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総集編 【従来から 従来より 従来まで】

【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

 いろいろあって、行きがかり上、「赤い本」の重言関係の記述を一部抜粋(これも重言)します。こんなにポロポロ抜粋して、お買い上げくださった読者の立場はどうなるんだ? 少しだけ胸が痛みます(←少しだけかよ!) でもね。重言に関する記述はこれだけじゃないの。

一応下記の続きです。
【重言の話2】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1003738264&owner_id=5019671


●頻繁に見かける重言・重言風の表現

【練習問題21】
 次の重言を修正するにはどうすればよいのか考えてください。
  1)だいたい60字ぐらい
  2)古来から
  3)第1回目
  4)まず第1に
  5)1階~3階までは

 ヘンな文章の原因になることが多い表現のひとつに、重言があります。重言はさほど大きな問題ではないので、文章自体がわかりにくくなるわけではありません。しかし、書き手の日本語力を疑われかねないので、注意が必要です。なかでも、1)~5)の重言は頻繁に見かけます。
1)の重言の修正案
  だいたい60字/60字ぐらい/約60字/60字前後
 ほかにも、いろいろな修正のしかたがあります。「だいたい〇〇ぐらい」は、「約〇〇前後」と似た印象の重言です。「だいたい〇〇ぐらい」のほうが目にすることが多いのは、言葉の響きがやわらかいために重言の程度が軽く感じられるせいでしょう。「だいたい〇〇ぐらいを目安に」という「三重言」と呼びたくなるような表現を目にしたこともあります。
2)の重言の修正案
  古来/古くから
 重言の例として指摘されることが多い用法で、同様の例としてあげられるのが「従来から」「旧来から」です。「来」の字に、時間的な始まりを示す「から」と同様の意味合いがあるため、重言になってしまいます(「から」のかわりに「より」を使う場合もあります。ほぼ同義なので、「から」に限って話を進めます。「から」と「より」に関しては★ページ参照)。
3)の重言の修正案
  第1回/1回目
 3)~5)はなぜ重言なのかを説明するのがむずかしく、「重言風の表現」とでも呼ぶべきかもしれません。
 3)の重言に関して、漢語表現の「第」と和語表現の「目」が併用されていること自体が不自然、という説明を見た記憶があります。いささか強引とは思いますが、妙に説得力を感じました。「第1回」でも「1回目」でもよいのに「第1回目」にするのは言葉がダブっている感じがするので、やはり重言と考えたほうがよさそうです。この「第」と「目」の例は、重言になるか否かを考えるときに応用できます。一方の言葉だけでも意味が通じるのに、両方の言葉を使っている場合は、重言ではないかと疑ってみるべきです。
4)の重言の修正案
  まず/第1に
「まず」だけでも「第1に」だけでも使えるのに、「まず第1に」とするのは重言でしょう。ちなみに、文章が「第2に……」「第3に……」と続く場合は「第1に」を使い、「まず」を使うなら、続きの文章は「次に」とか「さらに」とするべきです。
「第1に」が出てきて「第2に」が出てこない文章や、逆に「第1に」がないのにいきなり「第2に」が出てくる文章は、読み手を戸惑わせます。よく似た例でしばしば見かけるのは、「ひとつは……」という表現が出てきただけで、いつまでたっても「もうひとつ」が出てこない文章です。いずれも、「係り結ばず」の一種と考えられます。
5)の重言の修正案
  1階~3階は/1階から3階は/1階から3階までは
「~」は「から」の意味をもつ記号です。しかし、「1階~3階」と使った場合には、「から」だけではなく「まで」の意味も含むため、「1階~3階までは」は重言風の表現になります。同様の理由で、「東京~大阪間は」なども重言風の表現です。「1階から3階までは」が重言か否かはさらに微妙ですが、削除しても問題がないなら、「まで」は入れずに「1階から3階は」にするほうが無難でしょう。
 ちなみに、「1階~3階」と「1~3階」のどちらの書き方を選ぶかは趣味の問題でしかありません。個人的な感覚としては、「1~3階」のほうが簡潔な気がします。

●重言を修正しにくい例

【練習問題22】
 次の重言を修正するにはどうすればよいのか考えてください。
  1)消費者の立場にたって考える
  2)なぜ犯罪をおかすのか
  3)東日本が甚大な被害をこうむった

