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世に誤用の種は尽きまじ 総集編〈1〉〜〈3〉

 ちと事情があって、古い日記をまとめる。
 いただいたコメントもかなり興味深い。この頃はmixiも活気があったなぁ。…(  = =) トオイメ

【世に誤用の種は尽きまじ〈1〉】
mixi日記2008年08月09日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=896040364&owner_id=5019671&org_id=897188119

あなたの日本語間違ってますよ!
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=571857&media_id=10

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●「憮然」「檄を飛ばす」…

 先日、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」を見て「へえ~っ」と思った人も多いだろう。「憮然」の意味は「腹を立てている様子」ではなく、正解は「失望してぼんやりしていること」。「檄を飛ばす」は「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」と思いがちだが、実は「自分の意見や考えを広く人々に知らせて同意を求めること」の意味だ。調査ではどちらも7割以上の人が間違って理解していた。

 こうした紛らわしい言葉はほかにもある。

●おっとり刀…のんびりしている様子をイメージしてしまうが、正解は急な用事などで取るものも取りあえずかけつけるさまをいう。刀を腰に差す余裕もなく手に持っている姿からきた言葉だ。

●辛気臭い…陰気な雰囲気の相手に「なんやその辛気臭い顔は!」などと言ってしまいそうだが、実は思い通りにならず、気分が晴れないさまの意味。

●したり顔…知ったかぶりしている表情ではない。「したり」は物事が成功したときなどに発する言葉。したり顔は得意そうな顔つきのことをいう。

●臍(ほぞ)を噛む…どうしようもないほど悔しい思いをするようなときに使ってしまいがちだが、本当は後悔するという意味。

●慇懃(いんぎん)…「慇懃無礼」という言葉があるから、相手を見下したような態度だと思ってしまうが、慇懃はへりくだって丁寧なさまや礼儀正しいことをいう。ちなみに「慇懃を重ねる」は親しく交際するの意味。

●広言…「あちこちで広言するな」などと言いふらすことのように使ってしまうが、本来の意味は調子よく大きなことを言うこと。

●業腹…「あいつは業腹な性格だ」など人の性格だと勘違いしがちだが、実は非常にしゃくにさわること。「こちらから謝るのは業腹だ」と使う。

 賢くなった――?

(日刊ゲンダイ2008年8月5日掲載)15489
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 本文にはないけど、mixiニュースの見出しは「間違いがちな言葉 本当の意味」になっている。あのー。これって「間違えがち」ですよね……と細かいツッコミを入れてみる。このテの文章で間違いがあると相当恥ずかしい……と自分の首を絞めてみる(泣)。
 これは日刊ゲンダイの責任ではなく、mixiの責任か? ついでに書くと「本当の意味」もちょっと異和感がある。フツーは「正しい意味」だろう。
 先日の文化庁の発表に関しては7月25日の日記に書いた。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=881031344&owner_id=5019671

「おっとり刀」は有名。と手元の『広辞林』を索いて青ざめる。漢字で書くと「追っ取り刀」だとばかり思っていた。たしか、誤用関係の本にそう書いてあった。世の中には恥知らずが多いようだ。正解は「押っ取り刀」。ちなみに「押っ取る」という言葉もあり、「急に手に取る」という意味。なるほどそれはわかりやすい。
 ところで、「取るものも取りあえず」って、たまに目にするけど、よく考えると訳のわかんない言い回しだな。「かけつけるさまをいう」は余計なことを書きすぎ。もしそうだとすると、「おっとり刀で駆けつける」はビキビキの重言になる。「(急な用事などで取るものも取りあえず)何かをするさまをいう」くらいが無難。
 ウーム。「辛気くさい」は誤解していた気がする。ただ、この正用と誤用の差はかなり微妙だろう。
「広言」なんて言葉は見たことも聞いたこともないorz。似たような意味の「公言」ならよく見る。こちらは、「人前で隠しだてすることなく堂々と言うこと」。『広辞林』には、「一般に通じる言葉」という意味も出ている。公用語ってことですかい。

 こうして細かく見ていくと、この記事は相当ヘンだ。


【世に誤用の種は尽きまじ〈2〉】
mixi日記2008年08月10日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897188119&owner_id=5019671&org_id=896040364

 8日の夜、暦の上では9日の朝、バカなことをしでかしてしまった。
「世に誤用の種は尽きまじ」のタイトルで日記を書き、ニュースから検索できる形にした。アップした直後からそこそこ足跡がつく。
 ふと思い立って、同じニュースから検索できる日記がどんな内容なのかチェックしてみた。いちいち確認したわけではないが、書き手が若いのが意外だった。最年少は18歳(mixiの規則上、これ以下はない。正確には「未満」だろうが、なぜか「以下」のほうがシックリ来る。あるいは一番いいのは「これより下」なのかな)。ほとんどが20代だった。
 若い世代が言葉に興味をもっていることを喜ぶべきだろうか。まあ、フツーに考えれば、年寄りはニュースに絡めて日記なんて書かないか。ってことはtobirisuは20代の感覚? ほんの少しだけ若返ったー(←いい加減にしろ)。
 ザッと読んだところ、3つに大別できる。

1)意味不明派
 ただ足跡が欲しいんだろうな。記事をそのまんま引用して終わりなんて人もいる(マイミクに紹介したかったのかな。それなら数行程度はコメント入れるでしょうに)。もっと極端になると、全然違う内容の日記を書いている。
2)無知お手上げ派
 ニュース内容を見て、「知らなかった」と落ち込んでいる。あんなのフツーの人は知らないよ。
3)無知開き直り派
 7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない、と嘯いている。一理なくはないんだけど、誤用は誤用。 
 思うところがあって、そういう書き方をしている日記に片っ端から乱入する。

【乱入コメント】=============================
 突然の乱入失礼します。
 どんなに使用者が増えても、
 誤用は誤用です。
=====================================
 
 ウワー。好青年で知られるtobirisuとは思えない感じの悪さ。
 まともに反応したかたがいた。
「たしかに言葉の問題をまじめに考えられているかたには不愉快な書き方でした。申し訳ございません」
 いや、その。そんなに真っ向から反省しなくてもいいのよ。これも定型文なのか?
 なかにはゴチャゴチャ反論してくるかたもいた。
 さらに感じ悪くダメを押す。

【ダメ押しコメント】===========================
 少し挑発的に書きます。
 いろいろな研究をした学者がそう言うなら「そうでしょうね」と聞く気にもなります。
 当方の数少ない経験をもとにして書かせていただくと、若い人で「言葉がかわっていくのは当たり前」と言う人は、ほとんどが「無知の開き直り」です。
「それは誤用だ」と言われても、「だってそう言うしー」のレベルです。たとえば当方がリンクを張った
 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=881031344&owner_id=5019671

