読書感想文/『読ませる技術』(山口文憲/ちくま文庫/2004年3月10日第1刷発行)

 とっくにアップしたと思っていた(泣)。
 たぶん2004年くらいに書いたもの。

 サブタイトルは「書きたいことを書く前に」。2001年3月にマガジンハウスから単行本として出版されたときのサブタイトルは「コラム・エッセイの王道」だった。
 先入観があって軽視していたが、これはかなり強力。「コラム・エッセイ」部門では最強じゃないだろうか。続編の原稿書きに苦戦中の身としては、いろいろ考えさせられた。
【引用部】
 うまい文章を書く秘訣というのはありません。あれば私がとっくにやってますし、絶対人に教えたりなんかしないでしょう。
 でも、まずい文章を書かないコツはあります。(山口文憲『読ませる技術』p.13)
 冒頭からこれだも。偉そうじゃないし、力みがないからスルスル読めてしまう。
 やっぱりこの方法が正しいんだろうな。「悪い例」を反面教師にするほうが話が早い。うまい文章のパターンの解析が可能ならいいんだけど、事実上不可能なんだから、反面教師方式しかない。
 うまい文章にはパターンがないが、まずい文章には一定のパターンがあるそうな。したがって、対策を立てることができる。 
【引用部】
 車の運転のことを考えてみてください。車の運転は習えば誰でもできますが、F1レーサーには誰でもなれるわけではない。そもそも「F1レーサーになってやろう」なんて破天荒な考えで自動車教習所に通う人はいないでしょう(いたら困ります)。自動車の運転を習うときは、まず止め方、曲がり方から覚えます。つまり、とりあえずまずい運転をしないコツを身につける。ぶつからない方法を学ぶ。だから誰にでもできるんです。文章だって同じことです。まあ、文章の場合は、まずい運転をしたって、自分が死ぬわけでも人を殺すわけでもないから、いいようなものですが……。(山口文憲『読ませる技術』p.14)
 以前から考えていた「技術」と「才能」を説明する「例え」。この運転の話も考えた。よかった、書かなくて。ほかには、スポーツ、描画……とかいろいろ考えられる。文章を書くことに関して基本的技術を軽視しがちなのは、なまじ日本語に慣れ親しんでいるからだろう。そりゃ日常的にフツーに使ってるんだから、文章だって書けると思うよな。
 そう考えると、「外国語と考えろ」という清水幾太郎の極論に近づいていく。たとえば、英語に相当堪能な日本人がいたとする。その人が書いた英語の文章は、意味は通じるだろう。しかし、それが自然な文章かというと別問題。ましてうまい文章だなんて可能性はきわめて低い。これと同様で、日本語をフツーに扱える人が日本語の文章を書く場合も、自然な文章やうまい文章を書くのは簡単なことではない。
 本書の話に戻ろう。続いて具体的なポイントが紹介される。
  (ポイント1)すでに誰かが書いていることは、書いてはいけません。
  (ポイント2)世間の常識をなぞってはいけません。
  (ポイント3)身近なことを書けばいいんです。
  (ポイント4)オリジナルな切り口で勝負する。
 それぞれの説明が適確なうえにおもしろいからたまりません。
【引用部】
 ではそこをクリアするにはどうしたらいいか。新聞や雑誌に載っている投書というのは、だいたい半分が「たんなる正論」、あとの半分が「たんなる俗論」なので、とてもいい教材になります。(山口文憲『読ませる技術』p.19) 
「大半が正論」なら誰でも書けるけど、この「正論」と「俗論」の話はおみごと。全文引用したいぐらい。それはさておき、「半分が……、あとの半分が〜」という表現はよく見るけど、問題視している記述はあまり見ない。「あとの半分」だと「全体の1/4」に見える、ってのはヘリクツかね。かと言って、「半分が……、残りが〜」はちょっとヘン。「半分が……、残り半分が〜」ならマシかな。もっとシンプルに「半分が……、半分が〜」でいいのかな。前にチェックした例を調べてしまった。『仕事文の書き方』のp.48で、こちらは「一部が……、残りの一部が〜」だった。こうなると「残りの大半」がどこかに行ってしまう。
【引用部】
 たとえば四ブロックでできている文章を書いたとします。これが、規定枚数二枚のところ、全部で四枚になってしまった。どうしよう。だったら四ブロックそれぞれを半分に切ろうか。そうすれば全体の構成はそのままで二枚に収まる。たいがい、こう考えます。でも、これは絶対にやってはいけません。均等削り、チョイ削りはダメなんです。黙って一、三をとるか、二、四をブロックごと削るしかない。
 その場合、正解はまず「一を削れ」であると申し上げて大過ないと思います。(山口文憲『読ませる技術』p.57)
 このあとに紹介されているエピソードが傑作。編集者時代の村松友【視】が作家から40〜50枚の原稿を渡されると、頭から10枚ぐらいをロクに読まずに捨ててしまう。すると、原稿は必ずよくなった。この話に感動した嵐山光三郎がマネをしたら作家に殴られた……オチまでみごと。
 素朴な疑問が湧く。「書き出しに気を配れ」って心得はどこに行ってしまうんでしょ。話が逆で、ヘンに書き出しに凝るからこういうことになるんだろうな。
【引用部】
 だいたい頭は余計なことを書くんです。だから削ったほうがいい。
 たしかに、頭が書けると九割書けたような気がするというのも、一方の真実としてはあります。けれども私の経験からいうと、頭に凝るときというのは、中身があまりよくできていないときです。
 それを避けるには、いきなり核心の部分から書き始めるのがいいかもしれません。いまはワープロも普及していますから、それでもまったく不便はない。(山口文憲『読ませる技術』p.58)
 一応「私の経験からいうと」「かもしれません」と断言はしていないが、確信している気配がある。
【引用部】
 よく文章には形があるといわれています。昔からいわれていて、誰でも知っているのが「起承転結」です。「起」で始まり、承で受けて、転じて結ぶ。ほかに「序破急」というのもありますね。これは能からきているんでしょうか。序(導入)で始め、破(展開)で趣向を変え、それから急(終結)で収める。いろいろありますが、あまり気にしなくていいんじゃないかと思います。(山口文憲『読ませる技術』p.93〜94)
 ほかの部分を加味すると、コラム・エッセイに限れば、ヘンに組み立てに凝ろうとするよりも「核心から」が正解だろう。
 p.94〜の「入口」の話のなかにも、〈いきなり入ったほうがいい〉〈助走、前戯——なんでもいいんですが——なるべく短く。そして大胆に〉〈文章も、そうやってポーンと出たほうがいいんです〉と繰り返している。ただし、〈いくら出足がよくても、思わせぶりな書き出しはやはりバツでしょう〉とのこと。
【引用部】
(例文)
 一瞬白い閃光を見た。同時に身体がふわっと宙に浮く感覚があった。グシャリと何かがつぶれる音を耳の奥で聞きながら、ああこれで死ぬんだなと思った。記憶はそこで途切れている。意識が戻ったのは自動車事故から十日目。集中治療室のベッドで、被害者は、自身の命と引きかえに、同乗していた妻と右足を失ったことを知らされる。原田進、四十三歳、埼玉県西部でクリーニング業を営む……(山口文憲『読ませる技術』p.95)
 新聞の企画もので「人間どきゅめんと」みたいなタイトルにありがちな書き出しとして紹介されている。これはクサい文章の見本にできそうだな。解説がなかなか厳しい。
【引用部】
 なんでフツーに書けないのか、といいたくなります。本人は気のきいた書き出しのつもりなんでしょうが、こういうのはいただけません。悪しき文学趣味というか、ただ思わせぶりなだけ。昔、加藤茶がやってた「ちょっとだけよ」のほうが、よっぽどセンスがいい。こういうのを真似してはいけません。
 ついでにいえば、これ系の文章が、わざと人称をはぶいて、書き手が勝手にひとの思いや体験に入り込む手法も大バツでしょう。「一瞬白い閃光を見た」って誰が? 「ああこれで死ぬんだなと思った」って、誰が思ったの?(山口文憲『読ませる技術』p.96)
 たしかにクサい文章だけど、ここまで言わなくてもいいのに。「悪しき文学趣味」だし、「ただ思わせぶりなだけ」なのは認めざるをえないけど。「ちょっとだけよ」以下ってのはアンマリ。
 p.99〜のテーマは〈ロジックをはっきりさせるためのブリッジ〉。ずいぶんさらりと書いてあるけど、内容はすごく「深い」気がする。
【引用部】
 ロジックがしっかりしていれば、文章のブロック同士は、「けれども」とか「しかるに」とか、「なお」とか「また」といったことばでつなげることができるはずです。ですからまず、自分が書いた文にそういうものが入りうるかどうかをチェックしてください。それがうまく入らないようなら、ロジックがまちがっているんです。(山口文憲『読ませる技術』p.100)
 この論法は初めて見た。
 このあと、ブロック同士をつなぐ「ブリッジ」に「しかし」を使っていけないと書いてある。「しかし」はBUTとは〈かならずしも同じじゃない〉らしい。
【引用部】
 たとえば、「また」とか「いっぽう」、つまり並列の場合も「しかし」でOKですし、前の命題を保留したり、条件をつけたりするときにも「しかし」が使える。「AはBである。しかしCでもある」「AはBである。しかしCではない」という具合ですね。「しかし」は一種の間投詞と考えてください。「しかし暑いねえ」なんていうでしょう。でも、なにが「しかし」なんだかわからない。「それにつけても」という意味しかない。「それにつけても金の欲しさよ」という万能の下の句と同じで、どんな上の句にもつながってしまう。(山口文憲『読ませる技術』p.100〜101)
 こうなってくると、なにがなんだか判らない。「しかし」を使わず先の【引用部】にあるように「けれども」を使えってこと? なんだか巧妙に論点をズラしている気がする。虚をつかれたのは「しかし暑いねえ」の用法。たしかにこういう使い方はする。「けれども」とか「でも」にはこんな用法はないから、かなり特殊。会話だと、反論でもないのに「でも……」とか「逆に言えば……」といった言い回しをする人は多い(他人事じゃねえ)。単なる口癖なんだろうな。けれども、「しかし」を「一種の間投詞」と解釈するのは無理だろう。
「AはBである。しかしCでもある」「AはBである。しかしCではない」は両方ともアリ。それは「しかし」が曖昧なのではなく、文脈による。なんだかこのあたりは清水幾太郎の「ガ、」の話を想起させる。
 感心したのは、チェック後の話。
【引用部】
 さて、チェックがすんだら、いまの話はすっぱり忘れてください。
 理科系の論文のようなものをご覧になるとよくわかりますが、この手の文章は「あるいは〜また〜したがって〜」の大連続です。「ここに一個のリンゴと一個のリンゴが存在する。両者の和は、従って二個になる」みたいな書き方をするんですね。もちろんある種の文章は、どこにもちがう解釈の余地を残さないためにそう書く必要があります。法律の文章などでは、接続詞のひとつひとつを厳密に定義して使います。でも、普通はしません。接続詞を入れずぎるとうるさくなりますから。
 ですから、チェックのときは接続詞を入れてみなければいけない。しかし、本番ではできるだけ外していく。これが基本だと思いますね。つぎの例を見てください。(山口文憲『読ませる技術』p.101)
 こういう書き方ができるのは、コラム・エッセイに対象を絞っているからだろうな。実用文全般に話を広げると、こうはいかない。それにしても手口は巧妙。通常は論文だってここまで極端な書き方はしない。しかし、こういうふうに書かれると「そう、そう」と思ってしまう。「チェックのときは接続詞を入れ、本番ではできるだけ外す」は、コラム・エッセイに限れば極意になる。論文の場合とのサジ加減がむずかしいんだが。
 このあとの例文は、さらに巧妙。
【引用部】
(例文)
 二十代の頃の私は、ずっと東京へ出たいと思っていた。だが、そんな私の思いを知りながら、父は首をたてに振ることがなかった。そこであるとき、私は伯父に父の説得を頼んだ。また伯母にも口添えをしてくれるようにいった。つまり、私の味方を二人こしらえたわけだが、にもかかわらず、父の態度には少しも軟化の気配がなかった……(山口文憲『読ませる技術』p.102)
〈傍線のことばはなくても通じる。というか、ないほうがすっきりします〉と書いてあるが、当たり前だ。「ないほうがすっきりする」例文を作っているのだから。しかも、趣味の問題では片づけることができないように計算し尽くしている。もし計算づくでなくこの例文を作ったとしたら、天才。どこが巧妙なのか、細かく見てみよう。まず、接続詞を抜き出して一般的な役割を書き添える。
1)だが(逆接)
2)そこで(順接)
3)また(並列・追加)
4)つまり(説明・補足)
5)にもかかわらず(逆接)
 一般論として、いちばん削除しやすいのは「順接」の2)。この場合は「話題の転換」の接続詞に近い働きをする「あるとき」を併用しているから、ますます不要度が高くなっている。「あるとき」を削除してみるとよく判る。それなら「そこで」はあってもいい感じになる。
 3)の「また」。一般論として、ほぼ外せる。後ろの格助詞を「も」にすれば、外せる可能性は高くなる。この場合は、すでに「も」に準じる「にも」を使っている。文脈も明らかな「並列」だから、不要度が高い。
 4)の「つまり」。これももともと不要度が高い上に、強い因果関係を示す「わけだ」を併用してダメを押している。
 1)と5)は「逆接」だから原則的には削除できない。ところがこの場合は、「逆接」の働きがある接続助詞(「ながら、」と「が、」)を併用しているから、1)と5)はもともと不要なのだ。文の結合によって接続詞を削除している形であることは、少し書きかえれば判る。
  【原文1)】(接続詞アリ)
   父はそんな私の思いを知っていた。しかし、首をたてに振ることがなかった。
【書きかえ文1)】(接続詞ナシ)
 そんな私の思いを知っていたが、父は首をたてに振ることがなかった。
【原文5)】(接続詞アリ)
 つまり、私の味方を二人こしらえたわけだ。しかし、父の態度には少しも軟化の気配がなかった。
【書きかえ文5)】(接続詞ナシ)
 私の味方を二人こしらえたわけだが、父の態度には少しも軟化の気配がなかった。
【原文5)】の「つまり、」を残したくなるのは、一文が短くてリズムが悪く感じるからだろう。リズムを無視するなら、削除しても支障はない。こんな巧妙な手口で接続詞をおとしめるのは反則だよー。まあ「技あり」ってことにしておきましょうか。
 p.102〜のテーマは〈ロジックをごまかすためのブリッジ〉。真っ先にあげられるのが「〇〇といえば」。
【引用部】
 この「〇〇といえば」は、ふたつの近親性のあるイメージをつなぐときに使うのが基本です。だから「夏といえば朝顔」はアリですが「冬といえば朝顔」はない。用例をさかのぼれば、いきつくところは、たぶん「春はあけぼの」でしょう。「春は」の「は」が「といえば」になっている。清少納言の時代から、もう千年ぐらいの歴史のある用法なんですね。(山口文憲『読ませる技術』p.103〜104)
 この着眼点は、みごとすぎる。
 このほかにもブリッジの例をあげている。
・閑話休題(本来はつながらない文章をつなげるとき)
・それはともかく/ともあれ(その話題から出ていくとき)
 p.141〜の〈気をつけることアラカルト〉。解説の壇ふみは〈この項だけでもいままで読んできた「文章読本」をひっくるめたくらいの価値がある〉とたたえている。たしかに価値は高い。
【引用部】
〔比喩〕
 比喩は文章の味と香りを決める大事な調味料ですが、あまりに手垢のついたアホらしい紋切り型はよしましょう。「りんごのようなほっぺ」「白魚のような手」「水を打ったような静けさ」などなど。(山口文憲『読ませる技術』p.143)
 比喩が怖いのは、「アホらしい紋切り型」や「悪しき文学趣味」と非常に仲良しだからだろうな。だから安易に使ってはいけない。



読書感想文/『大人のための文章教室』(清水義範/講談社現代新書/2004年10月20日第1刷発行)

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mixi日記2010年07月25日から

■オススメ度 ☆☆☆(3段階)
■レベル 初級者
対象文章 実用文全般

 この著者が書いた文章読本なら、読む前から☆☆☆印は約束されたようなもの。理由はいくつかある。
1)日常語を使って作品を書いている作家の代表格である
 これは「作品によって」という注釈がつく。いくつかの作品では、雰囲気づくりのために日常語から離れることもあるが、それはまた別の話。
2)説明がウマい
 講談社から出ている教科をテーマにしたシリーズが典型で、むずかしい問題をわかりやすく説明するのが抜群にウマい。コンビを組んでいるサイバラ画伯の強烈なツッコミの対象にされるオヤジくささも、持ち味のうちだろう。
3)文章について語っている実績がある
 子供向けの作文教室を主催していて、その経験をもとにした書籍も書いている。
 手元にあるのは子供向けの文章読本だが、侮ってはいけない。たとえばこんなことが書いてある。

【引用部】
 遠足のうちで、一番心にのこったこと(おもしろかったことでも、腹が立ったことでも、ドキッとしたことでもいい)を中心にして、それだけを書くようにしたほうが、いい作文になります。(『清水義範の作文教室』ハヤカワ文庫/p.56)
 これは遠足のことを書く作文へのアドバイス。大人相手にこんなアドバイスをしたら怒られるかもしれない。しかし、ちょっと表現をかえると、文章読本でよく目にするアドバイスになる。「主題を絞り込む」「余計なことは省く」みたいな心得と、本質的にはかわらない。
 大人が書く作文(旅行記や身辺雑記)も、短めのものに限れば、主題と構成に関してはこれでほとんど話が終わってしまう。〈一番心にのこったこと〉を〈中心にして、それだけ〉を書けばいい。起承転結にするべきかどうか……なんてことを考える必要はない。長めのものになると、ちょっと事情がかわってくるけれど。
4)個人的に好きな作家である
 そういう個人的な好みの問題を持ち出してはいけません。

 個人的に「この人の書いた文章読本ならぜひ読んでみたい」と思う作家が何人かいて、本書の著者もそのひとり。「満を持して書いた」(こういう使い方はやっぱり誤用かな)というか「待望の一冊」というか、それだけ期待して読みはじめた。ちょっと肩透かしを食わされたような気がするのは、あまりにも期待が大きかったせいもあるのだろう。
 全体の印象としては、先に紹介した『読ませる技術』に近いものを感じた。文章のウマい書き手が文章のことを書くと、こういう印象になるのだろうか。もともと文章がウマいうえに、むずかしい問題は要点だけをあげてサラリと書いてしまっているから、スラスラ読める。あっという間に読めてしまい、印象に残る部分が少ない。「淡きこと水のごとし」とでも申しましょうか。
 初心者向けの文章読本としては、間違いなく☆☆☆印だが、物足りないところもある。「この問題はもっと深く掘り下げてもらいたい」ってとこはたいていサラリとかわされてしまう。まあ、そういう問題を深く掘り下げると、こんなにスラスラ読める文章にはならないとは思うけど。
 どういうことなのか、具体的に見ていこう。接続詞をテーマにしている〈第二講〉から引用する。

