『芭蕉のガールフレンド──お言葉ですが…9』──バイト敬語のルーツ

『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男

 2008年6月に出ている。完全に失念していた。切腹ものorz。10)とともに書店で注文する。1月31日に注文して2月6日に到着なら立派なもんか。
 例によって読むと自己嫌悪に陥る。だって「言葉」を扱っているのに、八割方は知らないことなんだもん。いったいどれだけ勉強したらいいんだよう。

10-3-6  p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。 

10-3-7 p.112のテーマは〈文ちゃん文ちゃん〉。
 手紙では、「対称(相手を呼ぶ語)が是非必要になるばあいが、どうしてもある」とのこと。男同士ならいくつがあるが、男が女を呼ぶ対称はないらしい。やはりないんですね。困ったもんだ。結局○○さんしかないらしい。

10-3-8【引用部】
 その際だいじなのは「漢字で考えない」ということですね。「字をかく」のは「書く」で「かゆいところをかく」のは「掻く」だからこれは別のことばだ、などというのはいけません。日本語の本体は漢字である、と思いこみ、何かと言えば漢字を持ち出すのは有害無益、考えまちがい、とこれは毎度申している通りです。(p.136)
 p.133~のテーマは〈かごかく 汗かく あぐらかく〉。
「かく」の正体を考えるのに「かく」などがつく言葉を並べたあとに書いてあるのが↑。一般の編集者とかライターは、用字用語の使い分けなんてことにこだわっているから、こういう考え方ができないorz。

10-3-9 p.145~のテーマ〈ファミレス敬語はマニュアル敬語〉。
「保険証をお持ちでなかったですか?」(妙な過去形)
「天丼になります」(妙な未来形)
 について書いたら、読者が「全疑問一挙解決のめざましい新聞切抜き」を送ってくれたそうな。もしかするとネット上にテキストが転がっていないかと思ったが、見つけたのは2つとも本書からの引用だった。毎日新聞(平成15年5月31日夕刊)で、フリーアナウンサーの長野智子氏が「メディアの手習い スタジオ発」と題したコラムらしいから、今度図書館で探してみようか。
 ちなみに、この文章が書かれた「週刊文春」は2004年1月29日号。
【おぼえがき】
http://wjunya.blog39.fc2.com/blog-entry-72.html
【日刊★気になるフレーズ】
http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2006/12/index.html
【引用部】
〈…「こちらケチャップになります」(これからケチャップになるのか)「カレーでよろしかったでしょうか」(何故過去形?)「1000円からお預かりします」(どっからじゃい)といった、いわゆるファミレス敬語に不愉快な思いをしている人も多いだろう。実際、TBSラジオ「アクセス」でこの問題を取り上げたら……〉(p.145~146)
「衝撃的な内部告発電話が入ってきた」らしい。「約20年前ファミレスが増え始めた頃、某大手R社が接客ビデオを制作した。現在使用されている変な敬語は、全てそのビデオにマニュアル化されていたのだ」というのである。高島先生はロイヤルホストと推測したら、これはのちにリクルート社と判明したとのこと。とにかく、諸悪の根源はこのビデオらしい。まあ、ほかにもあるんでしょうけど。

10-3-10 p.202~のテーマは〈佐々成政の峠越え〉。
 和暦と西暦の話。長年の疑問がひとつとけた。新聞は最近の年表記を2009年(平成21年)のようにしている。ところが、古いものに関しては、「弘安4年(1281)」のように書けとしている。
 これがどうにも腑に落ちなかった。現代の新聞に合わせるなら「弘安4年(1281年)」だし、論理的に書くなら「弘安4(1281)年」だろう。
 どうやらこういう場合の「1281」は「年」ではないらしい。『岩波日本史辞典』の判例には次のようにあるとのこと。
【引用部】
西暦年次は元号に便宜的に対応させたものであり、和暦年月日から換算した年度ではない。(p.206)
 そう考えないと、西暦と和暦では微妙なズレがある。もう少し怖いことを書くと、たとえば1278年が和暦で何年なのかは、簡単には判断できない。対照表とかを見ればわかると思うが、1278年は建治4年でもあり、弘安元年でもある。正確にはどちらなのかを調べるには、もっと細かい対照表が必要になる。そこまでしている編集者やライターはどのくらいいるんだろう。

10-3-11【引用部】
 この本にかぎらず、概して日本の学者文人は説教を垂れるのが好きなようだ。日本の随筆は支那の学者の随筆を模倣したものだが、あちらのにはそんな野暮なのはめったにない。
 支那でも日本でも、随筆は読みもののなかで最も講習なものである。日本の事情は鴎外が『ヰタ・セクスアリス』で「馬琴京傳の小説を卒業すると随筆讀になるよりほかない」と言っている通りだ。説教は高級ではない。(p.230)
 なんでこんなことになっているのかはわからない。現代人も「説教」が好きだし、自虐思想も好まれる。こういう国は珍しいらしい。

10-3-12【引用部】
 これは、テレビ局の人が若い熱意とテレビの威光をたよりにガムシャラに調べて書いた本である。なにぶん基礎がないこともあり、率直に言って甚だあぶなっかしい。最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう。(p.289)
〈最もいけないのは「何事も手を尽くして調べればわかる」と思いこんでいることだろう〉は名言かも。そのへんのバカガキが口にしたらはっ倒すかもしれないが、高島先生が書くと重い。さらに言うと、最近のかたの「手を尽くす」の半分(以上?)は「ネットで検索すれば」の可能性が高い。

10-3-13【引用部】
 金田一春彦先生が学生のころ、国語学をやりたいと父京助に相談した時京助は、それはよいがやってはいけないものが三つある、とその筆頭に語源の研究をあげた。「たいていコジつけだ、学者仲間からは相手にされない」と言ったそうである。(『父京助を語る』補訂版。ちなみにあとの二つは詩の韻律と国語系統論)。(p.291)
 理由はよくわからないが笑ってしまった。本文も「アホ」の語源について3回にわたって書いたあと、〈調べるだけ調べた上で、「わかりません」と降参するのが最も穏当な態度であるかもしれません〉と書いている。
 でもさ。「アホ」の語源ひとつで、こんだけの長さの「読ませる」文章を書ける書き手ってそうはいないと思う。
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