伝言板2  第1章-5 「ウマい文章」の正体――「主題」「構成」「表現」の3つに分けて考えてみる

 お品書きは下記参照。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html

第1章-5
 「ウマい文章」の正体
――「主題」「構成」「表現」の3つに分けて考えてみる

主題──そんな大事なことを教えてもらおうって根性が気に入らない
 テーマ、内容、アイデア、ネタ……いい方はほかにもいろいろありそうだ。まあなんでもいい。着想、発想なんてのもほぼ同じ(正確にいうと、「主題やテーマを思いつくこと」が着想や発想かな)。文章の要素を「主題」「構成」「表現」に分けたとして、最も重要なのは主題に決まっている。どれぐらいの割合を占めるのかは意見の分かれるとこだが、明快に示している文章読本もある。

【引用部】
 学術的な論文が成功するか否かは、九割以上、適切なメッセージを見出せたかどうかで決まる。うまいメッセージを見出せれば、ほとんど成功だ。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.11)

 この場合の〈メッセージ〉は主題とほぼ同じもの。続いて、学術論文に比べてメッセージの重要度が低い〈エッセイ、評論、解説文などの場合〉でも、〈八割方メッセージの内容〉で成功するか失敗するかが決まると書いてある。そこまで重要じゃないだろう、という人もいるかもしれないが、そんなことで言い争ってもしょうがない。
 どんな文章でもメッセージの比重が8割を超える、って話はうけたまわっておこう。ところが、この本でメッセージにふれた部分はそう多くない。

【引用部】
 メッセージ発見について言いうるのは、以上である。「ずいぶん簡単だな」と不満をもたれた読者が多いだろう。もしメッセージが八割の重要性をもつのなら、なぜ「メッセージの発見法」に本書の八割をさかないのか?
 これに対しては、「マニュアル的ノウハウがないから」と答えるしかない。ノウハウがないことを知るのが、ノウハウなのである。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.38)

 ここまで正々堂々と開き直られると、反論する気にもなれない。ないものはない……キッパリとした態度が清々しい。借金取りを追い返す一徹オヤジみたいに力強い。塩でも撒いとけってか。
 苦肉の策なんだろうが、一歩間違えると羊頭狗肉の策になりかねない……とツッコミを入れるのはむずかしくない。だが、この点をハッキリ認めてしまっているだけマシと考えるべきだ。そんなものはあるわけがないのに、認めようとせずにウダウダ書いてある文章読本が実に多い。書き手の独自性(やっぱり「オリジナリティ」と横文字を使うほうが自然だな)と密接にかかわってくることなのだ。他者に教えたり、他者から教えられたりなんてことができると考えるほうがおかしい。
 だいたい、なんで主題の見つけ方なんて教える必要があるんだろう。「何を書けばいいかわからない人」にアドバイスするため? そんなアドバイスに従って見つけさせていただいた主題なんて、ロクなもんじゃない。自力で発見するしかないの。プロの物書きも、この点でいちばん苦しんでいる。ただし、それは書くことを義務づけられた人たちの話。義務じゃない人まで、そんなことで苦しまなくてよろしい。
 文章読本のなかでとくに役立たず度が高いのが、この主題関係の記述だ。メモの取り方を工夫しても、新聞や雑誌を熟読しても、どんなありがたい教えに従ったってムダに終わることのほうが多い。役に立つとしたら、著者と読者の発想法がたまたま似ていたってこと。何十冊か文章読本を読めば、そういう幸運にめぐりあえるかもしれない。健闘を祈る。

構成1──起承転結は論文には向かない
 構成に関して書いている文章読本も多い。「第1章3」でふれた「書き出しに気を配れ」も、構成に関する心得になる。文章の構成って話でよく知られているのは、「五大心得」にもランクインしている「起承転結にのっとって書け」だ。似た感じのものに、「序破急」なんてのもある。
起承転結にのっとって書け」と説く文章読本はたしかに多い。しかし、そうじゃないって意見も少なくない。

