『理系バカと文系バカ』って、どっちに転んでもバカですか?
下記の仲間です。
【出版とネットを巡るあれこれ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-468.html
風の噂(誤用?)では、『理系バカと文系バカ』竹内 薫(PHP新書)とかいう本がそこそこ売れているらしい。ほかにもいくつか偶然が重なったので、こんなテーマで書いてみる。
まず、amazonの『理系バカと文系バカ』の「内容紹介」を引く。
================================
自分の好きな世界に没頭しすぎて、極端な行動に走りやすい「理系バカ」。
一方で、他人の情報を鵜呑みにして、その場の空気に流されやすい「文系バカ」。
彼らの行動パターンから見えてくる思考の偏りとは?
本書では「文系」「理系」という垣根をとっぱらった、バランスのとれた知性のあり方を考える。
前半では「理系バカ」「文系バカ」の事例を、ユーモアを交えて紹介。
例えば、文系バカの典型タイプとして
「取扱説明書は困った時にしか読まない」
「ダイエットのためにカロリーオフ飲料をガブ飲みする」等々。
一方の理系バカは
「できれば他人と深く関わらないで生きてゆきたい」
「新型商品を買うために徹夜して並ぶ」
「意外とオカルトにハマりやすい」等々。
あなたはどちらのタイプか?
後半は、特に理科離れが著しい日本の現状を警告。
教育、政治、メディアにおける科学の啓蒙について具体策を提案する。
二つの世界を渡り歩く著者だからこそ知っている「文理融合センス」の磨き方。
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>自分の好きな世界に没頭しすぎて、極端な行動に走りやすい「理系バカ」。
>「できれば他人と深く関わらないで生きてゆきたい」
それは「理系」とか「文系」という話ではなく、いわゆる「学者バカ」でしょ。優秀な学者ほど、世間の瑣事にはうといもんだよ。
>「取扱説明書は困った時にしか読まない」
意味わかんねえ。
じゃあ理系は必要がなくても趣味で読むの?
昔はいたそうだよ。まず取説を熟読して……って人が。現代の取説は分厚すぎて、とても読めません。
ほかにもいろいろ疑問がある。こうなると血で分類するのと大差なく思えてくる(笑)。
「理系頭」とか「文系頭」とかって言い方は古くからあった。ずうっと納得が行かなかった。
本気で分析しようと思ったら、このあたりを定義をする必要がある。
あたしって典型的な「文系」の人だからぁ、算数レベルもわからなくってぇ……それは「文系」なんじゃなく、単にオバカなんだろ。
まあ、むずかしく考えずに、大学で理系の学部にいた人は「理系」で、その逆は「文系」と言える可能性は高い。じゃあ、大学に行ってない人は分類不能?──そういう話ではない。
そういうこととは関係なく、なんとなく「理系頭」とか「文系頭」ってイメージはある。
職業なんかでも、技術系の専門職をはじめ、「理系の仕事」「文系の仕事」ってのがあることを否定する気はない。
ところが世の中には例外というものがある。
たとえば一般のイメージだと小説家は文系だろう。しかし、実際には理系の小説家も多数いる。真っ先に浮かんだ瀬名秀明は、経歴で見ればバキバキの理系。念のため確認したら、東野圭吾も理系だった
文章を読んでいて、「この人は〈理系頭〉だな」とつくづく思うのは阿刀田高(大学は文学部卒)。「トーナメント理論」なんて、文系の発想じゃないよ。異端の「理系頭」の筆頭格だろう。「トーナメント理論」については、書きはじめると長くなるので省略する。
あるサイトでは下記のように説明している。ちょっと違う気がするが、引用しておく。
http://www.asyura.com/0505/asia2/msg/290.html
================================
作家の阿刀田高さんがトーナメント理論というもの紹介されております。 抜粋してみますと、 「予言書などという物は、歴史をさかのぼれば無数と言って良いほどたくさんあった。適中しない予言書は忘却され、この世から消えてしまった。 ノストラダムスの予言の解釈も色々あるようだが、一応現時点での世相に合致していたからこそ日本の出版社の企画として採用されたのである。 だから皮肉な言い方をすれば、適中している物を捜してきたのだから適中しているのが当然であり、あれを見て死にたくなるほど怖くなるのはよほどの過敏症か、カボチャ頭のスカスカ。」 と言うことだそうです。 あまり神経質になることはないようですね。
