将棋の話──2011年6月の朝日新聞から
【索引】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html
●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-194.html
【2011年6月】
11-06-1&2
3日
指名打者として先発から外れる機会も増えてきた。(朝刊21面)
米オークランド=上山浩也記者。アスレチックスの松井の動向を伝える記事。ギャグで書いているわけじゃないよな。「先発から外れ」たのなら、「指名打者として」なのか「外野手として」なのかは関係ないでしょ。「として」は「先発する」ときなどに使う言葉だと思う。同様に、「機会」ってこういうときに使う言葉ではないはず。「外れる」なら「こと」「ケース」あたりだろう。
11-06-3
3日
強力打線と救援陣の不振が要因になっている。(朝刊21面)
木村健一記者。阪神の低迷を伝える記事。これはインネンに近い。不振なんだから「強力打線」じゃないだろう。フツーに「打線」とか「看板の打線」でいいのでは「看板の強力打線」ならマシかも。「救援陣の不振」も間違ってはいない。中継ぎの小林宏と久保田が不振らしく、守護神・藤川にまでつなげないとか。だったら不振なのは「中継ぎ陣」だろう。
11-06-4
12日
白は24とカカリまで足を伸ばした。(朝刊16面)
内藤由起子記者。囲碁の観戦記。微妙。通常、ガイドブックなどで使う「ひと足のばして」は漢字にするなら「延ばして」。「足を伸ばす」のはストレッチなんかのとき。ただ、囲碁の場合は「延ばして」はなんか違う気がする。ひらがなで書くのが無難だろう。
11-06-5
12日
自分の書いた文章で相手の共感を呼び起こすことは、実は非常に難易度が高い。(朝刊14面)
書き手は清野由美(ジャーナリスト)。『文は一行目から書かなくていい』(藤原智美)って本の書評の書き出し。力みすぎた書き出しに例にしたい。「自分の書いた文章」って「文章」じゃダメなの? おそらく次の「相手の共感」と呼応しているのだろう。「難易度」の使用例としてチェックしたが、この文章は相当ヒドい。全文を引きたくなるが、まあ新聞記事とは少し違うからパス。ところで、書名の「文は」って、「文章」じゃなくていいのだろうか。
11-06-6
18日
羽生は「私は署名するだけなので特に違和感は感じませんでした」。(朝刊14面)
佐藤圭司記者。将棋の観戦記「違和感を感じる」の例。
11-06-7
18日
「問題ない」「ぞっと」(朝刊39面)
太田泉生、二階堂友紀、山本亮介記者。裁判員裁判初の死刑確定を伝える記事の見出し。言いたいことはわかる。文中には「自分だったらぞっとするかもしれない」とある。これを誤用だとかヘンとか言ってもダメなんだろうな。
11-06-8
22日
「自信があります」と胸を張るのが技の難易度を評価するDスコア。(朝刊23面)
金島淑華記者。体操の記事。「Dスコア」って書き方を初めて目にした。「D難度」とかいうものだと。見なかったことにする。タイトルは「高難度に自信アリ」。文中のほかの箇所は「高難度の跳躍」とある。↑の「11-06-5」にもあるように、「難易度」ももうダメとも思う。でも体操の記事で「難易度」と言ってはシャレにならない。「難度」だろう。
11-06-9
23日
第69期将棋名人戦は、森内九段が最終局を制して奪取した。朝刊2面の「ニュースがわからん!」で、7番勝負の3連勝3連敗の最終局の結果がまとめてある。対局に先立って14日の夕刊6面の週イチの囲碁将棋コラムもこのテーマを取り上げていた。以前書いた下記とダブるけどもう一度まとめておこう。
【将棋14/3連敗4連勝の系譜】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1985.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1734202008&owner_id=5019671
■将棋界
●●●○○○○ 勝者 敗者
2008年 竜王戦 渡辺 明竜王 羽生善治名人 ※防衛
2009年 王位戦 深浦康市王位 木村一基八段 ※防衛
○○○●●●○ 勝者 敗者
1978年 十段戦 中原 誠十段 米長邦雄八段 ※防衛
2005年 王将戦 羽生善治王将 佐藤康光棋聖 ※防衛
2011年 名人戦 森内俊之九段 羽生善治名人 ※奪取
■囲碁界
●●●○○○○
1973年 名人戦 林 海峰名人 石田芳夫本因坊 ※防衛
1983年 棋聖戦 趙 治勲名人 藤沢秀行棋聖 ※奪取
1983年 本因坊戦 林 海峰九段 趙 治勲本因坊 ※奪取
1984年 名人戦 趙 治勲名人 大竹英雄碁聖 ※防衛
1992年 本因坊戦 趙治勲本因坊 小林光一棋聖 ※防衛
