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「~なのかな」「~とは思います」「~と思います」〈1〉〜〈3〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【10】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1880457960&owner_id=5019671

mixi日記2013年08月05日から

 テーマトピは下記。
【「なのかな」と「とは思います」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48610257&comm_id=222342
================引用開始
「なのかな」と「とは思います」
2009年12月03日 17:17

今週発売の週刊朝日。その連載コラムで作家の内館牧子が辛辣に批判して書いています。「かな」の乱用、誤用、悪用の数々。私は数年前から非常に不快な思いでいました。やっとプロも気がついたか、とね。

以前にも類似トピを立てたのですが、以外にも反応はありませんでした。

断定してもいい表現の最後に「かな」(なのかな)をつけるタレント、スポーツ選手、そして政治家や官僚、一般市民たち。

どうしてこんな表現がまかり通るのでしょう。

最悪はこの「かな(なのかな)」に「とは思います」を続けること。

「やってもいいのかな、とは思います」
「面白い試合になるかな、とは思います」
「来年度にでも企画してもいいのかな、とは思います」

なんなんだよ、これ…。絶滅させましょう。
================引用終了


 何年も前に立ったトピで、頓挫していた。
 原因? 言葉の神様に訊いてください。
 当方はトピ主の責任が大きいと思う。いくつかあったちゃんとしたコメントに対してあんな書き方をしていたら、コミュニケーションにならない。
 数年ぶりにカラアゲされたので、思うところあって[29]のコメントを入れたが……やっぱりダメみたい。
 これ、ちゃんと書こうとするとものすごくたいへんだと思う。だって、文脈によっては何も問題がない表現なんだから。当然、文法的には何も問題がない。
 こういうのは、本来はインネンをつける側が論理的に説明すべきものだろう。論理で説明できないのなら、ヘンに感じる例を集めて考えるしかないのかな、とは思う(これはOKだよね)。
 問題を切り分けながら、順番に考えていきたい。以下、煩わしいので基本的にデス・マス体ではなく常体で見ていく。

【1】「~と思う」と「~とハ思う」の違い
 まず、この「ハ」の働き。辞書の全文は末尾に。
 かなり微妙で「3 強調」でもいいんだけど、説明の都合上「2 対比」と考えておく。このほかに「限定」なんて働きもあったと思うけど見つからない。このあたりをあまり厳密に考えても意味はないだろう。
「~と思う」は、ごくフツーの表現。どんな意味になるのかは説明不能。これに「ハ」がついて「~とハ思う」になると何がかわるのか。
 おそらく、この「ハ」は「モ」に近い。
「Aとハ思う」けど「Bとモ思う」し、「Cとモ思う」……かもしれない。
 大元を「Aとモ思う」にしても、大きな違いはないだろう。
 つまり、「~と思う」と比べると「~とハ思う」には「逆接」(「躊躇」と言ってもいい)のニュアンスがある。実際に言葉にはしなくても、含意している、と思われる。
 
【2】「~と思う」と「~と思いハする」の違い
 コメント[42]でおもしろい話が出る。なんでトピ主はスルーしているのだろう。ちゃんと「議論」に付き合ってくれそうな人が登場したのに。
【2】と【1】の「ハ」の働きはよく似ている。「~とハ思う」と「~と思いハする」はほぼ同義と言ってもいいかも。
 もちろん厳密に考えれば違っている。
「Aとハ思う」の含意は「でもBとモ思う」「でもCとモ思う」が本線。
「Aと思いハする」の含意は「でも疑問が残る」「でも賛成できない」「でも現実には無理」……etc.が本線だろう。
「逆接」や「躊躇」の方向性が微妙に違う。当方は通常、この程度のことは「大差なし」で押し切ることにしている。(←オイ!)

