「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【5】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1669912728&owner_id=5019671
mixi日記2011年02月03日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1667696948&owner_id=5019671
テーマトピは下記。
【できる、得意、上手のニュアンスの違い。】日本語
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59825603
質問を要約する。
================================
イタリア人の友達から質問されて、返答に困りました。
1) 彼女は料理ができる。/彼女は英語ができる。
2) 彼女は料理が得意だ。/彼女は英語が得意だ。
3) 彼女は料理が上手だ。/彼女は英語が上手に話せる。
この、1)2)3)の違いは一体なんでしょうか??
================================
「上手に話せる」限定ってことは、「書く」「読む」は苦手で「話す」だけが達者ってことなのかな。まぎらわしいんで、以降は「彼女は英語が上手だ」で考える。
そんな微妙なニュアンスの違いは、言葉の神様に訊かないとわかりません。
一般の人に訊いても、主観的な答えしか返ってこない可能性が高い(誤用?)。こんな微妙な違いは「日本語ネイティブ」でも理解できないよ。日本語学習者に理解できるんだろうか。
よほどの上級者でなければ、こんな微妙な質問には答えられない。当方は中級に毛が生えたくらいだと思うんで、地道に調べながら少し書いてみる。
コメント「1」によると、1)だけが異質らしい。そうなのかな。
あれ? それでトピ主は納得してしまったorz。
疑問を感じて辞書をひく。
「料理ができる」「英語ができる」は下記の「9」だろうか。これだとわかりにくいな。
たとえば「自動車の運転ができます/できません」なら、可能/不可能を表わしている。
語学や料理だと、ちょっと話が違う。
フツーに考えれば「ロシア語ができる」と言えば、ロシア語を使った会話や読み書きができる、堪能、得意という意味だろう。「あまり得意ではありませんが、一応できます」なんて謙遜表現はあるから、微妙な違いはありそうだ(「できる」のほうが程度が弱い?)。「7」の意味の影響もあるのだろうな。そのあたりから派生した気がする。「7」の意味も「得意」の意味も、比較的新しいような……。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=15346012672600&pagenum=1
================================
7 人格・能力・成績などがすぐれている。「彼は仕事が―・きる」「若いに似合わず人間が―・きている」「よく―・きる生徒」
9 それをする能力や可能性がある。「ロシア語が―・きる」「―・きるだけ努力します」
================================
これが『大辞林』だとずーっとわかりやすい。〈[9](イ)それをうまく行える。〉と考えれば異質でもなんでもない。「うまく行える」んだから、「得意」「上手(じょうず)」ってこと。
■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0
================================
[9]能力・可能性がある。近世以降の用法。
(ア)おこないうる。
そんなこと私には―・きません
―・きる限りの援助をする
(イ)それをうまく行える。
彼はスキーが―・きる
この問題はむずかしくてだれにも―・きない
(ウ)動作性の名詞を受けて、…をすることが可能であるという意を表す。
泳ぎが―・きない
車の運転が―・きる
(エ)サ変動詞の語幹に付いて、…することが可能であるの意を表す。
よく理解―・きた
八時にはスタート―・きる
================================
2)は主観的で、3)は客観的……一見説得力はありそうだけど、そんなことが言えるのだろうか。初級者相手ならそういう説明でもいいのかな。当方には判断できない。でも教えるほうは例外が多いことを知っておくべき。
そういう傾向が多少あるかもしれないって程度のことで、厳密なものではないだろう。
4) 彼女は英語ができる。
5) 彼女は英語が得意だ。
6) 彼女は英語が上手だ。
7) 私は英語ができる。
8) 私は英語が得意だ。
9) 私は英語が上手だ。
仮に「得意」が主観的なら5)はおかしいはず。「彼女の気持ちも代弁している」とも考えられるのかな。わかりません。
「上手」が客観的なら、9)はおかしいはず。
どれもそんなにおかしくない。少なくとも5)や9)を×にする理由はない。大差ない……いつもこんな結論になる。
「できる」「得意」「上手」のどれがふさわしいのかは、多くの例をあげて考えれば何か法則性が見つかるかもしれない。どなたかお願いします。
とは言いつつ、6)9)には異和感がある。これは当方の主観によるところが大きい気がする。
■「上手(じょうず)」は上から目線?
