読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年02月日から

『敬語再入門』のamazonデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E%E5%86%8D%E5%85%A5%E9%96%80-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4062919842

 いやぁ、すごいわ。
 敬語に関するいいテキストはないかと考えていたところ、偶然教えてもらった。
おおざっぱな感想に関しては下記に書いた。
【学者の言葉〈3〉── 専門用語の誘惑】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821238682&owner_id=5019671
================================引用開始
 最近、『敬語再入門』(菊地康人)を読んでいる。1項目ずつ噛み締めているからなかなか進まない。もう少しで読み終わるので、『敬語』のほうに進みたい。「進みたい」は正確には「戻りたい」にするべきだろう。元々あったのは『敬語』で、その入門編とも言えるのが『敬語再入門』。『敬語』のほうがボリュームが倍近くあり、内容も盛りだくさん。当方の手に負えるのだろうか?
 それはさておき『敬語再入門』いついて。いやー、スゴいわ。訳のわからないバイト敬語を別にすれば、各種の質問板でとびかっている敬語関係の疑問のほとんどが解決する気がする。手元にある敬語関係の本がいかにいい加減かよくわかる。ネットでとびかっている珍説が哀れにさえ思える。
 言語学の専門家であることが随所にうかがえ、解説がイチイチ論理的で深みが感じられる。
 しかも、むずかしい言葉はほとんで出てこないので、当方のレベルが読んでもよくわかる。不明点もいくつかあるが、それは単に当方の勉強不足だろう。一般人がわからない言葉は使っていない。こういうのが「貴重な学者」の業績なんだろう。
 むずかしい文法用語や、一般人がわからない専門用語なんか使わなくてもあれだけの文章が書けるのは驚異なのかもしれない。あやかりたい、あやかりたい。
================================引用終了

 少しテクニカルなことを書くと、本書は原則1項目2ページで構成されている。行が余って余白が出ているところはほとんどない。編集関係の仕事をしている当方から見ると、こういうちゃんとした内容の本でこういう体裁にするのはとんでもない力業。神業と言ってもいいかも。
 それとちょっと余計なことを書くと、巻末の「敬語便利帳」を見て驚いた。当方が「不規則敬語」と呼んでいる(本書では「特定形」などと呼んでいる)動詞の一覧がのっている。これって、Wikipediaの「不規則動詞一覧」の表とよく似ている。まあ、同じような形になるのはしかたがない気もするけど……。ちなみにWikipediaの参考文献には『敬語』のほうが入っている。
 パクったとするとWikipediaのほうだろうな……と思いながら見比べてみると、中身はかなり違う。興味のあるかたはご確認ください。


【引用部】
「くださる」「おっしゃる」「いらっしゃる」も変則的五段活用です(P.49)
 深い意味はなく、ちょっとしたメモ。
【20140222追記】
 ところが、「なさる」の場合、一般的法則の通りではなく、すでに江戸時代のうちに下二段から四段活用に変わりました。四段活用は現在は五段活用になり、「なさる」も、
 ② なさらない、なさろう(とする)、なさいます、
   なさり(中止形=テン(、)の前の形)、なさって、
   なさった、なさる、なされば、なさい
と活用するようになりました。普通の五段活用とは少し違うので(普通の五段活用なら「なさいます」「なさい」でなく「なさります」「なされ」となりところです)、変則的五段活用とでもいえるでしょう。「くださる」「おっしゃる」「いらっしゃる」も変則五段活用です。
現代の標準的な使い方は、この②です。(P.48〜49)


【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。

【引用部】
「くださる」は本来は恩恵を受ける場合の表現ですが、実際にはそうでない場合にも拡張して使われることがあります。(→§4)。「ください」は文法的には「くださる」の命令形ですが、恩恵を得るという原義とは無関係に、たとえば道を尋ねられて「そこを右に曲がってください」というように(この場合、話手には何の恩恵もないわけですが)広く使われ、依頼、要求などの表現として定着しています。(P.57)
 この説明を見る限り、「~ください」は「尊敬語の命令形」で間違いないようだ。「尊敬語の命令形」なんてアリなの?


【引用部】
Q.「いい所にお住みですね」……少し変でしょうか。
 §20の「お~です」の形で、理屈上は誤りではないはずですが、普通、「お住みです」ではなく「お住まいです」と言います。ナル敬語も「お住まいになる」が普通です。古語「住まふ」に由来し、名詞「住まい」も同源です。(P.60)
 さすがに最近の「○○住み」の話は知らないらしい。関係ないか。
 仮に「お住まいですか」に異和感をもつ(「知らない」という可能性も否定できない)と、「お住みですか」になる。敬語でない表現にすると「○○住みです」まであと一歩って気がする。


【引用部】
Q.「なくなる」は「死ぬ」の尊敬語ですか。
 「死ぬ」という直接的な表現を避けて婉曲に述べた故人への配慮の表現ですが、身内にも使うので、普通の意味での尊敬語とはいえません。むしろ美化語(→§52)系でしょう。「なくなられる」「おなくなりになる」と言って初めて尊敬語になり、これは身内には使えません。(P.61)
 ひとつ疑問が解けた。「なくなる」自体はやはり尊敬語ではない。
【「なくなる」「亡くなる」考 】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1600713314&owner_id=5019671
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1684998175&owner_id=5019671


【引用部】
 なお「貴社」の意で「御社」と使う人がいますが、これは比較的新しい言い方で、一種の社会方言なのでしょう(私自身の語感では抵抗があります)。(P.65)
 これは初めて聞いた。一般には「貴社は書き言葉的で、御社は話し言葉的」とか言うはず。それはなんとなくわかる。「キシャ」は耳で聞くとけっこうわかりにくい。だから「御社」が広まったのかもしれない。


【引用部】
 なお、「使いやすい」のような「動詞+やすい(にくい)」型のものは「お使いやすい」でなく「お使いになりやすい」です。「お求めやすい」は「安い」意の婉曲表現として定着しつつありますが、本当はおかしい表現で、「お求めになりやすい」というべきところです。(P.66)
 この書き方はちょっと不満。これだと「お求めやすい」は定着しつつあるから「許容」ともとれなくはない。まあ、たしかに通販番組などでよく耳にする。


【引用部】
Q.「失礼ですが、田中さんでございますか」というのは、少しおかしくありませんか。(P.111)
 P.110~111の§54のテーマは〈「ございます」と人称〉。「田中さんでいらっしゃいますか」が望ましいらしい。
 言われてみると、たしかに「田中さんでございますか」には異和感がある。しかし、「そんなヘンな言い回しは使ったことがない」と強気に言えるほどの自信もない(泣)。


【引用部】
 なお、一つの語がいくつかの用法をもつ場合もあります。§48では、「お手紙」のように尊敬語・謙譲語I両方の用法をもつ主な語をリストしましたが、その中でも「おみやげ」などは、「先生からのおみやげ」(尊敬語)・「先生へのおみやげ」(謙譲語I)のほか「子どもへのおみやげ」のように美化語としても使います(あるいは、初めの二つも美化語と見てしまったほうがよいのかもしれません)。(P.124)
 接頭語の「お/ご」の解説のなかにある記述。「お/ご」は〈機能〉の面から見ると4種類ある。
1)尊敬語
2)謙譲語I
3)丁寧語
「お暑いですね」「お寒うございます」
4)美化語
 下記に書いたように、3つの〈機能〉をもつ「お/ご」はほかにもありそう。
673)緊急! 突然ですが問題です【日本語編92】──「お料理」「お手紙」の「お」の意味 【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1813769245&owner_id=5019671
 本書の解説中にあるようにすべてを「美化語」と考えるほうがいいのかもしれない。


【引用部】
また、社外の人に同僚のことを「○○は休暇をいただいておりまして」などと言うのも、休暇は会社なり上司なりからもらうわけですから、会社/上司を高めることになってしまいます。「休暇をとっておりまして」と言うべきところです。(P.137)
 やっぱりこれが正論なのね。それはわかってるんだけど、「休暇をいただいておりまして」を×にするのはちょっと気が引ける。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251284337
================================引用開始
1)「休みをいただいております」(「頂」はひらがなにします)
これは微妙な問題ですね。たしかにその客の主張にも一理あります。
正確に言うなら「会社から休みをもらって、休ませていただいております」なのかもしれません。いくらなんでも冗長ですからそこまでする必要はないでしょう。ただし、「お」をつけて「お休みをいただいております」のほうが一層丁寧な気がします。
もうひとつの【修正案】は、↑の後半にある「休ませていただいております」でしょう。これは「~させていいただく」の形なので、2)の問題とかかわってきます。
================================引用終了

 たとえば、取引先の偉いさんから連絡があったのに、担当者が休んでいる場合。「(お)休みをいただいております」じゃダメかな。偉いさんでなくても、「せっかく連絡いただいたのに……」という気持ちがあるなら「(お)休みをいただいております」でもいいと思う。
 ただ、発言者は年配の女性のイメージになるってことは、やはり過剰敬語なのかもしれない。


【引用部】
Q.「先生が指導していただいた」……どこか変ですね。(P.144)
 これ、けっこう基本的な問題だと思う。
 本書の解説は先生が大先生に指導してもらった場合を別にすると、おかしいとしている。
 下記のどちらかになるらしい。
  先生が指導してくださった。(尊敬語)
  先生に指導していただいた。(謙譲語I)

 それはわかるんだけど、世間でよく話題になるのはもう少しヒネった形。
  ご来店{ください/いただき}まして)(誠に)ありがとうございます。

 これだと主語(的なもの)は「お客様が」でも「お客様に」でもおかしくない。さて、正しいのはどっち?


【引用部】
Q.「では田中社長のほうからご挨拶をいただきます」のように「……のほう」を付けると丁寧になるんですね(P.151)
 典型的な「バイト敬語/若者言葉」。例外的に1ページの項目なので、丸々転載したくなる(笑)。要点だけを箇条書きにする。
・元々が方向を表わす言葉が敬意を表わす表現になることはある(「こちら・そちら・あちら」)
・しかし、著者の語感では「……のほう」は余計で不必要な印象を受ける
・こんな言い方で丁寧になると思うのはずいぶん浅薄
・概して敬語の使い方が得意でない人が使うことが多い
・過剰な「……のほう」は敬語でもなんでもなく、ないほうがよほどスッキリする
 本書では「バイト敬語/若者言葉」はあまり扱っていない。「あんなものは敬語ではない」ということではなく、問題意識が違うのだろう。できればこういう著者に詳細に解説してほしい。


【引用部】
 もっとも、ありうることと使うことは別ですし、過度にかばう気もありません。そもそも「とんでもない」は何かを難じるか、相手の言動を強く打ち消す語なので、概して敬語になじまない(相手から過分な贈答・評価・申し出などを受けた際の受け答えとしてならまだしも、という面はあり、「とんでもございません」もそうした場合に使われるようですが、それにしても相手を否定することが敬語と合わない)、というのが不自然な一因ではないでしょうか。「おきれいですね」と言われたら「とんでもございません」などと言うより、ただ「いいえ、そんな……」とはじらっているほうがよほど好感がもてるというものです。それにしても、“正解”とされる「とんでもないことでございます」は、受け答えとしてはかなり変ではないでしょうか。(P.161)
 歯切れの悪さに著者の迷いが見える、なんて書いたら怒られるかな。「ありうる形なので間違いではないが、積極的には支持できない」ってところだろうか。最後の書き方は、総理に醤油をとってもらう話を想起させる。
 この【引用部】の前にあるのは、「とんでもない」の分析。
【引用部】
①「とん」が名詞性の語で、「Nで(も)ない」式のでき方なら、丁寧形として「Nで(も)ございません」はありうる形です。
②「とんで」が「動詞+て」、つまり「Vて(も)ない」なら、さらに二つの場合に分かれます。
(a)「Vてある」の否定なら「Vて(も)ございません」はありうる形です。
(b)「Vている」の否定(「Vていない」の「い」の脱落)なら、「Vて(も)いません」/おりません」となるはずで、「Vて(も)ございません」とはなりません。(P.160)
 と分析しているが、結論はよくわからない。「とん」の語源が不明だからしかたがない。不明ながらも、もし名詞性で①なら「とんでもございません」はありうる形、としながら、先のP.161の【引用部】に続く。
 結局、専門家が見てもよくわからないってことだろう。素人にわかるわけがない(笑)。
【関連トピ紹介】1──「申し訳ございません」「とんでもございません」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41472470


【引用部】
不快感/違和感を感じますか(P.183)
 単なるメモです。


【引用部】
Q.「させていただく」、乱れてませんか。(P.191)
「バイト敬語/若者言葉」にふれた貴重な項目。2項目6ページにわたっているから相当力が入っている。イマイチ要領を得ない(←オイ!)のは、それだけ厄介な問題なのだろう。
 内容を箇条書きにしてみる。
・〈相手が、持っている資料を、好意で、私がコピーすることを許してくれる〉場合なら「コピーさせていただく」は適切な使い方
・パーティーの誘いを受けて「出席させていただきます」はやや拡張した使われ方
・「本日休業させていただきます」はやや拡張した使われ方
・結婚式のスピーチで「私は神父と三年間一緒にテニスをさせていただいた田中と申します」は、新郎新婦が特別な貴人でない限り異和感
・押しかけたセールスマンが「このたび新製品を開発させていただきまして」と言うのは「乱れ」の典型
・「乱れ」の正体は〈謙譲語Iから謙譲語IIへの変化〉
※ここがこの項目の骨子のはずだが、当方には説明しきれない(泣)。
・敬語の現状を見ると、「させていただく」の「変化」に加勢するファクターがいろいろある。
→聞手への低調さを醸し出す謙譲語IIは広まりやすい

【引用部】
 ちなみに、五段活用の場合は本来「せていただく」ですが、「読まさせていただく」式の誤用も聞きます。これも、もはや使役の原義をとどめていないということでしょう。原義を忘れて謙譲語IIに向かうのなら、むしろ、一律に「さ」入れるほうが簡単でいいのかもしれません。(P.195)
 うなってしまった。当然、その形が「サ入れ言葉」と呼ばれていることを踏まえている。それでいてこういう怖いことをアッサリ書けるのは、思考に柔軟性があるから。

【引用部】
 ところが、謙譲語IIの代表選手「──いたす」は、「──する」型(サ変)の動詞でなければ使えない、また、文末以外では使いにくい、という制約があります。つまり、先程の例なら「開発いたしました」と言えますが、「新製品を作りました」は、「──する」型動詞でないので「作りいたしました」と言えないし、「新製品を開発した業者です」も、文末ではないので「開発いたしました業者です」は不自然です。この「いたす」の守備範囲の不足を補うように「作らせていただきました」「開発させていただいた業者です」と言う、という面がありそうです。「守備範囲の広い謙譲語IIの形」を求める心理が潜在的にあって、そこに「させていただく」が入り込もうとしているのです。(P.196)
 つまりそのなんだ。こういうのを読んでしまうと、「プチ発見」のはずが単なる勉強不足になるってことだ(泣)。
446)【「~させていただく」〈2〉──プチ発見か単なる●●か?】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692229571&owner_id=5019671


【引用部】
ごぞんじ(ご存じ) 「知っている」の尊敬語(P.257)
 巻末の「敬語ミニ辞典」に「ご存じ」の項がある。「ご存知」の表記に関してはいっさいふれていない。まあ、そういうことだ(笑)。

【20120224追記】
 書き忘れたが、本書では「敬度」という言葉が使われている。この言葉はWeb辞書にはない。そのことに気がついて以来、当方は単語登録をして遠慮がちに使っていた。これからは堂々と使う。辞書にはなくてもわかりやすい(意味を説明する必要さえ感じられない)し、「敬度が高い/低い」など、用途も多い。


 ひとつ重要なテーマを抜かしていた。本書の中に何度も出てくるが、一応理解済みの事項としてパスしていた。
【引用部】
Q.「ご利用してください」「先生もまいりますか」……どこか間違っていますか。(P.94)
 問題は前半の「ご利用してください」がなぜ誤りか。本書の解説がどうもピンと来ない。要は「お/ご~する」が謙譲語Iなので、「ご利用してください」だと聞き手に謙譲を強いることになるからだろう。解決策はむずかしくない。

【引用部】
 ②③④の「お/ご~くださる」は「お/ご~になってくださる」の縮約形で、正しい敬語です。(→§22)。つまり、「お/ご~してくださる(ください)」は一般に誤りで、正しくは「して」を取り払って、ただ「お/ご~くださる(ください)」と言えばいいわけです。(P.95)
 一般にはこれが正解。
 ちなみに、「お/ご」をつけない「~してください」の話は出てこない。やはり敬語でもなんでもないのだろうな。「~くださいませ」にしてもダメなのかな……。
 それはさておき一般に「正解」なのに例外を示しているのが下記のトピの話。これはけっこうレアケースなんだろうな。

235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1332.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671


『敬語再入門』補遺編

 事情があって詳しいことは書けないが、先月下旬から18日までサラリーマンのような生活をしていた。
 後半の通勤電車内で『敬語再入門』を再読していた。以前書いた読書感想文で書き落としていることがいくつもあることに気づいた。
 実は元本とも言えるに『敬語』もなんとか読み終えたのだが、チェックした事項が多すぎてまとめる気になれない(泣)。
 ってことで、『敬語再入門』のメモを追加しておく。

 そもそもこの本を書棚から引っ張り出したのは、「ご利用できます」がなぜ誤用なのかを確認するため。P.146にわかりやすく書いてある。
「ご利用できます」とか「ご乗車できます」はよく目にする誤用らしい。そもそも可能形でない形の「ご利用する/ご利用します」がかなり異様。「ご~する」は謙譲語Iの基本形とも言える形だが、「ご利用する」ってフツーの文脈では使わないだろう。
 話し手側を主語にする謙譲の形で「ご用意できます」「ご案内できます」ならもちろんアリ。しかし、聞き手側を主語にする「ご利用できます」「ご乗車できます」は×。
 ほかにも気になった点を追加でメモしておく。

 P.91〈「申す」を含む語〉では、「申す」を含む複合動詞をいくつかに分類している。
1)謙譲語Iの性質をもつ……申し上げる/申し受ける
2)謙譲語IIの性質をもつ……申し伝える
3)謙譲語ないし改まった趣きが感じられる……申し添える
4)多少改まった趣きが感じられる……申し付ける
5)謙譲語も改まった趣きもすでにない……申し合わせる/申し込む
「お申し付けください」は間違いではないが、同義で本来の尊敬語の「お仰せつけください」「ご用命ください」のほううが無難な気がするとしている。「お仰せ」ってなんて読むんだろう?
突然ですが問題です【日本語編7】──「言う」を謙譲語にすると「申す」なのか
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54493030

 P.158で「おられる」の適否にふれている。これがまた微妙で、かなりメンドー。これはYahoo!知恵袋の頻出問題で、詳しく見ていくと激痛の頭痛が激しく痛くなる。課題にしたい。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=67212521

 あと、二重敬語の問題をまとめる方法が少し見えてきた気がする。これも課題にしたい。


【20120521追記】
 P.41~のテーマは〈「お/ご~になるといえない語」〉。ナル敬語はレル敬語と並んで尊敬語の基本とも言える形だが、いくつか制約がある。この制約を眺めていると、「特定形」になる動詞の傾向がボンヤリと見えてくる。
【引用部】
(1)~部が一拍(かな一字分の長さ)の場合や、言い換え形がある場合
A. ~部が一拍で言い換え形(対応する特定形)がある場合(P.40)
 例としてあげられている動詞と、その「特定形」は下記のとおり。
  する→なさる
  見る→ご覧になる
  着る→お召しになる
  寝る→お休みになる
  来る→いらっしゃる/おいでになる
  いる(居る)→いらっしゃる/おいでになる
「煮る」は「お煮になる」とは言わないが、「特定形」もない。「出る」は「外にお出になる」と使われることもある。
 ほかの例を見ると、「似る」は「煮る」とほぼ同様。
 上はいずれも五段活用ではない動詞。このあたりは、「ラ抜き言葉」になる動詞に近いものがある。
【引用部】
B. ~部が二拍だが、言い換えがある場合(P.40)
 例としてあげられている動詞と、その「特定形」は下記のとおり。
  する→なさる
  くれる→くださる
  食べる→召しあがる
  言う→おっしゃる
  行く→いらっしゃる/おいでになる
  死ぬ→おなくなるになる
 何気なく並べているが、後ろの3つは五段活用の動詞。ちょっと違ってくる気がする。さらに言うと、「死ぬ→おなくなるになる」をここに入れていいのだろうか。「おなくなりになる」は「なくなる」をナル敬語にしたもの。「死ぬ」と「なくなる」の関係はちょっと微妙で、忌み言葉の一種って気がする。
 いずれにしても、ここに出てくるのは音節が少ない動詞ばかり(これが「使用頻度の高い動詞」とも言えるのは偶然なのか必然なのか)。そのなかでも、五段活用以外の動詞が「特定形」をもっている気がする。
 たとえば、「会う→お会いになる」「買う→お買いになる」などを見ると、音節の数だけでは判断できない気がする。さらに言うと「お合いになる」はどう考えればいいのだろう。

 ちょっと気になって調べたのは、熟語動詞(仮)の類いを本書でどう呼んでいるかってこと。どうやら〈「──する」型の動詞(サ変動詞)〉と呼んでいるようだ(P.46ほか)。索引を見ると、「サ変動詞」は〈「──する」型の動詞〉を参照する形にしている。
 めったにないほどの「釈迦に説法」になるが、一般には「サ変動詞」と言うと「サ行変格活用」のことだろう。
■Wikipediaから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E8%A1%8C%E5%A4%89%E6%A0%BC%E6%B4%BB%E7%94%A8
「熟語+する」のことはなんと呼ぶべきなんだろう。Wikipediaにも書いてあるが、「サ変名詞」と言うのは単語登録などのときに用いられる造語だろう。
 
【引用部】
その上、「もらう」を謙譲語I「いただく」に変えるわけですから、「書け」の意の相当丁寧な表現になるわけです。「お書きいただけません(でしょう)か」とすれば、まさに最大級です。(P.90)
 これはたしかにMAX敬語かもしれない。MAX敬語のルールに従うなら、「書く」よりも古風な「認(したた)める」を使うべきなのかもしれない(知らんわ)。
 こちらは索引にないので探すのに苦労した。問題は、「~ませんでしょうか」の可否。おそらく最高クラスに敬度の高い表現なんだろう。裏を返せば相当クドい。これが「敬語連結」か否かはちょっと疑問だけど、「間違い」ではないんだろうな。
 これも課題にしたい。
198【「~ますでしょうか」 「~ませんでしょうか」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1483085125&owner_id=5019671
 下記は「二重敬語」と考えているが、それはちょっと違うと思う。
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-47.html