【引用部】
 論証や説得を目的とする文章に限らず、一般に作文の構成を問題にするとき、まっさきに頭に浮かぶのは、「起承転結」の四部構成だろう。これは本来、漢詩の絶句の構成についていわれたものらしい。それがだんだん広まって散文にも適用されるようになる。(中略)
 起承転結に次いでよくとりあげられるものに、「序破急」という三部構成がある。これはもと、雅楽の楽曲構成上の三つの区分から出たものというが、のちに導入部・展開部・結末部という程度の意味に一般化して、能楽や浄瑠璃の脚本構成などに取り入れられ、さらに散文の文章構成にも広がった。事件を叙述する物語などでは、発端・経緯・結末というのがそれにあたる。論文では序論・本論・結論という三部構成がふつうに見られ、論理的な文章の基本形ともなっている。(中村明『悪文』p.53~54)

 そういうことですか。なんか頭にスンナリ入っていかないな。とくに「序破急」に関する記述の2番目の文がいけない。こんなに漢字が多い文で一文が100字近くなると、ついていけなくなる。
 それはそれとして、〈論理的な文章の基本形〉は〈序論・本論・結論という三部構成〉と書いてある。起承転結ではないらしい。

【引用部】
序論
叙述(説明)
論述(「たしからしさ」による証明)
補説(補足)
結語(井上読本p.206~207)

 これは紀元前5世紀頃にコラクスって人物が書いた〈史上最初のレトリック教科書〉の中に出てくる議論の組み立て方だ。〈どうやら最初から、ことの本質を言い当ててしまった〉ため、ヨーロッパ・レトリックの基本になった。「補説」が「反論」にかわったりはしても、とにかく基本は5分法。ここから〈説教の五段法〉や演説のための〈五分法〉が派生しているらしい。

【引用部】
 これらの五分法は、三分法(たとえば「序論・本論・結論」)へ、あるいは四分法(たとえば「起承転結」)へ、容易に移行し得るだろうし、うまく使えば役に立つだろうこともわかる。(井上読本p.208)

〈容易〉かどうかは定かではないが、まあ〈移行し得る〉可能性を否定する気はない。
 同じとこから出発しても別の意見にたどり着く場合もある。『文章構成法』はコラクスの5分法とほぼ同じものを紹介したあと、次のように書く。

【引用部】
これに反して、「起承転結」はもともと漢詩を構成するための順序である。「論」ではない。はじめから心を一つにした【もの】が集まって、さらに心を一つにするために詩の朗詠を聞く。日本の「起承転結」も、説得のための【もの】ではなく、心を一つにした仲のよい【もの】の中での表現の順序だ。(樺島忠夫『文章構成法』p.118。【】印は引用者による)

 趣旨はわかるが、いろいろとインネンをつけたいとこが多い文章だ。とりあえず、3回も出てくる「もの」のうち、1つ目と3つ目を「者」って漢字にしてくれていればずいぶん印象が違う(もちろん別の言葉に書きかえたっていい)。念のために書き添えておくが、これは「日本語は論理的な記述には向かない」って迷信とは無関係だ。
 起承転結は日本語の伝統的な文章の構成法である。起承転結は「論」には向かない。したがって日本語は「論」には向かないのである……もっともらしく聞こえるかもしれないが、こんなのは詭弁にさえなっていない。

【引用部】
 文章の構成について、昔から「起承転結」ということが言われてきた。しかし、これはもともとは漢詩の形式である。現在では、文学的エッセイで用いられる形式だ。論述文の場合は、これに従う必要はない。むしろ、「転」のところで別の話題が現れると(あるいはそれまでの論理展開が覆されると)、読者は当惑する。
 学術的な論文の場合には、序論・本論・結論の三部構成にするのがよい。面白みはないが、最初から妙技を求めるのでなく、手堅くやろう。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.95)

