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【休まれない 休めない 休める 休まる】Yahoo!知恵袋

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【4】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1583890705&owner_id=5019671

mixi日記2011年02月18日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1675811564&owner_id=5019671

 テーマサイトは下記。
【休まれない と 休めない の使い分け】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1155738816

 質問の全文を引用する。
================================
休まれない と 休めない の使い分け

休まれない と 休めない の使い分け
次のように考えたのですが、ちょっと確信が持てません。
みなさんのご見解をお伺いできれば、と思います。

1.風邪を引いたが、繁忙期なので会社を休まれない。

【会社というものを】休むことができない。
というニュアンス。

2.風邪を引いたが、繁忙期なので会社を休めない。

【私は】休むことができない。
というニュアンス。

「休む」の、
1.対象に重点をおいた表現か
2.主体に重点をおいた表現か
によって使い分けている。

3.
むろん、必ずしも厳密に区別されているわけではないかもしれません。
〇この海は汚れているので泳げない。
〇この海は汚れているので泳がれない。
などは、どちらも可能でしょう。
ただ、この場合でも、
前者は、「海が汚れているという理由で、【私たちは】泳げない」という主体重視のニュアンスで、
後者は、「この海は汚れているので、泳ぐことが【不可能な海】だ」という対象重視のニュアンス。
という感じがします。

そして、
「怖い」という主体重視の意図が明確な場合は、
〇私は海が怖くて泳げない。
×私は海が怖くて泳がれない。
のようになるのではないか、というわけです。

どう思われますか。
================================

 非常に興味深い。
 まず、一般的な「休まれない」「休めない」の関係を確認しておく。
 否定形だとまぎれがありそうなので、「休まれる」と「休める」で考える。
「休める」は「休む」の可能形(仮にこう呼ぶ)。
「休まれる」は本来の可能形で、現在は「休める」を使うのが一般的。年配者だと可能形で「休まれる」の類いを使う人がいる。「方言」と考えることができるか否かはわからない。
 詳しくは下記参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E5%8B%95%E8%A9%9E
 この「可能表現の変化」の考え方は諸説あるらしいが、当方は「ar」が抜けたものと考えている。
  au→aw-ar-eru→a(w)eru
  iku→ik-ar-eru→ikeru
  yasumu→yasum-ar-eru→yasumeru

 ちなみに「ラ抜き言葉」に関しても「ar」が抜けたものだと思う(これも諸説ある)。
 下記から一部抜粋(重言)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1094.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
================================
 かつて五段活用の動詞が、受動、尊敬、可能がすべて「書かれる(kak-ar-er-u)」だったのに、しだいに可能だけがarが抜けて「書ける(kak-er-u)」になったのと同じことだと思います。

 ただし、少し考え方をかえてもいいかもしれません。もう何十年も「ら抜き」は乱れだ、乱れではないと論争が続き、こういうのはだいたい「進化」していくはずなにのに、いまだに「乱れ」だといわれる。それだけ、「ら抜き言葉」には拒絶反応を呼ぶ何かがあるような気がします。
 そう考えると、まだ当分の間は「乱れ」という主張が主流を占めるのでは。

 個人的には、「ら抜き言葉」は使えません。他者が言っているのは「もうしかたがない」とあきらめますが(ただし、年配者には使ってほしくない)、書いているのにはかなり抵抗があります。
================================
「行く」の例で考えると、受動、尊敬、可能(ほかに「自発」も?)の意味があった「行かれる」のうち、「可能」だけが「行ける」になりました。可能の意味で「行かれる」と言うのは、多少古いイメージはありますが、決して間違いではありません。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ちなみに、尊敬の「休まれる」は当然アリ。「先生が病気で休まれる」
 受動の「休まれる」も当然アリ。「忙しい時期に部下に休まれる」
「休まれる」と「休める」にニュアンス的な違いあるか否かは当方には判断できない。一般的にはないと言われているはず。質問者が言う「泳がれない」と「泳げない」の違いは一理あるような気もするが、なんとも言えない。

 ただし、「休まれる」の場合はもうひとつ別の問題がかかわってくるような気がする。
「(体を)休める」「(体が)休まる」の可能形はどうなるのか。
「休める」の可能形は「休められる」だろう。
「休まる」の可能形は「休まれる」と言えるか否か。
 近似表現の「止まる」「温まる」で考える。
「止まる」の可能形は「止まれる」。これと同様と考えるなら「休まれる」もアリ?
「温(あたた)まる」の可能形は「温まれる」? 「温まることができる」はアリでも、「温まれる」は異和感がある。
 そう考えると、「休まる」の可能形を「休まれる」と考えるのはちょっと無理な気がする。

