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【板外編13】接続詞の使い方

 お品書きは下記参照。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890371504&owner_id=5019671

接続詞の減らし方■■■■■■■■■■■■■■■■■「赤い本」のp.150~

 接続詞という言葉は、「文章読本」のなかでよく見かけます。本書の★ページでも、注釈もつけずに使いました。
 しかし、接続詞の正確な定義はむずかしく、ある言葉が接続詞か否かを見極めるのは簡単なことではありません。本書では、一般の使われ方よりも広い意味で、接続詞という言葉を使うことにします。多少あいまいな部分も出てくるかもしれませんが、文法用語の厳密な意味を考えるのは本書の役割ではないからです。
 本書では、「文頭に用いられて少しでも前の文に関係するニュアンスのある言葉」を、すべて接続詞として扱います(たとえば「そのあとに」「おそらく」など)。

●一文を短くすると接続詞も減らせない

【練習問題13】
 接続詞が目立つ文章がなぜヘンなのか、理由を考えてください。

 接続詞も多くの「文章読本」の中で悪者扱いされ、だいたい「接続詞は減らしなさい」と書かれています。たしかに、接続詞が目立つと説明調が強くなってヘンな文章になりますが、一文を短くすると接続詞は減らせません。この点で、接続詞と指示語はよく似ています。
 接続詞を減らすと一文が長くなることは、簡単に説明できます(便宜上、〈原文〉の各文に番号をつけ、改行しました)。

 〈原文1〉
1)「文章読本」は「接続詞は減らしなさい」といいます。
2)しかし、一文を短くすると接続詞は減らせません。
〈書きかえ文1〉(1)2)を結合した文)
「文章読本」は「接続詞は減らしなさい」といいますが、一文を短くするとそんなことはできません。

〈原文2〉
1)接続詞を減らすと、必然的に一文が長くなります。
2)それなのに、「文章読本」は「接続詞を減らしなさい」という一方で「一文を短くしなさい」といいます。
3)そのため、読者はどんな文章を書けばよいのかわからなくなってしまいます。
〈書きかえ文2-1〉(1)2)3)を結合した文)
 接続詞を減らすと必然的に一文が長くなるのに、「文章読本」は「接続詞を減らしなさい」という一方で「一文を短くしなさい」というため、読者はどんな文章を書けばよいのかわからなくなってしまいます。

〈原文1〉と〈書きかえ文1〉のどちらの書き方を選ぶかは趣味の問題で、どちらがよいのかは決められないはずです。
〈書きかえ文2-1〉は、1)2)3)の3つの単文を一文にしているので、ややわかりにくくなっています。こんなことをするぐらいなら、〈原文2〉のままにしておくほうがよほどマシです。接続詞が使われている文が2つ続くのが気になるなら、全体を2つの文にすることを考えればよいでしょう。

 〈書きかえ文2-2〉(1)2)を結合した文)
 接続詞を減らすと必然的に一文が長くなるのに、「文章読本」は「接続詞を減らしなさい」という一方で「一文を短くしなさい」といいます。そのため、読者はどんな文章を書けばよいのかわからなくなってしまいます。
〈書きかえ文2-3〉(2)3)を結合した文)
 接続詞を減らすと、必然的に一文が長くなります。それなのに、「文章読本」は「接続詞を減らしなさい」という一方で「一文を短くしなさい」というため、読者はどんな文章を書けばよいのかわからなくなってしまいます。

〈書きかえ文2-2〉と〈書きかえ文2-3〉のどちらがよいのかは、微妙な問題です。
 おそらく〈書きかえ文2-2〉のほうがややマシで、理由は2つ考えられます。ひとつは、★ページで書いたように、結論にあたる部分は原則的に単文にしておいたほうがよいためです。この場合は、結論にあたりそうな3)が単文になっている〈書きかえ文2-2〉のほうがよいということになります。もうひとつは、〈書きかえ文2-3〉の2)と3)を結合した文が少しもたついている感じがすることです。しかし、〈書きかえ文2-3〉にしてはいけない、というほどの問題ではありません。

●接続詞は本当に悪者なのか

【練習問題14】
 次の1)と2)に続いて、どのような内容の文が来るのか考えてください。
  1)接続詞が目立つと説明調が強くなってヘンな文章になります。しかし……
  2)接続詞が目立つと説明調が強くなってヘンな文章になります。したがって……

