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2016年10月~12月の朝日新聞から

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935528999&owner_id=5019671

【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html

●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html

●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html


【2016年10月〜12月】

16-10-01
2日
黒よしのはずと伊田解説者は断定した(朝刊22面)
 春秋子記者。以後の観戦記。通常「はず」と「断定」はしない。

16-10-02
5日
 宮木あや子さんの小説「校閲ガール」の主人公は出版社の校閲部員だ。赤鉛筆を手に原稿と格闘する。「ドラマ向きだな」と思って読んだが、実際にドラマ化された。きょうから日本テレビ系で放映が始まる▼「私の職場でも話題になった作品。校閲という目立たない仕事が本になるのかなと思いながら書店で手に取りました」(朝刊1面)
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12209999602.html
 天声人語。


16-12-01
18日
単に▲5六歩よりは後手王に迫っている反面、形が重い。(朝刊23面)
 後藤元気記者。記者ハンドブックに従うなら「半面」。だが、一般社会で目にするのは圧倒的に「反面」が多い気がする。新聞はどうする?
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「的」の話。

1036)【「的」の話────「わたし的には」「個人的には」「将来的には」】 辞書
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912584154&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2863.html

1229)【「的」の話〈1〉 資料編 辞書】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1932107765&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3092.html

1485)突然ですが問題です【日本語編228】──「的」の使い方 個人的な考え 有効的な方法 直截的な表現 壊滅的な出来の悪さ【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946042907&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3295.html

 ↓
【「的」の使い方──有効的 直截的 「和語+的」「代名詞+的」「壊滅的な出来(の悪さ)」】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12072189199.html


 下記もリンクをたどるとかなり役に立つ(はず)……と言うより笑える。
【有効的って言葉、間違った表現ですよね?】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12172640097

 引用のご作法55扱い あるかたへのメッセージ。

oji_plさんへのメッセージ。

 某所でのコメントはいつも拝見して勉強いたしております。
 できればこういうことはしたくないのですが、あまりにも頻繁で目に余るもので。
 しばらくしたら、このエントリーは削除します。
 申し訳ありませんが、メッセージを確認したら、どこかにコメントなりを入れてください。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12172640097
>簡単なことを何故、難しく書くのかなぁ(笑)
 それはしかたがないんです。
 ホニャララした元ネタがそうなっているんですから。それを丸写ししただけです。
【「的」の見方】
http://wisewords.in.coocan.jp/essay0206a.htm

 ただ、そのことを指摘してもムダです。
 下記のような悪質なヘニャララをするだけです。
 かかわらないのが得策かもしれません。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3328.html


引用のご作法56扱い メッセージの続き

 最近目にしたヒドい例。
【すいませんとすみませんって何が違うんですか?】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13173425168

 過去にも同様の回答を繰り返している。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10140680835
 あとはお探しください。

 何がヒドいって、まず下記と部分的によく似ている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311061038
===========引用開始
誠意が感じられてフォーマルな順番ですと、
「申し訳ございません」→「ごめんなさい」→「すみません」 だと思います。 
===========引用終了

 これだけなら偶然かもしれない。
 下記の部分は下記とほぼ同様。しかも文末を改竄している。
 こうなるとやる気でやっているのだろう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1220087497
===========引用開始
「それでは私の気が済みません(すみません)」といった用法は、「気持ちがおさまる」の打ち消しで、「気持ちがおさまりません」「気持ちがはれません」となる。
相手への謝罪に用いる「すみません」も、相手に失礼なことをしてまい、このままでは自分の心が澄みきらないことを表す。
感謝の意を表す「すみません」は、「何のお返しも出来ずすみません」といった意味からか、「心が澄みきらない」といった意味から離れ、単に謝罪を表すようになってからの表現である。
「すみませんが○○してください」「ちょっとすみません」など、依頼や呼びかけの際に用いる「すみません」は、軽い謝罪の意味からと考えられる。 
===========引用終了

 ただおそろしいことに、さらにネタ元がある。いったいどれくらいの量がホニャララ回答なのかわからない(泣)。
http://gogen-allguide.com/su/sumimasen.html
 このサイトは、流用にはかなり厳格なはずなのだが……。


 そうか。あの人もそうなのね。
 下記の時は「何者?」と思いました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13170518858

 この人が使う「○○さん 恐縮です!」は、別キャラの常套句ですよね。
 キャラの区別がつかなくなっているようです。
 下記もヒドいな。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11175476616

 当方を「引用専門ブロガー」呼ばわりするのは、ご本尊だけです。これも馬脚ネタですかね。
 だって当方は引用元を明記した上で自分の考えを書いています(基本的には)。フツーに読めばわかるはずです。
 引用・パクリ・改竄etc.……の専門家にそんなことを書かれても……。

【20180810追記】
 複アカとされるかたの投稿。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13194102698
===========引用開始
raw********さん 2018/8/419:47:48
①果物詰め合わせ(りんご3みかん2)。
②果物詰め合わせ。(りんご3みかん2)

①は、小学校の国語の授業で習う書き方。
②は、新聞、雑誌の記事の書き方。


↓陰陽師ならぬ「引用師」が出てきていますが、京都の町家のような回答で、相変わらず読みづらいなあ(どうでもいいけど)。===========引用終了

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13194416398
===========引用開始
kai********さん 2018/8/1019:24:25

(略)

<蛇足>
①について、このサイトに出没する引用師が、植物や細菌などを持ち出して、いろいろ細かいことを言って賑せていますが、文法用語を使えば、正確には「有生名詞」が主語になる場合です。
===========引用終了

 語るに落ちる、ってヤツか。
 当方のことだと思うけど、そんなこと書いたかな。
 当方は引用元を明記した上で自分の考えを書いています(基本的には)。フツーに読めばわかるはずです。
 引用・パクリ・改竄etc.……以下略。





8)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび4 】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年03月23日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1832165379&owner_id=5019671

【句読点に関する記述】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3138.html


mixi日記2013年02月08日から
 もういい加減にしよう、とは思いつつ、気になるサイトを見つけるとついチェックしてしまう律儀な性格……。

 まず、下記。
【1】句点「。」と読点「、」の決まりを知る
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20110527/360777/

 入門編としては悪くないが、いささか乱暴。困ったことに、こういう断片的な断定調のほうが説得力が感じられる。内容がどんなにムチャでもね。
 句点の打ち方のルールはこんなものだと思う。新聞もこういう流儀にしている。↑の1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】参照。

 ただし、下記のBAのような説も流布している。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101493003
 現在の出版界の慣例では、圧倒的に【1】が主流だろう。
「○○は××だと思う。(△△かもしれないが。)」の形は想定すらしていない観がある。この形なら( )を使う必要を感じない。
 結論としては、統一されていればどちらでも「間違い」ではない。

 さて、読点の「ルール」は5つ書かれている。
================引用開始
ルール1 主語の後に打つ。

例:当社は、今期社員増の予定です。
例:私は、彼に感謝した。

ルール2 文と文を分けるところに打つ。

例:佐藤部長は今月分の売り上げ見込み数字を伝え、木下課長は今月の受注数字を伝えた。

ルール3 並列関係にある語句の後に打つ(ただし、最後の語句の後はなし)。

例:その本は北京、上海、台湾で翻訳されている。

ルール4 修飾語がどこにかかるか、わかるところに打つ。

例:1万円の時計のベルトを選んだ。
       ↓
1万円の時計の、ベルトを選んだ。←「1万円の時計」が「ベルト」を修飾
1万円の、時計のベルトを選んだ。←「1万円の」が「ベルト」を修飾

ルール5 接続詞の後に打つ。

例:K社での商談は盛り上がった。しかし、いまだに受注はできていない。
================引用終了

 例によって、本多読本風に検討してみる。↑の2)【第2章 4 句読点の打ち方】参照。

ルール1 主語の後に打つ。
 これは『説得できる文章・表現200の鉄則』の「2)-2 主語の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)」に相当する。
 注目してほしいのは「(ただし、短い文には打たなくてもよい)」の注。これがないと単なるデマになりかねない。
→〈不必要だが、これも主観によって「思想のテン」をうちたい筆者であれば「自由のテン」としてどうぞ〉。

ルール2 文と文を分けるところに打つ。
「文と文を分けるところ」って何?
 おそらく「2)-6 複文や重文の結合部」のことなのだろう。
→この【例】は重文の典型なので、〈長い修飾語〉の原則に〈吸収される〉。

ルール3 並列関係にある語句の後に打つ(ただし、最後の語句の後はなし)。
「2)-1 列挙する語句の間」に相当。
→本多読本は〈ナカテンの方がよい〉と主張しているが、「メール・サーバー」みたいに列記する単語のほうにナカテンが入るときはどうするんだろう。やはり「列記のテン」を使うほうが無難なのでは。ちなみに、列記する単語がズラズラ並ぶときは、必然的に主語と述語が離れてしまう。それを防ぐために、箇条書きにするテもある。

ルール4 修飾語がどこにかかるか、わかるところに打つ。
 この【例】は悪文の一種なので、書きかえることをオススメする。一般には「きれいな赤い服を着た少女」のような例文を使っている。
「1)-1 修飾語と被修飾語の関係をはっきりさせる」だろう。
→「きれいな」が「少女」にかかるのなら、テンを打つより「赤い服を着たきれいな少女」にするほうが自然。あえて「きれいな」を前にしたいのなら、〈逆順〉の典型。

ルール5 接続詞の後に打つ。
「2)-3 文頭の接続詞や副詞の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)」と同様。
 注目してほしいのは「(ただし、短い文には打たなくてもよい)」の注。これがないと単なるデマになりかねない。
→なくてもいいので「ルール」ではない。ただし、〈逆順〉の場合は必要。

 いつものことだけど、ルール1~ルール5は、個々に見ていくと間違ってはいない。しかし矛盾が生じることが多々ある。たとえば、「ルール5」の例文を見る。
  しかし、いまだに受注はできていない。
「受注は」のあとに読点がないと、「ルール1」に反するんですけど。
「ルール2」の例文も「ルール3」の例文も「ルール1」に反するんですけど。


【2】日本語の読点について
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/5134/1/kyouyoronshu_331_1.pdf

 とんでもない重量級を見つけてしまった。 
 論文だよね。あんまり悪口は書きたくないけど……。
 疑問点をあげていく。

●高信太郎のエッセイの特殊性
 P.3で、読点の少ない例として高信太郎のエッセイをあげている。この手法は初めて見たかも。長くてもわかりにくくない例として吉田健一の文章をあげるのと同様だろう。最初に結論を書いておく。そういう特殊な文体をあげてもあまり意味はない。「作文」の教室でこんな文章を書いたら叱られる。
 読点が異常に少なくて済んでいる理由として下記をあげている。
1)漢字と仮名が混在して語句の切れ目に暖昧さがほとんどない
2)四か所のカギ括弧の使用
3)文の長さ
4)文型の単純さ
 こういう点に注意すれば「読点がなくても決して読みにくい文章とはならないということがわかる」そうだ。
 ということは読点など必要ない……そんなわけないでしょ。
 たいていの日本語の文章は1)だと思うけど、やはり読点は必要だろう。2)~4)はそのとおりだけど、そういうことをすると別の問題が出てくるんですけど。そこは無視ですか?

