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読書感想文/『文章をダメにする三つの条件』 (宮部修/PHP文庫/2004年3月17日第1版第1刷発行)

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mixi日記2010年07月25日から


■オススメ度 ☆☆(3段階)
■レベル 初級者
■対象文章 作文

■本書が教えてくれること
 起承転結は作文には向かない(第1章5参照)
 初心者がやりがちな3つの失敗パターン

 2000年に別の出版社から出版された新書を文庫化したもの。文庫にする際にずいぶん多くの箇所を加筆・修正している。もともとの読書メモは新書のほうで作っていたので、照らし合わせるのがひと苦労だった。
 新書を文庫にするのがどの程度一般的なことなのかは知らない。「昔の新書ってのはそんなもんじゃなかった」なんて書きだすと、年寄りのグチになりそうだ。文章読本は、「単行本が数年後に文庫本に」といったフツーのコースではなく、このように版をかえて再登場することがよくある。本書の場合は期間が4年近く空いているし、内容もかなりかえてあるのでさほど異和感はない。
 新しい版が別の出版社から出ているのは、珍しい例かもしれない。前に紹介した本多読本も、大活字本の版元は文庫とは別の出版社だったけど。ほかの例だと、新しい版もたいてい同じ出版社から出ている。新書が単行本になったり、文庫が単行本になったり、パターンはいろいろ。どこまで内容がかわっているのかは関知したくない。
 本書の話に入ろう。いろいろとアラも目立つが、「これは役に立つ」と思える記述が多く、初級者向けの文章読本としては☆☆印になる。

【引用部】
 ところが、文章の中には、いやな文章も多い。いやな人間が多いように……。個人的なことになるが、私にとってどんな文章がそれに当たるかというと、まず書かれた内容が陳腐なもの、それでいてなにかありそうに振舞っているもの。また、プロの文章にありがちなもので、さも上手そうな“技巧”“気取り”の感じられるものである。ここで共通している点は、書いた人が文章の中から立ち現れてこないことだ。書き手の真の姿が見当たらないのである。
 プロといえども、いい文章を書いている人は少ない。それでも書店に氾濫している文章の書き方についてのハウツー本を見ると、なぜかプロの文章が引用されている。芸術一般にいえることで、初心者にはある程度、いいものを読み、聴き、見ることを勧めておけば無難ということなのだろうか……。ところが、皮肉にもこれが初心者のつまずきのもとになっている。何とかプロのようにうまく書こうと……。(p.3~4)
 著者は、“技巧”“気取り”が感じられるプロの文章は嫌いだからほとんど引用していない(例外はあるけどさ)。自分が教えている作文教室の生徒の文章を例文にして添削例などをあげながら解説している。思いっきり意地悪に考えると、シロウトの文章のほうがイジリやすいからね。“技巧”も“気取り” も感じられなくても、添削の余地のあるプロの文章はいくらでもある。まあ、そういう文章を添削するのはけっこう度胸のいることだし、細かい欠点をネチネチ指摘しても得られるものは少ない。
 作文教室での添削例を盛りこむのは、文章読本のひとつのパターンだ。大半は、読んでいて頭がクラクラしてくる。「こういう書き方だけはしてはいけない」と思える部分をほめていることも多い。というより、ほとんどがそういうバカなことをやっていて、片っ端からインネンをつけたくなる。とくに目立つのはクサい書き出しや珍妙な比喩をほめている例で、原因は予想できる。ふだん教室で「書き出しに気を配れ」とか「比喩を使え」とかバカな心得を説いているからだ。そういう心得を忠実に守っているんだから、多少ヘンでもムゲには扱えない。
 あんまり考えたくはないが、本気でほめているとしか思えないこともある。「雰囲気が出ています」とか「ウマい表現です」とか、センセーの個人的な感想でしかないコメントがついていたりする。何を考えてんだか。大昔に清水読本が〈或る種の文学趣味のうちで甘え合う時間〉と指摘した段階から、何も改善されていない。インネンをつけたいとこが多々あっても本書が☆☆印なのは、そういうバカなことをしていないからだ(ハードル低いなあ)。

【引用部】
 学生の作文には、人生経験の浅さがそのまま出てくる。さらに気になることは、私の出す作文の課題にもよるが、学生たちは何を訴えたいか、何を自分は書きたいのかがわからないまま、書き始める。書き急ぎともいえるが、その結果、文章をダメにする「事実や印象の羅列」「理屈攻め」「一般論の展開」など三つの悪い傾向が顕著になる。仕方なく原稿用紙のますを埋めて、その場を繕おうとしているようにさえ受けとれる。自ずから内容は単調で画一化されたものが多い。悪くいえば、単に文字が並んでいるという印象しか与えない。これは学生に限ったことではなく、文章を苦手とする多くの人たちが陥りやすい傾向である。本書では、この三つの傾向を文章を書く上で避けるべき条件と考え、きついことばで、あえて“三つの禁止事項”とした。(p.6~7)
「はじめに」にあるこの記述が、本書の主題を端的に表現している。『文章をダメにする三つの条件』って書名も、この禁止事項のこと。本文も、大半がこの禁止事項関連に費やされている。たしかにこの3つは初級者が犯しやすい失敗例だろう。指摘するのはむずかしくないが、解決策を提示するのは簡単なことではない。

