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「らしい」と「ようだ」をめぐって 独り言です44くらい──日本語教師関連編21くらい※全体公開

 下記の仲間。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

mixi日記2009年11月08日から


 気持ち的には下記の続き。
【「全部」と「すべて」をめぐって 独り言です43くらい──日本語教師関連編20くらい】10月18日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1313664836&owner_id=5019671


 先日、下記のトピが立った。
【選択問題】日本語しつもん箱 トピック
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47879053


●基本的には、「らしい」は伝聞で「ようだ」は判断でいいのだろう
「選択問題」というようなタイトルのつけ方はやめてもらいたい。ただ、この場合どういうタイトルがいいのかはむずかしい問題だけど。「0」を転記しておく。

================================
すみません、通り過ぎた皆さん、この問題はどれを選んだらいいでしょうか。Bはもちろんいいと思いますが、Aはだめですか。

盲人は象の足を触って、蛇___と言いました。
Aらしい
Bのようだ
================================

「通り過ぎた皆さん」ってどういう意味なのか、って問題はスルーする。

「らしい」「ようだ」の問題は、過去にもアチコチで目にしている。
1)【「らしい」「ようだ」の区別が分からなくなっちゃった。】
http://mixi.jp/search_topic.pl?community_id=398881
※この「らしい」は接尾語(後述)のようだから、ちょっと違うだろう。
2)【-ようだ / -らしい / -かもしれない】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44954637&comm_id=398881

 mixi以外だと、下記あたりが参考になりそう。
3)【「らしい」「ようだ」の確信度の差について】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326866018
4)【日本語初級・中級教材における推量 表現「ようだ・らしい・みたいだ」に ついて】
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/3499/1/34015.pdf

 どうやら、1)以外の結論はほぼ同じようだ(「同じらしい」ではヘン?)
「らしい」は伝聞であり、「ようだ」は(主観をによる)判断、ってことでいいだろうか。4)あたりはちゃんとした論文のような(「論文らしい」ではヘン?)ので、当方の理解力を超えている気がするが、だいたいそういうことだと思う。
 4)から引く。

================================
「ようだ」と「らしい」はいずれもある根拠に基づいた推量を表すものであるが、「ようだ」は話者自らの感覚や経験など直接的な情報による推量判断であり、「らしい」は他から得た間接的な情報による推量判断である。例えば(1)では、話し手が実際に経験している事態に対して、直接的情報に基づいて判断する場合は「ようだ」を用い、(2)では、話し手が伝聞など何らかの間接的情報に基づいて判断する場合は「らしい」を用いる。
(1)店内をひととおり見てきたが、この店の品物はどれも近くの店より一割ぐらい安いようだ。(早津(1988)より)
(2)甲子園での巨人戦を取材してきた同僚の話では、阪神ファンの熱狂ぶりはききしに勝るものであるらしい。(早津(1988)より)
================================


●「ようだ」のほうが汎用性があるのでは?
 基本的には「らしい」は伝聞であり、「ようだ」は(主観をによる)判断だと思う。でも、スッキリしない。
 これって、「ようだ」のほうが用途が広くないか?
 上の例で見ると、(1)はたしかに「らしい」は不自然(「間違い」とは断言できないけど)。(2)は「であるらしい」を「のようだ」にしても問題はない気がする。

 考えをハッキリさせるために基本の辞書に戻る。
 例によってネット辞書(『大辞泉』)から引く。「ようだ」は下記の「3」だろう。
  http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A0&stype=0&dtype=0
================================
ようだ〔ヤウだ〕【様だ】

[助動][ようだろ|ようだっ・ようで・ように|ようだ|ような|ようなら|○]用言、助動詞「れる」「られる」「せる」「させる」「ない」「たい」「らしい」「ます」の連体形、体言、一部の副詞に格助詞「の」の付いた形、コソアド系の連体詞に付く。

3 (主に文末に用いて)不確かな、または婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「この機械はどこも故障していないようだ」
================================

「らしい」は下記の「2」だろう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1&index=22295619135700
================================
らしい

[助動][○|らしく・らしかっ|らしい|らしい|○|○]動詞・形容詞・助動詞「れる」「られる」「せる」「させる」「ない」「たい」「た」「ぬ(ん)」の終止形、体言、形容動詞の語幹、一部の副詞などに付く。

