マンガ85-86/読書感想文/『四コマ漫画』清水勲 【1】&【2】
下記の仲間。
【マンガ関連なんでもかんでも】 お品書き
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どさくさまぎれのPR。
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mixi日記2010年07月21日から
「漫画」という表記にどうにも異和感がある。たしかに昔はこう書いたのだろう。前にmixiニュースかなんかで、漫画がマンガになり、さらにMANGAになって世界に広まった……みたいなことが書いてあった。そこまで書くと●●の気がするが、どうにも「漫画」という字面を見ると、とんでもなく時代がかってくる気がする。
昔からマンガ評論家と呼べる人たちはいた。ただ、古い世代のマンガに対する認識はちょっとズレている気がする。分岐点は呉智英ではないかと勝手に思っていて、たしか呉智英は古い世代をボロクソに書いていた。ここでそのあたりの話を始めると収拾がつかなくなりそうなんで、中身を見ていく。
4コママンガにほぼ限定した評論は珍しい。資料としても非常に貴重。ただ……。
目次を見るだけで、内容が豊富なことがうかがえる。でも……。
1 四コマ漫画の誕生──江戸時代
2 西洋四コマの到来──明治時代
3 新聞連載四コマの登場──大正時代
4 第一次「新聞四コマ漫画」ブーム──昭和戦前
5 第二次「新聞四コマ漫画」ブーム──昭和二〇年代
6 サラリーマンが主役──昭和三〇・四〇年代
7 「雑誌四コマ」の時代──昭和五〇・六〇年代
8 不条理四コマ・萌え四コマ──平成から21世紀へ
個人的に支持できるのは昭和50年代以降かな。それ以前の四コマって……。
そりゃ『サザエさん』は知っている。実家の物置きにあった数十冊の単行本も読んではいる。でも、おもしろいかと訊かれたら……。
目次に沿って書くなら、「7」の「二人の天才漫画家の誕生」あたりからはリアルタイムでだいたいわかる。ここで言う「二人の天才」はいしいひさいちと植田まさしのことらしい。いしいひさいちが天才であることに異論を唱える気はない。ただ、植田まさしが同格って言うのは……。
【引用部】
漫画は一般に、一枚絵漫画の「カートゥーン」とストーリー漫画の「コミック」に大別されてきた。しかし、三〇〇年にわたる日本の大衆漫画(そのスタートは江戸中期の木版刷による戯画本から始まる)の歴史を振り返ってみると、そのどちらにも属さない短いコマ(齣、「一区切り」あるいは「一場面」の意。四角の枠を使う場合が多い)を使った漫画が多数生み出されてきたことも明らかである。
(中略)
そうしたコマ漫画の中で日本人に最も受け入れられ定着したのが四コマ漫画である。「起承転結」というそのリズムが日本人の感性にあったのかもしれない。このリズム感は東アジアの人々にも心地よいようで、四コマ漫画は中国や韓国でも定着していった。中国の名作漫画「三毛」(張楽平)や韓国の新聞漫画の代表作「コバウおじさん」(金星煥)も共に四コマ漫画である。(p.ii)
どうツッコミを入れていいのかわからない。
・〈ストーリー漫画の「コミック」〉って言い方はどの程度一般性があるのだろう。「ギャグマンガ」に対する「ストーリーマンガ」ならよく見るけど。あるいは「4コママンガ」に対して「ストーリーマンガ」って言い方もできるだろう。
・「大別されてきた」なんて、そんな話は初めて聞いた。
・大衆漫画って……。漫画にも大衆漫画と純漫画があったのだろうか。そりゃある種のマンガは純文学マンガと呼びたくなるような雰囲気をもっている。でもそれはまったく別の話だろう。
個人的には四コマ漫画は「起承転結」ではなく「起・承・承・転&結」であるべきだと思っている。そのほうがオチのキレがよくなる。まあ、一般には「起承転結」と考える人が多いので、それでいいや。で、そもそも「起承転結」ってなんの技法か知ってるのかな。元々は漢詩の技法ですよね。「東アジアの人々にも心地よい」のは当然でしょうに。決して4コママンガのリズムが心地よかったわけではないと思うよ。
どうでもいいけど、「そのスタートは江戸中期の木版刷による戯画本から始まる」って三重言だろうな。
【引用部】
古代・中世が肉筆による漫画の時代であったのに対し、江戸時代は木版刷による複製漫画が登場するようになり、漫画の大衆化が始まる。現代日本が世界有数の漫画大国であることは、マンガ・アニメが世界中にファン層を拡大し、日本を代表する大衆文化になってきたことからもわかる。しかし、大多数の日本人は日本が漫画大国になったのは最近のこと、あるいは戦後にことだと思っているようである。
しかし、意外と思われるかもしれないが、日本が漫画大国になったのは江戸末期なのである。
とくに戯画浮世絵という多色刷漫画文化が世界に先がけて花開いた。(p.2)
本文の始まりの部分。いくらなんでも最初の一文がコレって。勘弁してほしい。
「しかし、」の連続もマズいでしょうに。
もうひとつ書くと「日本を代表する大衆文化になってきた」はどうなんだろう。「大衆」がなければ、そのとおりだと思うが、「大衆」をつけると、とたんに否定的なニュアンスになる気がする。
それは別にして、「戯画」の類いをマンガと考えるか否かは微妙。仮にマンガの一種と考えるとして、「漫画大国」とか「世界に先がけて花開いた」が妥当か否かは判断しにくい。
【引用部】
明治の漫画は、新聞・雑誌という定期刊行物の登場によって、そこに発表の場を得て発展していく。さらに、漫画雑誌という新しいジャーナリズムが登場する。明治七年、仮名垣魯文・河鍋暁斎(きょうさい)が『絵新聞日本地(にっぽんち)』を横浜で創刊した。同地でイギリス人C・ワーグマンによって発行されていた『ジャパン・パンチ』を真似たものである。三号で廃刊になるが、『寄笑(きしょう)新聞』(明治八年)『団団珍聞(まるまるちんぶん)』(明治一〇年)の創刊を促した。(p.14)
何が書いてあるの? 明治7年に初のマンガ雑誌が登場したらしい。それまではマンガ雑誌はなかったのね。「マンガ大国」なのに。で、3号で廃刊ですか。なんてみごとなカストリ雑誌ぶり(笑)。「マンガ大国」なのに。で、『ジャパン・パンチ』ってのはなんだったの?
