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突然ですが問題です【日本語編253】──金がない 貧乏で情けない 金なんか要らないわけではない

 下記の仲間。
【突然ですが問題です お品書き〈5〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930761341&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【17】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950899196&owner_id=5019671

【問題】
 下記の(な)を漢字にしなさい。できないもの、しにくいものは、理由を書きなさい。

1)金が(な)い
2)貧乏で情け(な)い
3)金なんか要ら(な)い
4)金なんか要らないわけでは(な)い




【解答?例】
 辞書的には……。
1)金が無い
2)貧乏で情けない
3)金なんか要らない
4)金なんか要らないわけでは無い

【よくわからない解説】
 一般的には全部ひらがなでしょうね。
 詳しくは下記をご参照ください。
1250)【「ない」「無い」「ありえない」「可能性が無い」表記の話17 辞書】→表記の話22扱い
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3123.html
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突然ですが問題です【日本語編87】──AとBを持っている AとBとを持っている」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【7】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1789673749&owner_id=5019671

mixi日記2011年12月19日から



【問題】
 下記の文に関して【問】に答えなさい。
  AとBを持っている。

【問1】
「AとBを持っている。」は通常、〈「A&B」を持っている〉という意味でしょう。無理矢理別の解釈をしなさい。

【問2】
「AとBを持っている。」は「AとBとを持っている。」の2つ目の「と」が省略されたものと考えられます。
 同様に並立表現で2つ目の助詞(的なもの)を省略できる例をあげなさい。

  例
  肉か魚(か)を選びなさい。
  ※ちょっと苦しいか?




【解答?例】&【よくわからない解説】

【問1】
BというものをAさんと共有している。

【問2】
 並列助詞はいろいろあるが、後ろを省略できるか否かという観点で3つに分類できるだろう。下記の1)と2)は省略できそう。
  1)省略するのがフツー や/に
  2)両方OK      と/か/やら/とか
  3)省略できない    なり/だの/も/だか/の 

  焼酎やワインを飲みました。
  焼酎にワイン、といろいろ飲みました。
  焼酎とワイン(と)を飲みました。
  焼酎かワイン(か)を飲みませんか。
  焼酎やらワイン(やら)を飲みました。
  焼酎とかワイン(とか)を飲みました。

 主題文に秀逸なコメントをもらって戸惑っている。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「AとBを持っている」と「AとBとを持っている」教えて!goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2251.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1805558165&owner_id=5019671

読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

 いろいろ加筆しました。
【改訂版】は下記です。
【改訂版】 読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3421.html


mixi日記2012年06月25日から

 以前感想文を書いた『敬語再入門』の親本とも言える一冊。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

 Amazonのデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4061592688
『敬語再入門』に比べると、体系立てて書いてあり、網羅的な記述になっている。
 簡単に言うと、『敬語』が敬語全般を語っているのに対して、『敬語再入門』は要点だけをアトランダム(でもないんだけど)に書いている。
 うんと大雑把に言うと、前者は学術書に近い印象があり、後者はハウツー本に近い印象がある。予想していたことではあるが、当方のように敬語にうとい人間にとっては、後者のほうがとっつきやすい。
 データ的なことを書いておく。
『敬語』   :1997年2月10日第1刷発行
『敬語再入門』:2010年3月10日第1刷発行
『敬語』の原本は1994年角川書店から刊行され、95年度の「金田一賞」を受けている。しかし、角川では一度重版がかかったきりで絶版。講談社学術文庫で再刊されている。
『敬語再入門』の原本は1996年に丸善ライブラリーから刊行。
 ちなみに『敬語』の第1刷は1170円+税だった。当方が購入したのは第14刷で1400円+税。
 これを「けっこう売れている」と考えるか「意外に売れていない」と考えるか。この内容を考えると、もっと爆発的に売れてもおかしくない。とくに昨今のように敬語に関するホニャララな説が流布するなら、こういう書籍の需要が高くなるはずなんだけど……。
 本書がどれほど本格的な書き方をしているのかは、目次を見ただけでわかる。

I章 ことばを使い分ける 29
II章 敬語のあらまし 89
III章 敬語の仕組み使い方──その一 いわゆる尊敬語 114
IV章 敬語の仕組み使い方──その二 いわゆる謙譲語 254
V章 敬語の仕組み使い方──その三 いわゆる丁寧語 354
VI章 敬語の仕組み使い方──その四 全体に関すること 378
VII章 敬語の編か・誤り・将来をめぐって 410

 具体的な話に入るまでに100ページ以上ある。これだけで薄めの文庫本くらいのボリュームがある。全部で500ページ近くあり、半分も読むと満腹感がある。実際には半分では尊敬語の話が終わるくらい(泣)。


【引用部】
意気込みとはうらはらに、思わぬ不備などがあれば、ぜひご叱正をお願いしたい。(P.7)
 敬語とは関係のない話。「ご叱正」ってMAX敬語で初めて見た言葉。文章に関する記述なので、申し分なく正しい(笑)。

【引用部】
この中では丁寧な「あなた」という語も、実は、目上などに対してはそもそも使いにくいところがあり、「社長」「先生」のような職名などで呼ぶとか「○○さん」と呼ぶようなことも多い。(P.32)
 なぜ「あなた」は目上には使いにくいのか。ほかにどんな二人称が使えるのか。そのあたりをちゃんと書いてくれないかなぁ……と無理を承知で書いてみる。

【引用部】
 《改まり》の例としては、ほかに「今日(きょう)」に対する「本日」、「さっき」に対する「先程」などもあげられる。概(がい)して、和語よりも漢語のほうが改まった趣が出る傾向があり、本書冒頭の例で「開けたら」より「開封後は」のほうが改まった感じがするのもその一例である。(P.38)
 これが一般的な解釈だろう。和語のほうが敬度が高いとか、忌み言葉や女房言葉のほうが敬度が高いなんてことはない。ただ、まともな学者は「漢語のほうが敬度が高いからMAX敬語」なんてバカなことは断言しない(黒笑)。

【引用部】
 〈相手に何か頼むとき、相手の意向を尋ねる形の表現のほうが、普通の依頼の表現よりも、相手を立てる(→丁寧な)表現となる〉ということもいえる。具体的には、相手に何らかの行為を求める場合には、「……してくれる(くださる)?」と尋ねるほうが「……してくれ」(ください)」とストレートに頼むよりも、あるいは「……してもらえる(いただける)?」と尋ねるほうが「……してほしいんだけど」と頼むよりも、概してやわらかい感じがする。また、自分が何かをしたいときには、「……していい?」と尋ねるほうが「……したいんだけど」と述べるよりも、やわらかいだろう。
(中略)
 さらに、〈意向を尋ねる形をとって頼む場合、否定疑問形のほうが肯定疑問形よりも丁寧な感じがする〉ということも、概していえそうである。「……してくれない?/くれませんか?」のほうが「……してくれる?/くれますか?」より、また「……してもらえない?/もらえませんか?」のほうが「……してもらえる?/もらえますか?」より、やわらかいであろう。
(中略)
 このことも含めてさらに一般的には、〈間接的・婉曲な述べ方のほうが直接的な述べ方よりもやわらかい(→丁寧な)印象を与える〉という傾向がある。「お早くお召し上がりください」より「お早めにお召し上がりください」のほうが丁寧に響くのもその例である。(P.82~84)
 ものすごく基本的なことだと思うけど、こういう記述をちゃんと読んだ記憶がない。今後の引用の都合もありそうなのでメモしておく。

【引用部】
とくに日本語では「あなた」という語は使いにくい面があるので、一々主語を「私」だの「あなた」だのと言わなくても、それを敬語で紛れなく示すというのは──それだけの技量をもっている人は──、まことにスマートな敬語づかいといえるだろう。(P.101)
 このあたりは(P.32)の記述と微妙にリンクしているかも。

【引用部】
あそこの饅頭(まんじゅう)はうまいですね。(P.104)
 別に例文はなんでもいいのだから、あえて〈形容詞+です〉を出さなくてもいいものを。まあ、「ね」がついてるから許容範囲だけど。「おいしいです」とかにすればいいじゃない……と一瞬でも考えてしまった自分の間抜けさがイヤ。それじゃ同じことだって。

【引用部】
これは一つには、「ます」による丁寧語は誰でも簡単に使える(これに比べて、尊敬語を使いこなすのはさほど簡単ではない)という事情もあるかと思われるが、ともかく、ごく一般的には、(後略)(P.107)
 このあとも長く続くが、「二つ目」も「次に」は出てこない。この用法は丸谷才一に文章でも目にしたから、もはや許容なのかもしれない。なんだかなぁ。

 P.116に「特定形」という言葉が出てくる。「言う」が一般形で、「おっしゃる」が特定形ってこと。これからはこの言葉を使おうか。「不規則敬語」って好きだったんだけど。

【引用部】
もっとも三上氏は、旧軍隊では、士官(尉官)が将軍に向かって言う場合には上長官(左官)をも呼び捨てにするという伝聞を紹介しているのだが、少なくとも現代の企業などではあまり見られない習慣だろう。(P.127)
 この少し前には三上章のことを「氏は日本語の文法・敬語に関して大きな功績を残した研究者」と書いている。なんか気にかかる書き方だな。

【引用部】
そこで、敬語(普通レベルの敬度をもつ諸敬語)を使い慣れている人にとっては、レル敬語はいわば「安っぽい」「ぎこちない」敬語という位置づけになるのだが、一方、レル敬語の愛好者にとっては、「お/ご~~になる」は丁寧すぎてうるさい」と感じられることがあるらしい。感覚の個人差で、この辺が難しいところだが、要するに相手や場合によって使い分ければよいわけであろう。なお、ある種の書き言葉(たとえば書物や論文などの中)ではナル敬語は使いにくい(四四頁)といった面もある。
 ちなみに歴史的には、レル敬語は、東京の話し言葉では江戸時代にも明治にもわずかしか使われていなかったが、東京語以外の要素も取り入れながら標準語が制定されていく中で、東京でも昭和十年代ごろから使用が増えてきた、という経緯をもつ(金田弘氏による)。(P.146~147)
 レル敬語とナル敬語の話のなかに出てきた記述。このあたりを「個人差」という言葉で片づけていいのかという判断がむずかしい。

【引用部】
前述の〈一般形〉ではない〈特定形〉であるが(一一六頁)、とくに〈一般形〉のかわりに使われるという意味では〈言い換え形〉と読んでもよかろう(〈代用形〉と呼ぶ場合もある)。(P.157)
〈言い換え形〉はまだしも〈代用形〉は失礼だろう。常用漢字にないから代用漢字を使う、というのとは話が違うんだから。

【引用部】
 ③「死ぬ」は「お死にになる」とは言わない。直接的な表現を避けて「おなくなりになる」と言う。「なくなる」自体も「死ぬ」に比べ間接的なので、ある程度尊敬語的な感じがするがこれは身内にも使うので、厳密には尊敬語ではない(犬や猫の死にも「なくなる」)と使う人もいるほどである)。「なくなられる」「おなくなりになる」と使ってはじめて尊敬語と見るべきだろう。(P.165)
 やはりそういうことですね。

【引用部】
 以上、種々に制約を見てきた。が、これらの場合を除けば、やはりかなり多くの語についてナル敬語は作れるのである。ちなみに、“「お」の音で始まる動詞は「お~~になる」の形にするができない(「お」の音の重なりを嫌うため)”という俗説が一部にあるようだが──敬語についての入門的な読み物の中で、そのようなルールがあるかのように述べられているのを読んだことがあるが──、必ずしもそのようなことはない。たとえば「お起きになる・お置きになる・お送りになる・お教えになる・お思いになる・お降りになる」など、ごく自然に使われる。ただし、たとえば「お踊りになる・お驚きになる」などは、確かに不自然な感がある。(P.165)
 このあたりは、理屈では割り切れない問題だろう。

【引用部】
が、受身表現はしばしば迷惑を受けたという趣をもちやすく、ある人物を尊敬語で高めながら、その同じ人物によって迷惑をこうむったという言い方をするのは、やはり、そもそもなじまない感がある。「困った」ということを意図的に強調する場合や、ふざけて、あるいは皮肉で言うような場合はともかく、一般的には避けたほうがいいだろう。(P.175)
 この前にあるのは「ナル敬語+受身」の話。「お/ご~~になられる」の形は理屈の上ではなくはない。と書いたあとに続く部分。尊敬語を受身にすることへの異和感は、このあたりにもあるのかもしれない。
【「そのようにおっしゃられても困ります」〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800136243&owner_id=5019671

【引用部】(ちょっと形式をかえている)
○書いてくれる→(「くれる」を敬語に)→
①書いてくださる→(「書いて」を敬語に)→
②お書きになってくださる→(「になって」を除く)→
③お書きくださる

というわけである。漢語系の熟語の場合も原理は同じで、「指導してくれる→①指導してくださる→②ご指導なさって(ご指導になって)くださる→③ご指導くださる」と考えればよい(漢語系では上述のように「ご~~になる」と言いにくい語もあるので、②は、「ご~~なさる」と両形併記しておく)。①②③は、どれも「……てくれる」の尊敬語で、ただ敬度が違うだけである。敬度は②③①の順だが、②と③はそれほど敬度が違わず、むしろ②はやや冗長な感じがしたり、場合によっては不自然だったりするので(二一〇―二一二頁)、簡潔で敬度も十分な③の「お/ご~~くださる」が頻繁に使われる。敬度の高い依頼の形としては「お/ご~~ください(くださいませ、くださいませんか、くださいませんでしょうか、くださいますようお願い申し上げます」ということになる。(「……ますか」より「……ませんか」のほうが敬度が高く響くことは、八三頁参照)。(P.204~205)
 この考え方は、いろいろな形に応用できる。この直後に出てくる「書いてもらう」の場合も同様。
  書いてもらう→書いていただく→
  お書きになっていただく→お書きいただく
 ということ。ここを押さえておくと、「敬語連結」や「二重敬語」について考えるときに実に役に立つ。

【引用部】
「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」は、一般に誤り。
  ─→『して」を取って、「お/ご~~くださる(ください)」「お/ご~~いただく」と言えばよい。

 「一般に」にと書き添えたのは、特別な場合には、この「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」という形が誤りでなく使われる場合もありうるからなのだが、これについてはあとで触れるとしよう(二六六〜二六七頁)。だが、それはかなり特別な場合なので、一般にはこの形は誤りと覚えておいてよい。
 〈語形〉について、ほかに細かい点をいくつか補足しておこう。まず、「お/ご〜〜をくださる」「お/ご〜〜をいただく」と、「を」を入れて使う形について。この形は時々使う人があり(とくに「いただく」の場合に多いようである)、なぜか国会の質問や答弁で「お調べをいただく」「ご審議をいただく」などと頻繁に耳にするのだが、私の語感では、いささか耳障りである。読者には、「お偉方がお使いになるのだから正しいのだろう」などと安易に真似をしないようにお勧めしておきたい。ただし、「お許しをいただく」「ご指導をいただく」などのように、「お/ご〜〜」の部分が名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合ならば、「を」を入れても不自然ではない。(P.209〜210)
 前半は下記の問題にかかわる。あのときは新鮮な発見の気がしたが、けっこうよく見る問題らしい。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671
 後半は下記で少し書いて挫折した話。〈名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合〉ってどういう場合なんだろう(泣)。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご〜〜だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。
================================引用終了
「お/ご〜〜だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。