2008年 本因坊戦 羽根直樹九段 高尾紳路本因坊 ※奪取
○○○●●●○ 勝者 敗者
2004年 棋聖戦 羽根直樹天元 山下敬吾棋聖 ※奪取
2005年 名人戦 張 栩名人 小林 覚九段 ※防衛
2011年 本因坊戦 山下道吾本因坊 羽根直樹九段 ※防衛 第66期
11-06-10
23日
40代は調子に違和感を感じてくる時期。(朝刊38面)
朝刊38面にも名人戦の記事が出ている。村上耕司記者。「違和感を感じる」のメモ。A級現役最年長の高橋道雄九段のコメント。
そのほかにもよくわからん記述が目立つ。羽生名人が初めて名人になってから18年間、1期を除いて羽生世代が独占している。名人戦以外だと渡辺明竜王(27)や広瀬章人王位(24)ら若手の台頭が著しいそうな。記事の最後のほうには、「次世代が二冠、三冠を取るようになった時が本当の勝負」という高橋九段のコメントがある。
どうやら久保利明棋王・王将は若手でもなければ、次世代でもないらしい。
ただ、渡辺・広瀬を合わせれば、次世代が二冠とってるよな。それとも二冠、三冠をとる個人が出てきて初めて「本当の勝負」なの? いままでに三冠とった棋士なんて何人いるんだろう?
11-06-11
http://www.asahi.com/paper/column.html
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2011年6月6日(月)付
声欄に載る投書に、思わず背筋の伸びることがある。それでは足りず頭(こうべ)まで垂れたくなる一文を、先月の大阪本社版で読んだ。2年前に他界された奥さんが、10年以上にわたって小欄を書き写してくださっていた、という内容だった▼京都の大石治さん(77)のお宅には、丁寧な字で埋まったノートが27冊も残る。毎晩、就寝前の30分を充てておられたという。筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になっていくのにご主人は驚いたそうだ。宝物にしたいようなありがたい話である▼パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある。そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った。専用の書き写しノートを発売したところ、面映(おもは)ゆくも好評らしい。筆者としては、日々の出来不出来がいっそう気にかかる▼自由律の俳人尾崎放哉(ほうさい)の一句、〈心をまとめる鉛筆とがらす〉が胸に浮かぶ。何も小欄に限らない。文を書き写す時間には、ゆたかな静謐(せいひつ)があるように思う。キーボードでは得られない「手と心」の一体感だろうか▼写真のなかった昔、人をしのぶよすがは肉筆だった。「平家物語」にも「はかなき筆の跡こそ後の世までの形見」とある。なのに昨今は、職場でも互いの手跡を知らない同僚が増えている▼日ごろの「パソコン頼み」を反省し、この原稿は鉛筆をとがらせ、マス目の書き写しノートに書いてみた。恥ずかしながら5枚も反古(ほご)にした。さて出来不出来は。採点はどうか、お手柔らかに願います。
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6月6日の「天声人語」。なんと申しましょうか。
お目汚しの罵詈雑言が並びそうで何も書けないorz。
「名文を読め」というありがたい教えがある。それをさらに進化?させたのが筆写だろう。効果がないとは言わないけど、この方法で文章が上達する可能性はきわめて低い。と言うかものすごく効率が悪い。
「日記の文章が無駄なく上手になっていく」のがわかったってことは、ご主人は文芸評論家ですか?
大前提として、「他界された奥さん」がどの程度の書き手で、筆写前にどの程度文章を書いた経験があるかってこと。ほとんど文章を書いたことがない人が日記を書きはじめたとする。書いているうちに、ある程度のレベルまでは上達するだろう。こういう偏った独学を続けてどの程度で限界が来るのかは個人差がある。多少上達したことと「天声人語」の筆写の関連性──それは誰にもわかりません。文章の神様に訊いてください。
ちなみに筆写するのは「名文」に限ると言われる。このコラムを読むに「天声人語」は名文なのね。昔はそういう幻想も流布していたよなぁ。
...( = =) トオイトオイメ
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●朝日新聞から──番外編 よく目にする誤用の御三家
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●朝日新聞から──ではない 世に誤用の種は尽きまじ
「7割以上が間違ったら、もうそれは誤用ではない」のか?