 を全部読んでも、同じことを言えますか。
 あるいは、下記のサイトを見ても、同じことが言えますか。

http://www.shos.info/doc/misuse.html

 口うるさいオヤジと思われても構いません。
 でも、それが言葉なんです。
 上記の2つのリンクに目を通してからなら、どんな暴言でも聞きます。
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 そのうちメンドくさくなって、いきなり「乱入&ダメ押し」をするようになった。いろいろおもしろい意見が聞けた。ただ、こういうことに興味を持つ割には日本語があやしい人が多い(しかたないか)。あまりにも日本語がおかしくて何を書いているのかわからない箇所を指摘したら、逆ギレした人がいた。

【無知の開き直りの例】==========================
>>tobirisu
んじゃーそれでいいやーw

だな
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 こんなかたに、まじめにコメントを入れたtobirisuがバカでした。

 で、本題に戻ろう。
 7割以上が誤用していたら、それはもはや誤用ではないのか?
 考え方しだいだろう。多数派なんだからOKと胸を張れる人はどうぞ。勝手に恥をサラしなさい。
 逆に考えれば、3割弱の人に「この人日本語が不自由?」と思われるんだよ。当方はそんなのは絶対にイヤだ。まして、目上の人とか知性の高い人は3割弱の側の可能性が高いのよ。ぜえったいにイヤだ。少なくとも、言葉にかかわる仕事をしている身としては、それは屈辱的すぎる。何より、そんなバカなことをしていたら、仕事にならん。
 マトモな文章を書くことに縁のないバカガキが勝手にそう思っているのなら、「どうぞご自由に」としか言いようがない。でも、ムヤミにそういうことを主張しないでほしい。
 結局のところ、いつも書いているとおり、「使える言葉がどんどん減っていく」ってことになる。アタシャそれが情けない。
 昔、後輩が恥をかいた話を聞いたことがある。お偉いさんに仕事の進捗状況を訊かれ、「完全に煮詰まってます。アドバイスをいただけませんか?」と言ってしまったそうだ。
「オマエはオレをなめてんのかー!」と一喝され、延々と説教されたらしい。
 誤用ひとつにメクジラを立てるのもどうかと思うが、このお偉いさんはそういうキャラだからしかたがない。「煮詰まる」と「行き詰まる」を間違えると、こういうことが起こりかねない。
 実社会で使っちゃいそうで、使っちゃうと相手が逆上しかねない誤用って、ほかにもいろいろある。
「ご苦労様でした」
「役不足」
「枯れ木も山の賑わい」
 そういうのは知っておかないとダメだろ。

 言葉はかわっていくもの。そんなことはみんな知っている。別にどんな言葉も本来の意味で使うべきだなんて主張する気はない。もともとは誤用だがとっくに定着していると思われるものはフツーに使う。「とても」がアータラとか「全然」がコータラなんて話は聞き飽きた。これは前にも書いた。

「とても」は肯定・否定両方使う。
「全然」は否定にしか使わない。
「まったく」は原則として否定にしか使わない。「まったくそのとおり」とかならアリだろう。
「確信犯」は、誤用と言われるとムカツクので原則的に「確信犯的」の形で使う。
 ただ、過渡期にある言葉を、何も知らず誤用の意味で使うのはバカみたいだからやめたほうがいいってこと。

 似たような話で、以前日記に書いたことがある。あれは公開制限があるので転載する。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=859173054&owner_id=5019671

【トピ主のコメント】===========================
さっき ニュースで 野口みずき選手が 「これを言うと 勝てるってジンクスがある」とか言って 中国語で何か叫んでました

ジンクスって 普通に日本語に使われてますが 英語の意味は 悪いことが起きる、不運をもたらすって意味なんですよね~

ひと昔前までは 本来の意味で使われていたのに 今は反対の意味で 普通に使われてますね
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【「3」のコメント】===========================
そんなに難く考えることはないのではないでしょうか?
私は個人的には乱れとは感じませんが・・・

時代と共に言葉が変わるのは当たり前のことだと思います。特に今回は一般的にもジンクス≒おまじないというイメージが強くなって「今まさに言葉の意味が変わっていく環境に立ち会っている」と考えるとちょっと気持ちが和みませんか?
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 この「3」のコメントにカチンと来た。tobirisuの書き方は傲慢丸出しなので読み流してほしい。

【「3」のコメントに対するtobirisuの感想】=================
 これがネットコミュニケーションの怖いとこです。同じことでも、書き手のプロフィールによってニュアンスが大きくかわる。
 アンタ何歳なのよ。プロフィールを詐称してなければ、この人は21歳の大学生。中年のオヤジがこういうふうに語るなら聞き流してもいい。でもオマエが言うな。
 細かく書くよ。まず「難く」ってなんて読むのよ。常用漢字表なら「カタく」。ちょっと無理するなら「ニクく」。まさかと思うけど「ムズカシく」なのか? どうやったらそんな変換するのよ。と書いてやっと誤解に気づく。そんなに堅苦しく考えるなってことなのね。そんな無礼なことをよく書いたもんだ(無礼になるという感覚がないのね、可哀想に)。漢字で書くと「堅く」かな? 

>時代と共に言葉が変わるのは当たり前のこと

 口のきき方に気をつけろよ。んなことはみんなわかってるの。それはオマエが口にするのは、単に無知の開き直りでしかない。黙って先輩の話を拝聴しなさい。反論するならせめて辞書くらい索けよ。
「本来はそういう意味だということは知っていますが、私のまわりではどちらの意味でも使っています」くらいなら聞いてやってもいい。それなら事実の報告だからね。無知に基づく意見を垂れ流すのはやめようね。

>特に今回は一般的にもジンクス≒おまじないというイメージが強くなって

 もう少し日本語の勉強してから出直しておいで。

>と考えるとちょっと気持ちが和みませんか?

 なごむわけないだろ。小娘にそんな口を叩かれて納得する大人はいないよ。
 こちとら「環境に立ち会っている」気はないけど、「過渡期に直面して」戸惑って、苛立って、ムカツいてるよ。
 別に「若造が偉そうに書くな」と決めつける気はない。若くたって高い見識をもっている人はいる。ちゃんとした意見なら聞くよ。自分の無知を公言するような書き方は控えなさい、と老婆心ながら忠告しているだけだよ。
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 要約しよう。「まとまな日本語も書けないヤツが偉そうに開き直るな。単なる無知にしか見えんぞ」

 そもそも8日の夜に当方がこんなバカなことをしでかしたのは、日本語の問題を話せる知り合いを増やしたかったから。
 年齢や知識量はさほど関係ない。あんまりにも無知だと疲れるけどさ。
 要は、日本語に対する態度が常識的であること。自分の間違いや無知は素直に認められること(ネット上だと、これができないヤツがけっこう多い。そういう人って普段は間違いを指摘されたらどうしてんだろう)。その上で、知識量が豊富なら申し分ない。
 少しばかり知識があっても性格が歪んでいるのは論外……オ、オレのことか?
 σ(^_^;)アセアセ...


