句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671
mixi日記2010年05月日から。
句読点について書いた下記があまりにも毒分が強い気がするので、毒を抜いて書き直します。
【句読点の打ち方ふたたび※公開制限あり】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1487442872&owner_id=5019671
ふと思い立って「句読点の打ち方」についてネット検索してみた。
ちょっとビックリするほどいろいろな意見が飛びかっている。飛びかっている内容自体はそう代わり映えがしないのだが、件数がとにかくスゴい。なんでこんなに多いのだろう。
驚くべき珍説も多い。なかでもビックリしたのは、昭和21年(1846)に文部省教科書局調査課国語調査室で作成した「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を基準にしているものがあること。
【くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)】
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf
↓ ↓
http://nifongo.style.coocan.jp/kugiri.html
これをもってきますか。なかには、「現在でも公用文、学校教育その他で参考にされている」とか断言している人もいる。
現在でもホントに参考にされているか否かは知らないけど、あんなふうに断言するんだからそのとおりなんだろう。ハッキリ言えるのは、そんなもん参考にしているから「学校教育では句読点の使い方も教えない」って話になるってこと。
別に「古すぎる」ことを理由にダメ出しする気はない。ものすごく優れたもので、それを上回る理論がいまだに出ていないなら古い理論を持ち出すのもアリでしょう。でも、この「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」は本多勝一の『日本語の作文技術』(朝日新聞社・1976/朝日文庫=改訂版・1982。以下、「本多読本」と略す)でボロボロに書かれて、なんの論理性も正当性もない、ってほぼバレちゃってるの。本多読本の書き方は例によって容赦がないけど、そういう扱いを受けてもしかたがない代物だと思う。
それをいまさら持ち出しますか。そりゃ驚くって。まさか本多読本を知らずに句読点について語る気じゃないでしょうね。まあ、思想的に本多勝一を嫌う人はいるけど、それとこれとは別の話。
もちろん本多読本だって刊行されたのが1976年だから、決して新しくはない。でも句読点に関してはこれを上回る理論がほぼ見当たらないんだからしょうがないよ(いいのがあったら教えてほしい)。そのあたり、文章読本を書くセンセーはどう考えているんだろう。
改めて本多読本を開いて「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を確認して意外なことに気づいた。主語のあとに打つ」というルールは見当たらない。「三」の「副詞的語句の前後に打つ」の「附記」のなかに「私は、反対です」などが出てくるだけ(「私は、反対です」のどこが副詞的語句なんだろう)。学校では「主語のあとに打つ」とか教えていると思うけど、何を根拠にしているんだろう。
「主語のあとに打つ」はあまり重要ではないけど、まったくふれない「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」の態度もどうかと思う。
ちなみに「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」には「シロテン」という奇妙な記号も出てくる。これを採用している公用文や教科書があるのだろうか。
ということは、「現在でも公用文、学校教育その他で参考にされている」が勘違いなんじゃないか、って気さえする。
〈これがテンの打ち方における最も重要な、一ばん多く使はれる原則であって、この原則の範囲内で、それぞれの文に従ひ適当に調節するのである〉
あのー、つまり最も重要な部分の説明はないのね。ムチャすぎる。
ついでに書くと、解説中にある「最も重要な、一ばん多く」のような読点は相当マズいと思うけど、何かのギャグだろうか。
検索の上位の来るもののなかに、下記がある。
http://www13.plala.or.jp/hosonag/tohten%20uchikata.htm
↓
http://www9.plala.or.jp/juken1/toten.htm
真っ先にあげらているのは、「1)文の主題となる語のあと」。一般的にはこうなる。
このサイトの「読点の打ち方」はもっともらしいことが書いてあるけど、相当乱暴。ひとつひとつ検討していくと相当ヤバい。
あからさまにヘンな例を少々。
4)-1 主語が文の中間に置かれた場合、その前に打つ
(やぶの中から、ウサギが出てきた。)
その読点はなぜ必要なの? 主語のあとに打つ読点はどうなるの?
