電脳の譜 4

電脳の譜【1】
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電脳の譜【4】
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【4】3回戦 サークラ対新崎修八段(1組5位)

 サークラの3回戦の相手は、「埴生世代」の新崎修八段だった。第一線で活躍を続ける「埴生世代」のなかではやや精彩を欠く印象があり、かつてはA級に在籍していた順位戦も、現在はB級2組に甘んじている。
 長年名人位を争っている埴生名人と木内九段が、小学生名人を争って以来のライバルという話は広く知られている。しかし、実はそれより先に埴生名人のライバルだったのは新崎八段で、「小学生名人戦低学年の部」の決勝で対局している。優勝したのは、この段階では棋力が上だった新崎少年だった。埴生少年が小学生の将棋大会で活躍するようになったのは、新崎少年がひと足早く奨励会に入って大会に出場しなくなってからのことだ。
 埴生少年が後から奨励会入りし、異例のスピードでプロになったことに、新崎少年はショックを受けたという。「自分より下」と考えていた相手に、あっという間に抜き去られたのだから無理もない。
 奨励会時代の新崎少年は、お世辞にも勤勉とはいえなかった。そこそこ将棋の研究もしながら、中学生の頃から雀荘や飲み屋に入り浸り、中学校すらまともに卒業しなかった。
 それでも才能がズバ抜けていたのだろう。そこそこの研究でもプロ棋士になり、20歳のときにはテレビ棋戦で優勝して脚光を浴びている。「埴生世代」のなかで全棋士参加棋戦で優勝したのは、埴生、木内に次いで3番目の早さだった。
 当時、ひそかに新崎に注目していた森山は、このあたりのことをよく覚えていた。
〈もし新崎八段が将棋しか取り柄のない人間だったら……〉
 そんなふうに思うこともあった。新崎は若手の頃からあまりにも多才だった。軽妙洒脱な話術はテレビの将棋番組でコーナーをもつほどだったし、多数の将棋の本以外にエッセイ集なども出版していた。ギャンブル好きも広く知られ、「将棋よりも好き」と公言する麻雀では、プロアマオープンの大会で優勝したこともあった。そのマルチタレントぶりは、師匠の米中永世棋聖にヒケをとらないといわれ、一部では、凌駕しているという声さえあった。
──兄たちは頭が悪いから東大に行った。自分は頭がいいから将棋指しになった。
 数多い米中語録のなかでも、最も知られているのはこの言葉だろう。少し考えれば、誇張などではないことがわかる。全国からプロ棋士を目指して奨励会に入ってくるのは、地元では神童扱いされる天才少年ばかりなのだ。早い者は小学生のときから将棋漬けの日々を送って過酷な競争を続ける。究極の英才教育で鎬を削り、プロ棋士になれるのは1年にたった2人だけ。東大に入るのとどちらが難関なのかは明らかだった。
 新崎少年は、そんな天才少年のなかでもひときわ有望な原石だった。しかし、いつしか輝きを失っていく。どこでボタンを掛け違えたのか、どこで歯車が狂いはじめたのか……おそらくそれを一番知りたいのは本人だろう。
 順位戦で3期連続昇級を果たし、30歳を前に念願のA級入りして八段に昇段したが、2期でB級1組に降級する。このあたりから、新崎八段は目立った活躍がなくなる。まだ衰える年齢ではないのに、年度別の成績で見ても5割前後の勝率しか残せなくなった。昨年1組にカムバックした棋神戦で5位に入賞し、本戦に進んだのは久しぶりのことだった。
 白髪まじりですっかり中年の風貌になった新崎八段は、どこか昔の棋士の香りを残していた。「最後の無頼派」などと呼ばれるのも、そういう雰囲気のせいなのだろう。

 大盤解説会場のモニターに対局室の新崎八段の様子が映し出されると、会場は一瞬異様な静けさに包まれたあと、ざわめきが広がった。新崎八段は頭を剃っていた。棋士の正装ともいえる和服姿なので、スキンヘッドというよりも「剃髪」という古風ないい方が似合いそうだった。2回戦の船井五段のやつれ果てた姿も見る者に衝撃を与えたが、新崎八段の異様な出で立ちのインパクトは、はるかに上を行った。
 対局が始まる。先手のサークラが7六歩とすると、新崎八段は少考して6二玉と上がった。落ち着きを取り戻しかけていた会場に、再びざわめきが広がる。前年の第1回電王戦で、米中永世棋聖がとった作戦だった。