【引用部】
 「切符をお持ちの方」「お探しの品」など「お/ご〜〜の+名詞」という言い方は、以上に見てきた尊敬語「お/ご〜〜だ(です)」が連体修飾語として使われたものといえる。この「お/ご〜〜の+名詞」という形を「今日ご紹介の〔私どもが皆さんにご紹介する〕お
品は……」(テレフォンショッピングの広告)などと使うのは、謙譲語(本書の謙譲語A)として使っていることになり、少なくとも私の語感では違和感がある。(謙譲語なら「今日紹介するお品」というべきところである)。ただし、来客が持ってきた菓子などをその客に出すとき「お持たせのお品で失礼ですが」と言うのは、「お持たせした〔=自分が用意すべきものを客に持たせた(運ばせた)〕」意で、理屈の上では謙譲語としての使い方である。定型化した例外的なものと見ておきたい。(P.238)
 ウーム。今日ご紹介のお品は……」は単純に「ご紹介する」の省略形と考えていた。違うのね。「お持たせのお品」にもこんな深い背景があるのね。耳から漏れる煙が止まらない……。

【引用部】
 ただし、厳密には、職名と敬称はやはり異なる。つまり、たとえば不名誉なことをして新聞に出る場合でも「○○教授」「○○社長」なのであり、これは、呼び捨てにもできないから付けているだけのことで、敬度の高い敬称ではない。教師については、こうしたケースでは「○○先生」とは絶対いわない。「先生」は敬称、「教授」は職名なのである。そこで、大学に学外からかかってきた電話を助手が受けて教授について話す場合、「○○先生は授業中です」より「○○教授は授業中です」のほうが、身内を高めないという意味で望ましい、ということになるかと思われる。(P.245)
「なるかと思われる」という結びが気になるが、そのことはおく。大学は「授業」じゃなく「講義」だろう、というツッコミも、近年は「授業」というらしいから無視する。そういうことではなく、こういう論理的な文章を読むと気持ちがいい(ほんの少しだけ冗長な気はするけど)。〈「先生」は敬称、「教授」は職名〉ですか。だから不名誉なことをした場合は「先生」ではなく「教諭」なのね。「社長」の場合は、「○○会社社長の△△■■氏」くらいかな。

【引用部】
接尾語「……方(たとえば「先生方」)」は、「……たち」の尊敬語。学生が公式的な場などで「先生たち」と言うのは敬度が不十分で、「先生方」とありたいところである。「……方」が尊敬、「……たち」がニュートラル、「……ども」が謙譲という関係になる。(P.246)
 ちょっと気になって調べた。「方」は複数を指す場合と、単数を指す場合がある。単数の場合は名詞で「かた」、複数の場合は接尾語で「がた」らしい。「方々」は単数の「かた」の複数形らしい。なんのこっちゃ。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/03297400/
================================引用開始
かた【方】
【1】[名]
4 《方角を示すことによって間接的に》人をさす敬った言い方。「女の―」「乗り越しの―」
【2】[接尾]
5 《「がた」とも》名詞に付く。
①二つあるものの一方の側、また、それに属する人を表す。「相手―」「母―」
②その物事を担当する係であることを表す。「まかない―」「会計―」
6 《「がた」とも》数量などを表す名詞に付いて、だいたいそのくらいの意を表す。「三割―安い」「八割―片付いた」
================================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%96%B9&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=03301700&pagenum=1
================================引用開始
がた【方】
[接尾]
1 人を表す名詞に付いて、複数の人々を尊敬していう意を表す。「先生―」「奥様―」
2 時に関する名詞や動詞の連用形に付いて、だいたいその時分という意を表す。「暮れ―」「明け―」
3 「かた(方)【2】56」に同じ。
→達(たち)[用法]
================================引用終了
 オイオイ、〈【2】56〉じゃなくて、〈【2】5①②〉だろう。記載がかわって、修正しきれなかったな(笑)。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%96%B9%E3%80%85&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かた‐がた【方方/×旁】
【1】[名]
1 (方方)「人々」の敬称。かたたち。「お世話になった―」
================================引用終了

【引用部】
 「……各位」(たとえば「読者各位」)は、一人ずつを高める趣の表現。「位」がすでに(元
来は中国語)人を高めて指す言い方なので、「各位様」と使うのはおかしい。(P.246)
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%9C%B7%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BF%BD&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かく‐い〔‐ヰ〕【各位】
大ぜいの人を対象にして、その一人一人を敬って言う語。皆様。皆様方。多く、改まった席上や書面で用いる。「会員―にお知らせします」

◆「各位殿」という表現は、敬意が重複することになるので、好ましくない。
================================引用終了
 ということは「お客様各位」も重言なんだろうか。でも「顧客各位」「利用者各位」はマズいんじゃなかろうか。

 P.247〜のテーマは〈「……だ/です」の尊敬語〉。例の話が出てくる。敬語に慣れている人は、「……だ/です」の内容を以下のように使い分ける。
 I人称者(自分側)を主語とするときは「……でございます」
 II人称者(相手側)を主語とするときは「……でいらっしゃいます」
 理屈ではわかっていても、これができないorz。待ち合わせをした人に「田中さんでございますか?」って言っちゃいそうだよな。
「私は時間がございますが、先生はお時間がおありですか」
 これも「お時間はございますか」って言っちゃいそう。敬語は悩ましい。

 P.250〜のテーマは〈形容詞・形容動詞についての尊敬語〉。本題とは別のところでちょっと気になる。形容詞は「お/ご」をつけて尊敬語にでき、「お忙しいですか」のように使うそうだ。ここも「か」がついているので、許容範囲かな。いろいろ考えて、「形容詞+です」はもうOKと考えるしかないのかな、と思いつつある。
 この場合にもP.247〜の話が適用され、II人称者(相手側)を主語にするときは、「お忙しゅうございますか」ではなく「お忙しくていらっしゃいますか」のほうがふさわしいらしい。これもダメだな。さすがに「忙しゅう」は使わないが「お忙しいですか」とか言ってしまいそう。

【引用部】
したがって、「安い/買いやすい」という意味で「お求めやすい」と近年よく使うのは、本来なら「お求めになりやすい」と言うべきところである。が、この「お求めやすい」はすっかり定着してしまった。すでに誤りとは言いにくいほどで、「お求めやすい」全体で一種の丁寧語のようになっている、とでも見るべきなのかもしれない。(P.251)
 このあたりも「柔軟性がある」と考えるべきなのだろうか。「お求めやすい」って定着したの? まだ認めてほしくない。

【引用部】
 副詞の尊敬語としては、「お早々と」「ごゆっくり」などがある。「いつもお早々とお年賀状をくださる」「坂が急ですので、どうぞ、ごゆっくりお歩きください」のように、その副詞が係る動詞の、やはり主語を高める。ただし、「お早々とお年賀状をいただき有難うございました」の場合は、「いただく」の主語ではなく〈与え手〉を高めることになる。(P.251)
 さりげなく、重大なことを言っている。これが正しいなら、「ご来店いただきありがとうございます」も何も問題がなくなる。

【引用部】
 II−2で、日本語の敬語は言語体系の随所に発達していると述べたが、品詞という観点からも、これまで見てきたように、動詞・名詞・形容詞・形容動詞・副詞・助動詞(名詞の後の「だ/です」は助動詞)・助詞(さらに「この→こちらの」「したがって→したがいまして」(尊敬語ではないが)などまで含めれば連体詞・接続詞にも)と、実に多くの品詞について敬語が存するわけである。(P.253)
 二重パーレンはやめようよ、という話はおく。
 なんかこんな感じで書いてあると、ホント尊敬語だけでおなかいっぱい。
 字数制限があるので、項を改める。


読書感想文/『敬語』2

 やっと謙譲語。なお、本書で謙譲語Aと書いているのは謙譲語Iのことで謙譲語Bと書いているのは謙譲語IIのこと。新しい?言い方の謙譲語I、謙譲語IIに書きかえる。

【引用部】
  ア 私はそのやくざに、早く足を洗うように申し上げました。
  イ 私はそのやくざに、早く足を洗うように申しました。
 イはよいが、アはおかしいと直ちに感じられるであろう。この差は何なんだろうか。「申し上げる」と「申す」とは、どちらも「言う」の謙譲語と呼ばれるものの、〈誰に対する敬語か〉という点で性質が違い、それによってアとイの適否の差も分かれるのである。(P.254)
 答えだけを書くなら。アは謙譲語Iで、イは謙譲語IIだから。と書いてもわからないだろうな。これを理解してもらうには、数ページにわたって引用する必要がある。謙譲語Iと謙譲語IIの話はメンドーなので、『敬語再入門』の読書感想文のときには避けて通った。個人的な整理の意味をこめて、書いてみる。相当の難物だけどしっかりついてくるように。
……「センセー、先頭を走っていたはずのtobiクンがいません。真っ先に脱落したみたいで〜す」「放っておきなさい」
 引用できるテキストだと「敬語の指針」になるのだろう。ただ、これもP.18〜20あたりを丸々引用する必要がありそうだ。以下、本書と「敬語の指針」をうんと圧縮してポイントだけを書く。
●謙譲語I(一般に謙譲語と言われているのはこちらだと思っていい……はず)
 これはいっぱいあるので覚えなくていい。謙譲語IIだけを覚えることをおすすめする。
【例】
 一般形……「お/ご〜する」「お/ご〜申し上げる」「お/ご〜いただく」……etc.
 特定形……伺う/承る/申し上げる/存じ上げる/さしあげる/……etc.
 接頭語……自分側の「お手紙」「ご説明」(相手側の「お手紙」は尊敬語)……etc.
      拝(動詞にもかかわるので別にしておく)……etc.
●謙譲語II
 特定形……参る、申す、いたす、おる、存じる
  補助動詞として使われる「〜いたす」「〜おる」も同様
 接頭語……愚、小、拙、弊……etc.
●謙譲語Iと謙譲語IIの違い
1)謙譲語Iは補語を高め、謙譲語IIは聞き手(読み手)を高める
 【引用部】のアがおかしいのは、「やくざ」に対して敬語を使うことになるから。イがおかしくないのは、聞き手(読み手)に対する敬語だから。通常は「(文中の)補語」=「聞き手(読み手)」ってことが多いからとくに意識しなくていい。微妙な問題に踏み込むなら、ここを区別しなければならない。
2)謙譲語IIは原則として丁寧語を伴う
 【引用部】の例の補語をかえて考える。
  ア-2 私は先生に、早く足を洗うように申し上げた。
  イ-2 私は先生に、早く足を洗うように申した。
 たとえば日記なんかだと、敬体(デス・マス体)ではなく常体(デアル体)で書く人が多いと思う。常体の文章のなかで、ア-2のように書いてもおかしくない。こう書いても「先生」に対する敬意は残る。イ-2はかなりおかしい。聞き手(読み手)に対する敬語である謙譲語IIは、常体にはなじまない。そのためか、謙譲語IIは「丁重語」とも呼ばれる。
3)謙譲語IIは聞き手(読み手)に直接関係のない対象にも使える
【引用部】
  ヤ この退会には全国から三百人の選手が参加いたします。(スポーツの放送)
  ユ まもなく電車がまいります。(駅のアナウンス)
  ヨ プラトンが申しますには……(学者の講義)(P.273)
4)「お/ご〜いたします」は謙譲語I兼謙譲語IIの特殊な形
 本書のP.297〜306に詳しく書いてあるがあまりにも長いので、「敬語の指針」からひく。
「敬語の指針」p.30~から====================引用開始

【補足イ:謙譲語Iと謙譲語IIの両方の性質を併せ持つ敬語】 
謙譲語Iと謙譲語IIとは,上述のように異なる種類の敬語であるが,その一方で, 両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)......いたす」がある。 
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ 内容であるが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われている。これは,「お待 ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語I) と「いたす」(謙譲語II)の両方が使われていることになる。この場合,「お待ちする」 の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」 の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合も ある。)に対して丁重に述べることにもなる。 
つまり,「お(ご)......いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為につ いて,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」 という働きを持つ,「謙譲語I」兼「謙譲語II」である。
================================引用終了

【引用部】
 会社の社長が挨拶するとき、司会者が
  ソ 只今より、○○社長にご挨拶をいただきます。
  タ 只今より、○○社長がご挨拶を申し上げます。
のどちらを使うべきか──これは、相手次第で使い分けなければならない。社内の会合なら、社長を高めるソでよいが、社外からの参加者のある会合(たとえば株主総会)なら、ソはまずい。(P.260)
 これは敬語の上級問題だろう。迷った場合の逃げ方はP.262にある(社長ではなく「会長」になっている)。
「只今より、○○会長のご挨拶がございます」
「ご挨拶」は尊敬語としても、謙譲語Iとしても使える。ウーム。なんてホニャララな……。このテクニックは本書の中に何回か出てくる。

【引用部】
 「お/ご〜〜する」という形自体は古くから散見するのだが、本書のいう〈一般形〉として使われるようになったのはさほど古くはなく、小松寿雄氏の調査によると明治三十年代ごろからのようである。ただし、その当初からしばらくの間は、実際には次第に使われるようになってはきても、「お/ご〜〜いたす」や、当時の代表的な謙譲語「お/ご〜〜申す」のほうが規範にかなった言い方だという意識があったようで、小松氏によれば、昭和十年代になっても(一部には戦後になっても)「お/ご〜〜する」という言い方は認めないとする向きがあったという(言葉についてやかましく論評する人は、いつの世にもいるもののようである)。「お/ご〜〜する」が、規範的な立場からも一般に認められるようになったのは、戦後のことのようである。(P.282)
 言葉の歴史的な変遷に関しては、できるだけかかわらないようにしている。なんらかの根拠がある確度の高い説には耳を傾けるが、そうでないものは聞き流す。当方が興味をもつのは、主として現在使われる言葉限定。この〈「お/ご〜する」未熟説〉(なのか?)については、Wikipediaか何かで、金田一(ファミリーの誰か)が同じようなことを主張したという記述を見た。
 気になってあれこれ検索して見つけた。ああこんなことを書いていると終わらない(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1455.html
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引用開始
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多くの人は、「お~する」は全体で謙譲語だがら問題ないと考え、違和感を持っていないのですから、ことさら問題を提起することはないのですが、金田一京助博士は「お~する」を謙譲で使うのは間違いだと書いていますから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようです。現在では、「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現ですが、以前は不自然だと感じられていたのです。現在ではさらに、「(私は会社を)お休みします」のように行為が相手に及ばず謙譲にはならない「お~する」も使われますが、美化語としか言いようがありません。(p.14-15)
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 一文が長くてわかりにくい文章だが、ポイントは2点あると思う。
1)大正の頃は「お~する」を謙譲で使うのは間違いと考えられていたらしい
 こういう言葉の歴史のような話は苦手なので、スルーしたい。「ことさら問題を提起することはない」だろう。ただ、現在でも疑問に思う人が多いことと、比較的最近まで「間違い」と考えられていたことは無関係ではないと思う。

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引用終了
 【引用部】の末尾の「無関係ではないと思う」は考えすぎだな。世間で「お/ご〜する」はおかしいと主張している大半の人は「自分の行動に〈お/ご〉をつけるのはおかしい」という的外れな根拠をあげる。そういう人は「お/ご〜いたす」や「お/ご〜申す」にもインネンをつけるのだろう。

