠告がある。「曖昧のガ、」とは、つぎの文中の「ガ、」のようなものである。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。頭のよい人は必ず遅いというなら、この
  「ガ、」は〈しかし〉の意味になるガ、そうとも限らない。
「曖昧のガ、」を使うと、論理関係がはっきりしなくとも文を続けられる。そこで、非常に頻繁に使われる。
「作文の際の留意事項だガ、最も重要なのは、曖昧表現しないことだ」
というように。
「〈曖昧のガ、〉を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧のガ、」をまったく使わずに本を一冊書いたことがあるガ、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。ただし、一つのパラグラフに三度以上は現れないようにしたい。
 私が初めて「〈曖昧のガ、〉を使うな」という注意に接したのは、清水幾太郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧のガ、」が何度も出て来る。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だガ、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難のわざだ。(p.210~211)

 お待たせしました。「曖昧のガ、」の話の続きです(誰も待っちゃいないか)。
 引用部の最後から2行目の「簡単だガ、」の「ガ、」に傍点がついているのは、「このように」ぐらいの意味だろう。残念でした。これは「曖昧のガ、」ではなく、「逆接のガ、」の可能性が高い。フツーに「。しかし」に書きかえられる。数行前の「書いたことがあるガ、」の「ガ、」は、意味的には順接の「曖昧のガ、」。書きかえるなら、「書いたところ、」ぐらいか。
 本書はこういう「技」をいくつか使っているガ、ここはちょっとスベったみたい。文章読本の中では、このテの「技」をよく見かける。気持ちはわかる。あんなシンキ臭い文章を書いていると、少しは息抜きもしたくなるって。なかには、盛大にスベっている例もある。ユーモアをはき違えてる例も多い。そんなことをしなくても、大丈夫なのにね。大マジメに書いてギャグになってるとこがたくさんあるんだから。
 さて、「曖昧のガ、」の話だ。引用部の例文には、「ガ、」が3回出てくる。

1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。

2)よく使われるガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
 1)で見たものとはちょっとタイプが違うガ、やはり逆接・順接のどちらにもとれる。「ガ、」を「。しかし、」に書きかえれば逆接になる。1)と違い、順接と解釈して「。そして、」に書きかえるとヘンになる。「。」に書きかえるなら、少しマシかもしれない。次のように書きかえれば、もう少しマシになる。
【修正案】
「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現でよく使われる「ガ、」は、明確な意味を持たない。

3)意味になるガ、→意味的には逆接の「曖昧のガ、」
 ちなみに、「作文の際の留意事項だガ、」の「ガ、」は、意味的には順接の「曖昧のガ、」。この場合は、「だガ、」を「は、」にすると、直後の「重要なのは、」と「は、」が重複するのでヘンになる。書きかえるなら、「のなかで」(もしくは「として」)ぐらいか。
 こうやって例をあげて考えていくと、「曖昧のガ、」の話はやはり相当むずかしい。あまり深入りしないほうがいいのかもしれない。
 それはさておき、最後の一文は、すべての文章読本の書き手が肝に銘ずるべき至言。
〈「私がするとおりにせよ」と示す〉ことを少しでも意識してくれたら、もうちょっとわかりやすい文章になると思う。自分でも守れないようなムチャな心得を、ズラズラと並べたてたりもしないはずだ。
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【続きは】↓
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2374.html
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3164.html

 やはりどうしたって下記あたりと関連してくるんだろうな。
【第2章2】接続詞
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-76.html
【第2章3】一文の長さ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-80.html
【第2章4】句読点の打ち方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html


■総索引&文章の書き方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html



「ガ、」の修辞学〈2〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年04月23日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1839875398&owner_id=5019671

 下記の続き。
【「ガ、」の修辞学】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-915.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1364668143&owner_id=5019671

 Yahoo!知恵袋の質問に答えたところ、【補足】の質問をいただいた。
 いろいろ考えるところがあり、改めて「曖昧のガ、」について考えてみたい。
【やっぱり曖昧接続の「ガ」が分かりません……。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1285892422
================================引用開始
2つ目は微妙です、とはどういうことです? ブログでは『逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」』と記載。私も2つ目の「ガ」を、逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」だと、理解し納得しました。
ブログを拝見して納得がいかないことは→意味的には逆接の「曖昧のガ、」とか意味的には順接の「曖昧のガ、」という概念です。意味的に逆接とか順接とか分かれば、それはもう「曖昧のガ、」ではなく、逆接であり順接だと。
================================引用終了