●案の不備&具体性の欠如
 読点の打ち方のついてこれまで出ている案をあげている。
  1)文部省教科書局調査課 国語調査室(1946)
  2)広田栄太郎(1959)
  3)樺 島 忠夫(1979)
  4)日本語教育学会(1982)

 1)は、本多読本にボロボロに書かれている。読点に関しては「化石」なのでは。
 2)~4)は、真っ先に「主語(主題)の後」をあげている段階で、疑ってかかる必要がある。
 このあとに、本多読本についてもふれている。
================引用開始
 ところで,このような煩雑な規則に対して,本多勝一(1982)は原則を二つに統合し,それ以外は「思想の最小単位を示す自由なテン」とした。その「二大原則」とは,

  第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき,その境界にテンをうつ。
       (重文の境界も同じ原則による。)
  第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。

 というものであり,「思想の最小単位を示す自由なテン」とは,文部省案の2,3,4,6,7が該当する。本多案は,構文上必要とすぺきテンとそれ以外の(単なる分かち書き的な役割の)テンとを区別しない,これまでの煩雑な規則に対する強い批判の上にできたものであり,その意味で十分に評価されるべきものであると思う。けれども,たとえば,第二原則における原則的語順をどう考えるかはむずかしいところである(5)。また,日本語教育への応用を考えた場合には,具体性に欠ける点が問題となるであろう。
================引用終了

「煩雑な規則」は×だけど、たった2つにしたのも×ですか。
「原則的語順をどう考えるかはむずかしい」……そのとおりだと思う。でも、本多読本はそれを解説するためにクドいほどいろいろ書いてあったけど、それでもダメかな。当方も完全に理解したとは言えないのは、理解力不足とハンカチを噛み締めている。
「日本語教育への応用を考えた場合には,具体性に欠ける点が問題」……だから本多読本はそれを解説するためにクドいほどいろいろ書いてあるんですけど。もう少し具体的に書いてくれないと、ホントに「具体性に欠ける」か否か判断できませんが。
 本多読本の理論に欠点がないとは言わないが、それはまったく別の話だと思う。具体性を示すために、長めの引用をする。

2)【第2章 4 句読点の打ち方】※これは最後に回すのがオススメ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
================引用開始
 文部省案13項目42の例を1つずつ〈検証〉したあと、本多読本は次のように書く。

【引用部】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンはわずか二つの原則によって律することができる。むろんこれは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。(p.112)

 論理的に間違っていないが、小さな欠点がある(「重大な欠点」かもしれない)。論理的に必要のないテンを使わないと、テンの数はどんどん減っていく。語順などを工夫すれば、さらに減る。それでも論理的に正しいからわかりにくくはならないが、読みにくくなる。そのことは、この引用部を見ればわかる。4つの文の中に、テンが1つしかない。1つだけあるテンは〈逆順〉に従ったもので、次のように書きかえれば、このテンさえ必要なくなる。

【テンを削除した例】
 二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが以上の検証によって理解された。

 こうなると相当読みにくい。「思想のテン」は個人的な趣味の問題になるのを承知で書くと、このぐらいの長さの一文にはテンがあったほうが読みやすい。元の文章に戻り、少し「思想のテン」を加えてみよう。それだけで、多少読みやすくなる。

【「思想のテン」を加えた例】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンは、わずか二つの原則によって律することができる。むろん、これは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。

 なんのことはない。「主語のあとに打つ」「文頭の接続詞や副詞のあとに打つ」って話に戻っている。
 だからといって、2つの原則が無意味ってことではない。最優先されるのは2つの原則で、それだけでは不足なら〈思想のテン〉を打つってことだ。その場合には、一般的なテンの打ち方に従えばいい。ふだんはあまり意識しなくてもいいが、微妙な判断をするためには非常に有効だ。
================引用終了

●これが結論?
 P.15~に「まとめ」がある。
================引用開始
 これまでの議論を踏まえて,試案として次のように読点の規則を整理してみる。
○構文上のテンとして
 1文頭の接続語のあとに打つ。
 2文の中止を示すために打つ。
 3限定・条件を示すために打つ。
※以上のテンは,文が短かったり単純だったりして意味が明らかな場合は打たなくてもいい。
○語句の並列を示すテンとして
 4並列する語句を示すために打つ。
※中テン,括弧など,他の符号を用いる方法もある。
○読み誤りを防ぐテンとして
 5語句の意味的まとまりを示し,語句と語句の関係を分かりやすくするために打つ。
※5は一続きの語句の区切りを示すためのもので,引用文,文の倒置,挿入などを他の部分と区別する。1,2,3,4は,適切な例を示せば,ほぼ誰にでも打つことができるテンであり,5はある程度訓練を積んで習得させる必要があるテンの用法である。

 テンの打ち方についての問題を考え,その規則の整理を試みたが,テンの位置については,依然として確たる規則を持つには至っていない。しかしながら,論述文作成において,文章のリズム,作者の息づかいを示すものとしてのテンはその重要性が減じ,論理的構成のためのテンが重要性を増しつつあることは否定し得ない事実であり,句読法も文構造をより分明にするために少しずつ改良が成されて行くであろう。
 本稿では,とくに日本語教育の観点を念頭に読点の原則を整理してみたが,規則の普遍性が重視される言語教育上の問題として読点を考えることは,テンの規範を作り上げていく上で役に立つと考える。
================引用終了

 ウーン。なんかずいぶん平凡な結論になったような。このテの心得の是非に関してはさんざん書いてきたのでスルーしておく。
 つまり、「1」~「3」は原則として打つが、「意味が明らかな場合」はなくてもいい、と。「2」は打つべきだし、「1」も打つほうがいいと思う。「3」はケースバイケース。
「5」を論理立てて解説したのが本多読本だと思うのだが、本多読本を否定して始めた論が、最後に本多読本によりかかるのはどうなんだろう。
 さらに言うと、「5」の解説中に大胆な意見がある。アンマリだと思う。
「こうした暖昧さは,もし次のような分け書き(いわゆる「分かち書き」ではない)が許されるなら,解決されることも指摘しておきたい。」
「これらも分け書きを行えば問題が解決するものであり,わざわざ読点を用いるほどのこともないものであるが,そ うした表記上の工夫が進まない間は,具体的な例を出してテソの打ち方を工夫させるといった教育上の訓練が必須である。」


【20170520追記】
【読点の打ち方と語の並べ方の競合回避による日本語文章の推敲支援手法】
ci.nii.ac.jp/naid/110006867898
 これも論文だろうな。タイトルで検索すればpdfファイルが入手できると思うが……読む価値があるか否か当方には判断できない。

読書感想文 お品書き

【総索引】は下記。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html

●『読書感想文』カテゴリートップは下記。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-category-19.html


読書感想文 『血液型と性格』(大村政男)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-85.html
  ホントにやめてもらえないかな──日本人ってバカなのか
  http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-269.html
  泣きたくなるからホントにやめてもらえないかな
  http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-412.html

読書感想文『日本語の作文技術』
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-137.html

読書感想文『論文の書き方』
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-646.html

読書感想文『「超」文章法』(野口悠紀雄/中公新書/2002年10月25日発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-647.html

読書感想文『第三版 悪文』(岩渕悦太郎編著/日本評論社/1979年11月10日第3版第1刷発行/1995年7月10日第3版第13刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-755.html

『文章の書き方』(辰濃和男/岩波書店/1994年3月22日第1刷発行/2002年4月15日第29刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-768.html

『同期の桜―お言葉ですが…8』──バカが意見を言うようになった
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-925.html

『芭蕉のガールフレンド──お言葉ですが…9』──バイト敬語のルーツ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1227.html

『お言葉ですが10) ──ちょっとヘンだぞ四字熟語』四字熟語って4字の熟語?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1228.html

『仕事文の書き方』(高橋昭男/岩波新書/1997年8月20日第1刷発行/1999年7月15日第7刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1229.html

『うまい文章の裏ワザ・隠しワザ』(日本語倶楽部編/KAWADE夢文庫/2001年11月1日初版発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1317.html

読書感想文/『大人のための文章教室』(清水義範/講談社現代新書/2004年10月20日第1刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1427.html

読書感想文/『文章をダメにする三つの条件』 (宮部修/PHP文庫/2004年3月17日第1版第1刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1428.html

『問題な日本語』(北原保雄編/大修館書店/2004年12月10日初版第1刷発行)その1
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1509.html

