表記の話15──「違和感」「異和感」
下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671
mixi日記2013年07月18日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1907450065&owner_id=5019671
●表記に関する話 お品書き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503&comm_id=1736067
「違和感」か「異和感」か。
これは単純な表記の話と考えるべきではないかも。
一般的な表記は「違和感」。用字用語集の類いも、辞書の大半もこちらにしている。だからと言って「異和感」は間違い、などと断言すると単なる無知になる。
まず、「違和」と「違和感」をWeb辞書でひく。今回は事情があって、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】
[1] 身心の調和が破れること。
―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
―を感じる
================引用終了
『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
こういうホニャララな話は食傷気味なので、あまりかかわりたくない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104949720
ひとつ注意してほしいのは、元々「違和」は「体の不調」を表わす言葉だったらしいってこと。そこから派生して「雰囲気」の食い違いなどに使われるようになったらしい。これが「違和感」になると、なぜか「体の不調」とは関係なくなる……このあたりは多分に推測です。
ネットで検索すると下記がヒットした。
【『異和感』 と 『違和感』 どちらを使ってますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089923065
================引用開始
レセプトの正式な病名で異和というのがあります。一般的には違和かもしれませんが(変換しても違和になりますし)、医療用語としては異和でしょう。
================引用終了
医療の現場では「異和」「異和感」が一般的らしい。「違和/異和」が元々「体の不調」と関係したことと関係があるのかないのか、当方には判断できない。
『大辞林』と『大辞泉』は採用していないが、下記は「異和感」の表記を認めている。
wablio
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%95%B0%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
違和感
読み方:いわかん
異和感 とも書く
================引用終了
当方の個人的な話をすると、個人的な文章で「異和感」と書くようになってもうウン十年もたつ。元々何で見たかは覚えていない。当時、辞書を何冊かひいて、「異和感」の表記は一般的ではないが間違いではないことは確認している。
ちょっと屁理屈をこねると、「違う」わけではないけど、なんとなく「異様」で、「異常」「異状」を感じるから「異和感」のほうがシックリくる。もちろん、一般の用字用語集に類いは「違和感」になっているから、フツーの仕事では「違和感」を使う。
ネット検索すると、まじめに調べている人がいる。
一番信用できそうなのは下記だろう。 全文は末尾に。
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819
「異和感」を使う識者は多いらしい。そのこと自体にはあまり意味はない。よほどの人物が明らかに意識して使っているのでなければ、なんの根拠にもならない。
ネットの書き込みを見ると、村上春樹は「異和感」と書くらしい。だから「異和感」もアリ、なんてことは言えない。それは芸術文の話だから。
いろいろな言葉遣いなどに関して、森鴎外や夏目漱石が使っていたからアリなんて論調も目にするが、個人的にはそういう考え方には賛成できない。それも芸術文の話だから。まあ、あの時代なら文豪を根拠にするのもアリなのかなぁ、って気もするけど……。
現代なら、辞書や新聞を調べるほうがよほど確かだろう。
〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉らしい。いったい何百の辞典を確認したら、「すべての辞典」なんて書けるんだろう。この本は2005年の発行のはず。
ウーン。当方の記憶では昔の辞書で見たんだけどなぁ。
〈『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されている〉とのこと。文化庁、しっかりしろー。
〈『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ〉ているって。Wikipediaによると、初版は1972年12月 - 1976年3月発行で、第二版は2000年12月 - 2002年12月。文化庁ダメダメじゃん。
注目したいのは《注1》。
================引用開始
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
================引用終了
この人の主観だとすると、あまり意味がない。「医学界では異和感が一般的」と書いてくれれば、ある程度の意味があるのにー。
いろいろ調べた結果↑のサイトにたどりついたと記す下記のブログはおもしろい。こういうのを「大恥」とは言わない。書き手の態度の潔さには清々しいものを感じる。
【大恥をかいた話ー他の人のブログに驚きました】
http://ameblo.jp/muridai80/entry-11405238509.html
貴重な記述がある。『日本国語大辞典』初版には「異和感」は立項されていないらしい。ということは、「異和感」は比較的新しく認められた表記らしい。
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
当方がウン十年前に見た辞書はなんだったのだろう?
