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体言止めの使い方【2】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1486031711&owner_id=5019671

mixi日記2010年07月14日から
 直接的には下記の続き。
【板外編10】体言止めの使い方【1】(2009年11月06日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-769.html

 ちと思うところがあって、体言止めについて書く。
 まず体言止めとは何か、というところから始めたい。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E4%BD%93%E8%A8%80&stype=0&dtype=0
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たい‐げん【体言】
単語を文法上の性質から分類したものの一。自立語の中で、活用がなく、主語となることのできるもの。品詞より上位の概念を表すために用いられ、一般に名詞・代名詞の2品詞に細分される。なお、学説により、名詞・代名詞・数詞の3品詞に細分することもあり、また、形容動詞を認めずに、その語幹に相当するものを体言に含めることもある。⇔用言。
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たいげん‐どめ【体言止(め)】
和歌・俳諧などで、最後の句を体言で終わらせること。余韻・余情を生じさせる効果がある。名詞止め。
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 まあこういうことになるよね。早くも挫折しそ。
 まあ、あんまりむずかしく考えるのはやめよう。文章などが「名詞的なもの」で終わる形……くらいで許してもらおう。元々は「和歌・俳諧など」で使われたのだろう。ただ、現実に即して考えると、当方は和歌も徘徊(←オイ!)も嗜まないが、体言止めはけっこう使う。
 世間一般で考えても、フツーの文章のレトリックのひとつとして広まっている。とくに、記事の見出しなどは体言止めになっていることが非常に多い。
 今度はWikipediaを見てみる。

■Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E8%BE%9E%E6%8A%80%E6%B3%95#.E4.BD.93.E8.A8.80.E6.AD.A2.E3.82.81
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体言止め

体言(名詞・名詞句)で文章を終えること。名詞止めとも称する。言い切らずに、文の語尾に付ける終止形を省き、体言で止めて、強調させたり、余韻を残すことをいう。もともとは俳句や短歌の技法だったが、1990年代に若年層で流行した。それ以前から星新一をはじめとする小説家が著作で盛んに用いており(例:「私は科学者。実はこの…」)、このことも影響しているであろう。

特に感動を表現するために、例えば「水が流れる」という文の主語・述語の順番を逆にして「流れる水よ」のように体言で止める言い方を、喚体句という。
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「1990年代に若年層で流行した」のか。知らなかった。
 当方の漠然とした感覚で書くと、それ以前から、若年層は使っていた。年配者は嫌う人が多かった。いい加減な文章を書く人は使っていた。ちゃんとした文章を書く人は嫌う人が多かった。この傾向はいまでもかわらないと思う。ただ、現実には体言止めの文章を目にする機会は圧倒的に多くなっている。
 理由は簡単。インターネットの普及によって、若年層のいい加減な文章が人目にふれるようになったから。これをきわめて簡潔に表わすと「バカが意見を言うようになった」http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-925.htmlってこと。

 辰濃和男は『文章の書き方』(p.183)で次のように書いている。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-768.html
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 歯切れのいい文章にしたい、という理由もあるのでしょう。体言止めを使うといかにも新聞記事らしくなるから、という人もいるでしょう。たしかに、体言止めを上手に使うことで、独特の味をだした新聞記事があることは認めます。ですから体言止め、助詞止めをいっさい使うなというつもりはありません。乱用はいかがなものかといっているのです。
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 本多勝一は『日本語の作文技術』(P.217)で次のように過激に決めつけている。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-137.html
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 例外的な場合とか特別な目的がある場合は別として、第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない。体言止めは、せまい紙面でなるべくたくさんの記事を押しこむために、たぶん新聞で発達した形式ではないかと思う。(中略)
 素直に考えてみよう。いったいだれが、実際の会話の中で「…… 景気は回復。」とか「……という前提での予測。」というような体言止めの話し方をするだろうか。そんなに体言止めが好きなら、カギカッコをはずして間接話法にすればよろしい。
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 要点は2つだろう。
・第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない
・会話の中で体言止めを使うのはとくに不自然
「多用するのはよくない」というのもほぼ事実だが、「多用」か否かを示す指標がないので、どうしても論調は弱くなる。
 これが一般的な年配者の意見。そのとおりだと思うから逆らう気はない。
 個人的な話をすると、当方は若い頃はあまり体言止めを使わなかった。「いい加減さ」や「第一級の文章家でないこと」にかけては人に後れをとる気はないんだけどさ。
 ある時期からかなり意識的に体言止めを使うようになった。それだけ文章がくずれてきた……という可能性を否定する根拠はない(泣)。それでも、自分なりのルールは決めている。
 〈【板外編10】体言止めの使い方〉に書いたことから引く。
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  1)後ろのデス(デシタ)が省略されている形
   例 体言とは名詞、代名詞などの総称のこと。
  2)後ろのシマス(シマシタ)が省略されている形
   例 自然の美しさを実感。
  3)「倒置」によって生じた形
   例 東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。
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 この3つの種類のうち、2)は基本的に使わない。3)はどうしても技巧的な感じになる(「クサくなる」と言ってもいい)ので、注意して使う。1)は、デアル体の文章に関してはほとんど体言止めにしている気がする。仕事で書く原稿とプライベートの文章では相当違ってくるけど。
 非常に素朴な疑問なんだが、3)についてふれた文章を見ることはあるけど、1)と2)の違いについて書いてある文章を目にしたことがない。
 ↑の『日本語の作文技術』の文章も、1)と2)を区別していない。
「……景気は回復。」は2)だろう。
「……という前提での予測。」は1)だろう(「……という前提で予測。」なら2)になる)。
 これをいっしょくたにするのはマズいでしょう。1)と2)とでは読んだときの印象がかなり違う(はず)。

【続きは】↓
体言止めの使い方【3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1408.html
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