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『同期の桜―お言葉ですが…8』──バカが意見を言うようになった

mixi日記2007年07月30日から

 週刊誌の連載が終わり、単行本の最後の巻は他社から刊行された。文庫版がどうなるのか気にかかっていたが、無事に出た。ほぼ同時期に文春新書から新刊が出たから、決裂したわけではないみたい。こういう作品が消えていくのは出版文化の貴重な財産を失うことになる、と感じていただけに、ちょっと安心する。いつものことながら、知らなかった事柄がワラワラと並んでいる。「なんて無知なんだろう」と痛感し、読むと3日ぐらいは落ち込む。

(前略)池田先生によれば、インターネットというのは意見をのべることのできる装置なのであるらしい。これが普及したため、「小谷野敦の表現を借りれば、バカ意見を言うようになったのである」とあります。
 先生の文中「バカ」はたびたび出てくるが、この「バカ意見を言うようになったのである」が一番すごい、と小生感銘した。迫力がある。
 言われてみれば小生も、新聞の投書欄なんか見ていて、「なんでこんなのをのせるのかなあ」とけげんに思うことがよくあるのであるが、「そうか、バカが意見を言うようになっているのか」と、何やら納得したことでありました。(P.28~29)
 こういう意見に同調するのは限りなく自爆に近いとは思いながら、自戒の念を込めて。
 たしかに新聞の投書欄はバカの見本市。「正論」と「説教くさい話」が並んでいるからどうにもならない。新聞以外の雑誌でも、「意見」を言っているものはだいたい話にならない。ギャグとしては嫌いじゃないから、けっこう楽しませてもらってるけど。
 それでも、雑誌や新聞の投書欄は制作者側の配慮があるから抑制がきいているし、量的にも限りがある。ところがインターネットの場合は、野放しのうえにほぼ無制限だからとんでもない。いったいこの闇の中でどれだけの情報がタレ流されているのか怖いものがある。一応ある程度の制御装置を備えているSNSなんかでも、相当バカな情報がタレ流されている。ブログや個人のウェブサイトに至っては、書いたもん勝ちだもんな。当方の乏しい知識の範囲でも、「それはいくらなんでも……」ってことが多々ある。間違いを指摘されて素直に認める人間はまだマシ(このあたりを逃げ口上にしておこうか)。バカが逆ギレして言い争いが始まると、際限のない泥沼状態になる。バカや勘違い野郎はどこまでも増殖&増長していく。防ぐ方策は……ないだろうな。

 P.68~の〈愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら〉。
 当方の知識の範疇を超えている。「憂いて」とか「憂う」は誤用なんだそうな。「憂える」は下一段活用(「憂えない」「憂えます」「憂える」……)だから「え」を除くことはできない。
 文語ではちょっと事情がかわる。本来は「憂へず」「憂へたり」「憂ふ」……と下二段活用だが、「憂ひず」「憂ひたり」……の誤用が定着して、2系列できてしまった。誤用の代表としてあげられているのが、タイトルの「愁ひつゝ……」(踊り字の「ゝ」ってバケるんだろうな)。作者は蕪村。正しくは「愁へつゝ」らしい。やっぱり理解できない。
 文語は2系列できたが、口語はあくまでも、1系列。ところが名詞形だけは「憂え」のほかに「憂い」も残ってしまい、むしろ「憂い」のほうが」優勢らしい。当方の語感では、なんのためらいもなく「憂い」……無知がバレる。とはいえ、動詞形で「憂いた」などとするのは現代でも間違いなんだそうな。なんの根拠もないが、積年の課題である「しつらい」&「しつらえ」問題もこれに関連する気がする。

 P.98~の〈「おはようございます」と「こんばんは」〉のテーマは芸能界のあいさつ。芸能界では、昼でも夜でもあいさつは「おはようございます」が一般的。この理由として、ひとつの説を紹介している。「こんにちは」「こんばんは」にはていねいな形がない。とりわけ上下関係が厳しい芸能界では、ていねいな形がないあいさつでは具合が悪い。そのため、「おはようございます」に統一された。ハハーッ。
 ちなみにこの話に対して、アチコチの地方在住者から、「お晩でございます」などのあいさつがある、と手紙が来たとのこと。札幌あたりでも使うらしい。たしかに、北海道ではこのテの言い回しを聞いた気がする。最近聞かないと思ったら、これは方言の一種なのね。

 P.189~の〈尻のつむじ……?〉は誤植の話。この前の回に出てくる「駆逐艦」が2カ所とも「駆遂艦」になっていた、というお詫びから始まる。文脈から考えると、単行本の話ではなく、雑誌連載時のこと。なんでそんなことが起こるのだろうか(これが雑誌連載を単行本にする際にOCRを使ったためのミスならわかる。またこのテのことが最近やたら目立つ)。まさか活版? そんなことはありえないよな。ってことは、手書きの原稿をオペレーターが誤入力したってこと。いったいどうやって入力したのだろう。「駆」を打って「遂」を打って? まあ、いいや。こういう誤植を「魯魚の誤り」「章草の誤り」「焉馬の誤り」というんだとか。個人的には「教数の誤り」「城域の誤り」も加えてほしい。
 
 碁の三大タイトルは、読売の「棋聖」、朝日の「名人」、毎日の「本因坊」である。ほんとは本因坊が最も伝統あるタイトルなのだが、こんにちタイトルの格は露骨に賞金の額できまるから、いまは棋聖が一番上で名人が二番目である。(P.214)
 やっぱり本来は本因坊だよな。将棋は名人、囲碁は本因坊と記憶していたが、間違いではなかった。囲碁も賞金しだいですか。だが、将棋の場合はたとえ賞金が下でも、段位とリンクした「順位戦」というシステムがあるんだから名人は別格。これ以上書くと別の話になってしまうのでパス。

 小生は漢籍の書誌をやった者なのですが、われわれと、和書の書誌をやった人とは時々用語がちがうことがあります。われわれは手書きの本のことを「抄本」(抄は手書き。「鈔本」とも書く)と言うのですが、和書の人は「写本」と言う。そして、抜萃本のことを抄本と言う。今でもありますね。たとえば徒然草の有名な段だけを抜き出した本を「徒然草抄」と言うように。
 それからまた日本では、注釈書のことも「抄」と言う。『胡月抄』というのは北村季吟が作った源氏物語の注釈書でしたね。(P.235~236)
 ものを知らないというのは悲しい。抜粋の意味しか知らなかった。この項の後半では「覆刻」の話が出てくる。現在のように、「用字・用語」をかえたり、かなづかいを改竄したものは、「覆刻」とは呼ばない。そのとおりです。

 P.248~の〈からたちの花が咲いたよ〉は、童謡と小学唱歌の話。両者はまったく違うものらしい。まったく知りません。どうしてこんなにも、まったく知らない話ばかりが出てくるんだろう。
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