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突然ですが問題です【日本語編87】──AとBを持っている AとBとを持っている」

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mixi日記2011年12月19日から



【問題】
 下記の文に関して【問】に答えなさい。
  AとBを持っている。

【問1】
「AとBを持っている。」は通常、〈「A&B」を持っている〉という意味でしょう。無理矢理別の解釈をしなさい。

【問2】
「AとBを持っている。」は「AとBとを持っている。」の2つ目の「と」が省略されたものと考えられます。
 同様に並立表現で2つ目の助詞(的なもの)を省略できる例をあげなさい。

  例
  肉か魚(か)を選びなさい。
  ※ちょっと苦しいか?




【解答?例】&【よくわからない解説】

【問1】
BというものをAさんと共有している。

【問2】
 並列助詞はいろいろあるが、後ろを省略できるか否かという観点で3つに分類できるだろう。下記の1)と2)は省略できそう。
  1)省略するのがフツー や/に
  2)両方OK      と/か/やら/とか
  3)省略できない    なり/だの/も/だか/の 

  焼酎やワインを飲みました。
  焼酎にワイン、といろいろ飲みました。
  焼酎とワイン(と)を飲みました。
  焼酎かワイン(か)を飲みませんか。
  焼酎やらワイン(やら)を飲みました。
  焼酎とかワイン(とか)を飲みました。

 主題文に秀逸なコメントをもらって戸惑っている。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「AとBを持っている」と「AとBとを持っている」教えて!goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2251.html
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読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。

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 いろいろ加筆しました。
【改訂版】は下記です。
【改訂版】 読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3421.html


mixi日記2012年06月25日から

 以前感想文を書いた『敬語再入門』の親本とも言える一冊。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

 Amazonのデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4061592688
『敬語再入門』に比べると、体系立てて書いてあり、網羅的な記述になっている。
 簡単に言うと、『敬語』が敬語全般を語っているのに対して、『敬語再入門』は要点だけをアトランダム(でもないんだけど)に書いている。
 うんと大雑把に言うと、前者は学術書に近い印象があり、後者はハウツー本に近い印象がある。予想していたことではあるが、当方のように敬語にうとい人間にとっては、後者のほうがとっつきやすい。
 データ的なことを書いておく。
『敬語』   :1997年2月10日第1刷発行
『敬語再入門』:2010年3月10日第1刷発行
『敬語』の原本は1994年角川書店から刊行され、95年度の「金田一賞」を受けている。しかし、角川では一度重版がかかったきりで絶版。講談社学術文庫で再刊されている。
『敬語再入門』の原本は1996年に丸善ライブラリーから刊行。
 ちなみに『敬語』の第1刷は1170円+税だった。当方が購入したのは第14刷で1400円+税。
 これを「けっこう売れている」と考えるか「意外に売れていない」と考えるか。この内容を考えると、もっと爆発的に売れてもおかしくない。とくに昨今のように敬語に関するホニャララな説が流布するなら、こういう書籍の需要が高くなるはずなんだけど……。
 本書がどれほど本格的な書き方をしているのかは、目次を見ただけでわかる。

I章 ことばを使い分ける 29
II章 敬語のあらまし 89
III章 敬語の仕組み使い方──その一 いわゆる尊敬語 114
IV章 敬語の仕組み使い方──その二 いわゆる謙譲語 254
V章 敬語の仕組み使い方──その三 いわゆる丁寧語 354
VI章 敬語の仕組み使い方──その四 全体に関すること 378
VII章 敬語の編か・誤り・将来をめぐって 410

 具体的な話に入るまでに100ページ以上ある。これだけで薄めの文庫本くらいのボリュームがある。全部で500ページ近くあり、半分も読むと満腹感がある。実際には半分では尊敬語の話が終わるくらい(泣)。


【引用部】
意気込みとはうらはらに、思わぬ不備などがあれば、ぜひご叱正をお願いしたい。(P.7)
 敬語とは関係のない話。「ご叱正」ってMAX敬語で初めて見た言葉。文章に関する記述なので、申し分なく正しい(笑)。

【引用部】
この中では丁寧な「あなた」という語も、実は、目上などに対してはそもそも使いにくいところがあり、「社長」「先生」のような職名などで呼ぶとか「○○さん」と呼ぶようなことも多い。(P.32)
 なぜ「あなた」は目上には使いにくいのか。ほかにどんな二人称が使えるのか。そのあたりをちゃんと書いてくれないかなぁ……と無理を承知で書いてみる。

【引用部】
 《改まり》の例としては、ほかに「今日(きょう)」に対する「本日」、「さっき」に対する「先程」などもあげられる。概(がい)して、和語よりも漢語のほうが改まった趣が出る傾向があり、本書冒頭の例で「開けたら」より「開封後は」のほうが改まった感じがするのもその一例である。(P.38)
 これが一般的な解釈だろう。和語のほうが敬度が高いとか、忌み言葉や女房言葉のほうが敬度が高いなんてことはない。ただ、まともな学者は「漢語のほうが敬度が高いからMAX敬語」なんてバカなことは断言しない(黒笑)。

