デス・マス体が書きにくいワケ2
下記の仲間。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
mixi日記2009年04月06日から
下記の続きです。
【伝言板【板外編6】デス・マス体が書きにくいワケ1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
デス・マス体が書きにくい理由をもう一度確認する。
1)動詞で終わる文末がすべてマス(過去形の場合はマシタ)になる
2)「名詞+〇〇」の形がデス(過去形の場合はデシタ)の1種類しかない
3)体言止めや変則形が使いにくい
4)このほかに、文末を「~イ」(形容詞の終止形)にできない
「1」では主として4)について書いた。1)~3)に関しては「赤い本」でさんざん書いた。一冊丸ごとデス・マス体の悪口だったと言ってもいいくらいだ(実際にはもっといろいろなものに対して慇懃無礼に悪態をついたけれど)。
「赤い本」ではできるだけふれないようにしたが、デス・マス体で文章を書こうとすると、もうひとつ問題になることがある。
5)「なかった」に相当する言い回しがない
こんなことを書くと、「tobirisu大丈夫か」と心配されるかもしれない。ちょっと違うな。「とうとうイッちゃったか」と見捨てられるかもしれない。シクシク。
「1」であげた表から引く。動詞の否定形(「会わなかった―会いませんデシタ」など)もほとんど同じなので、以下、「なかった―ありませんデシタ」に限って話を進める。
現 在 形 過 去 形
デアル体 デス・マス体 デアル体 デス・マス体
ない ありマセン なかった (ありませんデシタ)
(ないデス) (なかったデス)
(ありませんデシタ)(ないデス)(なかったデス)はどの程度許容されているのだろう。おそらく世間では、(ないデス)(なかったデス)は(高いデス)(高かったデス)と同様の扱いだろう。使う人は使うだろうが、言葉に敏感な人は抵抗を示すはずだ。
問題は(ありませんデシタ)。
当方の知る限りだと、(ないデス)(なかったデス)は拒絶しても、(ありませんデシタ)を許容している人が多い気がする。
当方はこの形を使うことに抵抗がある。
以前、ネット上の質問箱に訊いてみたところ、歴史的な変遷などを教えてもらった。
http://kotobakai.seesaa.net/article/8255738.html
ただ、肝心の(ありませんデシタ)の是非はわからなかった。どうやら世間では許容されているみたい……程度の反応だった。まあ、そんだろうな。これを「絶対ダメ」にすると、けっこう困ることがある。
(ありませんデシタ)が不自然な理由は、次のように書きかえれば明らかだろう。
(ありませんデス)
(なかったデシタ)
この2つが明らかにおかしいなら、(ありませんデシタ)だっておかしいはずだ。
仕事の原稿を書くときは、(ありませんデシタ)の類いを使ったことがない。
まず大前提として、デス・マス体の過去形で書くことが少ない。例外だったのは健康雑誌の体験談。デス・マス体で、基本的に過去形になる。
否定形の文末になりそうなときはいろいろ工夫して避けた。どうしてもダメなときはもっと安易なことをする。
「なかったノデス」を使う(「なかったノデシタ」もアリかな?)。
ただし、多用は禁物。「1」で書いたように、「ノデス」が目立つと妙に力み返った妙な文章になる。
mixiの日記を書きはじめて、最初はがんばってデス・マス体で書こうとした。
悪夢が甦りそうで、すぐに断念した。
当方が日記をデ・アル体で書くのはこういった苦手意識があるから。トピなどのコメントも、少し長くなるものはデ・アル体で書くことにしている。
性格が傲慢だとか尊大だとか、決してそういった理由ではないので、誤解なきようにお願い申しあげます。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html
mixi日記2009年04月06日から
下記の続きです。
【伝言板【板外編6】デス・マス体が書きにくいワケ1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-277.html
デス・マス体が書きにくい理由をもう一度確認する。
1)動詞で終わる文末がすべてマス(過去形の場合はマシタ)になる
2)「名詞+〇〇」の形がデス(過去形の場合はデシタ)の1種類しかない
3)体言止めや変則形が使いにくい
4)このほかに、文末を「~イ」(形容詞の終止形)にできない
「1」では主として4)について書いた。1)~3)に関しては「赤い本」でさんざん書いた。一冊丸ごとデス・マス体の悪口だったと言ってもいいくらいだ(実際にはもっといろいろなものに対して慇懃無礼に悪態をついたけれど)。
「赤い本」ではできるだけふれないようにしたが、デス・マス体で文章を書こうとすると、もうひとつ問題になることがある。
5)「なかった」に相当する言い回しがない
こんなことを書くと、「tobirisu大丈夫か」と心配されるかもしれない。ちょっと違うな。「とうとうイッちゃったか」と見捨てられるかもしれない。シクシク。
「1」であげた表から引く。動詞の否定形(「会わなかった―会いませんデシタ」など)もほとんど同じなので、以下、「なかった―ありませんデシタ」に限って話を進める。
現 在 形 過 去 形
デアル体 デス・マス体 デアル体 デス・マス体
ない ありマセン なかった (ありませんデシタ)
(ないデス) (なかったデス)
(ありませんデシタ)(ないデス)(なかったデス)はどの程度許容されているのだろう。おそらく世間では、(ないデス)(なかったデス)は(高いデス)(高かったデス)と同様の扱いだろう。使う人は使うだろうが、言葉に敏感な人は抵抗を示すはずだ。
問題は(ありませんデシタ)。
当方の知る限りだと、(ないデス)(なかったデス)は拒絶しても、(ありませんデシタ)を許容している人が多い気がする。
当方はこの形を使うことに抵抗がある。
以前、ネット上の質問箱に訊いてみたところ、歴史的な変遷などを教えてもらった。
http://kotobakai.seesaa.net/article/8255738.html
ただ、肝心の(ありませんデシタ)の是非はわからなかった。どうやら世間では許容されているみたい……程度の反応だった。まあ、そんだろうな。これを「絶対ダメ」にすると、けっこう困ることがある。
(ありませんデシタ)が不自然な理由は、次のように書きかえれば明らかだろう。
(ありませんデス)
(なかったデシタ)
この2つが明らかにおかしいなら、(ありませんデシタ)だっておかしいはずだ。
仕事の原稿を書くときは、(ありませんデシタ)の類いを使ったことがない。
まず大前提として、デス・マス体の過去形で書くことが少ない。例外だったのは健康雑誌の体験談。デス・マス体で、基本的に過去形になる。
否定形の文末になりそうなときはいろいろ工夫して避けた。どうしてもダメなときはもっと安易なことをする。
「なかったノデス」を使う(「なかったノデシタ」もアリかな?)。
ただし、多用は禁物。「1」で書いたように、「ノデス」が目立つと妙に力み返った妙な文章になる。
mixiの日記を書きはじめて、最初はがんばってデス・マス体で書こうとした。
悪夢が甦りそうで、すぐに断念した。
当方が日記をデ・アル体で書くのはこういった苦手意識があるから。トピなどのコメントも、少し長くなるものはデ・アル体で書くことにしている。
性格が傲慢だとか尊大だとか、決してそういった理由ではないので、誤解なきようにお願い申しあげます。
スポンサーサイト