 重言の例として「馬から落ちて落馬する」という言葉が取りあげられることがあります。これは冗談に近いレベルなので、だれでも重言だと気づくでしょうし、修正するのもむずかしくありません。
【練習問題22】にした1)~3)も、つい使ってしまいがちな重言の例です。それぞれの文の動詞を漢字にして「立場に立って」「犯罪を犯す」「被害を被った」と書くと、重言であることがはっきりします。しかし、1)~3)の重言を修正するのは簡単ではありません。
1)の重言の修正案
  側に立って/立場になって/立場で/立場から
 これらの修正案は、いずれも「立場にたって」よりも語感が悪い気がします。つい重言を使ってしまう例が多い理由は、この語感の悪さです。原文が「消費者の立場にたって商品を開発する」なら、「立場を考えて」「立場を考慮して」など、修正の選択の幅が多少広がりますが、やはり語感は「立場にたって」より劣る気がします。
2)の重言の修正案
  罪を犯す/犯罪に走る
 ここであげた修正案は、あまりよい例とはいえません。「修正するにはどうすればよいのか考えてください」と問いかけておいてこう書くのは心苦しいのですが、修正するのが非常にむずかしい例です。「犯罪を犯す」と「罪を犯す」では、言葉のニュアンスが違ってきます。「犯罪」は刑法に背く行為で、「罪」は良心に背く行為という感じでしょうか。「犯罪に走る」なら意味はかわりませんが、大げさな印象になります。
3)の重言の修正案
  害を被った/損害を被った/被害を受けた/被害に遭った
 これもあまりよい修正案とはいえません。「被害」と「害」「損害」とでは、「犯罪」と「罪」以上に言葉のニュアンスが違っていると思います。「被害を受けた」は、厳密に考えると重言でしょう。「被害に遭った」は有力な修正案ですが、この例文の場合はしっくりしない気がします。
 言葉のニュアンスをかえずに重言を修正するためには、次のように書きかえる方法もあります。
  2)なぜ犯罪をおかすのか     →なぜ犯罪が生まれるのか
                  →なぜ犯罪が起きるのか
  3)東日本が甚大な被害をこうむった→東日本では甚大な被害が生じた
 ただし、2)の原文が「人はなぜ犯罪をおかすのか」のときには、この書きかえはできません。
 このように、書きかえができても語感が悪いことや、適切な書きかえがむずかしいことが、1)~3)の重言が使われることが多い理由になっています。


【Coffee Break】

重言に関する頭が痛くなりそうな話
 この重言に関する【Coffee Break】は、ほとんど言葉遊びに近い(これも重言です)ものなので、途中で頭が痛くなりそうになったら遠慮なく読み飛ばしてください。

●「特別な例外を除く」は「三重言」なのか
「犯罪を犯す」や「被害を被る」をつい使ってしまう理由は、ほかにもある気がします。まず、次の表現がなぜ重言なのか考えてください。
  ・特別な例外を除く
 この表現はかなり特殊なものなので、本文からははずしました。「三重言」の一種で、「だいたい〇〇ぐらいを目安に」よりも、「馬から落ちて落馬する」に近いものと考えられる表現です。
「だいたい〇〇ぐらいを目安に」は、「だいたい」「ぐらい」「目安」の3つの言葉が同じような意味なので、どの2つを組み合わせても重言になります。ところが、「馬から落ちて落馬する」は、「馬から落馬する」と「落ちて落馬する」は重言なのに、「馬から落ちる」は重言ではありません。同様に、「特別な例外を除く」は、「特別な例外」と「例外を除く」は重言なのに、「特別な例を除く」は重言ではなくなります。
 正確にいうと、「特別な例外」は重言風であって、重言とはいいきれません。「例外が特別なのは当たり前で、平凡な例外などはない」と考えれば重言ですが、「例外のなかでもとりわけ特別なものを指す」と考えれば重言にはならないからです。「きわめて特殊な例外」なら、強調表現であって重言ではない気がします。
「例外を除く」はよく目にする重言で、修正するには次のような書きかえが必要です。
  例外にする/例外と考える
 ここからが本題です。
 おそらく、「犯罪」「被害」「例外」が重言になりやすい理由のひとつは、「〇〇(を)する」「〇〇を行う」の形で使えないことです。「例外」の場合は「にする」や「と考える」の形なら使えますが、「犯罪」「被害」は、それすらも使えません。そのため、「犯罪を犯す」や「被害を被る」としてしまいがちなのではないでしょうか。
 たとえば、単語の構造が「被害」とよく似ている「負傷」は、「負傷する」の形があります。しかも、「傷を負う」としても「負傷する」と言葉のニュアンスがさほどかわりません。「負傷を負う」という重言をほとんど見かけないのは、このように適切な書きかえができるためです。