【追記】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 誤用の話に興味がある人は、下記の日記は読んでおいて損はないと思う。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=746503742&owner_id=5019671


【追記2】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「とても」「全然」「まったく」について再確認しておく。

「とても」は歴史的に見れば、昔は否定にしか使わなかった。芥川龍之介がそんなことを書いて物議を醸した記憶がある。
【芥川龍之介の「とても」】
http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/kuzan/20070616/p1
 現在の出版・編集の現場では肯定でも否定でも○。

「全然」は歴史的見れば諸説ある。どうやら、昔は肯定でも否定でも使ったらしい。
 現在の出版・編集の現場では否定にしか使わない。なかには許容する人もいるかもしれないが、個人的には×。

「まったく」は原則として否定にしか使わない。ただし、「まったくそのとおり」のように異和感のない場合もある。

「赤い本」には以下のように書いた。
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【練習問題18】
 次の文のなかでヘンなのはどれで、なぜヘンなのか理由を考えてください。
  1)この料理は全然おいしい。
  2)この料理はとてもおいしい。
  3)この料理はまったくおいしい。

 副詞のなかには、後ろに決まった表現が来るものがあります。たとえば、「けっして」という副詞を使った場合、後ろに来るのは「~ない」などの否定形で、肯定形が来ることはありません。同様に、「全然」の後ろも否定形が来るのが一般的です。1)のように「全然」が使われているのに後ろが「おいしい」という肯定形では、「係り結ばず」になってしまいます。
 近年、話し言葉の中で使われる「全然+肯定形」が「言葉の乱れ」として取りざたされていることは、ご存じのかたも多いでしょう。将来的にはわかりませんが、現段階では、まだヘンな形と考えられます。「現段階では」と書いたのは、「〇〇+否定形」のルールはくずれていくことが多い気がするからです。
「とても」もかつては後ろに否定形を伴う言葉でした。しかし現在では、2)のように「この料理はとてもおいしい。」といっても問題はありません。
「まったく」は、微妙な段階にあるようです。3)の「この料理はまったくおいしい。」や「まったくタメになる。」はヘンなのに、「まったくそのとおりです。」という使い方なら問題は感じられません。「まったく」は、基本的には後ろに否定形が来るようですが、肯定形が来てもヘンではない場合もあるということです。
 このように考えると、「まったく+肯定形」は近々ふつうの表現になり、やがては「全然+肯定形」もヘンではなくなる可能性があると思います。
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【世に誤用の種は尽きまじ〈3〉】
mixi日記2015年10月27日から

「つぶやき」にもらったコメントを読んで、いろいろ考えてしまった。
 mixiの「つぶやき」ってあとから確認するのがけっこうたいへんなの。直リンク(ハイパーリンク?)を張るのが手間だし、あまり前だと探せない(泣)。うまい方法はありませんか?
 いまのうちにバックアップをとっておく。
http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/voice/5019671/20151027113225

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ブログを更新しました。 『「性癖」という言葉の意味の変化』 ⇒ http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12088817884.html

@kuroracco

2015年10月27日 11:32

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燃える闘魂
2015年10月27日 14:01
> 「意味が通じるから誤用ではない」「使用例が多いほうが正用」などのムチャクチャな話が出てきます。     まったくで、じゃあ「みんながやれば殺人もオッケーね!」と言いたくなります。

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tobirisu
2015年10月27日 14:35
> 燃える闘魂さん 「意味が通じるから誤用ではない」……あちこちのコミュでそんなふうに書いている人がたくさんいます。そのテの極論はパスしたい。問題は「正用だけど通じにくくなる」ことです(泣)。

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燃える闘魂
2015年10月27日 15:37
> tobirisuさん     「極論」なんていう、それなりに意味はあるが極端であるという、そんな過剰な褒め言葉を充てたくありません。こんなの、「ライオンは犬だから植物だ」と同じレベルだと思います。  

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燃える闘魂
2015年10月27日 15:38
「正用だけど通じにくくなる」の悩みはたしかにあり、「○○が、おっと、これはよく△△って言われるけどそれは間違いね。ええと、それでその○○が」としないと、「間違ったと思われてしまう」という、あれですね。

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 で、更新したブログの内容は下記。

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「性癖」という言葉の意味の変化
2015-10-27 11:32:07NEW !
テーマ:2013教えて! gooに書いたこと
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8121419.html
 質問の内容。
==============引用開始
61歳の「男子」です。

このサイトでもよく見かけるのですが、
最近「性癖」という言葉が
もっぱら「性的な面での癖、嗜癖」という意味で使われているようです。

私の若い頃まではそれは
「性格のある部分に偏りがある」
とか
「くせ」という意味で
使われていたものです。
特別セクシャルなことを表す言葉ではなかったのです。

今でも昭和以前の文学などを読み返しても
いうまでもなくその意味で使われていることは
明瞭に認められます。
私の使っているいくつかの
辞書はどれも昭和に編纂されたものなのですが
それにも同様の意味しか
挙げられていません。

私はつい最近このサイトを見るようになって
このことばの使われ方が変化していることに
初めて気づいたのですが、
以来気になり、またその変化のきっかけなどについて
共時性などの点から興味をもっております。

この変化していく過程にお気づきになってた方はいらっしゃるでしょうか。
それはいつ頃お気づきになりましたか?

ウィキペディアでは21世紀初頭とあるのですが、
だとしたらその時なにかきっかけでもあったのでしょうか?