【引用部】
 〈相手に何か頼むとき、相手の意向を尋ねる形の表現のほうが、普通の依頼の表現よりも、相手を立てる(→丁寧な)表現となる〉ということもいえる。具体的には、相手に何らかの行為を求める場合には、「……してくれる(くださる)?」と尋ねるほうが「……してくれ」(ください)」とストレートに頼むよりも、あるいは「……してもらえる(いただける)?」と尋ねるほうが「……してほしいんだけど」と頼むよりも、概してやわらかい感じがする。また、自分が何かをしたいときには、「……していい?」と尋ねるほうが「……したいんだけど」と述べるよりも、やわらかいだろう。
(中略)
 さらに、〈意向を尋ねる形をとって頼む場合、否定疑問形のほうが肯定疑問形よりも丁寧な感じがする〉ということも、概していえそうである。「……してくれない?/くれませんか?」のほうが「……してくれる?/くれますか?」より、また「……してもらえない?/もらえませんか?」のほうが「……してもらえる?/もらえますか?」より、やわらかいであろう。
(中略)
 このことも含めてさらに一般的には、〈間接的・婉曲な述べ方のほうが直接的な述べ方よりもやわらかい(→丁寧な)印象を与える〉という傾向がある。「お早くお召し上がりください」より「お早めにお召し上がりください」のほうが丁寧に響くのもその例である。(P.82~84)
 ものすごく基本的なことだと思うけど、こういう記述をちゃんと読んだ記憶がない。今後の引用の都合もありそうなのでメモしておく。

【引用部】
とくに日本語では「あなた」という語は使いにくい面があるので、一々主語を「私」だの「あなた」だのと言わなくても、それを敬語で紛れなく示すというのは──それだけの技量をもっている人は──、まことにスマートな敬語づかいといえるだろう。(P.101)
 このあたりは(P.32)の記述と微妙にリンクしているかも。

【引用部】
あそこの饅頭(まんじゅう)はうまいですね。(P.104)
 別に例文はなんでもいいのだから、あえて〈形容詞+です〉を出さなくてもいいものを。まあ、「ね」がついてるから許容範囲だけど。「おいしいです」とかにすればいいじゃない……と一瞬でも考えてしまった自分の間抜けさがイヤ。それじゃ同じことだって。

【引用部】
これは一つには、「ます」による丁寧語は誰でも簡単に使える(これに比べて、尊敬語を使いこなすのはさほど簡単ではない)という事情もあるかと思われるが、ともかく、ごく一般的には、(後略)(P.107)
 このあとも長く続くが、「二つ目」も「次に」は出てこない。この用法は丸谷才一に文章でも目にしたから、もはや許容なのかもしれない。なんだかなぁ。

 P.116に「特定形」という言葉が出てくる。「言う」が一般形で、「おっしゃる」が特定形ってこと。これからはこの言葉を使おうか。「不規則敬語」って好きだったんだけど。

【引用部】
もっとも三上氏は、旧軍隊では、士官(尉官)が将軍に向かって言う場合には上長官(左官)をも呼び捨てにするという伝聞を紹介しているのだが、少なくとも現代の企業などではあまり見られない習慣だろう。(P.127)
 この少し前には三上章のことを「氏は日本語の文法・敬語に関して大きな功績を残した研究者」と書いている。なんか気にかかる書き方だな。

【引用部】
そこで、敬語(普通レベルの敬度をもつ諸敬語)を使い慣れている人にとっては、レル敬語はいわば「安っぽい」「ぎこちない」敬語という位置づけになるのだが、一方、レル敬語の愛好者にとっては、「お/ご~~になる」は丁寧すぎてうるさい」と感じられることがあるらしい。感覚の個人差で、この辺が難しいところだが、要するに相手や場合によって使い分ければよいわけであろう。なお、ある種の書き言葉(たとえば書物や論文などの中)ではナル敬語は使いにくい(四四頁)といった面もある。
 ちなみに歴史的には、レル敬語は、東京の話し言葉では江戸時代にも明治にもわずかしか使われていなかったが、東京語以外の要素も取り入れながら標準語が制定されていく中で、東京でも昭和十年代ごろから使用が増えてきた、という経緯をもつ(金田弘氏による)。(P.146~147)
 レル敬語とナル敬語の話のなかに出てきた記述。このあたりを「個人差」という言葉で片づけていいのかという判断がむずかしい。

【引用部】
前述の〈一般形〉ではない〈特定形〉であるが(一一六頁)、とくに〈一般形〉のかわりに使われるという意味では〈言い換え形〉と読んでもよかろう(〈代用形〉と呼ぶ場合もある)。(P.157)
〈言い換え形〉はまだしも〈代用形〉は失礼だろう。常用漢字にないから代用漢字を使う、というのとは話が違うんだから。

