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総集編 【従来から 従来より 従来まで】

【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

 いろいろあって、行きがかり上、「赤い本」の重言関係の記述を一部抜粋(これも重言)します。こんなにポロポロ抜粋して、お買い上げくださった読者の立場はどうなるんだ? 少しだけ胸が痛みます(←少しだけかよ!) でもね。重言に関する記述はこれだけじゃないの。

一応下記の続きです。
【重言の話2】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1003738264&owner_id=5019671


●頻繁に見かける重言・重言風の表現

【練習問題21】
 次の重言を修正するにはどうすればよいのか考えてください。
  1)だいたい60字ぐらい
  2)古来から
  3)第1回目
  4)まず第1に
  5)1階~3階までは

 ヘンな文章の原因になることが多い表現のひとつに、重言があります。重言はさほど大きな問題ではないので、文章自体がわかりにくくなるわけではありません。しかし、書き手の日本語力を疑われかねないので、注意が必要です。なかでも、1)~5)の重言は頻繁に見かけます。
1)の重言の修正案
  だいたい60字/60字ぐらい/約60字/60字前後
 ほかにも、いろいろな修正のしかたがあります。「だいたい〇〇ぐらい」は、「約〇〇前後」と似た印象の重言です。「だいたい〇〇ぐらい」のほうが目にすることが多いのは、言葉の響きがやわらかいために重言の程度が軽く感じられるせいでしょう。「だいたい〇〇ぐらいを目安に」という「三重言」と呼びたくなるような表現を目にしたこともあります。
2)の重言の修正案
  古来/古くから
 重言の例として指摘されることが多い用法で、同様の例としてあげられるのが「従来から」「旧来から」です。「来」の字に、時間的な始まりを示す「から」と同様の意味合いがあるため、重言になってしまいます(「から」のかわりに「より」を使う場合もあります。ほぼ同義なので、「から」に限って話を進めます。「から」と「より」に関しては★ページ参照)。
3)の重言の修正案
  第1回/1回目
 3)~5)はなぜ重言なのかを説明するのがむずかしく、「重言風の表現」とでも呼ぶべきかもしれません。
 3)の重言に関して、漢語表現の「第」と和語表現の「目」が併用されていること自体が不自然、という説明を見た記憶があります。いささか強引とは思いますが、妙に説得力を感じました。「第1回」でも「1回目」でもよいのに「第1回目」にするのは言葉がダブっている感じがするので、やはり重言と考えたほうがよさそうです。この「第」と「目」の例は、重言になるか否かを考えるときに応用できます。一方の言葉だけでも意味が通じるのに、両方の言葉を使っている場合は、重言ではないかと疑ってみるべきです。
4)の重言の修正案
  まず/第1に
「まず」だけでも「第1に」だけでも使えるのに、「まず第1に」とするのは重言でしょう。ちなみに、文章が「第2に……」「第3に……」と続く場合は「第1に」を使い、「まず」を使うなら、続きの文章は「次に」とか「さらに」とするべきです。
「第1に」が出てきて「第2に」が出てこない文章や、逆に「第1に」がないのにいきなり「第2に」が出てくる文章は、読み手を戸惑わせます。よく似た例でしばしば見かけるのは、「ひとつは……」という表現が出てきただけで、いつまでたっても「もうひとつ」が出てこない文章です。いずれも、「係り結ばず」の一種と考えられます。
5)の重言の修正案
  1階~3階は/1階から3階は/1階から3階までは
「~」は「から」の意味をもつ記号です。しかし、「1階~3階」と使った場合には、「から」だけではなく「まで」の意味も含むため、「1階~3階までは」は重言風の表現になります。同様の理由で、「東京~大阪間は」なども重言風の表現です。「1階から3階までは」が重言か否かはさらに微妙ですが、削除しても問題がないなら、「まで」は入れずに「1階から3階は」にするほうが無難でしょう。
 ちなみに、「1階~3階」と「1~3階」のどちらの書き方を選ぶかは趣味の問題でしかありません。個人的な感覚としては、「1~3階」のほうが簡潔な気がします。

●重言を修正しにくい例

【練習問題22】
 次の重言を修正するにはどうすればよいのか考えてください。
  1)消費者の立場にたって考える
  2)なぜ犯罪をおかすのか
  3)東日本が甚大な被害をこうむった

 重言の例として「馬から落ちて落馬する」という言葉が取りあげられることがあります。これは冗談に近いレベルなので、だれでも重言だと気づくでしょうし、修正するのもむずかしくありません。
【練習問題22】にした1)~3)も、つい使ってしまいがちな重言の例です。それぞれの文の動詞を漢字にして「立場に立って」「犯罪を犯す」「被害を被った」と書くと、重言であることがはっきりします。しかし、1)~3)の重言を修正するのは簡単ではありません。
1)の重言の修正案
  側に立って/立場になって/立場で/立場から
 これらの修正案は、いずれも「立場にたって」よりも語感が悪い気がします。つい重言を使ってしまう例が多い理由は、この語感の悪さです。原文が「消費者の立場にたって商品を開発する」なら、「立場を考えて」「立場を考慮して」など、修正の選択の幅が多少広がりますが、やはり語感は「立場にたって」より劣る気がします。
2)の重言の修正案
  罪を犯す/犯罪に走る
 ここであげた修正案は、あまりよい例とはいえません。「修正するにはどうすればよいのか考えてください」と問いかけておいてこう書くのは心苦しいのですが、修正するのが非常にむずかしい例です。「犯罪を犯す」と「罪を犯す」では、言葉のニュアンスが違ってきます。「犯罪」は刑法に背く行為で、「罪」は良心に背く行為という感じでしょうか。「犯罪に走る」なら意味はかわりませんが、大げさな印象になります。
3)の重言の修正案
  害を被った/損害を被った/被害を受けた/被害に遭った
 これもあまりよい修正案とはいえません。「被害」と「害」「損害」とでは、「犯罪」と「罪」以上に言葉のニュアンスが違っていると思います。「被害を受けた」は、厳密に考えると重言でしょう。「被害に遭った」は有力な修正案ですが、この例文の場合はしっくりしない気がします。
 言葉のニュアンスをかえずに重言を修正するためには、次のように書きかえる方法もあります。
  2)なぜ犯罪をおかすのか     →なぜ犯罪が生まれるのか
                  →なぜ犯罪が起きるのか
  3)東日本が甚大な被害をこうむった→東日本では甚大な被害が生じた
 ただし、2)の原文が「人はなぜ犯罪をおかすのか」のときには、この書きかえはできません。
 このように、書きかえができても語感が悪いことや、適切な書きかえがむずかしいことが、1)~3)の重言が使われることが多い理由になっています。


【Coffee Break】

重言に関する頭が痛くなりそうな話
 この重言に関する【Coffee Break】は、ほとんど言葉遊びに近い(これも重言です)ものなので、途中で頭が痛くなりそうになったら遠慮なく読み飛ばしてください。

●「特別な例外を除く」は「三重言」なのか
「犯罪を犯す」や「被害を被る」をつい使ってしまう理由は、ほかにもある気がします。まず、次の表現がなぜ重言なのか考えてください。
  ・特別な例外を除く
 この表現はかなり特殊なものなので、本文からははずしました。「三重言」の一種で、「だいたい〇〇ぐらいを目安に」よりも、「馬から落ちて落馬する」に近いものと考えられる表現です。
「だいたい〇〇ぐらいを目安に」は、「だいたい」「ぐらい」「目安」の3つの言葉が同じような意味なので、どの2つを組み合わせても重言になります。ところが、「馬から落ちて落馬する」は、「馬から落馬する」と「落ちて落馬する」は重言なのに、「馬から落ちる」は重言ではありません。同様に、「特別な例外を除く」は、「特別な例外」と「例外を除く」は重言なのに、「特別な例を除く」は重言ではなくなります。
 正確にいうと、「特別な例外」は重言風であって、重言とはいいきれません。「例外が特別なのは当たり前で、平凡な例外などはない」と考えれば重言ですが、「例外のなかでもとりわけ特別なものを指す」と考えれば重言にはならないからです。「きわめて特殊な例外」なら、強調表現であって重言ではない気がします。
「例外を除く」はよく目にする重言で、修正するには次のような書きかえが必要です。
  例外にする/例外と考える
 ここからが本題です。
 おそらく、「犯罪」「被害」「例外」が重言になりやすい理由のひとつは、「〇〇(を)する」「〇〇を行う」の形で使えないことです。「例外」の場合は「にする」や「と考える」の形なら使えますが、「犯罪」「被害」は、それすらも使えません。そのため、「犯罪を犯す」や「被害を被る」としてしまいがちなのではないでしょうか。
 たとえば、単語の構造が「被害」とよく似ている「負傷」は、「負傷する」の形があります。しかも、「傷を負う」としても「負傷する」と言葉のニュアンスがさほどかわりません。「負傷を負う」という重言をほとんど見かけないのは、このように適切な書きかえができるためです。

●「日ごろから」「ふだんから」は重言なのか
「古来から」(「従来から」「旧来から」も同様です)が重言であることは、かなり古くから指摘されています。しかし、つい使ってしまうのは、見た目と語感の問題が関係しているのではないでしょうか。
 次の3つの文を比べてみてください。
  1)この重言に関しては、古来多数の識者が指摘しています。
  2)この重言に関しては古来、多数の識者が指摘しています。
  3)この重言に関しては、古来から多数の識者が指摘しています。
 1)は「古来多数」と漢字が続くので見た目がよくありません(「多数」を「多く」にかえると、少しマシです)。「古来」の直後に読点を打ちたくなりますが、直前の読点と位置が近いことが気になります。かといって、2)のようにするのもヘンな感じです。3)のほうが見た目がずっとすっきりとしています。さらに問題なのは、「古来」よりも「古来から」のほうが語感がよいことです。読点の位置を意識しながら、1)~3)を音読してみてください。いちばん語感がよく感じられる(これも重言です)のは、3)のはずです。
「日ごろから」「ふだんから」にも、似たような問題があります。「から」をとって「日ごろ」「ふだん」にしても意味がかわらないので、重言風の表現です。この2つ言葉の場合は「から」がついてもつかなくても語感はさほどかわらない気がしますが、「日頃」「普段」と漢字で書くと、「古来」と同様に見た目の問題が出てきます。
 もちろん、見た目や語感がよいからという理由で重言を使うのは間違いです。しかし、本書で再三繰り返して(これも重言風です)いるように、多少ヘンでも語感のよい表現なら定着してしまう可能性があります。この場合は、「定着してしまう」ではなく「誤用がなくならない」とするほうが正確でしょうか。

●「第1号機」は重言なのか
 次の表現が重言か否か考えてください。
  ・第1号機目
  ・第1号機
「第1回目」が重言だとすると、「第1号機目」も重言になることはすぐにわかります。では、「第1号機」は重言ではないのでしょうか。
「号機」が「回」と同様に単位の働きをしているので、「第1号機」でも何も問題はなさそうです。しかし、たいていの場合は「第」を削除して単に「1号機」といっても文意に影響がなさそうなので、重言とも考えられます。さらに、「号機」が単位なら「1号機目」としてもよさそうですが、ややヘンな感じです。きわめて硬い語感の「号機」に、和語の「目」がつくからでしょうか。

 重言の問題を深刻に考えはじめると、文章が書けなくなってしまいます。本文で書いたように、重言があったからといって、文章がわかりにくくなるわけではありません。厳密に考えると重言ではないか、と思われる表現で許容されている例はいくらでもあります。あまり神経質にならずに、「重言っぽいな」と感じたら修正することを考えればよいでしょう。

【研究課題9】
 次の表現が重言か否か考えてください。
  おのずから/献身的に尽くす/自然の生薬/新発売/総称で呼ぶ/常日ごろ/
  排気ガス/みずから墓穴を掘る

●重言関連の話一覧
7)【重言の話1】(2008年07月30日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-284.html

8)【重言の話2】(2008年11月24日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-58.html

9)【伝言板 板外編4──重言の話3】(2008年11月25日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

90)【重言の話4(第1稿)】(11月21日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.html


【追記】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
================引用開始
範囲[編集]
波ダッシュは、範囲を表すために用いられる。
場所に対して: 東京~大阪
時間に対して: 5時~6時(もしくは5~6時)
数量に対して: 100人~150人(もしくは100~150人)
一般に、波ダッシュの前後の語を限界として含む(100人~150人の場合は、100人および150人を含む)。
日本語では、波ダッシュを「から」と読む。「……から……まで」のように、波ダッシュの後ろの語に「まで」を付けて読むこともある。
================引用終了

 音読するときに、〈波ダッシュの後ろの語に「まで」を付けて読む〉のはちょっとやりすぎの気がする。校正で「読み合わせ」をするなら、「5時~6時」は「5じから6じ」。もう少し正確にやるなら「5じなみだっしゅ6じ」だろう。



【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
「校正・校閲」のコミュで、非常におもしろいテーマのトピが立った。
【予て、予てより】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39339875&comment_count=7&comm_id=6251

 トピが立った当初から、どうコメントを入れればいいのか考えていた。満を持して(だからそれは誤用だって)コメントを入れることにしたが、とんでもなく長くなる気がしてためらいを覚えている。
 資料として、まず例によって「赤い本」からここに引いておく。
「予てから」と「予てより」はどう違うのか。

================================
●「起点のヨリ」はできるだけ使わない

【練習問題36】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群      B群
  駅ヨリ3分    駅カラ3分
  10時ヨリ営業  10時カラ営業

 A群で使われているヨリは、空間や時間の起点などを示す表現です(このような用法を「起点のヨリ」と呼ぶことにします)。「文章読本」のなかには、「起点のヨリ」は使わずにカラを使いなさい、と主張しているものがあります。理由は「意味がわかりにくくなる場合がある」とのことです。そういった記述を目にしたことがある人は、カラを使っているB群のほうがよい、と考えるでしょう。
【練習問題36】にあげた例では、ヨリとカラのどちらを使っても同じ意味ですし、少しもわかりにくくはありません。別の例で見てみましょう。

【練習問題37】
 次の故事に使われているヨリの働きを考えてください。
  1)花ヨリ団子
  2)栴檀(せんだん)は二葉ヨリ芳し
  3)青は藍ヨリ出でて藍ヨリ青し

 1)のヨリは、「AヨリBのほうが〇〇だ」のように、いくつかのものを比べるときに使います(このような用法を「比較のヨリ」と呼ぶことにします)。1)のヨリを「起点のヨリ」と誤解する人はいないでしょう。
 2)のヨリは「起点のヨリ」です。これは「比較のヨリ」ともとれるかもしれません。「比較のヨリ」と考えてしまうと、「栴檀(という植物)と二葉(という植物)を比べると、栴檀のほうが芳しい」ぐらいの意味になり、何をいいたいのかわからなくなってしまいます。
 3)は2種類のヨリが使い分けられている例です。少しまぎらわしいかもしれません。1つ目のヨリが「起点のヨリ」で、2つ目のヨリが「比較のヨリ」であることがわからないと、やはり意味がわからなくなってしまいます。
 このように、「起点のヨリ」が誤解される可能性があることはたしかです。しかしそのことを理由にして、「起点のヨリ」を使ってはいけない、とするのは無理があります。
 ここであげたのは特殊な例で、ふつうの文章中に出てくるヨリが「起点のヨリ」か「比較のヨリ」かまぎらわしい例は、ほとんどないからです。「カラよりもヨリのほうが語感がいい」と思うなら、「起点のヨリ」を使っても問題はありません。基本的には「起点のヨリ」を使い、どうしてもまぎらわしいときに限ってカラを使う、という方針でもよいでしょう。
 誤解のないようにお断りしますが、「起点のヨリ」を使うべきだ、とすすめているのではありません。「起点のヨリ」が原因で意味がわかりにくくなることはほとんどない、といいたいだけです。
 本書では、原則的に「起点のヨリ」を使っていません。「比較のヨリ」とまぎらわしいからではなく、「起点のヨリ」が文語調に感じられるからです。

【練習問題38】
 次の2つの表現の違いを考えてください。
  1)心ヨリお待ちしております
  2)心カラお待ちしております

 1)のヨリは、「起点のヨリ」です。1)と2)のどちらの表現を目にすることが多いでしょうか。おそらく、1)のほうが一般的です。
 1)と2)は同じ意味ですが、厳密にいうと、1)のほうがほんの少していねいな感じがあります。例文のような内容のときに1)が使われやすいのは、この「ほんの少し」の違いが重視されているからでしょう。
 文語調の言葉のほうが「立派に見える」印象があることは、すでに書いたとおりです。そのため、「起点のヨリ」はパンフレットの文章、あいさつ文、手紙文などでよく見ます。「ていねいに書こう」という気持ちが強い文章ほど、「起点のヨリ」を使うことになるようです。
 本書で「起点のヨリ」を使わないようにしているのは、そのほうが読みやすい印象になると思うからで、あくまでも感覚の問題にすぎません。決して「わかりにくいから使ってはいけない」表現ではないはずです。
================================

 その後、とあるサイトに下記のように書き込んだことがある。

================================
 ヨリとカラについて、手元にある資料から索いておきます。
 愛用している「朝日新聞の用語の手びき」の「慣用句」の使い方の注意に、次のように書いてあります(これは1986年発行の第22刷のポケット版です。現在のものは違っていると思います)。
 
【引用部】
 蛍光灯より冷たい光線が流れている
 この文は「冷たさ」を比較しているようにも受け取れる。場所・時間の起点を示す場合の助詞は「から」を使い、「より」は使用しない。同様に引用の出所を示す場合も「〇〇図鑑より」とはせず「〇〇図鑑から」とする。「より」は比較の場合だけに使う。

 この解説を信じて、基本的に「起点のヨリ」を使わずにきました。しかし、引用の出所を示す場合は「ヨリ」のほうが自然な気がして、例外にしています。ただ、ここであげられている例文が「比較のヨリ」と解釈できるか否かは微妙だと思います(個人的には、「起点のヨリ」としか思えません)。