……………………休む    休める    休まる
否定形     休まない  休めない   休まらない
可能形     休める   休められる  休まれる? 
可能形2    休まれる  ──     休まられる?
可能形の否定  休めない  休められない 休まれない?
可能形の否定2 休まれない ──     休まられない?
※「休める」は五段活用ではないので、「可能形2」はない。


【追記】
itoshii_itoshii_yan さん

 ご紹介いただいたサイト1)のほかに下記2)でも質問されてますよね。このほかにそもそものYahoo!知恵袋3)があります。

1)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6534485.html
2)
http://oshiete.nikkeibp.co.jp/qa6524818.html
3)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1155738816

 こうなるとマルチポストなので、参加する意欲が失せます。話が錯綜してグチャグチャにならなければよいのですが。
 確かに1)2)のほうがコメントのやり取りができる分、3)よりマシかもしれません。
 ただ、あのレイアウトは相当見にくい気がします。
 当方はmixiもやっているので、レイアウトの見やすさと、コメントのやり取りができる点ではmixiのほうがいいかな、って気がします。ただ、mixiのコメントも玉石混淆で……。
 
 さて、話題の「可能動詞」の件です。
 2)でも3)でも「方言」と決めつける人がいることに辟易しています。仮に方言だとするなら、なぜ辞書にのってるんですかね。むしろ由緒正しい日本語表現のはずです。
 ちなみに、itoshii_itoshii_yan さんがひいた『大辞泉』だと「行かれる」しかのっていないので、「それは特殊な例」と強弁する人が出てきたようです。
『大辞林』のほうならほかの例もあります。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%82%8C%E3%82%8B&stype=0&dtype=0&dname=0ss
「登られる」「とられない」……これも特殊な例ですかね。
 ただし、〈可能の意では、現代語では普通「行ける」「登れる」などのように、可能動詞で表すことが多い〉とのことです。
 Wikipediaに「元来の可能表現」とあるのは紹介したとおりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E5%8B%95%E8%A9%9E
 これがいつ頃「ar抜き」になったのかは、当方にはわかりません。
 ただし、「一般には使われなくなったけど、○○地方ではむしろこっちのほうがメジャー」という意味なら「方言」と言えなくはないと思います。

 ご質問にありました引用の件に関しては、まったく問題はありません。ただ、出典を明らかにするためにリンクを張っていただきたいと思います。3)のサイトでもいいですし、このブログでも構いません。ブログのリンクのほうがわかりやすいですかね?
 一部の転載だと誤解が生じる気がするので。
 たとえば「ar抜き」に関してもずいぶん以前から言われています。以前はWikipediaにもあったのですが、いまは削除されています。

 1)のサイトの質問に関して
 見解「1」はそのとおりでしょう。
 見解「2」はなんとも言えません。とくに「室町時代頃」は疑問です。
 見解「3」もなんとも言えませんが、ほぼ同意します。

【質問】に関して。
 当方もこの点には興味があります。
 ちゃんとした答えがあるのでしょうか。
 当方の漠然とした考えは、↑に書いたとおりです。
================================
 かつて五段活用の動詞が、受動、尊敬、可能がすべて「書かれる(kak-ar-er-u)」だったのに、しだいに可能だけがarが抜けて「書ける(kak-er-u)」になったのと同じことだと思います。

 ただし、少し考え方をかえてもいいかもしれません。もう何十年も「ら抜き」は乱れだ、乱れではないと論争が続き、こういうのはだいたい「進化」していくはずなにのに、いまだに「乱れ」だといわれる。それだけ、「ら抜き言葉」には拒絶反応を呼ぶ何かがあるような気がします。
 そう考えると、まだ当分の間は「乱れ」という主張が主流を占めるのでは。
================================


【追記2】
 返信が送れて申し訳ございません(「誤用」でしょうか?)。
 BAの判定をいただき、ありがとうございます。

 下記はmixi日記に、itoshii_itoshii_yanさんとのやり取りを転記した上で書いたことです。
 やはり、当方は職業柄「著作権を無視した転載」を容認することはできません。
 マルチポストに関しても、過去に何度もイヤな思いをしているので、肯定することはできません。 
 
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 困ったなぁ。別にこの人を批判する気はないけど……。
「ご自由に」って気持ちもある。
 でも職業柄、そういうことを認めるのはむずかしい。うんと、大上段に振りかぶると、「警官に、犯罪を見逃せと言うようなもの」だよ。
 文章を書くことをナリワイにしている人間なら、「無断転載していいですか」と訊かれて「どうぞ」とは言えないよ。ネット限定なら、「どうでもいい」って気持ちもなくはないけど。
 しかも理由がマルチポストがらみでしょ。
 日頃、原則的にマルチポストを許容しないことにしているしな。

