よくある誤用1~10
【よくある誤用1──誤用の御三家 さわり 役不足 斜に構える】
ひと口に「誤用」と言ってもいろいろなレベルがあります。
よく目にするけど明らかな誤用。
やはり誤用だよなぁ……というレベルのもの。
もはや誤用とは言いにくいもの。
一部の辞書が認めてしまったもの。
目にする機会の多い「誤用」の例を見ていきます。
まず、当方が「誤用の御三家」と呼んでいるもの。「斜に構える」に関しては誤用のほうが広まって、もはや「使えない言葉」になったような……。
詳しくはリンク先をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html
さわり
================引用開始
「さわり」は「山場」とかって意味。まあ簡単に言ってしまうと、曲のサビ。テレビなんかで「ほんのさわり」とか言って最初の部分とかを紹介してるのは誤用です。でもね。テレビで頻繁に誤用してると、それは瞬く間に誤用ではなくなるの。こうして日本語は破壊されていく。
================引用終了
文化庁の調査では、世間では誤用の意味で考えている人が半数を超えるとか。
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_07/series_08/series_08.html
================引用開始
「話のさわりだけ聞いた。」などと使う「さわり」。「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。この言葉の本来の意味を確かめましょう。
問1 「さわり」は,元々,邦楽に関係する言葉だそうですが,その意味を詳しく教えてください。
答 「さわり」は義太夫節の最大の聞かせどころ,聞きどころとされている箇所を指した言葉でした。それが転じて,音楽や物語の最も感動的な部分,話や文章の要点などという意味で使われています。
(以下略)
================引用終了
役不足
================引用開始
この言葉はもともとは芝居の用語で、「役者の格に比べて、割り当てられた役が軽すぎる」ことを指したといわれます。これが転じて、一般社会でも「当人の力量に比べて役割などが軽い」という意味で使われるようになりました。
ところが、実際の使用例を見ると、ほとんどが正反対の「力不足」「力量不足」「荷が重い」「荷が勝つ」の意味で使われています。おそらく、「役不足」のほうが語感がよいからです。もう少し正確にいうと、「役不足」のほうがカッコよくて言葉に迫力が感じられるからでしょう。
この誤用が頻繁に出てくるのは、マンガの対決シーンです。
「キサマじゃ役不足だ!」
と相手をののしるときに使われます。
================引用終了
斜に構える
================引用開始
「役不足」が正しく使われている実例は珍しいと思うが、意味が決まっているのだから同じようなものを考えることはできる。
ところが「斜に構える」の場合は、辞書を見ても「露悪的」と「改まった」という正反対みたいな意味があるのだから、使いようがない。
結局、いいかえるしかないのか。
本来の意味の「改まった」なら、「正々堂々」とか「真摯に」とか……まあ、こちらの使い方は少ないか。
新しい意味の「露悪的」なら、「物事を斜めに見る」とか「シニカルな態度をとる」あたりが無難な気がする。「斜めに構える」とか「ハスに構える」でもいいかなと思ったが、『大辞泉』や『成語林』にしかられそうなのでやめておく。
================引用終了
下記のリストから順次あげていこうと思います。
【もうダメかもリスト】〈2〉──けっこう厳選(笑)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2266.html
【よくある誤用2──ことわざの迷走 情けは人のためならず 犬も歩けば棒に当たる 隗より始めよ】
「故事ことわざ」が誤用されることも多いようです。よく目にする例をあげておきます。それぞれの正しい意味と、誤った解釈は次のとおりです。
情けは人のためならず
正 人にかけた情けは、めぐりめぐって自分に返ってくるものである
誤 むやみに情けをかけるのは甘やかすことになるので、結局その人のためにならない
「誤」の意味で使われることも多いようですが、まだかろうじて「正」のほうが優勢でしょう。
犬も歩けば棒に当たる
正 でしゃばってよけいなことをすると、ロクなことがない
誤 積極的に動き回れば、幸運に出合うことがある
あまりにも誤用されることが多かったせいか、「誤」の解釈も許容されるようになってしまいました。辞書によっては「誤」の意味を許容しています。「犬も歩けば棒に当たるというぐらいだから、やってみる価値はある」という使い方もできるということです。
隗より始めよ
正 大きな事をするには、手近なことから始めよ
誤 事を始めるには、まず自分自身が率先垂範せよ
すでに「誤」の意味のほうが一般的になっています(「正」の意味では使いにくいからでしょう)。いつから「誤」の用法が一般的になったのでしょうね。少なくとも『成語林』が発刊された1992年には「率先垂範」の意味が認められています。
詳しくは下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1301.html
下記あたりも、誤用されることが多い「故事ことわざ」です。これに関しては改めて。
人間万事塞翁が馬
他山の石
枯れ木も山のにぎわい
君子は豹変す
【よくある誤用3──朝日新聞の場合 憮然/ぶぜん 足元をすくう/すくわれる ダントツ/断トツ】
個人的に、ネットで見かける誤用はできるだけ気にしないことにしています。妙な日本語や微妙な日本語が多くて、気にしているとキリがありません。その点、まともな出版社の紙媒体はヘンな日本語がほとんどないので安心できます。なかでも信頼しているのは朝日新聞です。
とは言え、近年は朝日新聞でも疑問を感じる文章を目にすることが多いような……。ほかの媒体のことは考えたくありません。
「檄を飛ばす」「ごぼう抜き」「白羽の矢が立つ」あたりは、もう諦めるしかないでしょう。詳しくは改めて……。
「よくある誤用1」で書いた「斜に構える」や「よくある誤用2」で書いた「隗より始めよ」も、近年は誤用の意味のほうが一般的な気がするので目をつぶります。
それでも……下記あたりはまだ気になります。
憮然/ぶぜん
正 失望・落胆している様子
誤 腹をたてている様子
朝青龍の記事では度々「憮然/ぶぜん」が出てきた。あの人の態度を「失望・落胆した様子」ととっていたら、そのほうが問題だろう。
足元をすくう/すくわれる
意味の上での「誤用」ではなく、語形の上での「誤用」。「足をすくう/すくわれる」が正しい。一部の辞書は「足元をすくう/すくわれる」は誤用と明記するようになった。それだけ問題視されているのだろう。
ダントツ/断トツ
「ダントツの最下位」とか「ダントツの2位」とかは、さすがにダメだろう。「ダントツ」は「断然トップ」を略した言葉だから、「ダントツの首位」も「重言」だと思う。「重言」の話を始めると、頭の痛いことがあって……。
【朝日新聞から総索引(2002年~)】で検索してみた。このうちどれくらいがホントの誤用なのかは不明。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
ぶぜん→4件
足元→15件
ダントツ→3件
断トツ→2件
【よくある誤用4──「重言」は誤用ではないが…… 立場に立つ 犯罪を犯す 被害を被る】
「重言」は誤用ではなく、「無神経な表現」とでも言うべきでしょう。
ただ、ひと口に「重言」と言ってもいくつかのレベルがあるようです。「重言」の多くは、下記のように簡単に修正できます。
過半数を超える→過半数に達する/半数を超える
思いがけないハプニング→思いがけない出来事/ハプニング
元旦の朝→元旦/元日の朝
ハッキリと断言する→ハッキリ言う/断言する
しかし、なかには簡単には直せないものもあります。
「歌を歌う」は「重言」ではなく、言語学では「同族目的語」などと呼ばれるそうです。簡単には修正できません。
以下にあげるのも、「重言」と呼ぶべきか否か、意見が分かれるようです。Yahoo!知恵袋に限っても、何度も繰り返して(これも重言?)話題になっています。
消費者の立場にたって考える
なぜ犯罪をおかすのか
東日本が甚大な被害をこうむった
「重言」ではないとしても、「立場に立つ」「犯罪を犯す」「被害を被る」という表記にすると漢字の重複が気になりませんか。修正案をあげておくのでご参照ください。
立場に立つ
■修正案
側に立って/立場になって/立場で/立場から
これらの修正案は、いずれも「立場にたって」よりも語感が悪い気がします。つい重言を使ってしまう例が多い理由は、この語感の悪さです。原文が「消費者の立場にたって商品を開発する」なら、「立場を考えて」「立場を考慮して」など、修正の選択の幅が多少広がりますが、やはり語感は「立場にたって」より劣る気がします。
犯罪を犯す
■修正案
罪を犯す/犯罪に走る
この修正案は、あまりよい例とはいえません。修正するのが非常にむずかしい例です。「犯罪を犯す」と「罪を犯す」では、言葉のニュアンスが違ってきます。「犯罪」は刑法に背く行為で、「罪」は良心に背く行為という感じでしょうか。「犯罪に走る」なら意味はかわりませんが、大げさな印象になります。
被害を被る
■修正案
害を被った/損害を被った/被害を受けた/被害に遭った
これもあまりよい修正案とはいえません。「被害」と「害」「損害」とでは、「犯罪」と「罪」以上に言葉のニュアンスが違っていると思います。「被害を受けた」は、厳密に考えると重言でしょう。「被害に遭った」は有力な修正案ですが、↑の例文の場合はしっくりしない気がします。
言葉のニュアンスをかえずに重言を修正するためには、次のように書きかえる方法もあります。
なぜ犯罪をおかすのか
→なぜ犯罪が生まれるのか
→なぜ犯罪が起きるのか
東日本が甚大な被害をこうむった
→東日本では甚大な被害が生じた
ただし、原文が「人はなぜ犯罪をおかすのか」のときには、この書きかえはできません。
詳しくは下記をご参照ください。
【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
【重言の話4(第1稿)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.html
【よくある誤用5──言いかえがむずかしい(泣) 確信犯 なし崩し 潮時】
誤用に関する書籍は数多くあります。ネット上でも玉石混淆でさまざま意見が流布しています。誤用であることを頻繁に指摘されながら、それでも誤用されることが多い言葉があります。
おそらく、適切な言いかえがむずかしいからでしょう。それが見つからないと誤用は減らず、やがては誤用のほうが幅をきかせるようになります。
↓の言葉に関して、自分で「正」の意味で使ったことはありません。たぶん通じないし……。
確信犯
正 自らの行為を正しいと信じて行なう犯罪
誤 悪いのを承知で行なう犯罪
尖閣諸島の映像流出からもう2年近くたつ。あのときには「確信犯」という言葉が飛びかった。流出した人は、「自分の行動は間違っていない」と考えている。しかし、「甘んじて刑にも服す」とも考えている。ホントの確信犯なら「これで罪に問われるなら、法律が間違っている」と主張するところじゃないか?