 基本的な考え方として、接続助詞の「ガ、」の働きは「逆接のガ、」と「順接のガ、」の2種類に大別できることを前提にしたい。この考え方している書籍を目にすることがある。気になる人は↑の【「ガ、」の修辞学】を参照してほしい。あるところで「逆接」や「順接」は術語(専門用語)だという指摘を受けたが、当方は専門家ではないのでそんなに厳密な意味では使っていない。フツーの辞書に出ている程度の意味で使っている。
 ただ、細かく見ていくと、文脈によって「逆接」にも「順接」にもなるものがある。これは「曖昧のガ、」などと呼ばれる。
 通常はこの3分法でいいと思う。
 当方は書きかえ案を考えることを重視しているので、機械的な書きかえのできないものも「曖昧のガ、」にしている。【「ガ、」の修辞学】では暫定的に「曖昧のガ、」を3つに分けている。こう考えたほうが「ガ、」のもつ曖昧さを排除してわかりやすい文に書きかえるにはわかりやすと思うからだ。
 ……この分類法自体を見直す必要があるかもしれない。

【補足】の質問について考えてみる。質問は2つあるようだ。
  質問1)2つ目は微妙です、とはどういうことです?
「2つ目」とは、【「ガ、」の修辞学】で引用した下記の例文の「使われるガ、」のこと。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。
 これは質問者の理解で間違いない。〈逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」〉だろう。ただ、「。しかし、」にはできても「。そして、」にはしにくい。【「ガ、」の修辞学】にも下記のように書いた。
================================引用開始
「。そして、」に書きかえるとヘンになる。「。」に書きかえるなら、少しマシかもしれない。次のように書きかえれば、もう少しマシになる。
【修正案】
「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現でよく使われる「ガ、」は、明確な意味を持たない。
================================引用終了
 書きかえの法則から外れる(理由は不明)ので、〈逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」〉とはちょっと違うと判断したので「微妙」という書き方をした。
 3分法なら、「曖昧のガ、」で問題はない。

質問2)意味的には逆接の「曖昧のガ、」とか意味的には順接の「曖昧のガ、」という概念です。意味的に逆接とか順接とか分かれば、それはもう「曖昧のガ、」ではなく、逆接であり順接だと。
 これも質問者の理解で間違いない。「分類」を重視するなら、そのとおりだと思う。
 ただし、「書きかえ方」を重視するなら、機械的に「。しかし、」にかえられる「逆接のガ、」と、〈意味的には逆接の「曖昧のガ、」〉は分けて考えるほうがいい気がする。〈意味的には順接の「曖昧のガ、」〉も同様。


●Web辞書『大辞林』の記述から
 基本に戻って、接続助詞の「ガ」について辞書を確認する。『大辞泉』の記述は言葉足らずの気がするので、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8C&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=102907300000&pagenum=1
================================引用開始


2 (接助)
1 の用法から転じてできたもので、院政時代から見られる。現代語では終止形、古語では連体形に、それぞれ接続する。
[1] 前置き・補足的説明などを後に結びつける。
  次に予算の件です―、重要なので今日中に決めてください
  御存じのことと思います―、一応説明します
[2] 二つの事柄を並べあげる場合、時間的前後・共存など、それらの時間的関係を表す。
  驚いて外に飛び出した―、何事もなかった
  しばらく見ていた―、ふっといなくなった
[3] 対比的な関係にある二つの事柄を結びつけ、既定の逆接条件を表す。けれども。
  学校へ行った―、授業はなかった
  君の好意はうれしい―、今回は辞退する
[4] どんな事柄でもかまわない、の意を表す。「…うが」「…まいが」の形をとる。
  どうなろう―知ったことではない
  行こう―行くまい―、君の勝手だ
================================引用終了
[4]はちょっと違う用法なのでパス。
[1]~[3]の例文を逆接と順接の観点で見てみる。「逆接・順接のどちらにもとれる」ものを「逆接or順接」と表記する。