【3】「~かな」の問題点
 近年若年層の流行とされる曖昧表現のひとつなのだろう。個人的には若年層特有とは思わない。トピにも口癖にしている上司の例が出てくる。さらに言うと、「曖昧表現」が広がっているのではなく、「曖昧」と「極論」の二極化だと思う。もっとさらに言うと、単に日本語を使えない人が増えたので、こういう安易な表現に流れるのだと思う。
「~とか」「~のほう」などの仲間なのかな、とは思う(これはOKだよね。以下略)。
 ただ、そんなふうに乱暴にひとくくりにして「全部ダメ」と言うと、単なる●●になりかねない。「~とか」あたりは、フツーに使うなら何も問題はない。度が過ぎるとヒステリックな言葉狩り(重言?)にしか見えなくなる。
 まあ「~かな」と「~とハ思う」を組み合わせると、文脈によっては曖昧さが強調されることはありそうなんだけど、何も問題がないこともある。適切な文脈を用意してくれないと、何も判断できない。
696)【バイト敬語/若者言葉──「~とか」の話】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1820136974&owner_id=5019671
【バイト敬語/若者言葉の話】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1818.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824951700&owner_id=5019671

【4】「~かな、とは思う」の実例
 トピに出てきた例文で確認する。

1)やってもいいのかな、とは思う
※これを「やってもいいのだろうか?」と異議を唱える表現と解釈しているが、それはムチャでは。「そんなことをやってもいいのかな、と思う」くらいならそのとおりかもしれないかな、とは思う。コメント[4]に出てくる書きかえ案は「私はやりたい、と思う」。それはそれでムチャじゃないかな、とは思う。
2)面白い試合になるかな、とは思う
※書きかえ案は「面白い試合になると思う」。ニュアンスがかなり違うかな、とは思う。
3)来年度にでも企画してもいいのかな、とは思う
※書きかえ案は「来年度に企画してみてはいかがですか? 」。ニュアンスがかなり違うかな、とは思う。なんで1)の書きかえ案と主語がかわっているのかな、とも思う。
4)もうそろそろ販売の方法を変えてみてもいいのかなぁ、とは思います
※上司のこの発言に対して「それは、変えるってことですか?」と訊くのはどうなんだろう。上司の答えは5)。
5)「いや、そうではなくて検討する時期に来ているのではないのかなぁ、と言うことです」
※これに対して「また同じことを言いましたね。じゃ、販売方法の見直しを検討するんですか?」って、喧嘩売ってるのかな?
「~とは思います」はどこに行ったの? これは単に上司の曖昧な表現(たぶん口癖)に苛立っているだけじゃないかな。個人的な苛立ちでしかなければ、共感してもらうのはけっこうたいへんだよ。

 前半が感覚的なのがマズいのか、とも思ったが、違うようだ。結局、これは個人の好みの問題じゃないのかな。
 文脈によってハ、「そこまで曖昧にする必要はない」ってケースもあるかもしれない。でもその文脈を示してもらえないと、判断できない。

6)そういう考え方もアリなのかな、とは思う
※これを「そういう考え方もアリだと思う」と同義と考えるのはいくらなんでも乱暴だろう。少なくとも当方はそんな無茶な発送はしない。配送センターが混乱しかねない。

 

■Web辞書『大辞泉』から
http://dictionary.nifty.com/word/%E3%81%AF?dic=daijisen
================引用開始


[係助]名詞、名詞に準じる語、活用語の連用形、助詞などに付く。
1 判断の主題を提示する意を表す。「犬―動物だ」「教育―国民の義務である」「黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引(すそび)き行く―誰(た)が妻」〈万・一六七二〉
2 ある事物を他と区別して、または対比的に取り立てて示す意を表す。「風―強いが、日―照っている」「夕されば小倉の山に鳴く鹿―今夜(こよひ)―鳴かず寝(い)ねにけらしも」〈万・一五一一〉
3 叙述の内容、またはその一部分を強調して明示する意を表す。「喜ばずに―いられない」「やがてわかって―くれるだろう」「死を恐れざるに―あらず、死の近きことを忘るるなり」〈徒然・九三〉
4 (文末にあって)感動・詠嘆を表す。…ことよ。…だなあ。…よ。「されど、門の限りを高う作る人もありける―」〈枕・八〉
5 (形容詞・打消しの助動詞「ず」の連用形に付いて)順接の仮定条件を表す。…のときは。…の場合は。…ならば。「験(しるし)なきものを思はず―一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし」〈万・三三八〉
◆係助詞「は」は現在では「わ」と発音するが、「は」で表記するのが普通。格助詞「を」、また「ときに」に付くときは、音変化して「をば」「ときんば」の形をとることもある。4については終助詞とする説もある。また、5については近世初期以降には「は」が音変化して、「くば」「ずば」の形をとることもあり、「ば」を接続助詞と解して仮定条件を表すこともあった。→をば →ときんば →ずば →ては
================引用終了