8)!(感嘆符)と?(疑問符)について
もともと外国語に用いられる符号であり、和文に用いる場合は効果的に。
あのー、いったいなんの話をしているのでしょうか。
こういうふうに読点を打つべき場所を細かくあげていくと、個々の指摘は正しくても(正しくないときもあるけど)、矛盾が出てくることがある。何を優先するべきなのかをハッキリさせる必要がある。
「朝日新聞の用語の手びき」を参考にしているものもある。手元にあるものを確認してみた。手元にあるのは相当古いものだが、大きくかわっていないことが怖い。
一般の文章読本なんかにもこんなふうに書いてある。ここまでわかりにくいのは珍しいか。
================================
一、誤読、難読の恐れがあるときに使う。
1)主題となる語につく助詞(提言の助詞「は」など)の次に。句・文が短いときは省いてもよい。
2)修飾語句が誤解される恐れのあるとき。
3)副詞の帰属を明らかにする必要があるとき。
4)修飾節の対象を明らかにさせるとき。
5)仮名や漢字がくっつきやすいとき。
二、語句を並べるときや、対立節に使う。
三、形容詞節と直接次に続く被修飾語の名詞との間には読点を打たない。
================================
これで句読点の打ち方がわかるなら誰も苦労しないって。実質的には何も書いてないのと一緒。
当方が、句読点のルールについて「これはとりあえず読む価値があるかもしれない」と考える基準にしていることがある。イチバン大事なのは「一文の長さとの関連性を書いているか」ってことなんだけど、そんなことを基準にすると、ほとんどのルールは×になる(笑)。
そこで、イチバンわかりやすいと思っているのは、「主語に相当する句」(メンドーなので、以後は「主語」と呼ぶ)のあとの読点の扱い。真っ先に「主語のあとに打つ」とか書いてあるのは×。だってそんなの重要じゃないんだもん。
↑にあげたあとの2つは、両方とも真っ先に来てるからそれだけで×。
ただ、「句・文が短いときは省いてもよい」って記述に注意してほしい。これは、「(主語になる)句」や「文(全体)」が短いときには「省いてもよい」ということだろう。一応一文の長さと関係している。
ただ、言葉足らずだと思う。正確に書くなら下記のようになる。
主語のあとには読点を打ってもいいことが多い(必ず打つという意味ではない)。
ただし、次の場合は極力打たない。
1)一文が長い場合
2)主語が短い場合
3)(近くに)別の理由で読点を打つべき場所がある場合
よく「一文が長いときは読点を多めに打つ」と書いてある心得がある。もっともらしいけど、これはウソです。一文が長い場合は読点の打ち方に気をつける必要がある。原則としては、一文が長いときほどできるだけ読点を減らさないと収拾がつかなくなる。それじゃ読みにくいと思う人は、一文を短くしなさい。これをちゃんと書くと長くなるので、下記の【第2章 4 句読点の打ち方 】を読んでもらうしかない。
ホントに単純な例で考える。「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」に出てきた「私は、反対です」なら一文が短いから「打ってもいい」。主語が短いから打たないほうがよい、とも言える。こんなに短い文ならどっちでもいい。
ところが、次のようなときは打ってはいけない。とくに重文や複文の場合はできるだけ打たないほうがいい。
1)-2 私は、母は、賛成で、父も、賛成ですが、反対です。
1)-3 私は、母は賛成で父も賛成ですが、反対です。
1)-4 母は賛成で父も賛成ですが、私は反対です。
1)-2がわかりやすいと思う人がいるだろうか。しかし読点が少ない1)-3ならまだなんとか理解できる。単純な構造にして1)-4にするともっとわかりやすい。1)-4で1つだけ残した読点はなくてもいいが、あったほうがいいだろう。1か所だけ打つならここしかありえない(重文の区切りの読点)。主語のあとに打つ理由はない。
2)-2 ずっと反対してきた私は、いまでも反対です。
この場合は、主語が長いから読点を打ってもいい(必ず打つという意味ではない)。
2)-3 ずっと反対してきた私はいまでも反対ですが、ずっと賛成してきた両親はいまでも賛成です。
一文がこのくらいの長さだと微妙。読点が1つのほうが意味はわかりやすいが、少し読みにくいと思えば主語のあとに打ってもいい。これがもっと長くなってくると、主語のあとの読点なんて打っていられなくなる。
こういう説明を積み上げていくと、すんごくメンドーな気がするが、それは読点の問題が微妙でむずかしいから。でも説明できないわけではない。
読点に関して以前書いたものが2本ある。
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
前者は「赤い本」の一部。ホントに基本的なことしか書いてない。これ以上グチャグチャ書くと危険と判断した。後者は【伝言板】の一部。書いてからもう数年たとうとしているが、現段階では修正の必要は感じていない。
当然どちらも本多読本を踏まえている。
「朝日新聞の用語の手びき」よりはるかに詳しくて有用な『説得できる文章・表現200の鉄則』の記述についても2)で詳しく書いている。これを引用して「化石」に遅れをとる理由はないはずだ。
【続きは】↓
【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
【句読点に関する記述】
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
3)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび 毒抜き編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1253.html