>個人的にはマルチポストはむしろ有用という考え
 それは個人の自由かもしれないけど、世間一般は認めてないよ。
 当方も認めてません。
 あくまでも「有用」と主張するなら、堂々とマルチポストであることを宣言してリンクを張ってもらいたい。
  
 ちなみに同じ人が下記の質問もしている。
4)【こんなスッピンで、みんなの前に出られないわ】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6530613.html

 1)~4)にひととおり目を通して、何がなんだかわからなくなった。 
 これで質問者が納得できるような結論が出るのだろうか。
 的外れなコメントも目立つ。ほかの質問のやり取りを読んでいれば、的外れなコメントの大半はなくなるはず。
 だ・か・ら・マルチポストはダメなの。
================================

 3)の質問はもう締め切られています。ほかの3つは参加者が共通(ほぼ?)なので、統合していはどうでしょうか(メインの板を決めて、ほかの質問には「以降は下記に」とリンクを張る)。新たに質問板を立てて、過去の質問のリンクを張ってもよいと思います。
 まあ、結論はほぼ出ている気もしますが……。
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先般はご回答いただきまことにありがとうございました。
下記の内容に大変興味を惹かれます。
というか共感できます。
実は他でも質問していまして、まだ模索中です。
知恵袋のようではなく、何度も応答可能なのか良いサイトです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6534485.html
お気が向きましたら、ご参加いただけると光栄です。

さて、今回は、とりあえず、下記の箇所の引用を許可していただきたくコメントを入れました。(どの時点で引用するかは決めていません。他の質問になる可能性もあります)
『、あるサイトで次のような見解を教えてもらいました。』という言に引き続き、記述の予定です。
よろしくご検討のほどお願いいたします。

『この「可能表現の変化」の考え方は諸説あるらしいが、当方は「ar」が抜けたものと考えている。
  au→aw-ar-eru→a(w)eru
  iku→ik-ar-eru→ikeru
  yasumu→yasum-ar-eru→yasumeru
ちなみに「ラ抜き言葉」に関しても「ar」が抜けたものだと思う(これも諸説ある)。』

  

itoshii_itoshii_yan さん

 この場でははじめまして。

 返信が長くなったので、【追記】の形にします。

追記拝見しました。

当初はリンクをお願いすることも考えたのですが、マルチポストという点に焦点が移動する危険性が高いので、やめました。
リンクが無いと引用は不可でしょうか。
ar が抜けるというのは大変興味深い視点です。

個人的にはマルチポストはむしろ有用という考えですが、焦点がぼやけてしまう危険性を避けたいのです。
なんとか引用の許可をお願いできれば助かります。
    

因みに、1と2は提携サイトです。
他にも10以上のサイトと提携しているはずです。
一番大きいのは okウエブですが、私はgooです。
    

itoshii_itoshii_yan さん2

 返信が長くなったので、【追記2】の形にします。

>マルチポストに関しても、過去に何度もイヤな思いをしているので、肯定することはできません。 
:
了解しました~。^^;

おっしゃることは良くわかります。
無理を申し上げて失礼しました。
悪気はございませんのでご寛恕のほどを。
余計悪いでしょうか。^^;

独断的総括(とは言えないかもしれませんが)として2つほど質問を立ててますので、お気が向かれましたらお立ち寄りください。

> 的外れなコメントも目立つ。ほかの質問のやり取りを読んでいれば、的外れなコメントの大半はなくなるはず。

多角的なアプローチでなんとか見えない形をあぶりだせないか、という試みの一種ですね。
いずれにしても、大変参考になる視点をお示しいただき感謝しております。
何かの折には、今回に懲りませず、またよろしくお願いいたします。

コメントを拝見する前に ar ではなく u の脱落という推測で展開しました。
ほんと難しいですね。^^
  
  

itoshii_itoshii_yan さん3

 なんか頑固者で済みません。

> 独断的総括(とは言えないかもしれませんが)として2つほど質問を立ててますので、お気が向かれましたらお立ち寄りください。
 えーと、それはどこのことでしょうか。
 リンクを張っていただけませんか。ただ、「2つ」だと……。
 コメントを入れている人も一家言あるようで、メンドーなやり取りになるなら当方は逃げる可能性大です(笑)。
 
> 多角的なアプローチでなんとか見えない形をあぶりだせないか、という試みの一種ですね。
「多角的なアプローチ」と考えるか、「意見の錯綜」と考えるか……。
 少なくとも当方は、的外れなコメントに対してitoshii_itoshii_yan さんのような律儀な返信はできません。

> いずれにしても、大変参考になる視点をお示しいただき感謝しております。
> 何かの折には、今回に懲りませず、またよろしくお願いいたします。
 機会がございましたら、こちらこそよろしく。

> コメントを拝見する前に ar ではなく u の脱落という推測で展開しました。
 うん???

