電脳の譜 5

【5】準々決勝 サークラ対藤江剛九段(1組4位)

 特別戦を入れると4連勝でサークラがここまで勝ち上がってくると、メディアの注目度もいっそう高くなる。準々決勝に進んだサークラの相手は、振り飛車党の党首ともいえる藤江剛九段だった。
 ここで藤江九段も敗れると、次は埴生名人が対戦することになる。
 〈埴生名人とサークラの対局を見たい〉
 多くの将棋ファンは思った。その気持ちは、観戦記を担当する森山も同様だった。しかし、その半面「見るのが怖い」という気持ちもあった。
 〈埴生名人ならなんとかしてくれる〉
 という思いが強かったが、「もし埴生名人が負けたら……」と考えずにはいられなかった。昨年の電王戦で、最初にオファーがあったのは埴生名人だったといわれる。埴生名人は、もし対局するなら「対局を含めてほかの仕事を全部休んで1年間研究させてほしい」と条件を出した。将棋ソフトとの対戦には興味があるが、やるならばそれくらい入念な準備が必要と考えていた。
 チェスの達人でもある埴生名人は、ボードゲームの世界におけるコンピューターの恐ろしさをよくわかっていた。もしこの条件を呑むなら数億円の対局料を用意する必要があり、複数のタイトルをもっている棋士を1年間休場させるのは、事実上無理だった。そこでやむを得ず、米中会長が自ら対戦相手に名乗りをあげたという裏事情があったとされる。
 藤江剛九段も「埴生世代」のひとりとされていたが、新崎八段と並んで異質な棋士といわれていた。まじめな印象のある「埴生世代」のなかにあって、藤江九段の言葉には妙な味があった。
 埴生名人のようにどんな戦形も指しこなすオールラウンダーが振り飛車も指すことに関して、「こちとら鰻しか出さない鰻屋だからファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」と語った言葉は広く知られる。自らを専業の鰻屋、オールラウンダーをファミレスにたとえた絶妙の比喩だった。言葉の裏に、振り飛車党としての自負が感じられた。振り飛車ファンを泣かせるような名言を残しながら、数年後には独特の矢倉戦法を連採するあたりも、藤江九段の憎めないところだった。
 藤江九段は棋神戦の縁の深い棋士だった。六段当時の1998年に4組で優勝して本戦に出場し、挑戦者に駆け上った。タイトル戦では小谷浩司竜王を4対0の一方的なスコアで打ち倒し、〝棋神ドリーム〟を実現している。彼が創案した独特の戦法は「藤江システム」と呼ばれ、革命的な戦法として脚光を浴びた。天敵ともいえる居飛車穴熊に苦しむ振り飛車党にとって、天恵ともいえるような戦法だった。
 藤江九段は当時、類いまれな序盤感覚に加え、正確な終盤力にも定評があった。ところが近年は終盤のポカが多くなり、そのことを自嘲的に語ることがあった。その「ボヤキ」にも似た飄々とした口調がファンを増やしていた。必勝の将棋をポカで逆転されて「芸術的だろ」と語った言葉は語り草になっている。
 電王戦への参戦について訊かれ、「50手までで、バリバリの若手にバトンタッチできる条件なら」と語ったともいわれる。終盤のポカを逆手にとった冗談ともいえるが、序盤への並々ならぬ自信の表われともいえた。

