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2021年12月17日の朝日新聞から 醜悪なリード文

 これをこっちにアップするのを忘れていた。

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【27】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980862166&owner_id=5019671

mixi日記2021年12月18日から

 下記の仲間。
【朝日新聞の誤用ほか】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-category-3.html

21-12-17
 国土交通省による建設業の基幹統計の書き換え問題で、同省が会計検査院の指摘を受けた後も、書き換え作業をやめずに本省側で行うようになった際、「二重計上」する受注額の量を意図的に減らしていたことがわかった。同省は「(当時の担当者が)大きく減らすと、数字に大きな影響があると思ったのではないか」と説明。統計が不自然に見えぬよう調整していた可能性がある。(朝刊/1面)
 
 1面のいわゆるトップ記事のリード。伊藤嘉孝記者・柴田秀並記者。
 最近、朝日の記事をどの程度読んでいるのかは自分でも疑問。一応眺めていて、ちょっと引っかかる文章は時々目にしていた。これは大きく引っかかった例かもしれない。
 問題は1文目。何が書いてあるのかわからない(泣)。
 原因のひとつは「国土交通省」「同省」「本省」と出てくること。
 後続の本文(これも相当わかりにくい)をじっくり読んで、なんとか理解した。
 要するに、それまでは「都道府県」に出していた書き換えの指示をやめ、国土交通省側で書き換えをするようになったらしい。なんだそれ?
 
【原文】ピッタリ100字?
国土交通省による建設業の基幹統計の書き換え問題で、同省が会計検査院の指摘を受けた後も、書き換え作業をやめずに本省側で行うようになった際、「二重計上」する受注額の量を意図的に減らしていたことがわかった。

【修正案1】
建設業の基幹統計の書き換え問題で会計検査院の指摘を受けた国土交通省が、その後も書き換え作業を続けていたことがわかった。「都道府県」に指示を出すかわりに国土交通省が書き換えをし、「二重計上」する受注額の量を意図的に減らしていた。
 ぐらいかなぁ。こう書きかえても、わかりやすくなった気がしない。


 
https://www.asahi.com/articles/ASPDJ6D78PDJUTIL013.html
===========引用開始
 国土交通省による建設業の基幹統計の書き換え問題で、同省が会計検査院の指摘を受けた後も、書き換え作業をやめずに本省側で行うようになった際、「二重計上」する受注額の量を意図的に減らしていたことがわかった。同省は「(当時の担当者が)大きく減らすと、数字に大きな影響があると思ったのではないか」と説明。統計が不自然に見えぬよう調整していた可能性がある。

■書き換えが発覚した国の「基幹統計」とは? 戦争の反省から厳格に→https://digital.asahi.com/articles/ASPDJ658GPDJUTIL043.html?iref=pc_extlink
 この統計は「建設工事受注動態統計」で、建設業者が公的機関や民間から受注した工事実績を集計する。書き換えていたのは、業者が受注実績を毎月記し提出する調査票のデータ。同省は、回収を担う都道府県の担当者に指示し、遅くとも2010年代前半から書き換え作業を行わせていた。

 同省は19年11月に検査院から指摘を受けたため、20年1月に都道府県に書き換え作業をやめるよう指示。ただ、書き換え自体はやめず、今年3月までの1年3カ月間は本省職員が書き換え作業をしていた。

 複数の国交省関係者によると、書き換え作業の担い手が都道府県の職員から本省の職員に代わるタイミングで、書き換える受注額の量も変更していたという。

 変更前は、業者が受注実績の提出期限に間に合わず、数カ月分をまとめて提出した場合、この数カ月分全てを最新1カ月の受注実績のように合算していた。一方、未提出月には提出した業者の平均を推計値として計上するルールがあり、二重計上が生じていた。

 国交省は本省側で書き換え作業を始めた20年1月以降は、足し上げるのを2カ月分だけに減らしたが、その間も二重計上は続いていた。21年4月以降は書き換えをやめて正しく集計していたという。

 同省建設経済統計調査室は取…

この記事は会員記事です。残り273文字
 しかたがないのでチミチミ入力する。

 同省建設経済統計調査室は取材に、二重計上する量を20年1月から変更していたことを認めた。「(当時の担当者が)影響が大きくなりすぎないように足し上げたのではないか。全部捨てるという判断が正しいが、当時はそういう判断になった」と説明した。問題を隠す意図はなかったかとの問いには、「その時の判断を確認したわけではないが、隠す意図はなかったと考えている」と答えた。

 法政大の平田英明教授(マクロ経済学)は二重計上する量を減らしていたことについて「統計結果が不自然に見えないよう恣意(しい)的な作成をしたとみられる。もはや統計の体をなしていない」と指摘した。(伊藤嘉孝、柴田秀並)
===========引用終了

※最後の2文は紙版にはない(笑)。

2022年05月30日の朝日新聞から 本多勝一に叱られる

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【28】
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981223451&owner_id=5019671

mixi日記2022年05月30日から
 下記の仲間。
朝日新聞誤用ほか】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-category-3.html

22-05-30-1
 ギャンブル依存症で施設にいた柊磨(松村北斗)の母、真弓(斉藤由貴)は、しばらく柊磨の家で同居することに。(朝刊/12面)

 TV番組紹介記事なので、記者名は不明。
 なかなかの難物。通常このテの文は、同格のテンをナカグロにかえるだけで多少マシになる。ところがこの文はそんなことをしても効果は弱い。
【修正案】
 ギャンブル依存症で施設にいた柊磨(松村北斗)の母・真弓(斉藤由貴)は、しばらく柊磨の家で同居することに。
 2文に分けるのが素直なんだろうが、とりあえず1文のままで考える。
 柊磨(松村北斗)の母・真弓(斉藤由貴)はギャンブル依存症で施設に入っていたが、施設を出てしばらく柊磨の家で同居することに。
 数文字のびるが、この程度は許してほしい。明快な2文にするともっと長くなるはず。「施設を出る」は熟語にできないのかね。「出所」のように。
【修正案】
 柊磨(松村北斗)の母・真弓(斉藤由貴)は、しばらく柊磨の家で同居することに。彼女はギャンブル依存症で(それまで)施設に入っていた。
(それまで)を入れなければこちらのほうが短い。だったらこうすりゃいいのに。
 ちなみに、こういう場合、「真弓(斉藤由貴)は」ではなく「真弓(斉藤由貴)が」にするものでは。別に「初出のガ」などと主張する気はないけど。

第2章  3 一文の長さ――「短く書け」を徹底すると稚拙な文章になる

初エントリーは2012年2月20日?

 お品書きは下記参照。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html

第2章

3 一文の長さ――「短く書け」を徹底すると稚拙な文章になる

■長い一文はなぜダメか
 前に書いたように、「短く書け」は「文章読本が説く五大心得」のひとつに数えられるほど重要な心得だ。ほとんどの文章読本は「短く書け」と主張し、長い一文を目のカタキにしている。
 長い一文がなぜいけないのかを、論理的に説明している文章読本もある。たとえばこんな感じだ。

【引用部】
 毎年膨大な財政の赤字を出すことが示す地方自治制度の欠陥に対して、根本的な対策をきめるのが、こんどの国会の大きな使命の一つだと説明されていた。(新聞)

 これは、主語がないわけではなく、ちゃんとある。しかし、その主語がなかなか出てこないのが、この文が悪文になる原因となっている。主語はなるべく早く出した方がいい。しかも、主語と述語との距離は短い方がいい。そこで、両方の要望を満足させるのは、なかなかむずかしいが、たった一つ道がある。それは、短い文を書くということ。これは、あらゆる場合の鉄則と言っていい。(岩淵悦太郎編著『第三版 悪文』p.125)

 この意見はかなり厳しい。この例文レベルで悪文扱いされたんじゃ、世の中悪文だらけになってしまう。ちなみに、この引用部の後半の5行を読んで、なんかヘンな感じがしないだろうか。文頭に注目すると理由がハッキリする。

  これは、/しかし、/主語は/しかも、/そこで、/それは、/これは、

 7つのうち6つが、接続詞か指示語で始まっている。多くの文章読本は、こういう文章も目のカタキにする。なぜこんな書き方をしたのかはわからないが、原因は予想できる。以前、実験的に必要以上に一文を短くして書いたら、ちょうどこんな感じの文章になった。
 それはさておき、この論理は強力だ。

  1)主語はなるべく早く出す
  2)主語と述語との距離を短くする

 この2つを徹底すれば、必然的に一文が短くなる。反論の余地はなさそうで、思わずひれ伏したくなる。
 長い一文がなぜダメなのかは、むずかしい論理に頼らなくても経験的にわかる。グチャグチャと長い一文は、それだけで読む気がしなくなる。何が書いてあるかわからない文章も、たいてい一文が長い。
 ほとんどの文章読本が「短く書け」と主張するなかで、次のような力強い例外もある。

【引用部】
文が長ければわかりにくく、短ければわかりやすいという迷信がよくあるが、わかりやすさと長短とは本質的には関係がない。問題は書き手が日本語に通じているかどうかであって、長い文はその実力の差が現れやすいために、自信のない人は短い方が無難だというだけのことであろう。(本多読本p.154)

〈わかりやすさと長短とは本質的には関係がない〉ってのは正論だけど、ここまで強くいいきられてもなぁ。長い文だと実力がないのがばれるってことでしょ? 遠慮しときます。
 もう少し論調の弱いものもある。

【引用部】
「文章を極端に長くしない」は、わかり易い文章を書くときにあまりにも当然のこととして理解されていることだが、そう決めつけるわけにもいかない。例外も多いのだ。書かれた内容に読み手が強い関心を持っており、書き手と読み手のリズムが合っているときなどは例外となる。例えば、英文学者で評論家の吉田健一の文章は、長いことで有名だが、それを読み易く、内容も頭に入り易いという人が多いのだ。しかし、私個人にとっては苦手な文章の一つといえる。このことから、文章は意識して、長くしたり短くしたりする必要はないが、できれば、あまり長くない方が読み易いといえるであろう。(宮部修『文章をダメにする三つの条件』p.184~185)

 吉田健一の名前は、文章読本ではおなじみ。一文が長くてもわかりにくくない例としてよくあげられる。それは書き手の個性とでもいうべきもので、例外中の例外。一般の人がマネしたってまともな文章にはならない。
 こういう記述を見ていくと、当然(でもないか)素朴な疑問が湧いてくる。一文の「長い」「短い」は何を基準に決めるのだろうか。

■長くない一文の基準
 一文の長さに関して、具体的な目安を文字数で示している文章読本もある。『文章読本さん江』のp.64には3者の意見が紹介されている。

1)平均で30~35字というところ(辰濃和男『文章の書き方』)
2)平均で40字ぐらいまで(中村明『名文作法』)
3)40~50字以下(安本美典『説得の文章術』)

