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【やわらかい感じがする文章を書くために】 改〈2〉──赤い本から

mixi日記2017年12月22日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1964272925&owner_id=5019671

 直接的には下記の続きだろうな。
58)【「~だ」と「~である」はどう違うか2──やわらかい感じがする文章を書くために】(2009年09月02日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1272091106&owner_id=5019671
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-642.html

1825)【「~だ」と「~である」はどう違うか2──やわらかい感じがする文章を書くために〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960721401&owner_id=5019671
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12279644891.html

1827)【やわらかい感じがする文章を書くために】 改〈1〉──資料と雑感
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960775154&owner_id=5019671
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12289046642.html

 資料の〈2〉として以前赤い本から抜粋したものをひこうとして、まだ抜粋していないことに気づいた(泣)。
 以前一部は抜粋しているので、その続き。
【伝言板 板外編3──文語調の表現は避ける】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-43.html
 ちなにみ ↑の【伝言板 板外編3──文語調の表現は避ける】には非常に恥ずかしい「間違い」がある。
 タイプミスなんてレベルではない明らかな間違いが……(泣)。


読みやすい印象を与えるための言葉づかい その2(赤い本P.287~302)

●「名詞+デアル」と「名詞+ダ」は微妙に違う
 例文3)の説明の中に出てきた「であろう」について、補足しておきます。
 文末が「名詞+〇〇」になるとき、デアル体には2つの形があることは、第1章で書きました。そのときにはふれなかったのですが、「名詞+デアル」と「名詞+ダ」には、微妙な違いがあります。「名詞+ダ」にはややくだけた印象があるため、文章の品格を重んじる書き手は、「名詞+デアル」を使うことが多いようです。
 この傾向は、デアルやダが過去形や仮定形になった場合にもあてはまります。
  現在形  過去形   仮定形
  デアル  デアッタ  デアロウ
  ダ    ダッタ   ダロウ
 ただし品格を重んじた表現は、文語調ほどではありませんが、文章をほんの少し堅苦しい感じにするようです。個人的には、現在形はデアルもダも使い、過去形はダッタ、仮定形はダロウを使います。デアッタやデアロウはめったに使いません。

●「起点のヨリ」はできるだけ使わない

【練習問題36】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群 B群
  駅ヨリ3分 駅カラ3分
  10時ヨリ営業 10時カラ営業

 A群で使われているヨリは、空間や時間の起点などを示す表現です(このような用法を「起点のヨリ」と呼ぶことにします)。「文章読本」のなかには、「起点のヨリ」は使わずにカラを使いなさい、と主張しているものがあります。理由は「意味がわかりにくくなる場合がある」とのことです。そういった記述を目にしたことがある人は、カラを使っているB群のほうがよい、と考えるでしょう。
【練習問題36】にあげた例では、ヨリとカラのどちらを使っても同じ意味ですし、少しもわかりにくくはありません。別の例で見てみましょう。

【練習問題37】
 次の故事に使われているヨリの働きを考えてください。
  1)花ヨリ団子
  2)栴檀(せんだん)は二葉ヨリ芳し
  3)青は藍ヨリ出でて藍ヨリ青し

