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伝言板【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1

 お品書きはこちら。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-category-21.html

mixi日記2009年03月21日から

デス・マス体表UP

デス・マス体表切り抜き2MB


 デ・アル体とデス・マス体の文末を比較した表。(  )がついているのは、ヘンに感じられるので、自分で文章を書くときにはめったに使わないだろう、と感じるものです。「ヘンに感じられる」のは個人的な感覚にすぎないので、「使うべきではない」とは主張しません。なかには(だったデス)のように明らかにヘンなものもありますが、(高いデス)のように一般には許容されているものも含まれています。



 当方はデス・マス体が嫌いだ。
 ……ホントに嫌いなものが多い子だね。立派な大人になれませんよ。そんなものとうに諦めてますから。
 デス・マス体が嫌いな理由を書きはじめると、本が一冊書けてしまう。これが比喩でもなんでもないところが怖い。

 理由はいろいろある。デス・マス体で書いていると偽善的になる気がするのも大きいかもしれない。短い文章ならごまかせるが、長い文章をデス・マス体で書いているとウソを書いているような気がして、精神的にメゲてくる。
 まあ、それは個人的な感覚でしかない。デ・アル体で書くと気持ちが荒むって人もいるかもしれない。そんなことで言い争う気はない。

 一般論で言うと、デス・マス体が書きにくい最大の理由は、「い形容詞終止形」が使えないことではないかと思う。
 とりあえず、「赤い本」のコラムを引く。
 このコラムの前提になっているのは『日本語練習帳』が「ノデアル」「ノダ」を消せ、と書いてあること。文章を書くためのアドバイスを得ようとしてこの本を読むと、訳のわからない記述が多くて頭が痛くなる。そんななかで、数少ない有意義な教えだ。
 ただ、ちょっと言葉足らずだと思う。デ・アル体の「ノデアル」「ノダ」は極力消したほうがいい。同様にデス・マス体の「ノデス」もできるだけ使わないほうがいい。しかし文末に不自由を強いられるデス・マス体では、あえて「ノデス」を使うほうがいいことがけっこうある。
 そういうことに触れずに「ノデアル」「ノダ」を消せ、と書くのはマズい気がする。しかも、「高いデス」や「高いノデス」の形を使いたくないからか、デス・マス体で書かれている『日本語練習帳』には「い形容詞終止形」が頻出する。そういう態度はおかしいと思う。一般の人がそんな作文を書いたら、「間違い」ってしかられるんだから。


【Coffee Break】なぜデス・マス体は書きにくいのか■■■■■■■■■■■■■

●文法的には認められていても……

【練習問題5】
 次の文をデス・マス体に書きかえてください。

  この本は高い。

 本文では、デス・マス体とデアル体のどちらが書きやすいのかは「意見が分かれるところです」と書きました。もう少し正確にいうと、意見が分かれるところではあっても、「デス・マス体のほうが書きにくい」と感じている人のほうが多いようです。デス・マス体の文章が書きにくいといわれる理由は文末の問題だけではなく、語彙の問題もかかわってきます。ここでは、文末の問題に限ってもう少し見ていきましょう。
 デス・マス体の文末が単調になりがちな理由として、すでにあげたように次の3点が考えられます(このうち、3)はあまり一般性をもたないかもしれません)。
  1)動詞で終わる文末がすべてマス(過去形の場合はマシタ)になる
  2)「名詞+〇〇」の形がデス(過去形の場合はデシタ)の1種類しかない
  3)体言止めや変則形が使いにくい
 このほかに、文末を「~イ」(形容詞の終止形)にできないという点があり、これが最大の問題ではないか、と思っています。
 先の表の中で、形容詞を〈例外1〉にし、次の例をあげました。

  現 在 形           過 去 形
  デアル体  デス・マス体    デアル体  デス・マス体
  高い    (高いデス)    高かった  (高かったデス)

 この(高いデス)や(高かったデス)は文法的には認められているようですが、おすすめできない形です(現在形でも過去形でも性質に大きな違いはないので、ここから先は現在形に限って話を進めます)。
 理由はよくわかりませんが、(高いデス)は許容できなくても、「高いデショウ(カ)」「高いデスか」「高いデスね」「高いデスよ」といった形なら使ってもよい気がします。これとほぼ同じことがいえるのが、「やや特殊な例」であげた(ないデス)と、〈例外2〉であげた(会わないデス)(会いたいデス)です。
 この(高いデス)と(高かったデス)について、『日本語練習帳』には次のように書かれています。