 ちょっと気になるんだけど、「40~50字以下」って「50字以下」とどう違うんだろう。まさか、すべての文を40字以上50字以下にするってことじゃないよな。そんな神業みたいなことを要求されても困る。
 一文の長さに関しては、このほかにもいろんな説がある。例によってそれぞれのセンセーの個人的な意見なので、微妙に違ってくる。

【引用部】
もし、あなたが書いた文章があれば、それを文字数によって測り、一文あたりの平均値を出してみるとよい。句読点やかっこを除いた文字の数で、もし、六十を越すようであれば長すぎると考えなければならない。そのときには、どのように長いのかを分析して、対策を考える必要がある。(樺島忠夫『文章構成法』p.167)

【引用部】
これは一文が長すぎる。そのため、曖昧な文章になっている。一文が六〇字を越したら要注意。小論文の場合、文体に凝るよりも、わかりやすい文体を心がける必要がある。(樋口裕一『ホンモノの文章力』p.60)

【引用部】
 実務文での平均的な1文の長さは、「40字前後」がいいと思われます。『朝日新聞』の「天声人語」では、1文あたり平均30文字程度で文章をまとめています。(高橋昭男『横書き文の書き方・鍛え方』p.99)

 なかには、とんでもなく細かく刻んでいるものもある。こういうのも親切というんだろうか。

【引用部】
 このようにいろいろな条件で数値は違ってくるが、これを読みやすさという観点から見ると、一般的にいって、平均三〇字未満となるような文章は「やさしい」と考えていい。平均三五字あたりでも「かなりやさしいほう」で、平均四〇字ぐらいまでなら「ほとんど抵抗がない」と思われる。平均四五字前後で「ふつう」、平均五〇字を超えると「少しむずかしい」部類に属し、平均六〇字を超えれば「むずかしい」文章と考えられよう。そして、平均で七〇字を超えるようなら「非常にむずかしい」文章といってさしつかえない。(中村明『悪文』p.126)

 いろんな意見があって、ますます基準がわからなくなる。「何を根拠にこんな数字を出しているんだ」なんてツッコミを入れてはいけない。もともと「わかりにくい」とか「わかりやすい」って判断自体が感覚的なものなんだから。絶対的な数字なんて決まるわけがない。それでも各センセーの研究や経験に基づいた数字だけあって、そう大きくは違っていない。
 どうやら文字数の目安は、「平均」で出すのが主流らしい。だが、平均値の算出はそう簡単な作業ではない。〈句読点やかっこを除いた文字の数〉なんて流儀になると、さらにカッタるい。文章を書くときに、こんなことを考えてられないって。
「平均」がつかないほうなら、簡単に判断できる。「ちょっと長いかな」と思ったときに確認すればいい。ここであげた例のなかで「平均」がついていないのは、「40~50字以下」と「60字」だ。この基準より短く書けばいいわけね……ってちょっと待ってほしい。大目に見てくれている「60字」だって相当厳しいよ。すべての文を60字以下にすることなんて、本当にできるのだろうか。

【引用部】
 短く書く。困難な課題だ。センテンスをブツブツ切る。調子が狂う。やってみればわかる。「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくい。のだ。(『文章読本さん江』p.65)

 これはギャグでやっている文章だが、短く書くことを徹底するとこんな感じになっても不思議ではない。「天声人語」みたいな文章になる程度で済むならいい。たいていは、もっと悲惨な文章になる。ところが「短く書け」と主張するセンセーがたの文章は、そんなことにはなっていない。「サスガ」なんて感心してはいけない。ここまでの引用部の文章を見ればわかるはずだ。お手元にほかの文章読本があるなら、確認してみてほしい。平気でけっこう長い一文を書いているセンセーが多く、短く書くことを徹底している例を探すのはむずかしい。それらしいものをあげておく。

【引用部】
 文章は、いくつもの言葉が組み合わされてできています。したがって、その基本である言葉を正確に読み、そして書くことが文章を作るうえで一番大切です。文章を磨くうえでまず大切なことは、「言葉を磨く」ことです。
 最近とくに感じることは、漢字離れです。とくに若い方々にその傾向が顕著です。我々が常識として知っておきたい漢字の基準として存在するのが、「常用漢字」です。
 全部で1945字あります。新聞につかわれている漢字とほぼ同じです。一口に常用漢字と言っても、これをマスターすることは少々困難です。漢字能力検定試験の2級程度に相当するからです。ただし、このレベルの漢字は、書けないまでも、読めるようにはしておきたいものです。(高橋昭男『横書き文の書き方・鍛え方』p.10)

 引用部は3つの段落に分かれている。個人的な感覚では、2つ目の段落の前半と、3つ目の段落の前半には異和感がある。ちなみに、各文の文字数は次のようになっている。

・第1段落 26/45/29
・第2段落 19/18/39
・第3段落 13/20/32/23/40

 文章読本でおなじみの「数字を使え」って教えに従ってみたけど、「だからどうした」って気がする。数字を出しさえすればいいわけじゃないってことか。まあ、20字以下の文が続くとなんかヘンな感じになることがある、ってことかもしれない。文字数だけで判断するわけにはいかないけど。
 もちろん、これはとくに短さが目立った部分を拾った結果だ。全編がこの調子ってわけではなく、ほかの部分はこれほど極端ではない。こういう極端な例をあげて、「短く書くな」なんて主張する気はない。ただ、「短く書け」を実践して自然な文章にするのは簡単じゃない、と思うだけです。

■長くてもわかりにくくない文の構造
「長い一文」とひと口にいってもいろいろある。長い一文はたいていわかりにくいが、例外もある。これは文の構造が違うせいらしく、そのあたりを説明している文章読本もある。

【引用部】
むろん、長い文といってもいろいろあって、みな同じにあつかうのは非常識だろう。部分的に文の情報が完結しながらいくつもつながって、結果として長くなったくさり型の長文なら、環(わ)の一つ一つの独立性が高いため、少々長くなっても、その構造上比較的わかりやすい。一方、同じ長文でも、文頭の副詞が文末の述語にかかったり、文中に他の文が組み込まれていたりする複雑な構文の長文になると、段違いにむずかしくなる。が、いずれにしても、長い文は短い文に比べて、読んで理解するのに時間がかかるという点が共通している。(中村明『悪文』p.122)

 フーム、そうなのか。この記述を見たときには、なんとなくわかった。なんとなくわかったけど、そこまでだった。頭が悪いからかな。その後、似たような記述は目にしたけど、どうもスッキリしなかった。やっと素直に納得できたのは、次の記述を見たときだった。

【引用部】
 わかりにくくなる最大の理由は、この文が複文であることだ。
 一般に、文は、主語、目的語、補語、述語などから構成される。一つの主語とそれに対応する述語(および、目的語、補語)しかない文を、「単文」という。完結している複数の単文を順に並べていったものを、「重文」という。これに対して、複数の単文が「入れ子式」になったものを、「複文」という。
 記号的に表すと、重文は、
 (主語1、述語1)、(主語2、述語2)、(主語3、述語3)
となったものであり、複文は、
 主語1、(主語2、述語2)、(主語3、述語3)、述語1 や
 主語1、{主語2、(主語3、述語3)、述語2}、述語1
のような構造のものである。つまり、複文においては、主語、目的語、述語、修飾語などの各々(あるいは一部)が、文から構成されているわけだ(これらを「節」という)。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.155)

 何やらむずかしそうに見えるが、論理的に書くとこうなってしまう。
 一般に流布している心得のなかでは、

・主語と述語を近づける
・修飾語と被修飾語を近づける

 などが、この複文の話だ。わかりにくい文は、複文で構造が複雑な場合が多い。単文に分割するか、単純な構造の複文に書きかえればいい。
 どういうことなのかをハッキリさせるために、うんとバカバカしい例を考えてみる。

【重文の例】
 小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べた。

 これなら登場人物がどんなに増えても、食べた物が多少増えても、そんなにわかりにくくはならない(文として自然かどうかは別問題)。ところが、ちょっと書きかえると話が違ってくる。

【やや複雑な構造の複文の例】
 佐藤は、小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べるのを見ていた。

「佐藤は」と「見ていた」が離れてしまうので、多少わかりにくくなる。これぐらいなら問題はないかもしれないが、あいだに入る部分が長くなればなるほどわかりにくくなる。単純な構造の複文にしてみる。

【単純な構造の複文の例】
 小林がクリームパンを食べ、中村がカレーパンを食べ、鈴木がジャムパンを食べるのを佐藤は見ていた。

 このように書きかえれば複文ではあっても主語と述語が近いので、わかりやすくなる。ただし、この方法だと全体の主語である「佐藤」が出てくるのが遅くなるので、なんだか不安定な文になる。やはり長い一文は避けたほうが無難ってことだろう。
 本多読本(p.28~29)は、もっと複雑な複文の例をあげ、〈修飾・被修飾関係の言葉同士を直結〉すればマシになることを示す。

【原文】
 私は小林が中村が鈴木が死んだ現場にいたと証言したのかと思った。

【修正文】
 鈴木が死んだ現場に中村がいたと小林が証言したのかと私は思った。

 よくこんなすごい例文を考えつくもんだ。こうなるとちょっとしたパズルよりむずかしい。『「超」文章法』(野口悠紀雄)は、わかりにくい複文の例として、次の文を出している。

【引用部】
 (I)私の友人が昨年大変苦労して書いた本は、パソコンが普及し始めた頃には、
  異なるアプリケーションソフトが共通のOSで動くようになっていなかったた
  め、データを交換することができず、非常に不便だったと述べている。(p.154)

 さらにこの文がわかりにくい理由を分析したうえで、余計な記述を削除して3つの文に分解している。

【引用部】
 (II)パソコンが誕生して間もない頃には、異なるアプリケーションソフトの間でデ
  ータを交換できなかった。このため、非常に不便だった。私の友人は、著書の中
  でそう強調している。
(I)よりはずっと読みやすい。読みやすさのためには、単文にまで分解するのがよい。すなわち、一つの文章内での主語を一個に限定する。ただし、単文主義で押し通すと、小学生の作文のようになってしまう。そこで、もう少し工夫する必要がある。(p.160)

(I)から(II)になる過程で、〈普及し始めた頃〉が〈誕生して間もない頃〉にかわっているのはなぜ? 〈述べている〉が〈強調している〉にかわっているのはなぜ? 「余計な記述を削除すること」と、「表現をかえること」って別なのでは。などと妙なインネンをつけるのはやめておこう。重要なのは、〈単文主義で押し通すと、小学生の作文のようになってしまう〉ってこと。そんなのは当たり前なんだけど、その当たり前のことを書いてくれている文章読本はめったにない。
 そりゃそうだろう。「短く書け」は、ほとんどの文章読本に共通しているありがたい教えだ。その教えに従って短く書くことを徹底した結果が〈小学生の作文〉じゃ目も当てられないから、簡単に認めることはできない。しかし、〈小学生の作文〉は言葉が過ぎるとしても、ヘンな感じになることが多いのは事実なんだからしかたがない。