ご存知の方、お教えください。

==============引用終了

No.3
回答者:1311tobi 回答日時:2013/06/06 11:32
「性癖」の意味。
 質問者の感覚とほぼ同じです。
 現段階では「誤用」です。下記の辞書を見てもそう明記されています。この辞書の書き方には疑問点がいくつかありますが。
■Web辞書『大辞泉』から
https://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E7%99%96-546340#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
================================引用開始
せい‐へき【性癖】
性質上のかたより。くせ。「大言壮語する―がある」

◆「性」を性質の意ではなく性交の意ととらえ、誤って、性的まじわりの際に現れるくせ・嗜好、交接時の習慣・習性の意で用いることがある。
================================引用終了

 ちなみに『大辞林』の記述は下記です。
================================引用開始
せいへき0 【性癖】
性質の片寄り。くせ。
  誇大妄想の―
================================引用終了

 ただし、インターネットの普及によって、このようなありがちな「誤用」はあっという間に広まります。そうなると「意味が通じるから誤用ではない」「使用例が多いほうが正用」などのムチャクチャな話が出てきます。
 詳しくは下記をご参照ください。
【突然ですが問題です【日本語編121】── 性癖】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2398.html

【もうダメかもリスト】〈2〉──けっこう厳選(笑)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2266.html
「性癖」は、現段階では「【3】誤用が目立つ言葉 」あたりでしょう。

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 tobiクンは基本的に〝薬舌〟なので、〈こんなの、「ライオンは犬だから植物だ」と同じレベル〉なんてヒドいことは書かない。書かないけど、そのとおりだと思う。
「言葉はかわっていくものです」とか言う人も多い。そんなことは当たり前だけど、それを書けるのは国語学の大家だけだと思うよ。
 ところが、mixiのコミュを見ても、質問サイトを見ても、「言葉はかわっていくもの」とかのたまっている大家が多い。
「人の命には、だいたい限りがあるものです」
「春が過ぎれば、たいてい夏が来るものです」
 そりゃそうだよ。
 おっしゃるの籠屋だホイサッサ。(←オイ!)


【世に誤用の種は尽きまじ〈4〉】
日本語は誤用がそのまま定着する例が多いのか 教えて!goo

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【23】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1975055968&owner_id=5019671

mixi日記2020年08月05日から

 テーマサイトは下記。
【ふと思ったのですが、日本語で誤用が多くそれがそのまま定着したって事がよくあるじゃないですか。】2020/08/03
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11807474.html
===========引用開始
ふと思ったのですが、日本語で誤用が多くそれがそのまま定着したって事がよくあるじゃないですか。これってすごい怖い事だと思いませんか?
本来の意味(真実、正しい事)ではない間違った意味の使い方が広まり、下手すると半数以上の人が誤用しており、それが皆使っているからという理由で間違いじゃない事になる、一般化するという。真実がマイノリティに押しやられて、間違ったマジョリティがのさばる。民主主義の怖いところとかにも繋がってきますが、日本語の誤用の定着でこのように考えた方いらっしゃいますか?
===========引用終了

 すごく懐かしい話を思い出してしまった。
 質問者は意外に若い人らしい。その世代だと「すごい怖い事」なのね。
 コメントを回収する。


 ほかの言語のことはよくわかりませんが、日本語特有のことではないと思います。
 間違った使用例が多数派になり、やがては正用になるのは、さほど珍しいことではないようです。

 こういう話になると下記のような例が引き合いに出されます。
新(あらた)しい→ 新(あたら)しい
山茶花(さんざか)→ さざんか
しだらない→ だらしない
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=295

 こういうのは、あって当然だと思います。
 ただ、こういう変化は長い期間に少しずつかわっていくものでしょう。
 近年の日本語に起きている現象は、ちょっと違っています。

「言葉はかわっていくもの」
 長年にわたって言葉の研究をしている学者がこう言うなら、「そのとおりでしょう」と思います。
「誤用する人が多くなれば、やがてそれが正用になる」というのも、そのとおりなのかもしれません。

 しかし現実にこういう言葉を安易に使っているのは、言葉を知らない連中です。
 以前、誤用に関する記事に関して暴言を吐いている人に対して、おとなげないことをしたことがあります。いまはこんなことをする元気はありません(泣)。
【世に誤用の種は尽きまじ 総集編〈1〉~〈3〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3326.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
===========引用開始
 少し挑発的に書きます。
 いろいろな研究をした学者がそう言うなら「そうでしょうね」と聞く気にもなります。
 当方の数少ない経験をもとにして書かせていただくと、若い人で「言葉がかわっていくのは当たり前」と言う人は、ほとんどが「無知の開き直り」です。
「それは誤用だ」と言われても、「だってそう言うしー」のレベルです。たとえば当方がリンクを張った
 
https://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=881031344

 を全部読んでも、同じことを言えますか。
 あるいは、下記のサイトを見ても、同じことが言えますか。

http://www.shos.info/doc/misuse.html

 口うるさいオヤジと思われても構いません。
 でも、それが言葉なんです。
 上記の2つのリンクに目を通してからなら、どんな暴言でも聞きます。 
===========引用終了

 インターネットの普及によって、何も考えない連中が誤用を垂れ流し、それをウノミにした●●が同じようなことを書き……という連鎖で、とんでもないはやさで誤用が広まっていくのは、「すごい怖い事」だと思います。日本語という言語が大きな地殻変動を起こしているような気さえします。 

mixi日記2015年10月27日から
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第2章 4 句読点の打ち方

 お品書きは下記参照。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html

 句読点に関する基本的な話は、下記をご参照ください。
句読点に関する記述】
■Yahoo!知恵袋 知恵ノート
句読点の打ち方──簡略版
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n140029
 ↓
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12281124347.html

 さらに詳しくは、1)と3)~6)をご参照ください。
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
3)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび 毒抜き編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1253.html
4)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
5)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1255.html
6)句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1522.html

第2章

4 句読点――「2つの原則」プラスαを考えればいい

■本多読本の力業──読点の打ち方には2つの原則しかない
「句読点の話」とは書いたが、マル(句点=「。」)の使い方はさほど問題がない。細かな部分では多少意見が分かれることがあっても、大した違いではない。
 問題はテン(読点=「、」)の使い方で、論理的な説明をするのはきわめてむずかしい。その難題にまっこうから挑んでいるのが本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞社・1976/朝日文庫=改訂版・1982)だ(以下、「本多読本」と略す)。〈句読点のうちかた〉に1章(約50ページ)を費やし、〈「わかりやすい文章のために必要なテンの原則」(構文上の原則)〉をたった2つに絞りこんでしまう。

【引用部】
 第一原則 長い修飾語が二つ以上あるとき、その境界にテンをうつ。(重文の境界も同じ原則による。)
 第二原則 原則的語順が逆順の場合にテンをうつ。
 右の大原則のほかに、筆者の考えをテンにたくす場合として、思想の最小単位を示す自由なテンがある。これによって文章にさまざまな個性が生ずるが、それは「いいかげんなテン」ということとは正反対の極にある。(p.104)

 どっちがどっちなのかわからなくなりそうなので、ここから先は〈第一原則〉のテンを〈長い修飾語〉、〈第二原則〉のテンを〈逆順〉と呼ぶ。
 本多読本は2つの原則を解説するため、次のような例文をあげている。