 1)のヨリは、「AヨリBのほうが〇〇だ」のように、いくつかのものを比べるときに使います(このような用法を「比較のヨリ」と呼ぶことにします)。1)のヨリを「起点のヨリ」と誤解する人はいないでしょう。
 2)のヨリは「起点のヨリ」です。これは「比較のヨリ」ともとれるかもしれません。「比較のヨリ」と考えてしまうと、「栴檀(という植物)と二葉(という植物)を比べると、栴檀のほうが芳しい」ぐらいの意味になり、何をいいたいのかわからなくなってしまいます。
 3)は2種類のヨリが使い分けられている例です。少しまぎらわしいかもしれません。1つ目のヨリが「起点のヨリ」で、2つ目のヨリが「比較のヨリ」であることがわからないと、やはり意味がわからなくなってしまいます。
 このように、「起点のヨリ」が誤解される可能性があることはたしかです。しかしそのことを理由にして、「起点のヨリ」を使ってはいけない、とするのは無理があります。
 ここであげたのは特殊な例で、ふつうの文章中に出てくるヨリが「起点のヨリ」か「比較のヨリ」かまぎらわしい例は、ほとんどないからです。「カラよりもヨリのほうが語感がいい」と思うなら、「起点のヨリ」を使っても問題はありません。基本的には「起点のヨリ」を使い、どうしてもまぎらわしいときに限ってカラを使う、という方針でもよいでしょう。
 誤解のないようにお断りしますが、「起点のヨリ」を使うべきだ、とすすめているのではありません。「起点のヨリ」が原因で意味がわかりにくくなることはほとんどない、といいたいだけです。
 本書では、原則的に「起点のヨリ」を使っていません。「比較のヨリ」とまぎらわしいからではなく、「起点のヨリ」が文語調に感じられるからです。

【練習問題38】
 次の2つの表現の違いを考えてください。
  1)心ヨリお待ちしております
  2)心カラお待ちしております

 1)のヨリは、「起点のヨリ」です。1)と2)のどちらの表現を目にすることが多いでしょうか。おそらく、1)のほうが一般的です。
 1)と2)は同じ意味ですが、厳密にいうと、1)のほうがほんの少していねいな感じがあります。例文のような内容のときに1)が使われやすいのは、この「ほんの少し」の違いが重視されているからでしょう。
 文語調の言葉のほうが「立派に見える」印象があることは、すでに書いたとおりです。そのため、「起点のヨリ」はパンフレットの文章、あいさつ文、手紙文などでよく見ます。「ていねいに書こう」という気持ちが強い文章ほど、「起点のヨリ」を使うことになるようです。
 本書で「起点のヨリ」を使わないようにしているのは、そのほうが読みやすい印象になると思うからで、あくまでも感覚の問題にすぎません。決して「わかりにくいから使ってはいけない」表現ではないはずです。

●「~ことができる」はできるだけ避ける

【練習問題39】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群            B群
  1)書くことができます      書けます
  2)簡単に持ち運ぶことができます 簡単に持ち運べます
  3)説明することができます    説明できます

 A群とB群の表現は、それぞれ同じ内容です。しかし、厳密にいうとA群の表現には少し問題がある気がします。特別な理由がない限り、A群の表現は避けたほうが無難です。
 A群の1)は、ほとんど問題がないのかもしれません。「書けます」に比べるとほんの少し堅苦しい印象がありますが、とくに気になるほどではないでしょう。
 A群の2)は、少しもたついた感じになります。おそらく、1)の「書く」に比べて、「持ち運ぶ」という動詞が長いからです。
 A群の3)は、もたついた感じが強くなっています。おそらく、「~ことができます」の前に「する」がついているため、動詞が長くなったように感じられるせいです。ひらがなが続く点も影響しているのかもしれません。
 自分で文章を書くときは、「~ことができる」はできるだけ使わないことにしています。ただし、次のように変形したときは例外です。
  A群       B群
  4)書くことモできます 書けモします
  ㈭書くことハできます 書けハします
 B群の4)㈭もさほどヘンではありませんが、A群とはニュアンスが変わり、語感も悪い気がします。こういった場合には、A群の表現を使うほうが無難です。
 

【Coffee Break】

「ラ抜き言葉」を防ぐ方法

【練習問題40】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群 B群
  着レル  切レル
  変えレル 帰レル