【20120626追記】
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================================引用開始
【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご~~だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
(略)

「お/ご~~だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。
================================引用終了

 この本に関してはいろいろ追記する必要がある。
 詳しくは下記をご参照ください。
【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


メモ1「お/ご〜だ(です)
 テーマサイトは下記。
【尊敬語「お+です」の意味について】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8768483.html

 質問の趣旨は簡潔。
「お~です」はどういう意味で、「お~になる」とはどう違うか。
 この質問に答えるなら、『敬語再入門』P.251の記述をひくのが早いだろう。例によってII・III人称は一般の二・三人称とはちょっと違うが無視する。
==============引用開始
お/ご〜〜だ(です) 尊敬語。主語〈II・III人称〉を高める。形としては、同じ尊敬語「お/ご〜〜になる」の「になる」を「だ(です)」に変えた形にあたる。意味としては、「……ている」の意をあらわすのが一般的。「……ている」意のスマートな尊敬語として重宝。「用紙をお持ちですか」「社長は今週ご出張です」 ただし、「……ている」意でなく使う場合もある。
(中略)
 さらに敬度の高い表現として「お/ご〜〜でいらっしゃる」(次項)がある。
(略)
==============引用終了

 以下、現在進行形とか過去とかあやしげな言葉を使う。日本語の文法では相当微妙な話になるはずだが、わかりやすければなんでもいい、の精神で書く。
 基本的には、「……ている」(現在進行形)の意味。問題は、動詞の性質によっては違う意味になること。
「社長は昨日お戻りです」(過去) 
「社長は明日お戻りです」(未来)
 うんとひねくれて、
「先ほど連絡がありました。もうすぐお戻りです」
 だと、現在進行形かもしれない。まあ、未来と考えるのが無難だろう。
 このあたりは継続系の動詞(持つ……etc.)と瞬間系の動詞(戻る……etc.)の違いってことになりそうだが、深入りするのはやめる。
『敬語再入門』が「スマートな尊敬語」としているのはいささか言葉足らずで、このあたりは同書のP.52〜を読んでもらうしかない。
 簡単に言うと、
「お持ちになっていらっしゃいます」
「お持ちでいらっしゃいます」
「お持ちになっています」
 が長いと感じる人やうまく使えない人は「お持ちです」のほうが簡便ということ。
 簡便なだけあって制約もあり、↑のように時制があいまいになるのが弊害のひとつだろう。もうひとつは敬度が低く感じられること。
 この点に関しては『敬語再入門』は言及していない。↑のテーマサイトのNo.3のかたの説明が適確な気がする(このかたのコメントはかなり信頼できる)。

40分


メモ2「読んでいる」の尊敬語 

 以下、主として『敬語再入門』のP.52を参考に。
「読んでいる」を尊敬語にするとどうなるのか。丁寧形の「読んでいます」で考えてもよいが、煩雑になるので、丁寧形は無視する。

 まず、「レル敬語」を使うか「ナル敬語」を使うか、という問題がある。
「読む」の「レル敬語」は「読まれる」
「読む」の「ナル敬語」は「お読みになる」
「レル敬語」は間違いではないが、
1)受身などとまぎらわしいことがある
2)敬度が低い
 などの理由から、基本的には避けたい。「制約が少ない」「初心者でも使いやすい」といったメリットはあるが、ここでは無視する。
「読んでいる」は「読む」と「いる」の複合動詞と言っていいだろう。「ナル敬語」の尊敬語の形には下記がある。
1)お読みになっている(「読む」を尊敬語にした形)
2)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形)
3)お読みになっていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 1)や2)のように一方を敬語にする場合、2)のように後半を敬語にするのが一般的なので、2)が一番多く使われるらしい。
 3)は尊敬語を2つつなげているが、「二重敬語」ではない。「敬語連結」という形で、多少クドくはあっても、問題のない敬語の使い方。
 詳しくは下記をご参照ください。
【よくある誤用34──敬語編4 二重敬語】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n133372

 1)〜3)を長いと感じる人に『敬語再入門』がすすめているのが「お読みです」の形。敬度が低く感じられるなら「お読みでいらっしゃる」にすればいい。
 ちなみにレル敬語を使うなら、
4)読まれている(「読む」を尊敬語にした形)
5)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形。2)と同形)
6)読まれていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 たしかにかなりヘンな感じがする。



メモ3 「お答えできる」の尊敬語  教えて! goo 

 テーマサイトは下記。
【「答えができる」の尊敬語】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14138056579

 大前提として、原形の「答えができる」はおかしのでは。ここがおかしいので、「お答えができる」はいろいろな意味でおかしくなる。
 原形は「答えられる」「答えることができる」あたりだろう。
「答えられる」の尊敬語に関しては、『敬語再入門』のP.50〜に「可能表現・複合動詞の尊敬語」の解説がある。正解は「お答えになれる」と明記されている。
 可能表現の尊敬語は〈尊敬語を作ってから可能形にする〉ものらしい。ナル敬語を使ってもレル敬語をつかっても同じ形になるのか? なんて美しい。
 答える→お答えになる→お答えになれる(ナル敬語の場合)
 答える→答えられる(尊敬)→お答えになれる(レル敬語の場合)
 順番が逆になった下記はおかしい。
 答える→答えられる(可能)→お答えられになる
 ほかの例で考える。
 読む→お読みになる→お読みになれる
 読む→読める→お読めになれる×
「答えることができる」も先に可能形にしているので、このままでは尊敬語にしにくい。

 ちょっと気になるのは「できる」をナル敬語にした「おできになる」。「できる」はレル敬語にしにくいので無視する。
 これは「する」の可能形ではなく、そこから派生した「うまい」「堪能」などの意味だろう。「勉強がおできになる」「英語がおできになる」……etc.
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1805.html

 これはこれでアリだろう。ザアマス言葉のにおいがしてかなり気持ちが悪いので、自分では使えない。
 ここから類推して「答えることがおできになる」も間違いではないのかもしれないが、あえて使う理由は見当たらない。

 質問の本題に関して。
①お答えができる方はいらっしゃいますか。
 ↑の話にあてはめると、「お答えになれる方はいらっしゃいますか」。
 これが敬語として自然かというと……いったいどんな場面で使うのか想像できない
 たとえばセミナーで講師が参加者に訊く場合。
「お答えになれる方はいらっしゃいますか」よりも「おわかりの方はいらっしゃいますか」くらいのほうが自然に感じる。このあたりは、文脈がないと判断できない。
 相手に「できるか否かを訊くのが失礼」という考え方もあるが、↑くらいなら大丈夫だろう。

②全問お答えができ(た)ら、賞品を進呈します。
 ↑の話にあてはめると、「全問お答えになれたら、賞品を進呈します」。
 これも間違いではないだろうが、見慣れない。
「全問正解の方には賞品を進呈します」くらいだろう。




メモ4「お/ご~~申し上げる」にできる言葉 Yahoo!知恵袋 

 テーマサイトは下記。
【「感謝申し上げます」は問題なしで、「ご感謝申し上げます」はだめな理由】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138590471

 以下、主として『敬語再入門』のP.239から抜粋。
「お/ご~~申し上げる」の形にできる言葉は意外に少ない。
 同書には、以下の言葉があげられている。
お祈り・お祝い・お悔やみ……etc.
ご挨拶・ご暗示・ご依頼……etc.
 特記事項としては下記があげられている。
・「お」の場合、「お/ご~する」がつくれる語よりかなり少ない
・「お悔やみ」は「申し上げる」のほうがなじむ。
・「ご」の場合、「ご依頼・ご助言・ご注意・ご同情・ご了承」など、「ご~する」より「ご~申し上げる」のほうが落ち着く語もある。
・漢語の熟語に「ご」をつけずに「挨拶申し上げる」という人もいる(敬度は下がる)。
・「感謝申し上げる」「尊敬申し上げる」「失礼申し上げる」など、「ご」のつかない形でのみ使う語もある。

 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
「ご尊敬申し上げる」なら使えそうな気がするが……。 




メモ5「ございます」 Yahoo!知恵袋 

「ございます」の意味は2つに大別できる。
 クダクダ書くよりも『敬語再入門』P.257から転載するほうが早い。
==============引用開始
ございます・……でございます
「ございます」は「あります」の、「でございます」は「です」の、さらに敬度の高い丁寧語。「こちらに書類がございます」「私が責任者でございます」。その他、「うれしゅうございます」のように「形容詞+ございます」の形も作れる。II人称者について「(あなたは)明日はお仕事がございますか」「(あなたは)田中さんでございますか」と使うのは、誤りとまではいえないが、違和感を感じる人もいて、それぞれ「明日はお仕事がおありですか」「田中さんでいらっしゃいますか」のほうが無難。
==============引用終了

 同じ「ございます」に見えるが、意味が違う。
「明日はお仕事がございますか」の通常形は「明日は仕事がありますか」。
「田中さんでございますか」の通常形は「田中さんですか」。
 だから無難な高敬度形(なんじゃ?)にも違いが生じる。

 素朴な疑問なんだけど、「でございます」の元々の原形(重言だな)は「であります」だった気がする。
 軍隊映画なんかで聞く「田中であります」の類い。これだと「ございます」⇔「あります」で一本化できる。
「田中であります」がしだいに崩れて「田中です」になったので、2つの意味になったような。こう考えるとスッキリする。
 こちらからたどっていくと、「田中さんですか」の敬度を上げた形は「田中さんであられますか」になりそうだけど、さすがに現代語としては不自然かもしれない。
 辞書の記述でこのことが読み取れたら達人クラスだと思う。


https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-265952#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
ございます【御座います】

( 動サ特活 )
〔動詞「ござる」に助動詞「ます」の付いた「ござります」の転。近世江戸語以降の語〕

「ある」の意の丁寧語。 「お探しの本はここに-・す」

(補助動詞) 「ある」の意の丁寧語。 「明けましておめでとう-・す」 「ただいま帰りまして-・す」 「どなた様で-・すか」 〔活用は「-・せ(-・しょ)|-・し |-・す |-・す |-・すれ |○」〕
==============引用終了

==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ござい‐ま・す 【御座います】

[動サ特活]《「ござります」の音変化。近世江戸以来の語》
1 「ある」の意の丁寧語。「あります」より丁寧な言い方。「おあつらえ向きのお品が―・す」「何も―・せんが、どうぞ召し上がれ」
2 (補助動詞)補助動詞「ある」の意の丁寧語。「すでにお願いして―・す」「いかがお過ごしで―・しょうか」「ただ今ご紹介いただいた田中で―・す」「おめでとう―・す」「いっそ死にとう―・す」
◆活用は「ございませ(ございましょ)・ございまし・ございます・ございます・ございますれ・〇」。「ござります」より丁寧の度合いが低く、打ち解けたときに用いられ、さらに、なまって「ござえます」「ごぜえます」ともなる。また、「さようでござい」などの「ござい」は「ございます」のぞんざいな言い方。2の「…でございます」の形は口語文体の敬体の一で、「です」体・「ます」体・「であります」体に対して「でございます」体とよばれることがある。
==============引用終了



メモ6 「お高くとまっている」の「お」の働き

 テーマサイトは下記。
【お高くとまっているという言い方がありますが、これは尊敬語ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140810993
 
 質問内容は、タイトルのまんま。
 答えは専門書に明記されている。
 結論を先に書くと、一般の「お高い」なら尊敬語。過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「お高くとまる」は〈皮肉や茶化した表現として固定化〉した例で、分類としては美化語。ちょっと無理も感じるが、定評のある書籍なので逆らいません。
 尊敬語にはならないので、「あえて言うなら美化語」ということなのだろう。

 2つの側面から考える必要がありそう。

●形容詞・形容動詞につく「お/ご」
 P.123〜に〈「お/ご」の整理〉という項目がある。
 接頭語の「お/ご」を機能の面から4つに分けている。
1)尊敬語
2)謙譲語I
3)丁寧語
4)美化語
 敬語を旧来の3分類で考えるなら、「美化語」は「丁寧語」の一種になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 あげられている例のうち、形容詞・形容動詞が出てくるのは下記。
1)尊敬語
お若い/おきれい/ご熱心
3)丁寧語
お暑いですね/お寒うございます
※これは特殊な例と考えるほうがいいだろう。

 ちょっと意外だったが、同書を見る限り、形容詞・形容動詞を美化語として使う例はなさそう。
「最近お野菜がお高いですこと」
「もう少しお安くなりませんと買う気になりませんわ」
 相当気持ちが悪いけど、美化語もアリじゃないかな。
 一般的な「高い」の意味で「お高い」と使うのは尊敬語になる。これも過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「背のお高いかただったのですね」
「さすがにお高いご洋服をお召しでした」


●美化語の醜化語?用法
 P.108〜のテーマは〈美化語になる語・ならない語〉。
 詳細な分類がある。
〈③「お/ご」の付かない形が、同じ意味の語として成り立つもの〉の(f)をひく。
==============引用開始
(f)付けると皮肉や茶化した表現になるもの 皮肉や茶化した表現として固定化した例として「おあいにくさま・ご大層・ご乱行」など。
==============引用終了
「ご乱心」などもそうだろう。
「同じ意味」はちょっと疑問だが、スルーしておく。
 これは前に書いた「醜化語」の話だろう。
【「醜化語」の「ご」「お」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2138.html



メモ7 「お述べする」が不自然な理由


mixi日記2015年01月24日から

 直接的には下記の続きだろうな。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 テーマサイトは下記。
【「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11141000336/a350089689
==============引用開始
「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか

「話す」の謙譲語は「お話しする」
「書く」の謙譲語は「お書きする」
「読む」の謙譲語は「お読みする」

ならば
「述べる」の謙譲語は「お述べする」ではないのか、という疑問です。

尊敬語には質問が過去に出ているのですが、謙譲語については質問が出ていないこともあり質問させていただきました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1179216646
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427472759...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1163159341...

「述べる」は「自説的(話す内容ではなく、話すという行為に重きがおかれているという意味だと思います)」であるため、相手を必要とする敬意表現にはなじまないという説明も見られますが、それでは尊敬語に不自然さを感じないことを説明できません。

どうか詳しい方にご教授いただければと思います。

【補足】
コメントありがとうございます。補足させてください。
美化語の「お」と「ご」、また、慣用的に「お」がついている表現についてはここでは問題にしません。

主な質問である「『お述べする』が不自然なのか」につきましても、引き続きご指導いただければと思います。
==============引用終了


「述べる」を謙譲語にすると。
結論を先に書くと、一般に尊敬語の「お述べになる」は使われますが、謙譲語の「お述べする」はほとんど使われないようです。理由は「慣習」としか言えません。論理的な理由があるとは思えません。

当方がバイブルにしている『敬語再入門』の記述を基本にして、デアル体で失礼します。
『敬語再入門』の詳細に関しては下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行) 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 まず、通常の動詞を尊敬語にする形。P.38~。
●レル敬語
 述べられる
●ナル敬語
 お述べになる
 一般にレル敬語のほうが制約が少なく、習熟しやすい。
 ただし、ナル敬語に比べて敬度が低い。
 個人的には、このほかに受身とまぎらわしい場合があることが大きな問題だと思う。「見られる」「食べられる」etc.……
 これらの動詞に「特定形」(P.226~)(ご覧になる、召しあがる)があるには、偶然ではないかも。

 通常の動詞を謙譲語にする形。P.68~
●お/ご~する
 お述べする
●お/ご~いたす
 お述べいたす
●お/ご~申し上げる
 お述べ申し上げる
※このほかに「~なさる」「~なされる」という形もある。

 話を簡略化するために、「ナル敬語」と「お/ご~する」に限って書く。ほかの形もほぼ同様。
 まず「お述べになる」について。
 P.40~に〈「お/ご~になる」といえない語〉という項目がある。それを見る限り「お述べになる」を×にする理由は見当たらない。
 ただし、下記の記述がある。
==============引用開始
C.慣習的になる敬語が(「お/ご」が)なじまない語
「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」(これも「運転なさる」以下は可)。
この(3)-Cは理屈では説けないだけに、慣れない人には最も厄介かもしれません。
==============引用終了

 次に「お述べする」について。
 P.74~に〈「お/ご~する」といえる語〉という項目がある。詳細なリストがある。
[「…に」を高める]語のなかに「お答えする」「お伝えする」「お話しする」「ご説明する」「ご報告する」など、同じような意味の言葉はありますが、「お述べする」はない。
 言えるか言えないかは慣習によるところが大きいようです。

 個人的には、「お述べになる」は基本的に使わない気がする。
「おっしゃる」「お話しになる」などのほうが自然に感じるから。
「お述べする」は、使わない。
「申し上げる」「お話しする」などのほうが自然に感じるから。

 基本的には、〈「お/ご~になる」といえる語〉と〈「お/ご~する」といえる語〉は共通することが多いと思う。
 たとえば、↑にあげた「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」はどちらも×だろう。
 ↑であげた「食べる」は「お食べになる」は△ですが(フツーは「召しあがる」)、「お食べする」は×だろう。
 理由は、「慣習」しか考えられない。

あえて言うなら、「まず結論を述べる」などと書く(「言う」はなおさら)と偉そうな印象がある。そんな偉そうな言葉は謙譲語になじみにくい気がする。


【メモ8 ご利用する・ご利用してください・ご添削してください 教えて! goo】

mixi日記2015年04月21日へ

 テーマサイトは下記。
【ご利用する・ご利用してください・ご添削してください】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8964463.html
==============引用開始
下記のページにあるごとく「ご○○する」は謙譲語の表現であり、謙譲語の主語は自分や身内ということになっています。
http://d.hatena.ne.jp/kazsa/20140323/1395564359
しかし下記のページには、「ご利用する」という謙譲語はない旨が記されています。その理由は動詞の種類が違うということなのでしょうか(意味を考えると、「ご利用する」が尊敬語であろうことはわかります)。「ご提供する」ならば、確実に謙譲語であろうこともわかります。
http://bizkeigo.koakishiki.com/henkan-riyousuru. …
さらに、目上の人に何かを「利用してください」と言う場面で、「ご利用してください」という言い方を聞きますが、これは誤用であって「して」は不要だとも記されています。「ご利用ください」が自然に通じることはわかりますが、なぜ「ご利用してください」が誤用になるのでしょうか。個人的には違和感がないため、理由を明示していただかなければ納得できません。
問題点を明らかにするために、「ご添削してください」についても誤用になるのかどうか、ご教示いただければ幸いです(「ご利用してください」ならば便益を得るのは相手、「ご添削してください」ならば便益を得るのは自分であることに注目して質問しています)。
==============引用終了

 ときどき興味深い質問する人と認識している。
 質問がかなりむずかしい問題を含んでいるが、どう転がるのだろう。
 とりあえず、当方のコメントを回収しておく。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 質問が複数ありますね。
 以下の3つだと思いますが、当方に勘違いがあるようならご指摘ください。問題が複雑なので、ちゃんと説明できるかどうか……。 
1)「ご利用する」という謙譲語がない理由
2)「ご利用してください」が誤用になる理由
3)「ご添削してください」は誤用か否か

1)「ご利用する」という謙譲語がない理由
〈「ご利用する」という謙譲語がない〉というのは少し違うと思います。
「利用する」は「ご〜する」の形の謙譲語にしにくいということでは。
 これは理屈では説明できません。「慣例」としか……。

 詳しくは下記をご参照ください。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
『敬語再入門』(菊地康人)のP.74~に〈「お/ご~する」といえる語〉の話が詳しく出ています。
 リストに「ご利用する」「ご使用する」「お使いする」などはありません。
 たとえば目上の人の何かを使わせてもらう場合、↑のような言葉は使わないでしょう。
「お使いする」を見ればわかるように、「熟語動詞」(仮にこう呼びます)か否かは関係ないはずです。
「便益」などの考え方でも説明できません。同じような場合でも「お借りする」「拝借する」なら使えるのですから。
 あくまでも「慣例」でしょう。
 かわりに、(悪名高い)「利用させていただく」「使わせていただく」などを使うことになります。

2)「ご利用してください」が誤用になる理由
 ほかの人の回答で解決しているようなので省略します。
 当方は下記のように考えています。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1332.html

3)「ご添削してください」は誤用か否か
「して」が入るのは2)と同様の理由で誤用とされます。「便益を得る」のが先方でも自分でも関係ないでしょう。


>・丁寧語の「ご」をつける場合は「ご○○」を目上の人の動作・作業を表す名詞として扱っているため、「する」は不要
>・丁寧語「ご」をつけない場合は目上の人による一連の動作・作業の想定しておらず、サ行変格活用動詞として扱っているため、適切に活用させる必要がある
 そういう考え方はしないと思います。

 たとえば『敬語再入門』のP.45に主な尊敬語の4つの形を整理した表があります(添付写真参照。見にくければ下記のリンク先をご参照ください)。
 すべて動詞として扱っています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3271.html

 漢語Aと漢語Bの違いは、以下のとおりです。理由は「慣例」です。
==============引用開始
漢語Aとは「利用・卒業」など「ご」と結びつきうるもの、漢語Bは「運転・退学」など「ご」と結びつくことのできないものです。(P.44)
==============引用終了

 ちなみにP.43には下記の記述があります。
==============引用開始
 このように「──なさる」と「お/ご〜なさる」は、使える動詞の範囲が違うので、本書では、片や──、片や〜で示します。もちろん、両方とも使える語も多く、その場合は「ご卒業なさる」のほうが「卒業なさる」より高い敬度ですが、それほど大きな差でもないでしょう。
==============引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■





 ちょっと補足しておく。
「敬語の指針」はネット上にあるので、多くの人が参照しているが、内容には不備も感じられる。当方レベルが読んでもいろいろ問題を感じるってことは相当ヤバいのでは。
【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html

 何より文章がヒドすぎる。ただ、下記だと遊びすぎって気もする。
【敬語おもしろ相談室】
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/keigo/index.html

 No.5でご紹介いただいた下記は興味深い。ただ、ちゃんと読むとたいへんそうだな。
http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/bunpo/keigo.pdf

 今回の問題についても、肝心の部分が……。
〈「お/ご~する」といえる語〉って問題だとどうにもならないだろう。
 なんせ、最大の決め手が「慣例」なんだから、最終的には『敬語再入門』のようにリスト化するしかテがない。
 先行コメントでさまざまな説が飛び交っているが、あれで質問者が判断できるのだろうか。

「慣例」であることをうまく伝えるための例がないだろうか。
したう→お慕いする
愛する→×お愛する

 漢語系はとくに「お/ご」がつきにくいものが多い気がするので、なんとも……。


【20150419追記】
「利用する」を敬語にするとどうなるか考えてみる。

●丁寧語 
「利用します」。
 丁寧語を敬語ではないようなことを書く人もいる。敬度が低いから誤解しているのだろう。3分類で見ても5分類でも見ても、丁寧語は敬語のひとつのはず。