【引用部】
 文法のことはあまり考えないほうがいい。接続詞には、順接の接続詞と、逆接の接続詞があると習ったなあ、と思い出しても、頭の中は少しもすっきりしないのである。
 接続詞と接続助詞とには、どういう関係があるのか。接続詞なのか副詞なのか判断のむずかしい語もある(前の項で、私が作文のへたな小学生の使う接続詞としてあげている「まず」は、もちろん正しくは副詞である)。接続詞は品詞の一種として独立させていいものなのか。
 というようなことも学者には論考されているのだが、そういうのは学者にまかせておけばよい。我々としてはただ、文章と文章をつなぐ語を接続詞だとして、それにはどんな種類があるのかを知っていればいいのだ。(p.33)
 フツーに文章を書くときには、この程度の認識で十分だろう。ただ、前にも書いたように「逆接の接続詞」と「逆接以外の接続詞」では性質が違うことだけは意識しておいたほうがいい。
 このあと本書は、まずいろんな接続詞を使うことをすすめ、次の例文をあげる。

【引用部】
「私は××な人間である。その上、××も苦手なのだ。それは××のせいである。つまり、××なのだろう。ところが、そんな私が××した。なぜなら、××だったからだ。すなわち、××だということだ。やっぱり、私も××なのだ。また、××でもある。だから、私はこう思う。(以下略)」(p.37)
 こういうふうに接続詞が目立つと文章が理屈っぽくなるので、〈どうしてもこれがないと意味が伝わらない〉もの以外は削除してしまうことをすすめる。

【引用部】
 つまり、接続詞をどう使えばいい文章になるかの技は、頭の中では大いに意識しつつ、実際にはあまり使わないこと、なのである。(p.38)
 この論法は、『読ませる技術』と同じ。そのあとに、先の例文の接続詞を削除してみせる手法も同様だ。

【引用部】
「私は××な人間である。××も苦手なのだ。××のせいである。××なのだろう。そんな私が××した。××だったからだ。××だということだ。私も××なのだ。××でもある。私はこう思う。」(p.39)
 こうしたほうがスッキリはする。しかし、文章の細切れ度が高くなるため、稚拙な文章に近づく。著者はそんなことは承知のうえであえてやっていて、ではどうすればいいのかって話になる。

【引用部】
 多くの場合は、すべての接続詞を消してしまうことはなくて、要所要所に理解を導いてくれる接続詞が残っていればいいと思う。いずれにしても、接続詞だらけの文章は、理屈っぽすぎると感じられるのだ。(p.39)
「おっしゃるとおり」としかいいようがない。ただ、その〈要所要所〉がわからないと、なんの解決にもならない。
 ちなみに、例文中に1か所だけ「逆接の接続詞」(ところが)が使われている。これを削除できるのは、「そんな私が××した。」という文全体が逆接に近い働きをしているからだろう。「ところが」はなくてもいいのはそのためだ。「なくてもいい」のだから、ここが〈要所要所〉だと思うなら「あってもいい」。要は趣味の問題。

【引用部】
 谷崎の長い文は、読者に読むスピードを落とさせ、別世界の話をじっくりきくような気分にさせる効果を狙っているのだと思う。しかし、素人には高度すぎて危険な技なのだ。
 というわけで、ブツ切り短文ばかり並ぶのも幼稚だし、長文ばかりでは読みにくい。では、どうすればいいのかだが、結局それはリズムの問題なのである。短文と長文が程よく混じっていて、読んでいくと心地よいリズムが感じられるのが理想である。(p.45)
 これも「おっしゃるとおり」としかいいようがない。〈読んでいくと心地よいリズムが感じられる〉文章が書ければ、それだけで上級者だ。主題や構成に多少キズがあっても関係ない。しかし、〈理想〉に近づくにはどうすればいいのかを説明するのは超難問。このあとに〈見本〉として、司馬遼太郎の文章を紹介している。結局、こうやって名文を出してくるしかないのだ。
 ただし、本書は〈短文と長文が程よく混じって〉いる文章を書くためのコツにもふれている。このあたりが、名文を解説して終わらすだけの文章読本とは違う。細かく書きだすとすでに書いたことと重複するので、本書の見出しをあげて簡単にふれておく。
〈直列つなぎと並列つなぎ〉
 重文を直列つなぎ、複文を並列つなぎといいかえて、長くてもわかりにくくない文の説明している。ただし、〈直列つなぎ〉〈並列つなぎ〉とわざわざいいかえることの効果は不明。
〈重要なことは短く簡潔に〉
 基本的にはそのとおりだと思うが、本書の書き方だとビジネス文書向けの文章読本にありがちな「結論先行」の主張と誤解されかねない。
〈テンは読む人のために打て〉
 解説中に〈読点はひとつの文の中のリズムである〉と、またリズムの問題が出てくる。リズムの問題を出すと、どうしても論理性が低くなる。テンを打つ場所として具体的にあげられているのは2つだけだ。
1)重文の区切り
2)〈私は彼は文〉のとき
 2)についてはさすがに補足が必要だろう。主語が2つ並ぶ場合には〈私は、彼が日本人だと知っていた。〉のようにテンを打つほうがわかりやすいってことだ。本多読本で見た〈逆順〉の一種になる。「彼が日本人だと私は知っていた」の語順にすれば、テンは不要になる。
 テンについては、次のようにも書いてある。

【引用部】
 だが一方で、読点の使いすぎで、かえってうるさく感じられる場合もあることを知っていてほしい。山登りをしているわけでもないのに、一歩進むたびに杖をつくように読点を打つのは多すぎるのだ。次のような例である。
「彼は、山田が、電話をかけてくる、ような気がして、つい、なんとなく、待っていた。」
 どう考えても、次のように書くほうがいいだろう。
「彼は、山田が電話をかけてくるような気がして、ついなんとなく待っていた。」(p.55)
 まったくそのとおりだと思う。でもねえ。たったこれだけのアドバイスで正しいテンの打ち方が実践できる人なら、なんのアドバイスもなくたって実践できる(って、文章読本に対してこれをいっちゃおしまいか)。

【引用部】
 おまけに、あの引用だらけのせいで『文章読本』は宿命的に読みにくいのだ。ひとつひとつは文句のつけようがない名文でも、その細切れがあんなに並んでいては、それぞれ味わいやタイプが違ってくるわけだし、読みにくくってたまらない。これは私の想像だが、多くの人は『文章読本』を呼んでいて、見本の名文の引用になるとそれをとばして読むのではないだろうか。
 というわけで、本書は『文章読本』ではなく『文章教室』である。作家の名文は、こんなのを素人が真似しちゃダメですよ、というようなところに一、二例引用しただけだ。そして、たとえばこんなふうに書いてはどうでしょう、といって出てくる文章は、ほとんど私が実例を作っている。(p.205)
「あとがき」にある文章。けっこう笑わせてもらった。「そうなんです、そうなんです」と深ーく同意しつつ、反省もしてしまう。このあとに続く段落がすごい。

【引用部】
 それじゃあせいぜいお前のレベルの文章しか書けないじゃないか、と言う人がいるかもしれないが、私の『文章教室』なんだからそれは最初からわかった上でのことである。味わいの異なる細切れ文章を読まされるのにくらべれば、ずっと読みやすい本になっていると思う。(p.205)
 大笑いした。こういう開き直りが許されるのは、この著者だからだろう。並のセンセーがやったら、相当反感を買う。でも書いてあることはそのとおりだよね。
 ……ってことは、文章の上達に役立つ文章読本は、思いっきり限られちゃうんじゃないだろうか。

読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年02月日から

『敬語再入門』のamazonデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E%E5%86%8D%E5%85%A5%E9%96%80-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4062919842

 いやぁ、すごいわ。
 敬語に関するいいテキストはないかと考えていたところ、偶然教えてもらった。
おおざっぱな感想に関しては下記に書いた。
【学者の言葉〈3〉── 専門用語の誘惑】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821238682&owner_id=5019671
================================引用開始
 最近、『敬語再入門』(菊地康人)を読んでいる。1項目ずつ噛み締めているからなかなか進まない。もう少しで読み終わるので、『敬語』のほうに進みたい。「進みたい」は正確には「戻りたい」にするべきだろう。元々あったのは『敬語』で、その入門編とも言えるのが『敬語再入門』。『敬語』のほうがボリュームが倍近くあり、内容も盛りだくさん。当方の手に負えるのだろうか?
 それはさておき『敬語再入門』いついて。いやー、スゴいわ。訳のわからないバイト敬語を別にすれば、各種の質問板でとびかっている敬語関係の疑問のほとんどが解決する気がする。手元にある敬語関係の本がいかにいい加減かよくわかる。ネットでとびかっている珍説が哀れにさえ思える。
 言語学の専門家であることが随所にうかがえ、解説がイチイチ論理的で深みが感じられる。
 しかも、むずかしい言葉はほとんで出てこないので、当方のレベルが読んでもよくわかる。不明点もいくつかあるが、それは単に当方の勉強不足だろう。一般人がわからない言葉は使っていない。こういうのが「貴重な学者」の業績なんだろう。
 むずかしい文法用語や、一般人がわからない専門用語なんか使わなくてもあれだけの文章が書けるのは驚異なのかもしれない。あやかりたい、あやかりたい。
================================引用終了

 少しテクニカルなことを書くと、本書は原則1項目2ページで構成されている。行が余って余白が出ているところはほとんどない。編集関係の仕事をしている当方から見ると、こういうちゃんとした内容の本でこういう体裁にするのはとんでもない力業。神業と言ってもいいかも。
 それとちょっと余計なことを書くと、巻末の「敬語便利帳」を見て驚いた。当方が「不規則敬語」と呼んでいる(本書では「特定形」などと呼んでいる)動詞の一覧がのっている。これって、Wikipediaの「不規則動詞一覧」の表とよく似ている。まあ、同じような形になるのはしかたがない気もするけど……。ちなみにWikipediaの参考文献には『敬語』のほうが入っている。
 パクったとするとWikipediaのほうだろうな……と思いながら見比べてみると、中身はかなり違う。興味のあるかたはご確認ください。


【引用部】
「くださる」「おっしゃる」「いらっしゃる」も変則的五段活用です(P.49)
 深い意味はなく、ちょっとしたメモ。
【20140222追記】
 ところが、「なさる」の場合、一般的法則の通りではなく、すでに江戸時代のうちに下二段から四段活用に変わりました。四段活用は現在は五段活用になり、「なさる」も、
 ② なさらない、なさろう(とする)、なさいます、
   なさり(中止形=テン(、)の前の形)、なさって、
   なさった、なさる、なされば、なさい
と活用するようになりました。普通の五段活用とは少し違うので(普通の五段活用なら「なさいます」「なさい」でなく「なさります」「なされ」となりところです)、変則的五段活用とでもいえるでしょう。「くださる」「おっしゃる」「いらっしゃる」も変則五段活用です。
現代の標準的な使い方は、この②です。(P.48〜49)


【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。

【引用部】
「くださる」は本来は恩恵を受ける場合の表現ですが、実際にはそうでない場合にも拡張して使われることがあります。(→§4)。「ください」は文法的には「くださる」の命令形ですが、恩恵を得るという原義とは無関係に、たとえば道を尋ねられて「そこを右に曲がってください」というように(この場合、話手には何の恩恵もないわけですが)広く使われ、依頼、要求などの表現として定着しています。(P.57)
 この説明を見る限り、「~ください」は「尊敬語の命令形」で間違いないようだ。「尊敬語の命令形」なんてアリなの?


【引用部】
Q.「いい所にお住みですね」……少し変でしょうか。
 §20の「お~です」の形で、理屈上は誤りではないはずですが、普通、「お住みです」ではなく「お住まいです」と言います。ナル敬語も「お住まいになる」が普通です。古語「住まふ」に由来し、名詞「住まい」も同源です。(P.60)
 さすがに最近の「○○住み」の話は知らないらしい。関係ないか。
 仮に「お住まいですか」に異和感をもつ(「知らない」という可能性も否定できない)と、「お住みですか」になる。敬語でない表現にすると「○○住みです」まであと一歩って気がする。


【引用部】
Q.「なくなる」は「死ぬ」の尊敬語ですか。
 「死ぬ」という直接的な表現を避けて婉曲に述べた故人への配慮の表現ですが、身内にも使うので、普通の意味での尊敬語とはいえません。むしろ美化語(→§52)系でしょう。「なくなられる」「おなくなりになる」と言って初めて尊敬語になり、これは身内には使えません。(P.61)
 ひとつ疑問が解けた。「なくなる」自体はやはり尊敬語ではない。
【「なくなる」「亡くなる」考 】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1600713314&owner_id=5019671
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1684998175&owner_id=5019671


【引用部】
 なお「貴社」の意で「御社」と使う人がいますが、これは比較的新しい言い方で、一種の社会方言なのでしょう(私自身の語感では抵抗があります)。(P.65)
 これは初めて聞いた。一般には「貴社は書き言葉的で、御社は話し言葉的」とか言うはず。それはなんとなくわかる。「キシャ」は耳で聞くとけっこうわかりにくい。だから「御社」が広まったのかもしれない。


【引用部】
 なお、「使いやすい」のような「動詞+やすい(にくい)」型のものは「お使いやすい」でなく「お使いになりやすい」です。「お求めやすい」は「安い」意の婉曲表現として定着しつつありますが、本当はおかしい表現で、「お求めになりやすい」というべきところです。(P.66)
 この書き方はちょっと不満。これだと「お求めやすい」は定着しつつあるから「許容」ともとれなくはない。まあ、たしかに通販番組などでよく耳にする。


【引用部】
Q.「失礼ですが、田中さんでございますか」というのは、少しおかしくありませんか。(P.111)
 P.110~111の§54のテーマは〈「ございます」と人称〉。「田中さんでいらっしゃいますか」が望ましいらしい。
 言われてみると、たしかに「田中さんでございますか」には異和感がある。しかし、「そんなヘンな言い回しは使ったことがない」と強気に言えるほどの自信もない(泣)。


【引用部】
 なお、一つの語がいくつかの用法をもつ場合もあります。§48では、「お手紙」のように尊敬語・謙譲語I両方の用法をもつ主な語をリストしましたが、その中でも「おみやげ」などは、「先生からのおみやげ」(尊敬語)・「先生へのおみやげ」(謙譲語I)のほか「子どもへのおみやげ」のように美化語としても使います(あるいは、初めの二つも美化語と見てしまったほうがよいのかもしれません)。(P.124)
 接頭語の「お/ご」の解説のなかにある記述。「お/ご」は〈機能〉の面から見ると4種類ある。
1)尊敬語
2)謙譲語I
3)丁寧語
「お暑いですね」「お寒うございます」
4)美化語
 下記に書いたように、3つの〈機能〉をもつ「お/ご」はほかにもありそう。
673)緊急! 突然ですが問題です【日本語編92】──「お料理」「お手紙」の「お」の意味 【解答?編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1813769245&owner_id=5019671
 本書の解説中にあるようにすべてを「美化語」と考えるほうがいいのかもしれない。


【引用部】
また、社外の人に同僚のことを「○○は休暇をいただいておりまして」などと言うのも、休暇は会社なり上司なりからもらうわけですから、会社/上司を高めることになってしまいます。「休暇をとっておりまして」と言うべきところです。(P.137)
 やっぱりこれが正論なのね。それはわかってるんだけど、「休暇をいただいておりまして」を×にするのはちょっと気が引ける。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1251284337
================================引用開始
1)「休みをいただいております」(「頂」はひらがなにします)
これは微妙な問題ですね。たしかにその客の主張にも一理あります。
正確に言うなら「会社から休みをもらって、休ませていただいております」なのかもしれません。いくらなんでも冗長ですからそこまでする必要はないでしょう。ただし、「お」をつけて「お休みをいただいております」のほうが一層丁寧な気がします。
もうひとつの【修正案】は、↑の後半にある「休ませていただいております」でしょう。これは「~させていいただく」の形なので、2)の問題とかかわってきます。
================================引用終了

 たとえば、取引先の偉いさんから連絡があったのに、担当者が休んでいる場合。「(お)休みをいただいております」じゃダメかな。偉いさんでなくても、「せっかく連絡いただいたのに……」という気持ちがあるなら「(お)休みをいただいております」でもいいと思う。
 ただ、発言者は年配の女性のイメージになるってことは、やはり過剰敬語なのかもしれない。


【引用部】
Q.「先生が指導していただいた」……どこか変ですね。(P.144)
 これ、けっこう基本的な問題だと思う。
 本書の解説は先生が大先生に指導してもらった場合を別にすると、おかしいとしている。
 下記のどちらかになるらしい。
  先生が指導してくださった。(尊敬語)
  先生に指導していただいた。(謙譲語I)

 それはわかるんだけど、世間でよく話題になるのはもう少しヒネった形。
  ご来店{ください/いただき}まして)(誠に)ありがとうございます。

 これだと主語(的なもの)は「お客様が」でも「お客様に」でもおかしくない。さて、正しいのはどっち?