『続弾! 問題な日本語』(北原保雄編/大修館書店/2005年11月3日初版第1刷発行)【1】~【3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1717.html

読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html

読書感想文/『日本語練習帳』(大野晋/岩波新書/1999年1月20日第1刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1426.html

読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

読書感想文 『悪文』(中村明/ちくま新書/1995年5月20日第1刷発行)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3139.html

読書感想文/『日本語作文術』(野内良三/中央公論新社社/2010/05/25第1刷発行) 第1稿(毒入り編)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3410.html
読書感想文/『日本語作文術』(野内良三/中央公論新社社/2010/05/25第1刷発行) 第2稿(毒抜き編)
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12274994280.html

読書感想文/『日本語作文術』(野内良三/中央公論新社社/2010/05/25第1刷発行) 第1稿

 文章読本の類いを読むのは久しぶり。途中までは、多少引っかかりがあるとは言え、(これは「挿入句」の読点。本多読本式に考えるなら〈逆順〉)好意的に読んだ。でもなぁ。
 結論だけ書くと、まだ本多読本を読んだことがない人は、こちらを読んだほうがいいかもしれない。巻末に「日本語語彙道場」があるぶん、こちらのほうがお得感(スーパーの特売品じゃあるまいし)があるかも。ただなぁ。
 数多の文章読本のなかでも、かなり上位にランクされる内容であることは間違いない。論理性も高いし、文章もまとも(足首の高さ程度と思われるこのハードルをクリアできていない文章読本はおそろしく多い)。構成に流れが感じられる点も貴重かも(脈絡もなく心得を羅列している文章読本も多い)。でも……。
 ネットを検索して下記を見つけた。善良なかたは、下記を信頼すればよいだろう。
【[書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三)】
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/09/post-d41f.html
===========引用開始
 それでも信奉書に近いものはあって、平凡だが二冊。「日本語の作文技術 (朝日文庫:本多勝一)」(参照)と「理科系の作文技術 (中公新書:木下是雄)」(参照)である。この二冊はすでに、実用的な文章を書く技術の解説書としてはすでに古典の部類だろう。
 で、本書、「日本語作文術」なのだが、この二冊のエッセンスを含んでいます。なのでこっちのほうが簡便。しかも、読みやすい文章の構造について、この二冊をより合理的に実用的に考察している。私も各所でへえと思った。
 「日本語の作文技術」だと、ある原理(特に句読点の規則)に到達するまでの思索過程がちとうるさいし、その過程を合理化するためにちょっと無理な議論もある。「理科系の作文技術」はそれ自体独自の味わいがありすぎて冗長と言えばみたいな感もある。対する本書だが、陳腐だけど普通にわかりやすい文章を書く技術に徹している分だけ利点がある。
 じゃあ類書をまとめたものなのか? そうではない。やや意外な創見から発している。日本語の文章を外国語のように学ぶという視点である。著者は仏文学者で、また大衆的な小説の翻訳に苦慮した経験から、日本語の達文を学ぶには外国語のように学べばよいとした。なるほど。
===========引用終了

「日本語の文章を外国語のように学ぶ」というのは清水読本が書いていたはず。
 まあ、1冊で過去の名著のエッセンスが味わえるのだから、やはりお買い得かも。 
 ただ、悪く言えば「本多読本の二番煎じ」ということになる。
 別に二番煎じだから読む価値がない、などという気はない。だが、もう少し上乗せがないと、すでに本多読本を読んでいる人にはおおすすめしにくい。とくに重要性が高そうな「語順」と「句読点」に関しては、既視感があまりにも強い。
 しかも、ほかにも類似点が多い。
●例文が「文学的」すぎる
●中途半端な文法の話が、作文となんの関係があるのだろう
●なんでこんなに偉そうなの
●そもそもこの書名は……
 本多読本へのあてこすりとしてやっているなら笑えるんだけど。
 段落の話は、木下読本と何が違うのか不明。『文章読本さん江』に毒されているのは……しかたがないか。
 いったん気になりはじめるといろいろ目について、〝何様目線〟の悪態になってしまい、こんなことを書いていると人間性を疑われかねない。「途中まで好意的」だと、反動でそういう傾向がいっそう強くなる(泣)。
 あまり意味のない弁解はこれくらいにして、例によって細かい部分を見ていこうか。

【引用部】
あまりにも「文学的」すぎる。「国語」教育はもっと技術的、実用的であるべきではないか。
 (P.ii)
 現状の国語教育に対する不満を書いている。そのとおりだと思う。この記述に先立って、本書の冒頭では対象が「実用文」であることを明言している。それでいて、例文として芸術文をあげているのはなんでなんだろう。このあたりは斎藤美奈子に揶揄された本多読本と同じ間違いをおかしている。

【引用部】
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という余りにも有名な書き出しをものした川端康成は『山の音』という別の名作を残しているが、その書き出しは「尾形信吾は少し眉を寄せ、少し口を開けて、なにか考えている風だった」である。
 (P.13)
 たぶん、これが初めての引用文。「実用文」限定の本でこういう例文を出して、いったい何をしたいのだろう。しかも、よりによって……。ちなみに「国境」にはわざわざ「くにざかい」とルビが振ってある。これを「くにざかい」と読むか「こっきょう」と読むかは意見が分かれているはず。どっちかと言うと「くにざかい」だとは思うけど、原本にないルビを勝手に打つのはやめましょうよ。さらに言うと、そこで終わったんじゃ、効果半減じゃないかな。スゴいのはそのあとの描写なのでは。

【引用部】
 職業柄、私は学生のレポートによく付き合わされるが、どういうわけか、とにかく文が長い。長いというよりか、だらだらとして締まりがない。「短い文を書くように」と口を酸っぱくして言うのだが、かわりばえのしない長い文を書いてくる。私は簡単に考えていたのだが、学生たちの相も変わらぬ対応を前にしてあるときハッと思い当たった。「短く書くこと」は単に文を切るだけの問題ではない、どうやら「思考の流れ」と深く関係しているらしいということに。
 (P.23)
 こんな当たり前のことに「ハッと思い当たった」って……。おそらく、口を酸っぱくして言うだけで、具体的な解決法を示してないのでしょうね。すんごくたいへんなんだけど、そこをなんとかするのが、指導・教育じゃないのかね。ちなみに、こういう場合は「ハタと思い当たった」では。

【引用部】
 どうしたら長文を撃退できるか。その方法をお見せしよう。ただし、(今後もそうであるが)文章指南書がよくやる素人の作例は絶対に使わない。あれはやっている本人はご満悦かもしれないが、一種の弱いものいじめだ(合意が成り立っている、学校やカルチャーセンターのような教育現場では話は別だが)。大物に登場願おう(P.25)
 この著者は〝絶対〟という言葉が好きなのだろうか。必要性を感じない〝絶対〟の例はあとにも出てくる。こういう強い言葉は、極力使うべきではないのでは。好みの問題かもしれないけど。
「合意が成り立っている、」の読点はOKなのかな。本多読本の〈長い修飾語〉の読点かもしれないが、個人的には極力使わないことにしている。理由は……「美しくない」ってことにしておく。「学校やカルチャーセンターのように(、)合意が成り立っている教育現場では話は別だが」くらいだろうか。
 趣旨はよくわかるけど、ケースバイケースだと思う。単に素人の悪文をボロクソに書くのは「弱い者いじめ」かもしれない。そんなことをしても、建設的とは言えない。本多読本にヒドい例があった(もしかすると、本書の著者は本多勝一が嫌いなのかもしれない)。でも、「ここをこうするだけで見違えるほど……」ということなら、話は別になる。あるいは、偉いセンセーでもこんなヒドい……という「強い者イジリ」なら大好物です。(←オイ!)
 問題はそこではない。このあとに、一文が長い例として谷崎読本が長々とひかれている。ただ、「文章の骨組みがしっかりしているから」すらすら頭に入ってくる、としている。だったらそれでいいと思うが、よせばいいのに短文にする。しかもデアリマス体をフツーのデアル体に書きかえている。
 なんでこんなことするのかね。長くなるので理由は省略するが、デアル体に比べてデスマス体のほうが一文が長くなる傾向がある。デアリマス体だとその傾向がもっと顕著になり、無理矢理短文にすると非常に妙な文章になる。だから、デアリマス体で書かれた谷崎読本は、必然的に一文が長い。それにインネンをつけて書きかえるのは、「強い者イジリ」でもなくて単なる暴挙だろう。
 もしそういうことをやりたいなら、デアリマス体で短文にしてほしい。悲惨なことになるに決まっている。

【引用部】
 作家だからといっていつもすばらしい文章を書いているわけではない。私は例文は悪文だと判定する。学生がこのような文章を書いてきたら間違いなく朱を入れる。この文には悪文の主役が勢揃いしている。
[1] 無用な「が」
[2] 中止方の連続
[3] 安易な接続語(接続助詞・接続詞)
 (P.27〜28)
 この直前にあげられているのは、横溝正史の『本陣殺人事件』。また微妙な例を(泣)。
 主役が勢揃いって、戦隊ヒーローものか? もっと主役が増えたら、昨今の学芸会か? 
 指摘はほぼ適確だと思う。でも、長い一文をズタズタに切るのはどうかと思う。だって、あえてそういう文体を使った可能性があるんだから。「怪奇譚っぽい雰囲気をつくりたかった」とでも言われたら誰にも否定できないよ。だから芸術文を扱っちゃダメなの。
 あんまりなので名は伏せるが、昔読んだ文章読本が恐ろしいことをやっていた。以下はその感想文から。だから芸術文を扱っちゃダメなんだって。
【引用部】
 そういう問題は後述するとして、この著者は許されがたい致命的な誤りを犯している。P.110に「ある小説に目を通していたら次のような一文にぶつかった」と書いて、文庫本で8行の引用をし、そのあとでこう書いている。