ここから先は相当主観をまじえる。
個人的に6)9)に異和感があるのは、「上手」(じょうず)って言葉が当方の語彙にないから。上から目線の言葉って気がする。典型的なのは「アンヨはじょうず、お転びオヘタ」。
単純な話、知り合いのライターの話をしているとしよう。
10) Aさんは書けるライターだよね。
11) Aさんはああいう文章が得意だよね。
12) Aさんは文章が上手だから。
これは相当ニュアンスが違ってくる。10)の「書ける」を「文章を書くことができる」と考える「日本語ネイティブ」はいないだろう。言うまでもなく、↑の『大辞林』の「できる」と同様の用法で、「いい文章が書ける」の意味。「文章をする」とは言わないので、「文章ができる」とも言わない。ただ、この用法はちょっと俗語っぽいにおいがするので、あまり使用範囲を広げるのは危険な気がする。
「あの人は状況が見える人」だと「状況が適確に判断できる人」くらいの意味。
「あの人は話せる人だ」だと「話がわかる人」くらいの意味。
「あの人はいける口」だと「お酒が飲める」くらいの意味で、かなり特殊な用法になる。
11)の場合、Aさんに「得意」な自覚があるかないかは不明(本人は苦手意識をもっていることだってある。ちなみにtobiクンは人の悪口を書くのが嫌いだが、決して苦手ではない)。でも客観的には「得意」だと思われていることが多い。だから主観とは限らないって。
12)は相当イヤだ。ヘタをすると嫌味に聞こえる。同じようでも、「Aさんは文章がうまいから」ならずっとマシになるけど、まだ微妙。「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりなら何もおかしくない。だから客観とは限らないって。
昔、陶芸家を取材したライターが「上手な手つき」とか書いてきたんで怒鳴りつけそうになった。芸術家の技法に対してそんな表現はありえない。「うまい手つき」だって相当失礼。フツーに考えるなら「巧みな手つき」くらいかな。「魔法のような手つき」まで言うか否かはまた別の話。
料理人の盛りつけに対して「上手に盛りつけて」「上手な盛りつけ」などと書いた●●もいた。まあ、未熟なライターの筆力なんてこんなもんよ。
■ほめ言葉はむずかしい
心理学の本を書いたとき、資料本で「目上を評価するような言い方は避ける」という記述を目にした。マイナス評価はもちろんだが、プラス評価も避けるほうがいいらしい。
そのときは「そんなことはないだろ」と思ったが、最近そのとおりだと思う。けなすのは簡単だけど、ほめるのはむずかしいぞ。↑の1)~12)も、ほめているけど、目上に対して使えるかというと微妙。
例外とも言えるのが「できる」じゃないだろうか。比較的身近な目上になら「できる人は違いますね」くらいは言えそうな気がする。「得意」「うまい」も状況しだいでアリかな。
「上手」はやめておいたほうがいい。ゴマスリなら「お上手ですね」はアリかも。でも相手がまともな感覚の人なら気分を害する可能性が高い。そういう露骨なお世辞を「お上手を言う」などと言う(笑)。
そうなると、目上に対するほめ言葉は限られてくる。うんと目上になるともっと限られる。
「(お)見事」(ちょっと「上から目線」的)
「さすが」(場合によっては危険)
「すばらしい」(場合によっては危険)
こういうことを考えているから、人をほめるのが苦手になる。悪口と同じくらい素直に書ければいいのに……。
【追記】
ちょっとやってみる。
できる 得意 上手 うまい
運動 △ ○ △ △
特定の種目をあげない「運動ができる」は意味が違う(病状の説明などのイメージになる)。「上手」「うまい」に異和感がある理由がうまく説明できない(泣)。
ゴルフ ○ ○ ○ ○
特定の種目をあげると異和感がなくなる
仕事 ○ △ △ △
営業 △ ○ ○ ○
この「仕事」と「営業」の違いはナゾ
勉強 ○ ○ △ △
国語 ○ ○ △ △
英語 ○ ○ ○ ○
「英語」だけが「上手」「うまい」がOKなのは「教科」ではなく「語学」ととらえるからだろう。ただ、「英語が上手」「英語がうまい」は一般的には認められていても、個人的にはちょっと異和感がある。理由は不明
運転 △ ○ ○ ○
指圧 ○ ○ ○ ○
鍼灸治療 △ ○ ○ ○
「運転」「鍼灸治療」の「できる」は資格の問題になってくるので意味が違う。「指圧ができる」にはちょっと異和感がある。理由は不明
料理 ○ ○ ○ ○
文章 ○ ○ ○ ○
「文章が書ける」の形
スピーチ △ ○ ○ ○
「スピーチが話せる」? or 「スピーチができる」?
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
法則性があるようなないような。
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈2〉
mixi日記2011年06月14日から
直接的には下記の続きだろうな。
400)【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈1〉
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1667696948&owner_id=5019671
「得意」と「上手(じょうず)」の違いがずーっと気になっていた。
下記あたりを見ても、「得意」は主観(だから自分のことにも使える)、「上手」は客観(だから自分のことには使えない)と言っているように思える。そういう説明でもいいのかもしれないが、どうにもスッキリしなかった。
【「上手です」と「得意です」の意味の違いは?】
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=28
【「得意」と「上手」の区別は?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1061205450
以下、世間の趨勢を敵に回しそうなことを書く。
いろいろ考えているうちに、ふと気づいた。根本的に考え方が違うんじゃなかろうか。
たとえば、下記の類語辞典。「得意」は「上手(じょうず)」の類語にはなっていない。
【巧み(たくみ)/上手(じょうず)/うまい】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/15663/m0u/%E4%B8%8A%E6%89%8B/
要は、「得意」って言葉がちょっと特殊なのではないか。
●「ほめ言葉」は自分のことには使いにくい
「巧み/上手(じょうず)/うまい」は、いずれも何かが「よくできる」ことを表わす。通常、このテの言葉は自分のことには使いにくい。
反対の意味を表わす「拙(つたな)い」「下手(へた)」などの「けなし言葉」は、自分のことにも使える。
そもそも、「ほめ言葉」も「けなし言葉」も個人の感覚だから、「主観」か「客観」かと言えば「主観」じゃないかな(テストがいつも満点なら「客観」とか言わないように)……って素朴な疑問はパス。