以前から気になっていたことがあって、調べてみた。「ポンチ絵」の語源は?
不思議なことにいつも見る語源のサイトは2つとも記載なし。フツーの辞書に出ていた。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%81&dtype=0&stype=2&dname=0na&pagenum=1&index=20029017155100
================================
ポ ンチ‐え〔‐ヱ〕【ポンチ絵】
風刺や寓意を込めた、こっけいな絵。漫画。
◆英国の風刺漫画雑誌「パンチPunch」からとも、またはこれ にならって文久2年(1862)ごろに英国人ワーグマンが横浜で発刊した漫画雑誌「ジャパン‐パンチThe Japan Punch」からともいう。
================================
■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%BD%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%88&dtype=0&stype=1&dname=0ss
================================
ポンチえ[―ゑ] 30 【ポンチ絵】
風刺を込めた滑稽な絵。漫画。ポンチ。パンチ。
〔補説〕 1862 年頃、画家ワーグマンが創刊した英文の漫画雑誌「ジャパン‐パンチ(The Japan Punch)」に掲載された漫画を称したことによる
================================
つまり、『ジャパン・パンチ』もマンガ雑誌だったんだよね。
訳わかんない。で、この『ジャパン・パンチ』が「ポンチ絵」の語源らしい。さらに言うと、『絵新聞日本地』って雑誌名も「ポンチ」と「日本」をかけているんだろな。さらにさらに言うと『平凡パンチ』もこの流れを汲むんだろうか。
p.29掲載の読売新聞初の4コママンガ(明治25年)に、「袖ふりあふも多少の縁」とある。一般には「多生」で、「多少」は間違いとされる。作者が間違ったのか、当時は「多少」のほうが一般的だったのか。
p.54~55に大正期に「時事漫画」の細か図別の作品割合がのっている。こういうことを研究している人には貴重な資料かもしれない。少なくともこの時代には4コマが主流ではないことがうかがえる。
1コマ 501点 27%
2コマ 167点 9%
3コマ 266点 14%
4コマ 350点 19%
5コマ 103点 6%
6コマ 304点 16%
7コマ 14点 1%
8コマ 59点 3%
9コマ 39点 2%
10コマ 16点 1%
11~33コマ 36点 2%
【引用部】
近代の新聞漫画発展史を見ていくと、新聞漫画が急にその掲載数を減らしていく年がいくつかある。大正一~二年、昭和一~二年である。それを私は不思議に思っていたが、最近それが天皇逝去による自粛であることに気がついた。(p.68)
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
そんなことを憶測で断言されても……。そのとおりかもしれないし、単なる偶然かもしれないし。新聞社の話でも聞かないとなんとも言えない。
【引用部】
この作品は米国漫画「猫のフェリックス」を意識しているが、それとは一味ちがってやさしくて愛敬がある“人情味”あふれたキャラクターとして描き、人気を博した。(p.88)
昭和14年1月~8月に「東京日日新聞」に連載された『ネコ七先生』(島田啓三)の話。実物が転載されているが、どう見ても少し線が汚いフェリックス。極東のよくわからんマンガ家がやったことだから問題にならなかったんだろう。現代の「マンガ大国」でこんな作品を発表したら、ネットで騒ぎになり、連載は確実に打ち切りになる。
【引用部】
連載は昭和一五年から単行本化されてさらに人気を得る。秋玲二は戦後も『よっちゃんの勉強漫画』シリーズ(毎日新聞社)や『サイエンス君の世界旅行』シリーズ(さ・え・ら書房)などを出し、学習漫画のパイオニアになった。この流れは昭和六一年の石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』の大ヒットへとつながり、教養書のコミック化ブームをもたらした。(p.90)
マンガのジャンルに「学習マンガ」と呼ばれるものがあるのは事実だろう。このあたりは学習研究社あたりに聞かないとよくわからない。でもその嚆矢が戦前ってのはどうだろう。ハッキリとはわからないが、どこかで途切れてないかな?
さらに言えば、「学習マンガ」が『マンガ日本経済入門』につながるってのも……。
だって読者対象が違いすぎない? 同じようなもんかな? あれはどちらかと言うと、「学習マンガ」ではなく「蘊蓄マンガ」じゃないかな?
「学習マンガ」の得意分野は「科学」「歴史」あたりだけど、「経済」があってもおかしくはない。でもなぁ……。
この話はこのあとにも出てくる。
【引用部】
関西での戦後初の新聞連載四コマ漫画は、『少国民新聞』大阪版(のちの『毎日小学生新聞』関西版)に昭和二一年一月四日から三月三一日まで連載された手塚治虫「マアチャンの日記帳」(図41)であろう。(p.100)
これは知らなかった。調べてみると、Wikipediaレベルにもちゃんとのっているorz。
【引用部】
現在、日本には五〇〇〇人の漫画家、二万人を越えるアシスタントがいるといわれる。世界最大の漫画家大国である。明治末期に北沢楽天たった一人であった漫画家は現在五〇〇〇人(このうち一割ぐらいが完全な職業漫画家で、残りは他の仕事をしながら作品を発表している)を越え、さらに同人誌に描いている者が一〇万人余いる。彼らが漫画家のアシスタントと共に、職業漫画家の予備軍になっているのだ。(p.129)
あのね。なんで5000人が2回も出て来るのかは知らない。ちょっと整理するね。
マンガ家5000人(うち兼業マンガ家が約9割)
アシスタント2万人
同人誌マンガ家10万人強
それなりの根拠があって書いていることだと思うけど、「兼業マンガ家」と「アシスタント」って分けられるのかな?
同人誌マンガ家10万人ってそんなにいるんだ。
「職業漫画家の予備軍」という意味なら、もうひとつ大切な要素がある。同人誌にも参加していない素人も相当数いるでしょう。うんとイヤな書き方をすると、同人誌マンガ家からプロになる例は、最近はボツボツ出てきたけどまだ限られている気がする。あれはちょっと特殊な世界だから。
妙なことを考えたんだが、イラストレーターって、ここにはカウントされないのかな?
たとえば、文章の世界だともう少し歪んでいて、小説家とライターという分け方があり、ほかにもいろいろな人種がいる。たとえば、編集者とライターをどう分けるか。会社に属している記者はどうなる? もっとマニアックなところだと、投稿などで小遣い稼ぎしている人は?