================================
 現在、外国人に日本語を教える教科書ではほとんどすべてが、
  高いです   高かったです
  美しいです  美しかったです
と教えています。これは現代語の必要に応じる、将来広まっていい形なので、社会的
に認めていいと思います。
================================

 そう書きながら、著者自身は「~イデス」という文末を認めていないようで、「~イ」で止めている例が多く見受けられます。これはデス・マス体の中にデアル体が入り込むので、変則形の一種です。
 文法的には認められていても、言葉に敏感な人なら「~イデス」には抵抗を感じると思います。「~イ」で止める形を使うか、ほかの表現を選ぶかは別にして、「~イデス」は避けるはずです。
(高いデス)や変則形を避け、「この本は高い。」という文をデス・マス体にするには、次のような書きかえが必要になります。

  1)これは高い本です。
  2)この本は高いものです。
  3)この本は高価です。
  4)この本は安くありません。
  5)この本は高いノです。

 おそらく、1)がいちばん自然な書きかえです。2)は多少無理が感じられます。3)も自然な書きかえですが、適切な言葉が見つからない場合には使えません。たとえば、「この本はおもしろい。」の場合はどう書きかえればよいのでしょうか。4)はほとんど反則です。「高い」と「安くない」では意味が違ってきますし、適切な反義語がない場合には使えません。5)は文法的には問題がありませんが、ノをつけると「強調」の意味になってしまいます。そのため、機械的に書きかえることはできません。
 もう少し別の例で見てみましょう。
「太郎は目が悪い。」という文を同様に書きかえようとしてみます。
 1)と2)のような書きかえはできません。あえてやるなら「太郎は目が悪い男です。」かもしれませんが、明らかに文のニュアンスがかわってしまいます。3)の書きかえも、目が悪い原因がわからないと「近眼」「乱視」などの言葉が使えないので、適当な言葉が見つかりません。残っているのは、4)と5)です。

  4)太郎は目がよくありません。
  5)太郎は目が悪いノです。

 この書きかえがあまり望ましくないのは、すでに書いたとおりです。そうなると、「~ようです」や「~と思います」といったよけいな言葉をつけるなど、ほかの表現を考えなければなりません。デス・マス体の文章では、こういう理由からノデスを使ってしまうことが非常に多いノデス。

●それでもノを加えてはいけないのか
 ここで、先にあげた表で(  )をつけた文末をもう一度見てみましょう。ノを加えるとヘンでなくなるものがたくさんあることがわかります。

  (だったデス)         →だったノデス
  (ありませんデシタ)      →×
  (ないデス)          →ないノデス
  (なかったデス)        →なかったノデス
  (だっただろう)        →だったノだろう
  (だったでショウ)       →だったノでショウ
  (だっただろうか)       →だったノだろうか
  (だったでショウカ)      →だったノでショウカ
  (していただきたかったデス)  →していただきたかったノデス
  (してほしかったデス)     →してほしかったノデス
  (高いデス)          →高いノデス
  (高かったデス)        →高かったノデス
  (会いませんデシタ)      →×
  (会わないデス)        →会わないノデス
  (会わなかったデス)      →会わなかったノデス
  (会いたいデス)        →会いたいノデス
  (会いたかったデス)      →会いたかったノデス
  (いえよう)          →×
  (いえまショウ)        →×

