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【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」

「校正・校閲」のコミュで、非常におもしろいテーマのトピが立った。
【予て、予てより】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=39339875&comment_count=7&comm_id=6251

 トピが立った当初から、どうコメントを入れればいいのか考えていた。満を持して(だからそれは誤用だって)コメントを入れることにしたが、とんでもなく長くなる気がしてためらいを覚えている。
 資料として、まず例によって「赤い本」からここに引いておく。
「予てから」と「予てより」はどう違うのか。

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●「起点のヨリ」はできるだけ使わない

【練習問題36】
 次のA群とB群の表現がどう違うのか考えてください。
  A群      B群
  駅ヨリ3分    駅カラ3分
  10時ヨリ営業  10時カラ営業

 A群で使われているヨリは、空間や時間の起点などを示す表現です(このような用法を「起点のヨリ」と呼ぶことにします)。「文章読本」のなかには、「起点のヨリ」は使わずにカラを使いなさい、と主張しているものがあります。理由は「意味がわかりにくくなる場合がある」とのことです。そういった記述を目にしたことがある人は、カラを使っているB群のほうがよい、と考えるでしょう。
【練習問題36】にあげた例では、ヨリとカラのどちらを使っても同じ意味ですし、少しもわかりにくくはありません。別の例で見てみましょう。

【練習問題37】
 次の故事に使われているヨリの働きを考えてください。
  1)花ヨリ団子
  2)栴檀(せんだん)は二葉ヨリ芳し
  3)青は藍ヨリ出でて藍ヨリ青し

 1)のヨリは、「AヨリBのほうが〇〇だ」のように、いくつかのものを比べるときに使います(このような用法を「比較のヨリ」と呼ぶことにします)。1)のヨリを「起点のヨリ」と誤解する人はいないでしょう。
 2)のヨリは「起点のヨリ」です。これは「比較のヨリ」ともとれるかもしれません。「比較のヨリ」と考えてしまうと、「栴檀(という植物)と二葉(という植物)を比べると、栴檀のほうが芳しい」ぐらいの意味になり、何をいいたいのかわからなくなってしまいます。
 3)は2種類のヨリが使い分けられている例です。少しまぎらわしいかもしれません。1つ目のヨリが「起点のヨリ」で、2つ目のヨリが「比較のヨリ」であることがわからないと、やはり意味がわからなくなってしまいます。
 このように、「起点のヨリ」が誤解される可能性があることはたしかです。しかしそのことを理由にして、「起点のヨリ」を使ってはいけない、とするのは無理があります。
 ここであげたのは特殊な例で、ふつうの文章中に出てくるヨリが「起点のヨリ」か「比較のヨリ」かまぎらわしい例は、ほとんどないからです。「カラよりもヨリのほうが語感がいい」と思うなら、「起点のヨリ」を使っても問題はありません。基本的には「起点のヨリ」を使い、どうしてもまぎらわしいときに限ってカラを使う、という方針でもよいでしょう。
 誤解のないようにお断りしますが、「起点のヨリ」を使うべきだ、とすすめているのではありません。「起点のヨリ」が原因で意味がわかりにくくなることはほとんどない、といいたいだけです。
 本書では、原則的に「起点のヨリ」を使っていません。「比較のヨリ」とまぎらわしいからではなく、「起点のヨリ」が文語調に感じられるからです。