【引用部】
「台湾では漫画は小学生が読むもので、中学生になると親から漫画を読むなといわれる。日本ではそういうことはないのか」と質問された。私は「日本ではある社会的事件から、親は子に漫画を読むな、といわなくなった。どんな事件だと思いますか」と逆に質問をかえし、会場の人々に一瞬考えさせた。そして「漫画家が高額所得者番付に入ってから」というと、会場は大爆笑となった。昭和五〇年代ごろから漫画家が長者番付に毎年顔をだすようになる。(p.144)
これはさすがに違うだろ。それを言うなら、「高額所得者番付に入るようになってからマンガ家の社会的地位が上がった」ってこと。
古くは小説家の社会的地位は低かった「男子一生の仕事にあらず」なんて言われた。長らく、アウトローと言えば格好がいいが、社会生活不適合者と見られていた。だってさ。太宰治とか芥川龍之介の末期を考えてよ。ノーベル賞まで貰った川端康成であのザマよ。最悪は三島由紀夫?
例外なのはマイホームパパの森鴎外くらいで、夏目漱石も家庭人としてはホニャララだったらしい。問題行動と言えば檀一雄も有名だし。当方のイメージでの最後の無頼派は吉行淳之介。このあたりまでの文士は相当ヤバかった。最近の小説家はすっかりまともな人間になってしまった。一部にはいろいろウワサもあるけど。山●美●とか。
別に小説家に限ったことではない。役者なんて「河原●食」だったし、芸人あたりはつい数年前までは根深い偏見をもたれていた。
職業としての社会的地位が低いと起きそうな問題がとりあえず2つある
1)子供がその職業につきたい、と言ったときに親が反対する
2)結婚相手の職業として好ましくない印象がある
昔聞いた話。井上陽水が彼女(たぶん1人目だろう)の親に挨拶に行った。相手の父親は「歌うたいになんか嫁にやれるか!!」とスゴい剣幕で相手にしない。そこで陽水は用意してきた預金通帳を見せる。そこに9桁の残高があるのを見て、相手の父親は黙った。
マンガ家もひと昔前には安定した生活ができるのはほんのひと握りだった(いまでもそんなに多いわけではないらしい)。
で、話を戻す。日本の親が「マンガを読むな」と言わなくなったのは、諦めたんだと思う。ただそれだけ。かくして現代ではいい大人が電車の中でマンガを読んでいる。困ったもんだ。当方は仕事がらみだからしかたが読んでるけど、早く卒業したい(泣)。
【引用部】
昭和六一年には石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』がヒットし、教養書のコミック化が盛んになってくる。それまで「勉強漫画」「学習漫画」というジャンルがあったが、大衆向け教養書のコミック化は新たな市場を開拓していくことになる。(p.145)
こういう話なら理解できる。学習マンガの流れが〈石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』の大ヒットへとつながり〉って話と、〈新たな市場を開拓していくことになる〉って話がどう折り合いを付けるのかは知らない。個人的には、『マンガ日本経済入門』から始まったとされるマニュアルなんかのマンガ化って現象は嫌い。
図解が必要なものは図解すればいい。でも文章のほうが簡潔に伝わることをわざわざマンガにする意味がわからない。なんでもかんでもマンガにすればわかりやすいなんて思ってもらっちゃ困る。マンガとしてのおもしろさのカケラもない間延びした説明絵物語は、マンガなんかじゃない。
【引用部】
こうして昭和五〇年代、二人の天才漫画家が雑誌から誕生した。いしいひさいちと植田まさしである。昭和五三年、『漫画アクション』に連載されたいしいひさいち「くるくるぱーティー」はタイガースやジャイアンツの野球選手・監督などが実名入り、似顔絵入りで描かれた四コマ漫画で、『がんばれ!!タブチくん!!』という題名で単行本になって大ヒットし、「雑誌四コマ漫画」ブームの起爆剤となった。(p.146)
当方の初めてのいしいひさいち体験はいつだったろう。どこで見たか覚えていないが、実質上のデビュー作である『oh!バイトくん』を見ている。いままでに見たことのない種類のギャグはとてつもなく新鮮だった。それまでの四コマ漫画は、ハッキリ言ってつまらなかった。新聞にのっている4コマは、マンガとは別のものに思えていた。
本書は「いしいひさいちは現代四コマ漫画の旗手といってよい」「植田まさしはアイディアの天才である」と評し、あたかも二大巨頭にように書いている。個人の評価だからどう書いてもいいのかもしれないが、この2人を同格にするのはやっぱり疑問。
このあと本書の記述は相当錯綜する。いしいひさいちの朝日新聞への登場を書かずに、植田まさしは昭和57年から読売新聞の『コボちゃん』の連載を始める。『となりのやまだくん』の話が出てくるのは、なぜかp.165。
その後話は園山俊二、加藤芳郎の妙な逸話。植田まさしの『コボちゃん』、東海林さだおを経ていがらしみきおへ。いったいどんな脈絡なんだろう。
ふと思ったが、いがらしみきおって、四コマも描けば、フツーのストーリーマンガも描く。これってけっこう珍しくないか?