 やむをえずに「~ことができる」を使う例外は、ほかにもあります。それは、「ラ抜き言葉」にかかわる動詞で可能を示す表現(これを「可能表現」と呼ぶことにします)をするときです。
 念のため、「ラ抜き言葉」と呼ばれるのはどのような表現なのか確認しておきます。たとえば「来る」の可能表現は「来ラレル」です。しかし、近年の話し言葉では、これを「来レル」とする例が多くなっています。このように、可能表現を「ラレル」とするべきところを「レル」にするのが「ラ抜き言葉」です。
「ラ抜き言葉」の是非については、諸説あります。「文豪の作品にもラ抜き言葉が使われている」「ラが入らない方言もある」といった理由で、「ラ抜き言葉」は誤りではない、とする人もいるようです。その一方で、「明らかに誤用」と主張する人もいます。「どちらでも構わないから、早く意見を統一してくれないと文章が書きにくい」といいたいところです。「どちらでも構わない」とは思いながら、誤用といわれるのがシャクなので、自分では原則的に「ラ抜き言葉」を使わないことにしています。
【練習問題40】としてあげた表現は、A群が「ラ抜き言葉」で、B群は「ラ抜き言葉」ではありません。
 可能表現にするときに、レルをつけるべきかラレルをつけるべきかを判断するには、動詞の活用の違いを考える必要があります。正確な説明を試みるとむずかしくなりそうなので、自信がない人は、次のことだけを覚えてください。
 可能表現のレル、ラレルのかわりに、否定形の「ない」をつけてみます。
  1)直接「ない」がつく言葉          ↓可能表現はラレル
  2)直接「ない」がつかず、「ラない」になる言葉↓可能表現はレル
 この判定法で、間違いがないはずです。先にあげた例でいうと、「着ない」「変えない」は1)のパターンなので、可能表現は「着ラレル」「変えラレル」になります。「切ラない」「帰ラない」は2)のパターンなので、可能表現は「切レル」「帰レル」です。
「〇〇レル」では「ラ抜き言葉」になる動詞をいくつかあげてみます。すべて、「〇〇ラレル」のかわりに直接「ない」をつけることができるはずです。
  〈レル・ラレルの前が1音の動詞〉
  来ラレル/出ラレル/寝ラレル/見ラレル
  〈レル・ラレルの前が2音の動詞〉
  開けラレル/上げラレル/生きラレル/起きラレル/降りラレル/避けラレル/
  立てラレル/食べラレル/つけラレル/詰めラレル/分けラレル
  〈レル・ラレルの前が3音以上の動詞〉
  預けラレル/省みラレル/数えラレル/考えラレル/試みラレル/信じラレル/
  任せラレル
 この判定法で、「ラ抜き言葉」になるのを防ぐことはできます。
 しかし、問題はそれほど単純ではありません。この件に関しては、いろいろな例を考えれば考えるほど自分の語感が信じられなくなってきて、「どうしたらいいのかわからない」というのが正直なところです。
 悩みのタネが2つあります。1つ目は、正しいといわれる用法に従ってラレルにすると、語感がヘンになるものがあることです。どの程度ヘンと感じるのかは個人差もあるのでしょうが、〈レル・ラレルの前が1音の動詞〉のほとんどは、ラレルよりもレルのほうがマシな気がします。
〈レル・ラレルの前が2音の動詞〉のなかでは、「食べラレル」「つけラレル」あたりが微妙なところです。
〈レル・ラレルの前が3音以上の動詞〉の場合は、ラレルにしても大丈夫な気がします(厳密にいうと「省みラレル」「試みラレル」は少しヘンに感じますが、この2つはレルでもヘンな感じが残るので、別の理由がありそうです)。
 2つ目の悩みのタネは、可能表現がレルにしかならない動詞が、「ラ抜き言葉」のような印象になることです。これも個人差があるのでしょうが、「掘レル」「しゃべレル」あたりは、「ラ抜き言葉」ではないか、と一瞬迷ってしまいます。「掘る」「しゃべる」はどちらも否定形が「ラない」ですから、可能表現は「掘ラレル」「しゃべラレル」ではありません。語感に自信のあるかたは、「そんなのは当たり前」と思われるかもしれませんが……。
 語感のよさを考えると、「ラ抜き言葉」はますます一般的になっていきそうです。そうなると、レルとラレルの使い分けがいっそうむずかしくなっていくでしょう。
 そのため、「ラ抜き言葉」にかかわる動詞の可能表現は、少しでもヘンと感じたらほかの言葉に書きかえるようにしています。適切な書きかえができないときに使うのが、「~ことができる」です。
 この表現を使えば、どちらのタイプの動詞でも「着ることができる」「切ることができる」と同じ形になるので、レルにするべきかラレルにするべきかを迷うこともありません。安直な方法ではありますが、ほかによい方法が見当たらないので、やむをえず使っています。