 1998年にP社から発行された「文章読本」には、次のような例文が紹介されています(この本はあまりにも問題も多いので、名前は伏せます)。
「彼より、あなたが好きという手紙が来た」
「比較のヨリ」と解釈して、「彼とあなたを比較して、あなたのほうが好きである」という意味に誤解されかねないそうです。
 よく判らないのは、なんで「彼より、」と読点をつけたのか、ということです。読点があると、「起点のヨリ」としか読めません。読点を削除すると、たしかに「起点のヨリ」とも「比較のヨリ」ともとることは可能でしょう。しかし、受取人の性別を考えれば、その問題も解決されます。そんなことより、この例文はいかにも人工的で無理があります。といったことを考えると、「起点のヨリ」はまぎらわしい、という主張自体に無理がありそうです。

『理科系の作文技術』(木下是雄/中公新書/1981年9月25日初版)の149~152ページには、「私の流儀の書き方」が紹介され、次のように書かれています。
【引用部】
「よい」、「ゆく」、「より」、「のみ」は、私の語感では、話しことばとしてはもう死語になっているからだ。実をいうと私は「10時より午前の部の講演をはじめます」、「これより先、空港待合室では……」などと言われるとぞっとするのである。

 ちょっと補足します。この前には、「書きことばは話しことばとは明らかにちがう」としながら、「書きことばが話しことばに接近していく傾向があることも事実」とし、「その変化を先取りするほうらしい」木下氏は

  ……するほうがよい
  ……読んでゆくうちに
  8時より9時までのあいだ
  下地に膜をつけた場合と下地のみの場合とをくらべて……

 とは書かずに、それぞれ「いい」「いく」「から」「だけ」とするそうです(ただし、goの場合には「行く」と書き、読み方は読み手にまかせる)。
 ヨリとカラ以外に関しては賛成できない部分もありますが、ヨリとカラに関しては同感です。ほかの記述などを見ると、木下氏は1917年生まれとしては驚異的な若々しい言語感覚をもっていると思います。
================================

「古来から」「古来より」に関しては、下記の日記を参照してほしい。うーむ。どこまでも迷路にはまっていく。
【伝言板 板外編4──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1004398693&owner_id=5019671

【20120626追記】
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================================引用開始
【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。
================================引用終了


【従来から 従来より 従来まで】Yahoo!知恵袋
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1844.html

mixi日記2011年03月09日から
 テーマサイトは下記。
【「従来までの」という言葉は二重言葉ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157221871

 質問文を転載する。
================================
「従来までの」という言葉は二重言葉ですか?
「従来から」だと誤用になるようですが…
================================
 
 盲点をつかれたような気がする。
 とりあえず過去に書いたこと。

【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
================================
2)の重言(古来から)の修正案
  古来/古くから
 重言の例として指摘されることが多い用法で、同様の例としてあげられるのが「従来から」「旧来から」です。「来」の字に、時間的な始まりを示す「から」と同様の意味合いがあるため、重言になってしまいます(「から」のかわりに「より」を使う場合もあります。ほぼ同義なので、「から」に限って話を進めます。「から」と「より」に関しては★ページ参照)。
================================

 下記も関係あるかな。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html

 まず辞書をひいておく。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5&stype=0&dtype=0
================================
じゅう‐らい【従来】
以前から今まで。これまで。従前。「―の方式」「―定説とされてきた学説」
================================

 辞書を見れば明らかなように、「従来」(「古来」「旧来」も同様)は「まで」の意味合いを含む。
 したがって、「従来まで」は重言になる(誤用か否かは別問題)。
 類語から考えるに、これは「来」の働きだろう。
「から」の意味があるとは思っていたが、「まで」の意味もあるとは……。
「から」と「まで」の兼任ってことになると、↑の【伝言板 板外編5──重言の話3】でふれた「~」と同様ってことになる。
================================
5)の重言(1階~3階までは)の修正案
  1階~3階は/1階から3階は/1階から3階までは
「~」は「から」の意味をもつ記号です。しかし、「1階~3階」と使った場合には、「から」だけではなく「まで」の意味も含むため、「1階~3階までは」は重言風の表現になります。同様の理由で、「東京~大阪間は」なども重言風の表現です。「1階から3階までは」が重言か否かはさらに微妙ですが、削除しても問題がないなら、「まで」は入れずに「1階から3階は」にするほうが無難でしょう。
 ちなみに、「1階~3階」と「1~3階」のどちらの書き方を選ぶかは趣味の問題でしかありません。個人的な感覚としては、「1~3階」のほうが簡潔な気がします。
================================


【従来から 従来より 従来まで】〈4〉? 辞書
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12242209104.html

「従来から」はやはり重言なんだろう。
「従来より」も同様になる。「従来まで」はちょっと違うが、まあ同じ扱いでよいと思う。
「朝日新聞の用語の手びき」(1986年発行の第22刷のポケット版)の記述はとっくに引用したと思ったが、別の話だった。「誤りやすい慣用句」(P.475)に下記の記述がある。
===========引用開始
従来から(より)→ 従来
「従来」だけで「以前から今まで」。「から」「より」は不要。「古来から」も重言。
===========引用終了

『記者ハンドブック』(第13版/共同通信社)の「誤りやすい語句」にはこのテの記述はない。こちらは本編とも言える「用字用語集」に注意書きがあった。 
===========引用開始
じゅうらい 従来
〔注〕「従来から」は重複表現。 
===========引用終了

 ちなみに、第12版も同様だけど、第6版だと微妙に違う。
===========引用開始
じゅうらい 【誤】従来から・より→ 従来
===========引用終了
【誤】は原本では丸つきの「誤」。「誤った表現」の意味らしい。
 
 昔は「誤用」だったけど、現代では「重複表現」だから「誤用」ではないと考えているのだろうか。それとも「重複表現」も「誤用」の一種なんだろうか。そんな微妙な話はどうでもいい。こういう辞書類の版の違いを調べだすとキリがない。
 新聞系では「使わないほうが無難」にしているのだろう。
 ただ、「から」をとると語呂が悪くなることがあるのも事実で……。「従来からある方式」あたりを「従来ある方式」にするのはためらいを感じる。まぁ、「従来の」にすれば済むんだけど。
 雑学本の類いでは、たぶん重言(重複表現)としていると思う。信頼のおける資料がないものか、と探していた。
 灯台下暗しと申しましょうか……。Web辞書にはなんの記述もないと思っていたが、こういう探し方ができるんだった。もっと早く気づけよ。
 ほかの語句の説明中に出てくる「従来から」。『大辞泉』『大辞林』を合わせて24例。こんなにあるのか……。
http://dic.search.yahoo.co.jp//dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5%E3%81%8B%E3%82%89&stype=full&dic_id=jj&ei=UTF-8&b=1

「従来より」。『大辞泉』『大辞林』を合わせて8例。ただしそのうち7例は「比較のより」だろう。
http://dic.search.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5%E3%82%88%E3%82%8A&dic_id=jj&stype=full&b=1

 これだけ使っていて、「従来より」を否定する記述が付け加えられたら笑える(黒笑)。
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突然ですが問題です【日本語編254】──「こと」と「もの」 形式名詞の迷宮

 下記の仲間。
【突然ですが問題です お品書き〈5〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930761341&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【17】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950899196&owner_id=5019671

【問題】
 下記の例文の適否をこたえなさい。できれば理由を添えてね。
1)投票率は前回を上回るコトと予想される
2)投票率は前回を上回るコトが予想される
3)投票率は前回を上回るモノと予想される
4)投票率は前回を上回るモノが予想される
5)投票率は前回を上回ると予想される
6)投票率は前回を上回るが予想される


【解答?例】
 相当微妙だとは思うが。
△ 1)投票率は前回を上回るコトと予想される
◯ 2)投票率は前回を上回るコトが予想される
◯ 3)投票率は前回を上回るモノと予想される
X 4)投票率は前回を上回るモノが予想される
◯ 5)投票率は前回を上回ると予想される
X 6)投票率は前回を上回るが予想される

【よくわからない解説】
 詳しくは下記をご参照ください。
【「こと」と「もの」 辞書】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12181757261.html

普通においしい〈1〉~〈4〉

普通においしい【1】──大丈夫か、毎日新聞

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【4】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1583890705&owner_id=5019671


mixi日記2011年01月26日から

 これは●●すぎる。
 だって「普通においしい」の類いが問題視されるようになったのは相当古い。
 たとえば下記は2006年11月30日のブログ。
【「普通においしい」 - 平野啓一郎公式ブログ】
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20061130/1164869939

 こんなに歴史のある?言い回しで、いまではかなり普及しているものを、いまさらこんなふうに取り上げるのはどういう神経だろう。別にこういう言い方を積極的に支持するつもりはないが、たま~に使ってしまう自分が怖い。
 専門編集委員ってなんの「専門」なのかは知らないが、この感性と情報収集力には相当危ういものを感じる。大丈夫か、毎日新聞。いや、あまり大丈夫じゃなかったか(黒笑)。ゴメン。オレが悪かった。記事中にも恐ろしい内部告発メッセージを見つけた。「毎日は見ないよ。普通の日本人だから」……なんということを。
 こういう記事を書くと、現代では下記のような扱いを受ける。
【毎日記者「ここの店、うまいの?」 若者「普通においしいですよ」 記者(普通にって何だ…?)】
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1590896.html

 このテの掲示板は問題があるものも多いが、今回に限れば説得力がある。妥当なコメントを転載しておく。
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11 : 雪ちゃん(広西チワン族自治区):2011/01/25(火) 15:24:25.69 ID:EtXr4ZsbP
普通に(お世辞でなく、含みなく、保留なく)おいしい
って意味だろ
言葉は変化すんだよ

95 : こんせんくん(栃木県):2011/01/25(火) 15:30:48.54 ID:RH4GXTbB0
>>11が正解。
マスコミのグルメリポートとかで大袈裟に「うまい!!」とかいうのがあまりにも多すぎるから
そういう誇張無しに、普通のテンションでも十分おいしいと言えますってことだ。
自分たちが作り出した悪文化のせいで生まれた言葉なのに理解できないとは
おめでたいんだなこの記者さんは

17 : きららちゃん(長屋):2011/01/25(火) 15:25:23.43 ID:kCbLPQOW0
以前から散々普通にみんなおかしいと思ってるって言われ続けてた事を
普通に記事にしちゃうなんて普通じゃないすなw
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【ネタ元】毎日新聞
http://mainichi.jp/select/opinion/maki/news/20110125dde012070062000c.html

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牧太郎の大きな声では言えないが…:普通においしい?

 東京・新橋のバス停前。とあるラーメン屋に列ができている。

 列の最後尾の若者に「ここ、うまいの?」と聞けば「普通においしいですよ」。

 普通においしい? よく分からないが……ともかく並んだ。

 うまかった。太麺。味はこってり。5枚も入っている「海苔」はバリバリとして最上品なのだろう。隣り合った、例の若者に「うまいじゃないか?」と言うと「そうでしょ」と笑っている。

 何か、彼とは日本語が通じたような、通じないような……会社に戻って、この奇妙な経験を同僚に話すと「普通においしい、というのは、すごくおいしい!という意味ですよ」。

 エッ、本当なのか?

 普通の「普」は「並」の下に「日」と書く。「並」は横に広がることを表し「通」はあまねく知れ渡っているという意味。だから広辞苑で「普通」は(1)ひろく一般に通ずること(2)どこにでも見受けるようなものであること……とある。この若者は「広く知れ渡ったおいしさ」とでも言いたかったのか? でも「普通においしい」はやっぱりおかしい。

 同僚は「今の若者は、もの心ついてから不況の連続。自分のことを“普通以下”と考えている。だから彼らが言う“普通”とはワンランク上の事なんですよ」。

 そういえば「普通」という言葉は曖昧だ。

 社会現象になった「AKB48」を「ごく普通の娘じゃないか」と思っている。彼女らにオーラを感じない。だから、といって「嫌い」ではない。普通である。

 昔の大スターには熱狂的なファンがいる半面「嫌いだ」という人も多かった。美空ひばり、松田聖子……大スターに対する「好き嫌い」は両極端だった。

 「AKB48」を嫌いな人は少ないような気がする。誰もが嫌いでないのが、大スター? 彼女たちは「普通」にして「すごい大スター」なのかもしれない。

 僕が東京・秋葉原の近くに住んでいると聞いて、親戚の若者が「毎日、AKB48が見れますね」とうらやましげに言う。「AKB48」は秋葉原のビル8階の専用劇場で毎日、公演しているらしい。

 「AKB48? 興味はあるけど……毎日は見ないよ。普通の日本人だから」と言ってから……当方の言い分が正確に通じたか?ちょっと心配になって……。日本語は変わったのか?(専門編集委員)

毎日新聞 2011年1月25日 東京夕刊
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普通においしい【2】──
「普通においしい」でも、別にいいんじゃね!?

mixi日記2011年01月27日から

 牧太郎氏(毎日新聞のコラムの筆者)に比べるとはるかにまとも。
 下記参照。
普通においしい【1】──大丈夫か、毎日新聞
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1663324882&owner_id=5019671

 しかし、この記事の筆者の谷川氏の感覚もノネナールが強い。この「普通」に関しても近いうちにまとめたい。
 ということで保留にしておく。
 ところで、このコラムを読んでいて一瞬混乱する人いない? 原因は「筆者」って言葉。こういうふうに引用文があるときは、要注意。引用文の筆者(牧太郎氏)なのか、このコラムの筆者(谷川氏)なのか、わかりにくくなる。

>「他者の言葉に違和感を持ったとしても、その場その時に、その他者の話し相手へ通じていれば、別にいいじゃん」
 その場ではそのとおりだとも思う。でも言葉の問題は、そういう態度では済ませられないことも多いのよ。


【ネタ元】ガジェット通信
http://get.nifty.com/cs/catalog/get_topics/catalog_110126000076_1.htm
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「普通においしい」でも、別にいいんじゃね!?
2011.01.2617:34


 「普通においしい」という表現が話題になっています。1月25日付の毎日新聞夕刊に掲載されたコラムが火をつけたようです。書き手は、牧太郎さん。「サンデー毎日」の編集長をつとめた経験もある記者で、言葉のプロフェッショナルといえる方なんですね。

 ある日、牧さんが東京・新橋のラーメン屋にいった。行列に並んでいた若者に「ここ、うまいの?」と聞いたところ、「普通においしいですよ」という答えが返ってきた。コラムでは、「普通」と「おいしい」という言葉の組み合わせに違和感を表明しています。

 筆者は、ある大学で非常勤講師をやっていますが、女子学生に「ラルクアンシエルとか、好き?」と聞いたとき、「普通に好きですよ」という答えが返ってきました。また、バーのカウンターで、20代後半と思われる男性に「そのカクテル、うまいですか?」と聞いたところ、「普通にうまいっすよ」という反応が。

 ようは、この「普通に……」という言い方は、かなり普及しているようなのです。数年前までは、この「普通に……」という言葉の使い方に、牧さん同様、筆者も違和感を持っていました。でも、おそらく30代以下の人々は、それこそ普通に使っている言葉だと気づいてからは、あまり気にならなくなったのです。

 アーティストでも食べ物でも、その年代の人に好きか嫌いかをたずねると、「普通」と答える人もたくさんいるような気がします。この場合は、「好きでも嫌いでもない」という意味で使われることが多いようです。言いかえれば、「どうでもいい」とか「どっちでもいい」ということなんですね。

 つまり、「普通に……」の「普通」という言葉は、「どっちでもいい」という意味なのですから、ある言葉の前に「普通に……」といった場合、「あってもなくても、『普通に…』に続く言葉の意味が変わらない」というニュアンスの流行り言葉なのではないか、と筆者は理解しています。

 日本語の伝統みたいなものを、守ることもたいせつだと思います。他方、言葉やその使い方は、時代によって変わっていくものだ、ともいえましょう。「他者の言葉に違和感を持ったとしても、その場その時に、その他者の話し相手へ通じていれば、別にいいじゃん」というのが筆者の意見ですが、みなさんはどうお考えでしょう?
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「普通においしい」でも、別にいいんじゃね!?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1482262&media_id=85


普通においしい【3】──
「普通においしい」「普通に可愛い」

mixi日記2011年02月01日から

 まず辞書をひこうと思ったが、普通(いつもは「フツー」と書いているが、この日記は「普通」と書く)の語釈しかのっていないのでやめておく。節操なく新しい用例を入れているWeb辞書がまだ採用していないってことは、まだマイナーな用法なのだろうか。一般的に、「普通においしい」と言ったらどういう意味なのだろう。この種の「普通に~」の形で使われるのは「普通においしい」以外だと「普通に可愛い」「普通におもしろい」あたりだろうか。後ろに否定的な言葉は来ない気がする(現段階では)。
 ネット検索した結果、参考資料を2つ厳選した。

参考資料1【「普通においしい」 - 平野啓一郎公式ブログ】(2006年11月30日)
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20061130/1164869939
 この平野啓一郎って、あの平野啓一郎だよな(意味不明)。ちょっとビックリ。2006年11月の記述ってところに価値がある。
【平野啓一郎説】========================
 あとは、「普通においしい」という言い方もそうですね。これも意味が分からないという人がいますが、どうしてでしょう? たとえば、ブルーチーズを食べたとき、人は、「クセがあるけどおいしい」という言い方をします。そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は「普通においしい」と言うわけです。
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参考資料2【2010-08-04 「普通においしい」の用法】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20100804
 こっちにはいろいろ出ている。
【『三省堂国語辞典』説】====================
 生きのよい現代語辞典を標榜する『三省堂国語辞典』第6版は、「俗」と断りながらも「普通に、の形で『ごく自然に考えて。わりあいに』」の用法を載せ、「普通においしい」の例文を挙げている。「並」より上を示すホメ言葉だが、さりとて格段に旨いというほどではない、といった感じだ。あえて不等記号を使って表すと――

 すごくおいしい>かなりおいしい>普通においしい≧おいしい>普通>あまりおいしくない>まずい、という順になるかもしれない。

【『続弾!問題な日本語』説】==================
 同書によれば、「普通においしい」は 1)「お世辞ではなく、おいしい」という積極的な賞賛を表すのにも使われるようだ 2)この場合の「普通に」は「おいしさ」の程度ではなく、お世辞ぬきの、素(す)の判断であることを表している、と記述。さらに続けて、「正直なところ」や「率直なところ」と重なる用法だ、とも解説している。私見では、この用法が含意するところは単なる賞賛だけでなく、意外性という点もあるように思う《注》。
================================