 2回戦、3回戦と違い、将棋は静かな立ち上がりを見せた。
 振り駒で後手になった藤江九段がとった作戦は、ここ数年指されることが多くなった角道を止めない四間飛車だった。初めて指したのが誰なのかは諸説あり、アマチュアの間で広まった戦法ともいわれる。
 それをプロ棋戦でも通用する戦法として確立したのは藤江九段だった。通常はそのまま角交換になるのだが、どちらも交換しないまま駒組みが進んだ。先手が美濃囲いを選んだ段階で、後手が24手目に角道を止める。やや意外な展開だった。
 「ここで後手が角道を止めましたか。どちらも交換する機会はあったのにこうなるのは、意外な感じもします。居飛車穴熊にするのを阻止できただけ、後手が得をしたという見方はできるかもしれません」
 和田棋神は首を傾げながら解説した。「これだと、昔からある美濃囲いの対抗形になりそうですね。大山名人の棋譜などでも似た形を見ますから、30年くらい前からある形だと思います。こういう将棋は森山先生もなじみがあるのでは」
 「ちょっと意外ですね、こういう昔からの駒組みになるのは」
 「というと、最新形の振り飛車がご希望でしたか。前からお訊きしたかったのですが、森山先生は、サークラとどの棋士の対局が見てみたいですか」
 「少し、素人ならではの感想をよろしいでしょうか」
 「大歓迎です……よね? 藤野さん」
 「そこで急に私に振らないでください。森山先生、お願いします。」
 藤野女流初段が笑顔でうながす。
 「こういう言い方は、ほかの棋士に対して失礼なことは承知のうえで、勝手なことをいいます。最初にトーナメント表を見たとき、新崎八段との対局に興味を覚えました。このところ、新崎八段が復調した感じがあったもので。米中会長の弔い合戦という意味合いでは弟子の新崎八段がふさわしいでしょう。トーナメント表を別にすると、全棋士のなかで……和田棋神と埴生名人は別格ということで外しますね」
 「なんだか仲間外れにされたみたいです」
 「別格扱いです。仲間外れではありませんよ」
 和田棋神のボケに、藤野女流初段が笑顔で適確なツッコミを入れる。
 「一番見たいのは、なんといっても藤江九段との対局でした」
 森山の言葉に、大きな拍手が起きた。
 「何か特別な理由がありますか?」
 「特別な理由ではありませんが、まず単純にサークラの対振り飛車の戦い方が見たかったんです」
 「そうですね……電王戦にしても、棋神戦にしても、対振り飛車の将棋は一局もありません。将棋ソフト同士の振り飛車対居飛車の対局の棋譜はありますが、プロ棋士が相手だと違ってくるでしょう」
 「理由はもうひとつあって、いままでの将棋ソフトとの対局を見ると、例の角換わりの飛車先の件のように、序盤にやや難があるような気がします。終盤の正確さを考えると、やはり序盤か中盤で少しリードしていないと苦しいような気がします。その点を考えるとサークラを倒す可能性が一番あるのは藤江九段ではないかと……」
 「なるほど……よくわかりました。藤江九段なら序盤でリードする可能性が高いというお考えもよくわかります。ボクも何度もひどい目に遭っています」
 「済みません、素人考えで。藤江システムが登場したときの印象があまりにも強烈で、いまだにその幻影が残っている気がします」
 藤江九段が棋神になったのは1998年のことだから、もう15年がたつ。まだ六段だった藤江が考案した「藤江システム」の破壊力はすさまじく、居玉のまま居飛車穴熊に襲いかかる斬新さは類を見なかった。「飛ぶ鳥を落とす勢い」という言葉がふさわしく、棋神戦では挑戦者決定戦で埴生を破って挑戦者になった。挑戦者決定戦は3番とも熱戦で非常におもしろかったが、迎えたタイトル戦の内容がひどかった。
 〈あんなに無惨なタイトル戦がほかにあるのだろうか〉
 森山は当時のことを鮮明に覚えていた。
 タイトル保持者だった小谷浩司棋神は何もさせてもらえずに4連敗を喫した。「藤江システム」にはまったく対応できない印象で、「藤江システム」を避けて急戦を挑んでもまったく歯が立たなかった。慣れない相振飛車を指したのも苦し紛れにしか見えず、案の定完敗した。
 将棋や囲碁の世界に「手合い違い」という言葉ある。「手合い」とは、簡単に言うと対局者の実力に開きがあるときにハンディをつけることだった。つまり、実力の差が歴然としていて、「平手」や「互い先」で対局するのはむずかしいことを指す。昔は対戦相手を罵る言葉として「手合い違い」という言葉がよく使われた。このときの小谷棋神の惨敗ぶりは、まさに「手合い違い」を思わせた。