■個人的な「意見」を少々──たしかに一文は短いほうがいいみたいだが
1)やはり一文は短いほうがいい
 文字数を目安にするのはあまりいい方法とは思わないが、とりあえず手っ取り早い方法ではある。目安としては、60字ぐらいだろうか。60字を絶対に超えちゃいけないわけではなく、できるだけ60字以内におさめるほうが無難って程度のこと。もう少し長くても構わないが、わかりにくくなる可能性が高くなる。100字以上なんてことになると、危険度はきわめて高い。

2)一文が長い場合は文を分割する
 このテの方法は多くの文章読本で紹介されているので、具体例をあげるのはやめる。ちなみに、前にふれた「が、」を「。しかし」に書きかえるのは、分割の典型。分割すると接続詞を使うことが多くなるはずだ。接続詞が目立つようなら、先にあげた要領で削除することを考える。
 クドいのは承知でもう一度繰り返しておく。一文を短くすると、接続詞を減らすことはできない。「できない」がいいすぎなら、「きわめてむずかしい」。このことにふれずに、「短く書け」といいながら「接続詞を減らせ」と断定している文章読本は、それだけで読む価値はない。なんか、ムチャをゴリ押しする文章読本みたいな書き方になってるな。この数行だけで大半のセンセーを敵に回す気がする。まあいいや。

3)一文が短い場合は文を結合する
 一文を短くすることは、それほどむずかしくない。すべての文を単文にしてしまえば、一文は間違いなく短くなる。問題は、単文ばかりが続くとヘンな感じになること。そんなときには、あえて単文を結合すると不自然な感じが緩和できる。
 いくつの単文を結合すればいいのかは一概にはいえない。理想をいえば、長い文と短い文がバランスよく入っているのがいい。しかしそんなことをいい出すと、リズムだの文体だの個人の趣味だの……といった得体の知れない話になる。とりあえず無難なのは、2つの単文を結合していくこと。その程度なら、一文が長すぎてわかりにくくなることはめったにない。ところどころに単文が入れば、リズムもソコソコの線になる。
 先にあげた例で見てみよう。

【引用部】
 短く書く。困難な課題だ。センテンスをブツブツ切る。調子が狂う。やってみればわかる。「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくい。のだ。(『文章読本さん江』p.65)

 前から順番に、2つの文を結合していく。

【修正案1】
 短く書くのは困難な課題だ。センテンスをブツブツ切ると調子が狂う。やってみればわかるが、「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由があり、新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷される。一文が短くないと、読みにくいのだ。

 こうするだけで、フツーの文章に近づく。順番に2つずつ結合したため、4つ目の文は少しヘンなことになっている。結合のしかたにもう少し工夫が必要だろう。

【修正案2】
 短く書くのは困難な課題だ。センテンスをブツブツ切ると調子が狂う。やってみればわかるが、「天声人語」の文章みたいになる。新聞記者の短文信仰にも理由がある。新聞は一行十一字詰め(昔は十五字詰め)で印刷されるので、一文が短くないと読みにくいのだ。

 これならフツーの文章として通用する。ただし、こんなことをやらかすと、せっかくの秀逸なギャグが台なしになる。

【引用部】
 パソコンが誕生して間もない頃には、異なるアプリケーションソフトの間でデータを交換できなかった。このため、非常に不便だった。私の友人は、著書の中でそう強調している。(野口悠紀雄『「超」文章法』p.160)

 1つ目の文と2つ目の文を結合してみる。

【修正案】
 パソコンが誕生して間もない頃には、異なるアプリケーションソフトの間でデータを交換できなかったため、非常に不便だった。私の友人は、著書の中でそう強調している。
 最初の文が少し長くなったが、58字なので目安の範囲におさまっている。

 ここで注目してほしいのは、読点の問題。個人的な趣味では、【修正案】の「頃には、」の読点か「なかったため、」の読点か、どちらかを削除したくなる。2つの文になっていたときには、この読点があってもまったく気にならなかった。なぜ結合すると削除したくなるのかを説明するのは難問。ということで、次はちょっとメンドーな句読点の話になる。

【続きは】↓
第2章 4 句読点の打ち方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html

【20220404追記】
【国語表現──長い一文を分割するコツ】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12147080016.html

よく目にする誤用の御三家 1)さわり 2)役不足 3)斜に構える

 下記の仲間。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

mixi日記2008年3月16日から

 昨日の日記にもらったコメントへの返信が長くなるので、こちらに書きます。
 以下の記載は手元にいっさいの資料がないため、すべて記憶で書いてます。あとで資料を確認できた段階で不備があれば随時加筆します(ホントかなぁ)。

 当方は勝手に下記の3点を「よく目にする誤用の御三家」と考えている。

  1)さわり
  2)役不足
  3)斜に構える

 1)はテレビで使われるときはたいてい誤用。活字の世界で作家などが誤用する例もよく見かける。それがチェックされないってことは、編集者の間にも相当誤用が浸透しているのだろう。意味と用例は昨日の日記参照。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=744835761&owner_id=5019671

 2)はマンガの影響が大きい。マンガの中での誤用は多すぎて例示する気にもなれない。対決シーンなどで、「キサマでは役不足だ」って感じで使う。これを正しい意味で考えると相当珍妙なことになる。考えてみると、この言葉を正しく使った例って、活字の世界でもほとんど見たことがない。「言葉の雑学」みたいな本では定番だけど(前に文章の書き方みたいな本〈俗称「赤い本」〉を書いたときも、この「役不足」については多少書いたけど、それほど詳しくはふれなかった。「言葉の正しい使い方」と「文章の書き方」は、ちょっと種類が違うと思うもので)。誤用でしか使われない言葉ってのは哀れすぎる。それだけ取り沙汰されているのに誤用が減らないのは、マンガにかかわる編集者の勉強不足としか言いようがない。カッコいいからってヤタラに使うんじゃない。
 似た例で言えば、「すべからく」の誤用がよく登場するのも、カッコいいからなんだろうな。えーと。「すべて」と同じような意味で「すべからく」を使うのは誤用。本来は「すべからく……すべし」という形で使う。「すべからく……しなければならない」みたいな形も認められているようだ。なんせ、あの丸谷才一が使うくらいだから。
 ちなみに、マンガの中で「役不足」が正しく使われた例を当方は1回だけ見たことがある。一部では現代版『のらくろ』と評される出世魚を描いた作品の中。作品名を書かないことに他意はなく、出世するたびに作品名がかわるので特定できないから。たぶん、「部長」のときだ。フィリピンだかの企業で働く非常に有能な女性を、ヘッドハンティングだか単なるナンパだかが目的で口説く。「君には○○みたいな仕事は役不足だ」
 見本にしたいような使い方(してるじゃん)だった。

 3)はもはや誤用とはいえない気もする。1)や2)の誤用は目にしたことがない天下の朝日新聞様でも、3)に関してはもっぱら誤用のほうを使っている。これに関しては「○月の朝日新聞から」のシリーズで何度か書いているので、興味のある方はご確認いただきたい。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-244.html
 
 言葉ってのはナマモノだから、誤用が定着してしまえば、それは誤用ではなくなる。問題は過渡期をどう乗り切るか。個人的には、別にどっちが正しいと強く主張する気はないから、どっちでもいいから早く統一してくれ、と思う。誤用が一般的になればなるほど、正しい意味では使いにくくなる。かと言って誤用のほうで使うのには抵抗がある。その結果、使えない言葉がどんどん増えていくことが悲しい。
 あと、コメントにあった「的を得る」。さすがにまともな知識レベルの人は誤用しないだろう(現段階では)。「的を射る」と「当を得る」の混用だろう。「的を射る」と同様の言葉に、「正鵠を射る」なんてのもある。どこかのトピで「正鵠を得る」も間違いとはいいきれないとか書いてあったけど、真偽のほどは不明。とりあえず「射る」にしとくほうが無難だろう。「正鵠」は的の中心にある黒丸のことなんで、厳密に言えばこちらのほうがずっと正確ってことになる。いまYahooの辞書を索いてみたら、「セイコク」のほかに「セイコウ」って慣用読みがあるらしい。初めて知った。どう勘違いしたらそんな読み方になるんだ。



【追記】
「役不足」に関する「赤い本」の記述は下記。
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【Coffee Break】
「役不足」の誤用はマンガの定番

 誤用されることが多い表現としては、次のようなものがよくあげられます。
  役不足/さわり/私淑/斜に構える/気が置けない
 なかでも目にすることが多いのが「役不足」の誤用です。この言葉はもともとは芝居の用語で、「役者の格に比べて、割り当てられた役が軽すぎる」ことを指したといわれます。これが転じて、一般社会でも「当人の力量に比べて役割などが軽い」という意味で使われるようになりました。
 ところが、実際の使用例を見ると、ほとんどが正反対の「力不足」「力量不足」「荷が重い」「荷が勝つ」の意味で使われています。おそらく、「役不足」のほうが語感がよいからです。もう少し正確にいうと、「役不足」のほうがカッコよくて言葉に迫力が感じられるからでしょう。
 この誤用が頻繁に出てくるのは、マンガの対決シーンです。
「キサマじゃ役不足だ!」
 と相手をののしるときに使われます。
「キサマじゃ力不足だ!」
「キサマには荷が重い!」
 と正しい言葉の使い方をすると、間が抜けた感じになります。
「たかがマンガの中の誤用に目くじらを立てなくても……」という考え方もあるでしょうが、マンガの影響力はあなどれません。「役不足」の誤用を目にするたびに、「このまま定着してしまうんじゃないだろうか」と不安を感じます。
 もともとの意味を知らなくても、論理的に考えれば「役」が「不足」しているのですから「力不足」とは逆の意味になるのは明らかです。もっとも、「負けず嫌い」のように論理的には説明できない表現もあるので、あまり強くは主張できませんが。
「役不足」にかわる表現として有力なのは、「役者不足」です。誤用に関する本のなかには「そんな言葉は存在しない」と書いてあるものもありますが、感じが出ている言葉だと思います。新聞でも何度か目にしたことがあり、今後は定着していくかもしれません。
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【続きは】↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=877740614&owner_id=5019671

「斜に構える」について書きはじめたらエラいことに……(泣)。
「斜に構える」をめぐって【1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-874.html

「的を射た」について書きはじめたらエラいことに……(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-913.html

1)さわりに関する「昨日の日記」は下記です。
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爆弾追加。
2008年03月15日01:55