 接続詞には、次の文がどのような内容になるかを示す目印の働きがあります。
 1)の文章ならこのあとに「一概にはいえない」というような反論が来ることが予想でき、2)の文章ならこのあとに「接続詞を減らしたほうがよい」というような意見が来ることが予想できます。適切な接続詞は文章の目印であり、必ずしも悪者ではありません。したがって、接続詞が多いほうが文章の流れがわかりやすくなるのでどんどん使いましょう、といいたいぐらいです(接続詞を使うメリットはほかにもあります。★ページ参照)。
「接続詞を使わないと文章が書きにくい」と感じている人は、遠慮せずに使って構わないと思います。無理に減らそうとして一文が長くなるよりは、ずっとマシです。
 そのかわり、書き終わった文章をよく見てください。接続詞を削除して前後の文章を結合してもあまり一文が長くならないところがあるはずです。あらためて見てみると、削除してもヘンではない接続詞が見つかることもよくあります。たとえば、この文の★行前に「したがって、接続詞が多いほうが……」と書かれている「したがって、」は、削除しても問題がないはずです。
 何かを説明しようとする文章(たとえば本書のような内容の文章)は、できるだけ次の文の内容を示す目印をふやしたほうがわかりやすくなる気がするため、とくに接続詞が多くなる傾向があります。しかし、書いているときにはそんな気がしても、あとから見直してみると、目印なしで内容が十分に伝わっていることも多いはずです。
 接続詞を減らす方法は、ほかにもあります。
「おそらく」や「たぶん」は、文末にデショウを使うなど、ほかの表現で推量であることを示せば消せることが多い接続詞です。「なぜなら」「つまり」という接続詞も、たいていの場合、削除しても影響がありません(★ページ参照)。このように、あとから見直せば消せる接続詞はたくさんあるのですから、書くときには、意識して減らそうとしなくても大丈夫です。
 ただし、これは前の文と次の文をつなぐ接続詞の話です。文の途中にあって前後をつないでいる接続詞は、一文を長くする原因になります。文の途中に接続詞を使うぐらいなら、そこで文を分割したほうがよいことも多いはずです。

 〈原文3〉
 接続詞は、前後の文をつなげる働きがある言葉で、したがって、文の途中に接続詞を使うと、いくつかに分けて書くべき文がつながってしまいます。
〈書きかえ文3〉
 接続詞は、前後の文をつなげる働きがある言葉です。したがって、文の途中に接続詞を使うと、いくつかに分けて書くべき文がつながってしまいます。

「前の文を受ける接続詞以外は使わない」を原則にしてみてください。指示語の場合は同様の原則を提案しようとしてあまりの例外の多さに断念しましたが、接続詞については、この原則で問題がないと思います。


【Coffee Break】

「また」「さらに」「そして」「ちなみに」の法則
 仕事で文章を書きはじめたばかりのころ、健康雑誌の仕事をしたことがあります。編集部の方針で、デス・マス体で極力一文が短い原稿を書くことになっていました。この前提があって医学の専門知識を説明しようとすると、接続詞を多用することになり、なんとも形容のしがたいヘンな文章になってしまいがちです。原稿が書けずに四苦八苦していると、先輩がアドバイスをしてくれました。
「書き方に困ったら、『また』『さらに』『そして』『ちなみに』の順番で接続詞を使うといい」
 そのとおりにしてみると実に便利で、どんな原稿を書くときにも使えそうな気がしたほどです。あまりにも便利なため、数回使ったあとは禁じ手にして封印しました。便利な表現というのは、ほとんどがワナです。どんな原稿を書くときにも使えるなら、よほどのことがない限り、使ってはいけません。便利だと思って多用すると、表現が画一的になってしまいます。
 この経験があるので、接続詞に対してあまりよい印象がありません。しかし、それは接続詞に問題があるのではなく、使い方に問題があるのだと思います。
 接続詞が悪文の原因と考えられてしまいがちなのは、稚拙に見える文章で乱発されていることが多いからではないでしょうか。第1章(★ページ)で取りあげた「けさ学校に来るまでのできごと」をテーマにした〈作文1〉を例に考えてみましょう。

【練習問題15】
 次の〈作文1〉は接続詞が目立ってヘンになっています。接続詞を減らすだけでマシな文章にできるのか考えてください。
  私はけさ7時に起きました。まず、顔を洗いました。そのあとに、歯を磨きました。それから、朝ごはんを食べました。それから、家を出ました。そして、ホームルームの10分前に、学校に来ました。

【練習問題15】にした文章は順番に事実を並べただけなので、「まず」「そのあとに」などの接続詞は削除しても構いません。これらの接続詞がなくても、行動の前後関係は明らかだからです。では、すべての接続詞を削除すればマシになるでしょうか。

 〈書きかえ文1〉(すべての接続詞を削除した文章)
 私はけさ7時に起きました。顔を洗いました。歯を磨きました。朝ごはんを食べました。家を出ました。ホームルームの10分前に、学校に来ました。