「上手(じょうず)」が自分のことに使いにくいのは、「客観」だからではなく「ほめ言葉」だから。仮に「客観」だから自分のことに使えないなら、「拙(つたな)い」「下手(へた)」だって使えないはず。
〈1〉で下記のように書いた。
================================
「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりなら何もおかしくない。だから客観とは限らないって。
================================
下記のように改めておこう。
================================
「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりならさほどおかしくない。だから文脈によっては自分のことに使えなくはないって。性格は相当悪そうに聞こえるけど。
================================
あと、子供ならほめ言葉を自分のことに使ってもおかしくない。いい大人がムヤミに自分をほめるとみっともないけど、無邪気な子供なら多少の自画自賛も許されるのだろう。
「ボクは絵が上手だよ」
「ママ、上手にできたよ、ほめてほめて」(←書いててキモい)
「上手」を自分のことに使いにくいのは客観だからと言っている人たちは、このことをどう説明するのだろう。
●得意は自分のことに“も”使える
ほめ言葉を自分に使うとおかしいけど、「得意」は例外。理由はよくわからない。おそらく、↑のリンク先に書いてあるような理由なんだろう。疑問はあるけど、メンドーだからそれでいいや。納得できない人は言葉の神様に訊いてください。
とにかく特殊だから自分のことにも他者のことにも使える。それ以上のことは考えたくない。こういう言葉がないと、「得意分野」とか「得意科目」とかセールスポイント(和製英語らしい)を履歴書に書けなくて困るからじゃないかな。
「私は○○が得意です」
「彼は○○が得意です」
他者のことに使う場合は、基本的にほかのほめ言葉と同じように使える。詳しくは〈1〉参照。さらに、自分のことに関しても使える便利なほめ言葉ってこと。「主観」だ「客観」だという考え方をすると、両方に使えるのはおかしいはずだよね。
ちなみに「私は○○が得意です」も子供の自慢に近い印象がある。いい大人は「○○に関しては多少自信があります」とか言うんじゃないかな。
●「得意」の品詞はなんなのだろう
■Web辞書(『大辞泉』から)
================================
とく‐い【得意】
[名・形動]
1 自分の思いどおりになって満足していること。「―の絶頂」⇔失意。
2 誇らしげなこと。また、そのさま。「―な顔」「―になる」
3 最も手なれていて自信があり、じょうずであること。また、そのさま。得手(えて)。「―な競技種目」「―中の―」
4 いつも商品を買ってもらったり取引したりする相手。顧客(こかく)。お得意。
5 親しい友。
「東山の辺にぞ―はある。いでさらば文をやらう」〈平家・五〉
[派生] とくいがる[動ラ五]とくいげ[形動]とくいさ[名]
================================
えーと。「顧客」って「こかく」って読むの? なんてことは考えないように。話が進まん。
「得意」は名詞&形容動詞ってことくらいは知ってました。ただ、ちょっと特殊なのでは。
「得意」は形容動詞なのに、「得意に~」という形で使うことは滅多にない。例外的に使えそうなのは下記の2つの形。
得意になる/得意にしている(得意にする)
これって名詞として使ってないか? 「目標になる/目標にしている(目標にする)」と同じってこと。このあたりはあまり踏み込むのはやめておこう。「得意」と同じような使い方をする下記のような形容動詞にも同様のことが言えそう。
苦手/不得意
なんでなのかは知りません。キッパリ<( ̄- ̄)>
↑のリンク先http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=28では下記のように説明している。どこまで正しいのか、当方にはわからない。でも「スペースアルク」なんで信用しておこうか。
================================
つまり、「得意」は何かを生み出す能力(の自覚)を表し、「上手」はその能力によって生み出されたものへの評価を表しているということです。両者の違いでは特に「評価」を表し得るか否かという点が重要です。この違いは次のような例を見ると明らかになります。
○この絵は上手に描けていますね。
×この絵は得意に描けていますね。
絵は生産物であるため、生産物(あるいは生産行為)に対する評価として「上手」を用いることは可能ですが、主体の持つ技量を表す「得意」を「絵」に対して用いることは出来ません。
================================
「得意」は人の性質を表わし、「上手(じょうず)」は生産物への評価を表わすのね。じゃあ、下記の違いはどう説明するんだろう。
彼は絵を描くのが得意だ。
彼は絵を描くのが上手(じょうず)だ。
アルクさん風の書き方をするなら、「得意」は人の性質だけを表わし、「上手(じょうず)」は人の性質と生産物への評価の両方を表わすのに使えるってことなんだろうか。これで一般の人はわかるんだろうか。当方はよくわからない。じゃあ、「得意なデッサン画を描いた」(当方の語感だと「得意の」だけど、その話はパス)って生産物じゃないのかな?
単に、「得意」は基本的に「得意に」の形で使うことが滅多にないってことじゃないのかな。その理由を無理矢理説明しようとするから妙なことになっているような気がする。
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈3〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3229.html
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈4〉
1328)【「得意」と「上手(じょうず)」の使い分け〈2〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3203.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1937882756&owner_id=5019671
テーマサイトは下記。
【上手だ、下手だ、得意だ、苦手だ】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9142997.html
==============引用開始
タイトルにある4つの言葉について
それらの違いを、外国人に解説する方法が見つかりません。
主観的か客観的か?
一人称に使えるか使えないか?