 また、爆弾がひとつ手の中に転がり込んできた。もともともめごとは嫌いなんだけど、体質がかわったかな。

 今度のはね。某社のサービスセンターの係をひとりクビにして社内的に少し騒ぎが起こる程度の破壊力。模倣犯が出ると困るのでちょっと扱いには慎重を期する必要がある。

 先週、某有名メーカーのパソコン周辺機器を買った。これが1週間もしないうちに突然認識されなくなった。14日の朝、メーカーに問い合わせていろいろやり取りした。あまりにもバカな話をたくさん聞いて、しまいには笑い転げてしまった。
 この周辺機器は、大雑把に言ってAとBの2タイプがある。当方が買ったのはスタイリッシュ(これちょっとキーワード)なAタイプだとする。全部書くとすんごく長くなるので、とりあえず「さわり」だけ。ああ、なんて適確な「さわり」の使い方なんだろう。「さわり」は「山場」とかって意味。まあ簡単に言ってしまうと、曲のサビ。テレビなんかで「ほんのさわり」とか言って最初の部分とかを紹介してるのは誤用です。でもね。テレビで頻繁に誤用してると、それは瞬く間に誤用ではなくなるの。こうして日本語は破壊されていく。

 押したり引いたりさんざんゆさぶりかけて、最後はにこやかな会話をかわし、最後の最後にtobirisuが訊きました。「ブッチャケたところ、機器の安全性って面で、Aタイプって弱いんじゃない? 素人考えだけど、どう考えたってそうでしょ。まあ、メーカーさんとしては言いにくいところもあるでしょうけど……」
「あくまで個人的な見解ということで言わせていただくと……」
 いいねえ、「個人的な見解」。好物だよ。本音を聞かせてくれるのね。
「安全性という点では、Bタイプのほうがマサると思います」
 そうでしょ、そうでしょ。誰が考えたってそうでしょ。
「やっぱそうだよね。で、御社の製品だと、Bタイプは……」
「申し訳ございません。当社ではAタイプの製品しか製造しておりません」
 エーッ、そうなの! そりゃ悪いこと言わせちゃった。だってさ、アンタいま自社製品全否定したんだよ。そりゃマズいよ。こっちにはオタクの名前が入ったファックスだってあるんだよ。来週早々にお客様センターに電話してみようか。
「アンタんとこの会社は、安全性を犠牲にしてまでカッコつけたオモチャみたいな欠陥品売ってんだって? とぼけてんじゃねえよ。アンタのとこのサービンセンターの人がハッキリ認めてんだよ、安全性に問題があるって。おかげで買ったばかりの製品がたった1週間で壊れて、スゲー迷惑かかってんだけど……」
 当方の主張はなんか間違ってます?
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文化庁の調査では、世間では誤用の意味で考えている人が半数を超えるとか。
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_07/series_08/series_08.html
================================引用開始
連載 「言葉のQ&A」

「さわりだけ聞かせる」の「さわり」とは?

文化部国語課
 「話のさわりだけ聞いた。」などと使う「さわり」。「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。この言葉の本来の意味を確かめましょう。

問1 「さわり」は,元々,邦楽に関係する言葉だそうですが,その意味を詳しく教えてください。
答 「さわり」は義太夫節の最大の聞かせどころ,聞きどころとされている箇所を指した言葉でした。それが転じて,音楽や物語の最も感動的な部分,話や文章の要点などという意味で使われています。
  「さわり」は,江戸時代に竹本義太夫が創始した浄瑠璃の流派の一つ,義太夫節で用いられていた言葉です。辞書の記述を見てみましょう。
・「広辞苑 第6版」(平成20年 岩波書店)
 さわり【触り】 (1)さわること。手でふれること。また,触れた感じ。 (2) ア (他の節にさわっている意)義太夫節の中に他の音曲の旋律を取り入れた箇所。曲中で目立つ箇所になる。 イ 転じて,邦楽の各曲中の最大の聞かせ所。「くどき」の部分を指すことが多い。 ウ さらに転じて,一般的に話や物語などの要点,または,最も興味を引く部分。「-だけ聞かせる」

・「大辞林 第3版」(平成18年 三省堂)
 さわり【触り】 (2)浄瑠璃用語。 ア [他の節にさわっている意。普通「サワリ」と書く]義太夫節以外の先行の曲節を義太夫節に取り入れた箇所。 イ 曲中で最も聞きどころ,聞かせどころとされている部分。本来は口説きといわれる歌謡的部分をさす。 (3)[(2)が転じて] ア 広く楽曲で中心となる部分。聞かせどころ。 イ 話の中心となる部分。聞かせどころ。 ウ 演劇・映画などの名場面。見どころ。「西部劇の-を集めて編集した映画」

 このように,「さわり」は,元々,義太夫節の「聞かせどころ」「聞きどころ」に当たる言葉でした。それが,一般的な音楽や物語,話や文章などにも使われるようになったのです。ですから,「話のさわりだけ聞いた。」「曲のさわりを演奏してください。」などと言う場合の「さわり」は,その話の最も重要な点や感動的で印象深いところ,曲の最大の聞かせどころなどを指すことになるのです。
問2 「さわり」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
答  全ての年代を通して,本来の意味ではない「話などの最初の部分のこと」を選んだ人が多くなっています。

 平成19 年度の「国語に関する世論調査」で,「話のさわりだけ聞かせる。」という例文を挙げて,「さわり」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。) 

(ア) 話などの要点のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・35.1%
(イ) 話などの最初の部分のこと・・・・・・・・・・・55.0%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7%
(ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・0.2%
分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.0%

 年代別の結果を示すグラフからも分かるとおり,この言葉については,全ての年代を通じ,本来とは違う「話などの最初の部分のこと」という意味で使う人が多くなっています。60歳以上を除いた年代では,「話などの最初の部分のこと」が6割弱~6割台後半になっており,「話などの要点のこと」を大きく上回っています。
 本来は「中心となる部分」「要点」という意味の「さわり」ですが,「さわりだけ」「ほんのさわりですが」というように,ある部分を限定するような文脈で使われることが多いこと,また,「さわる」という言葉の響きが,物事に軽く触れる,表面的に触れるというような意味で捉えられやすいことなどが重なって,「話などの最初の部分のこと」と連想されてしまうのかもしれません。
================================引用終了


「代用語」にちょうどいいと思っていた「役者不足」にも別の問題が……(泣)。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1669.html


「役不足」に関する文化庁の見解。
http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2012_02/series_07/series_07.html

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

「ガ、」の修辞学 総集編〈1〉〜〈3〉

「ガ、」の修辞学〈1〉

 下記の仲間。
【日本語アレコレの索引(日々増殖中)】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-306.html

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354427241&owner_id=5019671

mixi日記2009年12月16日から

【伝言板】の仲間でもある。
【総索引】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=890371504&owner_id=5019671

 あんまり使いたくない札だったけど、ちょっと事情があって。
「ガ、」「が、」「~ガ、」「~が、」……どう表現してもいい。本家の清水読本は「が」と表記しているが、これはちょっと違うと思う。

 まずは「赤い本」から引く。
 これは読点の打ち方の一部に当たる。詳細は下記を参照してほしい。
【伝言板 板外編2──読点と使い方の2つの原則と6つの目安】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=978497848&owner_id=5019671

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6)一文の中に「ガ、」は2回使わない

 これは目安ではなく、「絶対に使ってはいけない」と書きたいぐらいです。
 たとえば、次の文を見てください。

 〈原文3〉
 接続助詞の「ガ」に関してですガ、これは「逆接」の意味で使われることが多いのですガ、ほかにもいくつかの働きがありますガ、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。

 こんな文を書く人は少ないかもしれませんが、座談会などの発言を忠実に文字にすると、このような感じになっていることは珍しくありません。これは、あまり断言調で話してはいけない、という意識が働くためのようです。文章を書く場合にも、あらたまった感じで書こうとして肩に力が入ると、「ガ、」が目立ってしまうことがあります。
〈原文3〉に出てくる「ガ、」は、「関してですガ、」と「ありますガ、」が「順接のガ、」(表記がわずらわしいので、以後は「留保・抑制」の「ガ、」も含めてこう呼びます)で、「多いのですガ、」が「逆接のガ、」になりそうです。「順接のガ、」は、できるだけ使わないほうが文章がすっきりした感じになります。たとえば、次の〈原文4〉と〈書きかえ文4〉を比べてみてください。

 〈原文4〉
 接続助詞の「ガ」に関してですガ、これは多くの場合「逆接」の意味で使われます。
 〈書きかえ文4〉
 接続助詞の「ガ」は、多くの場合「逆接」の意味で使われます。

〈原文4〉でもさほど問題はないと思いますが、特別な理由がない限り、おすすめはできません。〈原文4〉がまだ許容されるのは、一文が短いからです。これが長い文になって「順接のガ、」がいくつもあり、〈原文3〉のように「逆接のガ、」まで出てくると、読み手が戸惑います。
〈原文3〉は次のように書きかえるべきです。〈書きかえ文3-1〉のように「順接のガ、」を消すだけでもマシになります。ただし、この場合は文が少し長いので、〈書きかえ文3-2〉のように分割するほうがわかりやすいはずです。

 〈書きかえ文3-1〉(「順接のガ、」を消した例)
 接続助詞の「ガ」は、「逆接」の意味で使われることが多いのですガ、ほかにもいくつかの働きがあり、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。
〈書きかえ文3-2〉(文を分割してわかりやすくした例)
 接続助詞の「ガ」は、多くの場合「逆接」の意味で使われます。しかし、ほかにもいくつかの働きがあり、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。

 一文の中に「逆接のガ、」が2回以上出てくる文は、たいていの場合、論旨が混乱している「悪文」の一種です。論旨を整理したうえで、書き直さなければなりません。「順接のガ、」と、「逆接のガ、」が一文の中に混在すると、「ガ、」の役割がわかりにくくなり、やはり論旨が混乱しているような印象になります。
 もうひとつ、気をつけなければならないのは、主語の働きをする言葉につくガです。次の用例を見てください。

 a タメになることガ、たくさん書かれている本です。
(ガの直後の読点はなくても構わないが、ほかに読点がないので、打っても問題はない)
 b タメになることガたくさん書かれているので、読んだ人ガ必ず感銘を受ける本です。
 (「タメになることガ」の直後に読点を打つのはヘン。「読んだ人ガ」の直後は読点を打っても悪くはないが、打たないほうがいい)
 c タメになることガたくさん書かれているので、読んだ人ガ必ず感銘を受ける本ですガ、一般の書店には置かれていません。
(一文が長くなって、「逆接のガ、」が出てくる文の場合は、ほかのガの直後には読点を打たない。この文の場合は2つに分割するほうがよさそうだが、もし分割しないのなら、これ以上の読点を打ってはいけない。むしろ、「書かれているので」の直後の読点も取ってしまうほうがわかりやすくなる)
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 この段階ではきわめて基本的なことしか書いていない。
 深く掘り下げる気がなかったし、書き手もそこまで深みにはまっていなかった。
 その後病状は悪化した。読書感想文集から引く。
 こういう話を真剣に読むと激痛の頭痛が痛くなるので、危険を感じたら無視してほしい。「ガ、」にはいくつかの種類があることと、多用するのは(とくに長い一文では)避けたほうがいいことだけを覚えておいてほしい。
 まず、この「ガ、」の話の原点とも言える清水幾太郎『論文の書き方』(略して「清水読本」)の読書感想文から。