 ちょっと待った。このセンセーはエッセイを「論述文」に含めていたはずだ。エッセイには文学的エッセイとそうじゃないエッセイがあるってことになる(だから、それは書き手しだいってことでしょ)。まあいいや。とにかく「起承転結なんて関知しない」って態度なんだろう。
 こうやって並べてみると、起承転結は論文には向かないようだ。論文に向かないのなら、小論文なんかにも当然向かない。起承転結なんか意識していたら、すぐに制限字数を超えてしまう。

■構成2──起承転結はエッセイなんかにも向かない
 では論文以外の文章なら起承転結で書くべきなのか。
 コラム・エッセイを対象にしている『読ませる技術』は、〈よく文章には形があるといわれています〉と起承転結と序破急を簡単に説明している。そのあとで〈いろいろありますが、あまり気にしなくていいんじゃないかと思います〉と書いて、次のように続ける。

【引用部】
 でも、ひとつだけ、これは守ったほうが無難だろうということがあります。それは「首尾一致」。これは大事です。
 簡単にいえば、頭に振った話を最後にもう一回振るということなんですが、これは、やってみるとなかなか勝手がいい。(山口文憲『読ませる技術』p.94)

 サラリと流してしまい、別の話を始めている。「いきなり核心型」をすすめるセンセーだから、起承転結なんてすすめるわけがない。
 別な例を見てみよう。
『文章をダメにする三つの条件』は、いままで見てきた文章読本とはやや趣きが違う。作文教室で指導した経験をもとに、生徒の作品を盛り込んで解説している。「作文」ってジャンルはなかなかのクセ者で、非常に幅広い種類の文章を含む。身辺雑記的なエッセイが主で、意見文や旅行記なんかも入ってくるだろう。厳密な定義は無視するとして、その作文を書くときには起承転結の考え方は無用、と繰り返している。

【引用部】
この学生はバスの中やホテルで楽しかったことに見向きもせずに、自分が訴えたいことを、まず冒頭に持ち出している。そうすると、あとは論旨を補強するための材料をレンガ積みのように重ねていけばよい。文章の書き方のハウツー本に必ず出てくる「起承転結」というお題目は、ここでは無意味なものになる。(宮部修『文章をダメにする三つの条件』p. 50)

 どうやら、「いきなり核心型」に近い意見であることがわかる。さらに、起承転結の流れで書けることは少ない、とも書いている。

【引用部】
 作文を書くたびに、その内容と文章の流れ、転換がこのようにうまくはまることは少ないだろう。新聞でいえば、各紙の朝刊一面の下にあるコラム位が、どうにかこの展開を踏んで書かれているといえよう。(宮部修『文章をダメにする三つの条件』p.191)

 こうして見ていくと、当然ながら素朴な疑問が出てくる。起承転結って、いったいどんな文章を書くときに使うのだろうか。ここから先は個人的な「意見」になりそうなので、あとに回そう。

表現──文章道のなかでは、きわめて瑣末なこと
『文章をダメにする三つの条件』は、p.187~196で高校の教科書についてふれている。作文の扱いが軽いうえに、〈些(ママ)末すぎる〉ことを重視していることに批判的だ。

【引用部】
 次に「些末すぎる」点が、教科書の中にどのように現れているかを見よう。皮肉にも、私が授業現場で、無視もしくは軽く扱っている些細なことに、余りにもスペースがさかれている。私があえて“些末”としたのは文章力のレベルの低い者にとっては、“重要”であるどころか、書くときにそれを意識するあまりに、“邪魔”になりかねないと考えるからだ。(宮部修『文章をダメにする三つの条件』p.190)