【「表記の話」のバックナンバー】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html
【20140522追記】
文中の〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉の根拠が抜けている。
mixi日記にコメントをもらった下記なのかもしれない。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2013_3_18_501.html
下記が詳しいだろう。
【ことばのメモ帳】
http://uratashima.seesaa.net/article/23416219.html
そうか。『言葉に関する問答集 総集編』は1995年なのね。そうなると、『日本国語大辞典』の話はズレるのかもしれない。
================引用開始
2006年09月07日
「異和感」の人々―百姓読み、誤字(2)
何故かしばしば、「違和感」「違和」ではなく「異和感」「異和」という表現を使う(使いたがる)識者があって、それがやや気になるときがある。以下にその二例を挙げる。
ところで、なぜ日本人は、「日本人とは」「日本文化とは」と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であることと、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている。日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということである。(石川九楊『二重言語国家・日本』NHKブックス1999,p.5)
ぼくはマルクス主義的な発想や党派の唱える革命論には最初から異和感があったので…(p.27)
自分が何に動かされ、何を願望し、何に異和を感じ、…(p.30)
すなわち社会にたいする異和感や正義感(中略)のありようも、…(p.33)
(以上、小阪修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006より)
あるいは「異和感」「異和」というのは、そのようなタームが実在し、さらにそれを広めた人があるために、特定の世代が好んで使うようになった表記ではないかと私は考えているのだが(もちろん誤解に基くものもなかにはあるだろう)、一般的な表記はもちろん「違和感」「違和」である。しかし、この「違和感」が日本語として使用されるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。
「いわ感」という語が国語辞典に見出し語として採録されるようになったのは、昭和五十年辺りからであり、それまでは、「いわ」という語しか見出し語としては採録されていなかった。この「いわ」も、『和英語林集成』の各版にも、『言海・日本大辞書・日本大辞林・帝国大辞典・日本新辞林・ことばの泉(本冊)』など、明治二十年代・三十年代に刊行された辞典には採録されていない。ようやく、明治四十一年刊の『ことばの泉 補遺』に至って採録されている。(中略)これまで見てきたところからも分かるように、「いわ感」と言う場合の「いわ」という語は、すべての辞典で、漢字表記を「違和」としており、「異和」としたものは一つもない。また、歴史的仮名遣いでは「ゐわ」である。(「異和」であれば、歴史的仮名遣いでも「いわ」であるはずである。)
しかし、この「いわ」から派生した「いわ感」が、新しい意味(「その場の雰囲気に浸り難いこと」「他との調和がとれないこと」「何となくしっくりしないこと」「場違いであること」等の意―引用者)を伴って日常語化し、多く用いられるようになるにつれて、誤って「異和感」と書き表す場合が目につくようになった。
(文化庁編『ことばに関する問答集【総集編】』大蔵省印刷局1995,p.168)
---
(以下コメントによるご教示)
森岡健二・柏谷嘉弘・宮地裕・糸井通浩・小林千草といった国語学者が使っていますね。 柄谷行人・百目鬼恭三郎・桂米朝・鶴見俊輔 なども。 なお、『最新日本語読本』の最終頁。
================引用終了
【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈2〉辞書
mixi日記2014年06月17日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928156325&owner_id=5019671
Web辞書の珍妙な記述に関してはいろいろ書いてきた。もしかするとイチバン驚いた話かもしれない。イチバンではないかもしれないが、ビックリ度は高い。
1087)【やっぱりWeb辞書は嫌い〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919435396&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2919.html
まず、〈1〉でひいた記述を再掲する。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】
