電脳の譜 2

【2】1回戦 サークラ対矢部光一四段(5組優勝)

 神戸四段にかわって棋神戦本戦に臨むサークラの対局は電王戦と同様にネットで実況中継されることになり、大盤解説は全局和田棋神が担当することになった。
 組み合わせは、1回戦から因縁の対局だった。
 先の電王戦でもトップバッターとして登場した18歳の矢部四段は、プロになってまだ2年ちょっとしかたっていない。16歳でのプロ入りはかなり早く、現行の制度になってから3番目のスピードだった。早くプロ棋士になったからといって大成するとは限らないが、並外れて早熟な棋士が才能に恵まれていることはデータが物語っている。
 過去に中学生でプロになった棋士はわずか3人で、いずれも名人になっていた。埴生名人もその3人のうちのひとりで、和田棋神は現行の制度になってから最も早く、中学卒業後2か月でプロになっている。
 矢部四段は、電王戦ではきわめて合理的な方法で将棋ソフトに快勝した。対局相手はコンピューター将棋大会5位入賞のソフトで決して弱くはなかったが、事前に入念に研究し、角換わりの戦形で〝ある局面〟になると悪手を指す癖を見つけていたのだ。
 対局が始まると、矢部四段は巧みに〝ある局面〟に誘導した。将棋ソフトは矢部四段の予想どおり桂馬を跳ね、無理攻めをして自滅した。この段階では、「ソフトはまだプロ棋士のレベルではない」という意見が大勢を占めた。
 矢部四段の作戦が事前の研究を踏まえたものであることが明らかになると、その鮮やかな手際を賞賛する声が相次いだ。だが、なかには「フェアじゃない」という意見もあった。
 サークラは電王戦で対局した将棋ソフトよりも格上とされていたが、矢部四段が今度はどんな研究の成果を見せてくれるのか、というのが見どころのひとつだった。
 先手の矢部四段は、前回と同じように角換わりに誘導し、あえて自ら角を交換した。手損になるので常識では考えられない作戦だったが、今度は誰も驚かなかった。電王戦のときと同じ作戦であり、〝ある局面〟に誘導するためには後手の立場になる必要があったからだ。
 矢部四段もサークラも慎重な指し回しで時間を小刻みに使い、序盤はゆっくりとした進行になった。矢部四段の前に座ってサークラの「代指し」を務めているのは、電王戦と同様に10代の奨励会員だった。サークラの開発者が「代指し」を務める案も出たが、駒の扱いに慣れていないので、奨励会員が起用された。ぎこちない手つきで指されると、プロ棋士のほうが気になってしかたがないだろう、という配慮だった。
 大盤で指し手を追う合間に、和田棋神が観客席の最前列に座っている作家の森山良彦に話しかけた。
「森山先生、ここまでの指し手で、何か気になったことはありませんか?」
 森山は将棋をテーマにした作品で前年に新人賞を受賞し、サークラの棋神戦の観戦記者として招待されていた。新人とは言っても50歳近く、和田の父親とさほどかわらない年齢だった。対局開始直後には壇上で紹介され、いまは最前列でパソコンを操作しながら観戦していた。
「私の棋力ですと、なんとも。とりあえず、まだ形勢は互角なのではないか……という程度のことしかわかりません」
 マイクを手にした森山の遠慮がちな言葉に、会場が笑いに包まれる。
「先ほどは言い忘れましたが、先日、森山先生は将棋連盟の小谷会長に二枚落ちで圧勝し、二段を贈られています」
 会場に大きな歓声と拍手が起きた。
「圧勝なんてやめてください。あれは小谷先生が手加減してくださって……」
 と言って照れ笑いを浮かべた森山は、すぐに真顔に戻った。「現在の対局と直接関係はありませんが、サークラの対局を観戦できるのが今日だけなのか、それともあと何回かあるのかわからないので、この場でお訊きしたいことがあります。電王戦に関して質問が2つありますが、よろしいでしょうか」
「なんでもどうぞ。ただ、答えにくいような質問は勘弁してください」
 和田棋神は笑みを浮かべた。「たとえば、サークラに勝つ自信があるか、なんて質問は禁止します」
「今回の観戦記を担当するにあたって、できるだけ中立の立場で書こうと考えています。本音を言えば人間の棋士に勝ってほしいのですが、そう言ってしまうとおかしな観戦記になりそうです。そのことを踏まえまして……ここはほぼ棋士寄りのかたが多いと思うので、こんなことを言うと無事に帰してもらえない気もしますが……」
 と言って森山は口ごもった。「ネットなどでは、電王戦の矢部四段の勝ち方に関して、賞賛の声があがる一方で批判する声もかなりありました。事前に対局相手を研究するのは当然でしょうが、あの一戦のしかけの桂跳ねは、ソフトの癖と言うよりバグというかエラーに近く、そこを衝くのは〝事前の研究〟とはちょっと違うのではないかという考え方なのでしょう。副将戦のようにソフトが苦手な入玉将棋に持ち込むことに関しても、同じような意見を目にしました。このあたりに関して、和田棋神はどうお考えですか」