【研究課題11】
「守る」と「攻める」という2つの動詞について、次のことを考えてください。
  1)2つの動詞の「ラ抜き言葉」ではない可能表現はどのような形になるでしょうか。
  2)2つの可能表現を並べたとき、どのような印象になるでしょうか。

●「強い断言調」は多用しない

【練習問題41】
 次の表現が、読み手にどのような印象を与えるのか考えてください。
  1)~といっても過言ではない
  2)~はいうまでもない
  3)~以外の何ものでもない
  4)~にほかならない
  ㈭~でなくてなんだろう

 ここであげた1)~㈭は、いずれもふつうに使われている表現です。しかし、「強い断言調」なので、多用すると高圧的な印象の文章になります。とくに、★ページでふれた「~といえよう」などと併用する場合は注意が必要です。1)を例に考えてみましょう。
  ㈮~といっても過言ではなかろう
  ㈯~といっても過言ではないといえよう
 2)~㈭も、「~といえよう」などと併用すると、非常に「強い断定調」になる気がします。
 ㈮のような表現は、「本当にここまで強調する必要があるのか」と考えてから使うべきです。そうすれば、多用することはなくなります。
 ㈯は重言ではなさそうですが、かなりクドい印象なので、避けたほうが無難です。

 ここまではふれずに来ましたが、★ページで「~といえよう」の書きかえ案としてあげた「~といえるだろう」は、重言風と考えることもできます。「いえる」と「だろう」は、どちらも断定を弱める働きがあるからです。しかし、気にするほどのことではないので、使っても構わないと思います。この点は、「~といえるでしょう」も同様です。


【Coffee Break】

再びデス・マス体とデアル体について
 これも個人的な感覚に過ぎませんが、「強い断定調」はデス・マス体と相性が悪い気がします。第4章で取りあげた表現のなかには、デス・マス体と相性の悪いものがほかにもありそうです。
 本書の原稿を書くにあたり、いくつかの理由があって、デス・マス体を使うことにしました。その理由のひとつが、この「相性の悪い表現が多い」ことです。デス・マス体で文章を書くと、堅苦しい表現や乱暴な表現が使いにくくなります。
 一般に、デス・マス体のほうがデアル体よりやさしく感じられるのは、文末表現の違いのせいと考えられがちです。しかし、それよりも言葉づかいの違いのほうが重要ではないでしょうか。
 本書には、デス・マス体にふさわしくない表現も使われています。意識的に使ったのは、次の3つです。
  ヤカラ(★ページ)/わかったものではありません(★ページ)/
  トヤカクいう(★ページ)
 これらの表現はかなり乱暴なので、本来ならデス・マス体の文章では使うべきではありません。このほかにもデス・マス体に向かない表現を使っていたとしたら、書き手の認識不足です。お許しください。
 文末が単調なうえに、語彙が制限されるのですから、デス・マス体が書きにくいのは当然かもしれません。以前から「多少書きにくい」とは感じていましたが、「多少」どころではないことを思い知らされました。
 もっとも、これは自分でいくつもの制約を設けたせいもありますから、自縄自縛です。なかでも、「体言止めや変則形の文末は極力使わない」「原則として同じ文末を2度続けない」と文末に関して2つの制約を設けたのは大失敗でした。これほど文末に神経質になりながら文章を書いたのは初めてです。
 お見苦しい部分がずいぶんあったことを、おわびいたします。
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