●謙譲語
 もっとも基本的なのは「お/ご〜する」の形だろう。
「利用する」はこれがつくれない(泣)。理由は……やはり「慣例」としか言えない。おそらく、そもそも使用例が少ないからでは……と思わなくはない。
 具体的を考えてみる。
 バスツアー会社がツアー参加者に告知する。
  原形 ○○PAのトイレを利用します
  謙譲語II ○○PAのトイレを利用いたします
 謙譲語I、謙譲語IIの話はできるだけしたくないのだが……。
 この場合「いたします」は聞き手(ツアー参加者)に対する謙譲語(II)。「○○PAのトイレ」(の所有者)に対する敬語ではない。
 特別な計らいで△△美術館のトイレを利用させてもらうとする。
 △△美術館に対する謙譲語Iは……想定できない(泣)。
 やはり、「△△美術館のトイレを利用させていただきます」あたりだろう。

 この場合ほぼ同じことを「借りる」とも言える。意味はほぼ同じだが、「借りる」なら「お借りします」にできる。やはり理屈ではなく「慣例」なのだろう。
・丁寧語
「借ります」(「拝借します」なら謙譲語I+丁寧語)
・謙譲語
  謙譲語I
  △△美術館のトイレをお借りします
  △△美術館のトイレを拝借します
  謙譲語II&謙譲語II(敬度が高くなる) 
  △△美術館のトイレをお借りいたします
  △△美術館のトイレを拝借いたします

●尊敬語
 これは↑に書いたとおり。
「ご利用になる」「ご利用なさる」「利用なさる」「利用される」の4パターンがすべて使える。


 ……とここまで書いて質問板を見たら、No.9のコメントが入っていた。
 そうか。さすがだな。
「受け手尊敬」ですか。これは下記で教えてもらった渡辺実の用語。その節はお世話になりました。
「謙譲語A」は『敬語』(菊地康人)などで使われている用語。「敬語の指針」などで言う謙譲語I。
【「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか】コメントNo.13参照
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8499357.html

 ただ、〈「話す」←→「話される」・「渡す」←→「渡される」〉と考えると、「利用する」←→「利用される」と考えることもできるような……。
 さらに厄介なのは、いろいろなパターンがあること。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
================================引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
================================引用終了

 [「……を」を高める] [「……から」を高める] あたりは対応関係がわかりやすいけど、[「……に」を高める] だと微妙な気が……。
 [「……のために」を高める] だと、何がなんだか。
「〜られる」と言うより「〜てもらう」と考えるほうがいいかな。


【メモ9 ご指摘させていただいた Yahoo!知恵袋】
mixi日記2015年04月21日へ。

 テーマサイトは下記。
【『ご指摘させていただいた』と言う日本語はおかしいのでしょうか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14144392654/a357102938
 質問内容はタイトルのとおり。

 結論を先に書くと、「誤用」か否かという質問なら、「誤用ではない」。
 おかしいか否かという質問なら、文脈しだいとしか言えない。
 基本的にはおかしい場合が多いと思うが、100%ナシではない。

「ご指摘させていただいた」を分解する必要があるだろう。
 以降、基本的に現在形の「ご指摘させていただく」で考える。
 おそらく「指摘する+させてもらう」が原形と考えるのがわかりやすい。
 敬語連結であることを説明するのなら、「指摘させる+て+もらう」と考えるほうがよいと思うが、ここではやめておく。

●「ご指摘する」と言えるか否か
 まず考える必要があるのは、「ご指摘する」と言えるか否か。これは「慣例」によるところが大きく、理屈で考えてもどうにもならない部分がある。『敬語再入門』に頼るのが無難。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【追記】
『敬語再入門』のP.236~238の「敬語便利帳」からひく(こちらのほうがP.75より例が多い)。
「お/ご~する」にできるものは、ほぼ「お/ご~いたす」にできるらしい(例外が何かはのっていない)。
==============引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
==============引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 この[「……に」を高める]語のリスト中に、「ご指摘する」がある。ちょっと引っかかるのは、相手のミスなどを「指摘する」場合に使えるか否か。
 同じリストに下記の記述がある。
==============引用開始
ご注意する(高めるべき相手に「注意する」はやや不自然だが、時に使う)
==============引用終了 
「ご指摘する」も同様だろう。

 つまり、「指摘する+させてもらう」の両方を謙譲語にしたものが、「ご指摘させていただく」。
 後半だけを謙譲語にしたのが「指摘させていただく」ということ。当然、「ご」がつくほうが敬度が高い。


●「させていただく」の働き
 これがまたややこしい話で、諸説が流れている。当方の考えは下記参照。
【よくある誤用32──敬語編2「~させていただく」「~させていただきます」「~(さ)せていただく」「~(さ)せていただきます」】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n132890

 ちょっと補足する。『敬語再入門』のP.191〜に〈「させていただく」の「乱れ」とその正体〉という項がある。これがわかりやすいだろう。
「させていただく」の本来の用法は、〈相手から許可・恩恵を受ける意味であること〉〈その「恩恵の与え手」を高めること〉という〈二重の意味で敬度の高い表現〉としている。
 だが違う側面もあるらしい。
==============引用開始
 ところで、日本語には、「実際はそうでなくても、あたかも相手から恩恵や許可を得たかのように見立てて述べるのが、相手を立てることになる」という発想があります(→§4)。実際には「案内してやる」のでも、「ご案内させていただきます」と言うようなのが一例で(謙譲語I「ご案内する」に「させていただく」が続いたもの)、これは、相手を貴人に見立て、許しを得て案内させてもらう光栄に浴するという発想です。パーティーの案内を受けて「出席させていただきます」と答えたり、「本日休業させていただきます」と掲示したりするのも、パーティーの案内を“出席許可の恩恵”ととらえ、実際には自分で勝手にする休業を“お客様のお許しを得て”と捉える発想です。
==============引用終了
「ご指摘させていただく」も単なる「見立て」だろう。実際には「指摘してやる」。さらに過激に言えば「指摘して恥をかかす」だから。


●「ご指摘させていただく」を使う例
「ご指摘させていただく」は間違いではない。だが、高めるべき相手に使うにはやや不自然な「指摘する」を、非常に敬度が高い言い回しの中で使うので、自然な状況はきわめて限られるだろう。
 たとえば社長(うんと偉い人って意味)が書いた文章に関して「忌憚のない意見を聞かせてほしい」と言われる。いろいろ不備があるので、しかたがなく覚悟を決める。
「どうしてもということでしたら、僭越ではありますが、ご指摘させていただきます」
 これならさほどおかしくないだろう。
 おかしくはないだろうが、社長の文章の不備を指摘してどんな禍根が残るのかは知らない。
 王様の素行の悪さを見かねて「ご注意させていただいた」家来が幸せになるとは思えない。


【電話の敬語「お伝えします」「お代わりします」「おつなぎします」(メモ10扱い)】
mixi日記2012年08月02日から

 テーマサイトは下記。
【ある会社に、外部の人から電話がありました。電話を受けた従業員が……】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1491291189

 よくわからないんでトピも立ててみた。
【電話の敬語「お代わりします」「おつなぎします」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=70747813

 かなり微妙な話なんで、いつも以上にオネオネと書く。
 Aさんが電話で顧客と話していて、上司のことが話題になったとする……。

●お伝えします
「上司への伝言を顧客に頼まれたとき」に「お伝えします」と言うのはアリか。
 相当微妙だけど、やはり×だろう。信頼に値する書籍にそういう記述がある。
【言葉の取扱説明書3 ○○のわりに(は)  お伝えしておきます  協力するにやぶさかでない 】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1837388275&owner_id=5019671
================================引用開始
 1つ目が「お伝えします」の是非。典型的なのは、外部の人から連絡を貰い、「(席を外している社内の人間に)お伝えします」と言う場合。『問題な日本語4』で扱っていた(先日書店で手にしたけど、内容が薄くて買う気にはなれなかった)。
「お伝えします」は謙譲語I(+丁寧語の話は省略)。伝える人の、伝える相手への敬意(菊地康人流に言うなら「主語の補語に対する敬意」?)を示す。したがって、身内を高めることになるので×。
 だと思うが、「お伝えします」だとアリって気もするのは「定着しているから」なのかもしれない(なんの基準もなく「定着しているから」OKとか言われるとどうしようもない)。「あなた様の伝言」を伝えるんだから、「お」をつけるべきって論理も筋が通っている気になる。「伝えます」と「お伝えします」を比べると、後者のほうが丁寧な感じになる。
 これを〈外部の人に対して「(身内と)ご相談します」〉にすると、相当ヘンなことがわかる。理由は不明。理屈としては「あなた様の案件」を相談するんだから……と言えなくはないけどさ。
================================引用終了

【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)3】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854649541&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。
================================引用終了


●お代わりします
「上司に電話を代わるように顧客に頼まれたとき」に、「お代わりします」と言うのはアリか。
 2つのポイントがある。
 1つ目は、↑の「お伝えします」と同様の問題。もうひとつは、「代わる」を「お~する」の形にできるのか、という問題。
『敬語再入門』のP.236~の「お/ご~する」にできる動詞のリストのなかに、「おかわりする」はない。

【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1853506079&owner_id=5019671
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【追記】
『敬語再入門』のP.236~238の「敬語便利帳」からひく(こちらのほうがP.75より例が多い)。
「お/ご~する」にできるものは、ほぼ「お/ご~いたす」にできるらしい(例外が何かはのっていない)。
================================引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
================================引用終了

 これだけあげているのに「お入れする」がないってことは、同書は「お入れする」を認めていないのだろう。だから「お入れする」なんて絶対に言わない、と主張する気はないが。
 ちなみに上の分類にあてはめるなら、「お入れする」は[「……のために」を高める]だろう。
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「おかわりする」がないのは、「ご飯をお代わりする」との混同を避けたものか否かは、言葉の神様に訊かないとわからない。
 ちなみに、↑の「お伝えする」は[「……に」を高める] に入っている。[「……を」を高める] ではない。やはり「お客様の伝言を上司にお伝えします」は×ってこと。


●おつなぎします
 元々のYahoo!知恵袋のサブテーマとして登場した。
 同様の状況で「おつなぎします」と言えるか否か。
「お伝えします」と同様と考えるなら×だろう。しかし、「おつなぎします」のほうがずっと異和感が弱い。
 ↑のリストに「おつなぎする」はない。そんなに使用頻度が低いかな?

■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90&dtype=0&dname=0na&stype=0
================================引用開始
つな・ぐ【×繋ぐ】
《名詞「綱」の動詞化》

【1】[動ガ五(四)]

①ひも・綱などで物を結びとめて、そこから離れたり、逃げたりしないようにする。「犬を―・ぐ」「鎖で―・ぐ」
②相手の気持ちなどが離れていかないようにする。「彼女の心を―・ぐために一芝居打つ」
2 一定の所に留め置いて外へ出さないようにする。拘禁したり、拘束したりする。「獄に―・がれる」
3 結びつけてひと続きのものにする。「車両を―・ぐ」
4 離れているもの、切れているものを続け合わせて一つにする。また、そのようにして通じるようにする。「手を―・ぐ」「電話を―・ぐ」
5 なんとか長く、切れないようにたもたせる。たえないようにする。「望みを―・ぐ」「命を―・ぐ」「座を―・ぐ」
6 足跡などをたどって行方を追い求める。
  「射ゆ鹿(しし)を―・ぐ川辺のにこ草の」〈万・三八七四〉
[可能] つなげる
================================引用終了

 もしかすると、「電話をつなぐ」という言い回しがイレギュラーなのかもしれない。『大辞泉』を見ると、ほかに「おつなぎする」と言えそうな例はない。「犬をつなぐ」「獄につなぐ/つながれる」のイメージが強いせいだろうか。
 そうは言っても、現実に「電話をつなぐ」って言い回しはあり、「電話をおつなぎする」と言えそうなんだからしかたがない(泣)。

 ここで考えなければならないのは、逆方向の可能性があること。
「あなたの電話を上司におつなぎします」ではなく、
「上司をあなたの電話におつなぎします」ってこと。
 これなら何も問題はないけど、この解釈はさすがに苦しいかな。

 もうひとつ考える必要があるのは、「上司に」をつけて「上司におつなぎします」にすると、異和感が強くなること(これは「お伝えします」も同様)。
 おそらく、単に「おつなぎします」だと「顧客(の電話)をおつなぎします」と解釈できそうだからだろう。これなら顧客に対する敬語になっている感じがある。
 現実には、省略されていても「伝える」先にあたるのは「上司」だから、やはり避けたほうがいい表現なんだろう。
 論理的に考えると下記が正解ってことになってしまう。
「(顧客の)ご伝言」を「上司」に「伝える」
「(顧客の)お電話」を「上司」に「つなぐ」

『敬語再入門』の親本とも言える『敬語』に関しては下記。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html

読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年06月25日から

 以前感想文を書いた『敬語再入門』の親本とも言える一冊。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

 Amazonのデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4061592688
『敬語再入門』に比べると、体系立てて書いてあり、網羅的な記述になっている。
 簡単に言うと、『敬語』が敬語全般を語っているのに対して、『敬語再入門』は要点だけをアトランダム(でもないんだけど)に書いている。
 うんと大雑把に言うと、前者は学術書に近い印象があり、後者はハウツー本に近い印象がある。予想していたことではあるが、当方のように敬語にうとい人間にとっては、後者のほうがとっつきやすい。
 データ的なことを書いておく。
『敬語』   :1997年2月10日第1刷発行
『敬語再入門』:2010年3月10日第1刷発行
『敬語』の原本は1994年角川書店から刊行され、95年度の「金田一賞」を受けている。しかし、角川では一度重版がかかったきりで絶版。講談社学術文庫で再刊されている。
『敬語再入門』の原本は1996年に丸善ライブラリーから刊行。
 ちなみに『敬語』の第1刷は1170円+税だった。当方が購入したのは第14刷で1400円+税。
 これを「けっこう売れている」と考えるか「意外に売れていない」と考えるか。この内容を考えると、もっと爆発的に売れてもおかしくない。とくに昨今のように敬語に関するホニャララな説が流布するなら、こういう書籍の需要が高くなるはずなんだけど……。
 本書がどれほど本格的な書き方をしているのかは、目次を見ただけでわかる。

I章 ことばを使い分ける 29
II章 敬語のあらまし 89
III章 敬語の仕組み使い方──その一 いわゆる尊敬語 114
IV章 敬語の仕組み使い方──その二 いわゆる謙譲語 254
V章 敬語の仕組み使い方──その三 いわゆる丁寧語 354
VI章 敬語の仕組み使い方──その四 全体に関すること 378
VII章 敬語の編か・誤り・将来をめぐって 410

 具体的な話に入るまでに100ページ以上ある。これだけで薄めの文庫本くらいのボリュームがある。全部で500ページ近くあり、半分も読むと満腹感がある。実際には半分では尊敬語の話が終わるくらい(泣)。


【引用部】
意気込みとはうらはらに、思わぬ不備などがあれば、ぜひご叱正をお願いしたい。(P.7)
 敬語とは関係のない話。「ご叱正」ってMAX敬語で初めて見た言葉。文章に関する記述なので、申し分なく正しい(笑)。

【引用部】
この中では丁寧な「あなた」という語も、実は、目上などに対してはそもそも使いにくいところがあり、「社長」「先生」のような職名などで呼ぶとか「○○さん」と呼ぶようなことも多い。(P.32)
 なぜ「あなた」は目上には使いにくいのか。ほかにどんな二人称が使えるのか。そのあたりをちゃんと書いてくれないかなぁ……と無理を承知で書いてみる。

【引用部】
 《改まり》の例としては、ほかに「今日(きょう)」に対する「本日」、「さっき」に対する「先程」などもあげられる。概(がい)して、和語よりも漢語のほうが改まった趣が出る傾向があり、本書冒頭の例で「開けたら」より「開封後は」のほうが改まった感じがするのもその一例である。(P.38)
 これが一般的な解釈だろう。和語のほうが敬度が高いとか、忌み言葉や女房言葉のほうが敬度が高いなんてことはない。ただ、まともな学者は「漢語のほうが敬度が高いからMAX敬語」なんてバカなことは断言しない(黒笑)。

【引用部】
 〈相手に何か頼むとき、相手の意向を尋ねる形の表現のほうが、普通の依頼の表現よりも、相手を立てる(→丁寧な)表現となる〉ということもいえる。具体的には、相手に何らかの行為を求める場合には、「……してくれる(くださる)?」と尋ねるほうが「……してくれ」(ください)」とストレートに頼むよりも、あるいは「……してもらえる(いただける)?」と尋ねるほうが「……してほしいんだけど」と頼むよりも、概してやわらかい感じがする。また、自分が何かをしたいときには、「……していい?」と尋ねるほうが「……したいんだけど」と述べるよりも、やわらかいだろう。
(中略)
 さらに、〈意向を尋ねる形をとって頼む場合、否定疑問形のほうが肯定疑問形よりも丁寧な感じがする〉ということも、概していえそうである。「……してくれない?/くれませんか?」のほうが「……してくれる?/くれますか?」より、また「……してもらえない?/もらえませんか?」のほうが「……してもらえる?/もらえますか?」より、やわらかいであろう。
(中略)
 このことも含めてさらに一般的には、〈間接的・婉曲な述べ方のほうが直接的な述べ方よりもやわらかい(→丁寧な)印象を与える〉という傾向がある。「お早くお召し上がりください」より「お早めにお召し上がりください」のほうが丁寧に響くのもその例である。(P.82~84)
 ものすごく基本的なことだと思うけど、こういう記述をちゃんと読んだ記憶がない。今後の引用の都合もありそうなのでメモしておく。

【引用部】
とくに日本語では「あなた」という語は使いにくい面があるので、一々主語を「私」だの「あなた」だのと言わなくても、それを敬語で紛れなく示すというのは──それだけの技量をもっている人は──、まことにスマートな敬語づかいといえるだろう。(P.101)
 このあたりは(P.32)の記述と微妙にリンクしているかも。

【引用部】
あそこの饅頭(まんじゅう)はうまいですね。(P.104)
 別に例文はなんでもいいのだから、あえて〈形容詞+です〉を出さなくてもいいものを。まあ、「ね」がついてるから許容範囲だけど。「おいしいです」とかにすればいいじゃない……と一瞬でも考えてしまった自分の間抜けさがイヤ。それじゃ同じことだって。

【引用部】
これは一つには、「ます」による丁寧語は誰でも簡単に使える(これに比べて、尊敬語を使いこなすのはさほど簡単ではない)という事情もあるかと思われるが、ともかく、ごく一般的には、(後略)(P.107)
 このあとも長く続くが、「二つ目」も「次に」は出てこない。この用法は丸谷才一に文章でも目にしたから、もはや許容なのかもしれない。なんだかなぁ。

 P.116に「特定形」という言葉が出てくる。「言う」が一般形で、「おっしゃる」が特定形ってこと。これからはこの言葉を使おうか。「不規則敬語」って好きだったんだけど。

【引用部】
もっとも三上氏は、旧軍隊では、士官(尉官)が将軍に向かって言う場合には上長官(左官)をも呼び捨てにするという伝聞を紹介しているのだが、少なくとも現代の企業などではあまり見られない習慣だろう。(P.127)
 この少し前には三上章のことを「氏は日本語の文法・敬語に関して大きな功績を残した研究者」と書いている。なんか気にかかる書き方だな。

【引用部】
そこで、敬語(普通レベルの敬度をもつ諸敬語)を使い慣れている人にとっては、レル敬語はいわば「安っぽい」「ぎこちない」敬語という位置づけになるのだが、一方、レル敬語の愛好者にとっては、「お/ご~~になる」は丁寧すぎてうるさい」と感じられることがあるらしい。感覚の個人差で、この辺が難しいところだが、要するに相手や場合によって使い分ければよいわけであろう。なお、ある種の書き言葉(たとえば書物や論文などの中)ではナル敬語は使いにくい(四四頁)といった面もある。
 ちなみに歴史的には、レル敬語は、東京の話し言葉では江戸時代にも明治にもわずかしか使われていなかったが、東京語以外の要素も取り入れながら標準語が制定されていく中で、東京でも昭和十年代ごろから使用が増えてきた、という経緯をもつ(金田弘氏による)。(P.146~147)
 レル敬語とナル敬語の話のなかに出てきた記述。このあたりを「個人差」という言葉で片づけていいのかという判断がむずかしい。

【引用部】
前述の〈一般形〉ではない〈特定形〉であるが(一一六頁)、とくに〈一般形〉のかわりに使われるという意味では〈言い換え形〉と読んでもよかろう(〈代用形〉と呼ぶ場合もある)。(P.157)
〈言い換え形〉はまだしも〈代用形〉は失礼だろう。常用漢字にないから代用漢字を使う、というのとは話が違うんだから。

【引用部】
 ③「死ぬ」は「お死にになる」とは言わない。直接的な表現を避けて「おなくなりになる」と言う。「なくなる」自体も「死ぬ」に比べ間接的なので、ある程度尊敬語的な感じがするがこれは身内にも使うので、厳密には尊敬語ではない(犬や猫の死にも「なくなる」)と使う人もいるほどである)。「なくなられる」「おなくなりになる」と使ってはじめて尊敬語と見るべきだろう。(P.165)
 やはりそういうことですね。

【引用部】
 以上、種々に制約を見てきた。が、これらの場合を除けば、やはりかなり多くの語についてナル敬語は作れるのである。ちなみに、“「お」の音で始まる動詞は「お~~になる」の形にするができない(「お」の音の重なりを嫌うため)”という俗説が一部にあるようだが──敬語についての入門的な読み物の中で、そのようなルールがあるかのように述べられているのを読んだことがあるが──、必ずしもそのようなことはない。たとえば「お起きになる・お置きになる・お送りになる・お教えになる・お思いになる・お降りになる」など、ごく自然に使われる。ただし、たとえば「お踊りになる・お驚きになる」などは、確かに不自然な感がある。(P.165)
 このあたりは、理屈では割り切れない問題だろう。

【引用部】
が、受身表現はしばしば迷惑を受けたという趣をもちやすく、ある人物を尊敬語で高めながら、その同じ人物によって迷惑をこうむったという言い方をするのは、やはり、そもそもなじまない感がある。「困った」ということを意図的に強調する場合や、ふざけて、あるいは皮肉で言うような場合はともかく、一般的には避けたほうがいいだろう。(P.175)
 この前にあるのは「ナル敬語+受身」の話。「お/ご~~になられる」の形は理屈の上ではなくはない。と書いたあとに続く部分。尊敬語を受身にすることへの異和感は、このあたりにもあるのかもしれない。
【「そのようにおっしゃられても困ります」〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800136243&owner_id=5019671