  [1]-1 次に予算の件です―、重要なので今日中に決めてください→順接
  [1]-2 御存じのことと思います―、一応説明します→逆接
  [2]-1 驚いて外に飛び出した―、何事もなかった→逆接
  [2]-2 しばらく見ていた―、ふっといなくなった→逆接or順接
  [3]-1 学校へ行った―、授業はなかった→逆接
  [3]-2 君の好意はうれしい―、今回は辞退する→逆接

 ちょっと意外に思ったことがある。
 まず、[1]の意味で逆接があったこと。このテの「前置き」は順接が多い印象だった。[1]-1が典型だし、[1]-2も「御存じのことと思いますガ、昨年の業績は最悪でした」なら、ありがちな(前置きの)順接になる。
 いままで確認している逆接or順接は、かなり特殊な形だと思っていた。[2]-2を見るに、逆接or順接の例はほかにもありそうだ。
[3]の例文はちょっと疑問。これって「対比的な関係」なんだろうか。「対比的な関係」の典型は「昨日は雨だったガ、今日は晴天だ」あたりでは。


●「ガ、」の種類の判定法
 接続助詞の「ガ、」が逆接か順接かを判断するのに、当方は安直な方法を使っている。
  「。しかし、」にかえられるもの→逆接
  「。そして、」にかえられるもの→順接

 この判定法で大半の例に対応できる。
[2]-2が逆接&順接であることも確認できる。どちらになるのかは、例によって文脈しだいなんだろう。ただ、この場合、それぞれがふさわしい文脈が想定しにくい気もする(詳細は後述)。
  しばらく見ていた。しかし、ふっといなくなった
  しばらく見ていた。そして、ふっといなくなった

「逆接のガ、」でも「順接のガ、」でもないものを、当方は「曖昧のガ、」と呼んでいる。接続助詞の「ガ、」の大半は「逆接のガ、」か「順接のガ、」で、まれに「曖昧のガ、」があるってことだと思う。「曖昧のガ、」のうちでわかりやすいのが逆接or順接の「ガ、」。
 この3分法でいいと思うが、厳密に言うとどれにも属さない例がある。
 ↑の例文で言うと、[1]-1。ここで使われている「ガ、」は、意味的には順接なのだが「。そして、」にはしにくい。これを当方は〈意味的には順接の「曖昧のガ、」〉と呼んでいる。同様に〈意味的には逆接の「曖昧のガ、」〉もある。このあたりは【「ガ、」の修辞学】に書いた。こちらはピンポイント(これで?)なので転載する。
================================引用開始
1)意味的には逆接の「曖昧のガ、」
【原文1】
 考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
 この「ガ、」が「順接のガ、」ではないことは明らかだ。じゃあ「逆接のガ、」と考えて分割してみよう。
【書きかえ文1】
 考えがまとまりきっていない。しかし、書いてみよう。
 分割した2つの文が短すぎて不自然に感じられるので、「逆接のガ、」と考えるのも無理がありそうだ。ただし、意味的には「逆接のガ、」とほとんどかわらないことは、少し書きかえるとハッキリする。
【原文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていないガ、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
【書きかえ文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていない。しかし、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 このように「ガ、」の前後が長くなると、フツーの「逆接のガ、」になる。どうやら、「ガ、」の前か後ろかが短いと、「逆接のガ、」のように分割すると不自然になるらしい。文全体はソコソコ長くても、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと、「逆接のガ、」が「曖昧のガ、」になってしまう。次の【原文3】と【原文4】で確認してほしい。
【原文3】(「ガ、」の後ろが短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 この問題に関してはいろいろな例外もあり、単純に見えて意外に複雑なので考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
【原文4】(「ガ、」の前が短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 考えがまとまりきっていないガ、この問題に関していくつかの例を示しながら現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 ただし、この【原文3】と【原文4】は人工的に作った「例」で、実例はあまり見かけない。数少ない実例に出合ったら、文全体があまりにも長くなるときだけ、書きかえればいい。「ガ、」の部分で分割して、短いほうに少し言葉を加えればいいだろう。
================================引用終了