■「誤」の意味を表す言いかえ案
ありません。キッパリ<( ̄- ̄)>
しかたがないので、「誤」の意味で「確信犯的」と使うことにしている。
なし崩し/なしくずし
正 物事を少しずつ片づけていくこと
誤 成り行きでウヤムヤにしてしまうこと
「なし崩しに原発を再稼働する」なんて表現をよく見るような。
■「誤」の意味を表す言いかえ案
「成り行きで」「ウヤムヤのうちに」くらいだろうか。
潮時
正 好機。物事を始めたり終えたりする好機
誤 物事をやめる時機
スポーツ選手の引退のコメントなどに出てくる。「そろそろ潮時と思いました」
たしかに「物事を終える好機」と考えれば誤用ではないかもしれないが、やはり誤用だろう。株式取引で、高値がついているときに「そろそろ潮時」と売り抜けるなら正しい使い方だろう。
■「誤」の意味を表す言いかえ案
「年貢の納め時」って言い方はあるが、ちょっと古くさい。しかもこの言葉は独身者が「身を固める時」に使う印象が強い。
詳しくは下記をご参照ください。
【確信犯】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1626.html
【なし崩し/なしくずし】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2445.html
【潮時】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2440.html
【よくある誤用6──誤用とは言い切れない例 申し訳ありません とんでもありません とんでもないです】
「誤用」とされる言葉にはいろいろなパターンがあります。なかには、誤用ではないのに誤用扱いされている可哀想な言葉もあります。もっとも、「誤用ではない」のなかには、「元々誤用ではない」ものもあれば誤用が広まったために許容されるようになったものもあります。
申し訳ありません/ございません
昔、「申し訳ありません/ございません」は「誤用」という記述を何かで読んだ気がしますが、そんな曖昧な記憶では根拠を示しようがありません。
現在でも、ネット検索すると「申し訳ない」が一語の形容詞であることを理由に、「申し訳ありません/ございません」を誤用とする記述を目にします。
本当にそうなのでしょうか。
たとえばWeb辞書『大辞泉』には下記のように書いてあります。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=申し訳ない&stype=0&dtype=0
================================引用開始
もうしわけ‐な・い〔まうしわけ‐〕【申(し)訳無い】
[形]
1 言い訳のしようがない。弁解の余地がない。相手にわびるときに言う語。「世間に対し?・い気持ちで一杯だ」「不始末をしでかして?・い」
2 相手に無理な依頼ごとをして、すまないという気持ちを表す語。「?・いが、あしたにしてもらいたい」
[派生] もうしわけながる[動ラ五]もうしわけなげ[形動]もうしわけなさ[名]
◆「申し訳」に「ない」の付いた複合形容詞で一語とするが、「申し訳」は名詞としても使うし、「申し訳がない」「申し訳が立たない」という言い方もある。従って丁寧に言おうとして「申し訳ありません」「申し訳ございません」と言うのを、一概に誤りとは言えないであろう。
================================引用終了
『明鏡国語辞典』にも「丁寧形の『申し訳ありません』『申し訳ございません』が多く用いられる」と明記されているそうです。
どうやら、「誤用」とするのは無理がありそうです。
とんでもありません/ございません
これも諸説あるところですが、平成19年に文化庁が「敬語の指針」で許容してしまいました。そのため、Web辞書『大辞泉』は下記のように書いています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=とんでもない&stype=0&dtype=0
================================引用開始
とんでも‐な・い
[形]《「とでもない」の音変化》
1 思いもかけない。意外である。「―・い人にばったり出会う」「―・い発明」
2 もってのほかである。「―・い悪さをする」
3 まったくそうではない。滅相もない。相手の言葉を強く否定していう。「―・い、私は無関係だ」
◆「とんでも」に「ない」の付いた形だが、「とんでも」が単独で使われた例はなく、「とんでもない」で一語と見るのがよい。とすれば、「ない」を切り離して「ありません」「ございません」と置き換えて丁寧表現とするのは不適切で、丁寧に言うなら「とんでもないことです」「とんでもないことでございます」「とんでものうございます」と言わなければならない。しかし、最近は「とんでもありません」「とんでもございません」と言う人が多くなっている。
平成19年(2007)2月文化審議会答申の『敬語の指針』では、相手からのほめ言葉に対して謙遜しながら軽く打ち消す表現として「とんでもございません(とんでもありません)」を使っても、現在では問題ないとしている。
なお、「とんでもない」には「もってのほかだ」と強く否定する意味もあり、「とんでもないことでございます」を使う場合は注意が必要と『指針』は述べている。
================================引用終了
これも、「誤用」とするのは無理があるようです。
ただし個人的には、「とんでもありません/ございません」には異和感があるので原則として使いません。
おそらく……「申し訳ありません/ございません」は元々誤用ではないのでしょう。「申し訳がありません」のように「が」を入れれば、何も問題がないはずです。
「とんでもありません/ございません」のほうは、元々は誤用ですが、許容されたのでしょう。
このあたりのことは、専門家におまかせします。
個人的には、「元々どうであったか」にはあまり興味が湧きません(「教養」としては知っておくべきでしょうが)。「現在どのように使われているか(使うべきか)」のほうが重要な気がするからです。
とんでもないです
「とんでもありません/ございません」は誤用で、「とんでもないです」が正しい、と書いてあるとサイトを見たことがあります。
これがまた微妙な話で、「形容詞+です」(「うれしいです」「楽しいです」など)を認めるか否か、という問題が関係します。昭和27年に文化庁が「形容詞+です」を許容してしまったため、現在の文法書や辞書は許容しているはずです。
当方はこの形に異和感があるので、原則的に使いません。
ただし、「形容詞+です」には異和感がない人でも、「ないです」には異和感があるのでは。これは「ありません」にするほうが自然で、「ないです、は間違い」と主張する人もいるようです。
この形には個人的に「とんでもありません/ございません」以上に強い異和感があるので原則として使いません。
文化庁のルールに従うなら、「とんでもありません/ございません」もOKです。「とんでもないです」も「誤用」とは言えないのかもしれません。
「~ない」形の形容詞はほかにも多数あります。
仕方ない/他愛ない/しようがない……etc.
このなかには「~ありません」「~ございません」にしてもおかしくないものもあります。すべてを同列に扱うことに無理を感じます。
詳しくは下記をご参照ください。
【「~ない」形の形容詞の迷宮】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1814.html
【よくある誤用7──よくある誤用7──ネットが広めた誤用 ご教授ください ご存知のとおり 直裁な言い方】
近年急速に広まっている誤用のほとんどは、ネットが関係している気がします。
なかには、ネット上のやり取りから生まれたと思われるものもあります。
ご教授ください
================================引用開始
微妙な例で真っ先に浮かぶのは、「ご教授ください」。
これは誤用で「ご教示ください」が正しい、と主張する人がいる。当方はそこまで主張する気にはなれない。
「教授」をネット辞書(『大辞泉』)で引く。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=教授&stype=0&dtype=0
きょう‐じゅ〔ケウ‐〕【教授】
[名](スル)
1 学問や技芸を教え授けること。「書道を―する」
2 児童・生徒・学生に知識・技能を授け、その心意作用の発達を助けること。
3 大学や高等専門学校・旧制高等学校などで、研究・教育職階の最高位。また、その人。「大学―」
〈[名](スル)〉になっているから、「教授する」は文法的には間違っていない。したがって、「ご教授します」も「ご教授ください」も間違いではない。
文法的には間違っていないが、一般的に使うか否かは別の話になる。
こうなると辞書は役に立たず、主観の問題になってくる。
個人的には、「ご教授ください」は使わないし、相当異和感がある。これを使うとしたら、偉い人が偉そうに語る場合。
「ご教授いたそう」
それは偉そうだな(笑)。専門的で高度な知識なら「ご教授」でもいい気がする。
ネットで使われる例は、「○○について教えてください」くらいの意味だから。「教えてください」で十分だと思う。「教えていただけませんか」くらいのほうが丁寧か。少し改まった感じにするなら「ご教示ください」だろう。
一般的に考えても、「ご教授」するからには、それなりの内容でなくては困る。辞書の「1」例にある「書道を教授する」はアリだろう。これは逆に「教示する」にはしにくい。
実際に目にする例だと、囲碁・将棋(これは「技芸」だろうか)だろう。その場合は「(一局)ご指南ください」「(一局)ご指南いたしましょう」とか言う。「指南」は少し語感が古いから、現代なら「指導」のほうが自然かもしれない。
「ご教授ください」が広まったのは、おそらくそのほうが「ご教示」より丁寧な印象があるみたいに誤解されたから。それがネットで使われるようになってとんでもないスピードで流布した。もはや止めようがない気がする。
こういう例はほかにもあるんだろうな。
================================引用終了
ご存知のとおり
================================引用開始
「存知」は言葉としては存在するが、「ぞんち」(もしくは「ぞんぢ」)と読む別の言葉。
「ご存知でしょうが」とするのは誤用と言ってしまっていいだろう。
ところが、この用例が異様に多い。グーグル検索で「ご存知」を検索すると、約17,500,000 件もある。
なかには、テレビドラマのタイトルまである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ご存知!旗本退屈男
これは、一部の変換ツールが「ごぞんじ」で「ご存知」と変換するからとしか思えない。当方はマイクロソフト系があやしいと睨んでいる。どなたか検証してください。
手元の『朝日新聞の用語手びき』の使い分けを確認した。いつもは表記の話だと真っ先にこれをひくんだけど、なぜかやっていなかった。単純な表記の問題と考えてなかったんだろうな。
「御」と「お」の使い分けに関しては記載がない。まあ、「お」にするものだろう。
「御」と「ご」の使い分けに関して。
〈接頭語〉は「ご」。これは「一般の接頭語」ということだろう。
ご縁/ご協力/ご多分に漏れず/ご本尊
〈接頭語のうち漢字で書く習慣が強いものや、固有名詞に近いもの〉は「御」。
御所/御前試合/御用邸……etc.