2 伝聞や推量に基づく婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「冬山というのは非常に危険らしい」「隣の子はよく勉強するらしい」
================================

 ところで、助動詞の「3」と接尾語の「らしい」 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%84&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1&index=22295719135800 はどこで見分けるのだろう。「3は接尾語との区別のつかない場合もある。」と注にもあるが、当方にはサッパリわからない。
 辞書で見る限り、「ようだ」と「らしい」には意味の違いは感じられない。
 辞書の例文で見ても、「ようだ」のほうが汎用性がありそうだ。

「この機械はどこも故障していないらしい」はちょっと不自然。ただし、これは自分でチェックしたときなどの話。修理に出したら「故障箇所がない」と言われた、なんてときには「らしい」でもおかしくはない。
「冬山というのは非常に危険なようだ」「隣の子はよく勉強するようだ」は何も異和感がない。


●またぞろ例のパターンなのか?(この日記は「4」のコメントが入る前に書いている)
 元の問題に戻ろう。

================================
盲人は象の足を触って、蛇___と言いました。
Aらしい
Bのようだ    
================================

 問題がおかしくないか?
「群盲象を撫でる」の諺なら、足を触った人の感想は「柱のようだ」とかだろう。
 それ以前に、あえてこんな例文を持ってくる意味がわからない。差別的と考える人もいるんだから。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109331365
 本題で考えても、この文だと「のようだ」が正解だと思う。ただし、それは文脈によるもので、論理的に説明するのはきわめてむずかしい。

 あえてうんとねじ曲げてみる。
「目隠しをしてそれを触ったとき、私は思った。柱___。」
 これだと「らしい」が×とは言えないと思う。下記のようにすると、さらに「らしい」でもいい気がしてくる。
「目隠しをしてそれを触ったとき、私は思った。どうやら柱___。」
 つまり、伝聞だとか判断だとかの問題ではなく、文脈しだいってことだろう。
 別な疑問を感じてしまった。「どうやら」がつかない形だと、「ようだ」は『大辞泉』の「1」の意味ともとれる。そう考えるなら「らしい」にはできない。

================================
1 ある事物の性質・状態が他の事物に似ている意を表す。「今日は真夏のような暑さだ」
================================

 結論を言うと、問題がヘンだよ。論理的な解説ができないような問題は学習者を戸惑わせるだけだろう。
 トピ主は中国の方のようだ(これを「中国の方らしい」にしてダメな理由があるのだろうか)……ということを考え合わせると、思い出すことがある。これって下記の1)と同じような話ではないだろうか。
【独り言です31くらい──日本語教師関連編11くらい「すら」「さえ」ほか】9月16日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1284657257&owner_id=5019671

「ようだ」と「らしい」にはたしかにニュアンスの違いがあるから、どちらか一方しか使えない文章というのはある。しかし、大半の場合それは文脈の問題であって、論理的に説明するのはむずかしい。そういうものを選択問題にしてなんの意味があるんだろう。
 個人的には、「ようだ」にしとけば無難って気がする。「らしい」しか入らない例もあるかな? 
 自分で文章を書くときは、意味の違いなどとくに意識していない。ただ、「だ」は言葉の響きが強いので、「ようだ」はあまり使わない(「そうだ」も同様)。「らしい」とか「とのこと」を使うことが多いと思う。
 これが仕事の原稿だと、「らしい」はいい加減な感じがするのでまず使わない。伝聞の場合は「とのこと」「といわれる」を使う気がする。トピの質問の空欄なら「のようだ」が素直かな。「だ」を避けて「だろう」「ではないか」かもしれない。と言うより、そもそもこんな妙な文は書かないと思う。


【「らしい」と「ようだ」をめぐって】〈2〉
【「らしい」「みたいだ」「ようだ」「そうだ」日本語教師】

mixi日記2011年01月23日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1661617090&owner_id=5019671

 下記の仲間でもある。
 性格の悪そうな書き方になっているのは、管理人の責任です。クレームは管理人にお願いします。
【黒いコレクション──日本語教師関連28】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1442972256&owner_id=5019671

 以前、「らしい」と「ようだ」について書いた。
「らしい」と「ようだ」をめぐって 独り言です46くらい──日本語教師関連編21くらい※全体公開
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1332114251&owner_id=5019671