 このあとに、〈些末な例〉が5つ示される。
1)起承転結 2)句読点 3)改行 4)体言止め、比喩の使い方 5)原稿用紙の使い方
 1)を別にすれば、たしかに瑣末といえば瑣末なことだ(「比喩」は考え方によっては重要になるが、その点についてはあとに回す)。
 3つに分けた文章の要素のなかで最も重要なのは主題。次に大事なのはたぶん構成で、いちばん重要度が低いのが表現ってことになる。いい方をかえて、主題や構成に関係なくてあまり重要でない部分はすべて表現の問題にかかわる、としてもいい。「すべて」だから量的にはメチャクチャ多いが、それでも重要度は低い。先の2)~5)は、表現の問題のごく一部だから、当然のことながら非常に瑣末なことになる。
 ただ、ここで考えてほしいことがある。最も重要なはずの主題については、有効なアドバイスをしている文章読本はほとんどない。次に重要なはずの構成については、いちばん知られている起承転結って心得の有効性さえあやしい。話にならないジャン。
 先にあげた本多読本の〈基礎技術〉のことを思い出してほしい。主題の話も構成の話も入っていない。すべて表現のレベルだ。つまり、才能に関係なく〈だれにも学習可能なはず〉なのは、表現のレベルだけってことなのだ。
 瑣末なことしかわからないんだから、文章読本を読んでもウマい文章なんて書けるわけがない。ガッカリしなくてもいい。何度もいうようだけど、ウマい文章を書こうとするのが間違いなの。ソコソコの文章を目指すなら、表現について注意するだけでイイ線まで行ける。しかも、このレベルは〈だれにも学習可能なはず〉って偉いセンセーのお墨付きなんだから(「はず」じゃうれしくないか)。

■個人的な「意見」を少々1──「起承転結にのっとって書け」も妄言では
「起承転結にのっとって書け」に反対する意見をさんざん引用してきた。じゃあ、起承転結派はどんなふうに書いているのか。具体的な例を引用していると長くなる一方なので、駆け足で見ながら簡単に反論する。

1)漢詩を引いて起承転結の有効性を主張する
 どんな漢詩を引っ張ってきてもいい。もともとは漢詩の形式なんだから、起承転結になっているに決まっている。これに準ずるもので、頼山陽の作といわれる俗謡(?)を持ち出している例も多い(目で人が殺せる超能力をもった「糸屋の娘」の話。興味のあるかたはお調べください)。これらは文章の話をしているんじゃないから、どんなにみごとに説明してあっても、相手をする必要はない。

2)4コママンガを引いて起承転結の有効性を主張する
 誰がこんなバカなことを始めたんだ。これも文章の話じゃないから関係ない。
 それ以前に、4コママンガは「起・承・転・結」の構成になっていることもあるが、それは少数派。「起・承・承・転&結」の構成のほうが圧倒的に多い。3コマ目まではフツーに進んで、4コマ目で話が飛躍して終わる。そうでなきゃオチにならないでしょ。マンガの読書量に関してはかなり自信があるから、信用していただきたい(たぶん、文章に関する記述よりは信用できる)。

3)具体的な文章の例を引いて起承転結の有効性を主張する
 起承転結で書かれた文章がないわけではない。先に引用した文章にも出てきたとおり、〈新聞でいえば、各紙の朝刊一面の下にあるコラム〉あたりは、起承転結になっていることが多い。そのなかでもデキのいい例だとたしかにカッコいいし、ウマいと思う。そういうコラムの担当者は、ぜひ研究してほしい。担当者じゃなくても、これをマネすればウマい文章が書けるのだろうか。もう結論はわかっていると思うが、なんとかマネできたとしても、クサい文章にしかならない。