【引用部】
 なおまた、語によっては「お/ご〜〜“を”する」の形でも使えるものもある(例「お尋ねをする」「ご説明をする」)が、一部政治家の演説などでこの「を」をやたらに使う傾向がある(たとえば「お調べをする」などと言う)のは、聞き苦しい。(P.286)※原文は“を”ではな、傍線つきの「を」
 そうか。熟語動詞(仮)でなくても「を」が入るのね。やはり政治家用語なのかも。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
 もっとも氏は、この調査での「お/ご〜〜する」の全用例二一二のうち、誤用は一一例にとどまっているとして「実際には危惧するほどのことはないかもしれません」ともされるのだが、もし今日、実際の敬語使用の調査を改めて行えば、誤用の頻度は、このころに比べてかなり増えているのではないかと思われる。(P.294〜295)
 この一文は長くないか? しかも「頻度」は「増え」ないだろう、ってなんちゅう恐ろしい揚げ足取りを……。「頻度が増える」は相当ヤだけど「頻度が増す」だとさほど異和感がないのはなぜだろう。
 閑話休題。
 ↑の【引用部】は〈「お/ご〜〜する」の誤用〉という項目の中にある。「誤用」の具体例は「お/ご〜〜する」を尊敬語として使うこと。
1)ご利用してますか(正しくは「ご利用なさってますか」くらい)
2)ご利用しやすくなる(正しくは「ご利用なさりやすくなる」くらい)
3)ご乗車できる(正しくは「ご乗車になれる」くらい)
 元々の「お/ご〜〜する」が謙譲語なんだから、相手方の行動に使っちゃ×だろう。可能形にかえたって、ダメなものはダメ。でも「ご乗車できます」「ご利用できます」なんてアリガチでスルーしちゃいそうだよな。

【引用部】
 また、たとえば、人に、自分の作った書類に目を通して添削や捺印をしてもらったり、こわれた自分の物を修理してもらったりするような場合、「その書類(物)をこれからそちらへ持っていく」という内容を「これからお持ちします」と言うのも、たいへんきびしくいえば、おかしいともいえる使い方である。(P.295)
 これは微妙すぎる。「あなたの書類(物)を持っていく」わけでもなく、「あなたのために持っていく」わけでもないからおかしいらしい。正解は「持ってまいります」くらいらしい。わからん(泣)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318〜のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
⑤[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321〜322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231.html

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html

【引用部】
 ただ、こうした傾向が将来進むところまで進んでしまうと、〈「やる」が普通の表現で「あげる」は《上品》な美化語〉という関係ではなく、〈「あげる」が普通の表現で「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉ということになり、「あげる」は美化語だとさえ言いにくくなっていくことになる(このような先例としては「食う」に対する「食べる」がある。三九頁参照)。(P.339)
 P.333のテーマは〈5 「さしあげる」(謙譲語I)と「あげる」(謙譲語I/美化語)〉。
本来は謙譲語Iだった「あげる」は美化語になりつつあるらしい。世間はもう少し進んで、すでに〈「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉になっている気がする。
246)【「やる」 「あげる」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1378.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1523098273&owner_id=5019671
589)突然ですが問題です【日本語編72】──「食う」を使う慣用句 「食べる」を使う慣用句 【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2163.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1781571782&owner_id=5019671 

【引用部】
 ちなみに、「ももたろう」の歌には「おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」と請われた桃太郎が「やりましょう、やりましょう」と歌う歌詞と「あげましょう、あげましょう」と歌う歌詞とがある。余談ながら、このことに触れてみよう。(P.340)
 ↑のコメント欄で教えてもらった話。こんなヨタ話まで引用するから、どんどん長くなるorz。
 以下、著者が調べた限り(これで?)の結果を時系列で箇条書きにする。
・初めて採用された1911年の『尋常小学唱歌 第一学年』は「やりませう」
・1932年の同新訂版も「やりませう」
・戦後の教科書には見当たらない(「これからおにのせいばつに」がよくなかった?)
・1954年検定の教科書(教育出版)に再登場。「やりましょう、やりましょう、これからおにをこらしめに……」
・1957年検定の教科書(教育芸術社)。「あげましょう、あげましょう、これからおにをこらしめに」
・1960年検定の教科書(教育出版)。「やりましょう……せいばつに」
・1973年検定(76年度まで使用)の教科書。「やりましょう……せいばつに」(音楽之友社)、「やりましょう……こらしめに」
・これを最後に「ももたろう」は教科書から姿を消す。

 P.342にある「あがる」の話。「訪ねる」の謙譲語I。「お届けにあがる」「お願いにあがる」などと使う。訪問を受ける側が「どうぞおあがりください」などと言うのは誤用。
【引用部】
ただし、同じ「あがる」でも、すでに訪問先の玄関に入ったあと家の中にまで入る意の「あがる」は、謙譲語ではないので、こちらは、訪問を受ける側が「どうぞ中へおあがりください」と言える。(P.342)
 一応理解したつもりだけど、脱落寸前(泣)。

【引用部】
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346〜347)
 どこで切ったらよいかわからず、ズルズルと引用してしまった。この「どこで引用をやめたらいいかわからん感覚」は、清水読本の読書感想文を書いたときに近い。
「参」「承」は謙譲語性は薄い、ということを、著者の文体で書くとこういうことになるのだろう。こうなる最大の原因は、著者の知識量があまりにも多いこと。こういう書き方をすると批判しているようにも見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない。批判に読めるとしたら、書き手の人損?だろう。

 P.361〜のテーマは〈「です・ます体」の中の諸段階〉。これも積年の悩み。
 極端に要約すると、複文?の場合の前半部をデス・マス体にするか否かってこと。例として次の5つがあげられている。前半部の「あります」を「ある」にするべきか否か。
  ア 非常ベルがあります。安心です。
  イ ベルがありますが、やはり不安です。
  ウ ベルがありますから、安心です。
  エ ベルがありますので、安心です。
  オ ここにありますベルを鳴らしました。
 本書は、下記くらいがフツーだろうとしている。
 イは「ある」だとややぞんざい。ウはどちらでもよい感じ。エは丁重すぎる感じ。オは丁重すぎて不十分な感じ。
 当方の感覚も同じだが、なぜイだけが「が、」の前をデアル体にするとぞんざいな印象になるのかがサッパリわからない。
 これをさらに細かく分析し、以下のものは〈過剰敬語と批判されることもある。もっとも、これらも、使う人や文脈によっては、必ずしも不自然ではなく響くこともある〉としている。
・名詞の前にも「ます」を入れる(↑のオ)のような形
・「そうすると」「したがって」「続いて」などの接続詞的な語の中にも「ます」を入れる。「そうしますと」「したがいまして」「続きまして」
※「続きまして」はショートコントやモノマネの口上でよく見る。 
・「……ませんです」「……ますです」式の言い方。
 上記の3つは、後ろのほうほど丁寧な感じが強くなるらしい。
 うーん。つまり「……ませんです」「……ますです」も×ではないのか。

【引用部】
「お/ご」を付けて皮肉や茶化した表現とすることが固定化した例としては、「ご大層・ご乱行(らんぎょう)・ご乱心・おあいにく様」などがある。これらは美化語とも言いにくい(なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない)。(P.376)
 これはかの有名な醜化語ですね(笑)。そうか「ご大層」以外にも醜化語限定がこんなにあるのか。
569)突然ですが問題です【日本語編67】──美化語の悪用 ご大層 ご苦労 お荷物【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2140.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1774719941&owner_id=5019671
 ちょっと気になったのは〈なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない〉って部分。どんな場合があるのだろう。
 ちなみに、P.382では〈皮肉や茶化した表現として固定化したもの〉として〈「ご大層・おあいにく様」など〉としている。

【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。

【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。

【引用部】
なお、あえて付け加えると、最近の傾向として──あるいは昔からなのかもしれないが──、人のささいな誤りに一々目鯨を立てる人に限って、本人も結構な誤りをおかしている場合も少なくないようである。自分でも敬語を使いきれていないに相違ないと思われる“識者”や投書者が、誤ってもいない敬語を誤りと決めつけているのなどを見るのは、やりきれない思いがする。(P.434)
〈昔からなのか〉否かは、昔のことを知らない当方にはわからない。ただ、状況は確実にヒドくなっている。mixiにしてもYahoo!知恵袋にしてもネット全般にしても、敬語に関する話は相当悲惨なことになっている。日本語関係全般がヒドいとも言えるのだが、とくに敬語関連がヒドい気がする。以前、「〜からお預かりいたします」をキーワードに検索した結果を調べてゲンナリした。
782)【「正しい」日本語ってなんなんだろう〈4〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849013908&owner_id=5019671
 一般の日本語の問題は辞書をひけばある程度の答えがわかるが、敬語関係は解決しないことが多い。イチバン頼りになるのは文化庁の「敬語の指針」だろう。これが問題が多いうえに、ムダに長いだけで決してわかりやすいとはいえない。誤読して訳のわからないことを書くコメントが多いのは、そのせいもあるのだろう。
629)【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798665663&owner_id=5019671

 このあたりのことを細かく書きはじめると読書感想文じゃなくなるので、いずれ改めて。

14)【句読点の打ち方/句読点の付け方 その14──読点の打ち方の実例】

 某所で非常にいい文例を教えてもらった。

【「行きつけ」がないあなたに、欠けているもの】
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/032500025/090500012/?P=5
 以下に元々の引用者(以下、Mさんと呼ぶ)が引用した全文を転記する。読点の後ろに★がついているのは、Mさんが〈外したくてムズムズする〉と感じるもの。
==============引用開始
「また、会社の帰りにリフレッシュしたり休日にくつろげる場所を持っていることは、いまの仕事にもプラスに働くだろう。それは、★生活の中に「冗長性」を取り入れているようなものだ。
 「冗長性」とは、システム設計の世界で使われたりする言葉で、非常に大ざっぱにいうと、必要最低限のものに加えて余分や重複がある状態を指す。これにより、★結果的に機能の安定化を図ることができる。
 かつての先輩たちが、★行きつけの店に立ち寄っていたのは、日常生活の安定のための、ちゃんとしたストレス・コントロールだったのだろう。
 すっかり、★沿線の店が気に行ったWさんは、次の週末は、★妻に声を掛けて新しい店を「案内」しようかと思っている。そのうち、★Qさん夫妻と食事をするのもいいだろう。
 そして、もし子どもが独立したら、妻と二人でもう少し都心の街に引っ越してもいいかもしれない。
 そんな空想が、★いろいろと広がる。そして、★そうした空想こそが、最近なかったんだな、ということにも改めて気づいたのだった。」
==============引用終了

 これがなぜ「非常にいい文例」なのか。
 読点が多めな点を除くと、文章がマトモな点が重要。大きな問題はなさそうだ。
 手元に何冊か、悪い読点の打ち方の見本になりそうな書籍がある。そういったものを例示してもあまり意味がない。パッと見るだけで読点が異様に多いことがハッキリしているので、片っ端から削除することになる。
 これは人工的に作った例文でも同様。単なる「悪文」ということになる。
 ↑のように「ちょっと多いかな」くらいの例文はなかなか見つからない。

 さて、例文を見ると、ちょっと読点が多い。Mさんが〈外したくてムズムズする〉と感じるのもよくわかる。しかし、そういう理由では、あまり意味がない。単なる「主観の問題」で終わってしまうので、修正案も提示しにくい。
 そういう考え方でも、自分で文章を書くときにはさほど問題がない。まあそういう考え方をすると「読点の打ち方は、わかる人はわかっている。わからない人には何を言ってもムダ」って話になってしまうんだけど。
 読点の使い方を説明するためや、他者の読点の使い方に異を唱えるためには、論理的な理由をデッチ上げる必要がある(説得力がどの程度あるのかは別として)。
 以下、本多読本をベースに、下記を加味して見ていく。
【句読点に関する記述・ブログバージョン】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3138.html
 
それは、★生活の中に
 →主語(正確には主題、以下区別せずに「主語」と書く)のあとなので、打ってもいい。趣味の問題。

これにより、★結果的に
 →読点の前が「中止形(仮称)」になっているので、打ったほうがいい。「これによって、」だと趣味の問題。

かつての先輩たちが、★行きつけの店に
 →主語のあとなので、打ってもいい。趣味の問題。次の読点までが一塊と考えるなら不要(個人的にはそう思う)。ただしこの長さの一文で読点3つは多い。むしろ下記を削除したい。

日常生活の安定のための、ちゃんとしたストレス・コントロールだったのだろう。
「ストレス・コントロール」にかかる修飾句が2つある。本多読本の「長い修飾語」かもしれないが、この程度の長さなら読点は不要だろう。当方なら「、ちゃんとした」を削除するか漢字で始まる言葉にかえる(「必要な」「欠かせない」とか)。

すっかり、★沿線の店が気に行(ママ)ったWさん
 →打つ理由がないので打ってはいけない。これを趣味の問題と言われるとちょっと困る。

次の週末は、★妻に声を掛けて
 →趣味の問題と言いたいところだが、打ってはいけない。直前に「は、」があるので、どちらかを削除するべき。2択なら、こちらを削除するしかない。

そのうち、★Qさん夫妻と食事をする
 →微妙。本多読本の「逆順」と言えるかもしれない。この程度の長さの文で、ほかに読点がないのでどちらでもいい。

 そんな空想が、★いろいろと広がる
 →主語のあとなので、打ってもいい。趣味の問題。

そして、★そうした空想こそが、
 →接続詞の直後なのであってもいい。当方は原則して打つことにしている。しかし、この場合は別の問題がある。直前にも「そして、」がある。こうなると善くない書き癖(重言)だろう。こういう書き癖がある人はかなり多い。「そして、」を削除するべき。
 どちらかと言うと、前の「そして、」ほうが不要だろう。別に両方なくても何も問題はない。

そうした空想こそが、最近なかったんだな、ということにも改めて気づいたのだった
 → 「、最近なかったんだな、」がちょっとむずかしい。本多読本の解説のどこにあてはまるのだろう。「挿入句は逆順の典型」と言えるか否か。当方にはそういうむずかしいことはわからない。引用(句的な)と考え、〈「最近なかったんだな」〉とするほうが、ほかの読点の働きに干渉しない。この文の場合は、冒頭の「そして、」を削除するなら、原文のママでも構わない。

「大きな問題」以外で気になったのは、↑の「そして、」の使い方。 
 もうひとつ気になるのは「冗長性」。「冗長性」と書いてしまったら、否定的なイメージしかない。一般には「(ハンドル)のあそび」とか言うのでは。
「息抜き」じゃミもフタもないか。
 きれいなところでは「人生の句読点」などと言ったりもする。やはり重要な役割を果たしているし、どこで打つかが問題になる。
 ウーム。こんなにきれいにオチがつくのも珍しい(笑)。

将棋65/最近気がついた妙な記録4

 アップし忘れ?

 mixi日記2015年10月28日から。

 下記の仲間。
●将棋(と囲碁)の話 お品書き
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1932509757

 28日、四冠を防衛したばかりの羽生名人四冠が、棋王戦の予選準々決勝で破れた。これで竜王戦に続いて今年度の挑戦はなくなった。
 毎年のことかもしれないが、対局の日程をもう少しなんとかできないのだろうか。勝っている棋士ほど対局数が多くなるのはしかたがないが……。
 最近の羽生名人四冠の対局スケジュール。明日も対局がある。

10月22日 ● 糸谷哲郎
10月26日 ○ 佐藤天彦
10月28日 ● 阿部健治郎
10月29日   深浦康市

 このところ、過密スケジュールに苦しんでいると思われる棋士がほかにもいる。
 豊島将之七段の最近の対局スケジュール。10月は5局指して全敗。こちらも30日に今月6局目がある。
10月1日 ● 稲葉陽
10月15日 ● 広瀬章人 
10月17日 ● 郷田真隆
10月22日 ● 橋本崇載
10月24日 ● 深浦康市

 渡辺明棋王の最近の対局スケジュール。10月は6局指して全敗(NHK杯はもっと前かもしれない)。こちらも29日から二日制のタイトル戦。
9月29日 ● 糸谷哲郎
10月7日 ● 深浦康市
10月12日 ● 三浦弘行
10月15日 ● 糸谷哲郎(二日制)
10月19日 ● 佐藤天彦
10月22日 ● 久保利明 
10月25日 ● 阿部健治郎(NHK杯戦)

 豊島七段は棋聖戦で羽生名人四冠に破れたあたりからなんかヘンな感じ。もしかすると、例によってハブ毒(←よしなさい!)にあたった?
 渡辺棋王のほうは、9月29日に連敗がスタート。こちらは……ダニ毒?(←ホントによしなさいって!)