 テーマトピは下記。
【「みたい」と「らしい」の使い分けを】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59527876&comm_id=19124

 質問を要約する。
================================
私が書いた「今回は、赤の他人に父親らしいセリフを言われたのだ。」は「今回は、赤の他人に父親みたいセリフを言われたのだ。 」と日本人の方に添削されました。

「らしい」は「みたい」と添削されました。

私にはその二つ語感がまったく同じようです。
================================

 大前提として、その「日本人」は何者なんだろう。
「みたい」ではなく「みたいな」でないと間違いだろう。「みたいな」なら間違いではないけど、「添削」するなら「のような」じゃないかな。これをちゃんと説明するのはけっこう難題。
 過去のトピのリンク先を見るに、どうやら世間では、「らしい」「みたいだ」「ようだ」をあわせて考えるもの{らしい/みたいだ/ようだ}。これに「そうだ」を加える流派もある{らしい/みたいだ/ようだ/そうだ}。
 4つもあると収拾がつかない(笑)。
 下記を見ると、「そうだ」には「伝聞」と「様態」の2つの意味があり、あとの3つは「様態」なので、ほぼ同じらしい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112423631
 そんなふうに考えることができればわかりやすくていいなぁ。たとえば「らしい」に「伝聞」の意味はないのかな。「天気予報によると、明日は雨が降る{らしい/みたいだ/ようだ/そうだ}」って「様態」なの? 「ウワサで伝え聞くところでは、今度の転校生はどうやら可愛い{らしい/みたいだ/ようだ/そうだ}」って「様態」なの?

 で、トピのやり取りは……なんじゃそりゃ?
「1」の説明って適切なんだろうか? 基本的にはOKだと思うけど、なんかちょっと違う気がする。「XはYらしい」って、真っ先に浮かぶのは「推量」じゃないかな。そこから始めなくていいのだろうか。それをやるとメンドーなので避けているのかな。「このコメントは的外れらしい」は推量だろう。「らしい」の意味は↑の【独り言です46くらい】参照。
 でも質問者がわかったんならそれでいいか。でもホントにわかったんなら「可愛らしい」とは書かないと思うけど。「可愛みたい」って言わないよね。誰も指摘しないのかな? でも、そんなことしたらまたコメントを消しちゃうかな(黒笑)。
 様態の「らしい」は体言にしかつかないんじゃなかったかな。そうか「いかにも岡田可愛らしい見事なレシーブ」ってことか(誰もわからんって)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%8F%AF%E6%84%9B

 ただ、これを説明するのはけっこうむずかしい気がする。「可愛らしい」は一語、と言うのは簡単だけど、それを言うと「男らしい」「女らしい」も一語。元々のつくりが……ってことになると泥沼が待っているような……。「愛らしい」はどうする。「バカらしい」はどうする。
 そういうのは元々一語で、「男らしい」(「女らしい」も)は「男+らしい」でできた言葉ってことにするか? 同じようでも「先生らしい」「学生らしい」はまだ一語ではない、と。
 うわー。どんどん本来の話から離れていく。

【追記】
 おすすめの論文は下記かな。
【1. はじめに 2. 使用制限と生成意味差異】
www.foreign.nkfust.edu.tw/newweb/paperupload/3/604-3n8_internal.pdf

 やっぱり推量がメインだよね。当たり前だよ。今回のテーマにかかわるのは、下記あたりかな。
================================
3.1 「ようだ」と「らしい」の使用制限
 推量の助動詞「ようだ」と「らしい」が表す意味差異はその使用制限によるものであることを先行する研究が示唆しているが、推量の助動詞「ようだ」と「らしい」には、文法上の明確な選択使用制限が見られない。しかし、推量以外の両表現、比況の意味として使われている「ようだ」と接尾辞としての「らしい」には明らかな使用制限の違いがある。