「これは、意外な手が出ました……」
 と言って和田棋神が言葉に詰まった。「昨年、米中永世棋聖が将棋ソフト戦用の秘策として指した一着で、新米中玉などと呼ばれる形です。この手は……ひとことでいうと、定跡を外した一手なんですが、いい作戦かどうかはなんともいえなくて……解説不能です」
 和田棋神らしくない歯切れの悪い口調だった。いつもは、少し考えたあとにむしろ早口気味に言葉が出てくる。
「ちょっとよろしいでしょうか」
 森山が珍しく自分から手をあげた。「昨年の電王戦は観戦していなくて、結果をあとから聞きました。米中永世棋聖が初手に6二玉と指したと知ったとき、たいへん失礼とは思いながら、なんてバカなことを、と思いました。駒落ち将棋の上手の指し方にしか見えなかったもので。端的にいうと、将棋ソフトを見下してかかって、余裕を見せたのじゃないか、と疑いました。そんな態度に出て負けたのではシャレになりません。実際には、米中永世棋聖は将棋ソフトの実力を知った上で、考え抜いた作戦としてああ指したと知って安心しました。ただ、はたしてあれが作戦としてよかったのか、もちろん私には不明です」
 事前に将棋ソフトとの練習将棋を重ねたうえで、最も勝てる可能性が高い手として米中永世棋聖は6二玉を選んでいた。将棋ソフトのデータベースにない手を指すことによって、泥仕合に引きずり込む作戦だった。しかし、それは「正攻法では勝てない」と認めたことになりかねなかった。計算ずくの作戦だったが、異様に見える指し方を「奇策」「愚策」と批判したメディアもあった。将棋をよく知らない記者のなかには、「晩節を汚した」と書いた者までいた。
「そうですね……普通に考えると6二玉は平手戦ではめったに見ない手で、将棋ソフトとの戦いに限って可能性がある手……と言っておきましょうか」
「話が前後して申し訳ありませんが、2回戦のサークラ対船井竜平五段戦に関してお訊きしたいのですが……」
「もしかすると、類似局があったことでしょうか」
「お察しのとおりです。一部のメディアで、あの終盤にはよく似た前例があったと話題になっていたようですが……」
「こういう類似局の発見はコンピューターが得意なんですが、これは控室で観戦中の伊藤康光九段が気づいたそうです。問題の類似局は、1988年の順位戦で後手の埴生名人が勝った対局です。その対局は角換わりではなく矢倉の将棋でしたが、終盤の形はほぼ同じでした。当時五段だった埴生名人が大逆転したことで、〝埴生マジック〟の初期の名局として伊藤九段は覚えていたそうです。それにしても25年前の対局ですよ。自分で指した将棋なら別ですけど……いったいどんな記憶力をしてるんでしょうね」
「プロ棋士の先生方の記憶力のことを疑問に思うのは、ずいぶん昔にやめました」
 と森山がおかしそうに言う。「一般人から見ると、どんな記憶力をしているのか不思議な人ばかりですから」
「先日の一局にしても昔の埴生五段の対局にしても、もしかすると大逆転ではないのかもしれません。いったいどのくらい前から、2八飛車以降の一連の手順が見えていたのか。もしずっと前から読めていたのなら、〝大逆転〟ではなく、単なる〝読み筋〟になります。埴生五段の指した手順が、サークラのデータベースに入っていたんですかね。このあたりは、開発者に訊けばわかるのでしょうか」
 話しながら、和田棋神は大盤の駒を手早く動かして後手が2八飛車を打つ直前の局面をつくった。
「そうですね……仮に〝次の一手〟の問題として出されたら、無理矢理ひねり出すかもしれません。逆転の一手が必ずある、という前提で考えますから」
 と言いながら、2八に何度か飛車を打ち付けた。「でも実戦ではこんな手は思いつきません。もう投了してもおかしくない局面です。少なくとも……ボクにはこの局面で2八飛車は打てません。角に成られるとほぼ受けなしですから、一番ダメな手に見えます。かといってほかにどんな手があるかというと……」
 角が成った局面を前にして、和田棋神は腕組みをしてしばらくの間考え込んだ。
「やはり普通は思いつきません。こんな手が指せたら気持ちがいいでしょうね。ギリギリまで引きつけて、鮮やかなカウンターが決まるみたいで。普通はここまで追いつめられる前になんとかしようとします。ここまで行ってしまったら……諦めます」