【引用部】
 ③「死ぬ」は「お死にになる」とは言わない。直接的な表現を避けて「おなくなりになる」と言う。「なくなる」自体も「死ぬ」に比べ間接的なので、ある程度尊敬語的な感じがするがこれは身内にも使うので、厳密には尊敬語ではない(犬や猫の死にも「なくなる」)と使う人もいるほどである)。「なくなられる」「おなくなりになる」と使ってはじめて尊敬語と見るべきだろう。(P.165)
 やはりそういうことですね。

【引用部】
 以上、種々に制約を見てきた。が、これらの場合を除けば、やはりかなり多くの語についてナル敬語は作れるのである。ちなみに、“「お」の音で始まる動詞は「お~~になる」の形にするができない(「お」の音の重なりを嫌うため)”という俗説が一部にあるようだが──敬語についての入門的な読み物の中で、そのようなルールがあるかのように述べられているのを読んだことがあるが──、必ずしもそのようなことはない。たとえば「お起きになる・お置きになる・お送りになる・お教えになる・お思いになる・お降りになる」など、ごく自然に使われる。ただし、たとえば「お踊りになる・お驚きになる」などは、確かに不自然な感がある。(P.165)
 このあたりは、理屈では割り切れない問題だろう。

【引用部】
が、受身表現はしばしば迷惑を受けたという趣をもちやすく、ある人物を尊敬語で高めながら、その同じ人物によって迷惑をこうむったという言い方をするのは、やはり、そもそもなじまない感がある。「困った」ということを意図的に強調する場合や、ふざけて、あるいは皮肉で言うような場合はともかく、一般的には避けたほうがいいだろう。(P.175)
 この前にあるのは「ナル敬語+受身」の話。「お/ご~~になられる」の形は理屈の上ではなくはない。と書いたあとに続く部分。尊敬語を受身にすることへの異和感は、このあたりにもあるのかもしれない。
【「そのようにおっしゃられても困ります」〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800136243&owner_id=5019671

【引用部】(ちょっと形式をかえている)
○書いてくれる→(「くれる」を敬語に)→
①書いてくださる→(「書いて」を敬語に)→
②お書きになってくださる→(「になって」を除く)→
③お書きくださる

というわけである。漢語系の熟語の場合も原理は同じで、「指導してくれる→①指導してくださる→②ご指導なさって(ご指導になって)くださる→③ご指導くださる」と考えればよい(漢語系では上述のように「ご~~になる」と言いにくい語もあるので、②は、「ご~~なさる」と両形併記しておく)。①②③は、どれも「……てくれる」の尊敬語で、ただ敬度が違うだけである。敬度は②③①の順だが、②と③はそれほど敬度が違わず、むしろ②はやや冗長な感じがしたり、場合によっては不自然だったりするので(二一〇―二一二頁)、簡潔で敬度も十分な③の「お/ご~~くださる」が頻繁に使われる。敬度の高い依頼の形としては「お/ご~~ください(くださいませ、くださいませんか、くださいませんでしょうか、くださいますようお願い申し上げます」ということになる。(「……ますか」より「……ませんか」のほうが敬度が高く響くことは、八三頁参照)。(P.204~205)
 この考え方は、いろいろな形に応用できる。この直後に出てくる「書いてもらう」の場合も同様。
  書いてもらう→書いていただく→
  お書きになっていただく→お書きいただく
 ということ。ここを押さえておくと、「敬語連結」や「二重敬語」について考えるときに実に役に立つ。

【引用部】
「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」は、一般に誤り。
  ─→『して」を取って、「お/ご~~くださる(ください)」「お/ご~~いただく」と言えばよい。

 「一般に」にと書き添えたのは、特別な場合には、この「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」という形が誤りでなく使われる場合もありうるからなのだが、これについてはあとで触れるとしよう(二六六〜二六七頁)。だが、それはかなり特別な場合なので、一般にはこの形は誤りと覚えておいてよい。
 〈語形〉について、ほかに細かい点をいくつか補足しておこう。まず、「お/ご〜〜をくださる」「お/ご〜〜をいただく」と、「を」を入れて使う形について。この形は時々使う人があり(とくに「いただく」の場合に多いようである)、なぜか国会の質問や答弁で「お調べをいただく」「ご審議をいただく」などと頻繁に耳にするのだが、私の語感では、いささか耳障りである。読者には、「お偉方がお使いになるのだから正しいのだろう」などと安易に真似をしないようにお勧めしておきたい。ただし、「お許しをいただく」「ご指導をいただく」などのように、「お/ご〜〜」の部分が名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合ならば、「を」を入れても不自然ではない。(P.209〜210)
 前半は下記の問題にかかわる。あのときは新鮮な発見の気がしたが、けっこうよく見る問題らしい。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671
 後半は下記で少し書いて挫折した話。〈名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合〉ってどういう場合なんだろう(泣)。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご〜〜だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。
================================引用終了
「お/ご〜〜だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。

