句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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mixi日記2010年09月16日から
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 ごめんね。何度も同じようなタイトルで日記を書いて。これでこのテーマからはしばらく離れるから(予定)。
【句読点の打ち方/句読点の付け方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3138.html

 少し前に『いま、危険な愛に目覚めて』という文庫本を読みはじめた。昭和60年に集英社文庫から発刊された、(やはりこの読点は美しくない)耽美小説を集めたアンソロジーで選者は栗本薫。なんでこんな本をもっていて、なんでこの時期に読みはじめたのか書きだすと長くなるのでパス。まあ、暇つぶしと考えてもらえばいい。ICUのベッドでもこれを読んでいた。
 読んでいて、気持ち悪く感じるところが多々ある。主な原因は、句読点(ほとんどは読点)の使い方がおかしいこと。小説なんだから、文体としておかしな句読点の使い方をしている場合もあるだろう。ただ、そうは考えにくい例がいくつかある。
 断わるまでもないことだが、句読点の使い方がおかしいからと言って、その著者は文章がヘタとは言いきれない。一部分を切り取れば、ヘンな句読点を打っている文章なんていくらでもある。さらに言えば、そういう箇所があったからといって、その作品の価値が下がるなんてこともない。実用文と違い、芸術文の場合は句読点なんて些末な問題なんだから。こういうのがタマタマ気になった、というメモと考えてほしい。

【引用部】
 雨もよいの夜のもやは濃くなって、帽子のない私の頭の髪がしめって来た。表戸をとざした薬屋の奥からラジオが聞えて、ただ今、旅客機が三機もやのために着陸出来なくて、飛行場の上を三十分も旋回しているとの放送だった。こういう夜は湿気で時計が狂うからと、ラジオはつづいて各家庭の注意をうながしていた。またこんな夜に時計のぜんまいをぎりぎりいっぱいに巻くと湿気で切れやすいと、ラジオは言っていた。(p.12)
『片腕』(川端康成)。
 著者を考えると、けっこう無謀なことを書こうとしている(笑)。
「ラジオ」が「言う」か否かというのはインネンになりそうなんでやめておく。「聞えて」の中止形はヘン、というのもインネンになりそうなんでやめておく。ほかにも細かい点が気になるが、全部無視する。
【引用部】を読んで、ラジオが言ったのはどこからどこまでかわかるだろうか。
 とくに気になるのは「またこんな夜に~」の「また」はアナウンサーが口にしたか否かで、当方にはわからない。それだけ文章が不鮮明だってこと。アナウンサーが言った部分に「 」などをつけるか、適切に読点を打つべきだろう。「 」を使わないなら、2か所ある「と、~」の部分は「、と~」にしないとおかしい。

【引用部】
ラジオはそのあとで、こういう夜は、妊婦や厭世家などは、早く寝床へはいって静かに休んでいて下さいと言った。またこういう夜は、婦人は香水をじかに肌につけると臭いがしみこんで取れなくなりますと言った。(p.13)
 今度は「と」の前後の読点がなくなった。意図不明。↑と同様に「また」が気になる。
 最初の文に「は、」が2回出てくる。これは「赤い本」に書いた話とほぼ同様。重要性が低いほうの「は、」の読点を削除したほうがいい。この場合なら、「妊婦や厭世家などは、」の読点を削除するべきだろう。

【引用部】
そしてまた、女のからだと身をまかせようとは、ひとりひとりちがうと思えばちがうし、似ていると思えば似ているし、みなおなじと思えばおなじである。(p.24)
 これは読点の話ではない。異和感があったのは「身をまかせようとは」の部分。読み返して「身のまかせ方は」の意味だとやっとわかった。

 文豪の文章にインネンをつけるという暴挙を企てて、昔、同じようなことをしたのを思い出した。古いデータを探すと、1998年10月の話だった。
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『赤西蠣太』は短編集か何かで読んでいる。再読して、志賀直哉って小説の神様と呼ばれる割りには文章へたなんじゃないの、と思う。たとえば、冒頭にこんな文章が出てくる。
1)三十四五だと云うが、老けていて四十以上に誰の眼にも見えた。
2)真面目に独りこつこつと働くので一般受けはよかったが、特に働きのある人物とも見えないので、才はじけた若侍達は彼を馬鹿にして、何かに利用するような事をした。
 1)はおかしくないといえばおかしくないかもしれない。しかし、ふつうの人なら、
 三十四五だと云うが老けていて、誰の眼にも四十以上に見えた。
 と書くだろう。
 よく判らないのは、原文だと読点の位置がひどく気になるが、
 三十四五だと云うが、老けているので四十以上に誰の眼にも見えた。
 だとまったく気にならないこと。まあいずれにしても、後半の「誰の眼にも」の位置は絶対おかしい。
 2)は単純に「~で、」と「~て、」の重複が美しくない。前の「ないので、」を「ず、」にするとか、後の「馬鹿にして、」を「馬鹿にし、」にするとか、なんとでもやりようはあっただろうに。
 こんな瑣末なことで神様を悪く言うとバチが当たるかしら。
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 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
 こんなことを書いているとホントにバチが当たるかも。「絶対おかしい」は言葉が過ぎる(笑)。でも気になるものは気になるんだからしょうがない。
 文豪の文章でつまずいたもんで、ほかの作品も文章が気になってしかたがない。こういう状態になると小説を読んでいる気にならないんで困ってしまう。