参考資料3『続弾!問題な日本語』
 p.59~のテーマが「普通においしい」。
 書き手は矢澤真人筑波大助教授(当時)。末尾のまとめの部分を引用する。

【引用部】
若い人たちは、「普通」を〈自分はそれに積極的に関わらない〉というニュアンスで使ったり、「普通に」を〈お世辞抜きで〉〈素(す)で〉〈正直なところ〉という意味で使ったりしています。これらは、本来の使い方からは、ずいぶんかけ離れたものです。(p.62)

 引用部を読むだけで、日本語があやしい書き手って気がする。1文目が長すぎる。こんなに長いのに「片たり」にしなかったのは立派だけど、やはり避けるべき。2文目はこんなに短いのに「は、」が2回も出てくる。
「普通に」を説明するのに、「普通」から書きはじめるのは本格派。ただ、このまとめは……。
 本文で「普通」に関して下記のように書いている。

【引用部】
 友達関係を表す場合などでは積極的には関与しない間柄を表す場合もあるようです。「なあ、俺のこと好きか」に対して「普通」と答えられたら、どうでしょう。ある年代以上の人は、「俺は単なる友達なんだ」とがっかりする一方で、安心もするでしょうが、そんな答えをされたら、若い人はひどく落ち込みます。あなたに関心がない、好きと嫌いのスケールにも載せられない、という積極的な不関与を宣言されたことになるからです。(p.60)

「普通に」とはあまり関係のない話だが、書き手の論理性を示す例なので、長めに引用した。これは何が書いてあるんだろう。「俺のこと好きか」に対して「普通」と答えたら、それはかなり明確な拒絶じゃないかな。それは若い世代だって同じだろう。それで安心するような相手にこんな質問したら、「単バカ」だよ。前提がおかしい。それにしても「積極的な不関与」ってどういうこと?
 食べもので考えよう。「(食べもの)は好き?」に対して「普通」と答えた場合は、2つ考えられる。
  1)とくに好きでも嫌いでもない
  2)普通に好き
 どちらかと言うと、1)だろうな。
 もうひとつ考えられる側面がある。話している相手に「積極的な不関与」を宣言している。たとえば、親が「○○はどう?」と訊いたときに反抗期のガキが「普通」と答える。これは、詳しく話すのがメンドーなときの無難な答えとして定着している気がする。

 で、同書の「普通に」に関する記述。
【引用部】
 もう一方の「普通に」のほうですが、「普通においしいよ」は、標準的なおいしさだ、世間並みのおいしいという範囲に入る、という意味のほかに、「お世辞ではなく、おいしい」という積極的な賞賛を表すのにも使われるようです。この場合の「普通に」は「おいしさ」の程度ではなく、お世辞抜きの、素の判断であることを表します。「正直なところ」や「率直ところ」と重なる用法で、「マジ」にもこの用法があります。(p.61)

 この記述にある「標準的なおいしさだ、世間並みのおいしいという範囲に入る」が、なぜまとめから抜けてしまったのだろう。思うに、「本来の使い方」は「並」って意味ってことなんだろう。ちょっと違うと思う。本来は「普通においしい」という言い方自体をしないと思う。それは「おいしい」って言うの。それに、「並」の意味もあって、もう少し上の意味もあると、結局どんな意味なのかわからないよね。
 さらにいくつか疑問がある。
〈「おいしさ」の程度ではなく、お世辞抜きの、素の判断であること〉ってどういう意味? 「普通においしい」を「お世辞抜きにおいしい」(これは絶賛に近い褒ほめ言葉だろう)と言いかえたら、それは〈「おいしさ」の程度〉ではなくなるの?
〈「マジ」にもこの用法があります〉ってどういう意味? マジは本来は「真剣」で、「マジにおいしい」なら「本当においしい」だろう。「お世辞抜きにおいしい」とほぼ同義。
 それは「この用法」があるってことなのかな。そういうふうに普通に(一般的に)使うってことだと思う。はかにどんな用法があるの?
 いろいろ加味すると、「参考資料3」は考慮に入れないほうがいい気がする。

「参考資料2」に出てくる不等式?はおもしろい。注目すべきは中央部。

かなりおいしい>普通においしい≧おいしい>普通>あまりおいしくない

 こういう考え方でいいと思う。
「普通」を文字通りの意味で考えたら、「普通においしい」は「おいしい」とほぼ同じになる(普通においしい=おいしい)。だったら単に「おいしい」でもいいだろう、という考え方もできる。そこでポイントになるのは「参考資料1」の記述。〈そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味〉ってこと。この意味だと、「お世辞抜きでおいしい」までほめてはいない。
 世間の一部で解釈しているように、もう少しほめていると考えるなら「普通においしい」のほうが「おいしい」より上と考えてもいい(普通においしい>おいしい)。この意味でも、「お世辞抜きでおいしい」までほめてはいない。
 注目したいのは、「参考資料2」に出てきた「意外性」。
 たとえば、すんごく評判の悪い店・料理人(身近な作り手を想起するのはご自由に)の料理が、全然まずくなかったときに使われるのが「普通においしい」。見た目がグロい料理が全然まずくなかったときにも使われる。「意外性」ですね。
  「ごめんね。まずかったでしょ」
  「いや、そんなことないって。普通においしいよ」
 ほほえましい会話だな。
 まったく逆の場合はどうなるか。
 評判のいい(あるいはバカ高い)店・料理人の料理が、まずくはないけどとくにおいしくもなかったときに使われるのは……。
「普通」なんだろうな。これも「意外性」と言えば「意外性」。
  「どう? 料理にはけっこう自信があるの。おいしいでしょ?」
  「いや、そんなことないって。普通だよ。どっちかって言うと、惜しい」
 性格がtobiすぎるorz。
「普通に」と「普通」は辞書的には大差がないと思うけど、こういう状況で考えると、真逆とまでは言わなくても相当違う印象になる。
 いやぁー、日本語ってホントにおもしろいですね。


普通においしい〈4〉「普通に」「フツーに」「ふつうに」──
「普通にかわいい」は、普通にほめてるのよ

 テーマサイト&トピは下記。
1【普通に強い?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1259327022
2【「普通に」の使い方】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=37442370

 近年の「普通に」の使い方には2種類あるような気がしてきた。
 非常に微妙な話なので、奥歯にいろんなものが挟まったような話になることを覚悟で。
 端的な違いを考えるのに、下記の例で考えてみる。

1) 普通においしい
2) 普通に好き
3) 普通に強い

 1)はいままでに見てきた例。
 おそらく、下記の不等式で理解できる。「並より上の普通」と呼ぶ。ニュースのテーマになっている「普通にかわいい」もコレだろう。元々の【ネタ元】http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4329734.html?from=mixi_news&check_ok=1を読むと、●●女に対する投げやりな相槌にもとれるけど(黒笑)。

かなりおいしい>普通においしい≧おいしい>普通>あまりおいしくない

 ところが、2)3)になってくると、ちょっと違ってくる気がする。
 2)の場合、「好き」の度合いが云々ではなく、気持ちのありようって気がする……これじゃ何を言ってるかわからんだろうな。
 いいかえるなら、「自然体で好き」。「同情でもなく」「ヘンな含みもなく」「純粋に」くらいの気がする。テーマサイト&トピ「1」のリンク先からひく。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%E1%C4%CC%A4%CB
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若者言葉。スラング。「フツーに」
お世辞でなく、含みなく、保留なく。
「当然のごとく」、「自然と」というニュアンス。
以下のように、フツーにみんな使ってる言葉です。

用例
「フツーに好きなだけ」(北川景子・2009年、月9ドラマ「ブザー・ビート」)
「この料理、フツーにおいしい」
「今朝、フツーに雨が降った」
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 これは普通においしい〈3〉──「普通においしい」「普通に可愛い」http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1666477246&owner_id=5019671でひいた平野啓一郎説にも通じる。
【平野啓一郎説】========================
 あとは、「普通においしい」という言い方もそうですね。これも意味が分からないという人がいますが、どうしてでしょう? たとえば、ブルーチーズを食べたとき、人は、「クセがあるけどおいしい」という言い方をします。そんなふうに条件や留保をつける必要のある食べ物とは違って、ストレートに、一般の誰もが「おいしい」と同意するであろうような味の食べ物(あるいはその水準に達している食べ物)を食したときに、現代人は「普通においしい」と言うわけです。
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「好き」の場合だとわかりやすいかもしれない。「同情とかではなく好き」「財産目当てじゃなく好き」(いつの時代だ?)という感じで、ヘンな含みがなく好きってことだろう。本来の「普通に」に近いかもしれない。「自然体の普通」と呼ぼう。

 3)になるとさらにわからなくなってくる。
 これはどっちともとれるとも言えるし、イチバン異和感があるとも言える。
「普通に強い」は、「並より上の普通」のニュアンスがある。たぶん平均値より強い。ただ、それは単に「強い」じゃないか、って気もする。
「自然体の普通」ともとれるけど、それも単に「強い」じゃないかって気がする。そうなると、〈3〉で見た「意外性」も加味する必要があるのだろうか。
 これはいわゆる「若者言葉」に共通する気がするが、何か便利な言い回しが登場すると、どんどん派生的な使い方が出てくる。そのうち「それはちょっと違う」ってものまで含まれ、結局なんとなく雰囲気では理解できても、どういう意味か説明できなくなる。「可愛い」なんかもそうだし、最近の例だと「大丈夫」や「全然」もそう。
 あれ? 「大丈夫」や「全然」は「若者言葉」じゃねえか。


 バイト敬語/若者言葉関連のコレクションは下記参照。
【関連トピ紹介】26──バイト敬語/若者言葉
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55300424


【ネタ元】教えて!ウォッチャー
http://blog.goo.ne.jp/oshiete_watcher/e/76ac76e9a09c202e84c2966a425d98fe?fm=rss
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男性の「普通にかわいい」って、ほめ言葉?

レストランで30代女性と、19歳の男性が食事をしていました。雰囲気から姉弟ではなく、付き合ってもいなさそう。するとこんな会話が。

女「ねぇ、私のこと、かわいいって言って」
男「かわいいですよ」
女「そう言わなきゃ殺されるもんね」
男「いえ、普通にかわいいと思います」
女「じゃあ、私はお母さんに見える?」
男「母よりずっと若いですし、普通にかわいいと思います」

10代の男性から、30代女性がかわいいって言ってもらえただけでも、もうけもんな気がするのですが、女性は「普通にかわいい」の“普通”が引っかかっているよう。

「『普通に可愛い』って可愛いの?」

彼が発した普通って、どういう意味でしょうか?

■意味どおり、人並みということ

   「“ごく一般的”だと解釈しています。特別にかわいいわけではないけど、親しみやすい意味での“普通にかわいい”では」(kimiyan101さん)

   「“一般的に”ではないでしょうか。質問者さんが恋愛対象ではなかったため、そう言ったのだと思います。恋愛対象なら、かわいいと言うはず」(simakawaさん)

意味をそのまま受け取って、“一般的”と解釈する人もいれば

   「この場合は“お世辞ではなく”くらいの解釈だと思います」(tooma37さん)

   「“冷静に見ると”“本質的に”といったニュアンスと思っていました。芸人っぽいリアクションをしているアイドルに『彼女、普通にかわいいよね』とか」(hat01_189さん)

   「私もよく使いますが、おいしいを例にすると
すごくおいしい>おいしい>普通においしい>普通>まずい>かなりまずい
という感じです。どっちかというとおいしい時に使います」(noname#83374)

積極的には認めないものの、肯定できると際に使うという意見も。全体的に“可もなく不可もなく”といった回答が多く、“普通”に深い意味を求めなくとも、という気がします。

■「普通に」という前置詞は一種の逃げゼリフ

しかし、いじわるな見方をすると、10歳以上も年上の女性から「かわいいって言え」と要求されることは、一種のおどし。男性に女性への好意がなく「かわいいって言わないとめんどくさいし、でも額面通りに受け取られるのも嫌」という気持ちがあったとすれば?

   「“そうではなく”とすればいいのです。今回なら、一般男性の大半が容姿について60~70点以上はつけるであろう程度の魅力はある、でしょうね」(okwindanceさん)

   「みなさんの言う“一般的に”“冷静に見て”に、私は“客観的に”も加え、その複合的なものと考えます。興奮したり、感動すれば“普通に”はつけません。この場合は一歩ひいた、第三者的評価ですね」(pirukuru51さん)

上記の2つの回答を見ると、彼の“普通に”は仕方なく言わされた褒め言葉への逃げ口上と受け取ることができるかもしれません。

   「質問文を拝見した時、口裂け女の話を思い出しました。口裂け女には『それなりに』と答えるのが正解だそうです。彼は賢いです」(yurie0000さん)

もし30代女性が男性から「普通にかわいい」と言われたら、“かわいい”ではなく、“普通に”の部分に本音が潜んでいることを肝に銘じたほうが無難かもしれません。

津島 千佳
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男性の「普通にかわいい」って、ほめ言葉?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1559192&media_id=116


普通においしい〈5〉──懺悔の記録「フツーにできる」

mixi日記2011年05月01日から
普通においしい〈5〉──懺悔の記録「フツーにできる」

 このところトピへの書き込みをする意欲が急激に減退している。
 理由はいろいろあるが、最大の理由は「それどころじゃない」ってことだろう。
 それでも気が向くと、書き込んでしまう。(←病気?)
 そいでもって、下記のトピに書き込んだ言葉づかいについて懺悔します。
【ワード:質問&回答用のためのトピック】ワード編 パート2(50~63)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=58918321

 Wordでもテキストボックスのリンクなんてできるのね。世の中にはWordやExcelでムチャクチャ凝ったレイアウトをしている人がいることを知ってはいた。この話は長くなるからパス。
 気になってヘルプで検索してチャレンジしたら、アッサリできてしまった。ただ、このへんが困った話で「リンク」という言葉を知らないとヘルプでもネットでも調べにくい。
 当方が「59」のコメントで書いたこと。
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 テキストボックスをリンクさせるということではありませんか。
 一般のDTPソフトでは基本的な機能です。
 Wordでやるのは初めてでしたが、ヘルプを見てやってみたらフツーにできました。
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「フツー」と書いてからコメントを入れるまでにちょっとためらったけど、訂正はしなかった。
 あとからジンワリとヤな気持ちが広がってきた。
 この「フツー」はどういう意味なのか。
「簡単に」はちょっと違う。当方はWordでテキストボックスを使ったことは数えるくらいしかないし、リンクなんてさせたこともない。ヘルプに従っておそるおそるやってみたらできてしまった、ってとこ。決して「簡単に」ではないけど「とくに問題なく」できてしまった。
 一般的にこういう使い方があるのだろうか。
 たとえば通行止めになっていたはずの山道が通行できたとする。
 これは「フツーに通れた」だろう。
 逆の場合は「不通で通れなかった」……それが書きたかったのか?
「とくに問題なく通れた」とほぼ同義だな。ただ「フツーに通れた」だと「いつもどおり通れた」にできるけど、↑の「フツーにできた」は「いつもどおりできた」にはできないな。
 念のため『大辞泉』をひいておく。「特に変わっていないこと」でいいか。そうなると、フツーに使えそうなんで、とくに懺悔の必要もないか。
 なら許そう。(←オイ!)

■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%99%AE%E9%80%9A&stype=0&dtype=0
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ふ‐つう【普通】
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。「今回は―以上の出来だ」「―の勤め人」「朝は六時に起きるのが―だ」「目つきが―でない」

[副]たいてい。通常。一般に。「―七月には梅雨が上がる」

[用法] 普通・普段・通常――「普通(普段・通常)は六時半に起きる」のように、へいぜいの意では相通じて用いられる。◇「普通」は意味の範囲が広く、「どこにでも普通に生えている草」のように、ありふれている、珍しくないの意、「ごく普通の子」「普通科」のように、特に変わりがない・平均的・一般的なの意に使われる。これらは「普段」「通常」は使えない。◇「普段」は、常日ごろの意に重点があり、「普段の力を出せた」「普段の心がけの問題だ」などでは「普通」「通常」は使えない。◇「通常」は文章語的。いつもどおりで特別の事情がないこと・場合をいう。「勤務時間は通常九時から五時までとする」は、「普通」も使えるが、特別の事情があれば変わることもあるという含みも込められている。
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●バイト敬語/若者言葉のコレクション
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1818.html

読書感想文/『読ませる技術』(山口文憲/ちくま文庫/2004年3月10日第1刷発行)