●「日ごろから」「ふだんから」は重言なのか
「古来から」(「従来から」「旧来から」も同様です)が重言であることは、かなり古くから指摘されています。しかし、つい使ってしまうのは、見た目と語感の問題が関係しているのではないでしょうか。
 次の3つの文を比べてみてください。
  1)この重言に関しては、古来多数の識者が指摘しています。
  2)この重言に関しては古来、多数の識者が指摘しています。
  3)この重言に関しては、古来から多数の識者が指摘しています。
 1)は「古来多数」と漢字が続くので見た目がよくありません(「多数」を「多く」にかえると、少しマシです)。「古来」の直後に読点を打ちたくなりますが、直前の読点と位置が近いことが気になります。かといって、2)のようにするのもヘンな感じです。3)のほうが見た目がずっとすっきりとしています。さらに問題なのは、「古来」よりも「古来から」のほうが語感がよいことです。読点の位置を意識しながら、1)~3)を音読してみてください。いちばん語感がよく感じられる(これも重言です)のは、3)のはずです。
「日ごろから」「ふだんから」にも、似たような問題があります。「から」をとって「日ごろ」「ふだん」にしても意味がかわらないので、重言風の表現です。この2つ言葉の場合は「から」がついてもつかなくても語感はさほどかわらない気がしますが、「日頃」「普段」と漢字で書くと、「古来」と同様に見た目の問題が出てきます。
 もちろん、見た目や語感がよいからという理由で重言を使うのは間違いです。しかし、本書で再三繰り返して(これも重言風です)いるように、多少ヘンでも語感のよい表現なら定着してしまう可能性があります。この場合は、「定着してしまう」ではなく「誤用がなくならない」とするほうが正確でしょうか。

●「第1号機」は重言なのか
 次の表現が重言か否か考えてください。
  ・第1号機目
  ・第1号機
「第1回目」が重言だとすると、「第1号機目」も重言になることはすぐにわかります。では、「第1号機」は重言ではないのでしょうか。
「号機」が「回」と同様に単位の働きをしているので、「第1号機」でも何も問題はなさそうです。しかし、たいていの場合は「第」を削除して単に「1号機」といっても文意に影響がなさそうなので、重言とも考えられます。さらに、「号機」が単位なら「1号機目」としてもよさそうですが、ややヘンな感じです。きわめて硬い語感の「号機」に、和語の「目」がつくからでしょうか。

 重言の問題を深刻に考えはじめると、文章が書けなくなってしまいます。本文で書いたように、重言があったからといって、文章がわかりにくくなるわけではありません。厳密に考えると重言ではないか、と思われる表現で許容されている例はいくらでもあります。あまり神経質にならずに、「重言っぽいな」と感じたら修正することを考えればよいでしょう。

【研究課題9】
 次の表現が重言か否か考えてください。
  おのずから/献身的に尽くす/自然の生薬/新発売/総称で呼ぶ/常日ごろ/
  排気ガス/みずから墓穴を掘る

●重言関連の話一覧
7)【重言の話1】(2008年07月30日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-284.html

8)【重言の話2】(2008年11月24日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-58.html

9)【伝言板 板外編4──重言の話3】(2008年11月25日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html

90)【重言の話4(第1稿)】(11月21日)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-863.html


【追記】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
================引用開始
範囲[編集]
波ダッシュは、範囲を表すために用いられる。
場所に対して: 東京~大阪
時間に対して: 5時~6時(もしくは5~6時)
数量に対して: 100人~150人(もしくは100~150人)
一般に、波ダッシュの前後の語を限界として含む(100人~150人の場合は、100人および150人を含む)。
日本語では、波ダッシュを「から」と読む。「……から……まで」のように、波ダッシュの後ろの語に「まで」を付けて読むこともある。
================引用終了