[1] 身心の調和が破れること。
―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
―を感じる
================引用終了
『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
================引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
さっき別件で『大辞林』をひいて唖然とする。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C?dic=daijirin&oid=DJR_iwa_-030
================引用開始
いわ【違和】
①身心の調和が破れること。 「 -を覚える」
②雰囲気にそぐわないこと。 〔「異和」と書くのは誤り〕 → 違和感
================引用終了
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F?dic=daijirin&oid=DJR_iwakann_-010
================引用開始
いわかん【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで,しっくりしないこと。 「 -を覚える」 〔「異和感」と書くのは誤り〕
================引用終了
「違和感」の用例を「―を感じる」から「 -を覚える」にかえたのは正解だろう。そんなホニャララな例を出す理由はない。
それにしても〔「異和」と書くのは誤り〕〔「異和感」と書くのは誤り〕ですか。
ぜひ根拠をあげてもらいたいもんだ。
何通りかの表記がある言葉に関して〔~と書くのは誤り〕と書くのは相当度胸が必要よ。
たとえば「雰囲気」を「ふいんき」と読むのは誤り、とは書ける。「ふいんき」と読む理由はないし、そんな読みを認めている辞書はない(あったりして)。
しかし、〈1〉で見たように「異和感」という表記はソコソコ広まっているし、採用している辞書いくつかある。それを「誤り」と決めつけるのは辞書の仕事なんだろうか。
トンデモ異説は猿でも書けるが、辞書がこういうことを書くとは思わなかった。
「違和感を感じる」をどう言いかえればいか……という話を詳しく書くと、それでそれでややこしいことになる。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748.html
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819
2009-08-19
「異和感」に「違和感」を覚える
(第137号、通巻157号)
5年前に出た文藝春秋の特別版『美しい日本語』(9月臨時増刊号)を読み返していたら、西義之・元東大教授のエッセイに次のような一節があるのに気付き意外に感じた。
「私はとくに天邪鬼(あまのじゃく)ではないつもりだが、『美しい日本語』という言葉を前にすると、なんとなく異和感のようなもの、坐りの悪い思いにとりつかれる」。高名なドイツ文学者の西先生には失礼だが、「異和感」という語を目にして坐りの悪い思いにとりつかれた。「異和感」と表記するのは、典型的な間違いであって、正しくは「違和感」と書く、と長い間信じてきたからだ。
『漢字を正しく使い分ける辞典』(中村明著、集英社)には、「いわかん 違和感」の見出しのもとに「しっくり調和しない感じ、の意。その意味内容が、ふつうと異なることに通じるため、『異和感』と書き誤りやすいので注意」とある。愛用の『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、語義解釈の後の「表記」の欄で「『異和感』とは書かない」とわざわざ注意を喚起している。その語を「異和感」としたままの増刊号を文藝春秋が刊行したのは単なる誤植の見落としなのかもしれない、とも考えたが、どうも違うようだ。
それというのも、上述の文藝春秋『美しい日本語』には、外山滋比古氏の「母国語の発見」という題の一文があり、そこにも「異和感」が使われていたからだ。「(サッカーの)サポーターというファンの熱狂ぶりはただごとではないが、それほど異和感はない。お互いいくらか共鳴するところがあるからだろう」という文脈だ。これは、誤植ではなく、筆者本人がそう書いたものだろう。
外山氏といえば、専門の英文学はもとより言語学、意味論など幅広い分野で数多くの評論、エッセイを書く「知の人」である。奇をてらわない、平明な現代的な文の名手で、その著述が大学受験の国語の試験問題にもよく出されることでも知られる。たまたま今月16日の毎日新聞の書評欄「今週の本棚」の豆ニュースに「東大、京大で一番読まれた本」として同氏が20年以上も前に書いた『思考の整理学』(ちくま文庫)が紹介されていた。それほどの人物が不用意に「異和感」を使うことは考えられない。