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【引用部】
 では、「が」が一般にどういう意味で用いられているか。用途の全体を網羅することは思いも寄らないが、若干の重要な用途を挙げてみると、第一に、「しかし」、「けれども」の意味がある。前の句と多少とも反対の句が後に続く場合である。反対の関係が非常に強い時は、「にも拘らず」の意味に使われる。第二に、前に句から導き出されるような句が後に続く場合に、「それゆえ」や「それから」の意味で用いられる。第三に、反対でもなく、因果関係でもなく、「そして」という程度の、ただ二つの句を繋ぐだけの、無色透明の使い方がある。このほかにも多くの用法があるけれども、差当って、この三者だけを見ても、「が」用途が甚だ広いこと、従って、これが甚だ便利な言葉であることは判る。(p.53)

 第III章のテーマは〈「が」を警戒しよう〉。この記述は広く知られ、多くの文章読本が同様のテーマを扱っている。後世への影響力という点では、「第2章2」で紹介した谷崎読本の接続詞に関する記述と双璧かもしれない。接続詞に関しては、やはり「第2章2」で紹介した清水読本の記述のほうがよほど説得力があると思うが、なぜかあまり注目されていない。
 それはさておき、接続助詞の「が」について見ていきたい。「が」という表記に異和感があるので、以下は「ガ、」と書くことにする(「が」だけだと、主語などを示す格助詞の「が」と区別がつかない)。
 この問題は、個人的にとても興味がある。単なる書きグセなんだろうガ、「ガ、」を使うことが多いからだ。「ガ、」を警戒しなければならないのは正論だガ、実践するのは簡単なことではない。「ガ、」を減らせと書いてある文章読本は多いガ、キッチリと解決策を示しているものはほとんどない……と人工的に「例」を作ってみたガ、「ガ、」を含む文が続くと相当みっともない。
 本書は「ガ、」を3つに分けているガ、〈第二〉と〈第三〉とはどう違うのだろう。いろんな例は出てくるガ、どうもピンと来ない(いくらなんでもしつこいのでもうやめる)。こういうときこそ具体例が欲しい。
 ハッキリしないので、ほかの文章読本を見てみる。

【引用部】
「が」という接続詞の働きには、逆接と順接の2種類がある。逆接とは、「しかし」と同様に「が」の前後で逆の内容を述べるものだ。短い文であれば、逆接の「が」を使っても特に問題はない。一方、順接とは、「それで」や「~ので」と同様に、単純な前後関係を述べるものだ。不用意に「が」を使うと、文脈から順接か逆接かを判断するよう読み手に強いることになる。このため、順接の「が」を使った分は2つに分けた上で、適切な接続語句を補うのがよい。(日経BP社出版局監修『説得できる文章・表現200の鉄則』p.45)

 このあとで、次の【原文】と【修正文】をあげている(体裁と一部の表記はかえている)。
【引用部】
1)「逆接のガ、」を使った長い文を2つに分割
【原 文】現在のシステムでも、輸送サービスの構成要素をひとつひとつシステムに反映させていくことで、やがては問題を解決できるかもしれないガ、膨大な手間とシステム開発費用がかかる。
【修正文】現在のシステムでも、輸送サービスの構成要素をひとつひとつシステムに反映させていくことで、やがては問題を解決できるかもしれない。しかし、膨大な手間とシステム開発費用がかかる。
2)「順接のガ、」を使った文を2つに分割
【原 文】工程表は必要な工程の種類に合わせて作成するガ、以下のような書式を準備しておくと便利である。
【修正文】工程表は必要な工程の種類に合わせて作成する。例えば、以下のような書式を準備しておくと便利である。

 この記述を踏まえて清水読本を読み直すと、〈第二〉も〈第三〉も「順接のガ、」だろう、って気がする。まあ、あまり厳密に考えてもしょうがないか。
「逆接のガ、」が長い文の中に出てきたときには、分割して逆接の接続詞を使ったほうがいい。〈短い文であれば、逆接の「が」を使っても特に問題はない〉ことは、前にも書いたとおりだ。
 一方、「順接のガ、」はできるだけ避けて、文を分割したほうがいい。ここで見た【修正文】では〈例えば〉を使っているガ、どんな接続詞を使うのかはケース・バイ・ケースだ。接続詞を使わずに、単純に分割すればいいことも多い(この【修正文】も、接続詞の〈例えば〉はなくてもいいかもしれない)。分割しないで少し書きかえれば済むこともある。いずれにしても、「順接のガ、」は一文が短い場合でも避けるのが原則。一文が長い場合は避けるのが鉄則、ぐらいのことは書いてもバチは当たらないだろう。
 結論を書くと、一文が長い場合は「逆接のガ、」であっても「順接のガ、」であっても「ガ、」は極力使わないほうがいい、ってことになる。一文の中に「ガ、」が2回以上出てくるのは論外。「ガ、」を使う文が2つ続く、なんてのも避けたほうがいい。
 ここで「ガ、」の話は終わらせてしまえればラクなのだガ、そうはいかない。ここから先は相当メンドーな話になるので、覚悟してほしい(読み飛ばして先に進むって選択肢もある)。
「ガ、」には、基本的に「順接のガ、」と「逆接のガ、」の2種類がある。そのほかに、どちらとも考えにくい「曖昧のガ、」とでも呼ぶべきものがある。厳密にいうと、もうひとつ「仮定のガ、」とでも呼ぶべきものもあり、「雨が降ろうガ、ヤリが降ろうガ、……」のような使い方をする。この「仮定のガ、」はホントに特殊なもので、めったに出てこない。書きかえるのも簡単で、気に入らないなら「雨が降っても、ヤリが降っても、……」とでもすればいい。
 では、「曖昧のガ、」がどんなものなのか、例をあげて見てみよう。

1)意味的には逆接の「曖昧のガ、」
【原文1】
 考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
 この「ガ、」が「順接のガ、」ではないことは明らかだ。じゃあ「逆接のガ、」と考えて分割してみよう。
【書きかえ文1】
 考えがまとまりきっていない。しかし、書いてみよう。
 分割した2つの文が短すぎて不自然に感じられるので、「逆接のガ、」と考えるのも無理がありそうだ。ただし、意味的には「逆接のガ、」とほとんどかわらないことは、少し書きかえるとハッキリする。
【原文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていないガ、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
【書きかえ文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていない。しかし、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 このように「ガ、」の前後が長くなると、フツーの「逆接のガ、」になる。どうやら、「ガ、」の前か後ろかが短いと、「逆接のガ、」のように分割すると不自然になるらしい。文全体はソコソコ長くても、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと、「逆接のガ、」が「曖昧のガ、」になってしまう。次の【原文3】と【原文4】で確認してほしい。
【原文3】(「ガ、」の後ろが短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 この問題に関してはいろいろな例外もあり、単純に見えて意外に複雑なので考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
【原文4】(「ガ、」の前が短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 考えがまとまりきっていないガ、この問題に関していくつかの例を示しながら現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 ただし、この【原文3】と【原文4】は人工的に作った「例」で、実例はあまり見かけない。数少ない実例に出合ったら、文全体があまりにも長くなるときだけ、書きかえればいい。「ガ、」の部分で分割して、短いほうに少し言葉を加えればいいだろう。

2)意味的には順接の「曖昧のガ、」
「順接のガ、」も、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと分割するのがむずかしくなり、「曖昧のガ、」になってしまう。たいていの場合は、ちょっと書きかえれば「ガ、」を消すことができる。しかし、書きかえ方はケース・バイ・ケースなので、簡単には説明できない。いちばん一般的なのは、「~に対する私の意見だガ、……」「次に~についてだガ、……」みたいな用法。この場合は、「だガ、」を「は、」にすればいい。
 問題は、簡単には書きかえることができないケースだ。たとえば、前に「第2章3」で作った次の文にも、2)の「曖昧のガ、」が使われている。
【原文5】
 やってみればわかるガ、「天声人語」の文章みたいになる。
 前に見たように、接続詞を使わずに単純に分割できなくはないガ、かなり言葉足らずになる。「曖昧のガ、」を避けたいのなら、次のように書きかえることになる。
【書きかえ文5-1】(最小限の書きかえで「ガ、」を消した例)
 やってみればわかるように、「天声人語」の文章みたいになる。
【書きかえ文5-2】(大幅に書きかえて「ガ、」を消した例)
 (実際に)やってみると、「天声人語」の文章みたいになることがわかる。
 できれば書きかえが最小限の【書きかえ文5-1】をすすめたいガ、なんかヘンな気がする。【原文5】のままか、【書きかえ文5-2】のほうが自然だろう。
 2)の「曖昧のガ、」は、いろんな形があり、使わないことを徹底するのはむずかしい。「とてもじゃないガ、説明できない。」なんて文になると、無理に書きかえるとニュアンスが大きくかわってしまう。
 1)も2)も簡単には分割できない。書きかえるのもむずかしそうなら、「曖昧のガ、」を使うほうが自然だろう。ただ、ひとつだけ気をつけたほうがいいことがある。1)と2)の「曖昧のガ、」は、文頭に「前置き」みたいなニュアンスのことを書くときに使うことが圧倒的に多い。使った場合は、後ろがあまり長くならないようにすること。この点にさえ注意していれば、さほど神経質になる必要はない。

3)逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
 まったく別の「曖昧のガ、」の例もある。「逆接のガ、」とも「順接のガ、」とも考えにくいものを全部まとめて「曖昧のガ、」なんて呼んでいるから、こういうことになる。
【原文6】
 小林はクリームパンを食べたガ、中村はカレーパンを食べた。
 この「ガ、」は「逆接のガ、」とも「順接のガ、」とも考えられる。それぞれの形に書きかえてみよう。
【書きかえ文6-1】(「逆接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。しかし、中村はカレーパンを食べた。
【書きかえ文6-2】(「順接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。そして、中村はカレーパンを食べた。
 なんでこんなことになるのかはわからない。さすが「曖昧のガ、」ってことにしておこうか。どちらの意味になるのかは、文脈しだいだ。文脈しだいでどちらにもとれるのはやはりわかりにくい文なので、避けたほうがいい。使うとしたら、文脈で明らかに逆接とわかる場合に限るべきだ。順接の意味なら、「食べたガ、」ではなく「食べ、」ぐらいにしておけばいい。3)の「曖昧のガ、」に関しては、これが最も基本的な対処法だ。もちろん、文を分割する方法もある。
 これ以上ウダウダ書いているとなんの話をしているかわからなくなるので、清水読本の話に戻る(もう手遅れかな)。