【〈長い修飾語〉用の例文】
 病名が心筋硬そくだと、自分自身そんな生活をしながらも、元気に任せて過労を重ねたのではないかと思う。(p.85)
【〈逆順〉用の例文1】
 Aが、私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCに紹介した。(p.87)

重文の境界も同じ原則による〉理由は、説明すると長くなるので省略する。とくに説明しなくても、〈重文の境界〉にテンを打つのはもっとも基本的なルールなので、たいていの人は実践しているはずだ。そのテンもよく考えると〈長い修飾語〉のテンの一種と解釈できる、ってことだけ知っていればいい。
【〈逆順〉用の例文1】については少し補足しておく。この原則の前提になっているのは、〈長い修飾語は前に、短い修飾語は後に〉するってルールだ。次の例文のようにルールに従っていれば、テンはなくてもいい。

【〈逆順〉用の例文2】
 私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCにAが紹介した。(p.87)

「Aが」を強調するために語順のルールをあえてくずす場合にはテンが必要、ってことになる。
 恐ろしいことに、ほとんどのテンの使い方は2つの原則で説明できてしまう(多少強引に感じられるとこもあるけど)。例外になるのは、「〈長い修飾語〉のテン、〈逆順〉のテン、思想のテン」のように単語などを列記するときに使うテン(以後は「列記のテン」と呼ぶ)だ。本多読本は「列記のテン」はナカテン(「・」)にするべきとしていて、それはそれで一理ある。しかし、テンとナカテンの使い分けがまぎらわしい場合もあるし、「列記のテン」を使うほうが一般的だろう。

■一般的な読点のルール──書き手の趣味ってことかね
 本多読本以外の文章読本では、テンの問題をどのように扱っているのか。いろんな書き方をしているが、内容や例文の適確さを考えて『説得できる文章・表現200の鉄則』(日経BP社出版局監修)のp.49~50の例を紹介する。原典が2色刷りだった関係もあり、体裁はかなりかえている。

【引用・抜粋部】
●読点の打ち方1) 誤解を避けるために打つ
1)-1 修飾語と被修飾語の関係をはっきりさせる
【原 文】きれいな赤い服を着た少女
【修正文】きれいな、赤い服を着た少女
【注】読点を打つことによって、「きれいな」が「赤い服」に係るのではなく、「少女」に係ることが分かる。

1)-2 修飾語と述部の係り受けをはっきりさせる
【原 文】今朝早く完成が待たれていた船の進水式があった。
【修正文】今朝早く、完成が待たれていた船の進水式があった。
【注】読点を打つことで、「今朝早く」が「進水式があった」に係ることが分かる。

1)-3 対等な関係にある2つの語句を等しく修飾する
【原 文】都市通勤者が多く住むA地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
【修正文】都市通勤者が多く住む、A地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
【注】読点を打つことで、A地区とB地区のいずれも都市通勤者が多いことがはっきりする。

1)-4 漢字やカタカナが続くとき、名詞の区切りをはっきりさせる
【原 文】従来価値が高いと見られていたのは次の物件である。
【修正文】従来、価値が高いと見られていたのは次の物件である。
【注】「従来価値」という名詞があると誤解されないように読点を打つ。

●読点の打ち方2) 読みやすい文にするために打つ
2)-1 列挙する語句の間
【例】このシステムは、メールサーバー、ファイヤーウォール、DNSサーバー、WWWサーバー、FTPサーバー、プロキシサーバーを搭載している。

2)-2 主語の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】公社債型を含めた投資信託の純資産残高は、今年6月に過去最高を記録した。

2)-3 文頭の接続詞や副詞の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】または、~     しかも、~    主に、~      結局、~
【注】「また当社は、」のように、すぐ後に読点が続くようなときは接続詞や副詞の後の読点を省略する。

2)-4 理由、条件などの語句または節の後
【例】結論から先に言えば、人材を活用している企業ほど成長している。
   ~によって、~   ~のため、~   ~に関して、~   ~ので、~
【注】読点が続くような場合は、特に読みにくくなければ省略してもよい。

2)-5 挿入句のある場合の前後
【例】トラブルの原因は、一般化して言えば、インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことにある。

2)-6 複文重文の結合部
【例】営業スタッフは6割増え、売上計画は前年度の2倍なった。

 きわめて常識的な記述で、過不足なく見える。「これはあってもなくてもいいだろう」と思うものもあるが、テンの打ち方は書き手の趣味にかかわる部分が多いので、なんともいえない。とにもかくにも、1)-1~4と2)-1~6で、合計10の打ち方があるってことだ。このあたりを目安にしていれば、おおむね間違いない。しかし、これだって本多読本にかかると2つの原則に集約されてしまう。

■本多読本のさらなる力業──やっぱり2つの原則しかない
 本多読本は、自説を述べたあとにその正しさを立証するために、多くの例をあげている。なんせ約50ページもあるから、アレコレといろんな例が出てくる。
 圧巻なのは、〈文部省教科書局調査課国語調査室が一九四六年に基準案として示したテンの使い方〉を〈検証〉している部分。13項目42の例を、「これは〈長い修飾語〉」「これは〈逆順〉」「これは思想のテン」と片づけていく。その結果、ひとつの例外もなく〈わずか二つの原則によって律することができる〉と論証してしまう。
 どんな具合に〈検証〉しているのか、『説得できる文章・表現200の鉄則』の例に当てはめてみよう。ウマくマネができる自信はないけど、がんばってみる。〈 〉がついている部分は、同じような例を検証するときに本多読本が使っている表現だ。

1)-1 修飾語と被修飾語の関係をはっきりさせる
【修正文】きれいな、赤い服を着た少女
「きれいな」が「少女」にかかるのなら、テンを打つより「赤い服を着たきれいな少女」にするほうが自然。あえて「きれいな」を前にしたいのなら、〈逆順〉の典型。

1)-2 修飾語と述部の係り受けをはっきりさせる
【修正文】今朝早く、完成が待たれていた船の進水式があった。
 1)-1と同様に、「今朝早く」を「あった」の直前に移動すればテンは不要。冒頭に置くと〈逆順〉の典型。ただし、「今朝早く」「昨日」「昨年」のように時を示す言葉は、冒頭にあるほうが自然なことが多い。

1)-3 対等な関係にある2つの語句を等しく修飾する
【修正文】都市通勤者が多く住む、A地区とB地区では長時間保育が課題となっている。
 なくてもいいので原則ではない。あってもいいが文自体がやや不自然なので、書きかえることを考えるほうがいい。一例をあげておく。
【修正案】A地区とB地区には都市通勤者が多く住み、長時間保育が課題となっている。