 実際に自分で文章を書くときのことを考えると、起承転結なんて意識した覚えがない。材料がなくて決められた文章量に足りないとき、強引にあまり関係のない話を入れたことはある。これも「転」の一種かな? そういう苦しまぎれは論外として、長い文章が一本調子になったときに、ちょっと話をかえて寄り道をすることもある。別に起承転結を意識してのことじゃない。
 なぜ「起承転結にのっとって書け」なんて心得が流布したのだろう。いまでも高校の教科書にのっているらしいから、問題の根はきわめて深いのかもしれない。
 有名な心得ではあるが、妄言じゃないかって気さえする。どんな文章にも通用する万能タイプの心得のようだが、具体的にどんな種類の文章に向くのかを考えるとほぼ壊滅状態なんだから話にならない。たぶん「万能タイプの心得」ってのがクセ者だ。なんとなく全部に当てはまりそうで、実はどれにも当てはまらない。
 しつっこく繰り返してきた「文章にはいくつかの種類がある」って話がここでもカギになる。実用文のなかにもいくつかの種類がある。文章の種類が違えば、構成のしかたが違うのは当然のことだ。たとえば、エッセイと論文とでは構成のしかたがかわるに決まっている。それを区別せずに「起承転結にのっとって書け」なんて話を出すから、ヘンなことになるのだ。
 こう考えていくと、構成に関して役に立つ文章読本がどんなものなのか、おぼろげながら見えてくる。「エッセイの書き方」「論文の書き方」のように文章の種類を限定したものなら、役に立つ可能性はある。当然のことながら、限定してさえいれば必ず役に立つってわけじゃない。
 構成に関しては、「結論から書け」「肯定的意見から書け」といったわけのわからない心得も目にする。これだって、文章の種類を限定すれば、ある程度の効力はあるかもしれない(「好み」の問題って気もするが)。
 もうひとつ付け加えると、文章の構成を考えるときに重要なのは、文章の長さだ。長い文章と短い文章とでは、当然ながら構成がかわる。文章の「種類」と「長さ」。最低限この2点を考慮していなければ、構成について何が書いてあっても信用しないほうがいい。

■個人的な「意見」を少々2──瑣末な問題ではあるけれど
 表現に関する心得は、文章道のなかでは瑣末な問題だ。しかし、ソコソコの文章を目指すなら、非常に重要になる。ソコソコの文章ってどういう文章なのか、ってことを一応ハッキリさせておきたい。頭が痛くならずにスンナリ理解できる程度の文章、と考えてほしい(ちっともハッキリしていないが、正確な定義なんてできません)。
「そのぐらい誰だって書ける」と思う人もいるだろう。逆にきいてみたい。ここまでに引用してあった文章は、すべてスンナリ理解できただろうか(引用部以外についてはきいてないんだから考えなくてよろしい)。引用した当人は、頭痛を感じたものがけっこうある。
 文章読本を書くほどのセンセーでさえ、こうなのだ。フツーの人がフツーに書いた文章は、頭痛のタネになることがあっても不思議ではない。
 主題や構成に関しては、文章の種類によってさまざまな意見が飛び交ったりして、収拾がつかなかった。しかし表現に関しては、ちょっと事情が違う。テーマによっては意見が飛び交うこともあるが、さほど複雑ではない。しかも、表現の問題は文章の種類を問わずに通用することが多い。この点がとっても大事。
 第2章では、表現の問題に絞って、意見が飛び交っているあたりを中心に見てみたい。
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Re: 無断転載かもしれない

> 突然失礼いたします。
>
> 質問掲示板(OKWAVE)にて、URL欄に記載した質問の回答No.5で、貴ブログの本ページがかなりの量を転載されています。当該回答者が貴ブログ主様でなく、転載が無断だったら、と危惧し、ここにお知らせします。
>
> これより質問掲示板運営にも、著作権侵害の恐れがあると通知します。


 わざわざありがとうございます。
「1311tobi」は、当方が教えて! gooで使用しているHNです。
 ご心配なく。
 さらに言えば、別人だとしてもリンク先が明記されていればさほど問題がないと考えていますが、実際にはどうなのでしょう。


 

No title

>フツーの人がフツーに書いた文章は、頭痛のタネになることがあっても不思議ではない。

同感ですね。他山の石としたいと思います。

zih*s*uppan*さん

 はじめまして……ですよね。
 はじめてならばそれなりの書き方をしていただけませんか。
 返信のしかたに悩みます。

>他山の石としたいと思います。
 どういう意味でお使いでしょうか。「誰が」「何を」他山の石にするのでしょうか。
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