「了解しました」「了承しました」「かしこまりました」「承知しました」「承りました」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

mixi日記2014年08月15日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1930962314

 こういう記事(全文は末尾に)を読むと腹立たしいのを通り越して情けなくなってくる。
 基本的には間違っていない気もするが、ツッコミどころが多すぎる。こうやって●●が拡散していくのだろう。
 順番に見ていく。

■了解しました
〈「了解しました」は、同僚もしくは目下に対して使う言葉〉なのか?
「同僚もしくは目下」なら丁寧語にはしない「了解」でもよいのでは。
〈尊敬語ではないため、お客様や目上に対して使うのは失礼〉……敬語にはいくつかの種類がある。3分類で考えるなら、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」。この書き手は「謙譲語」というものを知らないで敬語について書いているのだろうか。
「了解いたしました」なら謙譲語だから〈お客様や目上に対して〉×にする論理的な理由はないと思うけど、こんなに評判が悪くなるとやめたほうがいいだろうな。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3065.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930959067&owner_id=5019671

■承知しました
「承知しました」を尊敬語にしている資料があるなら是非教えてほしい。
 一般には謙譲語扱いされている。しかし、「承知しました」を謙譲語にしている辞書類はないはず。もしあるなら教えてほしい。謙譲語性が高いとは思うけど、謙譲語とは言えそうにない。
 とりあえず反証として『敬語』の記述をあげておく。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================引用開始
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346~347)
================引用終了
 ついでに書いておくと、〈頻度は大変多い〉なんて書くと恥ずかしいので要注意。頻度を使いたいなら「高い」が一般的。

【20161217追記】
 下記も参考になるだろう。
【わかってもらった、を丁寧に言いたいとき、承知していただいた、と言えますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13165571478


■了承しました
 何を根拠に、こんなことを断言しているのだろう。
 まあ、主観で書かせてもらうと「了承(いた)しました」自体をあまり使わない気がする。目上(お客様を含む)に対して「ご了承ください」みたいな使い方が一般的だろう。ということは、「了承(いた)しました」を目上に使うのはやめたほうがいいのかもしれない。
〈お客様へは「承りました」目上の人へは、「承知しました」が正しい使い方〉……なぜ、「承知しました」の項にこの記述がないのか(笑)。なぜ「承りました」の項がないのか(笑)。ちなみに「承る」は謙譲語Iの代表選手。
 感覚としてはわかる。注文は「承る」ことが多い。指示は「承知する」ことが多い。
 そうなると、お客様には「承りました」で目上には「承知(いた)しました」になることが多い。
 でもね。お客様の指示などに「承知(いた)しました」と言っては×なの?
 目上から依頼に対して「承りました」と言っては×なの?
 そんなバカな。
 お客様と目上を分けて考えるのは相当むずかしいと思う。

■かしこまりました
「かしこまりました」は「承知しました」と同様、お客様にも目上にも使えるらしい。でもさ。少し前に〈お客様へは「承りました」〉と書いてあるんですけど。謙譲の度合いが高い印象があるが、実はこの「かしこまりました」も謙譲語ではないらしい。謙譲語としている辞書があったら是非教えてほしい。
【「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8499357.html

■「かしこまりました」「承知しました(承りました)」使用例
 書き方があまりにもグチャグチャなんで細かいツッコミはやめておく。

■結論
「了解」「了承」は目上には使わないほうが無難。「~しました」をつければ丁寧語で、「~いたしました」をつければ謙譲語になるが、とにかく使わないほうが無難。ただ、同格や目下に対して「了解(しました)」はOK。
「承りました」「承知しました」「かしこまりました」は、謙譲語として広く使える(辞書的には謙譲語ではないものもあるが)。
 ほぼ同様に使えるが、あえて厳密な使い分けを考えるなら……。
「承りました」「承知しました」は、ほぼ同様に使える。注文などを「受けた」くらいの意味合いが強い。
「かしこまりました」は命令や指示などを「理解して従う」くらいの意味合いが強い。
 ただし、厳密な使い分けはないので、さほど神経質になる必要はない。お好きなのをどうぞ。
「承る」には「聞く」の意味もあり、「貴重な話を承りました」などと使う。これは「承知しました」「かしこまりました」にはできない。「貴重な話をありがとうございます」くらいのほうが一般的だし感じがいい気がするけどさ。


【ネタ元】U-NOTE
【どう違うの?「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」】
http://u-note.me/note/47489406?page=2
================引用開始
どう違うの?「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」

 ビジネス上で、「分かりました」という意味合いで使われる言葉に「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」などがありますね。皆さんはその意味と使い分け方を理解できていますか?いざという時に、どれを使ったらいいのだろう?と悩んでしまうことはありませんか?ここでは、「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」の違いとビジネスシーンでの使い分け方をお伝えしていきたいと思います。

■了解しました
 「了解しました」は、同僚もしくは目下に対して使う言葉です。「了解しました」というのは、「了解」に「しました」をつけることで丁寧語になりますが、尊敬語ではないため、お客様や目上に対して使うのは失礼にあたります。

■承知しました
 「承知しました」は尊敬語になりますので、お役様や目上の人に対して使うのに適切と言えます。ビジネスシーンでも使う頻度は大変多いため、覚えておきましょう。

■了承しました
 「了承しました」は、何かを「承諾」したときに使います。「それでいいですよ」という意味合いになりますので、目上が目下に使うのが正しい使い方となります。お客様や目上の人に使ってはいけません。この場合、お客様へは「承りました」目上の人へは、「承知しました」が正しい使い方です。

■かしこまりました
 「かしこまりました」、は「承知しました」と同様、お客様や目上の人に使えます。

 覚えておくべきは「かしこまりました」と「承知しました(承りました)」上記のように、「かしこまりました」「承知しました(承りました)」は、目上の人やお客様に対して使える言葉となります。この2つはビジネスシーンにおいても非常によく使われますので覚えておきましょう。

■「かしこまりました」「承知しました(承りました)」使用例

× 打ち合わせの件、了解しました。
○ 打ち合わせの件、承知しました。

×(上司に対して)鈴木様(お客様)への連絡の件、了解しました
○(上司に対して)鈴木様(お客様)への連絡の件、かしこまりました

×(お客様に対して)ご依頼いただきました○○の件、了承いたしました。
○(お客様に対して)ご依頼いただきました○○の件、承りました。

 「かしこまりました」「承知しました」の違いはあるの?普段使う敬語として、「かしこまりました」「承知しました」の2つが良いというのはわかったけれど、その2つの違いは?というのは以下のような違いがあります。
「かしこまりました」は、「理解して受ける」という意味があります。

「承知しました」は「目上の人の命令などをうけたまわる」という意味があります。

上記のニュアンスの違いを覚えておくと、普段からより敬語を使い分けやすくなると思いますので、覚えておくと良いでしょう。
おわりに

 社会人になると、まず初めに身につけなければいけないマナーが正しい言葉遣いです。しかし日本語の敬語は難しいものです。ビジネス面での正しい言葉遣いをしっかりと身に着けるためにも、普段から常に意識していくことが大切です。
================引用終了

了解しました 了解いたしました
了承しました 了承いたしました
かしこまりました
承知しました 承知いたしました
承りました

 下記は読み応えがある。
【「了解しました」より「承知しました」が適切とされる理由と、その普及過程について】
http://liginc.co.jp/246919

 要するにほぼネット限定の俗説なのでは。ちゃんとした文献を示しているのを見たことがない。こういう例がどれだけあるのだろう。
 小谷野敦の言葉を借りるなら、バカが意見を言うようになった典型かもしれない。
【『同期の桜―お言葉ですが…8』──バカが意見を言うようになった】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-925.html

 何かと話題の飯間さんのコメントです。【飯間 了解】で検索すると、このほかにもいろいろ出てきます。
【「了解いたしました」がべつに失礼ではないという話は以前にもしましたが……】
https://twitter.com/iima_hiroaki/status/741895366618927104

バイト敬語の話──「よろしかったでしょうか?」考〈1〉〜〈3〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2010年10月10日から

 直接的には下記の続きだろうな。
【北67/帰省日記2010年夏編8──方言】おはようございました
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1598388590&owner_id=5019671

 テーマサイトは下記。
【「○○で,よろしかったでしょうか?」】 国立国語研究所
http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/11/05/

 まず全文を転載する。
================================
【質問】
最近,ファーストフード店やファミリーレストランで品物を注文すると,店員が「○○で,よろしかったでしょうか?」と,注文を繰り返すことがよくあります。なぜ過去形で問われるのかと違和感を覚えます。「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」の方が適切ではないのでしょうか。

【回答】
「よろしかった」の「~た」は,過去の意味だけでなく,確認の意味で使われることもあります。店員が注文を復唱する場面で使われている「~た」は,確認の意昧ではないかと考えられます。

それを確かめるために,ファーストフードのM社に尋ねてみました。同社では,各店の店長がアルバイトの店員に,客の注文をしっかり確認するよう指導し,「○○で,よろしかったでしょうか?」という接客敬語を口伝えで教えているそうです。店員はこのような接客マニュアルにしたがって応対しているのです。ついでに,ホテルや洋品店にも尋ねてみたところ、この場面では,「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」が適切だ,ということでした。いずれも敬語を含む丁寧な表現ですが,「よろしかったでしょうか?」は,客に確認を求める丁寧表現,「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」は,客に許可を仰ぐ丁寧表現という違いがあります。

なぜ,「○○で,よろしかったでしょうか?」に違和感を覚えるのか,質問者のお気持ちを推察してみましょう。質問者は,この場面は,客に許可を仰ぐべき場面とお考えのようです。それなのに,確認を求められるから,違和感を持たれるのでしょう。客の中には,値段の安い品物を注文して,「○○で,よろしかったでしょうか?」と確認されると,もっと高い物でなくていいのか,と言われているような気がする人もいるでしょう。食べ物だけ注文して,「お飲み物は,よろしかったでしょうか?」と確認されると,セットでの注文を迫るような,おしつけがましさを感じる人もいるでしょう。このように,「よろしかったでしょうか?」という確認の表現は,客の場面や状況の捉え方しだいでは違和感を持たれることになります。

例えば,ズボンの裾上げを頼んでおいた洋品店で,確認のため試着した後に,「この長さで,よろしかったでしょうか?」と言われたらどうでしょうか。違和感を覚えない人も多いだろうと思います。もちろん,この状況でも「よろしいでしょうか?」の方が適切だと考える人もいるでしょう。

客にはそれぞれ個性があります。敬語の使い方についての規範意識も人それぞれです。接客マニュアルどおりの画一的な応対は,能率的に均質なサービスを提供できる長所もあるのですが,客の個性に対する配慮が足りないという欠点もあります。客の気持ちに配慮して,場面や状況に応じた表現の工夫をすることが,大切なのではないでしょうか。
(吉岡 泰夫)
================================

 最近見つけた上記にサイトはかなり信頼できるものと考えている。そりゃ相手は国立国語研究所だよ。だが、この項目の書き方には異和感がある。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 とうとうこういうものにまで見境なくインネンをつけるようになったか(黒笑)。
 微妙な問題であることはわかるが、こんなに曖昧な書き方をされると読んでいて不安になる。
「意昧ではないかと考えられます」とか「違和感を覚えない人も多いだろうと思います」とか……ここまでボカす必要があるのだろうか。
 内容でイチバンひっかかったのは、下記の部分。

>いずれも敬語を含む丁寧な表現ですが,「よろしかったでしょうか?」は,客に確認を求める丁寧表現,「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」は,客に許可を仰ぐ丁寧表現という違いがあります。
「よろしかったでしょうか?」は確認。そうでしょうね。そんなところにまでインネンをつける気はない。
「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」だって確認じゃないか? それは過去形/現在形とは関係のない話だろう。
 日本語の「~た」は過去形とは限らないが、この場合は「過去形に見える(聞こえる)」ことが異和感につながっているのでは。
 注文を聞いた直後に過去形で確認するからヘンなだけではないか。
 いったん注文を受けたあと、しばらくしてから何か理由があって「ご注文の品は、○○でよろしかったでしょうか?」と確認するなら何も問題はない(「よろしいでしょうか?」と現在形を使ってもおかしくないけど)。
 あるいは注文の料理を全部出して、「ご注文の品は、以上でよろしかったでしょうか?」と確認するのもさほどおかしくない(これも「よろしいでしょうか?」と現在形を使ってもおかしくないけど)。

>客の中には,値段の安い品物を注文して,「○○で,よろしかったでしょうか?」と確認されると,もっと高い物でなくていいのか,と言われているような気がする人もいるでしょう。食べ物だけ注文して,「お飲み物は,よろしかったでしょうか?」と確認されると,セットでの注文を迫るような,おしつけがましさを感じる人もいるでしょう。
 前者はクレーマーのインネンだよ。じゃあ値段の高い品物を注文して「○○でよろしかったでしょうか?」と確認されると、「味もわからないクセに見栄張って、と言われている」という気になる? 後者も別の問題って気がする。
 どちらの場合も「よろしいでしょうか?」と現在形にしても問題の解決にはならない。過去形ウンヌンではなく、「おしつけがましさ」のほうが問題だろう。


「バイト敬語」に関しては下記参照。
http://1311racco.blog75.fc2.com/?q=%A5%D0%A5%A4%A5%C8%B7%C9%B8%EC


バイト敬語の話──「よろしかったでしょうか?」考 2
mixi日記2010年12月04日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1633363485&owner_id=5019671

 下記のベストアンサーの発想はなかなかおもしろい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251150092
================================
この奇妙な日本語は、ファミレスなどでオーダーをしたときに、客のオーダーの復唱に使われたのが始まりだと認識しています。
問い返すなら、"よろしいでしょうか"が正しい。

私が思うに、ファミレス、コンビニなどでは、総てマニュアル通りに仕事をするのが基本になっている。このマニュアルの元はアメリカかのものを真似たものです。英米語圏では、このように客のオーダーを復唱するときには、丁寧な表現で品名をあげた後に
"Would it(they) be correct?" と聞きます。"間違いないでしょうか?"の丁寧表現で、単なる表現では現在形の疑問文:
Is(Are) it(they) correct? です。

この丁寧表現を最初に日本語に訳した翻訳者が、過去形と間違った。それが連綿と訂正されることなく続いているものと推測します。

それにしても、そのまま続けるのは情けない。店の格式に影響しています。
================================

「過去形のほうが丁寧になるのは日本語も英語も共通」というコメントは目にしたことがあった(下記参照)。
 もう一歩進めて、「英語のマニュアルが原点ではないか」という考え方もできるのだろうか。
 仮説としてはアリだが、バイト敬語の源流とされるビデオは日本製だしなー。ほかの一連のバイト敬語(「~から」「~になります」あたり)も無理矢理和訳と言えるだろうか。
 【1】にも書いたとおり、最大の問題は「よろしいでしょうか」にしても「押し付けがましさ」が消えないことだろう。注文を聞いた直後だと、「よろしいでしょうか」だって十分に押しつけがましい。「~でございますね」あたりが無難なのでは? これも押し付けがましいかな。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 なんて言うのが無難なんだろう。

【バイト敬語の源流 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1326.html
【北67/帰省日記2010年夏編8──方言】おはようございました
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1571.html
================================
2)〈北海道の方言だというご意見〉
 この説もよく聞くけどマユツバもの。筆者も「大量の道産子が就職したというのか」と疑問に感じている。
 一応道産子として言わせてもらうと、当方にはこの妙な過去形が北海道弁という感覚が薄い(弱い?)。この話は比較的近い時期に書いたはずなんだが、どこだったか見当がつかないorz。で、もう一度書く。北海道のビジネス用語としては一般的なのかもしれないが、当方は北海道で働いた経験がないのでなんとも言えない。
 北海道のガイドブックを作るために札幌の人間とコンタクトをとっていた時期がある。「長野でした」は記憶にないが、開口一番「お世話さまでした~」と言うのはいつものこと。初めて聞いたときは電話を切りそうになった(笑)。ただ、「過去形のほうが丁寧」という意識があるか否かは不明。英語でも「could」(would)のほうが丁寧なのはたしかだが、ちょっと強引だろう。
================================

【20110315追記】
 NHKの見解もあった。やはりポイントは「押しつけがましい印象」ってことだろう。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/kotoba_qa_02030101.html
 ※リンク切れ。下記に引っ越したみたい。
http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/060.html
================================
ことばQ&A
よろしかったでしょうか?