【引用部】
Q.「では田中社長のほうからご挨拶をいただきます」のように「……のほう」を付けると丁寧になるんですね(P.151)
 典型的な「バイト敬語/若者言葉」。例外的に1ページの項目なので、丸々転載したくなる(笑)。要点だけを箇条書きにする。
・元々が方向を表わす言葉が敬意を表わす表現になることはある(「こちら・そちら・あちら」)
・しかし、著者の語感では「……のほう」は余計で不必要な印象を受ける
・こんな言い方で丁寧になると思うのはずいぶん浅薄
・概して敬語の使い方が得意でない人が使うことが多い
・過剰な「……のほう」は敬語でもなんでもなく、ないほうがよほどスッキリする
 本書では「バイト敬語/若者言葉」はあまり扱っていない。「あんなものは敬語ではない」ということではなく、問題意識が違うのだろう。できればこういう著者に詳細に解説してほしい。


【引用部】
 もっとも、ありうることと使うことは別ですし、過度にかばう気もありません。そもそも「とんでもない」は何かを難じるか、相手の言動を強く打ち消す語なので、概して敬語になじまない(相手から過分な贈答・評価・申し出などを受けた際の受け答えとしてならまだしも、という面はあり、「とんでもございません」もそうした場合に使われるようですが、それにしても相手を否定することが敬語と合わない)、というのが不自然な一因ではないでしょうか。「おきれいですね」と言われたら「とんでもございません」などと言うより、ただ「いいえ、そんな……」とはじらっているほうがよほど好感がもてるというものです。それにしても、“正解”とされる「とんでもないことでございます」は、受け答えとしてはかなり変ではないでしょうか。(P.161)
 歯切れの悪さに著者の迷いが見える、なんて書いたら怒られるかな。「ありうる形なので間違いではないが、積極的には支持できない」ってところだろうか。最後の書き方は、総理に醤油をとってもらう話を想起させる。
 この【引用部】の前にあるのは、「とんでもない」の分析。
【引用部】
①「とん」が名詞性の語で、「Nで(も)ない」式のでき方なら、丁寧形として「Nで(も)ございません」はありうる形です。
②「とんで」が「動詞+て」、つまり「Vて(も)ない」なら、さらに二つの場合に分かれます。
(a)「Vてある」の否定なら「Vて(も)ございません」はありうる形です。
(b)「Vている」の否定(「Vていない」の「い」の脱落)なら、「Vて(も)いません」/おりません」となるはずで、「Vて(も)ございません」とはなりません。(P.160)
 と分析しているが、結論はよくわからない。「とん」の語源が不明だからしかたがない。不明ながらも、もし名詞性で①なら「とんでもございません」はありうる形、としながら、先のP.161の【引用部】に続く。
 結局、専門家が見てもよくわからないってことだろう。素人にわかるわけがない(笑)。
【関連トピ紹介】1──「申し訳ございません」「とんでもございません」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41472470


【引用部】
不快感/違和感を感じますか(P.183)
 単なるメモです。


【引用部】
Q.「させていただく」、乱れてませんか。(P.191)
「バイト敬語/若者言葉」にふれた貴重な項目。2項目6ページにわたっているから相当力が入っている。イマイチ要領を得ない(←オイ!)のは、それだけ厄介な問題なのだろう。
 内容を箇条書きにしてみる。
・〈相手が、持っている資料を、好意で、私がコピーすることを許してくれる〉場合なら「コピーさせていただく」は適切な使い方
・パーティーの誘いを受けて「出席させていただきます」はやや拡張した使われ方
・「本日休業させていただきます」はやや拡張した使われ方
・結婚式のスピーチで「私は神父と三年間一緒にテニスをさせていただいた田中と申します」は、新郎新婦が特別な貴人でない限り異和感
・押しかけたセールスマンが「このたび新製品を開発させていただきまして」と言うのは「乱れ」の典型
・「乱れ」の正体は〈謙譲語Iから謙譲語IIへの変化〉
※ここがこの項目の骨子のはずだが、当方には説明しきれない(泣)。
・敬語の現状を見ると、「させていただく」の「変化」に加勢するファクターがいろいろある。
→聞手への低調さを醸し出す謙譲語IIは広まりやすい

【引用部】
 ちなみに、五段活用の場合は本来「せていただく」ですが、「読まさせていただく」式の誤用も聞きます。これも、もはや使役の原義をとどめていないということでしょう。原義を忘れて謙譲語IIに向かうのなら、むしろ、一律に「さ」入れるほうが簡単でいいのかもしれません。(P.195)
 うなってしまった。当然、その形が「サ入れ言葉」と呼ばれていることを踏まえている。それでいてこういう怖いことをアッサリ書けるのは、思考に柔軟性があるから。

【引用部】
 ところが、謙譲語IIの代表選手「──いたす」は、「──する」型(サ変)の動詞でなければ使えない、また、文末以外では使いにくい、という制約があります。つまり、先程の例なら「開発いたしました」と言えますが、「新製品を作りました」は、「──する」型動詞でないので「作りいたしました」と言えないし、「新製品を開発した業者です」も、文末ではないので「開発いたしました業者です」は不自然です。この「いたす」の守備範囲の不足を補うように「作らせていただきました」「開発させていただいた業者です」と言う、という面がありそうです。「守備範囲の広い謙譲語IIの形」を求める心理が潜在的にあって、そこに「させていただく」が入り込もうとしているのです。(P.196)
 つまりそのなんだ。こういうのを読んでしまうと、「プチ発見」のはずが単なる勉強不足になるってことだ(泣)。
446)【「~させていただく」〈2〉──プチ発見か単なる●●か?】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1692229571&owner_id=5019671


【引用部】
ごぞんじ(ご存じ) 「知っている」の尊敬語(P.257)
 巻末の「敬語ミニ辞典」に「ご存じ」の項がある。「ご存知」の表記に関してはいっさいふれていない。まあ、そういうことだ(笑)。

【20120224追記】
 書き忘れたが、本書では「敬度」という言葉が使われている。この言葉はWeb辞書にはない。そのことに気がついて以来、当方は単語登録をして遠慮がちに使っていた。これからは堂々と使う。辞書にはなくてもわかりやすい(意味を説明する必要さえ感じられない)し、「敬度が高い/低い」など、用途も多い。


 ひとつ重要なテーマを抜かしていた。本書の中に何度も出てくるが、一応理解済みの事項としてパスしていた。
【引用部】
Q.「ご利用してください」「先生もまいりますか」……どこか間違っていますか。(P.94)
 問題は前半の「ご利用してください」がなぜ誤りか。本書の解説がどうもピンと来ない。要は「お/ご~する」が謙譲語Iなので、「ご利用してください」だと聞き手に謙譲を強いることになるからだろう。解決策はむずかしくない。

【引用部】
 ②③④の「お/ご~くださる」は「お/ご~になってくださる」の縮約形で、正しい敬語です。(→§22)。つまり、「お/ご~してくださる(ください)」は一般に誤りで、正しくは「して」を取り払って、ただ「お/ご~くださる(ください)」と言えばいいわけです。(P.95)
 一般にはこれが正解。
 ちなみに、「お/ご」をつけない「~してください」の話は出てこない。やはり敬語でもなんでもないのだろうな。「~くださいませ」にしてもダメなのかな……。
 それはさておき一般に「正解」なのに例外を示しているのが下記のトピの話。これはけっこうレアケースなんだろうな。

235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1332.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671


『敬語再入門』補遺編

 事情があって詳しいことは書けないが、先月下旬から18日までサラリーマンのような生活をしていた。
 後半の通勤電車内で『敬語再入門』を再読していた。以前書いた読書感想文で書き落としていることがいくつもあることに気づいた。
 実は元本とも言えるに『敬語』もなんとか読み終えたのだが、チェックした事項が多すぎてまとめる気になれない(泣)。
 ってことで、『敬語再入門』のメモを追加しておく。

 そもそもこの本を書棚から引っ張り出したのは、「ご利用できます」がなぜ誤用なのかを確認するため。P.146にわかりやすく書いてある。
「ご利用できます」とか「ご乗車できます」はよく目にする誤用らしい。そもそも可能形でない形の「ご利用する/ご利用します」がかなり異様。「ご~する」は謙譲語Iの基本形とも言える形だが、「ご利用する」ってフツーの文脈では使わないだろう。
 話し手側を主語にする謙譲の形で「ご用意できます」「ご案内できます」ならもちろんアリ。しかし、聞き手側を主語にする「ご利用できます」「ご乗車できます」は×。
 ほかにも気になった点を追加でメモしておく。

 P.91〈「申す」を含む語〉では、「申す」を含む複合動詞をいくつかに分類している。
1)謙譲語Iの性質をもつ……申し上げる/申し受ける
2)謙譲語IIの性質をもつ……申し伝える
3)謙譲語ないし改まった趣きが感じられる……申し添える
4)多少改まった趣きが感じられる……申し付ける
5)謙譲語も改まった趣きもすでにない……申し合わせる/申し込む
「お申し付けください」は間違いではないが、同義で本来の尊敬語の「お仰せつけください」「ご用命ください」のほううが無難な気がするとしている。「お仰せ」ってなんて読むんだろう?
突然ですが問題です【日本語編7】──「言う」を謙譲語にすると「申す」なのか
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54493030

 P.158で「おられる」の適否にふれている。これがまた微妙で、かなりメンドー。これはYahoo!知恵袋の頻出問題で、詳しく見ていくと激痛の頭痛が激しく痛くなる。課題にしたい。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=67212521

 あと、二重敬語の問題をまとめる方法が少し見えてきた気がする。これも課題にしたい。


【20120521追記】
 P.41~のテーマは〈「お/ご~になるといえない語」〉。ナル敬語はレル敬語と並んで尊敬語の基本とも言える形だが、いくつか制約がある。この制約を眺めていると、「特定形」になる動詞の傾向がボンヤリと見えてくる。
【引用部】
(1)~部が一拍(かな一字分の長さ)の場合や、言い換え形がある場合
A. ~部が一拍で言い換え形(対応する特定形)がある場合(P.40)
 例としてあげられている動詞と、その「特定形」は下記のとおり。
  する→なさる
  見る→ご覧になる
  着る→お召しになる
  寝る→お休みになる
  来る→いらっしゃる/おいでになる
  いる(居る)→いらっしゃる/おいでになる
「煮る」は「お煮になる」とは言わないが、「特定形」もない。「出る」は「外にお出になる」と使われることもある。
 ほかの例を見ると、「似る」は「煮る」とほぼ同様。
 上はいずれも五段活用ではない動詞。このあたりは、「ラ抜き言葉」になる動詞に近いものがある。
【引用部】
B. ~部が二拍だが、言い換えがある場合(P.40)
 例としてあげられている動詞と、その「特定形」は下記のとおり。
  する→なさる
  くれる→くださる
  食べる→召しあがる
  言う→おっしゃる
  行く→いらっしゃる/おいでになる
  死ぬ→おなくなるになる
 何気なく並べているが、後ろの3つは五段活用の動詞。ちょっと違ってくる気がする。さらに言うと、「死ぬ→おなくなるになる」をここに入れていいのだろうか。「おなくなりになる」は「なくなる」をナル敬語にしたもの。「死ぬ」と「なくなる」の関係はちょっと微妙で、忌み言葉の一種って気がする。
 いずれにしても、ここに出てくるのは音節が少ない動詞ばかり(これが「使用頻度の高い動詞」とも言えるのは偶然なのか必然なのか)。そのなかでも、五段活用以外の動詞が「特定形」をもっている気がする。
 たとえば、「会う→お会いになる」「買う→お買いになる」などを見ると、音節の数だけでは判断できない気がする。さらに言うと「お合いになる」はどう考えればいいのだろう。

 ちょっと気になって調べたのは、熟語動詞(仮)の類いを本書でどう呼んでいるかってこと。どうやら〈「──する」型の動詞(サ変動詞)〉と呼んでいるようだ(P.46ほか)。索引を見ると、「サ変動詞」は〈「──する」型の動詞〉を参照する形にしている。
 めったにないほどの「釈迦に説法」になるが、一般には「サ変動詞」と言うと「サ行変格活用」のことだろう。
■Wikipediaから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E8%A1%8C%E5%A4%89%E6%A0%BC%E6%B4%BB%E7%94%A8
「熟語+する」のことはなんと呼ぶべきなんだろう。Wikipediaにも書いてあるが、「サ変名詞」と言うのは単語登録などのときに用いられる造語だろう。
 
【引用部】
その上、「もらう」を謙譲語I「いただく」に変えるわけですから、「書け」の意の相当丁寧な表現になるわけです。「お書きいただけません(でしょう)か」とすれば、まさに最大級です。(P.90)
 これはたしかにMAX敬語かもしれない。MAX敬語のルールに従うなら、「書く」よりも古風な「認(したた)める」を使うべきなのかもしれない(知らんわ)。
 こちらは索引にないので探すのに苦労した。問題は、「~ませんでしょうか」の可否。おそらく最高クラスに敬度の高い表現なんだろう。裏を返せば相当クドい。これが「敬語連結」か否かはちょっと疑問だけど、「間違い」ではないんだろうな。
 これも課題にしたい。
198【「~ますでしょうか」 「~ませんでしょうか」】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1483085125&owner_id=5019671
 下記は「二重敬語」と考えているが、それはちょっと違うと思う。
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-47.html


【20120626追記】
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html
================================引用開始
【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご~~だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
(略)

「お/ご~~だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。
================================引用終了

 この本に関してはいろいろ追記する必要がある。
 詳しくは下記をご参照ください。
【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


【【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご〜だ(です)」 教えて! goo】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html


メモ1「お/ご〜だ(です)
 テーマサイトは下記。
【尊敬語「お+です」の意味について】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8768483.html

 質問の趣旨は簡潔。
「お~です」はどういう意味で、「お~になる」とはどう違うか。
 この質問に答えるなら、『敬語再入門』P.251の記述をひくのが早いだろう。例によってII・III人称は一般の二・三人称とはちょっと違うが無視する。
==============引用開始
お/ご〜〜だ(です) 尊敬語。主語〈II・III人称〉を高める。形としては、同じ尊敬語「お/ご〜〜になる」の「になる」を「だ(です)」に変えた形にあたる。意味としては、「……ている」の意をあらわすのが一般的。「……ている」意のスマートな尊敬語として重宝。「用紙をお持ちですか」「社長は今週ご出張です」 ただし、「……ている」意でなく使う場合もある。
(中略)
 さらに敬度の高い表現として「お/ご〜〜でいらっしゃる」(次項)がある。
(略)
==============引用終了

 以下、現在進行形とか過去とかあやしげな言葉を使う。日本語の文法では相当微妙な話になるはずだが、わかりやすければなんでもいい、の精神で書く。
 基本的には、「……ている」(現在進行形)の意味。問題は、動詞の性質によっては違う意味になること。
「社長は昨日お戻りです」(過去) 
「社長は明日お戻りです」(未来)
 うんとひねくれて、
「先ほど連絡がありました。もうすぐお戻りです」
 だと、現在進行形かもしれない。まあ、未来と考えるのが無難だろう。
 このあたりは継続系の動詞(持つ……etc.)と瞬間系の動詞(戻る……etc.)の違いってことになりそうだが、深入りするのはやめる。
『敬語再入門』が「スマートな尊敬語」としているのはいささか言葉足らずで、このあたりは同書のP.52〜を読んでもらうしかない。
 簡単に言うと、
「お持ちになっていらっしゃいます」
「お持ちでいらっしゃいます」
「お持ちになっています」
 が長いと感じる人やうまく使えない人は「お持ちです」のほうが簡便ということ。
 簡便なだけあって制約もあり、↑のように時制があいまいになるのが弊害のひとつだろう。もうひとつは敬度が低く感じられること。
 この点に関しては『敬語再入門』は言及していない。↑のテーマサイトのNo.3のかたの説明が適確な気がする(このかたのコメントはかなり信頼できる)。

40分


メモ2「読んでいる」の尊敬語 

 以下、主として『敬語再入門』のP.52を参考に。
「読んでいる」を尊敬語にするとどうなるのか。丁寧形の「読んでいます」で考えてもよいが、煩雑になるので、丁寧形は無視する。

 まず、「レル敬語」を使うか「ナル敬語」を使うか、という問題がある。
「読む」の「レル敬語」は「読まれる」
「読む」の「ナル敬語」は「お読みになる」
「レル敬語」は間違いではないが、
1)受身などとまぎらわしいことがある
2)敬度が低い
 などの理由から、基本的には避けたい。「制約が少ない」「初心者でも使いやすい」といったメリットはあるが、ここでは無視する。
「読んでいる」は「読む」と「いる」の複合動詞と言っていいだろう。「ナル敬語」の尊敬語の形には下記がある。
1)お読みになっている(「読む」を尊敬語にした形)
2)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形)
3)お読みになっていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 1)や2)のように一方を敬語にする場合、2)のように後半を敬語にするのが一般的なので、2)が一番多く使われるらしい。
 3)は尊敬語を2つつなげているが、「二重敬語」ではない。「敬語連結」という形で、多少クドくはあっても、問題のない敬語の使い方。
 詳しくは下記をご参照ください。
【よくある誤用34──敬語編4 二重敬語】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n133372

 1)〜3)を長いと感じる人に『敬語再入門』がすすめているのが「お読みです」の形。敬度が低く感じられるなら「お読みでいらっしゃる」にすればいい。
 ちなみにレル敬語を使うなら、
4)読まれている(「読む」を尊敬語にした形)
5)読んでいらっしゃる(「いる」を尊敬語にした形。2)と同形)
6)読まれていらっしゃる(「読む」と「いる」を尊敬語にした形)
 たしかにかなりヘンな感じがする。



メモ3 「お答えできる」の尊敬語  教えて! goo 

 テーマサイトは下記。
【「答えができる」の尊敬語】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14138056579

 大前提として、原形の「答えができる」はおかしのでは。ここがおかしいので、「お答えができる」はいろいろな意味でおかしくなる。
 原形は「答えられる」「答えることができる」あたりだろう。
「答えられる」の尊敬語に関しては、『敬語再入門』のP.50〜に「可能表現・複合動詞の尊敬語」の解説がある。正解は「お答えになれる」と明記されている。
 可能表現の尊敬語は〈尊敬語を作ってから可能形にする〉ものらしい。ナル敬語を使ってもレル敬語をつかっても同じ形になるのか? なんて美しい。
 答える→お答えになる→お答えになれる(ナル敬語の場合)
 答える→答えられる(尊敬)→お答えになれる(レル敬語の場合)
 順番が逆になった下記はおかしい。
 答える→答えられる(可能)→お答えられになる
 ほかの例で考える。
 読む→お読みになる→お読みになれる
 読む→読める→お読めになれる×
「答えることができる」も先に可能形にしているので、このままでは尊敬語にしにくい。

 ちょっと気になるのは「できる」をナル敬語にした「おできになる」。「できる」はレル敬語にしにくいので無視する。
 これは「する」の可能形ではなく、そこから派生した「うまい」「堪能」などの意味だろう。「勉強がおできになる」「英語がおできになる」……etc.
【「できる」「得意」「上手(じょうず)」「うまい」──ほめ言葉の迷宮 日本語】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1805.html

 これはこれでアリだろう。ザアマス言葉のにおいがしてかなり気持ちが悪いので、自分では使えない。
 ここから類推して「答えることがおできになる」も間違いではないのかもしれないが、あえて使う理由は見当たらない。

 質問の本題に関して。
①お答えができる方はいらっしゃいますか。
 ↑の話にあてはめると、「お答えになれる方はいらっしゃいますか」。
 これが敬語として自然かというと……いったいどんな場面で使うのか想像できない
 たとえばセミナーで講師が参加者に訊く場合。
「お答えになれる方はいらっしゃいますか」よりも「おわかりの方はいらっしゃいますか」くらいのほうが自然に感じる。このあたりは、文脈がないと判断できない。
 相手に「できるか否かを訊くのが失礼」という考え方もあるが、↑くらいなら大丈夫だろう。

②全問お答えができ(た)ら、賞品を進呈します。
 ↑の話にあてはめると、「全問お答えになれたら、賞品を進呈します」。
 これも間違いではないだろうが、見慣れない。
「全問正解の方には賞品を進呈します」くらいだろう。




メモ4「お/ご~~申し上げる」にできる言葉 Yahoo!知恵袋 

 テーマサイトは下記。
【「感謝申し上げます」は問題なしで、「ご感謝申し上げます」はだめな理由】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138590471