実は、「異和感」と表記する識者は少なくない《注1》。書家の石川九楊氏もその一人で、『二重言語国家・日本』(NHKブックス)の中では「なぜ日本人は、『日本人とは』『日本文化とは』と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であること、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている」と繰り返し書いている。
その場の雰囲気や周囲としっくりしない、価値観とそぐわない、ちぐはぐな感じがする、といった意味の言葉はふつう「違和感」と表記する。文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している。ただ、『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されているが《注2》、辞書界ではまだまだ少数派。とても一般的な表記として定着したとは言えない。私個人も「異和感」には「違和感」を覚える。
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
《注2》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ、異和感を使った文例として文芸評論家・平野謙氏の『文学読本・理論篇』(1951年)から「前者が外界と自我との異和感に根ざしているとすれば、後者はそれの調和感に辿りつこうとしている」を紹介している。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
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mixi日記2013年07月18日から
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●表記に関する話 お品書き
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50340503&comm_id=1736067
「違和感」か「異和感」か。
これは単純な表記の話と考えるべきではないかも。
一般的な表記は「違和感」。用字用語集の類いも、辞書の大半もこちらにしている。だからと言って「異和感」は間違い、などと断言すると単なる無知になる。
まず、「違和」と「違和感」をWeb辞書でひく。今回は事情があって、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C
================引用開始
いわ[ゐ―] 1 【違和】
[1] 身心の調和が破れること。
―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
================引用終了
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
―を感じる
================引用終了
『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
こういうホニャララな話は食傷気味なので、あまりかかわりたくない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104949720
ひとつ注意してほしいのは、元々「違和」は「体の不調」を表わす言葉だったらしいってこと。そこから派生して「雰囲気」の食い違いなどに使われるようになったらしい。これが「違和感」になると、なぜか「体の不調」とは関係なくなる……このあたりは多分に推測です。
ネットで検索すると下記がヒットした。
【『異和感』 と 『違和感』 どちらを使ってますか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1089923065
================引用開始
レセプトの正式な病名で異和というのがあります。一般的には違和かもしれませんが(変換しても違和になりますし)、医療用語としては異和でしょう。
================引用終了
医療の現場では「異和」「異和感」が一般的らしい。「違和/異和」が元々「体の不調」と関係したことと関係があるのかないのか、当方には判断できない。
『大辞林』と『大辞泉』は採用していないが、下記は「異和感」の表記を認めている。
wablio
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%95%B0%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
違和感
読み方:いわかん
異和感 とも書く
================引用終了
当方の個人的な話をすると、個人的な文章で「異和感」と書くようになってもうウン十年もたつ。元々何で見たかは覚えていない。当時、辞書を何冊かひいて、「異和感」の表記は一般的ではないが間違いではないことは確認している。