【引用部】
ただし、私が意図する教室での“作文”は昔の小学校で書かれた幼稚な綴方のような作文ではなく、いわゆるおとなが読むに耐えうる“エッセイ”である。本書の中で“作文”とあれば、“エッセイ”と同義語と考えてほしい。学生にはいいエッセイを書こうと励まし続けているのだ。作文は書く人の体験が土台になって、その上に日ごろ感じていること、考えていることが一体となって表される、いわば“全人格的なもの”である。書く難易度でいえば、小論文、レポートなどいろいろある文章の中で最も高いものと考えている。(p.16~17)
〈綴方〉って、いつの時代の話をしてるんでしょ。「現代の小学校」だと「高等な作文」を書いているのだろうか。まあいいや。
〈“エッセイ”と同義語〉なら、エッセイと書いてくれたほうがわかりやすいんだけど、やっぱり作文とエッセイは別物。少なくても一流のプロの物書きは、エッセイは書いても作文は書かない。
 いずれにしても、難易度が〈いろいろある文章の中で最も高い〉って、そんなこと書いて大丈夫なんですか。ありふれたことわざなんぞを使いたくなる……我田引水。

【引用部】
 苦手意識克服への第一歩は、授業で実践しているように、まず書いてみること、それに適切なコメントや助言を他から受けること、さらに書き直しながら、書くコツを体で感じ取るようにすることである。(p.19)
〈まず書いてみること〉だけなら、「とにかく書け」派の主張になる。ポイントは、〈それに適切なコメントや助言を他から受けること〉。そういうことを積み重ねるなら、ヤミクモに書くだけとは違い、上達も期待できる。〈適切なコメントや助言〉を受けるためには……やっぱり作文教室とかに通うしかないのね。

【引用部】
 私は教室で「書き終えたら、まず最初の一段落と最後の一段落を全文削除して読み返して下さい」ということが、しばしばである。学生にとっては、いささか暴論のようでショックを受けているフシがある。(p.93)
 最初の段落は〈言いわけ〉のようなもので、最後の段落は、とってつけたような〈抱負〉や〈反省〉であることが多いとか。当然のことながら当てはまらないことも多い。こういう〈暴論〉に近いアドバイスこそ、実例をあげてくわしく解説してほしいとこだ。いくつか例らしきものはあげられているが、微妙にピントがずれていて、イマイチ説得力が感じられない。

【引用部】
 ところで、作文の書き出しの一パラグラフに頻出した“言いわけ”“弁解”あるいは“課題そのものの否定”に関連して、小論文の書き方に触れてみたい。
 学生にとって、試験では作文か小論文かのいずれかが課せられるので、本書で小論文を全く無視するわけにはいかない。
 小論文では、本格的に参考文献を引用したり、各種データを使うなどして持論を構築する重い内容のものは要求されないのが普通である。むしろ雑文に近いとさえいえそうだ。まず気をつけることは、課題にもよるが、作文の書き出しの一パラグラフにあった“課題の否定”“課題を疑問視する”ことを避けて、課題が要求しそうなプラスイメージの線で肯定的な内容で書き進めればよい。反論を書くには、かなり確かな裏付けが必要である。試験場では手持ちの資料を持ち込んで調べることができないので、結局は肯定論の線で書くのが無難といえる。そのためには、作文で私が否定したところの“課題に答える”態度は、小論文では逆に有効である。そして、自分の考える結論に到達するために、極論な論よりも、作文で禁止事項にした“一般論でいわれていること”を“理屈っぽく”理論的に並べたてて置(ママ)けばよい。作文の書き方と正反対でいいのだ。本書で小論文の書き方を軽視してきた理由でもある。(p.100~101)
 何を書きたいのかさっぱり理解できない。小論文の場合は〈作文の書き出しの一パラグラフにあった“課題の否定”“課題を疑問視する”こと〉を避けると書いてあるが、作文の場合もこういうのは避けるのが本書の趣旨のはず。
〈課題が要求しそうなプラスイメージの線で肯定的な内容で書き進めればよい〉ってのも同意できない。「小論文の神様」の意見を聞いてみようか。課題文があったときの対応策として、次のように書いてある。