 以下、主として『敬語再入門』のP.239から抜粋。
「お/ご~~申し上げる」の形にできる言葉は意外に少ない。
 同書には、以下の言葉があげられている。
お祈り・お祝い・お悔やみ……etc.
ご挨拶・ご暗示・ご依頼……etc.
 特記事項としては下記があげられている。
・「お」の場合、「お/ご~する」がつくれる語よりかなり少ない
・「お悔やみ」は「申し上げる」のほうがなじむ。
・「ご」の場合、「ご依頼・ご助言・ご注意・ご同情・ご了承」など、「ご~する」より「ご~申し上げる」のほうが落ち着く語もある。
・漢語の熟語に「ご」をつけずに「挨拶申し上げる」という人もいる(敬度は下がる)。
・「感謝申し上げる」「尊敬申し上げる」「失礼申し上げる」など、「ご」のつかない形でのみ使う語もある。

 o( ̄ー ̄;)ゞううむ
「ご尊敬申し上げる」なら使えそうな気がするが……。 




メモ5「ございます」 Yahoo!知恵袋 

「ございます」の意味は2つに大別できる。
 クダクダ書くよりも『敬語再入門』P.257から転載するほうが早い。
==============引用開始
ございます・……でございます
「ございます」は「あります」の、「でございます」は「です」の、さらに敬度の高い丁寧語。「こちらに書類がございます」「私が責任者でございます」。その他、「うれしゅうございます」のように「形容詞+ございます」の形も作れる。II人称者について「(あなたは)明日はお仕事がございますか」「(あなたは)田中さんでございますか」と使うのは、誤りとまではいえないが、違和感を感じる人もいて、それぞれ「明日はお仕事がおありですか」「田中さんでいらっしゃいますか」のほうが無難。
==============引用終了

 同じ「ございます」に見えるが、意味が違う。
「明日はお仕事がございますか」の通常形は「明日は仕事がありますか」。
「田中さんでございますか」の通常形は「田中さんですか」。
 だから無難な高敬度形(なんじゃ?)にも違いが生じる。

 素朴な疑問なんだけど、「でございます」の元々の原形(重言だな)は「であります」だった気がする。
 軍隊映画なんかで聞く「田中であります」の類い。これだと「ございます」⇔「あります」で一本化できる。
「田中であります」がしだいに崩れて「田中です」になったので、2つの意味になったような。こう考えるとスッキリする。
 こちらからたどっていくと、「田中さんですか」の敬度を上げた形は「田中さんであられますか」になりそうだけど、さすがに現代語としては不自然かもしれない。
 辞書の記述でこのことが読み取れたら達人クラスだと思う。


https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-265952#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88
==============引用開始
大辞林 第三版の解説
ございます【御座います】

( 動サ特活 )
〔動詞「ござる」に助動詞「ます」の付いた「ござります」の転。近世江戸語以降の語〕

「ある」の意の丁寧語。 「お探しの本はここに-・す」

(補助動詞) 「ある」の意の丁寧語。 「明けましておめでとう-・す」 「ただいま帰りまして-・す」 「どなた様で-・すか」 〔活用は「-・せ(-・しょ)|-・し |-・す |-・す |-・すれ |○」〕
==============引用終了

==============引用開始
デジタル大辞泉の解説
ござい‐ま・す 【御座います】

[動サ特活]《「ござります」の音変化。近世江戸以来の語》
1 「ある」の意の丁寧語。「あります」より丁寧な言い方。「おあつらえ向きのお品が―・す」「何も―・せんが、どうぞ召し上がれ」
2 (補助動詞)補助動詞「ある」の意の丁寧語。「すでにお願いして―・す」「いかがお過ごしで―・しょうか」「ただ今ご紹介いただいた田中で―・す」「おめでとう―・す」「いっそ死にとう―・す」
◆活用は「ございませ(ございましょ)・ございまし・ございます・ございます・ございますれ・〇」。「ござります」より丁寧の度合いが低く、打ち解けたときに用いられ、さらに、なまって「ござえます」「ごぜえます」ともなる。また、「さようでござい」などの「ござい」は「ございます」のぞんざいな言い方。2の「…でございます」の形は口語文体の敬体の一で、「です」体・「ます」体・「であります」体に対して「でございます」体とよばれることがある。
==============引用終了



メモ6 「お高くとまっている」の「お」の働き

 テーマサイトは下記。
【お高くとまっているという言い方がありますが、これは尊敬語ですか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140810993
 
 質問内容は、タイトルのまんま。
 答えは専門書に明記されている。
 結論を先に書くと、一般の「お高い」なら尊敬語。過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「お高くとまる」は〈皮肉や茶化した表現として固定化〉した例で、分類としては美化語。ちょっと無理も感じるが、定評のある書籍なので逆らいません。
 尊敬語にはならないので、「あえて言うなら美化語」ということなのだろう。

 2つの側面から考える必要がありそう。

●形容詞・形容動詞につく「お/ご」
 P.123〜に〈「お/ご」の整理〉という項目がある。
 接頭語の「お/ご」を機能の面から4つに分けている。
1)尊敬語
2)謙譲語I
3)丁寧語
4)美化語
 敬語を旧来の3分類で考えるなら、「美化語」は「丁寧語」の一種になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

 あげられている例のうち、形容詞・形容動詞が出てくるのは下記。
1)尊敬語
お若い/おきれい/ご熱心
3)丁寧語
お暑いですね/お寒うございます
※これは特殊な例と考えるほうがいいだろう。

 ちょっと意外だったが、同書を見る限り、形容詞・形容動詞を美化語として使う例はなさそう。
「最近お野菜がお高いですこと」
「もう少しお安くなりませんと買う気になりませんわ」
 相当気持ちが悪いけど、美化語もアリじゃないかな。
 一般的な「高い」の意味で「お高い」と使うのは尊敬語になる。これも過剰敬語気味なので個人的には使わない。
「背のお高いかただったのですね」
「さすがにお高いご洋服をお召しでした」


●美化語の醜化語?用法
 P.108〜のテーマは〈美化語になる語・ならない語〉。
 詳細な分類がある。
〈③「お/ご」の付かない形が、同じ意味の語として成り立つもの〉の(f)をひく。
==============引用開始
(f)付けると皮肉や茶化した表現になるもの 皮肉や茶化した表現として固定化した例として「おあいにくさま・ご大層・ご乱行」など。
==============引用終了
「ご乱心」などもそうだろう。
「同じ意味」はちょっと疑問だが、スルーしておく。
 これは前に書いた「醜化語」の話だろう。
【「醜化語」の「ご」「お」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2138.html



メモ7 「お述べする」が不自然な理由


mixi日記2015年01月24日から

 直接的には下記の続きだろうな。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 テーマサイトは下記。
【「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11141000336/a350089689
==============引用開始
「述べる」の謙譲語は「お述べする」が不自然なのはなぜか

「話す」の謙譲語は「お話しする」
「書く」の謙譲語は「お書きする」
「読む」の謙譲語は「お読みする」

ならば
「述べる」の謙譲語は「お述べする」ではないのか、という疑問です。

尊敬語には質問が過去に出ているのですが、謙譲語については質問が出ていないこともあり質問させていただきました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1179216646
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427472759...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1163159341...

「述べる」は「自説的(話す内容ではなく、話すという行為に重きがおかれているという意味だと思います)」であるため、相手を必要とする敬意表現にはなじまないという説明も見られますが、それでは尊敬語に不自然さを感じないことを説明できません。

どうか詳しい方にご教授いただければと思います。

【補足】
コメントありがとうございます。補足させてください。
美化語の「お」と「ご」、また、慣用的に「お」がついている表現についてはここでは問題にしません。

主な質問である「『お述べする』が不自然なのか」につきましても、引き続きご指導いただければと思います。
==============引用終了


「述べる」を謙譲語にすると。
結論を先に書くと、一般に尊敬語の「お述べになる」は使われますが、謙譲語の「お述べする」はほとんど使われないようです。理由は「慣習」としか言えません。論理的な理由があるとは思えません。

当方がバイブルにしている『敬語再入門』の記述を基本にして、デアル体で失礼します。
『敬語再入門』の詳細に関しては下記をご参照ください。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行) 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】〈2〉メモ1「お/ご~だ(です)」 教えて! goo
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3120.html

 まず、通常の動詞を尊敬語にする形。P.38~。
●レル敬語
 述べられる
●ナル敬語
 お述べになる
 一般にレル敬語のほうが制約が少なく、習熟しやすい。
 ただし、ナル敬語に比べて敬度が低い。
 個人的には、このほかに受身とまぎらわしい場合があることが大きな問題だと思う。「見られる」「食べられる」etc.……
 これらの動詞に「特定形」(P.226~)(ご覧になる、召しあがる)があるには、偶然ではないかも。

 通常の動詞を謙譲語にする形。P.68~
●お/ご~する
 お述べする
●お/ご~いたす
 お述べいたす
●お/ご~申し上げる
 お述べ申し上げる
※このほかに「~なさる」「~なされる」という形もある。

 話を簡略化するために、「ナル敬語」と「お/ご~する」に限って書く。ほかの形もほぼ同様。
 まず「お述べになる」について。
 P.40~に〈「お/ご~になる」といえない語〉という項目がある。それを見る限り「お述べになる」を×にする理由は見当たらない。
 ただし、下記の記述がある。
==============引用開始
C.慣習的になる敬語が(「お/ご」が)なじまない語
「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」(これも「運転なさる」以下は可)。
この(3)-Cは理屈では説けないだけに、慣れない人には最も厄介かもしれません。
==============引用終了

 次に「お述べする」について。
 P.74~に〈「お/ご~する」といえる語〉という項目がある。詳細なリストがある。
[「…に」を高める]語のなかに「お答えする」「お伝えする」「お話しする」「ご説明する」「ご報告する」など、同じような意味の言葉はありますが、「お述べする」はない。
 言えるか言えないかは慣習によるところが大きいようです。

 個人的には、「お述べになる」は基本的に使わない気がする。
「おっしゃる」「お話しになる」などのほうが自然に感じるから。
「お述べする」は、使わない。
「申し上げる」「お話しする」などのほうが自然に感じるから。

 基本的には、〈「お/ご~になる」といえる語〉と〈「お/ご~する」といえる語〉は共通することが多いと思う。
 たとえば、↑にあげた「ねじる・ほどく・運転する・運動する・営業する・実験する・優勝する」はどちらも×だろう。
 ↑であげた「食べる」は「お食べになる」は△ですが(フツーは「召しあがる」)、「お食べする」は×だろう。
 理由は、「慣習」しか考えられない。

あえて言うなら、「まず結論を述べる」などと書く(「言う」はなおさら)と偉そうな印象がある。そんな偉そうな言葉は謙譲語になじみにくい気がする。


【メモ8 ご利用する・ご利用してください・ご添削してください 教えて! goo】

mixi日記2015年04月21日へ

 テーマサイトは下記。
【ご利用する・ご利用してください・ご添削してください】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8964463.html
==============引用開始
下記のページにあるごとく「ご○○する」は謙譲語の表現であり、謙譲語の主語は自分や身内ということになっています。
http://d.hatena.ne.jp/kazsa/20140323/1395564359
しかし下記のページには、「ご利用する」という謙譲語はない旨が記されています。その理由は動詞の種類が違うということなのでしょうか(意味を考えると、「ご利用する」が尊敬語であろうことはわかります)。「ご提供する」ならば、確実に謙譲語であろうこともわかります。
http://bizkeigo.koakishiki.com/henkan-riyousuru. …
さらに、目上の人に何かを「利用してください」と言う場面で、「ご利用してください」という言い方を聞きますが、これは誤用であって「して」は不要だとも記されています。「ご利用ください」が自然に通じることはわかりますが、なぜ「ご利用してください」が誤用になるのでしょうか。個人的には違和感がないため、理由を明示していただかなければ納得できません。
問題点を明らかにするために、「ご添削してください」についても誤用になるのかどうか、ご教示いただければ幸いです(「ご利用してください」ならば便益を得るのは相手、「ご添削してください」ならば便益を得るのは自分であることに注目して質問しています)。
==============引用終了

 ときどき興味深い質問する人と認識している。
 質問がかなりむずかしい問題を含んでいるが、どう転がるのだろう。
 とりあえず、当方のコメントを回収しておく。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 質問が複数ありますね。
 以下の3つだと思いますが、当方に勘違いがあるようならご指摘ください。問題が複雑なので、ちゃんと説明できるかどうか……。 
1)「ご利用する」という謙譲語がない理由
2)「ご利用してください」が誤用になる理由
3)「ご添削してください」は誤用か否か

1)「ご利用する」という謙譲語がない理由
〈「ご利用する」という謙譲語がない〉というのは少し違うと思います。
「利用する」は「ご〜する」の形の謙譲語にしにくいということでは。
 これは理屈では説明できません。「慣例」としか……。

 詳しくは下記をご参照ください。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
『敬語再入門』(菊地康人)のP.74~に〈「お/ご~する」といえる語〉の話が詳しく出ています。
 リストに「ご利用する」「ご使用する」「お使いする」などはありません。
 たとえば目上の人の何かを使わせてもらう場合、↑のような言葉は使わないでしょう。
「お使いする」を見ればわかるように、「熟語動詞」(仮にこう呼びます)か否かは関係ないはずです。
「便益」などの考え方でも説明できません。同じような場合でも「お借りする」「拝借する」なら使えるのですから。
 あくまでも「慣例」でしょう。
 かわりに、(悪名高い)「利用させていただく」「使わせていただく」などを使うことになります。

2)「ご利用してください」が誤用になる理由
 ほかの人の回答で解決しているようなので省略します。
 当方は下記のように考えています。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1332.html

3)「ご添削してください」は誤用か否か
「して」が入るのは2)と同様の理由で誤用とされます。「便益を得る」のが先方でも自分でも関係ないでしょう。


>・丁寧語の「ご」をつける場合は「ご○○」を目上の人の動作・作業を表す名詞として扱っているため、「する」は不要
>・丁寧語「ご」をつけない場合は目上の人による一連の動作・作業の想定しておらず、サ行変格活用動詞として扱っているため、適切に活用させる必要がある
 そういう考え方はしないと思います。

 たとえば『敬語再入門』のP.45に主な尊敬語の4つの形を整理した表があります(添付写真参照。見にくければ下記のリンク先をご参照ください)。
 すべて動詞として扱っています。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3271.html

 漢語Aと漢語Bの違いは、以下のとおりです。理由は「慣例」です。
==============引用開始
漢語Aとは「利用・卒業」など「ご」と結びつきうるもの、漢語Bは「運転・退学」など「ご」と結びつくことのできないものです。(P.44)
==============引用終了

 ちなみにP.43には下記の記述があります。
==============引用開始
 このように「──なさる」と「お/ご〜なさる」は、使える動詞の範囲が違うので、本書では、片や──、片や〜で示します。もちろん、両方とも使える語も多く、その場合は「ご卒業なさる」のほうが「卒業なさる」より高い敬度ですが、それほど大きな差でもないでしょう。
==============引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■





 ちょっと補足しておく。
「敬語の指針」はネット上にあるので、多くの人が参照しているが、内容には不備も感じられる。当方レベルが読んでもいろいろ問題を感じるってことは相当ヤバいのでは。
【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html

 何より文章がヒドすぎる。ただ、下記だと遊びすぎって気もする。
【敬語おもしろ相談室】
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/keigo/index.html

 No.5でご紹介いただいた下記は興味深い。ただ、ちゃんと読むとたいへんそうだな。
http://web.ydu.edu.tw/~uchiyama/bunpo/keigo.pdf

 今回の問題についても、肝心の部分が……。
〈「お/ご~する」といえる語〉って問題だとどうにもならないだろう。
 なんせ、最大の決め手が「慣例」なんだから、最終的には『敬語再入門』のようにリスト化するしかテがない。
 先行コメントでさまざまな説が飛び交っているが、あれで質問者が判断できるのだろうか。

「慣例」であることをうまく伝えるための例がないだろうか。
したう→お慕いする
愛する→×お愛する

 漢語系はとくに「お/ご」がつきにくいものが多い気がするので、なんとも……。


【20150419追記】
「利用する」を敬語にするとどうなるか考えてみる。

●丁寧語 
「利用します」。
 丁寧語を敬語ではないようなことを書く人もいる。敬度が低いから誤解しているのだろう。3分類で見ても5分類でも見ても、丁寧語は敬語のひとつのはず。

●謙譲語
 もっとも基本的なのは「お/ご〜する」の形だろう。
「利用する」はこれがつくれない(泣)。理由は……やはり「慣例」としか言えない。おそらく、そもそも使用例が少ないからでは……と思わなくはない。
 具体的を考えてみる。
 バスツアー会社がツアー参加者に告知する。
  原形 ○○PAのトイレを利用します
  謙譲語II ○○PAのトイレを利用いたします
 謙譲語I、謙譲語IIの話はできるだけしたくないのだが……。
 この場合「いたします」は聞き手(ツアー参加者)に対する謙譲語(II)。「○○PAのトイレ」(の所有者)に対する敬語ではない。
 特別な計らいで△△美術館のトイレを利用させてもらうとする。
 △△美術館に対する謙譲語Iは……想定できない(泣)。
 やはり、「△△美術館のトイレを利用させていただきます」あたりだろう。

 この場合ほぼ同じことを「借りる」とも言える。意味はほぼ同じだが、「借りる」なら「お借りします」にできる。やはり理屈ではなく「慣例」なのだろう。
・丁寧語
「借ります」(「拝借します」なら謙譲語I+丁寧語)
・謙譲語
  謙譲語I
  △△美術館のトイレをお借りします
  △△美術館のトイレを拝借します
  謙譲語II&謙譲語II(敬度が高くなる) 
  △△美術館のトイレをお借りいたします
  △△美術館のトイレを拝借いたします

●尊敬語
 これは↑に書いたとおり。
「ご利用になる」「ご利用なさる」「利用なさる」「利用される」の4パターンがすべて使える。


 ……とここまで書いて質問板を見たら、No.9のコメントが入っていた。
 そうか。さすがだな。
「受け手尊敬」ですか。これは下記で教えてもらった渡辺実の用語。その節はお世話になりました。
「謙譲語A」は『敬語』(菊地康人)などで使われている用語。「敬語の指針」などで言う謙譲語I。
【「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか】コメントNo.13参照
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8499357.html

 ただ、〈「話す」←→「話される」・「渡す」←→「渡される」〉と考えると、「利用する」←→「利用される」と考えることもできるような……。
 さらに厄介なのは、いろいろなパターンがあること。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
 以下は一部の抜粋(重言)。
================================引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
================================引用終了

 [「……を」を高める] [「……から」を高める] あたりは対応関係がわかりやすいけど、[「……に」を高める] だと微妙な気が……。
 [「……のために」を高める] だと、何がなんだか。
「〜られる」と言うより「〜てもらう」と考えるほうがいいかな。


【メモ9 ご指摘させていただいた Yahoo!知恵袋】
mixi日記2015年04月21日へ。

 テーマサイトは下記。
【『ご指摘させていただいた』と言う日本語はおかしいのでしょうか?】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14144392654/a357102938
 質問内容はタイトルのとおり。

 結論を先に書くと、「誤用」か否かという質問なら、「誤用ではない」。
 おかしいか否かという質問なら、文脈しだいとしか言えない。
 基本的にはおかしい場合が多いと思うが、100%ナシではない。

「ご指摘させていただいた」を分解する必要があるだろう。
 以降、基本的に現在形の「ご指摘させていただく」で考える。
 おそらく「指摘する+させてもらう」が原形と考えるのがわかりやすい。
 敬語連結であることを説明するのなら、「指摘させる+て+もらう」と考えるほうがよいと思うが、ここではやめておく。