 同じことを書いているのに、事実を並べただけの単調さがもっと強調されていませんか。一文が極端に短いので、稚拙でリズムが悪くなっています。こういう文章だと、つい接続詞をつけたくなってしまうのは、単調さを少しでも緩和しようとするためです。
〈作文1〉がヘンな文章になっているのは、接続詞が多いせいではありません。マシな文章にするためには、接続詞を減らすこと以外にも工夫が必要です。本書の第2章で説明している方法で、〈作文1〉を書きかえてみます。

 〈書きかえ文2〉(本書の第2章で説明した方法で書いた文章)
 けさ起きたのは7時です。まず、顔を洗って歯を磨きました。そのあとに、朝ごはんを食べてから家を出ました。学校に来たのは、ホームルームの10分前です。

 念のため、どこに注意して書きかえたのかを説明しておきます。
  1)「主述の入れかえ」をして文末に変化をつけた
  2)2つの単文を結合して、複文で書くことを基本にした
 1)をしたのは最初の文と最後の文です。体言止めを使うなら、原則(終わりの文よりは始まりの文に、長い文よりは短い文に使う)に従って、最初の文を体言止めにするべきです(その場合は、「けさ起きたのは7時。」にするより「けさの起床時間は7時。」にするほうが少しマシだと思います)。
 2)は書かれている内容を考えて、最初の文と最後の文を単文のままにしておきました。
 それほどたいへんな工夫をしたわけではありませんが、〈書きかえ文2〉は〈作文1〉や〈書きかえ文1〉に比べてかなりマシになっている気がしませんか。

〈書きかえ文2〉がすばらしい作文になっている、などというつもりはありません。単純に事実を並べたことにかわりはないからです。しかし、これ以上の書きかえ案を出そうとすると、内容にかかわってきます。すでに書いたことの繰り返しになりますが、それは本書の役割ではありません。
 ありがちなアドバイスをすることならできます。たとえば、「印象に残ったことにテーマをしぼって書きなさい」というのは簡単です。たしかにそのとおりですが、何もいっていないのと同じことだと思います。
「寝坊してあわてていたので国語の教科書を忘れてきたこと」を書きたいのなら、忘れてきたことに気づいた場面から書くと臨場感が出る。「朝ごはんで食べた大好物の卵焼きがおいしかったこと」を書きたいのなら、いままででいちばん記憶に残っている卵焼きの話を書けばいい……。
 もっともなアドバイスです。具体的な作品例まで出せば、「なるほど」と感心しておもしろい作文が書ける気にはなります。では、「登校途中に見かけた犬のこと」を書きたいときや、「弟とケンカをしたこと」を書きたいときはどうすればよいのでしょうか。書きたい内容が具体的にわからないと、アドバイスはできません。どんな内容のときにも通用する万能の書き方などはないからです。
 もっと根本的な問題も残っています。いくら考えても「印象に残ったことがない」と悩んでいる子供にはどのようなアドバイスをすればよいのでしょうか。「作文以外のことでがんばろうね」と励ますのが精一杯です。
 こういう問題を考えると、文章の内容について書かれた「文章読本」が、タメにはなっても役に立つことが少ないのは当然のことかもしれません。個人的な経験では役に立ったものもありますが、それは「自分が書こうと思った内容に関してはたまたま役に立った」というだけのことです。自分の発想法に通じるものがあったので参考になった、といういい方もできます。違うことを書こうとしている人にも役に立つとは限りません。
 たいていのテーマで使える汎用性の高いアドバイスもあるのでしょう。書きたいことを見つけるための有効なヒントもあるのかもしれません。しかし、それがどういうものなのか具体的にわからないため、本書では原則として文章の内容についてはふれないようにしています。


よけいな接続詞■■■■■■■■■■■■■■■■■■「赤い本」のp.234~

【練習問題25】
 次の1)~4)の文には、接続詞が使われています。A群の接続詞とB群の接続詞の性質について、共通点と相違点を考えてください。
  A群
  1)おそらく、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はないでしょう。
  2)たぶん、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はないでしょう。
  B群
  3)なぜなら、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題がないからです。
  4)つまり、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題がないということです。

 前後の文をつなげる働きをしている接続詞を、前の文を書かずにいきなり持ち出して性質について考えるのは無理な話かもしれません。多少ヒントになっているのは、★ページの「接続詞の減らし方」の項の記述や、この項の「よけいな接続詞」というテーマと例文の内容です。
【練習問題25】にした文の接続詞と文末の関係は、次のようになっています(1)2)の文末は★ページで紹介したようにいくつもの書きかえが可能です。3)4)の文末も書きかえが可能でしょうが、ここではこの形に限って話を進めます。文末を書きかえても、話の大筋には影響がないからです)。
  A群
  1)おそらく~でしょう(「推量」などを表す)
  2)たぶん~でしょう(「推量」などを表す)
  B群
  3)なぜなら~からです(「理由」などを表す)
  4)つまり~ということです(「結論」などを表す)
 A群とB群に共通しているのは、そのまま削除しても文意がほとんどかわらない点です。文末だけでも、文の意味が伝えられます。