【引用部】
 「切符をお持ちの方」「お探しの品」など「お/ご〜〜の+名詞」という言い方は、以上に見てきた尊敬語「お/ご〜〜だ(です)」が連体修飾語として使われたものといえる。この「お/ご〜〜の+名詞」という形を「今日ご紹介の〔私どもが皆さんにご紹介する〕お
品は……」(テレフォンショッピングの広告)などと使うのは、謙譲語(本書の謙譲語A)として使っていることになり、少なくとも私の語感では違和感がある。(謙譲語なら「今日紹介するお品」というべきところである)。ただし、来客が持ってきた菓子などをその客に出すとき「お持たせのお品で失礼ですが」と言うのは、「お持たせした〔=自分が用意すべきものを客に持たせた(運ばせた)〕」意で、理屈の上では謙譲語としての使い方である。定型化した例外的なものと見ておきたい。(P.238)
 ウーム。今日ご紹介のお品は……」は単純に「ご紹介する」の省略形と考えていた。違うのね。「お持たせのお品」にもこんな深い背景があるのね。耳から漏れる煙が止まらない……。

【引用部】
 ただし、厳密には、職名と敬称はやはり異なる。つまり、たとえば不名誉なことをして新聞に出る場合でも「○○教授」「○○社長」なのであり、これは、呼び捨てにもできないから付けているだけのことで、敬度の高い敬称ではない。教師については、こうしたケースでは「○○先生」とは絶対いわない。「先生」は敬称、「教授」は職名なのである。そこで、大学に学外からかかってきた電話を助手が受けて教授について話す場合、「○○先生は授業中です」より「○○教授は授業中です」のほうが、身内を高めないという意味で望ましい、ということになるかと思われる。(P.245)
「なるかと思われる」という結びが気になるが、そのことはおく。大学は「授業」じゃなく「講義」だろう、というツッコミも、近年は「授業」というらしいから無視する。そういうことではなく、こういう論理的な文章を読むと気持ちがいい(ほんの少しだけ冗長な気はするけど)。〈「先生」は敬称、「教授」は職名〉ですか。だから不名誉なことをした場合は「先生」ではなく「教諭」なのね。「社長」の場合は、「○○会社社長の△△■■氏」くらいかな。

【引用部】
接尾語「……方(たとえば「先生方」)」は、「……たち」の尊敬語。学生が公式的な場などで「先生たち」と言うのは敬度が不十分で、「先生方」とありたいところである。「……方」が尊敬、「……たち」がニュートラル、「……ども」が謙譲という関係になる。(P.246)
 ちょっと気になって調べた。「方」は複数を指す場合と、単数を指す場合がある。単数の場合は名詞で「かた」、複数の場合は接尾語で「がた」らしい。「方々」は単数の「かた」の複数形らしい。なんのこっちゃ。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/03297400/
================================引用開始
かた【方】
【1】[名]
4 《方角を示すことによって間接的に》人をさす敬った言い方。「女の―」「乗り越しの―」
【2】[接尾]
5 《「がた」とも》名詞に付く。
①二つあるものの一方の側、また、それに属する人を表す。「相手―」「母―」
②その物事を担当する係であることを表す。「まかない―」「会計―」
6 《「がた」とも》数量などを表す名詞に付いて、だいたいそのくらいの意を表す。「三割―安い」「八割―片付いた」
================================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%96%B9&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=03301700&pagenum=1
================================引用開始
がた【方】
[接尾]
1 人を表す名詞に付いて、複数の人々を尊敬していう意を表す。「先生―」「奥様―」
2 時に関する名詞や動詞の連用形に付いて、だいたいその時分という意を表す。「暮れ―」「明け―」
3 「かた(方)【2】56」に同じ。
→達(たち)[用法]
================================引用終了
 オイオイ、〈【2】56〉じゃなくて、〈【2】5①②〉だろう。記載がかわって、修正しきれなかったな(笑)。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%96%B9%E3%80%85&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かた‐がた【方方/×旁】
【1】[名]
1 (方方)「人々」の敬称。かたたち。「お世話になった―」
================================引用終了

【引用部】
 「……各位」(たとえば「読者各位」)は、一人ずつを高める趣の表現。「位」がすでに(元
来は中国語)人を高めて指す言い方なので、「各位様」と使うのはおかしい。(P.246)
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%9C%B7%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BF%BD&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かく‐い〔‐ヰ〕【各位】
大ぜいの人を対象にして、その一人一人を敬って言う語。皆様。皆様方。多く、改まった席上や書面で用いる。「会員―にお知らせします」

◆「各位殿」という表現は、敬意が重複することになるので、好ましくない。
================================引用終了
 ということは「お客様各位」も重言なんだろうか。でも「顧客各位」「利用者各位」はマズいんじゃなかろうか。