 音読するときに、〈波ダッシュの後ろの語に「まで」を付けて読む〉のはちょっとやりすぎの気がする。校正で「読み合わせ」をするなら、「5時~6時」は「5じから6じ」。もう少し正確にやるなら「5じなみだっしゅ6じ」だろう。



【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
「校正・校閲」のコミュで、非常におもしろいテーマのトピが立った。
【予て、予てより】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39339875&comment_count=7&comm_id=6251

 トピが立った当初から、どうコメントを入れればいいのか考えていた。満を持して(だからそれは誤用だって)コメントを入れることにしたが、とんでもなく長くなる気がしてためらいを覚えている。
 資料として、まず例によって「赤い本」からここに引いておく。
「予てから」と「予てより」はどう違うのか。

================================
●「起点のヨリ」はできるだけ使わない

【練習問題36】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群      B群
  駅ヨリ3分    駅カラ3分
  10時ヨリ営業  10時カラ営業

 A群で使われているヨリは、空間や時間の起点などを示す表現です(このような用法を「起点のヨリ」と呼ぶことにします)。「文章読本」のなかには、「起点のヨリ」は使わずにカラを使いなさい、と主張しているものがあります。理由は「意味がわかりにくくなる場合がある」とのことです。そういった記述を目にしたことがある人は、カラを使っているB群のほうがよい、と考えるでしょう。
【練習問題36】にあげた例では、ヨリとカラのどちらを使っても同じ意味ですし、少しもわかりにくくはありません。別の例で見てみましょう。

【練習問題37】
 次の故事に使われているヨリの働きを考えてください。
  1)花ヨリ団子
  2)栴檀(せんだん)は二葉ヨリ芳し
  3)青は藍ヨリ出でて藍ヨリ青し

 1)のヨリは、「AヨリBのほうが〇〇だ」のように、いくつかのものを比べるときに使います(このような用法を「比較のヨリ」と呼ぶことにします)。1)のヨリを「起点のヨリ」と誤解する人はいないでしょう。
 2)のヨリは「起点のヨリ」です。これは「比較のヨリ」ともとれるかもしれません。「比較のヨリ」と考えてしまうと、「栴檀(という植物)と二葉(という植物)を比べると、栴檀のほうが芳しい」ぐらいの意味になり、何をいいたいのかわからなくなってしまいます。
 3)は2種類のヨリが使い分けられている例です。少しまぎらわしいかもしれません。1つ目のヨリが「起点のヨリ」で、2つ目のヨリが「比較のヨリ」であることがわからないと、やはり意味がわからなくなってしまいます。
 このように、「起点のヨリ」が誤解される可能性があることはたしかです。しかしそのことを理由にして、「起点のヨリ」を使ってはいけない、とするのは無理があります。
 ここであげたのは特殊な例で、ふつうの文章中に出てくるヨリが「起点のヨリ」か「比較のヨリ」かまぎらわしい例は、ほとんどないからです。「カラよりもヨリのほうが語感がいい」と思うなら、「起点のヨリ」を使っても問題はありません。基本的には「起点のヨリ」を使い、どうしてもまぎらわしいときに限ってカラを使う、という方針でもよいでしょう。
 誤解のないようにお断りしますが、「起点のヨリ」を使うべきだ、とすすめているのではありません。「起点のヨリ」が原因で意味がわかりにくくなることはほとんどない、といいたいだけです。
 本書では、原則的に「起点のヨリ」を使っていません。「比較のヨリ」とまぎらわしいからではなく、「起点のヨリ」が文語調に感じられるからです。

【練習問題38】
 次の2つの表現の違いを考えてください。
  1)心ヨリお待ちしております
  2)心カラお待ちしております

 1)のヨリは、「起点のヨリ」です。1)と2)のどちらの表現を目にすることが多いでしょうか。おそらく、1)のほうが一般的です。
 1)と2)は同じ意味ですが、厳密にいうと、1)のほうがほんの少していねいな感じがあります。例文のような内容のときに1)が使われやすいのは、この「ほんの少し」の違いが重視されているからでしょう。
 文語調の言葉のほうが「立派に見える」印象があることは、すでに書いたとおりです。そのため、「起点のヨリ」はパンフレットの文章、あいさつ文、手紙文などでよく見ます。「ていねいに書こう」という気持ちが強い文章ほど、「起点のヨリ」を使うことになるようです。
 本書で「起点のヨリ」を使わないようにしているのは、そのほうが読みやすい印象になると思うからで、あくまでも感覚の問題にすぎません。決して「わかりにくいから使ってはいけない」表現ではないはずです。
================================