 三百二、三十字で一つのセンテンスが構成されているので、読みづらいことおびただしい。副詞や形容詞がふんだんに出ているし、修飾句が修飾句を修飾している箇所が幾つもあるので、二度や三度くらい読んだだけでは意味がよくつかめない。
 読み進んでいくと、最後になって主語の記録係がやっと出てくる。悪文の見本としかいいようがない。擬態語の多出、「はらはらどきどきわくわくの」や「いらいらくよくよ」も読みにくさの因になっている。
 引用文を読んだ限りでは、正しい指摘のようにも見える。しかし、引用されているのが、井上ひさしの『吉里吉里人』の冒頭となると話は違ってくる(ちなみに、この本は引用文の原典がいっさい書かれていない。著作権は問題にならないのだろうか。なんでこんなことが許されるのだろう。しかも、手元の文庫本と付け合わせると、気づいただけでも2カ所の引用間違いがある。ちょっとひどすぎませんか)。別に、井上さんが書いた文だから貶してはいけない、なんて主張する気はない。どんな名文家が書いた文章であっても、不備があるなら指摘しても構わない。しかし、この場合は事情が違いすぎる。意識的に「修飾句が修飾句を修飾している箇所」を作り、狙いを持って「擬態語の多出」を心がけている文章に対してこの指摘をするのは、的外れというよりは狂気の沙汰に近く、失礼無礼の恥晒し、はっきり言ってバカである。あえて特異な文体で書いた小説を相手に、こういうインネンをつけてはいけません。こんなやり方もありなら、野坂昭如なんてどうなるんじゃ。


 で、本題に戻る。
 引用されている『本陣殺人事件』の記述には〈[1] 無用な「が」〉は見当たらない。接続助詞の「が」が2つあるが、これはどちらも「逆接のガ、」に見える。つまり〈[3] 安易な接続語(接続助詞・接続詞)〉でしかない。〈無用な「が」〉がどういうものなのか、わかっていないなんてことはないよな。〈無用な「が」〉については、最後に回す。

【引用部】
翻訳調あるいは最近の作文指導の影響だろうか、最近の日本語は主語を前に出す傾向が見られる。そのため、「主語の後出し」は若い世代にとっては抵抗感があるらしい。 (P.37)
「主語の前出し」?は翻訳調なんだろうか。
 で、翻訳調ってダメなの? 「〜が見られる」あたりはよく批判されるけど。ケースバイケースだと思うが、当方にはよくわからない(ってことにしておく)。
「最近の作文指導」では「主語の前出し」をすすめているのか。知らなかった。昔からそうだと思うけど。たとえば本多読本のP.88でには〈これはもうそこら一面にドカドカ見られる型の文章である。とくに短い題目語「○○ハ」を冒頭におく文章は軒なみこれだと思ってよい〉とある。そのとおりだと思う。良書のほうの『悪文』にも、そういう記述があったはず。

【引用部】
 たとえ文豪の手になるとはいえ、実用文という観点からは次のような文は絶対に書くべきではない。(P.48)
 で、そのあとに出てくるのは『伊豆踊子』の一節。よせばいいのに語順をいれかえた修正案まで書いている。当方もこれに近いことをすることがあるけど、「絶対」なんて書き方はやめませんか。「芸術文」の話なんだからさぁ。

【引用部】
私の知る限り、この問題に真正面から【最初に】 取り組んだのは本多勝一である。彼は『日本語の作文技術』(朝日文庫、一九八二年)と『実践・日本語の作文技術』(朝日文庫、一九九四年)のかでこの問題を熱っぽく取り上げた。もっと柔軟に対応したらいいのにという条件はつくけれども、その意見はおおむね支持できる。以下、本多の説明に寄りかかりながら、読点の問題を見ていくことにする。
 (P.52)
 文中の【最初に】のカッコは引用者がつけた。原文はカッコがなく傍点がついている。
 読点の話の冒頭近くにある文章。いろいろ考えるべきことがある。 
「真正面から最初に」取り組み、信頼できる記述をしたのは本多読本だろう。問題は「次に」がいるか否か。当方が知る限り、そんなものは見当たらない。ネットで論文も見つけたが、これがお話にならない。ネットには、ほかにももんのすごい数の記述があふれている。大半が論外か本多読本のパクリ or 二番煎じ。本書は……。
「おおむね支持できる」ということは、支持できない点もあるのだろうが、はっきりとは書かれていない。「もっと柔軟に対応したらいい」が具体的にどういうことかも書かれていない。単に当方の偏見か読解力不足だろうか。そうでないなら、単なるインネンだよ。
「もっと柔軟に対応したらいい」が、「ムヤミに断定しないでもう少しゆるやかに考えてよいのでは」という意味なら同感。ただ、その適確な指摘だか的外れの批判だか単なるインネンだかは、本書にもそのままあてはまるのでは。
「以下、本多の説明に寄りかかりながら」……ここが一番引っかかった。この前の「語順」に関する記述は、寄りかかっていないのだろうか。当方には同工異曲にしか見えない。本多読本と重複する部分を除いたら、何か残るのだろうか。自立は無理だろうな。それは「寄りかかる」なんてものではではなく、オンb……ぐゎ、何をするんだ。
 好意的に見るなら、あまりにもクドくて冗長な本多読本の要旨を、多少簡潔にまとめている。意地悪く見るなら……。

【引用部】
 そうすると、読点の打ち方は次の三つの原則にまとめられる。
[1] 逆順の場合に打つ(ただし抵抗なく読める場合は打たなくてもよい)
[2] ほぼ同じ長さの大きな文の単位(語群)が連続するとき、その切れ目に打つ(ただし抵抗なく読める場合は打たなくてもよい)
[3] 「は」はそれ自体で遠くへかかっていく力をもっているので、本来は後に読点を打つ必要はない。ただし、強調のため、あるいは読みやすさを考えて打ってもよい
 (P.53)
 [1][2]は、本多読本の2大原則とほぼ同様だろう。(ただし抵抗なく読める場合は打たなくてもよい)って、わざわざ繰り返して書く必要があるのだろうか。これは「原則」以前の「大前提」だろう。入れるなら全部に入れることになる。
 問題は本多読本の2大原則以外の読点。本多読本は、すべて「思想のテン」にしていて「それはいくらなんでも」と思う。このあたりはすでに何度も書いているので省略する。
 [3]は、言いたいことはわかるけど、同意はできない。本多読本式に「〈逆順〉なら打つ」のほうがわかりやすいのでは。もちろん(ただし抵抗なく読める場合は打たなくてもよい)んだけど。
 このあと、「正順で書けば読点は不要」という勇ましい小見出しがあるが、内容は煮え切らない。
【引用部】
 読者の中には選択の余地を残す私の説明にまどろこしさや不満を感じた方もいるだろう。しかし、これはやむをえない事態なのだ。先ほど挙げた原則にいずれも「ただし書き」がついているのにはそれなりの意味がある。つまり「抵抗なく読める場合」の判断は書き手の自由裁量にゆだねられているということだ。ただ、多めか、少なめか、いったん採用した方針は途中で勝手に変更しないほうがいい。
 自由裁量といえば、読点には「強調」のために打つ場合がある。「強調の読点」である。先ほど「なくてもいい」と説明した(2)の「左手の先が、」の読点は「強調の読点」という可能性がある。(P.55)
 書いている内容は、ほぼそのとおりだと思う。本多読本のようにバッサリ書けるほうが異常だよ。だったら「正順で書けば読点は不要」なんて小見出しはマズいのでは。せいぜい「正順で書けば、読点は減らせる」くらいだろう。
 そうしないと、2大原則に従って書かれた本多読本と同じことになる。あそこまで読点が少ないと、相当読みにくい。
 だから、2大原則を踏まえた上で「思想のテン」をどう打つかが重要になる。後出の心得はここをちゃんと押さえているのに、「正順で書けば読点は不要」なんて書いたら台なしになる。
「強調の読点」という書き方もよくわからない。「強調」ではないこともあるはずだ。それなら「思想のテン」でよいのでは。当方は「読みやすさのために打つ読点」だと考えている。このあと、本書は、「読点は読者へのサービス」という小見出しに続く。どうやら「強調の読点」も、「読者へのサービス」として打つ読点の一種らしい。そりゃそうでしょうね。で、「強調の読点」って何?
 実は本書では、これ以前に「強調の読点」らしきものが登場している。

【引用部】
 もちろん、これで間違いというわけではない。普通には原則[2]に従って次のように書き直したほうがすっきりする(強調ということであれば「じっと」の後に読点が必要)。(P.50)
 この必要になる読点は、本多読本の〈逆順〉のテン。そもそも逆順のテンは、強調などの目的があって語順を逆にするときに使うものだから、当然だろう。本書の〈逆順〉はいったいなんのことなのだろう。
 ↑にひいたP.53にも〈強調のため〉とある。これも〈逆順〉ほうが素直だろうな。本書の〈逆順〉は……以下略。
 こういう独自の用語は、初出で解説するものなんじゃないのかね。