ちなみに、「ごぞんじ」に関しては単独の項目があり、〈御存知→ご存じ〉になっている。
今度は『記者ハンドブック』(共同通信社)をひく。「御」と「お」の使い分け、「御」と「ご」の使い分けに関してはほぼ同様。「ご」の用例のなかに「ご存じ」が入っている。
こう見ていくと、「ご存知」と書く理由はない。
================================引用終了
直裁な言い方
あまりにも誤用が多いせいか、Web辞書は「直截」の慣用読みとして「ちょくさい」を認めたようです。とは言え、「直裁な言い方」の類いまでは認めていません(これはさすがに認めないでしょう。当分の間は……)。
================================引用開始
これは問題の根が深い。
何よりの証拠に「直裁」で検索すると約278万件も(!)引っかかってくる。もちろん、正しく「直裁」の意味(「ただちに裁決する」くらいの意味)で使っている例もあるんだろうけど、そんなに使用頻度の高い言葉ではないから大半は誤用だろう。
「直裁」は意味が違うから、正しくは「直截」。「直截」で検索すると、約18.3万件。誤用の10分の1以下(笑)。
まず問題は「直截」をなんて読むか。一般には「ちょくさい」の気がする。それは慣用読みで、正しくは「ちょくせつ」。慣用読みにあれほど寛容(単なる偶然です。ダジャレのつもりはありません)で片端から無節操に採用しているIMEが、「ちょくさい」を採用していないらしい。Macintoshのことえりが採用していないことは少し前に気づいていた。今回のことから判断すると、MS-IMEも採用していない。そりゃダメだよ。「ちょくさい」だと思い込んでいる人が、変換して「直裁」しか出てこなきゃ、字が似ているから絶対この字が正しいと思っちゃうよ。
【20110226追記】
最近、「直裁」のほかに「直載」と書く例もふえているらしい。
http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=ja-jp&q=直載&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=n3FoTeq4CYbuvQOBh4DkAg
いまさらながら「直截」を辞書でひいてみた。Web辞書は「慣用読み」として「ちょくさい」を認めている。まあ、これだけ誤読が増えるとしょうがないよな。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/14730712185100/
===============
ちょく‐せつ【直×截】
[名・形動]《慣用読みで「ちょくさい」とも》
1 すぐに裁断を下すこと。また、そのさま。「―な(の)処置」
2 まわりくどくなく、ずばりと言うこと。また、そのさま。「簡明―な表現」
===============
■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ちょくせつ&dtype=0&dname=0ss&stype=0&index=112878100000&pagenum=1
===============
ちょくせつ0 【直▼截】
(名・形動)
[文]ナリ
[1]まわりくどくないこと。ずばりということ。また、そのさま。
―簡明
語を出すに軽快にして―なる〔出典: 即興詩人(鴎外)〕
[2]ためらわずただちに決裁すること。
〔補説〕 「ちょくさい」は慣用読み
===============
================================引用終了
下記あたりも相当危うい気がします。これに関しては改めて。
すべからく
ほしいままにする
くみしやすい
詳しくは下記をご参照ください。
【ネットが広めた誤用……etc.──「教授する」か「教示する」か】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-869.html
【ネットが広めた誤用……etc.2──「ご存じのとおり」か「ご存知のとおり」か】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-903.html
【ちょっと気になる誤用の話──直裁ないいかたをする 直截 ちょくさい ちょくせつ 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-294.html
【よくある誤用8──よくある誤用8──読み方の問題 他人事(ひとごと/たにんごと) 善し悪し(よしあし/よしわるし) 十分(じゅうぶん/じっぷん/じゅっぷん) 】
読み方にかかわる誤用もけっこうあるようです。「雰囲気」は「ふんいき」か「ふいんき」か……なんてホニャララなことを書く気はありません。そんなものはどんな辞書をひいても簡単にわかるはずです。
他人事(ひとごと/たにんごと)
本来は「ひとごと」。近年は「たにんごと」と読んでも「間違い」とは言えないようです。
================================引用開始
Web辞書(全文は↓)を見ると、『大辞泉』は「たにんごと【他人事】」の項を立てて〈◆本来は「ひとごと」と読んだ語。〉としている。
『大辞林』は問答無用で「ひとごと」にふっている。ただし、「ひとごと」の説明の中に「たにんごと」とある。どう考えているのかよくわからない。
結論を書くと、「ひとごと」と読むのが一般的だろうが、もはや「たにんごと」を誤用とするのも無理だろう。自分では「ひとごと」としか読まないけど。「たにんごと」って言葉自体が、比較的新しい言葉だと思う。
================================引用終了
善し悪し(よしあし/よしわるし)
本来は「よしあし」でしょう(根拠が希薄なので断言はできません)。でも一部の辞書が認めている「よしわるし」を誤用とは言えません。
================================引用開始
【問題】
次の1)~4)のなかから「善し悪し」を「よしわるし」と読むことの解説として適切なものを選びなさい。
1)単なる誤用
2)最近Web辞書が広めた許容の例
3)古くから認められている読み方
4)その他
【解答?例】
不本意ながら3)です。
考えようによっては4)とも言えそうです。
「善し悪し」には、「善悪」という意味と「一長一短」という意味がある。ただ、「類似品の善し悪しを見分ける」のような例だと、どちらなのか微妙な気がするけど。
一部の辞書は、どちらの意味でも「よしわるし」とも読めるとしている。
一部の辞書は、「一長一短」という意味に限って「よしわるし」とも読めるとしている。
================================引用終了
十分(じゅうぶん/じっぷん/じゅっぷん)
常用漢字表が改訂される前は、「じゅうぶん」か「じっぷん」でした。一般には「じゅっぷん」と読む人が多くても、ルールとしては「じっぷん」。
子供が漢字のテストで「じゅっぷん」と書いて×にされた、と憤慨する親がいたとか……。
常用漢字表が改訂され、「じゅっぷん」も許容されました。教育現場が混乱しないのでしょうか。
================================引用開始
問題は「10分」。これは昔からよく話題になるテーマで、「じゅっぷん じっぷん」で検索すると山ほど出てくる。歴史的なことも踏まえた下記がわかりやすいかも。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=119628801&sort=1
問題を切り分ける必要はないのかな。
そもそも「10分」と「十分」って、読み方はおなじなの?(意味がかわる「じゅうぶん」に関しては考えない)
たとえば「一人」「一つ」を「ひとり」「ひとつ」と読むのはOKだが、「1人」「1つ」を「ひとり」「ひとつ」と読むのはおかしい、と主張する人がいる。一理あると思う。そういう主張をする人は「10分」をなんて読むのだろう。「10」は「じゅう」としか読まないだろう。少し無理すれば「とう」なんだろうな。
そんな意地悪を言ってもしょうがないから、「10分」と「十分」はほぼ同じということにしよう(笑)。
編集・出版業の常識として、「十分」を「じゅっぷん」と読んだら間違い。アナウンサーの現場では「じゅっぷん」も許容とか言われても困る。
歴史的なことはよくわからないが、常用漢字表を見れば明らか。「十」の読みは「ジュウ・ジッ・とう・と」しかないから、「じゅっぷん」にはならない。これは小学校の低学年で習うらしい。一般には「じゅっぷん」と言っている人が多いかもしれないが、だからと言って常用漢字表を無視してもらっては困る。学校教育は常用漢字表に準じているはずだし、編集・出版業だって、基本的には常用漢字表に従っている。
「実際にはこう言っている」なんてことを言いはじめると、「女王」はどうする「体育」はどうするという話になる。そーゆーことって書くのか、って話も出てくるし、はては最近は「ふいんき」と言う人が多いなんてヨタ話も出てくる(笑)。
ちなみに、「一人」を「ひとり」と読むのも変則的だが、これは常用漢字表の【付表】にあるから何も問題はない。
================================引用終了
これが古くからの考え方。ただし。2010年にルールが少しかわった。「十」に「ジュウ」「ジッ」のほかに「ジュッ」の音が加わった。あくまでも「許容」の形だが、今後はこちらが主流になる可能性が高い。
「改定常用漢字表」(「新常用漢字表」とも呼ばれる)(P.66)
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/kaitei_kanji_toushin.pdf
================================引用開始
ジュウ 十字架,十文字 十重二十重(とえはたえ) 二十・二十歳(はたち) 二十日(はつか) ジッ 十回 「ジュッ」とも。
とお 十,十日
と 十色,十重
================================引用終了
詳しくは下記をご参照ください。
【表記の話8──「他人事」「人事」「人ごと」「ひとごと」「たにんごと」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1941.html
【善し悪し よしあし よしわるし】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2232.html
【10分の読み方は「じっぷん」か「じゅっぷん」か、はたまた……】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1462.html
【よくある誤用9──それも誤用とは言えない 一所懸命/一生懸命 独壇場/独擅場 喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々
】
本来は○○だけど、△△も許容される……という例は多いようです。どちらが正しい形か、というのはもっともな疑問ですが、あまりこだわっても仕方がない気がします。
Yahoo!知恵袋に限っても、そういった質問が繰り返し登場していて食傷気味です。
一所懸命/一生懸命
これがイチバン知られているのでは。
本来は「一所懸命」。元々は土地を命懸けで……そのとおりです。