 森山のややきわどい発言に、会場がざわつく。
「そうですね……この微妙な空気を承知の上で、危険をかえりみずに勇気あるコメントをありがとうございます。これも観戦記を書くために必要な質問なのでしょうから、無事にお帰りになれることを祈ります」
 緊迫した空気が和田棋神の言葉で笑いに包まれ、会場が静けさを取り戻す。ネットの実況中継に設けられている投稿欄ではかなり過激なコメントも飛び交ったが、こちらもすぐにおさまった。
「以前、ボクが将棋ソフトと対局したときも、棋士仲間と何日もかけて真剣に研究しました。どの程度の実力なのかわからなかったし、とにかく得体が知れない相手というのは怖いんです」
 電王戦の盛り上がりで人間対コンピューターの対局が注目されるようになったが、プロ棋士と将棋ソフトとの初対局は、2007年に実現している。当時最強とうたわれた将棋ソフトと対局したのは、ほかならぬ和田棋神だった。
 中盤までは将棋ソフトがわずかに優勢とされたが、和田棋神は最後まで冷静にチャンスをうかがい、終盤に逆転して勝利をおさめた。この段階で、将棋ソフトの実力は奨励会有段者レベル、つまりもう一歩でプロ棋士、くらいの実力ではないかといわれていた。和田棋神が勝利をおさめたが、決して楽勝の内容ではなかったため「実際にはもっと強いのではないか」という見解も出た。
 その後、同じソフトが2010年に女流棋士を破っているが、なぜかほとんど話題にならなかった。
「あのときは、いろいろ考えた末、結局人間が相手のときと同じようにきわめて普通の指し方をしました。正攻法ともいえますし、バカ正直で芸がないともいえます。コンピューターが魔法を使うわけではないので、普通に指して悪くなる理由はないと考えたのですが、そのせいで冷や汗をかきました。あの当時でも、ちょっと悪手を指すと負ける可能性はあったと思います。いまは将棋ソフトがあのときより数段強くなっている印象ですから、対局するなら相当研究する必要があるでしょう。もし仮にボクが矢部四段の立場で、エラーに近いソフトの癖を見つけたら、躊躇なくそこを衝きます。というか、あんな癖を発見したら、小躍りしてつけ込みます。これ以上確実な安全勝ちはありませんから」
 と言って、和田棋神は聞き手の藤野総子女流初段を見た。「こういう考え方は、フェアじゃないんですかね。藤野さんはどう思いますか?」
「ここでそう来ますか」
 と藤野女流初段は笑いながら言った。「この場で、それをフェアじゃないという勇気はありません。ではなく、そんなことをいうのは初心者の感覚じゃないですか?」
「たしかに……将棋を覚えたばかりの頃は、待ち駒は汚い、とかいったりします。プロがそんなことをいったら笑われます。確実に勝とうとする手を、昔は〝友達をなくす手〟なんていいました」
「いいました、いいました。なんか懐かしいですね。いまは辛(から)い手っていい方のほうが普通でしょうか」
「いまの若手は勝負に辛い、なんていい方もあったと思います。いまはその人たちが年を取って、勝負に辛い人ばかりですからね。ボクらの世代も含めて、みんな友達がいないんじゃないですかね。勝負なんですから、確実に勝つ手があるならそちらを選ぶのは当然でしょう。相手の弱点を見つけたら、そこを衝くのは当然のことで、それを批判するのは筋違いです」
 と言って、和田棋神は少し間をおいてやや上方に目をやった。対局中に読みにふけっているような表情だった。「人間と対局するときに、相手の苦手な戦形を選ぶのとは意味が違う、という考え方もわかります。プログラムを書きかえないかぎり、同じ場面になれば同じミスをすることをわかっていて戦うのですから。でも、そういったことを含めての研究だと思います。同じように、もし将棋ソフトが入玉将棋を苦手にしているなら、そこを衝くのも立派な作戦です。ボクは入玉将棋があまり得意ではないので、そんなおそろしい作戦は使えませんが。少し場面をかえればわかりやすいかもしれません。画期的な新戦法を発見して、対策を知らない相手を一方的に破ったとします。こちらは十分に研究していて、相手は見たこともない戦法だったら、手も足も出ないでしょう。それが優秀な戦法なら、なおさらです。まさか、それをフェアじゃないと言う人はいないはずです」
 小さくため息をついたあと、和田棋神は話を続けた。「もし……矢部四段にミスがあったとすると、事前の研究で気づいたことを正直に言ってしまったことですね。意外なしかけに動揺したけどとっさに対応したことにすれば、的外れな批判を受けることはなかったはずです。これは大きなミスでした。敗着にもなりかねません」