【引用部】(ちょっと形式をかえている)
○書いてくれる→(「くれる」を敬語に)→
①書いてくださる→(「書いて」を敬語に)→
②お書きになってくださる→(「になって」を除く)→
③お書きくださる

というわけである。漢語系の熟語の場合も原理は同じで、「指導してくれる→①指導してくださる→②ご指導なさって(ご指導になって)くださる→③ご指導くださる」と考えればよい(漢語系では上述のように「ご~~になる」と言いにくい語もあるので、②は、「ご~~なさる」と両形併記しておく)。①②③は、どれも「……てくれる」の尊敬語で、ただ敬度が違うだけである。敬度は②③①の順だが、②と③はそれほど敬度が違わず、むしろ②はやや冗長な感じがしたり、場合によっては不自然だったりするので(二一〇―二一二頁)、簡潔で敬度も十分な③の「お/ご~~くださる」が頻繁に使われる。敬度の高い依頼の形としては「お/ご~~ください(くださいませ、くださいませんか、くださいませんでしょうか、くださいますようお願い申し上げます」ということになる。(「……ますか」より「……ませんか」のほうが敬度が高く響くことは、八三頁参照)。(P.204~205)
 この考え方は、いろいろな形に応用できる。この直後に出てくる「書いてもらう」の場合も同様。
  書いてもらう→書いていただく→
  お書きになっていただく→お書きいただく
 ということ。ここを押さえておくと、「敬語連結」や「二重敬語」について考えるときに実に役に立つ。

【引用部】
「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」は、一般に誤り。
  ─→『して」を取って、「お/ご~~くださる(ください)」「お/ご~~いただく」と言えばよい。

 「一般に」にと書き添えたのは、特別な場合には、この「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」という形が誤りでなく使われる場合もありうるからなのだが、これについてはあとで触れるとしよう(二六六〜二六七頁)。だが、それはかなり特別な場合なので、一般にはこの形は誤りと覚えておいてよい。
 〈語形〉について、ほかに細かい点をいくつか補足しておこう。まず、「お/ご〜〜をくださる」「お/ご〜〜をいただく」と、「を」を入れて使う形について。この形は時々使う人があり(とくに「いただく」の場合に多いようである)、なぜか国会の質問や答弁で「お調べをいただく」「ご審議をいただく」などと頻繁に耳にするのだが、私の語感では、いささか耳障りである。読者には、「お偉方がお使いになるのだから正しいのだろう」などと安易に真似をしないようにお勧めしておきたい。ただし、「お許しをいただく」「ご指導をいただく」などのように、「お/ご〜〜」の部分が名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合ならば、「を」を入れても不自然ではない。(P.209〜210)
 前半は下記の問題にかかわる。あのときは新鮮な発見の気がしたが、けっこうよく見る問題らしい。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671
 後半は下記で少し書いて挫折した話。〈名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合〉ってどういう場合なんだろう(泣)。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご〜〜だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。
================================引用終了
「お/ご〜〜だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。

【引用部】
 「切符をお持ちの方」「お探しの品」など「お/ご〜〜の+名詞」という言い方は、以上に見てきた尊敬語「お/ご〜〜だ(です)」が連体修飾語として使われたものといえる。この「お/ご〜〜の+名詞」という形を「今日ご紹介の〔私どもが皆さんにご紹介する〕お
品は……」(テレフォンショッピングの広告)などと使うのは、謙譲語(本書の謙譲語A)として使っていることになり、少なくとも私の語感では違和感がある。(謙譲語なら「今日紹介するお品」というべきところである)。ただし、来客が持ってきた菓子などをその客に出すとき「お持たせのお品で失礼ですが」と言うのは、「お持たせした〔=自分が用意すべきものを客に持たせた(運ばせた)〕」意で、理屈の上では謙譲語としての使い方である。定型化した例外的なものと見ておきたい。(P.238)
 ウーム。今日ご紹介のお品は……」は単純に「ご紹介する」の省略形と考えていた。違うのね。「お持たせのお品」にもこんな深い背景があるのね。耳から漏れる煙が止まらない……。

【引用部】
 ただし、厳密には、職名と敬称はやはり異なる。つまり、たとえば不名誉なことをして新聞に出る場合でも「○○教授」「○○社長」なのであり、これは、呼び捨てにもできないから付けているだけのことで、敬度の高い敬称ではない。教師については、こうしたケースでは「○○先生」とは絶対いわない。「先生」は敬称、「教授」は職名なのである。そこで、大学に学外からかかってきた電話を助手が受けて教授について話す場合、「○○先生は授業中です」より「○○教授は授業中です」のほうが、身内を高めないという意味で望ましい、ということになるかと思われる。(P.245)
「なるかと思われる」という結びが気になるが、そのことはおく。大学は「授業」じゃなく「講義」だろう、というツッコミも、近年は「授業」というらしいから無視する。そういうことではなく、こういう論理的な文章を読むと気持ちがいい(ほんの少しだけ冗長な気はするけど)。〈「先生」は敬称、「教授」は職名〉ですか。だから不名誉なことをした場合は「先生」ではなく「教諭」なのね。「社長」の場合は、「○○会社社長の△△■■氏」くらいかな。

【引用部】
接尾語「……方(たとえば「先生方」)」は、「……たち」の尊敬語。学生が公式的な場などで「先生たち」と言うのは敬度が不十分で、「先生方」とありたいところである。「……方」が尊敬、「……たち」がニュートラル、「……ども」が謙譲という関係になる。(P.246)
 ちょっと気になって調べた。「方」は複数を指す場合と、単数を指す場合がある。単数の場合は名詞で「かた」、複数の場合は接尾語で「がた」らしい。「方々」は単数の「かた」の複数形らしい。なんのこっちゃ。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/03297400/
================================引用開始
かた【方】
【1】[名]
4 《方角を示すことによって間接的に》人をさす敬った言い方。「女の―」「乗り越しの―」
【2】[接尾]
5 《「がた」とも》名詞に付く。
①二つあるものの一方の側、また、それに属する人を表す。「相手―」「母―」
②その物事を担当する係であることを表す。「まかない―」「会計―」
6 《「がた」とも》数量などを表す名詞に付いて、だいたいそのくらいの意を表す。「三割―安い」「八割―片付いた」
================================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%96%B9&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=03301700&pagenum=1
================================引用開始
がた【方】
[接尾]
1 人を表す名詞に付いて、複数の人々を尊敬していう意を表す。「先生―」「奥様―」
2 時に関する名詞や動詞の連用形に付いて、だいたいその時分という意を表す。「暮れ―」「明け―」
3 「かた(方)【2】56」に同じ。
→達(たち)[用法]
================================引用終了
 オイオイ、〈【2】56〉じゃなくて、〈【2】5①②〉だろう。記載がかわって、修正しきれなかったな(笑)。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%96%B9%E3%80%85&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かた‐がた【方方/×旁】
【1】[名]
1 (方方)「人々」の敬称。かたたち。「お世話になった―」
================================引用終了

【引用部】
 「……各位」(たとえば「読者各位」)は、一人ずつを高める趣の表現。「位」がすでに(元
来は中国語)人を高めて指す言い方なので、「各位様」と使うのはおかしい。(P.246)
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%9C%B7%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BF%BD&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かく‐い〔‐ヰ〕【各位】
大ぜいの人を対象にして、その一人一人を敬って言う語。皆様。皆様方。多く、改まった席上や書面で用いる。「会員―にお知らせします」

◆「各位殿」という表現は、敬意が重複することになるので、好ましくない。
================================引用終了
 ということは「お客様各位」も重言なんだろうか。でも「顧客各位」「利用者各位」はマズいんじゃなかろうか。

 P.247〜のテーマは〈「……だ/です」の尊敬語〉。例の話が出てくる。敬語に慣れている人は、「……だ/です」の内容を以下のように使い分ける。
 I人称者(自分側)を主語とするときは「……でございます」
 II人称者(相手側)を主語とするときは「……でいらっしゃいます」
 理屈ではわかっていても、これができないorz。待ち合わせをした人に「田中さんでございますか?」って言っちゃいそうだよな。
「私は時間がございますが、先生はお時間がおありですか」
 これも「お時間はございますか」って言っちゃいそう。敬語は悩ましい。

 P.250〜のテーマは〈形容詞・形容動詞についての尊敬語〉。本題とは別のところでちょっと気になる。形容詞は「お/ご」をつけて尊敬語にでき、「お忙しいですか」のように使うそうだ。ここも「か」がついているので、許容範囲かな。いろいろ考えて、「形容詞+です」はもうOKと考えるしかないのかな、と思いつつある。
 この場合にもP.247〜の話が適用され、II人称者(相手側)を主語にするときは、「お忙しゅうございますか」ではなく「お忙しくていらっしゃいますか」のほうがふさわしいらしい。これもダメだな。さすがに「忙しゅう」は使わないが「お忙しいですか」とか言ってしまいそう。

【引用部】
したがって、「安い/買いやすい」という意味で「お求めやすい」と近年よく使うのは、本来なら「お求めになりやすい」と言うべきところである。が、この「お求めやすい」はすっかり定着してしまった。すでに誤りとは言いにくいほどで、「お求めやすい」全体で一種の丁寧語のようになっている、とでも見るべきなのかもしれない。(P.251)
 このあたりも「柔軟性がある」と考えるべきなのだろうか。「お求めやすい」って定着したの? まだ認めてほしくない。

【引用部】
 副詞の尊敬語としては、「お早々と」「ごゆっくり」などがある。「いつもお早々とお年賀状をくださる」「坂が急ですので、どうぞ、ごゆっくりお歩きください」のように、その副詞が係る動詞の、やはり主語を高める。ただし、「お早々とお年賀状をいただき有難うございました」の場合は、「いただく」の主語ではなく〈与え手〉を高めることになる。(P.251)
 さりげなく、重大なことを言っている。これが正しいなら、「ご来店いただきありがとうございます」も何も問題がなくなる。

【引用部】
 II−2で、日本語の敬語は言語体系の随所に発達していると述べたが、品詞という観点からも、これまで見てきたように、動詞・名詞・形容詞・形容動詞・副詞・助動詞(名詞の後の「だ/です」は助動詞)・助詞(さらに「この→こちらの」「したがって→したがいまして」(尊敬語ではないが)などまで含めれば連体詞・接続詞にも)と、実に多くの品詞について敬語が存するわけである。(P.253)
 二重パーレンはやめようよ、という話はおく。
 なんかこんな感じで書いてあると、ホント尊敬語だけでおなかいっぱい。
 字数制限があるので、項を改める。


読書感想文/『敬語』2

 やっと謙譲語。なお、本書で謙譲語Aと書いているのは謙譲語Iのことで謙譲語Bと書いているのは謙譲語IIのこと。新しい?言い方の謙譲語I、謙譲語IIに書きかえる。

【引用部】
  ア 私はそのやくざに、早く足を洗うように申し上げました。
  イ 私はそのやくざに、早く足を洗うように申しました。
 イはよいが、アはおかしいと直ちに感じられるであろう。この差は何なんだろうか。「申し上げる」と「申す」とは、どちらも「言う」の謙譲語と呼ばれるものの、〈誰に対する敬語か〉という点で性質が違い、それによってアとイの適否の差も分かれるのである。(P.254)
 答えだけを書くなら。アは謙譲語Iで、イは謙譲語IIだから。と書いてもわからないだろうな。これを理解してもらうには、数ページにわたって引用する必要がある。謙譲語Iと謙譲語IIの話はメンドーなので、『敬語再入門』の読書感想文のときには避けて通った。個人的な整理の意味をこめて、書いてみる。相当の難物だけどしっかりついてくるように。
……「センセー、先頭を走っていたはずのtobiクンがいません。真っ先に脱落したみたいで〜す」「放っておきなさい」
 引用できるテキストだと「敬語の指針」になるのだろう。ただ、これもP.18〜20あたりを丸々引用する必要がありそうだ。以下、本書と「敬語の指針」をうんと圧縮してポイントだけを書く。
●謙譲語I(一般に謙譲語と言われているのはこちらだと思っていい……はず)
 これはいっぱいあるので覚えなくていい。謙譲語IIだけを覚えることをおすすめする。
【例】
 一般形……「お/ご〜する」「お/ご〜申し上げる」「お/ご〜いただく」……etc.
 特定形……伺う/承る/申し上げる/存じ上げる/さしあげる/……etc.
 接頭語……自分側の「お手紙」「ご説明」(相手側の「お手紙」は尊敬語)……etc.
      拝(動詞にもかかわるので別にしておく)……etc.
●謙譲語II
 特定形……参る、申す、いたす、おる、存じる
  補助動詞として使われる「〜いたす」「〜おる」も同様
 接頭語……愚、小、拙、弊……etc.
●謙譲語Iと謙譲語IIの違い
1)謙譲語Iは補語を高め、謙譲語IIは聞き手(読み手)を高める
 【引用部】のアがおかしいのは、「やくざ」に対して敬語を使うことになるから。イがおかしくないのは、聞き手(読み手)に対する敬語だから。通常は「(文中の)補語」=「聞き手(読み手)」ってことが多いからとくに意識しなくていい。微妙な問題に踏み込むなら、ここを区別しなければならない。
2)謙譲語IIは原則として丁寧語を伴う
 【引用部】の例の補語をかえて考える。
  ア-2 私は先生に、早く足を洗うように申し上げた。
  イ-2 私は先生に、早く足を洗うように申した。
 たとえば日記なんかだと、敬体(デス・マス体)ではなく常体(デアル体)で書く人が多いと思う。常体の文章のなかで、ア-2のように書いてもおかしくない。こう書いても「先生」に対する敬意は残る。イ-2はかなりおかしい。聞き手(読み手)に対する敬語である謙譲語IIは、常体にはなじまない。そのためか、謙譲語IIは「丁重語」とも呼ばれる。
3)謙譲語IIは聞き手(読み手)に直接関係のない対象にも使える
【引用部】
  ヤ この退会には全国から三百人の選手が参加いたします。(スポーツの放送)
  ユ まもなく電車がまいります。(駅のアナウンス)
  ヨ プラトンが申しますには……(学者の講義)(P.273)
4)「お/ご〜いたします」は謙譲語I兼謙譲語IIの特殊な形
 本書のP.297〜306に詳しく書いてあるがあまりにも長いので、「敬語の指針」からひく。
「敬語の指針」p.30~から====================引用開始

【補足イ:謙譲語Iと謙譲語IIの両方の性質を併せ持つ敬語】 
謙譲語Iと謙譲語IIとは,上述のように異なる種類の敬語であるが,その一方で, 両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)......いたす」がある。 
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ 内容であるが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われている。これは,「お待 ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語I) と「いたす」(謙譲語II)の両方が使われていることになる。この場合,「お待ちする」 の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」 の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合も ある。)に対して丁重に述べることにもなる。 
つまり,「お(ご)......いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為につ いて,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」 という働きを持つ,「謙譲語I」兼「謙譲語II」である。
================================引用終了

【引用部】
 会社の社長が挨拶するとき、司会者が
  ソ 只今より、○○社長にご挨拶をいただきます。
  タ 只今より、○○社長がご挨拶を申し上げます。
のどちらを使うべきか──これは、相手次第で使い分けなければならない。社内の会合なら、社長を高めるソでよいが、社外からの参加者のある会合(たとえば株主総会)なら、ソはまずい。(P.260)
 これは敬語の上級問題だろう。迷った場合の逃げ方はP.262にある(社長ではなく「会長」になっている)。
「只今より、○○会長のご挨拶がございます」
「ご挨拶」は尊敬語としても、謙譲語Iとしても使える。ウーム。なんてホニャララな……。このテクニックは本書の中に何回か出てくる。

【引用部】
 「お/ご〜〜する」という形自体は古くから散見するのだが、本書のいう〈一般形〉として使われるようになったのはさほど古くはなく、小松寿雄氏の調査によると明治三十年代ごろからのようである。ただし、その当初からしばらくの間は、実際には次第に使われるようになってはきても、「お/ご〜〜いたす」や、当時の代表的な謙譲語「お/ご〜〜申す」のほうが規範にかなった言い方だという意識があったようで、小松氏によれば、昭和十年代になっても(一部には戦後になっても)「お/ご〜〜する」という言い方は認めないとする向きがあったという(言葉についてやかましく論評する人は、いつの世にもいるもののようである)。「お/ご〜〜する」が、規範的な立場からも一般に認められるようになったのは、戦後のことのようである。(P.282)
 言葉の歴史的な変遷に関しては、できるだけかかわらないようにしている。なんらかの根拠がある確度の高い説には耳を傾けるが、そうでないものは聞き流す。当方が興味をもつのは、主として現在使われる言葉限定。この〈「お/ご〜する」未熟説〉(なのか?)については、Wikipediaか何かで、金田一(ファミリーの誰か)が同じようなことを主張したという記述を見た。
 気になってあれこれ検索して見つけた。ああこんなことを書いていると終わらない(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1455.html
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引用開始
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多くの人は、「お~する」は全体で謙譲語だがら問題ないと考え、違和感を持っていないのですから、ことさら問題を提起することはないのですが、金田一京助博士は「お~する」を謙譲で使うのは間違いだと書いていますから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようです。現在では、「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現ですが、以前は不自然だと感じられていたのです。現在ではさらに、「(私は会社を)お休みします」のように行為が相手に及ばず謙譲にはならない「お~する」も使われますが、美化語としか言いようがありません。(p.14-15)
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 一文が長くてわかりにくい文章だが、ポイントは2点あると思う。
1)大正の頃は「お~する」を謙譲で使うのは間違いと考えられていたらしい
 こういう言葉の歴史のような話は苦手なので、スルーしたい。「ことさら問題を提起することはない」だろう。ただ、現在でも疑問に思う人が多いことと、比較的最近まで「間違い」と考えられていたことは無関係ではないと思う。

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引用終了
 【引用部】の末尾の「無関係ではないと思う」は考えすぎだな。世間で「お/ご〜する」はおかしいと主張している大半の人は「自分の行動に〈お/ご〉をつけるのはおかしい」という的外れな根拠をあげる。そういう人は「お/ご〜いたす」や「お/ご〜申す」にもインネンをつけるのだろう。

【引用部】
 なおまた、語によっては「お/ご〜〜“を”する」の形でも使えるものもある(例「お尋ねをする」「ご説明をする」)が、一部政治家の演説などでこの「を」をやたらに使う傾向がある(たとえば「お調べをする」などと言う)のは、聞き苦しい。(P.286)※原文は“を”ではな、傍線つきの「を」
 そうか。熟語動詞(仮)でなくても「を」が入るのね。やはり政治家用語なのかも。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
 もっとも氏は、この調査での「お/ご〜〜する」の全用例二一二のうち、誤用は一一例にとどまっているとして「実際には危惧するほどのことはないかもしれません」ともされるのだが、もし今日、実際の敬語使用の調査を改めて行えば、誤用の頻度は、このころに比べてかなり増えているのではないかと思われる。(P.294〜295)
 この一文は長くないか? しかも「頻度」は「増え」ないだろう、ってなんちゅう恐ろしい揚げ足取りを……。「頻度が増える」は相当ヤだけど「頻度が増す」だとさほど異和感がないのはなぜだろう。
 閑話休題。
 ↑の【引用部】は〈「お/ご〜〜する」の誤用〉という項目の中にある。「誤用」の具体例は「お/ご〜〜する」を尊敬語として使うこと。
1)ご利用してますか(正しくは「ご利用なさってますか」くらい)
2)ご利用しやすくなる(正しくは「ご利用なさりやすくなる」くらい)
3)ご乗車できる(正しくは「ご乗車になれる」くらい)
 元々の「お/ご〜〜する」が謙譲語なんだから、相手方の行動に使っちゃ×だろう。可能形にかえたって、ダメなものはダメ。でも「ご乗車できます」「ご利用できます」なんてアリガチでスルーしちゃいそうだよな。

【引用部】
 また、たとえば、人に、自分の作った書類に目を通して添削や捺印をしてもらったり、こわれた自分の物を修理してもらったりするような場合、「その書類(物)をこれからそちらへ持っていく」という内容を「これからお持ちします」と言うのも、たいへんきびしくいえば、おかしいともいえる使い方である。(P.295)
 これは微妙すぎる。「あなたの書類(物)を持っていく」わけでもなく、「あなたのために持っていく」わけでもないからおかしいらしい。正解は「持ってまいります」くらいらしい。わからん(泣)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318〜のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
⑤[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321〜322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231.html

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html

【引用部】
 ただ、こうした傾向が将来進むところまで進んでしまうと、〈「やる」が普通の表現で「あげる」は《上品》な美化語〉という関係ではなく、〈「あげる」が普通の表現で「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉ということになり、「あげる」は美化語だとさえ言いにくくなっていくことになる(このような先例としては「食う」に対する「食べる」がある。三九頁参照)。(P.339)
 P.333のテーマは〈5 「さしあげる」(謙譲語I)と「あげる」(謙譲語I/美化語)〉。
本来は謙譲語Iだった「あげる」は美化語になりつつあるらしい。世間はもう少し進んで、すでに〈「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉になっている気がする。
246)【「やる」 「あげる」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1378.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1523098273&owner_id=5019671
589)突然ですが問題です【日本語編72】──「食う」を使う慣用句 「食べる」を使う慣用句 【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2163.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1781571782&owner_id=5019671 

【引用部】
 ちなみに、「ももたろう」の歌には「おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」と請われた桃太郎が「やりましょう、やりましょう」と歌う歌詞と「あげましょう、あげましょう」と歌う歌詞とがある。余談ながら、このことに触れてみよう。(P.340)
 ↑のコメント欄で教えてもらった話。こんなヨタ話まで引用するから、どんどん長くなるorz。
 以下、著者が調べた限り(これで?)の結果を時系列で箇条書きにする。
・初めて採用された1911年の『尋常小学唱歌 第一学年』は「やりませう」
・1932年の同新訂版も「やりませう」
・戦後の教科書には見当たらない(「これからおにのせいばつに」がよくなかった?)
・1954年検定の教科書(教育出版)に再登場。「やりましょう、やりましょう、これからおにをこらしめに……」
・1957年検定の教科書(教育芸術社)。「あげましょう、あげましょう、これからおにをこらしめに」
・1960年検定の教科書(教育出版)。「やりましょう……せいばつに」
・1973年検定(76年度まで使用)の教科書。「やりましょう……せいばつに」(音楽之友社)、「やりましょう……こらしめに」
・これを最後に「ももたろう」は教科書から姿を消す。