【引用部】
僕のこの小さな世界の人間たちと、僕がまったくちがう、これは僕にはふしぎなことであり、長じて物がわかってくるにしたがって、かれら、僕のように白くなく、僕のようにととのっていない人間たちへの、侮蔑、あるいは嫌悪の、よくない傾向を育ててゆきました。(p.65)
『侏儒』(栗本薫)。
 かなり長い一文に9個も読点がある。一般的なルールで考えれば悪文と言われてもしかたがない。ただ、個人的にはこれはアリだと思う。一種の実験的文体だろう。さほどヘンな箇所には打っていないし、一人称の話し言葉だから、こういう話し方をするキャラともとれる。元々明晰な文章を書く著者が、狙いをもってあえてやっているものにまでインネンをつける気はない。

【引用部】
 二、三年前までは、観光コースに乗らないこの北の外れの山腹に建つ禅寺は、躑躅の季節でもない限り訪れる人もめったになく、一部の好事(こうず)家か、狩野山楽の筆になる襖絵(ふすまえ)の淡彩山水を目的にやってくる、美術研究家達に限られていた。だが、最近、その閑寂で人気(ひとけ)のない環境が、京の穴場として雑誌のグラビアや紀行文などにとりあげられるに及び、急に人足(ひとあし)がつき、観光客の数は日増しにふえていた。(p.106)
『獣林寺妖変』(赤江瀑)。
 微妙。「淡彩山水を目的にやってくる、美術研究家達」の点は、本多勝一が目の仇にしているもの。「だが、最近、」もどちらかを削除するべきだろう。当方なら「だが最近、」にする。「及び、」「つき、」と似た形の中止形が続くのも避ける。

【引用部】
あの人、一皮脱いで大きゅうなってたわよ。苦労は承知でさア、明木屋の部屋子に入って、何とかこの世界で背景を持とうとしたあの人の作戦も、図に当ってたわよ。(p.134)
 同前。
「一皮脱いで」は「一皮剥けて」がフツーだろう。「背景を持つ」は「後ろ盾を持つ」くらいがフツーだろう。……という話は無視する。2つ目の文の読点はちょっと引っかかるけど、話し言葉ならこの程度はアリだろう。

【引用部】
 電話で指定された、高田馬場駅ちかくの喫茶店で、しばらく待つ。やがて揉上げを長くした、バーテン風の男が目じるしのデパートの、バッグを持ってあらわれて、わたくしに向いあって坐った。(p.259)
『公衆便所の聖者』(宇能鴻一郎)。独特の文体の風俗小説で知られる著者は、本来はバキバキの正当派で芥川賞も受けている。ただ、この長い一文に読点過多はいただけない。「指定された、」「長くした、」「デパートの、」の読点は本多勝一に叱られる。

【引用部】
ついで少年は栄養失調児のようなみすぼらしい裸体をベッドにのばし、恐らくはそれが相手を誘うことになる、と信じているらしい、うっとりと半眼をみひらいたアイラインの眼でわたくしをみつめつつ、包茎の、年齢のわりにはあきらかに発育不全の矮小な肉体をわが手で愛撫しはじめたが、むろんのことわたくしに、少年への嗜欲はいささかも湧かなかった。(p.263)
 同前。
 微妙。これもひとつの文体かな、という気もする。これだけ読点が多いのなら、「誘うことになる、」の読点は削除するほうがいい気がする。「包茎の、」の読点も美しくないが、これを削除するには大手術が必要になる気がする。

【引用部】
「いくらなんでも、風の音にまでそんなに神経をとがらせることないと思うわ。おきなさいな。──自然の音よ」(p.281)
『星殺し』(小松左京)。
 これは単に誤植か。前後を読むと「起きなさいな」ではおかしい。「お聞きなさいな」だろう。

 妨害されるといけないので、ごぼうぬきにカプセルを発進させ、宇宙船にのりうつると最大加速で軌道からはなれた。(p.327)
 同前。
 これが「ごぼうぬき」の本来の使い方だろう。本来の使い方を目にしたのは初めてかもしれない。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%94%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%AC%E3%81%8D&dtype=0&dname=0na
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ごぼう‐ぬき〔ゴバウ‐〕【▽牛×蒡抜き】
1 牛蒡を引き抜くように、棒状のものを力を入れて一気に引き抜くこと。
2 多くの中から一つずつを勢いよく抜くこと。座り込みの人などを一人ずつ排除したり、人材を引き抜いたりする場合に用いる。また、競走などで、数人を一気に抜くことにもいう。「ピケ隊を―にする」「一〇人を―にして堂々入賞する」
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 あれ? 「棒状のものを力を入れて一気に引き抜くこと」じゃないから、【引用部】もヘンなのか?

【引用部】
 半朱は達吉との間の、兄弟分というような間柄に、それだけではない、微妙なものが出来て来ているのに気づいていながら、深い考えもなく、裏切ろうという気もなく、持前の暢気(のんき)さで、何かのはずみのように、八束与志子(やつかよしこ)の恋を受け入れ、婚約した。(p.335)
『日曜日には僕は行かない』(森茉莉)。
 ここだけを読むとさほどわかりにくい文ではない。だが、決してわかりやすくもないだろう。不要と思われる読点もいくつかある。著者は悪い意味で文章力に定評があるような……。
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