 このなかには、本当はノを加えなくても問題がない文末もあるでしょう。ノを加えても「強調」の意味にならないものもありそうですが、大半は妙に力みの感じられる文末になります。
「(会った)ノデアル」や「(会った)ノダ」と同様に、「(会った)ノデス」や「(会った)ノデシタ」も「強調」の意味がないときには使うべきではないことは、すでに書いたとおりです。「名詞+ナノデアル」「名詞+ナノダ」「名詞+ナノデス」も同様でしょう。
「強調」の意味がない「名詞+ナノデス」は、「名詞+デス」にかえてしまえばよいので、簡単に修正できます。しかし、「強調」の意味がない「(会った)ノデス」を使わないというのは難問で、簡単には解決できません。「~マシタ」の形の文末が続くのを避けるために、「(会い)マシタ」と書くべきところを、「(会った)ノデス」にしている例も多いからです。同様に、「(本)デシタ」と書くべきところを「(本)ダッタノデス」にしている例もたくさんあります。
 デス・マス体の過去形で書かれた文章を、文末に注意して読んでみてください。文末が単調でない場合は、このような使い方をされているノが非常に多いはずです。
 デス・マス体の現在形で文章を書く場合にも、事情はさほどかわりません。文末に変化をつけるために、「(会い)マス」と書くべきところを「(会う)ノデス」の形にしている文章はいくらでもあります。
 本書のここまでの原稿を書く間にも、文末が単調にならないように、「強調」の意味がない「ノデス」を使いそうになったことが何度もありました。これはふだん文章を書いているときにも、常につきまとう問題です。デアル体はデス・マス体より文末の種類が多いとはいっても、同じような問題は出てきます。
 もちろん、そういう不自由さを理由に意味のないノを使うのは、言い訳でしかありません。それをわかってはいても、意味のないノを大目に見てもよいのではないか、と思うことがあります。
 もうひとつ付け加えたいのは、デス・マス体は、デアル体に比べて「強調」のノが目立ちにくいことです。『日本語練習帳』の中の文で見てみましょう。「III 二つの心得」の最後にあるコラム中の文章です(原文に【  】はありません)。

================================
 戦前しきりに小説を読んでいた私は、簡潔な名文を書く作家として志賀直哉を深く尊敬していました。当時、志賀直哉は小説の神様といわれていた【のです】。
 第二次大戦後アメリカは占領政策の一環として「教育使節団」を日本に派遣し、教育改革のために漢字使用の全廃、ローマ字などの表音文字専用への移行を勧告しました。日本のROMAJIKAIやカナモジカイはこれを歓迎し、新聞界、文部省と手を組んで国字改革を遂行した【のです】。その混沌騒然とした空気の中、昭和二一年四月、雑誌『改造』に志賀直哉は「国語問題」という三二〇〇字の文章を発表しました。
================================

 この文章で使われているノデスは、さほど不自然ではない気がします。「強調」が適切に使われているためなのでしょうが、はっきりとした理由はわかりません。これがデアル体の文章ならノデスがノダ(もしくはノデアル)になって「強調」の効果が鮮明になり、印象が違ってくると思います。
 仮にこの文章でノデスを使わないことを徹底し、「たのです」を「ました」にかえるとどうなるでしょうか。文章が非常に単調になることが、おわかりいただけるはずです。
 この問題を解決するためのヒントも、第2章で紹介します。


【3月31日追記】
この伝言板を書いたのは、もともとは下記のトピの補足です。
【「い形容詞終止形」+「です」について】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40879560&comment_count=15&comm_id=398881

「い形容詞終止形」+「です」が文法的に誤りとされる根拠などは、トピに下記のように書いています。

【6】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 個人的な意見を書く前に、とりあえず資料です。

1)文化庁は昭和27年の段階で「大きいです」「小さいです」の形を認めています。
http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2006/12/1206.html(リンク切れ)
http://www.bunka.go.jp/kokugo/main.asp?fl=show&id=1000007051&clc=1000000500&cmc=1000007024&cli=1000007044&cmi=1000007046(リンク切れ)

2)かの『日本語練習帳』(大野晋)には以下のように書かれています。
================================
 現在、外国人に日本語を教える教科書ではほとんどすべてが、
  高いです   高かったです
  美しいです  美しかったです
と教えています。これは現代語の必要に応じる、将来広まっていい形なので、社会的に認めていいと思います。
================================
 実際には違うのでしょうか。

【11】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 文化庁がなんと言おうと、大野普がなんと書こうと、文法的に正しいかと言えば、「正しくない」が正解だと思います。あくまでも「許容」でしょう。ちなみに大野晋はデス・マス体を使って書いたあの本であのように書きながら、自分ではそんな形は使わず(当然です)に「い形容詞終止形」を多用しています。

 文法的な解釈を確認したい方は、下記をご参照ください。『日本語の作文技術』(本多勝一)の読書感想文からの抜粋です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1027377833&owner_id=5019671

================================
【引用部】
 助動詞の「ダ」と「デス」は、中学生の文法書などに明示されているとおり、接続は次の三種に限られる。
 1)体言(名詞・数詞等)に。
 2)「の」などの助詞に。
 3)未然形と仮定形だけが、動詞・形容詞および動詞型活用の助動詞・形容詞型活用の助動詞・特殊活用型の助動詞の、それぞれ連体形に。
  ということは、用言(活用する語)のあとに「ダ」や「デス」の連用形・終止形・連体形は接続しないということである。(P.223)