「〜していきます」「~していきたいです」「~していきたいと思います」
──「~なのかな」「~とは思います」「~と思います」〈2〉

mixi日記2014年07月08日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=5019671&id=1929188749

 下記が関係あるかも。
1020)【「~なのかな」「~とは思います」「~と思います」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2842.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1908860625&owner_id=5019671

 テーマサイトは下記。
【「~して行きたい」「~して行きたいと思う」など。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12131579487

 まず質問の全文を引く。
================引用開始
「~して行きたい」「~して行きたいと思う」など。
例えば不祥事を謝罪するときに「今後このようなことの無いように気を引き締めて行きたい」と気を引き締めるのではなく 引き締めて行きたい。
「ただいまから成績を発表して行きたいと思います」発表するのではなく発表して行きたいなど。
何故ぼかすような表現なんでしょうか。
================引用終了

 発言者の立場によって、事情が微妙にかわってくる。話の内容を考慮して、例文は基本的にデス・マス体で考える。
 断定的な言い方から曖昧な言い方まで、いくつか段階がある。

●謝罪の言葉
1)今後このようなことのないように気を引き締めます
  ↓
2)今後このようなことのないように気を引き締めていきたいです
  ↓
3)今後このようなことのないように気を引き締めていきたいと思います

 大前提として、謝罪の場合は「いきたいと思います」ではなく「いく所存でございます」くらいのほうが自然だろう。
 1)が一番スッキリしている。「引き締める」か否かは個人の心がけの問題だから「たい」をつけるのはおかしい、というのはごもっとも。「たい」は希望や願望を表わす(辞書の引用は末尾)。
 このように断言すると、同じような事態が再発したときに責任を追及されそう。
 だから少しボカすのだろう。政治家などの常套手段(笑)。そこで2)のように「たい」をつける。「いく」とは断言できないが、「いきたい」。「いく」努力はするけど、「いけなかった」ら許してね。
 デアル体で「いきたい」と言えば何も問題がないが、これに「です」をつけて「いきたいです」にすると、ちょっと問題がある。むずかしい話は別として、「たい」の活用を見ると形容詞とほぼ同じことがわかる。
 つまり、「たいです」(「たかったです」も同様)に覚える異和感は「うれしいです」に覚える異和感とほぼ同じもの。「間違い」ではないが、『大辞林』が〈現在かなり広がっているが,多少ぎこちなさも感じられる〉としているのだから、避けるべきだろう。
【この文章〈「形容詞終止形」+「です」〉は文法的に正しいですか】教えて!goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2891.html

 避ける方法はいろいろ考えられるが、一番安直なのは「〜と思います」をつけること。こうして3)のような形が広まることになる。
 2)の形を避けるのが「たいです」に対する異和感のせいか否か正確なところは、本人に確認しないとわからない。
「希望」にさらに「〜と思う」をつけるんだから、クドい印象になるのは当たり前。

●所信表明の言葉
「所信表明」というといかめしいが、プロ野球の新人の入団挨拶と考える。
1)一生懸命頑張ります
  ↓
2)一生懸命頑張りたいです
  ↓
3)一生懸命頑張りたいと思います
 1)がスッキリしているが、ちょっと控えめに言うなら2)、「たいです」に異和感があれば3)になるのだろう。
 これが「一生懸命頑張って新人王をとります」だとビッグマウスになる。3)のパターンが自然だろう。

 これが子供の将来の夢で「野球選手になります」だと2)が自然な気がする。もちろん3)でも構わない。「海賊王に、おれはなる」のほうが威勢はいいけど(笑)。



http://kotobank.jp/word/%E3%81%9F%E3%81%84?dic=daijisen&oid=11083400
================引用開始
デジタル大辞泉の解説
たい 【たい】