ふだんがストーリーマンガを描いている人が、雑誌の企画かなんかで4コママンガを描くことはある。それはあくまで余技の範疇だろう。
この話は課題にする。
このあと本書は『オバタリアン』(堀田かつひこ)の話で「7」をしめくくっている。
【引用部】
雑誌四コマ漫画は単行本化されて作者に高額の印税収入をもたらす。植田まさし・堀田かつひこの作品などがその例である。それに対して新聞四コマの単行本化は「サザエさん」にように長年かけてシリーズ化して成功した例はあるが、一般的に単行本化は販売の面で厳しいようである。
その理由は、新聞四コマは時事的テーマが多いため、単行本化時にはわかりにくくなるからだろう。それに対して雑誌四コマはギャグ漫画(人間性を諷刺した漫画)が多く、時間が経っても古くならないからだと思われる。(p.162)
えーと。最近の新聞4コマで言えば、『ののちゃん』(いしいひさいち)とか『コボちゃん』は、時事問題はほとんど取り上げてないと思う。
新聞4コマの単行本が売れないのは、植田&いしいを起用するまでは、単行本が売れない作家を使っていた影響が大きいのでは。ただ、植田&いしいクラスでもダメとなると、理由はひとつしかない。新聞4コマがつまらないの。
そもそも、新聞4コマだと下ネタや毒のある表現がむずかしい(スポーツ新聞だと相当エグいのもアリだけど)。この両方を封じられると、けっこうつらいはず。ファミリー(もしくはサラリーマン)を主役しなければならない制約もある。しかも、ほぼ毎日描くという制約も大きい。おもしろい4コマを描きつづけるのは至難の業だよ。候補が浮かばないわけではないけど。
「8 不条理四コマ・萌え四コマ──平成から21世紀へ」に入ると、知っている作品が多くなっていままでとは感じがかわる。それだけ親しみが湧くが、その一方で首を傾げることも多くなる。
ちょっと話を戻すが、本書の「7」のまとめの部分に以下のような記述もある。
【引用部】
そしてこの時代、いがらしみきおという異色の漫画家が「何かわけのわからない、でもおかしい」という新しい四コマ漫画を創造する。これは彼の休筆宣言で終わってしまうが、それを見た次の世代の漫画家たしの創作の源泉になっていった。「不条理四コマ」はもう芽を出していたのである。(p.161~162)
こういう見方もアリだろう。ただし、4コママンガ以外に目を向ければ、「不条理マンガ」に近いものはいくらでもあった。
一般に言われるのは、まず『がきデカ』(山上たつひこ/1974年44号~1980年52号)。このインパクトはスゴかった。
これに続くのは『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史/1977年~1980年)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ/1977年~1979年)あたりだろうか。
ただ、このあたりのギャグマンガは「ナンセンスギャグ」と呼ばれたと思う。それなら赤塚不二夫が……という説はごもっともだが、『がきデカ』以降のギャグマンガはスピード感や空気感が違う。この話もとりあえずパスしておこう。
【引用部】
平成一年は手塚治虫・田河水泡・秋好馨・那須良輔・小川武が亡くなり、多くの漫画ファンに一つの時代が終わった感を与えた。同じ年、吉田戦車「伝染るんです。」が『ビッグコミックスピリッツ』に連載され、その不可解なギャグが話題と人気を呼び、そうした漫画を「不条理四コマ」と呼ぶようになる。またこの年、秋月りす「OL進化論」が『週刊コミックモーニング』に連載され、長谷川町子以来の女性四コマ作家として注目されはじめた。(p.165)
一般に「不条理マンガ」の祖は吉田戦車とされる。これは妥当な考え方だろう。
秋月リサが「長谷川町子以来の女性四コマ作家」というのはなんかの勘違いだろう(後述)。とりあえず、森下裕美をあげておく。本書の巻末の索引によると、〈昭和57年、『ガロ』と週刊『少年ジャンプ』でデビュー〉している。いったいどういうデビューだったのだろう(笑)。
【引用部】
平成一六年から『コンプティーク』『少年エース』『エース桃組』などに連載された美水かが
み「らき☆すた」は、可愛い少女たちを主人公に、その日常会話のユーモアを四コマ漫画にまとめて評判になる。平成一七年から単行本になり、アニメやゲームにもなって人気を得た。いわゆる「萌え四コマ」の誕生である。(p.166)
困った。『らき☆すた』ってタイトルくらいしか知らない。絵柄を見るだけでパスしたくなる。「萌え四コマ」って、すでに定着した言葉でしょうか?
Wikipediaによると、2002年創刊の「まんがタイムきらら」によって本格化したジャンルらしい。このジャンルでイチバン有名な作品は『けいおん』だと思う。『けいおん』の初出は「まんがタイムきらら」の2007年5月号。2009年8月刊の本書がなぜふれていないのかは不明。
【引用部】
まずキャラクターである。ののちゃんの担任、藤原先生がきわめてグータラな教師として描かれ、毎日勤勉かつハードに働く日本人の本音の具現者としてなかなかの存在感をもって登場する。このようなキャラクターはこれまで新聞では絶対に描けなかった。また、「がんばれ!!タブチくん!!」に登場したタブチくんや広岡カントクが、それぞれ先生役、町医者役として登場、手塚漫画のようなスター・システム(キャラクターの再利用)を導入している。(p.167~168)
〈本音の具現者いしいひさいち〉(p.166~)で、やっと『となりのやまだくん』&『ののちゃん』についてふれている。この連載でこれまでの新聞四コマになかったものがいくつか登場しているらしい。
どこからツッコミを入れようか。
〈本音の具現者〉って、そんな的外れな褒め言葉をもらってもうれしくないだろう。「まずキャラクターである」にはちょっと驚いた。キャラなしでマンガを描けるのか? あとを読むとわかるが「グータラな教師というキャラクター」という意味。だったらそう書いてね。ただ、新聞4コマに登場するサラリーマンって、けっこうグータラだと思う。町医者のヒロオカ先生も、もっと古くから見ている気がする。
【引用部】
昭和期の長谷川町子・矢崎武子に続く、平成期の女性四コマ漫画作家として、森下裕美と秋月りすが注目される。森下は昭和六三年から平成六年にかけて『週刊ヤングジャンプ』に「少年アシベ」を連載。少年たちの日常生活や可愛いアザラシのゴマちゃんとの交流を描き人気を得る。アニメにもなった。平成一四年から『毎日新聞』夕刊に「ウチの場合は」を連載中。(p.173~174)
そうか。森下裕美も新聞連載をしているのか。こうなると次の新聞連載の候補はますます絞られる。イチバン起用したいのは秋月りす。だって、サラリーマン&OLが主役で、下ネタも毒もなし……だと彼女以上の作家を思いつかない。ただ、寡作でマイペースな人らしいからむずかしいか。