など、文法的な解釈はあると思いますが、
「私は数学が ×下手だ ○苦手だ」
「私は日本語が ○下手だ ○苦手だ」
についてはどうしても説明できません
==============引用終了
以前書いたことがとっちらかっている気がするんで、少し整理して書いておく(煩雑なので「だ」は省略する)。
●「上手(じょうず)」「下手(へた)」は客観で、「得意」「苦手」は主観──そんなホニャララな
質問者が〈主観的か客観的か?〉と書いているのは、〝例の〟論理だろう。〈一人称に使えるか使えないか〉もほぼ同じこと。
「上手」⇔「下手」、「得意」⇔「苦手」がそれぞれ反対語になっているという前提で書く。厳密に言うと違う場合もありそうだが、それを言い出すとキリがなくなる。
世間では〈「上手」「下手」は客観で、「得意」「苦手」は主観〉という説が根強い。
「得意」「苦手」は主観だから自分のことにも使える……らしい。
そういう考え方でもいいと思う。とくに外国人や日本語の初心者に教えるなら、それでもいいと思う。そのほうが類似の資料もたくさんあるから、教えやすいだろう。
しかし、当方は違うと考えている。もしそれが本当なら、自分のことに「上手」「下手」は使えず、他者のことに「得意」「苦手」は使えなくなる。そんなことはない。
「羽生選手が{得意/苦手}のジャンプで失敗した」
「私は話すのが下手なのが悩みです」
どちらもアリだろう。主観/客観にこだわっていると、このあたりが説明できない。
このあたりは、〈1〉〈2〉に書いた。〈ほめ言葉を自分に使うとおかしいけど、「得意」は例外〉で他者にも自分の使える……ということだろう。
Web辞書で「上手」と「得意」を比べると、「得意」の辞書の記述には「自信」という言葉が出てくる。
そのあたりにも、「得意」が主観という考え方が反映されているような。これは辞書が悪い。
「上手」「下手」は自信に関係ないのか。
自分があることを「上手」と考えている人は「自信がある」だろう。
自分があることを「下手」と考えている人は「自信がない」だろう。
「下手」が使えるか否かは、主観/客観とか、自信の有無とかの問題ではないだろう。
●自分のことをムヤミにほめると子供っぽく見える
「得意」は、なぜか自分のことにも使える便利なほめ言葉。
ただ、履歴書などで「○○が得意」と自己アピールするのはいいけど、ムヤミに口にしないほうがいい。子供自慢話のようになる。いい大人は「○○に関しては多少自信があります」とか言うんじゃないかな。これは「上手だ」だって同じこと。
ついでに書いておくと、目上の人の技能を「上手」とか言うのは要注意。妙に上から目線になる。このあたりも〈1〉〈2〉でクドく書いたけど、ほめ言葉全般が要注意だけど、「上手」はとくに危険。
●「下手」と言えるもの、言えないもの
以下は、主観だ客観だって話は無効という前提で……。
「上手」「得意」の話だとほめ言葉の制約があってまぎらわしいので、「下手」「苦手」で考える。
おそらくここが、今回の質問の主眼になる。
〈1〉の【追記】で書いたことを、「下手」と「苦手」限定で見る。
理由はよくわからないが、「下手」が使いにくい場合がある。
全体の傾向としては、漠然と全般を指すと「下手」は使いにくく、細分化して限定するほど「下手」が自然に感じられることが多い。しかし、例外も多々。
・運動全般を「下手」というのはヘンだが、限定の種目(たとえば「ゴルフ」)をあげると、「下手」でもおかしくない(ちょっとひっかかるけど)。さらに限定して「パット」なら「下手」がOKになる。ただし、いくら限定していても「走るのが下手」はおかしい。おそらく、「テクニカル」なイメージのあるものほど「下手」が自然になるのでは。
・「仕事(全般)」と「営業(限定)」の違いはナゾ。「仕事(全般)」は「苦手」が不自然なレアケース。「苦手」とか考えるべきではないのかも。「嫌い」ならアリ?
・「仕事」の一部である「事務(全般)」は「下手」はヘン。さらに限定した「計算」でも「下手」は疑問。
・「計算」を「電卓(操作)」まで限定すると「下手」でもOK。
・「勉強(全般)」は、パターンどおり。「限定」(と言うより「科目」)になっても、「下手」は使いにくい。ただし「国語」は△でも、さらに限定して「作文」なら「下手」がOKになる。
・「英語」だけは「科目」の段階で世間では「下手」がOKの印象がある(個人的には疑問)。これは「科目」と言うより「語学」「一般教養」のニュアンスがあるからかも。
さらに限定した「英会話」とか「ヒヤリング」なら、「下手」もOKだろう(ちょっと微妙かな)。
苦手 下手
運動(全般) ○ △
ゴルフ(限定) ○ ○
仕事(全般) △ △
営業(限定) ○ ○
事務(全般) ○ △
計算(限定) ○ △
電卓(超限定) ○ ○
勉強(全般) ○ △
国語(限定) ○ △
作文(超限定) ○ ○
英語(限定) ○ ?
英会話(超限定) ○ ○
運転(全般) ○ ○
指圧(全般) ○ ○
鍼灸治療 ○ ○
家事(全般) ○ △
料理(限定/全般)○ ○
スピーチ ○ ○
で、本題を見ると、「数学」は科目なので「国語」と同様。
科目の段階では、「下手」は使いにくい。これが「文章題(を解くこと)」まで限定すれば、「下手」もOKになる。
「日本語」は、「科目」と考えるなら「国語」と同様。
ただし、「英語」と同様と考えるなら微妙になる。
「科目」と考えるか、「語学」「一般教養」と考えるか。
日本人の場合は「日本語が下手」「母国語が下手」とはあまり言わない。もっと限定して「話すのが下手」ならフツーだろう。
これが外国人だと日本人にとっての「英語」と同様で、「語学」「一般教養」のニュアンスがあるから「日本語が下手」がさほどおかしくないのでは。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【5】
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mixi日記2011年02月03日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1667696948&owner_id=5019671
テーマトピは下記。
【できる、得意、上手のニュアンスの違い。】日本語
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質問を要約する。
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イタリア人の友達から質問されて、返答に困りました。
1) 彼女は料理ができる。/彼女は英語ができる。
2) 彼女は料理が得意だ。/彼女は英語が得意だ。
3) 彼女は料理が上手だ。/彼女は英語が上手に話せる。
この、1)2)3)の違いは一体なんでしょうか??