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【2011年6月】
11-06-1&2
3日
指名打者として先発から外れる機会も増えてきた。(朝刊21面)
米オークランド=上山浩也記者。アスレチックスの松井の動向を伝える記事。ギャグで書いているわけじゃないよな。「先発から外れ」たのなら、「指名打者として」なのか「外野手として」なのかは関係ないでしょ。「として」は「先発する」ときなどに使う言葉だと思う。同様に、「機会」ってこういうときに使う言葉ではないはず。「外れる」なら「こと」「ケース」あたりだろう。
11-06-3
3日
強力打線と救援陣の不振が要因になっている。(朝刊21面)
木村健一記者。阪神の低迷を伝える記事。これはインネンに近い。不振なんだから「強力打線」じゃないだろう。フツーに「打線」とか「看板の打線」でいいのでは「看板の強力打線」ならマシかも。「救援陣の不振」も間違ってはいない。中継ぎの小林宏と久保田が不振らしく、守護神・藤川にまでつなげないとか。だったら不振なのは「中継ぎ陣」だろう。
11-06-4
12日
白は24とカカリまで足を伸ばした。(朝刊16面)
内藤由起子記者。囲碁の観戦記。微妙。通常、ガイドブックなどで使う「ひと足のばして」は漢字にするなら「延ばして」。「足を伸ばす」のはストレッチなんかのとき。ただ、囲碁の場合は「延ばして」はなんか違う気がする。ひらがなで書くのが無難だろう。
11-06-5
12日
自分の書いた文章で相手の共感を呼び起こすことは、実は非常に難易度が高い。(朝刊14面)
書き手は清野由美(ジャーナリスト)。『文は一行目から書かなくていい』(藤原智美)って本の書評の書き出し。力みすぎた書き出しに例にしたい。「自分の書いた文章」って「文章」じゃダメなの? おそらく次の「相手の共感」と呼応しているのだろう。「難易度」の使用例としてチェックしたが、この文章は相当ヒドい。全文を引きたくなるが、まあ新聞記事とは少し違うからパス。ところで、書名の「文は」って、「文章」じゃなくていいのだろうか。
11-06-6
18日
羽生は「私は署名するだけなので特に違和感は感じませんでした」。(朝刊14面)
佐藤圭司記者。将棋の観戦記「違和感を感じる」の例。
11-06-7
18日
「問題ない」「ぞっと」(朝刊39面)
太田泉生、二階堂友紀、山本亮介記者。裁判員裁判初の死刑確定を伝える記事の見出し。言いたいことはわかる。文中には「自分だったらぞっとするかもしれない」とある。これを誤用だとかヘンとか言ってもダメなんだろうな。
11-06-8
22日
「自信があります」と胸を張るのが技の難易度を評価するDスコア。(朝刊23面)
金島淑華記者。体操の記事。「Dスコア」って書き方を初めて目にした。「D難度」とかいうものだと。見なかったことにする。タイトルは「高難度に自信アリ」。文中のほかの箇所は「高難度の跳躍」とある。↑の「11-06-5」にもあるように、「難易度」ももうダメとも思う。でも体操の記事で「難易度」と言ってはシャレにならない。「難度」だろう。
11-06-9
23日
第69期将棋名人戦は、森内九段が最終局を制して奪取した。朝刊2面の「ニュースがわからん!」で、7番勝負の3連勝3連敗の最終局の結果がまとめてある。対局に先立って14日の夕刊6面の週イチの囲碁将棋コラムもこのテーマを取り上げていた。以前書いた下記とダブるけどもう一度まとめておこう。
【将棋14/3連敗4連勝の系譜】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1985.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1734202008&owner_id=5019671
■将棋界
●●●○○○○ 勝者 敗者
2008年 竜王戦 渡辺 明竜王 羽生善治名人 ※防衛
2009年 王位戦 深浦康市王位 木村一基八段 ※防衛
○○○●●●○ 勝者 敗者
1978年 十段戦 中原 誠十段 米長邦雄八段 ※防衛
2005年 王将戦 羽生善治王将 佐藤康光棋聖 ※防衛
2011年 名人戦 森内俊之九段 羽生善治名人 ※奪取
■囲碁界
●●●○○○○
1973年 名人戦 林 海峰名人 石田芳夫本因坊 ※防衛
1983年 棋聖戦 趙 治勲名人 藤沢秀行棋聖 ※奪取