【引用部】
 メインテーマを読み取ったら、とりあえずノーと言えないかを考えてみることを勧める。ノーの視点を考えないと、課題文を繰り返すだけの迫力不足の文章になってしまう。それでは鋭い知性をアピールできない。まずは、「ノー」の根拠を考えて、それに説得力があれば、真正面からノーで答える。(樋口裕一『ホンモノの文章力』p.82)
 どっちの態度が正しいのかはわからないが、個人的には〈ノーの視点〉を優先させるべきだと思う。そのほうが印象に残る文章が書ける可能性が高い。〈プラスイメージの線で肯定的な内容〉を書くと、たいていつまらないものになる。
 本書のように〈小論文の書き方を軽視〉するのは勝手だが、明らかに作文のほうが高等みたいな書き方には抵抗がある。〈“一般論でいわれていること”を“理屈っぽく”理論的に並べたてて置けばよい〉って書き方には「小論文なんてその程度のもの」って意識が感じられる。少し前には〈むしろ雑文に近い〉なんて書き方もしている。一般的に、作文と小論文のどちらが〈むしろ雑文に近い〉のかは考えるまでもない。
 作文と小論文の書き方の違いは、本気で考えはじめるとかなりの難問になりそう。どちらかというと小論文のほうが対応しやすそうだが、レベルの高い小論文を書くのは簡単なことではない。
 作文を対象にした本書と、小論文の書き方を中心にした『ホンモノの文章力』は、細かく見ていくと対立する部分が多い。両方をウノミにすると消化不良を起こす。『ホンモノの文章力』のほうは小論文の書き方がメインであり、それを応用すれば作文にも対応できるかのように書いている。これはこれで無理が感じられる。要は、専門的に見ると小論文と作文とでは書き方が根本的にかわってくるってことなんだろう(そんなに違うんだろうか)。だったら、ほかのジャンルの文章について、中途半端に語らないでほしい。

【引用部】
 ここで私の“添削モットー”だが、第一に、自分の文章観、もしくは文章に対する好き嫌いで学生の作文の良否を決めつけないように心掛け、人も文章も百人百様なので、できれば、すべてを認めてあげたいという気持ちを貫くこと、第二に、書かれている内容についても自分の先入観を押しつけないこと、第三に、できれば同じ精神状態で百人余の作文を一気に読み通すこと、第四には、“文章の書き方”についてのハウツー本に必ず出てくる些末な(?)注意項目(たとえば、起承転結、“は”と“が”の使い方、“てにをは”、誤字脱字などへの過剰なチェック)は“木を見て森を見ず”になるおそれがあり、これをやり過ぎると、書き手の文章に対する苦手意識をさらに強めかねないので、些末部分はすべて無視すること。最後は、表現、内容いずれを問わず、少しでも良い所を見つけてほめること、である。添削は重労働で、このストレスで体調をこわした友人がいるほどだ。(p.153~154)
 第1文は300字を超えている。ズラズラと列記するとこういうことになり、たいてい主述の関係がおかしくなる。この文の主述はかろうじてつながっているが、決してわかりやすくはない。列記する項目が長いときや多いときは、箇条書きにでもしたほうがいい。箇条書きがイヤなら、1項目か2項目で文を分割する方法もある。
 ちなみに文頭近くの「だが、」は、意味的には順接の「曖昧のガ、」の典型。「だが、」を「は、」に書きかえるほうが無難だ(書きかえると、もともと必要性が感じられない文頭の「ここで」の不要度がいっそう高くなる)。ただし、ここまで一文が長いと、そんな書きかえをしたぐらいではほとんど効果がない。
 内容も問題がある。〈第一〉と〈第二〉の違いがよくわからないし、それにもまして、指導的立場の人の心得としてはあまりにも当然すぎじゃないかね。わざわざこんなふうに書くってことは、ほかのセンセーは〈好き嫌い〉で添削してるんだろうか。好みでウンヌンされたんじゃたまんない。
 第2文で注目すべきなのは〈少しでも良い所を見つけてほめる〉ってフレーズ。無理に見つけてもらった〈少しでも良い所〉をほめてもらって、何かいいことがあるんだろうか。イイ大人相手の態度とは思えない。
 記憶力のいい読者なら、この「イイ大人相手」ってフレーズが前にも出てきたことを覚えているはずだ。個人的には、子供相手とイイ大人相手とでは、文章道の考え方が大きくかわると思っている。ついでだから、まとめておこう(あくまでも大ざっぱに「大人」と「子供」と考えている。デキの悪い大人と才能のある子供を比べると……なんて話になるとキリがない)。
1)名文を読むことをすすめるべきか
「第1章2」で書いたとおり、子供に名文を読ませることにインネンをつける気はない。できるだけ早い時期から、どんどん読ませるべき。極端にいうと、意味なんてわからなくたっていい。
2)比喩を使うことをすすめるべきか
 子供に作文を書かせるなら、好きなように比喩を使わせるべき。「作文を書かせる」ことの是非について、ここで書く気はない。
3)「とにかくほめる」べきか
 教育心理学的な観点だと、「とにかくほめる」ことは有効とされているって話を聞いたことがある。「ピグマリオン効果」とか呼ばれるもので、ほめられた子供ほど能力が伸びるんだって。技術的に適確なアドバイスをするほうが効果的だろう、と個人的には思うけど。
 1)~3)のいずれも、子供相手ならイエス。イイ大人相手ならノーだ。イエスと考えるなら、相手をバカにしている。3)に関しては、作文教室だからしかたがないのかな。授業料を払っているお客さんをあんまりボロクソにけなすと、クレームが出る。
 ついでだから第3文にもふれておこう。そりゃ添削は気を使うことも多いので大変なお仕事なんだろう。でも、〈重労働〉だって自慢されても同感はできない。それと、「体調」は「くずし」たりするもんで、「こわす」のは「体」でしょ。