「第八章 無神経な文章」の6番目のテーマは「サボリ敬語」。「あぶないです」の類いが誤用である文法的な根拠はこれでよいのだろうか。
 はっきり申しまして、当方の文法に関する能力を超えている。整理を試みてみようか。断定の助動詞の助動詞「ダ」「デス」の活用は、以下のとおり。
  未然   連用   終止   連体   仮定   命令
  でしょ  でし   です   (です) -    -
  だろ   だっ/で だ    (な)  なら   -
 未然形と仮定形は許されるのだから、「危ないでしょう」(未然)、「危ないだろう」(未然)、「危ないなら」(仮定)は文法的に問題がないことが判る。しかし、「危ないですか」「危ないですね」「危ないですよ」など、終止形でも口語的ニュアンスが強い表現なら許される根拠にはなりようがない。だから文法って嫌い。
 この用法の話が「サボリ敬語」というテーマで出てきたのは、要は「うれしうございます」が正しく言えないから「うれしいです」になる、という趣旨。それは判る。しかし現代の標準的な言葉として、「あぶのうございます」とか「たこうございます」を正しいと主張するのは無理がある。問題は、「危ないです」「高いです」が美しくないなら、どうすれば使わないで済むかということ。これは超難問。

【15】■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>12

>明快で胸のすく解説です。

 とんでもありません(やはり誤用でしょうね)。滅相もありません(これだと微妙?)。
 何か誤解があると思います(笑)。
「明快で胸のすく解説」をしているのは『日本語の作文技術』です。
 当方は「そんなこと言われてもわかんないよ」とオロオロしながら、文法書を繙いただけです。

「い形容詞終止形」+「です」に関しては、何年も前から悩んでいて、わからないままです。
 新聞なんかはうまいことごまかしているようです。典型的なのは、高校野球の 記事です。
 下記のトピで少し書きました。

【「申し訳ございません」は誤用でしょうか?】(18あたりから)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31310695&comment_count=0&comm_id=6251

 デス・マス体の悪口を書きだすとキリがなくなります。
「い形容詞終止形」+「です」に限ってもとうてい2000字ではおさまらないので、日記に「伝言板」を設けました。お時間のあるときにご参照ください。

伝言板【板外編6】デス・マス体が書きにくいワケ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671

 関連日記は下記あたり。
【板外編7】デス・マス体が書きにくいワケ1(No.277)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1114634130&owner_id=5019671
【板外編7-2】デス・マス体が書きにくいワケ2(No.327)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-327.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1129808325&owner_id=5019671
【板外編7-3】デス・マス体が書きにくいワケ3(No.350)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-350.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1156101470&owner_id=5019671
【デス・マス体が書きにくいワケ4──デス・マス体のナゾを考えるヒント】(No.1424)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1424.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1539218404&owner_id=5019671
【デス・マス体の文末に変化をつける方法】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1830.html

698)【「形容詞+です」──何回目だろう】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2312.html

832)【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417.html

※『日本語練習帳』に関して詳しくは下記参照。
【読書感想文/『日本語練習帳』(大野晋/岩波新書/1999年1月20日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1426.html

【追記】
 ヒデえなぁ。
〈文化庁は昭和27年の段階で「大きいです」「小さいです」の形を認めています。 〉の根拠になるリンクが2つとも切れている。油断も隙もない(泣)。
 代わりになりそうなのは……2007年の「敬語の指針」の28ページの下記の部分かな。
================================
4 丁寧語
「です「ます」を付ける上で留意を要する点は特にない。( 高いです。」のように形容詞に「です」を付けることについては抵抗を感じる人もあろうが,既にかなりの人が許容するようになってきている。特に「高いですね「高いですよ「高いですか」などという形で使うことに抵抗を感じる人はほとんどいないであろう。)
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【20120209追記】
 古いデータを引っ張りだす。
 2000年8月13日の日記から。

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 最近新聞を読むときに、コメントの語尾が気になってしかたがない。以前はデアル体一本槍だったような気がするが、最近は微妙にデス・マス体をまぜている。昨日の朝日新聞朝刊に格好の題材が載っているので、全文を引く。スポーツ面の「がんばれ後輩」というコラムで、甲子園球児に対して送った西武の松坂大輔のエール。