 P.247〜のテーマは〈「……だ/です」の尊敬語〉。例の話が出てくる。敬語に慣れている人は、「……だ/です」の内容を以下のように使い分ける。
 I人称者(自分側)を主語とするときは「……でございます」
 II人称者(相手側)を主語とするときは「……でいらっしゃいます」
 理屈ではわかっていても、これができないorz。待ち合わせをした人に「田中さんでございますか?」って言っちゃいそうだよな。
「私は時間がございますが、先生はお時間がおありですか」
 これも「お時間はございますか」って言っちゃいそう。敬語は悩ましい。

 P.250〜のテーマは〈形容詞・形容動詞についての尊敬語〉。本題とは別のところでちょっと気になる。形容詞は「お/ご」をつけて尊敬語にでき、「お忙しいですか」のように使うそうだ。ここも「か」がついているので、許容範囲かな。いろいろ考えて、「形容詞+です」はもうOKと考えるしかないのかな、と思いつつある。
 この場合にもP.247〜の話が適用され、II人称者(相手側)を主語にするときは、「お忙しゅうございますか」ではなく「お忙しくていらっしゃいますか」のほうがふさわしいらしい。これもダメだな。さすがに「忙しゅう」は使わないが「お忙しいですか」とか言ってしまいそう。

【引用部】
したがって、「安い/買いやすい」という意味で「お求めやすい」と近年よく使うのは、本来なら「お求めになりやすい」と言うべきところである。が、この「お求めやすい」はすっかり定着してしまった。すでに誤りとは言いにくいほどで、「お求めやすい」全体で一種の丁寧語のようになっている、とでも見るべきなのかもしれない。(P.251)
 このあたりも「柔軟性がある」と考えるべきなのだろうか。「お求めやすい」って定着したの? まだ認めてほしくない。

【引用部】
 副詞の尊敬語としては、「お早々と」「ごゆっくり」などがある。「いつもお早々とお年賀状をくださる」「坂が急ですので、どうぞ、ごゆっくりお歩きください」のように、その副詞が係る動詞の、やはり主語を高める。ただし、「お早々とお年賀状をいただき有難うございました」の場合は、「いただく」の主語ではなく〈与え手〉を高めることになる。(P.251)
 さりげなく、重大なことを言っている。これが正しいなら、「ご来店いただきありがとうございます」も何も問題がなくなる。

【引用部】
 II−2で、日本語の敬語は言語体系の随所に発達していると述べたが、品詞という観点からも、これまで見てきたように、動詞・名詞・形容詞・形容動詞・副詞・助動詞(名詞の後の「だ/です」は助動詞)・助詞(さらに「この→こちらの」「したがって→したがいまして」(尊敬語ではないが)などまで含めれば連体詞・接続詞にも)と、実に多くの品詞について敬語が存するわけである。(P.253)
 二重パーレンはやめようよ、という話はおく。
 なんかこんな感じで書いてあると、ホント尊敬語だけでおなかいっぱい。
 字数制限があるので、項を改める。


読書感想文/『敬語』2

 やっと謙譲語。なお、本書で謙譲語Aと書いているのは謙譲語Iのことで謙譲語Bと書いているのは謙譲語IIのこと。新しい?言い方の謙譲語I、謙譲語IIに書きかえる。

【引用部】
  ア 私はそのやくざに、早く足を洗うように申し上げました。
  イ 私はそのやくざに、早く足を洗うように申しました。
 イはよいが、アはおかしいと直ちに感じられるであろう。この差は何なんだろうか。「申し上げる」と「申す」とは、どちらも「言う」の謙譲語と呼ばれるものの、〈誰に対する敬語か〉という点で性質が違い、それによってアとイの適否の差も分かれるのである。(P.254)
 答えだけを書くなら。アは謙譲語Iで、イは謙譲語IIだから。と書いてもわからないだろうな。これを理解してもらうには、数ページにわたって引用する必要がある。謙譲語Iと謙譲語IIの話はメンドーなので、『敬語再入門』の読書感想文のときには避けて通った。個人的な整理の意味をこめて、書いてみる。相当の難物だけどしっかりついてくるように。
……「センセー、先頭を走っていたはずのtobiクンがいません。真っ先に脱落したみたいで〜す」「放っておきなさい」
 引用できるテキストだと「敬語の指針」になるのだろう。ただ、これもP.18〜20あたりを丸々引用する必要がありそうだ。以下、本書と「敬語の指針」をうんと圧縮してポイントだけを書く。
●謙譲語I(一般に謙譲語と言われているのはこちらだと思っていい……はず)
 これはいっぱいあるので覚えなくていい。謙譲語IIだけを覚えることをおすすめする。
【例】
 一般形……「お/ご〜する」「お/ご〜申し上げる」「お/ご〜いただく」……etc.
 特定形……伺う/承る/申し上げる/存じ上げる/さしあげる/……etc.
 接頭語……自分側の「お手紙」「ご説明」(相手側の「お手紙」は尊敬語)……etc.
      拝(動詞にもかかわるので別にしておく)……etc.
●謙譲語II
 特定形……参る、申す、いたす、おる、存じる
  補助動詞として使われる「〜いたす」「〜おる」も同様
 接頭語……愚、小、拙、弊……etc.
●謙譲語Iと謙譲語IIの違い
1)謙譲語Iは補語を高め、謙譲語IIは聞き手(読み手)を高める
 【引用部】のアがおかしいのは、「やくざ」に対して敬語を使うことになるから。イがおかしくないのは、聞き手(読み手)に対する敬語だから。通常は「(文中の)補語」=「聞き手(読み手)」ってことが多いからとくに意識しなくていい。微妙な問題に踏み込むなら、ここを区別しなければならない。
2)謙譲語IIは原則として丁寧語を伴う
 【引用部】の例の補語をかえて考える。
  ア-2 私は先生に、早く足を洗うように申し上げた。
  イ-2 私は先生に、早く足を洗うように申した。
 たとえば日記なんかだと、敬体(デス・マス体)ではなく常体(デアル体)で書く人が多いと思う。常体の文章のなかで、ア-2のように書いてもおかしくない。こう書いても「先生」に対する敬意は残る。イ-2はかなりおかしい。聞き手(読み手)に対する敬語である謙譲語IIは、常体にはなじまない。そのためか、謙譲語IIは「丁重語」とも呼ばれる。
3)謙譲語IIは聞き手(読み手)に直接関係のない対象にも使える
【引用部】
  ヤ この退会には全国から三百人の選手が参加いたします。(スポーツの放送)
  ユ まもなく電車がまいります。(駅のアナウンス)
  ヨ プラトンが申しますには……(学者の講義)(P.273)
4)「お/ご〜いたします」は謙譲語I兼謙譲語IIの特殊な形
 本書のP.297〜306に詳しく書いてあるがあまりにも長いので、「敬語の指針」からひく。
「敬語の指針」p.30~から====================引用開始