02.03.01

上司に「君の『よろしかったでしょうか』の使い方はおかしい」と指摘されました。
「よろしかったでしょうか」は、おもに「確認」のための言い回しです。

【解説】
 しかし最近、これまでの考え方からすると「確認」だとはいいにくい場面で「よろしかったでしょうか」を使う人がたいへん増えています。誤解を招きかねないので、使い方には注意が必要でしょう。

 「よろしかったでしょうか」のこれまでの使い方には、例えば次のようなものがあります。

  A 「さきほどご注文されたのは)レバニラ炒めで
    よろしかったでしょうか。」
  B 「ご自宅用にお包みしてしまいましたが、
    よろしかったでしょうか。」

 Aは、「さきほど聞いた注文」を「確認」するものです。Bは、「すでに自宅用の包装にしてしまったが、それで問題ないか」ということを「確認」するものだと言えます。

 それに対して最近問題になっているのは、次のようなものです。

  C 「いらっしゃいませこんにちは。こちらで
    お召し上がりでよろしかったでしょうか。」

 お客さんは、まだこちらで食べるとも何とも言っておらず、厳密な意味では「確認」だとは言いにくいでしょう。このような状況で、「こちらで食べること」が、さもあたりまえかのような物言いをされるのは非常に違和感がある、という指摘があります。

 文研で実施した調査では、このような状況での「よろしかったでしょうか」は、全体の半数近くの人が「変な言い方だ」と答えています(詳細は『放送研究と調査』3月号)。

 「よろしかったでしょうか」を不用意に連発すると、「自分はこう考えてるけどそれでいいよね」というやや押しつけがましい印象を与えかねません。注意したほうが「よろしい」でしょう。
================================


【バイト敬語の話──「よろしかったでしょうか?」考 3

 直接的には下記の続きだろうな。
314)351)【バイト敬語の話──「よろしかったでしょうか?」考1&2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1572.html

444)【「よろしいですか?」の謎】Yahoo!知恵袋
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1861.html

369)【読書感想文/『続弾! 問題な日本語』1(北原保雄編/大修館書店/2005年11月3日初版第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1717.html


 テーマサイトは下記。
【「~でよろしかったでしょうか?」は文法的にも間違いですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1080382975


「~でよろしかったでしょうか?」に関しては何回か書いてきた。
 いろいろな話を目にするので、改めて書いてみる。過去に書いたもののポイントも抜粋して決定版(大きく出たもんだ)にしたい。
 そもそも、なぜこの表現に異和感をもつ人が多いのか。


●注文した直後なのに「過去形」を使うのは×
 一般的な意見は、注文した直後なのに「なぜ過去形を使う?」だろう。「過去形」は正確な言い方ではないが、ここでは「よろしかった」の類いを過去形、「よろしい」の類いを現在形と呼ぶことにする。
 ほかにも理由があるにせよ、異和感のイチバンの原因はこれだと思う。
 あえて過去形を使うのは、「過去形のほうが丁寧な印象がある」という幻想があるからだろうか。感覚的にはわからなくはないが、信憑性は……。ルーツには、「北海道の方言説」「過去形のほうが丁寧になるのは日本語も英語も共通」などがある(↑「351)」参照)。
 このあたりは「314)」に書いたとおり。
================================
 注文を聞いた直後に過去形で確認するからヘンなだけではないか。
 いったん注文を受けたあと、しばらくしてから何か理由があって「ご注文の品は、○○でよろしかったでしょうか?」と確認するなら何も問題はない(「よろしいでしょうか?」と現在形を使ってもおかしくないけど)。
 あるいは注文の料理を全部出して、「ご注文の品は、以上でよろしかったでしょうか?」と確認するのもさほどおかしくない(これも「よろしいでしょうか?」と現在形を使ってもおかしくないけど)。
================================


●「よろしかったでしょうか?」を確認を求める表現だから×
 ──国立国語研究所の主張
「314)」に引用した国立国語研究所のサイトhttp://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/11/05/が主張している。
 どうやら「よろしかったでしょうか?」は確認を求める表現だから×で、「よろしいでしょうか?」は許可を仰ぐ表現だから○ということらしい。この主張は、当方にはまったく理解できない。注文直後の「よろしいでしょうか?」は、確認を求める表現だと思う。


●そもそも「よろしかった」という表現自体がヘン
 ──『問題な日本語』『続弾! 問題な日本語』』の主張
「でしょうか」がつかない「よろしかった」は、たしかに使用頻度が低い気がする。とくに男性はあまり使わないような……。
 だからと言って、そもそも「よろしかった」がおかしいから「~でよろしかったでしょうか?」もおかしいという論理が成り立つのだろうか。
 上品(一応)な女性が「~でよろしかったかしら」と口にするなら不自然とは思えない。「~でよろしかったでしょうか」だって丁寧な言葉づかいとしてどこが不自然なのか、わからない。↑に書いたように、〈しばらくしてから何か理由があって「ご注文の品は、○○でよろしかったでしょうか?」と確認する〉などのケースなら、何も問題はないと思う。
「テーマサイト」にも2冊の書籍からの引用が見られるが、あの引用のしかたで適切なのだろうか。

「369)」からひく。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「ふたたび よろしかったでしょうか」(p.104~)
【関連日記】http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1572.html
 書き手は北原保雄。
 この問題は前弾でも扱っている。そのときの結論は下記。
================================
し終わった注文について「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」と言うのは、〈過去のことについての現在における評価〉を表す表現と理解できます。
================================

 この問題に対する意見はいろいろあるが、この説はけっこう珍しい。再度質問が来たのはこの説明では納得できない人が多かったからでは。
 今度の結論は下記。
================================
一連の流れの中で行われている事柄について「~た」と過去形を使うのは間違いではありませんが、「よろしかったでしょうか」の場合は、そもそも「よろしかった」があまり使われない表現であるため、不自然に感じられるのでしょう。
================================

 そうなのだろうか。文中の説明では、「昨日の料理はよかった」とは言えても「昨日の料理はよろしかった」はヘンだと言っている。
 ということは、「注文は以上でよかったでしょうか」ならおかしくないことになる。違うんじゃないかな。
「よかった」に比べると「よろしかった」のほうが丁寧で上品なイメージがある(説明は省略)。だから接客業では現在形なら「よろしいでしょうか」、過去形なら「よろしかったでしょうか」を使うほうが多い。これを「よかったでしょうか」ならOKなんてムチャだよ。
 これはやはり、過去形だろうが現在形だろうが、聞いた直後に確認するから押しつけがましいと考えるべきでは。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


●「~でよろしかったでしょうか?」と「~でよろしかったですか?」の違い
 ちょっと気になることがあるので、〈過去形と現在形〉のほかに、「です」と「でしょう」などに関してもふれておく。

 【よろしい】を使った形
  1)~でよろしいですか(これを「原形」とする)
  2)~でよろしいでしょうか(「ですか」を「でしょうか」にした形)
  3)~でよろしかったですか(過去形)
  4)~でよろしかったでしょうか(過去形&「ですか」を「でしょうか」にした形)

 【よい】を使った形
  1)~でよいですか(これを「原形」とする)
  2)~でよいでしょうか(「です」を「でしょう」にした形)
  3)~でよかったですか(過去形)
  4)~でよかったでしょうか(過去形&「です」を「でしょう」にした形)

 一般に、疑問文の「ですか」を「でしょうか」にしたほうが丁寧な印象になる。ちゃんと説明するのはメンドーだから、↑の例文を比べてほしい。一般論では、「曖昧な表現のほうが丁寧な印象になる」ってことだろう。近年の「バイト敬語」のようになんでもかんでも曖昧な表現にすると、気持ちが悪くてかえって失礼になる(時には誤用になることも)……というのは別の話になる。
 ついでに書いておくと、「よい」と「よろしい」の印象の違いも↑の例文で確認してほしい。
「よい」のほうが自然だし、こちらのほうが丁寧な感じになるとお考えの人は、ご自由にお使いください。
 もうひとつ気になるのは、「形容詞+です」の問題。
 うしろに「か」がつくと、異和感が緩和されるはず。「よろしいですか」にはほとんど異和感がないが、「よいですか」(「いいですか」なら少しマシ)だと相当異和感がある。
「形容詞+です」は後ろに「か」「よ」「ね」などがつくと異和感が緩和される。「よろしかった」が後ろに「かしら」「でしょうか」がつくと使用頻度が上がる気がすることと、関連がありやなしや。
【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671

 そういったことを考えると、現在形だろうと過去形だろうと、〈「ですか」を「でしょうか」にした形〉のほうが丁寧なはず。
 もちろん、丁寧でなければダメというわけではないし、できる限り丁寧なほうがいいというわけでもない。
 ただ、「でしょうか」の形に慣れている人にとっては「ですか」の形が敬度不足に感じられる可能性がある。それでも「ですか」を使いたい人はどうぞご自由に。
 一般には2)と4)で考えるほうが簡明だろう。1)や3)を考慮していると、話がメンドーでしかたがない。アチコチのやり取りを見ていると、ここを意識していない人も多い気がする。
「~でよろしかったでしょうか」は×で「~でよろしいですか」が○などと主張されると、どこがポイントなのかわからなくなる。

【20110205追記】
 ↑の話は、主として注文を受けた直後に「ご注文の品は以上でよろしかったでしょうか?」と訊く類いの話。
 少し違う形もある。
 ファストフードで、入ってきた客にいきなり「いらっしゃいませこんにちは。店内でお召し上がりでよろしかったでしょうか?」と言うことがあるらしい。
「いらっしゃいませこんにちは」「お召し上がり」の話はパスするとして、いきなり「~でよろしかったでしょうか?」はナシだろう。バイト敬語(マニュアル敬語)おそるべし(笑)。
 事態はもっと深刻で、笑ってもいられないようだ。ホテルでの実体験を踏まえたコメントをもらった。ホテルを訪れたらドアマン(ベルボーイ)が歩み寄り、「チェックイン(のほう)でよろしかったでしょうか」と言ったとか。
 これはムチャクチャ。「のほう」までついたら、支配人を呼ぶかもしれない。
 ある意味ファストフードより罪が深い。ファストフードの選択肢は「店内でお召し上がり」か「お持ち帰り」にほぼ限られる。
 ところがホテルの場合は選択肢は多い。
 チェックインなのか待ち合わせなのか、デイユース(だったかな。要は「ご休憩」)なのか、トイレを借りるだけなのか……それを問い質すのは「いらぬ詮索」ってもんだ。「いらっしゃいませ」で十分だろう。あるいは、ドアマンなら無言という選択肢もあるかもしれない。
 これがフロントなら話は別。
 それでも「チェックインでよろしかったでしょうか?」はナシだろう。
「チェックインでよろしいでしょうか?」だってちょっとひっかかる。「チェックインでございますか?」あたりのほうが自然では。とにかく正しい接客の代表格のはずのホテル従業員が「~でよろしかったでしょうか?」はナシ。
「314)」で引用したサイトにも下記のようにある。
================================
ホテルや洋品店にも尋ねてみたところ、この場面では,「よろしゅうございますか?」や「よろしいでしょうか?」が適切だ,ということでした。
================================


【20120206追記】
 下記のサイトはかなりおかしい。
【これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!】
http://anond.hatelabo.jp/20091010002215

●遠慮がちな結論
 結論めいたものを何も書いていない気がするので、遠慮がちに書いておく。
「~でよろしかったでしょうか?」は文法的には間違っていない。注文を聞いた直後に「~でよろしかったでしょうか?」と確認するのはちょっとヘンだと思うが、メクジラを立てるようなことではないだろう。もしホントに「~でよろしかったでしょうか?」がダメなら、「~でよろしいでしょうか?」だってダメな気がする。
 ただ、接客の基本を考えてほしい。これだけ「~でよろしかったでしょうか?」が問題視されてしまうと、どんなに正当化する論理があっても、使うべきではない。よけいなトラブルの元だもん。「それはおかしい」と指摘する客を論破して何かいいことあるの?
 さらにイヤなのは、こういう妙な表現が広まると、拡大解釈する●●が出てくること。【20110205追記】で書いた「いきなり」も相当イヤだけど、もっとトンデモナい使い方も出てくる気がする。
 そんなことになるくらいなら、「~でよろしかったでしょうか?」を封印するほうが無難じゃないかな。

 個人的には
「以上でございますね。(少々お待ちください)」
「以上でございますね。承りました」
 くらいのほうがスマートだと思う。でもこれを「丁寧すぎる」と感じる人もいるらしい。丁寧すぎて何が悪いかわからないが、そう考えるなら「よろしいでしょうか?」あたりがいいだろう。

【20140629追記】
「よろしかったでしょうか?」の類似表現として「おそろいになりましたでしょうか?」というのもあるらしい。
 これはこれでヘンだと思う。
【Googleのコーパス?的な利用法 直裁 直截 お揃いですか お運び漏れ〈1〉〜〈3〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3020.html

●バイト敬語/若者言葉のコレクション
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1818.html

【つまらんダジャレは嫌いだぁ!61──「大きな」と「大きい」の違い〈1〉〜〈3〉】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2010年01月21日から。

「みなさ~ん、今日は反対の言葉の勉強をします。〈大きな木〉の反対の言葉がわかる人。ハイ、tobiクン」
「はい、センセー。〈大きくない木〉です」
「それも反対の言葉ですね。ほかに〈ナントカでない〉を使わない言葉を考えましょう」
「センセー、〈ナントカ出ない〉って便秘ですか?」
「イラッ。tobiクン、ふざけてないでまじめに考えましょうね。いまそんなことは関係ありません」
「はい、センセー。〈フツーの木〉でどうよ」
「ピキッ。tobiクン、ちょっとこちらにいらっしゃい。〈大きな木〉の反対の言葉になる〈ナントカな木〉ですよ」
「……じゃあ、大きな茸」
「それは木じゃないだろ! 〈ナントカな木〉だって言ってるだろうが、クソガキ!」
「痛い痛い、tobiクンの〈大きくない茸〉をイジめないで。シクシク」
 ……それは〈オトコなキ〉?