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「上手に話せる」限定ってことは、「書く」「読む」は苦手で「話す」だけが達者ってことなのかな。まぎらわしいんで、以降は「彼女は英語が上手だ」で考える。
そんな微妙なニュアンスの違いは、言葉の神様に訊かないとわかりません。
一般の人に訊いても、主観的な答えしか返ってこない可能性が高い(誤用?)。こんな微妙な違いは「日本語ネイティブ」でも理解できないよ。日本語学習者に理解できるんだろうか。
よほどの上級者でなければ、こんな微妙な質問には答えられない。当方は中級に毛が生えたくらいだと思うんで、地道に調べながら少し書いてみる。
コメント「1」によると、1)だけが異質らしい。そうなのかな。
あれ? それでトピ主は納得してしまったorz。
疑問を感じて辞書をひく。
「料理ができる」「英語ができる」は下記の「9」だろうか。これだとわかりにくいな。
たとえば「自動車の運転ができます/できません」なら、可能/不可能を表わしている。
語学や料理だと、ちょっと話が違う。
フツーに考えれば「ロシア語ができる」と言えば、ロシア語を使った会話や読み書きができる、堪能、得意という意味だろう。「あまり得意ではありませんが、一応できます」なんて謙遜表現はあるから、微妙な違いはありそうだ(「できる」のほうが程度が弱い?)。「7」の意味の影響もあるのだろうな。そのあたりから派生した気がする。「7」の意味も「得意」の意味も、比較的新しいような……。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=15346012672600&pagenum=1
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7 人格・能力・成績などがすぐれている。「彼は仕事が―・きる」「若いに似合わず人間が―・きている」「よく―・きる生徒」
9 それをする能力や可能性がある。「ロシア語が―・きる」「―・きるだけ努力します」
================================
これが『大辞林』だとずーっとわかりやすい。〈[9](イ)それをうまく行える。〉と考えれば異質でもなんでもない。「うまく行える」んだから、「得意」「上手(じょうず)」ってこと。
■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B&dtype=0&dname=0ss&stype=0
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[9]能力・可能性がある。近世以降の用法。
(ア)おこないうる。
そんなこと私には―・きません
―・きる限りの援助をする
(イ)それをうまく行える。
彼はスキーが―・きる
この問題はむずかしくてだれにも―・きない
(ウ)動作性の名詞を受けて、…をすることが可能であるという意を表す。
泳ぎが―・きない
車の運転が―・きる
(エ)サ変動詞の語幹に付いて、…することが可能であるの意を表す。
よく理解―・きた
八時にはスタート―・きる
================================
2)は主観的で、3)は客観的……一見説得力はありそうだけど、そんなことが言えるのだろうか。初級者相手ならそういう説明でもいいのかな。当方には判断できない。でも教えるほうは例外が多いことを知っておくべき。
そういう傾向が多少あるかもしれないって程度のことで、厳密なものではないだろう。
4) 彼女は英語ができる。
5) 彼女は英語が得意だ。
6) 彼女は英語が上手だ。
7) 私は英語ができる。
8) 私は英語が得意だ。
9) 私は英語が上手だ。
仮に「得意」が主観的なら5)はおかしいはず。「彼女の気持ちも代弁している」とも考えられるのかな。わかりません。
「上手」が客観的なら、9)はおかしいはず。
どれもそんなにおかしくない。少なくとも5)や9)を×にする理由はない。大差ない……いつもこんな結論になる。
「できる」「得意」「上手」のどれがふさわしいのかは、多くの例をあげて考えれば何か法則性が見つかるかもしれない。どなたかお願いします。
とは言いつつ、6)9)には異和感がある。これは当方の主観によるところが大きい気がする。
■「上手(じょうず)」は上から目線?