【引用部】
ただ、ここで老婆心ながら注意をうながしておけば、普段は読点の打ち方なぞいちいち意識する必要はない。文を書いていて、あるいは読み返してみて「おや、ちょっと引っかかるな」、「あれ、ちょっと変だな」と感じたときに、読点の打ち方を考えればいいのである。  
 最後に、三原則や曖昧さを避けるため以外でも、読点を打つことが多い場合を箇条書きで示しておく。読点を打つ目安にしてほしい。
[1] 長い語群の後で──正順なので打つ必要はないのだが、打てば読みやすくはなる。たとえば長い主語だとか、「〜ので」、「〜したとき」、「〜して」などの後で
[2] 並列関係に置かれた名詞、動詞、形容詞の切れ目に──「喜び、悲しみ、怒り」、「巨大都市、東京」、「美しい、静かな湖」、「飲み、食い、騒ぐ」
[3] 倒置法が使われた時──「ついにやって来た、運命の日が。」
[4] 漢字あるいは平仮名ばかりが続いて読みづらいとき──「それは、いったい、なぜなのか分からない」、「それは一体、何故なのか分からない」(ちなみに、漢字と仮名をまぜる手もある。「それはいったい何故なのか」、「それは一体なぜなのか」
[5] 助詞が省略されたり、感動・応答・呼びかけなどの言葉が使われたりしたとき──「」あたし、嫌よ」、「まあ、そんなとこさ」、「ああ、おどろいた」
[6] 文全体にかかる副詞の後──たとえば「多分」、「恐らく」、「事実」、「無論」、「実際」、「ただ」など
[7] 「…、と言う/驚く」や「……、というような」といった引用や説明を表す「と」の前で(後に打つ場合もある)
[8] 「しかし」、「そして」、「ただし」など接続詞の後で
 (P.59〜60)
 本多読本を別にすれば、いままで目にした読点の打ち方のなかで一番まとまっている気がする。だからこそ「正順で書けば読点は不要」って主張が余計に感じる。「正順で書けば、読点は減らせる」けど、それじゃあ読みにくい。読みやすさを考えるなら、下記の要領で「サービスの読点」を打てばいい、ってことなら大賛成だ。
 基本的にこれでいいと思う。少しだけ補足する。
[1] 長い語群の後で
 いささか乱暴では。「長い主語」も条件説も複文も、この曖昧な定義ですべてカバーする気なのだろうか。
[2] 並列関係に置かれた名詞、動詞、形容詞の切れ目に
 フツーに列記の読点ではダメですか。「巨大都市、東京」は列記ではなく同格だろう。「美しい、静かな湖」はなくてもいいかな。あるいは中止法と考えることもできる。「美しくて静かな湖」なら、読点はないほうがいい。「飲み、食い、騒ぐ」は重文の話だろう。
[3] 倒置法が使われた時
 本多読本に言わせると、「逆順の典型」。それでいいと思う。とくに目安にする意味がわからない。
[5] 助詞が省略されたり、感動・応答・呼びかけなどの言葉が使われたりしたとき
 前半は同感。後半は、例の文部省の化石以来の伝統的な用法。これって単に字面の問題では。だとすると[4]に含まれる。「ああ驚いた」「嗚呼おどろいた」なら読点は不要になる。「ああ無情」に読点を打つか否かは趣味の問題だろう。むしろないほうが多い気がする。
[6] 文全体にかかる副詞の後
 本多読本式なら、逆順だろう。当方は本書を支持する。逆順とは思えないことも多いから。できれば「時を表す言葉」この仲間に入れてほしい。とっても重要だと思う。

【引用部】
ハは文を飛び越す (P.74)
 この小見出し以下の記述が、P.53の〈[3] 「は」はそれ自体で遠くへかかっていく力をもっているので、本来は後に読点を打つ必要はない。〉の解説らしい。
 似たような話はどこかで読んだ。要旨はわからなくはないが、この解説では何がなんだか。どうやら、「ハ」が1回出てきたら、次の「ハ」が出てくるまでは効力が続くらしい。そういうこともある、ってこと。だからなんなの、とまでは書かない。
 例であげられているのは『吾輩は猫である』の冒頭部。「吾輩は猫である。名前はまだない」……「名前ハ」が出てきたから、以降の主語は「名前」なのね。そんなわけあるかーい。

 ここらへんで真面目に読む気が失せた。
 元々、「語順」と「句読点」の話しか期待してなかったけどさ。
 あとは本当にメモ。
「彼は音楽を好きだ/嫌いだ」は「本来なら誤用」(P.70) らしい。そこまで言えるのかなぁ。
「文章のひな形はラブレター」(P.102) 。報道文はどうなる。試験問題はどうなる。憲法はどうなるんだ。
「まず四季を四つの段落に配当する構成(対称)が見事である。」(P.116) 微妙な気もするが、「対照」だろう。
 P.137末のギャグ……こういうまじめくさった文体でやられても。

 で、最後に〈無用な「が」〉の話を書いておく。〈無用の「が」〉では、って話は微妙すぎるんでパスする。
「逆接のガ、」は、文章をダラダラとしたものにするので、避けたほうがいい。しかし、実際にはもっと罪深い「ガ、」がいる。
 ↑のP.23からの引用を再掲する。
【引用部】
 職業柄、私は学生のレポートによく付き合わされるが、どういうわけか、とにかく文が長い。長いというよりか、だらだらとして締まりがない。「短い文を書くように」と口を酸っぱくして言うのだが、かわりばえのしない長い文を書いてくる。私は簡単に考えていたのだが、学生たちの相も変わらぬ対応を前にしてあるときハッと思い当たった。「短く書くこと」は単に文を切るだけの問題ではない、どうやら「思考の流れ」と深く関係しているらしいということに。(P.23)  
 ちょっと注意して読めばわかる。第1文、第3文、第4文に「ガ、」が出てくる。
 第1文の「ガ、」は「曖昧のガ、」「前置きのガ、」などと呼ばれるもので、極力避けるべき。一般に「。しかし、」に書きかえられない「ガ、」は、だいたいこれだ。
 第3文、第4文の「ガ、」は「逆接のガ、」。当方も油断するとすぐにこういうことになるが、連発していると無神経な文章と批判される。
【引用部】
辛口すぎるこの人のエッセーは読者を選ぶようだが、私は大ファンである。言葉づかいがちょっぴり古風であるが──たとえば火事を付け火、証券会社を株屋、入場料を木戸銭──、ずばりと核心を突くその直言には溜飲が下がる。(P.138)
 こちらも「逆接のガ、」の連発。じっくり探すと同様の例がほかにも見つかるかもしれない。そういう粗探しの趣味はないので、やめておくけど。
 まあ、「短く書け」と力説しながら、自分ではズルズルした文を書くセンセーに比べればずっとマシだけどさ。

読書感想文/『毎日新聞・校閲グループのミスがなくなるすごい文章術』(毎日新聞・校閲グループ 岩佐義樹/ポプラ社/2017/3/25第1刷発行)〈1〉〈2〉

mixi日記2017年03月09日から

 久々の読書感想文は、発売前の本について帯と目次だけで書くという暴挙(笑)。
 FBで「赤い本のパクリだったりして」とヒドいことを書いた人がいる。
 まず当方のコメントを回収する。
===========引用開始
 うーん。
 この帯の問題は当方にはわかりません。全部ダブルミーニング?ならすごいな。

「前倒すことはやむ得ない。」
 → 「やむを得ない」と言わせたいのかな。
 それとも「前倒す」ではなく「前倒し(に)する」と言いたいのかな。

「自信なさげに例を上げる。」
 自信なさそうに?
 例を挙げる?
 後者は「間違い」ではないだろう。

「高齢な人がすごい多い。」
 →「 すごく」だって主張なんだろう。
 → 「高齢の」か「高齢な」かは難問で、「高齢な」が「間違い」と言えるか否か。

 ひと昔前なら、すぐに読もうと思っただろう。最近は食傷気味で……。
 目次を見ただけで、内容は予想できるもんで。いえその。ありふれた問題を画期的におもしろく解説しているのかもしれないけど。こういうのを読むと、際限なく悪態が出てきて、自己嫌悪に陥る。どなたか読んで感想をお願いします。
 で、なんで毎日新聞社から出さないの?
 まあ、最近はポプラ社のほうが販売力あるだろうから……。予約だけでこんなに売れているの?

 でね。赤い本のパクリなんてことはないと思うよ。
 ネタがカブるのはしかたがないけど。
 下記はちょっとアレだけど。
 (以下略)
===========引用終了

 でね。目次が下記。
===========引用開始
■本書の章立て
文字を大切にしないと、文字に報復される――序に代えて
第1章 つながりの悪い文章
第2章 たまには文法的に考えよう!
第3章 細かい決まりも通じやすさのため
第4章 文化庁「国語に関する世論調査」の慣用句にみる誤解
第5章 固有名詞の誤りはこうして防ぐ

■本書の見出し(一部)
・繰り返される「たり」のミス
・分かりにくい「テン」
・丁寧な形容詞は難しいですよ
・あえて文末を不統一にすることも
・広がる「ら抜き」と広がらない「ら抜き」
・「さ入れ言葉」を「知らなさすぎる」 
===========引用終了

 すごい、すごくに関しては下記。
【すごい すごく すごい+用言〈1〉~〈4〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3363.html

〈第4章 文化庁「国語に関する世論調査」の慣用句にみる誤解〉に関しては下記参照。
【「国語に関する世論調査」(文化庁)関連の日記】  
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2999.html

・繰り返される「たり」のミス
伝言板【板外編1】「~たり」の使い方〈1〉~〈3〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-278.html

・丁寧な形容詞は難しいですよ
【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417.html


〈2〉

mixi日記2017年04月04日から

Amazonのデータ。
https://www.amazon.co.jp/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%83%BB%E6%A0%A1%E9%96%B2%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84%E6%96%87%E7%AB%A0%E8%A1%93-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%83%BB%E6%A0%A1%E9%96%B2%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97-%E5%B2%A9%E4%BD%90%E7%BE%A9%E6%A8%B9/dp/4591154394

 かなり売れているみたい。
 読んでみようかと思ったが、知り合いがFBに書き込んでいるのを読んで気持ちが萎えた。

 まず帯の答え合わせ。
 書き込んだ人の許可をもらったので、引用させてもらう。
===========引用開始

1)
やむ得ない
P58に
---------------------------
「あり得ない表記」
---------------------------
とあります。当たり前。感想はそんだけ。

2)
自信なさげに例を上げる(ここのみなさま知ってのとおり、言及すべきとこがダブル。これは「帯」のポイントかもしらん)