>コメントを入れている人も一家言あるようで、
:
数名は「一」ではすみません。^^
しかし、数名はそうでもありません。^^
実社会と同様です。

>えーと、それはどこのことでしょうか。

うかつでした。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6537930.html

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6538133.html
です。

>「多角的なアプローチ」と考えるか、「意見の錯綜」と考えるか……。

これは適確な分析ですね。
後者になる危険性は想定内です。^^
  

itoshii_itoshii_yan さん4

 エート、新しい2つの質問板と過去の質問板をひととおり読み返して、当方には何が論点なのかわからなくなっています。申し訳ない。
「ar ではなく u の脱落という推測」もピンと来ません。
 以前mixiで別の考え方を見ました。itoshii_itoshii_yan さんの考えに近い気もするし、近くない気も……。
 興味がございましたら、ログインして下記のトピの「25」~あたりをお読みください。
 以下は一部の抜粋(重言)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33664363&comm_id=56314
================================
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012208075
> 問題なのは、そもそも「可能動詞」の起源(語誌)についてまだ定説がないので、可能動詞
> とは何かということを十全に説明することができないということです。

 個人的には、ここに書かれている『「五段(四段)連用形+得る」の省略形』という説を支持するものです(省略、というよりは音便だと考えますが)。
 つまり『書き得る』→『カキエル』→『書ける』、『読み得る』→『ヨミエル』→『読める』という変化があったのだろうということ。
================================

> つまり『書き得る』→『カキエル』→『書ける』、『読み得る』→『ヨミエル』→『読める』という変化があったのだろうということ。
:
おっしゃるとおりと私も思います。
それがいかに必然性を伴なっているか、という点が争点といえば争点になるのでしょう。
そこをめぐっての攻防、と受け止めると良いのではないかと思います。
>「ar ではなく u の脱落」

というより、
「ar ではなく i の脱落」というウィキの考えを素直に受け入れたほうが良いという回答に同意したコメントもしてますので、ご確認いただければ幸いです。
もっとも、この点に関しては本質的な違いはないのですが。
つまりは「得る」説の支持根拠に焦点を当てたいのが本意です。

再度まとめている最中ですが、音便だけではなく「得る」という言葉自体に可能の意味がこめらえれている点が重要だろうと思うわけです。
  

itoshii_itoshii_yan さん5

 結論のブログ拝見しました。
 非常にコメントがしにくい(笑)。

 ↑で紹介したmixiのトピhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=33664363&comm_id=56314&page=allの「25」に当方が書いたことコメントからひきます。いまさらながら、参考になるかと。
 当方はこの「ラ付き言葉」が意味不明でした。itoshii_itoshii_yanさんのブログで理解できた気がします。ありがとうございます。納得できるか否かはまた別問題ですが。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 あるいは、これは「ar抜き説」ではありませんが、『こちら日本語校正室』(岡崎隼夫/光文社文庫)には次のようにあります。1995年刊行のこの本の著者はベテランの校正者で、ほかの記述を見ても信頼に値すると思います。
(五段活用の動詞が「書ける」「読める」などの形をとって可能動詞になったのと同様に)
=====================================
「られる」と付くはずだった「見られる」や「来られる」が、「見れる」「来れる」という形をとりつつあるというのが現状なのだ、という見方もできるわけだ。(P.162)
=====================================

 ほかに、『日本語文法の謎を解く』(金谷武洋/ちくま新書)は、〈「ラ付き言葉」であって「ラ抜き言葉」ではない(P.145)〉としています。この理論は正直言って当方の理解力を超えています。サイトを見つけたので、ご参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/shugohairanai/e/e748c287e00a09786079fb21dfb490f7

 誤解のないように繰り返しておきますが、だから「ら抜き言葉」を許容するべきだ、などと口走る気は毛頭ありません。

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素晴しい\(^^)/
私と見解をともにする方が他にもおられたとは!
いやあ、あなたは公平な視点をお持ちですね。
引用を断わられたときには、
なんとけつの穴のちゃっこいやつだ、と思ったりもしたのですが、見直しました。
いや、ほんと。
ありがとうございます。
goo に登録してみたら?
やりとりの継続が常態なので面白いですよ。
それなりに面倒いことも発生するけど。

itoshii_itoshii_yan さん6

 申し訳ない。 
 返信はパスさせていただきます(誤用か?)。

了解しました。
色々ありがとうございました。
  
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Author:tobi
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