 P.342にある「あがる」の話。「訪ねる」の謙譲語I。「お届けにあがる」「お願いにあがる」などと使う。訪問を受ける側が「どうぞおあがりください」などと言うのは誤用。
【引用部】
ただし、同じ「あがる」でも、すでに訪問先の玄関に入ったあと家の中にまで入る意の「あがる」は、謙譲語ではないので、こちらは、訪問を受ける側が「どうぞ中へおあがりください」と言える。(P.342)
 一応理解したつもりだけど、脱落寸前(泣)。

【引用部】
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346〜347)
 どこで切ったらよいかわからず、ズルズルと引用してしまった。この「どこで引用をやめたらいいかわからん感覚」は、清水読本の読書感想文を書いたときに近い。
「参」「承」は謙譲語性は薄い、ということを、著者の文体で書くとこういうことになるのだろう。こうなる最大の原因は、著者の知識量があまりにも多いこと。こういう書き方をすると批判しているようにも見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない。批判に読めるとしたら、書き手の人損?だろう。

 P.361〜のテーマは〈「です・ます体」の中の諸段階〉。これも積年の悩み。
 極端に要約すると、複文?の場合の前半部をデス・マス体にするか否かってこと。例として次の5つがあげられている。前半部の「あります」を「ある」にするべきか否か。
  ア 非常ベルがあります。安心です。
  イ ベルがありますが、やはり不安です。
  ウ ベルがありますから、安心です。
  エ ベルがありますので、安心です。
  オ ここにありますベルを鳴らしました。
 本書は、下記くらいがフツーだろうとしている。
 イは「ある」だとややぞんざい。ウはどちらでもよい感じ。エは丁重すぎる感じ。オは丁重すぎて不十分な感じ。
 当方の感覚も同じだが、なぜイだけが「が、」の前をデアル体にするとぞんざいな印象になるのかがサッパリわからない。
 これをさらに細かく分析し、以下のものは過剰敬語と批判されることもあるとしている。
・名詞の前にも「ます」を入れる(↑のオ)のような形
・「そうすると」「したがって」「続いて」などの接続詞的な語の中にも「ます」を入れる。「そうしますと」「したがいまして」「続きまして」
※「続きまして」はショートコントやモノマネの口上でよく見る。 
・「……ませんです」「……ますです」式の言い方。
 上記の3つは、後ろのほうほど丁寧な感じが強くなるらしい。
 うーん。つまり「……ませんです」「……ますです」も×ではないのか。

【引用部】
「お/ご」を付けて皮肉や茶化した表現とすることが固定化した例としては、「ご大層・ご乱行(らんぎょう)・ご乱心・おあいにく様」などがある。これらは美化語とも言いにくい(なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない)。(P.376)
 これはかの有名な醜化語ですね(笑)。そうか「ご大層」以外にも醜化語限定がこんなにあるのか。
569)突然ですが問題です【日本語編67】──美化語の悪用 ご大層 ご苦労 お荷物【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2140.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1774719941&owner_id=5019671
 ちょっと気になったのは〈なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない〉って部分。どんな場合があるのだろう。
 ちなみに、P.382では〈皮肉や茶化した表現として固定化したもの〉として〈「ご大層・おあいにく様」など〉としている。

【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。

【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。

【引用部】
なお、あえて付け加えると、最近の傾向として──あるいは昔からなのかもしれないが──、人のささいな誤りに一々目鯨を立てる人に限って、本人も結構な誤りをおかしている場合も少なくないようである。自分でも敬語を使いきれていないに相違ないと思われる“識者”や投書者が、誤ってもいない敬語を誤りと決めつけているのなどを見るのは、やりきれない思いがする。(P.434)
〈昔からなのか〉否かは、昔のことを知らない当方にはわからない。ただ、状況は確実にヒドくなっている。mixiにしてもYahoo!知恵袋にしてもネット全般にしても、敬語に関する話は相当悲惨なことになっている。日本語関係全般がヒドいとも言えるのだが、とくに敬語関連がヒドい気がする。以前、「〜からお預かりいたします」をキーワードに検索した結果を調べてゲンナリした。
782)【「正しい」日本語ってなんなんだろう〈4〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849013908&owner_id=5019671
 一般の日本語の問題は辞書をひけばある程度の答えがわかるが、敬語関係は解決しないことが多い。イチバン頼りになるのは文化庁の「敬語の指針」だろう。これが問題が多いうえに、ムダに長いだけで決してわかりやすいとはいえない。誤読して訳のわからないことを書くコメントが多いのは、そのせいもあるのだろう。
629)【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798665663&owner_id=5019671

 このあたりのことを細かく書きはじめると読書感想文じゃなくなるので、いずれ改めて。

読書感想文『文章読本さん江』

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1935528999&owner_id=5019671

mixi日記2008年05月03日から

 ええと。読書感想文です。
 家宝にしている『文章読本さん江』(斎藤美奈子)が文庫になっていました。数年ぶりに読み返してみて、やはり大笑いしてしまった。単行本を読んだときに書いた感想文に多少手を加えてアップしておきます。

 困っちまった。これはおもしろい。著者の名前を見かけることはあったが、著作を読むのは初めて。ニューウエーブの文芸評論家という印象があったが、この一冊はほとんど脱帽もんです。
 巻末の「引用文献/参考文献」のリストの量にまずのけぞる。「文章読本・文章指南書関係」が81冊、「文章史・作文教育史関係」が23冊並んでいる。まあ、「文章読本の文章読本」を本気で書こうとすると、このぐらいは資料として必要なのかも。

 著者は「小声でいうが、文章読本は、この挨拶部分がなによりいちばんおもしろい」と書く。入魂の挨拶文を次の3つに分類している。
1)恫喝型
2)道場破り型
3)恐れ入り型
【引用部】
 いままで我慢して見てきたが → ここまでひどくては仕方があるまい → いよいよワシの出番が来たようじゃ。他人が何ごとかを要領悪くやっているのを見ていれば、ついつい手出し、口出ししたくなるのが人情である。「ええい、ちょっとこっちへ貸してみな」の心境である。過去の文章読本がいかに使えないか=なぜ自分が出陣せねばならなかったかの陳述に一章全部費やしている文章読本まであるほどに、この境地はかなり多くの文章家に共有されているようである。(p.27)
 これは2)の解説にある文章。そんなすごい本があるんですね。例の本は参考文献のリストに入っていないから、「一章全部費やしている文章読本」って、別の本のことだよね。例の本は、「一冊全部費やしている」ようなもんだから違うよな。それにしても、「ええい、ちょっとこっちへ貸してみな」はおかしい。この表現は、このあとにも何回か出てくる。

【引用部】
 気持ちはわからないでもない。文章についての文章(=メタ文章)は、たしかにヤバい代物ではあるからだ。音楽の先生が音痴だったり、絵の先生のデッサンがくるっていたり、ダイエットの指導者がデブだったらシャレにならないのと同じ。「先にご自分の心配をなさったら?」とあらぬ指摘を受けぬためにも、あらかじめ逃げを打ちたくなる気持ちは理解できる。ワタシはみなさんが期待するような名文家じゃないですよ、と。(p.29)

 こちらは3)の解説中にあったもの。まあ謙遜ととってあげようよ。
 ただ、名文か否かなどというレベルではなく、ホントに「ご自分の心配」をしたほうがいい文章で書かれている「文章読本」が多いのも事実。それよりも許せないのは、実用書タイプの「文章読本」のほとんどが、思いつく限りの禁止事項をあげながら、それを説明する文章で実践していないこと。要は読者に無理難題を押し付けている、ってことを証明していらっしゃる。

 p.44~は、文章読本界の御三家&新御三家の要点を解説している。取り上げているのは次の6冊。
・文章読本界の御三家
  谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社・一九三四/中公文庫・一九七五)
  三島由紀夫『文章読本』(中央公論社・一九五九/中公文庫・一九七三)
  清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書・一九五九)
・文章読本界の新御三家
  本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞社・一九七六/朝日文庫=改訂版・一九八二)
  丸谷才一『文章読本』(中央公論社・一九七七/中公文庫・一九八〇)
  井上ひさし『自家製 文章読本』(新潮社・一九八四/新潮文庫・一九八七)
 さすがにいいところをついてくる。この6冊は、並みいる「文章読本」のなかでも別格扱いされてしかるべき。
 おかしかったのは、『日本語の作文技術』に対するコメント。

【引用部】
 親切過剰というか神経症的というか、一事が万事この調子。「文のわかりやすさ」に最大の価値を置く本多読本は、このくどさゆえに、いうほど「わかりやすく」も簡潔明瞭でもない。(p.64)

 これが一般的な受け取り方かもしれない。「親切過剰」や「神経症的」は言いすぎだと思うが、たしかにその傾向は否定できない。一般論として、ていねいに書けば書くほど、回りくどい印象になる。もっとヤバいのは、読み手の読解力との関連性。うんと単純に言ってしまうと、判る人はこのようなていねいな書き方を「親切過剰」と感じ、判らない人はどんなにていねいに書いても理解できない。そう考えてしまうと、懇切ていねいな説明なんてまったくムダ?

【引用部】
 どっちにしても文章読本の必要性はない──谷崎読本の冒頭部分と同じくらいの、これは「爆弾発言」である。〈この読本の唯一の教訓〉として井上は皮肉まじりに書く。〈伝達ではなく、表現の文章を綴ろうとなさる方は、各自、自分用の文章読本を編まれるのがよろしい〉と。(p.79)

 これはちと説明がいるだろう。〈谷崎読本の冒頭部分〉の要点は、p.47に次のように纏められている。
  (A)文章に実用的・芸術的の区別はない
  (B)あるがまま(見た通り、思った通り)に書け
  (C)文章は簡潔明瞭なのがベストである
 この記述が、後世の多くの「文章読本」で取り上げられてきた。これについて書きはじめると長ーくなるのでパス。そいでもって、先の引用文は、井上読本の末尾にある記述に対するもの。たしかに根本的な問題として、〈どっちにしても文章読本の必要性はない〉は正論なんだよな。ただし、これを正論として認めてしまうとつらいものがある。

【引用部】
 はたしてそのせいなのか、御三家、新御三家が水面下で論争をくりひろげていたようなテーマを、ほとんどの文章読本は正面きって論じてはいない。「話すように書け」「あるがままに書け」とすすめる本が予想したほど多くないのと同様に、「話すように書くな」「あるがままに書くな」とわざわざ記しているような本も、さほど多くはないのである。
 たいがいの文章読本が血道をあげているのは、原則論ではなく、もっと実用的、かつ具体的な文章作法上の心得や技術論である。とはいえ、そもそも「ワシにもいわせろ」の心境が引き金となって拡大再生産されてきたジャンルである。内容的に、ものすごーく新しいこと、はめったにない。たいていは「どこかで聞いた」「さっきも聞いた」「とっくに聞いた」な話である。文章の指導者がこんなに没個性でいいのかと、人ごとながらふと心配になるほどだ。(p.85)

 最後の一文がきいている。瑣末な〈実用的、かつ具体的な文章作法上の心得や技術論〉に限った話ではないだろう。原則論のほうだって、〈ものすごーく新しいこと〉はめったにない。
 このあとに、「文章読本が説く五大心得」が紹介される。
  1)わかりやすく書け
  2)短く書け 
  3)書き出しに気を配れ
  4)起承転結にのっとって書け
  5)品位をもて
 1)~5)の相関関係を見ると、1)と2)は深く関わっている。大前提として1)がある。そのためにどうしたらよいか、ということで2)が登場する。ごく一部のものを除き、ほとんどの「文章読本」は2)の主張をしている。その弊害についてふれている「文章読本」は少ない。
 本書では、2)の心得を紹介したあとで次のように書いている。

【引用部】
 短く書く。困難な課題だ。センテンスをブツブツ切る。調子が狂う。やってみればわかる。「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくい。のだ。(p.90~91)

 おっしゃるとおり。こんな当たり前のことをほとんどの「文章読本」が無視している。著者はこの直後に39字×9行の一文を書くほど念入りにオチョクる。このオチョクリかげんが絶妙だからたまらない。
 3)4)もいろいろ問題はあるけど、いちばん説明しにくいのが5)の問題。そこで登場するのが「文章読本が激する三大禁忌」だ。
  1)新奇な語(新語・流行語・外来語など)を使うな
  2)紋切り型を使うな
  3)軽薄な表現はするな
 かくして禁じ手が増えつづけ、読んだ人は、どんな文章を書けばいいのかますます判らなくなってしまう。このあたりは笑いなくしては読めない。

【引用部】
 こうしてみると、文書読本とはなんと堅っ苦しい世界なのだろう。「新語を使うな」といわず、せめて「新語はちょっとだけ使うと効果的です。でも、ちょっとだけにしておかないとダサくなるよ」とでもいえば納得するのに。あるいは「紋切り型を使うな」ではなく「紋切り型の表現も紋切り型でない場面で使えば効果的です。この方法を異化といいます」とでもいってくれたら、やる気が出るのに。こう禁止禁止じゃ、ただでさえ苦痛なのに、ますます書くのが楽しくなくなるよ。(p.107)

 次に紹介されているのが、「文章読本が推す三大修業法」。
  1)名文を読め
  2)好きな文章を書き写せ
  3)毎日書け
 やはりこのあたりに辿り着くんだよな。こんな修業法でマトモな文章が書けるようになるとは思えない。とくに3)の効果は相当にあやしい。ヤミクモに書いて何かいいことあるのだろうか。1)だってどこまで信用できるのかは疑問が残る。じゃあどうしたらよいかと言うと、ほかにいい方法がないんだからしょうがない。2)は1)と本質的に変わらないだろうな。もし1)に効果があるんなら、2)まで徹底しなさい、ってこと。

【引用部】
 文章読本界きっての教えである。丸谷読本などは「名文を読め」だけのために一章全部を費やしているほどである。文例2は、それを大袈裟に褒めそやした例。人のフンドシで相撲をとりたいとき、だれかの太鼓持ちをしたいときには、ぜひ参考にしたい文章である。
 名文を読め。もっともな教訓のように思えるけれど、この教えの唯一の問題点は、「名文とは何か」を定義できる人がだれもいないことである。どんな文章読本も「これぞ名文」と著者が信じる文章を個別に示し、「この文章のここが名文だ」という個別の解説がつくのみである。(p.109)

 この論法でいくと、唯一の方法とも言える「名文を読め」もあやしくなってしまう。ホンマにどうしたらよいんでしょ。

【引用部】
 この文章の出典は薬の効能書きである。〈栄養の助長に奏功します〉は〈栄養の助けになります〉でよい。〈拮抗する〉〈発現する〉〈産出する〉ももっと平易ないい方があるだろう、と著者は述べる。そういわれれば、たしかにその通りである。だが、この本は著者の思惑とはちがった種類の感慨を抱かせる。「正しいこと」と「おもしろいこと」は両立しにくい。ハハハ、そうなのだ。「悪文」というものは、存外おもしろいのである。(p.124~125)

 そうなんだよね。「悪文」は時におもしろい。少し違うが、「破調の文章のおもしろさ」ってのもある。そういった文章を常識的な形にかえると、ひどくつまらないものになってしまう。でもねえ。じゃあ「悪文」や「破調の文」をおすすめできるかと言うと、それは無謀。ちょっと別の話になってしまう。

【引用部】
 第二に「人文一致」であれば、文章の訓練などはしょせん虚しいものである、ということになってしまう。「人文一致」は文章のテクニック=レトリックを否定し、書く楽しみ、工夫する楽しみを奪う。つまり書き手にとって、なんにもいいことはないのである。「文は人なり」が人口に膾炙したのは昭和期前半ではなかったかと私は類推するのだが、ともあれこの妄言が、人々をどれほど惑わせ、文章論の世界をどれだけ堕落させたかしれない。「文は人なり」派の人は、「文章読本」ではなく「人格読本」を書けばよいのだ。(p.165)

 なんて痛烈なんでしょ。「文は人なり」が妄言である根拠の「第一」としては、〈文と人が一致しない例などは山のようにある〉ことが指摘されている。極端な例として、1997年の神戸小学生殺傷事件の際の犯行声明文をあげる。

【引用部】
 となると、文章読本てのは、だれの役に立っているのか、ますます不可解なジャンルということになる。本を何冊か読んだくらいで、そう簡単に文痴は治癒しまい。逆に文才型の人は、文章読本に書かれている程度のことはとっくにクリアしているか、コケにしているだろう。そして、唯一、文章読本が役に立ちそうな従順な修業者=文章マニアの人たちに、文章読本がいい影響を及ぼしているとは、あまり思えないのである。(p.176)

 そうなんだよな。こういうふうに指摘されると返す言葉がなくなる。でもなあ。論理的に考えようとすると、どうしてもこういう結論に近づいてしまう。

【引用部】
 一般に流布しているこの説がマユツバだという気はもうとうない。トップデザイナーがファッション界をリードしてきたのと同様に、小説家が文章界をリードしてきたのは事実である。事実だが、文学中心の文章史には、ストリートファッションをいっさい無視し、パリコレの出品作だけ見て服飾史を語るような馬鹿ばかしさがある。
 明治二〇年代に、山田美妙が「です体」を、尾崎紅葉が「である体」を、嵯峨の屋お室が「であります体」を、二葉亭四迷が「だ体」を開発して言文一致体が完成した、といった文学史的話題は興味深くはあるけれど、日常の手紙や作文の課題に四苦八苦している下々の者にとっては「暇な芸術家が、なんやゴチャゴチャやってるわ」という程度の話だろう。現代の文章読本が「一般的な文章術を伝授する」と宣言しながら、いつのまにか著名な文学作品の引用に傾くのも、ハイファッション中心の歴史観にからめとられているせいかもしれない。私たちは、小説家中心の「文学主義」的文章史観からひとまず抜け出したほうがいいのである。(p.192~193)

「実用文」を対象にしているはずの「文章読本」が、文学作品を引き合いに出すのは少なくない。エッセイなどは小説とは違う別種かもしれないが、個性的な書き手によるものは引き合いに出すべきでないのは同様だろう。「名文」を意識しはじめると、この陥穽に陥りやすい。

 p.199~で紹介されている若松賎子による翻訳文。これ、何かで読んだ記憶がある。「かった体」とか呼ばれるとか。「ありませんでした」が定着する以前には、こんな試行錯誤があったらしい。ってことは、「ありませんでした」って定着しているんですね。

【引用部】
 文芸作品に偏った引用文、説明すべきところを実例でゴマ化す手法、感覚的な用語に頼った解説。文章指導の根幹が、解析ではなく「鑑賞」に流れていることがわかるはずだ。
 ところで、お笑いなのは、菊池読本と川端読本の成り立ちである。すでによく知られた話だが、この二冊、じつは後に代作疑惑がもちあがり、どちらも文章読本界から抹殺されたという因縁つきの本なのだ。内容的にもかなりひどい。代作疑惑が出てこなくても盗用問題にはなったかも、というほど双方ともに谷崎読本からのパクリが多い。しかし、ゆゆしき二冊の文章読本は、おもしろい事実を教えてくれる。著者が代理でも内容がパクリでも、気づかれることなく菊池読本と川端読本は版を重ねた。すなわち「文は人ではない」のである。(p.301)

 川端読本に代作疑惑があった話は何かで読んだ。菊池読本もそうですか。まあ、あのレベルの文豪が書いたとなると、そこそこ売れるだろうな。それにしても、ここで〈すなわち「文は人ではない」のである〉と主張するのはほとんど反則だよな。説得力がありすぎる。
 
【引用部】
 谷崎潤一郎『文章読本』、鈴木三重吉『綴方読本』をルーツとする文芸批評的な(換言すればいいかげんな読み物的な)文章指南書は、そのなかではもっとも新しいタイプの本だったといえるだろう。個人文体の研究とは、ひっきょう「天才」の技なり芸なり癖なりを分析する領域である。技術論をともなわない天才芸の鑑賞は、いたずらな名文信仰を育てるだけで、あまり建設的とはいえない。けれども、こうした文芸批評的=文学主義的なスタイルは、あっというまに文章読本のスタンダードとして定着した。代作疑惑、盗用疑惑の濃い菊池寛『文章読本』が発行されたのは、谷崎読本のわずか三年後のことなのである。(p.302)

 ポイントになるのは、〈技術論をともなわない天才芸の鑑賞は、いたずらな名文信仰を育てるだけで、あまり建設的とはいえない〉という一文。だから名文なんてお手本してはいけません。

 p.307~の〈いばるな、文章読本!〉では、橋本治『よくない文章ドク本』の中の「えばるな、文章読本!!」を取り上げている。原典も過激だが、この紹介のしかたもかなり過激。できれば全文引用したいぐらい。

【引用部】
 どうりで、ジャーナリスト系の文章読本には色気が不足していたはずである。彼らの念頭には人前に出ても恥ずかしくない服(文)のことしかない。彼らの教えに従ってたら、文章はなべてドブネズミ色した吊しのスーツみたいなもんになる。新聞記者の文章作法は「正しいドブネズミ・ルックのすすめ」であり、まさに新聞記者のファッション風なのだ。ついでによけいなひとことを加えれば、ドブネズミ・ルックの慣れた人がたまに気張って軽い文章を書こうとすると、カジュアル・フライデーに妙な格好であらわれるお父さんみたいな感じになる。新聞記者系の文章読本がなべてカジュアル・フライデーっぽいのは偶然だろうか。(p.331)

 ドブネズミ・ルックにカジュアル・フライデーか。ウマいことをいうもんだ。「言い得て妙」って言葉はこういうときに使うんだろう。本書の最後のほうに登場する「文章=衣装」って類喩は、あまりにも適切すぎる。「共通点が多い類喩だとこんなにいろんなことが書ける」って見本にするのに、これほど適した例はめったにない。最後に紹介する本書の結びの言葉の鮮やかさも、この類喩の力があったればこそだ(生まれて初めて使う表現だな)。

【引用部】
 そんなことをいってたら堅い文章がますます書けなくなる?
 んなもの、いちいち心配しなくて大丈夫だよ。文は服だっていったじゃん。服だもん。必要ならば、TPOごとに着替えりゃいいのだ。で、服だもん。いつどこでどんなものを着るかは、本来、人に指図されるようなものではないのである。(p.338)