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 プロになっても、やっぱり高校野球は気になります。神奈川大会の決勝へ行き、横浜を応援したけど、久しぶりに興奮した。去年は観戦に行った時に負けたので、今年は勝って本当に良かった。差し入れを考えるのも楽しみです。
 今も心がけていますが、夏場は体調管理に気をつけないといけない。水分補給も大事だけど、あまりごくごくと飲み過ぎてもいけない。普段通りに過ごすことが大切です。いい思い出になるのも、ならないのも、本人次第。自分のプレーができるように、みんながんばってほしい。
================================

 文末だけを順にあげてみる。
 なります/興奮した/良かった/楽しみです/いけない/いけない/大切です/本人次第/ほしい
 1番目が「なりマス」で2番目が「興奮しタ」になっている理由は判らない。
 その点を別にすると、コメントに見られる特徴はだいたい次のようになる。
1)形容詞などの語尾の「~イ」は、そのままいいきる(「よかったデス」だの「いけなイデス」はやはり日本語ではない)
2)「イデス」の類いを用いるときには「ね」などをつけて不自然さをぼかす(これは、この松坂コメントにはない)
3)「ダ」「デアル」は用いない(さすがに偉そうだもんな)
4)体言止めは多用しない
 4)の問題が、昔の印象と異なる。かつては、やたらと体言止めが目立っていたはず。コメント(話し言葉)で体言止めを使うのはホンマに特殊な例なのに、バッカじゃなかろうかと思っていた。あれは「ダ」「デアル」を使わないための苦肉の策だったんだろうな。
================================


【追記】
 こんなものがいつの間に……(笑)。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/joho/kakuki/01/tosin06/index.html
================引用開始
7 形容詞と「です」

 これまで久しく問題となっていた形容詞の結び方――たとえば,「大きいです」「小さいです」などは,平明・簡素な形として認めてよい。
================引用終了


【20140719追記】「赤い本」のP.53〜から。
●「デス・マス体」の文末が単調になる理由

【練習問題4】
 デス・マス体がデアル体に比べて文末が単調になりやすい理由を2つ考えてください。

 文末の問題は第2章であらためて取りあげるので、ここではデス・マス体と文末の関係を考えてみます。
 デアル体とデス・マス体のどちらが書きやすいのかは、意見が分かれるところです(デアル体とデス・マス体の違いに関しては★ページ参照)。しかし、文末の問題に限れば、デス・マス体で書くときのほうが不自由を強いられます。
 これはなぜなのでしょうか。文章を書き慣れている人には常識的なことかもしれませんが、しばらく理屈っぽい話にお付き合いください。
 デアル体とデス・マス体の文末は、おおむね冒頭の表のようになります。

 この表を見ると、デス・マス体の文末が限られる原因がわかるはずです。
 なお、表中の()をつけた文末は原則として除外して考えます。これらの文末は、ヘンに感じられるので、自分で文章を書くときにはめったに使わないだろう、と感じるものです。「ヘンに感じられる」のは個人的な感覚にすぎないので、「使うべきではない」とは主張しません。なかには(だったデス)のように明らかにヘンなものもありますが、(高いデス)のように一般には許容されているものも含まれています。
 いずれにしても、()をつけた文末と同じ形がほかの文末にあるので、除外しても問題がないでしょう。ここでは、デス・マス体の文末は種類が限られることを問題にしているからです。

 まず、現在形から見てみましょう。
 デス・マス体の現在形を使うと、原則として文末は「名詞+デス」か動詞(マス)です。デアル体の場合、「名詞+デス」に相当する形は「名詞+デアル」と「名詞+ダ」の2つの形があります。文末が動詞になるときも、デアル体が「会う」「書く」「出す」など何種類かあるのに対して、デス・マス体は「会いマス」「書きマス」「出しマス」というようにマスしかありません。
 デス・マス体の文末には、デス、マスのほかに次のものがあります。
  ・マセン
  ・ショウ
  ・ショウカ
  ・クダサイ
 この4つのうち、ショウ、ショウカ、クダサイは、むやみに使うことはできません。ノデスが「強調」の意味をもっているように、ショウやショウカやクダサイも、それぞれの意味をもっているからです。
〈例外1〜3〉は、説明の都合で例外扱いにしました。いずれも、文末の形はすでにあげたものと同じになるので、例外にしても大きな問題はないはずです。例外にした理由に簡単にふれておきます。