新聞4コマが庶民の生活をかいま見る絶好の素材と考える筆者は、巻末に「四コマ漫画の中の消えつつある言葉」をあげている。1年ひとことずつ選んでいるのだが、このラインナップがまた……。
とくに疑問を感じたものをいくつか。
「おはひにくさまァ…」(大正4年)
「門前市をなし」(大正5年)
「思召(おぼしめし)」(大正7年)
「読めた」(大正9年)
※「わかった」の意味。これなんかはバリバリの通常語だろう。
「滅相モナイ」(昭和20年)
「お里が知れる」(昭和31年)
「失敬じゃないか」(昭和38年)
「炯眼おそれいります」(昭和40年)
【マンガ関連なんでもかんでも】 お品書き
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「漫画」という表記にどうにも異和感がある。たしかに昔はこう書いたのだろう。前にmixiニュースかなんかで、漫画がマンガになり、さらにMANGAになって世界に広まった……みたいなことが書いてあった。そこまで書くと●●の気がするが、どうにも「漫画」という字面を見ると、とんでもなく時代がかってくる気がする。
昔からマンガ評論家と呼べる人たちはいた。ただ、古い世代のマンガに対する認識はちょっとズレている気がする。分岐点は呉智英ではないかと勝手に思っていて、たしか呉智英は古い世代をボロクソに書いていた。ここでそのあたりの話を始めると収拾がつかなくなりそうなんで、中身を見ていく。
4コママンガにほぼ限定した評論は珍しい。資料としても非常に貴重。ただ……。
目次を見るだけで、内容が豊富なことがうかがえる。でも……。
1 四コマ漫画の誕生──江戸時代
2 西洋四コマの到来──明治時代
3 新聞連載四コマの登場──大正時代
4 第一次「新聞四コマ漫画」ブーム──昭和戦前
5 第二次「新聞四コマ漫画」ブーム──昭和二〇年代
6 サラリーマンが主役──昭和三〇・四〇年代
7 「雑誌四コマ」の時代──昭和五〇・六〇年代
8 不条理四コマ・萌え四コマ──平成から21世紀へ
個人的に支持できるのは昭和50年代以降かな。それ以前の四コマって……。
そりゃ『サザエさん』は知っている。実家の物置きにあった数十冊の単行本も読んではいる。でも、おもしろいかと訊かれたら……。
目次に沿って書くなら、「7」の「二人の天才漫画家の誕生」あたりからはリアルタイムでだいたいわかる。ここで言う「二人の天才」はいしいひさいちと植田まさしのことらしい。いしいひさいちが天才であることに異論を唱える気はない。ただ、植田まさしが同格って言うのは……。
【引用部】
漫画は一般に、一枚絵漫画の「カートゥーン」とストーリー漫画の「コミック」に大別されてきた。しかし、三〇〇年にわたる日本の大衆漫画(そのスタートは江戸中期の木版刷による戯画本から始まる)の歴史を振り返ってみると、そのどちらにも属さない短いコマ(齣、「一区切り」あるいは「一場面」の意。四角の枠を使う場合が多い)を使った漫画が多数生み出されてきたことも明らかである。
(中略)
そうしたコマ漫画の中で日本人に最も受け入れられ定着したのが四コマ漫画である。「起承転結」というそのリズムが日本人の感性にあったのかもしれない。このリズム感は東アジアの人々にも心地よいようで、四コマ漫画は中国や韓国でも定着していった。中国の名作漫画「三毛」(張楽平)や韓国の新聞漫画の代表作「コバウおじさん」(金星煥)も共に四コマ漫画である。(p.ii)
どうツッコミを入れていいのかわからない。
・〈ストーリー漫画の「コミック」〉って言い方はどの程度一般性があるのだろう。「ギャグマンガ」に対する「ストーリーマンガ」ならよく見るけど。あるいは「4コママンガ」に対して「ストーリーマンガ」って言い方もできるだろう。
・「大別されてきた」なんて、そんな話は初めて聞いた。
・大衆漫画って……。漫画にも大衆漫画と純漫画があったのだろうか。そりゃある種のマンガは純文学マンガと呼びたくなるような雰囲気をもっている。でもそれはまったく別の話だろう。
個人的には四コマ漫画は「起承転結」ではなく「起・承・承・転&結」であるべきだと思っている。そのほうがオチのキレがよくなる。まあ、一般には「起承転結」と考える人が多いので、それでいいや。で、そもそも「起承転結」ってなんの技法か知ってるのかな。元々は漢詩の技法ですよね。「東アジアの人々にも心地よい」のは当然でしょうに。決して4コママンガのリズムが心地よかったわけではないと思うよ。
どうでもいいけど、「そのスタートは江戸中期の木版刷による戯画本から始まる」って三重言だろうな。
【引用部】
古代・中世が肉筆による漫画の時代であったのに対し、江戸時代は木版刷による複製漫画が登場するようになり、漫画の大衆化が始まる。現代日本が世界有数の漫画大国であることは、マンガ・アニメが世界中にファン層を拡大し、日本を代表する大衆文化になってきたことからもわかる。しかし、大多数の日本人は日本が漫画大国になったのは最近のこと、あるいは戦後にことだと思っているようである。
しかし、意外と思われるかもしれないが、日本が漫画大国になったのは江戸末期なのである。
とくに戯画浮世絵という多色刷漫画文化が世界に先がけて花開いた。(p.2)
本文の始まりの部分。いくらなんでも最初の一文がコレって。勘弁してほしい。
「しかし、」の連続もマズいでしょうに。
もうひとつ書くと「日本を代表する大衆文化になってきた」はどうなんだろう。「大衆」がなければ、そのとおりだと思うが、「大衆」をつけると、とたんに否定的なニュアンスになる気がする。
それは別にして、「戯画」の類いをマンガと考えるか否かは微妙。仮にマンガの一種と考えるとして、「漫画大国」とか「世界に先がけて花開いた」が妥当か否かは判断しにくい。
【引用部】
明治の漫画は、新聞・雑誌という定期刊行物の登場によって、そこに発表の場を得て発展していく。さらに、漫画雑誌という新しいジャーナリズムが登場する。明治七年、仮名垣魯文・河鍋暁斎(きょうさい)が『絵新聞日本地(にっぽんち)』を横浜で創刊した。同地でイギリス人C・ワーグマンによって発行されていた『ジャパン・パンチ』を真似たものである。三号で廃刊になるが、『寄笑(きしょう)新聞』(明治八年)『団団珍聞(まるまるちんぶん)』(明治一〇年)の創刊を促した。(p.14)
何が書いてあるの? 明治7年に初のマンガ雑誌が登場したらしい。それまではマンガ雑誌はなかったのね。「マンガ大国」なのに。で、3号で廃刊ですか。なんてみごとなカストリ雑誌ぶり(笑)。「マンガ大国」なのに。で、『ジャパン・パンチ』ってのはなんだったの?