 ……と、なんかもっともらしい結びができたんで、ここで本書の話を終わらせてもいい。しかし、ひと言多い性分なので、少し余計なことを付け加えたい。筋違いであるとは知りながら、やや批判めいたことを書いてしまう。
 本書を読んで読者がどんな印象をもつのか、素朴な疑問を感じる。個人的にはこういう内容は大歓迎だ。こんなに楽しめた本は久しぶりだし、メチャクチャ笑わせてもらった。家宝にしたい。ただ、そんな読み方をする人がどれぐらいいるのだろう。「これだと単なる悪口ジャン」って気がしないでもない。まあ、悪口もここまで行けば立派な芸であることは間違いないが。
 どんな服を着るかとか、文章をどう書くかなんて〈本来、人に指図されるようなものではない〉ってのはおっしゃるとおり。そういってしまうと、文章読本なんて無意味なものになる。ただ、いくら個人の趣味の問題といっても限度がある。町中を何も着ないでウロウロしたり、パンツを頭に被って歩いたりすると、ちょっと問題になる。ネクタイをきつく締めすぎて窒息するのもおすすめできない。そういう人がいたら、あえて〈指図〉してあげるのが親切ってものだろう(危ないから近づかない、って選択肢が正解かな)。
 文章にだって最低限のルールがある。もちろん、「放っといてくれ」って人に親切を押し売りする必要はない。でも、わざわざ文章読本を読もうってほどの人なんだから、〈指図〉されたがってるんだよ。あえて〈指図〉するなら、嘘を教えるんじゃなくて、それなりのアドバイスをするべきだろう。
 著者は、本書を書くために多くの文章読本を精読しているはずだ。それなら、こんなに意地悪なことばかり書かないで、もう少し建設的なことが書けるんじゃないかね。その気になれば、『斎藤美奈子流文章読本』だって書けるだろう。なんせ、まともに文章が書ける人で、ここまで文章読本の世界に足を突っ込んだ人はそうはいないんだから。これはぜひお願いしたいけど、そういうのはダサいからやらないか。
 実力者がゲリラ戦法に徹しているのも、横綱が平幕相手に足取りをするみたいで、あんまり品のいいことじゃない。あまりにも大人気ない、というべきか。勝負の世界は勝てばナンデモアリかもしれないし、文章だっておもしろけりゃナンデモアリなんだろうけど。
 文章読本全般のことをまともに書けば、どうしたって否定的な内容になる。ただ、どれもこれもとにかく全部ダメ、じゃ救いがない。なかにはマットーなことを書いているものがないわけではない。部分的に見れば役に立つことを書いている場合もある。徹頭徹尾オバカな文章読本も、ギャグとしては価値がある。ミソも〇〇もひっくるめて全部ダメってのはアンマリだ。そのあたりのことをもう少し書いてくれたら、読者にとって有意義なものになるはずなんだけど。そういうのもダサいのかな。



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【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

mixi日記2014年09月日から

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

 直接的には下記の続きだろうな。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

 テーマサイトは下記。
【尊敬語「お+です」の意味について】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8768483.html

 質問の趣旨は簡潔。
「お~です」はどういう意味で、「お~になる」とはどう違うか。
 この質問に答えるなら、『敬語再入門』P.251の記述をひくのが早いだろう。例によってII・III人称は一般の二・三人称とはちょっと違うが無視する。
==============引用開始
お/ご〜〜だ(です) 尊敬語。主語〈II・III人称〉を高める。形としては、同じ尊敬語「お/ご〜〜になる」の「になる」を「だ(です)」に変えた形にあたる。意味としては、「……ている」の意をあらわすのが一般的。「……ている」意のスマートな尊敬語として重宝。「用紙をお持ちですか」「社長は今週ご出張です」 ただし、「……ている」意でなく使う場合もある。
(中略)
 さらに敬度の高い表現として「お/ご〜〜でいらっしゃる」(次項)がある。
(略)
==============引用終了

 以下、現在進行形とか過去とかあやしげな言葉を使う。日本語の文法では相当微妙な話になるはずだが、わかりやすければなんでもいい、の精神で書く。
 基本的には、「……ている」(現在進行形)の意味。問題は、動詞の性質によっては違う意味になること。
「社長は昨日お戻りです」(過去) 
「社長は明日お戻りです」(未来)
 うんとひねくれて、
「先ほど連絡がありました。もうすぐお戻りです」
 だと、現在進行形かもしれない。まあ、未来と考えるのが無難だろう。
 このあたりは継続系の動詞(持つ……etc.)と瞬間系の動詞(戻る……etc.)の違いってことになりそうだが、深入りするのはやめる。
『敬語再入門』が「スマートな尊敬語」としているのはいささか言葉足らずで、このあたりは同書のP.52〜を読んでもらうしかない。
 簡単に言うと、
「お持ちになっていらっしゃいます」
「お持ちでいらっしゃいます」
「お持ちになっています」
 が長いと感じる人やうまく使えない人は「お持ちです」のほうが簡便ということ。
 簡便なだけあって制約もあり、↑のように時制があいまいになるのが弊害のひとつだろう。もうひとつは敬度が低く感じられること。
 この点に関しては『敬語再入門』は言及していない。↑のテーマサイトのNo.3のかたの説明が適確な気がする(このかたのコメントはかなり信頼できる)。

40分


メモ2「読んでいる」の尊敬語 


 以下、主として『敬語再入門』のP.52を参考に。
「読んでいる」を尊敬語にするとどうなるのか。丁寧形の「読んでいます」で考えてもよいが、煩雑になるので、丁寧形は無視する。

 まず、「レル敬語」を使うか「ナル敬語」を使うか、という問題がある。
「読む」の「レル敬語」は「読まれる」
「読む」の「ナル敬語」は「お読みになる」
「レル敬語」は間違いではないが、
1)受身などとまぎらわしいことがある
2)敬度が低い
 などの理由から、基本的には避けたい。「制約が少ない」「初心者でも使いやすい」といったメリットはあるが、ここでは無視する。
「読んでいる」は「読む」と「いる」の複合動詞と言っていいだろう。「ナル敬語」の尊敬語の形には下記がある。
1)お読みになっている(「読む」を尊敬語にした形)
2)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形)
3)お読みになっていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 1)や2)のように一方を敬語にする場合、2)のように後半を敬語にするのが一般的なので、2)が一番多く使われるらしい。
 3)は尊敬語を2つつなげているが、「二重敬語」ではない。「敬語連結」という形で、多少クドくはあっても、問題のない敬語の使い方。
 詳しくは下記をご参照ください。
【よくある誤用34──敬語編4 二重敬語】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n133372

 1)〜3)を長いと感じる人に『敬語再入門』がすすめているのが「お読みです」の形。敬度が低く感じられるなら「お読みでいらっしゃる」にすればいい。
 ちなみにレル敬語を使うなら、
4)読まれている(「読む」を尊敬語にした形)
5)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形。2)と同形)
6)読まれていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 たしかにかなりヘンな感じがする。



メモ3 「お答えできる」の尊敬語  教えて! goo 


 テーマサイトは下記。
【「答えができる」の尊敬語】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14138056579

 大前提として、原形の「答えができる」はおかしのでは。ここがおかしいので、「お答えができる」はいろいろな意味でおかしくなる。
 原形は「答えられる」「答えることができる」あたりだろう。
「答えられる」の尊敬語に関しては、『敬語再入門』のP.50〜に「可能表現・複合動詞の尊敬語」の解説がある。正解は「お答えになれる」と明記されている。
 可能表現の尊敬語は〈尊敬語を作ってから可能形にする〉ものらしい。ナル敬語を使ってもレル敬語をつかっても同じ形になるのか? なんて美しい。
 答える→お答えになる→お答えになれる(ナル敬語の場合)
 答える→答えられる(尊敬)→お答えになれる(レル敬語の場合)
 順番が逆になった下記はおかしい。
 答える→答えられる(可能)→お答えられになる
 ほかの例で考える。
 読む→お読みになる→お読みになれる
 読む→読める→お読めになれる×
「答えることができる」も先に可能形にしているので、このままでは尊敬語にしにくい。

 ちょっと気になるのは「できる」をナル敬語にした「おできになる」。「できる」はレル敬語にしにくいので無視する。
 これは「する」の可能形ではなく、そこから派生した「うまい」「堪能」などの意味だろう。「勉強がおできになる」「英語がおできになる」……etc.
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1805.html

 これはこれでアリだろう。ザアマス言葉のにおいがしてかなり気持ちが悪いので、自分では使えない。
 ここから類推して「答えることがおできになる」も間違いではないのかもしれないが、あえて使う理由は見当たらない。

 質問の本題に関して。
①お答えができる方はいらっしゃいますか。
 ↑の話にあてはめると、「お答えになれる方はいらっしゃいますか」。
 これが敬語として自然かというと……いったいどんな場面で使うのか想像できない
 たとえばセミナーで講師が参加者に訊く場合。
「お答えになれる方はいらっしゃいますか」よりも「おわかりの方はいらっしゃいますか」くらいのほうが自然に感じる。このあたりは、文脈がないと判断できない。
 相手に「できるか否かを訊くのが失礼」という考え方もあるが、↑くらいなら大丈夫だろう。

②全問お答えができ(た)ら、賞品を進呈します。
 ↑の話にあてはめると、「全問お答えになれたら、賞品を進呈します」。
 これも間違いではないだろうが、見慣れない。
「全問正解の方には賞品を進呈します」くらいだろう。




メモ4「お/ご~~申し上げる」にできる言葉 Yahoo!知恵袋 


 テーマサイトは下記。
【「感謝申し上げます」は問題なしで、「ご感謝申し上げます」はだめな理由】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138590471

 以下、主として『敬語再入門』のP.239から抜粋。
「お/ご~~申し上げる」の形にできる言葉は意外に少ない。
 同書には、以下の言葉があげられている。
お祈り・お祝い・お悔やみ……etc.
ご挨拶・ご暗示・ご依頼……etc.
 特記事項としては下記があげられている。
・「お」の場合、「お/ご~する」がつくれる語よりかなり少ない
・「お悔やみ」は「申し上げる」のほうがなじむ。
・「ご」の場合、「ご依頼・ご助言・ご注意・ご同情・ご了承」など、「ご~する」より「ご~申し上げる」のほうが落ち着く語もある。
・漢語の熟語に「ご」をつけずに「挨拶申し上げる」という人もいる(敬度は下がる)。
・「感謝申し上げる」「尊敬申し上げる」「失礼申し上げる」など、「ご」のつかない形でのみ使う語もある。

 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
「ご尊敬申し上げる」なら使えそうな気がするが……。 




メモ5「ございます」 Yahoo!知恵袋 


「ございます」の意味は2つに大別できる。
 クダクダ書くよりも『敬語再入門』P.257から転載するほうが早い。
==============引用開始
ございます・……でございます
「ございます」は「あります」の、「でございます」は「です」の、さらに敬度の高い丁寧語。「こちらに書類がございます」「私が責任者でございます」。その他、「うれしゅうございます」のように「形容詞+ございます」の形も作れる。II人称者について「(あなたは)明日はお仕事がございますか」「(あなたは)田中さんでございますか」と使うのは、誤りとまではいえないが、違和感を感じる人もいて、それぞれ「明日はお仕事がおありですか」「田中さんでいらっしゃいますか」のほうが無難。
==============引用終了

 同じ「ございます」に見えるが、意味が違う。
「明日はお仕事がございますか」の通常形は「明日は仕事がありますか」。
「田中さんでございますか」の通常形は「田中さんですか」。
 だから無難な高敬度形(なんじゃ?)にも違いが生じる。

 素朴な疑問なんだけど、「でございます」の元々の原形(重言だな)は「であります」だった気がする。
 軍隊映画なんかで聞く「田中であります」の類い。これだと「ございます」⇔「あります」で一本化できる。
「田中であります」がしだいに崩れて「田中です」になったので、2つの意味になったような。こう考えるとスッキリする。
 こちらからたどっていくと、「田中さんですか」の敬度を上げた形は「田中さんであられますか」になりそうだけど、さすがに現代語としては不自然かもしれない。
 辞書の記述でこのことが読み取れたら達人クラスだと思う。


https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-265952#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
ございます【御座います】

( 動サ特活 )
〔動詞「ござる」に助動詞「ます」の付いた「ござります」の転。近世江戸語以降の語〕

「ある」の意の丁寧語。 「お探しの本はここに-・す」

(補助動詞) 「ある」の意の丁寧語。 「明けましておめでとう-・す」 「ただいま帰りまして-・す」 「どなた様で-・すか」 〔活用は「-・せ(-・しょ)|-・し |-・す |-・す |-・すれ |○」〕
==============引用終了

==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ござい‐ま・す 【御座います】

[動サ特活]《「ござります」の音変化。近世江戸以来の語》
1 「ある」の意の丁寧語。「あります」より丁寧な言い方。「おあつらえ向きのお品が―・す」「何も―・せんが、どうぞ召し上がれ」
2 (補助動詞)補助動詞「ある」の意の丁寧語。「すでにお願いして―・す」「いかがお過ごしで―・しょうか」「ただ今ご紹介いただいた田中で―・す」「おめでとう―・す」「いっそ死にとう―・す」
◆活用は「ございませ(ございましょ)・ございまし・ございます・ございます・ございますれ・〇」。「ござります」より丁寧の度合いが低く、打ち解けたときに用いられ、さらに、なまって「ござえます」「ごぜえます」ともなる。また、「さようでござい」などの「ござい」は「ございます」のぞんざいな言い方。2の「…でございます」の形は口語文体の敬体の一で、「です」体・「ます」体・「であります」体に対して「でございます」体とよばれることがある。
==============引用終了



メモ6 「お高くとまっている」の「お」の働き


 テーマサイトは下記。
【お高くとまっているという言い方がありますが、これは尊敬語ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140810993
 
 質問内容は、タイトルのまんま。
 答えは専門書に明記されている。
 結論を先に書くと、一般の「お高い」なら尊敬語。過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「お高くとまる」は〈皮肉や茶化した表現として固定化〉した例で、分類としては美化語。ちょっと無理も感じるが、定評のある書籍なので逆らいません。
 尊敬語にはならないので、「あえて言うなら美化語」ということなのだろう。

 2つの側面から考える必要がありそう。

●形容詞・形容動詞につく「お/ご」
 P.123〜に〈「お/ご」の整理〉という項目がある。
 接頭語の「お/ご」を機能の面から4つに分けている。
1)尊敬語
2)謙譲語I
3)丁寧語
4)美化語
 敬語を旧来の3分類で考えるなら、「美化語」は「丁寧語」の一種になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 あげられている例のうち、形容詞・形容動詞が出てくるのは下記。
1)尊敬語
お若い/おきれい/ご熱心
3)丁寧語
お暑いですね/お寒うございます
※これは特殊な例と考えるほうがいいだろう。

 ちょっと意外だったが、同書を見る限り、形容詞・形容動詞を美化語として使う例はなさそう。
「最近お野菜がお高いですこと」
「もう少しお安くなりませんと買う気になりませんわ」
 相当気持ちが悪いけど、美化語もアリじゃないかな。
 一般的な「高い」の意味で「お高い」と使うのは尊敬語になる。これも過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「背のお高いかただったのですね」
「さすがにお高いご洋服をお召しでした」


●美化語の醜化語?用法
 P.108〜のテーマは〈美化語になる語・ならない語〉。
 詳細な分類がある。
〈③「お/ご」の付かない形が、同じ意味の語として成り立つもの〉の(f)をひく。
==============引用開始
(f)付けると皮肉や茶化した表現になるもの 皮肉や茶化した表現として固定化した例として「おあいにくさま・ご大層・ご乱行」など。
==============引用終了
「ご乱心」などもそうだろう。
「同じ意味」はちょっと疑問だが、スルーしておく。
 これは前に書いた「醜化語」の話だろう。
【「醜化語」の「ご」「お」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2138.html



メモ7 「お述べする」が不自然な理由



mixi日記2015年01月24日から

 直接的には下記の続きだろうな。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 テーマサイトは下記。
【「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11141000336/a350089689
==============引用開始
「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか

「話す」の謙譲語は「お話しする」
「書く」の謙譲語は「お書きする」
「読む」の謙譲語は「お読みする」

ならば
「述べる」の謙譲語は「お述べする」ではないのか、という疑問です。

尊敬語には質問が過去に出ているのですが、謙譲語については質問が出ていないこともあり質問させていただきました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1179216646
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427472759...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1163159341...

「述べる」は「自説的(話す内容ではなく、話すという行為に重きがおかれているという意味だと思います)」であるため、相手を必要とする敬意表現にはなじまないという説明も見られますが、それでは尊敬語に不自然さを感じないことを説明できません。

どうか詳しい方にご教授いただければと思います。

【補足】
コメントありがとうございます。補足させてください。
美化語の「お」と「ご」、また、慣用的に「お」がついている表現についてはここでは問題にしません。

主な質問である「『お述べする』が不自然なのか」につきましても、引き続きご指導いただければと思います。
==============引用終了


「述べる」を謙譲語にすると。
結論を先に書くと、一般に尊敬語の「お述べになる」は使われますが、謙譲語の「お述べする」はほとんど使われないようです。理由は「慣習」としか言えません。論理的な理由があるとは思えません。

当方がバイブルにしている『敬語再入門』の記述を基本にして、デアル体で失礼します。
『敬語再入門』の詳細に関しては下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行) 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 まず、通常の動詞を尊敬語にする形。P.38~。
●レル敬語
 述べられる
●ナル敬語
 お述べになる
 一般にレル敬語のほうが制約が少なく、習熟しやすい。
 ただし、ナル敬語に比べて敬度が低い。
 個人的には、このほかに受身とまぎらわしい場合があることが大きな問題だと思う。「見られる」「食べられる」etc.……
 これらの動詞に「特定形」(P.226~)(ご覧になる、召しあがる)があるには、偶然ではないかも。

 通常の動詞を謙譲語にする形。P.68~
●お/ご~する
 お述べする
●お/ご~いたす
 お述べいたす
●お/ご~申し上げる
 お述べ申し上げる
※このほかに「~なさる」「~なされる」という形もある。

 話を簡略化するために、「ナル敬語」と「お/ご~する」に限って書く。ほかの形もほぼ同様。
 まず「お述べになる」について。
 P.40~に〈「お/ご~になる」といえない語〉という項目がある。それを見る限り「お述べになる」を×にする理由は見当たらない。
 ただし、下記の記述がある。
==============引用開始
C.慣習的になる敬語が(「お/ご」が)なじまない語
「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」(これも「運転なさる」以下は可)。
この(3)-Cは理屈では説けないだけに、慣れない人には最も厄介かもしれません。
==============引用終了

 次に「お述べする」について。
 P.74~に〈「お/ご~する」といえる語〉という項目がある。詳細なリストがある。
[「…に」を高める]語のなかに「お答えする」「お伝えする」「お話しする」「ご説明する」「ご報告する」など、同じような意味の言葉はありますが、「お述べする」はない。
 言えるか言えないかは慣習によるところが大きいようです。

 個人的には、「お述べになる」は基本的に使わない気がする。
「おっしゃる」「お話しになる」などのほうが自然に感じるから。
「お述べする」は、使わない。
「申し上げる」「お話しする」などのほうが自然に感じるから。

 基本的には、〈「お/ご~になる」といえる語〉と〈「お/ご~する」といえる語〉は共通することが多いと思う。
 たとえば、↑にあげた「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」はどちらも×だろう。
 ↑であげた「食べる」は「お食べになる」は△ですが(フツーは「召しあがる」)、「お食べする」は×だろう。
 理由は、「慣習」しか考えられない。

あえて言うなら、「まず結論を述べる」などと書く(「言う」はなおさら)と偉そうな印象がある。そんな偉そうな言葉は謙譲語になじみにくい気がする。

読書感想文 『悪文』(中村明/ちくま新書/1995年5月20日第1刷発行)

 ちょっと事情があって、古い読書感想文をアップする。
 文章読本の関する感想文のNo.4なので、かなり早い時期の感想文になる。この段階の感想文だと、まだそんなに毒を吐いていない。さほど性格が歪んでいないようだ。
 読み返してみると、本書は言葉に関するさまざまな問題に言及している。「広く浅く」という印象だが。



『悪文』(中村明/ちくま新書/1995年5月20日第1刷発行)→2000年8月再読
 ちょっと気になることがあり、書棚にあるはずの同名の単行本をずいぶん探す。新書だったのでなかなか見つからなかった。これだったかな。ほかにもあったような気がする。たしか岩淵悦太郎の著作だったはず。引っ越しのドサクサでなくしたうちの一冊なんだろう。本書は95年7月に読んでいるが、マーカーを片手にあらためて精読する。「裏返し文章読本」というサブタイトルから連想されるような悪文集ではなく、実用書タイプの「文章読本」。
 まず根本的な問題から。文章のお手本にするため、ほとんどの「文章読本」が「名文」を持ってくる。たしかに、最後の最後の段階ではそれしかない気がする。しかし、それはきわめて高度なレベルの話。もっと基本的な技術を身につけるためには「名文」をお手本にしても効果はなく、むしろ害のほうが大きい。個人的な経験と照らし合わせても、反面教師としての「悪文」のほうがよほど有効だった。ちょっと考えれば判ることでしょうが。「この文章はうまい」と思っても、マネするのは容易なことではない。しかし、「この文章はヘタ」と思ったらその原因を考え、そういう書き方を避けるようにするほうがよほど簡単。問題は、その原因をどこまで論理的に把握できるか、ということ。
 本書の話に戻ろう。けっこう参考になることが多かったけど、引用文にコメントをつけているうちにいい加減な点も目についてきて、段々ハラが立ってきた。表記の点では、教えられる点が多いけれど。
 個人的な趣味に関わる問題であることを承知で書くと、中途半端な文学志向はやめてほしい。文章の添削例に顕著だが、ヘタな創作みたいな例を「望ましい文章」のように扱うのは大きな問題だと思う。

【引用部】
 出版文化の隆盛とともに、量産の時代を迎えた。一九七七年以降の文章作法書の刊行点数は、毎年実に三〇冊を上まわるという驚異的な調査結果も報告されている。
(中略)陋屋の三畳ほどのかたつむりみたいな書庫に何百冊かの文章作法書が大きな顔で並んでいる。(p.9)
 やっぱこのぐらい読み込んでいないと、「多くの文章作法書を読んできた」なんて口にできないのかね。何百冊をいくつかに分類・解説していて、「その他」には「必勝の文章戦略」「よくない文章ドク本」なんてのが入っている。
 記憶があって書棚をのぞくと、『必勝の文章戦略』(林洋/日刊工業新聞社/1979年10月25日初版発行)は、懸賞論文の達人が書いた文章構築のハウツー本。これはいいとして、『よくない文章ドク本』(橋本治/徳間文庫/1987年10月15日初刷)は、ジャンルとしてはエッセイだろう(書評的な要素もあるけど)。同名異書かな。こんな書名の本がほかにあるのかね。