ここから先は相当主観をまじえる。
個人的に6)9)に異和感があるのは、「上手」(じょうず)って言葉が当方の語彙にないから。上から目線の言葉って気がする。典型的なのは「アンヨはじょうず、お転びオヘタ」。
単純な話、知り合いのライターの話をしているとしよう。
10) Aさんは書けるライターだよね。
11) Aさんはああいう文章が得意だよね。
12) Aさんは文章が上手だから。
これは相当ニュアンスが違ってくる。10)の「書ける」を「文章を書くことができる」と考える「日本語ネイティブ」はいないだろう。言うまでもなく、↑の『大辞林』の「できる」と同様の用法で、「いい文章が書ける」の意味。「文章をする」とは言わないので、「文章ができる」とも言わない。ただ、この用法はちょっと俗語っぽいにおいがするので、あまり使用範囲を広げるのは危険な気がする。
「あの人は状況が見える人」だと「状況が適確に判断できる人」くらいの意味。
「あの人は話せる人だ」だと「話がわかる人」くらいの意味。
「あの人はいける口」だと「お酒が飲める」くらいの意味で、かなり特殊な用法になる。
11)の場合、Aさんに「得意」な自覚があるかないかは不明(本人は苦手意識をもっていることだってある。ちなみにtobiクンは人の悪口を書くのが嫌いだが、決して苦手ではない)。でも客観的には「得意」だと思われていることが多い。だから主観とは限らないって。
12)は相当イヤだ。ヘタをすると嫌味に聞こえる。同じようでも、「Aさんは文章がうまいから」ならずっとマシになるけど、まだ微妙。「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりなら何もおかしくない。だから客観とは限らないって。
昔、陶芸家を取材したライターが「上手な手つき」とか書いてきたんで怒鳴りつけそうになった。芸術家の技法に対してそんな表現はありえない。「うまい手つき」だって相当失礼。フツーに考えるなら「巧みな手つき」くらいかな。「魔法のような手つき」まで言うか否かはまた別の話。
料理人の盛りつけに対して「上手に盛りつけて」「上手な盛りつけ」などと書いた●●もいた。まあ、未熟なライターの筆力なんてこんなもんよ。
■ほめ言葉はむずかしい
心理学の本を書いたとき、資料本で「目上を評価するような言い方は避ける」という記述を目にした。マイナス評価はもちろんだが、プラス評価も避けるほうがいいらしい。
そのときは「そんなことはないだろ」と思ったが、最近そのとおりだと思う。けなすのは簡単だけど、ほめるのはむずかしいぞ。↑の1)~12)も、ほめているけど、目上に対して使えるかというと微妙。
例外とも言えるのが「できる」じゃないだろうか。比較的身近な目上になら「できる人は違いますね」くらいは言えそうな気がする。「得意」「うまい」も状況しだいでアリかな。
「上手」はやめておいたほうがいい。ゴマスリなら「お上手ですね」はアリかも。でも相手がまともな感覚の人なら気分を害する可能性が高い。そういう露骨なお世辞を「お上手を言う」などと言う(笑)。
そうなると、目上に対するほめ言葉は限られてくる。うんと目上になるともっと限られる。
「(お)見事」(ちょっと「上から目線」的)
「さすが」(場合によっては危険)
「すばらしい」(場合によっては危険)
こういうことを考えているから、人をほめるのが苦手になる。悪口と同じくらい素直に書ければいいのに……。
【追記】
ちょっとやってみる。
できる 得意 上手 うまい
運動 △ ○ △ △
特定の種目をあげない「運動ができる」は意味が違う(病状の説明などのイメージになる)。「上手」「うまい」に異和感がある理由がうまく説明できない(泣)。
ゴルフ ○ ○ ○ ○
特定の種目をあげると異和感がなくなる
仕事 ○ △ △ △
営業 △ ○ ○ ○
この「仕事」と「営業」の違いはナゾ
勉強 ○ ○ △ △
国語 ○ ○ △ △
英語 ○ ○ ○ ○
「英語」だけが「上手」「うまい」がOKなのは「教科」ではなく「語学」ととらえるからだろう。ただ、「英語が上手」「英語がうまい」は一般的には認められていても、個人的にはちょっと異和感がある。理由は不明
運転 △ ○ ○ ○
指圧 ○ ○ ○ ○
鍼灸治療 △ ○ ○ ○
「運転」「鍼灸治療」の「できる」は資格の問題になってくるので意味が違う。「指圧ができる」にはちょっと異和感がある。理由は不明
料理 ○ ○ ○ ○
文章 ○ ○ ○ ○
「文章が書ける」の形
スピーチ △ ○ ○ ○
「スピーチが話せる」? or 「スピーチができる」?
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
法則性があるようなないような。
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈2〉
mixi日記2011年06月14日から
直接的には下記の続きだろうな。
400)【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈1〉
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1667696948&owner_id=5019671
「得意」と「上手(じょうず)」の違いがずーっと気になっていた。
下記あたりを見ても、「得意」は主観(だから自分のことにも使える)、「上手」は客観(だから自分のことには使えない)と言っているように思える。そういう説明でもいいのかもしれないが、どうにもスッキリしなかった。
【「上手です」と「得意です」の意味の違いは?】
http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=28
【「得意」と「上手」の区別は?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1061205450
以下、世間の趨勢を敵に回しそうなことを書く。
いろいろ考えているうちに、ふと気づいた。根本的に考え方が違うんじゃなかろうか。
たとえば、下記の類語辞典。「得意」は「上手(じょうず)」の類語にはなっていない。
【巧み(たくみ)/上手(じょうず)/うまい】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/15663/m0u/%E4%B8%8A%E6%89%8B/
要は、「得意」って言葉がちょっと特殊なのではないか。
●「ほめ言葉」は自分のことには使いにくい
「巧み/上手(じょうず)/うまい」は、いずれも何かが「よくできる」ことを表わす。通常、このテの言葉は自分のことには使いにくい。
反対の意味を表わす「拙(つたな)い」「下手(へた)」などの「けなし言葉」は、自分のことにも使える。
そもそも、「ほめ言葉」も「けなし言葉」も個人の感覚だから、「主観」か「客観」かと言えば「主観」じゃないかな(テストがいつも満点なら「客観」とか言わないように)……って素朴な疑問はパス。