 本書では、「ガ、」の曖昧さを示すために次の例をあげ、両方が成り立つとしている。
  1)彼は大いに勉強したガ、落第した。
  2)彼は大いに勉強したガ、合格した。
 この例文をそのまま引用している文章読本を見ることがあるガ、そんなに好例とは思えない。1)が「逆接のガ、」で、2)が「順接のガ、」なんだろう。「ガ、」が逆接にも順接にも使えるのはたしかだガ、2)は日本語としてヘンなのでは。自然な日本語にするには、もう少しヒネる必要がある。
  1)-2 彼はすべてを犠牲にして勉強したガ、その努力はムダになった。
  2)-2 彼はすべてを犠牲にして勉強したガ、その努力はムダではなかった。
 ここまで変形してしまうと、2)-2は「順接のガ、」ではなくなってしまう気がする。先に見た例と同様で、2通りの書きかえができる。
【書きかえ文2)-2-1】(「逆接のガ、」と考えた場合)
 彼はすべてを犠牲にして勉強した。しかし、その努力はムダではなかった。
【書きかえ文2)-2-2】(「順接のガ、」と考えた場合)
 彼はすべてを犠牲にして勉強した。そして、その努力はムダではなかった。
 やはり2)-2は、逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」と考えるべきだろう。ただし、この場合は順接にするために「基本的な対処法」を使うのはむずかしい。「勉強したガ、」を「勉強し、」にすると、ちょっとヘンだ。次のように書きかえることになる。
【書きかえ文2)-2-3】(「順接のガ、」と考えた場合)
 すべてを犠牲にして勉強した彼の努力は、ムダではなかった。
 とにもかくにも、一文が長いときには「ガ、」を使わないほうがいい、ってことは間違いない。一文がさほど長くなくても、意味が曖昧になるときには「ガ、」は極力使わないほうがいいのだろう。書いているほうも頭が痛くなってきたので、とりあえず「ガ、」の話からは離れる(あとでもう少しだけ書くが)。
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 さらに病状は悪化する。
 次は、野口悠紀雄『「超」文章法』の読書感想文から。

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【引用部】(一部の表記をかえている)
「曖昧接続の『……が』を使うな」という忠告がある。「曖昧のガ、」とは、つぎの文中の「ガ、」のようなものである。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。頭のよい人は必ず遅いというなら、この
  「ガ、」は〈しかし〉の意味になるガ、そうとも限らない。
「曖昧のガ、」を使うと、論理関係がはっきりしなくとも文を続けられる。そこで、非常に頻繁に使われる。
「作文の際の留意事項だガ、最も重要なのは、曖昧表現しないことだ」
というように。
「〈曖昧のガ、〉を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧のガ、」をまったく使わずに本を一冊書いたことがあるガ、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。ただし、一つのパラグラフに三度以上は現れないようにしたい。
 私が初めて「〈曖昧のガ、〉を使うな」という注意に接したのは、清水幾太郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧のガ、」が何度も出て来る。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だガ、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難のわざだ。(p.210~211)

 お待たせしました。「曖昧のガ、」の話の続きです(誰も待っちゃいないか)。
 引用部の最後から2行目の「簡単だガ、」の「ガ、」に傍点がついているのは、「このように」ぐらいの意味だろう。残念でした。これは「曖昧のガ、」ではなく、「逆接のガ、」の可能性が高い。フツーに「。しかし」に書きかえられる。数行前の「書いたことがあるガ、」の「ガ、」は、意味的には順接の「曖昧のガ、」。書きかえるなら、「書いたところ、」ぐらいか。
 本書はこういう「技」をいくつか使っているガ、ここはちょっとスベったみたい。文章読本の中では、このテの「技」をよく見かける。気持ちはわかる。あんなシンキ臭い文章を書いていると、少しは息抜きもしたくなるって。なかには、盛大にスベっている例もある。ユーモアをはき違えてる例も多い。そんなことをしなくても、大丈夫なのにね。大マジメに書いてギャグになってるとこがたくさんあるんだから。
 さて、「曖昧のガ、」の話だ。引用部の例文には、「ガ、」が3回出てくる。

1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。

2)よく使われるガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
 1)で見たものとはちょっとタイプが違うガ、やはり逆接・順接のどちらにもとれる。「ガ、」を「。しかし、」に書きかえれば逆接になる。1)と違い、順接と解釈して「。そして、」に書きかえるとヘンになる。「。」に書きかえるなら、少しマシかもしれない。次のように書きかえれば、もう少しマシになる。
【修正案】
「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現でよく使われる「ガ、」は、明確な意味を持たない。

3)意味になるガ、→意味的には逆接の「曖昧のガ、」
 ちなみに、「作文の際の留意事項だガ、」の「ガ、」は、意味的には順接の「曖昧のガ、」。この場合は、「だガ、」を「は、」にすると、直後の「重要なのは、」と「は、」が重複するのでヘンになる。書きかえるなら、「のなかで」(もしくは「として」)ぐらいか。
 こうやって例をあげて考えていくと、「曖昧のガ、」の話はやはり相当むずかしい。あまり深入りしないほうがいいのかもしれない。
 それはさておき、最後の一文は、すべての文章読本の書き手が肝に銘ずるべき至言。
〈「私がするとおりにせよ」と示す〉ことを少しでも意識してくれたら、もうちょっとわかりやすい文章になると思う。自分でも守れないようなムチャな心得を、ズラズラと並べたてたりもしないはずだ。
================================

【続きは】↓
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2374.html
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3164.html

 やはりどうしたって下記あたりと関連してくるんだろうな。
【第2章2】接続詞
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-76.html
【第2章3】一文の長さ
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-80.html
【第2章4】句読点の打ち方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-45.html


■総索引&文章の書き方
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-132.html



「ガ、」の修辞学〈2〉

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html
日本語アレコレの索引(日々増殖中)【8】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1821744441&owner_id=5019671

mixi日記2012年04月23日から
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1839875398&owner_id=5019671

 下記の続き。
【「ガ、」の修辞学】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-915.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1364668143&owner_id=5019671

 Yahoo!知恵袋の質問に答えたところ、【補足】の質問をいただいた。
 いろいろ考えるところがあり、改めて「曖昧のガ、」について考えてみたい。
【やっぱり曖昧接続の「ガ」が分かりません……。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1285892422
================================引用開始
2つ目は微妙です、とはどういうことです? ブログでは『逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」』と記載。私も2つ目の「ガ」を、逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」だと、理解し納得しました。
ブログを拝見して納得がいかないことは→意味的には逆接の「曖昧のガ、」とか意味的には順接の「曖昧のガ、」という概念です。意味的に逆接とか順接とか分かれば、それはもう「曖昧のガ、」ではなく、逆接であり順接だと。
================================引用終了

 基本的な考え方として、接続助詞の「ガ、」の働きは「逆接のガ、」と「順接のガ、」の2種類に大別できることを前提にしたい。この考え方している書籍を目にすることがある。気になる人は↑の【「ガ、」の修辞学】を参照してほしい。あるところで「逆接」や「順接」は術語(専門用語)だという指摘を受けたが、当方は専門家ではないのでそんなに厳密な意味では使っていない。フツーの辞書に出ている程度の意味で使っている。
 ただ、細かく見ていくと、文脈によって「逆接」にも「順接」にもなるものがある。これは「曖昧のガ、」などと呼ばれる。
 通常はこの3分法でいいと思う。
 当方は書きかえ案を考えることを重視しているので、機械的な書きかえのできないものも「曖昧のガ、」にしている。【「ガ、」の修辞学】では暫定的に「曖昧のガ、」を3つに分けている。こう考えたほうが「ガ、」のもつ曖昧さを排除してわかりやすい文に書きかえるにはわかりやすと思うからだ。
 ……この分類法自体を見直す必要があるかもしれない。

【補足】の質問について考えてみる。質問は2つあるようだ。
  質問1)2つ目は微妙です、とはどういうことです?
「2つ目」とは、【「ガ、」の修辞学】で引用した下記の例文の「使われるガ、」のこと。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。
 これは質問者の理解で間違いない。〈逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」〉だろう。ただ、「。しかし、」にはできても「。そして、」にはしにくい。【「ガ、」の修辞学】にも下記のように書いた。
================================引用開始
「。そして、」に書きかえるとヘンになる。「。」に書きかえるなら、少しマシかもしれない。次のように書きかえれば、もう少しマシになる。
【修正案】
「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現でよく使われる「ガ、」は、明確な意味を持たない。
================================引用終了
 書きかえの法則から外れる(理由は不明)ので、〈逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」〉とはちょっと違うと判断したので「微妙」という書き方をした。
 3分法なら、「曖昧のガ、」で問題はない。

質問2)意味的には逆接の「曖昧のガ、」とか意味的には順接の「曖昧のガ、」という概念です。意味的に逆接とか順接とか分かれば、それはもう「曖昧のガ、」ではなく、逆接であり順接だと。
 これも質問者の理解で間違いない。「分類」を重視するなら、そのとおりだと思う。
 ただし、「書きかえ方」を重視するなら、機械的に「。しかし、」にかえられる「逆接のガ、」と、〈意味的には逆接の「曖昧のガ、」〉は分けて考えるほうがいい気がする。〈意味的には順接の「曖昧のガ、」〉も同様。


●Web辞書『大辞林』の記述から
 基本に戻って、接続助詞の「ガ」について辞書を確認する。『大辞泉』の記述は言葉足らずの気がするので、『大辞林』をひく。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%8C&dtype=0&dname=0ss&stype=1&index=102907300000&pagenum=1
================================引用開始


2 (接助)
1 の用法から転じてできたもので、院政時代から見られる。現代語では終止形、古語では連体形に、それぞれ接続する。
[1] 前置き・補足的説明などを後に結びつける。
  次に予算の件です―、重要なので今日中に決めてください
  御存じのことと思います―、一応説明します
[2] 二つの事柄を並べあげる場合、時間的前後・共存など、それらの時間的関係を表す。
  驚いて外に飛び出した―、何事もなかった
  しばらく見ていた―、ふっといなくなった
[3] 対比的な関係にある二つの事柄を結びつけ、既定の逆接条件を表す。けれども。
  学校へ行った―、授業はなかった
  君の好意はうれしい―、今回は辞退する
[4] どんな事柄でもかまわない、の意を表す。「…うが」「…まいが」の形をとる。
  どうなろう―知ったことではない
  行こう―行くまい―、君の勝手だ
================================引用終了
[4]はちょっと違う用法なのでパス。
[1]~[3]の例文を逆接と順接の観点で見てみる。「逆接・順接のどちらにもとれる」ものを「逆接or順接」と表記する。

  [1]-1 次に予算の件です―、重要なので今日中に決めてください→順接
  [1]-2 御存じのことと思います―、一応説明します→逆接
  [2]-1 驚いて外に飛び出した―、何事もなかった→逆接
  [2]-2 しばらく見ていた―、ふっといなくなった→逆接or順接
  [3]-1 学校へ行った―、授業はなかった→逆接
  [3]-2 君の好意はうれしい―、今回は辞退する→逆接