【引用部】
 個々の一冊は別として、一般にどのような目的の人にどういう本が役立つのだろうか。それはまず、文章を書く動機の違いによって大きく二つに分かれる。
 ひとつは必要に迫られて書く文章、もうひとつは自分から進んで書く文章だ。(中略)文章はその種類によって基本姿勢に差があり、全部いっしょにはあつかえない。(p.16)
 こういう分類のしかたもアリか。ほかにどんな分類のしかたがあるか、うんと乱暴に纏めてみる。
〈必要に迫られて書く文章〉
  1)実用的文章
  2)伝達のための文章
  3)基本の文章
〈自分から進んで書く文章〉
  1)芸術的文章
  2)表現のための文章
  3)応用の文章
 どんな言い方をしても、趣旨は同じだと思う。谷崎潤一郎あたりからの伝統を重んじるなら、1)の組み合わせが一般的かな。本書の分類にもっとも近いのは、2)の組み合わせ(何で見たか覚えてない)ではないだろうか。

【引用部】
 また、悪文治療のための参考書も、けっして害にはならないし、文章一般に共通する基本的な注意事項ぐらいには目をとおしておいたほうがいいが、細部にはあまりこだわりたくない。(p.18)
 どうでもいいことかもしれないけど、一文が長くないか? この場合は判りにくくはないけど、あとに出てくる一文の長さに関する主張に反している。「文章読本」の書き手って、みんなこれ。たいした根拠もなしに「一文は〇字以内に」と書くそばから、けっこう長い文章を書く。「自分は上級者だから長い一文を書いても許される」とでも言いたいのかね。この場合は、「が、」をやめて「。しかし、」ぐらいすればすむだろう。
 それはそれとして、もっともらしく書いてはあるが、なんの役にも立たない。理由はハッキリしていて、「基本的な注意事項」と「細部」を見分ける基準が示されていないから。そんな基準はないよね。ということは、こういう説明はなんの意味もない。

【引用部】
 真摯な文章読本はまず、文章というものは自分の意のままにはならないことを、ましてや名文ともなれば、書こうとして書けるものではけっしてないことを、隠さずにいわなければならないだろう。(p.19)
 これも一文がちょっと長い。しかも少しばかり判りにくい印象がある。それはさておき、内容はおっしゃるとおり。ところが世の「文章読本」は、なかなかそんなことを認めはしない。恐ろしいことに、「うまい文章の書き方」といった類いの書名を冠した「文章読本」がずいぶん出ている(さすがに「名文云々」とまで大胆なタイトルをつけたものは少ないが)。「うまい文章の書き方」といった書名をつけるってことは、書き手は「自分は文章がうまい」って自信があるんだろうな。もっと素朴な疑問を書かせてもらうと、どんな文章が「うまい文章」なのか判ってるんだろうな。

【引用部】
 肝腎なのは、このようにして身につけた知識をすぐ使ってみようとしないことだ。使おうとすれば、どうしても無理が出る。自制心がないと、技術をちらつかせた鼻もちならぬ文章になる危険があるからだ。できれば、読んだことを一度すっかり忘れることである。それでも、いつかほんとに必要になった折にふと浮かんでくる。このレトリックの知識はひょいと浮かんでくるときに生きるのだと思う。(p.20)
 基本的にはそのとおり。ただね。レトリック云々を問題にするのはかなりの上級者だろう。どういうレベルの読者層を想定しているのか判らない。

  ことばが変わればニュアンスが違ってくるから、これらの一卵性の定義にも、むろん、若干の区別はある。たとえば、「わかりにくい」ことと「へた」であることと、どちらを第一条件と考えるか、という点で分かれる。(p.25)
「悪文」の定義についてふれた記述。「わかりにくい」と「へた」を同列に扱っていいのだろうか。反意語を考えると判りやすい。「わかりやすい」と「じょうず」(別に「うまい」でもいいけど品詞を揃えておく)は明らかに違う。「わかりやすい」けれど「へた」な文章はいくらでもある。要は、「わかりやすさ」のほうが基本的な条件。とりあえず、目指すのは判りやすい文章で、「じょうず」「へた」は、もっと上の概念だろう。「わかりにくい」けれど「じょうず」な文章もなくはないけど、一般人が目指すべきものではない。

【引用部】
 これは偶然だろうか。不名誉な三冠王は偶然生まれるものとはかぎらない。というより、よくわかっていないことを書く、読み手のことを意に介さない、何のために書いているのかはっきりしない、というこの三大条件は、ひとりの人間のあり方としてむしろ密接につながっているではなかろうか。(p.36)
 ついに一文が100字に達した。この場合は、長めの事柄を列記しているから必然的に長くなる。箇条書きでもするしかないかな。それはさておき、「ひとりの人間のあり方としてむしろ密接につながっているではなかろうか」ってどういう意味なんだろう。まあ、「自分本位の人間がこういう文章を書く」とでも言いたいのかね。そういう説明もなしに、こんな精神論を振り回されてもなあ。文章に関してインネンをつけると、「ひとりの人間のあり方として」はヘン。「ひとりの人間のあり方に」か「ひとりの人間としてのあり方に」ならまだマシ。

【引用部】
 論証や説得を目的とする文章に限らず、一般に作文の構成を問題にするとき、まっさきに頭に浮かぶのは、「起承転結」の四部構成だろう。これは本来、漢詩の絶句の構成についていわれたものらしい。それがだんだん広まって散文にも適用されるようになる。
(中略)
 起承転結に次いでよくとりあげられるものに、「序破急」という三部構成がある。これはもと、雅楽の楽曲構成上の三つの区分から出たものというが、のちに導入部・展開部・結末部という程度の意味に一般化して、能楽や浄瑠璃の脚本構成などに取り入れられ、さらに散文の文章構成にも広がった。事件を叙述する物語などでは、発端・経緯・結末というのがそれにあたる。論文では序論・本論・結論という三部構成がふつうに見られ、論理的な文章の基本形ともなっている。(p.53〜54)
「起承転結」と「序破急」に関しては、簡潔にまとめられている。引用した定義(?)のほかに、具体例も添えられている。「起承転結」の例としてあげられているのは例によって頼山陽の作といわれる“糸屋の娘”の4行詩(?)。こういうのは、慣用表現による陳腐化(後述)とは言わないのかね。
「序破急」に関する記述中の2番目の文がヘン。「という程度の意味に一般化して」の直後の読点は不要のはず。それ以前に、この文は分割するべき(順接の「が、」を使っているのも不用意。後述)。

 p.57〜にまとめられている文章展開の5タイプは参考になる。
 1)追歩式(順叙式)。もっとも自然で基本的な型で、物事を順を追って述べていく。
 2)散叙式(雑叙式)。一見、雑然と書き散らしたような感じになる。ただし、「堂々とこのタイプを名のれるのは、そういう書き方をあえて選ぶ場合に限」り、「結果として散漫になってしまった文章」とは別物とか。例として『枕草子』をもってきたのはうまい。
 残りの3)頭括式(演繹式)4)尾括式(帰納式)5)双括式は、文章のどこかで全体をまとめるかによる。ひと通り説明したあと、それぞれどんなタイプの文章に向くかを解説する。
  1)は説明文、報告文、紀行文、伝記・歴史関係の文章、物語に多い。
  2)は随筆(とくに身辺雑記ふうの作品)に多い。
 論説文や小論文は3)〜5)が一般的で、なかでも本式の論文は5)が最適とか。このほかにも、いくつかのパターンが紹介される。

【引用部】
 ことがら自体に特に因果関係がなく、たがいに独立したことを並べる場合は、順番にさほど神経を使わなくてもいい。「気がついたことを三点指摘する」、「主要なものを五つあげておこう」という調子ですむからだ。これを「カタログ式配列」ともいう。(p.61〜62)
 ことがらの重要性に差がある場合は、順不同に並べるとデタラメな感じになる。とくに新聞のように、読者がどこで読むのを中断するか判らない場合は、重要なものから順に並べる。文学的文章以外は、これに準ずるべき、と主張する人もいるらしい。『実践・言語技術入門』では、これを「重点先行」と読んで推奨しているとのこと。
  短い文章のときには、たしかに論点が明確になって高い効果が期待できそうだ。が、全部読むことを前提として書く一般の文章では、必ずしもそうとはかぎらないだろう。長々と並列的に展開する文章で、論点がだんだん軽くなると、いいかげんでやめたくなる。読んだあとの印象も薄くなる。

【引用部】
 逆に、軽いものから入り、だんだん重みを増すように並べて、最後にいちばん大事なことを述べたほうが、漸層的な効果が上がり、文章全体ももり上がる場合もある。ただし、これも、はじめにあまりくだらないものを並べると、読み手があきれて途中で投げだすおそれもある。そのへんの呼吸がむずかしい。(p.62)
 やはりイマイチ煮え切らない。結局どちらがいいのかは、文章の内容しだいとしか言えない。「カタログ式配列」は味わいに欠け、「重点先行」もその傾向がある。筆者自身が“苦し紛れ”に使う「重点先行」はとくにひどいんだけど、その点については後述する。

【引用部】
 しかし、どういうものか、活字で印刷された日本語を見ると、そこに個人的な気持ちがわいてこない。だから、活字の手紙だと、公衆の面前で親しそうに話しかけられた気がして、とまどうのだろう。文面のささやきが妙にくすぐったく感じられるのである。(p.74)
 読点の打ち方の問題は別として、言いたいことはよく判る。ちょっと言葉足らずの気がしないでもない。おそらく、「公衆の面前で」を「公の場で」に替えるか、直前に「偉い人に」ぐらいを加えれば、マシになる。メールがこれだけ普及した現代では、死語ならぬ“死感”かな。

【引用部】
 道路交通法に「児童(六歳以上十三歳未満の者をいう。以下同じ。)若しくは幼児(六歳未満の者をいう。以下同じ。)を保護する責任ある者は、交通の頻繁な道路又は踏切若しくはその附近の道路において、児童若しくは幼児を遊戯させ、又は自ら若しくはこれに変わる監護者が付き添わないで幼児を歩行させてはならない」といった恐るべき表現があるらしい。法律の文章だからやむをえない面もあるが、日常生活でこんな調子の文章を読まされるぐらいなら、少々不正確でもすっきりとした文章が恋しくなるにちがいない。(p.84)
 ほかの読み方が絶対に成り立たないように書くのは厳密にはきわめてむずかしく、そんなことをすると読みやすい文章にはならない、ということを示すためにもってきたものらしい。やっぱさ、法律の文章を相手にしてはいけません。あんなものは日本語ではない。やたらとむずかしい表現を多用する評論あたりも同じようなものだろうか。もっと一般的な文章を持ってこないと説得力がないのでは?

【引用部】
 因縁をつけるわけではないが、「大きな箱」の「大きな」と「大きな小錦」の「大きな」とは働きがちょっと違う。小さな箱はあるが、小さな小錦は今いないのだ。前者は箱を限定して意味をしぼりこむ働きをする。が、後者は小錦の大きさを意識させる働きをしているにすぎず、対象を限定する力はない。(p.94)
 あまりインネンはつけたくないが、この文章に出てくる「因縁をつけるわけではないが」がどういう働きをしているのか何度読み直しても判らない。「大きな箱」も「大きな小錦」も初出。何に対しての因縁なんだろう。さらに言えば、この直前に書かれているのは指示語の話で、この段落とまったく繋がらない。読解力不足かしら。
 そういったインネンを別にすると、この文章がふれている問題はおもしろい。
「大きな蟻」は「大きな箱」と同様に限定。「大きな象」は両方ありえる。曖昧さを避けるなら「象という大きな動物」「ふつうより大きな象」と補うべき、という記述は新鮮だった。

【引用部】
 もう一つ、確実にあいまいになる表現をとりあげておく。それは「……ように……ない」という構文だ。「彼は彼女のように成績がよくない」などと平気で書く人がいる。(p.96)
「ように+否定形」の構文の話はよく見かける。ちょっと屁理屈を言うと、「……ように……ません」なんてのもあるから、「ように+否定形」のほうが正確なはず。
 このあとに、「三とおりの解釈が可能」と続いているので、一瞬戸惑った。たしかにこの文の場合は、以下のように3通りに解釈できる。
  1)彼は彼女と違って成績がよくない
  2)彼は彼女ほど成績がよくない
  3)彼も彼女と同じで、成績がよくない
「成績がよくない」が「泳げない」になって「彼は彼女のように泳げない」でも事情は同じ。
  1)彼は彼女と違って泳げない
  2)彼は彼女ほど泳げない
  3)彼も彼女と同じで泳げない
 まったく考えていなかったが、「彼は彼女のように泳げない」は3通りに解釈でき、「彼は彼女と同じように泳げない」は2通りにしか解釈できない。冷静に考えれば判ることだが、1)〜3)のうち、1)の解釈ができなくなっている。
 なんか釈然としない感じが残るな。理由はよく判らん。

【引用部】
 「驚く」で充分なのにあえて「驚かされる」といい、「害をもたらす」で済むのにわざわざ「被害がもたらされる」などとするように、やたらに受身を使って表現する文章は、発想自体が日本的でない。日本語では本来、こんな受身など使わなくても表現できたはずだ。人間以外、それも動物以外、ことに抽象名詞などを主語にして、それを受身表現で展開させるような文章は、むやみに舶来めかして格好をつけた悪文と考えたい。
 ただし、ものの考え方がここまで西欧化した現代日本で、受身をいっさい使わずに書こうとすると、発想に無理が出てかえって不自然な文章になるかもしれない。要は、借り物でない自然な発想で書くことだろう。そして、この受身はほんとうに必要なのかどうか、ちらと考えてみるだけでもずいぶん違う。(p.98)
 まずインネンつけから行こう。「済む」はほかのところでは「すむ」にしていることが多い。「害をもたらす」の受け身を「被害がもたらされる」にしているのはなぜなのだろう。「害がもたらされる」ではいけないのだろうか。ひどい重言のような印象のある「被害がもたらされる」って、どういう文脈で使うのだろう。 たとえば、「大量発生した虫」を主語にして考えてみる。
  1)大量発生した虫が害をもたらす
  2)大量発生した虫によって害がもたらされる
  3)大量発生した虫が被害をもたらす
  4)大量発生した虫によって被害がもたらされる
  5)大量発生した虫によって被害が生じる
 3)は厳密に言えば重言なんだろうけど、まだマシ。この文は能動態ではあるが、意味的には受け身のような気がする。うまく説明できないが、重言を防いで5)にすると、なんとなく判ってくる。動詞の形は能動態だが、助詞は受動態と同じ形のままで、意味はおそらく受け身。これを受動態にはしにくい。なんかよく判らんなあ。
 そもそも「もたらす」という動詞が受け身に近いニュアンスをもっているので、「もたらされる」という日本語が不自然ではないだろうか。「幸運がもたらされる」はアリの気もするけど。
 文章の趣旨に関して言えば、言ってることは正しい(気がする)。異和感があったのは論の運び方のせい。単純にいってしまえば、受け身を使うことに対して、否定、肯定、否定の流れになっている。もう少し書き方がある気がする。「要は、借り物でない自然な発想で書くことだろう」って記述がある。「要は」と来たからには、ここがポイントのはず。しかし、「自然な発想で書く」のがポイントじゃあんまりだよな。
 この章は「調子の合わない文章」というテーマで、その原因を列挙しているが、文の流れがあまりにも唐突。先の引用文の直前までは堅苦しい言葉使いの話をしていて、いきなり「『驚く』で充分なのに……」と来る。
 さらに、先の引用文に続いていきなり話は接続詞のことになる。

【引用部】
 文と文とは自然に結びつく。それぞれの内容によって、逆説だったり累加だったり補足だったりする。文と文との関係をそういうふうにはっきりきめたい場合、あるいはその関係を強調したい場合に、書き手は自分の解釈として接続詞を置くのだろうと思う。接続詞というものは、文と文との本来の論理的な意味関係から必然的に生じるというより、そんなふうに読み手のかってな解釈を制限して、書き手のめざす方向へ誘導するために配するものなのではないか。
 そう考えるなら、二つの文の間に接続詞があるのは、それが自然な姿だからではなく、書き手の意図が働いて読みを方向づける操作をおこなった姿だということになる。(p.98〜99)
 ある程度までは納得できるが、こういった意見を全面的に認めると、すべての接続詞が削除できることになる。「読んでいて、いいなあと思う随筆を、そういう目であとから読み返すと、驚くほど接続詞が少ないことに気づく」(p.100)という記述も出てくる。これも「文章読本」の常套手段。「だから接続詞が少ない文章がいい文章だ」と言いたいのだろうが、説得力があるとは思えない。それは随筆だからであって、説明文や論説文の場合は違ってくる。接続詞を使わずに書けるものなら書いてみなさい。ちなみに、「だろうと思う」は重言風だろうと思う。

【引用部】
 辰濃和男『文章の書き方』に新聞の文章の常套句がいろいろ紹介されている。たとえば、遭難があると「尊い山の犠牲」、海水検査では「大腸菌がうようよ」、容疑者は取調室できまって「ふてぶてしさを装いながらも、動揺を隠しきれない」。汚職事件が発覚すると、その「その衝撃が日本列島を走り抜け」、人びとはその「大胆な手口」に「怒りをあらわにし」、「癒着構造」に「捜査のメスが入って」「政界浄化」の実ることを期待する。政府与党の幹部はたいてい「複雑な表情を見せ」、その「対応に苦慮」する。一方、国会内は「一時は騒然となって」「真相の徹底究明が叫ばれ」、「成り行きが注目される」のだという。(p.100)
 よくも並べたもんだ。常套句(紋切り型ともいうかな)は、たしかに文章を陳腐化する。このあとで「既成の表現だからこそ、事件の概略がつかみやすくなるという面」があると肯定的に書いているのは珍しい例かもしれない。それは新聞だから許されるのであって、一般の文章の場合は望ましくない、というのもきわめて正論。

【引用部】
 むろん、長い文といってもいろいろあって、みな同じにあつかうのは非常識だろう。部分的に文の情報が完結しながらいくつもつながって、結果として長くなったくさり型の長文なら、環(わ)の一つ一つの独立性が高いため、少々長くなっても、その構造上比較的わかりやすい。一方、同じ長文でも、文頭の副詞が文末の述語にかかったり、文中に他の文が組み込まれていたりする複雑な構文の長文になると、段違いにむずかしくなる。が、いずれにしても、長い文は短い文に比べて、読んで理解するのに時間がかかるという点が共通している。(p.122)
 この当たり前のことを、ちゃんと書いていない「文章読本」は実に多い。その点、この本は非常に親切(ただし、どんな文なら多少長くても大丈夫なのかは、この説明ではまず判らない)。このことを踏まえたうえで、それでも一文が長いと誤読の可能性が高くなることを解説する。

【引用部】
 以上は読む側から見た弊害だが、長い文は書く側にもさまざまな実害をもたらす。文が長くなりすぎると、文を構成するいろいろな要素があらわれ、そういう要素どうしの照応が乱れやすい。主語が途中で変わったことに気がつかなかったり、修飾するつもりで置いたことばを忘れてしまったりして、つながりがねじれることも起こりやすくなる。
 しかも、長すぎるために、推敲段階で読み返す際にも、そういう誤りや不備な点に気づきにくい。(p.123〜124)
 一文が長いことの最大の問題は、この最後の点。推敲で「誤りや不備」(「不備な点」って「不備」とどう違うのだろう)に気づきにくいし、読み手も「なんか気持ち悪い」と感じ、原因不明の不快感を覚える。

【引用部】
 ジャンルの違いとしては、小説が短いほうで、平均四〇字ほどになる。随筆はそれよりいくらか長いかもしれない。批評・論説の方面では一般にもっと長くなり、総合雑誌の場合で平均六〇字に近づく。専門雑誌の論文では平均七〇字を上まわるという。
 このようにいろいろな条件で数値は違ってくるが、これを読みやすさという観点から見ると、一般的にいって、平均三〇字未満となるような文章は「やさしい」と考えていい。平均三五字あたりでも「かなりやさしいほう」で、平均四〇字ぐらいまでなら「ほとんど抵抗がない」と思われる。平均四五字前後で「ふつう」、平均五〇字を超えると「少しむずかしい」部類に属し、平均六〇字を超えれば「むずかしい」文章と考えられよう。そして、平均で七〇字を超えるようなら「非常にむずかしい」文章といってさしつかえない。(p.126)
 同じ書き手でも文章の種類によって、一文の長さは変わる。読者の年齢が限定されれば、当然影響が出る。そりゃそうだ。それにしても、この数値のあげ方はなんなんだろう。ちょっと見やすくしてみる。
  平均30字未満=やさしい
  平均35字あたり=かなりやさしいほう
  平均40字ぐらいまで=ほとんど抵抗がない
  平均45字前後=ふつう
  平均50字超=少しむずかしい部類に属す
  平均60字超=むずかしい
  平均70字超=非常にむずかしい
 何を根拠にこんなに細かい基準を出したのか教えてほしい。かなりぼかした表現で、断言はしていないのに、ここまで細かく分ける意味があるのだろうか。やはり、いくら目安とはいっても、文字数で決めるのはむずかしい。形容詞の多寡、という問題ひとつをとっても当然判りやすさに影響してくる。ちなみに「平均40字ぐらい」「平均45字前後」は重言風だろう。
 ちょっと話がまぎらわしくなりそうなので、まったく別の例で考える。
 個々の数字が具体的に出ていて、平均が40.2になったのを概数にして「平均約40」にするのはアリ。いくつかの平均値があり、その平均値の平均が40に近ければ「平均40前後」はアリ。
 しかし、ここで著者があげているのは目安としての数値なんだから。「ぐらい」や「前後」は要らないはず。「あたり」はかなり微妙で、「約40字あたり」は許される気がする。「約40字といったところ」ならさらに微妙になる。