1)-4 漢字やカタカナが続くとき、名詞の区切りをはっきりさせる
【修正文】従来、価値が高いと見られていたのは次の物件である。
 なくてもいいので原則ではない。〈構文上ではなく、変な付着を防ぐためのテンは、なるべく避ける方がよい〉。〈しかし筆者の主観としてであれば「思想のテン」として御自由に〉。ただし、このテンの場合は削除しないほうがいい。〈名詞の区切りをはっきりさせる〉なんて曖昧な理由のためではなく、〈逆順〉になっているから。「従来」を「見られていた」の直前に移動して〈逆順〉を解消してやれば、テンは不要になる。

2)-1 列挙する語句の間
【例】このシステムは、メールサーバー、ファイヤーウォール、DNSサーバー、WWWサーバー、FTPサーバー、プロキシサーバーを搭載している。
 本多読本は〈ナカテンの方がよい〉と主張しているが、「メール・サーバー」みたいに列記する単語のほうにナカテンが入るときはどうするんだろう。やはり「列記のテン」を使うほうが無難なのでは。ちなみに、こういうふうにズラズラ並ぶときは、必然的に主語と述語が離れてしまう。それを防ぐために、箇条書きにするテもある。
【修正案】このシステムは以下のものを搭載している。
      メールサーバー/ファイヤーウォール/DNSサーバー/
      WWWサーバー/FTPサーバー/プロキシサーバー

2)-2 主語の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】公社債型を含めた投資信託の純資産残高は、今年6月に過去最高を記録した。
〈不必要だが、これも主観によって「思想のテン」をうちたい筆者であれば「自由のテン」としてどうぞ〉。

2)-3 文頭の接続詞や副詞の後(ただし、短い文には打たなくてもよい)
【例】または、~     しかも、~    主に、~      結局、~
 なくてもいいので原則ではない。ただし、〈逆順〉の場合は必要。

2)-4 理由、条件などの語句または節の後
【例】結論から先に言えば、人材を活用している企業ほど成長している。
   ~によって、~   ~のため、~   ~に関して、~   ~ので、~
〈全く無意味〉。〈長い修飾語〉〈逆順〉の2つの原則に当てはまるときに限って打てばいいだけ。

2)-5 挿入句のある場合の前後
【例】トラブルの原因は、一般化して言えば、インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことにある。
 一般に、挿入句の問題は〈逆順〉の典型。ただしこの場合は、正しい語順にするには「一般化して言えば」をどこに移動すればいいのかわかりにくい。あえてやるならこんな感じだろうか。
【修正案】インターネットという新しい効率的な手段を受発注に用いたにもかかわらず流通プロセスが従来型だったことがトラブルの原因と一般化して言える。

2)-6 複文重文の結合部
【例】営業スタッフは6割増え、売上計画は前年度の2倍になった。
 この【例】は重文の典型なので、〈長い修飾語〉の原則に〈吸収される〉。「複文の結合部」がどういう場合を指しているのかは不明だが、2つの原則に当てはまるときに限って打てばいいだけ。

 いやぁ、こういう書き方をしていると、自分が賢くなったみたいに錯覚してしまう。テンの打ち方の2つ原則も、完璧に理解できている気がしてくる。大きな勘違いだ。ある程度は理解できていると思うが、どうもスッキリしない点も残っている。テンの打ち方ひとつをとっても、文章道は奥が深い。


■個人的な「意見」を少々1──2つの原則だけじゃ読みにくい文になる
 文部省案13項目42の例を1つずつ〈検証〉したあと、本多読本は次のように書く。

【引用部】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンはわずか二つの原則によって律することができる。むろんこれは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。(p.112)

 論理的に間違っていないが、小さな欠点がある(「重大な欠点」かもしれない)。論理的に必要のないテンを使わないと、テンの数はどんどん減っていく。語順などを工夫すれば、さらに減る。それでも論理的に正しいからわかりにくくはならないが、読みにくくなる。そのことは、この引用部を見ればわかる。4つの文の中に、テンが1つしかない。1つだけあるテンは〈逆順〉に従ったもので、次のように書きかえれば、このテンさえ必要なくなる。

【テンを削除した例】
 二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが以上の検証によって理解された。

 こうなると相当読みにくい。「思想のテン」は個人的な趣味の問題になるのを承知で書くと、このぐらいの長さの一文にはテンがあったほうが読みやすい。元の文章に戻り、少し「思想のテン」を加えてみよう。それだけで、多少読みやすくなる。

【「思想のテン」を加えた例】
 以上の検証によって、二大原則さえあれば文部省案の一三項もの基準は不要であることが理解された。すなわち構文上必要なテンは、わずか二つの原則によって律することができる。むろん、これは狭義の文法的な「規範」や「規則」ではない。あくまで「わかりやすい(論理的な)文章」のための構文上の原則である。

 なんのことはない。「主語のあとに打つ」「文頭の接続詞や副詞のあとに打つ」って話に戻っている。
 だからといって、2つの原則が無意味ってことではない。最優先されるのは2つの原則で、それだけでは不足なら〈思想のテン〉を打つってことだ。その場合には、一般的なテンの打ち方に従えばいい。ふだんはあまり意識しなくてもいいが、微妙な判断をするためには非常に有効だ。


■個人的な「意見」を少々2──一文の長さを無視してテンの話はできない
 ここで、『説得できる文章・表現200の鉄則』の話に戻る。2)-2と2)-3を見ると、主語のあとと文頭の接続詞や副詞のあとのテンについて、〈ただし、短い文には打たなくてもよい〉と書いてある。当たり前のことなんだが、これは重要なポイント。この断わり書きがあるのとないのとでは、心得としてのありがたみが違う。
 ちょっとやっかいな話で重文や複文のことなんかもからんでくるので、「第2章3」であげたバカバカしい例を見ながら、クド~く書いていく。文頭の接続詞や副詞の話もほぼ同様なんで、主語の話に限ることにする。

【単文の場合】
 小林がクリームパンを食べた。

 単文の場合、主語のあとに〈思想のテン〉を打つか打たないかは趣味の問題。このように短い文なら、打たないほうが自然だろう。「主語のあとにテンを打つ」って心得はたしかに無意味になる。打っても打たなくても、書き手の自由だ。しかし、重文の場合は話が別になる。

【重文の例】(主語のあとにテンなし)
 小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べた。
【重文の例】(主語のあとにテンあり)
 小林が、クリームパンを食べ、中村が、カレーパンを食べ、鈴木が、ジャムパンを食べた。