4)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
5)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1255.html
6)句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1522.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
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mixi日記2010年05月日から。
句読点について書いた下記があまりにも毒分が強い気がするので、毒を抜いて書き直します。
【句読点の打ち方ふたたび※公開制限あり】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1487442872&owner_id=5019671
ふと思い立って「句読点の打ち方」についてネット検索してみた。
ちょっとビックリするほどいろいろな意見が飛びかっている。飛びかっている内容自体はそう代わり映えがしないのだが、件数がとにかくスゴい。なんでこんなに多いのだろう。
驚くべき珍説も多い。なかでもビックリしたのは、昭和21年(1846)に文部省教科書局調査課国語調査室で作成した「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を基準にしているものがあること。
【くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)】
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf
↓ ↓
http://nifongo.style.coocan.jp/kugiri.html
これをもってきますか。なかには、「現在でも公用文、学校教育その他で参考にされている」とか断言している人もいる。
現在でもホントに参考にされているか否かは知らないけど、あんなふうに断言するんだからそのとおりなんだろう。ハッキリ言えるのは、そんなもん参考にしているから「学校教育では句読点の使い方も教えない」って話になるってこと。
別に「古すぎる」ことを理由にダメ出しする気はない。ものすごく優れたもので、それを上回る理論がいまだに出ていないなら古い理論を持ち出すのもアリでしょう。でも、この「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」は本多勝一の『日本語の作文技術』(朝日新聞社・1976/朝日文庫=改訂版・1982。以下、「本多読本」と略す)でボロボロに書かれて、なんの論理性も正当性もない、ってほぼバレちゃってるの。本多読本の書き方は例によって容赦がないけど、そういう扱いを受けてもしかたがない代物だと思う。
それをいまさら持ち出しますか。そりゃ驚くって。まさか本多読本を知らずに句読点について語る気じゃないでしょうね。まあ、思想的に本多勝一を嫌う人はいるけど、それとこれとは別の話。
もちろん本多読本だって刊行されたのが1976年だから、決して新しくはない。でも句読点に関してはこれを上回る理論がほぼ見当たらないんだからしょうがないよ(いいのがあったら教えてほしい)。そのあたり、文章読本を書くセンセーはどう考えているんだろう。
改めて本多読本を開いて「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を確認して意外なことに気づいた。主語のあとに打つ」というルールは見当たらない。「三」の「副詞的語句の前後に打つ」の「附記」のなかに「私は、反対です」などが出てくるだけ(「私は、反対です」のどこが副詞的語句なんだろう)。学校では「主語のあとに打つ」とか教えていると思うけど、何を根拠にしているんだろう。
「主語のあとに打つ」はあまり重要ではないけど、まったくふれない「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」の態度もどうかと思う。
ちなみに「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」には「シロテン」という奇妙な記号も出てくる。これを採用している公用文や教科書があるのだろうか。
ということは、「現在でも公用文、学校教育その他で参考にされている」が勘違いなんじゃないか、って気さえする。
〈これがテンの打ち方における最も重要な、一ばん多く使はれる原則であって、この原則の範囲内で、それぞれの文に従ひ適当に調節するのである〉
あのー、つまり最も重要な部分の説明はないのね。ムチャすぎる。
ついでに書くと、解説中にある「最も重要な、一ばん多く」のような読点は相当マズいと思うけど、何かのギャグだろうか。
検索の上位の来るもののなかに、下記がある。
http://www13.plala.or.jp/hosonag/tohten%20uchikata.htm
↓
http://www9.plala.or.jp/juken1/toten.htm
真っ先にあげらているのは、「1)文の主題となる語のあと」。一般的にはこうなる。
このサイトの「読点の打ち方」はもっともらしいことが書いてあるけど、相当乱暴。ひとつひとつ検討していくと相当ヤバい。
あからさまにヘンな例を少々。
4)-1 主語が文の中間に置かれた場合、その前に打つ
(やぶの中から、ウサギが出てきた。)
その読点はなぜ必要なの? 主語のあとに打つ読点はどうなるの?