 ユーモアあふれる和田棋神の言葉に会場には何度も爆笑が起こったが、最後の笑いはひときわ大きかった。森山も笑いを浮かべながら、質問を続けた。
「もうひとつの質問です。電王戦を見た限りでは、将棋ソフトが先攻する場面が多かったと思います。しかも、いずれも無理攻め気味でした。そのせいか、解説の先生はプロ棋士側が有利という見方をしていました。私が疑問に思うのは、このときに実況中継の大盤解説に表示されていた将棋ソフトによる形勢判断です」
 電王戦をネットで実況中継した「ワラワラ動画」では、画面の中央上部に、ほかの将棋ソフトによる形勢判断を示す「評価関数」が常時表示されていた。1手ごとに再計算され、数値が変動した。プロ棋士がはっきり優勢になったときを除くとほとんどの局面で将棋ソフトが有利と評価し、解説するプロ棋士の形勢判断と異なることがたびたびあった。
「無理攻め気味であっても、コンピューターを有利に判定していました。アマチュアのレベルだと、攻めているほうを有利と考えがちなのはわかるのですが、そんな単純な考え方をしているとは思えません」
 と言って森山は小さく笑った。「これも将棋ソフトの癖なのでしょうか」
「そうですね……将棋ソフトにもいろいろな個性があって、少しずつ考え方が違うはずです。共通の傾向として、いわゆる攻め将棋のような気はします。形勢判断の基準も、正確なところはわかりませんが、人間の判断とは少し違うようです」
 そう言うと、和田棋神は再びやや上方に目をやった。「無理攻め気味だった、というのは同感です。でも、プロ棋士が、どっちが指しやすいとか、ひと目無理攻めとかいうとき、実は具体的な理由は説明できないことが多いんです。一番の理由は、なんとなく、ってことになる気がします。説明できないからいい加減な判断というわけではなく、だいたい合っています。直感的な判断……というより総合的な判断といったほうがいいでしょう。プロ棋士をやっていられるのは、その判断力があるからともいえます。時間がないときは、読み切れなくても指さなければなりませんから。ファジー理論などというとマシンのことを指すみたいですが、ある意味、人間の考え方のほうがよっぽどファジーなんです」
「コンピューターは、そういう曖昧な考え方はしない、というかできない……と」
「まあ、そういうことです。いずれにしてもはっきりしていることは、どんなに無理攻めでも、相手が適確に咎めることができなければ、手段としては成立しているということです。電王戦で見せた将棋ソフトの攻めはたしかに無理攻め気味ですが、具体的に咎める手段が見つからないのなら、無理攻めとはいえないと思います。こんなところで答えになっていますか?」
「たいへんよくわかりました。ありがとうございます」
「ほかにも何かあったら遠慮なく訊いてください」
 和田棋神の言葉に、会場に拍手が広がった。

 局面は、途中の手順こそ違ったが、〝ある局面〟に近づきつつあった。避ける手順はいくらでもあったのに、矢部四段はもちろんのこと、サークラも変化しなかった。
「次に後手がこう金を上がり、先手が桂を跳ねると、問題の局面とまったく同形になります」
 大盤で駒を動かしながら、和田棋神が解説する。
「ここでの6五桂跳ねは、なくはないのでしょうが、やや無理筋でしょう……直感ではなく、総合的な判断です」
 と言って、和田棋神はひと呼吸置いた。「たしか……あの対局のときも、コンピューターの形勢判断は6五桂のしかけのあとも将棋ソフトが優勢でした。もしかすると、将棋ソフトの統一見解として、この局面での桂跳ねがアリなのかもしれません。どこかで研究会でも開いているのでしょうかね。ということは、サークラも同じ攻めをする可能性があります。そう指してくれると、矢部四段の快勝譜が再現されるかもしれません」
 会場から拍手が起こる。
 観客の期待どおり指し手が進み、問題の場面でサークラが考えはじめた。将棋ソフトとしては長考の部類になる10分弱の考慮時間で選んだのは、しかけの桂跳ねではなく、守りを固める4二金右だった。会場がどよめいた。
 意表をつかれたのか、矢部四段の指し手が止まる。
 長考の末に、矢部四段は1筋の端歩を突いた。サークラは端歩にあいさつをせずに囲いを穴熊に組みかえ、数手前より格段にかたい形に整えた。その間、先手には有効手がないことを見越した手順だった。
 守りを十分に固めたうえで例によって無理気味のしかけに踏み切り、細い攻めを巧みにつないで押し切ってしまった。


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電脳の譜【3】
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