 えーと、今回のテーマは「大きな」と「大きい」の違い。
 最近参加したコミュの過去のトピでおもしろいテーマを見つけた。
【「大きいかぶ」と「大きいなかぶ」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26354322&comm_id=1585030

「大きな」と「大きい」はどう違うか。これは昔から疑問だった。イチバンの違いは「大きな」は連体詞で「大きい」は形容詞。意味はほぼ同じ。ただし、「大きな」が洗練された言葉で、「大きい」は子供っぽい言葉、ってイメージがあった。
「1」でリンクが張ってあるサイトは興味深い。※リンク切れ。
http://kite.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/7/sasaki.pdf
↓にかわったらしい。
http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikainihongo/7/sasaki.pdf

 この論文によると、基本的には「大きな」と「大きい」には互換性があるが、微妙に違う点もある。ポイントを箇条書きにしてみる

1)「大きい」しか使えない例
「大きいのしかない」(小銭がないとき)
「大きいお兄さん」(最年長の兄の意味)
※tobiメモ 「最年長」だろうか。単に「年長」だと思う。「大きいお兄さん」の上に、ずーっと年の離れた「別格のお兄さん」がいてもおかしくはない。

2)「大きな」しか使えない例
 主として慣用句。
「おっきなこと」「大きな顔(をする)」「大きな口(をたたく)」「大きなお世話」
※tobiメモ なぜ「大きなこと」だけ「おっきな」になっているのかは不明。さらに、「おっきなこと」だけは「大きい」にできるらしい。全部、「大きな」が自然だと思うけど、「お世話」以外は「大きい」が間違いと断言する自信がない。

3)「小さな」と「小さい」の違い
「小さな胸」(かわいらしい胸)
「小さい胸」(形態の大きくない胸)
>「ちいさな胸」というと、胸の形態が小さいのみならず、愛らしい心というニュアンスを含むことが往々にしてある。
※tobiメモ 知らん。 

 コメントの「3」に〈「大きな」の品詞は、連体詞とする見方と、連体形しかないナ形容詞とする見方とがあるようです。(辞書によって違ったりします。)〉とある。
 ちょっと調べてみた。

ネット辞書『大辞泉』
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=027541021701000
================================
[形動]《形容動詞「おおきなり」の連体形「おおきなる」の音変化》
◆「声の大きな人」のように、述語としても用いられるので、形容動詞と認められる。連体形だけが用いられる。
================================

ネット辞書『大辞林』
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%AA&dtype=0&stype=1&dname=0ss
================================
(形動)
〔補説〕 形容動詞「おおき(なり)」の連体形から。現代語では連体形「おおきな」の形だけが用いられる
〔補説〕 「おおきな」を連体詞とする説もあるが、この語は「耳の大きな人」などのように、述語としてのはたらきをもっている点が、一般の連体詞とは異なっている
================================

 手元の『広辞林』には連体詞しかのっていない。
 Wikipediaだと、「大きな」「小さな」「おかしな」は連体詞。こうなってくると、当方が口を挟めるような問題ではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E4%BD%93%E8%A9%9E

 ただ、基本的には「大きな」の類いを使うのが無難だと思う。
「大きいのしかない」「大きいお兄さん」は、子供っぽさが感じられる用法なので「大きい」のほうが自然なのかもしれない。ただし、「大きなのしかない」「大きなお兄さん」はダメと断言する勇気もない。

 実はつい最近読んだ小説に「小さい」が出てきた。これはなぜか「小さな」にはしにくい気がした。どうなんだろう。

  尚子の小さいときは、もっと荒々しい急流だった。
  『おとこ坂 おんな坂』(阿刀田高)

【追記】
「小さいとき」は「小さなとき」にしにくい。松任谷由実(「荒井」じゃないんだ)の『やさしさに包まれたなら』の冒頭の「小さい頃」も同様の気がする。単に慣れの問題?
http://www.evesta.jp/lyric/artists/a3091/lyrics/l25227.html


「大きな」と「大きい」の違い〈2〉

 いかんなぁ。〈1〉で書いた{細かい/細かな}ツッコミの対象は、リンク先の論文ではなく、引用されている『現代形容詞用法辞典』だった。
 論文のほうは、あんな乱暴な書き方はしていない。収集した文例を徹底的に分析している。分析した結果は……よくわからない(泣)。

 論文を再読して、メモしておきたいことが出てきた。
================================
「大きい⇔大きな」のように語尾イとナが交替形をもつ語彙は、管見の範囲では下記の8組である。
「大きい⇔大きな」「小さい⇔小さな」「おかしい⇔おかしな」「細かい⇔細かな」
「やわらかい⇔やわらかな」「あたたかい⇔あたたかな」「間近い⇔間近な」「手近い⇔手近な」
================================

 後ろの2組はめったに見ないが、その話はパス。
 8組もあるんだ。考えたけど5組しか出てこなかった(泣)。
 この8組は2グループに分けることができる。

A「~な」が連体詞のもの
※もう少し正確に書くなら、連体詞説と形容動詞説の両方があるもの。「~な」を「~だ」にできないもの、が正確かも。
  1)「大きい⇔大きな」
  2)「小さい⇔小さな」
  3)「おかしい⇔おかしな」

B「~な」が形容動詞の活用形のもの
  4)「細かい⇔細かな」
  5)「やわらかい⇔やわらかな」
  6)「あたたかい⇔あたたかな」
  7)「間近い⇔間近な」
  8)「手近い⇔手近な」

 下記のような論文もあるらしい。内容はよくわかんない。やはり「とき」の場合は「小さい」が圧倒的に優勢らしい。
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/11766/1/20C15124.pdf
==============引用開始
4 まとめ(結論)
残された課題も多いが、「BCCWJ09_BK」に見られる名詞を修飾する「小さい/な」の用例によっ て明らかになったいくつかの点をまとめておきたい。
(1)被修飾名詞全体において「小さい」が占める割合は小さい。26.9%
(2)しかし、総ての名詞において少ないのではなく、その割合が 80%を超える名詞もある。
(3)「小さい」の割合が圧倒的に高い(80%以上の)名詞は、そのほとんどがいわゆる形式名詞と呼ばれるものである。
「場合」:10%、「順」:10%、「とき」:98.7%、「時」:96.3%、「ほう」:94.7%、「ころ」:91.8%、 「頃」:89.7%、「方」:81.8%
(4)形式名詞でない名詞にも、「小さい」の割合の高いものが見られる。
「順」:1(10%)、「サイズ」:0.571(57.1%)、「単位」:0.571(57.1%)
(5)「小さい/な」+形式名詞において、「小さい」が占める割合は圧倒的に高い。73.7%
(6)「小さい/な」+具象名詞に見られる「小さい」の割合は小さい。12.8%
(7)しかし、「小さい」の割合が高い名詞も見られる。
「子」:0.64、「人間」:0.60、「容器」:0.57、「人」:0.5、「商店」:0.50、「男」:0.43、「袋」:0.3、
「動物」:0.3、「子供たち」:0.31、「子供」:0.30
(8)これらの名詞(「子」「子供たち」「子供」、「人間」「人」「男」)には年齢を表す表現や連体修飾節用
法の割合が大きい。
(9)「小さい/な」+抽象名詞に見られる「小さい」の割合は小さい。12.3%
(10)連体修飾節用法率が高いものは、「小さい」の出現率も高い傾向が見られる。しかしその逆は真ではない。
(11)具象名詞と抽象名詞における「小さい」の出現率を見ると、ほとんど変わらず、「小さい」は具象名詞に係りやすく、「小さな」は抽象名詞に係りやすいというは一般化できない。
(12)しかし、抽象名詞内で、より抽象度の高い名詞とより抽象度の低い名詞を比較すると、わずかであるが、「小さい」が抽象度の高い名詞に係りにくい傾向が見られるようである。
==============引用終了


【大きい古時計と大きな古時計の違いは?】
http://www.alc.co.jp/jpn/teacher/soudan/015.html
 ↓
http://www.alc.co.jp/jpn/article/soudan/015.html
================================引用開始
15 大きい古時計と大きな古時計の違いは?

Q 現在、ボランティアで日本語を教えています。ちょうど初級の形容詞を教えているのですが、学生から「大きい古時計」と「大きな古時計」はどう違うのかと聞かれて困っています。どのように答えればよいでしょうか。(学習者の国籍は中国。レベルは初級前半)


A 「大きい」はいわゆるイ形容詞で、「大きいです」「大きくなる」「大きい町」のように形を変えます。これに対して「大きな」は名詞につくときは「大きい」と同じように直接つくので形容詞のように見えますが、形容詞と違って名詞の前以外に使わないので特殊なものとして、一般に「連体詞」と分類されています。名詞の前にしか使わないものにはほかにどんなものがあるか、考えてみてください。「小さな」「ある(ある人)」「あらゆる」などそうですね。

 さて「大きい」と「大きな」は「~古時計」の例のようにどちらも同じように名詞の前に使われることもありますし、慣用的にどちらかが多い場合があります。慣用的には
  「大きな顔をする」
  「大きな口をきく」
  「大きなお世話だ」
など「大きな」が一般的です。また、抽象的な語については「大きな」がよく使われます。
  「平和の維持は大きな問題だ」
  「博士の大きな業績にはだれでも頭がさがる」
など、「大きい」でもいいのですが「大きな」のほうが多いでしょう。それに対して、具体的に大きさ、つまりサイズを問題にした場合、
  「もっと大きいのはありませんか」
  「あげものには大きいフライパンのほうがいい」
のように「大きい」が多いようですが、これは絶対とはいえません。

 学習者が初級である場合、こうした違いはあまり重要ではないと思われます。ですから「意味は同じであるが、『大きな』は名詞の前にしかつかない」ということを理解させることが大切でしょう。
================================引用終了


「大きな」と「大きい」の違い〈3〉

 テーマサイトは下記。
【”大きい犬”と ”大きな”とは、どのような使分けをすれば良い、のでしょうか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9075399.html

 質問内容はタイトルのとおり。
「大きい犬」と「大きな犬」の使い分け。
 個人がどう使い分けるのかは自由だろうが、それが一般性を持つか否かは疑問。そんな使い分けの基準とかルールなど聞いたことがない。一部の例外を別にすれば、どちらを使っても間違いではないはず。
「どのような使い分けをすればよいか」と訊かれたら、「使い分けのルールはない。使い分けるのは自由だが、たぶん伝わらない」と答えるしかない。
 回答を読んでいくと、「大きい」は客観的で「大きな」は主観的、という説が多い。ホントにそんなことが言えるのだろうか。こんな話でなぜ「主観・客観」の話が出るのか理解できない。「主観・客観」の話は辞書なんかでもたまに目にする。同意できることもなくはないが、疑問を感じることが多い。
 たとえば下記のコメントNo.30からひく。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8773212.html
==============引用開始
3)哲学や心理学ではあるまいに、いまどき国文法での「主観・客観」論議は、具体的に例文の提示内容やその度合いの識別があいまいなタームとして、ほとんど使われなくなっています。
==============引用終了

 根拠は不明だが、文法に詳しいかたがここまで断定するのだから、信用してよいと思う。
 mixiでトピも立ててみた。「主観・客観」を支持する意見はもらえなかった(これだけ過疎ってるんじゃしかたないか……)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=76543475

 そもそも「大きい」とか「小さい」というのは相対的(かつ主観的)なものだから、「主観」か「客観」かと言うなら「主観」だろう。それは「大きな」だって同じこと。
「大きい犬」と聞いてどの程度の大きさを想起するか。
 極端なことを言えば、小型犬を飼っている人から見たら中型犬は「大きい犬」だろう。
 超大型犬を飼っているいる人から見たら中型犬は「大きい犬」ではない。
 これも「大きな犬」と言っても同じこと。
 
 その話は別にして……。
 個人的には「大きい犬」と「大きな犬」に違いは感じない。したがって、使い分けはしようがない。
 ただし、自分では「大きな犬」と言う。繰り返すが、単に個人的な趣味の問題でしかない。類語辞典をひく。
 
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/14346/m0u/%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%84/
==============引用開始
大きい(おおきい)/大きな(おおきな)/でかい

[共通する意味]
★数量や程度、占める割合などが多い。
[英]
big; large
[使い方]
〔大きい〕(形)
〔大きな〕(連体)
〔でかい〕(形)
[使い分け]
【1】「大きい」は、「夢が大きい」「大きく夢みる」のように述語として、また 連用修飾語としても使うが、「大きな」は「大きな…(名詞)」という言い方でしか使わない。
【2】物事の程度や、関わる範囲などが大であるという意で名詞を修飾する場合、その名詞が「問題」「影響」など抽象名詞のときは、「大きな」を用いることが多い。
【3】「でかい」は、実際に数量や、スケールが大きい場合に使う。「大きい」「大きな」より、くだけた言い方になる。「でっかい」とも。
[反対語]
▼大きい⇔小さい 大きな⇔小さな でかい⇔ちっちゃい
==============引用終了
 ↑の辞書には、「主観・客観」の類いの解説がよく出てくる印象がある。その辞書でさえ、「大きい/大きな」に関しては「主観・客観」とは書いていない。
 やはり違うのでは。

 この辞書の記述を踏まえて、〈1〉〈2〉の話をまとめる。
1)「大きな」「大きい」の最大の違いは、用法の違い
 簡単に言うと、「大きな」は「大きな○○」のような使い方しかしない。連体詞だから当然だろう。
 〈1〉でひいた下記のサイトの結論を引用する。
【大きい古時計と大きな古時計の違いは?】
http://www.alc.co.jp/jpn/teacher/soudan/015.html
 ↓
http://www.alc.co.jp/jpn/article/soudan/015.html
==============引用開始
 学習者が初級である場合、こうした違いはあまり重要ではないと思われます。ですから「意味は同じであるが、『大きな』は名詞の前にしかつかない」ということを理解させることが大切でしょう。
==============引用終了

2)抽象名詞の場合は、「大きな」を使うことが多い(「大きい」が間違いということではない)
〈「問題」「影響」など抽象名詞のとき〉は、「大きな」を用いることが多い。当方が、「大きい」に子供っぽさを感じることと関係するかもしれない。

3)形式名詞の場合は「大きい」を使うことが多い(「大きな」が間違いということではない)
「大きいの」(これは「大きな」にはしにくいかも)「大きいほう」「大きいこと」etc.……

4)慣用表現は「大きな」を使うことが多い(「大きい」が間違いということではない)
「大きなお世話」(これは「大きい」にはしにくいかも)「大きな顔(をする)」「大きな口(をたたく)」


 さて、ここからはほぼ余談。
 きわめて主観的な話なので、「そんなことはない!」と言われれば、「そうかもしれません」と頭を下げます。
 当方には、「大きな犬」と「大きい犬」の違いはわからない。
 ただ、「小さい胸」と「小さな胸」にはかなり違いがある気がする。
 〈1〉からひく。
==============引用開始
3)「小さな」と「小さい」の違い
「小さな胸」(かわいらしい胸)
「小さい胸」(形態の大きくない胸)
>「ちいさな胸」というと、胸の形態が小さいのみならず、愛らしい心というニュアンスを含むことが往々にしてある。
※tobiメモ 知らん。 
==============引用終了

 ↑では「知らん」と書いた。
「小さな胸」でも「小さい胸」でも大差がないと思ったから、関知したくなかった。
 当方が誤読しているのか、論文の書き方が言葉足らずなのか……。
「小さい胸」は、たぶん「小さいバスト」だろう。だが、「小さな胸(を痛めた)」と言った場合は、バストではなくハートのイメージが強い。それなら「可愛らしい」と言ってもおかしくない。 これはきわめて珍しい例外では。
「小さい犬」と「小さな犬」の場合は……やはり違いがわからない。

 なぜか「小さい」は後ろに形式名詞が来ることが多い。
「小さいの」「小さいほう」「小さいこと」「小さい頃」「小さいとき」etc.……

 さらに言うと、「小さい」が負のイメージのときは、「小さな」にはしにくい(「小さな」が間違いということではない)。
「小さいこと」(これは形式名詞だから?)「(器が)小さい男」

「小さな秋」が不自然に感じるのは、「小さい秋」のイメージが強いから?