http://gogen-allguide.com/i/issyoukenmei.html
でも「一生懸命」が「間違い」ではありません。現代の出版物などは、ほとんどが「一生懸命」を使っています。
独壇場(どくだんじょう)/独擅場(どくせんじょう)
本来は「独擅場」でした。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412335714
でも「独壇場」が「間違い」ではありません。むしろ「独擅場」などと書いたら、そちらのほうが間違いと思われかねません。
喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々
本来は「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」です。意味は辞書をひいてください。
いつからか、両者も混交した「喧々諤々(けんけんがくがく)」が使われるようになりました。「それは誤用」と主張する人も多いようです。
でもちょっと待ってください。
『広辞苑』は、1991年の段階で「喧々諤々」を採用しています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-date-20120323.html
================================引用開始
『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男
10-3-6 p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。
================================引用終了
Web辞書『大辞泉』も「喧々諤々」を認めています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=けんけんがくがく&stype=0&dtype=0
================================引用開始
けんけん‐がくがく【×喧×喧×諤×諤】
[ト・タル][文][形動タリ]《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「―たる株主総会の会場」
================================引用終了
個人的には、さすがに「喧々諤々」は使いません。でも、「誤用」と主張する気もありません。こんなに古くから許容されているのですから、しかたがありませんって。
【よくある誤用10──もはや誤用とは言えない ごぼう抜き 檄を飛ばす 白羽の矢が立つ】
元々の意味を考えれば誤用なんだけど、もはや誤用とは言えなくなっている言葉の話。なんの役にも立たない……かもしれませんが、知っていて損はないでしょう。
下記の3例はいずれも本来は誤用ですが、テレビ、新聞などでもよくお目にかかります。
ごぼう抜き
駅伝の実況なんかでおなじみの表現ですが、元々は誤用です。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=ごぼうぬき&stype=0&dtype=0
================================引用開始
ごぼう‐ぬき〔ゴバウ‐〕【▽牛×蒡抜き】
1 牛蒡を引き抜くように、棒状のものを力を入れて一気に引き抜くこと。
2 多くの中から一つずつを勢いよく抜くこと。座り込みの人などを一人ずつ排除したり、人材を引き抜いたりする場合に用いる。また、競走などで、数人を一気に抜くことにもいう。「ピケ隊を―にする」「一〇人を―にして堂々入賞する」
================================引用終了
元々は、「1」の意味から派生した「2」の前半の意味で使われていました。「ピケ隊をごぼう抜きにする」……ここまで死語感(誤用?)が強い言い回しも珍しい。
駅伝などで使われる「ごぼう抜き」は「数人を一気に抜くこと」でしょう。元々は誤用でも、辞書にものっているし、広く使われています。でもちょっと待って。たとえば100mくらいの間に数人を抜くのは「一気に抜くこと」になるでしょう。10kmの区間で、1人抜き、2人抜き……結果的に10人抜いたとして、「一気に抜くこと」になってますかね。
檄を飛ばす
スポーツの試合で、ベンチの監督や控えの選手が指示や応援の声をかけることを「檄を飛ばす」などと言います。これは二重の意味で誤用です。これを「誤用」とする指摘は結構見るかもしれません。下記の辞書も「誤用」にしています。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=げき&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=05538300&pagenum=1
================================引用開始
げき【×檄】
1 古代中国で、召集または説諭の文書。木札を用いたという。めしぶみ。さとしぶみ。
2 自分の考えや主張を述べて大衆に行動を促す文書。檄文。ふれぶみ。
◆誤用が定着して、励ますこと、また、励ましの言葉や文書の意味でも用いる。
================================引用終了
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=げき&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=05538300&pagenum=1
================================引用開始
檄(げき)を飛(と)ば・す
自分の主張や考えを広く人々に知らせる。また、それによって人々に決起を促したりする。
◆誤用が定着して「がんばれと励ます」「激励する文書を送る」という意味でも用いられる。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味である「自分の主張や考えを、広く人々に知らせて同意を求めること」で使う人が19.3パーセント、間違った意味「元気のない者に刺激を与えて活気づけること」で使う人が72.9パーセントという逆転した結果が出ている。
================================引用終了
辞書の「檄を飛ばす」の説明は言葉足らずです。
「檄」(「檄文」もほぼ同義)は、大衆の決起などを促すための文書のことで、木札に書き記しました。木編がついているのはそのせいでしょう。「檄を飛ばす」は、その「檄」を各地に送ることを言いました。「檄」を使わずに、各地に送りもせずに、単に「自分の主張や考えを広く人々に知らせる」ことを「檄を飛ばす」というのは相当ヘンです。
現代の用法に戻って……。たとえば「維新の会」の代表が、地方の同士に決起を促す手紙を書けば、これは「檄を飛ばす」でしょう。
ベンチからの声援は、当然文書ではありませんし、決起も促していません。「激励」の「激」と「檄」を勘違いして使いはじめたのではないかと……。
とはいえ、「檄を飛ばす」は新聞などでもよく目にします。たいていは、「活を入れる」「声援を送る」の意味です。
白羽の矢が立つ
同じような意味で「白羽の矢を立てる」とか「白羽の矢が当たる」という使い方も見ます。「間違い」とは言えないのかもしれませんが、異和感があります。慣用句を微妙にかえると、非常に気持ちの悪い感じになります。
「白羽の矢が立つ」は、本来は犠牲者として選ばれることです。これがいつの間にか「抜擢」の意味で使われるようになりました。本来の意味で使っている例は見た記憶がありません。まあ大敗がほぼ決まっている選挙直前に選ばれる党代表の候補者なんてのは、本来の意味の「白羽の矢が立つ」かもしれませんが。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=白羽の矢&stype=0&dtype=0
================================引用開始
白羽(しらは)の矢が立・つ
《人身御供(ひとみごくう)を求める神が、その望む少女の家の屋根に人知れずしるしの白羽の矢を立てるという俗説から》多くの中から犠牲者として選び出される。また、一般に多くの中から特に選び出される。「社長候補として―・った」
◆文化庁が発表した平成17年度「国語に関する世論調査」では、「美術館建設の候補地として、この村に白羽の矢が当たった」という言い方が「気になる」と答えた人が58.3パーセント、「気にならない」と答えた人が35.3パーセントという結果が出ている。
================================引用終了
詳しくは下記をご参照ください。
【「好ましい日本語」をめぐって31くらい──「好ましくなった言葉」補足編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2449.html
「12」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【白羽の矢】
http://1311racco.blog75.fc2.com/?q=
下記がいいかな。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-36.html
================================
7-5
25日
早川が左手中指のけがで登録を抹消され、2軍で打率2位と結果を残していた角中に白羽の矢が立った。(21面)
これは「もう誤用とはいえない」例なんだろうな。少し前に朝日新聞の投書欄で、「本来は人身御供の意味で使う白羽の矢を……」みたいな意見を読んだ気がする。メモしとくんだった。そりゃごもっともなんだけど、もう無理でしょ。本来の意味で使ってる例なんて、記憶にない。まあ選挙惨敗後に起用される新首相なんてのは、本来の意味の「白羽の矢が立つ」なんだろうけど。そういうふうに「誤用」と決めつける意見を、なんの注釈もなく掲載する見識ってどうなんでしょ。あくまでも「誤用」とするのが社の方針なら、ほかの記事中でこういう使い方はしないでほしい。いくらでもほかに書き方はあるでしょ。「抜擢」とか。「お鉢が回る」ってはたぶん意味が違うんだろうな(それ以前に死語かな)。
================================
================================引用開始
ちょっと気になって「白羽の矢が立つ」に関して『大辞泉』に出ている〈平成17年度「国語に関する世論調査」〉を見てみた。あまりのムチャクチャぶりに言葉を失う。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h17/kekka.html
「9.使う言い方,気になる言い方」の(2)気になる言い方であげられている言葉は5つ。
(1)うそをついて〈あとで後悔した〉
(2)早起きして行ったのに,順番を〈一番最後〉にされた
(3)今年の〈元旦の夜〉は,みんなで初もうでに行こうよ
(4)その方法は,〈従来から〉行われていたやり方だ
(5)美術館建設の候補地として,この村に〈白羽の矢が当たった〉
これって何を訊きたいの? (1)~(4)までは重言の話。(5)も重言になるか考えたが、どう考えても重言ではない。手当たりしだいにあげたってこと?
