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「~にとっては」と「~には」日本語教師

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mixi日記2012年02月21日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1823929068&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【「~にとっては」と「~には」の違い】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=67975240&comm_id=19124

 質問の全文を一部加工して転載する。
================================引用開始
「~にとっては」 と 「~には」 は どう違うのでしょうか?
どう使い分ければいいのでしょうか?

たとえば

○ Aは Bさんには、難しい。
○ Aは Bさんにとっては、難しい。

これはほぼ同じ意味の文になりますし、どちらも正しい文であると思うのですが、


○ Aは Bさんには、似合わない。
△ Aは Bさんにとっては、似合わない。

↑これだと下の文が、少し変かな~


○ Aは Bさんには、辛すぎる。
△ Aは Bさんにとっては、辛すぎる。

↑これも下の文が、あまりしっくりこないな~


○ Aは Bさんには、理解できない。
△ Aは Bさんにとっては、理解できない。

↑これも下の文が、ちょっと微妙な気がするんですが
↓これだと もっとしっくりきます

○ Aは Bさんにとっては、理解できないものです。

================================引用終了

 トピの結論は、「には」は客観的で、「にとっては」は主観的らしい。
 たしかにそういう面も多少はあるのかもしれないが、基本的には別の話だと思う。
 トピ主にコンタクトをとる予定なので、それなりの書き方をする。
 まず、ムダとは思いながら辞書をひいておく。

■Web辞書『大辞林』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AB%E3%81%AF&dtype=0&dname=0ss&stype=0&index=114941800000&pagenum=1
================================引用開始
には
(連語)
〔補説〕 格助詞「に」に係助詞「は」の付いたもの

[1] 時・場所・対象、比較の基準など、格助詞「に」で示されるものに、特にとりたてる気持ちを表す係助詞「は」の意味が加えられる。
  九時―行きます
  空―たくさんの星が輝いている
  今度の旅行―行きません
  君―とてもかなわないよ

(中略)

[5] 「…にとっては」の意を表す。
  ぼく―、ぼくの考えがある
  まめやかの心の友―、はるかにへだたる所のありぬべきぞわびしきや〔出典: 徒然 12〕
================================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6&stype=0&dtype=0&dname=0ss
================================引用開始
にとって 【に取って】
(連語)
〔補説〕 格助詞「に」に動詞「取る」の連用形の音便の形「とっ」と接続助詞「て」の付いたもの
ある基準となるものを表す。…として。…からみて。
  山登りは、ぼく―かけがえのない楽しみだ
  人類―、平和こそ最も望まれるものだ
================================引用終了

 
 こんなところだろう。小さな発見はあったが、案の定何もわからない。ちなみにいつもの『大辞泉』の「には」の項には肝心の[5]の意味がないので、まったく役に立たない。
「にとって」と「にとっては」の違いは微妙だけど、「にとって」のほうが汎用性がありそうなので、ここからは「にとって」で考える(「は」があるほうが自然に感じるものは、補って考えてほしい)。 
 辞書を例文を見ると、「には」と「にとって」は、まったく違う意味もある。その場合は互換性がない。問題は、同じような意味でも、互換性がないものがあること。
  1)ぼく{には/にとって}、ぼくの考えがある→「にとって」は×
  2)山登りは、ぼく{には/にとって}かけがえのない楽しみだ→両方とも○
  3)人類{には/にとって}、平和こそ最も望まれるものだ→「には」はほんのちょっと引っかかるけど、両方とも○

 以下は仮説です。断定調を使っている場合も煩雑になるのを避けるためで、まるっきり自信はない(泣)。ツッコミはやさしくお願いします。
 かなり微妙な問題なんで、開き直って強引に断言する。
「には」のほうが用途が広く、「にとって」は使えないものがある。そういうことです。
 法則性は……よくわからない。
 トピにあった例文を加工して考えてみる。

4)この問題は、小学生{には/にとって}むずかしい→「にとって」はほんのちょっと引っかかるけど、両方とも○
5)この服は、君{には/にとって}似合わない→「にとって」は×
6)この料理は子供{には/にとって}からすぎる→「にとって」は微妙だけど△
7)この問題は子供{には/にとって}理解できない→「にとって」は×
8)この問題は子供{には/にとって}理解できないものだ→両方とも○

 ちなみに、1)~2)は主語(的なもの)を「彼」にしても判定はかわらない。3)は「人類」を「私」にするとちょっと不自然だが、それは別の理由だろう。「われわれ人類」ならおかしくない。4)~8)の主語(的なもの)の「君」や「子供」を「私」にかえても判定はかわらない。つまり、主観か客観かは大した問題ではないってこと。

 問題は、「にとって」が不自然になる法則性と理由……これがわからない。
 1)は例文のミスじゃないだろうか。辞書の[1]のほうだと思う。そもそも[1]と[5]の違いがよくわからない。「にとって」と互換性があるのが[5]になるとしか思えない。そうなると、1)を[5]にする理由がまったくわからない。だから『大辞泉』は区別していないのかも。
 2)は後ろが名詞。つまり「○○{には/にとって}Nだ」の形。両方ともOK。
 3)は後述。
 4)6)「○○{には/にとって}A(形容詞)」の形。一応両方OKそうだが、「には」のほうがはるかに自然だと思う。
 5)は「○○{には/にとって}V(動詞)」の形。「にとって」は×。ただし「には」が使える動詞は限られる。「似合う」のほかは「呆れる」「感動する」……どういう動詞なんだろう。「評価」にかかわる?
 7)は可能を表わす動詞に続いている。可能か否かの前に動詞全般が×。可能不可能も「評価」の一種なのかな。
 8)だとOKになるのは、「理解できないもの」で名詞(句)になっているから。これは3)も同様の構造。ただし3)の場合は「人類にとって、平和こそ最も望まれる」だと後ろが動詞だけどさほどおかしくない。理由は不明。
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