以前から気になっていたことがあって、調べてみた。「ポンチ絵」の語源は?
不思議なことにいつも見る語源のサイトは2つとも記載なし。フツーの辞書に出ていた。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%81&dtype=0&stype=2&dname=0na&pagenum=1&index=20029017155100
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ポ ンチ‐え〔‐ヱ〕【ポンチ絵】
風刺や寓意を込めた、こっけいな絵。漫画。
◆英国の風刺漫画雑誌「パンチPunch」からとも、またはこれ にならって文久2年(1862)ごろに英国人ワーグマンが横浜で発刊した漫画雑誌「ジャパン‐パンチThe Japan Punch」からともいう。
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■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%BD%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%88&dtype=0&stype=1&dname=0ss
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ポンチえ[―ゑ] 30 【ポンチ絵】
風刺を込めた滑稽な絵。漫画。ポンチ。パンチ。
〔補説〕 1862 年頃、画家ワーグマンが創刊した英文の漫画雑誌「ジャパン‐パンチ(The Japan Punch)」に掲載された漫画を称したことによる
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つまり、『ジャパン・パンチ』もマンガ雑誌だったんだよね。
訳わかんない。で、この『ジャパン・パンチ』が「ポンチ絵」の語源らしい。さらに言うと、『絵新聞日本地』って雑誌名も「ポンチ」と「日本」をかけているんだろな。さらにさらに言うと『平凡パンチ』もこの流れを汲むんだろうか。
p.29掲載の読売新聞初の4コママンガ(明治25年)に、「袖ふりあふも多少の縁」とある。一般には「多生」で、「多少」は間違いとされる。作者が間違ったのか、当時は「多少」のほうが一般的だったのか。
p.54~55に大正期に「時事漫画」の細か図別の作品割合がのっている。こういうことを研究している人には貴重な資料かもしれない。少なくともこの時代には4コマが主流ではないことがうかがえる。
1コマ 501点 27%
2コマ 167点 9%
3コマ 266点 14%
4コマ 350点 19%
5コマ 103点 6%
6コマ 304点 16%
7コマ 14点 1%
8コマ 59点 3%
9コマ 39点 2%
10コマ 16点 1%
11~33コマ 36点 2%
【引用部】
近代の新聞漫画発展史を見ていくと、新聞漫画が急にその掲載数を減らしていく年がいくつかある。大正一~二年、昭和一~二年である。それを私は不思議に思っていたが、最近それが天皇逝去による自粛であることに気がついた。(p.68)
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
そんなことを憶測で断言されても……。そのとおりかもしれないし、単なる偶然かもしれないし。新聞社の話でも聞かないとなんとも言えない。
【引用部】
この作品は米国漫画「猫のフェリックス」を意識しているが、それとは一味ちがってやさしくて愛敬がある“人情味”あふれたキャラクターとして描き、人気を博した。(p.88)
昭和14年1月~8月に「東京日日新聞」に連載された『ネコ七先生』(島田啓三)の話。実物が転載されているが、どう見ても少し線が汚いフェリックス。極東のよくわからんマンガ家がやったことだから問題にならなかったんだろう。現代の「マンガ大国」でこんな作品を発表したら、ネットで騒ぎになり、連載は確実に打ち切りになる。
【引用部】
連載は昭和一五年から単行本化されてさらに人気を得る。秋玲二は戦後も『よっちゃんの勉強漫画』シリーズ(毎日新聞社)や『サイエンス君の世界旅行』シリーズ(さ・え・ら書房)などを出し、学習漫画のパイオニアになった。この流れは昭和六一年の石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』の大ヒットへとつながり、教養書のコミック化ブームをもたらした。(p.90)
マンガのジャンルに「学習マンガ」と呼ばれるものがあるのは事実だろう。このあたりは学習研究社あたりに聞かないとよくわからない。でもその嚆矢が戦前ってのはどうだろう。ハッキリとはわからないが、どこかで途切れてないかな?
さらに言えば、「学習マンガ」が『マンガ日本経済入門』につながるってのも……。
だって読者対象が違いすぎない? 同じようなもんかな? あれはどちらかと言うと、「学習マンガ」ではなく「蘊蓄マンガ」じゃないかな?
「学習マンガ」の得意分野は「科学」「歴史」あたりだけど、「経済」があってもおかしくはない。でもなぁ……。
この話はこのあとにも出てくる。
【引用部】
関西での戦後初の新聞連載四コマ漫画は、『少国民新聞』大阪版(のちの『毎日小学生新聞』関西版)に昭和二一年一月四日から三月三一日まで連載された手塚治虫「マアチャンの日記帳」(図41)であろう。(p.100)
これは知らなかった。調べてみると、Wikipediaレベルにもちゃんとのっているorz。
【引用部】
現在、日本には五〇〇〇人の漫画家、二万人を越えるアシスタントがいるといわれる。世界最大の漫画家大国である。明治末期に北沢楽天たった一人であった漫画家は現在五〇〇〇人(このうち一割ぐらいが完全な職業漫画家で、残りは他の仕事をしながら作品を発表している)を越え、さらに同人誌に描いている者が一〇万人余いる。彼らが漫画家のアシスタントと共に、職業漫画家の予備軍になっているのだ。(p.129)
あのね。なんで5000人が2回も出て来るのかは知らない。ちょっと整理するね。
マンガ家5000人(うち兼業マンガ家が約9割)
アシスタント2万人
同人誌マンガ家10万人強
それなりの根拠があって書いていることだと思うけど、「兼業マンガ家」と「アシスタント」って分けられるのかな?
同人誌マンガ家10万人ってそんなにいるんだ。
「職業漫画家の予備軍」という意味なら、もうひとつ大切な要素がある。同人誌にも参加していない素人も相当数いるでしょう。うんとイヤな書き方をすると、同人誌マンガ家からプロになる例は、最近はボツボツ出てきたけどまだ限られている気がする。あれはちょっと特殊な世界だから。
妙なことを考えたんだが、イラストレーターって、ここにはカウントされないのかな?
たとえば、文章の世界だともう少し歪んでいて、小説家とライターという分け方があり、ほかにもいろいろな人種がいる。たとえば、編集者とライターをどう分けるか。会社に属している記者はどうなる? もっとマニアックなところだと、投稿などで小遣い稼ぎしている人は?