8)!(感嘆符)と?(疑問符)について
もともと外国語に用いられる符号であり、和文に用いる場合は効果的に。
あのー、いったいなんの話をしているのでしょうか。
こういうふうに読点を打つべき場所を細かくあげていくと、個々の指摘は正しくても(正しくないときもあるけど)、矛盾が出てくることがある。何を優先するべきなのかをハッキリさせる必要がある。
「朝日新聞の用語の手びき」を参考にしているものもある。手元にあるものを確認してみた。手元にあるのは相当古いものだが、大きくかわっていないことが怖い。
一般の文章読本なんかにもこんなふうに書いてある。ここまでわかりにくいのは珍しいか。
================================
一、誤読、難読の恐れがあるときに使う。
1)主題となる語につく助詞(提言の助詞「は」など)の次に。句・文が短いときは省いてもよい。
2)修飾語句が誤解される恐れのあるとき。
3)副詞の帰属を明らかにする必要があるとき。
4)修飾節の対象を明らかにさせるとき。
5)仮名や漢字がくっつきやすいとき。
二、語句を並べるときや、対立節に使う。
三、形容詞節と直接次に続く被修飾語の名詞との間には読点を打たない。
================================
これで句読点の打ち方がわかるなら誰も苦労しないって。実質的には何も書いてないのと一緒。
当方が、句読点のルールについて「これはとりあえず読む価値があるかもしれない」と考える基準にしていることがある。イチバン大事なのは「一文の長さとの関連性を書いているか」ってことなんだけど、そんなことを基準にすると、ほとんどのルールは×になる(笑)。
そこで、イチバンわかりやすいと思っているのは、「主語に相当する句」(メンドーなので、以後は「主語」と呼ぶ)のあとの読点の扱い。真っ先に「主語のあとに打つ」とか書いてあるのは×。だってそんなの重要じゃないんだもん。
↑にあげたあとの2つは、両方とも真っ先に来てるからそれだけで×。
ただ、「句・文が短いときは省いてもよい」って記述に注意してほしい。これは、「(主語になる)句」や「文(全体)」が短いときには「省いてもよい」ということだろう。一応一文の長さと関係している。
ただ、言葉足らずだと思う。正確に書くなら下記のようになる。
主語のあとには読点を打ってもいいことが多い(必ず打つという意味ではない)。
ただし、次の場合は極力打たない。
1)一文が長い場合
2)主語が短い場合
3)(近くに)別の理由で読点を打つべき場所がある場合
よく「一文が長いときは読点を多めに打つ」と書いてある心得がある。もっともらしいけど、これはウソです。一文が長い場合は読点の打ち方に気をつける必要がある。原則としては、一文が長いときほどできるだけ読点を減らさないと収拾がつかなくなる。それじゃ読みにくいと思う人は、一文を短くしなさい。これをちゃんと書くと長くなるので、下記の【第2章 4 句読点の打ち方 】を読んでもらうしかない。
ホントに単純な例で考える。「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」に出てきた「私は、反対です」なら一文が短いから「打ってもいい」。主語が短いから打たないほうがよい、とも言える。こんなに短い文ならどっちでもいい。
ところが、次のようなときは打ってはいけない。とくに重文や複文の場合はできるだけ打たないほうがいい。
1)-2 私は、母は、賛成で、父も、賛成ですが、反対です。
1)-3 私は、母は賛成で父も賛成ですが、反対です。
1)-4 母は賛成で父も賛成ですが、私は反対です。
1)-2がわかりやすいと思う人がいるだろうか。しかし読点が少ない1)-3ならまだなんとか理解できる。単純な構造にして1)-4にするともっとわかりやすい。1)-4で1つだけ残した読点はなくてもいいが、あったほうがいいだろう。1か所だけ打つならここしかありえない(重文の区切りの読点)。主語のあとに打つ理由はない。
2)-2 ずっと反対してきた私は、いまでも反対です。
この場合は、主語が長いから読点を打ってもいい(必ず打つという意味ではない)。
2)-3 ずっと反対してきた私はいまでも反対ですが、ずっと賛成してきた両親はいまでも賛成です。
一文がこのくらいの長さだと微妙。読点が1つのほうが意味はわかりやすいが、少し読みにくいと思えば主語のあとに打ってもいい。これがもっと長くなってくると、主語のあとの読点なんて打っていられなくなる。
こういう説明を積み上げていくと、すんごくメンドーな気がするが、それは読点の問題が微妙でむずかしいから。でも説明できないわけではない。
読点に関して以前書いたものが2本ある。
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
前者は「赤い本」の一部。ホントに基本的なことしか書いてない。これ以上グチャグチャ書くと危険と判断した。後者は【伝言板】の一部。書いてからもう数年たとうとしているが、現段階では修正の必要は感じていない。
当然どちらも本多読本を踏まえている。
「朝日新聞の用語の手びき」よりはるかに詳しくて有用な『説得できる文章・表現200の鉄則』の記述についても2)で詳しく書いている。これを引用して「化石」に遅れをとる理由はないはずだ。
【続きは】↓
【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
【句読点に関する記述】
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
3)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび 毒抜き編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1253.html
4)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
5)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび3】
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6)句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編
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