 とっくにアップしたと思っていた(泣)。
 たぶん2004年くらいに書いたもの。

 サブタイトルは「書きたいことを書く前に」。2001年3月にマガジンハウスから単行本として出版されたときのサブタイトルは「コラム・エッセイの王道」だった。
 先入観があって軽視していたが、これはかなり強力。「コラム・エッセイ」部門では最強じゃないだろうか。続編の原稿書きに苦戦中の身としては、いろいろ考えさせられた。
【引用部】
 うまい文章を書く秘訣というのはありません。あれば私がとっくにやってますし、絶対人に教えたりなんかしないでしょう。
 でも、まずい文章を書かないコツはあります。(山口文憲『読ませる技術』p.13)
 冒頭からこれだも。偉そうじゃないし、力みがないからスルスル読めてしまう。
 やっぱりこの方法が正しいんだろうな。「悪い例」を反面教師にするほうが話が早い。うまい文章のパターンの解析が可能ならいいんだけど、事実上不可能なんだから、反面教師方式しかない。
 うまい文章にはパターンがないが、まずい文章には一定のパターンがあるそうな。したがって、対策を立てることができる。 
【引用部】
 車の運転のことを考えてみてください。車の運転は習えば誰でもできますが、F1レーサーには誰でもなれるわけではない。そもそも「F1レーサーになってやろう」なんて破天荒な考えで自動車教習所に通う人はいないでしょう(いたら困ります)。自動車の運転を習うときは、まず止め方、曲がり方から覚えます。つまり、とりあえずまずい運転をしないコツを身につける。ぶつからない方法を学ぶ。だから誰にでもできるんです。文章だって同じことです。まあ、文章の場合は、まずい運転をしたって、自分が死ぬわけでも人を殺すわけでもないから、いいようなものですが……。(山口文憲『読ませる技術』p.14)
 以前から考えていた「技術」と「才能」を説明する「例え」。この運転の話も考えた。よかった、書かなくて。ほかには、スポーツ、描画……とかいろいろ考えられる。文章を書くことに関して基本的技術を軽視しがちなのは、なまじ日本語に慣れ親しんでいるからだろう。そりゃ日常的にフツーに使ってるんだから、文章だって書けると思うよな。
 そう考えると、「外国語と考えろ」という清水幾太郎の極論に近づいていく。たとえば、英語に相当堪能な日本人がいたとする。その人が書いた英語の文章は、意味は通じるだろう。しかし、それが自然な文章かというと別問題。ましてうまい文章だなんて可能性はきわめて低い。これと同様で、日本語をフツーに扱える人が日本語の文章を書く場合も、自然な文章やうまい文章を書くのは簡単なことではない。
 本書の話に戻ろう。続いて具体的なポイントが紹介される。
  (ポイント1)すでに誰かが書いていることは、書いてはいけません。
  (ポイント2)世間の常識をなぞってはいけません。
  (ポイント3)身近なことを書けばいいんです。
  (ポイント4)オリジナルな切り口で勝負する。
 それぞれの説明が適確なうえにおもしろいからたまりません。
【引用部】
 ではそこをクリアするにはどうしたらいいか。新聞や雑誌に載っている投書というのは、だいたい半分が「たんなる正論」、あとの半分が「たんなる俗論」なので、とてもいい教材になります。(山口文憲『読ませる技術』p.19) 
「大半が正論」なら誰でも書けるけど、この「正論」と「俗論」の話はおみごと。全文引用したいぐらい。それはさておき、「半分が……、あとの半分が〜」という表現はよく見るけど、問題視している記述はあまり見ない。「あとの半分」だと「全体の1/4」に見える、ってのはヘリクツかね。かと言って、「半分が……、残りが〜」はちょっとヘン。「半分が……、残り半分が〜」ならマシかな。もっとシンプルに「半分が……、半分が〜」でいいのかな。前にチェックした例を調べてしまった。『仕事文の書き方』のp.48で、こちらは「一部が……、残りの一部が〜」だった。こうなると「残りの大半」がどこかに行ってしまう。
【引用部】
 たとえば四ブロックでできている文章を書いたとします。これが、規定枚数二枚のところ、全部で四枚になってしまった。どうしよう。だったら四ブロックそれぞれを半分に切ろうか。そうすれば全体の構成はそのままで二枚に収まる。たいがい、こう考えます。でも、これは絶対にやってはいけません。均等削り、チョイ削りはダメなんです。黙って一、三をとるか、二、四をブロックごと削るしかない。
 その場合、正解はまず「一を削れ」であると申し上げて大過ないと思います。(山口文憲『読ませる技術』p.57)
 このあとに紹介されているエピソードが傑作。編集者時代の村松友【視】が作家から40〜50枚の原稿を渡されると、頭から10枚ぐらいをロクに読まずに捨ててしまう。すると、原稿は必ずよくなった。この話に感動した嵐山光三郎がマネをしたら作家に殴られた……オチまでみごと。
 素朴な疑問が湧く。「書き出しに気を配れ」って心得はどこに行ってしまうんでしょ。話が逆で、ヘンに書き出しに凝るからこういうことになるんだろうな。
【引用部】
 だいたい頭は余計なことを書くんです。だから削ったほうがいい。
 たしかに、頭が書けると九割書けたような気がするというのも、一方の真実としてはあります。けれども私の経験からいうと、頭に凝るときというのは、中身があまりよくできていないときです。
 それを避けるには、いきなり核心の部分から書き始めるのがいいかもしれません。いまはワープロも普及していますから、それでもまったく不便はない。(山口文憲『読ませる技術』p.58)
 一応「私の経験からいうと」「かもしれません」と断言はしていないが、確信している気配がある。
【引用部】
 よく文章には形があるといわれています。昔からいわれていて、誰でも知っているのが「起承転結」です。「起」で始まり、承で受けて、転じて結ぶ。ほかに「序破急」というのもありますね。これは能からきているんでしょうか。序(導入)で始め、破(展開)で趣向を変え、それから急(終結)で収める。いろいろありますが、あまり気にしなくていいんじゃないかと思います。(山口文憲『読ませる技術』p.93〜94)
 ほかの部分を加味すると、コラム・エッセイに限れば、ヘンに組み立てに凝ろうとするよりも「核心から」が正解だろう。
 p.94〜の「入口」の話のなかにも、〈いきなり入ったほうがいい〉〈助走、前戯——なんでもいいんですが——なるべく短く。そして大胆に〉〈文章も、そうやってポーンと出たほうがいいんです〉と繰り返している。ただし、〈いくら出足がよくても、思わせぶりな書き出しはやはりバツでしょう〉とのこと。
【引用部】
(例文)
 一瞬白い閃光を見た。同時に身体がふわっと宙に浮く感覚があった。グシャリと何かがつぶれる音を耳の奥で聞きながら、ああこれで死ぬんだなと思った。記憶はそこで途切れている。意識が戻ったのは自動車事故から十日目。集中治療室のベッドで、被害者は、自身の命と引きかえに、同乗していた妻と右足を失ったことを知らされる。原田進、四十三歳、埼玉県西部でクリーニング業を営む……(山口文憲『読ませる技術』p.95)
 新聞の企画もので「人間どきゅめんと」みたいなタイトルにありがちな書き出しとして紹介されている。これはクサい文章の見本にできそうだな。解説がなかなか厳しい。
【引用部】
 なんでフツーに書けないのか、といいたくなります。本人は気のきいた書き出しのつもりなんでしょうが、こういうのはいただけません。悪しき文学趣味というか、ただ思わせぶりなだけ。昔、加藤茶がやってた「ちょっとだけよ」のほうが、よっぽどセンスがいい。こういうのを真似してはいけません。
 ついでにいえば、これ系の文章が、わざと人称をはぶいて、書き手が勝手にひとの思いや体験に入り込む手法も大バツでしょう。「一瞬白い閃光を見た」って誰が? 「ああこれで死ぬんだなと思った」って、誰が思ったの?(山口文憲『読ませる技術』p.96)
 たしかにクサい文章だけど、ここまで言わなくてもいいのに。「悪しき文学趣味」だし、「ただ思わせぶりなだけ」なのは認めざるをえないけど。「ちょっとだけよ」以下ってのはアンマリ。
 p.99〜のテーマは〈ロジックをはっきりさせるためのブリッジ〉。ずいぶんさらりと書いてあるけど、内容はすごく「深い」気がする。
【引用部】
 ロジックがしっかりしていれば、文章のブロック同士は、「けれども」とか「しかるに」とか、「なお」とか「また」といったことばでつなげることができるはずです。ですからまず、自分が書いた文にそういうものが入りうるかどうかをチェックしてください。それがうまく入らないようなら、ロジックがまちがっているんです。(山口文憲『読ませる技術』p.100)
 この論法は初めて見た。
 このあと、ブロック同士をつなぐ「ブリッジ」に「しかし」を使っていけないと書いてある。「しかし」はBUTとは〈かならずしも同じじゃない〉らしい。
【引用部】
 たとえば、「また」とか「いっぽう」、つまり並列の場合も「しかし」でOKですし、前の命題を保留したり、条件をつけたりするときにも「しかし」が使える。「AはBである。しかしCでもある」「AはBである。しかしCではない」という具合ですね。「しかし」は一種の間投詞と考えてください。「しかし暑いねえ」なんていうでしょう。でも、なにが「しかし」なんだかわからない。「それにつけても」という意味しかない。「それにつけても金の欲しさよ」という万能の下の句と同じで、どんな上の句にもつながってしまう。(山口文憲『読ませる技術』p.100〜101)
 こうなってくると、なにがなんだか判らない。「しかし」を使わず先の【引用部】にあるように「けれども」を使えってこと? なんだか巧妙に論点をズラしている気がする。虚をつかれたのは「しかし暑いねえ」の用法。たしかにこういう使い方はする。「けれども」とか「でも」にはこんな用法はないから、かなり特殊。会話だと、反論でもないのに「でも……」とか「逆に言えば……」といった言い回しをする人は多い(他人事じゃねえ)。単なる口癖なんだろうな。けれども、「しかし」を「一種の間投詞」と解釈するのは無理だろう。
「AはBである。しかしCでもある」「AはBである。しかしCではない」は両方ともアリ。それは「しかし」が曖昧なのではなく、文脈による。なんだかこのあたりは清水幾太郎の「ガ、」の話を想起させる。
 感心したのは、チェック後の話。
【引用部】
 さて、チェックがすんだら、いまの話はすっぱり忘れてください。
 理科系の論文のようなものをご覧になるとよくわかりますが、この手の文章は「あるいは〜また〜したがって〜」の大連続です。「ここに一個のリンゴと一個のリンゴが存在する。両者の和は、従って二個になる」みたいな書き方をするんですね。もちろんある種の文章は、どこにもちがう解釈の余地を残さないためにそう書く必要があります。法律の文章などでは、接続詞のひとつひとつを厳密に定義して使います。でも、普通はしません。接続詞を入れずぎるとうるさくなりますから。
 ですから、チェックのときは接続詞を入れてみなければいけない。しかし、本番ではできるだけ外していく。これが基本だと思いますね。つぎの例を見てください。(山口文憲『読ませる技術』p.101)
 こういう書き方ができるのは、コラム・エッセイに対象を絞っているからだろうな。実用文全般に話を広げると、こうはいかない。それにしても手口は巧妙。通常は論文だってここまで極端な書き方はしない。しかし、こういうふうに書かれると「そう、そう」と思ってしまう。「チェックのときは接続詞を入れ、本番ではできるだけ外す」は、コラム・エッセイに限れば極意になる。論文の場合とのサジ加減がむずかしいんだが。
 このあとの例文は、さらに巧妙。
【引用部】
(例文)
 二十代の頃の私は、ずっと東京へ出たいと思っていた。だが、そんな私の思いを知りながら、父は首をたてに振ることがなかった。そこであるとき、私は伯父に父の説得を頼んだ。また伯母にも口添えをしてくれるようにいった。つまり、私の味方を二人こしらえたわけだが、にもかかわらず、父の態度には少しも軟化の気配がなかった……(山口文憲『読ませる技術』p.102)
〈傍線のことばはなくても通じる。というか、ないほうがすっきりします〉と書いてあるが、当たり前だ。「ないほうがすっきりする」例文を作っているのだから。しかも、趣味の問題では片づけることができないように計算し尽くしている。もし計算づくでなくこの例文を作ったとしたら、天才。どこが巧妙なのか、細かく見てみよう。まず、接続詞を抜き出して一般的な役割を書き添える。
1)だが(逆接)
2)そこで(順接)
3)また(並列・追加)
4)つまり(説明・補足)
5)にもかかわらず(逆接)
 一般論として、いちばん削除しやすいのは「順接」の2)。この場合は「話題の転換」の接続詞に近い働きをする「あるとき」を併用しているから、ますます不要度が高くなっている。「あるとき」を削除してみるとよく判る。それなら「そこで」はあってもいい感じになる。
 3)の「また」。一般論として、ほぼ外せる。後ろの格助詞を「も」にすれば、外せる可能性は高くなる。この場合は、すでに「も」に準じる「にも」を使っている。文脈も明らかな「並列」だから、不要度が高い。
 4)の「つまり」。これももともと不要度が高い上に、強い因果関係を示す「わけだ」を併用してダメを押している。
 1)と5)は「逆接」だから原則的には削除できない。ところがこの場合は、「逆接」の働きがある接続助詞(「ながら、」と「が、」)を併用しているから、1)と5)はもともと不要なのだ。文の結合によって接続詞を削除している形であることは、少し書きかえれば判る。
  【原文1)】(接続詞アリ)
   父はそんな私の思いを知っていた。しかし、首をたてに振ることがなかった。
【書きかえ文1)】(接続詞ナシ)
 そんな私の思いを知っていたが、父は首をたてに振ることがなかった。
【原文5)】(接続詞アリ)
 つまり、私の味方を二人こしらえたわけだ。しかし、父の態度には少しも軟化の気配がなかった。
【書きかえ文5)】(接続詞ナシ)
 私の味方を二人こしらえたわけだが、父の態度には少しも軟化の気配がなかった。
【原文5)】の「つまり、」を残したくなるのは、一文が短くてリズムが悪く感じるからだろう。リズムを無視するなら、削除しても支障はない。こんな巧妙な手口で接続詞をおとしめるのは反則だよー。まあ「技あり」ってことにしておきましょうか。
 p.102〜のテーマは〈ロジックをごまかすためのブリッジ〉。真っ先にあげられるのが「〇〇といえば」。
【引用部】
 この「〇〇といえば」は、ふたつの近親性のあるイメージをつなぐときに使うのが基本です。だから「夏といえば朝顔」はアリですが「冬といえば朝顔」はない。用例をさかのぼれば、いきつくところは、たぶん「春はあけぼの」でしょう。「春は」の「は」が「といえば」になっている。清少納言の時代から、もう千年ぐらいの歴史のある用法なんですね。(山口文憲『読ませる技術』p.103〜104)
 この着眼点は、みごとすぎる。
 このほかにもブリッジの例をあげている。
・閑話休題(本来はつながらない文章をつなげるとき)
・それはともかく/ともあれ(その話題から出ていくとき)
 p.141〜の〈気をつけることアラカルト〉。解説の壇ふみは〈この項だけでもいままで読んできた「文章読本」をひっくるめたくらいの価値がある〉とたたえている。たしかに価値は高い。
【引用部】
〔比喩〕
 比喩は文章の味と香りを決める大事な調味料ですが、あまりに手垢のついたアホらしい紋切り型はよしましょう。「りんごのようなほっぺ」「白魚のような手」「水を打ったような静けさ」などなど。(山口文憲『読ませる技術』p.143)
 比喩が怖いのは、「アホらしい紋切り型」や「悪しき文学趣味」と非常に仲良しだからだろうな。だから安易に使ってはいけない。



読書感想文/『大人のための文章教室』(清水義範/講談社現代新書/2004年10月20日第1刷発行)

 下記の仲間。
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mixi日記2010年07月25日から

■オススメ度 ☆☆☆(3段階)
■レベル 初級者
対象文章 実用文全般

 この著者が書いた文章読本なら、読む前から☆☆☆印は約束されたようなもの。理由はいくつかある。
1)日常語を使って作品を書いている作家の代表格である
 これは「作品によって」という注釈がつく。いくつかの作品では、雰囲気づくりのために日常語から離れることもあるが、それはまた別の話。
2)説明がウマい
 講談社から出ている教科をテーマにしたシリーズが典型で、むずかしい問題をわかりやすく説明するのが抜群にウマい。コンビを組んでいるサイバラ画伯の強烈なツッコミの対象にされるオヤジくささも、持ち味のうちだろう。
3)文章について語っている実績がある
 子供向けの作文教室を主催していて、その経験をもとにした書籍も書いている。
 手元にあるのは子供向けの文章読本だが、侮ってはいけない。たとえばこんなことが書いてある。

【引用部】
 遠足のうちで、一番心にのこったこと(おもしろかったことでも、腹が立ったことでも、ドキッとしたことでもいい)を中心にして、それだけを書くようにしたほうが、いい作文になります。(『清水義範の作文教室』ハヤカワ文庫/p.56)
 これは遠足のことを書く作文へのアドバイス。大人相手にこんなアドバイスをしたら怒られるかもしれない。しかし、ちょっと表現をかえると、文章読本でよく目にするアドバイスになる。「主題を絞り込む」「余計なことは省く」みたいな心得と、本質的にはかわらない。
 大人が書く作文(旅行記や身辺雑記)も、短めのものに限れば、主題と構成に関してはこれでほとんど話が終わってしまう。〈一番心にのこったこと〉を〈中心にして、それだけ〉を書けばいい。起承転結にするべきかどうか……なんてことを考える必要はない。長めのものになると、ちょっと事情がかわってくるけれど。
4)個人的に好きな作家である
 そういう個人的な好みの問題を持ち出してはいけません。

 個人的に「この人の書いた文章読本ならぜひ読んでみたい」と思う作家が何人かいて、本書の著者もそのひとり。「満を持して書いた」(こういう使い方はやっぱり誤用かな)というか「待望の一冊」というか、それだけ期待して読みはじめた。ちょっと肩透かしを食わされたような気がするのは、あまりにも期待が大きかったせいもあるのだろう。
 全体の印象としては、先に紹介した『読ませる技術』に近いものを感じた。文章のウマい書き手が文章のことを書くと、こういう印象になるのだろうか。もともと文章がウマいうえに、むずかしい問題は要点だけをあげてサラリと書いてしまっているから、スラスラ読める。あっという間に読めてしまい、印象に残る部分が少ない。「淡きこと水のごとし」とでも申しましょうか。
 初心者向けの文章読本としては、間違いなく☆☆☆印だが、物足りないところもある。「この問題はもっと深く掘り下げてもらいたい」ってとこはたいていサラリとかわされてしまう。まあ、そういう問題を深く掘り下げると、こんなにスラスラ読める文章にはならないとは思うけど。
 どういうことなのか、具体的に見ていこう。接続詞をテーマにしている〈第二講〉から引用する。

【引用部】
 文法のことはあまり考えないほうがいい。接続詞には、順接の接続詞と、逆接の接続詞があると習ったなあ、と思い出しても、頭の中は少しもすっきりしないのである。
 接続詞と接続助詞とには、どういう関係があるのか。接続詞なのか副詞なのか判断のむずかしい語もある(前の項で、私が作文のへたな小学生の使う接続詞としてあげている「まず」は、もちろん正しくは副詞である)。接続詞は品詞の一種として独立させていいものなのか。
 というようなことも学者には論考されているのだが、そういうのは学者にまかせておけばよい。我々としてはただ、文章と文章をつなぐ語を接続詞だとして、それにはどんな種類があるのかを知っていればいいのだ。(p.33)
 フツーに文章を書くときには、この程度の認識で十分だろう。ただ、前にも書いたように「逆接の接続詞」と「逆接以外の接続詞」では性質が違うことだけは意識しておいたほうがいい。
 このあと本書は、まずいろんな接続詞を使うことをすすめ、次の例文をあげる。

