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07年度「国語に関する世論調査」2──朝日新聞の開き直り2

下記の続きです。
【07年度「国語に関する世論調査」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-193.html


mixi日記2008年07月26日から

 25日の記事(国語に関する世論調査)に対して、26日の「天声人語」が見苦しい言い訳をしている。原文では▼になっているところをフツーの改行にした。

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 「鬼籍に入(い)る」という言葉がある。その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答える者が多かったそうだ。中国文学者の一海知義さんが、人づての話として『漢語四方山(よもやま)話』(岩波書店)に書いている。
 この珍解答には腹を抱える人も、さて「憮然(ぶぜん)」や「檄(げき)を飛ばす」の意味をご存じだろうか。文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、7割以上が意味を取り違えていたそうだ。
 「憮然」は、失望してぼんやりする様子。「檄を…」は、自らの主張を広く知らせて同意を得る。それが元の意味だ。だが多くが、前者を「腹を立てている様子」、後者を「元気のない者を叱咤(しっ・た)激励する」と誤って使っていた。
 「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。だが、これらはもはや「誤」が「正」になった感がある。「憮然」から想像するのは仏頂面であって、失望の顔ではあるまい。歩く人が多くなれば、それが道になっていく。
 とはいっても、気になるのはカタカナ語である。多いと感じる人が8割を超す。開化期の文化人たちは、なだれ込む外国語と格闘し、「社会」「個人」「哲学」…と片っ端から新しい日本語の服を着せた。いまは裸のまま、ネットに雑誌にカタカナが躍る。席巻ぶりを、4割の人が「好ましくない」と見ている。
 ところで冒頭の「鬼籍に入る」は、人が亡くなることを言う。鬼の字にはもともと、「人が帰る所」という意味があるそうだ。カタカナ語に虫食いにされて、美しい日本語がいつか鬼籍に入ることにはならないか。心配である。
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 言葉の使い方自体には問題がないと思う(なんで「しっ・た」とナカグロが入るって話も無視する)。文章の構成にインネンをつける。
 このテの話は文章の巧拙の問題にかかわることでインネンにしかならず、「何バカなこと書いてんだ」となることが多い。たまにはそういう無茶なことをやって恥をかくのも勉強になるかもしれない。
 文章の流れが決定的におかしい。まず一見関係ない「鬼籍に入る」の話から入る。これは「天声人語」ではおなじみの手法。一説によると、これは起承転結の一種らしい。起承転結の転から入って、本題に移る。一見関係なさそうな話と本題がどうつながっているか、ギャップが大きければ大きいほど切り口が鮮やかに見える。ウマそうに見える文章の典型だけど、一般人はマネしてはいけない。クサい文章になる。
 流れだけを追っていく。一番不自然なのは、4つ目の段落と、5つ目の段落。原因は一目瞭然。「だが、」「とはいっても、」とこんなに短い間隔で2回も逆接の接続詞を使っているから、論旨が右往左往している。何を言いたい?
 要は、ひと口に「言葉の乱れ」と言っても、ひとくくりにはできないってことなんでしょ。だったらそう書けよ。
「歩く人が多くなれば、それが道になっていく」って、それは当たり前。問題は過渡期をどう乗り切るかってこと。天下の公器だかなんだかを名乗る方々は、そのあたりをどう考えてんだよ。もっともらしいことを言って、なしくずしに誤用を受け入れるのか? そんな対応策なら(⊂((・⊥・))⊃)でもできるわい。
 いっそのこと、「もはや誤用ではないと判断したので使う表現」の一覧を発表してくださいよ。そうすりゃ世間もそれを目安にできる。「独自の判断で使う漢字」なんかより、よほど重要だと思う。
 もうひとつ大きな疑問。筆者は「憮然」や「檄を飛ばす」がけっこうな頻度で朝日新聞の紙面に載っていることを知っているのだろうか。某横綱の話になると、毎回のように「ぶぜん」(フツーの誌面はひらがな。なんで天声人語だと漢字が使えるんだろう)が登場することを知っているのだろうか。知らずに一般の風潮を書いているのか、それとも知ってて弁護しているのか。そこはハッキリしてくれないと困る。
 まさかとは思うけど、この文章を読んだ限りだと、筆者は「憮然」や「檄を飛ばす」の本来の意味を知らなかったのでは、って気さえする。だって、この人はたしか「斜に構える」を誤用していた人でしょ。可能性はあるよ。
 文化庁があげた誤用の例に対して、筆者が全部知っていたならそう書くでしょ。これだけ偉そうな書き方する人なんだもん。「職業柄、こういう言葉の本来の意味は常識として知っている。だが……」って話になるのがフツーだと思いますが……。それは平凡と考えたのかな。
 ちなみに本文は、「だが、」「とはいっても、」と来て今度は「ところで」と来る。ダメだってそんなに話を動かしちゃ。ただでさえわかりにくい話がグチャグチャになる。
「ところで」の後は、冒頭の話に戻る。つまりこの話はこんなに短い間に2回も「転」がある。逆接は続くわ、「転」は2回あるわ。無理です。
 一応、文章の構成に関する参考資料です。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=728372985&owner_id=5019671
 
 ところで、この「天声人語」を読んでいて、以前tobirisuが立てたトピのコメントのことを思い出した。その印象があるので、「この著者は本来の意味を知らなかったことを隠すためにムキになっている」と感じたのかもしれない。そこはかとなく、似てません? どちらが見苦しいかは“丙丁”つけがたい。
 そもそものお題は、「ひもとく」を漢字で書くと、「繙く」か「紐解く」か。tobirisuは「繙く」しかありえないと思っている、と書いた。すると、真っ先に次のコメントがあった。
 こういう場合、コメントを加工するか否かの判断がむずかしい。ヘタに省略するとかえって失礼な気がするので原文のまま引く。

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どっちの用例も常用外ですから、
私ならひらがなで書きます。

まあ、どちらかというなら紐解くのほうでしょう。
なぜなら大半の日本人にはもはや
繙くがひもとくであることが分からないと考えられるからです。
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 この後、漢字で書くなら「繙く」というコメントが続く。旗色が悪くなった最初のコメント主が開き直る。こういう場合は、「認識違いでした。勉強になりました」と書けば済むのに、なんでこんなに突っ張りたがるんでしょうね。

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似たような経緯で変質を遂げて
現在の用法になっている用法用例は
日本語の中に無数にあることでしょう。

たまたま過去の用法を覚えている単語だから
違和感が感じられるというだけの話です。

使い手が死に絶えたとき、言葉は消えます。
100年も経てばら抜き言葉が定着していても不思議はない。
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【続きは】↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=886320216&owner_id=5019671&org_id=885700960


【090407追記】
 文中で使った「なし崩し」も誤用らしい。
 こういう内容の文章で誤用があると、ハンパなくハズい。(←オイ!)
朝日新聞から番外編?──tobirisuのdomisu】(2008年11月16日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=996479162&owner_id=5019671
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