突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編3
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671
mixi日記2010年03月18日から
下記の続き。
突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1436640944&owner_id=5019671
突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1439336022&owner_id=5019671
【問2】の解答の続きです。いろいろあってビクビクしながら書いています。間違いがあったら小さな声で優しくソフトに指摘してください。
残っているのは下記の2つ。
1)人間到る所青山あり
2)人生到る所青山あり
これは常識的には1)が正解。ネット辞書の『大辞林』を再掲する。
================================
人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり
〔補説〕 幕末の僧、月性(げつしよう)の「清狂遺稿」による
人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきである、との意。
〔補説〕 「人間」は「にんげん」とも読む
================================
このテの話は漢籍によるものが多いが、これは日本人の言葉が原典。
問題がいくつかある。まず「処」か「所」か。
今回ひいた4冊の辞書のうち、『大辞泉』と『広辞林』が「所」、『大辞林』と『成語林』が「処」。どっちでもいいってこと?
『成語林』には原典が明記されている。
人間到処在青山
こりゃ明らかです。本来は「処」。じゃあ「所」は誤用と断じていいのか。だとしたら、「在り」にすべきだろうって話も出てくる。
これはね。漢字の神様と「所」の密約があったらしい。「一所懸命」より「一生懸命」が一般的になったことの悲哀を「所」が切々と訴えた。あんまりしつこいので神様が根負けし、「青山」のほうは「所」でもいいよヨシヨシ、ってことで手を打った。
だってそうとでも考えなけりゃ、説明できないよ。「処」だって常用漢字なんだから、代用漢字にする理由はない。「お休み処」とか「甘味処」とか、「ところ」と読む例だってよく目にする。
ついでに書くと、「到る所」を「至る所」にするのはよくない。ちょっと意味がかわる「至る所」だと「どこにでも」のニュアンスが強い。「到る所」だと「たどり着いた場所」のニュアンス。
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
結果的には同じような意味になってる?
さらについでに「青山」は元々は文字どおり「青々とした山」。これがなんで「墳墓の地」の意味になったのかは知らない。この言葉にちなみ、「青山」を関した「墓地」「墓所」が全国各地にある。東京・港区にも有名なのがある。
……と書いて話を終える予定だった。
ところが、『広辞林』でイヤな記述を見つけてしまった。
ほかと同じような説明の最後に。「人生到る所青山あり。」とある。これって素直に考えると、「~とも言う」ってことだよな。
ということは、こっちも「人生」でもOKってことなのだろうか。可能性は否定できない(泣)。
ということで最終的な解答です。1)~4)とも誤用とも言えるし、すべて許容とも言える。ヒデエ問題だなorz。
まあ、自分でこんな言葉を使うことはないだろうからどうでもいいや。(←オイ!)
蛇足ながら、〈この言葉にちなみ、「青山」を関した「墓地」「墓所」が全国各地にある。東京・港区にも有名なのがある。〉はまったくのデマです。港区の青山は人名からついたものらしい。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671
mixi日記2010年03月18日から
下記の続き。
突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1436640944&owner_id=5019671
突然ですが問題です【日本語編1】──解答?編2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1439336022&owner_id=5019671
【問2】の解答の続きです。いろいろあってビクビクしながら書いています。間違いがあったら小さな声で優しくソフトに指摘してください。
残っているのは下記の2つ。
1)人間到る所青山あり
2)人生到る所青山あり
これは常識的には1)が正解。ネット辞書の『大辞林』を再掲する。
================================
人間(じんかん)到る処(ところ)青山(せいざん)あり
〔補説〕 幕末の僧、月性(げつしよう)の「清狂遺稿」による
人はどこで死んでも青山(=墳墓の地)とする所はある。故郷を出て大いに活躍すべきである、との意。
〔補説〕 「人間」は「にんげん」とも読む
================================
このテの話は漢籍によるものが多いが、これは日本人の言葉が原典。
問題がいくつかある。まず「処」か「所」か。
今回ひいた4冊の辞書のうち、『大辞泉』と『広辞林』が「所」、『大辞林』と『成語林』が「処」。どっちでもいいってこと?
『成語林』には原典が明記されている。
人間到処在青山
こりゃ明らかです。本来は「処」。じゃあ「所」は誤用と断じていいのか。だとしたら、「在り」にすべきだろうって話も出てくる。
これはね。漢字の神様と「所」の密約があったらしい。「一所懸命」より「一生懸命」が一般的になったことの悲哀を「所」が切々と訴えた。あんまりしつこいので神様が根負けし、「青山」のほうは「所」でもいいよヨシヨシ、ってことで手を打った。
だってそうとでも考えなけりゃ、説明できないよ。「処」だって常用漢字なんだから、代用漢字にする理由はない。「お休み処」とか「甘味処」とか、「ところ」と読む例だってよく目にする。
ついでに書くと、「到る所」を「至る所」にするのはよくない。ちょっと意味がかわる「至る所」だと「どこにでも」のニュアンスが強い。「到る所」だと「たどり着いた場所」のニュアンス。
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
結果的には同じような意味になってる?
さらについでに「青山」は元々は文字どおり「青々とした山」。これがなんで「墳墓の地」の意味になったのかは知らない。この言葉にちなみ、「青山」を関した「墓地」「墓所」が全国各地にある。東京・港区にも有名なのがある。
……と書いて話を終える予定だった。
ところが、『広辞林』でイヤな記述を見つけてしまった。
ほかと同じような説明の最後に。「人生到る所青山あり。」とある。これって素直に考えると、「~とも言う」ってことだよな。
ということは、こっちも「人生」でもOKってことなのだろうか。可能性は否定できない(泣)。
ということで最終的な解答です。1)~4)とも誤用とも言えるし、すべて許容とも言える。ヒデエ問題だなorz。
まあ、自分でこんな言葉を使うことはないだろうからどうでもいいや。(←オイ!)
蛇足ながら、〈この言葉にちなみ、「青山」を関した「墓地」「墓所」が全国各地にある。東京・港区にも有名なのがある。〉はまったくのデマです。港区の青山は人名からついたものらしい。
スポンサーサイト