(5)の気になる箇所の可能性は2つある。
1)「白羽の矢が立つ」をいい意味で使うのはOKか
2)「白羽の矢が立つ」を「白羽の矢が当たる」と言ってもOKか
当方は1)に関してはもうしかたがないかな、と思う。でも2)に関しては相当気になる。答えとしては「気になる」。答えた人はどこが気になったのだろう。
結論を書こう。2箇所問題のある設問をしたのでは、どんな結論が出ても参考にならない。「意味が違っていても」「形が違っていても」なんにも気にならないっていう●●の割合を調べたいのなら話は別だが。
================================引用終了
ひと口に「誤用」と言ってもいろいろなレベルがあります。
よく目にするけど明らかな誤用。
やはり誤用だよなぁ……というレベルのもの。
もはや誤用とは言いにくいもの。
一部の辞書が認めてしまったもの。
目にする機会の多い「誤用」の例を見ていきます。
まず、当方が「誤用の御三家」と呼んでいるもの。「斜に構える」に関しては誤用のほうが広まって、もはや「使えない言葉」になったような……。
詳しくはリンク先をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-122.html
さわり
================引用開始
「さわり」は「山場」とかって意味。まあ簡単に言ってしまうと、曲のサビ。テレビなんかで「ほんのさわり」とか言って最初の部分とかを紹介してるのは誤用です。でもね。テレビで頻繁に誤用してると、それは瞬く間に誤用ではなくなるの。こうして日本語は破壊されていく。
================引用終了
文化庁の調査では、世間では誤用の意味で考えている人が半数を超えるとか。
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_07/series_08/series_08.html
================引用開始
「話のさわりだけ聞いた。」などと使う「さわり」。「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。この言葉の本来の意味を確かめましょう。
問1 「さわり」は,元々,邦楽に関係する言葉だそうですが,その意味を詳しく教えてください。
答 「さわり」は義太夫節の最大の聞かせどころ,聞きどころとされている箇所を指した言葉でした。それが転じて,音楽や物語の最も感動的な部分,話や文章の要点などという意味で使われています。
(以下略)
================引用終了
役不足
================引用開始
この言葉はもともとは芝居の用語で、「役者の格に比べて、割り当てられた役が軽すぎる」ことを指したといわれます。これが転じて、一般社会でも「当人の力量に比べて役割などが軽い」という意味で使われるようになりました。
ところが、実際の使用例を見ると、ほとんどが正反対の「力不足」「力量不足」「荷が重い」「荷が勝つ」の意味で使われています。おそらく、「役不足」のほうが語感がよいからです。もう少し正確にいうと、「役不足」のほうがカッコよくて言葉に迫力が感じられるからでしょう。
この誤用が頻繁に出てくるのは、マンガの対決シーンです。
「キサマじゃ役不足だ!」
と相手をののしるときに使われます。
================引用終了
斜に構える
================引用開始
「役不足」が正しく使われている実例は珍しいと思うが、意味が決まっているのだから同じようなものを考えることはできる。
ところが「斜に構える」の場合は、辞書を見ても「露悪的」と「改まった」という正反対みたいな意味があるのだから、使いようがない。
結局、いいかえるしかないのか。
本来の意味の「改まった」なら、「正々堂々」とか「真摯に」とか……まあ、こちらの使い方は少ないか。
新しい意味の「露悪的」なら、「物事を斜めに見る」とか「シニカルな態度をとる」あたりが無難な気がする。「斜めに構える」とか「ハスに構える」でもいいかなと思ったが、『大辞泉』や『成語林』にしかられそうなのでやめておく。
================引用終了
下記のリストから順次あげていこうと思います。
【もうダメかもリスト】〈2〉──けっこう厳選(笑)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2266.html
【よくある誤用2──ことわざの迷走 情けは人のためならず 犬も歩けば棒に当たる 隗より始めよ】
「故事ことわざ」が誤用されることも多いようです。よく目にする例をあげておきます。それぞれの正しい意味と、誤った解釈は次のとおりです。
情けは人のためならず
正 人にかけた情けは、めぐりめぐって自分に返ってくるものである
誤 むやみに情けをかけるのは甘やかすことになるので、結局その人のためにならない
「誤」の意味で使われることも多いようですが、まだかろうじて「正」のほうが優勢でしょう。
犬も歩けば棒に当たる
正 でしゃばってよけいなことをすると、ロクなことがない
誤 積極的に動き回れば、幸運に出合うことがある
あまりにも誤用されることが多かったせいか、「誤」の解釈も許容されるようになってしまいました。辞書によっては「誤」の意味を許容しています。「犬も歩けば棒に当たるというぐらいだから、やってみる価値はある」という使い方もできるということです。
隗より始めよ
正 大きな事をするには、手近なことから始めよ
誤 事を始めるには、まず自分自身が率先垂範せよ
すでに「誤」の意味のほうが一般的になっています(「正」の意味では使いにくいからでしょう)。いつから「誤」の用法が一般的になったのでしょうね。少なくとも『成語林』が発刊された1992年には「率先垂範」の意味が認められています。
詳しくは下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1301.html
下記あたりも、誤用されることが多い「故事ことわざ」です。これに関しては改めて。
人間万事塞翁が馬
他山の石
枯れ木も山のにぎわい
君子は豹変す
【よくある誤用3──朝日新聞の場合 憮然/ぶぜん 足元をすくう/すくわれる ダントツ/断トツ】
個人的に、ネットで見かける誤用はできるだけ気にしないことにしています。妙な日本語や微妙な日本語が多くて、気にしているとキリがありません。その点、まともな出版社の紙媒体はヘンな日本語がほとんどないので安心できます。なかでも信頼しているのは朝日新聞です。
とは言え、近年は朝日新聞でも疑問を感じる文章を目にすることが多いような……。ほかの媒体のことは考えたくありません。
「檄を飛ばす」「ごぼう抜き」「白羽の矢が立つ」あたりは、もう諦めるしかないでしょう。詳しくは改めて……。
「よくある誤用1」で書いた「斜に構える」や「よくある誤用2」で書いた「隗より始めよ」も、近年は誤用の意味のほうが一般的な気がするので目をつぶります。
それでも……下記あたりはまだ気になります。
憮然/ぶぜん
正 失望・落胆している様子
誤 腹をたてている様子
朝青龍の記事では度々「憮然/ぶぜん」が出てきた。あの人の態度を「失望・落胆した様子」ととっていたら、そのほうが問題だろう。
足元をすくう/すくわれる
意味の上での「誤用」ではなく、語形の上での「誤用」。「足をすくう/すくわれる」が正しい。一部の辞書は「足元をすくう/すくわれる」は誤用と明記するようになった。それだけ問題視されているのだろう。
ダントツ/断トツ
「ダントツの最下位」とか「ダントツの2位」とかは、さすがにダメだろう。「ダントツ」は「断然トップ」を略した言葉だから、「ダントツの首位」も「重言」だと思う。「重言」の話を始めると、頭の痛いことがあって……。
【朝日新聞から総索引(2002年~)】で検索してみた。このうちどれくらいがホントの誤用なのかは不明。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
ぶぜん→4件
足元→15件
ダントツ→3件
断トツ→2件
【よくある誤用4──「重言」は誤用ではないが…… 立場に立つ 犯罪を犯す 被害を被る】
「重言」は誤用ではなく、「無神経な表現」とでも言うべきでしょう。
ただ、ひと口に「重言」と言ってもいくつかのレベルがあるようです。「重言」の多くは、下記のように簡単に修正できます。
過半数を超える→過半数に達する/半数を超える
思いがけないハプニング→思いがけない出来事/ハプニング
元旦の朝→元旦/元日の朝
ハッキリと断言する→ハッキリ言う/断言する
しかし、なかには簡単には直せないものもあります。
「歌を歌う」は「重言」ではなく、言語学では「同族目的語」などと呼ばれるそうです。簡単には修正できません。
以下にあげるのも、「重言」と呼ぶべきか否か、意見が分かれるようです。Yahoo!知恵袋に限っても、何度も繰り返して(これも重言?)話題になっています。
消費者の立場にたって考える
なぜ犯罪をおかすのか
東日本が甚大な被害をこうむった
「重言」ではないとしても、「立場に立つ」「犯罪を犯す」「被害を被る」という表記にすると漢字の重複が気になりませんか。修正案をあげておくのでご参照ください。
立場に立つ
■修正案
側に立って/立場になって/立場で/立場から
これらの修正案は、いずれも「立場にたって」よりも語感が悪い気がします。つい重言を使ってしまう例が多い理由は、この語感の悪さです。原文が「消費者の立場にたって商品を開発する」なら、「立場を考えて」「立場を考慮して」など、修正の選択の幅が多少広がりますが、やはり語感は「立場にたって」より劣る気がします。
犯罪を犯す
■修正案
罪を犯す/犯罪に走る
この修正案は、あまりよい例とはいえません。修正するのが非常にむずかしい例です。「犯罪を犯す」と「罪を犯す」では、言葉のニュアンスが違ってきます。「犯罪」は刑法に背く行為で、「罪」は良心に背く行為という感じでしょうか。「犯罪に走る」なら意味はかわりませんが、大げさな印象になります。
被害を被る
■修正案
害を被った/損害を被った/被害を受けた/被害に遭った
これもあまりよい修正案とはいえません。「被害」と「害」「損害」とでは、「犯罪」と「罪」以上に言葉のニュアンスが違っていると思います。「被害を受けた」は、厳密に考えると重言でしょう。「被害に遭った」は有力な修正案ですが、↑の例文の場合はしっくりしない気がします。
言葉のニュアンスをかえずに重言を修正するためには、次のように書きかえる方法もあります。
なぜ犯罪をおかすのか
→なぜ犯罪が生まれるのか
→なぜ犯罪が起きるのか
東日本が甚大な被害をこうむった
→東日本では甚大な被害が生じた
ただし、原文が「人はなぜ犯罪をおかすのか」のときには、この書きかえはできません。
詳しくは下記をご参照ください。
【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
【重言の話4(第1稿)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.html
【よくある誤用5──言いかえがむずかしい(泣) 確信犯 なし崩し 潮時】
誤用に関する書籍は数多くあります。ネット上でも玉石混淆でさまざま意見が流布しています。誤用であることを頻繁に指摘されながら、それでも誤用されることが多い言葉があります。
おそらく、適切な言いかえがむずかしいからでしょう。それが見つからないと誤用は減らず、やがては誤用のほうが幅をきかせるようになります。
↓の言葉に関して、自分で「正」の意味で使ったことはありません。たぶん通じないし……。
確信犯
正 自らの行為を正しいと信じて行なう犯罪
誤 悪いのを承知で行なう犯罪
尖閣諸島の映像流出からもう2年近くたつ。あのときには「確信犯」という言葉が飛びかった。流出した人は、「自分の行動は間違っていない」と考えている。しかし、「甘んじて刑にも服す」とも考えている。ホントの確信犯なら「これで罪に問われるなら、法律が間違っている」と主張するところじゃないか?