P105に
---------------------------
「自信なさげ」は「自信なげ」、
「所在なさげ」は「所在なげ」が適切。
---------------------------
とあります。うーん。わたしは校正として入っても、これはアカは入れないかなー。
エンピツでさっと書くときもあるけど、スルーしちゃうほうが多し。

P154に
---------------------------
「挙げる」とは「はっきりと示す」こと。それだけでは「上」との区別が曖昧ですが「列挙」という熟語を思い浮かべれば「挙」が適切と分かるでしょう。
---------------------------
そのとおり。ノーコメント。

3)
すごい多い
P107に
---------------------------
書き言葉では今後も「すごく多い」が正規の言葉とみなされるでしょう。
---------------------------
とあります。ちょっとほっとした。 
===========引用終了

 なんだよ、3つともダブルミーニングならスゴいと考えた当方が●●みたいじゃないか。
 ↑に対する当方のコメント。
===========引用開始
 ありがとうございます。
 ガッカリするの覚悟で読もうかと思っていたけど、パスかな。
 ちなみに、下記のような話をブログのネタしたいだけど、いいよね。イヤと言わせる気はないらちい。

1)「あり得ない表記」
 ということは、「やむ得ない」ではなく、「やむえない」と書けというんでしょうね。少なくとも校正の世界で「表記」と書いたら、そういう意味では。

2)「自信なさげ」は「自信なげ」、
 「所在なさげ」は「所在なげ」が適切。
 そうなのか? 仮にゲラに「自信なげ」と出てきたら、当方は「自信なさそうに」鉛筆書きします。
「挙げる」をどうするかは、キメしだいでしょう。
「列挙」だから「例を挙げる」? 「列」と「例」を混同してるのか?
 仮に記者ハンに従うと……。 
「挙手」だから手を挙げる? 記者ハンは「上げる」と「挙げる」を使い分けています。
 表記の問題は、よほどのことがないと正誤はわからないと思うよ。
 高島俊男先生に訊いてみなよ。バカって言われるから。

3)書き言葉では今後も「すごく多い」が正規の言葉とみなされるでしょう。
 そうかもしれませんね。これもとっても微妙な問題なんだけどね。 
===========引用終了

 言葉に関する本が売れることには功罪ある。いい加減な本が売れると●●が増殖するだけ。
 本書はちゃんとした書き手が書いているはずなんだけどなぁ。

 さらにコメントがあった。
===========引用開始
でもまぁ一応、もう1回本からもう少し載せておきますか。P58小見出し
------------------------------------
あり得ない表記の「やむ得ない」「せざる負えない」
------------------------------------
だそうです。なんかだんだんわかんなくなってきた。
===========引用終了

 当方の返信。
===========引用開始
 うーん。
「表記」なのか?
 しかもわざわざ「あり得ない」と書いているのは、シャレのつもりなんだろう。真面目な話にこういうのを差し込むのはやめてほしい。話がややこしくなるだけ。(←オ・マ・エ・が・言・う・な!)
「やむ得ない」は助詞の脱落だろう。
「せざる負えない」はなんて言えばいいのか。単なる●●だろう。どういう意味?
 以前下記のような話があったのを思い出しました。
【表記の話23──良く行く 良く見る よく行く よく見る】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3352.html
 前提がわかりにくなぁ。
 あるかたが日記で、「せざる終えない」「良く見る」と書いていた。
 マイミクが「それはおかしいのでは」と書いた(当方ではありません。当方はそんなムダなことはしません)ら、延々と訳のわからないことを書きはじめた。
「せざる終えない」は、「しないと終わらない」の意味なんだとか。これはこれで意味が通る気がするのがミソ。
 でも「考えざる終えない」は「考えないと終わらない」とは解釈できないからやっぱり無理。
 素人だから(玄人でも)、間違うのはしかたがない。でも、間違いを指摘されたら考えないと。
 こういう●●がドサドサ増えています。
===========引用終了

伝言板【板外編1】「~たり」の使い方〈1〉〜〈3〉 「~たり~たり」 「~たり、~たり」

 下記の仲間。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-category-12.html

mixi日記2008年10月20日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=969581246&owner_id=5019671

 前日の日記にいただいた質問に関して、メンドーなので(←オイ)……もとい、ちゃんと書くと話が長くなるので、「赤い本」に書いたことから抜粋します。

●「~たり」の使い方

【練習問題26】
 次の文の「~たり」の使い方は適切なものか、考えてください。
  1)昨夜は、飲んだり歌って大騒ぎしました。
  2)昔は朝まで飲んだりしたものです。

「~たり」の用法は、2つに大別できます。
 第1に、動作などを並列させていることを示す1)のような使い方です。この場合は、2つ目以降の「~たり」は省略できません。動作を3つ並列させていれば、3つすべてに「たり」をつける必要があります。1)の文も、「飲んだり歌って」ではなく、「飲んだり歌ったりして」にしなければなりません。
 第2に、ひとつの動作などを示すことで、同様のことを暗示する2)のような使い方です。この場合は、「~たり」は1回しか使いませんが、言外にほかの動作を含んでいます。
 ここまでは「文章読本」などに書かれていることがあるので、ご存じのかたも多いでしょう。そういった記述を目にしたことがなくても、1)の文は言葉足らずの感じがするはずです。しかし、実際には「~たり」がひとつしかない文(「片たり」と呼ぶことにします)をしばしば目にします。あまりにも頻繁に目にするので、ごく近い将来には許容されるのではないか、と思ってしまうほどです。
「片たり」になってしまう理由は、よくわかります。たとえば、次の文を見てください。

 〈原文1〉
 子供がある程度の年齢になれば、親にいえないような秘密をもったり、親の意見に反発するのは当然のことです。

 さほどヘンではない気がしませんか。
 おそらく、1)の「歌って」に比べて〈原文1〉の「親の意見に反発する」の部分が長いために、「片たり」でもおかしくない気になるせいです。「~たり」を含む部分が極端に長くなると、前の「~たり」からずいぶん離れたところに後ろの「~たり」が唐突に出てきた感じになるので、「片たり」のほうが自然に感じられることさえあります。
 2つ目以降の「~たり」も省略しないのが日本語のルールなので、〈原文1〉は次のようにしなければなりません。

 〈書きかえ文1-1〉(「~たり」を機械的に入れた文)
 子供がある程度の年齢になれば、親にいえないような秘密をもったり、親の意見に反発したりするのは当然のことです。

「~たり」の正しい使い方どおりに書くと、「したりする」の部分がもたついた感じがして、語感が非常に悪くなります。「正しい使い方であれば語感が悪くても構わない」と考える人は、〈書きかえ文1-1〉のように機械的に「~たり」を入れればよいでしょう。
 しかし、もう少しマシな文にしたければ、次のことを考えてみてください。文によっては、もたついた感じが緩和できます。

1)「~たり」を含む部分をできるだけ短くする
 先に書いたように、「~たり」を含む部分が長いときは、ルールからはずれた「片たり」でもおかしくない気になります。逆に「~たり」を含む部分が短いときは、ルールどおりでないとリズムが悪く感じられるはずです。そのため、「~たり」を含む部分を短く書くことを心がけると、「片たり」にならずに済みます。

 〈書きかえ文1-2〉(「~たり」を含む部分を短くした文)
 子供がある程度の年齢になれば、親に対して秘密をもったり、反発したりするのは当然のことです。

2)「熟語+する」の形の動詞を前にもってくる
〈原文1〉で並列されている動詞は、「秘密をもつ」と「反発する」です。「反発する」のように「熟語+する」の形の動詞が後ろに来ていると、「したりする」「したりして」などの形になり、もたついた感じが強くなります。このような場合には、単純に動作の順番を入れかえるだけでもマシになります。

 〈書きかえ文1-3〉(「熟語+する」の形の動詞を前にもってきた文)
 子供がある程度の年齢になれば、親の意見に反発したり、親にいえないような秘密をもったりするのは当然のことです。

3)動詞を名詞にする
 並列されている動詞が両方とも「熟語+する」の形だと、2)の方法は使えません。その場合は、「熟語+する」の「する」をとって名詞にした文に書きかえる方法も考えられます。

  〈原文2〉
  人から注目されたり、尊敬されたりするために、見栄を張る人は多いようです。
  〈書きかえ文2〉(「熟語+する」の形の動詞を名詞にした文)
  人の注目や尊敬を得るために、見栄を張る人は多いようです。

4)「~たり」を含む文をできるだけ短くする
 1)で例をあげたように、「~たり」を含む部分はできるだけ短くするべきです。さらに、文全体も短くしたほうが、わかりやすくなります。

 〈原文3〉
 接続詞を無理に減らすために、2つの文を結合して一文が長くなったり、接続詞のかわりによけいな言葉を使って意味がわかりにくくなるぐらいなら、素直に接続詞を使うほうがよいでしょう。

〈原文3〉は「片たり」になっていますが、一読しただけでは、後ろの「~たり」をどこに入れたらよいのかさえわかりません。「~たり」を含む部分が長いうえに文全体が長いため、わかりにくくなっています。まず、単純に文を分割して後ろの「~たり」を加えてみましょう。

 〈書きかえ文3-1〉(「~たり」を含む文を短くした例)
 接続詞を無理に減らそうとするのはよくありません。2つの文を結合して一文が長くなったり、接続詞のかわりによけいな言葉を使ったりして、意味がわかりにくくなることがあるからです。そんなことになるぐらいなら、素直に接続詞を使うほうがよいでしょう。

「~たり」を含む文を短くすることを徹底するなら、次のようになります。
 
 〈書きかえ文3-2〉(「~たり」を含む文をさらに短くした例)
 接続詞を無理に減らそうとすると、意味がわかりにくくなることがあります。2つの文を結合して一文が長くなったり、接続詞のかわりによけいな言葉を使ったりするからです。そんなことになるぐらいなら、素直に接続詞を使うほうがよいでしょう。