[助動][たかろ|たく・たかつ|たい|たい|たけれ|○]《希望の助動詞「たし」の連体形「たき」の音変化》動詞、および助動詞「れる」「られる」「せる」「させる」の連用形に付く。
1 話し手の希望を表す。「御飯を食べたい」「日比(ひごろ)月日がおがみたいと思うたに」〈虎明狂・腰祈〉
2 話し手以外の人の希望を表す。「読みたいなら貸すよ」「やめたい人はやめればいい」
3 「ある」「である」「なさる」「くださる」や尊敬の助動詞「れる」「られる」に付いて、他に対する希望・要求を表す。…てほしい。「正直者がばかを見ない世の中でありたい」「別表を参照されたい」
◆「たい」が他動性の動詞に付く場合、希望の対象を表すのに、「水を飲みたい」「水が飲みたい」のように「…ヲ…タイ」「…ガ…タイ」の両形を、室町時代以来用いてきている。連用形「たく」の音便形「とう(たう)」は中世から行われているが、現代語では、「ございます」「存じます」を伴うときにかぎって行われる。また、接続助詞「て」を伴う場合、「たくって」となることもある。3は多く文章語に用いる。
================引用終了

 ちょっとメモ。
バイト敬語/若者言葉──「~とか」の話
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2310.html
================引用開始
 こうなると、近年の若者言葉に特有の曖昧表現、というククリ方もできそうな気がする。ただ、それは少し違うのでは、って気もする(「曖昧表現」の一方で「氏ね」などの直截な表現も目立つ。二極化と言うほうが正確だろう。)。
================引用終了


──「~なのかな」「~とは思います」「~と思います」〈3〉
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12245302735.html

 テーマサイトは下記。
【「は」が入ると、途端にやる気がないように思えるのはなぜ?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9624045.html
===========引用開始
以下の文章をご覧ください。

A「頑張ってみようと思います」
B「頑張ってみようとは思います」

A「やってみたいと思います」
B「やってみたいとは思います」

A「続けてみたいと思います」
B「続けてみたいとは思います」

A、Bどちらもほとんど同じ文章ですが、Aと比較してBは、「は」が入っています。
この「は」が入るだけでAと比較すると途端に「やる気のなさ」「100%全力を尽くす気がない」「上辺だけ」「本音じゃないよ、建前さ」という感じが際立ちます。

なぜでしょうか? 
===========引用終了

「途端にやる気がないように思える」ってフレーズに笑ってしまった。
 この「ハ」は【限定】と考えると判りやすいだろう。

A「頑張ってみようと思います」
B「頑張ってみようとは思います」
「頑張ってみようと思う」はそのままの意味。
「頑張ってみようハ思う」だと、その気があるけど、【あるだけ】。ほんとに「頑張ってみる」ことができるかは未知数。そりゃ覇気が感じられない。

 似たような言い方に下記がある。
C「頑張ってみようと思いハします」
 こちらも、思うけど【思うだけ】。そりゃダメだって。これはBよりもヒドい気がする。

【限定】も悪い意味だけではない。もっと元気いっぱいの場合もある。 
A「腹筋なら500回できる」
B「腹筋なら500回ハできる」
 これだと、Bでも覇気が感じられる。まあ限定しないAのほうが元気って気もするけど。


 以下は余談。
 格助詞の「ハ」にはいくつかの働きがある。
 かのベストセラー『日本語練習帳』は「ハ」お働きを4つに分けている。
===========引用開始
1)問題(topic)の下に答えを持ってくるよう予約する
2)対比
3)限度
4)再問題化  
===========引用終了

 説明はむずかしいだけでちょっとヒドいので、おすすめハ【限度……対比かも】できない。
 今回「ハ」は厳密に言うと「4)再問題化」だと思うけど、難しく考える必要はない。「3)限度」でいいだろう。
 一般的な「ハ」の用法のほとんど1)だけど、それだけでは説明できない例が出てくる。
 詳しくは下記をご参照ください。すんごく長い。勉強が好きな人にハ【対比かな】おすすめかも。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉~〈7〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.html