【引用部】
「私は××な人間である。その上、××も苦手なのだ。それは××のせいである。つまり、××なのだろう。ところが、そんな私が××した。なぜなら、××だったからだ。すなわち、××だということだ。やっぱり、私も××なのだ。また、××でもある。だから、私はこう思う。(以下略)」(p.37)
 こういうふうに接続詞が目立つと文章が理屈っぽくなるので、〈どうしてもこれがないと意味が伝わらない〉もの以外は削除してしまうことをすすめる。

【引用部】
 つまり、接続詞をどう使えばいい文章になるかの技は、頭の中では大いに意識しつつ、実際にはあまり使わないこと、なのである。(p.38)
 この論法は、『読ませる技術』と同じ。そのあとに、先の例文の接続詞を削除してみせる手法も同様だ。

【引用部】
「私は××な人間である。××も苦手なのだ。××のせいである。××なのだろう。そんな私が××した。××だったからだ。××だということだ。私も××なのだ。××でもある。私はこう思う。」(p.39)
 こうしたほうがスッキリはする。しかし、文章の細切れ度が高くなるため、稚拙な文章に近づく。著者はそんなことは承知のうえであえてやっていて、ではどうすればいいのかって話になる。

【引用部】
 多くの場合は、すべての接続詞を消してしまうことはなくて、要所要所に理解を導いてくれる接続詞が残っていればいいと思う。いずれにしても、接続詞だらけの文章は、理屈っぽすぎると感じられるのだ。(p.39)
「おっしゃるとおり」としかいいようがない。ただ、その〈要所要所〉がわからないと、なんの解決にもならない。
 ちなみに、例文中に1か所だけ「逆接の接続詞」(ところが)が使われている。これを削除できるのは、「そんな私が××した。」という文全体が逆接に近い働きをしているからだろう。「ところが」はなくてもいいのはそのためだ。「なくてもいい」のだから、ここが〈要所要所〉だと思うなら「あってもいい」。要は趣味の問題。

【引用部】
 谷崎の長い文は、読者に読むスピードを落とさせ、別世界の話をじっくりきくような気分にさせる効果を狙っているのだと思う。しかし、素人には高度すぎて危険な技なのだ。
 というわけで、ブツ切り短文ばかり並ぶのも幼稚だし、長文ばかりでは読みにくい。では、どうすればいいのかだが、結局それはリズムの問題なのである。短文と長文が程よく混じっていて、読んでいくと心地よいリズムが感じられるのが理想である。(p.45)
 これも「おっしゃるとおり」としかいいようがない。〈読んでいくと心地よいリズムが感じられる〉文章が書ければ、それだけで上級者だ。主題や構成に多少キズがあっても関係ない。しかし、〈理想〉に近づくにはどうすればいいのかを説明するのは超難問。このあとに〈見本〉として、司馬遼太郎の文章を紹介している。結局、こうやって名文を出してくるしかないのだ。
 ただし、本書は〈短文と長文が程よく混じって〉いる文章を書くためのコツにもふれている。このあたりが、名文を解説して終わらすだけの文章読本とは違う。細かく書きだすとすでに書いたことと重複するので、本書の見出しをあげて簡単にふれておく。
〈直列つなぎと並列つなぎ〉
 重文を直列つなぎ、複文を並列つなぎといいかえて、長くてもわかりにくくない文の説明している。ただし、〈直列つなぎ〉〈並列つなぎ〉とわざわざいいかえることの効果は不明。
〈重要なことは短く簡潔に〉
 基本的にはそのとおりだと思うが、本書の書き方だとビジネス文書向けの文章読本にありがちな「結論先行」の主張と誤解されかねない。
〈テンは読む人のために打て〉
 解説中に〈読点はひとつの文の中のリズムである〉と、またリズムの問題が出てくる。リズムの問題を出すと、どうしても論理性が低くなる。テンを打つ場所として具体的にあげられているのは2つだけだ。
1)重文の区切り
2)〈私は彼は文〉のとき
 2)についてはさすがに補足が必要だろう。主語が2つ並ぶ場合には〈私は、彼が日本人だと知っていた。〉のようにテンを打つほうがわかりやすいってことだ。本多読本で見た〈逆順〉の一種になる。「彼が日本人だと私は知っていた」の語順にすれば、テンは不要になる。
 テンについては、次のようにも書いてある。

【引用部】
 だが一方で、読点の使いすぎで、かえってうるさく感じられる場合もあることを知っていてほしい。山登りをしているわけでもないのに、一歩進むたびに杖をつくように読点を打つのは多すぎるのだ。次のような例である。
「彼は、山田が、電話をかけてくる、ような気がして、つい、なんとなく、待っていた。」
 どう考えても、次のように書くほうがいいだろう。
「彼は、山田が電話をかけてくるような気がして、ついなんとなく待っていた。」(p.55)
 まったくそのとおりだと思う。でもねえ。たったこれだけのアドバイスで正しいテンの打ち方が実践できる人なら、なんのアドバイスもなくたって実践できる(って、文章読本に対してこれをいっちゃおしまいか)。

【引用部】
 おまけに、あの引用だらけのせいで『文章読本』は宿命的に読みにくいのだ。ひとつひとつは文句のつけようがない名文でも、その細切れがあんなに並んでいては、それぞれ味わいやタイプが違ってくるわけだし、読みにくくってたまらない。これは私の想像だが、多くの人は『文章読本』を呼んでいて、見本の名文の引用になるとそれをとばして読むのではないだろうか。
 というわけで、本書は『文章読本』ではなく『文章教室』である。作家の名文は、こんなのを素人が真似しちゃダメですよ、というようなところに一、二例引用しただけだ。そして、たとえばこんなふうに書いてはどうでしょう、といって出てくる文章は、ほとんど私が実例を作っている。(p.205)
「あとがき」にある文章。けっこう笑わせてもらった。「そうなんです、そうなんです」と深ーく同意しつつ、反省もしてしまう。このあとに続く段落がすごい。

【引用部】
 それじゃあせいぜいお前のレベルの文章しか書けないじゃないか、と言う人がいるかもしれないが、私の『文章教室』なんだからそれは最初からわかった上でのことである。味わいの異なる細切れ文章を読まされるのにくらべれば、ずっと読みやすい本になっていると思う。(p.205)
 大笑いした。こういう開き直りが許されるのは、この著者だからだろう。並のセンセーがやったら、相当反感を買う。でも書いてあることはそのとおりだよね。
 ……ってことは、文章の上達に役立つ文章読本は、思いっきり限られちゃうんじゃないだろうか。

表記の話11──「1か月」「1カ月」「1ヵ月」「1ヶ月」「1ケ月」「1箇月」「1個月」

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年02月19日から

 表記に関する話は下記にまとめている。
「生かして」か「活かして」か/「子供」か「子ども」か/「障碍」か「障害」か
「一人」か「独り」か「ひとり」か
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503

 一応毎度お約束のお断わり。
================================
 表記(漢字の使い分けなど)の問題は2種類に分けて考える必要があると思います。

1)使い分けないと間違いになる場合
2)使い分けるのは単なる「決め」の問題の場合

 たとえば「謝る」と「誤る」は明らかに意味が違うので1)でしょう。
「誤った」ことを「謝る」とは書けても、逆はありえません。このほかに「過ち」のことを考えだすと、ちょっと話がややこしくなります(笑)。

 一方、「生まれる」と「産まれる」の場合は2)でしょう。
 汎用性が高いのは「生まれる」でしょうから、「産まれる」と書くべきところを「生まれる」と書いても間違いではありません。単なる「決め」の問題です。ただ、逆にムヤミに「産まれる」を使うとヘンな感じになります。
================================


「1か月」「数か所」などの「か」にはいろいろな表記法がある。どれが正しいのか、アチコチで話題になっている。
 これは表記の問題なので、どれが正しいということではない。ただ、出版物などの場合は媒体によって表記のルールがあるので、それに従うのが正解ということになる。
 まず辞書の記述を確認する。

■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%80%8B&stype=0&dtype=0
================================引用開始
か【箇/▽個/×个】
[接尾]助数詞。数を表す漢語に付いてものを数えるのに用いる。「三―月」「五―条」「数―所」

◆「箇」の略体「个」を「ケ」と略したところから、「三ヶ月」のようにも書く。この「ケ」は、「介」から出たかたかなの「ケ」と同形になっているが、起源は異なる。
================================引用終了

 これでは何がなんだかわからない。不思議なことではなく、表記の問題に関しては辞書は役に立たないことが多いから、多くを望むほうが間違っている。
 この問題はYahoo!知恵袋にも頻繁に出てくる。
 毎度毎度先行質問を調べないホニャララと、中途半端なヘニャララのやり取りになっているが、なかには秀逸な回答もある。BAを転載する。
【「1ヶ月」と「1ヵ月」の違いについて、教えてください。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410606874
================================引用開始
2種類どころか、

「一ヶ月」、「一ケ月」、「1ヵ月」、「一カ月」、「一箇月」、「一個月」、「一か月」

と7種類もあります。

どれが正しいか、というご質問ですが、どれも正しいです。
もともとは「箇」が使われていたようですが(別の説もあります)、「箇」の略字として「ケ」が使われるようになり(そうではなくて「个」という字から取ったとする説もあります)ました。
また、「箇」の音を仮名表示しただけの「カ」「か」も使われるようになりました。
それとは別に、第二次大戦後、国語審議会が「箇」という漢字を当用漢字から外すべきだと言い出して、新聞で「箇」を使わないようにしようというルールができました。そこで、新聞では「箇」の代わりに「個」が使われるようになりました(新聞では今でも「箇所」は「個所」と表記されます)。

このように、いろんな事情でいろんな表記法が生まれましたが、どれが間違っていてどれが正しいという決まりはありませんので、好きな表記法で書かれたらいいと思いますよ。

ちなみに現在は、公文書は「一箇月」、新聞は「一カ月」(大文字のカタカナのカ)と表記しています。(厳密に言えば、新聞は会社によって使い方がマチマチですが、『新聞用字用語集』には「大文字のカタカナで表記する」と書かれています。)
================================引用終了

 ただし、下記を見るだけでも諸説ある。根拠はわかりません。
  「箇」は常用漢字ではない
  「一ヵ所」は好ましくない
  「一ケ所」は完全に誤り
  公用文は「一か所」
  公用文では前の字が漢数字のときは漢字、算用数字のときは平仮名
 ……etc.……etc.

【数える単位で漢字では1個なのにカナでは1ケ なの?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1071592585
【一か所と、一ヶ所は、一箇所はどれが正しい表現ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1476446244
【ゴミ箱4】【病院を数える助数詞】日本語しつもん箱
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1807775696&owner_id=5019671

 個々の違いをもう少し詳しく見ていく。
 厳密にはこのほかに、「カ」「ケ」のようにいわゆる半角カタカナを使う方法もあるのだろう。「ヵ」や「ヶ」の半角もあるのかもしれない。そんなものまで関知する気はない。

1)1か月
 イチバン標準的と言うか、イチバン素直な書き方だろう。適切な漢字がないからひらがなで書く……きわめて当たり前の考え方。マスコミでもこの書き方をしているところが多い気がする。
 ただ、この書き方を嫌う人もいる(いろいろな表記があるのもそのせいだろう)。「か」が「or」に見えるという説も聞いたことがあるが、そんな可能性があるのだろうか(あったら教えてね)。「数か所」だと「カズかトコロ」に見えるかもしれない。

2)1カ月
「か」がまぎらわしいということで出てきた?のかもしれないのが「カ」。これだって「力(ちから)」に見えるぞ(笑)。文中に埋もれがちな文字や、漢字がピンと来ないときにカタカナで書くのはありがちなテ。新聞社は「カ」を採用していることが多い。
 
3)1ヵ月
「カ」が「力(ちから)」に見えてまぎらわしいということで出てきた?のかもしれないのが「ヵ」。実際のところ、どこから出てきたのかよくわからない。個人的には嫌いではない。昔仕事をした出版社がこれを使っていたので、慣らされた(毒された?)のかもしれない。

4)1箇月
 本来のルールで考えるなら、これが素直。常用漢字なんだから使って悪い理由はない。新聞社は「箇」のかわり「個」を使うことにしながら、「1個所」と書かずに「1カ所」と書く。そのため「箇」の代用の「個」の出番は、「個条書き」「(問題の)個所」など限られる。それしか使い道がないなら素直に「箇」を使えばいいと思う。
「箇」は不幸な字で、新聞社に嫌われたせいか、「常用漢字ではない」と思い込んでいる人が多い。↑の【ゴミ箱4】にあるように、当方も数年前までそう思い込んでいた。こういう貴重なトピが削除されずに現存していれば、ホニャララな人は減ったかもしれない……。

5)1個月
 新聞社のルールに従うなら、こう書くのもアリだろう。でもその新聞社は「カ」を使っているのだから、実際には滅多にお目にかからない。

6)1ヶ月
7)1ケ月
「ヶ/ケ」の起源に関しては諸説ある。↑のBAの書き方が参考になる。
 私的な文章ではよく見るが、マトモな出版物では滅多に目にしない。元々は「職」を「耺」と書いたり、「門」を略して書いたりするのと同様で、手書き限定の略字の類いだと思う。だからマトモな出版物には出てこないのだろう。
 ちなみに、「歳」を「才」と書くのは同列には扱えない。教育漢字の制限の関係で、「歳」を「才」で代用することや、「年齢」を「年令」で代用することが認められていることもある(はず)。
「ヶ」と「ケ」がどう違うのかはかなり微妙な問題になる。
「ヶ」は文字ではない、という説を聞いたことがある。たしかにカタカナの50音表にはないし、漢字でもない……。それを言うと「ヵ」の正体もあやしくなるのだが。カタカナでも漢字でもないから文字じゃないって……なんて無慈悲な。最近人気の「ゎ」は どうなる。あれは可愛いから許してあげて……やかましいわ。
「ヶ/ケ」は地名にもよく使われる。仕事を始めたばかりのことだから、もう10年以上前(一片のウソもない)の話。大先輩の校正者が、地名の「ヶ」をすべて「ケ」に統一していた。各自治体に問い合わせれば「ヶ」というところが多かった気がするが、とにかく容赦なく「ケ」。
 根拠は郵便番号簿が「ケ」だから。オカミの方針に合わせる……それはそれで正しいと思う。オオカミの方針に合わせる……赤ずきんちゃんが食われる。その後、地図や旅行ガイドの世界では「ヶ」が圧倒的に主流(重言?)であることを知った。
 最新の郵便番号簿はどうなっているのだろう(あるのか?)。日本郵政のサイトは、全部「ヶ」になっているようだ。さてどうしたらよいのだろう。
 ついでに書いておくと、八百屋などの店頭で「6ヶ/ケ500円」とか書いてある「ヶ/ケ」は、「個」のことなんだろう。元々「ヶ/ケ」は「箇」だから、誤解がいくつか積み重なった結果って気がする。
 さらについでに書いておくと「数か所」は別として、どんなときに助数詞の「か」を使うのか、という問題がある。
「~か日」「~か月」「~か年」「~か条」……ほかに何があって、どんな法則性があるのだろう。


【追記】
「歳」と「才」、「年齢」と「年令」に関しては、下記が詳しい。
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?nd=1750&ik=1&pnp=101&pnp=113&pnp=566&pnp=1750&cd=11
================================引用開始
Q01 「年齢」か「年令」か?