3. あの人は、女のようだ
4. あの人は、女らしい
 例3,4 がそれぞれ比況と接尾辞的用法であれば、例文3 のあの「人」は「男」の人でなくてはいけない。また、例文4 のあの「人」は逆に「男」の人ではなく、「女」の人でなければならない。つまり、上記のような比況や接尾辞的用法の「ようだ」と「らしい」は使用上それぞれ文法的な制限が明確に課される。
 例3,4 の人は、話者が表現対象としている主題で「新規対象」である。女という語彙は、話者の心的認識を表わすもので「参照点」である。「ようだ」も「らしい」も話者が「新規対象」と「参照点」とを比較した上に自己の判断を言い表した表現であり、その判断結果の如何が「ようだ」と「らしい」を使用選択する決め手になる。
 先行する研究で提示したように、「ようだ」と「らしい」の使用選択において、その基本となっているのが、「新規対象」と「参照点」の関係であり、関係の如何は話し手が使用選択する重要な決め手となる。しかし、推量の意味を表わす場合、文法的にはその関係の如何は要求される情報とはならない。言い換えれば、推量として使われる「ようだ」と「らしい」には明確な文法上の異なる制限がない。しかし、それぞれの「比況」・「接尾辞」的用法における使用制限が使用心理に影響を与え、両表現の意味差異を生み出しているのではないかと考えられる。つまり、話し手が認識する両表現の「使用制限」が全ての用法に影響を及ぼし、文法的には要求されないが、使用心理と受け取る意味差異を生み出しているであろう。話し手がどちらの表現を使用選択するかは、発話時に認識する「参照点」と「新規対象」の関係が常に深く関わっていると考えられる。また、聞き手が受け取る意味差異も両表現のこの基本的な使用制限が影響し認識心理に差異を生み出させていると言えよう。
================================

 そういうことです。って、これでわかるのかな。
 なんでこういう書き方をするんだろう。これならトピの「1」のほうがずっとわかりやすい。
 ↑の【独り言です46くらい】でリンクを張った下記ももう少しなんとかしてほしい。
資料4)【日本語初級・中級教材における推量 表現「ようだ・らしい・みたいだ」に ついて】
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/3499/1/34015.pdf

 この「らしい」は接尾語のほうだから、下記を参照するのが正解だろう。
資料1)【「らしい」と「ようだ」の区別が分からなくなっちゃった。】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46710229&comm_id=398881


【「らしい」と「ようだ」をめぐって】〈3〉
【「ようだ」「ようである」「(ような)気がする」「らしい」】日本語教師

mixi日記2012年01月26日から

 下記の仲間でもある。
 性格の悪そうな書き方になっているのは、管理人の責任です。クレームは管理人にお願いします。
【黒いコレクション──日本語教師関連28】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1442972256&owner_id=5019671

 テーマサイトは下記。
【「ようだ」、「ような気がする」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=67522668&comm_id=19124

 質問文を一部加工して転載する。ほう。バケないほうの丸付き数字を目にするのは珍しいかも。
================================
「ようだ」と「ようなきがする」の使い分けを教えていただきたく投稿しました。

まず、例文を挙げます。

例①
添削前:以後、コーチに私の世話を見てもらえなくなってきたようである。
添削後:以後、コーチに私の世話を見てもらえなくなってきた気がする。

例②
添削前:九回目の水泳レッスンからコーチにあまり教わらなくなったようである。
添削後:九回目の水泳レッスンからコーチにあまり教わらなくなったような気がする

「ようだ」も「ようなきがする」も推測するとき使う言葉だと認識しております。添削されていなかったら、同じような言葉だと思っておりました。中国語に翻訳すると、同じ訳文になると思いますが、今回添削されてから、ニュアンスには少し違っているのではないかとかすかに思うようになったが、どこかに違っているか分からないのです。
================================

 模範的な回答。「添削」した人に訊いてください。
 以上。(←オイ!)
 この人は「日本語しつもん箱」からの引っ越し組(何が理由なのかは不明)で、以前にも添削された理由がわからないというトピを立てている。
 そのときにも書いた(ような)気がするが、添削には基本的なルールがある。そのなかでも重要度が高いのは、論理的に説明できないような添削をしてはいけないってこと(論理的ではなくても一応説明できるならアリかな?)。それは添削者の趣味の「押しつけ」でしかない(ような)気がする。
 細かいことだけど、例文の添削前はどちらも「ようである」。「添削後」は「気がする」と「ような気がする」。「ような」の有無で意味なりニュアンスなりに違いがあるなら、ぜひ教えてほしい。それが説明できないなら、単に気まぐれで添削していることになる。論外。
 しかも、質問者は「ようである」ではなく「ようだ」で考えている。こうなると話はグチャグチャになり、ちゃんと書こうとすると気が遠くなる。