■「誤」の意味を表す言いかえ案
ありません。キッパリ<( ̄- ̄)>
しかたがないので、「誤」の意味で「確信犯的」と使うことにしている。
なし崩し/なしくずし
正 物事を少しずつ片づけていくこと
誤 成り行きでウヤムヤにしてしまうこと
「なし崩しに原発を再稼働する」なんて表現をよく見るような。
■「誤」の意味を表す言いかえ案
「成り行きで」「ウヤムヤのうちに」くらいだろうか。
潮時
正 好機。物事を始めたり終えたりする好機
誤 物事をやめる時機
スポーツ選手の引退のコメントなどに出てくる。「そろそろ潮時と思いました」
たしかに「物事を終える好機」と考えれば誤用ではないかもしれないが、やはり誤用だろう。株式取引で、高値がついているときに「そろそろ潮時」と売り抜けるなら正しい使い方だろう。
■「誤」の意味を表す言いかえ案
「年貢の納め時」って言い方はあるが、ちょっと古くさい。しかもこの言葉は独身者が「身を固める時」に使う印象が強い。
詳しくは下記をご参照ください。
【確信犯】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1626.html
【なし崩し/なしくずし】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2445.html
【潮時】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2440.html
【よくある誤用6──誤用とは言い切れない例 申し訳ありません とんでもありません とんでもないです】
「誤用」とされる言葉にはいろいろなパターンがあります。なかには、誤用ではないのに誤用扱いされている可哀想な言葉もあります。もっとも、「誤用ではない」のなかには、「元々誤用ではない」ものもあれば誤用が広まったために許容されるようになったものもあります。
申し訳ありません/ございません
昔、「申し訳ありません/ございません」は「誤用」という記述を何かで読んだ気がしますが、そんな曖昧な記憶では根拠を示しようがありません。
現在でも、ネット検索すると「申し訳ない」が一語の形容詞であることを理由に、「申し訳ありません/ございません」を誤用とする記述を目にします。
本当にそうなのでしょうか。
たとえばWeb辞書『大辞泉』には下記のように書いてあります。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=申し訳ない&stype=0&dtype=0
================================引用開始
もうしわけ‐な・い〔まうしわけ‐〕【申(し)訳無い】
[形]
1 言い訳のしようがない。弁解の余地がない。相手にわびるときに言う語。「世間に対し?・い気持ちで一杯だ」「不始末をしでかして?・い」
2 相手に無理な依頼ごとをして、すまないという気持ちを表す語。「?・いが、あしたにしてもらいたい」
[派生] もうしわけながる[動ラ五]もうしわけなげ[形動]もうしわけなさ[名]
◆「申し訳」に「ない」の付いた複合形容詞で一語とするが、「申し訳」は名詞としても使うし、「申し訳がない」「申し訳が立たない」という言い方もある。従って丁寧に言おうとして「申し訳ありません」「申し訳ございません」と言うのを、一概に誤りとは言えないであろう。
================================引用終了
『明鏡国語辞典』にも「丁寧形の『申し訳ありません』『申し訳ございません』が多く用いられる」と明記されているそうです。
どうやら、「誤用」とするのは無理がありそうです。
とんでもありません/ございません
これも諸説あるところですが、平成19年に文化庁が「敬語の指針」で許容してしまいました。そのため、Web辞書『大辞泉』は下記のように書いています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=とんでもない&stype=0&dtype=0
================================引用開始
とんでも‐な・い
[形]《「とでもない」の音変化》
1 思いもかけない。意外である。「―・い人にばったり出会う」「―・い発明」
2 もってのほかである。「―・い悪さをする」
3 まったくそうではない。滅相もない。相手の言葉を強く否定していう。「―・い、私は無関係だ」
◆「とんでも」に「ない」の付いた形だが、「とんでも」が単独で使われた例はなく、「とんでもない」で一語と見るのがよい。とすれば、「ない」を切り離して「ありません」「ございません」と置き換えて丁寧表現とするのは不適切で、丁寧に言うなら「とんでもないことです」「とんでもないことでございます」「とんでものうございます」と言わなければならない。しかし、最近は「とんでもありません」「とんでもございません」と言う人が多くなっている。
平成19年(2007)2月文化審議会答申の『敬語の指針』では、相手からのほめ言葉に対して謙遜しながら軽く打ち消す表現として「とんでもございません(とんでもありません)」を使っても、現在では問題ないとしている。
なお、「とんでもない」には「もってのほかだ」と強く否定する意味もあり、「とんでもないことでございます」を使う場合は注意が必要と『指針』は述べている。
================================引用終了
これも、「誤用」とするのは無理があるようです。
ただし個人的には、「とんでもありません/ございません」には異和感があるので原則として使いません。
おそらく……「申し訳ありません/ございません」は元々誤用ではないのでしょう。「申し訳がありません」のように「が」を入れれば、何も問題がないはずです。
「とんでもありません/ございません」のほうは、元々は誤用ですが、許容されたのでしょう。
このあたりのことは、専門家におまかせします。
個人的には、「元々どうであったか」にはあまり興味が湧きません(「教養」としては知っておくべきでしょうが)。「現在どのように使われているか(使うべきか)」のほうが重要な気がするからです。
とんでもないです
「とんでもありません/ございません」は誤用で、「とんでもないです」が正しい、と書いてあるとサイトを見たことがあります。
これがまた微妙な話で、「形容詞+です」(「うれしいです」「楽しいです」など)を認めるか否か、という問題が関係します。昭和27年に文化庁が「形容詞+です」を許容してしまったため、現在の文法書や辞書は許容しているはずです。
当方はこの形に異和感があるので、原則的に使いません。
ただし、「形容詞+です」には異和感がない人でも、「ないです」には異和感があるのでは。これは「ありません」にするほうが自然で、「ないです、は間違い」と主張する人もいるようです。
この形には個人的に「とんでもありません/ございません」以上に強い異和感があるので原則として使いません。
文化庁のルールに従うなら、「とんでもありません/ございません」もOKです。「とんでもないです」も「誤用」とは言えないのかもしれません。
「~ない」形の形容詞はほかにも多数あります。
仕方ない/他愛ない/しようがない……etc.
このなかには「~ありません」「~ございません」にしてもおかしくないものもあります。すべてを同列に扱うことに無理を感じます。
詳しくは下記をご参照ください。
【「~ない」形の形容詞の迷宮】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1814.html
【よくある誤用7──よくある誤用7──ネットが広めた誤用 ご教授ください ご存知のとおり 直裁な言い方】
近年急速に広まっている誤用のほとんどは、ネットが関係している気がします。
なかには、ネット上のやり取りから生まれたと思われるものもあります。
ご教授ください
================================引用開始
微妙な例で真っ先に浮かぶのは、「ご教授ください」。
これは誤用で「ご教示ください」が正しい、と主張する人がいる。当方はそこまで主張する気にはなれない。
「教授」をネット辞書(『大辞泉』)で引く。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=教授&stype=0&dtype=0
きょう‐じゅ〔ケウ‐〕【教授】
[名](スル)
1 学問や技芸を教え授けること。「書道を―する」
2 児童・生徒・学生に知識・技能を授け、その心意作用の発達を助けること。
3 大学や高等専門学校・旧制高等学校などで、研究・教育職階の最高位。また、その人。「大学―」
〈[名](スル)〉になっているから、「教授する」は文法的には間違っていない。したがって、「ご教授します」も「ご教授ください」も間違いではない。
文法的には間違っていないが、一般的に使うか否かは別の話になる。
こうなると辞書は役に立たず、主観の問題になってくる。
個人的には、「ご教授ください」は使わないし、相当異和感がある。これを使うとしたら、偉い人が偉そうに語る場合。
「ご教授いたそう」
それは偉そうだな(笑)。専門的で高度な知識なら「ご教授」でもいい気がする。
ネットで使われる例は、「○○について教えてください」くらいの意味だから。「教えてください」で十分だと思う。「教えていただけませんか」くらいのほうが丁寧か。少し改まった感じにするなら「ご教示ください」だろう。
一般的に考えても、「ご教授」するからには、それなりの内容でなくては困る。辞書の「1」例にある「書道を教授する」はアリだろう。これは逆に「教示する」にはしにくい。
実際に目にする例だと、囲碁・将棋(これは「技芸」だろうか)だろう。その場合は「(一局)ご指南ください」「(一局)ご指南いたしましょう」とか言う。「指南」は少し語感が古いから、現代なら「指導」のほうが自然かもしれない。
「ご教授ください」が広まったのは、おそらくそのほうが「ご教示」より丁寧な印象があるみたいに誤解されたから。それがネットで使われるようになってとんでもないスピードで流布した。もはや止めようがない気がする。
こういう例はほかにもあるんだろうな。
================================引用終了
ご存知のとおり
================================引用開始
「存知」は言葉としては存在するが、「ぞんち」(もしくは「ぞんぢ」)と読む別の言葉。
「ご存知でしょうが」とするのは誤用と言ってしまっていいだろう。
ところが、この用例が異様に多い。グーグル検索で「ご存知」を検索すると、約17,500,000 件もある。
なかには、テレビドラマのタイトルまである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ご存知!旗本退屈男
これは、一部の変換ツールが「ごぞんじ」で「ご存知」と変換するからとしか思えない。当方はマイクロソフト系があやしいと睨んでいる。どなたか検証してください。
手元の『朝日新聞の用語手びき』の使い分けを確認した。いつもは表記の話だと真っ先にこれをひくんだけど、なぜかやっていなかった。単純な表記の問題と考えてなかったんだろうな。
「御」と「お」の使い分けに関しては記載がない。まあ、「お」にするものだろう。
「御」と「ご」の使い分けに関して。
〈接頭語〉は「ご」。これは「一般の接頭語」ということだろう。
ご縁/ご協力/ご多分に漏れず/ご本尊
〈接頭語のうち漢字で書く習慣が強いものや、固有名詞に近いもの〉は「御」。
御所/御前試合/御用邸……etc.