〈例外1〉(形容詞)
 無数にある形容詞の代表として「高い」をあげておきました。デス・マス体の(高いデス)や(高かったデス)が許容されるかされないかは大きな問題で、この点については★ページであらためて取りあげます。
〈例外2〉(動詞の語尾変化)
 動詞の語尾変化によって文末がかわる例の代表として「会う」をあげておきました。「動詞で終わる形」であげたすべての動詞の語尾変化をいちいち書いていくと煩雑になるからです。
〈例外3〉(文語調)
(いえよう)(いえまショウ)はまさに例外で、この表現については★ページでふれます。

 次に、過去形を見てみましょう。
 デス・マス体の過去形は、基本的にデシタとマシタの2種類しかなく、文末に変化などつけられるはずがありません。そのため、過去の出来事をデス・マス体で書こうとすると、とくに文末が単調になってしまいます(解決のためのヒントは★ページで紹介します)。
 デアル体の動詞の文末が何種類もあるのは見せかけで、実質的には1種類しかない。その証拠に、過去形にすると「会っタ」「書いタ」「出しタ」と同じような形になる……という考え方もできるかもしれません。しかし、たとえ見せかけでも印象には大きな違いがあります。デアル体の場合は、同じ形になるのはタの1文字だけです。一方、デス・マス体の場合は「会いマシタ」「書きマシタ」「出しマシタ」とマシタの3文字が同じ形になります。それだけでも、印象が違うはずです。しかも、デアル体の動詞の過去形も同じようになるとはいっても、「会っタ」「死んダ」とタとダの2種類があります。
 文末に変化をつけるために用いられることが多いのは、次のような形です。

〈体言止め〉
 体言止めについては第2章(★ページ)を参照していただくとして、ここでは、デス・マス体と体言止めの関係について書いておきます。
 個人的な感覚にすぎませんが、体言止めは、デス・マス体の文章にはなじみにくいのではないでしょうか。デス・マス体で書かれた文章の中に、体言止めが使われている例はよく目にします。うまく使われていれば、違和感もありません。しかし、自分では使いこなす自信がないので、極力使わないようにしています。
 なぜそう感じるのか、あまり説得力をもたないことは承知のうえで、説明を試みてみましょう。
 一般に、デス・マス体とデアル体には次のような違いがあるといわれます。
  デス・マス体  デアル体
  ていねい    やや乱暴
  説明調     論説調
  冗漫      簡潔
 一方、体言止めはリズミカルに文章を切るような効果をもっていて、文章が軽快な感じになります。ほかにもいろいろな形容のしかたがありますが、おおむねこのような感じでしょう。
 このデス・マス体の「ていねい」「冗漫」という特徴と、体言止めのリズミカルで軽快な調子が、どうにも合わない気がします。「だから使わないほうがいい」と主張するつもりはありません。あくまでも、自分では極力使わないように心がけているだけのことです。次にあげる変則形のなかにも、同様の理由でデス・マス体の場合は使いにくいものがある気がします。

〈変則形〉
・会話体の語尾で終わる
「〜ね。」「〜よ。」「〜よね。」など。やさしい感じがする半面、読み手をバカにしている感じになることもあります。
・助詞で終わる
「〜とか。」「〜にも。」「〜も。」「〜に。」「〜を。」など。
・「〜が。」で終わる
「助詞で終わる」パターンの一種ですが、性質がやや異なるので別に分類しておきます。この形は2種類に大別できるでしょう。一般的なのは倒置を利用したもので、変則形のなかでは比較的簡単に使えます。結論を言外に含ませる「〜が。」は使い方がむずかしく、『日本語練習帳』(「III 二つの心得」の本文の最後)で紹介されているのは、例外的な好例です。
・「……。」で終わる
「……」の前にはさまざまな言葉が使えます。「〜が。」で終わる形と併用した「〜が……。」の形や「A、B、C……。」と名詞を並べた形、「〜ですから……。」「〜でしょうか……。」などがよく目にする例です。
・デス・マス体の文末の中にデアル体の文末をまじえる
 逆に、デアル体の文中にデス・マス体の文末をまじえる場合もあります。一般的には悪い文章の典型とされ、使いこなしの難度がとくに高い形です。
・過去形に現在形をまじえる
 過去形で書かれた文章は、デス・マス体でもデアル体でも、どうしても文末が単調になりがちです。そこで、ときおり現在形をまじえて変化をつけるという手法があります。小説では当たり前の手法ですが、一般の文章ではあまり安易には使わないほうが無難です。