〈書きかえ文3-1〉と〈書きかえ文3-2〉のどちらにするのかは趣味の問題でしょう。どちらにしても、〈原文3〉よりはマシですが、「~たり」を含む部分が長いという問題が残っています。この場合の「~たり」を含む部分は、現状でもやや言葉足らずの印象になっているので、これ以上短くするのはむずかしそうです。こういう場合は、別の書きかえ方も考えます。

5)「~たり」を使わない形に書きかえる
「~たり」を含む部分が長いときは、いっそ「~たり」を使わない形に書きかえたほうがすっきりすることも多いようです。

 〈書きかえ文3-3〉(「~たり」を使わない形に書きかえた例)
 接続詞を無理に減らそうとするのは、文の意味がわかりにくくなる原因のひとつです。まず、接続詞を減らすためには文を結合することが多いので、必然的に一文が長くなってしまいます。さらに、接続詞のかわりによけいな言葉を使ってしまうこともあります。そんなことになるぐらいなら、素直に接続詞を使うほうがよいでしょう。

「~たり」を含む部分がとくに長くはないのにもたついた感じになっている文も、「~たり」を使わない形に書きかえたほうがよい場合があります。

 〈原文4〉
 接続詞が多用されている文章は、同じ接続詞を繰り返していたり、必要のない接続詞が使われていたりすることが多いようです。
〈書きかえ文4-1〉(「~たり」を使わない形に書きかえた例)
 接続詞が多用されている文章は、同じ接続詞を繰り返していることや、必要のない接続詞が使われていることが多いようです。




伝言板【板外編1】「~たり」の使い方〈2〉


mixi日記2014年09月26日から

 テーマサイトは下記。
【「たり」という言葉について。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10136024295/a340601503

 うなってしまった。
 最近、mixiのトピでのやり取りはほとんどがしょうもないものになっているし(詳細はあらためて)、他の質問板も妙な感じになっている例が目立つ(当方にも責任の一端はあるかも)。ホンマにそろそろそのテのものから離れようかと考えているときに、おもしろいものに当たってしまった。
 質問と、当方のコメントの全文をひく。
==============引用開始
「たり」という言葉について。

①例を並べあげる
②一例をあげ、他を暗示する。
③例示を装って、刺激の強いことがらを受け止めやすく言う言い方。

③についてが、よくわかりません。
どういう意味でしょうか?

③の例として、「おこったりして、すみません。」とあります。

つまり、言い方をやわらかくするっていうことでしょうか?
==============引用終了
【tobiクンのコメント】===引用開始
「たり」という言葉について。

1)例を並べあげる
2)一例をあげ、他を暗示する。
3)例示を装って、刺激の強いことがらを受け止めやすく言う言い方。
※丸つき数字はバケる可能性があるので、書きかえました。

↑これは辞書とかにのっていた説明でしょうか。貴重な記述なので、できれば原典を教えてください。
通常は1)と2)しか見ないもので、3)に驚きました。
たしかに「おこったりして、すみません」は3)ですね。「言い方をやわらかくする」効果がありそうです。
ただ、この3)と2)の違いは微妙かもしれません。

念のためWeb辞書をひきます。
http://dictionary.nifty.com/word/%E3%81%9F%E3%82%8A?dic=daijirin

『大辞泉』の2)の意味の例文として下記があげられています。
「車にひかれたりしたらたいへんだ」
これは3)の意味にもとれる気がします。
微妙なので区別しなかったのか、3)の意味に気がつかなかったのか……。
類似の例文は想起できます。3)とは不妙に違う気がします……。
「(そんな派手な恰好をして)変質者にあったりしたらどうするの」
「(こんな時間に外出して)危ない目にあったりしても知らないよ」


「~たり」の使い方に関しては、以前書いた知恵ノートが参考になると思います。
近く3)に関して加筆します。勉強になりました。ありがとうございます。
【45定番の質問 「~たり」の使い方】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n148591

他の並列助詞に関しても、最近ルールが揺れている気がします。このコメントの冒頭で使った「辞書とか」も、「文法書」「参考書」などを含めた用法なのですが、やはり少し不自然ですね。
==============引用終了

「たり」の用法に関して「赤い本」に書いてから早ウン年。追記の必要性はほとんど感じなかった。頭がかたくなり、物事を考える……ヤカマシ!
 こういうのはきわめて珍しい。まあ、そこそこよく書けている、のかもしれない……と考えることにしていた(超弱気)。
 
「たり」の主な用法に関しては、従来のままでいいだろう。↑の1)と2)。これの説明に関しても、「赤い本」のままでさほどおかしくない。
 問題は3)。「例示を装って」……厳密に考えるとその後が何種類かある気がする。
a「たり」の前の動詞を否定的に語る
例 怒ったりして、済まなかった
「怒る」以外に「叱る」「罵る」「殴る」「蹴る」といろいろやっていたなら、典型的な2)になる。
b「たり」の前の動詞をギャグにする
例 ……と言ったりしてね
 ひと昔前の「なーんちゃんて」の類い。……と繰り返したり、△△と囁いたりを想定するなら、2)に近づく。
c極端な例を出して注意を促す
例 車にひかれたりしたらたいへんだ
 これが微妙なのかもしれない。「車にひかれる」ほかにいろいろな事故を想定するなら、2)に近づく。
「車に轢かれたり、馬車に轢かれたり、戦車に轢かれたりしたらたぶんケガをする」

 a~cを簡潔にまとめる言い方はないのだろうか。「刺激の強いことがらを受け止めやすく言う言い方」では説明しきれていないような……。

30分




伝言板【板外編1】「~たり」の使い方〈3〉


mixi日記2014年10月15日から

 FBにコメントをもらい、可愛く小首を傾げてしまった。
 初心に返って、辞書をひくところから始めたい。
 いただいたコメントにあったのは『三省堂国語辞典 第七版(サンコク7)』(ヒーロー戦隊みたいでカッコいい、以後カッコいいほうで呼ぶ(笑)。さらにWeb辞書をひいて、この段階で目眩を感じて挫折しそうになる。
 コメントと辞書の引用の全文は末尾に。
 以下、〈1〉〈2〉の書き方に準じて書く。「~たり」の使い方は2つに大別できる。
1)動作などを並列させていることを示す
2)ひとつの動作などを示すことで、同様のことを暗示する
 このほかに〈3)よくわからない用法〉があるってこと。

 ここまではよしとしたい。ただ、辞書を見比べると、1)や2)の品詞が微妙に違う。
 1)に関して。
『サンコク7』『大辞泉』……接助
『大辞林』…… 並立助

 2)に関して。
『サンコク7』……副助① ※だと思う
『大辞林』…… 並立助②(副助詞的用法)
『大辞泉』……接助2(副助詞的に用いられ) ※だと思う

 どれが正解なんでしょ(泣)。当方としては、何助詞でも構わない。腐女子はちょっとイヤだけど。
 1)は並列助詞(並立助詞とほぼ同義だと思う)と考えていた。そのほうがほかのケースを考えるときにわかりやすいから。
1181)【バイト敬語/若者言葉──「~とか」の話】〈2〉──並列助詞の迷宮
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3027.html

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927524020&owner_id=5019671
 おおざっぱに書くと、2)は1)の一方を省略したものと考えれば「並列助詞」。そう考えないのなら「副助詞」なんだろう。『サンコク7』の書き方だと、どれになるのかイマイチわからない。この際どちらでもいいことにする。

『大辞林』と『大辞泉』にある「終助詞的用法」(ただし、『大辞林』は並立助詞にしていて、『大辞泉』は接続助詞にしている)は、当方の語感にはないので無視する。

 問題は3)の用法。
 いろいろ分類を試み〝たり〟したけど、スッキリしない。
 分厚い文法辞典をひけば、さらに亜種が出て来る気がする。こういうのは「~など、いろいろな用法がある」とでもしておかないと収拾がつかなくなる。
 という感じで逃げ〝たり〟する。(←オイ!)



 いただいたコメントを引用する。FBのコメントって、単独のリンクは張れないのかね。
==============引用開始
ほほー、タリ問題おもしろいですね。ちなみに三省堂国語辞典 第七版(サンコク7)では以下のとおり。
>>
【たり】三省堂国語辞典 第七版
[二](接助)ならべて のべるときに使う。「煮(ニ)―焼い―して食べる」
[三](副助)①例として あげることをあらわす。「テレビを見―して過ごす」
②そういう場合があることをあらわす。「週末は道路が こんでい―する」
③そういうことは いけない、という気持ちをあらわす。「なぜ うそをつい―したの?」
④〔話〕えんりょがちに言う気持ちをあらわす。「きょう、ひまだっ―します?・わたし、じつは成績がよかっ―するんです」
<<

「たりして」は連語扱いになってますね。
>>
3. 〔話〕…というのはじょうだんだ、という気持ちをあらわす。
「このまま そっと帰っちゃったりして」
<<
9月27日 22:05
==============引用終了

 今度はWeb辞書をひく。
http://dictionary.nifty.com/word/%E3%81%9F%E3%82%8A?dic=daijirin
==============引用開始
大辞林 第三版の解説

たり
( 並立助 )
〔完了の助動詞「たり」の終止形「たり」から。中世末期以降の語〕
活用語の連用形に接続する。ガ・ナ・バ・マ行五(四)段活用の動詞に付く場合には「だり」となる。
①並行する,あるいは継起する同類の動作や状態を並べあげるのに用いる。普通,「…たり…たり」のように,「たり」を二つ重ねて用いる(時に,末尾の「たり」のあとに「など」を添えていうこともある)。 「人が出-入っ-している」 「本を読ん-((だり))手紙を書い-するひまもない」 「大きかっ-小さかっ-などして,なかなかからだに合うのがない」
②(副助詞的用法)一つの動作や状態を例としてあげ,他に同類の事柄がなおあることを暗示する。 「あの子は,親にたてつい-して,ほんとうに困ったものだ」 「わたしが人をだまし-などするものですか」
③(終助詞的用法)同じ動作を「…たり…たり」と繰り返してあげ,命令や勧誘の意を表す。 「さあ,早く起き-起き-」 「そこに居てはじゃまだ。どい-どい-」
==============引用終了
デジタル大辞泉の解説