●gooの「類語辞書」の記述
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17237/m0u/
================================引用開始
〔が〕▽(1)雨が降ってきましたが、試合は続行します▽(2)天気はよいが、風が冷たい▽(3)ここだけの話だが、彼は秋に結婚するそうだよ

【2】「が」は、一般にもっぱら逆接を表わす接続助詞のように思われがちであるが、接続助詞の「が」は格助詞の「が」から発達したもので、本来は順接とか逆接には関わりのない接続関係を表わす。したがって、現代語でも逆接の確定条件(例文(1))のように、前件と後件が特別な因果関係にあることを表わす用法だけではなく、前件と後件とを対比・対照させていることを表わす用法(対比・対照。例文(2))や、後件の断り書きのように前件を提示して後件に接続させる用法(単純接続。例文(3))などがある。そのほかにも、「顔もいいが性格もいい」のような順接の並列や、「課長でしたらもう帰りましたが」のような終助詞的な用法もある。
================================引用終了
 終助詞を別にすると、「ガ、」には4つの働きがあるとしている。
 ↑の『大辞林』の分類と比べると微妙に食い違って気持ちが悪い。やっぱりちゃんとした文法辞典を調べたほうがいいのかな?
 見比べると、gooの「類語辞書」の分類のほうが適切な気がするので、『大辞林』の例文をこちらに合わせる。
  A逆接の確定条件
  A-1 雨が降ってきましたガ、試合は続行します→逆接
  [1]-2 御存じのことと思いますガ、一応説明します→逆接
  [3]-1 学校へ行ったガ、授業はなかった→逆接(対比ではないだろう)
  [3]-2 君の好意はうれしいガ、今回は辞退する→逆接(対比ではないだろう)
  [2]-1 驚いて外に飛び出したガ、何事もなかった→逆接
  B対比・対照
  B-1 天気はよいガ、風が冷たい→逆接
  C単純接続
  C-1 ここだけの話だガ、彼は秋に結婚するそうだよ→順接
  [1]-1 次に予算の件ですガ、重要なので今日中に決めてください→順接
  [2]-2 しばらく見ていたガ、ふっといなくなった→逆接or順接
  D順接の並列
  D-1 顔もいいガ性格もいい→逆接or順接

 分類の名称が本当に適切か否か、個々の例文の分類が本当に適切か否か、当方には見当もつかない。それは学者の仕事だろう。当方の主目的は、文章を書くときに「ガ、」の曖昧さを排除すること。
「A逆接の確定条件」と「B対比・対照」の例文は、どれも「。しかし、」にかえられるから、「逆接のガ、」。
「C単純接続」は、通常は順接。前置きなどに出てくることが多い。ただ、[2]-2がなぜ逆接or順接になるのかわからない。
「D順接の並列」は呼称がヘンだろう。これは【「ガ、」の修辞学】で見た〈彼は頭はよいガ、走るのも速い〉と同様で、逆接or順接の形。順接になるか逆接になるかは文脈次第だと思う。
================================引用開始
1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。
================================引用終了

 課題がいくつか残ってしまった。ネットで閲覧できる辞書類の限界なのかもしれない。こういうことを細かく分析するがするほど学者の仕事に近づき、本来の目的から離れるような……。
課題1)「昨日は雨だったガ、今日は晴天だ」は逆接or順接なのかもしれない
※「対比・対照」は基本的には逆接だが、少し特殊な文脈をつくれば順接にできることもある。
課題2)「対比・対照」と「並列」っはどう違いのか
※逆接なら「対比・対照」で、順接なら「並列」なのかもしれない。
課題3)[2]-2がなぜ逆接or順接になるのか
課題4)分類のしかたの再検討
課題5)あのとき話した例の書類だけど、見つからないの
※「順接のダケド、」もあるのね。これを「ガ、」にすると、接続助詞ではなく格助詞になりそう。先祖帰り?