「大きな」と「大きい」の違い〈4〉
──”大きい犬”と ”大きな”とは、どのような使分けをすれば良い、のでしょうか?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9075399.html
質問の内容。
==============引用開始
”大きい犬”と ”大きな”とは、どのように使分ければ良い、のでしょうか?
==============引用終了

No.5
回答者: 1311tobi

回答日時:2015/09/27 15:32
「大きな犬」と「大きい犬」の使い分け。


 昔、いろいろ調べました。文献も読みましたが、使い分けのきっちりしたルールなど見た記憶がありません。
 たとえある人がきっちり使い分けたとしても、相手はそんなふうにとるとは思えません。そんな自分勝手な使い分けに意味があるのでしょうか。
 当方は「大きな犬」を使い、「大きい犬」は使わないようにしています。
 単に好みの問題です。
 あえて理由をつけるなら、「大きい○○」のほうが少しだけ子供っぽく感じるからです。
 ただし、↓の論文によると、○○が下記のような形式名詞?の場合は「小さい」のほうが優勢なんだそうです。こういう使用例を集めた分析なら、意味があると思います。
「大きい」もそういう傾向がありそうです。ただし、「大きな」にしても「間違い」ではありません。
「とき」「時」「ほう」「ころ」「頃」「方」

 詳しくは下記をご参照ください。前半のヨタ話は無視してください。
【つまらんダジャレは嫌いだぁ!61──「大きな」と「大きい」の違い】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1149. …
 以下は一部の抜粋(重言)。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「大きな」と「大きい」はどう違うか。これは昔から疑問だった。イチバンの違いは「大きな」は連体詞で「大きい」は形容詞。意味はほぼ同じ。ただし、「大きな」が洗練された言葉で、「大きい」は子供っぽい言葉、ってイメージがあった。
「1」でリンクが張ってあるサイトは興味深い。
http://www.urayasu.meikai.ac.jp/japanese/meikain …

 この論文によると、基本的には「大きな」と「大きい」には互換性があるが、微妙に違う点もある。ポイントを箇条書きにしてみる

1)「大きい」しか使えない例
「大きいのしかない」(小銭がないとき)
「大きいお兄さん」(最年長の兄の意味)
※tobiメモ 「最年長」だろうか。単に「年長」だと思う。「大きいお兄さん」の上に、ずーっと年の離れた「別格のお兄さん」がいてもおかしくはない。

2)「大きな」しか使えない例
 主として慣用句。
「おっきなこと」「大きな顔(をする)」「大きな口(をたたく)」「大きなお世話」
※tobiメモ なぜ「大きなこと」だけ「おっきな」になっているのかは不明。さらに、「おっきなこと」だけは「大きい」にできるらしい。全部、「大きな」が自然だと思うけど、「お世話」以外は「大きい」が間違いと断言する自信がない。

3)「小さな」と「小さい」の違い
「小さな胸」(かわいらしい胸)
「小さい胸」(形態の大きくない胸)
>「ちいさな胸」というと、胸の形態が小さいのみならず、愛らしい心というニュアンスを含むことが往々にしてある。
※tobiメモ 知らん。 

 コメントの「3」に〈「大きな」の品詞は、連体詞とする見方と、連体形しかないナ形容詞とする見方とがあるようです。(辞書によって違ったりします。)〉とある。
 ちょっと調べてみた。

(中略)

 下記のような論文もあるらしい。内容はよくわかんない。やはり「とき」の場合は「小さい」が圧倒的に優勢らしい。
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/11766/1 …
==============引用開始
4 まとめ(結論)
残された課題も多いが、「BCCWJ09_BK」に見られる名詞を修飾する「小さい/な」の用例によっ て明らかになったいくつかの点をまとめておきたい。
(1)被修飾名詞全体において「小さい」が占める割合は小さい。26.9%
(2)しかし、総ての名詞において少ないのではなく、その割合が 80%を超える名詞もある。
(3)「小さい」の割合が圧倒的に高い(80%以上の)名詞は、そのほとんどがいわゆる形式名詞と呼ばれるものである。
「場合」:10%、「順」:10%、「とき」:98.7%、「時」:96.3%、「ほう」:94.7%、「ころ」:91.8%、 「頃」:89.7%、「方」:81.8%
(4)形式名詞でない名詞にも、「小さい」の割合の高いものが見られる。
「順」:1(10%)、「サイズ」:0.571(57.1%)、「単位」:0.571(57.1%)
(5)「小さい/な」+形式名詞において、「小さい」が占める割合は圧倒的に高い。73.7%
(6)「小さい/な」+具象名詞に見られる「小さい」の割合は小さい。12.8%
(7)しかし、「小さい」の割合が高い名詞も見られる。
「子」:0.64、「人間」:0.60、「容器」:0.57、「人」:0.5、「商店」:0.50、「男」:0.43、「袋」:0.3、
「動物」:0.3、「子供たち」:0.31、「子供」:0.30
(8)これらの名詞(「子」「子供たち」「子供」、「人間」「人」「男」)には年齢を表す表現や連体修飾節用
法の割合が大きい。
(9)「小さい/な」+抽象名詞に見られる「小さい」の割合は小さい。12.3%
(10)連体修飾節用法率が高いものは、「小さい」の出現率も高い傾向が見られる。しかしその逆は真ではない。
(11)具象名詞と抽象名詞における「小さい」の出現率を見ると、ほとんど変わらず、「小さい」は具象名詞に係りやすく、「小さな」は抽象名詞に係りやすいというは一般化できない。
(12)しかし、抽象名詞内で、より抽象度の高い名詞とより抽象度の低い名詞を比較すると、わずかであるが、「小さい」が抽象度の高い名詞に係りにくい傾向が見られるようである。


No.9ベストアンサー
回答者: 1311tobi

回答日時:2015/09/30 13:11
No.5でコメントした者です。


 No.8で〈「大きな」と「大きい」との間にそれほど意味的な差違は認められないと思います〉というコメントがあり、ちょっと安心しました。
 このような微妙な使い分けをしなければならいのか……と暗い気持ちになっていました。基準も不明なので、このような使い分けはできないと思います。

 詳しくは下記をご参照ください。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12078860800.html
 以下は一部の抜粋(重言)。


 回答を読んでいくと、「大きい」は客観的で「大きな」は主観的、という説が多い。ホントにそんなことが言えるのだろうか。こんな話でなぜ「主観・客観」の話が出るのか理解できない。「主観・客観」の話は辞書なんかでもたまに目にする。同意できることもなくはないが、疑問を感じることが多い。
 たとえば下記のコメントNo.30からひく。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8773212.html
==============引用開始
3)哲学や心理学ではあるまいに、いまどき国文法での「主観・客観」論議は、具体的に例文の提示内容やその度合いの識別があいまいなタームとして、ほとんど使われなくなっています。
==============引用終了

 根拠は不明だが、文法に詳しいかたがここまで断定するのだから、信用してよいと思う。
 mixiでトピも立ててみた。「主観・客観」を支持する意見はもらえなかった(これだけ過疎ってるんじゃしかたないか……)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=76543 …

 そもそも「大きい」とか「小さい」というのは相対的(かつ主観的)なものだから、「主観」か「客観」かと言うなら「主観」だろう。それは「大きな」だって同じこと。
「大きい犬」と聞いてどの程度の大きさを想起するか。
 極端なことを言えば、小型犬を飼っている人から見たら中型犬は「大きい犬」だろう。
 超大型犬を飼っているいる人から見たら中型犬は「大きい犬」ではない。
 これも「大きな犬」と言っても同じこと。
 
 その話は別にして……。
 個人的には「大きい犬」と「大きな犬」に違いは感じない。したがって、使い分けはしようがない。
 ただし、自分では「大きな犬」と言う。繰り返すが、単に個人的な趣味の問題でしかない。類語辞典をひく。
 
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/14346/m0u …
(中略)

 ↑の辞書には、「主観・客観」の類いの解説がよく出てくる印象がある。その辞書でさえ、「大きい/大きな」に関しては「主観・客観」とは書いていない。
 やはり違うのでは。

 この辞書の記述を踏まえて、〈1〉〈2〉の話をまとめる。
1)「大きな」「大きい」の最大の違いは、用法の違い
 簡単に言うと、「大きな」は「大きな○○」のような使い方しかしない。連体詞だから当然だろう。
 〈1〉でひいた下記のサイトの結論を引用する。
【大きい古時計と大きな古時計の違いは?】
http://www.alc.co.jp/jpn/teacher/soudan/015.html
==============引用開始
 学習者が初級である場合、こうした違いはあまり重要ではないと思われます。ですから「意味は同じであるが、『大きな』は名詞の前にしかつかない」ということを理解させることが大切でしょう。
==============引用終了

2)抽象名詞の場合は、「大きな」を使うことが多い(「大きい」が間違いということではない)
〈「問題」「影響」など抽象名詞のとき〉は、「大きな」を用いることが多い。当方が、「大きい」に子供っぽさを感じることと関係するかもしれない。

3)形式名詞の場合は「大きい」を使うことが多い(「大きな」が間違いということではない)
「大きいの」(これは「大きな」にはしにくいかも)「大きいほう」「大きいこと」etc.……

4)慣用表現は「大きな」を使うことが多い(「大きい」が間違いということではない)
「大きなお世話」(これは「大きい」にはしにくいかも)「大きな顔(をする)」「大きな口(をたたく)」


 さて、ここからはほぼ余談。
 きわめて主観的な話なので、「そんなことはない!」と言われれば、「そうかもしれません」と頭を下げます。
 当方には、「大きな犬」と「大きい犬」の違いはわからない。
 ただ、「小さい胸」と「小さな胸」にはかなり違いがある気がする。
 〈1〉からひく。
==============引用開始
3)「小さな」と「小さい」の違い
「小さな胸」(かわいらしい胸)
「小さい胸」(形態の大きくない胸)
>「ちいさな胸」というと、胸の形態が小さいのみならず、愛らしい心というニュアンスを含むことが往々にしてある。
※tobiメモ 知らん。 
==============引用終了

 ↑では「知らん」と書いた。
「小さな胸」でも「小さい胸」でも大差がないと思ったから、関知したくなかった。
 当方が誤読しているのか、論文の書き方が言葉足らずなのか……。
「小さい胸」は、たぶん「小さいバスト」だろう。だが、「小さな胸(を痛めた)」と言った場合は、バストではなくハートのイメージが強い。それなら「可愛らしい」と言ってもおかしくない。これはきわめて珍しい例外では。
「小さい犬」と「小さな犬」の場合は……やはり違いがわからない。

 なぜか「小さい」は後ろに形式名詞が来ることが多い。
「小さいの」「小さいほう」「小さいこと」「小さい頃」「小さいとき」etc.……

 さらに言うと、「小さい」が負のイメージのときは、「小さな」にはしにくい(「小さな」が間違いということではない)。
「小さいこと」(これは形式名詞だから?)「(器が)小さい男」

「小さな秋」が不自然に感じるのは、「小さい秋」のイメージが強いから?


No.10
回答者: 1311tobi

回答日時:2015/10/01 10:19
No.9でコメントした者です。



1.<そもそも「大きい」とか「小さい」というのは相対的(かつ主観的)なもの>
なのですね。主観・客観は、使うことは、重要ではない(意味がない)。
→「主観・客観」の考え方が有効な場合もあるのかもしれません。
 ただ、「大きい/大きな」の場合は、関係がなさそうということです。
 少なくとも、↓の辞書や、アルクのサイトには、そのような記述はありません。
 アルクのサイトはURLが下記にかわってますね。
http://www.alc.co.jp/jpn/article/soudan/015.html

2.「大きい」は一般的に(名詞でいえば、普通の名詞に)使っている。それに対して「大きな」は、特殊(名詞でいえば、抽象や形式など)に使っている。
→どちらが一般的で、どちらが特殊ということではないはずです。
 ただ、用途が広いのはどちらなのか、ということなら「大きな」でしょう。
 No.9のコメントやアルクのサイトをご確認ください。だいたい下記のような傾向があります。あくまでも〝だいたい〟です。
 普通の名詞 →「大きな」「大きい」
 抽象的な名詞→「大きな」
 慣用句   →「大きな」
 形式名詞  →「大きい」 
 形式名詞でも「大きな」が使えますが、「大きいの(がいい)」の場合は、「大きい」のほがよさそうです。

 アルクのサイトには「あげものには大きいフライパンのほうがいい」という例もあげられていますが、これを「大きな」にできない理由はないはずです。


【20181017追記】
 某所に書いたこと。
「真っ赤な花」(トナカイ?)ではなく、「真っ白い花」に食いつきます。
「真っ白い花」「真っ白な花」
「真っ黒い花」「真っ黒な花」
 これは、8例しかないと言われる、イナ交替の亜種でしょう。
 惜しいことに〈A「~な」が連体詞のもの〉ではなく、〈B「~な」が形容動詞の活用形のもの〉ですね。
 複合語だからダメと考えるか。辞書にもあるんだから○と考えるのか。個人的には当然のように後者です。

突然ですが問題です【日本語編252】──多人数 大人数 多勢 大勢

 下記の仲間。
【突然ですが問題です お品書き〈5〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930761341&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【17】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950899196&owner_id=5019671

【問題】
「多人数」と「大人数」がどう違うか説明しなさい。

【参考サイト】
【「多人数、大人数」は何か違いますか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9297520.html



【解答?例】
 わかりません。。(←オイ!)
「多人数」の反対語が「少人数」で、「大人数」の反対語が「小人数」。
 使用例は「大人数」のほうが圧倒的に多い。

【よくわからない解説】
1688)【「多人数」と「大人数」】辞書
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12190506649.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954593263&owner_id=5019671

【難い(がたい) 辛い(づらい) にくい 教えて!goo】辞書〈1〉〈2〉

【日本語アレコレ】
 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【11】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906376407&owner_id=5019671

mixi日記2014年01月08日から

 テーマサイトは下記。
【「がたい」と「にくい」の違い?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8420741.html

【質問の全文】=========引用開始
「がたい」と「にくい」の違い?