 対局はじっくりとした駒組みが続き、藤江九段がタイムリミットにしていた50手を目前に、やっと駒がぶつかった。ギシギシと音がしそうな王頭でのねじり合いが繰り広げられる。
 「うーん、どちらも引きませんね」
 和田棋神が首をひねる。
 「形勢はどうなんでしょう」
 藤野女流初段が訊く。
 「互角でしょうね。ということは、藤江九段が目指していた先行逃げ切りの形にはできていないということですね」
 駒を取っては打ち付け、忍耐強いやり取りが続く。先手のサークラは王の回りを金駒4枚で固め、後手はそれを強引に崩しに出る。
 神経をすり減らすような折衝のなか、やはりサークラの指し手は正確さを極めた。藤江九段に目立ったミスがあったわけではないが、形勢は少しずつサークラに傾いていった。
 桂馬で王手をされて後手玉が9三に上がる。先手が守りの要の金を取って追撃する。後手が9二に金を打って守った段階で、和田棋神が小さなため息を漏らした。
 「これははっきりしたかもしれません。後手玉が詰めろではありませんが、桂馬が入ると詰みます。ここで先手が受けに回ると、後手が先手玉に迫るためには、桂馬を渡すしかありません」
 盤面は和田棋神の指摘のとおりに進む。攻め駒の桂馬を取られて後手王に詰みが生じた。一方、先手の王は詰みそうにない。
 藤江九段は少なくなった残り時間の大半を費やして持ち駒の銀を手にし、6六銀と相手の歩頭に打ち据えた。自信に満ちた手つきで、心なしが指がしなっていた。
 「これはなんですか? えっ? うーん」
 和田棋神が首を傾げて考え込んだ。
 しばらく考えてから、和田棋神が言葉を選ぶようにゆっくりと口調で解説を始めた。
 「これは……いま風にいうと、〝神の一手〟かもしれません。タダ捨てに見える銀ですが、おそらくとんでもない妙手です。手の意味自体をを説明するのは……むずかしくありません。この銀がなければ、後手王は詰んでいます」
 ▲8三飛△同金▲同銀成△同玉▲8二飛△7四玉▲6六桂……と和田棋神は手順を進めた。
 「どこに逃げても、金を打ってピッタリの詰みです。ところが、6六銀同歩の交換が入っていると、この最後の桂馬が打てなくなります。かといって、持ち駒に銀が1枚増えても、後手玉には詰みがありません。この最後の6六桂が打てないと、けっこう詰みにくい形です。一方先手玉には、この銀打ちで詰めろがかかっています。これは作ったようなギリギリの〝詰めろ逃れの詰めろ〟ですね」
 6六銀の銀を取ると先手玉の詰みも消えるが、後手が必至をかけるのはむずかしくなかった。そうなると、まったく別の打開策を考える以外になかった。
 サークラが延々と考えはじめた。1時間近くあった残り時間が、徐々になくなっていく。和田棋神と藤野女流初段が後手の手段を考えるが、どうにもならなかった。
 「やはり絶妙ですね。2回戦でサークラが指した一連の手順もみごとでした。あれはどの一手がすばらしいというより、一連の手順全体がすばらしかった。今回の藤江九段の6六銀は、おそらくその上を行く絶妙手です」
 「そういえば……電王戦の船井五段の将棋にも6六銀のタダ捨てが出てきましたね」
 藤野女流初段が首を傾げながら言う。
 「そうですね……なんか不思議な巡り合わせですね。あの将棋は2度の6六がポイントになりました。船井五段の念力が藤江九段に伝わりましたかね」
 「6六の念力って……なんだかオーメンみたいですね」
 藤野女流初段の冗談に、会場がどよめく。 笑いを浮かべた和田棋神は小刻みにうなずきながら言葉を続けた。
 「あのときの6六銀は、妙手か悪手かよくわからない不思議な手でした。この6六銀は、間違いなく妙手です……とここまで力説して見落としがあったら、メチャクチャかっこ悪いなあ」
 残り時間が30分を切ってもサークラは指そうとしなかった。
 大盤解説会場に、対局場の控室での検討の様子が伝えられた。
 「藤江九段の勝ちという結論が出て、検討が打ち切られたそうです」
 藤野女流初段がうれしそうに言う。会場に拍手が起きる。
 「うーん。これで再逆転の妙手が出たら、ボクも含めて全員切腹ですかね」
 和田棋神がニコリともせずに言う。「その際は介錯をお願いします」
 「そんな怖いことをお願いされても……」
 藤野女流初段が笑みを浮かべながら言う。
 和田棋神は、あらためて6六銀への応手を検討しはじめた。
 「組み合わせがいろいろあって、ちょっとしたパズルのようなんですね。同歩と取ると、後手が先手玉に必至をかけたときに、やはり詰みはなさそうです」
 和田棋神はもう時折しか駒を動かさなかった。指先で指し手をたどるような仕草をしながら絡み合った糸を解していく。
 「しかし、6六銀を取らずに守るとすると……こう飛車を打つくらいしかないですかね。これもヘンな感じですね」
 飛車を打つ手もほとんど守りにならず、すぐに却下された。
 「結論としては……やはり後手の勝ちは動きそうにありません」
 残り時間は刻一刻となくなっていくが、サークラは指そうとしなかった。秒読みになり、最後の1分になったことがわかると、会場がざわつき始めた。
 〈まさかこのまま指さないのでは……〉
 森山は妙な思いに囚われた。プログラム的にそんなことがありうるのだろうか。そんなことをいえば、ここで1時間近く考えることもありえないはずだった。
 あと数秒で切れ負けになる……観客が固唾を呑んだとき、「代指し」の奨励会員が投了を告げた。
 サークラの棋神戦初参戦の記録は、4勝1敗(特別対局1を含む)で終わった。

※参考棋譜 ▲渡辺明王座対△羽生善治二冠(2012年/王座戦五番勝負第4局)
http://live.shogi.or.jp/ouza/kifu/60/ouza201210030101.html

 下記の仲間。
【将棋(と囲碁)の話 お品書き】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1986.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1385699944&owner_id=5019671


電脳の譜【1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2911.html
電脳の譜【2】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2912.html
電脳の譜【3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2913.html
電脳の譜【4】
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電脳の譜【5】
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電脳の譜【6】
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