ちょっと屁理屈をこねると、「違う」わけではないけど、なんとなく「異様」で、「異常」「異状」を感じるから「異和感」のほうがシックリくる。もちろん、一般の用字用語集に類いは「違和感」になっているから、フツーの仕事では「違和感」を使う。
ネット検索すると、まじめに調べている人がいる。
一番信用できそうなのは下記だろう。 全文は末尾に。
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819
「異和感」を使う識者は多いらしい。そのこと自体にはあまり意味はない。よほどの人物が明らかに意識して使っているのでなければ、なんの根拠にもならない。
ネットの書き込みを見ると、村上春樹は「異和感」と書くらしい。だから「異和感」もアリ、なんてことは言えない。それは芸術文の話だから。
いろいろな言葉遣いなどに関して、森鴎外や夏目漱石が使っていたからアリなんて論調も目にするが、個人的にはそういう考え方には賛成できない。それも芸術文の話だから。まあ、あの時代なら文豪を根拠にするのもアリなのかなぁ、って気もするけど……。
現代なら、辞書や新聞を調べるほうがよほど確かだろう。
〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉らしい。いったい何百の辞典を確認したら、「すべての辞典」なんて書けるんだろう。この本は2005年の発行のはず。
ウーン。当方の記憶では昔の辞書で見たんだけどなぁ。
〈『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されている〉とのこと。文化庁、しっかりしろー。
〈『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ〉ているって。Wikipediaによると、初版は1972年12月 - 1976年3月発行で、第二版は2000年12月 - 2002年12月。文化庁ダメダメじゃん。
注目したいのは《注1》。
================引用開始
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
================引用終了
この人の主観だとすると、あまり意味がない。「医学界では異和感が一般的」と書いてくれれば、ある程度の意味があるのにー。
いろいろ調べた結果↑のサイトにたどりついたと記す下記のブログはおもしろい。こういうのを「大恥」とは言わない。書き手の態度の潔さには清々しいものを感じる。
【大恥をかいた話ー他の人のブログに驚きました】
http://ameblo.jp/muridai80/entry-11405238509.html
貴重な記述がある。『日本国語大辞典』初版には「異和感」は立項されていないらしい。ということは、「異和感」は比較的新しく認められた表記らしい。
o( ̄ー ̄;)ゞううむ
当方がウン十年前に見た辞書はなんだったのだろう?
【「表記の話」のバックナンバー】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2902.html
【20140522追記】
文中の〈文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している〉の根拠が抜けている。
mixi日記にコメントをもらった下記なのかもしれない。
http://seisaku.dip.jp:8080/BLOG/archives/2013_3_18_501.html
下記が詳しいだろう。
【ことばのメモ帳】
http://uratashima.seesaa.net/article/23416219.html
そうか。『言葉に関する問答集 総集編』は1995年なのね。そうなると、『日本国語大辞典』の話はズレるのかもしれない。
================引用開始
2006年09月07日
「異和感」の人々―百姓読み、誤字(2)
何故かしばしば、「違和感」「違和」ではなく「異和感」「異和」という表現を使う(使いたがる)識者があって、それがやや気になるときがある。以下にその二例を挙げる。
ところで、なぜ日本人は、「日本人とは」「日本文化とは」と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であることと、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている。日本人であることに異和をもつということは、日本語に対して、日本人は、いくらかしっくりこない部分、奥歯に物が挟まったほどに異和感を抱いているということである。(石川九楊『二重言語国家・日本』NHKブックス1999,p.5)
ぼくはマルクス主義的な発想や党派の唱える革命論には最初から異和感があったので…(p.27)
自分が何に動かされ、何を願望し、何に異和を感じ、…(p.30)
すなわち社会にたいする異和感や正義感(中略)のありようも、…(p.33)
(以上、小阪修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006より)
