「お疲れさまです/でございます」「ご苦労さまです/でございます」
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671
mixi日記2013年04月09日から
これを現段階の結論にしたい。
目上の人に対しては「お疲れさまです/でございます」が無難です。
「ご苦労さまです/でございます」は×とされています。
詳しくは下記をご参照ください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n126655
以下は一部の抜粋(重言)。
ご苦労さま/ご苦労さまです
相手の苦労や労力に対するねぎらいの言葉とされます。諸説あるようですが、目上に対しては基本的にNG。どうにも上から目線のニュアンスがあります。
時代劇でお殿様が家来をねぎらう「ご苦労であった」が典型的(実際にはこんな言い方はしなかったという説も)。
お疲れさま/お疲れさまです
では目上にはどう言えばいいのかが悩ましい。
会社内なら、「お疲れさまです」あたりが一般的でしょう。これも本来はねぎらいの言葉だから目上に使うべきではない、という説もあります。そのとおりですが、ほかに適切な言い回しがないもので。「ありがとうございます」をすすめる人もいますが、これは何かをしてもらったとき限定でしょう。
たとえば、時間外に廊下で重役と出くわしたとします。「ありがとうございます」は明らかにヘンなので、黙礼するくらいでしょうか。「お疲れさまでございます」などと言うと、「それは本来は……」と説教される可能性があります。
「お疲れさまです」は、同格以下に対しても使えます。
「お疲れ」→「お疲れさま」→「お疲れさまです」→「お疲れさまでございます」
くらいの順で敬度が高くなります。
ご苦労さまでございます
目上に対しては丁寧に「ご苦労さまでございます」と言えばいい、という説も見聞します。
あまり鵜呑みにしないほうがよいでしょう。「目上に対してご苦労なんてけしからん」と考えているお偉いさんが、目下の者に「ご苦労さまでございます」と言われたら、「その言い方なら丁寧だから許す」と考えると思いますか?
つまり、「ご苦労さまでございます」ならOK、というのは身勝手な論理です。
昔は任侠映画などで、出所した幹部を迎えに行って「お務め、ご苦労さまでございます」と言うシーンがあったような……。あれが許されるのはどういう理屈なんでしょう。現代の言葉にうるさい幹部に言ったら殴られるんでしょうか(笑)。
詳しくは下記をご参照ください。
突然ですが問題です【日本語編2】──「お疲れさまです」「ご苦労さまです」 解答編
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1300.html
国立国語研究所のサイトや、「敬語の指針」もこの問題にふれている。
全文は↑のリンク先参照。
結論部だけ転載しておく。
●国立国語研究所
http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/27/05/
================引用開始
最近では,派遣会社の社員研修などで職場の常套(じょうとう)的なあいさつ言葉として,「お疲れさまです」を教えていると聞きます。朝会ったばかりの人やメールの書き出しに必ず使う,ということのないよう,状況を考えて場面により使い分けることが必要です。出先から戻った同僚に気持を込めて「お疲れさまでした」と言えば,疲れも癒(いや)されるということではないでしょうか。
================引用終了
●「敬語の指針」(P.45~46)
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf
================引用開始
要するに,時間外に仕事を教えてくれた上司に対しては,「御苦労様でした」というねぎらいの言葉ではなく,「ありがとうございました」と感謝の気持ちを表す言い方に変えた方が良く,一緒に書類作成に追われていた上司に対しては,「お疲れ様でございました」と,気持ちを込めて表現すれば良いわけである。
ただし,このような定型的な表現ではなく,例えば「おかげ様で仕事が少し分かるようになってきました。」などと,別の観点に立った表現を使うことで,上手に自分の気持ちを相手に伝えることも可能である。
================引用終了
「敬語の指針」の最後の段落部は正論だけど、わざわざこんなことを書く意味があるのですかね。
それができるなら誰も苦労はしません。「可能ではある」けど、独自の言い方をするのがむずかしいから、こういう「定型的な表現」が求められているのでは。その「定型的な表現」のなかで何が適切か、何が無難かということを説明した結論がこれって……。