●「ご指摘する」と言えるか否か
 まず考える必要があるのは、「ご指摘する」と言えるか否か。これは「慣例」によるところが大きく、理屈で考えてもどうにもならない部分がある。『敬語再入門』に頼るのが無難。
【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2405.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【追記】
『敬語再入門』のP.236~238の「敬語便利帳」からひく(こちらのほうがP.75より例が多い)。
「お/ご~する」にできるものは、ほぼ「お/ご~いたす」にできるらしい(例外が何かはのっていない)。
==============引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
==============引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 この[「……に」を高める]語のリスト中に、「ご指摘する」がある。ちょっと引っかかるのは、相手のミスなどを「指摘する」場合に使えるか否か。
 同じリストに下記の記述がある。
==============引用開始
ご注意する(高めるべき相手に「注意する」はやや不自然だが、時に使う)
==============引用終了 
「ご指摘する」も同様だろう。

 つまり、「指摘する+させてもらう」の両方を謙譲語にしたものが、「ご指摘させていただく」。
 後半だけを謙譲語にしたのが「指摘させていただく」ということ。当然、「ご」がつくほうが敬度が高い。


●「させていただく」の働き
 これがまたややこしい話で、諸説が流れている。当方の考えは下記参照。
【よくある誤用32──敬語編2「~させていただく」「~させていただきます」「~(さ)せていただく」「~(さ)せていただきます」】
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n132890

 ちょっと補足する。『敬語再入門』のP.191〜に〈「させていただく」の「乱れ」とその正体〉という項がある。これがわかりやすいだろう。
「させていただく」の本来の用法は、〈相手から許可・恩恵を受ける意味であること〉〈その「恩恵の与え手」を高めること〉という〈二重の意味で敬度の高い表現〉としている。
 だが違う側面もあるらしい。
==============引用開始
 ところで、日本語には、「実際はそうでなくても、あたかも相手から恩恵や許可を得たかのように見立てて述べるのが、相手を立てることになる」という発想があります(→§4)。実際には「案内してやる」のでも、「ご案内させていただきます」と言うようなのが一例で(謙譲語I「ご案内する」に「させていただく」が続いたもの)、これは、相手を貴人に見立て、許しを得て案内させてもらう光栄に浴するという発想です。パーティーの案内を受けて「出席させていただきます」と答えたり、「本日休業させていただきます」と掲示したりするのも、パーティーの案内を“出席許可の恩恵”ととらえ、実際には自分で勝手にする休業を“お客様のお許しを得て”と捉える発想です。
==============引用終了
「ご指摘させていただく」も単なる「見立て」だろう。実際には「指摘してやる」。さらに過激に言えば「指摘して恥をかかす」だから。


●「ご指摘させていただく」を使う例
「ご指摘させていただく」は間違いではない。だが、高めるべき相手に使うにはやや不自然な「指摘する」を、非常に敬度が高い言い回しの中で使うので、自然な状況はきわめて限られるだろう。
 たとえば社長(うんと偉い人って意味)が書いた文章に関して「忌憚のない意見を聞かせてほしい」と言われる。いろいろ不備があるので、しかたがなく覚悟を決める。
「どうしてもということでしたら、僭越ではありますが、ご指摘させていただきます」
 これならさほどおかしくないだろう。
 おかしくはないだろうが、社長の文章の不備を指摘してどんな禍根が残るのかは知らない。
 王様の素行の悪さを見かねて「ご注意させていただいた」家来が幸せになるとは思えない。


【電話の敬語「お伝えします」「お代わりします」「おつなぎします」(メモ10扱い)】
mixi日記2012年08月02日から

 テーマサイトは下記。
【ある会社に、外部の人から電話がありました。電話を受けた従業員が……】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1491291189

 よくわからないんでトピも立ててみた。
【電話の敬語「お代わりします」「おつなぎします」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=70747813

 かなり微妙な話なんで、いつも以上にオネオネと書く。
 Aさんが電話で顧客と話していて、上司のことが話題になったとする……。

●お伝えします
「上司への伝言を顧客に頼まれたとき」に「お伝えします」と言うのはアリか。
 相当微妙だけど、やはり×だろう。信頼に値する書籍にそういう記述がある。
【言葉の取扱説明書3 ○○のわりに(は)  お伝えしておきます  協力するにやぶさかでない 】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1837388275&owner_id=5019671
================================引用開始
 1つ目が「お伝えします」の是非。典型的なのは、外部の人から連絡を貰い、「(席を外している社内の人間に)お伝えします」と言う場合。『問題な日本語4』で扱っていた(先日書店で手にしたけど、内容が薄くて買う気にはなれなかった)。
「お伝えします」は謙譲語I(+丁寧語の話は省略)。伝える人の、伝える相手への敬意(菊地康人流に言うなら「主語の補語に対する敬意」?)を示す。したがって、身内を高めることになるので×。
 だと思うが、「お伝えします」だとアリって気もするのは「定着しているから」なのかもしれない(なんの基準もなく「定着しているから」OKとか言われるとどうしようもない)。「あなた様の伝言」を伝えるんだから、「お」をつけるべきって論理も筋が通っている気になる。「伝えます」と「お伝えします」を比べると、後者のほうが丁寧な感じになる。
 これを〈外部の人に対して「(身内と)ご相談します」〉にすると、相当ヘンなことがわかる。理由は不明。理屈としては「あなた様の案件」を相談するんだから……と言えなくはないけどさ。
================================引用終了

【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)3】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854649541&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。
================================引用終了


●お代わりします
「上司に電話を代わるように顧客に頼まれたとき」に、「お代わりします」と言うのはアリか。
 2つのポイントがある。
 1つ目は、↑の「お伝えします」と同様の問題。もうひとつは、「代わる」を「お~する」の形にできるのか、という問題。
『敬語再入門』のP.236~の「お/ご~する」にできる動詞のリストのなかに、「おかわりする」はない。

【「袋にお入れいたしますか」「お/ご~いたします」は二重敬語か Yahoo!知恵袋】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1853506079&owner_id=5019671
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■引用開始
【追記】
『敬語再入門』のP.236~238の「敬語便利帳」からひく(こちらのほうがP.75より例が多い)。
「お/ご~する」にできるものは、ほぼ「お/ご~いたす」にできるらしい(例外が何かはのっていない)。
================================引用開始
[「……を」を高める]
 お諌めする・お祝いする(「XのYを祝う」のXを高める。美化語用法も)・お送りする(人を送り届ける)(以下略)

[「……に」を高める]
 お会いする(「お目にかかる」のほうが好まれるが、「お会いする」も可)・お祈りする(神仏に。美化語用法も)(以下略)

[「……から」を高める]
 お預かりする・おいとまする・お受けする(「XのYを受ける」のXを高める用法も)・お受け取りする・お借りする・お習いする

[「……と」を高める]
 お分かれする(美化語的用法も)
(以下略)

[「……のために」を高める]
 お開けする・お祈りする・お書きする・
(以下略)

[「……について」を高める]
 お噂する(「Xのお噂をする」とも)
(以下略)
================================引用終了

 これだけあげているのに「お入れする」がないってことは、同書は「お入れする」を認めていないのだろう。だから「お入れする」なんて絶対に言わない、と主張する気はないが。
 ちなみに上の分類にあてはめるなら、「お入れする」は[「……のために」を高める]だろう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■引用終了

「おかわりする」がないのは、「ご飯をお代わりする」との混同を避けたものか否かは、言葉の神様に訊かないとわからない。
 ちなみに、↑の「お伝えする」は[「……に」を高める] に入っている。[「……を」を高める] ではない。やはり「お客様の伝言を上司にお伝えします」は×ってこと。


●おつなぎします
 元々のYahoo!知恵袋のサブテーマとして登場した。
 同様の状況で「おつなぎします」と言えるか否か。
「お伝えします」と同様と考えるなら×だろう。しかし、「おつなぎします」のほうがずっと異和感が弱い。
 ↑のリストに「おつなぎする」はない。そんなに使用頻度が低いかな?

■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90&dtype=0&dname=0na&stype=0
================================引用開始
つな・ぐ【×繋ぐ】
《名詞「綱」の動詞化》

【1】[動ガ五(四)]

①ひも・綱などで物を結びとめて、そこから離れたり、逃げたりしないようにする。「犬を―・ぐ」「鎖で―・ぐ」
②相手の気持ちなどが離れていかないようにする。「彼女の心を―・ぐために一芝居打つ」
2 一定の所に留め置いて外へ出さないようにする。拘禁したり、拘束したりする。「獄に―・がれる」
3 結びつけてひと続きのものにする。「車両を―・ぐ」
4 離れているもの、切れているものを続け合わせて一つにする。また、そのようにして通じるようにする。「手を―・ぐ」「電話を―・ぐ」
5 なんとか長く、切れないようにたもたせる。たえないようにする。「望みを―・ぐ」「命を―・ぐ」「座を―・ぐ」
6 足跡などをたどって行方を追い求める。
  「射ゆ鹿(しし)を―・ぐ川辺のにこ草の」〈万・三八七四〉
[可能] つなげる
================================引用終了

 もしかすると、「電話をつなぐ」という言い回しがイレギュラーなのかもしれない。『大辞泉』を見ると、ほかに「おつなぎする」と言えそうな例はない。「犬をつなぐ」「獄につなぐ/つながれる」のイメージが強いせいだろうか。
 そうは言っても、現実に「電話をつなぐ」って言い回しはあり、「電話をおつなぎする」と言えそうなんだからしかたがない(泣)。

 ここで考えなければならないのは、逆方向の可能性があること。
「あなたの電話を上司におつなぎします」ではなく、
「上司をあなたの電話におつなぎします」ってこと。
 これなら何も問題はないけど、この解釈はさすがに苦しいかな。

 もうひとつ考える必要があるのは、「上司に」をつけて「上司におつなぎします」にすると、異和感が強くなること(これは「お伝えします」も同様)。
 おそらく、単に「おつなぎします」だと「顧客(の電話)をおつなぎします」と解釈できそうだからだろう。これなら顧客に対する敬語になっている感じがある。
 現実には、省略されていても「伝える」先にあたるのは「上司」だから、やはり避けたほうがいい表現なんだろう。
 論理的に考えると下記が正解ってことになってしまう。
「(顧客の)ご伝言」を「上司」に「伝える」
「(顧客の)お電話」を「上司」に「つなぐ」

『敬語再入門』の親本とも言える『敬語』に関しては下記。
【読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2415.html

読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

 いろいろ加筆しました。
【改訂版】は下記です。
【改訂版】 読書感想文/『敬語』(菊地康人/講談社学術文庫/1997年2月10日第1刷発行)──予想していたことではあるが……。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3421.html


mixi日記2012年06月25日から

 以前感想文を書いた『敬語再入門』の親本とも言える一冊。
【読書感想文/『敬語再入門』(菊地康人/講談社学術文庫/2010年3月10日第1刷発行)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2327.html

 Amazonのデータ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%95%AC%E8%AA%9E-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E5%BA%B7%E4%BA%BA/dp/4061592688
『敬語再入門』に比べると、体系立てて書いてあり、網羅的な記述になっている。
 簡単に言うと、『敬語』が敬語全般を語っているのに対して、『敬語再入門』は要点だけをアトランダム(でもないんだけど)に書いている。
 うんと大雑把に言うと、前者は学術書に近い印象があり、後者はハウツー本に近い印象がある。予想していたことではあるが、当方のように敬語にうとい人間にとっては、後者のほうがとっつきやすい。
 データ的なことを書いておく。
『敬語』   :1997年2月10日第1刷発行
『敬語再入門』:2010年3月10日第1刷発行
『敬語』の原本は1994年角川書店から刊行され、95年度の「金田一賞」を受けている。しかし、角川では一度重版がかかったきりで絶版。講談社学術文庫で再刊されている。
『敬語再入門』の原本は1996年に丸善ライブラリーから刊行。
 ちなみに『敬語』の第1刷は1170円+税だった。当方が購入したのは第14刷で1400円+税。
 これを「けっこう売れている」と考えるか「意外に売れていない」と考えるか。この内容を考えると、もっと爆発的に売れてもおかしくない。とくに昨今のように敬語に関するホニャララな説が流布するなら、こういう書籍の需要が高くなるはずなんだけど……。
 本書がどれほど本格的な書き方をしているのかは、目次を見ただけでわかる。

I章 ことばを使い分ける 29
II章 敬語のあらまし 89
III章 敬語の仕組み使い方──その一 いわゆる尊敬語 114
IV章 敬語の仕組み使い方──その二 いわゆる謙譲語 254
V章 敬語の仕組み使い方──その三 いわゆる丁寧語 354
VI章 敬語の仕組み使い方──その四 全体に関すること 378
VII章 敬語の編か・誤り・将来をめぐって 410

 具体的な話に入るまでに100ページ以上ある。これだけで薄めの文庫本くらいのボリュームがある。全部で500ページ近くあり、半分も読むと満腹感がある。実際には半分では尊敬語の話が終わるくらい(泣)。


【引用部】
意気込みとはうらはらに、思わぬ不備などがあれば、ぜひご叱正をお願いしたい。(P.7)
 敬語とは関係のない話。「ご叱正」ってMAX敬語で初めて見た言葉。文章に関する記述なので、申し分なく正しい(笑)。

【引用部】
この中では丁寧な「あなた」という語も、実は、目上などに対してはそもそも使いにくいところがあり、「社長」「先生」のような職名などで呼ぶとか「○○さん」と呼ぶようなことも多い。(P.32)
 なぜ「あなた」は目上には使いにくいのか。ほかにどんな二人称が使えるのか。そのあたりをちゃんと書いてくれないかなぁ……と無理を承知で書いてみる。

【引用部】
 《改まり》の例としては、ほかに「今日(きょう)」に対する「本日」、「さっき」に対する「先程」などもあげられる。概(がい)して、和語よりも漢語のほうが改まった趣が出る傾向があり、本書冒頭の例で「開けたら」より「開封後は」のほうが改まった感じがするのもその一例である。(P.38)
 これが一般的な解釈だろう。和語のほうが敬度が高いとか、忌み言葉や女房言葉のほうが敬度が高いなんてことはない。ただ、まともな学者は「漢語のほうが敬度が高いからMAX敬語」なんてバカなことは断言しない(黒笑)。

【引用部】
 〈相手に何か頼むとき、相手の意向を尋ねる形の表現のほうが、普通の依頼の表現よりも、相手を立てる(→丁寧な)表現となる〉ということもいえる。具体的には、相手に何らかの行為を求める場合には、「……してくれる(くださる)?」と尋ねるほうが「……してくれ」(ください)」とストレートに頼むよりも、あるいは「……してもらえる(いただける)?」と尋ねるほうが「……してほしいんだけど」と頼むよりも、概してやわらかい感じがする。また、自分が何かをしたいときには、「……していい?」と尋ねるほうが「……したいんだけど」と述べるよりも、やわらかいだろう。
(中略)
 さらに、〈意向を尋ねる形をとって頼む場合、否定疑問形のほうが肯定疑問形よりも丁寧な感じがする〉ということも、概していえそうである。「……してくれない?/くれませんか?」のほうが「……してくれる?/くれますか?」より、また「……してもらえない?/もらえませんか?」のほうが「……してもらえる?/もらえますか?」より、やわらかいであろう。
(中略)
 このことも含めてさらに一般的には、〈間接的・婉曲な述べ方のほうが直接的な述べ方よりもやわらかい(→丁寧な)印象を与える〉という傾向がある。「お早くお召し上がりください」より「お早めにお召し上がりください」のほうが丁寧に響くのもその例である。(P.82~84)
 ものすごく基本的なことだと思うけど、こういう記述をちゃんと読んだ記憶がない。今後の引用の都合もありそうなのでメモしておく。

【引用部】
とくに日本語では「あなた」という語は使いにくい面があるので、一々主語を「私」だの「あなた」だのと言わなくても、それを敬語で紛れなく示すというのは──それだけの技量をもっている人は──、まことにスマートな敬語づかいといえるだろう。(P.101)
 このあたりは(P.32)の記述と微妙にリンクしているかも。

【引用部】
あそこの饅頭(まんじゅう)はうまいですね。(P.104)
 別に例文はなんでもいいのだから、あえて〈形容詞+です〉を出さなくてもいいものを。まあ、「ね」がついてるから許容範囲だけど。「おいしいです」とかにすればいいじゃない……と一瞬でも考えてしまった自分の間抜けさがイヤ。それじゃ同じことだって。

【引用部】
これは一つには、「ます」による丁寧語は誰でも簡単に使える(これに比べて、尊敬語を使いこなすのはさほど簡単ではない)という事情もあるかと思われるが、ともかく、ごく一般的には、(後略)(P.107)
 このあとも長く続くが、「二つ目」も「次に」は出てこない。この用法は丸谷才一に文章でも目にしたから、もはや許容なのかもしれない。なんだかなぁ。

 P.116に「特定形」という言葉が出てくる。「言う」が一般形で、「おっしゃる」が特定形ってこと。これからはこの言葉を使おうか。「不規則敬語」って好きだったんだけど。

【引用部】
もっとも三上氏は、旧軍隊では、士官(尉官)が将軍に向かって言う場合には上長官(左官)をも呼び捨てにするという伝聞を紹介しているのだが、少なくとも現代の企業などではあまり見られない習慣だろう。(P.127)
 この少し前には三上章のことを「氏は日本語の文法・敬語に関して大きな功績を残した研究者」と書いている。なんか気にかかる書き方だな。

【引用部】
そこで、敬語(普通レベルの敬度をもつ諸敬語)を使い慣れている人にとっては、レル敬語はいわば「安っぽい」「ぎこちない」敬語という位置づけになるのだが、一方、レル敬語の愛好者にとっては、「お/ご~~になる」は丁寧すぎてうるさい」と感じられることがあるらしい。感覚の個人差で、この辺が難しいところだが、要するに相手や場合によって使い分ければよいわけであろう。なお、ある種の書き言葉(たとえば書物や論文などの中)ではナル敬語は使いにくい(四四頁)といった面もある。
 ちなみに歴史的には、レル敬語は、東京の話し言葉では江戸時代にも明治にもわずかしか使われていなかったが、東京語以外の要素も取り入れながら標準語が制定されていく中で、東京でも昭和十年代ごろから使用が増えてきた、という経緯をもつ(金田弘氏による)。(P.146~147)
 レル敬語とナル敬語の話のなかに出てきた記述。このあたりを「個人差」という言葉で片づけていいのかという判断がむずかしい。

【引用部】
前述の〈一般形〉ではない〈特定形〉であるが(一一六頁)、とくに〈一般形〉のかわりに使われるという意味では〈言い換え形〉と読んでもよかろう(〈代用形〉と呼ぶ場合もある)。(P.157)
〈言い換え形〉はまだしも〈代用形〉は失礼だろう。常用漢字にないから代用漢字を使う、というのとは話が違うんだから。