 ちょっと意外に思ったことがある。
 まず、[1]の意味で逆接があったこと。このテの「前置き」は順接が多い印象だった。[1]-1が典型だし、[1]-2も「御存じのことと思いますガ、昨年の業績は最悪でした」なら、ありがちな(前置きの)順接になる。
 いままで確認している逆接or順接は、かなり特殊な形だと思っていた。[2]-2を見るに、逆接or順接の例はほかにもありそうだ。
[3]の例文はちょっと疑問。これって「対比的な関係」なんだろうか。「対比的な関係」の典型は「昨日は雨だったガ、今日は晴天だ」あたりでは。


●「ガ、」の種類の判定法
 接続助詞の「ガ、」が逆接か順接かを判断するのに、当方は安直な方法を使っている。
  「。しかし、」にかえられるもの→逆接
  「。そして、」にかえられるもの→順接

 この判定法で大半の例に対応できる。
[2]-2が逆接&順接であることも確認できる。どちらになるのかは、例によって文脈しだいなんだろう。ただ、この場合、それぞれがふさわしい文脈が想定しにくい気もする(詳細は後述)。
  しばらく見ていた。しかし、ふっといなくなった
  しばらく見ていた。そして、ふっといなくなった

「逆接のガ、」でも「順接のガ、」でもないものを、当方は「曖昧のガ、」と呼んでいる。接続助詞の「ガ、」の大半は「逆接のガ、」か「順接のガ、」で、まれに「曖昧のガ、」があるってことだと思う。「曖昧のガ、」のうちでわかりやすいのが逆接or順接の「ガ、」。
 この3分法でいいと思うが、厳密に言うとどれにも属さない例がある。
 ↑の例文で言うと、[1]-1。ここで使われている「ガ、」は、意味的には順接なのだが「。そして、」にはしにくい。これを当方は〈意味的には順接の「曖昧のガ、」〉と呼んでいる。同様に〈意味的には逆接の「曖昧のガ、」〉もある。このあたりは【「ガ、」の修辞学】に書いた。こちらはピンポイント(これで?)なので転載する。
================================引用開始
1)意味的には逆接の「曖昧のガ、」
【原文1】
 考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
 この「ガ、」が「順接のガ、」ではないことは明らかだ。じゃあ「逆接のガ、」と考えて分割してみよう。
【書きかえ文1】
 考えがまとまりきっていない。しかし、書いてみよう。
 分割した2つの文が短すぎて不自然に感じられるので、「逆接のガ、」と考えるのも無理がありそうだ。ただし、意味的には「逆接のガ、」とほとんどかわらないことは、少し書きかえるとハッキリする。
【原文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていないガ、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
【書きかえ文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていない。しかし、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 このように「ガ、」の前後が長くなると、フツーの「逆接のガ、」になる。どうやら、「ガ、」の前か後ろかが短いと、「逆接のガ、」のように分割すると不自然になるらしい。文全体はソコソコ長くても、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと、「逆接のガ、」が「曖昧のガ、」になってしまう。次の【原文3】と【原文4】で確認してほしい。
【原文3】(「ガ、」の後ろが短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 この問題に関してはいろいろな例外もあり、単純に見えて意外に複雑なので考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
【原文4】(「ガ、」の前が短くて「曖昧のガ、」になっている例)
 考えがまとまりきっていないガ、この問題に関していくつかの例を示しながら現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 ただし、この【原文3】と【原文4】は人工的に作った「例」で、実例はあまり見かけない。数少ない実例に出合ったら、文全体があまりにも長くなるときだけ、書きかえればいい。「ガ、」の部分で分割して、短いほうに少し言葉を加えればいいだろう。
================================引用終了


●gooの「類語辞書」の記述
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/17237/m0u/
================================引用開始
〔が〕▽(1)雨が降ってきましたが、試合は続行します▽(2)天気はよいが、風が冷たい▽(3)ここだけの話だが、彼は秋に結婚するそうだよ

【2】「が」は、一般にもっぱら逆接を表わす接続助詞のように思われがちであるが、接続助詞の「が」は格助詞の「が」から発達したもので、本来は順接とか逆接には関わりのない接続関係を表わす。したがって、現代語でも逆接の確定条件(例文(1))のように、前件と後件が特別な因果関係にあることを表わす用法だけではなく、前件と後件とを対比・対照させていることを表わす用法(対比・対照。例文(2))や、後件の断り書きのように前件を提示して後件に接続させる用法(単純接続。例文(3))などがある。そのほかにも、「顔もいいが性格もいい」のような順接の並列や、「課長でしたらもう帰りましたが」のような終助詞的な用法もある。
================================引用終了
 終助詞を別にすると、「ガ、」には4つの働きがあるとしている。
 ↑の『大辞林』の分類と比べると微妙に食い違って気持ちが悪い。やっぱりちゃんとした文法辞典を調べたほうがいいのかな?
 見比べると、gooの「類語辞書」の分類のほうが適切な気がするので、『大辞林』の例文をこちらに合わせる。
  A逆接の確定条件
  A-1 雨が降ってきましたガ、試合は続行します→逆接
  [1]-2 御存じのことと思いますガ、一応説明します→逆接
  [3]-1 学校へ行ったガ、授業はなかった→逆接(対比ではないだろう)
  [3]-2 君の好意はうれしいガ、今回は辞退する→逆接(対比ではないだろう)
  [2]-1 驚いて外に飛び出したガ、何事もなかった→逆接
  B対比・対照
  B-1 天気はよいガ、風が冷たい→逆接
  C単純接続
  C-1 ここだけの話だガ、彼は秋に結婚するそうだよ→順接
  [1]-1 次に予算の件ですガ、重要なので今日中に決めてください→順接
  [2]-2 しばらく見ていたガ、ふっといなくなった→逆接or順接
  D順接の並列
  D-1 顔もいいガ性格もいい→逆接or順接

 分類の名称が本当に適切か否か、個々の例文の分類が本当に適切か否か、当方には見当もつかない。それは学者の仕事だろう。当方の主目的は、文章を書くときに「ガ、」の曖昧さを排除すること。
「A逆接の確定条件」と「B対比・対照」の例文は、どれも「。しかし、」にかえられるから、「逆接のガ、」。
「C単純接続」は、通常は順接。前置きなどに出てくることが多い。ただ、[2]-2がなぜ逆接or順接になるのかわからない。
「D順接の並列」は呼称がヘンだろう。これは【「ガ、」の修辞学】で見た〈彼は頭はよいガ、走るのも速い〉と同様で、逆接or順接の形。順接になるか逆接になるかは文脈次第だと思う。
================================引用開始
1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。
================================引用終了

 課題がいくつか残ってしまった。ネットで閲覧できる辞書類の限界なのかもしれない。こういうことを細かく分析するがするほど学者の仕事に近づき、本来の目的から離れるような……。
課題1)「昨日は雨だったガ、今日は晴天だ」は逆接or順接なのかもしれない
※「対比・対照」は基本的には逆接だが、少し特殊な文脈をつくれば順接にできることもある。
課題2)「対比・対照」と「並列」っはどう違いのか
※逆接なら「対比・対照」で、順接なら「並列」なのかもしれない。
課題3)[2]-2がなぜ逆接or順接になるのか
課題4)分類のしかたの再検討
課題5)あのとき話した例の書類だけど、見つからないの
※「順接のダケド、」もあるのね。これを「ガ、」にすると、接続助詞ではなく格助詞になりそう。先祖帰り?



「ガ、」の修辞学〈3〉
──「ガ、」の修辞学 外伝

 下記の仲間。
日本語アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2828.html

日本語アレコレの索引(日々増殖中)【13】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1929935424&owner_id=5019671

mixi日記2014年11月13日から

 直接的には下記の続きだろうな。
110)【「ガ、」の修辞学】2009年12月16日
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-915.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1364668143&owner_id=5019671

757)【「ガ、」の修辞学〈2〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2374.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1839875398&owner_id=5019671

 テーマサイトが2つある。
テーマサイト1)【「山田ですが」 の 「が」 は 「but」?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8723742.html
 ここから下記が派生?している。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10137332810/a343140381

テーマサイト2)【ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、ドーピングは良くないことだ。】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12138129092

 まずテーマサイト1)のベストアンサーから転載する。
==============引用開始
日本語の接続助詞の「が」(「が」と「け(れ)ど(も)」を一緒にして「が・けど類」とも呼ばれます)は、

1.逆接・対比
2.並列・累加
3.主題の提示
4.補足説明・前置き
5.注釈
6.言い切り回避

といった用法があります。(これ以外にも、あると言っている人もいます)
「山田ですが、田中さんはいらっしゃいますか?」の「が」は、4の補足説明・前置きの用法ですね。
==============引用終了

 出典が知りたい。文法辞典だとこういう書き方になるのだろうか。
 疑問もある。
「3.主題の提示」は、一般には主格(厳密には違う)を示す格助詞の「が」だろう。
「僕が食べました。」「天気がいい。」……etc.
「6.言い切り回避」は、文末の「が」だろう。これも格助詞かな。
「そんな気もするのですが……。」……etc.
 接続助詞の「が」は次の3つに絞れるのでは。
1.逆接・対比
2.並列・累加
4.補足説明・前置き

 これが当方の従来の分類だと下記の3つになる。
「逆接のガ、」
「順接のガ、」
「曖昧のガ、」
 このうち「曖昧のガ、」は、やはり2つに分けたほうがよさそうだ。新たな分類。
1)「逆接のガ、」(「。しかし、」に書きかえられる)
2)「順接のガ、」(「。そして、」に書きかえられる)
3)「曖昧のガ、」(「。しかし、」にも「。そして、」にもしにくい)
4)「両義のガ、」(文脈しだいで「。しかし、」にも「。そして、」にもなる)
 一般的な呼称に当てはめると、「順接のガ、」は「並列・累加」とか「単純接続」になる。
「曖昧のガ、」は「補足説明・前置き」だろう。
「両義のガ、」の典型は110)【「ガ、」の修辞学】でひいた『「超」文章法』の例文がわかりやすい。「彼は頭はよいガ、」が「両義のガ、」になる。
==============引用開始
【引用部】(一部の表記をかえている)
「曖昧接続の『……が』を使うな」という忠告がある。「曖昧のガ、」とは、つぎの文中の「ガ、」のようなものである。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。頭のよい人は必ず遅いというなら、この
  「ガ、」は〈しかし〉の意味になるガ、そうとも限らない。
「曖昧のガ、」を使うと、論理関係がはっきりしなくとも文を続けられる。そこで、非常に頻繁に使われる。
「作文の際の留意事項だガ、最も重要なのは、曖昧表現しないことだ」
というように。
「〈曖昧のガ、〉を排除せよ」という注意は、正しい。ただし、これは正論である。正論の常として、息がつまる。一度、「曖昧のガ、」をまったく使わずに本を一冊書いたことがあるガ、息がつまった。「死ぬまでに一度たっぷりつゆをつけてそばを食いてえ」という気持ちがよくわかった。ただし、一つのパラグラフに三度以上は現れないようにしたい。
 私が初めて「〈曖昧のガ、〉を使うな」という注意に接したのは、清水幾太郎の『論文の書き方』である。しかし、いまこの本を読み直してみると、「曖昧のガ、」が何度も出て来る。「私が言うとおりにせよ」と注意するのは簡単だガ、「私がするとおりにせよ」と示すのは至難のわざだ。(p.210~211)