【引用部】
 極端に長い文が交じると平均は長いほうにひきずられるから、実際には平均値より少し短めの文がふつうの長さの文としてよくあらわれるものと推測される。と、めんどうなことを論ずると、こんなふうに文が長くなる。だから、おおざっぱに、原稿用紙で二、三行以内におさまるように文を切るよう努める、とだけいっておこう。(p.126〜127)
 先の【引用部】の続き。このあたりから完全にインネンモードに入ってしまった。
 まず第1文。もっともらしいが、典型的な文系文章のような気がする。「平均」ってそういうものじゃないでしょう。逆に極端に短い文だってあるんだし。そりゃ短いほうはどんなに頑張っても1(厳密には2かな)にしかならないのに比べて、長いほうは無限だから……と言えなくはない。でもそれは屁理屈ってもんでしょ。なにより、極端に長いものが交じると、わかりやすさの評価もかわってくるのでは。
 第2文。一瞬意味が判らなかった。「こんなふうに」は直前の文(第1文)を指しているのだろうか。一般的にはさほど問題にするべき長さではない第1文(71字)が「一文はもっと短くするべき」という著者のモットーに反し、この場合はたまたま「めんどうなことを論ずる」ために長くなっただけで自分はふだんはもっと一文を短くしていると主張する気なら、ほかの箇所にたびたび登場するもっと長い一文に関してはどう考えればいいのだろう。それに、この文の場合は、「から、」を「。だから、」にすればいいだけの話。もっと簡単に書きましょうか。技を使おうとしてスベっている。

 p.139には『悪文の構造』(千早耿一郎著)に載っている例として山崎豊子の『華麗なる一族』の一部が抜粋されている。たしかに判りにくい文なんだけど、小説の文章は放っておくしかないんだよな。『悪文の構造』は、よせばいいのに修正案まで出しているらしい。

【引用部】
 「日常生活でいろいろ観察したり、新しく発見したことなどを手帳に書き留めておく」といった流れはかなり自然に見える。が、そういう目で読み返すと、「観察したり」と対をなす「たり」が後半に欠けていることに気づく。書き手の心理としては、「発見したこと」のあとに「など」とつけたことで意味のバランスをとった気持ちなのかもしれない。(p.148)
 このあとに、「たり」がひとつで済む用法を対比させ、「片たり」と通じるものがある、と解説する。ここまではいい。「片たり」を防ぐ方法としては、「発見したりしたこと」と「たり」を繰り返すことをあげる。そのほうがやはり落ち着くんだそうな。これだから「文章読本」は嫌いだ。それがくどいから、「片たり」にしてしまうんでしょうが。もう少しましな書き方を教えてあげなさい。この場合なら、「日常生活でいろいろ観察したことや新しく発見したことなどを……」で何も問題がない。それ以前に、これって並列かしら。「観察した結果、発見したこと」ではないだろうか。「観察した」だけのことも、なくはないんだろうけど。「いろいろ」の位置もヘンな気がするがあまり考えたくない。
 このあとに並列関係の言葉の解説が続く。
  1)「とか」も後ろが脱落しやすい
  2)「AとかBとかいう」は正式には「AとかBとかという」にするべき(「AとBとを」とせずに「AとBを」と書く文章なら「AとかBとかいう」でも可)
 2)の指摘が新鮮。「AとかBとかいう」と「AとBを」が仲間だとは気づかなかった。

【引用部】
 私の意見を述べる。今回の調査で、ろくに基礎も身につかないうちに模擬試験を受けて、それだけで勉強したつもりになっている生徒の多いことがわかった。これは最近の傾向だろう。数学は別として、ほんとうの学力は問題を解いただけでつくものではない、と新聞にも出ていた。生徒たちにそういって忠告しても、彼らはなかなか信じてくれなくて困っている。(p.157)
 これは〈書きかえ文〉で、〈原文〉は接続助詞の「が」が頻出する次の文。
【引用部】
 私の意見だが、最近の傾向ではないかと思うのだが、今回実際に調査してみてわかったことであるが、このごろ、ろくに基礎も身につかないうちに模擬試験だけ受ける生徒が多いが、彼らはそれで勉強したつもりになっているようだが、この間、新聞にも出ていたが、数学は別かもしれないが、ほんとうの学力というものは問題を解いただけでつくものではないと忠告するのだが、このごろの生徒たちはなかなか信じてくれなくて困っているのだが……(p.156〜157)
 たしかに〈原文〉は問題外。「が、」が何度も出てくるのが問題という点も御説のとおり。しかし、この〈書きかえ文〉はいただけない。まず、いじりすぎ。「が」を全部省くためにやったことだろうが、これではどうやって「が、」を減らすか理解できない。冒頭で「私の意見を述べる。」と言いきっているのも気になる。これは本来の日本語の文章ではないはず。
 この〈書きかえ文〉の前に「少しぶっきらぼうかもしれないが、こんなふうに書くべきだろうか」とある。この「ぶっきらぼう」はどの点を指しているのだろう。冒頭で言いきることを指しているようにも取れる。しかし、p.137では論旨が揺れ動くことを防ぐために「文章構成にもひとくふうありたい」として「私はこう考える。」で始まる文に書きかえている。この点を考えると、「ぶっきらぼう」は、冒頭で言いきっていることではなく、細切れ文章全体のことを言っているのだろう。著者は“冒頭言いきり”を肯定している節がある。
「私の意見を述べる。」も「私はこう考える。」も削除してしまえばいい。どうしても「私見」であることを断りたいのなら、もっと別の言い方があるはず。あまり気は進まないが、一例をあげてみる。
  今回実際に調査してみてわかったことに関して、私見を述べてみたい。最近の傾向ではないかと思うのだが、ろくに基礎も身につかないうちに模擬試験だけ受ける生徒が多い。彼らはそれで勉強したつもりになっているようだ。数学は別かもしれないが、ほんとうの学力というものは問題を解いただけでつくものではないことは、この間、新聞にも出ていた。そう忠告するのだが、このごろの生徒たちはなかなか信じてくれなくて困っている。
“冒頭言いきり”の不自然さは、こんな感じで緩和できる。
「が、」の問題に関しては、とりあえず順接の「が、」を消した例を提示するべき。その気になれば、逆接の「が、」も、「として」や「しても」を使って消すことができても、それを実践するか否かは好みの問題でしかない。

 p.161で修飾関係がわかりにくくなる例として「評判の悪い近所の家の犬が……」という例があげられている。この解説がイマイチ。本多さんならどうするのかしら。
 犬の評判が悪いなら、「近所の家で飼っている評判の悪い犬」とすれば済むとしているが、そんなことをしなくても、「近所の家の評判の悪い犬」で十分だろう(「の」の連続が気になるというのは、ここでは別問題。どうしてもって言うなら、「評判が悪い」にすればいい)。問題は家の評判が悪い場合。「近所の評判の悪い家の犬が」とするのもひとつと手法としている。判りにくくはあっても、ほかにとりようがないそうだ。よく判らん。一理あるような気もする。あえて逆順にしなくても、「評判の悪い近所の家の犬が」のままで誤解はないと思うけど。「飼っている」を使っていいなら「評判の悪い近所の家で飼っている犬」にすればもっとはっきりする。
 ちなみに、p.94では、意味が曖昧になる例として「このあいだ亡くなった社長の奥さん」をあげている。p.161とどう使い分けているか判らないよー。まさか全体の構成を考えずに書いた結果、こうなったなんてことはないよね……。この場合、死んだのが奥さんなら、イヤな読点を使って「このあいだ亡くなった、社長の奥さん」かな。「このあいだ亡くなった社長夫人」はアリだな。死んだのが社長なら「このあいだ亡くなった社長の、奥さん」だってか。「夫である社長がこのあいだ亡くなった奥さん」かな。
 このテのことは、大手術を施すか、文脈で判らせるしかない気がする。

 p.164では、修飾に関するひとつのルールとして本多勝一の『日本語の作文技術』についてふれている。本多さんの『わかりやすい文章のために』の中では、複数の修飾語を配列する際の順序について、4つの原則を優先順に並べているそうだ(これ、ほかの本で読んだ気がする)。
  1)長いほうが先(例:「古色蒼然とした透明な青いコップ」)
  2)句や連文節が先(例:「彼がくれた古色蒼然たる透明なコップ」)
  3)大きな状況が先(例:「日本列島の上空に花子の放った風船が小さな点となって消えていった」)
  4)親和度を考慮に入れる(例:「もえる夕日に初夏のみどりが照り映えた」)
 4)は、「初夏のみどりがもえる夕日に照り映えた」にすると、「みどりがもえる」というなじみの深い組み合わせが並んで誤解を招きかねない。
 4つの原則について、「傾聴に値する」としながら「いずれも、わかりやすさを基準にしている。文学的な効果をねらう場合はもうひとくふう必要だろう」と結んでいる。そんなこたあ判ってるの。それで片づけちゃって、解説になってるつもりかしら。「文学的な効果を狙うひと工夫」ってなんやねん。説明できるものなら、してもらおうじゃないの。

【引用部】
 そこで、「お安くなっております」の代わりに、つい「お求めやすくなっております」といってしまいそうになる。ところが、「お早い」「お美しい」とはいっても、「お書きやすい」「お歩きにくい」とはふつういわない。形容詞になりきらないうちは、やはり、「お求めになりやすい」「お書きになりやすい」「お歩きになりにくい」とすべきだろう。(p.170〜171)
 これはちょっと盲点だった。おっしゃるとおりです。

【引用部】
 デアル調に比べてダ調はいくらかぞんざいな感じになるが、それほど改まらない文章では、両方交ぜることも少なくない。事実、きまじめなこの本の文章自体も、そういう気楽な調子で書いている。この場合はともに常体だから小さな違和感ですむ。また、交じったほうが文末に変化が生まれ、文章に凹凸を感じさせるというプラス面もある。しかし、デス・マス調は敬体なので、これが交じると、とっくりのセーターでネクタイでも締めたような、ちぐはぐな感じになって好ましくない。(p.174〜175)
 きまじめな本を気楽な調子で書く、ってどういう執筆姿勢だ。「きまじめになりがちなテーマを扱ったこの本」ぐらいの意味なんだろうな。
 デアル体とダ体の違いに、これほど敏感な人もいるんですね。そんなこと感じたこともなかった。まあ、デアル体のほうが偉そうな感じがあるとは思う。とくにダッタで済むところをわざわざデアッタにしている文章は古臭い印象になる。「とっくりのセーターでネクタイでも締めたような」は、うまい比喩なんだろうな(「とっくり」は死語という説もある)。
 このあとに、日本語は「肝腎なことが文末できまる」性質があり、「書く人の姿勢や態度がそこに反映され」「文章の印象を左右することになる」と、ずいぶん力強い文章が続く。よく見受けるダメな例として、次のようなものをあげる(「」をつけた文末表現に「……」がなかったりあったりするのは、原文に従っている。なんでこんなことしているのだろう)。
・「だ」「である」で済むところで、やたらに「だろう」「ではなかろうか」「であるかもしれない」「ではないともいえない」などが続く(文章全体がぐずぐずした感じを与える)
・むやみに断定する。「……だ」「……である」「……にほかならない」「……でなくて何であろう」「……以外の何ものでもない」が続く(頭ごなしにたたき込まれる感じになる)
 じゃあどないせいっつうんや。要は「むやみに同じ調子を続けてはいけない」と言いたいんだろうが、統一性も必要だろう。これでは何も言っていないのと同じ、とはいえなくもないかもしれない。

【引用部】
 「石みたいに硬い」を「石みたく」という人がいる。「……を見た様だ」から転じた比況の助動詞「みたいだ」の「たい」の部分を希望の助動詞と混同しているのだろうか。あるいは、「石みたいに」全体を一つの形容詞と錯覚しているのかもしれない。
「少し多めに入れる」を「多いめ」という人もいる。「長め」「短め」「高め」「低め」などは問題ないし、「薄め」も抵抗がないが、その反対の「濃い」のように語感が一音節しかない場合は、「濃め」のコだけで意味がちゃんと伝わるかどうか頼りない感じがする。それで、つい「濃いめ」といいやすい。「多い」のオオもいささか心細いのだろう。(p.188)
 前半は何書いてあるか判んなーい。これを読んで趣旨を理解できる人がどのぐらいいるのだろう。個人的には、「みたく」を使うことはなさそうだから放っておこう。「みたいに」は話し言葉としてなら使いそうだな。バカであることを臭わせるために「みたく」も使うだろうか。ここの「あるいは、」や次の段落の「それで、」なんて接続詞、使っていいの?
「濃め」と「濃いめ」ね。意識したことがなかった。たぶん、「濃いめ」を使っている。ワープロも、「濃いめ」しか変換してくれない。引用部のあとに「濃緑」が「こみどり」のほかに「こいみどり」も広く使われている、とある。こちらはなぜか「こみどり」しか変換できない。「濃緑」なんて語彙になかったもんね。深緑(ふかみどり)とか濃紺(のうこん)とか(と?)ならあるけど。それにしても、「多いめ」なんていう人がいるのだろうか。
 このあとに続くのが、おなじみの「とんでもありません」「とんでもございません」。「とんでもないことです」ではていねいさが不足するのでゴザイマスをつけたければ「とんでもないことでございます」になるはずだが、伝統的に「とんでものうございます」としたほうが「簡潔でこなれた感じになる」らしい。年配者はみんなそういうけどさ。そんな年寄りくさい表現を使う人はほとんどいないんだよね。
 よく判らないのは、「申し訳ない」は「申し訳ありません」とか「申し訳ございません」と言っていいんだろうか、という問題。「とんでもない」と同じことだと思う。p.180に謝罪表現のひとつとして「申し訳ありません」があげられている。「申し訳」は名詞でもあるので、「申し訳がありません」「申し訳がございません」とするのもアリ?

【引用部】
 いつだったか、浦島太郎のレコードを聴いていた。乙姫さまのことだった気がするが、語りのなかに「それはそれは美しいでした」ということばが出てきて、おやおやっと思った。「美しかったです」とすれば抵抗は減るが、まだすっきりとはしない。「きれいだ」とはいっても「美しいだ」とはいわない。「きれいです」は問題ないが、「美しいです」にはまだ多少ひっかかるものを感じる人がいる。私もそのひとりだ。
(中略)手もとにある三十年有余を経た古い本にこう書いてある。「歯がゆいです」は「歯がゆく思います」、「多いでした」は「たくさんありました」とするのが穏当であり、「出れる」「見れない」などは許容するわけにはいかない。(p.190〜191)
 なんでいきなり「ラ抜き言葉」の話になったのかは凡人には理解できない。この場合は、「古い本」にそう書いてあったのだろうが、そうだったとしても、もう少し書き方があるだろうに。
 やっぱり「美しいです」「美しかったです」は美しくない(「美しいでした」は日本語ですらない)。問題は「歯がゆいです」の修正案が「歯がゆく思います」になり、「思います」がついてまうことと、「たくさんありました」の類いは類語がない場合にうまく書きかえられないこと。「歯がゆいです」の場合は、「歯がゆい限りです」なんてのもありそうだな。
 この記述がある章のテーマは「用語の不注意」で、例によってさまざまな話が脈絡もなく並んでいる。先の引用部の次には、「そのほうが自然のようだ」「それは一見、不可能のようである」の「自然」「不可能」は名詞ではなく形容動詞としての用法だから、ノではナにするほうが無難と書いてある。名詞という解釈もできそうだけどね。たとえば、「そのほうが正論のようだ」「それは一見、正論のようである」のように、この文脈では名詞も入る。ただ、名詞の「自然」と解釈すると、意味が少し変わる気がする。「不可能」のほうも、名詞と見るのは少し無理がある感じがする。うまく説明できない。

【引用部】
 ことばは時代とともに変わる。おかしいものと正しいものとの境界も移る。だから、世代によって判断の違う微妙な領域がいつもある。「春っぽい花」「公園っぽい場所」「電車の前っぽい席」などという「っぽい」の用法は、ある年齢以上の人間にはまだまだ抵抗が大きい。「すごい足が速い」「あいつ、すっごい元気だ」のように、「すごく」の意味で使う「すごい」なども同様だろう。「こっちのほうが全然お買い得だ」のように「断然」の代わりといったおもむきの「全然」の用法にもまだ抵抗があるように思う。(p.191)
「っぽい」は、使い方しだいとしかいいようがない。「前っぽい」なんて使い方はバカっぽくてヘン。「すごい」と「すごく」は、要は形容詞か副詞かってことだよな。「全然」はおなじみ。

【引用部】
 (前略)「生きざま」という語は、ある座談会で大岡信が嫌いなことばの一つにあげ、谷川俊太郎が同感と応じ、辻邦生がうなずいた現場を私が司会として目撃した因縁のことばである。(p.192)
 やっぱり「生きざま」はアカンのかね。使いやすい言葉なので、よく見かけるんだよね。お歴々が認めてないんだからダメなんだろうな。小林信彦も強硬に反対してたしなあ。

【引用部】
 「あの夫婦もとうとう結婚して十年ぶりにようやく念願の子宝に恵まれた」といった例が話題になったことがある。が、こういう「ぶり」の用法になると、あまり目だった反応を示さない人が多いようだ。(p.192)
 これは「ぶり」の用法の解説。この例文はよくない。「とうとう」が気になってしまう。位置がよくない、肯定的なことに使っているのが不自然(アリかな?)、「ようやく」と言葉がダブる、とみごとなまでにヘン。修正案として「結婚後十年にしてようやく」をあげているが、「にして」は語感が古い、ってのはインネンかな。

【引用部】
 「あのお宅ではいまだに白黒テレビだそうですよ」などというのはどうだろう。違和感を持つ人はさらに少ないような気がする。問題は「いまだに」の使い方である。「依然として」と言い換えても完全なまちがいではないが、「いまだに」は「いまだ」に「に」がついたことばである。「未(いま)だ」とあるからには打消に使うのが本来の用法だったはずだ。(p.192)
 例文に出てくる「だそう」は、やはり美しくない。「だそうだ」にでもなるとさらに美しくなくなる。主として語感の問題なんだろうが、うんと屁理屈をこねると、断定調の「だ」と推定の「そう」の組み合わせはヘン(「死んだそうだ」のように動詞の語尾変化の「だ」ならさほどヘンじゃない)。それはさておき、たしかに「いまだに」も本来は「+否定形」で使う言葉なのだろう。ただ、「いまだに」は、その名残りか、否定的な内容に使うことが多い気がする……と書いて、そうでもない気もしてきた。
  1)「いまだに白黒テレビを見ている」は否定的
  2)「いまだに古い風習が残っている」は中立(?)
  3)「いまだに伝統的な製法を守っている」は肯定的
 2)と3)は、「いまだに」を削除したほうが自然ではないだろうか。よう判らん。

【引用部】
 送り仮名では、「短かい」「必らず」と送りすぎるのが東西の横綱とすれば、「断る」でいいのを「断わる」とし、「賜る」で充分なのに「賜わる」とするのが送りすぎの非運の両大関だろうか。「非運の」というのは、行政の気まぐれにでも翻弄されたのか、栄誉ある正則の座から許容の座へとすべり落ちたからだ。いずれも、昭和三四年の内閣告示で正則として幅を利かせていたものが昭和四八年の内閣告示で許容に転落して冷や飯を食わされるという不幸な星のもとに生まれたことばであるという。「表わす」「現われる」「行なう」も同じ理由で今は肩身の狭い思いをしている。「承る」を「承わる」と書く例もよく見かける。ご丁寧に「受け承る」と重ねる例さえ散歩の途中に近所で発見した。このあたりはさしずめ三役クラスというところだろう。(p.196)
 ここで問題です。三役クラスはどれでしょう。
 文章の流れから考えると、「表わす」「現われる」「行なう」「承わる」だろう。これはヘン。内閣告示に翻弄された点で、「表わす」「現われる」「行なう」は「断わる」「賜わる」と同格のはず。単なる間違いの「承わる」と並べられては堪らない。
 この正則の話は初耳。ちゃんと調べてみる価値はありそうだが、一般人には関係ないよな。
 このほかに「複合語の法令・公用文における許容」が184語(「打合せ」「取扱い」「申込み」など)あり、慣用として送り仮名の省略が認められているのが307語(「売主」「肩書」「差出人」など)あるそうな。「新聞・放送・教育では本則を適用することになっているので、並の人間にはとても全部はマスターできない」とあるが、新聞は独自で送り仮名の規則を作っているはず。どっちにしても「とてもマスターできない」ことに変わりはないけどさ。

【引用部】
 この複雑怪奇な現実に忠実に適応しようとすると、全体としてつじつまの合わぬ乱雑な表記になりやすい。素人が表記による悪文から脱出する道は限られている。すべて本則どおりに書くか、従来の世間の慣用に忠実に書くか、自分の美意識にしたがって自由奔放に書くかの三本だろう。それ以外に自信をもって推薦できる道はない。(p.197)
 これはメチャクチャ。一般論として、具体的な違いをはっきりとさせないでオススメを3つも示すのは不親切。それ以上に問題なのは、この場合3つとも「脱出する道」になっていないこと。「本則どおりに書く」のがむずかしいことは、自分で主張している。「従来の世間の慣用」ってなんですか? こんなものがあるのなら教えてほしい。「自分の美意識にしたがって自由奔放に書く」って、それが素人が「表記による悪文」を書いてしまう原因なんじゃないの? この3つは「自信をもって推薦できる」んですか。バカバカしいにもほどがある。

【引用部】
 訓読みのことばは和語だから、たいていは仮名書きでも伝わる。しかし、あまり仮名ばかりが続くと、語形が埋没してぱっと意味がとりにくい。そのため、和語を仮名書きにする習慣のある人はどうしても漢語の使用が増える傾向があるようだ。(p.200)
 表記に関する記述は「傾聴に値する」。著者の用字法は、おおむね次のように纏めることができる。
・漢語は漢字で書く
・和語でも実質的な意味をもつ名詞は、一般に漢字のほうが読みやすい(「花」「花見」「石」など)
・とくに一音節の名詞は仮名書きすると読みにくい(「芽」「歯」「戸」など)
・動詞や形容詞は、実質的な意味をもつ場合は、語頭が漢字のほうが意味の把握が早い(「裂く」「織る」「早い」「貧しい」など)
・複合動詞は主たる意味が後要素にある場合は両方を漢字で書きたい(「立ち去る」「取り扱う」「消え残る」など)
・その他の品詞の和語はできるだけ仮名書きにする
・以上は常識的な範囲の漢字で、難解なものは仮名書きのほうが読みやすい
 まずインネンから。ほかの部分にもいろいろな例があるけど、「漢字で書く」「漢字のほうが読みやすい」などと表現を変える必要があるのだろうか。できるだけ原文に従って書いたら、うっとうしくてしょうがない。こういうのを、「表現に変化をつける」っていうのかな。並列の場合はできるだけ同じにしないと、ヘンなニュアンスが加わる場合がある。「漢字で書く」を優先するなら、「漢字のほうが読みやすい」は「読みやすさを考慮して漢字で書く」といった要領で統一すりゃいいじゃないのかな。
「実質的な意味をもつ」ってのは判りにくい場合もあるけど、ほかに書きようがない。動詞の場合は「具体的な動作を伴う」とか書いたりするけど、大きな変わりはない。
 こういった基準で書くと、一般的な表記法とはかなり違ってきて、全体にひらがなが多くなる。この本が内容の割には読みやすいのは、この表記法によるところが大きい。ひとつの試みとして参考になる。とくに、複合動詞の表記法の話は泣かせる。
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