【引用部】
 ③「死ぬ」は「お死にになる」とは言わない。直接的な表現を避けて「おなくなりになる」と言う。「なくなる」自体も「死ぬ」に比べ間接的なので、ある程度尊敬語的な感じがするがこれは身内にも使うので、厳密には尊敬語ではない(犬や猫の死にも「なくなる」)と使う人もいるほどである)。「なくなられる」「おなくなりになる」と使ってはじめて尊敬語と見るべきだろう。(P.165)
 やはりそういうことですね。

【引用部】
 以上、種々に制約を見てきた。が、これらの場合を除けば、やはりかなり多くの語についてナル敬語は作れるのである。ちなみに、“「お」の音で始まる動詞は「お~~になる」の形にするができない(「お」の音の重なりを嫌うため)”という俗説が一部にあるようだが──敬語についての入門的な読み物の中で、そのようなルールがあるかのように述べられているのを読んだことがあるが──、必ずしもそのようなことはない。たとえば「お起きになる・お置きになる・お送りになる・お教えになる・お思いになる・お降りになる」など、ごく自然に使われる。ただし、たとえば「お踊りになる・お驚きになる」などは、確かに不自然な感がある。(P.165)
 このあたりは、理屈では割り切れない問題だろう。

【引用部】
が、受身表現はしばしば迷惑を受けたという趣をもちやすく、ある人物を尊敬語で高めながら、その同じ人物によって迷惑をこうむったという言い方をするのは、やはり、そもそもなじまない感がある。「困った」ということを意図的に強調する場合や、ふざけて、あるいは皮肉で言うような場合はともかく、一般的には避けたほうがいいだろう。(P.175)
 この前にあるのは「ナル敬語+受身」の話。「お/ご~~になられる」の形は理屈の上ではなくはない。と書いたあとに続く部分。尊敬語を受身にすることへの異和感は、このあたりにもあるのかもしれない。
【「そのようにおっしゃられても困ります」〈3〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1800136243&owner_id=5019671

【引用部】(ちょっと形式をかえている)
○書いてくれる→(「くれる」を敬語に)→
①書いてくださる→(「書いて」を敬語に)→
②お書きになってくださる→(「になって」を除く)→
③お書きくださる

というわけである。漢語系の熟語の場合も原理は同じで、「指導してくれる→①指導してくださる→②ご指導なさって(ご指導になって)くださる→③ご指導くださる」と考えればよい(漢語系では上述のように「ご~~になる」と言いにくい語もあるので、②は、「ご~~なさる」と両形併記しておく)。①②③は、どれも「……てくれる」の尊敬語で、ただ敬度が違うだけである。敬度は②③①の順だが、②と③はそれほど敬度が違わず、むしろ②はやや冗長な感じがしたり、場合によっては不自然だったりするので(二一〇―二一二頁)、簡潔で敬度も十分な③の「お/ご~~くださる」が頻繁に使われる。敬度の高い依頼の形としては「お/ご~~ください(くださいませ、くださいませんか、くださいませんでしょうか、くださいますようお願い申し上げます」ということになる。(「……ますか」より「……ませんか」のほうが敬度が高く響くことは、八三頁参照)。(P.204~205)
 この考え方は、いろいろな形に応用できる。この直後に出てくる「書いてもらう」の場合も同様。
  書いてもらう→書いていただく→
  お書きになっていただく→お書きいただく
 ということ。ここを押さえておくと、「敬語連結」や「二重敬語」について考えるときに実に役に立つ。

【引用部】
「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」は、一般に誤り。
  ─→『して」を取って、「お/ご~~くださる(ください)」「お/ご~~いただく」と言えばよい。

 「一般に」にと書き添えたのは、特別な場合には、この「お/ご~~してくださる(ください)」「お/ご~~していただく」という形が誤りでなく使われる場合もありうるからなのだが、これについてはあとで触れるとしよう(二六六〜二六七頁)。だが、それはかなり特別な場合なので、一般にはこの形は誤りと覚えておいてよい。
 〈語形〉について、ほかに細かい点をいくつか補足しておこう。まず、「お/ご〜〜をくださる」「お/ご〜〜をいただく」と、「を」を入れて使う形について。この形は時々使う人があり(とくに「いただく」の場合に多いようである)、なぜか国会の質問や答弁で「お調べをいただく」「ご審議をいただく」などと頻繁に耳にするのだが、私の語感では、いささか耳障りである。読者には、「お偉方がお使いになるのだから正しいのだろう」などと安易に真似をしないようにお勧めしておきたい。ただし、「お許しをいただく」「ご指導をいただく」などのように、「お/ご〜〜」の部分が名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合ならば、「を」を入れても不自然ではない。(P.209〜210)
 前半は下記の問題にかかわる。あのときは新鮮な発見の気がしたが、けっこうよく見る問題らしい。
235)【「お○○してください」「ご○○してください」「お~してください」「ご~してください」☆日本語教師☆】玉石混交
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1515394161&owner_id=5019671
 後半は下記で少し書いて挫折した話。〈名詞としての独立性を十分にもち、かつ、「いただく」が単に「恩恵を得る」意にとどまらず「相手側から話手側に向かう行為などを受ける」という方向性をもった意で使われる場合〉ってどういう場合なんだろう(泣)。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
(2)の例としては、「いつご出発ですか」・「こちらでお召しあがりですか」(たとえば外食産業の販売員が客に、店で食べるか持ち帰るかを聞くときに使う)/「ご使用の際は説明書をお読みください」(後略)(P.236)
 いきなり(2)と書いてもなんのことかわからんよな。こういう引用のしかたはいけません。テーマになっているのは、『敬語再入門』の読書感想文で少し書いた「お/ご〜〜だ(です)」の形。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1824714512&owner_id=5019671
================================引用開始
【引用部】
Q.「読んでいる」を尊敬語でいうとどうなりますか。(P.52)
 イチバン敬度が高いのは「読んで」と「いる」の両方を尊敬語にする「お読みになっていらっしゃる」。これは「敬語連結」なので「二重敬語」ではない。
 片方だけを敬語にした下記の形も一般的。
  読んでいらっしゃる
  お読みになっている

 どちらかと言うと、後半だけを敬語にする「読んでいらっしゃる」のほうが一般的らしい。
 このほかに「レル敬語」系の「読まれている」はあまりこなれていない。「読んでおられる」は誤用の疑いアリとのこと。
 著者がすすめているのは、「お読みだ/お読みです」の類い。「お読みでいらっしゃる」にするとさらに敬度が上がる。
 この言い方は少なくとも2つの問題にかかわる。
 ひとつは「お召し上がりですか?」。もうひとつは後出の「○○住み」。
================================引用終了
「お/ご〜〜だ(です)」は、一般には(1)「……している」という意味。そのほかに(2)「……する」、(3)「……した」の意味もある。(3)「……した」の典型は帰宅途中の人に近所の人が言う「いまお帰りですか」。
 (2)「……する」の典型が「こちらでお召しあがりですか」。本書では「たとえば」とあるが、これ以外の用法があるのだろうか。奥さんが旦那にこう言ったら、ほとんど喧嘩腰だろうな。
「こちらでお召しあがりですか」を問題視する意見もよく目にする。お手本になるような敬語だとは思わないが「間違い」ではない(こればっかり)。ちょっと言葉足らずな気はするけど、適切な言いかえが思い浮かばない。「こちらでお召しあがりになりますか?」だろうか。この形は二重敬語だけど、文化庁が許容しているのでOKだろう。ただ、セットになっている(ポテトとコーラじゃなく)慣用句が妙なことになる。「お持ち帰りになりますか?」かな。
「お持ち帰りになりますか? こちらでお召しあがりになりますか?」か……相当クドいな。

【引用部】
 「切符をお持ちの方」「お探しの品」など「お/ご〜〜の+名詞」という言い方は、以上に見てきた尊敬語「お/ご〜〜だ(です)」が連体修飾語として使われたものといえる。この「お/ご〜〜の+名詞」という形を「今日ご紹介の〔私どもが皆さんにご紹介する〕お
品は……」(テレフォンショッピングの広告)などと使うのは、謙譲語(本書の謙譲語A)として使っていることになり、少なくとも私の語感では違和感がある。(謙譲語なら「今日紹介するお品」というべきところである)。ただし、来客が持ってきた菓子などをその客に出すとき「お持たせのお品で失礼ですが」と言うのは、「お持たせした〔=自分が用意すべきものを客に持たせた(運ばせた)〕」意で、理屈の上では謙譲語としての使い方である。定型化した例外的なものと見ておきたい。(P.238)
 ウーム。今日ご紹介のお品は……」は単純に「ご紹介する」の省略形と考えていた。違うのね。「お持たせのお品」にもこんな深い背景があるのね。耳から漏れる煙が止まらない……。

【引用部】
 ただし、厳密には、職名と敬称はやはり異なる。つまり、たとえば不名誉なことをして新聞に出る場合でも「○○教授」「○○社長」なのであり、これは、呼び捨てにもできないから付けているだけのことで、敬度の高い敬称ではない。教師については、こうしたケースでは「○○先生」とは絶対いわない。「先生」は敬称、「教授」は職名なのである。そこで、大学に学外からかかってきた電話を助手が受けて教授について話す場合、「○○先生は授業中です」より「○○教授は授業中です」のほうが、身内を高めないという意味で望ましい、ということになるかと思われる。(P.245)
「なるかと思われる」という結びが気になるが、そのことはおく。大学は「授業」じゃなく「講義」だろう、というツッコミも、近年は「授業」というらしいから無視する。そういうことではなく、こういう論理的な文章を読むと気持ちがいい(ほんの少しだけ冗長な気はするけど)。〈「先生」は敬称、「教授」は職名〉ですか。だから不名誉なことをした場合は「先生」ではなく「教諭」なのね。「社長」の場合は、「○○会社社長の△△■■氏」くらいかな。

【引用部】
接尾語「……方(たとえば「先生方」)」は、「……たち」の尊敬語。学生が公式的な場などで「先生たち」と言うのは敬度が不十分で、「先生方」とありたいところである。「……方」が尊敬、「……たち」がニュートラル、「……ども」が謙譲という関係になる。(P.246)
 ちょっと気になって調べた。「方」は複数を指す場合と、単数を指す場合がある。単数の場合は名詞で「かた」、複数の場合は接尾語で「がた」らしい。「方々」は単数の「かた」の複数形らしい。なんのこっちゃ。
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/03297400/
================================引用開始
かた【方】
【1】[名]
4 《方角を示すことによって間接的に》人をさす敬った言い方。「女の―」「乗り越しの―」
【2】[接尾]
5 《「がた」とも》名詞に付く。
①二つあるものの一方の側、また、それに属する人を表す。「相手―」「母―」
②その物事を担当する係であることを表す。「まかない―」「会計―」
6 《「がた」とも》数量などを表す名詞に付いて、だいたいそのくらいの意を表す。「三割―安い」「八割―片付いた」
================================引用終了

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%96%B9&dtype=0&dname=0na&stype=0&index=03301700&pagenum=1
================================引用開始
がた【方】
[接尾]
1 人を表す名詞に付いて、複数の人々を尊敬していう意を表す。「先生―」「奥様―」
2 時に関する名詞や動詞の連用形に付いて、だいたいその時分という意を表す。「暮れ―」「明け―」
3 「かた(方)【2】56」に同じ。
→達(たち)[用法]
================================引用終了
 オイオイ、〈【2】56〉じゃなくて、〈【2】5①②〉だろう。記載がかわって、修正しきれなかったな(笑)。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%96%B9%E3%80%85&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かた‐がた【方方/×旁】
【1】[名]
1 (方方)「人々」の敬称。かたたち。「お世話になった―」
================================引用終了

【引用部】
 「……各位」(たとえば「読者各位」)は、一人ずつを高める趣の表現。「位」がすでに(元
来は中国語)人を高めて指す言い方なので、「各位様」と使うのはおかしい。(P.246)
■Web辞書『大辞泉』から
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E8%9C%B7%EF%BF%BD%EF%BD%BD%EF%BF%BD&stype=0&dtype=0
================================引用開始
かく‐い〔‐ヰ〕【各位】
大ぜいの人を対象にして、その一人一人を敬って言う語。皆様。皆様方。多く、改まった席上や書面で用いる。「会員―にお知らせします」

◆「各位殿」という表現は、敬意が重複することになるので、好ましくない。
================================引用終了
 ということは「お客様各位」も重言なんだろうか。でも「顧客各位」「利用者各位」はマズいんじゃなかろうか。

 P.247〜のテーマは〈「……だ/です」の尊敬語〉。例の話が出てくる。敬語に慣れている人は、「……だ/です」の内容を以下のように使い分ける。
 I人称者(自分側)を主語とするときは「……でございます」
 II人称者(相手側)を主語とするときは「……でいらっしゃいます」
 理屈ではわかっていても、これができないorz。待ち合わせをした人に「田中さんでございますか?」って言っちゃいそうだよな。
「私は時間がございますが、先生はお時間がおありですか」
 これも「お時間はございますか」って言っちゃいそう。敬語は悩ましい。

 P.250〜のテーマは〈形容詞・形容動詞についての尊敬語〉。本題とは別のところでちょっと気になる。形容詞は「お/ご」をつけて尊敬語にでき、「お忙しいですか」のように使うそうだ。ここも「か」がついているので、許容範囲かな。いろいろ考えて、「形容詞+です」はもうOKと考えるしかないのかな、と思いつつある。
 この場合にもP.247〜の話が適用され、II人称者(相手側)を主語にするときは、「お忙しゅうございますか」ではなく「お忙しくていらっしゃいますか」のほうがふさわしいらしい。これもダメだな。さすがに「忙しゅう」は使わないが「お忙しいですか」とか言ってしまいそう。

【引用部】
したがって、「安い/買いやすい」という意味で「お求めやすい」と近年よく使うのは、本来なら「お求めになりやすい」と言うべきところである。が、この「お求めやすい」はすっかり定着してしまった。すでに誤りとは言いにくいほどで、「お求めやすい」全体で一種の丁寧語のようになっている、とでも見るべきなのかもしれない。(P.251)
 このあたりも「柔軟性がある」と考えるべきなのだろうか。「お求めやすい」って定着したの? まだ認めてほしくない。

【引用部】
 副詞の尊敬語としては、「お早々と」「ごゆっくり」などがある。「いつもお早々とお年賀状をくださる」「坂が急ですので、どうぞ、ごゆっくりお歩きください」のように、その副詞が係る動詞の、やはり主語を高める。ただし、「お早々とお年賀状をいただき有難うございました」の場合は、「いただく」の主語ではなく〈与え手〉を高めることになる。(P.251)
 さりげなく、重大なことを言っている。これが正しいなら、「ご来店いただきありがとうございます」も何も問題がなくなる。

【引用部】
 II−2で、日本語の敬語は言語体系の随所に発達していると述べたが、品詞という観点からも、これまで見てきたように、動詞・名詞・形容詞・形容動詞・副詞・助動詞(名詞の後の「だ/です」は助動詞)・助詞(さらに「この→こちらの」「したがって→したがいまして」(尊敬語ではないが)などまで含めれば連体詞・接続詞にも)と、実に多くの品詞について敬語が存するわけである。(P.253)
 二重パーレンはやめようよ、という話はおく。
 なんかこんな感じで書いてあると、ホント尊敬語だけでおなかいっぱい。
 字数制限があるので、項を改める。


読書感想文/『敬語』2

 やっと謙譲語。なお、本書で謙譲語Aと書いているのは謙譲語Iのことで謙譲語Bと書いているのは謙譲語IIのこと。新しい?言い方の謙譲語I、謙譲語IIに書きかえる。

【引用部】
  ア 私はそのやくざに、早く足を洗うように申し上げました。
  イ 私はそのやくざに、早く足を洗うように申しました。
 イはよいが、アはおかしいと直ちに感じられるであろう。この差は何なんだろうか。「申し上げる」と「申す」とは、どちらも「言う」の謙譲語と呼ばれるものの、〈誰に対する敬語か〉という点で性質が違い、それによってアとイの適否の差も分かれるのである。(P.254)
 答えだけを書くなら。アは謙譲語Iで、イは謙譲語IIだから。と書いてもわからないだろうな。これを理解してもらうには、数ページにわたって引用する必要がある。謙譲語Iと謙譲語IIの話はメンドーなので、『敬語再入門』の読書感想文のときには避けて通った。個人的な整理の意味をこめて、書いてみる。相当の難物だけどしっかりついてくるように。
……「センセー、先頭を走っていたはずのtobiクンがいません。真っ先に脱落したみたいで〜す」「放っておきなさい」
 引用できるテキストだと「敬語の指針」になるのだろう。ただ、これもP.18〜20あたりを丸々引用する必要がありそうだ。以下、本書と「敬語の指針」をうんと圧縮してポイントだけを書く。
●謙譲語I(一般に謙譲語と言われているのはこちらだと思っていい……はず)
 これはいっぱいあるので覚えなくていい。謙譲語IIだけを覚えることをおすすめする。
【例】
 一般形……「お/ご〜する」「お/ご〜申し上げる」「お/ご〜いただく」……etc.
 特定形……伺う/承る/申し上げる/存じ上げる/さしあげる/……etc.
 接頭語……自分側の「お手紙」「ご説明」(相手側の「お手紙」は尊敬語)……etc.
      拝(動詞にもかかわるので別にしておく)……etc.
●謙譲語II
 特定形……参る、申す、いたす、おる、存じる
  補助動詞として使われる「〜いたす」「〜おる」も同様
 接頭語……愚、小、拙、弊……etc.
●謙譲語Iと謙譲語IIの違い
1)謙譲語Iは補語を高め、謙譲語IIは聞き手(読み手)を高める
 【引用部】のアがおかしいのは、「やくざ」に対して敬語を使うことになるから。イがおかしくないのは、聞き手(読み手)に対する敬語だから。通常は「(文中の)補語」=「聞き手(読み手)」ってことが多いからとくに意識しなくていい。微妙な問題に踏み込むなら、ここを区別しなければならない。
2)謙譲語IIは原則として丁寧語を伴う
 【引用部】の例の補語をかえて考える。
  ア-2 私は先生に、早く足を洗うように申し上げた。
  イ-2 私は先生に、早く足を洗うように申した。
 たとえば日記なんかだと、敬体(デス・マス体)ではなく常体(デアル体)で書く人が多いと思う。常体の文章のなかで、ア-2のように書いてもおかしくない。こう書いても「先生」に対する敬意は残る。イ-2はかなりおかしい。聞き手(読み手)に対する敬語である謙譲語IIは、常体にはなじまない。そのためか、謙譲語IIは「丁重語」とも呼ばれる。
3)謙譲語IIは聞き手(読み手)に直接関係のない対象にも使える
【引用部】
  ヤ この退会には全国から三百人の選手が参加いたします。(スポーツの放送)
  ユ まもなく電車がまいります。(駅のアナウンス)
  ヨ プラトンが申しますには……(学者の講義)(P.273)
4)「お/ご〜いたします」は謙譲語I兼謙譲語IIの特殊な形
 本書のP.297〜306に詳しく書いてあるがあまりにも長いので、「敬語の指針」からひく。
「敬語の指針」p.30~から====================引用開始