「齢」は「よわい」「とし」という意味であるが,「令」は「おきて」「いいつけ」などの意味であり,正しくは「年齢」と書き表すべきである。国語辞典・用字用語辞典などのたぐいも,定評のあるものはほとんど「年齢」を採っている。(『NHK編 新用字用語辞典』には「表などで略記するときは『年令』としてもよい。」の注記がある。)

しかし,学校教育においては,現行の小学校国語教科書のすべてが「年令」を用い,中学校の教科書では「年齢」を用いている。「令」は教育漢字であるが「齢」はそうではないことが主たる理由であり,あくまで便宜的なものである。その根拠は必ずしも定かではないが,昭和36年3月17日,第42回国語審議会総会に国語審議会第二部会が提出した「語形の『ゆれ』について」では,次のように述べている。

年齢を数える場合に,「歳」のかわりに「才」を使い,また「年齢」の「齢」のかわりに「令」を使うことはこれまでもかなり普通に行われている。「才」「令」は教育漢字,「歳」「才」はそうでないことなども考え合わせると,今後はこのような場合,「才」「令」の使用がいっそう一般的傾向になるであろう。これを一概にとがむべきではないと考えられる。

引用文中にもあるように,「何歳」か「何才」か,という問題も同様の関係にあり,小学校の教科書では「才」,中学校の教科書では「歳」が用いられている。ただ,冒頭でも述べたように,多くの国語辞典が「年齢」を採って,「年令」を採っていないのに対し,「何才」を認めている国語辞典・用字辞典はかなりあり(『三省堂 国語辞典』『東京堂 用字用語辞典』など),漢和辞典においても「歳」の代用として「才」を示しているものが多い。

このことは,年齢を表す場合にのみ「歳」のかわりに「才」を用いることが,かなり一般的に行われていることを示しているといえる。
================================引用終了

【追記】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A5%E5%AD%97
================================引用開始
略字と代用

小学校の国語の教科書では「年齢」を「年令」、年齢の「○○歳」を「○○才」と表記しているが「令」は「齢」の略字ではなく「才」も「歳」の略字ではない。「齢」「令」「歳」「才」はそれぞれ独立した別個の漢字であって、互いに「正字と略字」という関係にあるわけではない。「齢」「歳」は常用漢字ではあっても小学校課程での教育漢字ではないので教えないが非常に使用頻度の高い字であるので、まぜ書きを避けるべく「齢」を「令」、「歳」を「才」で代用しているのである。したがって中学校で「齢」「歳」を習った後は「令」「才」は使うべきではないのだが、画数が少ないため略字のような使い方(いわゆる教育漢字代用による俗用)をされている。また、「才」に「とし(とせ)」の人名用字訓(※政府推奨)が与えられている。
================================引用終了


【「表記の話」のバックナンバー】
95)【表記の話──「生かして」か「活かして」か】2009年11月30日
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-871.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1351352794&owner_id=5019671

100)【表記の話【2】──「子供」か「子ども」か】2009年12月04日
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-956.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354417549&owner_id=5019671

125表記の話【4】──「一人」か「独り」か「ひとり」か(【3】は欠番)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1014.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1408645232&owner_id=5019671

356)【【表記の話5──「生まれる」か「産まれる」か】】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1684.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1636773221&owner_id=5019671

248)【早口 速口 早足 速足】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1345.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1525205654&owner_id=5019671

469)表記の話7──【「形式名詞」の話】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1915.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1703657921&owner_id=5019671

478)【表記の話8──「他人事」「人事」「人ごと」「ひとごと」「たにんごと」】
http://http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1941.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1720867247&owner_id=5019671

 これを〈9〉扱いにしよう。
295)突然ですが問題です【日本語編19】──正油/醤油 玉子/卵──【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1510.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1576134622&owner_id=5019671

【表記の話10──みいだす 見出す 見いだす 見い出す】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2313.html

【表記の話11──「1か月」「1カ月」「1ヵ月」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2324.html


 Yahoo!知恵袋過去の類似質問を見ると、『言葉に関する問答集 総集編』という本に詳しく出ているらしい。 素人さんのやることは恐い。
【「2箇所」、「2ヶ所」、「2ヵ所」、「2個所」、「2か所」とする表現は、どれが正しいのでしょうか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1194937816
【エコなび日記】
http://plaza.rakuten.co.jp/econavi/diary/200811060000/
================引用開始
「個」を常用漢字表外にカと読んでまで「個条書(き)」などとし、「箇」を不使用とすべきか
カテゴリ:PCソフト
標記は、'54年から新聞協会が決めた流儀です。

よい本が見つかりました。

文化庁編、言葉に関する問答集 総集編 新装版 (国立印刷局、2003、2005(新装版))
ISBN-10:4171960452
3,885円


政府刊行物ですので、ネット書店や一般書店では入手しづらいでしょう。

言葉に関する問答集 第1集('75)から第20集('94)までの全20集から集めたものです。古い文書ですから、出版から今日までの使われ方の変遷を考慮しなければならないことを前提にすれば、なかなか参考になる内容です。

「箇条書」、「箇所」についての解説は、第3集('77)の問46からのものです。

[問]「箇条書」とか「五箇所」とかいう場合、新聞によって「個条書」とか、「五個所」「五か所」「五カ所」「五ヵ所」と、さまざまな表記が行われているようだが、これはどういうわけか。
[答] 当用漢字音訓表に「個」の音として掲げられているのは「コ」だけであるから、それに従って書くとすれば、「箇条」「箇所」と書くべきである。ただし、国語審議会が昭和29年3月に報告した「当用漢字補正資料」によれば、「箇」の字を当用漢字表から削除し、そのかわりに「個」に「カ」という音を付け加えた。つまり、「個」で「箇」の代用をさせようとしたわけである。この補正案は、単なる案にとどまって、従来の当用漢字表の内容や、法令及び教育上の取扱いは、変更されなかった。ところが、新聞界に限っては、昭和29年4月からこの補正案を紙面に採用することになり、各紙がいっせいに実施した。そのため、新聞界では、「箇所」「箇条」と書かずに、「個所」「個条」のような用字法を採っているわけである。
 さて、新聞では補正案を採用したのにもかかわらず、実際の紙面では「個所」と「個条」の二語にしか用いず、「○個月」「○個国」「○個年」などは、すべて「○か月」「○ヵ国」「○か年」のように仮名表記を使っている。「個所」「個条」の場合でも、例えば、
  疑問の個所 工事個所 破損個所
  一々の個条 各個条ごと 個条書き
 のように、単独で使う場合や複合語として用いられる場合に限られており、数詞に続いて使われる場合は、仮名表記されるのが普通である。
 ところで、数詞に続けて物を数えるときには、旧表記では「五ヶ所」「五ヶ条」のように小さく「ヶ」と書くことも行われた。また、固有名詞の場合にも「駒ヶ岳」「槍ヶ岳」「青ヶ島」のように書かれる。これらは、一般には、片仮名の「ケ」をかいて、「カ」または「ガ」と読むのだと意識されているが、本来はそうではない。この「ケ」は片仮名ではなく、漢字の「个」(箇と同字)又は「箇」のタケカンムリの一つを採ったものが符号的に用いられてきたものである。したがって、戦後の公用文や教科書などでは「ケ」を使わず、「か」を大きく書くことで統一されてきている。新聞では、社によって方針がまちまちで、平仮名の「か」を大きく書くもの、片仮名の「カ」を大きく書くもの、また「ヵ」を小さく書くもの等に分かれている。片仮名を使ったり、あるいは小さい活字を使ったりするのは、旧表記で「ヶ」を小さく書いていたことの影が残っているのだろう。
 ところで、結論としては、漢字を使う場合は「箇」、仮名書きにする場合は、公用文や教科書のように平仮名の「か」を書くのが、現在のところ最も穏当な書き方と思われる。なお、「槍ヶ岳」「青ヶ島」のような固有名詞の場合は、その固有の書き方に従っていいわけである。ただし、「霞が関」「自由が丘」のように、住居表示の実施によって、表記の改められた例もある。
================引用終了

各位殿 各位様 お客様各位 お取引先様各位

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【11】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1906376407&owner_id=5019671

mixi日記2014年01月23日から

「誤用」の例としてあげられる言葉のひとつに「各位殿」「各位様」ってのがある。ネット検索するととんでもないことになる。
 個人的には「重言」だとは思うが、「誤用」とは思わない。
「二重敬語」ではない。
「二重敬称」って説は正しい気もするが、微妙。そもそも「二重敬称」の定義って何?
「過剰敬語」と言えるか否かは微妙。

 まず典拠になりそうなものをあげる。
http://kotobank.jp/word/%E5%90%84%E4%BD%8D?dic=daijisen&oid=03022800
■Web辞書『大辞泉』から
================引用開始
かく‐い 〔‐ヰ〕 【各位】

大ぜいの人を対象にして、その一人一人を敬って言う語。皆様。皆様方。多く、改まった席上や書面で用いる。「会員―にお知らせします」
◆「各位殿」という表現は、敬意が重複することになるので、好ましくない。
================引用終了

■Web辞書『大辞林』から
================引用開始
かくい【各位】

二人以上の人を対象にして,それぞれの人に敬意を表す語。みなさまがた。 「関係-」 〔「各位」はすでに敬意を含んでいる言葉であり,「各位殿」などとする必要はない〕
================引用終了

 辞書の解説を見る限り「各位殿」はよくないらしい。理由は『大辞泉』によると〈敬意が重複する〉から。『大辞林』によると、〈「各位」はすでに敬意を含んでいる〉から。
 いくつか気になることがある。「殿」って「様」と同様に使えるのか。なんで「各位様」って言わないのか。前者に関してはWeb辞書『大辞林』の説明がわかりやすい。
http://kotobank.jp/word/%E6%AE%BF?dic=daijisen&oid=00524300
================引用開始
どの【殿】

( 接尾 )
〔名詞「との(殿)」から〕
人名や官職名などに付けて,敬意を添える。 「山田太郎-」 「部隊長-」 〔古くは,「関白-」「清盛入道-」など,かなり身分の高い人に付けても用いた。現在では,目下に対してや事務的・公式的なものに用いることが多く,少なくとも,目上に対しての私信にはほとんど用いない〕
================引用終了

 バイブルにしている『敬語再入門』には記述が見当たらない。『敬語』のほうに下記があった。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html

================引用開始
【引用部】
 「……各位」(たとえば「読者各位」)は、一人ずつを高める趣の表現。「位」がすでに(元
来は中国語)人を高めて指す言い方なので、「各位様」と使うのはおかしい。(P.246)
■Web辞書『大辞泉』から
(略)
 ということは「お客様各位」も重言なんだろうか。でも「顧客各位」「利用者各位」はマズいんじゃなかろうか。
================引用終了

 Web辞書とほぼ同様の記述だが、悪い例としてあげられているのは「各位様」。こういう言い方もあるのだろう。いずれにしても悪い例なんだから、あまりこだわるのはやめよう。

 これで終わりなら話はラクなんだけど、もう少し掘り下げてみる。
 Web辞書と『敬語』の記述から、「各位殿」「各位様」はよろしくないことがわかった。

【疑問1】「各位殿」「各位様」の類いをなんと呼ぶべきか。
「二重敬語」と呼ぶのはおかしい。文化庁の定義に従うなら、「二重敬語」は動詞がらみ限定だろう。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2550.html
 
「過剰敬語」ってのも実は正確な定義はない。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2551.html
「お嬢様はお手紙をお書きになっていらっしゃる」でも問題がないと言われると何も言えない。
 まあ、「重言」の一種と考えるのが妥当かもしれない。ただ、敬称とか美化語に関する「重言」は一筋縄にはいかない。

【疑問2】敬語がダブるとダメなのか。
 もし、敬語がダブるから「各位殿」「各位様」はダメ、だとすると、「お客様」「お父様」も二重敬語になる。「ご尊父様 」は三重敬語になる。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2457.html

【疑問3】「お客様各位」「お取引先様各位」もダメ?
「各位殿」「各位様」がダメなら「各位」にすればいい。「関係者各位」と「関係各位」のどちらが正しいのかは知らない。
 じゃあ「お客様各位」「お取引先様各位」はどうするの?
 辞書も専門家も、「各位様」のことにふれても「○○様各位」にはふれていない。論理的には同じことだと思うが、感覚的には「○○様各位」のほうがずっと異和感がない。
 この「様」をとるのは相当抵抗があるよ。
「お客各位」はおそらく×。
「お客様(へ)」くらいかな。
「お取引先各位」は間違いではないかもしれない。でも当方なら迷わず「様」を入れる。
 敬語の問題に関しては、「無知ゆえのバカ丁寧」のほうが「物知りゆえの無礼風」よりマシな気がするから。



【各位殿 各位様 お客様各位 お取引先様各位】〈2〉

〈1〉の最後の数行は少し乱暴なので、改めます。
================引用開始
 じゃあ「お客様各位」「お取引先様各位」はどうするの?
 辞書も専門家も、「各位様」のことにふれても「○○様各位」にはふれていない。論理的には同じことだと思うが、感覚的には「○○様各位」のほうがずっと異和感がない。
 この「様」をとるのは相当抵抗があるよ。
「お客各位」はおそらく×。
「お客様(へ)」くらいかな。
「お取引先各位」は間違いではないかもしれない。でも当方なら迷わず「様」を入れる。
 敬語の問題に関しては、「無知ゆえのバカ丁寧」のほうが「物知りゆえの無礼風」よりマシな気がするから。
================引用終了 
  ↓
 じゃあ「お客様各位」「お取引先様各位」はどうするの?
 辞書も専門家も、「各位様」のことにふれても「○○様各位」にはふれていない。論理的には同じことだと思うが、感覚的には「○○様各位」のほうがずっと異和感がない。
「様」をとればいいと一概には言えない。
「お客各位」はおそらく×。
「お客様(へ)」くらいかな。
「お取引先各位」なら×ではないかもしれない。
 これも「お取引先様(へ)」くらいだろうな。ほかにも書き方はありそうだ。
 どうしても「お取引先各位」か「お取引先様各位」のどちらかを選べということなら、個人的には「様」を入れる。
 敬語の問題に関しては、「無知ゆえのバカ丁寧」のほうが「物知りゆえの無礼風」よりマシな気がするから。


 下記も一応辞書だよな。
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E5%AE%A2%E6%A7%98%E5%90%84%E4%BD%8D
================引用開始
お客様各位
読み方:おきゃくさまかくい

複数の顧客に対して敬意を表する場合に用いることば。
================引用終了

引用のご作法16相当 了解 了解です 了解した 了解しました 了解いたしました──大門圭介御用達?

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

mixi日記2012年12月07日から。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1883696520&owner_id=5019671

「了解」は対人関係の非円滑用語 目上・上司にはなじまない……基本的には賛成。
「了解」は目上の人には使わないほうが無難。最大の理由は、そういう風に考える人が増えたから。こうなると論理的に正しい正しくないの問題ではなくなる。
 だって、「了解いたしました」ならさほど問題がないはずだから。
『明鏡国語辞典 第二版』にある「ぶっきらぼうで敬意が不足」は何に対するただし書きなのかな。おそらく「了解」に対するものだろう。
「了解いたしました」を「ぶっきらぼうで敬意が不足」と考えるのはホニャララだろう。

>ところが、倍の敬意を表そうとしても〈了解〉は、「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義である。
 笑ってしまった。いきなり「大門部長刑事」って、アリですか。西部警察ネタがわかる人は……。ちなみに、部下が殉職したときの大門部長刑事(こんな肩書きあるのかな)の心情が「ダンチョウの思い」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9

「了解」って言ってたかな?
「わかった」のほうが似合う気がする。「オッケー」でないことはたしか。仮に「了解(した)」と言っていたとしたら、一種の軍隊用語だろう。「ラジャー」の日本語訳は「了解」。「承知」としている映画があったら教えてね。
 団長の一人称は「自分」だったし、ビキビキの体育会系のキャラだった。だから「了解」なんだろう。
 松嶋菜々子演ずる三田灯(みたあかり。ジャガイモの品種ではありません)は「承知しました」だった。なぜ「承知いたしました」ではなかったのかは謎。

 
【よくある誤用20──誤用ではないけれど…… なるほど 了解 参考にする】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2509.html
================引用開始
了解
「了解」「了解です」だと相当軽い感じです。気軽な相手ならOKでしょうが、目上には×。「了解しました」「了解いたしました」だとさほど問題がない気もしますが、これも「了解 マナー」あたりで検索すると、山ほどヒットします。こうなると、使わないほうが無難でしょう。
 かわりにどう言えばいいか。「承知しました」くらいでしょうか。「承知いたしました」「かしこまりました」のほうが丁寧ですが、少し堅苦しいような。
ただ、「承知しました」は某大ヒットドラマのせいで、一時期ギャグになっていました。もう使っても大丈夫でしょうか……。
================引用終了


【ネタ元1】NEWSポストセブン
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121207-00000010-pseven-life(リンク切れ)

http://m.news-postseven.com/archives/20121207_158501.html
================引用開始
「了解」は対人関係の非円滑用語 目上・上司にはなじまない
NEWS ポストセブン 12月7日(金)7時6分配信
「了解しました」――会社で頻繁に耳にする言葉だが、実は、目上の人に使うにはふさわしくない言葉なのだという。われらタテ社会の「ひっかかる言葉」を、作家の山藤章一郎氏が考察する。

 * * *
 いまや、オフィスにも、メールにも、猫にも杓子にも「了解」がのし歩いている。メールで〈り〉と打てば〈了解〉と転じ、部下が上司に〈了解〉を連発する。

 上司「これ明日までに頼みます」

 部下「了解しました」

「りょうかい【了解 諒解】
1:物事の意味・内容・事情などを理解すること。
2:理解した上で承認すること。

 近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない。(ぶっきらぼうで敬意が不足)『分かりました』『承知しました』のほか『かしこまりました』『承りました』などを使いたい」

『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店)のただし書きである。

「ぶっきらぼうで敬意が不足」

 10年前の同じ辞典の第一版には、ない。二版にわざわざ挿入されている。

〈ポライトネス〉という理論がある。対人関係を円滑にするための〈社会的言語行動〉をいう。敬語などがとくに、円滑をみちびく。〈ポライトネス〉に依れば〈了解〉は、対人関係の非円滑用語となる。不快を、強く訴える人もいる。

「了解」「了解です」「了解しました」――これがなぜ、組織、会社、目上、上司に「なじまず」配慮に欠けるのか。

 日本語は、面倒くさくすれば敬意を高めるという性質を持つ。

〈拍〉が少ないと軽い侮りさえあたえかねない。「了解いたしました」といえば〈4拍〉になる。〈2拍〉の倍の敬意である。

 ところが、倍の敬意を表そうとしても〈了解〉は、「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義である。

 それを部下が上司になり代わって使うと、「です」をつけようと「しました」を足そうと、オレを軽く見てるのか、と上司、先輩は思う。

 少し、詳しくいう。部下は上司から〈依頼〉〈命令〉をあたえられる。すると部下は、意味を考え、咀嚼し、理解=understandして、肯定して、声を発する。「了解」と。いわれた上司は思い屈する。「きみはな、理解しなくていい。私は、ヤレと命令してる。考えるヒマがあったら、すぐ実践せよ」

『家政婦のミタ』は記憶に新しい。崩壊寸前の阿須田家の家政婦・松嶋菜々子は、家族の者に命ぜられると口が裂けても「了解です」とはいわなかった。「承知しました」

※週刊ポスト2012年12月14日号
================引用終了

「了解」は対人関係の非円滑用語 目上・上司にはなじまない
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=2248539



了解 了解です 了解した 了解しました 了解いたしました──大門圭介御用達?〈2〉

 Yahoo!知恵袋でよく目にするのが下記のベストアンサー。全文は末尾の【ネタ元2】参照。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110710987
 
 このベストアンサーが何を根拠にしているのかはよくわからない。
 いろいろな資料が並んでいるが、これはすべて「週刊ポスト」から抜粋したものなのだろう。記事内容のどの箇所が回答者の意見にどのように反映しているのかさっぱりわからない。記事の一部がネット上に抜粋されていたもの(【ネタ元1】)は〈1〉で見た。注意深く読むと、【ネタ元1】のアチコチをつなぎ合わせて、回答者の意見にしている観がある。
〈「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義である〉
〈考えるヒマがあったら、すぐ実践せよ〉
 など、パクリと言われてもしかたがない部分がある。

 ムチャクチャな引用をすることが多い人だが、辞書の記述くらいは信じようとは思った。しかし、この辞書の記述も「週刊ポスト」にあったもの。なぜ引用部から外してあるの? こうなってくると酩酊感が強くて何がなんだが……。
『大辞泉』のWeb辞書の正確な記述は下記の【ネタ元3】参照。