あるいは「異和感」「異和」というのは、そのようなタームが実在し、さらにそれを広めた人があるために、特定の世代が好んで使うようになった表記ではないかと私は考えているのだが(もちろん誤解に基くものもなかにはあるだろう)、一般的な表記はもちろん「違和感」「違和」である。しかし、この「違和感」が日本語として使用されるようになったのは、ごく最近のことであるらしい。
「いわ感」という語が国語辞典に見出し語として採録されるようになったのは、昭和五十年辺りからであり、それまでは、「いわ」という語しか見出し語としては採録されていなかった。この「いわ」も、『和英語林集成』の各版にも、『言海・日本大辞書・日本大辞林・帝国大辞典・日本新辞林・ことばの泉(本冊)』など、明治二十年代・三十年代に刊行された辞典には採録されていない。ようやく、明治四十一年刊の『ことばの泉 補遺』に至って採録されている。(中略)これまで見てきたところからも分かるように、「いわ感」と言う場合の「いわ」という語は、すべての辞典で、漢字表記を「違和」としており、「異和」としたものは一つもない。また、歴史的仮名遣いでは「ゐわ」である。(「異和」であれば、歴史的仮名遣いでも「いわ」であるはずである。)
しかし、この「いわ」から派生した「いわ感」が、新しい意味(「その場の雰囲気に浸り難いこと」「他との調和がとれないこと」「何となくしっくりしないこと」「場違いであること」等の意―引用者)を伴って日常語化し、多く用いられるようになるにつれて、誤って「異和感」と書き表す場合が目につくようになった。
(文化庁編『ことばに関する問答集【総集編】』大蔵省印刷局1995,p.168)
---
(以下コメントによるご教示)
森岡健二・柏谷嘉弘・宮地裕・糸井通浩・小林千草といった国語学者が使っていますね。 柄谷行人・百目鬼恭三郎・桂米朝・鶴見俊輔 なども。 なお、『最新日本語読本』の最終頁。
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【表記の話15──「違和感」「異和感」】 〈2〉辞書
mixi日記2014年06月17日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1928156325&owner_id=5019671
Web辞書の珍妙な記述に関してはいろいろ書いてきた。もしかするとイチバン驚いた話かもしれない。イチバンではないかもしれないが、ビックリ度は高い。
1087)【やっぱりWeb辞書は嫌い〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1919435396&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2919.html
まず、〈1〉でひいた記述を再掲する。
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いわ[ゐ―] 1 【違和】
[1] 身心の調和が破れること。
―を覚える
[2] 雰囲気にそぐわないこと。
→違和感
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http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0&dtype=0&dname=0ss&p=%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F
================引用開始
いわかん[ゐわ―] 2 【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。
―を感じる
================引用終了
『大辞泉』の記述もほぼ同じ「違和」の説明なんかどちらかがパクったとしか思えないほど似てる。大きく違うのは、『大辞林』が用例で「違和感を感じる」を出していること。「違和を覚える」なのに「違和感を感じる」にする理由がわからない。
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さっき別件で『大辞林』をひいて唖然とする。
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C?dic=daijirin&oid=DJR_iwa_-030
================引用開始
いわ【違和】
①身心の調和が破れること。 「 -を覚える」
②雰囲気にそぐわないこと。 〔「異和」と書くのは誤り〕 → 違和感
================引用終了
http://kotobank.jp/word/%E9%81%95%E5%92%8C%E6%84%9F?dic=daijirin&oid=DJR_iwakann_-010
================引用開始
いわかん【違和感】
周りのものとの関係がちぐはぐで,しっくりしないこと。 「 -を覚える」 〔「異和感」と書くのは誤り〕
================引用終了
「違和感」の用例を「―を感じる」から「 -を覚える」にかえたのは正解だろう。そんなホニャララな例を出す理由はない。