【引用部】
 私の添削がどのようなものか、わかってもらえたと思う。作文の出来の程度にもよるが、細かい部分には触れず、書き手の言いたいところを見つけ、そこを強く打ち出すために、他の余計な文章をどう削除しながら配置替えしていくべきかを第一に考える。全体の構成の是非を見きわめることに、私は神経を集中させるのだ。(p.158)
 この文章の前に添削の例があるのだが、〈どのようなもの〉なのかはどうにも要領を得ない。こういう指摘を受けて、生徒はどうしているのだろう。
 このあとには、ひどい作文への筆者の対処法が出ている。
「事実や印象の羅列」タイプには〈「あなたの印象が強かったのはどの部分ですか。そこだけを読む人がわかるように具体的に細かく描写してください」と書く〉だけ。「理屈攻め」タイプや「一般論の展開」タイプには〈「あなたの論はごもっとも……」程度のコメント〉をつける。添削以前の作文に対しては、〈逃げの一手として、適当な部分を選び、私の全く個人的で、文章に関係のない意見を一行、書き添える〉ことにしているらしい。相当苦労している様子がうかがえる。作文教室のセンセーもラクじゃない。
 p.169~174のテーマは〈説明文は読み手の感情を封じ込め、描写は解放する〉。趣旨はわからなくはないが、解説には異和感を覚える。〈客観的に、具体的に描写する〉って持論にマッチした例として紹介しているのは、詩人の石垣りんのエッセイ。エッセイの善し悪しにふれるつもりはないが、「主観的か客観的か」と考えるなら、思いっきり主観的な気がする。
 p.170に出てくる〈明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った〉なんて一文は、かなり主観的だし、かなり技巧的。本書はこういう表現を〈プロの文章にありがちなもので、さも上手そうな“技巧” “気取り”の感じられるもの〉として、排除するんじゃなかっただろうか。好みに合うものなら許容する、って態度はあまりにも主観的だ。

【引用部】
 これについて、『去来抄』(角川文庫)、谷崎潤一郎『文章読本』、井上ひさし『自家製 文章読本』(新潮社)から、各々の主張がどのようなものか抜粋してみる。まず、『去来抄』の中で俳人たちがよく引用する部分だが……。(p.174)
〈これ〉とは「文間」のスキ間のことで、すべてを語り尽くさずに余韻を残すことの重要性を説明している。趣旨はわかるが、高度すぎ。本書は、初級者を対象にしていると思われる。そういう読者層に対して、こういう例を示すのはムチャ。
 こういう記述があることが初級者向けの文章読本にとどまらない「深み」を本書に与えている、ってヨイショもできなくはない。個人的には、「見せびらかし」や「そそのかし」の類いだと思う。
 もうひとつ気になるのは、井上読本の文章を一面的に引用していること。井上読本は、〈物語性や叙事性〉に富んだ作品は文間の余白が深くて広いと主張している。しかし、そうでない場合も紹介し、夏目漱石の文間の空白は〈浅くて狭い〉としている。要は、文体によって違う、ってことだ。一概にはいえないとしている文章の一方だけを引用して、都合よく解釈するのはマズいでしょう。

【引用部】
“文章は書いた人そのものを表している”と、本書の「はじめに」で書いたように、書かれている内容が、陳腐でくだらない、読むにたえないものであったら、その文章がいかに名文であっても、私はその作文(エッセイ)を受け入れられないであろう。(p.178)
 これも趣旨はわからなくはないが、解説には思いっきり異和感を覚える。〈書かれている内容が、陳腐でくだらない、読むにたえない〉名文ってどんなものなんですか。あげられるものなら、例をあげてほしい。そういうのは「名文」っていわないの。「名調子」や「美文」ぐらいなら妥協してもいいけど。
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