【補足イ:謙譲語Iと謙譲語IIの両方の性質を併せ持つ敬語】 
謙譲語Iと謙譲語IIとは,上述のように異なる種類の敬語であるが,その一方で, 両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)......いたす」がある。 
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ 内容であるが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われている。これは,「お待 ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語I) と「いたす」(謙譲語II)の両方が使われていることになる。この場合,「お待ちする」 の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」 の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合も ある。)に対して丁重に述べることにもなる。 
つまり,「お(ご)......いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為につ いて,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」 という働きを持つ,「謙譲語I」兼「謙譲語II」である。
================================引用終了

【引用部】
 会社の社長が挨拶するとき、司会者が
  ソ 只今より、○○社長にご挨拶をいただきます。
  タ 只今より、○○社長がご挨拶を申し上げます。
のどちらを使うべきか──これは、相手次第で使い分けなければならない。社内の会合なら、社長を高めるソでよいが、社外からの参加者のある会合(たとえば株主総会)なら、ソはまずい。(P.260)
 これは敬語の上級問題だろう。迷った場合の逃げ方はP.262にある(社長ではなく「会長」になっている)。
「只今より、○○会長のご挨拶がございます」
「ご挨拶」は尊敬語としても、謙譲語Iとしても使える。ウーム。なんてホニャララな……。このテクニックは本書の中に何回か出てくる。

【引用部】
 「お/ご〜〜する」という形自体は古くから散見するのだが、本書のいう〈一般形〉として使われるようになったのはさほど古くはなく、小松寿雄氏の調査によると明治三十年代ごろからのようである。ただし、その当初からしばらくの間は、実際には次第に使われるようになってはきても、「お/ご〜〜いたす」や、当時の代表的な謙譲語「お/ご〜〜申す」のほうが規範にかなった言い方だという意識があったようで、小松氏によれば、昭和十年代になっても(一部には戦後になっても)「お/ご〜〜する」という言い方は認めないとする向きがあったという(言葉についてやかましく論評する人は、いつの世にもいるもののようである)。「お/ご〜〜する」が、規範的な立場からも一般に認められるようになったのは、戦後のことのようである。(P.282)
 言葉の歴史的な変遷に関しては、できるだけかかわらないようにしている。なんらかの根拠がある確度の高い説には耳を傾けるが、そうでないものは聞き流す。当方が興味をもつのは、主として現在使われる言葉限定。この〈「お/ご〜する」未熟説〉(なのか?)については、Wikipediaか何かで、金田一(ファミリーの誰か)が同じようなことを主張したという記述を見た。
 気になってあれこれ検索して見つけた。ああこんなことを書いていると終わらない(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1455.html
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引用開始
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多くの人は、「お~する」は全体で謙譲語だがら問題ないと考え、違和感を持っていないのですから、ことさら問題を提起することはないのですが、金田一京助博士は「お~する」を謙譲で使うのは間違いだと書いていますから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようです。現在では、「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現ですが、以前は不自然だと感じられていたのです。現在ではさらに、「(私は会社を)お休みします」のように行為が相手に及ばず謙譲にはならない「お~する」も使われますが、美化語としか言いようがありません。(p.14-15)
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 一文が長くてわかりにくい文章だが、ポイントは2点あると思う。
1)大正の頃は「お~する」を謙譲で使うのは間違いと考えられていたらしい
 こういう言葉の歴史のような話は苦手なので、スルーしたい。「ことさら問題を提起することはない」だろう。ただ、現在でも疑問に思う人が多いことと、比較的最近まで「間違い」と考えられていたことは無関係ではないと思う。