●まずここから始めよう──「である」と「だ」の違い
 メンドーなので辞書は省略。「である」と「だ」に意味の違いはないが、ニュアンスというか言葉の感じはかなり違う。たとえば、当方は「である」は原則的に使わない。「だ」も極力使いたくないのだが、その話はパス。
 本題に関して、文末の「である」が偉そうなんで書きかえただけじゃないかと思う(気分か趣味か、理由は不明)。それなら「ようだ」にしておけばよかった(ような)気がする。文体を考慮すると、「ようである」より「ようだ」がふさわしい、ということならアリだろう(これを論理的に説明するのはきわめてむずかしいけど)。どういう文体なのかは例文だけではわからないのでなんとも言えない。
 かなりメンドーな話なので、下記参照。 
【関連トピ紹介】7──デ・アル体とデス・マス体をめぐる難儀な話
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42231236
【「~だ」と「~である」はどう違うか】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1243594308&owner_id=5019671
================================
●「名詞+デアル」と「名詞+ダ」は微妙に違う

 例文3)の説明の中に出てきた「であろう」について、補足しておきます。
 文末が「名詞+〇〇」になるとき、デアル体には2つの形があることは、第1章で書きました。そのときにはふれなかったのですが、「名詞+デアル」と「名詞+ダ」には、微妙な違いがあります。「名詞+ダ」にはややくだけた印象があるため、文章の品格を重んじる書き手は、「名詞+デアル」を使うことが多いようです。
 この傾向は、デアルやダが過去形や仮定形になった場合にもあてはまります。

  現在形  過去形   仮定形
  デアル  デアッタ  デアロウ
  ダ    ダッタ   ダロウ

 ただし品格を重んじた表現は、文語調ほどではありませんが、文章をほんの少し堅苦しい感じにするようです。個人的には、現在形はデアルもダも使い、過去形はダッタ、仮定形はダロウを使います。デアッタやデアロウはめったに使いません。
================================


●「ようだ」の意味
 過去に「ようだ」について書いた日記。
85)【「らしい」と「ようだ」をめぐって 独り言です44くらい──日本語教師関連編21くらい※全体公開】(2009年11月08日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1332114251&owner_id=5019671
388)【「らしい」「みたいだ」「ようだ」「そうだ」日本語教師】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1661617090&owner_id=5019671

 で、「ようだ」を辞書でひいて気が狂いそうになる。主な働きがなんなのかさえわからなくなったorz。
 フツーに考えれば、下記の「3」だろう。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A0&stype=0&dtype=0&dname=0na
================================
1 ある事物の性質・状態が他の事物に似ている意を表す。「今日は真夏のような暑さだ」
2 例示の意を表す。「隣のおばさんのような働き者は少ない」
3 (主に文末に用いて)不確かな、または婉曲(えんきょく)な断定の意を表す。「この機械はどこも故障していないようだ」
(以下略)
================================

 断定の助動詞「だ」がついているから、婉曲とはいえ断定なのかもしれない。でも、一般には「推量」じゃないのかな。
 こういうときの常套手段として類語辞典をひいてみる。
■goo辞書から
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17305/m0u/%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A0/
================================
だろう/らしい/ようだ/みたいだ/(よ)う/まい
[共通する意味]★推量を表わす。
================================
[使い方]
〔ようだ〕▽彼女はどうやら忘れ物をしたようだ▽彼には、この問題は難しいようだ▽私にも非があるようだ
================================
【4】「ようだ」は、「らしい」のような客観的根拠に基づいた推量を表わすだけでなく、主観的な判断も表わす。たとえば、「私にも非があるらしい」と「私にも非があるようだ」ではニュアンスが異なる。前者では、私にも非があるという事実・根拠は伝聞によっていることを表わすが、後者では自分自身の判断によることを表わす。また、「みたいだ」は「ようだ」のくだけた表現で、主に話し言葉で用いる。丁寧形は、それぞれ「ようです」「みたいです」。
================================