ちなみに、「ごぞんじ」に関しては単独の項目があり、〈御存知→ご存じ〉になっている。
今度は『記者ハンドブック』(共同通信社)をひく。「御」と「お」の使い分け、「御」と「ご」の使い分けに関してはほぼ同様。「ご」の用例のなかに「ご存じ」が入っている。
こう見ていくと、「ご存知」と書く理由はない。
================================引用終了
直裁な言い方
あまりにも誤用が多いせいか、Web辞書は「直截」の慣用読みとして「ちょくさい」を認めたようです。とは言え、「直裁な言い方」の類いまでは認めていません(これはさすがに認めないでしょう。当分の間は……)。
================================引用開始
これは問題の根が深い。
何よりの証拠に「直裁」で検索すると約278万件も(!)引っかかってくる。もちろん、正しく「直裁」の意味(「ただちに裁決する」くらいの意味)で使っている例もあるんだろうけど、そんなに使用頻度の高い言葉ではないから大半は誤用だろう。
「直裁」は意味が違うから、正しくは「直截」。「直截」で検索すると、約18.3万件。誤用の10分の1以下(笑)。
まず問題は「直截」をなんて読むか。一般には「ちょくさい」の気がする。それは慣用読みで、正しくは「ちょくせつ」。慣用読みにあれほど寛容(単なる偶然です。ダジャレのつもりはありません)で片端から無節操に採用しているIMEが、「ちょくさい」を採用していないらしい。Macintoshのことえりが採用していないことは少し前に気づいていた。今回のことから判断すると、MS-IMEも採用していない。そりゃダメだよ。「ちょくさい」だと思い込んでいる人が、変換して「直裁」しか出てこなきゃ、字が似ているから絶対この字が正しいと思っちゃうよ。
【20110226追記】
最近、「直裁」のほかに「直載」と書く例もふえているらしい。
http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=ja-jp&q=直載&ie=UTF-8&oe=UTF-8&redir_esc=&ei=n3FoTeq4CYbuvQOBh4DkAg
いまさらながら「直截」を辞書でひいてみた。Web辞書は「慣用読み」として「ちょくさい」を認めている。まあ、これだけ誤読が増えるとしょうがないよな。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/14730712185100/
===============
ちょく‐せつ【直×截】
[名・形動]《慣用読みで「ちょくさい」とも》
1 すぐに裁断を下すこと。また、そのさま。「―な(の)処置」
2 まわりくどくなく、ずばりと言うこと。また、そのさま。「簡明―な表現」
===============
■Web辞書(『大辞林』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=ちょくせつ&dtype=0&dname=0ss&stype=0&index=112878100000&pagenum=1
===============
ちょくせつ0 【直▼截】
(名・形動)
[文]ナリ
[1]まわりくどくないこと。ずばりということ。また、そのさま。
―簡明
語を出すに軽快にして―なる〔出典: 即興詩人(鴎外)〕
[2]ためらわずただちに決裁すること。
〔補説〕 「ちょくさい」は慣用読み
===============
================================引用終了
下記あたりも相当危うい気がします。これに関しては改めて。
すべからく
ほしいままにする
くみしやすい
詳しくは下記をご参照ください。
【ネットが広めた誤用……etc.──「教授する」か「教示する」か】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-869.html
【ネットが広めた誤用……etc.2──「ご存じのとおり」か「ご存知のとおり」か】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-903.html
【ちょっと気になる誤用の話──直裁ないいかたをする 直截 ちょくさい ちょくせつ 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-294.html
【よくある誤用8──よくある誤用8──読み方の問題 他人事(ひとごと/たにんごと) 善し悪し(よしあし/よしわるし) 十分(じゅうぶん/じっぷん/じゅっぷん) 】
読み方にかかわる誤用もけっこうあるようです。「雰囲気」は「ふんいき」か「ふいんき」か……なんてホニャララなことを書く気はありません。そんなものはどんな辞書をひいても簡単にわかるはずです。
他人事(ひとごと/たにんごと)
本来は「ひとごと」。近年は「たにんごと」と読んでも「間違い」とは言えないようです。
================================引用開始
Web辞書(全文は↓)を見ると、『大辞泉』は「たにんごと【他人事】」の項を立てて〈◆本来は「ひとごと」と読んだ語。〉としている。
『大辞林』は問答無用で「ひとごと」にふっている。ただし、「ひとごと」の説明の中に「たにんごと」とある。どう考えているのかよくわからない。
結論を書くと、「ひとごと」と読むのが一般的だろうが、もはや「たにんごと」を誤用とするのも無理だろう。自分では「ひとごと」としか読まないけど。「たにんごと」って言葉自体が、比較的新しい言葉だと思う。
================================引用終了
善し悪し(よしあし/よしわるし)
本来は「よしあし」でしょう(根拠が希薄なので断言はできません)。でも一部の辞書が認めている「よしわるし」を誤用とは言えません。
================================引用開始
【問題】
次の1)~4)のなかから「善し悪し」を「よしわるし」と読むことの解説として適切なものを選びなさい。
1)単なる誤用
2)最近Web辞書が広めた許容の例
3)古くから認められている読み方
4)その他
【解答?例】
不本意ながら3)です。
考えようによっては4)とも言えそうです。
「善し悪し」には、「善悪」という意味と「一長一短」という意味がある。ただ、「類似品の善し悪しを見分ける」のような例だと、どちらなのか微妙な気がするけど。
一部の辞書は、どちらの意味でも「よしわるし」とも読めるとしている。
一部の辞書は、「一長一短」という意味に限って「よしわるし」とも読めるとしている。
================================引用終了
十分(じゅうぶん/じっぷん/じゅっぷん)
常用漢字表が改訂される前は、「じゅうぶん」か「じっぷん」でした。一般には「じゅっぷん」と読む人が多くても、ルールとしては「じっぷん」。
子供が漢字のテストで「じゅっぷん」と書いて×にされた、と憤慨する親がいたとか……。
常用漢字表が改訂され、「じゅっぷん」も許容されました。教育現場が混乱しないのでしょうか。
================================引用開始
問題は「10分」。これは昔からよく話題になるテーマで、「じゅっぷん じっぷん」で検索すると山ほど出てくる。歴史的なことも踏まえた下記がわかりやすいかも。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=119628801&sort=1
問題を切り分ける必要はないのかな。
そもそも「10分」と「十分」って、読み方はおなじなの?(意味がかわる「じゅうぶん」に関しては考えない)
たとえば「一人」「一つ」を「ひとり」「ひとつ」と読むのはOKだが、「1人」「1つ」を「ひとり」「ひとつ」と読むのはおかしい、と主張する人がいる。一理あると思う。そういう主張をする人は「10分」をなんて読むのだろう。「10」は「じゅう」としか読まないだろう。少し無理すれば「とう」なんだろうな。
そんな意地悪を言ってもしょうがないから、「10分」と「十分」はほぼ同じということにしよう(笑)。
編集・出版業の常識として、「十分」を「じゅっぷん」と読んだら間違い。アナウンサーの現場では「じゅっぷん」も許容とか言われても困る。
歴史的なことはよくわからないが、常用漢字表を見れば明らか。「十」の読みは「ジュウ・ジッ・とう・と」しかないから、「じゅっぷん」にはならない。これは小学校の低学年で習うらしい。一般には「じゅっぷん」と言っている人が多いかもしれないが、だからと言って常用漢字表を無視してもらっては困る。学校教育は常用漢字表に準じているはずだし、編集・出版業だって、基本的には常用漢字表に従っている。
「実際にはこう言っている」なんてことを言いはじめると、「女王」はどうする「体育」はどうするという話になる。そーゆーことって書くのか、って話も出てくるし、はては最近は「ふいんき」と言う人が多いなんてヨタ話も出てくる(笑)。
ちなみに、「一人」を「ひとり」と読むのも変則的だが、これは常用漢字表の【付表】にあるから何も問題はない。
================================引用終了
これが古くからの考え方。ただし。2010年にルールが少しかわった。「十」に「ジュウ」「ジッ」のほかに「ジュッ」の音が加わった。あくまでも「許容」の形だが、今後はこちらが主流になる可能性が高い。
「改定常用漢字表」(「新常用漢字表」とも呼ばれる)(P.66)
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/kaitei_kanji_toushin.pdf
================================引用開始
ジュウ 十字架,十文字 十重二十重(とえはたえ) 二十・二十歳(はたち) 二十日(はつか) ジッ 十回 「ジュッ」とも。
とお 十,十日
と 十色,十重
================================引用終了
詳しくは下記をご参照ください。
【表記の話8──「他人事」「人事」「人ごと」「ひとごと」「たにんごと」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1941.html
【善し悪し よしあし よしわるし】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2232.html
【10分の読み方は「じっぷん」か「じゅっぷん」か、はたまた……】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1462.html
【よくある誤用9──それも誤用とは言えない 一所懸命/一生懸命 独壇場/独擅場 喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々
】
本来は○○だけど、△△も許容される……という例は多いようです。どちらが正しい形か、というのはもっともな疑問ですが、あまりこだわっても仕方がない気がします。
Yahoo!知恵袋に限っても、そういった質問が繰り返し登場していて食傷気味です。
一所懸命/一生懸命
これがイチバン知られているのでは。
本来は「一所懸命」。元々は土地を命懸けで……そのとおりです。
http://gogen-allguide.com/i/issyoukenmei.html
でも「一生懸命」が「間違い」ではありません。現代の出版物などは、ほとんどが「一生懸命」を使っています。
独壇場(どくだんじょう)/独擅場(どくせんじょう)