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引用終了
 【引用部】の末尾の「無関係ではないと思う」は考えすぎだな。世間で「お/ご〜する」はおかしいと主張している大半の人は「自分の行動に〈お/ご〉をつけるのはおかしい」という的外れな根拠をあげる。そういう人は「お/ご〜いたす」や「お/ご〜申す」にもインネンをつけるのだろう。

【引用部】
 なおまた、語によっては「お/ご〜〜“を”する」の形でも使えるものもある(例「お尋ねをする」「ご説明をする」)が、一部政治家の演説などでこの「を」をやたらに使う傾向がある(たとえば「お調べをする」などと言う)のは、聞き苦しい。(P.286)※原文は“を”ではな、傍線つきの「を」
 そうか。熟語動詞(仮)でなくても「を」が入るのね。やはり政治家用語なのかも。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
 もっとも氏は、この調査での「お/ご〜〜する」の全用例二一二のうち、誤用は一一例にとどまっているとして「実際には危惧するほどのことはないかもしれません」ともされるのだが、もし今日、実際の敬語使用の調査を改めて行えば、誤用の頻度は、このころに比べてかなり増えているのではないかと思われる。(P.294〜295)
 この一文は長くないか? しかも「頻度」は「増え」ないだろう、ってなんちゅう恐ろしい揚げ足取りを……。「頻度が増える」は相当ヤだけど「頻度が増す」だとさほど異和感がないのはなぜだろう。
 閑話休題。
 ↑の【引用部】は〈「お/ご〜〜する」の誤用〉という項目の中にある。「誤用」の具体例は「お/ご〜〜する」を尊敬語として使うこと。
1)ご利用してますか(正しくは「ご利用なさってますか」くらい)
2)ご利用しやすくなる(正しくは「ご利用なさりやすくなる」くらい)
3)ご乗車できる(正しくは「ご乗車になれる」くらい)
 元々の「お/ご〜〜する」が謙譲語なんだから、相手方の行動に使っちゃ×だろう。可能形にかえたって、ダメなものはダメ。でも「ご乗車できます」「ご利用できます」なんてアリガチでスルーしちゃいそうだよな。

【引用部】
 また、たとえば、人に、自分の作った書類に目を通して添削や捺印をしてもらったり、こわれた自分の物を修理してもらったりするような場合、「その書類(物)をこれからそちらへ持っていく」という内容を「これからお持ちします」と言うのも、たいへんきびしくいえば、おかしいともいえる使い方である。(P.295)
 これは微妙すぎる。「あなたの書類(物)を持っていく」わけでもなく、「あなたのために持っていく」わけでもないからおかしいらしい。正解は「持ってまいります」くらいらしい。わからん(泣)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318〜のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
⑤[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321〜322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231.html

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html

【引用部】
 ただ、こうした傾向が将来進むところまで進んでしまうと、〈「やる」が普通の表現で「あげる」は《上品》な美化語〉という関係ではなく、〈「あげる」が普通の表現で「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉ということになり、「あげる」は美化語だとさえ言いにくくなっていくことになる(このような先例としては「食う」に対する「食べる」がある。三九頁参照)。(P.339)
 P.333のテーマは〈5 「さしあげる」(謙譲語I)と「あげる」(謙譲語I/美化語)〉。
本来は謙譲語Iだった「あげる」は美化語になりつつあるらしい。世間はもう少し進んで、すでに〈「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉になっている気がする。
246)【「やる」 「あげる」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1378.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1523098273&owner_id=5019671
589)突然ですが問題です【日本語編72】──「食う」を使う慣用句 「食べる」を使う慣用句 【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2163.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1781571782&owner_id=5019671 

【引用部】
 ちなみに、「ももたろう」の歌には「おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」と請われた桃太郎が「やりましょう、やりましょう」と歌う歌詞と「あげましょう、あげましょう」と歌う歌詞とがある。余談ながら、このことに触れてみよう。(P.340)
 ↑のコメント欄で教えてもらった話。こんなヨタ話まで引用するから、どんどん長くなるorz。
 以下、著者が調べた限り(これで?)の結果を時系列で箇条書きにする。
・初めて採用された1911年の『尋常小学唱歌 第一学年』は「やりませう」
・1932年の同新訂版も「やりませう」
・戦後の教科書には見当たらない(「これからおにのせいばつに」がよくなかった?)
・1954年検定の教科書(教育出版)に再登場。「やりましょう、やりましょう、これからおにをこらしめに……」
・1957年検定の教科書(教育芸術社)。「あげましょう、あげましょう、これからおにをこらしめに」
・1960年検定の教科書(教育出版)。「やりましょう……せいばつに」
・1973年検定(76年度まで使用)の教科書。「やりましょう……せいばつに」(音楽之友社)、「やりましょう……こらしめに」
・これを最後に「ももたろう」は教科書から姿を消す。