 厳密に考えると「婉曲な断定」と「推量」がどう違うのか、当方にはわからない。
 考えやすいように「推量」にしておく。


●「ような気がする」と「気がする」の違い
 多少の例外はあるが、「ような気がする」と「気がする」は同じと考えていいだろう。「気がする」(推量?)の前に↑の「1」の「ように」がついている。
 厳密に考えると「ような気がする」は重言では、と考えたことがある。
  1)以後、コーチに私の世話を見てもらえなくなってきたようだ。
  2)以後、コーチに私の世話を見てもらえなくなってきた気がする。
  3)以後、コーチに私の世話を見てもらえなくなってきたような気がする。
 1)でも2)でも同じような意味なのに、「ようだ(な)」と「気がする」の両方を使っているのだから、重言の疑いをかけられてもしかたがない。
 ただ、こんなことにいちいちメクジラを立ててもしかたがない(ような)気がする。重言感が気になりはじめてから当方はできるだけ「ような」を入れないようにしているが、入れないと語呂が悪い(ような)気がするときは入れている。
「ような」は「似ている」などの意味があるから意味を「ボカす」ような働きがある。「気がする」にも同様の働きがある。論理的にはただボカすより二重にボカすほうがやわらかいはずだが、そう言い切れるか否かは微妙すぎてわからないorz。
 大半の人は、そんな厳密なことは考えずに、そのときの気分で「ような気がする」と「気がする」を使っている(ような)気がする。「単なる書きグセ」って可能性もある(ような)気がする。


●「ようだ」と「(ような)気がする」の違い
 主観にかかわる部分も多いので強く主張する気はないが、「ようだ」と「(ような)気がする」には微妙な違いがある。
 類語辞典によると「ようだ」は〈自分自身の判断によることを表わす〉らしい。
 書きかえるなら、「と考える」「と思う」くらいがふさわしい。「(ような)気がする」だと推量(確信)の度合いが弱くなる。
 類語辞典にある例文も「私にも非がある気がする」にすると、ほとんで非を認めていない印象すらある。
 もう少しメンドーなことを書くと、推量の「ようだ」には2種類ある。

 A「らしい」とほぼ同様
 ↑の類語辞書の言葉を借りると、伝聞(客観的根拠に基づいた推量)。
 コメント[1]に出てくる「天気予報によると、午後から雨が降るようだ」は「らしい」にはできても「(ような)気がする」にはできない。

 B「(ような)気がする」とほぼ同様
 ↑の類語辞書の言葉を借りると、主観的な判断(自分自身の判断)
「天気予報などを参考に総合的に判断すると、午後から雨が降るようだ」(なんて強引な例文)は、「(ような)気がする」にはできても「らしい」にはできない(できなくはないかもしれないが、ちょっとヘン)。

 主観的な判断の場合は、「ようだ」と「(ような)気がする」はほぼ同様だから、書きかえても問題はない。しかし、書きかえる必要があるかないかは一概には言えない。
 個人的にはどちらでも同じようなものという気もするから、こういう意味不明の添削はしない。微妙なニュアンスの違いを説明するのがメンドーなだけって気もするが。数ある推量表現の「推量(確信)の度合い」の違いなんて考えはじめるとトンデモナいことになる。
 ちょっとよけいなことを書くと、例①に関しては「なってきた」のほうがよほど気になる。ただでさえ「なった」で十分な気がするのに、文頭に「以後、」があるからよけいに「てき」がいらない(ような)気がする。相当クドい。後ろに「ようだ」や「(ような)気がする」すると、そのクドさがさらに強くなる。
 添削者はなんでこっちはスルーしたんだろう。


●「ような気がする」と「気がする」の違いの検証(仮)
 ↑の文章で多用した「(ような)気がする」を拾い出して考えてみる。もう少し頑張れば、品詞別の接続もわかるかも。

 〈「ような」が入るとヘンな例〉
  伝聞って気がする
  だけって気もする
  同じようなもの(だ)という気がする
  十分な気がする

 〈「ような」があったほうがいい(ような)気がする例〉※微妙
  自分自身の判断のような気がする
  
 〈どちらでもいい〉
  書いた(ような)気がする
  使っている(ような)気がする
  ある(ような)気がする
  ない(ような)気がする
  しかたがない(ような)気がする
  悪い(ような)気がする
  よかった(ような)気がする
  いらない(ような)気がする



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