「ガ、」の修辞学〈3〉
──「ガ、」の修辞学 外伝

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

mixi日記2014年11月13日から

 直接的には下記の続きだろうな。
110)【「ガ、」の修辞学】2009年12月16日
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-915.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1364668143&owner_id=5019671

757)【「ガ、」の修辞学〈2〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2374.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1839875398&owner_id=5019671

 テーマサイトが2つある。
テーマサイト1)【「山田ですが」 の 「が」 は 「but」?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8723742.html
 ここから下記が派生?している。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137332810/a343140381

テーマサイト2)【ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、ドーピングは良くないことだ。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12138129092

 まずテーマサイト1)のベストアンサーから転載する。
==============引用開始
日本語の接続助詞の「が」(「が」と「け(れ)ど(も)」を一緒にして「が・けど類」とも呼ばれます)は、

1.逆接・対比
2.並列・累加
3.主題の提示
4.補足説明・前置き
5.注釈
6.言い切り回避

といった用法があります。(これ以外にも、あると言っている人もいます)
「山田ですが、田中さんはいらっしゃいますか?」の「が」は、4の補足説明・前置きの用法ですね。
==============引用終了

 出典が知りたい。文法辞典だとこういう書き方になるのだろうか。
 疑問もある。
「3.主題の提示」は、一般には主格(厳密には違う)を示す格助詞の「が」だろう。
「僕が食べました。」「天気がいい。」……etc.
「6.言い切り回避」は、文末の「が」だろう。これも格助詞かな。
「そんな気もするのですが……。」……etc.
 接続助詞の「が」は次の3つに絞れるのでは。
1.逆接・対比
2.並列・累加
4.補足説明・前置き

 これが当方の従来の分類だと下記の3つになる。
「逆接のガ、」
「順接のガ、」
「曖昧のガ、」
 このうち「曖昧のガ、」は、やはり2つに分けたほうがよさそうだ。新たな分類。
1)「逆接のガ、」(「。しかし、」に書きかえられる)
2)「順接のガ、」(「。そして、」に書きかえられる)
3)「曖昧のガ、」(「。しかし、」にも「。そして、」にもしにくい)
4)「両義のガ、」(文脈しだいで「。しかし、」にも「。そして、」にもなる)
 一般的な呼称に当てはめると、「順接のガ、」は「並列・累加」とか「単純接続」になる。
「曖昧のガ、」は「補足説明・前置き」だろう。
「両義のガ、」の典型は110)【「ガ、」の修辞学】でひいた『「超」文章法』の例文がわかりやすい。「彼は頭はよいガ、」が「両義のガ、」になる。
==============引用開始
【引用部】(一部の表記をかえている)
「曖昧接続の『……が』を使うな」という忠告がある。「曖昧のガ、」とは、つぎの文中の「ガ、」のようなものである。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。頭のよい人は必ず遅いというなら、この
  「ガ、」は〈しかし〉の意味になるガ、そうとも限らない。
「曖昧のガ、」を使うと、論理関係がはっきりしなくとも文を続けられる。そこで、非常に頻繁に使われる。
「作文の際の留意事項だガ、最も重要なのは、曖昧表現しないことだ」
というように。
「〈曖昧のガ、〉を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧のガ、」をまったく使わずに本を一冊書いたことがあるガ、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。ただし、一つのパラグラフに三度以上は現れないようにしたい。
 私が初めて「〈曖昧のガ、〉を使うな」という注意に接したのは、清水幾太郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧のガ、」が何度も出て来る。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だガ、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難のわざだ。(p.210~211)

(略)

1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。
==============引用終了

「よく使われるガ、」も「両義のガ、」の一種だと思うが、話が長くなるのでパスする。
 で、やっとテーマサイト2)の話になる。
 まず全文をひく。
==============引用開始
① ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、ドーピングは良くないことだ。
② 以前から思っていたが、ローラはとても可愛い。
③ 大げさかもしれないが、私は人生の殆どを棒に振ってしまった。
④ どこのどいつだか知らないが、舐めた真似をしてくれるもんだぜ。
⑤ 昨日も言いましたが、体調管理をしっかりして下さい。
⑥ 昨日出された宿題ですが、全部解き終わりました。
⑦ 同じ中学に通ってたから分かるんだが、彼の身体能力は凄い。