(略)

1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。
==============引用終了

「よく使われるガ、」も「両義のガ、」の一種だと思うが、話が長くなるのでパスする。
 で、やっとテーマサイト2)の話になる。
 まず全文をひく。
==============引用開始
① ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、ドーピングは良くないことだ。
② 以前から思っていたが、ローラはとても可愛い。
③ 大げさかもしれないが、私は人生の殆どを棒に振ってしまった。
④ どこのどいつだか知らないが、舐めた真似をしてくれるもんだぜ。
⑤ 昨日も言いましたが、体調管理をしっかりして下さい。
⑥ 昨日出された宿題ですが、全部解き終わりました。
⑦ 同じ中学に通ってたから分かるんだが、彼の身体能力は凄い。

①〜⑦の文章の「が」はここでは逆接の働きをしてるのではなく、単純に文と文を接続してるんですよね?
もし、上の文章の中に逆接の「が」があるのなら指摘をお願いしますm(._.)m
==============引用終了

 基本的にはすべて「順接のガ、」(単純接続)でいいと思う。しかし、やや苦しくても前後の文脈(重言)をによっては「逆接のガ、」になりそうなものもある。少し言葉を加えてみるとわかる。
①ウサイン・ボルトがドーピングしてるかどうかは分からないが、(いずれにしても)ドーピングは良くないことだ。
「いずれにしても」を入れると、「が、」は「。しかし、」にできる気がする。
②ハーフの芸能人はどこか作り物っぽくて好きになれない。(そう)以前から思っていたが、ローラはとても可愛い。
 これだと「逆接のガ、」だろう。
③その出来事が、私の人生観をメチャクチャにした。(そこまで言うと)大げさかもしれないが、(その出来事のせいで)私は人生の殆どを棒に振ってしまった。
 これだと「逆接のガ、」だろう。
④(こんなことをしでかしたのが)どこのどいつだか知らないが、舐めた真似をしてくれるもんだぜ。
 これは原文のままでも「逆接のガ、」になりそう。要は前半が言葉足らずのため「曖昧のガ、」(前置き)っぽくなっているのでは。
⑥昨日出された宿題(は常識では考えられないような量)ですが、全部解き終わりました。
 これは原文のままでも「逆接のガ、」になりそう。要は前半が言葉足らずのため「曖昧のガ、」(前置き)っぽくなっているのでは。

「ガ、」の修辞学 改(仮)
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12322820213.html

mixi日記2017年10月25日から

 直接的には下記の続きだろうな。
【「ガ、」の修辞学 総集編〈1〉~〈3〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3324.html


「ガ、」の話はずいぶん前に散々書いている。↑の〈1〉を元に「パンドラ」でもいろいろ書いた。
 その後、ちょっと書きかえる必要を感じて……〈3〉を書いたあたりで決定的になったかも。

 書きはじめるとえらいことになるのがわかっているので、概略だけ。

 改稿のの趣旨を簡単に書くと、「曖昧のガ、」ってのがあまりにもいろいろありすぎるんで、少し分けた。まず「両義のガ、 」と「前置きのガ、」に分け、後者をいくつかに分けた。そこまで細かく分けてどんないいことがあるのかは不明。

 結論はかわらない。「ガ、」を使うなら一文は短くするほうがいい。


「ガ、」の働きには以下のようなものがある。

【1】逆接のガ、(「。しかし、」に書きかえられる)
 いちばん一般的かな。
  これはなんでもいいと思うが、具体例をあげるとなると何がよいのか迷う。

【2】順接のガ、(「。そして、」に書きかえられる)
 以下、例文は基本的に〈1〉〈2〉からとる。
  ほかにもいくつかの働きがありますガ、「順接」や「留保・抑制」の意味でも使われます。

【3】両義のガ、 (「。しかし、」にも「。そして、」にも書きかえられる)
 これはきわめて珍しい。
〈2〉から引用する。
===========引用開始
【原文6】
 小林はクリームパンを食べたガ、中村はカレーパンを食べた。
 この「ガ、」は「逆接のガ、」とも「順接のガ、」とも考えられる。それぞれの形に書きかえてみよう。
【書きかえ文6-1】(「逆接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。しかし、中村はカレーパンを食べた。
【書きかえ文6-2】(「順接のガ、」と考えた場合)
 小林はクリームパンを食べた。そして、中村はカレーパンを食べた。
 なんでこんなことになるのかはわからない。 
===========引用終了
 
 もうひとつ、〈2〉から引用する。前半は『「超」文章法』の感想文から。 ここでは当方も「曖昧のガ、」という言葉を使っている。
===========引用開始
【引用部】(一部の表記をかえている)
「曖昧接続の『……が』を使うな」という忠告がある。「曖昧のガ、」とは、つぎの文中の「ガ、」のようなものである。
  「彼は頭はよいガ、走るのも速い」というような表現がよく使われるガ、この
  「ガ、」は明確な意味を持たない。頭のよい人は必ず遅いというなら、この
  「ガ、」は〈しかし〉の意味になるガ、そうとも限らない。 

(略)

1)彼は頭はよいガ、→逆接・順接のどちらにもとれる「曖昧のガ、」
「彼は頭はよい。しかし、走るのも速い」の意味にもとれるし、「彼は頭はよい。そして、走るのも速い」ともとれる。どっちの意味になるかは文脈しだいだ。たとえば、「頭のよい人はたいてい運動が苦手だ」みたいな流れだったら、「逆接のガ、」になる。
 一方、「天は二物を与えず、が当てはまらない人もいる」みたいな流れなら、「順接のガ、」になる。ただし、その場合はこんな文を書くヤツが悪い。順接の意味なら、「よいガ、」を「よく、」とか「よいうえに、」ぐらいにするほうがずっと自然だ。その場合は「頭は」ではなく、「頭も」のほうが自然かもしれない。
===========引用終了

 このあたりまでは、そんなにむずかしくない。「両義のガ、」の例文を考えるのはむずかしいが(「言いさし」? たぶん倒置だろう)。

【3】前置きのガ、
 これがいくつかに分かれる。以下、↑の〈1〉からひいて少し加工する。

1)意味的には逆接の「前置きのガ、」
【原文1】
 考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
 この「ガ、」が「順接のガ、」ではないことは明らかだ。じゃあ「逆接のガ、」と考えて分割してみよう。
【書きかえ文1】
 考えがまとまりきっていない。しかし、書いてみよう。
 分割した2つの文が短すぎて不自然に感じられるので、「逆接のガ、」と考えるのも無理がありそうだ。ただし、意味的には「逆接のガ、」とほとんどかわらないことは、少し書きかえるとハッキリする。
【原文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていないガ、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
【書きかえ文2】
 この問題に関しては考えがまとまりきっていない。しかし、現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 このように「ガ、」の前後が長くなると、フツーの「逆接のガ、」になる。どうやら、「ガ、」の前か後ろかが短いと、「逆接のガ、」のように分割すると不自然になるらしい。文全体はソコソコ長くても、「ガ、」の前か後ろのどちらか一方が短いと、「逆接のガ、」ではなくなってしまう。これを〈意味的には逆接の「前置きのガ、」〉と呼ぶことにする。次の【原文3】と【原文4】で確認してほしい。
【原文3】(「ガ、」の後ろが短い例)
 この問題に関してはいろいろな例外もあり、単純に見えて意外に複雑なので考えがまとまりきっていないガ、書いてみよう。
【原文4】(「ガ、」の前が短い例)
 考えがまとまりきっていないガ、この問題に関していくつかの例を示しながら現段階でわかっている範囲のことを書いてみよう。
 ただし、この【原文3】と【原文4】は人工的に作った「例」で、実例はあまり見かけない。数少ない実例に出合ったら、文全体があまりにも長くなるときだけ、書きかえればいい。「ガ、」の部分で分割して、短いほうに少し言葉を加えればいいだろう。

2)意味的には順接の「前置きのガ、」
 こいつがいちばんの難物。「順接のガ、」と同様に悪文の原因だと思うガ(逆接のガ、)、こいつはそう簡単には排除できない。
 おそらく、2種類ある。
①「ガ、」の前後が短くて「順接のガ、」にできないもの
 これはある意味↑の1)と同様。いまちょっと頭が回らないので例文は省略。これは実例はそう多くないので、あまりこだわる必要はなさそう。
②逆接ではないけど「。そして、」には書きかえられないもの
 たいていの場合は、ちょっと書きかえれば「ガ、」を消すことができる。しかし、書きかえ方はケース・バイ・ケースなので、簡単には説明できない。いちばん一般的なのは、「~に対する私の意見だガ、……」「次に~についてだガ、……」みたいな用法。この場合は、「だガ、」を「は、」にすればいい。 「。」や「である。」あたりもできそう。
 問題は、簡単には書きかえることができないケース。たとえば、前に「第2章3」で作った次の文にも、2)の〈意味的には順接の「前置きのガ、」〉が使われている。
【原文5】
 やってみればわかるガ、「天声人語」の文章みたいになる。
 前に見たように、接続詞を使わずに単純に分割できなくはないガ、かなり言葉足らずになる。〈意味的には順接の「前置きのガ、」〉を避けたいのなら、次のように書きかえることになる。
【書きかえ文5-1】(最小限の書きかえで「ガ、」を消した例)
 やってみればわかるように、「天声人語」の文章みたいになる。
【書きかえ文5-2】(大幅に書きかえて「ガ、」を消した例)
 (実際に)やってみると、「天声人語」の文章みたいになることがわかる。
 できれば書きかえが最小限の【書きかえ文5-1】をすすめたいガ、なんかヘンな気がする。【原文5】のままか、【書きかえ文5-2】のほうが自然だろう。
 意味は……順接だろう。だが、「。そして、」にはしにくい。文を強引に分割するなら。「。」にするのが素直な気がする。

【3】「前置きのガ、」はいろんな形があり、使わないことを徹底するのはむずかしい。「とてもじゃないガ、説明できない。」なんて文になると、無理に書きかえるとニュアンスが大きくかわってしまう。
 1)も2)も簡単には分割できない。書きかえるのもむずかしそうなら、「前置きのガ、」を使うほうが自然だろう。ただ、ひとつだけ気をつけたほうがいいことがある。「前置きのガ、」は、当然のことながら文頭に「前置き」みたいなニュアンスのことを書くときに使うことが圧倒的に多い。使った場合は、後ろがあまり長くならないようにすること。この点にさえ注意していれば、さほど神経質になる必要はない。
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