 見比べてみればわかる。文章を読みやすくするはずの〈思想のテン〉が、文章をわかりにくくしている。これが複文になると、もっとハッキリする。

【やや複雑な構造の複文の例】(主語のあとにテンなし)
 佐藤は、小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べるのを見ていた。

 ちょっと補足しておくと、「佐藤は、」のテンは〈逆順〉のテン。主語のあとに打つ〈思想のテン〉ではない。「第2章3」でも見たように、語順のルールに従って「佐藤は」を「見ていた」の直前に移動すれば不要になる。

【やや複雑な構造の複文の例】(主語のあとにテンあり)
 佐藤は、小林が、クリームパンを食べ、中村が、カレーパンを食べ、鈴木が、ジャムパンを食べるのを見ていた。

 この場合は、主語のあとの〈思想のテン〉は打たないほうがいい。本多読本の言葉を借りるなら、〈構文上高次元のテン(文のテン)を生かすためには低次元のテン(句のテン)は除く〉(p.117)ほうがいい、ってことだ。
 そんなことはいわれなくたって、こんなバカなテンの打ち方はしない、という人もいるだろう。じゃあこんなのはどうだ。

【引用部】
近くを、ひと回りして、ひき返してくると、今度はその女一人、店の入口の、門柱の前に、ぽつんと立っていた。(本多読本p.91)

 ほかの文章読本に紹介されていた〈ある小説家の文章〉とのこと。主語のあとに限らず、ムヤミにテンを打っているので相当ヘンになっている。この例はあまりにも極端だが、わけのわからないテンの使い方をしている文章はけっこう多い。
 ただし、小説家の文章は芸術文である可能性が高い。なんらかの芸術的な狙いがあって、「あえてヘンな文章にした」と主張されるとそれっきりになる。どんなに妙な文章でも、ウカツなことは書けない(実際には、ただ単にヘンなことも多いけど)。
 テンの打ち方は、一文の長さと密接にかかわっている。ここまで見てきた「主語のあとのテン」についてまとめてみよう。

・一文が短い場合      →打たなくてもいいことが多い
・一文が長くも短くもない場合→打つほうが読みやすいことが多い
・一文が長い場合      →ムヤミに打つとわかりにくくなる

 こういうことになる。ほとんどの文章読本は、一文の長さに関係なくテンの打ち方を解説している。「主語のあとにテンを打つ」とか「テンを多めに打つ」とか断定している文章読本は多いが、信用する必要はない。ここでは「主語のあとのテン」に限って見てきた。文頭の接続詞や副詞に限らず、ほかの〈思想のテン〉に関しても、ほぼ同じことが当てはまる。


■個人的な「意見」を少々3──テンの数で一文の長さを判断する
 ここからは、完全に個人的な「意見」です(いままでのとこは、まだ多少は一般性があると思っているらしい)。
 実用文に限っての話だが、人様が書いた文章をイジクり回すことがある。というより、自分で書いた文章よりはるかに多い量の文章を、イジクり回してきた。出版の業界用語で「原稿整理」と呼ばれるものだ。どの程度まで徹底するのかは、書き手のレベルや出版社の意向など、さまざまな条件によってかわってくる。どんなことをするのかいちいちあげていくとキリがないぐらい、けっこう細かいとこまでネチネチとかえていく。
 なかでも不毛なのは「表記の統一」って作業だ。ごくごく簡単にいうと、「普通」と書くか「ふつう」と書くかを統一していく(「フツー」って表記にすることもあるが、やや特殊)。どっちでもいいんだから、ほとんど趣味の世界に近い。
 そういう細かいレベルの話を別にすると、まず気にするのは一文の長さ。長めのものは警戒し、100字を超えるものは修正することを考える。当然のことながら、100字って数字に論理的な根拠は何もない(開き直ってどうする)。
 ただ、100字を超える一文がたいていわかりにくいことは、経験的にわかっている。上級者が書いたものだと、100字を超えていてもスラスラ読めることもなくはない。それでも読者に余計な負担をかけることが多いから、とにかく100字を超えるのはペケ。
 まあ、実際には100字を超えることはめったにない。100字未満だけど長め、って一文が問題になることが多い。そんなときにいちばんの判断基準にしているのが、一文の中にあるテンの数なのだ。文章読本の心得風に書いてみようか。

 一文中のテンは、多くても3つまでにすることを心がける。

 あーあ、具体的に数字の目安を出してしまった。大丈夫なんだろうか。個人的な目安なんだから許してほしい。できれば2つまでにしたいとこなのに、余裕をもたせて3つにしているんだから。
 どんな種類の文章であっても、とりあえずこれを目安にしている。ただし、「列記のテン」は別。フツーのテンとはちょっと役割が違う。料理の素材名を並べるときなんかは、どうしたって「列記のテン」がたくさん出てくる。
「列記のテン」は除外するとして、それ以外のテンが4つ以上必要な一文は、長すぎってこと。分割することを考えたほうがいい。さほど長くないのにテンが4つ以上ある一文は、余計な〈思想のテン〉が入っているのでわかりにくい可能性が高い。テンを減らすことを考えるべきだ。
 文章読本のなかには、「一文が長いときにはテンを多めに打つ」なんて書いているものもある。どのぐらいの「長さ」でどのぐらいの「多さ」なのかは、具体的に書いてあるのを見たことがないからわからないけど。いずれにしても、これは明らかにヘンで、そんなことをしたらわかりにくくなるに決まっている。ムヤミにテンを打つより、文を分割することを考えるほうが無難だ。
 一般に、一文が短い場合は〈思想のテン〉の打ち方にさほど神経質にならなくてもいい。しかし、一文が長い場合は重文や複文になっているので、〈思想のテン〉は極力減らしたほうがいい。
 ホントにそんなことがいえるのか、実例をあげて見てみよう。芸術文を相手にすると話がややこしくなるから、文章読本に出てくる文章を実例にする。念には念を入れてお断わりするが、テンの打ち方は個人の趣味の問題になることが多い。以下の記述は、すべての文の後ろに「と思ったりしちゃったりする」がついていると考えてほしい。

【引用部】
 欧米系のことばが、輸入されることがあっても、中国の漢字が、わが国に盛んなる輸出を行うことは、今後、まず期待できない。漢字はすでに、その盛んなる青壮年時代をすぎ、老年時代をむかえたといえるだろう。(安本美典『説得の文章術』p.139)