【補足イ:謙譲語Iと謙譲語IIの両方の性質を併せ持つ敬語】 
謙譲語Iと謙譲語IIとは,上述のように異なる種類の敬語であるが,その一方で, 両方の性質を併せ持つ敬語として「お(ご)......いたす」がある。 
「駅で先生をお待ちいたします。」と述べる場合,「駅で先生を待ちます。」と同じ 内容であるが,「待つ」の代わりに「お待ちいたす」が使われている。これは,「お待 ちする」の「する」を更に「いたす」に代えたものであり,「お待ちする」(謙譲語I) と「いたす」(謙譲語II)の両方が使われていることになる。この場合,「お待ちする」 の働きにより,「待つ」の<向かう先>である「先生」を立てるとともに,「いたす」 の働きにより,話や文章の<相手>(「先生」である場合も,他の人物である場合も ある。)に対して丁重に述べることにもなる。 
つまり,「お(ご)......いたす」は,「自分側から相手側又は第三者に向かう行為につ いて,その向かう先の人物を立てるとともに,話や文章の相手に対して丁重に述べる」 という働きを持つ,「謙譲語I」兼「謙譲語II」である。
================================引用終了

【引用部】
 会社の社長が挨拶するとき、司会者が
  ソ 只今より、○○社長にご挨拶をいただきます。
  タ 只今より、○○社長がご挨拶を申し上げます。
のどちらを使うべきか──これは、相手次第で使い分けなければならない。社内の会合なら、社長を高めるソでよいが、社外からの参加者のある会合(たとえば株主総会)なら、ソはまずい。(P.260)
 これは敬語の上級問題だろう。迷った場合の逃げ方はP.262にある(社長ではなく「会長」になっている)。
「只今より、○○会長のご挨拶がございます」
「ご挨拶」は尊敬語としても、謙譲語Iとしても使える。ウーム。なんてホニャララな……。このテクニックは本書の中に何回か出てくる。

【引用部】
 「お/ご〜〜する」という形自体は古くから散見するのだが、本書のいう〈一般形〉として使われるようになったのはさほど古くはなく、小松寿雄氏の調査によると明治三十年代ごろからのようである。ただし、その当初からしばらくの間は、実際には次第に使われるようになってはきても、「お/ご〜〜いたす」や、当時の代表的な謙譲語「お/ご〜〜申す」のほうが規範にかなった言い方だという意識があったようで、小松氏によれば、昭和十年代になっても(一部には戦後になっても)「お/ご〜〜する」という言い方は認めないとする向きがあったという(言葉についてやかましく論評する人は、いつの世にもいるもののようである)。「お/ご〜〜する」が、規範的な立場からも一般に認められるようになったのは、戦後のことのようである。(P.282)
 言葉の歴史的な変遷に関しては、できるだけかかわらないようにしている。なんらかの根拠がある確度の高い説には耳を傾けるが、そうでないものは聞き流す。当方が興味をもつのは、主として現在使われる言葉限定。この〈「お/ご〜する」未熟説〉(なのか?)については、Wikipediaか何かで、金田一(ファミリーの誰か)が同じようなことを主張したという記述を見た。
 気になってあれこれ検索して見つけた。ああこんなことを書いていると終わらない(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1455.html
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引用開始
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多くの人は、「お~する」は全体で謙譲語だがら問題ないと考え、違和感を持っていないのですから、ことさら問題を提起することはないのですが、金田一京助博士は「お~する」を謙譲で使うのは間違いだと書いていますから、大正の頃は正しくない表現だと考えられていたようです。現在では、「(先生を)お誘いする」「(先生のために)お調べする」などは最も普通の謙譲表現ですが、以前は不自然だと感じられていたのです。現在ではさらに、「(私は会社を)お休みします」のように行為が相手に及ばず謙譲にはならない「お~する」も使われますが、美化語としか言いようがありません。(p.14-15)
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 一文が長くてわかりにくい文章だが、ポイントは2点あると思う。
1)大正の頃は「お~する」を謙譲で使うのは間違いと考えられていたらしい
 こういう言葉の歴史のような話は苦手なので、スルーしたい。「ことさら問題を提起することはない」だろう。ただ、現在でも疑問に思う人が多いことと、比較的最近まで「間違い」と考えられていたことは無関係ではないと思う。

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引用終了
 【引用部】の末尾の「無関係ではないと思う」は考えすぎだな。世間で「お/ご〜する」はおかしいと主張している大半の人は「自分の行動に〈お/ご〉をつけるのはおかしい」という的外れな根拠をあげる。そういう人は「お/ご〜いたす」や「お/ご〜申す」にもインネンをつけるのだろう。

【引用部】
 なおまた、語によっては「お/ご〜〜“を”する」の形でも使えるものもある(例「お尋ねをする」「ご説明をする」)が、一部政治家の演説などでこの「を」をやたらに使う傾向がある(たとえば「お調べをする」などと言う)のは、聞き苦しい。(P.286)※原文は“を”ではな、傍線つきの「を」
 そうか。熟語動詞(仮)でなくても「を」が入るのね。やはり政治家用語なのかも。
441)【「サ変動詞」(熟語動詞)の怪】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1691633286&owner_id=5019671

【引用部】
 もっとも氏は、この調査での「お/ご〜〜する」の全用例二一二のうち、誤用は一一例にとどまっているとして「実際には危惧するほどのことはないかもしれません」ともされるのだが、もし今日、実際の敬語使用の調査を改めて行えば、誤用の頻度は、このころに比べてかなり増えているのではないかと思われる。(P.294〜295)
 この一文は長くないか? しかも「頻度」は「増え」ないだろう、ってなんちゅう恐ろしい揚げ足取りを……。「頻度が増える」は相当ヤだけど「頻度が増す」だとさほど異和感がないのはなぜだろう。
 閑話休題。
 ↑の【引用部】は〈「お/ご〜〜する」の誤用〉という項目の中にある。「誤用」の具体例は「お/ご〜〜する」を尊敬語として使うこと。
1)ご利用してますか(正しくは「ご利用なさってますか」くらい)
2)ご利用しやすくなる(正しくは「ご利用なさりやすくなる」くらい)
3)ご乗車できる(正しくは「ご乗車になれる」くらい)
 元々の「お/ご〜〜する」が謙譲語なんだから、相手方の行動に使っちゃ×だろう。可能形にかえたって、ダメなものはダメ。でも「ご乗車できます」「ご利用できます」なんてアリガチでスルーしちゃいそうだよな。

【引用部】
 また、たとえば、人に、自分の作った書類に目を通して添削や捺印をしてもらったり、こわれた自分の物を修理してもらったりするような場合、「その書類(物)をこれからそちらへ持っていく」という内容を「これからお持ちします」と言うのも、たいへんきびしくいえば、おかしいともいえる使い方である。(P.295)
 これは微妙すぎる。「あなたの書類(物)を持っていく」わけでもなく、「あなたのために持っていく」わけでもないからおかしいらしい。正解は「持ってまいります」くらいらしい。わからん(泣)。

【引用部】
 右のように、「おる」には、謙譲、丁重/丁寧、卑しめ、尊大、ニュートラルの各用法がある。(P.322)
 P.318〜のテーマは「おる」。これがまた難物で、延々と続いた結びが上記。当方の文章力ではとても要点をまとめきれない。これが「おられる」の話になるとさらにメンドーで……。話は前後するが、途中に興味深い記述がある。

【引用部】
⑤[ニュートラルな用法]
 (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。
 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。
  ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉
  ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321〜322)
 この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。
 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。
「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。
 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。
 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。
 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。

【引用部】
 以上のように「おられる」はすでに誤用とも言いにくいほどだが、本来は誤用であるとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいだろう。(P.333)
「おられる」に関して5ページにわたって解説した結びの一文。辞書類が認めてしまっているので「誤用」と言うのは無理があるだろう。この問題はネットの質問サイトでウンザリするほど取り上げられている。この『敬語』か『敬語再入門』の記述を不用意に孫引きしたためにエラい勢いで噛み付かれているのを見た記憶がある。
 当方の考え方は下記。間違ってはいないよな。ドキドキ。
突然ですが問題です【日本語編82】──おられる【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2231.html

※これじゃいくらなんでも中途半端だな。
 ってことで、下記をどうぞ。
おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801.html

【引用部】
 ただ、こうした傾向が将来進むところまで進んでしまうと、〈「やる」が普通の表現で「あげる」は《上品》な美化語〉という関係ではなく、〈「あげる」が普通の表現で「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉ということになり、「あげる」は美化語だとさえ言いにくくなっていくことになる(このような先例としては「食う」に対する「食べる」がある。三九頁参照)。(P.339)
 P.333のテーマは〈5 「さしあげる」(謙譲語I)と「あげる」(謙譲語I/美化語)〉。
本来は謙譲語Iだった「あげる」は美化語になりつつあるらしい。世間はもう少し進んで、すでに〈「やる」は粗雑あるいは《卑俗》な言葉〉になっている気がする。
246)【「やる」 「あげる」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1378.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1523098273&owner_id=5019671
589)突然ですが問題です【日本語編72】──「食う」を使う慣用句 「食べる」を使う慣用句 【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2163.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1781571782&owner_id=5019671 

【引用部】
 ちなみに、「ももたろう」の歌には「おこしにつけたきびだんご、ひとつわたしにくださいな」と請われた桃太郎が「やりましょう、やりましょう」と歌う歌詞と「あげましょう、あげましょう」と歌う歌詞とがある。余談ながら、このことに触れてみよう。(P.340)
 ↑のコメント欄で教えてもらった話。こんなヨタ話まで引用するから、どんどん長くなるorz。
 以下、著者が調べた限り(これで?)の結果を時系列で箇条書きにする。
・初めて採用された1911年の『尋常小学唱歌 第一学年』は「やりませう」
・1932年の同新訂版も「やりませう」
・戦後の教科書には見当たらない(「これからおにのせいばつに」がよくなかった?)
・1954年検定の教科書(教育出版)に再登場。「やりましょう、やりましょう、これからおにをこらしめに……」
・1957年検定の教科書(教育芸術社)。「あげましょう、あげましょう、これからおにをこらしめに」
・1960年検定の教科書(教育出版)。「やりましょう……せいばつに」
・1973年検定(76年度まで使用)の教科書。「やりましょう……せいばつに」(音楽之友社)、「やりましょう……こらしめに」
・これを最後に「ももたろう」は教科書から姿を消す。

 P.342にある「あがる」の話。「訪ねる」の謙譲語I。「お届けにあがる」「お願いにあがる」などと使う。訪問を受ける側が「どうぞおあがりください」などと言うのは誤用。
【引用部】
ただし、同じ「あがる」でも、すでに訪問先の玄関に入ったあと家の中にまで入る意の「あがる」は、謙譲語ではないので、こちらは、訪問を受ける側が「どうぞ中へおあがりください」と言える。(P.342)
 一応理解したつもりだけど、脱落寸前(泣)。

【引用部】
 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)。が、「昼食は各自持参のこと」「上記の金額を……持参人へお支払いください」(小切手の文面。ちなみに「持参人」という語は関係法規にも見える)、「あなたも承知しておいてください」などのように、謙譲語とは言えない使い方をする場合も少なくない。さらに「ご持参ください」「ご承知の通り」のように尊敬語として使う場合もある(私自身の感覚では、相手とくに目上に「ご持参ください」と言うのは抵抗があり、使わないほうが無難だという気はするが)。結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう。(P.346〜347)
 どこで切ったらよいかわからず、ズルズルと引用してしまった。この「どこで引用をやめたらいいかわからん感覚」は、清水読本の読書感想文を書いたときに近い。
「参」「承」は謙譲語性は薄い、ということを、著者の文体で書くとこういうことになるのだろう。こうなる最大の原因は、著者の知識量があまりにも多いこと。こういう書き方をすると批判しているようにも見えるかもしれないが、決してそんなつもりはない。批判に読めるとしたら、書き手の人損?だろう。

 P.361〜のテーマは〈「です・ます体」の中の諸段階〉。これも積年の悩み。
 極端に要約すると、複文?の場合の前半部をデス・マス体にするか否かってこと。例として次の5つがあげられている。前半部の「あります」を「ある」にするべきか否か。
  ア 非常ベルがあります。安心です。
  イ ベルがありますが、やはり不安です。
  ウ ベルがありますから、安心です。
  エ ベルがありますので、安心です。
  オ ここにありますベルを鳴らしました。
 本書は、下記くらいがフツーだろうとしている。
 イは「ある」だとややぞんざい。ウはどちらでもよい感じ。エは丁重すぎる感じ。オは丁重すぎて不十分な感じ。
 当方の感覚も同じだが、なぜイだけが「が、」の前をデアル体にするとぞんざいな印象になるのかがサッパリわからない。
 これをさらに細かく分析し、以下のものは過剰敬語と批判されることもあるとしている。
・名詞の前にも「ます」を入れる(↑のオ)のような形
・「そうすると」「したがって」「続いて」などの接続詞的な語の中にも「ます」を入れる。「そうしますと」「したがいまして」「続きまして」
※「続きまして」はショートコントやモノマネの口上でよく見る。 
・「……ませんです」「……ますです」式の言い方。
 上記の3つは、後ろのほうほど丁寧な感じが強くなるらしい。
 うーん。つまり「……ませんです」「……ますです」も×ではないのか。

【引用部】
「お/ご」を付けて皮肉や茶化した表現とすることが固定化した例としては、「ご大層・ご乱行(らんぎょう)・ご乱心・おあいにく様」などがある。これらは美化語とも言いにくい(なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない)。(P.376)
 これはかの有名な醜化語ですね(笑)。そうか「ご大層」以外にも醜化語限定がこんなにあるのか。
569)突然ですが問題です【日本語編67】──美化語の悪用 ご大層 ご苦労 お荷物【解答?編】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2140.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1774719941&owner_id=5019671
 ちょっと気になったのは〈なお「おあいにく様」は皮肉でなく使う場合もないわけではない〉って部分。どんな場合があるのだろう。
 ちなみに、P.382では〈皮肉や茶化した表現として固定化したもの〉として〈「ご大層・おあいにく様」など〉としている。

【引用部】
「もっていく」に対する「携行」、「買う」に対する「購入」、冒頭で見た「(包装を)開ける」に対する「開封」や、「だんだん」に対する「次第に」などの漢語系のもの、I-2で触れた「わたくし」なども改まり語の一種といえよう。やはり「だんだん」と同義の「漸く」のような、いわば優美な和語(雅語)にも一種の改まりの趣がある。「只今より……を開催いたします」というような「より」も──私自身の感覚では、「から」と言えば十分ではないかと思って聞くことも多いのだが──、「から」よりも改まった表現という気持ちで使われているのであろう。(P.377)
 漢語系の改まり語もあれば、和語(雅語)の改まり語もある。どちらがMAX敬語なんてことは一概に言えない。どちらかと言うと、漢語系のほうが多い気がするけど。
 さて、「から」と「より」の話。
【板外編6】「起点のヨリ」と「比較のヨリ」
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-685.html
 同様の例に「で」と「にて」がある「(交通手段など)にて」「(場所)にて」あたりも当方の感覚では、〈「で」と言えば十分ではないか〉と思う。
 つい先日、似た例を思い出した。「工夫がされている」と「工夫がなされている」。これはこれでひとつのテーマになる気がする。

【引用部】
敬語を使い慣れた人でも、話題にしようとする人物を身内扱いすべきかどうか迷うことは少なくないし、使い慣れないと、つい、主婦が家族以外の人に、あるいは会社員や公務員が部外の人に
  主人(部長)がそうおっしゃいました。/主人の母(部長)にそうお伝えしました。
などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。(P.426)
 やはりそういうことなのだろう。
 余計な部分を省略して、当方の積年の課題に限って書きかえると、下記のようになる。
 会社員が部外の人に「部長にそうお伝えしました」などと言ってしまう──それが誤りになってしまうのが相対敬語なのである。
「絶対敬語」と「相対敬語」に関しては本書を読んでもらうほうがいいだろう。現代の敬語は「相対敬語」と考えてよいはず。ただ、部外の人に「部長にご相談します」がヘンなのはスンナリ理解できるが、「部長にお伝えします」だと異和感がぐんと弱くなる理由は不明のまま。

【引用部】
なお、あえて付け加えると、最近の傾向として──あるいは昔からなのかもしれないが──、人のささいな誤りに一々目鯨を立てる人に限って、本人も結構な誤りをおかしている場合も少なくないようである。自分でも敬語を使いきれていないに相違ないと思われる“識者”や投書者が、誤ってもいない敬語を誤りと決めつけているのなどを見るのは、やりきれない思いがする。(P.434)
〈昔からなのか〉否かは、昔のことを知らない当方にはわからない。ただ、状況は確実にヒドくなっている。mixiにしてもYahoo!知恵袋にしてもネット全般にしても、敬語に関する話は相当悲惨なことになっている。日本語関係全般がヒドいとも言えるのだが、とくに敬語関連がヒドい気がする。以前、「〜からお預かりいたします」をキーワードに検索した結果を調べてゲンナリした。
782)【「正しい」日本語ってなんなんだろう〈4〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1849013908&owner_id=5019671
 一般の日本語の問題は辞書をひけばある程度の答えがわかるが、敬語関係は解決しないことが多い。イチバン頼りになるのは文化庁の「敬語の指針」だろう。これが問題が多いうえに、ムダに長いだけで決してわかりやすいとはいえない。誤読して訳のわからないことを書くコメントが多いのは、そのせいもあるのだろう。
629)【文化庁「敬語の指針」に対する言いたい放題】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2220.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798665663&owner_id=5019671

 このあたりのことを細かく書きはじめると読書感想文じゃなくなるので、いずれ改めて。

読書感想文『文章読本さん江』

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
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日本語アレコレの索引(日々増殖中)【14】
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mixi日記2008年05月03日から

 ええと。読書感想文です。
 家宝にしている『文章読本さん江』(斎藤美奈子)が文庫になっていました。数年ぶりに読み返してみて、やはり大笑いしてしまった。単行本を読んだときに書いた感想文に多少手を加えてアップしておきます。

 困っちまった。これはおもしろい。著者の名前を見かけることはあったが、著作を読むのは初めて。ニューウエーブの文芸評論家という印象があったが、この一冊はほとんど脱帽もんです。
 巻末の「引用文献/参考文献」のリストの量にまずのけぞる。「文章読本・文章指南書関係」が81冊、「文章史・作文教育史関係」が23冊並んでいる。まあ、「文章読本の文章読本」を本気で書こうとすると、このぐらいは資料として必要なのかも。

 著者は「小声でいうが、文章読本は、この挨拶部分がなによりいちばんおもしろい」と書く。入魂の挨拶文を次の3つに分類している。
1)恫喝型
2)道場破り型
3)恐れ入り型
【引用部】
 いままで我慢して見てきたが → ここまでひどくては仕方があるまい → いよいよワシの出番が来たようじゃ。他人が何ごとかを要領悪くやっているのを見ていれば、ついつい手出し、口出ししたくなるのが人情である。「ええい、ちょっとこっちへ貸してみな」の心境である。過去の文章読本がいかに使えないか=なぜ自分が出陣せねばならなかったかの陳述に一章全部費やしている文章読本まであるほどに、この境地はかなり多くの文章家に共有されているようである。(p.27)
 これは2)の解説にある文章。そんなすごい本があるんですね。例の本は参考文献のリストに入っていないから、「一章全部費やしている文章読本」って、別の本のことだよね。例の本は、「一冊全部費やしている」ようなもんだから違うよな。それにしても、「ええい、ちょっとこっちへ貸してみな」はおかしい。この表現は、このあとにも何回か出てくる。