 目にする機会が多い変則形をあげてみました。
 これらの変則形の使い方が、デス・マス体の文章の文末に変化をつけるためのポイントになる気がします。デス・マス体の文章を、文末に注意して読んでみてください。リズムがあって単調に感じられない場合は、変化をつけるために変則形がうまく使われているはずです。
 変則形を自然に使いこなせれば、デス・マス体の文章でも文末に苦しむことがなくなるのかもしれません。しかし、適度に使えば文章にアクセントをつける効果があっても、多用すると見苦しい文章になります。「適度」と「多用」の境目を、論理的に説明するのは困難です。実例をあげる方法もありますが、文章全体の雰囲気を伝えるために非常に長い引用が必要になります。さらにいえば、実例をあげても感覚的な問題になる部分も多いため、あまり役には立たないはずです。
 どうしても使い方を知りたい人には、『日本語練習帳』が参考になるかもしれません。デス・マス体で書かれている同書には、非常に多くの変則形が使われています。たとえば、「まえがき」の2つ目の段落は次の文章です。

  どんな心構えをもって、どんなことに気をつければいいのか。よい日本語を書くと言われる人たちはどんなことをしてきたのか知りたい。そういう希望に対して、世に文章読本とか、作文技術とかいう本がたくさん書かれています。見るとそれぞれ立派な案内書です。大事なことが書いてある。中には具体的に細かい技法まで示すものもあります。

 6つの文末のうち、3つが変則形(デアル体)になっています。この文章の文末をすべてデス・マス体にすると、かなり感じが変わってくるはずです。
 前のほうの2つはよく見る形で、書き手以外の第三者の意見を挿入するときなどに使われます。デス・マス体の短い文が続く中に唐突にデアル体が出てくる「大事なことが書いてある。」は、珍しい形です。「大事なことが書いてあります。」にすると非常に単調な感じになるところに、デアル体をまじえて変化をつけています。
 しかし、こういった手法を安易にマネることはおすすめできません。使い方の呼吸がわかっていないと、先に書いたように「悪い文章の典型」になってしまいます。
 基本的には、変則形の文末は避けるほうが無難です。使うとしても、乱用せずに「ここぞ」というところに使ってこそ効果があります。とはいっても、体言止めを使うことにすらためらいを感じているレベルの書き手には、比較的使いやすい倒置の「〜が。」を使うのが精一杯ですが……。


【表のテキスト】
      現 在 形       過 去 形
デアル体 デス・マス体 デアル体 デス・マス体

●「名詞+〇〇」で終わる形
デアル デス であった デシタ
ダ だった (だったデス)
●動詞で終わる形
会う 会い 会った 会い
書く 書き 書いた 書き
出す 出し 出した 出し
立つ 立ち 立った 立ち
死ぬ 死に  マス 死んだ 死に  マシタ
飲む 飲み 飲んだ 飲み
乗る 乗り 乗った 乗り
泳ぐ 泳ぎ  泳いだ 泳ぎ
遊ぶ 遊び 遊んだ 遊び
●やや特殊な形
ない ありマセン なかった (ありませんデシタ)
(ないデス) (なかったデス)
だろう でショウ (だっただろう) (だったでショウ)
だろうか でショウカ (だっただろうか) (だったでショウカ)
していただきたい してクダサイ していただきたかった (していただきたかったデス)
してほしい してクダサイ してほしかった (してほしかったデス)
しなさい − − −

〈例外1〉(形容詞)
高い (高いデス) 高かった (高かったデス)
〈例外2〉(動詞の語尾変化)
会わない 会いマセン 会わなかった (会いませんデシタ)
(会わないデス) (会わなかったデス)
会いたい (会いたいデス) 会いたかった (会いたかったデス)
会え − − −
会おう 会いまショウ − −
〈例外3〉(文語調)
(いえよう) (いえまショウ) − −
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テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 推論

 ○○さん、こんにちは。
 コメントを「管理人のみ閲覧」にしなければならない理由がありますか?
 この状態では、↑のように呼びかけひとつできません。
 他者が読んでも何がなんだかわからないでしょう。
 このあとどんなに有意義なやり取りがあっても、今後流用するのもむずかしくなります。
 全体公開にしていただけませんか。
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