 テンの話をしようとしているのだから、内容に関してコメントする気はない。異論を唱える国語学者もいる気がするが。〈盛んなる〉(こんなに短い文章の中に2回も出てくる)や〈輸出を行う〉は表現が堅苦しい、なんてのは趣味の問題になるから放っておく。同じ文の中で並立させながら、わざわざ「輸入される」(受動態)、「輸出を行う」(能動態)と使い分ける神経がわからない。一方が「輸入される」なら、もう一方も「輸出される」のほうが素直だろう……なんてのもインネンになりそうだから無視する。「中国の漢字さん」が何を「輸出」するんだろう、なんて書きはじめると完全にインネンになる。
 問題は、1つ目の文で使われている5つのテンだ。これを2つの原則で考えるとどうなるのかは、正直いってわからない。2つ目のテンだけは〈長い修飾語〉のテンなので必要なのかもしれない。極端なことを書くと、全部なくても構わない気もする。とくにヘンなのは1つ目と3つ目のテンだ。この文では、「欧米系のことばが輸入されること」と「中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うこと」の2つを対比している。余計なテンがあるので、この対比がわかりにくくなっている。むずかしく考えずに、重要度が低そうなテンを削除してしまう。

【修正案1】
 欧米系のことばが輸入されることがあっても、中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うことは、今後まず期待できない。
 個人的な趣味では、「今後」は文頭にあるほうがシックリ来る。その場合、「今後、」とテンが必要になるのは〈逆順〉の原則どおり。すると次のようになる。

【修正案2】
 今後、欧米系のことばが輸入されることがあっても、中国の漢字がわが国に盛んなる輸出を行うことは、まず期待できない。
 このままでもいいが、テンが3つになるのが多いと感じるなら、最後のテンを削除する。最後のテンを削除するか残すかは、完全に趣味の問題だ。

【引用部】
 古来、レトリックは、目的を達するために、言葉をどのように配列・構成するかを考えてきた。文章の型というと、すぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だが、文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で、日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。(樺島忠夫『文章構成法』p.117)
 1つ目の文も短い割りにテンが目立つが、3つなので無視する。「考えてきた」の主語はなんだろう、って話も無視しておこう。
 問題は2つ目の文で、テンが5つもある(〈大日本図書、〉のテンは「列記のテン」なので、無視して考える)。必要なのは、2つ目の〈長い修飾語〉(重文)のテンだけで、あとはなくてもいい。「で、」「て、」のように同じような音とテンの組み合わせが同じ文の中にあるのも、できれば避けたい。一文が長めなので、テンを3つにしよう。次のようになる。
【修正案1】
 文章の型というとすぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だが、文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。
 アララ。よく見ると100字を超えている。(大日本図書、昭和四十八年)みたいに論旨とは関係のない部分があるからしょうがないのかもしれないが、やはり避けたほうがいい。もし分割することを考えるなら、狙い目はハッキリしている。「が、」の部分だ。通常なら「。しかし」に置きかえるとこだが、この場合は「しかし」は必要ない(この「が、」は「順接のガ、」だからなのだが、説明するのはけっこう難問なのであとに回す)。単純に分割しても何も問題はない。
【修正案2】
 文章の型というとすぐ頭に浮かぶのは「起承転結」だ。文章心理学者波多野完治氏は、『現代レトリック』(大日本図書、昭和四十八年)で日本の「起承転結」とヨーロッパのレトリックを比較して、次のように述べている。
 こうなると、もう少しテンを打ってもいいかな、って気になる。本多読本ではないが、〈筆者の主観としてであれば「思想のテン」として御自由に〉ってことになる。
 こんなことをやっているとキリがないので、最後にかなり強力なのを紹介してテンの話は終わりにする。

【引用部】
 その最初に、もう一度、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち、自分の感じたままを書くという場から出発した、自然主義の文壇文学者たち自身が、自分たちの発明した、「一元描写」という方法による文体、つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体を、それぞれの長い生涯のなかで、どのように成長させて行ったかを見直してみようと思います。(中村真一郎『文章読本』p.109)

 一文が200字近い。ここまで来ると、文章を分割することを考えなければならない。ここではテンの問題に限っているので、分割せずにやってみる。
 冒頭の2つのテンは〈逆順〉なので、削除するためには語順の入れかえが必要になる。ただし、〈その最初に、〉は前の文を受けているので後ろには移動しにくい。あと問題なのは、3つ目のテンのように同格を示すテン(「=」に置きかえられるようなテン)があること。あまり望ましい方法ではないが、同格の部分をカッコに入れてしまう。とりあえず次のようになる。

【修正案1】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち(自分の感じたままを書くという場から出発した、自然主義の文壇文学者たち自身)が、自分たちの発明した、「一元描写」という方法による文体(つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体)を、それぞれの長い生涯のなかで、どのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 残っているテンのうち、〈出発した、〉と〈発明した、〉に使われているテンは、本多読本が目のカタキにしている〈あってはならぬテン〉だ。直結するはずの修飾語と被修飾語を、わざわざ分断してしまっている。たいていの場合は、無条件で削除したほうがいい。短い文だと大丈夫なこともあるが、長い文だと危険度が高い。短い文だと大丈夫なこともあるのは、先の同格のテンの場合も同様だ。
 残りのテンのうち、重要度が低そうな〈なかで、〉のテンも削除する。

【修正案2】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たち(自分の感じたままを書くという場から出発した自然主義の文壇文学者たち自身)が、自分たちの発明した「一元描写」という方法による文体(つまり主観的な意見の表出を排して純粋に客観的な描写だけから構成した文体)を、それぞれの長い生涯のなかでどのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 テンを削除してどうにかできるのはここまでかな。ちっともわかりやすくないって? たしかにそう思う。結論としては、100字を超える文はどうしたってペケってことだ。反則ではあるが、通常あんまり重要じゃないとされるカッコ内の記述を削除してみる。

【修正案3】
 その最初に、最初に感じる文章の口語文を発明した人たちが、自分たちの発明した「一元描写」という方法による文体を、それぞれの長い生涯のなかでどのように成長させて行ったかをもう一度見直してみようと思います。

 なんとか100字以内におさまって、テンも3つになった。もうすこしテンを打ちたいとこもあるってことは、文を分割する必要があるってことだろう。
 一文中のテンは多くても3つまでが鉄則、なんてバカなことを主張する気はない。自分で文章を書くときには、できるだけテンを2つまでにすることを考えているぐらいだ。一文が長めのほうが好きな人は、4つまでにしてもいいかもしれない。
 あんまりテンが少ない文章は、息苦しくて読みにくい。かといってあんまりテンが多いと、どこが区切りなのかわかりにくいから、文全体もわかりにくい。3つでも4つでも構わないが、一文中のテンの数を意識すると、ソコソコの文章に近づくんじゃないかって気がするだけだ。

【追記】
【板外編2──読点と使い方の2つの原則と6つの目安】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
 もあわせて読めば、もう読点の打ち方で悩むことはなくなります……ホントか?
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