【引用部】
 気持ちはわからないでもない。文章についての文章(=メタ文章)は、たしかにヤバい代物ではあるからだ。音楽の先生が音痴だったり、絵の先生のデッサンがくるっていたり、ダイエットの指導者がデブだったらシャレにならないのと同じ。「先にご自分の心配をなさったら?」とあらぬ指摘を受けぬためにも、あらかじめ逃げを打ちたくなる気持ちは理解できる。ワタシはみなさんが期待するような名文家じゃないですよ、と。(p.29)

 こちらは3)の解説中にあったもの。まあ謙遜ととってあげようよ。
 ただ、名文か否かなどというレベルではなく、ホントに「ご自分の心配」をしたほうがいい文章で書かれている「文章読本」が多いのも事実。それよりも許せないのは、実用書タイプの「文章読本」のほとんどが、思いつく限りの禁止事項をあげながら、それを説明する文章で実践していないこと。要は読者に無理難題を押し付けている、ってことを証明していらっしゃる。

 p.44~は、文章読本界の御三家&新御三家の要点を解説している。取り上げているのは次の6冊。
・文章読本界の御三家
  谷崎潤一郎『文章読本』(中央公論社・一九三四/中公文庫・一九七五)
  三島由紀夫『文章読本』(中央公論社・一九五九/中公文庫・一九七三)
  清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書・一九五九)
・文章読本界の新御三家
  本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞社・一九七六/朝日文庫=改訂版・一九八二)
  丸谷才一『文章読本』(中央公論社・一九七七/中公文庫・一九八〇)
  井上ひさし『自家製 文章読本』(新潮社・一九八四/新潮文庫・一九八七)
 さすがにいいところをついてくる。この6冊は、並みいる「文章読本」のなかでも別格扱いされてしかるべき。
 おかしかったのは、『日本語の作文技術』に対するコメント。

【引用部】
 親切過剰というか神経症的というか、一事が万事この調子。「文のわかりやすさ」に最大の価値を置く本多読本は、このくどさゆえに、いうほど「わかりやすく」も簡潔明瞭でもない。(p.64)

 これが一般的な受け取り方かもしれない。「親切過剰」や「神経症的」は言いすぎだと思うが、たしかにその傾向は否定できない。一般論として、ていねいに書けば書くほど、回りくどい印象になる。もっとヤバいのは、読み手の読解力との関連性。うんと単純に言ってしまうと、判る人はこのようなていねいな書き方を「親切過剰」と感じ、判らない人はどんなにていねいに書いても理解できない。そう考えてしまうと、懇切ていねいな説明なんてまったくムダ?

【引用部】
 どっちにしても文章読本の必要性はない──谷崎読本の冒頭部分と同じくらいの、これは「爆弾発言」である。〈この読本の唯一の教訓〉として井上は皮肉まじりに書く。〈伝達ではなく、表現の文章を綴ろうとなさる方は、各自、自分用の文章読本を編まれるのがよろしい〉と。(p.79)

 これはちと説明がいるだろう。〈谷崎読本の冒頭部分〉の要点は、p.47に次のように纏められている。
  (A)文章に実用的・芸術的の区別はない
  (B)あるがまま(見た通り、思った通り)に書け
  (C)文章は簡潔明瞭なのがベストである
 この記述が、後世の多くの「文章読本」で取り上げられてきた。これについて書きはじめると長ーくなるのでパス。そいでもって、先の引用文は、井上読本の末尾にある記述に対するもの。たしかに根本的な問題として、〈どっちにしても文章読本の必要性はない〉は正論なんだよな。ただし、これを正論として認めてしまうとつらいものがある。

【引用部】
 はたしてそのせいなのか、御三家、新御三家が水面下で論争をくりひろげていたようなテーマを、ほとんどの文章読本は正面きって論じてはいない。「話すように書け」「あるがままに書け」とすすめる本が予想したほど多くないのと同様に、「話すように書くな」「あるがままに書くな」とわざわざ記しているような本も、さほど多くはないのである。
 たいがいの文章読本が血道をあげているのは、原則論ではなく、もっと実用的、かつ具体的な文章作法上の心得や技術論である。とはいえ、そもそも「ワシにもいわせろ」の心境が引き金となって拡大再生産されてきたジャンルである。内容的に、ものすごーく新しいこと、はめったにない。たいていは「どこかで聞いた」「さっきも聞いた」「とっくに聞いた」な話である。文章の指導者がこんなに没個性でいいのかと、人ごとながらふと心配になるほどだ。(p.85)

 最後の一文がきいている。瑣末な〈実用的、かつ具体的な文章作法上の心得や技術論〉に限った話ではないだろう。原則論のほうだって、〈ものすごーく新しいこと〉はめったにない。
 このあとに、「文章読本が説く五大心得」が紹介される。
  1)わかりやすく書け
  2)短く書け 
  3)書き出しに気を配れ
  4)起承転結にのっとって書け
  5)品位をもて
 1)~5)の相関関係を見ると、1)と2)は深く関わっている。大前提として1)がある。そのためにどうしたらよいか、ということで2)が登場する。ごく一部のものを除き、ほとんどの「文章読本」は2)の主張をしている。その弊害についてふれている「文章読本」は少ない。
 本書では、2)の心得を紹介したあとで次のように書いている。

【引用部】
 短く書く。困難な課題だ。センテンスをブツブツ切る。調子が狂う。やってみればわかる。「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくい。のだ。(p.90~91)

 おっしゃるとおり。こんな当たり前のことをほとんどの「文章読本」が無視している。著者はこの直後に39字×9行の一文を書くほど念入りにオチョクる。このオチョクリかげんが絶妙だからたまらない。
 3)4)もいろいろ問題はあるけど、いちばん説明しにくいのが5)の問題。そこで登場するのが「文章読本が激する三大禁忌」だ。
  1)新奇な語(新語・流行語・外来語など)を使うな
  2)紋切り型を使うな
  3)軽薄な表現はするな
 かくして禁じ手が増えつづけ、読んだ人は、どんな文章を書けばいいのかますます判らなくなってしまう。このあたりは笑いなくしては読めない。

【引用部】
 こうしてみると、文書読本とはなんと堅っ苦しい世界なのだろう。「新語を使うな」といわず、せめて「新語はちょっとだけ使うと効果的です。でも、ちょっとだけにしておかないとダサくなるよ」とでもいえば納得するのに。あるいは「紋切り型を使うな」ではなく「紋切り型の表現も紋切り型でない場面で使えば効果的です。この方法を異化といいます」とでもいってくれたら、やる気が出るのに。こう禁止禁止じゃ、ただでさえ苦痛なのに、ますます書くのが楽しくなくなるよ。(p.107)

 次に紹介されているのが、「文章読本が推す三大修業法」。
  1)名文を読め
  2)好きな文章を書き写せ
  3)毎日書け
 やはりこのあたりに辿り着くんだよな。こんな修業法でマトモな文章が書けるようになるとは思えない。とくに3)の効果は相当にあやしい。ヤミクモに書いて何かいいことあるのだろうか。1)だってどこまで信用できるのかは疑問が残る。じゃあどうしたらよいかと言うと、ほかにいい方法がないんだからしょうがない。2)は1)と本質的に変わらないだろうな。もし1)に効果があるんなら、2)まで徹底しなさい、ってこと。

【引用部】
 文章読本界きっての教えである。丸谷読本などは「名文を読め」だけのために一章全部を費やしているほどである。文例2は、それを大袈裟に褒めそやした例。人のフンドシで相撲をとりたいとき、だれかの太鼓持ちをしたいときには、ぜひ参考にしたい文章である。
 名文を読め。もっともな教訓のように思えるけれど、この教えの唯一の問題点は、「名文とは何か」を定義できる人がだれもいないことである。どんな文章読本も「これぞ名文」と著者が信じる文章を個別に示し、「この文章のここが名文だ」という個別の解説がつくのみである。(p.109)

 この論法でいくと、唯一の方法とも言える「名文を読め」もあやしくなってしまう。ホンマにどうしたらよいんでしょ。

【引用部】
 この文章の出典は薬の効能書きである。〈栄養の助長に奏功します〉は〈栄養の助けになります〉でよい。〈拮抗する〉〈発現する〉〈産出する〉ももっと平易ないい方があるだろう、と著者は述べる。そういわれれば、たしかにその通りである。だが、この本は著者の思惑とはちがった種類の感慨を抱かせる。「正しいこと」と「おもしろいこと」は両立しにくい。ハハハ、そうなのだ。「悪文」というものは、存外おもしろいのである。(p.124~125)

 そうなんだよね。「悪文」は時におもしろい。少し違うが、「破調の文章のおもしろさ」ってのもある。そういった文章を常識的な形にかえると、ひどくつまらないものになってしまう。でもねえ。じゃあ「悪文」や「破調の文」をおすすめできるかと言うと、それは無謀。ちょっと別の話になってしまう。

【引用部】
 第二に「人文一致」であれば、文章の訓練などはしょせん虚しいものである、ということになってしまう。「人文一致」は文章のテクニック=レトリックを否定し、書く楽しみ、工夫する楽しみを奪う。つまり書き手にとって、なんにもいいことはないのである。「文は人なり」が人口に膾炙したのは昭和期前半ではなかったかと私は類推するのだが、ともあれこの妄言が、人々をどれほど惑わせ、文章論の世界をどれだけ堕落させたかしれない。「文は人なり」派の人は、「文章読本」ではなく「人格読本」を書けばよいのだ。(p.165)

 なんて痛烈なんでしょ。「文は人なり」が妄言である根拠の「第一」としては、〈文と人が一致しない例などは山のようにある〉ことが指摘されている。極端な例として、1997年の神戸小学生殺傷事件の際の犯行声明文をあげる。

【引用部】
 となると、文章読本てのは、だれの役に立っているのか、ますます不可解なジャンルということになる。本を何冊か読んだくらいで、そう簡単に文痴は治癒しまい。逆に文才型の人は、文章読本に書かれている程度のことはとっくにクリアしているか、コケにしているだろう。そして、唯一、文章読本が役に立ちそうな従順な修業者=文章マニアの人たちに、文章読本がいい影響を及ぼしているとは、あまり思えないのである。(p.176)

 そうなんだよな。こういうふうに指摘されると返す言葉がなくなる。でもなあ。論理的に考えようとすると、どうしてもこういう結論に近づいてしまう。

【引用部】
 一般に流布しているこの説がマユツバだという気はもうとうない。トップデザイナーがファッション界をリードしてきたのと同様に、小説家が文章界をリードしてきたのは事実である。事実だが、文学中心の文章史には、ストリートファッションをいっさい無視し、パリコレの出品作だけ見て服飾史を語るような馬鹿ばかしさがある。
 明治二〇年代に、山田美妙が「です体」を、尾崎紅葉が「である体」を、嵯峨の屋お室が「であります体」を、二葉亭四迷が「だ体」を開発して言文一致体が完成した、といった文学史的話題は興味深くはあるけれど、日常の手紙や作文の課題に四苦八苦している下々の者にとっては「暇な芸術家が、なんやゴチャゴチャやってるわ」という程度の話だろう。現代の文章読本が「一般的な文章術を伝授する」と宣言しながら、いつのまにか著名な文学作品の引用に傾くのも、ハイファッション中心の歴史観にからめとられているせいかもしれない。私たちは、小説家中心の「文学主義」的文章史観からひとまず抜け出したほうがいいのである。(p.192~193)

「実用文」を対象にしているはずの「文章読本」が、文学作品を引き合いに出すのは少なくない。エッセイなどは小説とは違う別種かもしれないが、個性的な書き手によるものは引き合いに出すべきでないのは同様だろう。「名文」を意識しはじめると、この陥穽に陥りやすい。

 p.199~で紹介されている若松賎子による翻訳文。これ、何かで読んだ記憶がある。「かった体」とか呼ばれるとか。「ありませんでした」が定着する以前には、こんな試行錯誤があったらしい。ってことは、「ありませんでした」って定着しているんですね。

【引用部】
 文芸作品に偏った引用文、説明すべきところを実例でゴマ化す手法、感覚的な用語に頼った解説。文章指導の根幹が、解析ではなく「鑑賞」に流れていることがわかるはずだ。
 ところで、お笑いなのは、菊池読本と川端読本の成り立ちである。すでによく知られた話だが、この二冊、じつは後に代作疑惑がもちあがり、どちらも文章読本界から抹殺されたという因縁つきの本なのだ。内容的にもかなりひどい。代作疑惑が出てこなくても盗用問題にはなったかも、というほど双方ともに谷崎読本からのパクリが多い。しかし、ゆゆしき二冊の文章読本は、おもしろい事実を教えてくれる。著者が代理でも内容がパクリでも、気づかれることなく菊池読本と川端読本は版を重ねた。すなわち「文は人ではない」のである。(p.301)

 川端読本に代作疑惑があった話は何かで読んだ。菊池読本もそうですか。まあ、あのレベルの文豪が書いたとなると、そこそこ売れるだろうな。それにしても、ここで〈すなわち「文は人ではない」のである〉と主張するのはほとんど反則だよな。説得力がありすぎる。
 
【引用部】
 谷崎潤一郎『文章読本』、鈴木三重吉『綴方読本』をルーツとする文芸批評的な(換言すればいいかげんな読み物的な)文章指南書は、そのなかではもっとも新しいタイプの本だったといえるだろう。個人文体の研究とは、ひっきょう「天才」の技なり芸なり癖なりを分析する領域である。技術論をともなわない天才芸の鑑賞は、いたずらな名文信仰を育てるだけで、あまり建設的とはいえない。けれども、こうした文芸批評的=文学主義的なスタイルは、あっというまに文章読本のスタンダードとして定着した。代作疑惑、盗用疑惑の濃い菊池寛『文章読本』が発行されたのは、谷崎読本のわずか三年後のことなのである。(p.302)

 ポイントになるのは、〈技術論をともなわない天才芸の鑑賞は、いたずらな名文信仰を育てるだけで、あまり建設的とはいえない〉という一文。だから名文なんてお手本してはいけません。

 p.307~の〈いばるな、文章読本!〉では、橋本治『よくない文章ドク本』の中の「えばるな、文章読本!!」を取り上げている。原典も過激だが、この紹介のしかたもかなり過激。できれば全文引用したいぐらい。

【引用部】
 どうりで、ジャーナリスト系の文章読本には色気が不足していたはずである。彼らの念頭には人前に出ても恥ずかしくない服(文)のことしかない。彼らの教えに従ってたら、文章はなべてドブネズミ色した吊しのスーツみたいなもんになる。新聞記者の文章作法は「正しいドブネズミ・ルックのすすめ」であり、まさに新聞記者のファッション風なのだ。ついでによけいなひとことを加えれば、ドブネズミ・ルックの慣れた人がたまに気張って軽い文章を書こうとすると、カジュアル・フライデーに妙な格好であらわれるお父さんみたいな感じになる。新聞記者系の文章読本がなべてカジュアル・フライデーっぽいのは偶然だろうか。(p.331)

 ドブネズミ・ルックにカジュアル・フライデーか。ウマいことをいうもんだ。「言い得て妙」って言葉はこういうときに使うんだろう。本書の最後のほうに登場する「文章=衣装」って類喩は、あまりにも適切すぎる。「共通点が多い類喩だとこんなにいろんなことが書ける」って見本にするのに、これほど適した例はめったにない。最後に紹介する本書の結びの言葉の鮮やかさも、この類喩の力があったればこそだ(生まれて初めて使う表現だな)。

【引用部】
 そんなことをいってたら堅い文章がますます書けなくなる?
 んなもの、いちいち心配しなくて大丈夫だよ。文は服だっていったじゃん。服だもん。必要ならば、TPOごとに着替えりゃいいのだ。で、服だもん。いつどこでどんなものを着るかは、本来、人に指図されるようなものではないのである。(p.338)

 ……と、なんかもっともらしい結びができたんで、ここで本書の話を終わらせてもいい。しかし、ひと言多い性分なので、少し余計なことを付け加えたい。筋違いであるとは知りながら、やや批判めいたことを書いてしまう。
 本書を読んで読者がどんな印象をもつのか、素朴な疑問を感じる。個人的にはこういう内容は大歓迎だ。こんなに楽しめた本は久しぶりだし、メチャクチャ笑わせてもらった。家宝にしたい。ただ、そんな読み方をする人がどれぐらいいるのだろう。「これだと単なる悪口ジャン」って気がしないでもない。まあ、悪口もここまで行けば立派な芸であることは間違いないが。
 どんな服を着るかとか、文章をどう書くかなんて〈本来、人に指図されるようなものではない〉ってのはおっしゃるとおり。そういってしまうと、文章読本なんて無意味なものになる。ただ、いくら個人の趣味の問題といっても限度がある。町中を何も着ないでウロウロしたり、パンツを頭に被って歩いたりすると、ちょっと問題になる。ネクタイをきつく締めすぎて窒息するのもおすすめできない。そういう人がいたら、あえて〈指図〉してあげるのが親切ってものだろう(危ないから近づかない、って選択肢が正解かな)。
 文章にだって最低限のルールがある。もちろん、「放っといてくれ」って人に親切を押し売りする必要はない。でも、わざわざ文章読本を読もうってほどの人なんだから、〈指図〉されたがってるんだよ。あえて〈指図〉するなら、嘘を教えるんじゃなくて、それなりのアドバイスをするべきだろう。
 著者は、本書を書くために多くの文章読本を精読しているはずだ。それなら、こんなに意地悪なことばかり書かないで、もう少し建設的なことが書けるんじゃないかね。その気になれば、『斎藤美奈子流文章読本』だって書けるだろう。なんせ、まともに文章が書ける人で、ここまで文章読本の世界に足を突っ込んだ人はそうはいないんだから。これはぜひお願いしたいけど、そういうのはダサいからやらないか。
 実力者がゲリラ戦法に徹しているのも、横綱が平幕相手に足取りをするみたいで、あんまり品のいいことじゃない。あまりにも大人気ない、というべきか。勝負の世界は勝てばナンデモアリかもしれないし、文章だっておもしろけりゃナンデモアリなんだろうけど。
 文章読本全般のことをまともに書けば、どうしたって否定的な内容になる。ただ、どれもこれもとにかく全部ダメ、じゃ救いがない。なかにはマットーなことを書いているものがないわけではない。部分的に見れば役に立つことを書いている場合もある。徹頭徹尾オバカな文章読本も、ギャグとしては価値がある。ミソも〇〇もひっくるめて全部ダメってのはアンマリだ。そのあたりのことをもう少し書いてくれたら、読者にとって有意義なものになるはずなんだけど。そういうのもダサいのかな。



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