 和田棋神は盤面を崩し、解説の局面に戻した。
 ゆっくりとした序盤は、見慣れない形になっていた。振り飛車に構えた先手は普通の駒組みだったが、後手の金銀がスクラムを組むような形で盛り上がっている。
「やはり駒落ち将棋にしか見えませんね」
 と言って和田棋神は苦笑した。「誤解しているかたが多いようなので解説しておきますが、こういう将棋……全面的なおさえ込みを図る将棋は、メチャクチャにたいへんなんです。攻略するほうは一点だけ隙を見つけて突破すればいいのですが、おさえ込むほうはすべてをケアしなければなりません。苦労の多い将棋、といえるかもしれません。おさえ込みに成功すると、圧勝します。逆におさえ込みに失敗すると、たいてい一方的に負けます。結果は大きく違いますが、実際には紙一重なんです。昨年の対局も米中永世棋聖が大差で負けたと思っている人が多いようです。実際には、中盤までは米中永世棋聖のほうが優勢でした。ただ、たった一手のミスでほころびが生じて、負けてしまったということです。その一手のミスを見逃さなかった将棋ソフトはさすがでした」
 このとき、会場に棋譜が届けられた。和田棋神は口元を抑えてスタッフと小声で打ち合わせをした。
「たったいま、昨年の電王戦の棋譜が届きました。これから棋譜の解説をしようと思いましたが、同じ〝おさえ込み〟がテーマなら、先日の武浦八段とサークラの将棋のほうの解説を聞きたい人が多いのではないかと思うのですが。こちらも棋譜が用意されています。先ほど、せっかく取り寄せた棋譜をムダにしてもいいと運営側の許可はいただきましたので……多数決で決めますか、藤野さん」
「そうしましょうか」
 藤野女流初段が笑顔でこたえた。
 拍手による多数決をとると、武浦八段とサークラの一戦の解説を希望する人が圧倒的に多かった。戦形が一般的な相矢倉であり、何よりも記憶に新しい一局のほうが人気が高いのは当然のことだった。
「といっても、この将棋もさんざんメディアで取り上げられているので、皆さんのほうが詳しいかもしれません。あまり時間もないんでホントにポイントだけ」
 和田棋神は例によって大急ぎでしかけの局面を再現した。
「ここまでは定跡どおりで、この7五歩のしかけから8四銀というのは、ありそうでなかった手順です。持ち時間の短い実戦でこんな手を指されたら相当焦ります。これで有力な対抗策がないなら、新定跡になるんでしょうかね。少し無理気味って気がしますが。対して武浦八段がおさえ込みの方針に出ます。この方針は間違っていないと思いますが、なにしろサークラが巧みでした。ボクが一番驚いたのは、66手目のこの7四歩から6四歩のあたりですね。こんな細い攻めでうまく行くのだろうか、と思っていたらうまく行ってしまいました」
「細い攻めをつなぐ……というのは、和田先生の代名詞だと思ってましたが……」
 藤野女流初段が遠慮がちにツッコミを入れる。
「そんなふうにいう人もいるようです。ボクだってそういう貧乏くさい攻めが好きなわけではなく、豪快に大駒をたたき切って、って攻めをすることもあるんですけど。まあ、どちらかというと細い攻めをネチネチと貧乏くさくつなぐことが多いですね」
 と言って和田棋神が苦笑いを浮かべた。
「その和田先生が驚くんですから、相当すごい技術なんですね」
 と言って藤野女流初段も笑う。話をしながら、局面は進んでいく。
「厳密にいうと、武浦八段にも小さなミスがあったと思います。おそらく、ここで7五金と上がるよりは、8六の銀が7五に上がるほうがよかったでしょう。ただ、これが決定的なミスとは思えません。小さなミスがいくつかあったにせよ、とにかくサークラの対応が正確で、ほぼノーミスだったと思います。経験のない戦形で、こういう対応をされると、かなり厳しいものがあります」
 解説を挟みながら投了までの手順を並べて、和田棋神は小さく首を振った。
「最後は非常に残念な形で終わりました。ただ、先ほどもお話ししたように、こういう将棋は勝つにしても負けるにしても大差になるものなんです。この一局について〝王手さえかけられない惨敗〟みたいなことを書いていた週刊誌がありましたが、そういうことではないんです。あれは将棋をあまりよく知らない人が書いたんでしょうね。同じプロ棋士として、ああいう書き方はちょっと許せないものがあります」
 観客席から大きな拍手が起き、和田棋神は照れたような笑いを浮かべた。