  〈書きかえ文1〉
  A群
  1)いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はないでしょう。
  2)いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はないでしょう。
  B群
  3)いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題がないからです。
  4)いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題がないということです。

 A群とB群の相違点は、次のように文末をふつうの形に書きかえるとはっきりします。

  〈書きかえ文2〉
  A群
  1)おそらく、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はありません。
  2)たぶん、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はありません。
  B群
  3)なぜなら、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はありません。
  4)つまり、いくつかの接続詞はそのまま削除しても問題はありません。

 B群の〈書きかえ文2〉は、ややヘンな感じです。3)は「係り結ばず」の気配が濃厚で、4)は「前にある文章によってはヘンではないかもしれない」という微妙なところでしょう。
 以上のことをまとめると、次のようになります。
          A群              B群
        おそらく   たぶん      なぜなら    つまり
  働き    「推量」など 「推量」など   「理由」など  「結論」など
  接続詞+文末  〇      〇       〇       〇
  文末だけ    〇      〇       〇       〇
  接続詞だけ   〇      〇       ×        △
 A群の接続詞は、接続詞と文末をセットで使ってもよいし、接続詞を削除して文末だけで意味を表してもよいし、接続詞だけで使っても構いません。接続詞と文末をセットで使うと意味がダブり気味になりますが、趣味の問題の範囲で、重言とまではいえないと思います。
 B群の接続詞は、接続詞と文末をセットで使ってもよいし、接続詞を削除して文末だけで意味を表しても構いません。しかし、接続詞だけで使うときには、文末が「係り結ばず」にならないように注意する必要があります。
 ★ページで、「削除してもヘンでない接続詞が見つかることもよくあります」と書いたのは、具体的にはこういうことです。ここで例にあげた4つの接続詞は、そのまま削除しても問題がありません。
 ほかの接続詞について考えてみましょう。
 A群と同様に「推量」などを表す「あるいは」「もしかすると」は、用法で見ると「なぜなら」のタイプです。そのまま削除しても構いませんが、接続詞だけで使うとヘンな感じになります。「したがって」は意味的にも用法的にも「つまり」に近い感じがあり、そのまま削除できることが多い接続詞です。
 しかし、当然のことながらそのまま削除できない接続詞もあります。「逆接」などを表す「しかし」「ところが」などは、通常は削除できません。
 接続詞をそのまま削除できるか否かは、前後の文脈にもかかわってくるので、一概にはいえないことも多いようです。実際の文章の中で個々に考えるべきでしょう。★ページでも書いたように、文章を書いているときには神経質になる必要はありません。ただし、書きあがった文章を読み直して接続詞が多いと感じたときには、「そのまま削除できないか」「文末などを工夫すれば削除できないか」と考えてみてください。


【Coffee Break】

接続詞の「また」は原則として使わない
 本文ではふれていませんが、「また」もできるだけ削除したほうがよい接続詞です。
「転換」などの働きをもつ接続詞の「また」は、話題をかえるときなどに使います。これほど便利な接続詞もなく、「また」を使って「転換」してしまえば、それまでの文章の流れとは無関係の話を書いてもさほどおかしくありません。この点が大きな問題です。「また」を使わなければならないのは文章の流れが悪いからで、自然な流れの文章なら使う必要はありません。
 強引とは知りつつ、いいきってしまいます。
 接続詞の「また」が頻繁に出てくるのは、流れが悪いヘンな文章です。
 たいていの場合、「また」は改行したあとに使います。改行には「転換」の効果があるので、「また」をそのまま削除しても問題がないことが多いはずです。頻繁に改行しているために「転換」の効果が薄い文章は、改行の数を減らすのが先決になります。どうしても「また」を使わないとヘンなら、文章の流れを考え直すべきです。
 全体が長い文章なら、ごくまれに「また」が出てくるのはしかたがないかもしれません。しかし、短い文章の中で「また」が使われていると異様な感じになります。
 以前、ガイドブックの編集の仕事で、短い原稿の中に「また」が目立つ例を見ました。よくあるガイドブックの形式ですから、1物件を紹介する原稿量は300字足らずです。さすがに約300字の中に2回出てくることはなかったのですが、3物件分の原稿に1カ所ぐらいの割合で「また」が使われていました。すべてそのまま削除しても問題がなかったので、書き手の単なるクセだったのだと思います。


 接続詞に関しては、下記もご参照ください。
【第2章2】接続詞
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-76.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=900405956&owner_id=5019671

【接続詞(っぽい言葉)の役割──順接/逆接/並列・追加/対比・選択/説明・補足/転換】 【20130314改定版】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2727.html
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