本来は「独擅場」でした。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412335714
でも「独壇場」が「間違い」ではありません。むしろ「独擅場」などと書いたら、そちらのほうが間違いと思われかねません。
喧々諤々/喧々囂々/侃々諤々
本来は「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々(かんかんがくがく)」です。意味は辞書をひいてください。
いつからか、両者も混交した「喧々諤々(けんけんがくがく)」が使われるようになりました。「それは誤用」と主張する人も多いようです。
でもちょっと待ってください。
『広辞苑』は、1991年の段階で「喧々諤々」を採用しています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-date-20120323.html
================================引用開始
『お言葉ですが…9) 芭蕉のガールフレンド』高島俊男
10-3-6 p.47~のテーマは〈ケンケンガクガク?〉。
『広辞苑』は1991年の第4版の段階で喧々諤々を採用しているらしい。フーン。ってことは、世間的には「喧々諤々」が誤用と言い切れなくなって20年近くたつのね。
================================引用終了
Web辞書『大辞泉』も「喧々諤々」を認めています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=けんけんがくがく&stype=0&dtype=0
================================引用開始
けんけん‐がくがく【×喧×喧×諤×諤】
[ト・タル][文][形動タリ]《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「―たる株主総会の会場」
================================引用終了
個人的には、さすがに「喧々諤々」は使いません。でも、「誤用」と主張する気もありません。こんなに古くから許容されているのですから、しかたがありませんって。
【よくある誤用10──もはや誤用とは言えない ごぼう抜き 檄を飛ばす 白羽の矢が立つ】
元々の意味を考えれば誤用なんだけど、もはや誤用とは言えなくなっている言葉の話。なんの役にも立たない……かもしれませんが、知っていて損はないでしょう。
下記の3例はいずれも本来は誤用ですが、テレビ、新聞などでもよくお目にかかります。
ごぼう抜き
駅伝の実況なんかでおなじみの表現ですが、元々は誤用です。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=ごぼうぬき&stype=0&dtype=0
================================引用開始
ごぼう‐ぬき〔ゴバウ‐〕【▽牛×蒡抜き】
1 牛蒡を引き抜くように、棒状のものを力を入れて一気に引き抜くこと。
2 多くの中から一つずつを勢いよく抜くこと。座り込みの人などを一人ずつ排除したり、人材を引き抜いたりする場合に用いる。また、競走などで、数人を一気に抜くことにもいう。「ピケ隊を―にする」「一〇人を―にして堂々入賞する」
================================引用終了
元々は、「1」の意味から派生した「2」の前半の意味で使われていました。「ピケ隊をごぼう抜きにする」……ここまで死語感(誤用?)が強い言い回しも珍しい。
駅伝などで使われる「ごぼう抜き」は「数人を一気に抜くこと」でしょう。元々は誤用でも、辞書にものっているし、広く使われています。でもちょっと待って。たとえば100mくらいの間に数人を抜くのは「一気に抜くこと」になるでしょう。10kmの区間で、1人抜き、2人抜き……結果的に10人抜いたとして、「一気に抜くこと」になってますかね。
檄を飛ばす
スポーツの試合で、ベンチの監督や控えの選手が指示や応援の声をかけることを「檄を飛ばす」などと言います。これは二重の意味で誤用です。これを「誤用」とする指摘は結構見るかもしれません。下記の辞書も「誤用」にしています。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=げき&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=05538300&pagenum=1
================================引用開始
げき【×檄】
1 古代中国で、召集または説諭の文書。木札を用いたという。めしぶみ。さとしぶみ。
2 自分の考えや主張を述べて大衆に行動を促す文書。檄文。ふれぶみ。
◆誤用が定着して、励ますこと、また、励ましの言葉や文書の意味でも用いる。
================================引用終了
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=げき&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=05538300&pagenum=1
================================引用開始
檄(げき)を飛(と)ば・す
自分の主張や考えを広く人々に知らせる。また、それによって人々に決起を促したりする。
◆誤用が定着して「がんばれと励ます」「激励する文書を送る」という意味でも用いられる。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味である「自分の主張や考えを、広く人々に知らせて同意を求めること」で使う人が19.3パーセント、間違った意味「元気のない者に刺激を与えて活気づけること」で使う人が72.9パーセントという逆転した結果が出ている。
================================引用終了
辞書の「檄を飛ばす」の説明は言葉足らずです。
「檄」(「檄文」もほぼ同義)は、大衆の決起などを促すための文書のことで、木札に書き記しました。木編がついているのはそのせいでしょう。「檄を飛ばす」は、その「檄」を各地に送ることを言いました。「檄」を使わずに、各地に送りもせずに、単に「自分の主張や考えを広く人々に知らせる」ことを「檄を飛ばす」というのは相当ヘンです。
現代の用法に戻って……。たとえば「維新の会」の代表が、地方の同士に決起を促す手紙を書けば、これは「檄を飛ばす」でしょう。
ベンチからの声援は、当然文書ではありませんし、決起も促していません。「激励」の「激」と「檄」を勘違いして使いはじめたのではないかと……。
とはいえ、「檄を飛ばす」は新聞などでもよく目にします。たいていは、「活を入れる」「声援を送る」の意味です。
白羽の矢が立つ
同じような意味で「白羽の矢を立てる」とか「白羽の矢が当たる」という使い方も見ます。「間違い」とは言えないのかもしれませんが、異和感があります。慣用句を微妙にかえると、非常に気持ちの悪い感じになります。
「白羽の矢が立つ」は、本来は犠牲者として選ばれることです。これがいつの間にか「抜擢」の意味で使われるようになりました。本来の意味で使っている例は見た記憶がありません。まあ大敗がほぼ決まっている選挙直前に選ばれる党代表の候補者なんてのは、本来の意味の「白羽の矢が立つ」かもしれませんが。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=白羽の矢&stype=0&dtype=0
================================引用開始
白羽(しらは)の矢が立・つ
《人身御供(ひとみごくう)を求める神が、その望む少女の家の屋根に人知れずしるしの白羽の矢を立てるという俗説から》多くの中から犠牲者として選び出される。また、一般に多くの中から特に選び出される。「社長候補として―・った」
◆文化庁が発表した平成17年度「国語に関する世論調査」では、「美術館建設の候補地として、この村に白羽の矢が当たった」という言い方が「気になる」と答えた人が58.3パーセント、「気にならない」と答えた人が35.3パーセントという結果が出ている。
================================引用終了
詳しくは下記をご参照ください。
【「好ましい日本語」をめぐって31くらい──「好ましくなった言葉」補足編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2449.html
「12」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【白羽の矢】
http://1311racco.blog75.fc2.com/?q=
下記がいいかな。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-36.html
================================
7-5
25日
早川が左手中指のけがで登録を抹消され、2軍で打率2位と結果を残していた角中に白羽の矢が立った。(21面)
これは「もう誤用とはいえない」例なんだろうな。少し前に朝日新聞の投書欄で、「本来は人身御供の意味で使う白羽の矢を……」みたいな意見を読んだ気がする。メモしとくんだった。そりゃごもっともなんだけど、もう無理でしょ。本来の意味で使ってる例なんて、記憶にない。まあ選挙惨敗後に起用される新首相なんてのは、本来の意味の「白羽の矢が立つ」なんだろうけど。そういうふうに「誤用」と決めつける意見を、なんの注釈もなく掲載する見識ってどうなんでしょ。あくまでも「誤用」とするのが社の方針なら、ほかの記事中でこういう使い方はしないでほしい。いくらでもほかに書き方はあるでしょ。「抜擢」とか。「お鉢が回る」ってはたぶん意味が違うんだろうな(それ以前に死語かな)。
================================
================================引用開始
ちょっと気になって「白羽の矢が立つ」に関して『大辞泉』に出ている〈平成17年度「国語に関する世論調査」〉を見てみた。あまりのムチャクチャぶりに言葉を失う。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h17/kekka.html
「9.使う言い方,気になる言い方」の(2)気になる言い方であげられている言葉は5つ。
(1)うそをついて〈あとで後悔した〉
(2)早起きして行ったのに,順番を〈一番最後〉にされた
(3)今年の〈元旦の夜〉は,みんなで初もうでに行こうよ
(4)その方法は,〈従来から〉行われていたやり方だ
(5)美術館建設の候補地として,この村に〈白羽の矢が当たった〉
これって何を訊きたいの? (1)~(4)までは重言の話。(5)も重言になるか考えたが、どう考えても重言ではない。手当たりしだいにあげたってこと?
(5)の気になる箇所の可能性は2つある。
1)「白羽の矢が立つ」をいい意味で使うのはOKか
2)「白羽の矢が立つ」を「白羽の矢が当たる」と言ってもOKか
当方は1)に関してはもうしかたがないかな、と思う。でも2)に関しては相当気になる。答えとしては「気になる」。答えた人はどこが気になったのだろう。
結論を書こう。2箇所問題のある設問をしたのでは、どんな結論が出ても参考にならない。「意味が違っていても」「形が違っていても」なんにも気にならないっていう●●の割合を調べたいのなら話は別だが。
================================引用終了
スポンサーサイト