 その後、とあるサイトに下記のように書き込んだことがある。

================================
 ヨリとカラについて、手元にある資料から索いておきます。
 愛用している「朝日新聞の用語の手びき」の「慣用句」の使い方の注意に、次のように書いてあります(これは1986年発行の第22刷のポケット版です。現在のものは違っていると思います)。
 
【引用部】
 蛍光灯より冷たい光線が流れている
 この文は「冷たさ」を比較しているようにも受け取れる。場所・時間の起点を示す場合の助詞は「から」を使い、「より」は使用しない。同様に引用の出所を示す場合も「〇〇図鑑より」とはせず「〇〇図鑑から」とする。「より」は比較の場合だけに使う。

 この解説を信じて、基本的に「起点のヨリ」を使わずにきました。しかし、引用の出所を示す場合は「ヨリ」のほうが自然な気がして、例外にしています。ただ、ここであげられている例文が「比較のヨリ」と解釈できるか否かは微妙だと思います(個人的には、「起点のヨリ」としか思えません)。

 1998年にP社から発行された「文章読本」には、次のような例文が紹介されています(この本はあまりにも問題も多いので、名前は伏せます)。
「彼より、あなたが好きという手紙が来た」
「比較のヨリ」と解釈して、「彼とあなたを比較して、あなたのほうが好きである」という意味に誤解されかねないそうです。
 よく判らないのは、なんで「彼より、」と読点をつけたのか、ということです。読点があると、「起点のヨリ」としか読めません。読点を削除すると、たしかに「起点のヨリ」とも「比較のヨリ」ともとることは可能でしょう。しかし、受取人の性別を考えれば、その問題も解決されます。そんなことより、この例文はいかにも人工的で無理があります。といったことを考えると、「起点のヨリ」はまぎらわしい、という主張自体に無理がありそうです。

『理科系の作文技術』(木下是雄/中公新書/1981年9月25日初版)の149~152ページには、「私の流儀の書き方」が紹介され、次のように書かれています。
【引用部】
「よい」、「ゆく」、「より」、「のみ」は、私の語感では、話しことばとしてはもう死語になっているからだ。実をいうと私は「10時より午前の部の講演をはじめます」、「これより先、空港待合室では……」などと言われるとぞっとするのである。

 ちょっと補足します。この前には、「書きことばは話しことばとは明らかにちがう」としながら、「書きことばが話しことばに接近していく傾向があることも事実」とし、「その変化を先取りするほうらしい」木下氏は

  ……するほうがよい
  ……読んでゆくうちに
  8時より9時までのあいだ
  下地に膜をつけた場合と下地のみの場合とをくらべて……

 とは書かずに、それぞれ「いい」「いく」「から」「だけ」とするそうです(ただし、goの場合には「行く」と書き、読み方は読み手にまかせる)。
 ヨリとカラ以外に関しては賛成できない部分もありますが、ヨリとカラに関しては同感です。ほかの記述などを見ると、木下氏は1917年生まれとしては驚異的な若々しい言語感覚をもっていると思います。
================================

「古来から」「古来より」に関しては、下記の日記を参照してほしい。うーむ。どこまでも迷路にはまっていく。
【伝言板 板外編4──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1004398693&owner_id=5019671

【20120626追記】
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================================引用開始
【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。
================================引用終了


【従来から 従来より 従来まで】Yahoo!知恵袋
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1844.html

mixi日記2011年03月09日から
 テーマサイトは下記。
【「従来までの」という言葉は二重言葉ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157221871

 質問文を転載する。
================================
「従来までの」という言葉は二重言葉ですか?
「従来から」だと誤用になるようですが…
================================
 
 盲点をつかれたような気がする。
 とりあえず過去に書いたこと。

【伝言板 板外編5──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
================================
2)の重言(古来から)の修正案
  古来/古くから
 重言の例として指摘されることが多い用法で、同様の例としてあげられるのが「従来から」「旧来から」です。「来」の字に、時間的な始まりを示す「から」と同様の意味合いがあるため、重言になってしまいます(「から」のかわりに「より」を使う場合もあります。ほぼ同義なので、「から」に限って話を進めます。「から」と「より」に関しては★ページ参照)。
================================