【引用部】
「台湾では漫画は小学生が読むもので、中学生になると親から漫画を読むなといわれる。日本ではそういうことはないのか」と質問された。私は「日本ではある社会的事件から、親は子に漫画を読むな、といわなくなった。どんな事件だと思いますか」と逆に質問をかえし、会場の人々に一瞬考えさせた。そして「漫画家が高額所得者番付に入ってから」というと、会場は大爆笑となった。昭和五〇年代ごろから漫画家が長者番付に毎年顔をだすようになる。(p.144)
これはさすがに違うだろ。それを言うなら、「高額所得者番付に入るようになってからマンガ家の社会的地位が上がった」ってこと。
古くは小説家の社会的地位は低かった「男子一生の仕事にあらず」なんて言われた。長らく、アウトローと言えば格好がいいが、社会生活不適合者と見られていた。だってさ。太宰治とか芥川龍之介の末期を考えてよ。ノーベル賞まで貰った川端康成であのザマよ。最悪は三島由紀夫?
例外なのはマイホームパパの森鴎外くらいで、夏目漱石も家庭人としてはホニャララだったらしい。問題行動と言えば檀一雄も有名だし。当方のイメージでの最後の無頼派は吉行淳之介。このあたりまでの文士は相当ヤバかった。最近の小説家はすっかりまともな人間になってしまった。一部にはいろいろウワサもあるけど。山●美●とか。
別に小説家に限ったことではない。役者なんて「河原●食」だったし、芸人あたりはつい数年前までは根深い偏見をもたれていた。
職業としての社会的地位が低いと起きそうな問題がとりあえず2つある
1)子供がその職業につきたい、と言ったときに親が反対する
2)結婚相手の職業として好ましくない印象がある
昔聞いた話。井上陽水が彼女(たぶん1人目だろう)の親に挨拶に行った。相手の父親は「歌うたいになんか嫁にやれるか!!」とスゴい剣幕で相手にしない。そこで陽水は用意してきた預金通帳を見せる。そこに9桁の残高があるのを見て、相手の父親は黙った。
マンガ家もひと昔前には安定した生活ができるのはほんのひと握りだった(いまでもそんなに多いわけではないらしい)。
で、話を戻す。日本の親が「マンガを読むな」と言わなくなったのは、諦めたんだと思う。ただそれだけ。かくして現代ではいい大人が電車の中でマンガを読んでいる。困ったもんだ。当方は仕事がらみだからしかたが読んでるけど、早く卒業したい(泣)。
【引用部】
昭和六一年には石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』がヒットし、教養書のコミック化が盛んになってくる。それまで「勉強漫画」「学習漫画」というジャンルがあったが、大衆向け教養書のコミック化は新たな市場を開拓していくことになる。(p.145)
こういう話なら理解できる。学習マンガの流れが〈石ノ森章太郎『マンガ日本経済入門』の大ヒットへとつながり〉って話と、〈新たな市場を開拓していくことになる〉って話がどう折り合いを付けるのかは知らない。個人的には、『マンガ日本経済入門』から始まったとされるマニュアルなんかのマンガ化って現象は嫌い。
図解が必要なものは図解すればいい。でも文章のほうが簡潔に伝わることをわざわざマンガにする意味がわからない。なんでもかんでもマンガにすればわかりやすいなんて思ってもらっちゃ困る。マンガとしてのおもしろさのカケラもない間延びした説明絵物語は、マンガなんかじゃない。
【引用部】
こうして昭和五〇年代、二人の天才漫画家が雑誌から誕生した。いしいひさいちと植田まさしである。昭和五三年、『漫画アクション』に連載されたいしいひさいち「くるくるぱーティー」はタイガースやジャイアンツの野球選手・監督などが実名入り、似顔絵入りで描かれた四コマ漫画で、『がんばれ!!タブチくん!!』という題名で単行本になって大ヒットし、「雑誌四コマ漫画」ブームの起爆剤となった。(p.146)
当方の初めてのいしいひさいち体験はいつだったろう。どこで見たか覚えていないが、実質上のデビュー作である『oh!バイトくん』を見ている。いままでに見たことのない種類のギャグはとてつもなく新鮮だった。それまでの四コマ漫画は、ハッキリ言ってつまらなかった。新聞にのっている4コマは、マンガとは別のものに思えていた。
本書は「いしいひさいちは現代四コマ漫画の旗手といってよい」「植田まさしはアイディアの天才である」と評し、あたかも二大巨頭にように書いている。個人の評価だからどう書いてもいいのかもしれないが、この2人を同格にするのはやっぱり疑問。
このあと本書の記述は相当錯綜する。いしいひさいちの朝日新聞への登場を書かずに、植田まさしは昭和57年から読売新聞の『コボちゃん』の連載を始める。『となりのやまだくん』の話が出てくるのは、なぜかp.165。
その後話は園山俊二、加藤芳郎の妙な逸話。植田まさしの『コボちゃん』、東海林さだおを経ていがらしみきおへ。いったいどんな脈絡なんだろう。
ふと思ったが、いがらしみきおって、四コマも描けば、フツーのストーリーマンガも描く。これってけっこう珍しくないか?