「上手(じょうず)」が自分のことに使いにくいのは、「客観」だからではなく「ほめ言葉」だから。仮に「客観」だから自分のことに使えないなら、「拙(つたな)い」「下手(へた)」だって使えないはず。
〈1〉で下記のように書いた。
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「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりなら何もおかしくない。だから客観とは限らないって。
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下記のように改めておこう。
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「オレ、こう見えて料理(ゴルフ、運転……etc.)はけっこううまいよ」あたりならさほどおかしくない。だから文脈によっては自分のことに使えなくはないって。性格は相当悪そうに聞こえるけど。
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あと、子供ならほめ言葉を自分のことに使ってもおかしくない。いい大人がムヤミに自分をほめるとみっともないけど、無邪気な子供なら多少の自画自賛も許されるのだろう。
「ボクは絵が上手だよ」
「ママ、上手にできたよ、ほめてほめて」(←書いててキモい)
「上手」を自分のことに使いにくいのは客観だからと言っている人たちは、このことをどう説明するのだろう。
●得意は自分のことに“も”使える
ほめ言葉を自分に使うとおかしいけど、「得意」は例外。理由はよくわからない。おそらく、↑のリンク先に書いてあるような理由なんだろう。疑問はあるけど、メンドーだからそれでいいや。納得できない人は言葉の神様に訊いてください。
とにかく特殊だから自分のことにも他者のことにも使える。それ以上のことは考えたくない。こういう言葉がないと、「得意分野」とか「得意科目」とかセールスポイント(和製英語らしい)を履歴書に書けなくて困るからじゃないかな。
「私は○○が得意です」
「彼は○○が得意です」
他者のことに使う場合は、基本的にほかのほめ言葉と同じように使える。詳しくは〈1〉参照。さらに、自分のことに関しても使える便利なほめ言葉ってこと。「主観」だ「客観」だという考え方をすると、両方に使えるのはおかしいはずだよね。
ちなみに「私は○○が得意です」も子供の自慢に近い印象がある。いい大人は「○○に関しては多少自信があります」とか言うんじゃないかな。
●「得意」の品詞はなんなのだろう
■Web辞書(『大辞泉』から)
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とく‐い【得意】
[名・形動]
1 自分の思いどおりになって満足していること。「―の絶頂」⇔失意。
2 誇らしげなこと。また、そのさま。「―な顔」「―になる」
3 最も手なれていて自信があり、じょうずであること。また、そのさま。得手(えて)。「―な競技種目」「―中の―」
4 いつも商品を買ってもらったり取引したりする相手。顧客(こかく)。お得意。
5 親しい友。
「東山の辺にぞ―はある。いでさらば文をやらう」〈平家・五〉
[派生] とくいがる[動ラ五]とくいげ[形動]とくいさ[名]
================================
えーと。「顧客」って「こかく」って読むの? なんてことは考えないように。話が進まん。
「得意」は名詞&形容動詞ってことくらいは知ってました。ただ、ちょっと特殊なのでは。
「得意」は形容動詞なのに、「得意に~」という形で使うことは滅多にない。例外的に使えそうなのは下記の2つの形。
得意になる/得意にしている(得意にする)
これって名詞として使ってないか? 「目標になる/目標にしている(目標にする)」と同じってこと。このあたりはあまり踏み込むのはやめておこう。「得意」と同じような使い方をする下記のような形容動詞にも同様のことが言えそう。
苦手/不得意
なんでなのかは知りません。キッパリ<( ̄- ̄)>
↑のリンク先http://home.alc.co.jp/db/owa/jpn_npa?stage=2&sn=28では下記のように説明している。どこまで正しいのか、当方にはわからない。でも「スペースアルク」なんで信用しておこうか。
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つまり、「得意」は何かを生み出す能力(の自覚)を表し、「上手」はその能力によって生み出されたものへの評価を表しているということです。両者の違いでは特に「評価」を表し得るか否かという点が重要です。この違いは次のような例を見ると明らかになります。
○この絵は上手に描けていますね。
×この絵は得意に描けていますね。
絵は生産物であるため、生産物(あるいは生産行為)に対する評価として「上手」を用いることは可能ですが、主体の持つ技量を表す「得意」を「絵」に対して用いることは出来ません。
================================
「得意」は人の性質を表わし、「上手(じょうず)」は生産物への評価を表わすのね。じゃあ、下記の違いはどう説明するんだろう。
彼は絵を描くのが得意だ。
彼は絵を描くのが上手(じょうず)だ。
アルクさん風の書き方をするなら、「得意」は人の性質だけを表わし、「上手(じょうず)」は人の性質と生産物への評価の両方を表わすのに使えるってことなんだろうか。これで一般の人はわかるんだろうか。当方はよくわからない。じゃあ、「得意なデッサン画を描いた」(当方の語感だと「得意の」だけど、その話はパス)って生産物じゃないのかな?
単に、「得意」は基本的に「得意に」の形で使うことが滅多にないってことじゃないのかな。その理由を無理矢理説明しようとするから妙なことになっているような気がする。
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈3〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3229.html
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」
──ほめ言葉の迷宮 日本語】〈4〉
1328)【「得意」と「上手(じょうず)」の使い分け〈2〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3203.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1937882756&owner_id=5019671
テーマサイトは下記。
【上手だ、下手だ、得意だ、苦手だ】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9142997.html
==============引用開始
タイトルにある4つの言葉について
それらの違いを、外国人に解説する方法が見つかりません。
主観的か客観的か?
一人称に使えるか使えないか?
