【句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編2】

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
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mixi日記2012年03月23日から
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【句読点に関する記述】
1)【板外編2──句読点の打ち方(読点と使い方の2つの原則と6つの目安)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-145.html
2)【第2章 4 句読点の打ち方】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html
3)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび 毒抜き編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1253.html
4)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1254.html
5)【句読点の打ち方/句読点の付け方 ふたたび3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1255.html
6)句読点の打ち方/句読点の付け方──実例編
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1522.html


 ずいぶん前に『心中小説名作選』という文庫本を読みはじめた。昭和55年に集英社文庫から発刊されたアンソロジーで選者は藤本義一。なんでこんな本をもっていて、なんでこの時期に読みはじめたのか書きだすと長くなるのでパス。

【引用部】『道化の華』(太宰治)
気の毒で見れなかった。(P.14)
 古い文学作品に「ラ抜き言葉」が出てくるという噂は聞いていた。よく言われるのは『雪国』だったかな。ただそれは、セリフの中だったと思う。この『道化の華』の使用例は「地の文」。しかもこここだけではない。東北も「ラ抜き言葉」を使うところ多いらしいから、太宰もそうだったのだろうか。なんらかのルールで使い分けているなら、それはそれですごい話だけど。

【引用部】『道化の華』(太宰治)
飛騨もまた葉蔵の顔を見れなかった。(P.17)
君は、ものを主観的にしか考えれないから駄目だな。(P.21)
 後者はセリフだからアリだろう。

【引用部】『道化の華』(太宰治)
 四方の板張りの壁には、白いペンキが塗られ、東側の壁には、院長の銅貨大の勲章を胸に三つ附けた肖像画が高く掛けられて、十脚ほどの細長いテエブルがそのしたにひっそり並んでいた。(P.20)
 文学作品なんだから、一文が長いとか読点が多いとか言う気はない。でも本多勝一が見たら怒りそう。「院長の」は「肖像画」の直前にするべきで、そうしない理由は考えられない。

【引用部】『道化の華』(太宰治)
僕は景色を書くのがいやなのだ。(P.22)
 昔、評論か何かに、太宰の作品には風景描写が少ない、みたいなことが書いてあった。「そうなのか」と思った記憶がある。ここまで端的に認めているとは(笑)。もちろん、これは作中の一人称の言葉でしかないが、かなり私小説の雰囲気が強い作品だからなぁ。

【引用部】『銀心中』(田宮虎彦)
長身な珠太郎の骨細な姿がみえたような気がした(P.69)
 昭和27年発表の作品。きっと当時は「長身」が形容動詞としても使われたのだろう。

【引用部】『銀心中』(田宮虎彦)
 珠太郎は、喜一には東北の言葉で話したが佐喜枝には標準語ではなそうとするので、訛りがぎごちなく言葉にかげおちた。(P.73)
 この時代だと「ぎごちなく」になっている。「かげおちる」が古語なのか死語なのかはわからない。感じはわかるからいいか。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
飛瀑の周囲が元来の神域であったことは『熊野記』にもみえているから、滝を訪れる観光客が、古い石段を下りて、杉木立の滝壺近くに下り立つ時は、何ともいえぬ神々しい雰囲気に誘われて当然といえる。(P.137)
昭和38~39年に発表された連作。
 水上勉って、読みやすい文章を書く印象があったが、ここはちょっとひっかかった。少し読点を減らすべきだろう。この程度のことに噛み付くのはインネンかな。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
東へ約一キロばかり入ったところを(P.148)
 重言です。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
貞太郎の家は、祖母がひとりいるきりの、貧しい家で、その祖母も終戦の前年に死に、留守の家を文子が守ってきた。したがって、焼け野に化した大阪へ出るのもつい億劫(おっくう)になった貞太郎は、郷野に住みつく決心をして、祖母が守(も)りしてきたいくばくかの田畑をつくり、近くの石灰小屋へ働きに出たりして新生活をはじめたその年の初秋、貞太郎は喀血して倒れた。(P.220~221)
 やはり読点が多いのが気になる。2番目の文の「したがって、」は必要なんだろうか。さらに「貞太郎」が2度出てきて、破綻寸前?

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
 和江が、郷野の村から、自転車で二十五分かかって虎姫の町に出て、汽車にのり、十分かかって、長浜駅で下車して、四ツ塚という、長浜市の南郊外の平野の中にできた新しい工場へつとめるようになったのは、まだ、その工場に寄宿舎がなかったからである。(P.226~227)
 一文に読点9個はいくらなんでも……。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
死体の発見されたのは那智滝の滝壺を取りまいている、灰色の岩石の中の前方にひときわ高くつき出た、巨岩の穴のようなところであった。(P.258)
 これも本多勝一にしかられそうな読点の使い方だな。修飾語と被修飾語を隔てる読点の2連発(重言?)は珍しいかも。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
ひくい砂丘に、やせた古松が、枝をゆがめてばらばらに生えている約百メートルばかりの海岸に、朽ちかけた舟小舎と、トタンぶきや、藁ぶきの、粗末な屋根をもった入母屋(いりもや)づくりの、かたむいた家々が点在している、貧村に過ぎない。(P.261)
 一文に8読点。「約百メートルばかり」はやはり重言だな。

【引用部】『那智滝情死考』(水上勉)
前述の岩をほりぬいたトンネルができたり、岩石を迂回して海にさしわたした架橋のような道ができたのは後年になってからである。(P.261)
 この時代にも「片たり」はあったのね。困ったことに、ほとんど異和感がない。

【引用部】『那覇心中』(梶山季之)
 あまり大きな店は少いが、数は多く、四百軒は越えているものと思われた。(P.361)
 昭和49年発表作品。
 なんでヘンなのかはうまく説明できない。
「大きな店は少(な)いが」ならフツーだろう。「あまり大きな店はないが」もOK。

【引用部】『那覇心中』(梶山季之)
 新聞社の当間部長に会い、社会部を通じて山口敬三が、果物ナイフで刺したと言う、恩師の名前を調べて貰った。(P.399)
 この読点もなかなか。

【引用部】『那覇心中』(梶山季之)
 倉地は、なんとなく憮然とした表情になって、グイ、グイと手酌で、泡盛を口に運びはじめていた──。(P.403~404)
 この「憮然」は正用か誤用か。「グイ、グイと運びはじめていた」ってどういうこと、なんてのはインネンかな。
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