 〈1〉に書いたとおり、『明鏡国語辞典』が「ぶっきらぼうで敬意が不足」としているのは「了解」という言い方についてだろう。「了解(いた)しました」が、「ぶっきらぼうで敬意が不足」なんてことはないはず。真偽は『明鏡国語辞典』の編集部に確認しないとわからない。
 いずれにしても目上への「了解(いた)しました」を×にする根拠にはなりにくい。仮に部下が理解し承認することを求めていない横暴な上司なら、「分かりました」も×になるはず。
 ここで辞書が問題にしているのは、部下が「了解」とこたえることだろう。だから「ぶっきらぼうで敬意が不足」ということになる。「了解です」にも多少その印象がある。「了解(いた)しました」なら、そんな印象にはならないはず。
 辞書の記述を見る限り、「了解」と「理解」は通じるところが多い。それがなぜ〈「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義〉になるのか、当方にはサッパリわからない。そう明記してある辞書があったら教えてほしい。
「理解する」と「わかる」もほぼ同義だろう。もし「理解も了解もしなくていいからとっとと返事をしろ」みたいな理由で「了解(いた)しました」が×なら、「わかりました」も×になるはず。「承知(いた)しました」も×じゃないかな。「かしこまりました」だってあやしくなる。相手が言っていることがわからないのに「ハイ」と言うのは「生返事」とか言って、相当失礼な態度のはずなんだけなぁ。

 ホニャララな抜粋を信じることにして、「週刊ポスト」の記述を順に見ていく。 ピントがずれている気がするのが、原文の責任か引用者の責任か、当方には判断できない。

●アメリカ戦争映画&刑事ドラマ発祥説
「了解」は、元々は軍隊用語だろう。
 その下地があったから、アメリカの戦争モノが入ってきたとき、「ラジャー」の訳語として「了解」が採用されたのでは。ちなみに『コンバット』って映画作品なの?
 刑事ドラマでも「了解」かな。現代の警察官が実際にどう言っているのかは知らない。限りなくリアルさを追求したはずの『踊る大捜査線』で使っていた印象はない。
「西部警察」だと、大門部長刑事の言葉遣いはやや特殊だったからなあ。1人称は「自分」だったし、「~であります」とか使ってなかったっけ。「了解」「了解した」も使っていた気はする。戦場も警察の連絡もできるだけ簡潔にするはずだから。
 だから「了解」が上司が部下に使うとは言えない。部下の巽&鳩村(舘ひろし)や山県(柴俊夫)が大門に対して「了解」ってシーンもあったと思う。戦争モノでも、無線の応答なら部下が上司に対して「了解」って言ったはず。もちろん余裕のあるときは「了解しました」「了解であります」などと言ったかもしれない。
 軍隊や刑事ドラマでは目上に使わなかった……ではなく、話が逆だろう。簡潔を重んじるために使われた「了解」は、元々は一種の業界用語として軍隊などで上下関係抜きで使われていた。でも「ぶっきらぼうで敬意が不足」に感じられるから、現代では目上には×ってこと。「了解です」も「ぶっきらぼうで敬意が不足」気味だから×。「了解(いた)しました」が×なのは、濡れ衣トバッチリを受けているだけって気がする。

●国立国語研究所・山田貞雄研究員の解説。全文は【ネタ元4】参照。
 抜粋の意図不明。
〈「了解」に敬意は含まれていないが、あらたまった漢語なので、使う人は〈敬意〉を含むと勘違いしているのではないか〉。
 そういう考え方をするなら、「承知」も「了承」も×だろうね。語尾を別にすると、敬意を含んでいるのは、謙譲語の「承る」「承りました」あたりだろう。「かしこまりました」も敬意を含んでいるけど、これが謙譲語か否かというのは別の話になるのでパス。
【ネタ元4】で肝心なのは、〈本来待遇の意味を含まない「了解しました。」が,どうして「ぶっきらぼう」に感じるのか,と探究しても,理屈で余りはっきりとは説明はつかない〉ってこと。要は、論理的な理由はないってこと。
 もうひとつ大事なのは下記の部分。
================引用開始
結局思い当るのは,日常の言語生活上の,円滑なコミュニケーションに肝心なのは,もっとふさわしい言葉があれば,そちらの方がよい,とすべき,ということです。いうまでもなく,「わかりました。」「かしこまりました。」「承りました。」など,別にもっと良い言い方が,いろいろあるではないか,その場合には,それに譲ればよい,ということです。
================引用終了

●梶原しげる・元文化放送アナウンサー…『ひっかかる日本語』(新潮新書)の著者
「逡巡はいらない、すみやかにただ実行せよ。だから「かしこまりました」というべきである。」……つまり生返事をすすめている。こちらのほうが軍隊っぽい。放送局って怖い。
〈「了解です」「感謝です」は、親愛も敬意もそなえていないように響く〉……それはわかった。じゃあ「了解(いた)しました」ならOKだよね。

●元自衛隊のレンジャー部隊隊員のお笑いコンビ「弾丸ジャキー」の武田テキサス
 要は自衛隊内の符丁の話。上官とか下士官とか関係ないよね。つまり、〈「よろしい」と許可をあたえる時の大門部長刑事の使い方が本義〉なんてことはないことがよくわかる。

 下記を見ると、『敬語』http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.htmlは「了解」をすすめてないらしい。
http://okwave.jp/qa/q2329408.html
================引用開始
「了解しました」でも「了解いたしました」でも、敬語としては問題ありません。ただし、#3の方のおっしゃるとおり「了解」自体に尊敬の意味が含まれていないこと、また一般的な日本の大人社会を考えると、「かしこまりました」などを用いた方が無難でしょうね。
参考文献 菊地康人 「敬語」 講談社学術文庫
================引用終了
 原本をあたったが、見当たらない。「索引」にもない。
「参考文献」としか書いてないから、実際にはどんなことが書いてあるのかわからない。これだからネット上の情報って嫌い。いつか探してやる。
 もしこの論理が成り立つなら、「承知(いた)しました」も避けたほうがいいことになりそう。そんなバカな。

 結論。
 目上に「了解(です)」はやめたほうがいい。「了解(いた)しました」を×にする論理的な理由はない。
 しかし、ここまで「了解(です)」「了解(いた)しました」の評判が悪くなってくると、例によって使わないほうが無難。
 国立国語研究所がおすすめの「わかりました」「かしこまりました」「承りました」あたりを使うべきだろう。当然のことだけど、まず相手の言っていることは理解してね。
 ネット記事では「わかりました」も×なんて主張も目にする。根拠もなくそんなこと言われてもさぁ。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2851.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1910542980&owner_id=5019671 

【ネタ元2】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110710987
================引用開始
「りょうかい【了解..諒解】」の意味を辞書で見ます。

○『明鏡国語辞典 第二版』
①物事の意味・内容・事情などを理解すること。②理解した上で承認すること。.
近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない。(ぶっきらぼうで敬意が不足)『分かりました』『承知しました』のほか『かしこまりました』『承りました』などを使いたい。
○『大辞泉 第二版』
物事の内容や事情を理解して承認すること。了承。

「了解」とは、<部下が上司から依頼・命令を与えられ、部下は意味を考え理解して返事をする>ということになります。しかし、上司は、<部下が理解し承認すること>を求めているのではなく、<考える暇があるなら命令したことを直ぐ実践すること>を望んでいるわけです。
..この「了解」の意味がわかっていれば、丁寧の意を込めて「しました」「いたしました」をつけても、目上や上司になじまず、配慮に欠けるのがおわかりになると思います。この語は、目上や上司が「よろしい」と許可を与える場合の使い方が本義です。

週刊ポスト連載2012.12.14号「現場の磁力―第295回」丸の内・
〈会社で〉サラリーマン・OL諸君「了解しました」といってはいけない<抜粋>
***************
..今の40代が小学生時代『太陽にほえろ!』というドラマがあった。七曲署のボス・石原裕次郎が現場からの報告に「了解」と応える。また、『西部警察』で大門軍団の部長刑事の渡哲也が同様に「了解」と返事をして、明快だった。警察アクションの脚本を書いてきた柏原貫司シナリオ作家協会会長によれば、テレビでそれまで〈了解〉なんてなく、アメリカから輸入した戦争映画『コンバット!』が初めかな。一気に多用されはじめたのは『太陽にほえろ!』の頃からで、私もあの作品では〈了解〉をいっぱい使いました。しかし不思議だね。いま、ボスも大門団長もいなくなって、〈了解〉は下が上に使う言葉に逆転した。不快を感じるのは、そのねじれのためではないですか――とのこと。
●国立国語研究所・山田貞雄研究員の解説
①「了解」は漢語であるが、「本を読む」より「読書」のように、漢語はなんとなくあらたまった感じを与える。「了解」に敬意は含まれていないが、あらたまった漢語なので、使う人は〈敬意〉を含むと勘違いしているのではないか。
②さらに「了」は、「終了」の「了」で、「分かることが終了しました」「きっぱり理解し終わりましたッ」と、歯切れの良さを含む。それが、上司に対して元気がよく、明るく見えるだろうと、錯覚しているのではないか。
●梶原しげる・元文化放送アナウンサー…『ひっかかる日本語』(新潮新書)の著者
①上司の命令、下達は、そもそも部下に理解をもとめているものではない。実践するように伝えているだけである。逡巡はいらない、すみやかにただ実行せよ。だから「かしこまりました」というべきである。
②「了解です」「感謝です」は、親愛も敬意もそなえていないように響く。短い応答で親愛を示すのはまちがっている。上司は短い軽躁な言葉で表現されたくない。もっと慎み深く丁重に対せよ。
●元自衛隊のレンジャー部隊隊員のお笑いコンビ「弾丸ジャキー」の武田テキサス
自衛隊のレンジャー部隊では、タテ社会の典型で本来なら「了解」はダブーであるが、記号としての「了解」としてこれを使っている。教育期間は、すべて簡潔に「了解」であり、「了解しました」などと言わない。記号、合図なので、レンジャー部隊に入れば返事は「レンジャー」になる。『準備はできたか』『レンジャー』。名前も呼ばれない。作戦ごと、訓練ごとに番号がつく。
***************
※週刊ポスト2012年12月14日号
http://www.news-postseven.com/archives/20121207_158501.html
「了解しました」――会社で頻繁に耳にする言葉だが、実は、目上の人に使うにはふさわしくない言葉なのだという。われらタテ社会の「ひっかかる言葉」を、作家の山藤章一郎氏が考察する。≪週刊誌記事の抜粋版≫

【補足】
★「部長刑事」とは聞いたことがないと、枝葉末節のイチャモンをつける先生がいますが、これからは自分でお調べになったらいかがでしょうか。センセイ<wikipedia>をご覧。
★「了解」と「諒解」で意味が違うという珍説
「りょうかい」は本来「諒解」と書いていましたが、戦後の国語政策で「諒」が「当用漢字表」に掲げられていなかったので、「了解」と書き換えるようになっているだけで、意味の違いはありません。<ただし、Chinaでは意味が異なるらしい>
================引用終了


【ネタ元3】『大辞泉』のWeb辞書
http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E4%BA%86%E8%A7%A3&stype=0&dtype=0
================引用開始
りょう‐かい〔レウ‐|リヤウ‐〕【了解/×諒解】
[名](スル)

1 物事の内容や事情を理解して承認すること。了承。「―が成り立つ」「来信の内容を―する」

2 《(ドイツ) Verstehen 》ディルタイ哲学で、文化的、歴史的なものを生の表現とみなし、その生を追体験によって把握すること。理解。

[用法] 了解・理解――「彼は友の言う意味をすぐに了解(理解)した」「その辺の事情は了解(理解)している」など、意味がわかる、のみ込むの意では、相通じて用いられる。◇「了解」には、相手の考えや事情をわかった上で、それを認める意がある。「暗黙の了解を得る」「お申し越しの件を了解しました」◇「理解」は、意味や意図を正しくわかる意が中心となる。「文章を理解する」「何を言っているのか理解できない」◇「了解できない」は、意味はわかるが承認できないの意になり、「理解できない」は単に意味がわからないの意になる。◇類似の語「了承」は「了解」とほぼ同じに使うが、「了解」よりも承認する意が強い。「上司の了承を得る」「双方とも大筋で了承した」
================引用終了


【ネタ元4】「了解しました。」は敬意表現にならないか。
http://www.ninjal.ac.jp/QandA/vocabulary/ryokai/
================引用開始
質問

取引先と電話で話していて,「了解しました。」と使っていたら,上司から,「目上にあたる相手に『了解しました。』は失礼だから,止めるように。」と言われました。調べてみたのですが,インターネットなどにいろいろな記述があるものの,はっきり分かりません。判断の決め手はあるのでしょうか。

回答

最初に,形式からだけみると,文末を「しました。」と敬体にしているので,最低限度の丁寧を保っている,といえます。さらに「いたしました。」にすれば,謙譲が加わって,もっと敬意度が高まります(「了解いたしました。」)。では,これで果たして十分な敬語,どこに出しても結構な敬語として認知を得られるのでしょうか。

次に「了解」という言葉の意味が,敬意表現にふさわしいかどうか,が問題になるでしょう。一見,「了」が「すっかり~し終わる」の意味を添えているかに見えますが,実は,「了」には「解」と同じように「よくわかる・さとる」という動詞の用法があります。ですから,この二字の漢語は,類似の動詞を重ねた言い方になっていると思われます。少なくともそこには,待遇を表わす要素は含まれていません。

さて,日本語での漢語の用法は,短くてすむ,とか,抽象度が増す,その場での「あらたまり」が増す,などという副次的な効果が期待され,それを何となく感知して,日常の言語生活でも無意識に漢語を選んだりする場面があるでしょう。

ここでも,「了解しました。」は,本来「すっかり分かりました。」や「よくわかりました。」の意味だったはずですが,その実質的な意味をいちいち意識することもなく,使っていることは多いでしょう。その最たるものが,電話や無線などの通信,業務上のやり取りなどで,相手の言ったことが分かった,という証拠に短く「了解。」と返事をすればよい,という用法です。

このことを従来の使い方を主として説明する国語辞典では,「相手からの指示・命令に納得した返事として用いられることがある。」として,緊急出動命令への返答を例に,時にはそういう使い方もあるよ,といった注を与えています(三省堂『新明解国語辞典』)。

一方,現代的な運用を主に解説しようという国語辞典では,「近年目上の人の依頼・希望・命令などを承諾する意に使う向きもあるが,慣用に馴染まない(ぶっきらぼうで敬意が不足)。」と表現上の注を与えているものもあります(大修館書店『明鏡国語辞典』)。なお,ここでは,無線通信などの返答の用法を,別の語釈として立てています。

これらの辞書は,書かれた時代も著者の世代や記述態度も異なるわけですが,結局同じ「了解」の性質を,それぞれ別の角度から説明してくれている,ともとれるでしょう。

結局思い当るのは,日常の言語生活上の,円滑なコミュニケーションに肝心なのは,もっとふさわしい言葉があれば,そちらの方がよい,とすべき,ということです。いうまでもなく,「わかりました。」「かしこまりました。」「承りました。」など,別にもっと良い言い方が,いろいろあるではないか,その場合には,それに譲ればよい,ということです。

ですから,本来待遇の意味を含まない「了解しました。」が,どうして「ぶっきらぼう」に感じるのか,と探究しても,理屈で余りはっきりとは説明はつかないけれども,おそらく無線通信や業務・作業の際の返答の用法が,なにかしら影響を及ぼしているのかもしれない,といった程度で、明確には分からないままです。それはそれでよいことにして,それよりも,その場にもっとふさわしい言葉を,沢山の手持ちの言葉の駒から,あれやこれや,抽斗の中から衣類を引っ張り出して選ぶように使えばよい,ということでしょうか。使うのを止めるべき理由に,外にもっとふさわしい言葉があるから,でもよいわけです。

山田貞雄(2012.11.1)
================引用終了




「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈3〉


 それにしても、あの電波はなんとかならんのか。気持ち悪いことこのうえない。
(略)

「了解」が軍隊でどのように使われていたか証言を得てきた。
 証言者は……正確に書くのはむずかしいから「親戚」とでもしておこうか。たしか特攻隊見習いみたいな立場と聞いたことがあるけど、陸軍か海軍かは聞いていない。陸海軍の両方に航空隊があったなんて知らなかった(泣)。
 なにぶん高齢で口数が少ない人なんで、正確な聞き取りはできていない。しかも当人もそんな昔のことは……って感じだった。(←オイ!)
・「了解」はフツーに使われていた
・上官、下士官関係なく「了解」を使っていた
・「了解です」「了解であります」は使った記憶がない 
 要は自衛隊とほぼ同じ。まあそうでしょうね。

「了解。」って言い切りが特異なことは、ほかの言い方と置きかえるとわかる。「理解。」は見聞したことがない。「承知。」は時代劇限定かな。「かしこまり。」って、マンガのキャラのギャグであったような……。このあたりは慣例としか言えない。


「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈4〉
mixi日記2014年02月02日から

 少し前に、「了解(いた)しました」を貶めるネットコラムがあった。ありふれた話なので、全文はひく気にならない。
【「了解しました」はNG。正しい敬語の基本】
http://getnews.jp/archives/505408

 ニュース日記を読むと、疑問を感じている人が何人かいた。そりゃそうだろう。久しぶりにいくつかの日記に乱入(誤用だって)してみた。下記は一例。
(略)

 勢い余って質問板を立ててみた。なんだかなぁ……。
【「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8456636.html

 根拠になりそうなことが『敬語』に書いてあるらしいことは〈2〉で書いた。
http://okwave.jp/qa/q2329408.html
================引用開始
「了解しました」でも「了解いたしました」でも、敬語としては問題ありません。ただし、#3の方のおっしゃるとおり「了解」自体に尊敬の意味が含まれていないこと、また一般的な日本の大人社会を考えると、「かしこまりました」などを用いた方が無難でしょうね。
参考文献 菊地康人 「敬語」 講談社学術文庫
================引用終了

 念のためもう一度『敬語』を確認してみた。やはり見当たらないが、もしかすると、以前チェックした下記なのかもしれない。なんだかなぁ……。
 これが根拠になる? 
「謙譲語性は感じられよう」を否定する気はない。でも「結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう」が結論だろう。
 謙譲語性がわずかに残っている「承知(いた)しました」のほうがふさわしい、という考え方を否定する気はない。でも、そのことが「了解(いた)しました」を×にする理由にはならないだろう。