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mixi日記2013年04月09日から
これを現段階の結論にしたい。
目上の人に対しては「お疲れさまです/でございます」が無難です。
「ご苦労さまです/でございます」は×とされています。
詳しくは下記をご参照ください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n126655
以下は一部の抜粋(重言)。
ご苦労さま/ご苦労さまです
相手の苦労や労力に対するねぎらいの言葉とされます。諸説あるようですが、目上に対しては基本的にNG。どうにも上から目線のニュアンスがあります。
時代劇でお殿様が家来をねぎらう「ご苦労であった」が典型的(実際にはこんな言い方はしなかったという説も)。
お疲れさま/お疲れさまです
では目上にはどう言えばいいのかが悩ましい。
会社内なら、「お疲れさまです」あたりが一般的でしょう。これも本来はねぎらいの言葉だから目上に使うべきではない、という説もあります。そのとおりですが、ほかに適切な言い回しがないもので。「ありがとうございます」をすすめる人もいますが、これは何かをしてもらったとき限定でしょう。
たとえば、時間外に廊下で重役と出くわしたとします。「ありがとうございます」は明らかにヘンなので、黙礼するくらいでしょうか。「お疲れさまでございます」などと言うと、「それは本来は……」と説教される可能性があります。
「お疲れさまです」は、同格以下に対しても使えます。
「お疲れ」→「お疲れさま」→「お疲れさまです」→「お疲れさまでございます」
くらいの順で敬度が高くなります。
ご苦労さまでございます
目上に対しては丁寧に「ご苦労さまでございます」と言えばいい、という説も見聞します。
あまり鵜呑みにしないほうがよいでしょう。「目上に対してご苦労なんてけしからん」と考えているお偉いさんが、目下の者に「ご苦労さまでございます」と言われたら、「その言い方なら丁寧だから許す」と考えると思いますか?
つまり、「ご苦労さまでございます」ならOK、というのは身勝手な論理です。
昔は任侠映画などで、出所した幹部を迎えに行って「お務め、ご苦労さまでございます」と言うシーンがあったような……。あれが許されるのはどういう理屈なんでしょう。現代の言葉にうるさい幹部に言ったら殴られるんでしょうか(笑)。
詳しくは下記をご参照ください。
突然ですが問題です【日本語編2】──「お疲れさまです」「ご苦労さまです」 解答編
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1300.html
国立国語研究所のサイトや、「敬語の指針」もこの問題にふれている。
全文は↑のリンク先参照。
結論部だけ転載しておく。
●国立国語研究所
http://www.ninjal.ac.jp/products-k/kokken_mado/27/05/
================引用開始
最近では,派遣会社の社員研修などで職場の常套(じょうとう)的なあいさつ言葉として,「お疲れさまです」を教えていると聞きます。朝会ったばかりの人やメールの書き出しに必ず使う,ということのないよう,状況を考えて場面により使い分けることが必要です。出先から戻った同僚に気持を込めて「お疲れさまでした」と言えば,疲れも癒(いや)されるということではないでしょうか。
================引用終了
●「敬語の指針」(P.45~46)
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf
================引用開始
要するに,時間外に仕事を教えてくれた上司に対しては,「御苦労様でした」というねぎらいの言葉ではなく,「ありがとうございました」と感謝の気持ちを表す言い方に変えた方が良く,一緒に書類作成に追われていた上司に対しては,「お疲れ様でございました」と,気持ちを込めて表現すれば良いわけである。
ただし,このような定型的な表現ではなく,例えば「おかげ様で仕事が少し分かるようになってきました。」などと,別の観点に立った表現を使うことで,上手に自分の気持ちを相手に伝えることも可能である。
================引用終了
「敬語の指針」の最後の段落部は正論だけど、わざわざこんなことを書く意味があるのですかね。
それができるなら誰も苦労はしません。「可能ではある」けど、独自の言い方をするのがむずかしいから、こういう「定型的な表現」が求められているのでは。その「定型的な表現」のなかで何が適切か、何が無難かということを説明した結論がこれって……。
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