たり【たり】

[接助]《文語の完了の助動詞「たり」から》用言、一部の助動詞の連用形に付く。ガ・ナ・バ・マ行の五段活用動詞に付く場合は「だり」となる。

ア 動作や状態を並列して述べる。「泣い―笑っ―する」「とんだり跳ね―する」
イ 反対の意味の語を二つ並べて、その動作・状態が交互に行われることを表す。「暑かっ―寒かっ―の異常な陽気」「足を上げ―下げ―する運動」
2 (副助詞的に用いられ)同種の事柄の中からある動作・状態を例示して、他の場合を類推させる意を表す。「車にひかれ―したらたいへんだ」
3 (終助詞的に用いられ)軽い命令の意を表す。「早く行っ―、行っ―」
◆「たり」は中世以降、文語的な「…ぬ…ぬ」に対し口語として動詞の連用形だけに付く形で用いられた。1は、並立助詞として扱われる場合もあるが、近世後期からはあとのほうを省略して「…たり…」の形をとる場合もみられる。
==============引用終了

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年06月26日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854886710&owner_id=5019671

 直接的には下記の続きだろうな。
伝言板【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671

「うれしいです」「悔しいです」などの〈「形容詞終止形」+「です」〉に関して、当方は「厳密には誤用」と考えている(「うれしかったです」「悔しかったです」なども同様)。ただ、「その根拠を示せ」と言われると、ちと困ってしまう。↑の【板外編7】の本多読本の記述でお茶を濁しているが、最近の資料は示しようがない。最近の文法書や辞書は〈「形容詞終止形」+「です」〉を許容しているからだ。
 なぜそんなことになったのかは、「文化庁の陰謀」じゃなくて「方針」のせいとしか言いようがない。

■Wikipediaから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C
================================引用開始
形容詞・動詞+です
丁寧な断定の助動詞「です」が形容詞や動詞に接続することが誤った用法とされることがある。このうち「おもしろいです」のように形容詞に接続したものについては、1952年の国語審議会『これからの敬語』により「合法化」された。動詞に接続したものについては『これからの敬語』でも合法化されず、「です」の接続はおかしいという感覚をもつ者が多い[4]が、井上史雄は、将来的には動詞も含めて全てに「です」が付くようになるだろうと予測している。

4. 井上史雄『敬語はこわくない 最新用例と基礎知識』講談社現代新書、1999年、108頁。
================================引用終了


 昭和27年の『これからの敬語』の記述。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kakuki/01/tosin06/04.html
================引用開始
7 形容詞と「です」

 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。
================引用終了


 平成19年の『敬語の指針』P.28の記述。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf
================引用開始
4 丁寧語
「です」「ます」を付ける上で留意を要する点は特にない。(「高いです。」のように 形容詞に「です」を付けることについては抵抗を感じる人もあろうが,既にかなりの 人が許容するようになってきている。特に「高いですね。」「高いですよ。」「高いです か。」などという形で使うことに抵抗を感じる人はほとんどいないであろう。)
================引用終了


 1952年の「これからの敬語」が発表された直後から〈学校文法でも「形容詞+です」を正しい形として認めている〉か否かは、当方にはわからない。古い文献にあたればわかるかもしれないが。
 本多読本の単行本が発行されたのは1982年。この段階で本多勝一は〈中学生の文法書などに明示されている〉と断定している。いくら断定が好きな著者でも、ウソは書かないはず。少なくとも当時の「中学生の文法書など」では、まだ〈「形容詞終止形」+「です」〉は誤用とされていたのだろう。
 その後、文法書や辞書では許容が進み、近年では堂々と正用のように扱われている。中学生向けの文法書はそれでもいいかもしれないが、辞書類は、「本来は……」とか「元々は……」とか注をつけるべきだと思う。
 しかし、〈「形容詞終止形」+「です」〉に異和感をもつ人は多い。とくに年配の人や語感の鋭い人は抵抗があるようだ。当方は若い頃から本能的に「誤用」と感じていた(思えば、若い頃はそこそこ語感が働いた)。10年ほど前からは、「厳密には誤用」と書きつづけてきたので、いまさらこんなものが許せるわけがない。
 だが、もはや「誤用」と主張する気は失せた。最近は無神経な文章か否かを見分ける目安にしている観がある。ヒトサマが使っているのにメクジラを立てる気はないが、自分で使う気は毛頭ない。
 このあたりは、非常に乱暴な物言いであることを承知で書くと、「ラ抜き言葉」に対する感覚に近いかもしれない。
 ある意味、感覚が若くなっているのかもしれない。(←うれしくないです!)
 割に親しい年長者に対する若い女性の発言として「ありませんよ」と「ないですよ」のどちらが自然か、かなり真剣に悩んだりもした。
 いっそ完全に許容したほうがラクになれるのかも……と思わなくはない(泣)。


「か」「ね」「よ」と併用すると異和感が緩和されるのは、下記のコメント欄と多少は関係があるのか?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1853506079&owner_id=5019671
================================引用開始
【追記】で『敬語再入門』のリストから引用しました。
 これを見るに、「(……のために)お入れする」を×にする理由はわかりません。やはり「慣習」なのでしょう。
「(……のために)お入れする」にほんの少し異和感があって、「(……のために)お入れしましょうか」ならほとんど異和感がない理由もお手上げです。
 まったく違う話ですが、当方は「形容詞終止形+デス」の話を想起しました。
【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671

危ないですX    お入れしますX
危ないでしょう○  お入れしましょう○  
危ないですか△   お入れしますか△
危ないですね△   お入れしますね△
危ないですよ△   お入れしますよ△

「危ないでしょう」と「お入れしましょう」は厳密に言うと形が違いますが、可否の感じがどこか似ている気がします。
================================引用終了


 下記のサイトが詳しいかも。
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/view.rbz?nd=1750&ik=1&pnp=101&pnp=113&pnp=566&pnp=1750&cd=17
  ↓
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/kokugo/document/ducu3/17.html
================================引用開始
Q07 「美しいです」「大きいです」は正しい言い方か

形容詞に断定の助動詞の丁寧体「です」を接続させる言い方は,昭和27年4月14日に国語審議会で建議された「これからの敬語」以降,今日では,もはや誤用とはいえないのが実情であり,教科書のうえでも認められている。「これからの敬語」の中に,「形容詞と『です』」という項目があって,これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方・・・たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。とあり,「これまで久しく問題となっていた」というのは,次のような事実経過をふまえている。

それまでの文法書や国定教科書『中等文法』などでは,「です」は体言と助詞「の」にのみ接続し,動詞・形容詞にはつかないと説明していた。(ただし,「です」の未然形に推量の助動詞「う」のついて「でしょう」の場合は例外とされ,「美しいでしょう」「大きいでしょう」は認められていた。)

つまり,形容詞を丁寧体にするには,「美しゅうございます」と,「ございます」を下につける言い方しか認められていなかったのである。ところが,この言い方は,丁寧すぎる,冗長すぎるとして,だんだん一般の人の意識にそぐわなくなり,「美しいです」「大きいです」のような言い方が,「花です」「親切です」(学校文法では,「親切です」は形容動詞の丁寧体としている。)などに対応するものとして,実社会で用いられるようになってきた。

「これからの敬語」が,できるだけ「平明・簡素」な敬語にしようという基本的方針に基づき,「これからの対話の基調は『です・ます』体としたい。」と定めた。

そこで,名詞の場合の「いい天気だ。(常体)・・・いい天気です。(丁寧体)」,動詞の場合の「よく降るね。(常体)・・・よく降りますね。(丁寧体)」と同じく,形容詞の場合も,「美しいね。(常体)」に対応する丁寧体「美しいですね。」という言い方を,従来の文法書では正しくないとされていたにもかかわらず,積極的に認めていこうという見解を示したわけである。

なお,形容詞を過去の言い方に用いる場合は,「美しいでした」「大きいでした」「ないでした」というより,「美しかったです」「大きかったです」「なかったです」「有りませんでした」というほうが一般的である。
================================引用終了



 Web辞書『大辞林』の記述です。
 これはすばらしい〝です〟。
 以前ひいたときには、こんな記述はなかったような……。
 ついでに書いておくと、終助詞の「か」がつく形もアリでしょう。

http://dictionary.nifty.com/word/%E3%81%A7%E3%81%99?dic=daijirin
  ↓
http://kotobank.jp/word/%E3%81%A7%E3%81%99?dic=daijisen&oid=12697100
================引用開始
(3) 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが,多少ぎこちなさも感じられる。一方,それに終助詞を伴う「楽しいですね」「おもしろいですよ」などは普通に用いられる〕
================引用終了

 関連日記は下記あたり。
【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1(No.277)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671
【板外編7-2】デス・マス体が書きにくいワケ2(No.327)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-327.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1129808325&owner_id=5019671
【板外編7-3】デス・マス体が書きにくいワケ3(No.350)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-350.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1156101470&owner_id=5019671
【デス・マス体が書きにくいワケ4──デス・マス体のナゾを考えるヒント】(No.1424)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1424.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1539218404&owner_id=5019671

698)【「形容詞+です」──何回目だろう】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2312.html

832)【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417.html

「これからの敬語」と「敬語の指針」の両方に触れているサイトは数少ない。下記はけっこう貴重なコメントかもしれない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324950238

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