①〜⑦の文章の「が」はここでは逆接の働きをしてるのではなく、単純に文と文を接続してるんですよね?
もし、上の文章の中に逆接の「が」があるのなら指摘をお願いしますm(._.)m
==============引用終了

 基本的にはすべて「順接のガ、」(単純接続)でいいと思う。しかし、やや苦しくても前後の文脈(重言)をによっては「逆接のガ、」になりそうなものもある。少し言葉を加えてみるとわかる。
①ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、(いずれにしても)ドーピングは良くないことだ。
「いずれにしても」を入れると、「が、」は「。しかし、」にできる気がする。
②ハーフの芸能人はどこか作り物っぽくて好きになれない。(そう)以前から思っていたが、ローラはとても可愛い。
 これだと「逆接のガ、」だろう。
③その出来事が、私の人生観をメチャクチャにした。(そこまで言うと)大げさかもしれないが、(その出来事のせいで)私は人生の殆どを棒に振ってしまった。
 これだと「逆接のガ、」だろう。
④(こんなことをしでかしたのが)どこのどいつだか知らないが、舐めた真似をしてくれるもんだぜ。
 これは原文のままでも「逆接のガ、」になりそう。要は前半が言葉足らずのため「曖昧のガ、」(前置き)っぽくなっているのでは。
⑥昨日出された宿題(は常識では考えられないような量)ですが、全部解き終わりました。
 これは原文のままでも「逆接のガ、」になりそう。要は前半が言葉足らずのため「曖昧のガ、」(前置き)っぽくなっているのでは。

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●出版とネットをめぐるあれこれ──お品書き(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-468.html

●朝日新聞から
【 朝日新聞から総索引(2002年~)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html

●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

●文章の書き方
【お品書き】 (総索引)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-458.html

【第1章1】文章の種類
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-136.html
【第1章5】「ウマい文章」の正体
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1328.html
【第2章2】接続詞
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-76.html
【第2章3】一文の長さ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-80.html
【第2章4】句読点の打ち方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
【第2章5】比喩の使い方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-133.html
【第3章】本多勝一『日本語の作文技術』朝日文庫
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1216644933&owner_id=5019671

【板外編1】「~たり」の使い方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-278.html
【板外編2】読点と使い方の2つの原則と6つの目安
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
【板外編3】文語調の表現は避ける
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-43.html
【板外編4】「ラ抜き言葉」を防ぐ方法
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-96.html
【板外編5】──重言の話3
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
【板外編7-2】デス・マス体が書きにくいワケ2
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-745.html
【板外編7-3】デス・マス体が書きにくいワケ3
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-350.html
【板外編8】常用漢字表の話
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1189.html
【板外編9】文法はお好きですか?──そんな物好きな人はいません
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1207215683&owner_id=5019671
【板外編9-2】文法はお好きですか?──やっぱりどう転んでも嫌いです
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1214701456&owner_id=5019671
【板外編10】体言止めの使い方(2009年11月06日)
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【板外編11】新死語──使いにくくなった言葉たち(2009年12月11日)
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【板外編12-1】最上級がらみの誤用──「もっとも〇〇な~のひとり」etc. 2009年12月28日
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-935.html
【板外編12-2】最上級がらみの誤用──「最も適切なものを下記のなかから選びなさい」2010年02月11日
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【板外編13】「ように+否定形」の話 2010年04月30日
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273)【【板外編14】接続詞の使い方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1442.html
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429)【板外編15】デス・マス体の文末に変化をつける方法
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1830.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1681371202&owner_id=5019671
360)【拡散希望】(笑)天下のNHKにパクられたかもしれない2 【板外編15】「カラ」と「ニ」の話
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365)伝言板【あとがき】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1643357832&owner_id=5019671


【「~だ」と「~である」はどう違うか】(2009年08月02日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1243594308&owner_id=5019671
【「~だ」と「~である」はどう違うか2──やわらかい感じがする文章を書くために】(2009年09月02日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1272091106&owner_id=5019671

【若干批判的な記述を含むモロモロ お品書き】
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●保険会社との泥試合の発端はここ(2008年3月1日) 諸般の事情で一部封印中。
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●短め目(?)のユーモアをお望みのかたへ
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