 ちなみに名著の4分類にも入らない特殊な用法もある。これはホントに特殊なんで、別に考えるほうがよいだろう。
【「ハ」の用法 男は度胸、女は愛嬌 春はあけぼの 東京は浅草にやってまいりました〈1〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2177.html


【20170207追記】
 いかんなぁ。焦り気味で書くとボロボロだな。
〈格助詞の「ハ」〉って、いつから「格助詞」になったんだよ。じゃあ何助詞かって言うと、係助詞だろうな……メンドーなんで「助詞」って呼んでおく。文法音痴がバレバレ(泣)。まぁ、本題には関係しないからいいかっ。

 本題の「ハ」の働きを【限度】と言い切れるか否かは、実はけっこう微妙。
 念のため、辞書を再掲する。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%AF-597777#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
===========引用開始
大辞林 第三版の解説


( 係助 )
〔現在では「わ」と発音する。助詞「を」の下に付くとき、「をば」となることがある〕
種々の語や文節、活用語の連用形などに接続する。多くの事柄の中から、一つのものを取り出して提示するのが本来の用法である。
①特に一つの物事をとりあげて提示する。 「お酒-ぼくが買う」 「食事-もうすんだ」
②題目を提示して、叙述の範囲をきめる。 「象-鼻が長い」 「ぼく-学生だ」 「今日-よい天気だ」
③二つ以上の判断を対照的に示す。 「行き-よいよい、帰り-こわい」 「親に-孝行、友人に-信義」
④叙述を強める。
㋐〔格助詞・副詞などに付いて〕 意味や語勢を強める。 「たいてい-、そのまま帰る」 「君と-もう会わない」
㋑〔動詞・形容詞の連用形、および助詞「て・で」に付いて〕 一続きの叙述の一部分を強調する。 「絶対に行き-しない」 「なるほど美しく-ある」 「少なくともわかって-いる」 「まだ書いて-いない」 「真実で-ない」
⑤〔「…(で)は…(だ)が」の形で〕 譲歩の気持ちを表す。活用語の連用形に付くこともある。 「雨も、降り-降ったが、ほんのわずかだ」 「ごめんどうで-ございますが」
⑥動作・作用の行われる条件・事態を表す。現代語では「ては」の形で用いられるが、古語では「ずは」「くは」「しくは」などの形をとることもある。 「不正があって-ならない」 「おこられて-大変だ」 「会社として-万全の備えをするつもりです」 「忘れて-夢かとぞ思ふ/伊勢 83」 「あらたまの年の緒お長くあひ見ず-恋しくあるべし/万葉集 4408」 「鶯の谷よりいづるこゑなく-春くることをたれかしらまし/古今 春上」 「恋しく-形見にせよとわが背子が植ゑし秋萩/万葉集 2119」 → ずは(連語) ・ ずば(連語)
⑦文末にあって、終助詞的に用いられる。体言や活用語の連体形に接続して、感動の意を表す。よ。「はも」「はや」などの形をとることがある。 「歯固めの具にももてつかひためる-/枕草子 40」 「あはれ、それを奉り鎮め給へりし-や/大鏡 道長」
⑧(文末にあって終助詞的に用いられ)話し手自身に対して、念を押すような気持ちでの詠嘆を表す。 「すはよい-とて追たそ/史記抄 3」 「又五十字、百字有る歌もあらう-さて/狂言・萩大名 虎寛本」 〔⑦ は上代では「はや」「はも」の形をとる。⑧ は中世以後の用法。近世では「わ」と表記されることが多くなり、現代語で主として女性が用いる終助詞「わ」の源流となる〕 → はや ・ はも(連語) ・ わ(終助)
===========引用終了

「再掲」してみてもそんなに大きくかわっているはずはなく、ほぼ記憶どおり。
『大辞林』の[4]は【限度】ではなく【強調】と考えている。このあたりは、どちらでもいいとも言える。
 その気ハあるけど、【あるだけ】 ……なら【限度】。
 一応頑張ってハみるけど、みるけどさぁ……なら【強調】。このあたりは【言い訳】のほうがピッタリだと思うが、辞書はよほどのことがないとそんな書き方はしない(笑)。
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