【読書感想文/『敬語』2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================引用開始
【引用部】
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346~347)
 どこで切ったらよいかわからず、ズルズルと引用してしまった。この「どこで引用をやめたらいいかわからん感覚」は、清水読本の読書感想文を書いたときに近い。
「参」「承」は謙譲語性は薄い、ということを、著者の文体で書くとこういうことになるのだろう。こうなる最大の原因は、著者の知識量があまりにも多いこと。こういう書き方をすると批判しているようにも見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない。批判に読めるとしたら、書き手の人損?だろう。
================引用終了

【追記】
 ちょっと気になって、「承知」以外に「承」のつく言葉にどんなものがあるか調べてみた。
 大前提として「承る」と読めば謙譲語。
 下記を見れば明らかなように「うける」を「承ける」と書くこともできる(新常用漢字音訓表外字)。
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%97%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%BB%E8%AB%8B%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%BB%E6%89%BF%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%BB%E4%BA%AB%E3%81%91%E3%82%8B?dic=daijirin&oid=DJR_ukeru_-010
 当然のことだけど、「受ける」「請ける」「承ける」「享ける」は謙譲語ではない。
 さて、「承」のつく熟語。話をわかりやすくするために、「〜する」の形にできるものは「〜する」にする。
  継承する
  承継する
  承合する(初めて聞いた)
  承前
  承諾する
  承認する 
  承服・承伏する

 これらの言葉がどの程度謙譲語性があるのかは、言葉の神様に訊かないとわからない。
 おそらく、「承ける」の意味合いのものは謙譲語性がほとんどない。「継承する」「承継する」「承前」あたりがこれだろう。
 一方、「承る」の意味合いのものは、多少謙譲語性がある気がする。だが、「謙譲語か」訊かれれば、NOと言うしかないだろう。
 これらの言葉を謙譲語としている辞書があったら教えてください。 



「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈5〉

 質問板にはいろいろ貴重なコメントをいただいた。だが、残念なことに「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由になりそうなものは……。
【「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8456636.html

 いままで見たもののなかでは、下記1)がイチバンいいと思う。
「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈2〉に書いたことを再掲しておく。

1)【「了解しました。」は敬意表現にならないか。】
http://www.ninjal.ac.jp/QandA/vocabulary/ryokai/
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
〈「了解」に敬意は含まれていないが、あらたまった漢語なので、使う人は〈敬意〉を含むと勘違いしているのではないか〉。
 そういう考え方をするなら、「承知」も「了承」も×だろうね。語尾を別にすると、敬意を含んでいるのは、謙譲語の「承る」「承りました」あたりだろう。「かしこまりました」も敬意を含んでいるけど、これが謙譲語か否かというのは別の話になるのでパス。
【ネタ元4】で肝心なのは、〈本来待遇の意味を含まない「了解しました。」が,どうして「ぶっきらぼう」に感じるのか,と探究しても,理屈で余りはっきりとは説明はつかない〉ってこと。要は、論理的な理由はないってこと。
 もうひとつ大事なのは下記の部分。
================引用開始
結局思い当るのは,日常の言語生活上の,円滑なコミュニケーションに肝心なのは,もっとふさわしい言葉があれば,そちらの方がよい,とすべき,ということです。いうまでもなく,「わかりました。」「かしこまりました。」「承りました。」など,別にもっと良い言い方が,いろいろあるではないか,その場合には,それに譲ればよい,ということです。
================引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 新たに2)を見つけた。これは3エントリーにわたる力作。
「軍隊用語っぽい」に関しても〈2〉に書いた。
================引用開始
 軍隊や刑事ドラマでは目上に使わなかった……ではなく、話が逆だろう。簡潔を重んじるために使われた「了解」は、元々は一種の業界用語として軍隊などで上下関係抜きで使われていた。でも「ぶっきらぼうで敬意が不足」に感じられるから、現代では目上には×ってこと。「了解です」も「ぶっきらぼうで敬意が不足」気味だから×。「了解(いた)しました」が×なのは、濡れ衣トバッチリを受けているだけって気がする。
================引用終了

2)【「分かった」の敬語 その2 (「了解いたしました」「了承いたしました」「うけたまわりました」)】
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-45.html
================引用開始
了解いたしました。
この表現は、結構良く見かけます。
「あなたの言うことを良く理解したよ」という気持ちを表明する意味では、かなり適切な熟語である気がします。
でも、あまり好まない人も多いですよね。
「軍隊用語っぽい」「くだけた感じがする」など、批判的な感情を持つ人が結構います。
不快に思う人がいるのなら、なるべく避けておいた方が良いですよね。
================引用終了

 
 ただし、どちらも「了解しました」「了解いたしました」が不適切な「論理的な理由」にはなっていないと思う。現段階ではやはり〈2〉に書いたことを結論にするしかない。
================引用開始
 結論。
 目上に「了解(です)」はやめたほうがいい。「了解(いた)しました」を×にする論理的な理由はない。
 しかし、ここまで「了解(です)」「了解(いた)しました」の評判が悪くなってくると、例によって使わないほうが無難。
 国立国語研究所がおすすめの「わかりました」「かしこまりました」「承りました」あたりを使うべきだろう。当然のことだけど、まず相手の言っていることは理解してね。
 ネット記事では「わかりました」も×なんて主張も目にする。根拠もなくそんなこと言われてもさぁ。
================引用終了

 ただ、「わかりました」も要注意って気がしてきた(×とまで言う気はない)。
 理由は2)【「分かった」の敬語 その2 (「了解いたしました」「了承いたしました」「うけたまわりました」)】や、質問板のhakobuluさんの発言をご参照ください。



「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈6〉

 質問板のやり取りはなかなか終結しない(泣)。
 どこでどう情報が漏れたのか、「はてな」からメールが来た。いままでこのメールマガジンは来ていたのか、記憶が……。

================引用開始

?--------?-------?-------?-------?-------?-------?-------?--------?
はてなメールマガジン 『週刊はてな』 http://www.hatena.ne.jp/
発行日:2014年2月13日号 発行者:株式会社はてな
バックナンバー http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenamagazine/archive 
公式Twitter https://twitter.com/hatenapr
?--------?-------?-------?-------?-------?-------?-------?--------?

☆━…‥★ 「了解」は失礼?
日本語マナーについてのブログ論争が盛り上がる ★‥…━☆

はてなダイアリー「アスペ日記」に投稿された
『「了解」は失礼か?』という記事をきっかけに、
はてなブックマークや様々なブログで議論が巻き起こりました。
NHKニュースのサイトにまで掲載された問題ですが、あなたはどう思いますか?
このブログ論争についてのまとめを、週刊はてなブログでご紹介しています。

「了解」は失礼? まとめ(週刊はてなブログ)
→ http://htn.to/C8Q27t
最初に投稿されたブログ記事(アスペ日記)
→ http://htn.to/nxsazx
目上の人に「了解」は失礼?(NHKニュース)
→ http://htn.to/t8d7Lo
================引用終了

 NHKニュースを見ても「了解(いた)しました」を×とする論理的な理由は書かれていない。全文は末尾に。
 乗りかかった船だから、リンク先のブログにコメントを入れてみた。
 返信があるんだろうか? ワクワク。

【「了解」は失礼か?】
http://d.hatena.ne.jp/takeda25/20140209/1391937000

【■[言葉]「目上には「了解」ではなく「承知」を使う」は誤用】
http://d.hatena.ne.jp/tokoroten999/20140209/1391950190

【■「承知」は謙譲の意味を持つか否かについて再度調べてみた】
http://d.hatena.ne.jp/tokoroten999/20140211/1392116309

【目上の人に「了解」は失礼?】
http://htn.to/t8d7Lo
================引用開始
目上の人に「了解」は失礼?
2月11日 0時05分

職場の上司や先輩など目上の人から何か指示を受けたときに、「了解しました」と答えるのは失礼かどうか、という議論がインターネットで話題になっています。
「了解しました」「承知しました」、職場であなたは使い分けていますか?

ネットで話題になっているのは「『了解』は失礼か?」というタイトルのブログ記事で、この記事に反応して「「目上には『了解』ではなく『承知』を使う」は誤用」というタイトルのブログ記事も注目を集めました。
職場の上司や先輩など目上の人に「了解」ということばを使うことが、失礼に当たるかどうかについていろいろな角度から考察したもので、読んだ人たちからは「普通に『了解』って使っていた」「内部の業務連絡ではいいが、外部とのやり取りではだめ」など、自身の経験に基づいた多くの意見が寄せられています。

「了解」は「軽い」
「了解」が失礼かどうかを考える前に、こうした議論はいつごろから始まったのでしょうか。
日本語の用法などを研究しているNHK放送文化研究所専任研究員の塩田雄大さんによると、「例えば『明鏡国語辞典』(大修館書店)の平成22年発行の第2版では、『了解』ということばについて『近年、目上の人の依頼などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない』と記述されており、理由としては『ぶっきらぼうで、なじまない』とあります。しかし同じ辞典の平成14年発行の初版にこうした記述はありません。このように複数の辞典を見比べると、『了解は目上に使ってはいけない』という明示は、10年ほど前から台頭してきたらしいことがうかがえる」ということです。
「語感としては、『了解』には、『了解!』という感動詞的な用法もあることから、『承知』に比べるとやや軽いといえます。より軽い用法では『了解でーす』、あるいは最近メールやSNSでは『りょ』と記すこともあるようです。こうした守備範囲の広さが、『了解は目上に使ってはいけない』という考えにつながっているのではないでしょうか」(塩田雄大さん)。

理由は「無難」だから?
では肝心の、実際のビジネスの場などで「了解しました」と使ってよいのかどうか。
企業のビジネスマナー研修などを手がけている東京都内の「ジェイック」によりますと、特に若い社員の間で「了解しました」と返事をする人が増えているそうです。
この会社では以前から「目上の人からの依頼などに答えるときは『承知しました』または『かしこまりました』を使うように」と研修などで指導しているということで、理由としては「『了解』ということばには相手が言っていることを認めて『あげる』という意味が含まれるので、特にビジネスの現場では『了解』は避けることが望ましい」ということです。
企業のマナー研修に講師を派遣している「日本サービスマナー協会」でも、「『承知しました』『かしこまりました』を使うよう指導しています。ビジネスの現場では、上司や先輩が『当たり前だ』と思っている習慣に合わせることが大切です」とのことでした。
日本語の用法としては諸説あるようですが、目上の人に従うほうがいわば「無難」という考えが、さらに「了解しました」の分を悪くしている、とも言えそうです。
================引用終了



「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈7〉

「了解しました」「了承しました」「かしこまりました」「承知しました」「承りました」

mixi日記2014年08月15日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1930962314

 こういう記事を読むと腹立たしいのを通り越して情けなくなってくる。
 基本的には間違っていない気もするが、ツッコミどころが多すぎる。こうやって●●が拡散していくのだろう。
 順番に見ていく。

■了解しました
〈「了解しました」は、同僚もしくは目下に対して使う言葉〉なのか?
「同僚もしくは目下」なら丁寧語にはしない「了解」でもよいのでは。
〈尊敬語ではないため、お客様や目上に対して使うのは失礼〉……敬語にはいくつかの種類がある。3分類で考えるなら、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」。この書き手は「謙譲語」というものを知らないで敬語について書いているのだろうか。
「了解いたしました」なら謙譲語だから〈お客様や目上に対して〉×にする論理的な理由はないと思うけど、こんなに評判が悪くなるとやめたほうがいいだろうな。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3065.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1930959067&owner_id=5019671

■承知しました
「承知しました」を尊敬語にしている資料があるなら是非教えてほしい。
 一般には謙譲語扱いされている。しかし、「承知しました」を謙譲語にしている辞書類はないはず。もしあるなら教えてほしい。謙譲語性が高いとは思うけど、謙譲語とは言えそうにない。
 とりあえず反証として『敬語』の記述をあげておく。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================引用開始
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346~347)
================引用終了
 ついでに書いておくと、〈頻度は大変多い〉なんて書くと恥ずかしいので要注意。頻度を使いたいなら「高い」が一般的。

■了承しました
 何を根拠に、こんなことを断言しているのだろう。
 まあ、主観で書かせてもらうと「了承(いた)しました」自体をあまり使わない気がする。目上(お客様を含む)に対して「ご了承ください」みたいな使い方が一般的だろう。ということは、「了承(いた)しました」を目上に使うのはやめたほうがいいのかもしれない。
〈お客様へは「承りました」目上の人へは、「承知しました」が正しい使い方〉……なぜ、「承知しました」の項にこの記述がないのか(笑)。なぜ「承りました」の項がないのか(笑)。ちなみに「承る」は謙譲語Iの代表選手。
 感覚としてはわかる。注文は「承る」ことが多い。指示は「承知する」ことが多い。
 そうなると、お客様には「承りました」で目上には「承知(いた)しました」になることが多い。
 でもね。お客様の指示などに「承知(いた)しました」と言っては×なの?
 目上から依頼に対して「承りました」と言っては×なの?
 そんなバカな。
 お客様と目上を分けて考えるのは相当むずかしいと思う。

■かしこまりました
「かしこまりました」は「承知しました」と同様、お客様にも目上にも使えるらしい。でもさ。少し前に〈お客様へは「承りました」〉と書いてあるんですけど。謙譲の度合いが高い印象があるが、実はこの「かしこまりました」も謙譲語ではないらしい。謙譲語としている辞書があったら是非教えてほしい。
【「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8499357.html

■「かしこまりました」「承知しました(承りました)」使用例
 書き方があまりにもグチャグチャなんで細かいツッコミはやめておく。

■結論
「了解」「了承」は目上には使わないほうが無難。「~しました」をつければ丁寧語で、「~いたしました」をつければ謙譲語になるが、とにかく使わないほうが無難。ただ、同格や目下に対して「了解(しました)」はOK。
「承りました」「承知しました」「かしこまりました」は、謙譲語として広く使える(辞書的には謙譲語ではないものもあるが)。
 ほぼ同様に使えるが、あえて厳密な使い分けを考えるなら……。
「承りました」「承知しました」は、ほぼ同様に使える。注文などを「受けた」くらいの意味合いが強い。
「かしこまりました」は命令や指示などを「理解して従う」くらいの意味合いが強い。
 ただし、厳密な使い分けはないので、さほど神経質になる必要はない。お好きなのをどうぞ。
「承る」には「聞く」の意味もあり、「貴重な話を承りました」などと使う。これは「承知しました」「かしこまりました」にはできない。「貴重な話をありがとうございます」くらいのほうが一般的だし感じがいい気がするけどさ。


【ネタ元】U-NOTE
【どう違うの?「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」】
http://u-note.me/note/47489406?page=2
================引用開始
どう違うの?「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」

 ビジネス上で、「分かりました」という意味合いで使われる言葉に「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」などがありますね。皆さんはその意味と使い分け方を理解できていますか?いざという時に、どれを使ったらいいのだろう?と悩んでしまうことはありませんか?ここでは、「了解しました」「承知しました」「了承しました」「かしこまりました」の違いとビジネスシーンでの使い分け方をお伝えしていきたいと思います。

■了解しました
 「了解しました」は、同僚もしくは目下に対して使う言葉です。「了解しました」というのは、「了解」に「しました」をつけることで丁寧語になりますが、尊敬語ではないため、お客様や目上に対して使うのは失礼にあたります。

■承知しました
 「承知しました」は尊敬語になりますので、お役様や目上の人に対して使うのに適切と言えます。ビジネスシーンでも使う頻度は大変多いため、覚えておきましょう。

■了承しました
 「了承しました」は、何かを「承諾」したときに使います。「それでいいですよ」という意味合いになりますので、目上が目下に使うのが正しい使い方となります。お客様や目上の人に使ってはいけません。この場合、お客様へは「承りました」目上の人へは、「承知しました」が正しい使い方です。

■かしこまりました
 「かしこまりました」、は「承知しました」と同様、お客様や目上の人に使えます。

 覚えておくべきは「かしこまりました」と「承知しました(承りました)」上記のように、「かしこまりました」「承知しました(承りました)」は、目上の人やお客様に対して使える言葉となります。この2つはビジネスシーンにおいても非常によく使われますので覚えておきましょう。

■「かしこまりました」「承知しました(承りました)」使用例

× 打ち合わせの件、了解しました。
○ 打ち合わせの件、承知しました。

×(上司に対して)鈴木様(お客様)への連絡の件、了解しました
○(上司に対して)鈴木様(お客様)への連絡の件、かしこまりました

×(お客様に対して)ご依頼いただきました○○の件、了承いたしました。
○(お客様に対して)ご依頼いただきました○○の件、承りました。

 「かしこまりました」「承知しました」の違いはあるの?普段使う敬語として、「かしこまりました」「承知しました」の2つが良いというのはわかったけれど、その2つの違いは?というのは以下のような違いがあります。
「かしこまりました」は、「理解して受ける」という意味があります。

「承知しました」は「目上の人の命令などをうけたまわる」という意味があります。

上記のニュアンスの違いを覚えておくと、普段からより敬語を使い分けやすくなると思いますので、覚えておくと良いでしょう。
おわりに

 社会人になると、まず初めに身につけなければいけないマナーが正しい言葉遣いです。しかし日本語の敬語は難しいものです。ビジネス面での正しい言葉遣いをしっかりと身に着けるためにも、普段から常に意識していくことが大切です。
================引用終了

 了解がXという説が広まった過程に関しては下記が詳しい。
【「了解しました」より「承知しました」が適切とされる理由と、その普及過程について】
http://liginc.co.jp/246919

 要するにほぼネット限定の俗説なのでは。ちゃんとした文献を示しているのを見たことがない。こういう例がどれだけあるのだろう。
 小谷野敦の言葉を借りるなら、バカが意見を言うようになった典型かもしれない。
【『同期の桜―お言葉ですが…8』──バカが意見を言うようになった】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-925.html



了解しました 了解いたしました
了承しました 了承いたしました
かしこまりました
承知しました 承知いたしました
承りました
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Author:tobi
フリーランスの編集者兼ライターです。

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