など、文法的な解釈はあると思いますが、
「私は数学が ×下手だ ○苦手だ」
「私は日本語が ○下手だ ○苦手だ」
についてはどうしても説明できません
==============引用終了
以前書いたことがとっちらかっている気がするんで、少し整理して書いておく(煩雑なので「だ」は省略する)。
●「上手(じょうず)」「下手(へた)」は客観で、「得意」「苦手」は主観──そんなホニャララな
質問者が〈主観的か客観的か?〉と書いているのは、〝例の〟論理だろう。〈一人称に使えるか使えないか〉もほぼ同じこと。
「上手」⇔「下手」、「得意」⇔「苦手」がそれぞれ反対語になっているという前提で書く。厳密に言うと違う場合もありそうだが、それを言い出すとキリがなくなる。
世間では〈「上手」「下手」は客観で、「得意」「苦手」は主観〉という説が根強い。
「得意」「苦手」は主観だから自分のことにも使える……らしい。
そういう考え方でもいいと思う。とくに外国人や日本語の初心者に教えるなら、それでもいいと思う。そのほうが類似の資料もたくさんあるから、教えやすいだろう。
しかし、当方は違うと考えている。もしそれが本当なら、自分のことに「上手」「下手」は使えず、他者のことに「得意」「苦手」は使えなくなる。そんなことはない。
「羽生選手が{得意/苦手}のジャンプで失敗した」
「私は話すのが下手なのが悩みです」
どちらもアリだろう。主観/客観にこだわっていると、このあたりが説明できない。
このあたりは、〈1〉〈2〉に書いた。〈ほめ言葉を自分に使うとおかしいけど、「得意」は例外〉で他者にも自分の使える……ということだろう。
Web辞書で「上手」と「得意」を比べると、「得意」の辞書の記述には「自信」という言葉が出てくる。
そのあたりにも、「得意」が主観という考え方が反映されているような。これは辞書が悪い。
「上手」「下手」は自信に関係ないのか。
自分があることを「上手」と考えている人は「自信がある」だろう。
自分があることを「下手」と考えている人は「自信がない」だろう。
「下手」が使えるか否かは、主観/客観とか、自信の有無とかの問題ではないだろう。
●自分のことをムヤミにほめると子供っぽく見える
「得意」は、なぜか自分のことにも使える便利なほめ言葉。
ただ、履歴書などで「○○が得意」と自己アピールするのはいいけど、ムヤミに口にしないほうがいい。子供自慢話のようになる。いい大人は「○○に関しては多少自信があります」とか言うんじゃないかな。これは「上手だ」だって同じこと。
ついでに書いておくと、目上の人の技能を「上手」とか言うのは要注意。妙に上から目線になる。このあたりも〈1〉〈2〉でクドく書いたけど、ほめ言葉全般が要注意だけど、「上手」はとくに危険。
●「下手」と言えるもの、言えないもの
以下は、主観だ客観だって話は無効という前提で……。
「上手」「得意」の話だとほめ言葉の制約があってまぎらわしいので、「下手」「苦手」で考える。
おそらくここが、今回の質問の主眼になる。
〈1〉の【追記】で書いたことを、「下手」と「苦手」限定で見る。
理由はよくわからないが、「下手」が使いにくい場合がある。
全体の傾向としては、漠然と全般を指すと「下手」は使いにくく、細分化して限定するほど「下手」が自然に感じられることが多い。しかし、例外も多々。
・運動全般を「下手」というのはヘンだが、限定の種目(たとえば「ゴルフ」)をあげると、「下手」でもおかしくない(ちょっとひっかかるけど)。さらに限定して「パット」なら「下手」がOKになる。ただし、いくら限定していても「走るのが下手」はおかしい。おそらく、「テクニカル」なイメージのあるものほど「下手」が自然になるのでは。
・「仕事(全般)」と「営業(限定)」の違いはナゾ。「仕事(全般)」は「苦手」が不自然なレアケース。「苦手」とか考えるべきではないのかも。「嫌い」ならアリ?
・「仕事」の一部である「事務(全般)」は「下手」はヘン。さらに限定した「計算」でも「下手」は疑問。
・「計算」を「電卓(操作)」まで限定すると「下手」でもOK。
・「勉強(全般)」は、パターンどおり。「限定」(と言うより「科目」)になっても、「下手」は使いにくい。ただし「国語」は△でも、さらに限定して「作文」なら「下手」がOKになる。
・「英語」だけは「科目」の段階で世間では「下手」がOKの印象がある(個人的には疑問)。これは「科目」と言うより「語学」「一般教養」のニュアンスがあるからかも。
さらに限定した「英会話」とか「ヒヤリング」なら、「下手」もOKだろう(ちょっと微妙かな)。
苦手 下手
運動(全般) ○ △
ゴルフ(限定) ○ ○
仕事(全般) △ △
営業(限定) ○ ○
事務(全般) ○ △
計算(限定) ○ △
電卓(超限定) ○ ○
勉強(全般) ○ △
国語(限定) ○ △
作文(超限定) ○ ○
英語(限定) ○ ?
英会話(超限定) ○ ○
運転(全般) ○ ○
指圧(全般) ○ ○
鍼灸治療 ○ ○
家事(全般) ○ △
料理(限定/全般)○ ○
スピーチ ○ ○
で、本題を見ると、「数学」は科目なので「国語」と同様。
科目の段階では、「下手」は使いにくい。これが「文章題(を解くこと)」まで限定すれば、「下手」もOKになる。
「日本語」は、「科目」と考えるなら「国語」と同様。
ただし、「英語」と同様と考えるなら微妙になる。
「科目」と考えるか、「語学」「一般教養」と考えるか。
日本人の場合は「日本語が下手」「母国語が下手」とはあまり言わない。もっと限定して「話すのが下手」ならフツーだろう。
これが外国人だと日本人にとっての「英語」と同様で、「語学」「一般教養」のニュアンスがあるから「日本語が下手」がさほどおかしくないのでは。
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