日本語を学ぶ中国人です。
「あることができません」を書きたいので、「がたい」と「にくい」について、どちらがいいですか?
例えば:
1、住所がとても長いから、話しがたいです。
2、住所がとても長いから、話しにくいです。

どちらは正しいですか?
================引用終了

 まず結論を書く。中国のかたなら、答えは簡単。「がたい」は使わないほうがいい。
「得がたい」「信じがたい」「許しがたい」「近寄りがたい」「捨てがたい」「忘れがたい」「言いがたい」などの使い方があるが、これは一種の慣用句のようなもの。
 どういう場合に使えるのかを論理的に説明するのはむずかしい(これも「説明しがたい」と言えなくはない)。しかも「がたい」には古くさい印象があるので、無理して使う理由はない。
 ただし例文の場合は、「にくい」にしても少しヘン。これは「話す」が不適切だからだろう。
「住所がとても長いから、覚えにくい」ならおかしくない。
「住所が長い」からといって、話している人に「伝えにくい」ということは考えにくい。住所が多少長くても、伝達には支障はないはず。
「込み入った場所にあるアパートなので、場所が説明しにくい」ということならわかるが。
 さらに言うと、「できない」の意味で「にくい」を使うのも避けるほうが無難。「にくい」は「できない」のではなく、「できなくはないが、むずかしいのでうまくできない」くらいのニュアンス。

 一応、「がたい」と「にくい」の違いを見てみよう。
 違いを考えるべきなのは、「にくい」と「づらい」って気もする。この違いは微妙すぎて当方には説明できない 
 こういう似た言葉の違いを知りたければ下記の類語辞典がオススメ。掲載している語はさほど多くないが、場合によっては、これだけで解決する。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/14569/m1u/%E3%81%8C%E3%81%9F%E3%81%84/
================引用開始
難い(がたい)/辛い(づらい)/にくい
[共通する意味]
★動詞の連用形に付いて、その動作を行うのがむずかしい意を表わす語。
[使い方]
〔難い〕(がたい)(接尾)▽いわく言い難い話▽離れ難い恋人同士
〔辛い〕(接尾)▽懐が深くてやり辛い相手▽このテーブルは低すぎて食べ辛い
〔にくい〕(接尾)▽ペン先が固くて書きにくい万年筆▽運転しにくい道路
[使い分け]
【1】「難い」は、ある動作を行うのに心理的な抵抗を覚え、その動作を行うことに踏み切れない意を表わす。物理的あるいは技術的に困難な場合には用いられない。
【2】「辛い」「にくい」は、ある動作を行うのが心理的あるいは物理的、技術的に困難な場合に用いられる。
【3】「難い」は、やや硬い言い方。話し言葉としては「辛い」「にくい」が多く用いられる。
[対比表]
(略)
================引用終了

 まとめと補足。
「がたい」は心理的に困難なこと。ただし、心理的なことでも、使える場合は限られる。しかも古くさい雰囲気があるので、ムヤミに使わないほうがいい。
「づらい」と「にくい」は心理的なことでもそれ以外(物理的・技術的……etc.)でもほぼ同様に使える。↑の例文でも、すべて互換性がある。
▽懐が深くてやり{づらい/にくい}相手
▽このテーブルは低すぎて食べ{づらい/にくい}
▽ペン先が固くて書き{づらい/にくい}万年筆
▽運転し{づらい/にくい}道路
※〈懐が深くてやりづらい相手〉は、厳密には例文として不適切だろう。相撲の話ならわかるが、一般には「懐が深い」はむしろ褒め言葉。やりづらい理由にはならないだろう。〈気が短くてやりづらい相手〉くらいすればいいのに。

 対比表では「-」になっているものも、「にくい」を「づらい」にしてもさほどおかしくない気がする。「燃えづらい薪」はほんの少し不自然な気もするが、許容範囲だろう。
偉すぎて近寄りづらい
燃えづらい薪


【20151206追記】
〝あの方〟のコメントを発見した。
【「~にくい」と「~がたい」の違い】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8025007.html
==============引用開始
No.2ベストアンサー
回答者:nwsaburoo 回答日時:2013/04/03 21:00
こんにちは。

日本語教師です。昔書いたものから。


[V-にくい]
「V-やすい」の反対の意味を表します。
[1]人の意志的な動作で
 ある物・人が「~するのは難しい、大変だ」という性質を持っているという意味です。
 他動詞の「Nを」が「Nが」となる例が多くあります。その他に、道具の「Nで」、
 場所の「Nに」なども、「Nが」になります。
 「その人にとっては」という場合、「(人)に」で表します。
 否定的評価で、「そういう性質を持っていることは良くない」という話し手の評価
があります。
     この本は小学生には読みにくい。(人ガ本ヲ読む→本ガ人ニ読みにくい)
     この早口言葉はそんなに言いにくくない。
     別れの言葉は書きにくかった。
     あの先生の説明はわかりにくい。
     この靴はどうも歩きにくいです。(その靴デ歩く)
     右利き用のはさみは、左利きの人には切りにくい。(はさみデ切る)
     東京はすっかり住みにくくなってしまった。(東京ニ住む)
     その温泉はずいぶん行きにくい所にあった。(所ニ行く)
     この問題はあの人には相談しにくい。
     あの先生はどうも相談に行きにくい。
     なんだかやりにくいなあ。 

[2]非意志的な動詞で
 「かんたんにはそうならない、そうなることがあまりない、という性質を持って
いることを表します。それが良いことか困ったことかは、文脈によります。
     体が丈夫で、病気になりにくい。
     この絵の具は変色しにくい。
     私は、風邪を引きにくい体質です。
     この服は汚れが落ちにくいね。
     地震の後は電話がつながりにくくなります。
     この辞書は厚すぎて、カバンに入りにくい。
     燃えにくい物を入れないでください。
     消防士は燃えにくい服を着る。
     倒れにくい建物   腐りにくい食べ物   割れにくいガラス
     とれにくい汚れ   混ざりにくい絵の具   流れにくいトイレ
     折れにくい枝(木に登るのにはいい/たきぎにするには不適当)


[V-がたい]
 「かたい」は「-やすい」の「易」の反対の「難い」です。音変化を
起こして「-がたい」となっています。そうすることが困難であり、ほとんど
できないことを表します。精神的なことに関する動詞が多いです。硬い文体で
使われます。過去にはなりますが、否定の形「×V-がたくない」はありません。
     台風の進路予想は、何とも言いがたい。 
     現状のままでは、この地域は発展しがたい。
     天才の頭脳の働きは、凡人には想像しがたい。
     彼の行為は許し難かった。

この他に次のような動詞とよく使われます。名詞修飾の形で例を出します。
     忘れがたい(思い出)  信じがたい(話)  得がたい(人物)
     近寄りがたい(人) 動かしがたい(証拠) 耐えがたい(苦しみ)

saburoo
==============引用終了


【難い(がたい) 辛い(づらい) にくい 教えて!goo】辞書〈2〉(仮)
 
 下記から。
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12084207604.html

 テーマサイトは下記。
【日本語の正しい方はどちらですか】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9084452.html
==============引用開始
①トイレの水が流れづらい
②トイレの水が流れにくい
どちらが正しい日本語なのでしょうか。
教えてください。
==============引用終了

 ほぼ同じような使い方をする「がたい」「づらい」「にくい」のうち、「がたい」に関してはあまり考えたくない。古くさいニュアンスがあるので、〈1〉で書いたように用法が限られる一種の慣用句と考えたほうがいい気がする。
 問題は「づらい」「にくい」の違い。
〈1〉では、違いがほとんどわからなかった。
==============引用開始
 まとめと補足。
「がたい」は心理的に困難なこと。ただし、心理的なことでも、使える場合は限られる。しかも古くさい雰囲気があるので、ムヤミに使わないほうがいい。
「づらい」と「にくい」は心理的なことでもそれ以外(物理的・技術的……etc.)でもほぼ同様に使える。↑の例文でも、すべて互換性がある。
▽懐が深くてやり{づらい/にくい}相手
▽このテーブルは低すぎて食べ{づらい/にくい}
▽ペン先が固くて書き{づらい/にくい}万年筆
▽運転し{づらい/にくい}道路
※〈懐が深くてやりづらい相手〉は、厳密には例文として不適切だろう。相撲の話ならわかるが、一般には「懐が深い」はむしろ褒め言葉。やりづらい理由にはならないだろう。〈気が短くてやりづらい相手〉くらいすればいいのに。
 対比表では「-」になっているものも、「にくい」を「づらい」にしてもさほどおかしくない気がする。「燃えづらい薪」はほんの少し不自然な気もするが、許容範囲だろう。
==============引用終了

 テーマサイトのNo.4までのコメントを読んで、ますます気持ちが暗くなる。
 何が書いてあるのか理解できない(泣)。当方の理解力に大きな問題があるのでは……と不安になった。これはひょっとすると、触れてはいけないテーマなのかも。

 過去の質問を検索する。
https://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?MT=%E3%81%A5%E3%82%89%E3%81%84%E3%80%80%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%84&code=utf8&c=626

 やはり何がなんだか(泣)。

 テーマサイトのNo.5のコメントを読んで冷静さを取り戻した。重要なので、全文をひく。
==============引用開始
「~づらい」と「~にくい」は、どちらも正しい言葉です。困難であることを示す意味も似ています。
使い分けとしては、「~づらい」と「~にくい」を入れ替えてみて、違和感があるかどうかで判断できるでしょう。
個人的には「~づらい」は心理的・主観的な要因を伴う場合に使うものと捉えています。

何かのテレビ番組で「バスが遅れづらい」という表現が出てきて、おやっ?と思ったことがありました。
バスの運行状況をきめ細かく把握して遅れが出ないように運行管理しているので「遅れにくい」という内容でした。
このように「~にくい」が適切かと思われる場面で「~づらい」と言っているケースを最近何度か耳目にしました。
「~づらい」に集約するような変化が起きているのか、ちょっと気になっています。

  * * *

参考1 
『記者ハンドブック 新聞用字用語集 12版』(共同通信社)
・・にくい  (難い)→にくい〔接尾語〕 歩きにくい、言いにくい、書きにくい、話しにくい事柄
・・づらい  聞きづらい、しづらい、頼みづらい、見づらい、やりづらい

参考2
『言葉に関する問答集 総集編』 (文化庁編)
[問] 「分かりにくい」か「分かりづらい」か
[答] 何かをしようとして困難を感じるとき、「…にくい」を用いるか、「…づらい」を用いるかと言う問題である。
各種国語辞典を見ると、接尾語としての「にくい」は早くから見えるけれども、「づらい」の方は、遅く採録されている。両者の意味の差をはっきり示しているものは少なく、「それをすることができない、むずかしい、困難を覚える」などの語釈を与えていて、用例として「読みにくい本」「読みづらい本」などと出ていたりする。中に「づらい」の語釈に、「その動作が苦痛を伴ったり困難である意を表す」となっているものがあって、「にくい」と「づらい」の意味の違いを指名しているのではないかと思われる。
たとえば、狭い歩道に電柱が立っていて車いすが通れないというときの新聞の見出しに、
 通りにくい車イス
 そこに民家の善意  電柱7本引っ込む  (毎日、平成元・10・2)
とあったが、これなどはまさしく「通りにくい」であって「通りづらい」ではないであろう。これは、物理的に電柱がじゃまをしているだけであって、これを取り除きさえすればよいのであるから。もし、この通りの家に解放された窓があって、そこを通るとき、ともすれば中が見えてしまい、こちらが心理的に苦痛を伴う場合だったら、「通りづらい」に違いない。
 「燃えにくい」とは言うが、「燃えづらい」とは言わないように、「づらい」の方は心理的な抵抗を感じるときに使われる傾きがある。
<以下略>

参考3
『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店)
にく・い 【難い】<語釈・用例は省略>
 [語法] (1)「~づらい」は非意図的動作には使いにくいが、「~にくい」は意図的・非意図的のいずれの動きにも使う。「× 壊れづらい/○ 壊れにくい」
    (2)「~づらい」は主観的な困難さをあらわす傾向があるが、「~にくい」は客観的な理由による困難さも表す。「(個人的な事情や気持ちから)入りづらい大学」「(個人的事情で、または倍率が高くて)入りにくい大学」
つら・い 【辛い】<語釈・用例は省略>
 [語法] 自然現象をあらわす動詞や非意図的な動詞には付きにくい。「× 雨が降りづらい」「× 冷えづらい冷蔵庫」
==============引用終了

 非常に多くの示唆を含むので、細かく見ていく。
〈個人的には「~づらい」は心理的・主観的な要因を伴う場合に使うもの〉
 という考え方には説得力を感じた。ただし、では「~にくい」は物理的・客観的な要因を伴う場合に使うのか、と短絡的に考えるのは危険だろう。
「主観・客観」の話はだいたいホニャララになる。
【”大きい犬”と ”大きな犬”とは、どのような使分けをすれば良い、のでしょうか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9075399.html

 まず出てくる例文は「バスが遅れ{△づらい/にくい}」。
 こうなる理由は、よくわからない。詳しくは後述。
 以下、参考資料が3つ出てくる。やはりちゃんとした文献があれば、少しは前進できる。

「参考1」は表記の問題。個別の記述を並べてみても、何も発見はないだろう。出てきた用例は基本的に両方OKだろう。

「参考2」は『言葉に関する問答集 総集編』。
〈中に「づらい」の語釈に、「その動作が苦痛を伴ったり困難である意を表す」となっているもの〉があるって、カッコでくくるなら、ちゃんと原典を示してもらえませんか、文化庁さん。
 例文が2つ出てくる。
「通り{△づらい/にくい}車イス」(〈心理的に苦痛を伴う場合だったら〉「づらい」)
「燃え{△づらい/にくい}」(「づらい」は〈心理的な抵抗を感じるとき〉)
 
「参考3」は『明鏡国語辞典 第2版』。
「壊れ{× づらい/にくい}」(「~づらい」は非意図的動作には使いにくい)
「(個人的な事情や気持ちから)入りづらい大学」
「(個人的事情で、または倍率が高くて)入りにくい大学」
「× 雨が降りづらい」(自然現象をあらわす動詞)
「× 冷えづらい冷蔵庫」(非意図的な動詞には付きにくい)

 下記は個人のブログだが、いいところをついている気がする。(←何様)
【~がたい、~にくい、~つらい】
http://meew.air-nifty.com/diary/2007/11/post_1314.html
〈「~づらい」は心身的苦痛を感じる状態に用いる〉は、そんな気がする。
〈「~にくい」は客観的状態を表わす〉はどうなんだろう。こう書いてしますと、〈「~づらい」は主観的状態を表わす〉ということになりかねない。それはちょっと違うと思う。
『明鏡国語辞典 第2版』にあるとおり、「~にくい」はどちらに〝も〟使うのだろう。
「~にくい」は意図的・非意図的のいずれの動きにも使う。
「~にくい」は客観的な理由による困難さも表す。

 役に立ちそうな例文を多少加工して、もう一度並べる。
1)燃え{△づらい/にくい}薪
2)バスが遅れ{△づらい/にくい}
3)通り{△づらい/にくい}車イス(〈心理的に苦痛を伴う場合だったら〉「づらい」)
4)燃え{△づらい/にくい}(「づらい」は〈心理的な抵抗を感じるとき〉)
5)壊れ{△づらい/にくい}(「~づらい」は非意図的動作には使いにくい)
6)×雨が降りづらい(自然現象をあらわす動詞)
7)×冷えづらい冷蔵庫(非意図的な動詞には付きにくい)

 6)7)は「にくい」が使えるのだろうか。
 6)は「雨が降りにくい」は、論理的にはアリだけどなんかヘン。
「陽があたりにくい」ならアリかもしれないが、通常は「陽があまりあたらない」「陽あたりがよくない」と言うのでは。
 7)は「冷えにくい冷蔵庫」は、論理的にはアリなのだろうか。ちょっとヘンな気もする。
「熱をもちにくい素材」「電気を通しにくい素材」あたりなら自然に感じるけど。

 さて、1)~5)を確認する。
 たいていの場合はどちらも使えるが、1)~5)のようなときは、「~づらい」は使いにくい。いつでも「使えない」ではないので、むずかしい(泣)。
「~づらい」が使えるのは心理的な要因が絡むとき……という傾向がありそう。
「~にくい」は一部の例外以外は使える。
 むずかしいことはわからないが、個人的な方針は決まった。
 基本的に「~にくい」を使っておけば間違いない。「~づらい」はよほど自信がもてるときでなければ使わない(笑)。

 さて、本題に関して。
①トイレの水が流れづらい
②トイレの水が流れにくい
 どちらも「間違い」ではないだろう。
「流れにくい」なら、どこからも文句がつかない。
「流れづらい」が自然か否かは微妙。
 個人的にはOKだと思うが、論理的に考えると、△なのかもしれない。×なのかもしれない。関知したくない。
「×冷えづらい冷蔵庫」の仲間なのか、「△壊れづらい冷蔵庫」の仲間なのか……言葉の神様に訊いてください。

 これが「水を流し{づらい/にくい}」ならどうなるか。
「流しづらい」は、論理的にはOK。なんらかの事情があって「心理的に困難なら」なのだろう。これもあまり関知したくない。

「はがれ{づらい/にくい}壁紙」
 非意図的だけど「~づらい」もOKだろう。
「はがし{づらい/にくい}壁紙」
 こっちは意図的だから問題なし? 心理的な問題ではなく、単に物理的な場合もあると思うけど。

 あと、『言葉に関する問答集 総集編』にあるらしい〈接尾語としての「にくい」は早くから見えるけれども、「づらい」の方は、遅く採録されている〉という記述も気になるが、むずかしくなりそうなのでパスする。
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