 下記も関係あるかな。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html

 まず辞書をひいておく。
■Web辞書(『大辞泉』から)
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5&stype=0&dtype=0
================================
じゅう‐らい【従来】
以前から今まで。これまで。従前。「―の方式」「―定説とされてきた学説」
================================

 辞書を見れば明らかなように、「従来」(「古来」「旧来」も同様)は「まで」の意味合いを含む。
 したがって、「従来まで」は重言になる(誤用か否かは別問題)。
 類語から考えるに、これは「来」の働きだろう。
「から」の意味があるとは思っていたが、「まで」の意味もあるとは……。
「から」と「まで」の兼任ってことになると、↑の【伝言板 板外編5──重言の話3】でふれた「~」と同様ってことになる。
================================
5)の重言(1階~3階までは)の修正案
  1階~3階は/1階から3階は/1階から3階までは
「~」は「から」の意味をもつ記号です。しかし、「1階~3階」と使った場合には、「から」だけではなく「まで」の意味も含むため、「1階~3階までは」は重言風の表現になります。同様の理由で、「東京~大阪間は」なども重言風の表現です。「1階から3階までは」が重言か否かはさらに微妙ですが、削除しても問題がないなら、「まで」は入れずに「1階から3階は」にするほうが無難でしょう。
 ちなみに、「1階~3階」と「1~3階」のどちらの書き方を選ぶかは趣味の問題でしかありません。個人的な感覚としては、「1~3階」のほうが簡潔な気がします。
================================


【従来から 従来より 従来まで】〈4〉? 辞書
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12242209104.html

「従来から」はやはり重言なんだろう。
「従来より」も同様になる。「従来まで」はちょっと違うが、まあ同じ扱いでよいと思う。
「朝日新聞の用語の手びき」(1986年発行の第22刷のポケット版)の記述はとっくに引用したと思ったが、別の話だった。「誤りやすい慣用句」(P.475)に下記の記述がある。
===========引用開始
従来から(より)→ 従来
「従来」だけで「以前から今まで」。「から」「より」は不要。「古来から」も重言。
===========引用終了

『記者ハンドブック』(第13版/共同通信社)の「誤りやすい語句」にはこのテの記述はない。こちらは本編とも言える「用字用語集」に注意書きがあった。 
===========引用開始
じゅうらい 従来
〔注〕「従来から」は重複表現。 
===========引用終了

 ちなみに、第12版も同様だけど、第6版だと微妙に違う。
===========引用開始
じゅうらい 【誤】従来から・より→ 従来
===========引用終了
【誤】は原本では丸つきの「誤」。「誤った表現」の意味らしい。
 
 昔は「誤用」だったけど、現代では「重複表現」だから「誤用」ではないと考えているのだろうか。それとも「重複表現」も「誤用」の一種なんだろうか。そんな微妙な話はどうでもいい。こういう辞書類の版の違いを調べだすとキリがない。
 新聞系では「使わないほうが無難」にしているのだろう。
 ただ、「から」をとると語呂が悪くなることがあるのも事実で……。「従来からある方式」あたりを「従来ある方式」にするのはためらいを感じる。まぁ、「従来の」にすれば済むんだけど。
 雑学本の類いでは、たぶん重言(重複表現)としていると思う。信頼のおける資料がないものか、と探していた。
 灯台下暗しと申しましょうか……。Web辞書にはなんの記述もないと思っていたが、こういう探し方ができるんだった。もっと早く気づけよ。
 ほかの語句の説明中に出てくる「従来から」。『大辞泉』『大辞林』を合わせて24例。こんなにあるのか……。
http://dic.search.yahoo.co.jp//dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5%E3%81%8B%E3%82%89&stype=full&dic_id=jj&ei=UTF-8&b=1

「従来より」。『大辞泉』『大辞林』を合わせて8例。ただしそのうち7例は「比較のより」だろう。
http://dic.search.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%BE%93%E6%9D%A5%E3%82%88%E3%82%8A&dic_id=jj&stype=full&b=1

 これだけ使っていて、「従来より」を否定する記述が付け加えられたら笑える(黒笑)。
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