【練習問題38】
 次の2つの表現の違いを考えてください。
  1)心ヨリお待ちしております
  2)心カラお待ちしております

 1)のヨリは、「起点のヨリ」です。1)と2)のどちらの表現を目にすることが多いでしょうか。おそらく、1)のほうが一般的です。
 1)と2)は同じ意味ですが、厳密にいうと、1)のほうがほんの少していねいな感じがあります。例文のような内容のときに1)が使われやすいのは、この「ほんの少し」の違いが重視されているからでしょう。
 文語調の言葉のほうが「立派に見える」印象があることは、すでに書いたとおりです。そのため、「起点のヨリ」はパンフレットの文章、あいさつ文、手紙文などでよく見ます。「ていねいに書こう」という気持ちが強い文章ほど、「起点のヨリ」を使うことになるようです。
 本書で「起点のヨリ」を使わないようにしているのは、そのほうが読みやすい印象になると思うからで、あくまでも感覚の問題にすぎません。決して「わかりにくいから使ってはいけない」表現ではないはずです。
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 その後、とあるサイトに下記のように書き込んだことがある。

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 ヨリとカラについて、手元にある資料から索いておきます。
 愛用している「朝日新聞の用語の手びき」の「慣用句」の使い方の注意に、次のように書いてあります(これは1986年発行の第22刷のポケット版です。現在のものは違っていると思います)。
 
【引用部】
 蛍光灯より冷たい光線が流れている
 この文は「冷たさ」を比較しているようにも受け取れる。場所・時間の起点を示す場合の助詞は「から」を使い、「より」は使用しない。同様に引用の出所を示す場合も「〇〇図鑑より」とはせず「〇〇図鑑から」とする。「より」は比較の場合だけに使う。

 この解説を信じて、基本的に「起点のヨリ」を使わずにきました。しかし、引用の出所を示す場合は「ヨリ」のほうが自然な気がして、例外にしています。ただ、ここであげられている例文が「比較のヨリ」と解釈できるか否かは微妙だと思います(個人的には、「起点のヨリ」としか思えません)。

 1998年にP社から発行された「文章読本」には、次のような例文が紹介されています(この本はあまりにも問題も多いので、名前は伏せます)。
「彼より、あなたが好きという手紙が来た」
「比較のヨリ」と解釈して、「彼とあなたを比較して、あなたのほうが好きである」という意味に誤解されかねないそうです。
 よく判らないのは、なんで「彼より、」と読点をつけたのか、ということです。読点があると、「起点のヨリ」としか読めません。読点を削除すると、たしかに「起点のヨリ」とも「比較のヨリ」ともとることは可能でしょう。しかし、受取人の性別を考えれば、その問題も解決されます。そんなことより、この例文はいかにも人工的で無理があります。といったことを考えると、「起点のヨリ」はまぎらわしい、という主張自体に無理がありそうです。

『理科系の作文技術』(木下是雄/中公新書/1981年9月25日初版)の149~152ページには、「私の流儀の書き方」が紹介され、次のように書かれています。
【引用部】
「よい」、「ゆく」、「より」、「のみ」は、私の語感では、話しことばとしてはもう死語になっているからだ。実をいうと私は「10時より午前の部の講演をはじめます」、「これより先、空港待合室では……」などと言われるとぞっとするのである。

 ちょっと補足します。この前には、「書きことばは話しことばとは明らかにちがう」としながら、「書きことばが話しことばに接近していく傾向があることも事実」とし、「その変化を先取りするほうらしい」木下氏は

  ……するほうがよい
  ……読んでゆくうちに
  8時より9時までのあいだ
  下地に膜をつけた場合と下地のみの場合とをくらべて……

 とは書かずに、それぞれ「いい」「いく」「から」「だけ」とするそうです(ただし、goの場合には「行く」と書き、読み方は読み手にまかせる)。
 ヨリとカラ以外に関しては賛成できない部分もありますが、ヨリとカラに関しては同感です。ほかの記述などを見ると、木下氏は1917年生まれとしては驚異的な若々しい言語感覚をもっていると思います。
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「古来から」「古来より」に関しては、下記の日記を参照してほしい。うーむ。どこまでも迷路にはまっていく。
【伝言板 板外編4──重言の話3】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-59.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1004398693&owner_id=5019671

【20120626追記】
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================================引用開始
【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。
================================引用終了




「ヨリ」「カラ」
「より」「から」
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