「済みません。ちょっと熱くなってしまいました。電王戦に関しては、将棋の専門誌以外のメディアがいろいろ取り上げてくれて……そのこと自体はありがたいのですが、将棋に対する理解不足の記事が目についたもので。まあ、いずれにしても、苦労が多い方針なので、将棋ソフトを相手におさえ込みに行くのは危険って気がします」
「じゃあ、先生ならサークラ相手にどう指しますか?」
「いきなり直球ど真ん中の質問ですね……」
 和田棋神の苦笑まじりの言葉に笑いが起きた。「詳しいことは企業機密なので話せませんが……以前、ボクが将棋ソフトと対局したときは、相手が飛車を振ってくれたので、きわめて普通の定跡どおりの駒組みになりました。もし、相手が居飛車で来たら……現段階の予定では、矢倉は避けるのではないかと思います」
 と言いながら、和田棋神は盤面を初形に戻しはじめた。「と……さりげなく話を逸らすモードに出たりして」
「ここはあえてツッコみます。サークラの矢倉は手ごわいとお考えなのでしょうか」
「いやその……もっと研究してみないとなんともいえませんが、矢倉戦に関してはまだ隠し球をいくつかもっている気がします。だとすると、ウカツには踏み込めないような……。先手番の矢倉なら避ける理由はないと考えていたのですが、武浦八段との対局を見て弱気になっています。その点、角換わりだと飛車先の歩を無条件で切らせてくれるんですから、こちらを選ぶべきでしょう」
「そういえば、今年の名人戦で指された矢倉戦の新手も、最初に指したのは将棋ソフトだったと聞きましたが……」
「いやまあ、そのあたりは研究されている途中なので、話しはじめると長くなります……ということで、解説に戻りましょう」

 戦いは中盤にさしかかっていた。
 見たこともないような将棋で、どこに注目すべきか森山にはさっぱりわからなかった。後手の駒が前進を続け、全局を圧倒しているようにも見える。しかし、低く構えた先手陣は、多少息苦しさを感じながらも隙がなかった。意味のないパスのような手順をまじえながら、互いに戦機をうかがっていた。
 森山はモニター越しに新崎八段を注視していた。普段は笑みを絶やさず人のよさそうな顔をしているが、将棋盤に向かうと人がかわる。今日は一段と表情が険しく見えるのは、スキンヘッドのせいだけではないだろう。
 和服の正装にしても青々と剃り上げた頭にしても、師匠の弔い合戦に臨む決意を示しているような気がした。昔、名人初挑戦に際して頭を剃った棋士がいた。主として威嚇が目的といわれたが、コンピューターが相手だとそんな効果はない。純粋に新崎八段の決意を表わしているように思えた。しかも、あえて師匠と同じ異筋の6二玉を指して将棋ソフトという怪物に立ち向かう。
 米中永世棋聖が放任主義だったのをいいことに、新崎八段は好き勝手な棋士生活を送ってきたようにいわれている。だが、師匠と弟子は、第三者にはうかがいしれない絆で結ばれているのではないか。
〈将棋の神様の思し召しなのでは……〉
 サークラの棋神戦参戦が決まったとき、森山はそんなふうに思った。
 米中永世棋聖が最後の晴れ舞台として選んだ将棋ソフトとの戦い。それは「汚れ役を買って出た」とも「最悪のパフォーマンス」ともいわれた。翌年の電王戦を経て、サークラが棋神戦に参加する。久々の本戦出場を果たした新崎八段にとって、師匠の無念を晴らすのにこれ以上の舞台はなかった。
 それまでにほかの棋士が勝ってくれることを願いながら、森山はサークラと新崎八段との一戦が見たかった。輝きを取り戻した新崎八段の姿が見たかった。サークラは若手棋士を薙ぎ倒し、新崎八段の前に姿を現わした。あとは将棋の神様に祈るしかなかった。
 だが、新崎八段の想いも、森山の祈りも、一瞬で打ち砕かれた。
 長い中盤戦が続く中、慎重な駒組みを続けていた新崎八段が、小さな隙を見せた。それは、隙というほどでもないほんのわずかなほころびだったのかもしれないが、サークラは見逃さなかった。巧みにそこをつき、五手一組の有無をいわさぬ鮮やかな手筋で突破口を開いてしまった。
 あとは和田棋神が解説していたとおりだった。おさえ込みに失敗した将棋は、勝負どころもないままサークラが一方的に押し切った。





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