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重なった偶然のうちのひとつ。
つい先日、ある方の日記に書いたコメントを加筆して転記する(またかよ)。
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(前略)ってのは、典型的な「俗説に基づく誤解」だと思います。
まず、理系と文系をどういう基準で考えているか。
【一般的な理系のイメージ】
1)物事を理詰めで考えようとする
2)答えがひとつと考えようとする
3)ウンタラ
4)カンタラ
1)に関して
もしこれが真実だとすると、文系は論理的な考え方ができない●●ってことになりますが……。
2)に関して
二次方程式ってご存じですよね。
答えはひとつでしょうか。
x2(2乗)=25の解は5と-5ですよね。
このように解がいくつもある問題なんていくらでもあります。
そもそも「理屈っぽい人」って理系ですか? 文系ですか?
そりゃ数学者や物理学者は理詰めでものを考えるかもしれません。でも、一般に数学者や物理学者はそんなことを口にしません。一般人には理解できないことがわかっているからです。
一方、弁護士や検事は十分理屈っぽいと思います。論理的な話し方ができなかったら、商売になりません。この方々は文系ですよね。
あと、理論的に話ができないことで有名なのは生命保険会社の人たち……そういう話はやめんかい。
ちなみに、当方は私立大学の国文科を数学で受験したハイブリッドタイプのニューエイジです。
典型的な器用貧乏だの、蝙蝠だのといった中傷誹謗は却下します。
「ニューエイジ」はちょっと……とかいうベタすぎるツッコミも却下します。
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o( ̄ー ̄;)ゞううむ
なんかとりとめのない話になっている。
そのうち続編を書きます。
【出版とネットを巡るあれこれ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-468.html
風の噂(誤用?)では、『理系バカと文系バカ』竹内 薫(PHP新書)とかいう本がそこそこ売れているらしい。ほかにもいくつか偶然が重なったので、こんなテーマで書いてみる。
まず、amazonの『理系バカと文系バカ』の「内容紹介」を引く。
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自分の好きな世界に没頭しすぎて、極端な行動に走りやすい「理系バカ」。
一方で、他人の情報を鵜呑みにして、その場の空気に流されやすい「文系バカ」。
彼らの行動パターンから見えてくる思考の偏りとは?
本書では「文系」「理系」という垣根をとっぱらった、バランスのとれた知性のあり方を考える。
前半では「理系バカ」「文系バカ」の事例を、ユーモアを交えて紹介。
例えば、文系バカの典型タイプとして
「取扱説明書は困った時にしか読まない」
「ダイエットのためにカロリーオフ飲料をガブ飲みする」等々。
一方の理系バカは
「できれば他人と深く関わらないで生きてゆきたい」
「新型商品を買うために徹夜して並ぶ」
「意外とオカルトにハマりやすい」等々。
あなたはどちらのタイプか?
後半は、特に理科離れが著しい日本の現状を警告。
教育、政治、メディアにおける科学の啓蒙について具体策を提案する。
二つの世界を渡り歩く著者だからこそ知っている「文理融合センス」の磨き方。
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>自分の好きな世界に没頭しすぎて、極端な行動に走りやすい「理系バカ」。
>「できれば他人と深く関わらないで生きてゆきたい」
それは「理系」とか「文系」という話ではなく、いわゆる「学者バカ」でしょ。優秀な学者ほど、世間の瑣事にはうといもんだよ。
>「取扱説明書は困った時にしか読まない」
意味わかんねえ。
じゃあ理系は必要がなくても趣味で読むの?