ふだんがストーリーマンガを描いている人が、雑誌の企画かなんかで4コママンガを描くことはある。それはあくまで余技の範疇だろう。
この話は課題にする。
このあと本書は『オバタリアン』(堀田かつひこ)の話で「7」をしめくくっている。
【引用部】
雑誌四コマ漫画は単行本化されて作者に高額の印税収入をもたらす。植田まさし・堀田かつひこの作品などがその例である。それに対して新聞四コマの単行本化は「サザエさん」にように長年かけてシリーズ化して成功した例はあるが、一般的に単行本化は販売の面で厳しいようである。
その理由は、新聞四コマは時事的テーマが多いため、単行本化時にはわかりにくくなるからだろう。それに対して雑誌四コマはギャグ漫画(人間性を諷刺した漫画)が多く、時間が経っても古くならないからだと思われる。(p.162)
えーと。最近の新聞4コマで言えば、『ののちゃん』(いしいひさいち)とか『コボちゃん』は、時事問題はほとんど取り上げてないと思う。
新聞4コマの単行本が売れないのは、植田&いしいを起用するまでは、単行本が売れない作家を使っていた影響が大きいのでは。ただ、植田&いしいクラスでもダメとなると、理由はひとつしかない。新聞4コマがつまらないの。
そもそも、新聞4コマだと下ネタや毒のある表現がむずかしい(スポーツ新聞だと相当エグいのもアリだけど)。この両方を封じられると、けっこうつらいはず。ファミリー(もしくはサラリーマン)を主役しなければならない制約もある。しかも、ほぼ毎日描くという制約も大きい。おもしろい4コマを描きつづけるのは至難の業だよ。候補が浮かばないわけではないけど。
「8 不条理四コマ・萌え四コマ──平成から21世紀へ」に入ると、知っている作品が多くなっていままでとは感じがかわる。それだけ親しみが湧くが、その一方で首を傾げることも多くなる。
ちょっと話を戻すが、本書の「7」のまとめの部分に以下のような記述もある。
【引用部】
そしてこの時代、いがらしみきおという異色の漫画家が「何かわけのわからない、でもおかしい」という新しい四コマ漫画を創造する。これは彼の休筆宣言で終わってしまうが、それを見た次の世代の漫画家たしの創作の源泉になっていった。「不条理四コマ」はもう芽を出していたのである。(p.161~162)
こういう見方もアリだろう。ただし、4コママンガ以外に目を向ければ、「不条理マンガ」に近いものはいくらでもあった。
一般に言われるのは、まず『がきデカ』(山上たつひこ/1974年44号~1980年52号)。このインパクトはスゴかった。
これに続くのは『すすめ!!パイレーツ』(江口寿史/1977年~1980年)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ/1977年~1979年)あたりだろうか。
ただ、このあたりのギャグマンガは「ナンセンスギャグ」と呼ばれたと思う。それなら赤塚不二夫が……という説はごもっともだが、『がきデカ』以降のギャグマンガはスピード感や空気感が違う。この話もとりあえずパスしておこう。
【引用部】
平成一年は手塚治虫・田河水泡・秋好馨・那須良輔・小川武が亡くなり、多くの漫画ファンに一つの時代が終わった感を与えた。同じ年、吉田戦車「伝染るんです。」が『ビッグコミックスピリッツ』に連載され、その不可解なギャグが話題と人気を呼び、そうした漫画を「不条理四コマ」と呼ぶようになる。またこの年、秋月りす「OL進化論」が『週刊コミックモーニング』に連載され、長谷川町子以来の女性四コマ作家として注目されはじめた。(p.165)
一般に「不条理マンガ」の祖は吉田戦車とされる。これは妥当な考え方だろう。
秋月リサが「長谷川町子以来の女性四コマ作家」というのはなんかの勘違いだろう(後述)。とりあえず、森下裕美をあげておく。本書の巻末の索引によると、〈昭和57年、『ガロ』と週刊『少年ジャンプ』でデビュー〉している。いったいどういうデビューだったのだろう(笑)。
【引用部】
平成一六年から『コンプティーク』『少年エース』『エース桃組』などに連載された美水かが
み「らき☆すた」は、可愛い少女たちを主人公に、その日常会話のユーモアを四コマ漫画にまとめて評判になる。平成一七年から単行本になり、アニメやゲームにもなって人気を得た。いわゆる「萌え四コマ」の誕生である。(p.166)
困った。『らき☆すた』ってタイトルくらいしか知らない。絵柄を見るだけでパスしたくなる。「萌え四コマ」って、すでに定着した言葉でしょうか?
Wikipediaによると、2002年創刊の「まんがタイムきらら」によって本格化したジャンルらしい。このジャンルでイチバン有名な作品は『けいおん』だと思う。『けいおん』の初出は「まんがタイムきらら」の2007年5月号。2009年8月刊の本書がなぜふれていないのかは不明。
【引用部】
まずキャラクターである。ののちゃんの担任、藤原先生がきわめてグータラな教師として描かれ、毎日勤勉かつハードに働く日本人の本音の具現者としてなかなかの存在感をもって登場する。このようなキャラクターはこれまで新聞では絶対に描けなかった。また、「がんばれ!!タブチくん!!」に登場したタブチくんや広岡カントクが、それぞれ先生役、町医者役として登場、手塚漫画のようなスター・システム(キャラクターの再利用)を導入している。(p.167~168)
〈本音の具現者いしいひさいち〉(p.166~)で、やっと『となりのやまだくん』&『ののちゃん』についてふれている。この連載でこれまでの新聞四コマになかったものがいくつか登場しているらしい。
どこからツッコミを入れようか。
〈本音の具現者〉って、そんな的外れな褒め言葉をもらってもうれしくないだろう。「まずキャラクターである」にはちょっと驚いた。キャラなしでマンガを描けるのか? あとを読むとわかるが「グータラな教師というキャラクター」という意味。だったらそう書いてね。ただ、新聞4コマに登場するサラリーマンって、けっこうグータラだと思う。町医者のヒロオカ先生も、もっと古くから見ている気がする。
【引用部】
昭和期の長谷川町子・矢崎武子に続く、平成期の女性四コマ漫画作家として、森下裕美と秋月りすが注目される。森下は昭和六三年から平成六年にかけて『週刊ヤングジャンプ』に「少年アシベ」を連載。少年たちの日常生活や可愛いアザラシのゴマちゃんとの交流を描き人気を得る。アニメにもなった。平成一四年から『毎日新聞』夕刊に「ウチの場合は」を連載中。(p.173~174)
そうか。森下裕美も新聞連載をしているのか。こうなると次の新聞連載の候補はますます絞られる。イチバン起用したいのは秋月りす。だって、サラリーマン&OLが主役で、下ネタも毒もなし……だと彼女以上の作家を思いつかない。ただ、寡作でマイペースな人らしいからむずかしいか。
新聞4コマが庶民の生活をかいま見る絶好の素材と考える筆者は、巻末に「四コマ漫画の中の消えつつある言葉」をあげている。1年ひとことずつ選んでいるのだが、このラインナップがまた……。
とくに疑問を感じたものをいくつか。
「おはひにくさまァ…」(大正4年)
「門前市をなし」(大正5年)
「思召(おぼしめし)」(大正7年)
「読めた」(大正9年)
※「わかった」の意味。これなんかはバリバリの通常語だろう。
「滅相モナイ」(昭和20年)
「お里が知れる」(昭和31年)
「失敬じゃないか」(昭和38年)
「炯眼おそれいります」(昭和40年)
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