1983年 本因坊戦 林 海峰九段 趙 治勲本因坊 ※奪取
1984年 名人戦 趙 治勲名人 大竹英雄碁聖 ※防衛
1992年 本因坊戦 趙治勲本因坊 小林光一棋聖 ※防衛
2008年 本因坊戦 羽根直樹九段 高尾紳路本因坊 ※奪取
○○○●●●○ 勝者 敗者
2004年 棋聖戦 羽根直樹天元 山下敬吾棋聖 ※奪取
2005年 名人戦 張 栩名人 小林 覚九段 ※防衛
2011年 本因坊戦 山下道吾本因坊 羽根直樹九段 ※防衛 第66期
11-06-10
23日
40代は調子に違和感を感じてくる時期。(朝刊38面)
朝刊38面にも名人戦の記事が出ている。村上耕司記者。「違和感を感じる」のメモ。A級現役最年長の高橋道雄九段のコメント。
そのほかにもよくわからん記述が目立つ。羽生名人が初めて名人になってから18年間、1期を除いて羽生世代が独占している。名人戦以外だと渡辺明竜王(27)や広瀬章人王位(24)ら若手の台頭が著しいそうな。記事の最後のほうには、「次世代が二冠、三冠を取るようになった時が本当の勝負」という高橋九段のコメントがある。
どうやら久保利明棋王・王将は若手でもなければ、次世代でもないらしい。
ただ、渡辺・広瀬を合わせれば、次世代が二冠とってるよな。それとも二冠、三冠をとる個人が出てきて初めて「本当の勝負」なの? いままでに三冠とった棋士なんて何人いるんだろう?
11-06-11
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2011年6月6日(月)付
声欄に載る投書に、思わず背筋の伸びることがある。それでは足りず頭(こうべ)まで垂れたくなる一文を、先月の大阪本社版で読んだ。2年前に他界された奥さんが、10年以上にわたって小欄を書き写してくださっていた、という内容だった▼京都の大石治さん(77)のお宅には、丁寧な字で埋まったノートが27冊も残る。毎晩、就寝前の30分を充てておられたという。筆写につれて、日記の文章が無駄なく上手になっていくのにご主人は驚いたそうだ。宝物にしたいようなありがたい話である▼パソコンにおされて手書き文化はたそがれつつある。そうした中、多くの方が小欄を筆写してくださっているのを知った。専用の書き写しノートを発売したところ、面映(おもは)ゆくも好評らしい。筆者としては、日々の出来不出来がいっそう気にかかる▼自由律の俳人尾崎放哉(ほうさい)の一句、〈心をまとめる鉛筆とがらす〉が胸に浮かぶ。何も小欄に限らない。文を書き写す時間には、ゆたかな静謐(せいひつ)があるように思う。キーボードでは得られない「手と心」の一体感だろうか▼写真のなかった昔、人をしのぶよすがは肉筆だった。「平家物語」にも「はかなき筆の跡こそ後の世までの形見」とある。なのに昨今は、職場でも互いの手跡を知らない同僚が増えている▼日ごろの「パソコン頼み」を反省し、この原稿は鉛筆をとがらせ、マス目の書き写しノートに書いてみた。恥ずかしながら5枚も反古(ほご)にした。さて出来不出来は。採点はどうか、お手柔らかに願います。
================================
6月6日の「天声人語」。なんと申しましょうか。
お目汚しの罵詈雑言が並びそうで何も書けないorz。
「名文を読め」というありがたい教えがある。それをさらに進化?させたのが筆写だろう。効果がないとは言わないけど、この方法で文章が上達する可能性はきわめて低い。と言うかものすごく効率が悪い。
「日記の文章が無駄なく上手になっていく」のがわかったってことは、ご主人は文芸評論家ですか?
大前提として、「他界された奥さん」がどの程度の書き手で、筆写前にどの程度文章を書いた経験があるかってこと。ほとんど文章を書いたことがない人が日記を書きはじめたとする。書いているうちに、ある程度のレベルまでは上達するだろう。こういう偏った独学を続けてどの程度で限界が来るのかは個人差がある。多少上達したことと「天声人語」の筆写の関連性──それは誰にもわかりません。文章の神様に訊いてください。
ちなみに筆写するのは「名文」に限ると言われる。このコラムを読むに「天声人語」は名文なのね。昔はそういう幻想も流布していたよなぁ。
...( = =) トオイトオイメ
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