昔はいたそうだよ。まず取説を熟読して……って人が。現代の取説は分厚すぎて、とても読めません。
ほかにもいろいろ疑問がある。こうなると血で分類するのと大差なく思えてくる(笑)。
「理系頭」とか「文系頭」とかって言い方は古くからあった。ずうっと納得が行かなかった。
本気で分析しようと思ったら、このあたりを定義をする必要がある。
あたしって典型的な「文系」の人だからぁ、算数レベルもわからなくってぇ……それは「文系」なんじゃなく、単にオバカなんだろ。
まあ、むずかしく考えずに、大学で理系の学部にいた人は「理系」で、その逆は「文系」と言える可能性は高い。じゃあ、大学に行ってない人は分類不能?──そういう話ではない。
そういうこととは関係なく、なんとなく「理系頭」とか「文系頭」ってイメージはある。
職業なんかでも、技術系の専門職をはじめ、「理系の仕事」「文系の仕事」ってのがあることを否定する気はない。
ところが世の中には例外というものがある。
たとえば一般のイメージだと小説家は文系だろう。しかし、実際には理系の小説家も多数いる。真っ先に浮かんだ瀬名秀明は、経歴で見ればバキバキの理系。念のため確認したら、東野圭吾も理系だった
文章を読んでいて、「この人は〈理系頭〉だな」とつくづく思うのは阿刀田高(大学は文学部卒)。「トーナメント理論」なんて、文系の発想じゃないよ。異端の「理系頭」の筆頭格だろう。「トーナメント理論」については、書きはじめると長くなるので省略する。
あるサイトでは下記のように説明している。ちょっと違う気がするが、引用しておく。
http://www.asyura.com/0505/asia2/msg/290.html
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作家の阿刀田高さんがトーナメント理論というもの紹介されております。 抜粋してみますと、 「予言書などという物は、歴史をさかのぼれば無数と言って良いほどたくさんあった。適中しない予言書は忘却され、この世から消えてしまった。 ノストラダムスの予言の解釈も色々あるようだが、一応現時点での世相に合致していたからこそ日本の出版社の企画として採用されたのである。 だから皮肉な言い方をすれば、適中している物を捜してきたのだから適中しているのが当然であり、あれを見て死にたくなるほど怖くなるのはよほどの過敏症か、カボチャ頭のスカスカ。」 と言うことだそうです。 あまり神経質になることはないようですね。
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重なった偶然のうちのひとつ。
つい先日、ある方の日記に書いたコメントを加筆して転記する(またかよ)。
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(前略)ってのは、典型的な「俗説に基づく誤解」だと思います。
まず、理系と文系をどういう基準で考えているか。
【一般的な理系のイメージ】
1)物事を理詰めで考えようとする
2)答えがひとつと考えようとする
3)ウンタラ
4)カンタラ
1)に関して
もしこれが真実だとすると、文系は論理的な考え方ができない●●ってことになりますが……。
2)に関して
二次方程式ってご存じですよね。
答えはひとつでしょうか。
x2(2乗)=25の解は5と-5ですよね。
このように解がいくつもある問題なんていくらでもあります。
そもそも「理屈っぽい人」って理系ですか? 文系ですか?
そりゃ数学者や物理学者は理詰めでものを考えるかもしれません。でも、一般に数学者や物理学者はそんなことを口にしません。一般人には理解できないことがわかっているからです。
一方、弁護士や検事は十分理屈っぽいと思います。論理的な話し方ができなかったら、商売になりません。この方々は文系ですよね。
あと、理論的に話ができないことで有名なのは生命保険会社の人たち……そういう話はやめんかい。
ちなみに、当方は私立大学の国文科を数学で受験したハイブリッドタイプのニューエイジです。
典型的な器用貧乏だの、蝙蝠だのといった中傷誹謗は却下します。
「ニューエイジ」はちょっと……とかいうベタすぎるツッコミも却下します。
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o( ̄ー ̄;)ゞううむ
なんかとりとめのない話になっている。
そのうち続編を書きます。
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