 P.342にある「あがる」の話。「訪ねる」の謙譲語I。「お届けにあがる」「お願いにあがる」などと使う。訪問を受ける側が「どうぞおあがりください」などと言うのは誤用。
【引用部】
ただし、同じ「あがる」でも、すでに訪問先の玄関に入ったあと家の中にまで入る意の「あがる」は、謙譲語ではないので、こちらは、訪問を受ける側が「どうぞ中へおあがりください」と言える。(P.342)
 一応理解したつもりだけど、脱落寸前(泣)。

【引用部】
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346〜347)
 どこで切ったらよいかわからず、ズルズルと引用してしまった。この「どこで引用をやめたらいいかわからん感覚」は、清水読本の読書感想文を書いたときに近い。
「参」「承」は謙譲語性は薄い、ということを、著者の文体で書くとこういうことになるのだろう。こうなる最大の原因は、著者の知識量があまりにも多いこと。こういう書き方をすると批判しているようにも見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない。批判に読めるとしたら、書き手の人損?だろう。

 P.361〜のテーマは〈「です・ます体」の中の諸段階〉。これも積年の悩み。
 極端に要約すると、複文?の場合の前半部をデス・マス体にするか否かってこと。例として次の5つがあげられている。前半部の「あります」を「ある」にするべきか否か。
  ア 非常ベルがあります。安心です。
  イ ベルがありますが、やはり不安です。
  ウ ベルがありますから、安心です。
  エ ベルがありますので、安心です。
  オ ここにありますベルを鳴らしました。
 本書は、下記くらいがフツーだろうとしている。
 イは「ある」だとややぞんざい。ウはどちらでもよい感じ。エは丁重すぎる感じ。オは丁重すぎて不十分な感じ。
 当方の感覚も同じだが、なぜイだけが「が、」の前をデアル体にするとぞんざいな印象になるのかがサッパリわからない。
 これをさらに細かく分析し、以下のものは〈過剰敬語と批判されることもある。もっとも、これらも、使う人や文脈によっては、必ずしも不自然ではなく響くこともある〉としている。
・名詞の前にも「ます」を入れる(↑のオ)のような形
・「そうすると」「したがって」「続いて」などの接続詞的な語の中にも「ます」を入れる。「そうしますと」「したがいまして」「続きまして」
※「続きまして」はショートコントやモノマネの口上でよく見る。 
・「……ませんです」「……ますです」式の言い方。
 上記の3つは、後ろのほうほど丁寧な感じが強くなるらしい。
 うーん。つまり「……ませんです」「……ますです」も×ではないのか。

【引用部】
「お/ご」を付けて皮肉や茶化した表現とすることが固定化した例としては、「ご大層・ご乱行(らんぎょう)・ご乱心・おあいにく様」などがある。これらは美化語とも言いにくい(なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない)。(P.376)
 これはかの有名な醜化語ですね(笑)。そうか「ご大層」以外にも醜化語限定がこんなにあるのか。
569)突然ですが問題です【日本語編67】──美化語の悪用 ご大層 ご苦労 お荷物【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2140.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1774719941&owner_id=5019671
 ちょっと気になったのは〈なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない〉って部分。どんな場合があるのだろう。
 ちなみに、P.382では〈皮肉や茶化した表現として固定化したもの〉として〈「ご大層・おあいにく様」など〉としている。

【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。

【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。

【引用部】
なお、あえて付け加えると、最近の傾向として──あるいは昔からなのかもしれないが──、人のささいな誤りに一々目鯨を立てる人に限って、本人も結構な誤りをおかしている場合も少なくないようである。自分でも敬語を使いきれていないに相違ないと思われる“識者”や投書者が、誤ってもいない敬語を誤りと決めつけているのなどを見るのは、やりきれない思いがする。(P.434)
〈昔からなのか〉否かは、昔のことを知らない当方にはわからない。ただ、状況は確実にヒドくなっている。mixiにしてもYahoo!知恵袋にしてもネット全般にしても、敬語に関する話は相当悲惨なことになっている。日本語関係全般がヒドいとも言えるのだが、とくに敬語関連がヒドい気がする。以前、「〜からお預かりいたします」をキーワードに検索した結果を調べてゲンナリした。
782)【「正しい」日本語ってなんなんだろう〈4〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849013908&owner_id=5019671
 一般の日本語の問題は辞書をひけばある程度の答えがわかるが、敬語関係は解決しないことが多い。イチバン頼りになるのは文化庁の「敬語の指針」だろう。これが問題が多いうえに、ムダに長いだけで決してわかりやすいとはいえない。誤読して訳のわからないことを書くコメントが多いのは、そのせいもあるのだろう。
629)【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798665663&owner_id=5019671

 このあたりのことを細かく書きはじめると読書感想文じゃなくなるので、いずれ改めて。
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