それにしても〔「異和」と書くのは誤り〕〔「異和感」と書くのは誤り〕ですか。
ぜひ根拠をあげてもらいたいもんだ。
何通りかの表記がある言葉に関して〔~と書くのは誤り〕と書くのは相当度胸が必要よ。
たとえば「雰囲気」を「ふいんき」と読むのは誤り、とは書ける。「ふいんき」と読む理由はないし、そんな読みを認めている辞書はない(あったりして)。
しかし、〈1〉で見たように「異和感」という表記はソコソコ広まっているし、採用している辞書いくつかある。それを「誤り」と決めつけるのは辞書の仕事なんだろうか。
トンデモ異説は猿でも書けるが、辞書がこういうことを書くとは思わなかった。
「違和感を感じる」をどう言いかえればいか……という話を詳しく書くと、それでそれでややこしいことになる。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748.html
【「異和感」に「違和感」を覚える】
http://d.hatena.ne.jp/hiiragi-june/20090819
2009-08-19
「異和感」に「違和感」を覚える
(第137号、通巻157号)
5年前に出た文藝春秋の特別版『美しい日本語』(9月臨時増刊号)を読み返していたら、西義之・元東大教授のエッセイに次のような一節があるのに気付き意外に感じた。
「私はとくに天邪鬼(あまのじゃく)ではないつもりだが、『美しい日本語』という言葉を前にすると、なんとなく異和感のようなもの、坐りの悪い思いにとりつかれる」。高名なドイツ文学者の西先生には失礼だが、「異和感」という語を目にして坐りの悪い思いにとりつかれた。「異和感」と表記するのは、典型的な間違いであって、正しくは「違和感」と書く、と長い間信じてきたからだ。
『漢字を正しく使い分ける辞典』(中村明著、集英社)には、「いわかん 違和感」の見出しのもとに「しっくり調和しない感じ、の意。その意味内容が、ふつうと異なることに通じるため、『異和感』と書き誤りやすいので注意」とある。愛用の『明鏡国語辞典』(大修館書店)では、語義解釈の後の「表記」の欄で「『異和感』とは書かない」とわざわざ注意を喚起している。その語を「異和感」としたままの増刊号を文藝春秋が刊行したのは単なる誤植の見落としなのかもしれない、とも考えたが、どうも違うようだ。
それというのも、上述の文藝春秋『美しい日本語』には、外山滋比古氏の「母国語の発見」という題の一文があり、そこにも「異和感」が使われていたからだ。「(サッカーの)サポーターというファンの熱狂ぶりはただごとではないが、それほど異和感はない。お互いいくらか共鳴するところがあるからだろう」という文脈だ。これは、誤植ではなく、筆者本人がそう書いたものだろう。
外山氏といえば、専門の英文学はもとより言語学、意味論など幅広い分野で数多くの評論、エッセイを書く「知の人」である。奇をてらわない、平明な現代的な文の名手で、その著述が大学受験の国語の試験問題にもよく出されることでも知られる。たまたま今月16日の毎日新聞の書評欄「今週の本棚」の豆ニュースに「東大、京大で一番読まれた本」として同氏が20年以上も前に書いた『思考の整理学』(ちくま文庫)が紹介されていた。それほどの人物が不用意に「異和感」を使うことは考えられない。
実は、「異和感」と表記する識者は少なくない《注1》。書家の石川九楊氏もその一人で、『二重言語国家・日本』(NHKブックス)の中では「なぜ日本人は、『日本人とは』『日本文化とは』と問うのか。おそらくそれは、問う側が、日本人であること、また日本文化に対して、異和をもつからである。異国の地で日本人に出会った時、親近感と同時に、嫌悪感をもつという意識は、この異和感に生じている」と繰り返し書いている。
その場の雰囲気や周囲としっくりしない、価値観とそぐわない、ちぐはぐな感じがする、といった意味の言葉はふつう「違和感」と表記する。文化庁の『言葉に関する問答集 総集編』にも「『いわ感』と言う場合の『いわ』という語はすべての辞典で、漢字表記を『違和』としており、『異和』としたものは一つもない」と明言している。ただ、『新明解国語辞典』(三省堂)が1989年発行の第4版になって初めて「異和感、とも書く」と記述し、今の第6版でも踏襲されているが《注2》、辞書界ではまだまだ少数派。とても一般的な表記として定着したとは言えない。私個人も「異和感」には「違和感」を覚える。
《注1》 日本語の専門家ではないが、宮本真巳・東京医科歯科大学大学院教授は、あるサイトで、「対人関係にズレがあって生じる不快感を辞書では違和感というが、私は、こうした生理的・身体的な感覚を、辞書で誤用とされる異和感という表記を用いている」と述べている。
《注2》 『日本国語大辞典』第2版(小学館)も「違和感、異和感」の二つの表記を並列して掲げ、異和感を使った文例として文芸評論家・平野謙氏の『文学読本・理論篇』(1951年)から「前者が外界と自我との異和感に根ざしているとすれば、後者はそれの調和感に辿りつこうとしている」を紹介している。
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